2024年1月26日

関西ラジオ局意見交換会を開催

放送倫理検証委員会は2024年1月26日、関西に拠点を置くラジオ局との意見交換会をMBS本社で開催、12局31人が参加した。委員会からは小町谷育子委員長、岸本葉子委員長代行、井桁大介委員、大石裕委員、長嶋甲兵委員、毛利透委員の6人が出席した。ラジオ局との意見交換会は2023年3月の東海地区に続く2回目。

開会にあたり小町谷委員長は、近年、ラジオの放送内容を問題視する聴取者意見が連続していることに触れ「現場で起きている問題を共有し、放送倫理を一緒に考えていきたい」と話した。自由で寛容なメディアであるラジオで今、何が起きているのか。委員会が抱いた危機感を共有し、ラジオ現場の声に耳をかたむけていきたいという意見交換会の目的を説明した。

ゲストの問題発言の対応「過激トークとの向き合い方」

まずは、ゲストから問題発言が出た時にどう対応していくのか。実際の放送事例をもとに問題点の整理や質疑へ。報告者はMBSラジオ。ニュース解説の中で、北朝鮮ミサイル実験に対する日本の対応について、ゲスト評論家が朝鮮学校の存在をからめた発言をし、関西の人権団体から抗議をうけた。その後、番組内で「朝鮮学校の児童、生徒に対して、配慮の足りない表現がありました」というお詫びコメントを放送。加えて、朝鮮学校の授業を見学するなどして理解を深めていったことを報告した。MBSラジオの番組審議会からは「マスメディアはいったんマイノリティの側にたって考える姿勢が重要」との指摘をうけ、報告者は「現在の朝鮮学校や民族教育に関する知見や知識について、在阪メディアとして決定的に不足していた」との認識を示し「スタッフ、出演者それぞれが感度を高めていくことを一歩ずつ積み重ねるしかない」と総括した。
委員から放送時のアナウンサーの対応への疑問が呈されたところ、参加者から「問題発言があっても、大物ゲストだとアナウンサーの立場は弱い。(発言を)いさめたあと関係がギスギスする。番組の今後のことを考えてしまう」といった現場からの悩みも伝えられた。岸本委員長代行は「年長の人、感度のいい人をつけておいて、アナウンサー任せにしない」といった組織的な対応についての提案がなされた。

あらためて政治的公平性を問いかける「ラジオの現場から」

続いての報告はラジオ大阪で、2023年1月に放送された番組「大阪を前へ!」「兵庫を前へ!」について。内容は特定の政党の議員や立候補予定者をゲストに招き、本人のプロフィールや活動の紹介、友人や支援者による人柄紹介といったもので、一定のフォーマットに沿った15分と30分の番組が計15本放送され、特定政党の議員、関係者計18人が出演した。会場では初回1月12日の放送(6分)が流された。放送後にBPOに視聴者意見として「特定政党のPR番組を一般の番組と同じ扱いで放送することは問題だ」といった内容が寄せられ、BPOは「政治的公平性についての認識に問題がある」として討議入りを決めた。
このテーマについて弁護士の井桁委員が個人的な意見も交えて、法的・放送倫理的な問題点をレクチャー。冒頭「(この放送が)車の中で流れたらちょっとびっくりするだろうなと思った」と最初に放送を聞いた時の衝撃を語り、「政治的公平性」と「事前運動」の二つの側面からの問題点を指摘していった。まず事前運動については公職選挙法の規律をもとにし、「公示日(告示日)から〇日/〇ヵ月前ならセーフ」といった限定はない」との前提を示し、公示日(告示日)が近づくほど事前運動の可能性が高まっていくと話した。ただし、「選挙に関して放送設備を使うのは、政見放送と経歴放送以外は禁止」として、公選法が放送局に対して「選挙と距離をおくよう厳しく規制している」と言明。こうしたことを踏まえたうえで今回の放送は「事前運動の対象となるような放送だった」と指摘した。
一方、政治的公平性については「量的公平性」ではなく「質的公平性」の重要性を強調。少数意見の尊重、潜在する社会問題の発掘やアジェンダの提示があれば質的公平性は担保されると説明した。加えて「選挙報道で決して委縮してほしくない。みなさまにはアジェンダ設定という重要な役割がある」ことを強調した。

参加者からは、議員がDJの番組や立候補予定者になり得るゲスト出演についての報告があり、小町谷委員長は「いろんな視点を提示しているかどうかが重要になる」と答えた。一方、大石委員はラジオでは「セグメント化(集団)したターゲットを絞った、ある種の甘えがある」と指摘。「特定の視聴者が聴いてくれればいい」という姿勢とは一線を画して「信頼性を獲得し続けてほしい」と話した。

これからも、ともに悩み考える機会を

最後にBPO神田真介事務局長が「BPOではいろんな角度から議論し、悩みながら模索している。これからも現場のみなさんとこういう形で悩みを共有しながら、何ができるだろうか、どうすればいいだろうってことを考える機会を設けていきたい」と結んだ。

以上

2023年3月17日

東海地区3県のラジオ局と意見交換会を開催

愛知、岐阜、三重の3県のラジオ局と放送倫理検証委員会との意見交換会が、2023年3月17日、名古屋市で開催された。ラジオ局側の参加者はAM、FMあわせて8局20人、委員会からは小町谷育子委員長、岸本葉子委員長代行、大石裕委員、大村恵実委員、長嶋甲兵委員の5人が出席した。放送倫理検証委員会がラジオ局だけを対象にした意見交換会を開くのは、2007年の委員会発足以来、初めてのことである。

冒頭、小町谷委員長が「昨年、数は少ないものの、ラジオ局の番組について聴取者から意見が届いた。それをきっかけにラジオ局について考えはじめたところ、私たちがラジオ局の実情をあまり知らないということに気づいた。というのも委員会は過去、ラジオ局の事案を議論したことがなかったからだ。そこでまずは、ラジオ局のみなさんと意見交換をさせていただこうということになった」と述べ、開催の趣旨を説明した。
これに続いて主に、次の3つのテーマについて意見が交換された。
「パーソナリティーについて」「政治的公平性について」「番組と広告について」である。

パーソナリティーについて

司会をつとめる放送倫理検証委員会の調査役から、関西のラジオ局で起きたひとつの事案が紹介された。朝のラジオ番組で、俳優が亡くなったことを報じる新聞記事を取り上げた際、違法薬物の影響を疑うような発言をし、結果、謝罪に至ったというもの。
これについて、生放送を多く担当するラジオ局の参加者から、「パーソナリティーには年齢を重ねられた人生の大先輩が多く、若手の制作者が何かを指摘しても受け入れてもらえないことがある」という趣旨の発言があった。
「同じ放送といっても、ラジオの場合はテレビと異なり、1人のディレクターが長時間の生放送を担当するケースが多く、流れの中でパーソナリティーにおまかせ、という状態になることもある」、「パーソナリティーとはよく言ったもので、個性を打ち出すことによってリスナーを引きつけるという現実がある」、「ヒヤリ、ハットのおそれは社内で絶えず共有している。ただ、今のラジオが生放送を中心にやっている以上、このリスクを減らすのは難しい」などの意見も出された。
その一方、「放送内容で分からないことがあったら必ず確認する。まるまるパーソナリティーにおまかせして、その人の発言が、間違いを含めて出ることがないよう心がけている」という趣旨の発言もあり、局や番組によって制作環境に違いのあることが明らかになった。
これらに対し、在京ラジオ局の番組審議会委員長をつとめた経験のある大石委員からは「ラジオがもっと多くのリスナーを獲得していこうと考えるなら、保守的な感性に陥ることなく、『あっ、こういう面白い人がいる』と、冒険をすることも必要だ。可能性を信じて頑張っていただきたい」という発言があった。
放送番組の制作にたずさわる長嶋委員は「(ラジオというメディアが)personalであり、intimate(親密)であるからこそ、テレビとは違う、面白い個性が発掘される可能性は、まだまだある」と指摘した。
現役のラジオ番組出演者でもある岸本委員長代行は、コスト・コントロールとリスク管理の両立、さらにはマンパワーの問題が、ラジオ局共通の問題であることを指摘した上で、自分の体験をもとに、定年後のスタッフの活用方法が、今後の番組作りの鍵になる可能性があることを示唆した。

政治的公平性について

去年1月に放送された関西のテレビ局の番組で、ひとつの政党の関係者ばかりが出演するものがあり、これについて委員長談話(2022年6月)が出されたことが意見交換の導入になった。小町谷委員長は「ひとつの政党に関係する人だけが出演したことによって、質的公平が損なわれてはいないかという話をした」と、当時の議論を振り返った。
続いて司会者が、最近BPOに寄せられたラジオ番組のリスナーの意見から、以下の2つを紹介した。
「去年、参議院選挙の立候補予定者がディスクジョッキーをつとめる番組が放送されたのを聞いたが、実質的に候補の宣伝になってはいないか」、「国会議員が出演している番組があり、所属政党の公約や議員活動についての宣伝と、とれる話ばかりをしていた。放送倫理上の問題があるのではないか」。

ラジオ局の参加者からは、「番組のスポンサーが、自分が支持する特定政党の関係者をゲストに連れてきたりすると、なかなかNOと言いづらいことがある。しかし選挙に関して言えば、社内規則を設けており、選挙の一定期間内の出演には規制がかけられている」など、実例に即した説明があった。
別の参加者は、仮に地方議会議員が出ている番組があったとしても、例えば「介護」であるとか、その議員の専門分野に限って話をしてもらい、政党に関することは話をしないようにしてもらうよう、事前に打ち合わせをするようにしている、といった事情を紹介した。
「政治家候補と言われる人について、出演の要請があったことはある」と述べる参加者がいたが、そういう場合でも政治的な話はしないようにした、という補足をつけた。

これらに対し大石委員は、政治的に公平な番組を作っていくときに、公平さは考慮すべきものであるが、それはメディアが国家などから規制されることに対し、取材や表現の自由を確保するために持っているものだという趣旨の意見が表明された。さらに「ラジオ局がその地域に根ざし、どう貢献するかということ。問題提起型の、ジャーナリズム機能としての役割をどの程度、担っているのかについて注視している」という趣旨の発言をした。
大村委員はスイスでの居住経験をもとに、「地域のマイノリティー」としての感覚を語ったのに続けて、「ラジオにおいて、地域の特性や課題が放送されることは、そこに住む者にとっては、『あ、この社会に生きている』という実感を持つことにつながる」、「放送が民主的過程に貢献する価値をふまえ、放送に政治家が出演することや、政策を取り上げること自体については、(局側が)萎縮することがないようにと強く思っている」と述べた。
岸本委員長代行は、自分が地方取材でバスに乗った際、車内でラジオがかかり続けていた経験をもとに、「政治的な話はしなくても、バスを利用する人が、この時間はいつも同じ党の人が自己アピールみたいな話をしていると感じたら、番組についてどう思うか。一般のリスナーに番組がどう聞こえるかを想像してほしい。それがリスナーからの信頼につながると思う」と述べた。
長嶋委員は「視聴者の方が、これって(政治的に)極端な番組じゃないか?と疑問を感じ、いろんな意見を寄せるケースが増えている」と述べ、政治的公平性に関して、視聴者・リスナー側の意識が高まっていることを指摘し、よけいな政治介入を排除するためにも放送局の自主・自律が重要として、このテーマについての議論を締めくくった。

番組と広告について

委員会決定第30号、第36号、および2020年の委員長談話について、司会者から説明があったのち、「音声のみの放送」であるために、番組部分と広告部分の区別がつきにくいというメディアの特性について、ラジオ局側の参加者から発言があった。

日々の番組制作についての苦心がいくつも語られた。
「出演型の生CMなのか、それとも番組なのか。境界線が曖昧なものっていうのが、相談案件として非常に増えているという印象がある」、「この商品をというのではなくて、できる限り番組としての形を作って、リスナーへのサービス提供になるよう努力をしている」などが代表的なものである。
企業法務の経験がある大村委員は、「いろんな企業の仕事にたずさわる中で、広告ではなく、番組で取り上げてもらうために、企業がコンサルタントに対価を支払うケースがあると聞いている」と述べた上で、ラジオ局側に実情をたずねた。
ある参加者は、「(スポンサーサイドから)なるべく溶け込ませてください、広告と分からないよう告知してください、と言われることがあり、線引きが難しいことがあった」と自分の体験を明かした。
別の参加者は、「なくはないでしょう。しかし、局側としては番組を模索するスタンスを伝えるしかない」との趣旨、発言した。
長嶋委員は、「こういう問題がBPOで取り上げられることを、むしろクライアントの介入に対する盾にして、自分たちが制作したいものを作って欲しいと思います」と述べた。

以上の3つについて活発な意見交換がなされた後、「差別語・不快語・楽曲について」と題して、短時間の情報交換があった。民放連に放送音楽の取り扱いに関する内規(放送基準・61)が存在することが、司会者からラジオ局側参加者にあらためて情報共有された。

最後に参加局を代表して東海ラジオの岸田実也・制作局編成制作部専任部長が「有意義な時間を過ごさせていただいた。テーマごとに勉強になった。根底にあるのはリスナーのことを考えて、ということだと思うので、持ち帰って番組作りに役立てていきたい」と挨拶した。

以上

2022年11月2日

宮城・山形地区テレビ・ラジオ各局と意見交換会を開催

宮城・山形地区のテレビ・ラジオ12局と放送倫理検証委員会との意見交換会が、2022年11月2日、仙台市内で開催された。放送局側の参加者は12局40人、委員会からは小町谷育子委員長、岸本葉子委員長代行、高田昌幸委員長代行、井桁大介委員、大石裕委員、長嶋甲兵委員、西土彰一郎委員、米倉律委員の8人が出席した。放送倫理検証委員会が新型コロナ感染拡大のため開催を控えていた地方での意見交換会を開くのは、2020年2月の大阪地区での開催以来2年9か月ぶりのことである。

開会にあたり、小町谷委員長が「意見交換会は研修会でも勉強会でもなく、参加者が互いに意見を活発に交換していただく会であり、BPOをよく知ってもらう機会だ。委員にとっては、地方局が抱えている問題点や悩みを教えていただく会でもある。実りの多い意義のある会にしたい」と挨拶した。

意見交換会の前半では、これまでに公表した委員会決定を踏まえ、「政治的公平性」と「番組と広告の境目」の2つのテーマについて、担当委員が説明するとともに質疑応答を行った。

「政治的公平性~委員長談話から」

冒頭、小町谷委員長がBPOおよび放送倫理検証委員会の設立の経緯や「審理」と「審議」の違いなどについて解説した。その上で「BPO放送倫理検証委員会とは何かと思ったときには、『委員会決定第1号』を読んでもらうと理解が進む。そこには『倫理は、外部から押しつけられるものではなく、内発的に生まれ、自律的に実践することによって鍛えられるものである』とあり、委員会の役割として『放送界が放送倫理と番組の質的向上のたゆまぬ努力をかさね、多様・多彩な放送活動をより自由に行うよう促すこと――委員会がめざすのは、この一点である』」と宣言していることに改めて言及した。
その上で小町谷委員長は、2022年6月に出された毎日放送『東野&吉田のほっとけない人』についての委員長談話を踏まえ「政治的公平性」について講演を行った。この中で委員長は、同番組には日本維新の会の橋下元代表、松井大阪市長、吉村大阪府知事の3人がそろって出演し、会の政策については多く語られたが、異なる視点があまり示されておらず、委員会は政治的公平性を損なっていると判断したと、経緯を説明した。一方で、政治的公平性についての意見書を公表すると、放送局が政治問題を伝えるにあたって質的公平性を追求する足かせになるのではないかということを懸念し、また放送後、(当該放送局の)番組審議会で厳しい意見が出され、社内チームによる調査がきちんとなされるなど、自主・自律的に事後対応が行われたことも考慮し、審理・審議入りはしなかったと述べた。
また視聴率を重視して、話題性のある面白い発言をする政治家がキャスティングされると、党派的に偏りが生じ、情報にも偏りが出る恐れがあること、異なる視点が提示されないと、1党派の政策が一方的、肯定的に放送されるきらいがあるなどの問題点が垣間見えたと述べ、政治的公平性を真剣に議論する努力を欠いた番組によって一番不利益を受けるのは、偏った情報を受け取ることになる視聴者であることを懸念し、委員長談話を公表したと述べた。
続いてこれまでに公表された選挙報道に関する委員会決定などに触れ、「特に参議院選挙では、その地域の候補者だけを取り上げたために、地方局の番組が審議入りすることが多い。放送局が独断で比例代表制の設定している選挙区域とは異なる区切りを設定して放送することは、選挙の公平・公正性を害し、選挙制度そのものをゆがめることになる」として注意を促した。
最後に小町谷委員長は、「放送倫理検証委員会は放送法改正の問題をきっかけに設立された。このため政府の動きは常に意識し、政治に向き合うことを余儀なくされている。だからこそ政治的公平性や選挙報道のような民主主義に直結する報道、放送については敏感にならざるを得ない。一方で政治についての意見を表明すればするほど、放送現場を窮屈にさせることになることも懸念している。多様な放送、よい番組が生まれるためにも、委員会は常に抑制的でなければならないと考えている」と締めくくった。
参加者からは「知事や市長等政治家の発言については、一方的にならないよう、公平・公正のバランスを考えているが、例えば、告示1か月を切ったあたりに、対立候補との接戦が見込まれるようなタイミングでコロナウイルスの感染爆発が起きたり、行政側の対応を追及しなければならない場合には、(現職の)出演自体を相当悩むと思う」という意見があった。
これに対し大石委員は「選挙とそれ以外の時は区分する必要があるが、すべて平等に取り上げるのではなく、その問題が重要だという強い認識があれば、掘り下げて報道することこそ放送ジャーナリズムの役割だ。それが『質的公正』である。選挙期間中でも、選挙関連報道が常に優先されるべきというわけではない。緊急事態が生じた場合には、関連情報を伝え、地域の人達の安全を優先するという判断を行うべき」と答えた。
また、長嶋委員は「放送局側は自ら忖度したり、萎縮したりして、党の政策などに切り込むことを怠っているのではないか。もっと党の主張などについては深く伝えないと視聴者は選択することもできない。メディアの役割を自覚し、外部からのさまざまな圧力は局側がポリシーをもって突っぱねてほしい」と述べた。
他の参加者からは、民放連放送基準(12)に関連し、「社員アナウンサーが参議院選挙に向けて立候補の準備をしていたが、出馬宣言前に他のテレビ局で報道されてしまったため、民放連等にも確認しながら、そのアナウンサーの録音番組・生放送を急遽差し替えたり取りやめた。予定していたお別れの挨拶番組もできず、結構大変だった。その後は、フリーの出演者でも選挙に出るかもしれないという報道が出た時点で本人の出演を止めるということにしている」という事例が報告された。

「番組と広告の境目について」

番組と広告をめぐる問題についてこれまで委員会が公表した2つの委員会決定(第30号、第36号)および委員長談話(2020年)を振り返り、事案の問題点と教訓、番組と広告の境目をめぐる問題を判断するための枠組み、枠組みの中で留意すべき視点などについて西土委員が講演した。
同委員は、放送倫理検証委員会の役割はガイドラインの策定を行うことではなく、民放連放送基準や各局の番組基準などを判断基準として、第三者としての視点から番組を検証し、判断することにあると強調した。
そして、番組と広告の境目を検証するための基準は、民放連放送基準(92)「広告放送はコマーシャルによって、広告放送であることを明らかにしなければならない」と民放連の「番組内で商品・サービスなどを取り扱う場合の考査上の留意事項」(2017年)であり、特に後者は番組と広告の境目を判断するための枠組みを示していると述べた。「留意事項」では特に留意すべき事項として3点を挙げているが、これはあくまで例示であり、実際の運用にあたっては視聴者に広告放送であると誤解を招くような内容・演出になっていないかを総合的に判断する必要があり、そのための視点の一つは局による番組の位置づけが視聴者に理解されているかどうかであると指摘した。また、番組内の個別の要素・場面をとりあげて倫理違反を見出すのではなく、視聴後感において番組全体が広告放送であるとの印象を残すか否かがより重要だと述べた。その上で、総合的判断を行うためのポイントは、なぜ視聴者に広告放送であるとの誤解を招いてはならないかということを常に考えることだと述べ、番組と広告の線引きの判断に迷ったら、委員長談話「番組内容が広告放送と誤解される問題について」に記されている「『番組』は視聴者からの信頼を前提として放送されている。ところが『番組』の中に『広告』の要素が混在し、『番組』と『広告』の識別が困難になれば、視聴者の商品・サービスに対する判断を誤らせ、ひいては放送事業者に対する信頼や、番組の内容に対する信頼が損なわれてしまうのではないか」という原点に立ち戻ってほしいと訴えた。そして、緊張感をもって一線を画す日々の作業を記録し、検証することを積み重ねていけば、問題が起きた場合にも説明することができ、何よりも視聴者の信頼に応えることができると述べた。
続いて、高田委員長代行は「番組はあらゆるものから独立して、放送局、放送人が自らの判断で、役に立つ、有益である情報を視聴者に対して伝えることだ。その意味で、番組制作者が忠誠を第一に誓っているのは視聴者。広告は広告主から対価を得て作られており、第一に忠誠を誓うのは広告主。民放番組では両方とも必要であり、だからこそ、これは広告、これは番組だときちんとわかるように放送すること、視聴者目線に立って考えるというシンプルなことが強く求められているのではないか」と述べた。
参加局からは「ローカル局にとって、1社提供の番組は(営業的に)非常に大きい。長野放送の問題などが立て続けにあったとき、一時的に1社提供の番組を自粛した時期もあった。しかし制作現場と営業の間を編成、考査などがつないで何ができるかを詰める作業を繰り返し行うことで色々な問題を克服し、1社提供の番組が実現できた」という報告もあった。

後半は「委員と語ろう」と題して、参加局に対する事前アンケートで関心の高かったジェンダー表現について意見を交わした。

「ジェンダー表現」

アンケートには以下のような回答が寄せられた。

  • 「原稿で、どこまで性別に言及するのかいつも悩んでいる。30代の女性医師、容疑者の男・・・。絶えずデスクと記者が議論、話し合いをしている」

  • 「水着や浴衣の今年のトレンドをリポーターが紹介。どうしても女性ものが華やかで、たくさん飾ってある。男物を扱わなくていいの?って誰かが言ったら、ワンカット紹介して。本質的にこれ、どうなのかなって思いながら仕事をしている」

これらの回答に対して、まず岸本委員長代行が作家や番組出演者としての経験を披露し、「共通する大前提は、性別を言う必要がない場面では言わないということだ。エッセイでは、話の流れに支障がなければ、女性店員と書くところを店員、スタッフなどに置き換える。店員の様子を思い浮かべて欲しいときは、女性ということは書かず、例えばつけ睫毛や髪の長さなど外見で表現する。ラジオでは、縁側でおばあさんがネコと日向ぼっこと言うべきところを縁側でお年寄りがとか、おじいさんあるいはおばあさんでしょうかと両論併記的な言い方をしている。テレビには映像があるので、男性、女性と言う必要がないことが多いと感じている。ただ、容疑者が逃走中のときは、男、女と言うのは視聴者にとって重要な情報だと思う」と述べた。
小町谷委員長は参考になればと断ったうえで「女性医師、女性弁護士、女流作家などの言い方があるが、そうしたプロフェッションの人は自身が『女性の~』とは思っていない。プロフェッションの自尊心を傷つけるジェンダーの使い方はやめた方がよいと思う。私は弁護士であり女性弁護士とは思っていない」とコメントした。
また、米倉委員は「放送局はオールドメディアという言われ方をしているが、それは旧来の価値観を保持しているメディアと見られているということだ。どのような表現をするかはケースバイケースで対処せざるを得ないが、考えなければならないのはジェンダーバランスだけではなく、ダイバーシティについて意識的であるということだ。常に変化していく表現については、職場内での議論を含め日常的に試行錯誤していかなければならない時代に来ている」と述べた。
高田委員長代行は「差別問題は特定の言葉を使わなければいいとか、危ない言葉に触れなければいいという発想になりがちだが、虐げられている立場の人、その人がどういう境遇だったかという現実の問題にどれだけ制作者が向き合ってきたかどうかが問われているし、今後も問われる」と発言した。
井桁委員は「放送における小さな言葉の言い間違いやうっかりミスなどと、国や自治体がマイノリティーを虐げるような政策を打ち出したり、政治家が明らかな差別的意識に基づく発言することを一緒くたにして議論することには違和感がある。放送には大きな影響力があり、差別的な用語や表現に注意することは大事だが、どうしてもケアレスミスは残ってしまう。問題のある言葉をゼロにするために、内部で言葉の意味を一つ一つチェックすることを自己目的化させることなく、より本質的に問題のある施策・姿勢をしっかりと検証する方向により注力してほしい」と述べた。

参加者からは、「いわゆる専業主婦の取材をする際、何も考えずに台所仕事の様子を撮影しがちだが、本当にそれでよいのかを考えるようになった。私たちの中には古くからのジェンダーバイアスのようなものがあり、原稿でも映像でも、それをどう払拭していくか考えなければならない時代だと感じている」という意見があった。

最後に参加局を代表して、仙台放送柳沢剛番組審議室長が「放送局の自主・自律を図るため、視聴者の信頼を得るため、できることを突き詰めていきたい。視聴者・スポンサー・放送局の『三方良し』を目指し、今日の議論を宮城・山形の各局が現場にフィードバックしていければと思う」と挨拶した。

終了後参加者から寄せられた感想の一部を以下に紹介する。

  • 今年6月に出された委員長談話が指摘する「視聴率重視から生じる懸念」については、意味は十分理解するが、多くの人が関心を持つ「人」や「事柄」を取り上げることで、政治について関心を持ってもらったり、投票率の向上に寄与したりという効果もあるのではないかと思う。「質的公平性」をどう考え、どう実現していくかが課題だ。

  • 委員から「番組か広告かの問題について、ローカル局がなぜ大騒ぎしたのかわからない」との感想があった。テレビ・ラジオが広告としての媒体価値を落とすなか、ローカル局ではコスト削減を優先し、ともすれば手を抜いた安易な作業に流れがちである。一つ間違えれば自局も同じことになっていたかもしれないという危機感が多くの局にあったと思う。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とならないよう、制作の現場でよく考え大いに悩むことが重要と再認識した。

  • BPOという組織に、あまりポジティブな印象を持っていなかったが、委員の方々の顔を見ることができて正直少し安心した。委員の中にも色んな職業・立場の人がおり、みんなが個々の意見をぶつけながら結論を導き出しているのだと、会話を聞いて改めて認識した。
  • 意見交換会は、BPOが「向こう側」の存在ではなく、「こちら側」で一緒に試行錯誤する存在であるということ、また「こちら側」では、各局がそれぞれ共通の悩みを抱える同志でもあるということを知る大切な機会だと思う。

以上

2022年1月21日

差別問題をテーマに「意見交換会」を開催

放送倫理検証委員会と全国の放送局との意見交換会が、2022年1月21日千代田放送会館2階大ホールで開催され、事前に申し込みのあった放送局には双方向のオンライン配信を同時に実施した。放送局の参加者は、会場に15社19人、配信にて参加したのは 152社で、そのアカウント数は367件であった。委員会からは小町谷育子委員長、岸本葉子委員長代行、高田昌幸委員長代行、井桁大介委員、米倉律委員の5人が出席した。コロナ禍の影響を受けて2021年度に放送倫理検証委員会が意見交換会を開くのは今回限りで、オンライン配信を利用して全国を対象に実施したのは前年度に引き続いてのことである。

開会にあたり、BPO事務局を代表して大日向雅美理事長が「この意見交換会は、放送局の皆さまが抱いている疑問をBPOに直接ぶつける場となっている。BPOにとっても皆さまの本音を伺う貴重な機会だ。今回は、差別問題に関連する放送上の留意事項をテーマとして取り上げる。近年放送を取り巻く環境は大きく様変わりをし、人権問題や差別に関わる問題に対して社会の厳しい目が注がれるようになった。権利意識の高まりやインターネットの普及を背景に、今まで声を上げられなかった人たちが批判の声を上げるようになったためだと考えられる。今日は、差別に関連する問題や放送上の悩み、対処方法など実例を交えながら議論し、お互いに学ぶところの多い意見交換会にしたいと思う」と挨拶した。

意見交換会の最初は、前年7月21日に公表した「第41号日本テレビ『スッキリ』アイヌ民族差別発言に関する意見」と題した意見書について、以下のとおり、高田昌幸委員長代行が解説した。

日本テレビは、午前中の情報番組『スッキリ』で、毎週金曜日の番組終了間際に2分間程度「スッキりすの週末オススメHuluッス」のコーナーを放送し、系列の動画配信サイト Huluのお薦めの作品などを1本紹介していたが、そのコーナーで2021年3月12日問題が起きた。
普段このコーナーではドラマとか映画とかが紹介されていたが、この日紹介されたのは『Future is MINE -アイヌ、私の声-』という、各界の評価が高い35分間のドキュメンタリー作品だった。内容は、アイヌ民族の人がどうやって差別を克服しながら新しい自分を見出していくかというものだ。コーナーの前半で作品そのものが紹介された後、画面がスタジオに切り替わり、リスの着ぐるみを着た男性タレントが、定番の締めの言葉を「ここで謎かけをひとつ。この作品とかけまして、動物を見つけた時ととく。その心は、あ、犬!ワンワンワンワンワン!」と発話する。このシーンには字幕がついており、「あ、犬」の言葉にはルビのような位置にカタカナで「ア、イヌ」という言葉が入っていた。さらに、「ワン」を5回繰り返す箇所では、画面左からアニメーションの犬が小走りに走って、画面中央に向けて駆けていく。最後に男性タレントが「この作品を見てアイヌの美しさを堪能しよう」と言葉を続け「というわけで、今週もお疲れした〜っす」と語ってコーナーを終えた。
番組終了後、日本テレビの系列局の札幌テレビには、道内の視聴者から抗議の電話が殺到したそうだ。日本テレビにも、これは問題ではないかという連絡が視聴者などから来た。
問題になったのは、このコーナーで男性タレントが発した「あ、犬」という言葉だった。この言葉の一体何が悪かったのか。ダジャレも言ってはいけないのか。あるいは単なる言葉遊びも許されないのだろうか。
一般的に、問題となる差別表現は、ある民族や社会集団などが、歴史的、構造的、時には制度的、法的なものも絡まって虐げられてきたという問題を背景としている。このことは、単なる快、不快ということとは区別して、押さえておかなければならない。
2016年の内閣官房「国民のアイヌに対する理解度についての意識調査」によると、アイヌの人に対する差別は今も存在しており、「アイヌに関して関心を深めるためにはどうしたらよいか」の問いに対しては、テレビ番組や新聞を利用した情報提供という答えが圧倒的に多かった。差別されている側の人たちは、放送には差別を無くすための機能があると期待している。今回の問題は、その前提があってこの放送が流れてしまったということだ。
委員会がヒアリングや資料を基に事実関係を精査したところ、このコーナーには専任で担当するディレクターが1人もおらず、他のコーナーと掛け持ちで担当していることが分った。内容がグループ会社の番組宣伝的なものだったこともあり、コーナー自体あまり重要視されておらず、大きな問題は起こらないだろうという思い込みが事前にあったのではないかという印象を持った。
コーナーの制作に関わった担当者やチェックしたプロデューサーに、アイヌ差別問題は何かということを、知っている人がほとんどいなかったことも大きな問題だと思った。北海道、厳密にいえば東北の一部も、ということになろうが、アイヌという人たちがいるということと、アイヌ民族差別があったということは何となく知っているが、それがどういうものであって、どういった形で行われており、今も続いているのかどうか、そういったことを誰も知らなかった。
コーナーのチェック体制は、チェックして問題がなければ担当者に誰も何も言わず、無言、無反応は了承だとする流れでずっと運用されていた。最終的に番組をチェックする責任の所在と、誰がどのタイミングでチェックしたのかが曖昧なまま流れていったということもあったのではないかと感じた。
以上の点を踏まえて、委員会としては、チェック体制が非常に隙だらけだったことから、今回の事態は起こるべくして起きたと受け止めた。
また、コーナーで紹介したドキュメンタリー作品は尺が35分間と比較的短かったのにもかかわらず、作品を視聴者に紹介する前に見たスタッフは1人しかおらず、放送内容に関する局側のこだわりの薄さを物語っていると感じた。制作現場の上の人は「もし自分が35分間のこの作品を見ていたら、この『あ、犬』の部分は絶対通さなかった。この番組の訴えている内容と、この『あ、犬』の表現が、いかにかけ離れているのかがよく分かったから。自分が見なかったことが悔やまれる」ということをおっしゃっていた。
現場のスタッフは差別する意図は全くなかったと語っていたが、意図があろうとなかろうと、差別的な事柄を電波に乗せてしまったという事実は厳然としてあり、それを拭い去ることはできないと委員会は判断した。放送倫理違反があったという結論になり、主に日本民間放送連盟の「放送基準」の(5)、(10)に反したと判断した。
日本テレビは、1994年に大型クイズ番組の中で、出演したお笑いタレントがアイヌ民族の集団舞踊「イヨマンテの夜」の曲を流しながら踊ってみせた際、アイヌ民族の尊厳を著しくおとしめ、差別を助長したという苦い経験がある。アイヌ関係の団体の方などから激しい抗議を受け当時は勉強会も開かれていたようだが、現在社内にはこの経験が継承されていないそうだ。だから私は今回の事態は過去の過ちの再発だったのではないかと考えている。
知識がないと有効な判断は働かない。特に差別問題に関しては、歴史的、構造的なことを前もってきちんと知っておくことが必要ではないか。差別というのは歴史的な経緯がある。歴史を知ることの重要性を改めてこの場で強調させていただきたい。そのうえで、差別される側の立場に立って、一瞬立ち止まってでもその番組を放送前に見つめ直すことができるかどうかが大切だと思う。

次に、米倉律委員が「差別問題と放送人としての“感度”」というテーマで講演をした。

今回の意見書では、放送人としての感度ということが、ある種のキーワードとして使われていた。その感度の問題について差別問題との関係で考えたい。
今回の話を初めて聞いたとき、私は、こういう差別表現が過去にあったことを知らない現場で、うっかりミスのような形で発生してしまった比較的シンプルな事案ではないかと感じていた。その後、関係者の方に話を伺うなかで、この問題は、今のテレビを取り巻く現状、具体的には、制作現場の複雑な分業化や人員の不足、制作現場の繁忙化、スタッフの疲弊といったさまざまな問題が反映された、かなり複雑な問題ではないかと考えるようになった。昨今、価値観の多様化、グローバル化が進み、差別問題も非常に複雑化、多様化している。引いた目で見ると、テレビと社会との関係性や距離感が問われている問題でもあるのではないかと考えている。
高田委員長代行の話にあったように、制作現場の方々は、アイヌ民族の人々を犬という形で例える差別表現が過去に実際にあったことを誰も知らなかった。実を言うと私自身、アイヌ民族の歴史や差別の問題について、一定の理解や知識はあったと思うが、そういう差別表現が過去に実際に使われていたということ自体は知らなかった。世の中に情報を発信していく仕事に携わる者として、当然知っていなければならないと思っているにもかかわらずである。
他方、仮に知らなかったとしても、民族を動物に例えることについて「ちょっと待てよ。大丈夫だろうか」というふうに一度立ち止まって考えたり、ディスカッションしたりしようという感覚があったかどうかについても、併せて問われるべきではないだろうか。それがまさに放送人としての感度ということに関わる問題だと考えている。
では、放送人としての感度というものをどう磨いていったらよいのか、あるいは維持していったらよいのか。そのことを考えるうえで、テレビの制作現場、放送の制作現場が今置かれている厳しい状況について踏まえておく必要がある。
今回、日本テレビで関係者の方にお話を伺うなかで、今のテレビの制作現場がとても大変な状況に置かれていると再認識させられた。制作現場では非常に複雑な分業化が進んでいる。当該番組『スッキリ』の制作スタッフは、調査時点で180人を超え、このうち日本テレビの社員は12人、それ以外の人は制作会社の方やフリーランスの方が分業体制で仕事をしている。
当該コーナー「スッキりすの週末オススメHuluッス」には専従者がいなかった。逆の見方をすれば、全員がいろいろなコーナーを担当していて、兼任という形でこのコーナーの制作を担当するやり方になっていた。業務フローも非常に複雑で、収録後、プレビューの機会が何回かあるが、これもオンラインで行われていた。それに加えて、現場は多忙で、皆さん異口同音に日々の仕事に追いまくられて本当に余裕がないとおっしゃる。こういうコーナーで紹介する作品を見る余裕がないということだった。このコーナーで紹介したドキュメンタリー作品は、35分間とそれほど長い作品ではないが、事前に視聴した人は1人だけだった。そういう時間的余裕が現場から失われている。
そうしたなかで、あってはならないことだろうが、業務にある程度優先順位をつけ、物によっては後回しになって、いったん立ち止まって熟考したりみんなで議論したりすることがなかなかできなくなっている。最近、テレビの番組の劣化とか、いろいろな批判を時々耳にするが、私が非常に強く感じるのは、劣化ではなくて疲弊ではないかということだ。現場の疲弊が大きな問題を引き起こしているのではないかと感じた。
そういう状況で、危機管理的な発想がどうしても前面に出てくるということがあると思う。今回日本テレビも、再発防止策として、チェック体制の強化と社員やスタッフに警鐘を鳴らす施策の拡充をうたっている。その必要性は全く否定しないが、放送人としての感度ということを考えるときに、そういう危機管理的な発想だけでは十分ではないのではないかと私は考えている。
では、何が重要なのか。先程高田委員長代行が、知識が必要で勉強しなければいけないと指摘されていた。本当にその通りだと思う。他方、私が強調したいのは取材経験についてだ。日本テレビでヒアリングをした際、ある人が、当該コーナーに報道系のスタッフ、記者経験者や取材経験のあるスタッフが1人でも関わっていれば、今回の問題は起きなかったのではないかというふうなことをおっしゃっていた。
この話を聞いたときすぐに思い起こしたのが、2020年にNHKが放送した『これでわかった!世界の今』で問題になった事案だ。この番組は、Blacks Lives 
Matter(ブラック・ライブズ・マター)を取り上げ黒人の差別問題を紹介しており、その際、ツイッターに番組に関連したアニメーション動画をアップした。動画では黒人の男性を、筋骨隆々で少し怖く「俺たちは怒っている」というふうな形で描いていた。これが極めて典型的なステレオタイプ表現で差別的だと強い批判を招いた。
私はこの番組に関わっていた人にたまたま話を聞く機会があった。その人は、編集部に、アメリカで生活をした経験がある人かアメリカ人がいれば、こういうことは起きなかったのではないかとおっしゃっていた。つまり、黒人問題を取り扱う場合、アメリカの現実を肌感覚として知っている人が、どれ位制作現場にいるかどうかが非常に重要ではないかということだ。
先程も紹介したように、制作現場は分業化が進んでおり、いろいろな人たちが関わる形になっている。取材は取材、撮影は撮影、収録なら収録、そして完プロなら完プロという形で、専門化、分業化が進んでいる。そうしたなかで、社会の現場で取材経験を積み、いろいろな人とコミュニケーションを取るという経験が相対的に減少、あるいは不足していることが、こうした問題の背景にあるのではないか。
1つ紹介したい議論がある。イタリアの著名な哲学者ウンベルト・エーコによるネオTVという議論だ。どういう議論なのかというと、現代のテレビは、現実社会を映し出す窓のような機能ではなく、むしろ、テレビが自ら作り出したある種の現実、バーチャルな現実、テレビ的な現実というふうに言ってもよいかもしれないが、そういうものを映し出しているのではないかというものだ。
テレビは窓ではなくて、自分が作り出した世界を映し出す鏡のような機能を担うようになってしまっているのではないか。言い換えれば、テレビの自作自演というふうな状況になっているのではないかと、エーコは批判的に主張した。
それになぞらえて言うなら、全部が全部そうだというわけではないが、現場の制作者は、テレビが作り出した現実に住んでいる人、典型的な例を挙げれば芸能人と言われるような人たちとの間では接点があり、いろいろなやり取りがあるかもしれないが、現実世界との接点を次第に失いつつあるのではないだろうか。ゆえに、現実そのものとの接点を、取材を通して維持していくということが、放送人としての感度ということを考えるうえで重要なのではないだろうか。
視点を変えて、差別問題とどう向き合っていくべきかについて話をしたい。差別問題というものの特徴として、コンテクスト(文脈)によるということが挙げられる。どういう文脈の中で、誰が、誰に向かってどういう意味合いで表現しているのかということだ。それによって、ある表現は差別的だということになり、別の表現はそうではないということになったりすることが、さまざまな形でありえると思う。
その表現に、当事者がコミットして承認しているのかどうかということも、差別表現の構成要件として重要なポイントになると考える。例えば、関西人は声が大きいとか、関西人はセコイとか、お笑い芸人の人たちの言い回しによくある「関西人は何々だ」みたいな言い方は、当の関西人がいくら言ってもあまり問題にはならないが、東京の人が関西人はこうだというふうに言うと、その瞬間にそれは問題含みになるということが挙げられるだろう。
NHKが放送している障害者情報バラエティー『バリバラ』を例として挙げたい。この番組は、障害者の人たちがMC、あるいは自ら出演者となり、自分たちの障害のことをある種の笑いにするという非常にユニークなバラエティー番組だ。障害者の障害を笑いの対象にするということは基本的には有りえないことだが、当事者がコミットして、その人たち自身が笑いにするという限りにおいては成立するという、一つの例ではないかと思う。
現在の差別問題、これからの差別問題を考えるうえで、多様性の見地は欠かせない。現代社会は非常に多様化、グローバル化し、複雑化している。社会がそうである以上、番組の送り手の側も多様でなければならないということが、最近言われるようになった。
1つ紹介したいのがイギリスの公共放送BBCの例だ。BBCは、出演者、制作スタッフの人員構成における多様性を担保するために数値目標を設定している。出演する男女比率を50%ずつにすることを目指すフィフティ・フィフティということが、ここ数年よく言われるようになった。その延長線上で、BBCの場合、画面に登場する人をフィフティ・フィフティにするだけではなく、画面の向こうにいる制作者の人たちもフィフティ・フィフティであるべきだとしている。フィフティ・フィフティは通常ジェンダーの文脈で言われることだが、BBCのユニークなところは、女性だけではなく、非白人の人たち、障害者の人たち、LGBTの人たち、こういった人たちもそれぞれ数値目標を設定して多様性を担保しようとしている点だ。
私の聞いている範囲では、女性に関してはまだ数パーセントこの目標に届いていないそうだが、すごいと思うのは、非白人、障害者、LGBTについては、もうこの数値目標を達成しているということだ。
どうしたら差別をなくせるか、差別問題を防ぐことができるかについては、特効薬もマニュアルもない。日常の実践、取材活動を通した現実社会との接点、あるいは、その経験を蓄積していくことこそ重要だ。言い換えるなら、日々の実践からしか、放送倫理というものは形成、あるいは維持できない。
今回、放送人の感度の問題ということを考えるうえで、送り手の放送局と社会との距離が遠くなっていないかということや、放送局が視聴者にエージェントとして受け止められ、視聴者の知りたいことにちゃんと応えているか、あるいは、自分たちの主張や意見、立場をきちんと社会に伝えて共有する媒体になっているかということなど、いろいろなことを考えた。放送人の感度という問題は、重要な指標として位置付けられるのではないかと、今は思っている。

最後に、井桁大介委員が「差別問題 対応の視点」というテーマで講演をした。

はじめに、ある研修の場でいただいた1つの質問を紹介したい。「バラエティー番組などで、人を動物に例えることはよくあることで、今回の『あ、いぬ』というのもその中の1つとも思われる。バラエティーなど他の多数の例では許されて今回はだめだと言われても、線引きの基準が分からなければ、なかなか難しいのではないか」。この質問は、差別問題における線引きの難しさというとても重要な問題を含んでいると思われるので、これを題材に説明をさせていただきたい。
先程米倉委員が「関西人が自分たちで関西のことを何か言う場合にはOK」というふうに、コンテクストによってOKな場面があるとおっしゃったが。逆に言えば、OKかNGかはすべてコンテクストに依存してしまうように思われるので、悩まれると思う。つまり何らかの基準・物差しがないから常に手探りで対応せざるをえない。すべて総合判断、すべてコンテクスト依存ということになってしまうと、現場の対応力に任せざるをえず、悩み深き問題になってしまう。
この点について、高田委員長代行は「知識をしっかりインプットして高めていくことが大事だ」というふうにおっしゃっていたし、米倉委員は放送人としての感度が大事だとおっしゃっていた。いずれもおっしゃるとおりだが、私は法律家なので、こういった問題に関して法律家はどのように対応しているのかについて少し紹介したい。もちろん、法律と放送倫理というのは似て非なるものだということは当然の前提だ。また、今回紹介する視点は、国や自治体が何か差別的なことをしてしまって、それが訴訟になるような場合におけるものを典型とするもので、放送機関の皆さんのように放送の自由・表現の自由という憲法上の権利を行使した結果、差別的な取り扱い・表現をしてしまったという場面とは、当然同じようには考えられない。それでもなお、一つの視点として何らかの参考になるのではと紹介させていただく。
まず、差別問題に取り組む際には、差別は誰にでもあるということを前提にして取り組む必要がある。これについては最近、アンコンシャスバイアスという言葉がよく使われるようになっている。
自覚的な差別意識というのは実はあまりない。自分のことを非倫理的な人間だと思う人が基本的にはいないのと同じで、自分のことを差別的だとか、自分はここに関して差別的な意識を持っているとか自覚して明言する人は少ないと思う。
しかし、差別的なものの考え方というのは誰にでも少しは必ずある。例えば、私であれば、男女差別とか外国人差別とかはないのかと言われると、やっぱりあるのかもしれないというふうに思いながら生活をしている。友人や家族からそういう指摘を受けて、そういう差別的な意識があったのかなと気づくこともある。このように、個人レベルでは自分にも差別意識があることを前提に行動するというのが最初の前提になってくると思う。
そのうえで、放送機関という組織として、許されない差別的な放送をしないようにするには、構成員の各人に何らかの差別的意識があることを前提に、組織的な統制システムを作っていく必要が今後は出てくるだろう。その1つの手段として、先程米倉委員がおっしゃった多様性のある環境をしっかり作ることで差別的な意識を可視化する、もしくは共有化していくということが大事になってくるだろう。
そういった差別問題に取り組む際の、個人レベル・組織レベルの対策を踏まえたうえで、法律家はどのように差別問題に対応するかという視点を紹介したい。もったいつけて申し上げているが、実際のところは、法律においても差別問題に対応する具体的で万能の基準などというものはない。差別問題というのは非常に難しいということが、裁判でも法律業界でもある意味前提となっている。
どうしても差別問題の対応というのは基準が抽象的にならざるをえない。米倉委員がおっしゃったコンテクスト依存というのは本当にそのとおりで、判例が示している基準というのもせいぜいが、「事柄の性質に遡行した合理的な根拠に基づくものでない限り、差別的取り扱いを禁止するのが憲法の趣旨だ」と言っているだけである。不合理な区別は禁止しましょうと言うだけだ。これだけでは、何が不合理な区別で許されない差別なのかといえば、結局はコンテクスト依存ですねということになる。それを学説などにおいて、過去の膨大な裁判例・判例を検討し、少しずつ精緻な視点・基準が積み重ねられてきたので、それを紹介したい。

検証委員会 図

大きく3つの視点が重要だと思う。1つ目の視点は区別の属性である。例えば放送において、特定の属性をひとくくりにして評価を下す場合、その属性が、容易に変更できないものかどうかがポイントになる。
容易に変更できない属性とは、例えば、憲法の条文では「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」といった要素が挙げられているし、多くの皆さまが仕事の現場で触れていると思われる個人情報保護法では「要配慮個人情報」という言葉が使われ、具体的には「人種、信条、社会的身分、病歴、犯罪の経歴、犯罪により害を被った事実その他本人に対する不当な差別、偏見その他の不利益が生じないようにその取扱いに特に配慮を要するものとして政令で定める記述等が含まれる個人情報」と整理されている。こういった属性をひとくくりにして、何か取り扱いを区別しているのかというところが、1つ目の目の付けどころとなる。
次に2つ目の視点は、そのひとくくりの取り扱いによって対象となる属性に生じるダメージである。法律業界では反従属、反別異といった用語が使われるが、端的に言うと、地位のレベルに関するダメージが及ぶものなのか、利益のレベルに関するダメージが及ぶものなのかということだ。ありていに言えば、その人たち、その属性の人たちやその属性そのものを馬鹿にしたり、地位をおとしめたりするようなものなのか。そうではなくて、あくまで利益的なものなのかということだ。
利益的なものというのは、分かりやすく言うと、例えば、女性には妊娠、出産があり、労働法において産前産後の法定休暇が認められる。これは、女性を区別的に取り扱っているわけだが、別に女性をおとしめる意図とか、ダメージが与えられるようなものがあるわけではない。こういうふうに、利益レベルのものなのか、地位レベルのものなのかというところで分けて考えてみようというのが、視点の2つ目だ。
3つ目の視点は、放送機関の皆さまが、なぜその報道、表現、放送を行うのか、その目的や必要性の検討だ。その報道、表現、放送において、なぜ属性をひとくくりにする必要があるのか、その必要な程度はどのぐらいなのか、どういう目的でやっているのかというのを、自己分析をしてみるということだ。
この3つの視点を持ち込むことで、検討の目を細かくしていきましょうというのが私からの提案だ。もちろん実際に裁判例などで議論される要素はより多岐にわたるが、まずはこの3つの視点を意識することで、「不合理な区別は許されない」という抽象的な基準を、具体的な事例に落とし込み検討に役立てようという知見が蓄積されつつあるというところだ。
整理すると、第1に差別された属性が、人種とか信条とか、性別とか、そういったものである場合には、アラートを出してほしい。また、差別によるダメージが地位のレベル、つまり馬鹿にする、尊厳をおとしめるといったものであれば、さらなるアラートを出してほしい。
これらが重なる場合、例えば民族をひとくくりにして馬鹿にするようなものであれば、かなり厳しくアラートして立ち止まっていただく必要がある。そのような場合には、その表現でなければ報道、表現、放送がどうしても成り立たないのか、そういう報道を放送することが本当に必要なのか、言い換えは難しいのかということを、慎重に検討していただいたほうがいいと思う。いわば、原則NGで、高い必要性がある場合や言い換えが極めて難しい場合には許容される、といった基準を持ち込むということとなる。
他方で、差別される属性が変えられる場合、例えば、スーツを着ているかどうかとか、メガネをかけているかどうかとか、そのぐらいであれば、その人の人格に根ざした変えられない属性というわけではない。そういった変えられる程度の属性に着目した報道、表現、放送で、かつ、それがその属性の人々の尊厳を傷つけるようなものではないならば、よほどの場合でなければ特に目くじらを立てなくても良い、ということとなる。
このように、表現によって、どのような属性にどのようなダメージが生じるのかという着眼点に根ざして分析をしていただくと、少し緻密な検討ができるのではないかというふうに考えている。
本日の資料末尾の参考に、放送基準、法令、裁判例など、差別の問題に関して参考になる資料を付けている。例えば、最近ヘイトスピーチなどに関しても少しずつ裁判例が出てきている。ヘイトスピーチは、総体としての民族や人種に対する差別というところで、法律学でもどうやって取り扱ったらいいのかが争われてきた分野だが、少しずつ議論が進展してきており、参考にしてほしい。

この後の意見交換での主な質疑応答は以下のとおりである。

Q: 井桁委員が説明した3つの視点を表にまとめた『差別表現のマトリクス』について、もう少し詳しく教えてほしい。
A: あくまで私が簡略化したものなので、本当の意味での正確性に欠けるかもしれないが、属性とダメージ、それぞれで、どれほど重い差別になるのかある程度の基準が動くということを表している。人種、性別、社会的身分のような変えられない属性に着目した区別的な取り扱いであれば、原則NGの方向で検討していきましょうという作用が働きやすいということだ。ダメージのところは、その表現によって、地位がおとしめられる、馬鹿にされる、社会全体で、その属性の人たちは馬鹿にしていい属性だというふうにメッセージを発信してしまうような表現の場合は、同じく、一旦立ち止まりましょうという方向に作用が働くでしょうということだ。そこの掛け合わせで、属性を変えられない人種などの属性に着目し、馬鹿にするなど、地位をおとしめるような表現をする場合には、原則NGだと思って立ち止まったほうがいいんじゃないかというふうに読んでいただければと思っている。
属性が変えられるレベルであれば、馬鹿にする表現をしたとしても、変えられない属性よりは少し緩やかな基準だとしていいのではないか。「メガネの人は貧乏だ」みたいなことを言ったとしても、貧乏だというのは馬鹿にした表現になるかもしれませんが、メガネをかけているというのは比較的、変えられる属性になるので、ある程度許容度が高まるのではないかというぐらいの話だ。
このマトリクスを、二次関数みたいにきれいな相関性で作れるかというと、そこまでではない。視点として、こういったマトリクスを頭の中に入れていただくと、何か現場で問題が起こったときに、少しだけ緻密な検討ができるのではないかということだ。
補足をさせていただくと、過去の委員会決定などを見ても、一言で言うと、地位をおとしめる、尊厳を傷付ける、馬鹿にするということに関しては、少し厳しい目が向けられている。そこはやはり、こういったマトリクスが検討の際に意識的にせよ無意識的にせよ作用しているのではないかというふうに思う。ですので、特に差別された属性が簡単には変えられない場合、地位のレベルで馬鹿にするような表現をするということについては、感度を高めていきましょうという視点になるかなというふうに思っている。(井桁委員)
  おさらいすると、このマトリクスは4象限あり、左上ほどアラート度が高く、右下は左上よりもアラート発令度が低いという、そういうグラデーションと見ていいのか。
(岸本委員長代行)
  その通りだ。では、右上と左下とではどちらのアラート度が高いのかというと、ちょっと難しい話になってくると思うが、個人的には、やはり地位のレベルのほうが、より厳しくなってくるかなというふうには感じている。(井桁委員)
  色分けをするとすれば、左上が真っ赤で、その右はオレンジ、一番右下になると黄色という、そんな色分けのイメージで、これを活用してみてもいいのか。(岸本委員長代行)
  最初はそういう色分けをしていたのだが、ちょっとどぎつくなるかなと思い自粛した。
(井桁委員)
  利益のレベルで、変えられない、変えられるというゾーンに入る具体的な例を挙げてほしい。(田中調査役)
  地位のレベルは、分かりやすくいうと、馬鹿にすると思っていただければよい。それ以外の区別的な取り扱いは、ほぼ全部、利益のレベルになる。実は、世の中にはたくさんの利益のレベルの取り扱いの差異があり、身近な例を挙げると、会社の近くに住んでいる人には近距離手当を支給する会社がある。一方で、遠くに住んでいる人には交通費しか支給していない。そういう取り扱いは、別にいつでも変えられる住所ですから、すぐに変えようと思えば変えられるものについて、利益のレベルでの取り扱いを変えているだけであったりするわけだ。同じように、放送表現のレベルでも、実はいろいろなところで、何かに着目して取り扱いを変えているということはたくさんある。属性について表現をするときには、ほとんど実はそういう表現を無意識にしている。その時に、地位のレベルでなければ、大体それは利益のレベルだというふうに思っていただければ いいと思う。そのぐらいの位置付けです。(井桁委員)
   
Q: 福島県では、部落という言葉を、地区という意味で主に中高年の方が使うことが多い。うちの部落ではこうこうこういうことがあるというインタビューを撮ったときに、福島県内での放送ではそのまま流しているが、昨今ネットでのニュース発信が多くなっているので、全国で見るということを考えたときに、部落という言葉を外す対応をとっている。西日本の方は部落という言葉に対して、受け止め方が違うだろうと配慮して、そのような対応をしているが、この対応は妥当か。
A: 福島県で部落という言葉を使っているのは、その地域だけの共通認識事項だと思う。その地域外の方からすると、一瞬ギョッとする表現であることは間違いないだろう。そうすると、放送や配信をする地域が広範囲に渡るときには、ある程度一定の配慮をするのは、当然のことではないかと思った。むしろ、その言葉を使いつつ、傍らに何か注記をするというのも、わざわざ部落という言葉を取り出して強調するようになってしまうので、適切ではないような気がする。対応としてそういうことがあるというのを、改めて共有させていただいた。(小町谷委員長)
  部落という言葉自体は封建時代からあった表現で、当初は、部分集落というワードで、それを縮めて部落という言い方をし始めたと私は認識している。もしかしたら間違っているかもしれないが。戦時中までは、郡部の自治組織という意味合いでも部落という言葉が使われていた。
自治組織や人が集まっているという意味の部落という言葉に、被差別部落という言葉が重なってきたのは、戦後の部落解放運動の高まりのなかだった。そういう歴史的な背景があるのだというふうに私は思っている。
実は私は出身が四国の高知県で、学校教育の中で同和教育があったので、それこそ中学校ぐらいから、部落と言えば被差別部落とイコールだと言われて育ってきた。一方で、私の祖母の世代、祖父母の世代というのは、部落という言葉は被差別部落と必ずしもイコールではない。昔から、明治時代からもう普通に、あの辺、あそこの集落という意味で、部落という言葉を普通に使っていた。先程、福島テレビの方のお話にあったのと同じで、それを使っていいのかどうかというのは、まさに文脈で判断すべきことなんだろうと思う。
たとえば、自治体のホームページを注意深く見ていると分かるが、九州では、あくまで行政的な意味で部落という言い回しをするとき、それを集落という言葉に置き換えることは、同和関係団体の方と議論をした結果、逆差別に当たるということになったと断り書きをして、部落という言葉をそのまま使っているところもある。九州は、被差別部落の問題がたくさんあると思いますけれども。
だから、文脈でどう考えるかだと思う。一律、いいとか悪いとかという判断はなかなかしにくい。しかし、誤解を招く恐れがあるのだったら、あえてそれを突っぱねる必要もないのではないかというふうに、私は思う。(高田委員長代行)
   
Q: 考査の現場にいると、非常に細かな言葉の悩みというか、判断が非常に難しい面がある。例えば、女の子らしい服装をしなさいとか、男の子だから泣いちゃダメよとか、今まで当たり前のように使われてきた言葉について、これ大丈夫でしょうかみたいなことを相談されたときに、これからの時代ダメだよねという部分と、これまで使われてきたからある程度文脈の中で許容できるよねという部分と、どちらで判断するのか非常に悩ましい。
関西なので、やはり部落というと被差別という意味合いがくっついて回る一方で、放送局として、その言葉がそういう意味を持たないというのであれば、正々堂々と使うべきじゃないかと。一番懸念するのは、やはり言葉狩り、表現狩りというところに行き着いてしまうということ。その辺りに関して、委員は、どういうふうに考えているのか。
A: 私も日々このラジオ、テレビで話すとき、あるいは文章を書くときに、この言葉を使っていいのかと迷う。ラジオの生放送は考査で判断してくれる人がおらず、自分で判断しなければならない。その時の判断基準には、放送倫理的に沿うかどうかよりも、自分を守る本能みたいなものが働く。その本能の部分でこれはどうかというのを判断している。先程から感度をどう身に付けるかという話が出ており、知識や取材経験が必要だとの指摘があったが、私にとって感度を身に付けるきっかけになるのは、同時代の炎上案件だ。
オリンピックの前に、ある要人の発言が非常に問題になった。女性の多い会議は長いと。あの炎上騒ぎを見ていて私が感じたのは、何かある事柄とか傾向を、性別と結び付けて語るというのは、今は危ないということだ。その炎上案件を見てから、自分がものを書いたり話したりするとき、少し考えるようになった。
以前だったら、女性同士、今度温泉に行きましょうみたいなこと言っていたのを、これは、女性同士とわざわざ言う必要があるのかなと、その必要性と目的を考える。別に女性と言わなくても、自分の表現したいことは成り立つと思えば、なるべく性別のことは言わないようにする。ただ、温泉に行くことを話すときに、男女で行くのかといった、誤解を招く恐れがある時は自然に女性同士と言う。
考査に上がってくる男の子らしさ、女の子らしさについて、私だったら、今はなるべく使わないが、文脈で判断し、プラス、その時代の感度で判断する方がよいと思っている。男女のことを合わせて話したいときに私がとった具体策を1つ紹介したい。女の子がピンクの色を好むという話をしたいときに、下手をすると差別になるので、困っていたところ、ある人の経験を知った。子どもの遊ばせの世話をしている人が、折り紙を広げて、皆、好きな色を選んでいいよと子どもを走らせると、女の子は皆ピンクを取りたがる、不思議だよねというような話を聞いたのだ。女の子はピンクが好きという話をしたかったら、ある人が体験した出来事として、折り紙で好きな色を選ばせたらピンクを選ぶ女の子が多かったそうですと言えば、それは別に差別ではなく、その人が体験した出来事だから嘘ではない。
このように、危ないなと思う表現をあえて使うには、後々気にする人がいることを自覚して使う覚悟が要る。そして、気にする人が何か言ってきた場合に、いや、こういうことで言ったんですよと説明ができるかどうかというところが、最終的に大事だと思う。後は、説明はできるが、この言い方をしなくてもいいのであれば言わないという判断だと思う。
(岸本委員長代行)
  性別と色の関係で思い出したのだが、化粧室、トイレの表示は、女性は赤かピンク色、男性は青などに色分けされている。日本はそうだが、世界的に見ると非常に珍しい。他の国に行くと、マークは何となく女性っぽいマークがあったり男性っぽいマークがあったり、あるいは、言葉でウーマンとかマンとか書いてあるが、それは全部黒などの同じ色で表現されている。世界の中で日本は特殊だということをご紹介しておく。(小町谷委員長)
  先程井桁委員の差別表現のマトリクスというところで話があった、差別される属性ということで考える際、ジェンダーにおいて考えなければいけないのは、その属性というものが、不変のもの、全く変わらないものなのではなくて、どんどん変わっていくということだ。そして、今は非常に細分化されていっている。差別される属性、アイデンティティというものがものすごく多様化し細分化されている。しかもそれが、多くの人たちの間で意識化され、言語化されている。そういう状況があるということを前提に考えないといけないということだと思う。
放送はマスメディアだから、ある種の大衆メディアみたいなものだ。そして、大衆メディアだからこそ、社会のマジョリティに向かって、どうしても情報発信、メッセージを伝えるというふうな性格が今まで強かった。これまでのそういうやり方のままでは、おそらくいろんな問題が起きてしまう、通用しなくなっている、そういう状況があると思う。先程私が言った、オーディエンスが放送局、テレビ局やラジオ局を自分たちにとってのエージェントとして、見てくれるのかどうかということが、今非常に重要になっていると思う。
日本では、あまりマイメディアという感覚がオーディエンスの中にない。国際比較の調査を見ると、海外と比べて、そういう感覚がないというふうなことが言われている。理由はいろいろあると思うが、1つは党派性があまりないこと。諸外国では、そういう党派性のあるメディア、主張がはっきりしているメディアはあると思うが、日本の場合はそうではない。
それだけではなく、何となくマイメディアということを持てない背景として、テレビ局やラジオ局が大衆に向かって、マジョリティに向かってメッセージを発信してきているがゆえに、感覚が時代の変化について行けていないということが挙げられる。世の中では非常にアイデンティティというものが細分化され、多様化してきており、オーディエンスはいろいろなことをセンシティブに意識している。そういうなかで、放送局というのは、自分の価値観、自分の感覚と全然合わないことをやっていると受け止められてしまうというふうな問題があるのではないかと思う。ジェンダーの問題も、たぶん、そういう観点で捉えるべきではないか。
ジェンダーに対する感覚とか意識とかが、ものすごい勢いで変化し、ずっと変化し続けているというところがあるので、そういったことを常に意識し続けるということが、放送局の現場は問われているのではないかというふうに考えている。(米倉委員)
  アイヌの問題で言うと、先程申し上げたように、2016年の調査で、内閣官房がアイヌの人たちに放送に何を期待しているのかと質問したところ、差別を無くすために正しい情報を伝えてくださいという期待値が1番高かった。米倉委員のおっしゃる通り、視聴者、オーディエンスが一体テレビに今、何を期待しているのか、何を求めているかというのが極めて重要な問題だと思う。
ですから、考査の場でも、この番組は放送局として何を伝えようとしているのか、どんなメッセージをオーディエンスに送ろうとしているのか、その番組全体の趣旨に沿いこのシーンでこの言葉を使わないとダメなのか、番組全体として最終的にどんなメッセージを視聴者に伝えようとしているのかを十分吟味し、判断するべきだと考える。言葉尻で、これがいいとか悪いとかと言うよりも、視聴者側は、放送局なり、その番組なり全体のスタンスを、極めて鋭く敏感に読み取っているのではないかと感じる。
『スッキリ』のケースに戻れば、この「あ、いぬ」という言葉自体は、アイヌの問題を取り上げた社会的な番組、ノンフィクション番組で、きちんと説明したうえで使っているのであれば、何の問題もなかったと思う。
絵で犬がワンワンワンと出てきて「あ、いぬ」と言うこのシーンが、このコーナーに本当に必要だったのか。そういう検討が十分に加えられていないなかで、今回の問題が起きてしまったと考える。(高田委員長代行)
   
Q: (オンライン)女性警察官がさほど珍しくなくなった今でも、女性白バイ隊員などの表現が時々ある。テロップをチェックする上司が女性である場合は、この点に気づけるが、男性である場合は気づかないという揺れが生じたことがあった。言葉狩りではなく、意識を改善するための対策はあるか。
A: 私は弁護士で、私たちの業界では女性弁護士という言い方をする。これはわざと言っている場合がある。どういう場合かというと、司法におけるジェンダーのバイアスを強調するために、女性弁護士の比率が少なく意思決定過程に入っていないということを強調するために、わざわざ言うことがある。
それとは別に、一般的な場で、女性弁護士という言われ方をすることも非常に多い。以前から私は、それは女性であるという属性をくっつけて、男性の弁護士と完全に区別して、ある意味貶めているというふうに思っている。女性は、そういうことに凄く敏感だと思う。恐らくその女性白バイ隊員の場合も悪気は全くないと思う。白バイ隊員というのは、基本的に男性が多いだろうと考え、そこに女性がいることが珍しいという趣旨で使っているのかなと思うが、女性と付ける必要性が本当にあるのかというと、ないだろう。やはり必要性ということが重要だと思う。もちろん文脈ということも関係するのかもしれないが。
もう1つ、女性を紹介するときに「美人の」と付く。新聞のラテ欄などを見て「美人の」という表記が目につく。一方で、男性に「ハンサムな」とはあまり言わない。やはり、女性を容姿で見ていることを示しているのだと思う。あまり意識されていないのかもしれないが、実は隠れている問題があると以前から感じている。
ジェンダーの問題というのは、米倉委員がおっしゃったように、加速度的な形で今、動いている課題なので、女性・男性と付けなくても表現できるのであれば、別の表現に置き換えたほうが良いのではないかと個人的には思う。(小町谷委員長)
  情報を提供する企業や公的な機関などが、いまだに「女性チームが出来ました」「女性役員が誕生しました」といったプレスリリースを出したり、あえて打ち出してきたり、そういうことが結構ある。恐らく、先程の女性白バイ隊員もそういう広報の一環ではないかと思う。そういうことを言ってきたら、あなたのところ古いですねと言ってあげるぐらいで、ちょうど良いと思う。
私がかつていた新聞社では、女性警察官とか、女性教員とか、女性何々と書くのは例外的なことだとしていた。そう書く場合は、なぜそうするのかをデスクに説明しなければいけないというルールがあった。
もう1つ、私が気になっているのは、女性を紹介するとき「家に帰れば二児の母」などと紹介されることがあるということだ。逆のパターンで男性を「家に帰れば三児の父」「家事と両立させている」と紹介することはほとんどない。非常にステレオタイプの表現が多いので、そういったことも再考されたほうが良いのかなと感じている。(高田委員長代行)
  先週、アジアからの留学生だけの大学院のクラスで、日本のバラエティー番組をジェンダーという観点から見ようという授業をして、生徒に「どういうふうに見ましたか」と聞いたところ、「古いですね」「昭和ですね」といった感想が異口同音に出た。私の感覚で言うと、これだけジェンダーということが言われているなかで、報道番組、ニュース、ドキュメンタリーといった番組では、比較的いろんな形で神経を使って作られているが、バラエティー番組など、いわゆる娯楽のジャンルにおいては、相当クレームも来ているだろうに、かなり内容がオールドファッションだと感じる。先程から話題に出ているルッキズムなどステレオタイプ表現というのがいろんな形で散見される。娯楽番組というのは半ば冗談みたいなもので、笑いの世界だということなのかもしれないが、実社会ではいまや、宴会の席だから冗談だからというふうなことは通用しないという状況だ。
そういう時代のなかで、娯楽番組のジャンル、バラエティー番組だけはなぜか、これぐらいは許されるだろうみたいな形で、今でもさまざまな表現がなされているというふうに、強く感じる。それを見て、人によっては、本当にテレビは古いと言い、放送は古い世界だというふうに受け止めてしまうということについて、十分に意識的である必要があるのではないかと考えている。(米倉委員)
   
Q: (オンライン)米倉委員が関西人を例に挙げて説明されたことだが、地上波という甚大な拡散力のあるメディアの機能を考えたとき、当事者が言っているからOKだとしてそのまま放送することが、本当にOKなのかと最近疑問を感じている。例えば、女装家のタレントが自分のことをおかまと呼ぶ。当事者が言っているからいいということになっているが、それは当事者一人のことでしかない。そのタレントが属性の同じ人すべてを背負えるわけではない。属性の同じ人は、それを見て傷ついたり不快に思ったりする人もいるかもしれない。さらに言うと、出演している当事者が、その属性に対して悪意のある発言をするかもしれない。そのあたりを最近すごく悩んでいる、あまりそれを言い始めるとどんどん表現の幅が狭くなってしまうというのもあるが、当事者がOKなんだからというふうに、何となく業界的になりすぎているような気がする。そのあたりをどう思われるのか意見を聞かせてほしい。
A: 日本が批准している障害者権利条約に、私たちのことを私たち抜きに決めないでくれというくだりがある。呼称、表現、制度、システムなどに当事者が関わっているかどうかということは重要なポイントだと思う。しかし、今のご指摘のように、ケースによっては、それだけでは判断出来ないということがあるというのは、なるほどそうだろうというふうに思った。井桁委員の、何々のためにその表現、その言葉であるということが、どのくらい重要な意味を持っているのか。あるいは、公共性という観点からどうなのかということは、ケースバイケースで判断していかなければならないと思う。
また、そういう言葉を使う人が、アナウンサーとか記者といった放送局の社員なのか、それとも、出演者の芸能人なのか、街頭インタビューに答えた一般の人なのかといった立場の違いによっても、良いという場合もあれば、ダメだろうという場合もあるように、判断はいろいろ分かれるのではないかと思うし、それを放送の現場で考えるべきだと考える。
ジェンダーの関係でいうと、例えば、奥さんという言葉は、ジェンダー論的にはNGワードだと思うが、一般の方が「うちの奥さんは」と自分の妻のことを言ったときに、奥さんという言葉はダメだし、その言葉によって傷つく人もいるというふうに言いだすと、じゃあどこまでやるんだというふうなことになってくる。ケースバイケースだし、その発話者がどういう立場の方なのかということにもよるし、非常に難しい問題だと受け止めている。
(米倉委員)
   
Q: (オンライン)放送の機能と影響力を考えたとき、通常「これは当事者が言っているからOKとして放送している」という説明を付けていないので、世の中に、OKだという価値観を拡散してしまっている面があると思っている。それでいうと、マツコさんの「自分はおかま」みたいなことを、どんどん放送していいのかどうかというふうなことについても、ちょっと考えてみる必要があるのではないかと感じている。ありがとうございました。
   
  質問が出るまでの間のつなぎで話をしたい。皆様から寄せられた事前アンケートを読んでいると、何かの基準、マニュアルを求めているとひしひしと感じる。私が文章を書くときに使っているのは、共同通信社から出ている記者ハンドブックだ。これには差別語不快用語という項目があり、この言葉に関しては、こう言い換えたらいいでしょうという言い換え集が設けられている。私は物を書く際、これはどうかなと思うときに、この共同通信の記者ハンドブックを調べて、これは今、差別語不快用語に入るんだなというふうに、まずアラートを立てる。しかし、だからといってその言葉を使わないのかというと、そうではない。
例えば、この差別語不快用語には、町医者という言葉は開業医と言い換えましょうと書いてある。町医者が本当にダメなのだろうか。今のコロナ禍の状況で、大病院に行くのは怖いから、まず近所のお医者さんで診てくれればいいなという思いがある。そういうことを語りたいときに、開業医という言葉でその思いが伝わるだろうか。東京の開業医は割と小規模なところが多いが、鹿児島など地方では個人の病院が大病院で入院施設も備えているというのが現状としてある。だから、開業医と言い換えるのかどうかは、身近なお医者さんで診てもらいたいという思いが伝わるかどうかという観点から検討する。
差別語不快用語に町医者イコール開業医と言い換え例があるからといって、機械的に言い換えるということをしない方が、言いたいことが伝わる場合もあるのではないか。ただしその場合、町の身近な医療機関とか、町の身近なクリニックとか、そういった身近という評価を1つ付け加えることで、もしかしたら、身近な町医者でも許されるのではないだろうか。準マニュアルとしての本の紹介と、しかしそれだけではないという私の考えについて話をした。
八百屋だったら、八百屋という3音だけを切り取って、そこを生鮮食品店みたいな別の言葉に言い換えようとすると、すごく不自然になるし、本当にそこで伝えたいことが伝わらない場合がある。機械的な言い換えではなく、ここで何を伝えたいのかという、表現者としての原点に戻って考えることが必要だと思う。
また、先程のおかま問題で、私は、当事者が言っているからいいという基準に加えて、2つ必要なことがある気がする。まず、当事者が誇りを持って言っているかどうか。そして、その言葉を言うことが、そのシーンで伝えたいことに必要かどうかだ。本人の誇りと必要性ということが、当事者性に加わってくると考える。
例えば、おかまの人が「私たちおかまはね、助け合うのよ」みたいなことを言いたかったとしたら、そこでおかまという言葉を外すのはどうなのかなと思う。同時に、その場合であっても、あまりにも「おかま、おかま」としょっちゅう出てくるのではなく、回数を1回ぐらいにするとか、そういった微調整がとても大事なことだと思う。(岸本委員長代行)
   
Q: (オンライン)放送後に総務省から出された行政指導について伺いたい。以前、放送倫理検証委員会でNHK『クローズアップ現代』の際、番組内容を理由とした行政指導に対して、「放送法が保障する『自律』を侵害する行為で『極めて遺憾である』」という声明をわざわざ出した。今回のケースも番組内容に対する指導であって、全く同じ状況であるように思うが、今回の決定では、そもそも行政指導に関して何も言及されていない。なぜ言及しなかったのかということと、委員会の議論の中でこの指導についてはどういう位置づけだったのかということを伺いたい。
A: 今回の件については、アイヌ差別を禁止する法律に対して疑義があったということで、内閣官房が主導したというふうに認識している。それは、番組に対しての是正というよりも、基本的には、差別的な放送をしないでくださいねという要請だったというふうに受け止めている。そういう意味では、以前のケースとは若干異なっているのではないか。内部で議論をしたが、総務省から放送法に基づいて指導があったということではなかったと理解している。(高田委員長代行)
   
Q: (オンライン)今回のケースは、総務省から民放連、NHKに対して行政指導が出ている。高田委員長代行の見解によると、差別的表現だからダメだというふうな総務省の指導は許されるということになってしまう。それでは、国家権力の介入を許してしまうように思え、問題なのではないかと個人的には考えている。差別的表現だからダメだという指導は許されるということか。差別的表現かどうかということは非常に曖昧なところがあるので、そういった指導を許してしまうと、放送局の自立性が侵害されてしまうのではないかというふうに危惧を抱いている。
A: 『スッキリ』の意見書をまとめることについては、委員会の内部で、総務省の部分について特段議論をしていない。ヒアリングの過程で、内閣官房からの聴取に対して、テレビ局がどのように対応したかとか、どういうやり取りがあったかということについては検討し、その範ちゅうの中で判断は下しているということだ。(委員会は実際に放送された番組を対象に制作プロセスにどんな問題があったかを審議する場であるから)総務省の行政指導について、そこだけを取り上げて議論したということはなかった。しかし、それはイコールそれ(放送局の自立性の侵害)を看過しているといったことではない。(高田委員長代行)
   
Q: (オンライン)行政指導が問題ではあるということですか。看過していないということは、問題ではあるという認識ですか。
A: (行政の行為に対して見解を示すことは、個別の番組を審議する委員会の役割とは異なっているため)委員会として、その部分に結論は出していないということだ。
(高田委員長代行)
   
Q: (オンライン)情報番組などでタトゥーが入っている人を取材した場合、極力タトゥーが見えないように撮影したり、そのカットを外したりといった作業をしている。一方で、外国人の人たちがテレビに映っている時は、タトゥーを堂々と出している。自主的に、日本人だったらタトゥーは外すが、外国人はOKみたいな感じで何となく運用しているが、そのあたりについて、どういう基準で番組制作をやっていけばいいと考えているか。
A: 基準と言われると、基準はありませんというふうにお答えすることになってしまう。
日本人と外国人を分けているというのは多分理由があるのだと思う。つまり、外国人の場合は、おしゃれで入れており一種の洋服のようなものだが、日本人の場合は、別の意味があるというふうにみんなが受け取る。そういうことで区別されているのではないか。
今ではそれが若干変わってきて、若い方がおしゃれで入れるということもなくはない。
でも同時に、入れ墨を入れている人はお断りしますというようなことが、お店や銭湯、温泉を利用する際の条件になっている。それはなぜかというと、やはり反社会的勢力の根絶と関連しているはずだ。そこまで視野に入れて、どう対応するかを検討することになるのではないか。
また、入れ墨を入れている人を、そのまま映してしまうと、その方が反社会的勢力であるかのように受け取られてしまう可能性もある。そういうことも考えざるをえないのではないかというふうに思う。これは私の個人的な意見だ。特にBPOに基準というものはない。
(小町谷委員長)
  もしかしたら世代の問題もあるのかもしれない。個人の感想で大変恐縮だが、もちろん
反社会的勢力への対応ということは理解しつつも、そろそろ社会的にタトゥーを許容してもいいのではないかというふうに感じている。数年前、最高裁でタトゥーの彫師の人が医師法違反で起訴された事件で無罪というのがあった。そこで、彫師というのは1つのれっきとした職業であり、入れ墨というものは1つの文化的なものだという判断が下されている。
もちろん入れ墨を入れている一部の人が、反社会的勢力だったことは間違いないので、ある意味差別的な取り扱いが許容されてきた時代があったことは確かだ。しかし、おしゃれでタトゥーをしている人たちまで差別してしまうということが、属性に基づく差別と評価される時代がもう来るのではないかと感じている。今は過渡期だと思うが、私はタトゥーを許容する社会に近づいていってほしいと正直思っている。(井桁委員)
   
Q: 意見書27号『ニュース女子』事案以降、審議に際し、制作過程に加えて考査部署の対応についても言及することがやや増えているように感じている。2020年10月の委員長談話にあるとおり、30号36号のような案件では、そこに焦点を置かれることは理解しているが、その他の案件も含めて、各委員の考査部署への見方や考え方などに何か変化があったのであれば教えてほしい。
A: 考査部門に対する見方の変化はない。一方で、持ち込み番組、あるいは、営業サイドから働きかけがあった番組が増えているという事象がある。その場合、外部で制作されたものを放送局が放送する場合でも、直接的な制作責任はないが放送責任が生じ、考査は、放送するかどうかという判断の大きな要ということで、その役割を重く見た意見書が出た。
意見書は基本的には放送局に対して出すものだ。制作会社が作った番組について調査をする場合、放送局との覚書で動いているBPOとしては、直接その制作会社の人に協力いただくのではなく、放送局の方に、放送に至った経緯を伺うという形で調査をしている。
直接的な答えになっているかどうか分からないが、考査に対する見方そのものが変化したわけではない。ただ考査の比重が大きい案件が増えているという印象は持っている。
(岸本委員長代行)

小町谷委員長が「まん延防止等重点措置が東京都に適用された日にもかかわらず会場までお越しいただき感謝している。今日は、オンライン参加の人も含め多くの方と意見交換の機会を持つことができた。コロナが終息したら、また各地にお邪魔して意見交換をさせていただきたい。場の持ち方も、当初は大きなテーマ1つでやるのではなく、分科会でやったらどうかという話もあったが、運営上の観点から出来なかったので、これから工夫していきたい。いただいたアンケートの内容については、BPO放送倫理検証委員会で共有しており、今後の活動に役立てていきたい」と述べて意見交換の場を結んだ。

最後にBPO事務局の渡辺昌己専務理事が、「限られた時間の中ではあったが、視聴者に直接向き合っている皆さまに役立つ内容を提供出来たのではないかと思っている。きょうここにいらっしゃらない社員の人、あるいはスタッフの人にも、ぜひ社内で情報を共有していただき、今後の番組制作に生かしてほしいと思う。改めて日ごろのBPO活動へのご理解とご協力に御礼を申し上げる」と挨拶して閉会した。

【参考資料】

  • 憲法14条1項 、21条1項
  • 民法709条
  • 個人情報保護法2条3項 、同施行令2条
  • 京都朝鮮学校判決(京都地判H25.10.7)
  • 大阪ヘイトスピーチ条例判決(大阪地判R2.1.17)
  • 日本民間放送連盟 放送基準 第一章 人権 (2) (5) 、第二章 法と政治 (10)
  • 放送倫理検証委員会 委員会決定
    • 第4号 光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見 (2008.4.15)
    • 第13号 『ありえへん∞世界』に関する意見 (2011.9.27)
    • 第26号 『白熱ライブ ビビット』「多摩川リバーサイドヒルズ族 エピソード7」に関する意見 (2017.10.5)
    • 第31号 『かんさい情報ネットten.』「迷ってナンボ!大阪・夜の十三」に関する意見 (2019.12.10)
    • 第32号 『胸いっぱいサミット!』収録番組での韓国をめぐる発言に関する意見 (2020.1.24)
    • 提言 『ぴーかんテレビ』問題に関する提言 (2011.9.22)

終了後に実施したアンケートの回答から一部を紹介する。

  • 1テーマに十分な時間をかけ考察する機会は良いことだと思った。
  • 質疑応答に半分くらい時間を割いており質問も具体的で大変参考になった。
  • 差別に関する意識の変化を再認識することができ社内で共有していくべきだと感じた。
  • オンライン参加で多くの局員が視聴でき有意義だと感じた。
  • 放送現場の“劣化”は差別問題に限らず他の問題にもつながるという認識を持った。
  • ジェンダー問題についての質問に対して委員の様々な意見が聞けたのが役立った。
  • 視聴者から指摘を受けた言葉を使わないようにするだけでは何も解決しないと感じた。
  • 「差別表現のマトリクス」は客観的なものさしとして活用できると思った。
  • スタッフの感度を磨いても確実な再発防止策とはならないところが難しい点だと思う。
  • 事前に寄せられた質問に対して答えてもらえる時間がもっと長いほうがよかった。
  • 各局が抱えている懸念などを議論する時間をもっと多くとってほしい。
  • 在京、在阪局と地方局との課題は違う。地方局に関する事案を取り上げてほしい。
  • 全国から多数リモート参加していることを意識して率直な意見交換がしにくかった。
  • 夕方の自社制作番組の準備のため報道・制作の現業部門が参加しづらい日程だった。

以上

2020年12月3日

全国の放送局を対象に意見交換会開催

放送倫理検証委員会と全国の放送局との意見交換会が、2020年12月3日千代田放送会館2階大ホールで開催された。また事前に申し込みのあった放送局に対して、オンライン配信を同時に実施した。放送局の参加者は、会場に40人、配信にて視聴したのは97社で、そのアカウント数は298件であった。さらに社内の会議室等で複数名による共同視聴をしたところも多数あった。委員会からは神田安積委員長、岸本葉子委員長代行、升味佐江子委員長代行、西土彰一郎委員の4人が出席した。コロナ禍のため、2020年度に放送倫理検証委員会が意見交換会を開くのは今回限りで、オンライン配信を利用して全国を対象に実施したのは初めてのことである。

開会にあたり、BPO事務局を代表して濱田純一理事長が「この意見交換会はBPOとしても大変重視しており、BPOの活動と放送局の皆さまとをつなぐ非常に重要な役割となっている。これからメインテーマである番組と広告の問題について議論してもらうが、民放連の広告の取り扱いのルールなどにもあるように、放送の番組内容と、広告放送との識別、区別というのは大変重要で、視聴者にとって、放送の効用というものがしっかり伝わっていくための重要な原理だと思う。同時に、広告放送は民間放送が放送を自由で自律的に行っていくための大事な柱でもあるので、この番組と広告の問題というのは、放送局全体として幅広く議論していくテーマである」と挨拶した。

意見交換会の最初は、10月30日に公表した「番組内容が広告放送と誤解される問題について」と題した委員長談話について、以下のとおり、神田委員長が解説をした。
放送基準は全部で152条あるが、3分の1以上は広告に関する放送基準である。理事長から、番組と広告の問題は民放において重要な原理であるとのお話があったが、放送基準における広告にかかる条文の多さはそのことを物語っている。
約3年前に、ある地方局の番組の中で、いわゆるステマの問題が取り上げられたことがあり、2017年5月25日付で民放連が「番組内で商品・サービスなどを取り扱う場合の考査上の留意事項」を策定した。
「留意事項」は、まず、「民放は視聴者の利益に資することを目的に、さまざまな情報を番組で取り扱っており、そうした取り組みのひとつとして、特定の商品・サービスなどを取り上げ、紹介することが日常的に行われている」「番組で特定の商品・サービスを取り扱うことは、視聴者に対して具体的で有益な情報提供となる」ということを明らかにしている。
同時に、「留意事項」は、「取り上げ方や演出方法などによっては、広告の意図や目的がなくても、視聴者に『広告放送』であるとの誤解を招く場合がある」ことも指摘している。また、万が一にも「誤解や疑念を持たれることは、民放の信頼やメディア価値の根幹にも関わる」と書かれている。
皆さんには、常にその2つの視点を意識しながら、番組の制作をしていただきたい。委員会も、番組が広告と誤解されることが問題になることがあれば、この2つの視点から考えることになる。つまり、特定の商品・サービスを取り上げ、紹介する番組について、最初から規制ありきではなく、視聴者に対して具体的で有益な情報提供であるという点を前提としたうえで、検討や評価をしているということをご理解いただきたい。
本年、秋田放送、山口放送の番組に関して、広告と誤解されるのではないかとの視聴者意見が寄せられ、委員会は討議を約半年間かけて行ってきた。その経過の中で、本年3月6日に、民放連の放送基準審議会が、「放送基準の遵守・徹底のお願い」という文書を発出した。本文書は、番組と広告の識別に関して、「その取り上げ方は放送責任の範囲内でおのずと決まってまいります。そのうえで、演出や構成などには大いに工夫の余地があるのではないでしょうか。番組の企画から放送前の考査まで、社内横断的なしっかりとした体制を構築し、放送の価値向上と収益の確保に尽力していただきたいと思います」としている。この点について、委員会は、民放連が各局に向けて、自主的・自律的な検討を促す趣旨のメッセージであると受け止めている。また、本文書は、番組と広告の問題とは別に、BPOにおいて過去にあった事例と同様の事例が繰り返し審議入りされていることについて、各局に対して警鐘を鳴らしている。
委員会は、このような動きを踏まえながら、半年間をかけて両放送局の番組の討議を行い、また、番組と広告の問題について、民放各局の自主的・自律的な対応を促すために望ましい結論に向けた議論をし、その結果、本年10月30日付の委員長談話を出すに至った。
委員長談話において触れているとおり、委員会は、これまで3局の事案について2つの意見書を出してきた。その中で、番組と広告の問題について、今後も民放各局で自主的・自律的に判断してほしい、その判断に当たっては「留意事項」を総合的に判断していただきたいということを繰り返し伝えてきた。その趣旨は、意見書で問題になった番組が放送倫理違反であると評価したとしても、そのことが、ある特定の部分を放送しなければ問題なかったということを意味するものではなく、むしろ、たとえば、その番組の中で、仮に問題がある部分があったとしても、他の部分で別の内容の放送になっていれば、いわば広告の印象が減殺され、全体として放送倫理に違反しないとされる余地があるのではないか、言い換えれば、ある特定の部分だけの問題ではなく、番組全体について「総合的に」考えてほしいということである。
通知公表時の質疑応答や意見交換会において、「番組の内容をどのようにすれば広告放送であると誤解を招かれなかったのか教えてほしい」といった質問や、さらには「番組と広告の境目をはっきりさせる明確な基準を示してほしい」という質問・要望も寄せられた。しかし、委員会の守備範囲は放送局の判断基準を作る役割ではない。仮に私たちが判断基準を作ることになれば、民放連が自主的・自律的に策定した「留意事項」を越えて、放送局の手足を縛る基準を作ってしまうことになりかねない。また、「総合的に判断する」ことは、放送局の自主的・自律的な判断を必要以上に阻害しないようにするためであり、決して放送局の判断を迷わせるためではない、ということは委員長談話でも重ねて触れているところである。
もっとも、「留意事項」が策定されてから既に3年が経過しているとしても、委員会で具体的なケースが取り上げられたのは去年以降であり、番組と広告の問題が急にクローズアップされて放送倫理違反という判断が出され、多くの局がどのような対策を講じたらよいか悩んでいることが意見交換等でもうかがわれたところである。そこで、委員長談話において、そのような事情を踏まえ、本問題について放送事業者や民放連が自ら問題点を整理した上で、処方箋を出すことが望ましく、自主的・自律的な取り組みが期待できるのであれば、その成果を待つべきであろうと考えるに至った。なお、自主的・自律的な取り組みが期待できるという1つの事情として、先ほど言及した民放連の放送基準審議会の文書に触れ、「本問題に関する放送局の現場の声を集約しながら、改めてこの問題に向き合う必要があるという民放連の自覚と決意がうかがわれる」と評価させていただいた。
以上のような点を踏まえて、委員会は、「民放連加盟各社または民放連の自主的・自律的な取り組みを当面注視することとする」旨の結論に至った。放送基準92条や「留意事項」の原点に立ち返っていただき、「留意事項」を実質的にまた総合的に会社の中で議論し参照して、よりよい番組作りをしてほしいと思う。委員会が「見守る」というのは、本問題を今後も皆さんと一緒に考えていくという趣旨であり、このような意見交換の機会があれば引き続き一緒に考えていきたいと思っている。
なお、本年9月に民放連の放送基準審議会に私が出席し、本問題について意見交換の機会をいただいた。議事要録が作成され各局に配付されていると聞いているので、どの程度ご参考になるか心もとないが、ご参考にしていただきたいと思う。
ご清聴いただき感謝申し上げたい。

次に、西土委員が「番組と広告の境目について」というテーマで講演をした。
本委員会は番組と広告の識別をめぐる問題を扱い、2つの決定を出している。これらの決定では、対象となった番組について、民放連放送基準第92条及び「番組内で商品・サービスなどを取り扱う場合の考査上の留意事項」に盛り込まれた「視聴者に『広告放送』であると誤解されないよう、特に留意すべき事項」に照らして総合的に判断した結果、視聴者に広告放送であると誤解を招くような内容・演出になっていたと結論づけた。
決定を公表した後、「何を基準として総合的に判断するのか」という声をよく聞く。この基準については、何よりも皆さんがお作りになった民放連放送基準第92条及び留意事項に依拠して判断する。その際、迷った時には原点に立ち返ってもらいたい。なぜ放送基準第92条及び留意事項が定められたのか、そこが原点になろうかと思う。当然だが、放送局の独立とそれに対する視聴者の信頼を保持することに、第92条の趣旨、目的を見出すことができる。
以上の趣旨に照らして、最終的には視聴者の読後感というか、視聴後感において、番組全体が広告放送であるとの印象を残すかどうかがポイントになるかと考える。つまり、番組の中に広告の要素、特定の商品をPRする要素があったとしても、番組を見終わった後に、例えば全体としてこれは情報番組であるという印象を視聴者に残すかどうかが、重要になる。
この判断のために、留意事項の2において例示として挙げられている「番組で取り扱う理由・目的」「視聴者への有益な情報」「視聴者に対してフェアな内容」など事案に即した多様な要素を番組のテーマや制作に至った背景も含め検討する。こうした検討は、繰り返しになるが、視聴者の知る権利に奉仕する放送の自由を確保するためという視点に立ってのことである。
もちろん、視聴者の知る権利に奉仕する放送の自由を行使するのは皆さんであり、したがって番組と広告の境目の問題は、皆さんがまず自主・自律的に考えていただくことになる。この点について、決定第36号は、決定第30号を引用して、「番組と広告の違い、その境目を認識し、緊張感を持って一線を画す日々の作業は部署を問わず、すべての民放関係者が肝に銘じるべき根本ではないか」と指摘して、自主・自律による対応策を求めている。
濱田理事長が冒頭で述べられた通り、広告は民放各局の自主・自律にとって、また財源という点でも極めて重要である。皆さんが番組と広告の境目の問題に突き当たって苦慮されていることは、私共も重々承知している。綺麗ごとではないことを承知してはいるけれども、国民の知る権利に奉仕する放送のプロの皆さんであれば、視聴者の立場に立って、説得力のある根拠を示しながら、グレーゾーンにある番組と広告の線引きも行うことができるものと確信している。そして、以上の不断の積み重ねにより養われるはずの皆さんの実践的な知を、民放連等を通じて、ぜひとも放送界全体の共有知にしてくだされば、大変嬉しい。それができるのであれば、この問題を扱った本委員会として、せめてもの救いになると考えている。最後に希望を付け加えて、私からの簡単な話に代えたいと思う。
どうもありがとうございました。

このあとの意見交換での主な質疑応答は以下のとおりである。

Q: 番組と広告の問題は民放全体の重要な課題でありながら、例えば他局の営業系番組に関する深い情報を聞くことなどはなく個別の問題は表に出て来ないのだが、共有知とするために、委員会がヒアリングなどを通じて経験したことから共有化に向けての方策や方法論として気付いた点があれば披歴してほしいのだが。
A: 委員会決定の対象になった当該局が、その経験値を民放連に伝えるとか、系列局で悩みや苦労を共有して民放連に出してもらい、民放連が何らかの形で文書化するのが筋道立った方法ではないかと考える。(西土委員)
  各事案の意見書、特に委員会の「調査」または「検証」というところには、ヒアリングで制作過程について詳細にお聞きし、委員の受け止めたことが非常に具体的に書かれている。ヒントや共有知としてお役立ていただければうれしく思う。(岸本委員長代行)
  事例研究会であれば、参加している局どうしの意見交換、質疑応答の場があるので知見を共有できると思う。また、各局からの依頼(講師派遣制度)で機会を設けていただければ、率直な意見交換ができると思う。(神田委員長)
   
Q: 今後番組が番組として成立しつつ、ビジネスツールとしても考えていかねばならない時代に、現場にはBPOを恐れるような感覚があるが、新しい取り組みについて委員はどういうふうに考えるのかを伺いたい
A: 大変難しい質問であるが、問題になった時に備えて、きちんと説明できる社内における社内横断的かつ総合的な検討と、それを記録しておくことが必要である。新しい取り組みの内容については私たちにも知見として教えていただきたいし、勉強会などで意見交換していくことも大切な役割であると思う。(神田委員長)
  個人の意見だが、家のテレビで自分の家族が見た時にどう思うか、というのが1つの判断基準になるのではないか。恐れるべきはBPOの審議入りより、視聴者にそっぽを向かれることのはずだ。皆さんと共にトライ&エラーしながら経験値を重ねて、視聴者の信頼を失わない放送を、維持していきたい。(岸本委員長代行)
  番組は放送局が自らの責任で作る。局自身の判断で作られていると視聴者は信じているから、広告放送の中でなく番組の中である特定の商品やサービスが取り上げられると、その商品やサービスに対する好意的印象は高まる。だからこそ、広告主も広告放送ではなく番組の中で、自分の商品やサービスが取り上げられることを期待する。そこに気を付けないと、局の作る番組の中に広告が紛れ込み、視聴者は混乱し、商品やサービスに対する判断を誤ることにもなる。それは、本来局が制作する番組に対する信頼を低下させる恐れもあり、その点が心配である。そうならないためには、局が独自の視点で番組を展開していることが明確になるようにしなければならないのではないか。番組が全部同じ方向での特定の商品やサービスの情報提供になると視聴者の選択肢がなくなるので、番組の制作主体である局の姿が見えにくくなりがちである。番組制作の際に構成や内容に何かしらの手間をかけ、制作する主体が局である点に誤解が生じないようにすることが、放送の領域を自分たちで守ることにつながると思う。(升味委員長代行)
   
Q: 秋田放送と山口放送のローカル単発番組について、委員会は審議の対象としないという結論になったが、その理由について詳細に聞きたい。また、審議入りするか否かの判断基準について「①対象となる問題が小さく、かつ、②放送局の自主的・自律的な是正措置が適切に行われている場合には、原則として審議の対象としない」との考え方は、今後も判断基準の1つと考えても良いのか。
A: 後者の質問については、2009年7月に出した委員長談話の中で、審議に入るか否かの基準についてご指摘の2点の基準を明示しており、現在もその基準に沿って運用している。最初の質問については、議事概要に書いてあるとおりである。討議で終了している案件は、当該局に対してもそれ以上の説明をしていないので、その旨ご理解いただきたい。(神田委員長)
   
Q: 現在、民放連の考査事例研究部会で放送基準の改定作業が始まっているのだが、放送基準の書きぶりやよく分からない点などが委員会で議論になったことがあるか。
A: 「留意事項」において「対価を得て」という点が要件になるのかが議論になった。この点について、民放連に問い合わせたところ、対価の支払いの有無に関係なく「留意事項」は適用がされるとの回答であった。このことは意見書や委員長談話において触れているが、民放連でも改めて各局に十分周知されたほうがよいのではないかと思う。(神田委員長)
   
Q: 番組制作に伴う収益化が放送局にとっては命綱なので営業担当としては守っていきたいのだが、考査上のストライクゾーンが以前と比べて狭まった訳ではないのか。今までストライクだと思っていたのをボールと言われたのが今回の例だった、と解釈しているのだが。
A: ストライクゾーンつまりホームベースの大きさは変わっていない。ただし、ホームベースを通っていなくてもストライクだと思い込んでいた可能性はあるかもしれない。投げる前にきちんと考査をしてほしい。ストライクゾーン自体に変わりはないとしても、永久に変えなくて良いのかという問題はあると思う。時代の変化やメディアの役割の在り方などを踏まえ、民放連や各局において自主的・自律的に検討の余地はあるのかもしれない。(神田委員長)
   
Q: 対価性があっても視聴後感が悪くなく、番組内容が視聴者にとって有益であれば、番組として成立するのかどうかについて聞きたい。
A: 「留意事項」に照らして総合的に判断した結果、特に内容に問題がなければ、対価の支払いの有無にかかわらず、番組として問題ないという判断になると思う。(神田委員長)
   
Q: 質問ではなく要望ですが、2009年にバラエティー番組に対して出された意見書(委員会決定第7号)の中に、バラエティーが「嫌われる」5つの瞬間というのがあってすごく分かりやすかったので、「番組が広告と認識されない5つの瞬間」のような形でまとめてもらえると理解しやすくなると思うのだが。
A: 今回の番組と広告の問題は、民放の信頼やメディア価値の根幹にも関わる問題であり、少し硬い文章にせざるを得なかった。ご指摘の趣旨を踏まえて、今後も分かりやすく説明する機会や工夫をするように努めていきたい。(神田委員長)

意見交換会のまとめとして、神田委員長が、「当面は放送局の自主的・自律的な対応を見守りたいと考えているが、チェックリスト化、マニュアル化という対応ではなく、自主的・自律的に総合的な検討を深めていただきたい」と述べ、「是非お声掛けいただければ、できる限り意見交換の機会を設けていきたい」と結んだ。
最後にBPO事務局の竹内淳専務理事が、「番組と広告をめぐる現状の厳しさはひしひしと伝わってくるが、皆さまの自主・自律に期待することをご理解いただき、コロナ禍でもこういう意見交換の場は今後オンラインも加味して設けていきたい」と挨拶して閉会した。

終了後に実施したアンケートの回答から一部を紹介する。

  • 気になっていた「委員長談話」の詳細な解説を聞くことができて良かった。
  • 番組と広告の境界線については、今後も引き続き取り上げてほしい。
  • 多数かつ関連部署の人が同時に遠隔参加できることがオンラインの最大の利点。
  • 出張しなくて済むので助かる。時間も交通費も節約でき、大変ありがたい。
  • 参加しやすく効果的なので、今後もオンライン形式での意見交換の場を設けてほしい。
  • 必要な資料の事前共有をさせてほしかった。
  • キー局の場合は社員数が多いので、「1社5枠」という配信の制限は厳しい。

以上

2020年2月26日

在阪テレビ・ラジオ各局と意見交換会開催

放送倫理検証委員会と在阪のテレビ・ラジオ10局との意見交換会が、2020年2月26日大阪市内で開催された。放送局の参加者は10局74人、委員会からは神田安積委員長、升味佐江子委員長代行、長嶋甲兵委員、中野剛委員、西土彰一郎委員、巻美矢紀委員の6人が出席した。放送倫理検証委員会が大阪で意見交換会を開くのは2014年11月以来である。

開会にあたり、BPO事務局を代表して濱田純一理事長が「BPOの役割は、放送の自由、放送の責任を担っている現場の皆さんを後押しすることである。決定を出す背景にある委員会の議論や思い入れを知ってもらい、また局側からも言いたいことをフィードバックして、双方向の流れを作る意見交換会にしたい」と挨拶した。

意見交換会の前半は、2019年度の委員会決定から、「読売テレビ『かんさい情報ネットten.』『迷ってナンボ!大阪・夜の十三』に関する意見」(委員会決定 第31号)、「関西テレビ『胸いっぱいサミット!』収録番組での韓国をめぐる発言に関する意見」(委員会決定 第32号)、「長野放送『働き方改革から始まる未来』に関する意見」(委員会決定 第30号)の3事案を取り上げ、担当委員からの説明と質疑応答を行った。

「読売テレビ『かんさい情報ネットten.』『迷ってナンボ!大阪・夜の十三』に関する意見」について、まず、審議の対象となった番組部分のVTRを視聴した。その後、担当の升味委員長代行が意見書の要点を説明したうえで、「街ブラ企画では事前に取材対象が決まっているわけではないので、現場にアンテナの立っている人がいないと問題のある個所がそのまま通ってしまうことになる。編集の段階で複数の目でチェックする体制が維持できなかったことも問題があった。社会ではLGBTなど性的個性に触れることに敏感になっているのに、どうしてピンとこなかったのか、ヒアリングでも決定的な要因は見つからなかった。日々番組を作る人たちがアンテナを張っていないと問題点を指摘するのは難しい。アンテナが立つようにするには研修なども必要だが、現場で意見交換や違った価値観のスタッフの話を聞くことが必要だと思う。現場ではそうした余裕がないようだ」と述べた。続いて同じく意見書を担当した長嶋委員が「情報バラエティー番組と報道番組の境界線があいまいになってきていて、それぞれの番組作りのやり方が混ざり合うところで問題が起こっていると感じる。それをマイナスに捉えず、お互いの専門分野の知見と経験を生かし合ってよい番組を作る方向があるのではないか。今年度は意見書の数が増えたが、放送界にとってはむしろよいことだと捉え、これまでの番組の作り方や中身を検討し直す機会にしてほしい」と述べた。参加局からは「取材対象者は特に不愉快と感じていなかったそうだが、それでも問題なのか」と質問があり、升味委員長代行が「取材対象者がどう思っても、テレビが他人のセクシュアリティを詳しくしつこく聞くのは社会に対する影響から考えてまずいと思う」と答えた。

「関西テレビ『胸いっぱいサミット!』収録番組での韓国をめぐる発言に関する意見」については、冒頭で審議の対象となった番組部分のVTRを視聴した。その後、担当の中野委員が意見書の要点を説明したうえで、「『韓国ってね、手首切るブスみたいなもんなんですよ』という発言を放送に残すことになった局内でのやり取りを意見書にしっかり書いた。また、放送後、局が自律的に『様々な感じ方をされる視聴者の皆様への配慮が足りず、心情を傷つけてしまう可能性のある表現で、そのまま放送した判断は誤りだった』とする見解に至った経緯にも詳しく触れた。意見書の内容がもし制作現場に十分に受け止められていないとすれば、それを埋めるのは局の仕事で、放送倫理規範を現場に浸透させていく活動をこれからも行っていただきたい」と述べた。また同じく意見書を担当した巻委員は「社会の多数派にとっては何気ないような表現であったとしても、当事者、特にマイノリティにとってはそれが自尊を傷つけるようなことがあるということを、改めて当事者の立場に立って、想像力を駆使して今後の番組作りに生かしてもらいたい」と述べた。参加局からは「特定個人の発言が良くなくても、別の出演者が『そういうレッテル貼りはいけない』と発言すれば番組は成立するのではないか」と質問があり、中野委員は「この番組に関しては、ほかの出演者から『それは違うんじゃないか』といった発言はなかった。私たちは個別番組ごとに判断する」と答え、神田委員長は「番組の流れの中で放送倫理違反と判断した。『手首切る』『ブス』という2つの言葉自体が問題であると判断したものではなく、あくまでも発言全体の文脈の中で広く韓国籍を有する人々などを侮辱する表現だという結論に至ったものだ」と述べた。

「長野放送『働き方改革から始まる未来』に関する意見」については、まず、神田委員長が、民放連が2017年に策定した「番組内で商品・サービスなどを取り扱う場合の考査上の留意事項」の概要を含めて意見書の要点を説明したうえで、直前に開かれたBPOの事例研究会でも多くの質問が出たことを紹介した。参加局からは「テレビでは商品の露出に協力スーパーを入れたり、あるいは番組のバックボーンとしてそれを基に番組ができていたりなど、『タイアップ』と呼ばれる手法があるが、このタイアップについてはどういうところに留意すればよいか」と質問があり、神田委員長は、「個々の映像を前提としないで、タイアップという類型について一概に回答することは難しい。あくまで一般論としていえば、まず民放連の『留意事項』に照らし、『広告放送』であると視聴者に誤解されないように自主的・自律的に留意をしてもらうことが大切である。『留意事項』2の3つの要素はもちろんのこと、これらはあくまで例示であるので総合的に判断いただく必要がある。そして、結果として、放送倫理違反になる事例があるとしても、制作の過程で、『留意事項』に照らした議論をきちんとしていただければ、自ずと視聴者に『広告放送』と誤解されるような番組は減っていくのではないかと思っている。また、議論の経過をきちんと残しておくことにより、局が自主的・自律的な判断をしたことがきちんと説明できるのではないかと考える」と述べた。また別の参加局からの「どの部分がどういう違反になっているのか、どうあるべきだったか明快にされるべきではないか」という質問に対して、神田委員長は「長野放送の事案では、『留意事項』に照らし、最後の部分についてはかなり宣伝や広告に近いように映ったと指摘したうえで、放送全体として視聴者に『広告放送』と誤解されると判断したが、事案によっては、どの部分が放送倫理違反といえるのか特定できるものもありうる」と答えた。

意見交換会の後半は、「実名・匿名報道などについて」をテーマに取り上げた。
はじめに、2019年7月に発生した京都アニメーション放火事件の遺族への取材をめぐる放送界全体の動きや自社の被害者氏名の報道について、毎日放送報道局の澤田隆三主幹が報告した。この中では、事件発生の3日後に在阪民放4社でメディアスクラム回避策を協議し、「警察発表の居住地への取材は代表1社のみとし、映像素材や情報を共有する」などと取り決めたこと、8月には、NHKと民放局が「取材交渉は代表1社の記者が行い、カメラは同行しない」「取材交渉では必ず、民放とNHKの 6社を代表していますと伝えること」といった「京都方式」と呼ばれる枠組みに合意したことなどが紹介された。また、毎日放送では、遺族の精神的ダメージが大きいことから、被害者の実名発表から24時間を過ぎれば、遺族が実名報道を拒否している場合は匿名にする方針を決めたこと、2回目に発表された25人の犠牲者のうち遺族が氏名の公表を拒否している20人について、全国ニュースと重ねて実名が放送されないようにローカルニュースでは匿名としたことが報告された。澤田主幹は「この事件は特定の会社で起こったことであり、公共の場で起きたテロなどとは報道の目的も変わってくる。この事件をきっかけに実名と匿名のあり方の議論を深めていくべきではないか。また、被害者とメディアの間に立って取材を受ける意向を確認できるような第三者機関ができないか議論を始めていければよいと思っている」と述べた。続いてNHKの担当者が「メディアスクラムは防ぎたいと、民放4社の動きの情報を得ながら、常に考えてきた。NHKは一貫して実名報道を行ったが、必要以上に長く実名を出さないように配慮した。実名報道が絶対的に正しいとは思っておらずその意義について、今後も議論を続けていきたい」と説明した。また朝日放送テレビの担当者は「この事件は実名報道が原則であることをゆるがしたのではないか。議論のうえで、実名報道は各番組で1回にとどめ、ネット配信では実名公表が可能とされている被害者も名前は出さなかった。今後このような事件が起きた場合にしっかりと実名報道する理由を放送の中で説明する必要があるのではないか」と述べた。これらの発言に対し、西土委員は「各局の発言を重く受け止めた。実名報道については、被害者本人がどう思うのか、想像力をたくましくして日々考えるしかないのではないか。現場で厳しい対応を迫られているジャーナリスト、とりわけ若い人々の実践を我々がどう厳粛に受け止めるかも大事だ。倫理は現場のジャーナリストが苦悩しているところからでき上ってくるものであり、BPOの委員が勝手に決めるものではないと思う」と感想を話した。
続いて、阪神・淡路大震災から25年を機に朝日放送テレビの映像アーカイブをウェブサイトで公開した取り組みについて、朝日放送テレビの木戸崇之報道課長が、実際のウェブサイトの映像を紹介しながら、公開したのは約38時間分・約2000クリップで、肖像権については、受忍限度と社会的意義のバランスについて議論のうえ公開することにしたと報告した。

意見交換会の終了にあたり、神田委員長が「私たちは、問題となった放送があった場合、『放送局の放送後の自主的・自律的な対応』と『放送倫理違反の程度の重さ』という2つの要素を考慮して審議に入るかどうかを決める。自主的・自律的な対応が採られていても、放送倫理違反の程度が重ければ審議入りをすることになるが、多くの事案では当該放送局自身も放送倫理違反であることを認識し、自主的・自律的であり、かつ適切な事後対応がされていれば、その点を適切に評価して審議入りしないとの判断に至っていると説明し、「今日は参加された放送局から多くの意見をいただき心強かった。皆さんとのやり取りを通じて放送業界の自主・自律を守っていかなければならないと感じている」と結んだ。
最後に参加局を代表して、NHK大阪放送局の有吉伸人局長が「メディアをめぐる状況が大きく変化していく中で、今日は意見書の背景や議論のプロセスなど我々にとって意味のある話が聞けた。それぞれの現場でよりよい放送を出していくために議論し続けていく」と挨拶した。
当日は意見交換会に続いて懇親会を予定していたが、新型コロナウイルスの感染が懸念される状況を考慮し中止することとした。

終了後、参加者から寄せられた感想の一部を以下に紹介する。

  • 委員長はじめ各委員の説明や見解を直接聞くことができ、普段書面等で読むことしかできないBPOの“生”の考えの一端を知ることができた。

  • 委員の方々の見解、審議や考察のポイント、放送局側出席者の声など、このような意見交換会でしか知ることのできない視点や意見などに触れることができ、非常に参考になった。

  • 委員の発言を聞いて、制作側の視点と第三者の視点の両方から見ようとされていること、結果の「○」「×」より過程の問題点を明らかにすることに力点があること、そして「今議論しておかなければ」という覚悟を持って取り組んでおられることが感じ取れた。

  • 読売テレビと関西テレビの問題は、映像もあり、実際の雰囲気がわかりやすかった。

  • 実名報道の件は特に勉強になった。

  • 番組についての意見を局同士で忌憚なくやり取りできる機会は、こうしたBPOと局との意見交換会しかないと思われるので、そういう意味でも時間をかけて議論する場をさらに広げていただきたい。

以上

2019年11月21日

富山地区テレビ・ラジオ各局と意見交換会開催

放送倫理検証委員会と富山県のテレビ・ラジオ局5社との意見交換会が、2019年11月21日、富山市内で開かれた。放送局出席者は5社24人、委員会からは鈴木嘉一委員長代行、岸本葉子委員、中野剛委員の3人が出席した。放送倫理検証委員会が富山で意見交換会を開くのは初めて。

意見交換会は2部構成で行われ、1部では放送倫理検証委員会が今年度に公表した2つの意見書を取り上げた。まず7月に公表した委員会決定第29号「日本テレビ『謎とき冒険バラエティー 世界の果てまでイッテQ!』2つの祭り企画に関する意見」について、中野委員が、「バラエティーなのだから笑いをつかむ場面を仕込むことはあるだろうが、仕込むからにはその過程を把握しておいてほしい」と、海外ロケであっても現地コーディネーターがどのような準備をしているか、制作者が理解して演出を施すことが必要だと話した。岸本委員は、意見書に書いた制作者と視聴者との了解について、「長寿番組であればあるほど、『マニュアルは日々腐る』と考えて、視聴者との了解の範囲を常に探ってほしい。今回は、仕込んだ祭りであるのに『年に一度の祭り』と紹介するなど、番組作りがルーティン化する中で制作者が怠慢になっていたのではないか」と指摘した。参加者からは「バラエティー番組の演出はどこまで許されるのか」という質問があり、鈴木委員長代行は「その基準を作るのはBPOではなく、制作者であるみなさんです」と答えた。

続いて10月に公表した委員会決定第30号「長野放送『働き方改革から始まる未来』に関する意見」にテーマを移した。まず鈴木委員長代行が、視聴者からBPOに寄せられた1通のメールがきっかけで審議を始め意見書につながったもので、放送倫理検証委員会が広告と番組のあり方について取り上げたのは初めて、また持ち込み番組の考査については2件目だと、意見書の特徴を説明した。その上で「広告収入で成り立つ民放では、番組と広告が分かれているから視聴者の信頼につながっているのであり、この区別がはっきりしないと信頼を揺るがしかねない」と意見書に込めた思いを述べた。参加者からは、経営に直結する問題で、どうすればよかったのかといった質問が相次ぎ、鈴木委員長代行は2017年に日本民間放送連盟が出した「番組内で商品・サービスなどを取り扱う場合の考査上の留意事項」に触れながら、「この留意事項に書かれている『特定の企業・団体などから番組制作上、特別な協力を受けた場合には、その旨を番組内で明らかにしているか』という点を忘れないでほしい」と答えた。

続く2部は、参加各社が日頃直面している課題などについて意見を交わした。この中では事件や事故の報道で、関係者の氏名を実名で放送するか匿名にするかで迷った例や、教員の不祥事の際、学校名を出さないでほしいと言われた例などが紹介された。委員会側は、実名報道を原則にしながら、個々の事例に適した放送を各社が判断して放送することが大切だと指摘した。また情報番組の中で過疎地域を「人よりイノシシの方が多い村」と表現することの是非について問われたのに対して、中野委員は、視聴者意見も大切にしながら、第三者的視点で表現が適切か否かチェックすることが必要だと答えた。岸本委員は、1つのシーンを切り取って判断することは適当ではなく、番組全体としての視点が差別的でないか、また画面に表示される文字がビジュアル的におどろおどろしくないかなど、総合的に考えるべきだと述べた。

さらに参加各局から、働き方改革の中で若手の育成に工夫している例などが紹介された。意見交換会を通して中野委員は「きょうはこちらの意見を伝えられ、またみなさんの実情も聞けて良かった。テレビ・ラジオでしかできない放送があるので、ぜひ若手を育てて、心揺さぶられる番組を作ってほしい」と、また岸本委員は「放送倫理上どこまでが許されてどこからがダメなのかという『線』をみなさんが求めているのであれば、それは違う。きょうはこちらからの投げかけが多かったが、委員会が出す意見書を良く読んで、みなさんでぜひ工夫してほしい」と呼びかけた。鈴木委員長代行は「各社がこれまで放送した番組のライブラリーは『宝の山』なので、そうした優れた番組を若手に見せて育成してほしい」と締めくくった。

最後に、参加局を代表して北日本放送の水野清常務取締役が「重いテーマだったが、放送への信頼は視聴者との約束があって初めて成り立つと再認識できた。若手社員から『マニュアル』はありますかと聞かれることが多いが、やり方を自分で工夫することが大切で、それが放送の自由を守ることにつながると教えていきたい」と述べ、3時間を超える会議を終えた。

終了後、参加者から寄せられた感想の一部を以下に紹介する。

  • 今回の意見交換会で印象に残ったのは「了解」という言葉だった。視聴者と「了解」したと思っている件が、放送局側の勝手な「了解」になっていないか、チェック体制を整えておかなければならないと思った。

  • 放送と広告の関係という民放の課題を、各社も悩んでいると感じた。正直に視聴者と向き合い、「了解」事項を確認しながら制作していくことの大切さを実感した。

  • 各社が抱える課題についての議論では、どこまでが良くて、どこからが違反なのかについて、明確な基準や線引き、マニュアルは無く、それぞれの事案によって判断されるということが分かった。局側からすると判断基準が欲しくなるが、そんな単純なものではないと理解できた。

  • 放送局みずからが番組向上のために自主的な取り組みを行うことが重要で、BPOはその意見を聞く第三者機関だということが改めて理解できた。やはり基本は、局の自主・自律で、常にメディアとして感性と理性を研ぎ澄ませていく必要があると感じた。

以上

2019年10月24日

福岡・佐賀地区テレビ・ラジオ各局と意見交換会開催

放送倫理検証委員会と福岡・佐賀地区テレビ・ラジオ各局との意見交換会が、2019年10月24日、福岡市で開催された。NHKと民放をあわせ放送局から80人が参加し、委員会からは神田安積委員長、高田昌幸委員、藤田真文委員の3人が出席した。
前半は、最近の委員会決定のうち、日本テレビ「謎解き冒険バラエティー 世界の果てまでイッテQ!2つの祭り企画に関する意見」および長野放送「働き方改革から始まる未来に関する意見」についての説明と質疑応答、後半は今年7月に福岡県内で起きた殺人事件の報道を主な議題として意見交換を行った。

まず「謎解き冒険バラエティー 世界の果てまでイッテQ!2つの祭り企画に関する意見」について、神田委員長は「視聴者との間で互いに了解している約束に反したことが放送倫理違反であると判断した」と述べ、「この『約束』は現地のコーディネーターが主導したものであって、放送局はその点についての確認が不十分だった。このため『程度は重いとは言えないものの放送倫理違反があったと言わざるを得ない』との表現になった」と背景を説明した。藤田委員は「『民放連放送基準』には、ニュースについて『事実に基づいて報道する』という基準がある。これはニュースだけでなく、情報を伝える番組の責務だ。わかりやすく伝える必要はあるが、最低限の事実は曲げてはいけないということであり、その点が放送基準に違反していると判断した」と指摘した。神田委員長は「放送倫理違反が生じた原因を追究し、確認することが再発防止につながる。自局のこととして受け止め、自主・自律的な対応ができるよう意見書を生かしてもらいたい」と述べた。

次に「働き方改革から始まる未来に関する意見」について、神田委員長より、委員会がこの番組を「広告と誤解される番組」と認定した理由についての説明があった。委員長は「持ち込み番組における考査が不十分であり、民放連の『番組内で商品・サービスなどを取り扱う場合の考査上の留意事項』が検討されなかったことなどの問題点が調査で浮かび上がった」と指摘した。その上で「放送基準の解釈や運用はBPOが決めるのではなく、また、意見書が出たからといって萎縮する必要はなく、むしろ『留意事項』を十分に検討し、自主的自律的に、広告と誤解されることがないよう番組を作っていただきたい」と強調した。
高田委員は「番組と広告の境目がどこにあるかということは、それぞれの番組をみて判断するしかない。公共性や視聴者にとって有益な情報となっているかという公益性に基づき、留意事項を参照して作られるべきだ」と述べた。
これに対し参加者からは「テレビの中でも営業に携わる人たちが、常々、放送法や放送基準、関連する規則などを強く意識しているかは疑問だ。考査担当者としては、それらに定められていることを守っていかないと最終的には政府に介入されることになるといっても、どこまで浸透するかは疑問だ。ただ現実は現実として、規則との折り合いをつけてぎりぎりの選択をせざるを得ない」との苦悩が表明された。これに対し神田委員長は「放送基準は抽象的であり、その解釈には幅があるが、放送事業者が自主・自律的に判断しているのであれば、私たちはできる限り尊重したい。今回の番組では、自主・自律的な判断に基づく考査がなされていなかった。番組が広告放送と誤解されることがあれば、自社だけではなく、民放全体の信頼にかかわると考えて向き合っていただきたい」と述べた。また高田委員は「制作と営業それぞれの担当者間で、本当にこれでよいのかという議論がきわめて重要だ。視聴者の信頼に応える番組を作るための社内議論ができにくいと感じるなら、議論を誘発するような仕組みを作ることが必要だ」と述べ、担当者だけでなく組織としての対応を促した。一方参加者からは「留意事項の3点以外にも注意すべき点はあるか」との質問があったが、神田委員長は「民放連が特に例示している3点はあくまで例示にとどまり、その他の点も含め、総合的に判断されるものである。他にどのような点に注意すべきかという点については、留意事項に特に例示されていない以上、当委員会が明示することは控えるべきであり、当該放送局にて自主・自律的に検討されることが望ましい」と述べた。

後半では、7月に福岡県内で起きた女性殺害事件に関する意見交換が行われた。まず放送局側から、事件の進展や被害者遺族の意向などによって、実名を匿名に切り替えたり、容疑内容の詳細な描写を控えたりするなど、時期や社によって異なった報道が行われたことが報告された。これに対し高田委員は「被害者にも加害者にも人権がある。実名・匿名は個々のケースで判断するしかないが、実名で報道することのみが原則なのではなく、実名を警察に出させて把握し、実名で取材することが原則だ。実名の報道にのみ価値があるわけではない。実名で何を伝えるのか、事件を通じて何を伝えるかが最も重要だ」と述べた。神田委員長は「実名も顔写真も、誤報でない限り、事実を報道するという点で放送倫理には抵触しないが、その場合であっても視聴者や社会に対し、報道をするに至ったプロセスや配慮などについて説明する責任が求められる時代になっている。責任を果たすために重要なのはそれぞれの社の自主・自律的な判断の過程だ。その過程なくして実名や顔写真の報道がなされなくなれば、報道機関に対する批判はなくなるかもしれないが社会の信頼も失われる」と述べた。参加者からは「実名・匿名では毎日悩んでいる。人権に配慮している間にネットには実名が出る。答えはなく個々に判断するしかない」という戸惑いや、「昔と違い、原則実名ということに社会の厳しい視線が注がれ、メディアスクラムも問題になる。世の中の変化にメディアが合わせることが必要かもしれない。若い記者たちに実名・匿名の意味を伝える一方、長年続いてきたメディアの考え方を変えていく柔軟性も必要だ」など、社会の受け止め方の変化やノウハウの継承についての悩みの声が聞かれた。

最後に、福岡放送の五島建次取締役報道局長が「同じ仕事に携わっていても日頃なかなか議論の機会がない各局や委員の意見を聞くことができ、心強く思った。現場は常に悩みながら放送に取り組んでいるが、今日の議論を踏まえ、明日からもさらにがんばっていきたい」と述べ、意見交換会を終了した。

終了後、参加者から寄せられた感想の一部を以下に紹介する。

(議題について)

  • 全国的にも注目される事例を知ることができて有意義だった。委員から問題点への意見や提言、放送局へのエールなども聞くことができ、BPOが身近になった。

  • 放送と企業広告の線引き、具体的方法論について学べたことは大きな収穫だった。

  • 委員会決定までの背景や理由などが詳しく聞けたことにより、BPOの問題意識がわかり今後の参考になった。取り上げた番組の内容が事前にわかっていれば、より理解が深まったと思う。

  • 事件報道は各社が共通に悩みを抱えているテーマだったのでよかった。一方で、BPOの視点からリスクに陥りがちなテーマ(SNSなど)も幅広く議論してもよかったのではないか。

  • 放送倫理について、自分自身が考える超えてはいけないラインとBPOが持つラインに大きな違いがないことを再認識できた。今後番組を作る上で及び腰ではなく、もっと攻めた面白い企画を作りたいという思いを抱けるようになった。

  • (BPOは)放送局の自主自立を尊重する姿勢であると感じた。委員から直に話を聞けたので、委員会決定の行間を埋めることができたように思う。ただ実際の業務に関しては、委員会決定だけでは、営業への対応が難しい部分は残ると思った。

  • 福岡では各局が一堂に会して意見交換する機会があまりないため、貴重な機会となった。現在の日本のメディアは横の連携が弱く、これまで政府などからの圧力があった際に連帯して対応してこなかった。今後BPOが放送局どうしをつなぐ役割をできるならば、今後の日本のメディア環境にとって非常に意味があると思う。

  • BPOは、私たちからすると、できればかかわることのないほうが健全だとのイメージが強いが、実際話してみると思ったより緊張関係はなく、こちらの事情も理解していることがわかり、こうした機会を今後も設けてほしいと思った。

  • (BPOが)第三者機関としての役割ということであれば、変化していく視聴者の「テレビをどう見ているのか」という感覚値を、もっと各局と共有してほしい。

  • テレビ・ラジオの多くのメディア関係者が参加していたので、各社が発言する時間を確保し、もっとさまざまな意見を聞きたかった。

  • 放送現場と日常的に意見交換する場をもっと増やしてもらいたい。

以上

2019年2月14日

宮崎・鹿児島地区テレビ・ラジオ各局と意見交換会開催

放送倫理検証委員会と宮崎・鹿児島地区のテレビ・ラジオ局9社との意見交換会が、2019年2月14日、鹿児島市内で開かれた。放送局出席者は9局38人、委員会からは神田安積委員長、岸本葉子委員、渋谷秀樹委員、藤田真文委員の4人が出席した。
初めにBPOの濱田純一理事長が「BPOとはなんだろうか」と題してBPOの性格や活動を説明し、「放送人の誇りと緊張が、放送の自由と自律を支えていく。『職業倫理』の基本である、この誇りと緊張を思い起こしてもらう機会をつくることがBPOの役割だ」と話した。
意見交換会は二部構成で行われた。まず第一部では、各局が最近対応した具体的な事例を取り上げ、実際に放送したDVDを見ながら、意見を交わした。この中で、事件を報道した際、被害者側から実名や写真を放送しないでほしいと言われたという複数の放送局の報告に対して、神田委員長は「放送した理由をきちんと説明できるかどうかが大事だ。一律的な答えがあるわけではないので、各放送局が自律的に対応してほしい。その一方で、視聴者の知る権利の観点から、報道しなかった場合のデメリットにも配慮してほしい」と述べた。容疑を持たれている男性が自殺した際、この男性に「さん」を付けて報道したところ、視聴者から抗議が多かったという報告に対して、渋谷委員は「どういう放送をするかしないかは放送局の責任で判断する必要があり、抗議の量に左右されることは、報道機関としてあるべき姿ではないと思う」と述べた。
社会的に問題になった歌手の曲を放送するとクレームが多いというFM局の報告に対して、藤田委員は「一定期間、放送しないという姿勢は理解できるが、行き過ぎた『自粛』には批判もある」と指摘した。また岸本委員は「リスナーの意見に耳を傾けつつも、自分たちはこう考えて放送したときちんと説明できることが大切だ。事件や事故の報道の際に、こういう理由で放送したという説明責任が必要なことと同じだ」と話した。
続く第二部は、宮崎・鹿児島両県の放送局にとって大きな課題の災害報道から議論が始まった。鹿児島県の口永良部島の噴火警戒レベルが上がって住民説明会が開かれた際、取材のために島に入るかどうか、放送局によって判断が分かれた事例が報告された。また宮崎県の放送局からも、新燃岳の噴火取材の難しさについて話があった。東日本大震災のあと、岩手・福島の放送局からヒアリングをした経験がある藤田委員は、取材の安全の大切さを強調するとともに、「被災者の情報を匿名で発表する自治体がある中で、被災直後は、避難所の映像を放送することが大切な安否情報の提供になる。放送する時点で地元の人が必要としている情報を考えて発信することが必要だ」と述べた。
続いてインターネットを放送に利用する際に直面した問題について、実例が報告された。神田委員長は、委員会が2017年9月に出した委員長談話「インターネット上の情報にたよった番組制作について」に触れながら、まず情報の正確さが求められること、そのうえで著作権の権利関係のクリアが問題となることを指摘、また、市議会のホームページを引用して放送したところ議長から抗議を受けたという事例に対して、「公的な機関のホームページであり、放送で引用しても問題ない」と説明した。
意見交換会を通して藤田委員は「委員会が出す意見書を懲罰的に受け止めず、放送にいかしてほしい」と、また岸本委員は「きょうの参加各局は視聴者との距離が近いので、それを番組制作の力にしてください」と感想を述べた。また渋谷委員は「『これを伝えたい』という気持ちを大切にして番組作りにあたってほしい」と話し、神田委員長が「この番組を見たいという視聴者の信頼をそこなわず、放送する勇気をもってほしい」と締めくくった。
最後に、参加局を代表して南日本放送の有山貴史取締役が「私たちの一丁目一番地は『信頼』だということを改めて認識する有意義な会議だった」と述べて、3時間30分を超える会議を終えた。

終了後、参加者から寄せられた感想の一部を以下に紹介する。

  • 大切なのは、私たち放送する側の「覚悟」だと思った。これからも緊張感を持って業務にいかしていきたい。

  • 各社の事例紹介などを通じ、放送倫理とは「視聴者の信頼を裏切らないこと」だと感じた。

  • 報道する側、報道される側、双方から報道を考えるいい機会になった。

  • SNSが発達した時代、ニュースソースの正確さの見極めが大切だと痛感した。

  • ネットと放送局の大きな違いは「信頼」であることを再認識した。

  • 災害報道に関して、災害発生時はキー局から全国報道の要請が殺到するのが常だが、特に初動段階では地元住民に向けた「命を守るための情報発信」が大事、という参加局の意見はもっともで、賛同できた。

  • エリアを超えて、鹿児島・宮崎合同で開催されたことでお互い同じような問題、悩みを抱えていることが分かった。今後は益々こういう情報共有の機会を増やし団結して取り組んでいかなければならないと思う。

  • BPOは、我々のすぐ脇にいる組織なのだと認識し、力づけられた。今日の話を組織内で共有し、よりよい報道を出せるように努めていきたい。

以上

2018年11月29日

北海道地区テレビ・ラジオ各局と意見交換会開催

放送倫理検証委員会と北海道地区テレビ・ラジオ各局との意見交換会が、2018年11月29日、札幌市で開催された。NHKと民放をあわせ放送局から51人が参加し、委員会からは升味委員長代行、鈴木嘉一委員、中野剛委員の3人が出席した。
前半は、9月に起きた北海道胆振東部地震にまつわる放送上の諸問題について、後半は番組制作におけるインターネット上の情報利用を主な議題として意見交換を行った。

北海道胆振東部地震については、参加各局から、日本で初めて発生したブラックアウト(大規模な電源喪失)によって引き起こされた、放送上のさまざまな問題が報告された。地震発生からおよそ20分後、全道ですべての電力供給がストップしたが、各局は自家発電等に切り替えることによって放送態勢を維持し、地震による被害の状況、食料や水の供給などの生活情報を伝えた。しかし家庭等への電力供給も停止し、放送はするものの視聴者がテレビをみることができないという前代未聞の状況が発生したため、テレビ各社はインターネットを使って番組の同時配信を行った。電力復旧の見通しが立たない中、発電用燃料の確保など各社の放送態勢維持のための作業は困難を極めたという。
こうしてインターネットを中心に番組や情報の提供が行われる中、SNS上では「数時間後に大きな揺れが来る」、「まもなく携帯電話が使えなくなる」、「札幌市内全域で断水」といったデマが拡散したが、発信元への情報確認ができず静観せざるを得なかったり、刻々と変わる事態に生活情報が追い付かず、情報発信がかえって混乱を招く事態も見られたという。
一方、地震による被害が最も大きかった厚真町の避難所や役場で、メディア取材が拒否されるという事態が起きたことも報告された。この状況は地震発生から3か月後、避難住民らが仮設住宅に収容されて避難所が閉鎖されるまで続いたが、参加者からはメディアスクラムというより、一部メディアの行き過ぎた取材に対する嫌悪感が長期化の原因ではないかという見方が示された。これに対し鈴木委員から、「避難所の取材には不安と混乱の生活空間に土足で入るのだという心構えが必要だ。取材に応じてもらえるよう、早い時期に各社の責任者が住民の代表者らと話し合うこともできたのではないか」との意見が出された。
また、液状化した住宅地の取材現場で、取材班が消防に救出されたことがネットで炎上したことについて、当該放送局は会社ホームページなどで謝罪したとの報告があった。これに対し升味委員長代行から、「放送に携わるスタッフも住民と同じ被災者だ。誰に対して謝る必要があったのか。無事救出されました、消防や住民のみなさんありがとう、でよかったのではないか」との発言があった。

一方、後半の議題であるネット情報の取り扱いについても、地震に関連した意見が目立った。メディアが出す情報に、ウソの情報を付け足してリツイートされるとデマ情報の拡散につながるため、情報は放送に集約して慎重に行ったとのラジオ局の報告に対し、升味委員長代行は「日ごろ行っているネット情報の精査、慎重な情報の出し方が今回のような非常時に役立つ。根拠のある、正しい、役に立つ情報を出し続けることで、デマは沈静化され乗り越えられる」と発言。中野委員は、「可能な限りの取材を尽くし、真実に近づく努力をして放送すべきだ。今回の地震では慎重な姿勢で裏付けを取るなど適切な非常時対応だった」との意見を述べた。

さらに最近、取材に関連したメールの誤送信問題が起きたことに関して、当該放送局から報告が行われ、一時的にでも未放送素材が外部に流出する恐れがあったことを重大な問題と受け止めているとし、報道機関としての再教育、ファイル転送システムの変更など、各種の再発防止策を実施しているとの説明があった。

最後に、北海道文化放送の高田正基常務取締役が、「地震の教訓からきちんと学び、日頃は競争関係にある各局が情報を共有し、次の世代に役立てていくことが重要だ。そのことが視聴者や住民の皆さんの役に立つ報道につながる」と述べ意見交換会を終了した。

終了後、参加者から寄せられた感想の一部を以下に紹介する。

  • ブラックアウトという状況の中で各局がどのように情報を伝えていたのか、取材の最前線ではどのような課題が発生していたのかを知ることができて有意義だった。参加者は皆自分たちの問題として引き付けて考えることができたように思う。

  • 地震に関する各局の報告に相当の時間が割かれ、放送倫理にかかわるテーマに肉薄できなかったのが残念。

  • 災害状況や数字も大切だが情報だけがラジオではない。ラジオはリスナーとの距離が近く、いつもの声、いつもの呼びかけが安心感につながる。「ラジオを聞いてほっとした」というリスナーの声が寄せられたことを報告し、他局からも共感をいただいた。

  • 地震の際の他局の状況を知ることができた。どのようなところで苦労したのかがよくわかった。

  • デマ情報への対応などは、正解はないものの情報共有ができ、今後の指針となるものを得ることができた。

  • SNS炎上やメディアスクラムについては、もっと掘り下げた議論や意見を伺いたいと思った。

  • 各社とも災害報道の前線では、まず伝えることが第一で、大切ではあっても倫理上の問題に配慮する余裕はあまりない。委員には、今後、現場の取材者が最低限何を意識すべきなのか、そのためには何が必要なのかを示していただきたかった。

  • 「自らも被災者でありながら放送を通じて被災した道民に呼びかけ寄り添った」という委員の言葉が印象に残った。

  • BPOのメルマガやウェブサイトの情報は参考になるが読みにくい。複雑な事実関係や対立する意見を扱っているので、正確を期すために省略やわかりやすい言い換えができにくいことは承知しているが、現場スタッフに読んでもらうには少しでも平易な表現や発信をお願いしたい。

以上

2018年11月1日

独立テレビ局13社と意見交換会

放送倫理検証委員会と独立テレビ局13社との意見交換会が、2018年11月1日、東京・千代田放送会館で開催された。放送局出席者は13社31人、委員会からは神田安積委員長、中野剛委員、藤田真文委員の3人が出席した。独立テレビ局との意見交換会は、4年ぶりの開催。

はじめに、独立テレビ局の特徴や各局間の連携等について、代表して千葉テレビ放送から説明があり、続いて13社がそれぞれの会社の規模や看板番組等を紹介した。

次に放送倫理検証委員会の2つの委員会決定について、担当委員がポイントを解説した。昨年12月に公表した「東京メトロポリタンテレビジョン『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に関する意見」(放送倫理検証委員会決定第27号)について、今回、委員会が独自調査を行った理由と目的を藤田委員から解説。「委員会が意見書をまとめる際、通常は放送局に制作過程をヒアリングするが、当該番組はTOKYO MXが制作に関わっていない持ち込み番組のため、制作プロセスについて制作担当者に直接聞くことができなかった。そのような理由から、番組の中で表現された"事実"について委員会独自に調査することになった特異な例」と説明した。また、「『ニュース女子』は時事的な問題を扱っており、特に当該番組の沖縄基地問題というテーマはさまざまな見解があるため、情報の正確性や差別的な表現はないかという点を中心に検証した」と述べた。
中野委員は、意見書で指摘した考査の問題点について、ていねいに説明。「当該番組は基地反対の立場で抗議活動をしている方々を揶揄するトーンで貫かれているが、抗議活動を行っている側に取材した形跡がない。考査の段階で番組内容について"これは本当なのか"と疑問を持ち、より慎重に裏付けの有無を確認してほしかった」と話した。
参加した放送局から「"基地の外の"というスーパーを放置した点が問題点のひとつとして挙げられているが、ネットスラングまで意識して考査することは難しい」という意見があった。これに対し委員は、「もちろんそれは理解できる。ただ、当該番組では、不自然に"基地の外の"という表現が多用されており、その点に引っ掛かりを覚えていれば、言外の意図を読み解くことができたはずだ」と述べ、多角的な視点で考査にあたってほしいと呼びかけた。
続いて、今年2月に公表した「フジテレビ『とくダネ!』2つの刑事事件の特集に関する意見」(放送倫理検証委員会決定第28号)について、神田委員長がポイントを解説。2つの特集は、いずれも刑事事件というセンシティブな情報について十分な裏付けのないまま誤った放送をしてしまったという事例。神田委員長は「制作担当者にヒアリングしてみると、スタッフは皆、裏付け確認の重要性についてきちんと理解していたことがわかった」と述べ、「それなのに誤った内容を放送してしまったのは、確認を人任せにするなどスタッフ間の連携の力が足りなかったため」と説明した。
この決定について放送局から、「『とくダネ!』の誤りは、放送局としてあってはならないことだが、それを"倫理違反"とされることに違和感がある」との意見が出された。これに対し出席委員から、「人間はさまざまな倫理規範の中で生きているが、放送倫理検証委員会の言う"倫理違反"とは、あくまで放送人としての職業倫理に反しているという指摘だと考えてほしい」「放送倫理のよるべきところは放送局自らが定めた放送基準であり、放送倫理違反の指摘については、放送基準に立ち戻った上で、何が問題だったかを考えてもらいたい」との発言があった。

最後のパートでは独立テレビ各局から、考査や事実の裏付け確認作業について、日頃の悩みや取り組み例などが報告された。
比較的規模の小さな局が多く、いずれも少人数で番組チェックや考査にあたっているため、「法令に精通している担当者の育成が課題だ」「急増する新ビジネス、サービス・商品の知識を得るのに苦労している」などの声が聞かれた。また、めまぐるしく変化する社会にあって、数年前とは判断が変わることもあると説明した上で、「世の中の動きに対し、敏感であることが大切だ」との意見が出された。
ことばの使い方、表現についても、「古典落語や昔の時代劇に出てくることばが、現在では差別表現に当たる恐れがあり苦慮している。番組の最後に"おことわり"を加えるなど、そのつど対応している」という実例が紹介された。これに対し藤田委員から、「明らかに侮蔑的で許容できないものは削除すべきだと思うが、古い映像作品や歴史ある文化・芸能を放送する場合、過度なカットや改変は視聴者のためにならないのではないか」という発言があった。
事実の裏付けのあり方やチェック体制についても、複数の社から具体的な方法や事例の紹介があり、「過去の誤りやミスを参考にして、同様の事案が起きないよう注意している」などの報告があった。
最後に神田委員長が「独立テレビ局各社に共通する問題意識やそれぞれの悩みなどをうかがい共有することができ、貴重な機会となった。今後の参考にしたい。放送界の自由な雰囲気を維持し、国民の知る権利を守るためにも、これからも当委員会の職責を果たしていきたい」とあいさつし、意見交換会を締めくくった。

後日、参加者から寄せられた主な感想は次のとおり。

  • 意見書作成に至る解説を聞き、2つの決定についての理解を深めることができた。
  • 審議事案に対する委員会の具体的な取り組みが分かり、とても参考になった。忙しい委員の方々が、事実を一つひとつ確認するという地道な作業を行っていると知り、まさに放送局の考査と同じだと思い親近感を覚えた。BPOが少し身近な存在に感じられた。
  • 互いの理解を深める上で大変良い機会となった。今後もぜひ、このような場を設けてもらいたい。
  • 他局の考査や番組担当の方と会う機会は意外と少ないので、直接話を聞くことができて、その点でも意義深い会合となった。
  • 今回は主に管理職クラスが出席していたが、現場ディレクターに聞いてもらいたい内容だった。今後は、そのような機会もあるとよいと思う。

以上

2018年1月25日

沖縄地区の各放送局と意見交換会

沖縄地区の放送局と放送倫理検証委員会との意見交換会が、1月25日、那覇市内で開催された。沖縄地区の放送局と放送倫理検証委員会との意見交換会は今回が初めてである。意見交換会には、NHK沖縄放送局、琉球放送、琉球朝日放送、沖縄テレビ、ラジオ沖縄、FM沖縄の6局から24人が出席した。委員会からは、川端和治委員長、岸本葉子委員、中野剛委員、藤田真文委員が出席、BPOの濱田純一理事長が同席した。
意見交換会の冒頭、濱田理事長が開会のあいさつに立ち、「BPOはNHKと日本民間放送連盟とが組織した第三者機関であるが、放送局に物言いや注文をつけるだけの組織ではない。放送局の皆さんと一緒になって放送の自由を守り、放送が国民にとってより良いサービスを提供できることを目指す組織である。各委員会との意見交換もその一環であり、参加した委員は放送現場の生の声を聞いて糧にする。また、放送局の皆さんは、委員の意見を現場に持ち帰って放送の自主·自律の実現に反映させてほしい」と呼びかけた。そして、会場内のテレビモニターで、BPOのガイダンスDVDを視聴した。
意見交換会では、2017年12月14日に委員会が公表した東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)の『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に関する意見書(決定第27号)と、基地問題に関連してインターネット空間で出回っている沖縄ヘイトやデマ情報に対し、地元の放送局がどう向き合っているのか、テーマをこの2点に絞り込んで意見が交わされた。
まず、『ニュース女子』の意見書について、川端委員長から意見書の論理構成が丁寧に説明されたうえで、委員会決定のポイントについて解説が行われた。川端委員長は、当該番組は、放送局が制作に関与していない、いわゆる「持ち込み番組」であるため、委員会が意見を通知した相手は、放送したTOKYO MXという放送局であり、制作した制作会社は、審議の対象とならない。しかし、当該番組が伝えた内容に放送倫理上の問題があったということになるのかどうかを検討しなければ、放送した結果、放送局に放送倫理違反があったのかどうか、つまり放送局の考査が適正だったかどうか問うことができない。そこで、制作会社にも直接ヒアリングを申し込んだが、「TOKYO MXにすべてお任せしている」として、直接のヒアリングはかなわなかった。当該放送局を経由して、文書で質問し文書で回答をもらった。委員会では、当該放送局へのヒアリングの内容も含め提出された回答書や資料について慎重に検討したが、いくつかの疑問点が残ったため、委員会として独自に調査をする必要があると判断して、担当委員が沖縄で現地調査を行った。
この結果、委員会は、意見書で述べたとおり当該番組には複数の放送倫理上の問題が含まれていたにもかかわらず、TOKYO MXは適正な考査を行うことなく放送した点において、重大な放送倫理違反があったと判断した。本件は、委員会が「持ち込み番組」に対する放送局の考査が適正であったかどうかを検証した初めてのケースである、などと詳細に解説した。
沖縄の各放送局の出席者からは、「沖縄では放送されておらずネットで見たが、番組は緊迫感もなく突っ込んで取材していないことがすぐに分かる」「沖縄に対する悪意を感じる。裏付けのないものを安易に制作しているなと思った」「なぜ、このような内容の番組が放送されたのだろうと思う。営業の力が大きく、考査のハードルが下がったのだろうか」など、インターネットで視聴した感想が述べられた。
現地調査の説明や印象を求められた中野・藤田両委員は、名護警察署周辺や二見杉田トンネル前など、当該番組のロケ地で確認を行った際の写真を紹介しながら、距離感を肌で感じることができ、当該番組の取材班は比較的狭い範囲を効率よく回ったと感じた、ラジオDJの聴き取りで新たな事実も分かり、調査は有意義だったと話した。
中野委員は、「委員会が行った調査は、誰にでも簡単にできる調査である。例えば、救急車の走行が妨害されたのかどうかは消防で確認できること。しかし、TOKYO MXは、報告書を提出するにあたって確認した形跡がない。委員会が行った今回の調査を放送局自身がやれないことはない」と述べ、事後対応で、当該放送局に自主・自律の精神が欠けているのではないかと厳しく指摘した。藤田委員は、「審議入りした直後に、TOKYO MXは、放送法及び放送基準に沿った制作内容であったなどと、内容について問題がなかったとする自社の見解を発表した。当該放送局が、審議中の事案についてこのような見解を発表したのは初めての経験だ。しかも、TOKYO MXのこの判断は誤っている」と指摘した。岸本委員は、「当該番組を、視聴者の視点で視聴した。第一印象は、視聴者を甘く見ているのではないかと思った。スタジオトークの内容も、そこまで言えるのだろうかと疑問のほうが大きかった。取材による裏付けを欠かさず、自ら発信する情報の質を常に検証してほしい。インターネット上の情報との向き合い方という課題にも真摯に取り組んでほしい」と、視聴者の信頼を裏切らないよう各放送局に不断の努力を呼びかけた。
また、出席者から考査について、「考査は"最後の砦"という委員会の意見は理解できるが、放送局の考査の過程で、すべて事実関係の裏取りが必要なのか。今後、持ち込み番組に対してBPOはどんな対応を考えているのか」という質問があった。これに対して川端委員長は、「すべての内容について裏取りを要求するのは非現実的である。番組の主張の骨格をなす部分について、本当にそんなことがあったのだろうかと、誰もが疑問に思うポイントを考査の過程でチェックすべきと考えている。合理的な裏付けがあるのかどうかについて、放送局がきっちりと調べて放送している限り、放送倫理違反にはならない」また、「今回のように放送局が制作に全く関与していない"持ち込み番組"については、委員会と放送局との合意書でも、制作会社に調査への協力義務を負わせていない。必要ならば、日本民間放送連盟などで議論されることと思うが、当委員会が意見を述べる立場にはない」と、委員会の基本的な姿勢も合わせて説明した。
休憩をはさんで、地元の放送局の間で最近増加していると感じている沖縄ヘイトや基地問題をめぐるデマ情報をテーマに意見交換を行った。
米軍ヘリから小学校や保育園に部品が落下した問題をめぐり、学校や教育委員会に誹謗中傷の電話が相次いだことについて、各局とも複雑な県民感情を慮って放送するか否か迷ったり悩んだりしていることが具体的に報告された。
NHK沖縄放送局は、「ネットに書き込みが多数あり一過性のニュースにしてはいけないと思い報道のタイミングをみていた。発生から1週間後に基地の歴史的背景も含めて全国ニュースで放送した」 琉球放送は、「小学校に偏見の電話がかかり始め、ニュースにするかどうか迷っていたが数十件にも達した。これは沖縄ヘイトを如実に示している。県民だけでなく県外の人にも考える材料を提供すべきと判断し、積極的に報道した」 沖縄テレビは、「基地の歴史を紐解きながら丁寧に報道しなければならないと考えた。基地問題に詳しいフリーのジャーナリストのインタビューを交えて伝えた」 ラジオ沖縄とFM沖縄のラジオ局からも、「現場にアナウンサーを派遣してリポートした」「基地の歴史的背景を伝えた」と報告があった。一方、琉球朝日放送からは、「小学校に沖縄ヘイトの電話がかかってきていることは承知していたが、詳細を伝えれば伝えるほど地元の県民は悲しむのではないかと考え、あえて報道しなかった」などと報告があった。
この他、高速道路で起きた玉突き事故に絡んで、米軍兵士が日本人を救助したのに沖縄のマスコミはこの美談を無視して報じないと一部全国紙が非難した件について、参加局から議論したいと提案があり、当時のニュース映像を視聴した。「継続取材をしているが、そんな事実は確認できない」「県警も否定している」「県外の視聴者に対して、いかに情報発信していくべきか悩んでいる」など現場の報告や意見が相次いだ。川端委員長は、「この件は、ネットニュースを読んで知ったが、いま地元の報告を聞いて事実関係が異なることに驚いた。継続取材で調べた結果、事実関係が違うのであれば冷静に伝えていくことが大切なのではないかと思う。放送できなくともホームページの活用など発信できる手段は工夫すれば、いろいろあると思う」と応じた。また、他の委員からも、「追加取材で得た事実は報じてほしい」「地元各社の取材で事実が一つに収れんされたのならば、一つにまとまって事実を伝えることも大切だ」などと発言があった。
さらに、沖縄の各放送局と系列のキー局との間には、ニュース価値に対して温度差があるのかどうかについて、"ホンネ"の意見が相次ぎ、参加した委員からは、沖縄の放送現場の葛藤が聞けて非常に有意義だったと感想が述べられるなど、予定の時間をオーバーして活発な意見交換となった。

今回の意見交換会について、参加者から以下のような感想が寄せられた。

  • 今回の、意見交換会は、大変勉強になることが多い会合でした。テーマ設定そのものが、TOKYO MXの『ニュース女子』問題という、沖縄の報道にとって重要な問題だったこともありますが、本音の部分で議論ができたのではないかと思っています。その中でも、委員の方々から出た「ネット上のデマやフェイクニュースに対して、逐一反論するのは難しくても、そうしたデマやフェイクを拡散させるマスコミに対しては、遠慮の無い批判をすべき」との言葉には、とても勇気づけられました。デマやフェイクにどう対応していくのか、そのときの芯となる考え方をもらえたように思います。そのうえで、BPOの意見書の指摘にもあった言葉をお借りすれば、放送局がヘイトやフェイクニュースへの"砦"になっていかなければならないと強く感じました。他のテレビ局の方々との議論も、大変興味深く、こういった機会が増えると意義深いと思います。

  • 『ニュース女子』の件では、番組を見た視聴者が情報を鵜呑みしてしまう危険性をあらためて感じました。放送基準には、「社会·公共の問題で意見が対立するものについては、できるだけ多くの角度から論じなければならない」とあります。視聴者から偏向報道だと思われないように、また、情報の根拠·裏付けは確実に行うべきであると、番組考査の大切さを再認識させられました。メディアにいる者として、発信した情報の責任は重大だと認識しています。ところで、SNSや動画サイトなどは個人で情報を発信できる時代となり、トランプ大統領がツイッターで発言している内容もニュースなどで取り上げられています。ネット配信はいろんな情報が拡散され影響が見られますが、一方で情報が操作される危険性も感じています。メディアが多様化されていく中で、テレビは信頼されるメディアでなければならないと思います。県民に支持される放送局としての使命と影響力を認識して頑張りたいと思います。

  • 「TOKYO MX」からヒアリングを行うだけでなく、地元消防などからも取材をして番組内容の検証をしているところに委員会の本気度を感じた。外部ディレクターによる番組や持ち込み番組については制作段階から密にかかわることができないうえ、番組枠を変更することも難しいことから、どうしても放送局側もチェックが甘くなりがち。TOKYO MXの例は他人事とは思えず、意見書は緊張感をもって読んだ。ただ、全体的に持ち込み番組を考査する放送局側への指摘・批判に多くを割いている印象で、制作会社側への指摘をもう少し増やしてほしかったほか、なぜこのような番組が生まれてくるのか、いわゆる「沖縄ヘイト」と呼ばれる現象の背景にまで踏み込んでほしかった。

  • 一般の人々に対してどの程度理解してもらっているか不明だが、個人的には、同じ「番組」を視聴できるメディアとはいえ、放送とウェブの違いはここにある!と知らしめた内容と感じた。「放送」する番組には裏付けを伴うという当然の話で、昨今流行りのウェブ発の番組に決定的に欠けている点だと思っていた。当該番組はバラエティーであり報道番組ではないとの認識だが、まことしやかな物言いや分かりやすいストレートな表現は、沖縄の基地や反対運動について知識のない視聴者に大小さまざまな誤解・反感を招く。事実ならばともかく、伝えられた「事実」のいくつかで裏付けが確認できないと立証された点は大きかった。放送により考えられる視聴者の反感を考えると、沖縄や反対運動に携わる人々に無用の大きなダメージを与えることになる。とはいえ、番組の意見そのものについては言及していない点は大事だと思う。

  • BPOの意見書については、「事実と異なる」という観点から一つひとつ検証されていて、番組に対して感じていた違和感や嫌悪感が、事実を確認することなく、制作意図に都合の良い情報の元に制作されたものということが確認できた。委員の皆さまが、この事態に真摯に向かい対応されたご努力に敬意を表します。一方、懸念は、今回のケースのように、BPOの調査に応じない制作会社が制作した持ち込み番組が増えないかということです。そして意見交換会は、なぜ、どのように委員会意見が出されたのか分かり、さらによい会だったと思います。また、意図的に発信される事実とは異なるネット情報への対応について意見が交わされたことは、大変有意義だったと思います。テレビが積み重ねてきた信頼を崩されないよう、さらに丁寧な番組づくりが必要だと感じました。

  • 持ち込み番組ということで、放送局や制作会社の協力が得られない中、調査しないといけない初のケースということで、BPOの委員の皆さんはかなりご苦労なさったことが分かった。独自に調査した分、直に沖縄にふれて、現状を理解いただけたと思うのでよかった。
    キー局と違ってローカル局は余計に持ち込み番組が多いので、砦である考査の責任が大きいことを再認識した。あらためて放送の信頼性と信ぴょう性を失ってはいけないと感じた。ややもすると放送がネットに飲み込まれる時代がくるなどと言われることもあるが、むしろ自由で危険なネットの裏取りをして真実を伝える放送の役割は今後ますます大きくなっていくと感じた。

以上

2017年11月28日

四国地区テレビ・ラジオ各局と意見交換会

放送倫理検証委員会と四国地区テレビ・ラジオ各局との意見交換会が、2017年11月28日、愛媛県松山市で開催された。放送局側からは14社51人が参加し、委員会からは川端和治委員長、神田安積委員、斎藤貴男委員、渋谷秀樹委員の4人が出席した。放送倫理検証委員会は、毎年各地で意見交換会を開催しているが、四国地区での開催は初めてである。
今回は、第1部で、9月に委員長談話が公表された「インターネット上の情報にたよった番組制作」について、第2部では、2月に公表された「2016年の選挙をめぐるテレビ放送についての意見(決定第25号)」と10月の衆議院議員選挙の各局の報道を主な議題として意見交換を行った。

第1部では、川端委員長が、「インターネット上の情報にたよった番組制作についての委員長談話」を公表するきっかけとなった、フジテレビの『ワイドナショー』『ノンストップ!』の二つの番組事例を取り上げ、問題点などについて説明した。
その上で、「インターネットの情報はさまざまな人が発信している。信頼できる人が参考になる情報を書いている一方で、悪意を持った人が故意にニセの情報を流すこともある。また、悪意はないが、間違った情報を前提に意見を書いてネット上で話題になっているものもある」と指摘。「番組制作にあたっては、ディレクターなどより現場に近い人が確信を持てない情報を扱うときや、プロデューサーなどチェックを行う人が情報が正しいかどうかわからないときには、放送しないという決意とそれを貫く強さを持つことが重要だ」と発言した。また、「番組制作者は番組をきちんと作っていることに対して矜持を持たなければならない。矜持を持てる番組を作ることのできる制作体制や現場環境が、放送局の中に用意されることが必要だ」と述べた。
参加者からは、「若い人を中心にインターネット上の情報によって情報を確認する傾向が強まっている。インターネットは情報の端緒をつかむものであって、そこから先は対面や電話で当事者に情報を確認するよう指導しているが、時間の制約などがあり、常にリスクを感じている」「効果的なのはインターネット上の情報には間違いがあることを実体験させることだ。それを経験したことで慎重になった事例がある」などの感想や意見が出された。
これに対して、斎藤委員は「ネットと同じものをテレビがやるならば、かつて速報性で新聞がテレビに負けていったように、ある意味での面白さではテレビもネットに負ける日が来る。今のうちからテレビならではの放送のあり方を模索していく必要がある」と述べた。また、神田委員は「SNSなどからの写真の引用は、使い方次第でメディアの選択基準が重く問われる。取り扱いを間違えると、本来使える写真や実名が使えなくなることにもつながるので、自問自答を繰り返していく必要がある」と指摘した。
続いて、意見交換会の直前に松山市内で発生した車両暴走事件のニュース映像を視聴し、視聴者提供の映像使用について意見交換が行われた。
参加者からは「車が広範囲に走ったため、当初、事件の実態がつかめなかったが、ネットには個人のスマホで撮影した映像や情報が瞬時にアップされた。そうした映像を探し許諾を得て使用した」「一般のニュースでも投稿映像を使用することは数多くあるが、その映像がどういう状況で撮られたかなど、背景を確認しなければ確実な放送はできない」などの報告が行われた。また「悪意や金銭目的、マスコミをだましてやろう、などと思う人もいることを常に意識して映像を使用することを考える時代に来ている」という意見も聞かれた。
これに対し渋谷委員は、「ネットは情報の海で玉石混交だ。見極めるのがメディアの仕事であり、真贋が確かめられないときどういう態度をとるかが重要だ。いったん信頼が失われると、積み上げてきたものが一気に崩れてしまう」と指摘した。なお、参加者からは「昨今は事件が発生した際、そこにいる一般の人の多くが現場にカメラを向けている状況にある。メディアが一般の人からの投稿をあおるような社会が行きつく先に懸念を感じている。一枚の写真を使う重さを、どのように次の世代に伝えていくかを考えている」との意見が聞かれた。
一方、ラジオ局の参加者からは「ネットの情報をうまく使い、人手不足やコストの問題に対応することはテレビ以上に切実だ」という意見が出された。

第2部では、まず、台風の直撃と開票が重なった10月22日の衆院選について、開票速報と災害報道の扱い方について各局の状況が報告された。これに続き川端委員長から、「2016年の選挙をめぐるテレビ放送についての意見」を公表した背景について説明があった。この中で川端委員長は、「選挙は社会に大きな影響をもたらすにもかかわらず、本当に大事なことが視聴者にきちんと伝わっていないのではないかという危機感を持った。背景にはテレビ局側が選挙報道を非常に窮屈に考えている傾向がある」と述べた。一方、10月に行われた衆院選については、「昨年の参院選に比べ萎縮は少なかったと感じるが、投票率が示すように、非常に重要な政治的選択についての国民の反応が低調である状況は変わっていない」と指摘した。
その上で、「テレビは選挙における役割を果たすため、さらに工夫をし、視聴者が関心を持つような企画をやってほしい。事実をゆがめない限り放送は自由であり、勇気をもってやってほしいというのが願いだ」と述べた。
これに対し参加者からは、「質の平等というが、選挙陣営から候補者を取り上げる時間についてクレームが寄せられ、対応に苦慮することもある。インタビューなど各候補を取り扱う時間が同じというのが一番わかりやすい説明になる」「何が争点で、ここをもっと見てほしいという部分を打ち出したいと思いながら、扱いの尺やサイズ合わせといった守りに入りがちだ」などといった現場の悩みが聞かれた。
これに対し渋谷委員は「各局がどういう判断で放送内容を絞ったかをきちんと説明できることが重要だ。できるだけ真実を確かめて有権者に知らせ、判断材料を提供することが放送局の使命だ」と指摘した。また斎藤委員は「各政党はそれぞれ都合のよい争点を打ち出してくるが、何を重視して投票したらよいのか、日頃取材しているメディアだからこそわかることを、きちんと伝えてほしい」と要望した。神田委員は「今回の選挙を振り返り、意見書の内容に基づいた実践ができたのか、反論がありうるのかを検証し、その視点から憲法改正の際にあるべき報道、放送を今から考えてもらいたい」と述べた。
最後に川端委員長が「民主主義のために皆さんが背負っている責務は極めて大きい。憲法改正のための国民投票が行われる際には、どういう報道がなされるかによって日本の将来が決まる。つまり報道する皆さんが日本の将来を決めることになる。その役割を担っていることを肝に銘じ頑張ってほしい」と、放送に対する強い期待を表明し、3時間にわたる意見交換会の幕を閉じた。

終了後、参加者から寄せられた感想の一部を以下に紹介する。

(インターネット情報について)

  • 他社の事例等を聞き、使おうとしている情報が正しいものかどうか、きちんと裏取りすることの重要性を改めて認識した。疑問が残る場合はその情報の使用を「あきらめる」勇気を持つことが、ネット社会で番組を作る私たちに今後いっそう求められると感じた。理想論、建前論ではなく、マスコミとしての責任であると同時に自分たちの価値を守ることにもつながるものと考える。

  • ネット上の画像を確認なく使うことはないが、データや文言などを参考にするときは真贋がグレーであるケースも少なくなく、大きな影響がないときは突っ走ってしまうときもある。「はっきりしない時には放送しないという決意とそれを貫く強さを持つことが必要」との言葉は重く受け止めた。また、他局の現場での苦労や取り組みを聞けたのも参考になった。

(選挙報道について)

  • 反省を込めて言えば、眼や耳で客観的に量ることができる量的公平性だけが、一種のエクスキューズとして情報発信者の拠り所となってしまいがちだ。しかしマスコミ側がこうした安易な報道をする限り、視聴者(有権者)が得るべき情報の質は向上しない。その結果、選挙そのものが「軽い」ものになってしまい、量的公平性でしか判断されない報道の土壌を作ってしまうのだと思う。自分たちの報道の自由のためにも、質的公平性を一義とした報道のあり方を模索したい。

  • 選挙報道についてのBPO意見書は、最近萎縮しがちな報道現場への激励メッセージと受け止めた。意識を根本的に改め、「質的公平性」を追求していきたい。

(BPOについて)

  • BPOという機関を一放送局としては「俎上に載せられる、載せられない」といった視点でとらえてしまいがちだが、意見交換会に出席し、改めて自分たち自身の利益、つまり放送の価値向上や報道の自由のために存在しているのだとの思いを強くした。今回は各局の管理職の方の参加が目立ったように感じたが、若い記者やディレクターにも参加してもらいたいと思う。

  • BPOという組織が、顔が見える組織になった。その意味で地方での開催は意義深い。若い現場世代が参加できるものであれば、本当にBPOの意義が高まるのでは、と思った。

  • もっとざっくばらんに具体的な話(悩み、葛藤)ができる雰囲気がほしかった。

  • 日々の番組制作に忙殺されて、普段は意識が薄くなる恐れがある放送の本質的なことを改めて指摘され、大変参考になった。今後とも“責任ある放送”を心がけていきたい。

以上

2017年5月30日

在京局と意見交換会

放送倫理検証委員会が2月に公表した決定第25号「2016年の選挙をめぐるテレビ放送についての意見」に関連して、委員会と在京局との意見交換会が、5月30日に東京・千代田放送会館で開催された。民放6局とNHKの計7局とオブザーバー参加の民放連から合わせて20人、委員会側からは川端和治委員長、斎藤貴男委員、渋谷秀樹委員、藤田真文委員が出席した。
概要は以下のとおり。

冒頭、川端委員長が、「選挙に関する報道と評論を放送するのは、有権者に投票する際の判断材料を提供するためだ。正しい情報に基づいた選択が行われなければ、民主主義は正しく機能しない。量的な公平性を守っているだけでは、有権者は必要な情報を得られず、投票率も下がってしまう。法律では、虚偽でない限り、そして選挙運動にならない限り、選挙に関する報道と評論の自由が保障されているのだから、候補者や政党の主張を単に横並びに伝えるのではなく、ファクトチェックをして、有権者に有用な情報を伝えるのはメディアの重要な役割であり、そこで働くジャーナリストの使命だ」と、意見書を公表した目的について総括的に解説した。続いて斎藤委員が、「去年の参議院選挙の放送では、何が争点なのかを提示する放送局の機能が弱くなっているように思った。政党が言っていることをそのまま流すならば、放送局側に能力は必要ない。選挙のあと、『改憲勢力が3分の2になった』と各局が報じたのに、選挙前・中は『争点は改憲勢力の議席数だ』という放送はほとんど見られなかったように思う」と述べたうえで、「こういう時こそ原点に戻って、表現の自由は何のためにあるのか自問自答しながら仕事を進めていくべきだと、自戒を込めて考えている」と、同じジャーナリストとして参加者へのメッセージを伝えた。渋谷委員は「放送局は政治に関する多様な情報を市民に伝えるべきなのに、萎縮と忖度によって先細りになっているのではないか」と、視聴者としての感想を述べたうえで、専門の憲法学の立場から、去年の参議員選挙と東京都知事選挙の放送の具体例に触れながら「政見・経歴放送に量的公平性は求められているが、それ以外の選挙に関する報道と評論は自由なのだから、その自由を最大限にいかして、国民に必要だと放送局が考える情報を自律的かつ重点的に放送すべきだ」と話した。藤田委員は「公職選挙法は151条の5で選挙運動放送を禁止しているが、それ以外の放送は禁止していない。それなのに放送局は公職選挙法を『べからず集』だと誤解しているのではないか」と指摘した。そして、「候補者が実現できない政策を掲げて立候補した場合、『それは不可能だ』と放送局が指摘することは許される。都知事選挙の際に各放送局に方針を尋ねたところ、自主的にそれぞれの考え方に基づいて放送していることがわかったので、その方向で豊富な情報を提供することが重要だ」と、政治学の研究に触れながら述べた。

続いて意見交換に移り、放送局側から「議席数に応じて紹介する時間に差をつけると、苦情に対処しやすいという面はあるが、工夫して伝えないと視聴者に見てもらえないと感じている」「この意見書の趣旨を踏まえて、勇気をもって作るマインドが社内に出てきた」といった意見が出された。さらに『質的公平性』とは具体的に何なのかという点に関して、質問や議論が続いた。この中で川端委員長は「質的公平性とは定義できるものではなく、いろいろな事例が出てくるたびに放送局が考えなくてはいけない。これは伝えるべきだと放送局が判断したときは、それを積極的に伝えてもらっていい。それが質的公平性を害することにはならない」と、また藤田委員は「同じ基準で各政党や候補者に聞くことが質的公平性であり、その規準はそれぞれの放送局が考えるべきことだ」と答えた。また複数の候補者がスタジオで討論する形式の番組は公職選挙法に抵触しないかという質問に対して、川端委員長は「司会者が論点を設定して議論をしっかりコントロールするのであれば、抵触しない」と述べた。かつて政権交代選挙で子ども手当が話題になった際に、その実現可能性を十分に伝えられなかったという放送局側の自戒に対しては、川端委員長は「夢のような政策が実現できないと確信を持って言えるのであれば伝えるべきだった」と、また渋谷委員は「政策の実現可能性については、事実に基づいてぜひ問題点を指摘してほしい。国民にとって何が大切な情報か、各局が判断して伝えることが大切だ」と答えた。斎藤委員は「この意見書で励まされたという放送局の感想があったが、それだけで意見書を出した意味はあったと思う」と述べ、藤田委員は目前に迫った都議会議員選挙について「意見書でも指摘したが、公平性に配慮するあまり、放送量が減ることが一番いけない」と指摘した。このあと、今起きている築地市場の移転や加計学園の問題、さらにかつての郵政選挙の報道のあり方などについても質疑が交わされ、最後に川端委員長が「放送局はその都度、自主的・自律的に考えて、メディアの持つ表現の自由の権利を国民のために使うという決意で臨んでほしい」と述べて、意見交換会を締めくくった。

終了後、参加者からは、「放送局の能力とスタンスが問われると感じた」「選挙報道は日々の報道の延長であるとの思いを新たにした」「BPOの委員がどのような温度感で発言しているのか、直接確認しながら会話をする機会があったことは貴重だった」などの感想とともに、「質的公平性の定義、基準が示されなかったのは残念で、多くの事例を挙げてほしかった」「『候補者討論会』についてBPOの委員の方々の意見はよくわかったが、放送局としては、公職選挙法違反と言われかねないことはリスクが高いと感じている」といった意見も寄せられた。

以上

2017年1月26日

TBS系列の九州・沖縄地区各局と意見交換会

TBS系列の九州・沖縄地区7局と放送倫理検証委員会との意見交換会が、1月26日福岡市内で開催された。意見交換会には放送局側から21人が参加し、委員会からは升味佐江子委員長代行、岸本葉子委員、鈴木嘉一委員が出席した。放送倫理検証委員会が設立されて今年で10年になるが、TBS系列局との意見交換会の開催は初めてで、参加した7局すべてがラジオ・テレビ兼営局であった。九州地区では、昨年4月に「熊本・大分地震」が発生して、現在も地元局を中心に取材が行われていることから、議論のテーマを「災害報道」に絞り込んで意見交換を行った。
冒頭、地元局の熊本放送と大分放送から現場報告が行われた。
熊本放送からは「阪神大震災や東日本大震災など過去の大災害と比べてSNSがかなり普及したことから、デマや誤報のリスクが高まったのではないかと感じた」と問題提起があった。具体的には「『熊本市の動植物園からライオンが逃げ出した』『井戸に毒が投げ込まれた』『大型ショッピングモールで火災』『熊本市民病院が傾く』など、発災直後に不確かな情報が飛び交い、放送してしまった他局もあった」という。熊本放送では、「裏取りができていない情報は放送しないことを決めて災害報道に当たった。テレビでは誤報はなかったが、ラジオで『熊本城の櫓が見えない。崩壊したかも』と発生直後に放送してしまった」との報告があった。また、取材スタッフの二次災害を防ぐため、家屋の危険度判定で「赤判定(倒壊の危険)」の家屋には立ち入らないことをルール化して徹底したという。
大分放送のケースでは「熊本と比べると被害の程度は大きくなかったが、県内には海外からの留学生が多数住んでいて、アパートの外で一晩過ごした学生がかなりいた。外国人の避難誘導に課題が残った。素材伝送の地理的条件から、温泉で有名な由布市湯布院町にSNG中継車が集中した。その結果、由布院温泉の放送頻度が高まり、別府市民や別府市から被災地を公平に報道すべきと苦情が寄せられた」との報告が印象的だった。

地元局からの報告を受けて岸本委員は、「現場の葛藤はよくわかった。災害報道には(1)全国各地に被災地の実情を伝える(2)被災者に情報を伝えるという二つの役割があると思う。被災地への情報の伝え方は改善しやすいが、被災地以外の視聴者への情報の伝え方は難しく、方法にかなり工夫が必要だと思う。行きやすい避難所に取材が集中していないか、番組がバッシングされる背景には何があるのかなど、常に考えていなければならない。視聴者の支持が最終的には災害報道を支え、放送を支える。視聴者との信頼関係の構築に取り組んでほしい」と指摘した。
そして鈴木委員から「TBS系列各局報道の共同制作番組『3・11大震災 記者たちの眼差し』シリーズは、今後の災害報道のあり方を考える上で参考になる。この内『シリーズI』(2011年6月5日TBSテレビ放送)と『シリーズII』(2011年9月10日TBSテレビ放送)の中のIBC岩手放送と青森テレビが制作したミニドキュメントが示唆に富んでいる」と紹介があり、参加者全員で視聴した。
視聴した参加者からは「災害報道にスクープはないと思っている。系列間合戦の様相を呈してきていることに懸念を抱いている。また、インターネットとも競争するようになって、本当かデマかの裏取りがおろそかになりはしないかと心配だ」「被災地のマスコミに心のケアをしていますと冊子が送られてきた。よく調べたら新興宗教団体で、宣伝活動に利用されるところだった。裏を取ることは重要だ」「いま何が起きているかを伝えるためライブ映像は有効だ。被災地の地元局は葛藤もあるだろうが取材・記録することが大切だ」などと活発に意見交換が行われた。
会場の意見を受けて鈴木委員は「被災者にも、伝えてほしいという思いがあるのではないか。取材に大人数で行くと拒否されたりするが、来てくれることを待っている被災者もいるはず。番組も放送時間のワイド化が進み5~8分程度のミニドキュメンタリーは放送が可能だろう。被災者と一個人として向き合い一人称の視点で伝える努力をすることが、今後の災害報道にとって有効ではないかと考えている。その積み重ねが30分や1時間のドキュメンタリー制作につながるのではないか」と問いかけた。
 
また、升味委員長代行は「報道とは事実を伝えること。プライドを持って取材に当たってほしい。あらかじめ想定したストーリーに合わせたような安易な番組作りは報道の仕事ではないと常々思っている」と現場を激励した。

このほか、昨年12月6日に出されたTBSテレビ『珍種目No.1は誰だ!? ピラミッド・ダービー』「双子見極めダービー」に関する意見について、「意見書を読んで、あまりにも多くのスタッフがかかわっていることに驚いた。ローカル局の制作番組でも、インタビューなど編集段階でカットすることはあるが、放送前に事前に連絡するなど丁寧に対応している。番組に協力してくれた人との向き合い方が信じられない」との意見があった。これに対して担当委員からは「人物を消すことそのものは演出の範囲内だろうが、委員会は、出演者に対する敬意や配慮を欠いたと判断した」「人と人の関係が大切。こんなことをすれば制作者の財産にもならない」などと意見書の背景について説明があった。

最後に升味委員長代行から、「放送倫理検証委員会は、今年、設立10周年を迎える。常に放送局の応援団でいたいと思っている。みなさんが、自由に番組制作ができるお手伝いをしたいと考えている。自律的規範を守り自由に番組作りができるフィールドを一緒に守っていきましょう」との発言があり、意見交換会は閉会した。

今回の系列の地域単位の意見交換会について、参加者から以下のような感想が寄せられた。

  • 「『懲らしめられても仕方ないよね』と視聴者から思われないように…視聴者が味方についてくれるかどうかが重要」。岸本委員のこの言葉が、今回の意見交換会の中で特に印象に残った言葉です。これは、いま私たちが直面しているSNSや投稿動画サイトなどメディアを取り巻く環境において一番大切なことではないかと改めて感じさせられました。私たちは、時として伝えることに傲慢になりがちです。それは権力のチェック機関としての役割を果たさなければならない時でも俗に言う「第三の権力」を振りかざしてしまうこともあります。謙虚な心で取材現場と向き合い、功名心に走らないことが"視聴者からの信頼"を積み重ねていくことに繋がると思っています。
  • 系列局間の研修会は、顔が分かる関係者同士の集まりということもあり、非常に有益な意見交換ができたと思います。
    今回の議論の柱の1つだった「災害報道」は、同じ現場に足を運んだ系列同士ということもあり、前提条件として「上手くいったこと」「失敗したこと」が皆、分かっているので、手探りではなく、最初から突っ込んだ議論ができたのではないかと思います。
    そのことで、"机上の議論的"な、かしこまったやり取りではなく、各局の実情も良く分かる会合になったのではないでしょうか。
    今後も、同種の勉強会等を開く機会があるのなら、今回のスキームで開催していただきたいとも思います。
  • 『記者たちの眼差し』の視聴を通しても、私自身反省すべき点があった。日頃、ニュースデスクとしての立場で「こんな感じで、こういう内容のインタビューを取ってきてほしい…」と、取材に出かける記者にイメージを伝えてしまい、取材現場の真実とかけ離れたニュースを出してしまったことはないか?その場その場で、真実を追求すること。また、現場をもっともよく知る取材記者やカメラマンとの地道な意思疎通をしていくよう肝に銘じたい。

以上

2016年10月20日

中京地区の放送局との意見交換会

放送倫理検証委員会と中京地区の放送局13局との意見交換会が、10月20日に名古屋市内で行われた。放送局側から61人が参加し、委員会側からは川端和治委員長、斎藤貴男委員、渋谷秀樹委員、藤田真文委員の4人が出席した。放送倫理検証委員会では、毎年各地で意見交換会を開催しているが、愛知県、三重県、岐阜県内のすべての放送局を対象としたのは初めて。
冒頭、BPOの濱田純一理事長が、「"自由"は、民主主義と表現にとって最も基本的なものである。しかし、その"自由"も緊張感がないと、いいものになっていかない。放送局の皆さんは、それを鍛える材料として、BPOをうまく利用してほしい。意見交換会は、皆さんの実感を委員に伝える貴重な機会である。委員も、その実感をベースに委員会の考えをまとめたいと努力している。その意味でも、今日は深い質疑応答ができるよう、日頃考えていることをストレートに話していただきたい」と挨拶した。
意見交換会の第1部のテーマは、「選挙報道について」だった。今年は、参議院議員選挙の年であり、その報道を中心に意見交換を行った。まず渋谷委員が、2013年の参院選の際、委員会が公表した決定17号「2013年参議院議員選挙にかかわる2番組についての意見」について説明し、「民主主義にとって最も重要なものが選挙であることをしっかり理解したうえで放送にあたってほしい。また、視聴者の立場に立って公正公平の意味を考えてほしい」と要望した。
次に参加者から、「選挙期間中、候補者を紹介する際は、尺を計って、平等に放送している。また、立候補表明をした人は、必要な時以外は出演させない。期間中、ある候補者を応援するタレントの出演も控えている。選挙ポスターの映り込みにも注意を払っている」「候補者を紹介する際、与党、野党をまとめるなど見やすくするための編集をしているが、公平性に悩むことがある。また、争点を取り扱う時、それが視聴者にとって本当の争点であるのか疑問に思うこともある」「選挙が近づいてくると、政策についての報道は、公平性を意識するあまり放送を控えてしまうことがある。18歳選挙が始まったが、特に若い人は、直前になって投票を決める傾向があるので、選挙が近づいた時の選挙報道はより重要になると思う」など選挙報道の現状が報告された。
これに対し、藤田委員からは、「選挙報道でも、基本的に、放送局の編集権、報道の自由は守られている。選挙期間中にトータルに公平性が担保されていればよい。時間の平等に神経質になりすぎているのではないだろうか」との指摘があり、斎藤委員からは「選挙報道でも自分たちで取材を重ねたうえで、自分たちの考えるニュースバリューにしたがって報道することが重要である。むしろ、自分たちで争点を作るくらいでよいのではないだろうか。要するに自信を持ってください、と言いたい」との発言があった。
これらの発言に対し、参加者からは、「自分たちで争点を捉えて、視聴者にとって選挙の本質は何かを伝えていくことが重要だとあらためて思った。しかし、私たちが視聴者にとって公正公平だと思って放送しても、視聴者の側から厳しい意見が来ることもある。最近、放送の自由に対して視聴者の目も厳しくなっている」という放送にあたっての悩みも報告された。
第1部の締めくくりとして、川端委員長から、「視聴者が正しい判断ができるだけの情報を伝えることが放送する側の任務である。それを果たしていないと、選挙という民主主義の基盤が損なわれてしまうのではないか。例えば、ある政党がどのような政策を掲げているか伝えるだけでなく、その政策を実行することにより、どんな利点があるか、さらには、どんなデメリットがあるかも指摘するべきではないか。選挙報道では、一定の公平性は担保しなければならないが、それだけをつきつめると、本来担うべき最も重要な任務が怠られてしまいかねない、ということを重く考えてほしい」との発言があった。
続く第2部のテーマは、「ローカル制作の情報番組について」だった。情報番組の制作において、いかにしてミスを防いでいくか、オリジナリティを出していくか、などについて意見交換が行われた。まず、参加者からは、「若いスタッフの中には、きわどい表現、きわどい取材がチャレンジングな番組作りと思っている人がいる。きわどくなくても攻めた番組が作れることを伝えるのに苦労している」「朝の情報番組では、オリジナリティを出すためライブ感を放送に生かすことを常に心がけている。正確性、誠実性を念頭に置いて放送しているが、面白くても裏が取れないもの、つまりグレーなものはいったん放送を取りやめることにしている。しかし、その判断には、日々悩んでいる」など番組制作にあたっての苦労、悩みが報告された。
これに対し、斎藤委員はジャーナリストの立場から、「取材を積み重ねることにより、どうしてもグレーであれば放送をやめるというのもひとつの判断だと思う。一番いけないのは、よくわからないまま適当にやってしまうことである。また、政治・経済などの難しい問題をわかりやすく伝えたいために、一側面からの情報だけを伝え、結果的にうその放送になってしまうこともある。情報番組には、報道以上に多方面からの徹底した取材が必要である」と発言があった。
さらに、参加者からは、「街の風景として撮ったものに、個人の家、車のナンバー、通行人が映り込んでいる。これに配慮すると、すべてのものにモザイクをかけなければならなくなる。意図したものでない映像にどこまで責任を負わなければならないのか悩んでいる」という映像の映り込みの問題が提起された。これに対し、藤田委員からは、「かつては公道上で、周囲が取材を認識していれば肖像権は侵害しないということが常識だったが、今は、モザイク映像が増えている。しかし、モザイクが当たり前だという考え方は表現の寛容性を狭めてしまうことになる。どこまでモザイクをかけるかの判断は、慎重に考えてほしい」という意見が出された。また、渋谷委員からは、憲法学者の対場から「本来、肖像権よりも報道の自由は優先されるが、それは、一般の人がどのように考えるかが重要になってくる。今は、ネットに記録がいつまでも残される時代。時代の変化に伴って、肖像権の考え方も変わってくる。放送局の判断でモザイクが必要になることも事実である」という指摘があった。
最後に、放送倫理検証委員会が10年を迎えるにあたり、発足時から委員長を務めている川端委員長から次のような発言があった。「この10年間、我々は、放送に間違いが起こった時、その原因とその背後にある構造的な問題をさぐってアドバイスをすることを基本的な立場としてやってきた。その結果、少しは放送倫理検証委員会がどんなものかわかっていただけたとは思っているが、まだ、制作現場、特に制作会社の人たちには、BPOは表現の範囲を狭めている、という意識があるのではないか。しかし、我々が意見を書くのは、重要な問題のみであり、自律的に是正が行われている時は慎重に扱っている。さらに意見の根拠としているのは、放送局が自主的に定めた放送倫理の基準だけである。今後も放送局の皆さんが、こういう放送をしたいという確信があれば、大いに取り組んでいただきたい」
以上のような活発な議論が行われ、3時間以上に及んだ意見交換会は終了した。

今回の意見交換会終了後、参加者からは、以下のような感想が寄せられた。

  • 情報番組の各局担当者の苦労が共有できた。ここ最近の人権意識や放送倫理意識の高まりから各局制作現場で必要以上に自主規制をしている感じを受けた。選挙報道と同じように自信を持って放送していくことが大切なのではと感じた。
  • 面白い番組や冒険的な番組を作りたいというのは、制作者なら誰しも思うところである。そのために普段やっていることから一歩踏み出したいという思いに駆られる。そういう思いにブレーキをかけるものとしてBPOがあると誤解している人も多いのではないか。BPOは決してそのような機関ではない。きちんとした理論武装ができている制作者であるなら、むしろ、どんどん意欲的な番組に挑戦することを望んでいるだろう。この「理論武装」というのが難しいと思う。コンプライアンスさえ守っていれば、それが達成されるというほど単純なものではないだろう。グレーゾーンのようで、そうでは無いというものを見つけ出していかなければならない。そのためには制作者(報道も含めて)に粘り強さが必要とされる。マニュアルで番組を作っていたのでは、人を感動させるようなものは作れないと肝に銘じるべきだろう。
  • 選挙報道については、候補者の取り扱いを同一尺、同レベル表現をルール化している各放送局のジレンマに対し、委員の方々から(若干の個人差は感じましたが)報道としては画一でなく、踏み込んだ取材と放送をすることが重要との意見をいただき、実りある意見交換になったのではと思います。
  • (選挙報道について)BPOの委員は、「全体として公平性が保たれていれば、個々の番組の表現は各局の判断に任される」と述べていましたが、総論は誰もそれに異論はなくても、実際はそのような考え方で放送はされていないと思う。本来の報道にあるべき姿とはどういうものか、消極的なチェックばかりではなく、日頃から踏み込んだ考え方を示し、萎縮しがちな放送現場(実際は管理する側の姿勢)にもっと勇気ある放送の姿勢を促すような積極的な発信をお願いしたいと思います。それが、放送やメディアとはどういうものかということを一般の人々にも考えてもらう契機にもなりうると思う。

以上

2016年1月28日

石川県内の放送局と意見交換会

石川県内各局と放送倫理検証委員会の委員との意見交換会が、1月28日に金沢市内のホテルで開催された。6局から46人が参加し、委員会側からは升味佐江子委員長代行、岸本葉子委員、斎藤貴男委員、渋谷秀樹委員の4人が出席した。放送倫理検証委員会の意見交換会を石川県で開催したのは初めてである。今回は直近の事案である「NHK総合テレビ『クローズアップ現代』“出家詐欺”報道に関する意見」を中心に意見が交換された。
概要は以下のとおりである。

まず第1部の冒頭で、この事案を担当した升味委員長代行が、「問題となったブローカーと多重債務者の相談場面は、視聴者に大きな誤解を与えたとして重大な放送倫理違反を指摘したが、記者は取材対象者に寄りかかってこの場面を作り上げ、裏付け取材も全くなかったなど、NHKが定めるガイドラインに大きく反していた。隠し撮り風の撮影方法や、多重債務者を追いかけてのインタビューも、この相談場面が真実であるかのように見せるために使われており、放送倫理上の問題があった」と、意見書のポイントについて説明した。
参加者からは、「どこまでがやらせなのか、取材者としてその境目を考えさせられる事案だった。そもそも許容される演出とはどのようなものなのか、しっかりと問い直す必要を感じた」などの発言があった。これに対し、渋谷委員から「視聴者がだまされたと思うかどうかがポイントではないか。視聴者の信頼が大事だということを念頭において判断すれば間違いないのでは」という意見が出され、岸本委員からも「今回の委員会の検討の一番の特徴は視聴者がどう見たのかであり、意見書も視聴者の視点から番組がどう見えたかで一貫して書かれている。これは、やらせの定義から入っては、欠け落ちてしまう視点ではなかったか」との発言があった。
また、参加者からは、「このような問題が起こるのは、記者の職責の幅広さと影響力の大きさがある。我々のような小さな局でも、記者が企画、取材、構成、編集、放送と、最初から最後までやるという重い責任を負っているので、どこかで歯止めが必要となる。それは、記者個人の資質ともいえるが、嘘は書かない嘘はつかないという倫理観ではないか」との意見も出された。
続いて、憲法学者の立場から、渋谷委員が放送法をどう考えるかについて、「放送法第一条には、放送法の目的は、放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること、とある。条文の読み方として大事なのは、放送法の究極目的は放送による表現の自由を確保することであり、政府の介入はこれに真っ向から反することになる。また、放送法の目的規定に適合するように条文を読んでいくと、放送法第四条は放送局が自らを律する倫理規定ということになる。他方、放送法は、政府機関、所轄官庁には放送内容に干渉してはいけないという義務を課している」と解説した。
最後に、升味委員長代行からの「意見書の『おわりに』に『放送に携わる者自身が干渉や圧力に対する毅然とした姿勢と矜持を堅持できなければ、放送の自由も自律も侵食され、やがては失われる』とあるように、放送に携わる人がきちんと発言を続けるという姿勢を持っていただきたい」というメッセージで、第1部は終了した。
続いて第2部では、「インターネットと報道のあり方を考える」のテーマで、インターネットの情報にどう向き合っていくべきかについて意見が交換された。スマートフォンに代表されるスマートデバイスの発達で、個人がいつでもネット上に情報を発信できる時代となり、テレビのニュースでは、視聴者提供の事故現場の生々しい映像や、フェイスブックからの容疑者や被害者の顔写真が日常的に使われている。
しかし、その一方で、便利さの裏に潜む危険性として、SNSからの顔写真や映像の取り違えが発生している。その具体的な事例や各局のネット情報使用の判断基準などが報告されたあと、ジャ
ーナリストの斎藤委員からネット情報とどう向き合っていくべきかについて次のような問題提起があった。「軽井沢スキーバス転落事故で新聞やテレビが被害者のフェイスブックの写真を使っていたが、ネット上で被害者のカタログを作っていた一般人がいた。その時に感じた違和感は、いつの間にかマスコミが素人と一緒のレベルになっているのではないか、というものだった。テレビも新聞もネットと共存しているというより、単にネットに飲み込まれているのではないか。メディア全体の信頼性が著しく低下していると思っている。何年か前にも高速バスの大事故があったが、その時も規制緩和の問題などその背景への取材が明らかに薄かった。限られた人手とお金でマスコミは何を取材するべきか、という問題を考える契機としてほしい」
これに対し、参加者から「斎藤委員が指摘されたように、事件事故を伝えるためにその写真が本当に必要かを判断し、遺族や関係者の理解と信頼関係を得たうえで、しっかりとした基準と意味をもって使うことが必要だと再確認した」との発言があった。
最後の第3部として、BPOに対する質問と意見のコーナーとなり、昨年9月に放送倫理検証委員会に加わった岸本委員から、ヒアリング、意見書の起草は委員がすべて行うこと、委員会は時間で打ち切ることはなく、決定は全会一致で行うこと、などの説明があった。さらに、「放送に携わる者を守る確かで唯一の基準は、視聴者がどう受け止めるかとの観点を常に持つことではないかと申し上げたが、もうひとつ皆さんを守るものは、放送事業に関する法律への理解と歴史的な経緯への理解だと思う」との意見が出された。
「アメリカではFCC、英国ではOfcomという独立行政機関があるが、BPOという形の方が優れている面があれば教えてほしい」との質問に対して、升味委員長代行は「BPOという存在は確かに独自のもので、世界では独立行政機関が監督するケースも多いが、独立行政機関といっても政治との軋轢はあり、自律を守るためには課題もある。BPOは日本モデルと呼ばれるが、それなりの評価は得ているのではないか。ただし大事なのは、今後も放送局とBPOが自律的な対話ができるかで、お互いに意見を交換することで、もっと自律の意味は出てくると思う」との見解を述べた。
以上のような活発な議論が行われ、3時間30分に及んだ意見交換会は終了した。

今回の意見交換会終了後、参加者からは、以下のような感想が寄せられた。

  • 「クロ現問題」についての具体的なやり取りをする中で、改めて放送人としての自律、私の場合は入社して日が浅いので自立することが大切だなと感じた。やらせの定義や、自主自律、大きくはジャーナリズムのあり方…考え及んだこともない観点、分かっているつもりになっていた事を考えるいい機会になった。具体的には、写真取り違えから派生してSNS上の写真を使うことの是非についての斎藤委員の発言が特に印象に残っている。論点として安易にSNS上の写真を使うことでプロが素人と同じ事をしてどうなのか?というものだった。この観点はネット社会との競合でテレビが淘汰されないためにも、今後重要な視点になってくるように思う。結果としてSNS上の写真を使用する場合があっても、そこに至る信頼関係を築く過程の大事さを知った。これは普段制作現場にいる私にとっても、取材対象者と関係を築いて信頼を得るという点では通ずるというふうに感じた。

  • 今私はドキュメンタリー番組を制作しています。その取材にあたり、今回の勉強会で2つの指針を得ました。1つは、やらせと演出を区別する物差しは「視聴者がだまされたと思うかどうか」だということ。視聴者の受けるイメージと取材過程がかけ離れるのを防ぐためには、取材制作のプロセスを客観的な視点で検証することが必要不可欠だと思いました。そしてもう1点は、取材当初に立てた見立てに縛られないこと。クローズアップ現代では「京都の事件が広がったら面白い」という番組の方向性が生まれ、出家詐欺のブローカーがいるという前提のもと、趣旨に合う人を探し始めたところから取材がおかしくなったように見えました。最初の見立てにとらわれず、現場で起きたことに疑問を持ちその感覚を信じる姿勢でありたいと感じました。

  • いわゆる演出とやらせの境界線とはとの疑問に「線を設けることで免罪符を与えることにもつながる」との答えをいただき、納得することができました。取材対象者がそれはやらせでは?という疑問を持った時点でそれはやらせであり、演出ではない。やはり取材現場の判断、意識、あらゆるものが常識という尺度の元、研ぎ澄まされなければならないと肝に銘じることができました。

  • 普段、BPO報告での委員の皆さんの発言や意見を文字として見て感じていた印象が、随分変わりました。「BPOの存在が制作現場を委縮させている」といった指摘は間違いであり、あくまでも視聴者の視点に立ち意見を述べられていることが、委員の皆さんの真摯な態度、発言から伝わってきました。改めて、放送の「公共的使命」を自覚して、放送内容の向上を目指していかなければと強く感じさせられました。

以上

2015年11月19日

広島の放送局と意見交換会

放送倫理検証委員会と広島の放送局6局との意見交換会が、2015年11月19日に広島市内のホテルで行われた。放送局側から40人が参加し、委員会側からは川端和治委員長、是枝裕和委員長代行、中野剛委員、藤田真文委員の4人が出席した。放送倫理検証委員会では、毎年各地で意見交換会を開催しているが、広島県内の放送局を対象としたのは初めてである。

今年は戦後70年、被爆70年でもある。そこでそれにふさわしい企画として、被爆70年の8月6日に広島の各局が放送した特別番組についての意見交換を第2部で行うこととした。第1部では、例年通り最近の委員会決定第22号(佐村河内守氏事案。広島は佐村河内氏の出身地でもある)と、第23号(クローズアップ現代事案)をベースに意見交換を行った。また第2部では、各局の特別番組を出席委員が事前に視聴したうえで、制作者を応援する視点から、議論を深めた。
冒頭、BPOの濱田純一理事長が、「広島の皆さんの番組を拝見した。共通していたのは、被爆の事実を伝え、それを伝え続けることの重要性であり、番組スタッフの方々はそのことの大変さを実感されていると思う。また、手法的にもご苦労されていると思う。事実を伝え続けるという大切な役割を担う"自由"を、私たちはしっかりと支えていこうと思う」と挨拶した。
2つの委員会決定をテーマにした第1部では、まず、11月6日に通知公表を行ったばかりの「NHK総合テレビ『クローズアップ現代』"出家詐欺"報道に関する意見」について、担当した藤田委員と中野委員が報告した。
藤田委員は「今回の事案で印象に残ったのは、ふたりの関係者、"ブローカー"のAさんと"多重債務者"のBさんに対するヒアリングだった」と口火を切り、中野委員が「Aさん、Bさん、記者の3人の関係を、丁寧に説明することを心掛けた」と続けた。中野委員はさらに「問題の相談場面の状況を詳しく記すことが大事だと考えた。3人が揃って撮影現場に着いた時、他のスタッフがおかしいと感じながらそのまま撮影を進めたことに、委員として大きな違和感を覚えた」と指摘した。また、藤田委員は「意見書の20頁に書いた『問題の背後にある要因』をぜひすべての放送局で共有して欲しい、というのが委員会の願いだ」と述べた。
参加者からは、総務省の行政指導や自民党の事情聴取を厳しく批判した意見書の「おわりに」について、「放送の自由と自律に対してこれだけはっきりと書いてもらい、ぐっと来るものがあった。放送事業者側も身を律して行動しなければならない」「制作者の世代交代が進む中で、BPOの存在価値そのものが、今回の意見書で若い制作者に再認識させられたのではないか」などの意見や感想が述べられた。
これに対して、藤田委員は「『おわりに』がこんなに注目されるとは考えていなかったが、委員会は、具体的な番組事例に即して必要な意見を述べるところだということをあらためて確認したい」と述べた。また、川端委員長は「委員会が議論している番組に対する動きだったので、言うべきことはきちんと言わなければならないと判断した。そうでないと、委員会もそれらを是認していると誤解されかねない」と説明した。
続いて、広島出身で、自らも被爆2世だと語っている佐村河内氏の番組を審理した委員会決定第22号「"全聾の天才作曲家"5局7番組に関する見解」について、意見交換が行われた。
川端委員長は、「この事案はおよそ1年間検討を続け、私自身も佐村河内氏と新垣隆氏にヒアリングしたので印象深い。この見解(委員会決定)では、放送倫理違反とまでは言えないというのが結論だった。しかし、委員会が最も言いたかったことは、番組で間違うことはこれからもあるだろうが、間違いが明らかになった時に、なぜ間違ったのか、何が足りなかったのか、どうすれば防げたのか、をもっと真剣に再検証して欲しい。それを徹底的に詰めて欲しい、ということだ」と指摘した。
参加者からは、「どうしたら防げるかを考えたのだが、私なら、障害者手帳を見せて欲しいとは言えなかったのではないか。たとえば広島での取材で、被爆者の方に被爆者手帳を見せて欲しいとは聞けない。他人事のようには思えない事案だった」「最近のテレビ取材は情報を取ってくることよりも、それを加工することに重きが置かれているのではないか。情報の正確性を裏付けるためにどうすればいいのか、深く考えさせられた」などの意見が出された。
第2部は、今年の8月6日に各局が放送した原爆関連の特別番組を各委員が事前に視聴したうえで、「戦後70年 BPOは放送局を応援したい」をテーマに意見交換を行った。まず、5本の番組(NHK『きのこ雲の下で何が起きていたのか』、中国放送『あの日を遺す~高校生が作るヒロシマCG』、広島テレビ『池上彰リポート 原爆投下70年目の真実』、広島ホームテレビ『宿命―トルーマンの孫として―』、テレビ新広島『母に抱かれて~胎内被爆者の70年~』)のオープニング部分を会場で視聴し、是枝委員長代行が、テレビ制作者の経験を踏まえて、番組ごとに感想を述べた。 
参加者からは、「戦後70年の節目の年。被爆者の生の声を伝えられる最後の機会になるのではないかということを重く考えた」「先輩の制作者たちは、被爆者の方から『原爆の実態を伝えきれていない』と言われ続けてきた。どのように表現したら当時の皮膚感覚を含めて視聴者に伝えられるのかを、試行錯誤しながら制作にあたった」などの意見が出された。
質疑の中で、参加者から「証言者がいなくなった時にどのようにドキュメンタリーを撮ればいいのか?是枝監督が否定的な"再現"も、ひとつの有力な手法ではないのか」と問いかけがあった。
これに対して是枝委員長代行は「"再現"を完全に否定するつもりはないが、私がテレビでドキュメンタリーを作っていた時には、『ドキュメンタリーはタイムマシーンを持たない』ということと『ドキュメンタリーはこころの内視鏡を持たない』ということを自分の中の倫理規範として考えていた。つまり、『撮り損なうことを肯定的に捉える』ようにして、現在進行形のものとして表現するのか、あるいは、撮れないものは"再現"するのかで、大きく道は分かれると思う。かけ出しの頃、他局は撮影した決定的なシーンを撮れずに呆然となったが、他局が引き上げたあとのさまざまな人間的営みを撮影して別の作品に結実させることができた。『撮り損なったら後で考える』ことがドキュメンタリーとしてのアイデンティティーの核ではないかと考えている」と答えた。
ぜひ来年も広島で開催してほしいという要望の声を最後に、3時間半にわたる意見交換会の幕を閉じた。

参加者から終了後寄せられた感想の一部を、要約して以下に紹介する。

  • 政治が報道に介入する事態への違和感や危機感をBPOと放送局との間で共有できたことが最も大きな収穫だった。被爆70年の今年、広島では、原爆だけでなく、戦争責任や加害の歴史などについて取材の範囲が広がることも多くある。それらを放送で取り上げるのはバランスが難しいが、安易にそこに触れないというのではなく、工夫して放送することで、今起きていることを伝えるという報道の役割はもちろん、権力を監視する役割を担うことにもつながるとあらためて感じた。
  • BPOの活動が放送をよりよいものにするために行われていることを知り、BPOが制作者にとって心強い支えになると思うようになった。第2部では、自分が制作した番組を含め、広島の各局の番組を見て、被爆地広島の放送局が、原爆について強い思いを持って制作していることを目の当たりにし、刺激を受けた。これからも各局と切磋琢磨しながら、広島からの発信を続けて行きたい。
  • BPOのスタンスを改めて確認できたことは、若い人間には収穫だったと思う。原爆報道への取り組みについて、是枝さんに様々な角度から評価いただいたことは、各局の現場になにより励みになったと思う。(第三者から評価される機会がなかなかないので。)
  • 「BPOは放送局の応援団」という言葉がある。問題が起きたとき、何を考えながら聴き取り調査をして意見書にまとめるかという話を聞いて、委員の皆さんの「放送局が自律し信頼されるために」という思いを感じることができた。今回の意見交換会は人の温かさを感じた。
  • 佐村河内さんの事案に関連して、「被爆者の方に、あなたは被爆者ですか?と聞かない」という意見が出たが、まさにその通りで、取材対象との信頼関係の中でどう事実を担保していくか、大変難しい問題だと改めて感じた。是枝さんの再現に対する疑念を聞いて、もやもやしていたものが晴れた気がした。被爆者がご存命のいま、在広の放送局として被爆者のお話を聞き続けなければならないと痛感した。
  • BPOの皆さんが放送局を守ろうとしている印象を受けた。それはとても心強かったが、同じようなミスを食い止めるという意味では、非公開の会合でもあるし、委員の方が感じられた放送局側の問題点を、意見書以上に具体的に聞きたかった。

以上

2015年10月22日

BSテレビ各局と意見交換会

放送倫理検証委員会とBSテレビ局との意見交換会が、10月22日に東京・千代田放送会館で開催された。民放BSテレビ局とNHKの計9局から26人が参加し、委員会側からは香山リカ委員と鈴木嘉一委員が出席した。放送倫理検証委員会では、毎年各地で意見交換会を開催しているが、BS放送局を対象としたのは初めての試み。
概要は以下のとおり。

冒頭、BPOの濱田純一理事長が、BPOの目的や役割について、「放送における『言論と表現の自由』を本当の意味で社会に根付かせていくところに、BPOの役割があると思う。そのために各放送局が、放送の自由の質を高めようと努力する活動を支援することも、大きな役割だと思っている。BPOの各委員会から出されるさまざまな報告などを、皆さんが放送の使命は何なのか、放送の質をどう高めるか、を考える時の手がかりにしてほしい」と挨拶した。
続いて、香山委員が、テレビ放送について感じていることを次のように述べた。
「放送局の現場では、BPOが表現の自由を守るためにあるのなら、もっと自由に番組制作を、という声があるかもしれないが、外部からの規制がかかったり、視聴者からの信頼を失わないようにするためには、自浄作用も必要だ。検証委員会では、放送倫理違反があれば指摘するけれども、それによって放送や表現の自由を担保していきたいと考えている。委員会で審議や審理に入る場合でも、それは取り締まるためではなく、委員会の役割として、放送や表現の自由をぎりぎりのところで守るためにはどうすべきかを、放送局と一緒に考えていきたいということだ。テレビの力はまだまだ大きく、多くの人に影響を与えているメディアなので、それに携わっている誇りや幸せを、忙しい中でも時々はかみしめてほしい」。
また、鈴木委員は、長年にわたる取材者としての観点から、現在のBSテレビの編成などについて次のように指摘した。
「BSデジタル放送の開始から15年たつが、"モアチャンネル"として十分定着し、全体的には"ゆったり感"もあって、人気番組がいろいろ生まれてきている。その一方で、民放BSテレビ局にも、地上波のような横並び的な傾向が現れてきているように感じるが、BS局には地上波の轍を踏んでほしくないと思っている。私がBSテレビ局に期待しているのは、いま地上波で受けている番組を真似した、"のようなもの"的な番組ではなく、地上波にはない番組や、かつてはあったが現在は放送されていないジャンルの番組などだ。スタッフの人数や予算などに制約があるのは承知しているが、是非、アイデアと工夫で勝負していってほしい」。
意見交換では、放送局側から「BSの放送でも報道系の番組が増えてきているが、どのように見ているか」との質問が出された。
これに対して鈴木委員は、「やるべきことは、網羅主義ではなく、一点突破ではないだろうか。ひとつのテーマを深掘りした特集や、地上波よりさらに長いスパンでの報道も期待したい。時の人からじっくりと話を聞く報道番組もひとつの鉱脈だが、その人の言いたいことをしゃべらせるだけでなく、もっとガチンコでのトークが聞きたいと思うこともある。BS局の報道番組は方向性としてはいいので、見せ方や切り口なども含めて、中身をもっと良くする段階にきていると期待している」と述べた。
また香山委員は、「報道番組での放送の公平・公正性や不偏不党などについて、それぞれが考えてほしい。何も言わないのが不偏不党とか中立性ではないので、時には踏み込んだ意見も取り上げるなど、さまざまな人の意見を伝えてほしいと思う」と述べた。
今後のBSの放送が目指すべき方向性についての質問に対して、鈴木委員は、「中高年層だけでなく、より若い人たちにも見てもらうために、かつてのユニークな民放局の深夜番組のような"少しとんがった番組"を期待したい。社員が少なければ、外部の新しい才能のあるスタッフを発掘し、共同作業で賛否両論を巻き起こすような新しい番組を制作していってほしい」と述べた。また香山委員は、「今の地上波の番組では物足りない、飽き足りないと感じている人たちはかなりいると思う。知的好奇心を持ち、知的な刺激を求めている人たちに訴求力があるような番組を期待したい」と述べた。
このほか、放送局側からは、外部からの持込番組が多い状況の中で、考査上の悩みなどについての発言もあり、委員側からのアドバイスも披露された。
最後に濱田理事長が、「放送倫理というと窮屈に考えがちだが、一番大事なことは、放送に携わる人たちが、どこまで誇りをもってその仕事ができるかであり、それを支えるのが倫理だと思う。きょうは、番組論や編成論まで広く議論が及んだが、放送倫理の積極的なあり方として意味があったと思う」と述べて、意見交換会を締めくくった。

終了後、参加者からは、「BPOについて考える機会を持てたのは有意義だった」「両委員からの期待やアドバイスは心強く、励みになった」などの感想とともに、「具体的なテーマを設定して実施すれば、もっと議論が活性化するのではないか」などの意見も寄せられた。

以上

2015年1月22日

九州・沖縄FNS(フジテレビ系)各局と「意見交換会」を開催

フジテレビ系の九州・沖縄ブロック8局と放送倫理検証委員会の委員との意見交換会が、1月22日に福岡市内のホテルで開催された。同じ系列の地域放送局を対象とした意見交換会は3回目となる。
放送局側からは報道、編成、制作の部長など30人、委員会側からは是枝委員長代行と斎藤貴男委員が出席した。主な内容は以下のとおりである。

意見交換会ではまず、是枝代行と斎藤委員が、委員会の議論などを通じて日頃考えていることを述べた。
是枝代行は、「出演者のインタビューや自伝本などを鵜呑みにして裏取りもせず、ドキュメンタリーという枠の中で報道したり、再現ドラマにしたりすることが非常に増えている。その結果、虚偽の放送をしてしまったというケースがBPOの事案でも目立っている。本来なら疑ってかかることが結果的に取材対象者を守ることにつながるはずで、放送にかかわる人間は、いくら疑り深くても悪いことはないと思う。ドキュメンタリー、バラエティーを問わず、再現であることを前提にドラマを作ることの倫理性の欠如は、もう少し厳しく問われるべきではないか」と、映画やドキュメンタリーの制作者としての視点から、昨今の再現映像の氾濫について問題を提起した。
また斎藤委員は、この2年間の委員としての経験を踏まえ「テレビの制作者が、感動的な物語を作りたがりすぎるのではないか。世の中はそれほど単純なものではない。公に出すものである以上、個々の裏取りはもちろん、その背景にある構造など、すべて番組に出さないまでも、きちんと調べてほしかったと感じることは多い。しかし、委員会の議論で表現の自由に常に気を使っていることと、意見書を出すことで現場の人々を萎縮させてはいけないと絶えず意識していることは、ぜひ皆さんにもわかっていただきたいと思う」と語った。
その後、具体的な事例をもとにした意見交換に移り、審議事案となった鹿児島テレビの「他局取材音声の無断使用」、テレビ熊本が対象局のひとつとなった「2013年参議院議員選挙にかかわる2番組」、そして討議事案となったテレビ西日本の「待機児童問題報道」の各事案について、当該各局から反省点や再発防止策について具体的な報告がなされた。
その中で出席者からは「実感として、情報と意識の全社的共有につきるなと思った。当該のセクションは契約の方が多く、選挙に関する情報と意識の共有が不十分で、放送人としての公共性の意識や選挙の公平性など会社としての教育も足らなかった」「スタッフとプロデューサーの距離感は密接でいわゆる丸投げといった問題はなかったが、取材が甘く裏取りもきちんとしていなかった。また、日頃の人間関係作りも含め、取材対象者や放送することによって影響を受ける関係者との距離感のあり方を、スタッフ間でもっと詰めておくべきだった」といった反省や、「再発防止策でチェック体制などというと現場が萎縮するのではという心配があったが、スタッフが積極的に日頃の勉強会やチェックを重ね、それがルーティンになることで、記者活動や取材活動にもむしろプラスになっていると感じる」といった発言がなされた。
これに対し、是枝代行からは「審議入りしたのかしなかったのか結果だけが取り上げられがちだが、審議入りした番組について意見書を書くのは、皆さんに読んでいただきその経験を共有財として持ってもらい、現場にフィードバックしてもらうためである」という説明があり、また、斎藤委員からは正社員と契約者が協業する放送の制作現場を念頭に「下積みから頭角を現す人間がいたら、表舞台に出してあげるような雰囲気や、表現者ならではのインセンティブを設けるような仕組みをぜひ検討してほしい」という発言があった。
最後に是枝代行より、「BPOは権力の介入に対する防波堤である、という自負が正しいのであれば、直接圧力が放送局に向かわないために何らかの役割が果たせるのではないかと思っているし、その覚悟をもって参加している。今回、意見交換会に出席して、その気持ちを新たにした」と締めくくった。

 今回の意見交換会終了後、参加者からは、以下のような感想が寄せられた。

  • 「BPO」という言葉のイメージが先行していたため、かなり気構えて参加したのですが、思いを新たにすることができ、非常に有意義な会になりました。様々なメディアが世の中にあふれ、ともすれば「放送」の役割や信頼性が、ひところより下がっている今の時代に、第三者的な視点を持って、時には厳しい意見、叱咤激励をしてくださるのが「BPO」だと感じました。もちろん、それは放送局自らが律しなければいけないことであり、そうした日々の努力によって、放送の質をより高めていく必要が、今後さらに高まってくると感じました。

  • 是枝委員長代行の「現場に悪い人間が減り、いい人間が増えた」との話は胸を突き刺さりました。最近の事例は「まさかそんなこととは思わなかった」「だまされた」という話が多いとのこと。「疑ってかかるのが取材対象者を守ることにつながる」…まさにその通りだと思います。プロダクションの派遣社員が多い現場。ちゃんと情報を共有しているか?責任までも押し付けていないか?現場の管理職として、考えさせられる時間でした。

  • 具体的な事例を挙げたことによって人員の不足・情報の共有、チェック体制といった点で各局の皆様が同じような悩み及び課題をお持ちだということが良く分かりました。またコミュニケーションを取ることの大切さを改めて感じさせられた会でもありました。最後に是枝さんが「権力の介入に対する防波堤となるのがBPOの役割」とお話になったところは印象的でした。

以上

2014年11月28日

系列を持たない「独立局」と意見交換会

BPO放送倫理検証委員会と「独立局」との意見交換会が、2014年11月28日に東京・千代田放送会館で行われた。検証委員会はこれまで、地域や系列ごとの意見交換会を開催してきたが、今回は初めての試みとして、系列を持たない独立局を対象に実施した。独立局の会合と同じ日に設定することにより、関東・東海・近畿の13のテレビ局から27人が参加した。
概要は以下のとおり。

冒頭、BPOの飽戸弘理事長が、検証委員会だけではなく、人権委員会や青少年委員会も含めたBPOの三委員会について、その目的や活動内容などを説明した。飽戸理事長は「各委員会からの問題提起はすべての放送局に共通するものなので、『わが社でなくて良かった』ではなく、他山の石として今後の改革・改善につなげてほしい。放送事業者と視聴者を結ぶBPOの役割を、ぜひ理解してほしい」と述べた。
続いて、升味佐江子委員が「BPOというと怖いイメージを放送局は持っているようだが、放送に対する信頼を高め、視聴者と放送局の間の『愛情のある関係』を維持する手助けができることを委員会は望んでいる」と述べたあと、「2013年度の検証委員会決定から」と題して、3つの意見書の論点を詳細に説明した。
委員会決定第16号の「関西テレビ『スーパーニュースアンカー』インタビュー映像偽装」事案について、升味委員は「『モザイクを取ったら別人』という事態は深刻ではないかと委員会では考えた。視聴者からの信頼を維持するためにも、テレビだからという特権意識ではなく、市民の『知る権利』に奉仕する気持ちを忘れないでほしい」と述べた。
決定第17号の「2013年参院選にかかわる2番組」事案については、「番組意図がいかなるものであっても、特定候補者の人となりや肯定的評価を紹介した結果、選挙の公平・公正を損なうと判断した。今回の衆院選のように急に選挙になることがあるので、各局は報道セクションだけでなく全局体制で、十二分に事前の準備をすることが大切だ」と指摘した。
さらに決定第19号の「日本テレビ『スッキリ!!』ニセ被害者」事案をめぐっては、「いわゆるネット詐欺の問題で弁護士がニセ被害者を紹介すること自体が想定外で、局が信じて放送したことに相応の理由や根拠はあったと思う。専門家に過度に依存しないことを念頭に置きながら、こうした新しい形の社会的な問題に、果敢にアプローチやチャレンジをしてほしい」と強調した。
これに対して独立局側からは、「系列局を持っていないので、困った時に相談する相手がいない。日々いろいろ悩みながら判断しているのが現状だ」という切実な意見や、「独立局は購入番組が多いので、購入元との情報共有が重要だと改めて感じた」などの意見が出された。
最後にBPOの三好晴海専務理事が「BPOは放送後に問題があったかどうかを判断するところで、事前の相談は受けづらい。しかし、講師派遣やこうした意見交換会の場で、事例を共有することはできる。今後もこうした機会を設けたいし、また放送局側も活用してほしい」と述べて、独立局との初めての意見交換会を締めくくった。

終了後、参加者からは、「選挙前と言うこともあり、特に選挙にまつわる事例は今後の放送に参考になった。直接様々な意見を伺いながら事例を知ると、理解の深まりが違うと改めて感じた」「初めての意見交換会ということもあってか、お互いが接点を探り合うような印象を受けた。これをきっかけに、更にBPOとの良い接点が深まればと思う」という感想が寄せられた。

以上

2014年11月19日

放送倫理検証委員会 大阪で「意見交換会」を開催

放送倫理検証委員会は、近畿地区の放送局との意見交換会を11月19日に大阪市内で4年ぶりに開催した。今回の意見交換会には、大阪のテレビ各局を中心に、9局から84人が参加した。また委員会側からは小町谷育子委員長代行、渋谷秀樹委員、鈴木嘉一委員が出席した。予定を超える3時間20分にわたって、活発な意見交換が行われた。
概要は以下のとおりである。

意見交換会の前半は、委員会の事例をふまえた2つのテーマで進められた。
1つ目のテーマは衆議院の解散直前という時期にぴたりとはまった「政治や選挙での公平・公正性について」である。まず渋谷委員が、昨年度委員会が公表した決定第17号「2013年参議院議員選挙にかかわる2番組についての意見」に触れながら、問題提起を行った。渋谷委員は、まず「政治的な公平性」について、憲法学者としては、放送法で規定するのは表現の自由の観点から問題だとしながらも、放送の影響力の大きさを考えれば、放送局による自主的な規制が必要だろうと述べた。選挙に関しては、特に公平性が重要であり、特定の政党や政治家に偏って、視聴者の判断に歪みを生じさせるような取り上げ方は問題だと指摘した。そして衆議院の総選挙が間近だが、なるべく多様で豊富な情報を伝えるとともに、公平・公正性も心がけた報道に努めてほしいと要望した。
これに対して、参加者からは、「番組出演者の立候補が噂になり、制作スタッフが確認して否定された場合でも、出演を控えてもらうべきか、判断に悩むケースも多い」「事実上一騎打ちの首長選挙で、その2人の候補者だけで討論番組をやることに、問題はないか」など、具体的な意見や質問が相次いだ。委員側からは「各局が、いろいろな情報を集めたうえで、自律的に判断してほしい」(渋谷委員)、「問題になっても、自信を持って局側の考えを説明できるようにして対応すれば、あまり恐れる必要はないのではないか」(小町谷代行)などの意見が出された。また「仮に橋下大阪市長が立候補して記者会見があった場合に、情報番組で長時間生中継するようなことは、公平性からどう考えるべきか」との質問に対して、渋谷委員は「ニュース性があるにしても、だらだらと一人の会見だけを中継することは、個人的な意見としては問題だと思う。編集である程度コンパクトにまとめ、政治家の過剰な宣伝にならないように目配りをして、放送局の品格を示してほしい」との意見を述べた。
2つ目のテーマは、今年6月に放送人権委員会の委員長談話が公表されて話題を呼んだ「顔なしインタビューの是非について」である。小町谷代行は、まず「検証委員会では、総括的にではなく個別の事案ごとに判断している」と説明したうえで、委員会決定第16号の「インタビュー映像偽装」と第19号の「弁護士の"ニセ被害者"紹介」の2つの意見書で、この問題について委員会がどのような指摘をしたのかを具体的に解説した。
続いて、子どもたちの学校生活を題材にしながらボカシやモザイクを全く使わない75分のドキュメンタリー番組『みんなの学校』で、昨年度の芸術祭大賞などを受賞した関西テレビの真鍋俊永ディレクターから、問題提起を含めた報告があり、番組の一部が会場で視聴された。この番組で、なぜボカシなどをかけずに放送できたかについて、真鍋ディレクターは、個人的にもそういう表現をしたいという思いが強かったことと、ドキュメンタリー番組のため交渉する時間もあったことをあげ、映りたくない子どもは外す工夫をしたことなども説明した。その一方で、放送時間が迫っているニュースなどでは、顔なしの放送がやむを得ないという判断もありうるし、取材・放送にあたる一人ひとりが、きちんと考えながらやっていくしかないのではないかと述べた。
参加者からは、「モザイクなどをかける時には、誰にわからないようにするためなのかを考えて、かけ方にも工夫が必要だが、最近はあまり考えられていないと思う。もう少し時間をかけて、ニュースの場合でもどうすべきかなどを議論すべきではないだろうか」「最近の事件で、同じ取材対象者なのに、局によって顔なしと顔出しの場合があった。取材記者の対象者への接し方に違いがあるのか、あるいは、記者の力量や信頼感などにかかわる問題もあるのかと心配している」「モザイクをかけないで放送した際、配慮不足だというような批判を受けたケースもある。そのような社会的風潮があることも知ってほしい」など、様々な観点から多くの意見や疑問が出された。
これに対して委員側からは、「テレビは映像の力で事実を伝えていると思うが、モザイクをかけるとその力を弱めてしまう。どうしても必要なケースに限定していかないと、放送への信頼感を失っていくのではないか」(渋谷委員)、「ドキュメンタリーとニュース・情報番組では、対象者との信頼関係などで当然違いがあると思う。ドキュメンタリーでは、顔出しの映像にこそインパクトがあり、モザイクをかけると訴える力は弱くなる。放送が目指すべきなのは、やはり顔出しの方向だろう」(鈴木委員)、「ボカシが多いのは、日本のテレビの特徴で、外国のニュースではほとんどないと思う。個人的な意見だが、ボカシを入れるか否かの判断としては、報道内容の重大性と、モザイクをかけないと起きうる取材対象者の被害の可能性を、個別に考えていくしかないのではないか。事件の話を近所の人に聞く場合でも、最近は顔なしインタビューが多いが、そこまでする必要があるのだろうか」(小町谷代行)などの意見が述べられた。

意見交換会の後半は、「BPO放送倫理検証委員会が無(の)うなる日は来(く)んの?」と大阪弁のタイトルのもとで、検証委員会と放送局の関係などについて幅広い意見が交わされた。
最初に、当日急きょ欠席となった川端委員長からのメッセージが小町谷代行によって代読された。この中で川端委員長は、7年半の委員会の活動を振り返りながら、テレビ局が意識すべき課題を2つあげた。一つは「事実に謙虚に向き合う姿勢の大切さ」で、客観的事実を重視し、裏取りをしっかりとすることが、正しい報道には欠かせないとした。もう一つは、「テレビの制作体制には、もっと自分の頭で考える時間的ゆとりと、人員を適切に配置する経済的なゆとりが必要だ」として、制作現場で働く人たちが、仕事にもっと夢と情熱を持てるような処遇をするという方向で改善しなければ、同じ過ちが繰り返されるのではないかと危惧していると指摘した。そして「委員会は、これからも事案に即した意見を第三者として述べることにより、権力の介入を防いで表現の自由を守り抜きたいと思う」との決意を述べた。
続いて、鈴木委員が、長年にわたり取材者として外部から見てきた体験をもとに、BPOと放送局の関係について、「逆説的な問いかけ」として3つの視点から問題提起を行った。
まず、BPOは総務省の代行機関ではなく放送局に自主・自律を促す団体であるはずなのに、まるで江戸時代の「お白洲」のごとく、放送局が過剰に反応しているところはないかとして、「BPOはお白洲なのか?」と問いかけた。2点目は「BPOの決定は、水戸黄門の印籠なのか?」として、BPOの3つの委員会が出す様々な判断や決定を、放送局は「お達し」のように上意下達的に受け止めていないか、個人レベルでも異論や反論があまり見られないのではないかと述べた。そして3点目として、検証委員会では、同様な過ちが何度も繰り返されることへのもどかしさがあることに触れ、「『モグラ叩き』をどうやって断ち切るか?」と投げかけた。
参加者からは「放送局にとっては、やはり『お白洲』であり、『水戸黄門の印籠』というのが実感だ」「審議入りしなくても、BPOで取り上げられるだけでかなりのプレッシャーを感じるのは事実だ。『お白洲』かどうかは別にして、局にとってBPOは良い意味での抑止力になっている一方で、プレッシャーを感じる存在だ」「スタッフの採用や異動がある中で、放送倫理の水準を維持していくためには、社内での定期的、自主的なメンテナンスが必要であり、大変なエネルギーと努力が必要なことを実感している」などの意見や感想が相次いだ。また、「委員会決定が出ると、現実的にはシステム整備をして、規制を掛けていくことになる。本来は制作者のセンスを磨くことが重要だとわかってはいるが、なかなか難しい。なにが近道なのだろうか」との質問に対して、鈴木委員は「結論から言えば、近道はないと思う。先輩や同僚たちが、日常的な仕事の中などで失敗例などを伝えていくことによって、血肉化するのではないだろうか」と答えた。
このほか、「検証委員会ができて総務省の行政処分が極端に減り、権力からの防波堤として機能していることは評価すべきと感じてはいるが、一方で委員会の審議入りや委員会決定が公表されることによって、一種の行政処分に等しい罰を受ける感じもある」「委員会決定で、放送基準の適用の仕方には問題があると思う。法律とは違って、放送基準は目指すべきものであり、曖昧でもある。曖昧な放送基準をそのまま適用することは、委員の方たちが目指すところと反して、表現の自由に萎縮的な効果が働くのではないか」などの意見も出された。
これに対し、渋谷委員は「放送基準が曖昧だとの指摘があったが、放送基準はBPOが作ったものではない。委員会決定は、放送局自らが作った放送基準にも照らして書いているが、委員会での議論では、放送基準に拘束されることなく、放送がどうあるべきかを考えながら展開されている。萎縮効果があるというが、委員会は7年半で20余りの番組しか審議・審理していない。委員会は抑制的で、明らかに放送倫理に抵触する事案だけを取り上げているつもりだ。」と反論した。小町谷代行も「お白洲というと、あまり言い分を聞いてもらえないというイメージがあると思うが、私たちは対象番組については、制作現場の実際の担当者に、どういう思いやねらいで作ったのかなどを長時間、徹底的にヒアリングしている。それは、現場とかけ離れた意見を書けば、自主・自律のために設立された機関としての信頼性を欠いてしまうとの思いが、活動の指針にあるからだ。明らかに放送倫理上問題がある事案しか取り上げていないし、意見を述べていないはずだ。実は、委員会に報告される事案は、もっとたくさんあるが、それらはほとんど公表していない。そういう意味でも萎縮する必要性はないのではないか」と指摘した。その上で「検証委員会が無くなる日は来るのかというテーマについて言えば、2つのシナリオがあると思う。一つは、総務省が独自の機関を作って、委員会が解散せざるを得なくなる場合で、もう一つは検証委員会で扱うべき事案がなくなって、閑古鳥が鳴く状態になる場合だと思う。後者であってほしいし、そういう日が必ず来ると信じている」と述べた。
会場からは、「検証委員会は、世間や役所などと放送局との間で、ジャッジしてくれるところであり、今後も必要だと思う」「放送法上では問題になる番組であっても、それが国民のためになっている時には、検証委員会が一緒に権力に立ち向かってくれると信じている」などの意見も出され、予定時間を超過して活発に意見が交わされた。
最後に出席した各委員から感想が述べられ、小町谷代行は「とても率直な意見交換ができて、少し熱くなってしまったが、率直な意見を言ってもらわないとこちらも率直な思いを返せない面もある。きょうのような意見交換会が、今後も続くことを願っている」と締めくくった。

参加者から終了後寄せられた意見や感想の一部を、以下に紹介する。

  • 制作現場にいると、実態がよくわからないまま(知ろうとしないまま)、BPOというその絶対的な存在に、正直畏怖しか感じていませんでした。委員の皆さんが率直に話されるのを聞いてようやく、リアルな感情をもった、生身の人間の委員が運営されているのだと知ることができました。現場で四苦八苦している私たちと同様、委員の方々が局側の質問に、ときには悩みながら答えてくださっている様子を拝見し、番組制作においてはそもそも100%の答えというものがないのだ、ということをあらためて痛感しました。

  • 日々コンプライアンスの壁を意識して闘っている番組制作者の私にとって、BPOはその壁の先に待ち受ける"お白洲"以外の何物でもなかったため、今回は「お白洲の中を見学させてもらおう」という好奇心で臨みました。感想を一言で申しますと、私が持っていた"BPOはあちら側の人たち"(=言わば敵)という印象は偏見でした。BPOの生い立ちに興味を持ったこともなかったため、そもそも権力の介入を防ぎ、放送業界の自主自律を守るための団体であるという認識が、恥ずかしながら私には欠けていたのです(知識としては何となく知っていましたが)。しかし、委員の方々と顔の見えるディスカッションを経験して、"こちら側"の立場に立ち、我々の味方になって頂ける人たちであるという基本スタンスを確認することができました。委員長代行がおっしゃったように、確かに過去の審理・審議の一覧を見ると「誰が見てもこれは問題がある」というものばかりですし、「BPOができてから総務省の行政指導が激減した」という事実も全く知りませんでしたので、委員の方々がこちらの声を十分理解した上で、我々と共に闘って頂けているのであれば、こんなに心強いことはないと認識を新たにした次第です。

  • 放送局が望んでいる「放送局とBPOとの間の距離」と、委員が望んでいるそれとが、ちょっとかけ離れているのではないかと感じました。渋谷委員から「(何かの案件で、局の人から)僕らは正しいと思っていると言ってくれればいいのに、と感じたこともあった」との発言があったかと思います。委員は「もっと近づきたい」と思い、対して局の人間は「距離を置いておきたい。できれば接触したくない」みたいな…、本来あるべき距離感に相当の乖離があるという印象を持ちました。その意味で「お白洲」ということばの響きは象徴的でした。

  • BPOの方々と話をする機会というのは、正直やや億劫でもあり、ある意味貴重な場でもありました。私にとってBPOは、ふだんからあそこだけの世話にはなりたくない…そういう存在でしたので、委員や調査役はどんな顔をしているのか、どんな見解を持っているのか、そんな好奇心を胸に、できるだけ具体的な話になればいいなと思って参加しました。
    その意味でもっと突っ込んだ話をしたかったのは、仮に橋下市長が衆院選の立候補会見をした場合、「生中継」で伝えることをどう考えるかという議論です。もう少し時間を割くべきではなかったか、と思いました。自分たちは日々、制作現場で薄氷を踏む思いで、葛藤しながら放送しています。その一人としては全体にやや質疑応答=意見交換が踏み込み不足だったのではと感じられました。質問の中には、切実感があまりないようなものがあったことも付け加えておきます。

  • 特に質疑応答で、意見書の行間がみえ、よかったです。委員の皆さんの「意見交換会だから」と腹を割って話された内容には血の通ったものを感じました。やや気色ばまれた場面もありましたが、そうさせた局側の質問がよかったのかもしれません。私自身は、以前、社で講習会をやっていただきましたし、できるだけ意見書は読むようにしていますので、BPOの考え方は理解できてきているような気がします。しかし、局側にはBPOを司法機関、もっといえば敵対相手のように思っている人が意外と多い、と感じました。渋谷委員の「放送基準はあなたたちの作られたものですよ」という発言に、はっとした人も多いはずです。とはいえ、参加者の一人がいっていた「取り上げられた制作者はかなりダメージを受ける」という発言には、当事者ならではの生々しさがありました。取り上げられた局が敵対相手と思ってしまう気持ちは、想像はつきます。残念ですが、簡単に理解しあえる関係性ではないのかも、と思いました。しかし仮にそうであっても、愛のある厳しい指摘は、まだ放送業界には必要に違いありません。一大事には一緒に総務省に立ち向かってくれる存在、であってくれることを願います。

以上

2013年11月20日

松江で島根・鳥取県内の各局との意見交換会を開催

島根・鳥取県内の各局と放送倫理検証委員会の委員との意見交換会が、11月20日に松江市内のホテルで開かれた。5回目の開催となる今回は、山陰中央テレビ、山陰放送、日本海テレビ、NHK松江放送局の4局を中心に、ラジオ1局を含む7局から57人が参加した。また委員会側からは川端委員長、渋谷委員、升味委員の3名が出席した。

意見交換会の前半は、まず直近の事案である関西テレビの「『スーパーニュースアンカー』インタビュー偽装」について、意見書のポイントを担当委員の升味委員が説明、「モザイクの向こうでは本人が話している、という視聴者の信頼を裏切ることになった。映像の偽装が分かった段階で、視聴者に伝え訂正すべきだった。報道の自由、取材の自由を支えているのは、カメラやマイクの後ろにいる市民(視聴者)であることを忘れないでほしい」と問題点を指摘した。また、川端委員長からも「この事案は、不適切な映像にとどまらない、視聴者を欺く許されない映像だと判断した」との補足があった。
これに対し、参加者からは「一本筋の通ったものを放送したいと考えていれば、後味の悪い取材のときは違和感が残る。その違和感を感じなかったことが問題だと思う」「ネットにすぐ上がってしまうということもあり、取材源の秘匿が必要なケースもある」「放送局側が自己防衛のため過剰にモザイクを多用している面もあるのでは」といった意見が出された。
モザイクや顔なし映像の多用に対し、川端委員長からは「顔なしの場合は、すでに実例も出ているように偽物が紛れ込んでもわからない。メディアとして、そのような風潮に抵抗してほしい」との発言があり、升味委員は「普通の人が取材されるときも、ボカシや顔が映らないことを条件にする傾向が一般化していることを危惧している」と指摘した。渋谷委員も「放送が匿名化しているネットに引きつけられているのではないか。匿名はできるだけやめたほうが報道の価値が高まる」と述べた。
続いて、今年も2番組が審議入りした参院選関連の事案として、2010年の「参議院議員選挙にかかわる4番組」が取り上げられ、渋谷委員から事案の概要の説明と「参院選の比例代表選挙の仕組みが理解されていなかったため、選挙の公平・公正が害されることになった」との問題点の指摘があった。また、参加者からの「参院選で同じような事例が続くことをどう考えるか」との質問に、川端委員長は「新聞などと違い放送は電波という公共財を使っている以上、一定の公共性が要求される。参院選の前の今年4月にも、民放のバラエティー番組について委員長コメントを出し注意を喚起したが、選挙制度をきちんと理解しない限り、同じような問題を起こすことになるのではないか」と指摘した。
さらに、各局からリクエストの多かったローカル局の問題事例が、事務局から紹介された。ニュース情報番組で、コメンテーターがある金融機関が破たんしかねないと誤報のコメントをして騒ぎになった事例、午前の情報番組で、フリーマガジンの読者として編集部の関係者を登場させた仕込みの事例などで、「ローカル局のミスは、生番組のコメントと、インタビュー取材の2点に集約される」(事務局)との説明があった。
参加者から「このような事例を聞くと、放送業界の人材育成に何か問題があるのではとも思えるが」との質問に対し、川端委員長は「制作現場を支えている制作会社社員に対する十分な研修などがなされていないこと、また、以前は制作会社にも社員を育てていく余裕があり、社員もキャリア・アップの希望が持てたが、現在はそのようなモチベーションが持ちにくいというのが非常に大きな問題と思う。また、放送局側の社員間でもベテランと新人の間に壁があり、本来は毎日現場でできるはずの教育も、実は上手くいっていないケースもあるようだ」と指摘した。
BPOや放送倫理検証委員会に対する質問のコーナーでは、「BPOが怖いという思いから、バラエティーの表現の幅が狭まっている風潮があるのでは」という質問に対し、川端委員長から「『最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見』にもバラエティーは何でもありと書いたが、これで面白い番組が作れると確信するなら自信をもってやってほしい。世間の人がいろいろ言っても、こんな面白い番組を放送するなというほうがおかしい、という意見書を書いてもいいと思っている」というエールが送られた。
最後に、川端委員長から「サリンジャーに『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』という小説があるが、だだっぴろいライ麦畑で夢中になって遊んでいる子供たちが、よく前を見ないで走って崖から落ちそうになるのを捕まえて、けがをしないように適切なアドバイスをするのが我々の役割と考えている。皆さんの側でも自主的・自律的に放送内容を改善して、視聴者にテレビって素晴らしいねと思われるような放送を是非、実現していただきたい」とのメッセージがあり、意見交換会は終了した。

今回の意見交換会終了後、参加者からは、以下のような感想が寄せられた。

  • 交換会では、審議入りした内容について、現場のヒアリングなど、その経緯の報告に細やかな配慮も感じました。問題は問題だが、その背景を探り、問題点を明らかにしていく姿勢の中に、現場を委縮させたくないという思いも垣間見え、非常に暖かくヒューマンなものを感じた次第です。弊社の現場の若い社員たちにもっと参加してほしかったと残念な思いもありますが、まずは、コツコツとBPOの報告書などを現場の皆さんに共有してもらい、「気づき」のレベルを上げていく努力をしていかなければ…と気持ちを新たにさせていただきました。

  • 問題の発生を恐れてモザイク、ボイスチェンジを安易に使う傾向があることについて「危惧している。匿名、顔を隠さなければインタビューを放送できないのであれば、放送しないくらいの気持ちでやってほしい。現場で了解を取る最大限の努力をしてほしい」との委員の発言は、改めて取材の姿勢について考えさせられるもので印象的だった。

  • 実際に何か起きてしまったときのことをよく振り返ってみると、どこかに、「そういえば何か変だな~とちょっと思ってた」等、誰かに何らかの気づきがあったかも、いやあったと思います。これを、遠慮せず口に出すことが、不体裁や事故を防ぎ、倫理や人権に配慮した番組につながると思いました。

  • 質問タイムでは、放送局側の質問に対しBPO側が答えて終わるという、一方通行なやり取りが多かったことが気になりました。松江市での開催は今回が初めてというとても貴重な意見交換の場でしたので、ひとつの質問から議論が広まるような雰囲気づくりができていればと感じました。

  • 委員の皆さんが、想像以上に我々報道側の立場もきちんと理解しようと努力され、その中で視聴者側との折り合いをつけていこうという真摯な気持ちを持たれているという印象を受けました。今回の意見交換会では、いつも厳しい目を向けられがちな我々マスコミに対し意見や考えも聞いて下さり、うれしさと驚きを感じました。

  • 個人的には「何と言われようとBPOが守ってやる、と思えるような面白い番組を作ってほしい」という川端委員長の言葉に意を強くしたところです。

以上

2013年12月4日

福島県内の各局との意見交換会を開催

福島県内の各局と放送倫理検証委員会との意見交換会「福島を伝え続けるために――放送倫理を軸に」が、2013年12月4日、福島市内で開催された。参加者は、放送局側からは、福島テレビ、福島中央テレビ、福島放送、テレビユー福島、ラジオ福島、エフエム福島、NHK福島放送局の全7局から21人、委員会からは、水島久光委員長代行、小出五郎委員、森まゆみ委員の3人である。第1部で、水島委員長代行が放送倫理検証委員会の基本的な考え方について説明し、第2部では、福島の放送局が抱えている具体的な問題について、意見を交換した。

◆第1部 委員会の議論から福島の報道を考える◆

第1部では、まず水島委員長代行が、意見交換で基調となる放送倫理検証委員会の基本的な考え方について、これまでの4つの委員会決定に基づいて説明した。この中で水島委員長代行は、これらの意見書から読み解くべきポイントとして次の2点を挙げた。
1つは、放送の使命を実現していくために、それを脅かすように作用する政治的な力や経済的利害、ルーティンにはまってしまっている自分たち自身などに対して、我々は常にケアしなくてはいけないという点である。もう1点は、具体的なリスクがどこに潜んでいて、どういうところでそれを踏み越えてしまうのかという点を、ポイントとして読み解くべきであると述べた。
そして、これまでの検証委員会での議論を振り返って改めて感じたこととして、「信頼」は放送倫理基本綱領の中でも特に注目したい言葉で、それは日々の活動の中で作られるものであり、目標・目的であると同時に、次なる番組作りの前提となるものだと述べた。
水島委員長代行の話はこちらpdf

 この後の質疑応答では、「光市のようなケース(委員会決定第4号)であっても、どこかに冷静で客観的な視点があれば、バランスは保てるのではないか」「ブラックノート(委員会決定第8号)のように社会的使命と取材手法とがせめぎ合うような場合、局としては社会的使命に照らしてこれ以外に方法はないと思ってやったとしても、必ずしもそれは支持されるとは限らないので躊躇してしまう」などの意見や感想が出され、水島委員長代行は、すべての事案はケース・バイ・ケースで、個別具体的、かつ自律的に判断するべきであるという委員会の考え方を、あらためて示した。

◆第2部 「分断」「温度差」「風化」を乗り越えるために◆

第2部では、事前の聞き取りやアンケートの結果から設定したテーマに基づいて、各局が簡単な報告をしたあと、委員と意見を交換した。

1.放射線の健康被害に関する考え方の違いによる「分断」

  • まず、現在、福島県民の間で生じているさまざまな「分断」のうち、放射線の健康被害に対する考え方の違いから生まれる「分断」について、放射線情報をどう伝えるか、その「分断」をどう乗り越えるかについて、各局から以下のような報告があった。

  • 問題提起のきっかけとして2013年2月に県内の5,000世帯に対して郵送で行ったアンケート結果を紹介すると、放射線について不安を感じている人は8割、人間関係や発言の内容に気を使うようになった人は7割、憂鬱な気分が続くようになった家族がいる人は5割、7割近くの人は家族の誰も避難しなかったけれども、そのうちの4割近くは避難したくてもできなかった、などである。放射線の問題については、被害の拡大を防止したいし、何か出来ることはあるはずだと日々思っているが、中立であったり両論併記の報道をしていると、非常にもどかしく感じることがたびたびある。納得いく判断が出来るような情報を視聴者にきちんと伝えていくことを最低限のスタンスにしたいと思い、毎日、悩みながら報道に当たっている。(テレビユー福島)

  • 原発事故から1000日目を迎えても、放射線の健康への影響については、我々もグレーとしか答えようがない。いろいろな情報を示して視聴者の方に判断してもらうしかないと思っているが、日々こうした情報に向き合っている我々でもこんなに難しいことを、一般の人に判断できるのか、という思いがある。健康被害に関する情報については、いつも判断のたびに揺れていて、やはりデータを蓄積するしかないと思っているが、一方で健康調査を受けたくない人もいて当然とも思うので、全員受けるように呼び掛けるべきかどうか考える。食品に含まれる放射性物質の情報にしても、国の基準は下回っているが10とか20ベクレル程度の場合など、どのように伝えるか、日々、葛藤の中で伝えている。(福島中央テレビ)

  • 福島県に暮らす私たちには、たとえば先ほどのアンケートの話にもあったが、避難したか/しなかったかの、ゼロか1かで割り切れないような思いがある。そうした人の内面を少しずつていねいに拾い、放送することで、立場が違う人たちが少しでもお互いに理解できるようなことにつながり、「分断」の溝を少しでも埋められれば、というのが今一番思っているところだ。放射線に関する情報については、これから廃炉になるまで数十年、専門的な知識を、この実地の取材の中で積み重ねていくということが私達に求められていることなのだと思う。そして、ある程度道しるべを示せるようになることが信頼につながってくるのかなと思っている。(福島テレビ)

各局からの報告を受けて、小出委員が以下のように意見を述べた。

小出委員:放射線の影響について、白黒はっきりした情報を伝えたいけれどもなかなかそう断言できないところがあって非常に迷いがあるというお話だったが、私も全く同感だ。このような場合、どのように話せば分かってもらえるかということだが、ポイントの1つは「分からないところはどこか」ということだ。「このことについては分かっているが、このことは分かっていない。この問題はそういう状況にある」ということをまず分かってもらわないと、そこから話が進まない。その上で、分かっていない理由は何か、さらに、いつになるとそれは分かってくるのか、ということも必要だ。2つ目は、不確実な問題というものには、科学的な側面と社会的な側面の両方あるので、そういう問題の構造に乗ってものを伝えると、分かってもらえるのではないかという気がしている。そしてもう1つ大事なことは、代替案だ。代替案を複数提示して話をすることが必要だろう。
こうした「何とも言い切れない話」ではいろいろな情報が発信されるが、キーポイントとなるのは、それが公正で透明なプロセスから出てきた情報かどうかということだ。放送局は情報のプロセスをチェックし、公正で透明性のあるプロセスから出てきた情報は、きちんと伝えていくべきではないかと思う。もう1つのチェックポイントとしては、迅速に出てきた情報か、ということがある。いろいろ考慮された結果出てきた情報というのは、あまり信用出来ない。
そしてもう1つ大変重要なことは、その時、最終的にものを決めるのは誰かということだ。不確実な問題というのは、科学的な問題もあるけれども同時に社会的な問題も非常にあるわけで、そうなると、地域社会が決めることが最優先なのではないかと思う。政府や企業が決める話ではない。これが、こういった問題の一番基本的なスタンスだと思う。
リスクコミュニケーションでALARAの原則というのがある。ALARAとは、as low as reasonably achievableの頭文字を取ったものだが、科学技術の問題とそれから社会経済、政治的な問題というものをいろいろ勘案して、被害を一番合理的に最小限になるように調整していくという原則だ。ここで一番大事なのは、社会的合理性と科学技術的合理性とのバランスであって、Aさんの説とBさんの説ということではない。
情報の伝え方について、今、皆さんがおっしゃったようなことは、私も常々感じている。けっこう悩みながら、「どう言ったらいいかな」なんて顔を見ながら考えるようなところがあるわけだが、長いこと話して、顔もお互い分かって、言葉の意味するニュアンスが分かってくるぐらいまでいかないと、なかなか有効に話は伝わらない。対面で伝えるのが一番だろうが、放送でも、ある程度できるのではないかと、期待を込めて思っている。

科学ジャーナリストである小出委員の発言の後、質疑応答に入った。多様な立場の放射線の専門家からじっくりと話を聞く一般公開番組を制作し、自社のYouTube公式チャンネルに公開しているテレビ局(テレビユー福島)から、放射線の影響に関する情報の伝え方について、かなり専門的なレベルでの質問が続いた。小出委員は、「あるデータを取り上げる時には、このデータはここまでは言えるけれどもここから先はちょっとあやふやなんだとかの条件を付けるなど、データの見方について、ある程度時間をかけて伝えていかなければならないのではないかと思う。情報の出し方は重要で、情報公開のプロセスに不信感があったら、何を言っても通じない」などと述べた。

2.さまざまな「分断」を考える

放射線の考え方の違いによる「分断」以外にも福島で生じているさまざまな「分断」について、意見交換を行った。まず、局の方から以下のような報告があった。

  • 2013年3月、震災原発事故2年のタイミングに合わせ、ニュース番組の中のシリーズ企画で、原発事故の避難者が多く暮らす自治体で生じた避難者と地元の人たちの軋轢についてレポートした。「こんな軋轢もあるけれども解決に向けた模索も始まっている」という内容で放送したのだが、かなりの反響が寄せられた。伝える前からこうした問題は難しいだろうとは思っていたが、問題提起をするという狙いで放送した。放送したことに加え、多くの意見をいただいたことについても意義があったと思っているが、同時に、様々な立場の人たちの思いをしっかりと汲み取って報道することの大切さやバランス感覚が大事だということを再認識させられた。(NHK福島放送局)

  • 事故から2年9ヶ月が経ち、避難されている方の中でも意見や考え方がかなり分かれてきていると感じている。たとえば、自主避難を含めて避難した方と残られた方の考え方の差、食品の安全性に対する考え方の違い。こうしたものはなかなか埋められない。また、補償がもらえる、もらえないのお金の部分での分断も起きている。
    多少間違いがあっても、はっきりものを言う方に一般の人が引っ張られていってしまう傾向が強いような気がしているが、そうした物言いが多いネットの世界と比べ、我々放送局は、視聴者側から見れば、問題提起をするだけで判断をせず、非常に中途半端というかあいまい、と受け取られているような気がする。それがテレビに対する信頼性を損なわせていく一因となっているような気がしている。(福島放送)

これを受けて森委員が以下のようにコメントした。

森委員:私たちは、自分たちの地域でお互いのことを考えていこうと、『谷根千』という雑誌を30年前に始めた。30年の活動の中で、みんなで集まってみんなで考えていくネットワーク、そこでは自分が本当に考えていることを話しても非難されないという場所、を地域の中に作ってきた。震災以降はそこを中心に動き、被災地応援や脱原発デモなどの映像を全世界発信し、自分たちでエネルギー問題など勉強する会もやった。こういう、冷静に物を見られる人たちの核を地域の中に作って放送局の応援団にしていくことは大事だと思う。そうしないと、相手が見えずに、ちょっとした声に怯えて自主規制してしまうことになるのではないか。既にNPOやNGOのある地域ならそういう人たちとつながって、その地域でどんな声が上がっているのかを絶えず探ることは必要だと思う。
放射線については、子どもたちの住環境や健康調査の記録を取り続けることで将来に備えるということが、すごく大事だと思う。水俣病と同じく被害者が立証責任を負わされることになるのではないかと思うので、その時のために、住民の健康についてのデータを積み重ねていくということも、メディアがしなくてはいけないことだろうと思う。
忘れられてしまいそうな事象も記録しておくということが大事なのではないか。昔、『解体ユーゴスラビア』という、ユーゴスラビアに住んでいる日本人女性の目を通して近所に暮らす人たちのかそけき生の声を拾った本を読み、とても感動した。日常の変化や言葉の中に、いろいろな問題の萌芽が詰まっている。だから私も、3月11日から、そうしたことをブログに書き続け、それをまとめて『震災日録』(岩波新書)で出した。
私は畑を持っていた宮城県南部の丸森町にお手伝いに行くが、宮城県全体が北部のリアス式海岸の津波復興のほうに目が向いてしまっていて、放射線値の高い南部の方にはあまり関心が向けられていない。逆に福島県では、やや放射能のほうに関心が強まっているために、海辺の津波被災地がどう記録されているのかということも心配になる。

森委員の話を受けて、ラジオ局のアナウンサーから、生放送のインタビュー番組で、放射線量のリスク評価が自分とは異なる人に対するリアクションに困ったという発言があった。森委員は、「同様なことは私も経験した。立場によっていろいろな考えがあって仕方ないが、率直に語り合える場をできるだけ作りたいと思っている」と答えた。

3.さまざまな問題を乗り越えるための各局の取り組み

続いて、ラジオというメディア特性を生かしたラジオ局の取り組みや、「温度差」や「風化」の問題を乗り越えるためのテレビ局の取り組みが紹介された。

【ラジオ局の取り組み】

  • 震災が起きてから1ヶ月間、24時間、情報を発信してきたが、リスナーの方の「子どもがなかなか寝つけないので子ども向けの音楽を流して欲しい」との声を耳にして、子どもに聞きやすい歌を流したりした。通常の放送に戻ってからは、FMとしてやれることは何かと議論を進め、放射線に対する質問に答える番組を約1年ほどラジオ福島さんと並行してやったり、『風評被害をぶっ飛ばせ』という番組を約1年ほど放送したりした。米の生産者の力になろうということで、田植えも収穫も行い、放射線を測定して安全であると訴える番組も作った。田植えの時は復興大臣と郡山市長にも参加していただいた。
    現在の取り組みとしては、やはりラジオは音声が主なので、音楽の力を信じて積極的にできるだけ明るい音楽を流している。「元気をもらった。ありがとう」という返事をもらったりする。するとアナウンサーが、「また元気をもらいました」と。そのような双方向的なラジオの特性を活かして、現在も番組では明るめの音楽を中心に、音楽を生かした放送を積極的に行なっている。(エフエム福島)

  • 震災以降、私たちが取り組んできたこととして、1つは、被災者の生の声をできるだけ出そうと、毎日、番組コーナーで電話インタビューをしたり、中継車を出して、いろんな取り組みをされている方を紹介したりしている。もう1つは、できるだけ制作者の意図を介さずストレートなお話をしてもらおうと、震災の年からずっと月曜日の19時から21時まで2時間の生番組を組んでいる。
    放射線関連の問題に関しては、ラジオは数字を伝えるのが非常に苦手な媒体だが、できる限りデータをそのまま伝え、科学的な根拠に基づく情報を出して行きたいと考えている。震災以来2年数ヶ月の間の大きな出来事として、東京発の情報ワイド番組をシーズン途中で止めたという事があった。ゲストコメンテーターの方が、根拠のない、あるいは科学的根拠に乏しいような、あるいは福島県民を翻弄させるような発言を繰返しており、制作局に問題を指摘したが満足な訂正がされず、私どもでは番組を打ち切った。いろんな悩み方をしながら、毎日、番組編成だったり制作をしている。
    放射線関連の問題に関しては、臨時災害FM局の南相馬ひばりFMさんと番組交換をして、南相馬ひばりFM制作で、東大医科研の先生が南相馬中央病院でボディカウンターの実測値を元に内部被曝の影響を説明されている番組を、私どもで放送している。臨時災害FM局との連携は富岡町のおたがいさまFMともやっており、互いに連携して、心のつながり、被災者の心のつながりを作っていこうというとしている。
    「分断」というテーマがあったが、福島県と私どもラジオ福島の企画「ふくしまきずな物語プラス」に寄せられた作文を見る限り、心の分断を叫んでいるものは意外に少なかった。ラジオはフォーラム的な話し合いの場を非常に作りやすいメディアなので、今後、我々が県民のために役立つことができる方法がおそらくまだまだあるだろうと、さきほどの森委員のお話を聞いて思った。
    小出委員から話があった社会的な合理性と科学的な合理性についても、冷静に考えれば落とし所というのがあるんだろうなとも考えられるが、被災県の福島としては、心証的に受け入れ難い。そういう部分を埋め合わせるメディアとして今後も努力していきたいと考えている。(ラジオ福島)

【「温度差」「風化」を乗り越えるためのテレビ局の試み】

  • 2012年の5月に福島市の小学校で2年ぶりに屋外で運動会が開かれた。それを全国放送するからということでキー局に送ると、キー局のデスクから「なんでマスクをしているところを映さないのか。マスクをしていないと、何の珍しい絵にもならないじゃないか。なんで全国ニュースで流すと思っているのか」と言われた。その時点でマスクをしている子は、小学校ではほとんどいなかった。その時は、かなり頭に来た。
    それ以来ずっと、キー局とは飽きるほど何度もケンカをした。キー局との中でも、このぐらいの温度差というのはある。(テレビユー福島)

  • 日々のニュースやドキュメンタリーは、ずっと発信し続けて行こうという話を社内でもしている。また、深夜帯だが、報道記者が独自の視点で作り、震災をみつめ直すようなコーナーを数年前から始め、ようやく軌道に乗ってきたところだ。ただ、全国的には、3年近く経つと、枠の確保といった点でもなかなか厳しい。西日本では、話題がもう東南海地震とその被害想定の話に全てすり替わっているような部分も感じる。番組制作では、弊社が制作しているバラエティー番組や旅番組等を全国の系列局さんに買っていただくという形で、福島県の現状を積極的にアピールしている。(福島放送)

  • NHKでは東京の全国ニュースの担当者の間でも震災や原発事故関連のニュースを積極的に集めて伝えていこうというマインドは定着しており、温度差は局内的にはそれほど大きくはない。工夫している取り組みとしては、県外に避難している人たちも見ることができるように、放送が終わったニュースをNHK福島放送局のホームページにアップしている。風化の防止に対しては、ネットワークを活かし、様々なチャンネルを通じて、地道に情報を発信し続けていくということに尽きると思う。(NHK福島放送局)

  • ネットに関する取り組みを報告する。ローカルのほうは、2011年の6月から月~金のお昼のローカルニュースをYouTubeの公式チャンネルにアップしている。夕方の企画ニュースも、項目を別に立てて200本くらいアップしており、現状では延べ260万回の再生回数があった。系列のほうは、2013年4月からFNNニュースローカルタイムというYouTubeの公式チャンネルに、被災3県の夕方のニュースのほぼ全項目をアップしている。これは、ありのままに近い福島の現状を知ってもらうツールとして有効だと思う。普通のニュースにこそ、普通に暮らす福島の人たちの姿が映っており、それが実は福島の空気感を一番正確に伝えていると思う。こうした普通のニュースは全国放送にはならないが、ネットでは発信でき、日本全国あるいは世界の方に見てもらえる。(福島テレビ)

  • ホームページでのニュースの動画配信は震災前から始めていたが、震災以降は、県外の避難者のために、夕方の情報番組のニュース部門で権利上の問題がないものを20分以内でアップしている。避難者が多い新潟と山形の系列局には、避難者にも直接関わるようなニュースを、原稿も送った上で配信している。全国の方には、ドキュメントで伝えていくのが一番分かってもらえると思って、ドキュメントの制作も心掛けている。国際放送の番組も作りながら福島をアピールしているが、終わりのなき戦いの中でスタッフも疲弊してきており、だんだん厳しくなってきているというのが現状だ。風化を防ぐために、全国ニュースで伝えたいと思うと、平穏ないつも通りの福島の姿が伝わらずに大変なイメージばかりを膨らませてしまうというジレンマがあって、その両方の福島をどう伝えるかが私たちの課題だと思っている。(福島中央テレビ)

最後に各委員が、各局の報告者に感謝の意を伝えるとともに以下のような感想を述べ、意見交換会は終了した。

森委員:大変ななかでジャーナリストとして鍛えられている方たちの話を聞き、勉強になった。私の通っている丸森や石巻でも、どうにか立ち上がる人たちが出てきている。福島でも、そういう立ち上がる人々のことを、私たちは是非知りたい。応援がしたい。行政が全国の市町村から支援を得ているように、放送局も、たとえば大学などの支援を得て、ドキュメンタリー番組などを作って欲しい。

小出委員:いろいろなことをうかがって、私も大変勉強になった。やはり基本的には信頼の問題だと思うが、信頼を作っていくには、人の問題、組織の問題、システムの問題と、3つぐらい要素があると思う。特にシステムについては、エフエム福島やラジオ福島の方たちの試みのように、視聴者のいる所に片足を置いたシステム作りを、試行錯誤しながらやっていくことが必要なのではないかと思う。
そういう試行錯誤自体が、日々の業務のリアリズムの中ではものすごく難しいと思うが、やっぱりそこは放送という仕事で生きている者の志の問題でもあるのかなと思う。私も、とっくに定年を過ぎてはいるが、長いあいだ放送に携わってきて自分の一部のようになっている所もあり、放送が大好きで愛している。主役である現役の皆さんには、是非、志を持ってやっていただきたいと思う。私たちはそのために応援をしたい、できることを何でもやりたいと、本当にそう思っている。

水島委員長代行:最後に3つほど申しあげたい。1つは、最初に検証委員会が議論してきた放送倫理の話をしたが、特に真実性の問題と公平・公正性の問題は大きなポイントだ。真実性や公平・公正性を自分自身に向かって問い続けるだけでなく、他者に対しても同じように考えることが必要なのではないかと思う。
2つ目は、さまざまな取り組みを自分たちの現場だけで抱え込むと大変になる時に、どうやって連携を作るかということだ。力を借りたり貸したりしながら問題に取り組んでいくことが、次の課題となると思う。福島以外の人たちとの連携も、大きな課題になってくるのではないか。
3番目に、私の大学では、学生たちが発災から1000日を契機に、震災や原発事故について改めて考える勉強会を始めているが、何度でも出会い直し、考え直すためにどのように情報を発信していくかが、これからの大きな課題になると思う。思い出したくないこともたくさんあると思うが、やはり出会い直すことで見えてくることや、分かることもあると思うので、これからはそういうチャンスを作ることができればいいと思う。みなさんには、これからの放送と地域のために、是非がんばっていただきたいし、私どもも、応援をしていきたいと思っている。

 

小出五郎委員は2014年1月18日に逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。

以上

2014年1月23日

NNN(日本テレビ系)中部ブロック各局との意見交換会を開催

日本テレビ系の中部ブロック(北陸・甲信越・東海エリア)8局と放送倫理検証委員会の委員との意見交換会が、1月23日に名古屋市の中京テレビ会議室で開催された。系列局を対象とした意見交換会は、前年度に続いて2回目である。
放送局側からは8局の報道部長など18人、委員会側からは小町谷育子委員長代行と斎藤貴男委員が出席した。

意見交換会では、まず斎藤委員と小町谷代行が委員会での議論などを通じて、日頃感じていることを述べた。
斎藤委員は「委員会で議論をすればするほど、放送は奥が深いと感じている。おかしな番組は、もっとチェックすべきだと思う一方、管理強化になって、記者や制作者たちの裁量をせばめる結果になってしまっていいのかという迷いもある。昔のように、ある意味何をやってもいいというのではなく、報道の自由を本気で守るためには、BPOも含めて自浄作用を発揮していくことが必要だと考えている」などと語った。
また小町谷代行は、検証委員会の発足当初から約7年間の活動を振り返って、「1期目の3年間は大きい事案が多くて『光市母子殺害事件の差戻控訴審』や『バラエティー番組』への意見書などがまとまった。2期目の3年間は、打って変わって比較的軽めの事案になったが、いろいろな問題点が表に出てきた。昨年からの3期目で特徴的なのは、以前の審議事案にそっくりな事案が出てきたことだ。繰り返し起きている問題を委員会としてどうとらえるかについて、議論を重ねている」と語った。
質疑応答では、「バラエティー番組は、モザイクをかけすぎているように思うが、ニュース現場でも、首から下のインタビュー映像が当たり前になりつつあることに悩んでいる」との質問に対し、小町谷代行は「最近、そういう映像が増えていることは気になっている。原則的には顔出しをまず交渉してほしい。そのうえで、個々の取材によって考えていくしかないのではないか」と述べた。また斎藤委員は「モザイクをかけた映像や、首から下だけの映像を使う必要がない場合も実は多いのではないか。本当に使う必然性のある映像なら、いろいろな工夫をして放送することは素晴らしいと思う」などと語った。
また「意見書では、組織上の問題やコミュニケーション不足の問題が、背景にある要因としてよく指摘されるが、実際のヒアリングで実感されているのか」との質問に対して、委員側からは「ヒアリングの中で具体的な状況を確認しながら、確信を得て書くようにしている」「委員会としては、原因や背景を掘り下げることによって、当該局だけでなく、他の放送局にも参考になる意見書にしたいと考えている」などの説明があった。
このほか、ネット上の画像などのニュースでの取り扱い方や、公表されたばかりの参院選関連2番組への意見書(委員会決定第17号)に関する質問などが、報道現場での日々の悩みとともに語られた。これに対して両委員からは、過去の具体的な事案の紹介だけでなく、法律家やジャーナリストとしての個人的な見解を交えた意見やアドバイスも披露された。
3時間にわたる意見交換を終えた参加者の間からは、「同じ系列局ということで、気兼ねなく本音に近い意見交換ができたと思う」という声が数多く聞かれた。

今回の参加者の感想の一部を以下に紹介したい。

  • 意見交換会では、BPOの意義や考え方、また番組へのご意見を聞かせていただけて、大変貴重な機会となりました。放送する側の私達がしっかりした考えや判断を持ち、それを制作の現場まで浸透させなければいけないという原点をあらためて確認いたしました。放送倫理を守りながら、かつ取材、報道、表現の自由を守るという重たい課題に、日々頭を悩ませていこうと思います。

  • 視聴者からの意見が、以前に増して直接届くようになり、批判を受けやすくなったテレビ報道の現場は、深く考えることなく安全な道を選びがちです。私たち自身が、視聴者のテレビを見る目をしっかり受け止めた上で、地に足をつけた対応が求められているのでしょう。テレビニュースの画面がモザイクだらけにならないよう、議論を深めていくことが大事だなと深く感じた意見交換会でした。

  • 委員2人のスピーチを興味深く聞かせていただきました。
    就任されて日が浅い斎藤委員は、番組づくりの現場に触れた率直な感想を述べられていました。「言論の自由を守ることは口で言うほど簡単ではない」という言葉が印象に残りました。
    発足当初から委員を務められている小町谷代行は、3期目は「デジャヴ」のような事件が相次いだと話されていました。これはBPOがまとめた意見を業界全体として教訓にできていないという意味で、重い指摘だと思います。

  • BPO委員のおふたりが我々テレビ局側の質問に対し、とても率直に、忌憚無くお答えいただいたのが印象的でした。我々からの質問には「こうした事案ではBPOの判断の基準はどうなのか」といった、BPOがルールを決めているかのような類のものも、いくつかありましたが、「それは放送局の責任で決めるしかない」と、ある意味当たり前の答えをいただいたのは、とても「目からうろこ」でした。この意見交換会を通じて、率直にテレビ局への愛ある叱咤激励、エールをいただき、非常に委員を身近に感じられ、BPOを頼もしくさえ思えました。

以上

5周年を迎えて 川端和治委員長インタビュー(2012年4月12日収録)

5周年を迎えて
川端和治委員長インタビュー(2012年4月12日収録)

放送倫理検証委員会は2007年5月に発足し、以来放送事業者に対する数々の委員会決定を公表してきました。5年間の区切りとして、発足当時から委員会をまとめてきた川端委員長に、重松清委員(2010年から委員、2013年退任)がインタビューを行いました。

シンポジウム報告 2008年5月

シンポジウム報告

放送倫理検証委員会発足1年を機に、東京大学大学院情報学環との共催により、2008年5月、シンポジウムが開催されました。

2008年5月

「事件報道と開かれた司法~裁判員制度実施を控えて~」

光市事件の裁判報道や香川県坂出市の祖母・孫殺害事件をめぐる報道、さらに、これらの報道のあり方と裁判員制度を議論する中で企画された。

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以上