◆概要◆
青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的の為、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、岩手県の放送局との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、2018年11月19日の14時から17時まで、「意見交換会」を開催しました。
BPOからは、榊原洋一 青少年委員会委員長、緑川由香 副委員長、吉永みち子 委員と高橋宗和BPO理事が参加しました。放送局の参加者は、NHK、アイビーシー岩手放送、テレビ岩手、岩手めんこいテレビ、岩手朝日テレビ、エフエム岩手の各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など20人です。
会合ではまず、緑川副委員長から「青少年委員会が出してきた青少年が関わる事件・事故報道に関する見解について」を説明したのち、(1)「青少年が関わる事件・事故報道」について、(2)東日本大震災をはじめとする「災害報道における子ども、被災者への配慮」について活発に意見交換がなされました。最後に地元放送局を代表して岩手朝日テレビの長生常務取締役報道制作局長からご挨拶をいただきました。
〈青少年委員会が出してきた青少年が関わる事件・事故報道に関する見解について〉
(緑川副委員長)これまでに、BPOの青少年委員会が、幾つかの提言であるとか要望等を発表してきているが、本日はこの中から、青少年がかかわった事件や事故報道について、青少年委員会が出した提言や要望について、簡単に概観をご説明させていただきます。
BPOの青少年委員会が発表した4つの見解については、まず1番目として、2002年3月15日に、「衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮」について提言を出している。続いて、2005年2月19日に、「児童殺傷事件等の報道」についての要望を発表している。3番目に、2012年3月2日に、子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望を出している。直近のものとして、2015年4月28日に、ネット情報の取り扱いに関する委員長コメントを発表している。
1番目の「衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮」についての提言。これは2002年3月15日に発表したもので、当時、1997年の神戸の少年連続殺傷事件、この発表の前年にあった2001年の池田小学校児童殺傷事件と2001年のアメリカ同時多発テロ事件、これらの重大な事件が続発する時代状況において、衝撃的なテレビニュースや報道番組の子どもへの影響を議論し、放送関係者に対して問題提起をしたものである。
まず、ジャーナリズムの責務と子どもへの配慮ということで、テレビ報道が「事実」を伝えるのは、国民の「知る権利」に応えることであり、民主主義社会の発展には欠かせないものである。その伝える内容が暗いものであったり、ときにはショッキングな映像であったとしても、真実を伝えるために必要であると判断した場合には、それを放送するのはジャーナリズムとして当然である。子どもにとってもニュース・報道番組を視聴することは市民社会の一員として成長していく上で欠かせないということで、事実の報道が、知る権利に応えるメディアの責務として当然のことであるということを確認している。
他方において、子どもたちにはニュースの価値についての判断がつきにくく、また、ニュース・報道番組では、内容をあらかじめ予測することが難しいため、突然飛び込んできた映像にショックを受けることがある。そのため、テレビで報道するに当たっては、子どもの視聴を意識した慎重な配慮、特に子どもがかかわった事件の報道に際しては、PTSDを含めた配慮が必要になっていると考えるとして、子どもへの配慮の必要性について言及している。
その第1として、刺激的な映像の使用に関しては慎重な配慮をしていただきたい。衝撃的な事件や事故報道の子どもへの影響に配慮をすること。それから、子どもが関係する事件においても特別な配慮をしていただけるよう検討をお願いしたいとしている。
2番目として、「繰り返し効果」のもたらす影響には、特に慎重な検討と配慮をしていただきたい。映像から大きなインパクトを受けやすい子どもの特性に留意をしたときに、衝撃的な映像を繰り返し映すことによる子どもに対する効果というのに対して、特に慎重な検討と配慮をしていただきたいということを挙げている。
3番目に、展開的な要望として、子どもにもわかるニュース解説を充実させていくことを検討できないかと提案した。子どもに配慮した特別番組、それから保護者を支援する番組のための研究や検討ということで、子どもへの影響を配慮した特別番組や、影響を受けた子どもの心のケアに関して保護者を支援するような番組は、そういう状況が起こったときに急遽つくり上げることも難しいため、日ごろから専門家のチームと連携をとっておくことも検討されてはどうかという意見を出している。
次に、2005年12月19日に発表した、「児童殺傷事件等の報道」についての要望がある。これは、当時、2005年11月に広島小1女児殺害事件、同年の12月に栃木での小学校1年生の女児殺害事件、また、京都宇治の学習塾で小学校6年生の女の子が殺害された事件などが続いて起こっており、これらの事件の報道などを踏まえて、先ほど紹介した2002年の提言に加えて、特に検討を求めたい事項を要望したものである。
この要望でも、まず、先ほど紹介した2002年の要望の4点を確認しているが、さらに加えて、第1に、殺傷方法などの詳細な報道に関する慎重な配慮を求めている。模倣の誘発であるとか、視聴者たる子どもをおびえさせる影響を懸念した上での配慮を求めるとしている。これは、全裸であったとか、体中の血液がほとんどないというような描写があったり、その殺傷方法や、被害に遭った子どもの状況を詳細に報道することによって、子どもをおびえさせるというような影響があるのではないかというような点についての注意を求めるものである。
次が、被害児童の家族や友人に対する取材への配慮ということ。これは、被害を受けて心に傷を負っている子どもの心理的な影響に配慮して、取材については十分な配慮が必要なのではないかという視聴者意見が相当程度寄せられたということもあり、この点についても言及をしている。
また、委員会では、メディアスクラム的な影響について、どのように考えた上での取材だったのかというような意見も出て、検討しなければならない課題はまだ残されているという感想が出た。
この事件・事故に遭遇した当事者の心理に関しては、学術上も議論が分かれるところであって、デリケートな問題をはらんでいるということは重々承知の上で、今後も深い考察と議論を続けていくことを望むということで討論を終えている。
なお、その後、2014年4月に、栃木県で女児が殺害された事件で容疑者が逮捕される。これは事件から相当程度年数がたった後なのだが、その逮捕される直前の報道で、被害女児の当時の同級生のインタビューを顔出しで放送したことに対して視聴者意見が寄せられた。このときも青少年委員会で討論をした。「配慮が足りないのではないか」などの意見や、「事件の説明について配慮を求める」というような視聴者意見もあり、青少年委員会の委員全員が、その視聴者意見が寄せられた番組を視聴して、その上で討論した。
これについて、委員からは、当時、高校生になった被害女児の同級生のインタビューを見て、これだけ月日が経過したということを視覚的に感じられる効果があるのではないか。顔出しが一概にだめだという一律な判断ということではないのではないかというような意見が出た。また、事件の説明についても、リアリティーを出すための十分な検討がなされているのではないかという意見が出て、審議入りということにはしないで、討論のみで終わっている。
第3に、被害児童及び未成年被疑者の文章などを放送する場合については、やはりプライバシーや家族への心情などを配慮していただく必要があるのではないかという点を要望している。
3番目に発表した要望が、子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望ということで、2012年3月2日、ちょうど東日本大震災の1年後の直前に発表している。東日本大震災以後、震災報道を視聴することによるストレスについて視聴者意見が寄せられており、震災後1年を迎える時期に、放送局に対する要望を発表したものである。震災報道についての要望事項ということで、映像がもたらすストレスへの注意喚起。2番目として、その注意喚起については、わかりやすく丁寧にしていただきたい。震災ストレスに関する知識を保護者たちが共有できることが必要である。また、震災ストレスに対する啓発のための番組制作が必要である。また、保護者に対する情報提供ということも考えていただきたいということである。
次にスポットの映像使用に対する十分な配慮をお願いしたいということ。予告なく目に飛び込んでくるスポット映像の強い衝撃であるとか、子どもへのストレス増長の危険性を協議した上で、十分な配慮をお願いしたいということをこのときに要望している。
最後にネット情報の取り扱いに関して、これは委員長のコメントという形で出している。この委員長コメントを出したきっかけというのは、2015年4月に、ある情報番組で過激映像を流すサイトを紹介するコーナーで、それが刺激的な映像であり、また子どもも見る時間であったということから、視聴者意見が相当数届いたということがきっかけになっている。
私たち委員も視聴し、討論した。テレビにおけるネット情報の取り扱いについて、テレビという公共のための放送システムがこれから抱く可能性のある問題として問題提起をした。ネットメディアの情報をテレビが紹介したり、それに触発されて新たに番組を制作したりすることも、これから増えていくことが予想される。テレビ局の情報収集力は限られているが、ネット情報には、たとえそれが吟味されたものでないとしても、無限と言ってよいほどの収集力と提供力があるからである。そして、そのときにテレビ局の独自性と責任性がどこにあると考えるべきかを問題提起としている。テレビ局の方たちも、こういうネット情報の取り扱いについては、今いろいろ考えているところだと思う。
【意見交換の概要】
(1)「青少年が関わる事件・事故報道」について
【矢巾町立中学校いじめ自殺事件】…2015年7月5日岩手県矢巾町立中学校2年の男子生徒が、列車に飛び込み自殺した。生徒は、1年生の時からいじめを受け、担任教諭にいじめを訴えていた。
【岩手・不来方高バレー部員自殺】…2018年7月岩手県立不来方(こずかた)高校3年のバレーボール部員が自殺。バレー部顧問の40代男性教諭による行き過ぎた指導が自殺につながったと遺族は訴えている。
(事務局)青少年のかかわる事件・事故報道ですが、各社県内の事件とか、これまでで青少年の事件・事故、どんな事件でも、事故でも構わないので、取材時、編集時、また放送するに際し困ったこと、悩んだ事例というのがあったらご発言をどうぞ。
(放送局)不来方高校のバレーボール部の選手が自殺したニュースは、当初の段階から高校の名前を出すかどうか、それについて我々の間でも議論をしながら、慎重に扱いつつ、でも原則は実名というところもあるので、そういった状況の中で判断をした。
その選手が高校の部活の顧問の先生との関係において、厳しい指導が原因だと訴えていて自殺したという状況で、相手方が少年ではないというところと、強豪バレーボール部で起きたというところで、高校名は最初から出すことに決めたという状況がある。
また、自殺した生徒の名前については、遺族の意向も踏まえた上で、段階を踏んだ。当初は匿名だったが、遺族の思い、意向を聞いた上で実名に切りかえた。顧問の先生は、基本的には匿名でやっている。その中で、当初の段階では、高校名をどこまで出すかというところで非常に迷いながら、いろいろと相談しながら決めたというところがある。
(事務局)今の不来方高校バレー部の件では、社によって対応が分かれているという話もあるが、各局どのような対応なのか。
(放送局)弊社は、実はここ数日前というか、先週の段階で初めて高校名と、亡くなった生徒の名前を実名で報道している。原則実名報道というのは頭に置いた上で、生徒の名前等を出すことで、今高校に通っている生徒、バレー部にいる方たちへの影響がどうなんだろうという部分で、出すことで二次被害というか、そういった影響があるんじゃないかということで匿名にしていた。
以前であったら、指導で許されていたものが、今はもう行き過ぎた指導ということで、それが問題になる。時代が変わるにつれて、ニュースの中での扱いに非常に悩むところであり、それをニュースで伝えることが、どんどんその先生たちの指導を萎縮させてしまうのではないかというようなことも思ったりもして、その都度考えるが、なかなか難しいなと日々思っている。
(放送局)遺族の方が発信力があって、弁護士の方もそうなのだが、どうしてもそういった方々の声が強くて、逆に言うと、指導した先生の方の声はなかなか聞こえてこない、学校の声が聞こえてこないという中で、そういったバランスをどうやってとっていけばいいのかというところを悩みながら、放送はしている。
(榊原委員長)私たち(BPO)は報道の方法がいいかどうかを判断するところではなくて、それをどのように考え、かつ、つくり手と実際に聞く方がどういうふうに考えていくのかを検討するところなので、結論があるわけではないと思う。
小児科医の立場で申し上げると多分、皆さんがジレンマに陥られたのは2つのポイントだと思う。未成年の方の個人情報の保護というのはいつでも前提であるが、いじめという日本で独特とは言いわないが、非常に大きな問題であるのに、どうしても表面に出てこない。多分、隠匿される可能性があるいじめという問題に対して、報道としてどう考えるかということを悩まれたと思う。
もう一つが、遺族の方が希望されたという点。遺族の方が認めたから報道していいのかどうかという、なかなか難しい問題があると思われる。例えば、未成年のご本人がいじめにあって、自分が実名を出して訴えたいというように言った場合はどうするのかということと置きかえてみてもいいのかなと思う。
これは非常に難しい問題で、未成年の方が主張するということを言った場合に、いじめはあったのかもしれないが、もしかすると、いじめたとされている人の間で、片方だけの情報を出すことが妥当かというような問題も出てくる。
新聞が先行したり、SNS等でもう拡散している状況のなかで、このいじめという、放っておくと風化してしまう、あるいは出てこない問題に対して、報道というものがどういう立場を持つべきかというかなり大きな、かつ非常に難しい問題に直面しているのだと思った。
(吉永委員)いろいろ背景を考えると、例えば、その先生にも家族があるとか、この報道によって、何かまた次に苦しむ人が出てくるのではないかということを考え出すと、伝えられる情報が、大幅に制限されてしまったりしないのだろうか。その結果、我々受け手の側として見たときには、何が起きて、どんな背景があったのかわからなくなってしまうという側面がある。一体何が起きて1人の子どもが命を絶ったのかということが見えにくくなってしまうがゆえに、逆にさまざまな憶測が流れてしまって、どうなっているのか知ろうとすると、ネットしかなくなってしまうみたいな流れを作ってしまうような気もする。
例えば、子どもが自殺するということは、ある意味では命をかけた告発という側面もあると思う。それを真正面から受け止めて、学校が変わっていけるような報じた方はないのだろうかと考える。加害者もまた子どもなわけで、今度は逆に加害者がバッシングされたり、教師が叩かれたりして忘れていくのではなく、不幸な出来事を乗り越えて、いい形に生まれ変わっていけるために何が必要なのだろうか。
もうひとつ、匿名か実名かの問題。地元では匿名であってもみんな誰か知っている。私たち東京の人間とか九州の人間が、岩手で起きた出来事で「どこどこ中学校」「○○君」「○○先生」と実名であっても、ほとんど匿名に近い。全然わからない。
だから匿名というものが、ただ名前を伏せればいいのかとか、死んだ子どもについてと、加害側の生徒や先生や校長とは、また違うと思う。1人の人間が死んだときに固有名詞を出せないというのは、それまでその子の生きてきた時間が否定されるような気持ちも一方ではする。親御さんが、「その名前を出してくれ」と言ったときに、それでも匿名の死にされた時に、この子の一生というのは何なんだろうかなという思いもする。
(放送局)不来方バレー部の件に関しては、実名に切りかえるきっかけになったというのは、保護者の、お父様の意向がすごく大きくて、部活のパワハラというのを根絶したいという社会的な、言ってみれば使命のようなものを持って、弁護士とスポーツ庁に行って申し入れをしたり、鈴木長官と面談したりというような動きを実際にされている。それはもう保護者の方なり、弁護士の方なりがそのように広がりを意識して動いていて、そこに我々は引っ張られるような形で、今報道しているような状況だ。
それとはまた別に、中学生の自死のときは、振り返ってみれば、そのような広がりがないままに、ただ一方の言葉だけを追いかけざるを得なかった、忸怩たるものがあるが、既に今となってはその先生の言い分というのを、やはり最後まで、聞きたかったが聞けずに終わってしまったなというところがある。
(放送局)今回この不来方高校の件を見ていて、どうも弁護士さんに引っ張られ過ぎているなと。第三者委員会をつくる云々、申し入れた県教委、申し入れたらすぐにもう東京に行かれて、文科省に行かれたとか。そこで我々にリリースが来て、「東京へ取材に来られない社はご連絡ください」とか、そういう形になると、ちょっと待てよと。一方的に、僕らは引っ張られ過ぎているんじゃないかという、若干疑念も持った。
最近、直接取材しにくくなっている気がする。例えば、学校に行くと、校長先生ですら、もう「教育委員会に聞いてください」となると、まさに当事者の先生には、まずお会いできないような状況が多々ある。
矢巾のケースも、私は事件の後、1年半ぐらいして当時の校長先生にお会いしたら、「言いたいことは、実はいっぱいあったんだ」とおっしゃるわけだが、それがなかなか伝わっていなかったというようなところが問題で、この手の問題は両者の言い分をきっちり取材したいけれども、できないというような状況があるのかなという気がしている。
(榊原委員長)その「引っ張られるように」というのは、事実を言われたと思う。「ぜひ行ってほしい」と。ただ、そのときに、むしろこの「引っ張られるように」といっても、「この人が言っているからすぐ行く」というんではなくて、そこでどうすべきか悩まれたのだと思う。
つまり、報道というのは、加害者の親が「名前を出してもいい。ぜひ言わせてくれ」と言ったような場合を考えたとき、命を絶ったということの重みというのは、すごく大きいと思うが、主体的にどういうようになさるのかなと。
(放送局)多分、それは取材をしてみて、その発言の内容を見ながら、これが本当にそのまま放送していいのかどうか、それは周辺取材も含めて、事実なのかどうかも含めてを判断して、どうするかということだと思う。
(榊原委員長)ということは、これはいじめがあって、そのために命を絶ったんだということは、いろんな事情から明らかだろうという判断のもとに、出されたということですね。ただ、「いや、私たちのほうも言わせてくれ」と校長先生が後になって言われたそうだが、そういう場合に、裁判官であればどちらかに判断しなくてはならないが、報道の現場にいる方はどうなさるのか。伺いたいと思う。
(放送局)その言葉をなきものにするという権利はないと思うので、何かしら、やはり編集する者としての意識を持ってオンエアするしかないと思うが、そのバランスも考えつつだ。ここでシャットアウトするわけにはいかないと思うので。
(吉永委員)弁護士さんに引っ張られているのではないかというお話もあったが、こういうのは、結局は最初に学校という組織や教育委員会という組織が、個人の前に立ちはだかる。今までのいじめのパターンというのが、必ず教育委員会とか学校が否定する。組織や先生を守ろうとするところから始まっていく。
そうすると、もし自分が親の立場であったときに、どういうふうにしていいかがわからないわけです。個人として、何かいっぱい質したいことがある、聞きたいことがある、心の中に思うことがあるけれども、なかなかそのすべを持たない一人の親にとって、弁護士さんが付いてくれることで、やっと調査をしてくれたり、社会問題になる、みんなの共有する問題になるという側面もある。
素人が語れることの限界があるから、どうしても代弁者が前に出てくる。そのことが視聴者、見ている人にとって、すごく引かせてしまうというか、逆にその問題が、何かすごく歪曲されてしまう面もあったときに、どういうスタンスで臨むのか。報じるときにバランスをとりにくいのではないかという気がする。
(放送局)吉永委員が言うように、教育委員会、学校が先生を守ろうとしていると言いながら、実はあれは守っていないんじゃないかなと。守っているのであれば、言い分等々をしっかりアピールをすればいいと思う。守るというのが保身なのかどうか、そこらがどうしても伝わらないし、それを我々が、先生方の言い分をしっかり事実関係も含めて確認して、確認できたら、そこでバランスがとれるんだろうけれども、今のところ、そちらがどうも欠けているようなケースがちょっと目立つかなという気がする。
(緑川副委員長)私たちが弁護士として依頼者から受任して裁判をする場合、裁判で事実を明らかにして責任を追求する、損害賠償を請求するが、そのときに大事なのは、主張だけではなく、立証であって、その結果、最終的に裁判所に判断される。そこで初めて判決という形で結論が出るという手続きに慣れている。これから裁判をやって主張、立証をしていこうというときに、提訴の段階でメディアに公表するのを見ることが多くなってきた印象があるが、このような一方の主張を前提に公表するという方法を見て、戦略としてメディアを使うことが上手になってきているのかなというふうには思う。今回のこの件で、遺族の方の強い意向、それから弁護士の方が非常に熱心に活動されているというお話を聞いて、ちょっとそこのところを思った。メディアの方々がいろんな角度から働きかけをしていって、何かこぼれ出てきた反面的な事実があったときに、その事実を報道できるというところに報道の面白さというか、だいご味があるのかなというふうにも思っている。
(事務局)矢巾町の中学生のいじめ事件について、2016年に1時間のドキュメンタリーを制作した担当ディレクターさんが出席している。
(放送局)当時の担任の先生の声を入れられなかったというのは、やはりその一番のもどかしさというか。やはり遺族のほうが声が大きいので、どうしても我々もそっちのほうを取り上げるのだが、一方で私も先生のほうには、自宅とかに行って当たるのだが完全に取材をシャットアウトされ、もうどうすることもできないとなった中、片方の意見しか入っていないというところの葛藤というか、難しさはあった。ご遺族も息子の異変に気づけなかったとおっしゃっている中、一番近くにいた友達とか、先輩、後輩とかが本当は一番情報を持っているかもしれないというところでも、学校の「絶対話すな」という統制が敷かれて。でもそれを知るために私たちは行かなければいけないわけだが、それもどの程度行っていいのか。例えば、校門で待ち伏せをして、生徒さんが来て、それをずっと追いかけ回してもいいのかとか。その子は親友で、その子しか知り得ない情報を絶対持っているとわかっているときに、どう対応すればいいのかとか。そういったところは難しかったかなとは思う。
(榊原委員長)報道番組というのは、例えばある人が自殺したとなると、これは個人の課題であるのだが、その背景に社会的な問題があるということで、個人の問題として報道するのと同時に、社会的な問題、例えば学校のどうしても隠してしまう体質があり、それを解決するための方策のヒントになるようなことを報道することができる立場に皆さんはいるのではないかと思う。
(放送局)不来方の事案というのは、顧問の先生ということで、大人がいた。以前やった中学生のいじめ事件のほうは、学校という限られた中でのいじめ事件ということで、何となく一見似たように見えているけれども、結構、全然違うかなというところがあると思う。遺族の方が名前を出してお話をするというのは、この中学生の事件が先駆けだったのかなというような反応があるということを、まず言っておきたいと思う。やはり中学校という中で起きた事件の中で、どう本当に真実をつかむのか、事実をつかむのかというようなことで相当苦労していたということがある。警察とかいろんなところを取材していくと、どうも刑事事件になりそうだという情報を得てくると、これは中学生ということで、刑事事件になると加害者は少年法とか、いろいろなことが課題に上がって、逆に匿名性を強くしなければいけないなとか、そういうジレンマもどんどん出てくるという形になってくる。
(事務局)今、少年法という話が出たが、民法が2022年に改正されると18歳が成人ということだが、この先の少年法と報道でどのようなことが予想されるのか。
(緑川副委員長)少年法61条は、少年について推知報道をしてはいけないという規定があって、この少年法の成年年齢も18にすべきではないかとか、あるいはもっと厳罰化すべきではないかという議論は根強くされてはいるが、今のところ、少年法を改正するというような具体的なところには至っていない。
少年法61条というのは、家庭裁判所の審判に付された少年、それから少年のとき犯した罪で公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容貌などによりその者が当該事件の本人であると推知することができるような記事や写真を新聞紙その他出版物に掲載してはならないということで、氏名、住居、写真を出していないとしても、本人であることが推知されるような報道は禁止されているということになる。細かい話だが、審判に付された少年と公訴を提起された者なので、厳密に言うと、捜査中の者は入らない。ただ一般的に報道機関は、捜査中から少年法61条の趣旨に鑑みて自粛するというような対応をされているのではないかと思う。
インターネットは、現状の条文上は対象外ということになる。
また、罰則はない。したがって、この推知報道をされたということで問題になるのは、刑事事件としてではなく、通常、民事上の損害賠償請求として、その少年とか元少年から、メディアに対して、プライバシーの侵害などを理由に損害賠償請求をするという場面である。そのときに少年法61条というのが、違法性を根拠づけるものとして出されてくるという考え方になる。
結局のところ、裁判では利益較量の問題となると思われ、罰則を規定していない少年法の規定と、言論報道の自由を考えると、それは出来る限り社会の自主規制に委ねられたものであり、メディアは、日々こういう事件が起こるたびに自問自答することが、そのまま裁判所で問題になった事例において判断されていることになるのではないかと思う。
(2)「東日本大震災をはじめとする災害報道における子ども、被災者への配慮」について
(事務局)東日本大震災を経験した岩手の放送局として、青少年に限らず、被災者への取材時の苦労とか、特別な配慮、編集するに際しての苦労、対応等を聞かせてほしい。
(放送局)被災した当時、子どもたちに各局がメディアスクラム的な状態になって、それで本人も、嫌になっちゃったとかという話や、各局に出たことによって家族間で議論があって、「何で出したんだ」というようなこともあった。今、そういったことをもう一度、当時のことも含めて、それから今のことも含めて取材したいというふうに、当時子どもだったが、成人したとなると、例えば、本人は取材に応じてもいいというケースでも、親御さんが「勘弁してくれ」というふうなことで、家族間でまたそれでいろいろぎくしゃくするというような場合、やはり、なかなかこちらが取材をごり押しすることは難しい。そういう震災直後のメディアの対応が、結構今も引きずっているなというようなことになった場合に、なかなかそこはどういうふうに取材していくのかなということが、我々、現場としては悩むところだ。
(放送局)私は岩手県の宮古市というところで津波に被災したというか、取材をし続ける中で、ことしの3月まで現地にいたのだが、取材をし続ける中で、我々を含めていろいろなメディアの取材によって「もう二度とごめんだ」というのは、必ずしも子どもや青少年に限るものではなくて、それは大人にも共通していることだというのが大前提。特に子どもに関して言えば、思い切り津波をかぶったところなのだが、うまく避難をすることができて全員助かった保育所だとか、あるいは、一つの地域の中でその学校だけが残るというか被災を免れて、あとは全部やられてしまったというような所があったのだが、そういう所を、執拗にというか、当時のことを当然しゃべらせるわけなのだが、そういうことがあって、メディアの取材を学校もしくは保育所として受けないというところが結構ある。私自身も断られたのだが、それを修復するまでには数年単位の時間がかかった。取材はできるようにはなったが、結局行き着くところ、取材者の人間関係に尽きる。
被災地のそういう現状なり、事実とはまた違った真実というのをわかるためには、やはりある程度そこに住んで、あるいは接点を持ち続けるからこそできる部分というのが非常に大きくて、個人的な見解とすれば、ローカルの特色というか、そこで我々はずっと生きていくものだから、その我々がきちんとした相手との関係を築きながら仕事をしていくことが全てじゃないかなというふうに思う。
あともう一つは、自分がずっと住んでいて思うのは、東日本大震災ということに関して言えば、やはり発災当初にみんなが思っていた復興という姿が、どうやらその通りはいかないんじゃないかというものが、やや確信になる。復興というのは、震災前より当然いいものにするというのが復興で、もとに戻すだけでは復旧でしかあり得ない。そんな中で、取材していく中で、長年被災して、仮設で営業を続けてきた店なんかが再開をすると、ついつい言わせてしまいたくなるのが「復興してきましたね」とか、「前に進んできましたね」とか「希望の光が見えましたね」。作るほうも、見るほうも、そこである程度ハッピーエンドになるから、物としてはいいのかもしれないが、そこに暮らしている人に行けば行くほど、やっぱり不安というのは大きい。被災地で暮らしている我々ができるのは、本当の姿なのか。個人的には消化不良になっても、そういうものは伝えていかなきゃいけないのかなと思ったりしている。
(吉永委員)発災時、気も動転している中で、いきなり多くのメディアに来られたときに、どういう形で対応ができるのかというのは大人でも難しいので、子どもには相当難しいのではないかなというふうに思う。メディアが慣れていないのは普通で、緊張したり舞い上がったりして、精神的に追い詰められた感があったとか、あるいは、その質問されたことが、心に何か残って、それが後遺症みたいになって、いまだにそれを素直に受け入れられないものがあるのか。あるいは、とっさに言ってしまったことなので、本当は自分が言いたかったことではないところを放送されたとか、そういうことというのはあると思う。そのことによって、家族間で「おまえ、何であんなことを言ったんだ」とか、そういうことが心に影響していて、「もう二度と答えてはいけない」「そんなものは受けちゃいけない」という話になっているのか、どちらの感じが多いのか。
(放送局)例えばお父さんが亡くなったとか、そういう非常につらい立場にいる子どもがどうやって頑張っているかとか、割と前向きに、けなげに一生懸命頑張っていますみたいな、そういうタッチで描かれたケースが結構あったらしく、それに対して、どうも家族間で、描き方の問題なのか、受けとめたときに「こういう話じゃないだろう」というふうにあったのか。家族の間からいろんな意見があって「何で出したんだ」ということがあるようだ。その子どもがある種の像として描かれていくようなことに一つの違和感を感じたみたいなことはご家族が思っていたようだ。それからは「もう勘弁してください」ということで、背を向けたという。どういうことが原因になったのか、なかなか具体的にずばっと言えないが、いろいろそういう複雑な思いを持って、メディアの取材に対して感じてしまっているというのが現状のようだ。
(吉永委員)12歳ぐらいの子がもう20歳くらいになる。そうすると「あれに答えたばかりにこんな目に遭った」とか、いろんな思いがあると思うのだが、メディアとの関係性というのが、今後壊れてしまうのはとても悲しい。
(放送局)あの震災報道を経験する中で一番怖かったのは、あの福島第一原発の爆発したとき。あのとき、岩手に100人以上の人が系列取材団として応援が入っていたわけなのだが、何が起きたかわからない。けれども、すごく危険なことが起きているということはわかる。必死に携帯で、「全部の仕事をやめていいから」ということで、連絡をとっていった。そこのときに、皆さんや視聴者の方たちがおっしゃるメディアというのは、ある種の権力を持って、力を持って、取り囲んで取材してというイメージだと思うのだが、あのときは、本当にその犠牲者になるかもしれないという人がたくさんいるということ、抱えているというその心理状態においては、我々も余り変わらないと思う。地元で生きていくということの極端な例というのは、多分そういうことだと思う。我々だって被災するかもしれないし。そういう思いを持って、あのときは本当にやってきたわけで、そういうときに地元のメディアというのは、そういう権力を持ったメディアなんてとんでもない話で、自分たちも同じ立場で、自分たちの仲間の家族が亡くなったりしているということも知っているわけですから、そういう中で生きていくわけである。そういう中で、例えば中央のメディアが心ないことをして、「メディアは」ということで排除されるということもたくさん経験していますし、それを修復していくためには、多大な時間がかかると思う。ただ、我々に対して何か問題があったら、反省をしなければいけないと思う。
(榊原委員長)実際、現場におられた方からの非常に重い発言を聞いた。青少年の問題ということから言うと、子どもに対して、特に被災者である、かつ子どもであるという人への取材ということの持つ意味というのを、青少年委員会としては大きく捉えている。子どもが感じていることと家族が感じていることは、必ずしも同じではない。もちろん、子どもが大きくなって思い返してみると、自分が言ったことが不十分であった、あるいはそうは思っていなかったということもあると思うのだが、子どもの取材には、大きな課題がある。
それからもう一つは、子どもは特に心理的外傷に対して弱いという事実である。大人は子どもより、より客観的に見られる。客観的に見ても非常に大変な状況だけれども、子どもの場合は何が起こっているのかわからないということの中で、PTSDという、外傷後ストレス症候群というのが起こりやすいということもわかっている。例えば、災害の場面の画像を見るだけでも、PTSDが起きて夜寝られないとか、不眠になるとか、非常に衝動的になるというような行動が起こりやすい。被災者だけではなくて、アメリカの9.11のときの場合は、ビルが倒れるのを見た、全くその場にいない子どもたちが非常にたくさんPTSDになっている。
(放送局)ああいう大きな災害が発生した直後は、どうしても自分の頭の中で、通常のニュースをやる感覚に戻そうとする気持ちになってしまいがちになった。ただ、想像をはるかに超える被害が出ているというところで、だんだん通常のニュース報道の頭というか、規範というか、そういうものが徐々に、タガが外れるわけではないが、とにかく「見えたものはとにかく映せ」、そして「取材して、インタビューしろ」というようなことを指示していたと思う。だから遺体だらけの町や、そういう映像がたくさん残っている。最初、本当にもうどこを映しても悲惨な風景、まずそれを伝えていた時期があって、それからだんだん、避難所で凍えている人たちを取材するようになり、子どもは最初からは取材していなかったと思う。子どもに目を向けたのは、やはりちょっとずつ「毎日悲惨な風景だけ放送していても」という気持ちもあった。そういう中で、明るい話題というわけではないが、子どもを取材すると、受けがいいというのがまずあった。通常だとちゃんと両親に、あるいは学校の先生の許可を得て取材するというルールを持っていたが、やはりそのときもタガが外れて、直接子どもに話を聞いたりというような形をとっていた。
1カ月たって、あるいは1年たって、2年たってというときに、どういうふうにこの震災を伝えていこうかというときに、やっぱり思い出すのは子どもたちだった。その子どもたちと、何とかもう一度、あのときこういうふうになっていた子どもたちが、今こうなっていますよ。もう元気にやっていますよというのを伝えたいなという気持ちでアポイントを取ろうとするのだが、徐々に親御さんのほうから、やんわりと断られたり、あるいは取材を受けるのはいいけれども、テレビカメラの前でしゃべるのは嫌だというような子どもが多かったと思う。
サブで放送、映像を出しながら、あのときは泣きながらやっていた。あれほど大きなことがあって、タガが外れてしまった当時の私自身の中のニュースの報道に対する規範というのが、しばらく伸び切ったゴムのようになったまま報道してしまっていたなというのが個人的な反省でもあるし、その結果が、今なかなか心を開いてくれない当時の子どもたちの思いというのもつくってしまったのかなという自戒もある。
(放送局)7年8カ月がもう経過しているが、震災当日の状況を尋ねることは、今でも慎重にやっており、当時のことを思い出したくない方も多いし、逆に今こういう状況だというのを伝えるために、当時の状況というのを伝えなければならない面というのも当然あるし、そこは慎重に、出会ってすぐにその核心を質問するようなことを避けて、うまく人間関係をきちんとつくりながら、こちらの考えを無理に押しつけないで、引くときは引いてという形で今もやっており、今後もやっていかなければならないと思っている。
我々も被災地のテレビ局ということになるが、ただ同じ岩手でも、盛岡にいる人間と、沿岸で被災された方というのは、全然立場も違うので、もっと大変な思いをして毎日生きている方たちにきちんと寄り添って、伝えなければならないことは伝えて、被災した方たちを思いやる。風化していくのは止められない部分もあるが、それを少しでも食いとめるような報道というのは、していなかければならないのかなと思う。
子どもへの配慮だけではないが、津波の映像をしばらく使うのを避けているが、南海トラフ等が現実にいつ起きるかという状況の中で、津波の怖さというのを伝えなければならない。津波の怖さというのは、実際に被災した方たちへの配慮と、今後来るであろう大津波への備えという部分で、その映像の使用というのは、考えていかなければならないかなとは思う。
(榊原委員長)2つ皆さんに質問がある。震災のときのラジオというのは、テレビと違う働きがあったと思うが、それについての、何か思いとかがあったら伺いたい。それからもう一つ、皆さんに、先ほども津波の映像を出すことによってつらい思いをしている人がいると言いながら、風化させないために報道はされていくと思うが、その辺についての皆さんのお考えを伺いたい。まず、ラジオの方から。
(放送局)久慈と釜石に制作拠点があったので、ほぼ避難所の取材ということで動いていたが、マイクを向ける、向けないというのがあった。避難所に行って、許可のいただける避難所と、やめてくれという避難所があり、中には「頑張っている人もおられるので、そういう方ならいいんじゃないでしょうか」というお話をして、取材に出てもらったというのを記憶しているし、子どもにマイクを向けたというのはないと思う。
我々の放送は、ほぼ安否情報でつづられてしまう世界があって、来たものを読んで紹介している。「誰々さんから誰々さんへ」という形で。そうすると、その「誰々さんから」というのは明確に言っていいだろうけど、「誰々さんへ」というところを、余り具体的に言わないほうがいいんじゃないかという、そういうことは気を遣ってやっていた。
また発災の1日ぐらいのところは、支援情報みたいなものもどっと来るので、「どこどこでガソリンある」などというのもやっていたが、これもよろしくないなということで、やりながら淘汰されたみたいなことがあった。要は、そういう支援情報を届ける場合も伝えたいのだが、これをやったら、やはりいろんな混乱が起きるんだなというのが、だんだん見えてきたというような気がした。
あとは、その後からの声を聞くと、ふだんジャパニーズロックとか、そういうのをかけているのだが、こういう場合でそんなのはかけていられないだろうなというので、結局、童謡とか、アニメの子どもたちが喜ぶような曲とか、そのような曲をかけたところ、すごく反響があって、とてもそれで心が落ちつきましたとか、そういう声はたくさんいただいたという経緯があった。
(放送局)弊社では、現在も週1回のペースで被災地ネタというものを放送している。そのほかは、仮設住宅の住民を追ったシリーズというのもその週1回の枠の中に収容して放送している。年数が経てばたつほど、少しずつしゃべってくれる人が増えるんじゃないかという思いが、何となくイメージとしてあったが、逆に、思ったとおりいっていないというか、口を閉ざす人が多くなってきているのかなという印象だ。
その原因に、その取材のあり方等々に問題があったのか、あるいは、その対象者自身の生きざまか、ということはわからないが、いずれにせよ当事者にとってみれば、小学生で言えば、入学から卒業しても、なお月日が経つような長い期間を被災と地震の復興に充てているという、その人生というのは本当に大きいものなんだなということをつくづく感じいる。
仮設住宅も、いまだに人が住んでいるという状況。今残っていらっしゃる方々は、やはり経済的な部分だったり、あるいは自分の周りの家族との関係性があったりとかという形を考えると、非常に孤立感のある人たちで、我々は、「寄り添う」と簡単に言いながらも、本当はそういう人たちを取り上げなければいけないと思いつつも、そこに暮らしていらっしゃる方は、なかなかカメラの前でお話をしてもらえるには厳しいというような状況になってきている。風化させないというのは、やっぱり続けること。そして岩手に住む我々として、できることをやっていく、地道にやっていくことだとは思うが、実際問題やってみると、月日がたつからこそ簡単だと思っていたものが難しかったり、だけれどもやらなければいけないなというような、当然悩みながら日々取材をしている。
そして、今までなら復旧なり、再生の道を果たすということで、人にスポットを当てながら、その人なりの生きざまみたいなものを出せればよかったのだが、もうこの時点になってくると、もう少し大きな目で被災地を俯瞰しなければいけない。取材するほうも、どういう面から切っていくかということを考えなければいけないなという中で、続けるということが、やっぱり少しでも風化の防止につながるのかなという思いをしている。
ただ、「風化、風化」とよく言うが、少なくとも沿岸被災地の人たちにとってみれば、風化することはあり得ない。むしろ風化してしまうのは、やっぱり当事者ではない人たち。そこを含めた風化を防ぐということを考えると、この放送なり、テレビなり、ラジオの役割というのはすごく大きいなということを身をもって感じている状況だ。
(放送局)先ほどの津波の映像については、我々もずっと迷っているところで、今、弊社では「これから津波の映像が流れます」というスーパーでお断りをしてから映像を出すような形にはしているが、これは自己満足の世界なのかどうかとか、そういったところも含めて、今後、津波の映像をどうしていくのかというのは、すごく考えなければいけないなという気持ちでいる。3.11の教訓を、絶対に来ると言われている南海トラフにどう生かしていくのかとか、そういった考え方もあるわけなので、確かにあの津波の威力、津波が来たことの悲惨さというのは、やはり映像のインパクトというのはすごく強い。これはやっぱり伝えていかなければならないんだろうなと思いつつ、どうやって出していくのか、悩みどころだ。
(放送局)津波の映像については、基本的には積極的には使っていない。ただ映像の力というのがあるので、怖さ、そういった部分を伝える上で、あの映像を使わなければいけないタイミングというのは、どこかで出てくるかなと思っている。社内でも積極的に使いたい派と、まだだという派がいる。使うタイミングは、悩みどころかなとは思っている。
風化については、内陸にいる我々が風化している部分があるし、全国に伝えていかなければいけないというところももちろんある。被災3県の系列局があるが、毎月1回特集枠があり、持ち回りでやっている。3局とも同じテーマに沿った企画を放送している。福島県の原発を抱えている現状だとか、宮城県の漁業に関するテーマだったりとか、そちらのネタを岩手県で放送することにすごく意味があって、そこにヒントがあったりとか、ほかの2県のお話、なかなか全国ネットでも最近放送しないという中、ローカルで見られるというのは良いという意見も受けているので、そういった形で、岩手の局として、岩手の情報を岩手の方々に伝える。同じ悩みを抱えている被災地の2県の特集をあえて月1回放送して、それを伝えるというところにも、今、意味を見つけ始めている。
(吉永委員)外から見る災害と、うちの中で当事者として取材をしていくという、被災者であると同時に取材者であるという、その立場、とても複雑でもあり、難しいことでもあるのかなと思う。
発災から少し経ったころ、避難所から本が欲しいというリクエストがあったので、持っていった。津波の写真雑誌とか、私はそれを避けた。当たり障りのない楽しめる本を持って行ったら、避難所の人たちに、「津波の写真の本ないの?」と言われた。びっくりして「それは置いてきた」と言ったら、「それが見たい」と言われた。私たちは外にいて、全部見ているが、現場にいた人は、自分の町がどうなっちゃったのかがわかっていないと。だから「見せてほしい」と言われたときに、こちらが思っている思いやりみたいなものとか、現場の人が本当にその現実を知りたい。自分の身に何が起きたのか、この町にどんなふうに起きて、ほかのエリアはどうなっているのかという、知りたいという思いと、外から見るのと違うんだなということを感じた。
それと、「風化をさせない」という言葉が踊る度に、何を風化させないのか、風化させないとは何なのかと考えてしまう。メディアにとって1年に1回は思い出す日、終戦記念日と一緒のように、3月11日になるとキー局でも特番をやる。新聞も特集を組む。
この日にこのことがあったんだ。そこで大きな被害を受けて、大変な多くの人が命を落としたり、今まで営々と築き上げてきた生活を失ったんだというようなことを、この1年に1回思い出すことが「風化させない」ということなんだろうか。何かちょっと違うような気もする。「風化をさせない」というのは、もっとそこの現場にいた人たちの、無念というか、その中で踏ん張って生きていかなきゃいけないという思いというのを、風化させないということなのかなと考えてみたり、毎年3月が近づくたびにそのことを思う。
(榊原委員長)私たち当事者じゃない人間というのは忘れっぽい。社会をつくって生きている中で、やはりそういう人たちがいるんだということを、本当に、現地の人、被災者の方は、実際忘れようがない。毎日の現実なのだから。ただ現実でないと、やはり忘れるということがあるので、あのとき感じた共感というか、あれは何だったのかということを思い出すために、やはりやる必要があるのかなと。
もう一つ、お子さんの話が出ていた。8年たって大きくなったと。そうすると、子どもたちにとっても、そういうことがあったんだというようなことを伝えていくということは、意味があるのではないかと思う。
(緑川副委員長)災害報道ではないが、青少年委員会に来る視聴者意見で、子どもがまだ見ている時間で、子どもが見るような番組が終わって、その直後、そのままテレビをつけていたら、子どもが見て非常に怖がるような場面が、次の番組の紹介で出てきたと。こういう映像を突然出されると、「見たくなければ、見ないでいいだろう」と言われていても、避けることができないという趣旨の意見があった。事前にその辺りをテロップか何かで出してくれれば、親としては自分の子どもに配慮して、そのときにチャンネルを変えるとかできるという意見が出ることがある。これは津波についての意見ではなく、ドラマについて以前来た意見だったが、参考になるのではないかと思っている。
それから、被災者の方々のその後については、やはり私たちが日本人として知らなければいけないことだし、それを報道できるのはきっちりとした取材のできるローカル局の皆さんなのだろうと、皆さんのお話を聞いていて思った。
(事務局)最後に榊原委員長のから、まとめの一言をお願いします。
(榊原委員長)いじめに関する、あるいは自殺、その報道について、それから災害についての報道ということについて、私たちは、皆さんが非常に悩みながら、さまざまなことを考慮して番組をつくっているということを、非常に感銘を受けながら伺った。
皆さんの中には不本意と思われるような視聴者からの意見を一応お見せしたが、このような一般的な意見があることは、皆さんも知っておいていただきたい。これが必ずしもBPOの意見というのではなくて、こういうように十分理解してもらえていない人も見ているんだというのは一つの現実なので、提供させてもらった。
きょうのテーマの大切なことは、やはり社会的なミッションとして、災害報道を被災地として出していくこと。あるいは、報道にはいじめという社会的に大きな問題について、それをどうしたらいいのかということを広く社会に発信していくという、社会的な大きなミッションを持っていらっしゃると思う。
同時に、そこで対象になる子どもであったり、あるいはその被災者である、特に子どもの被災者たちを取材するときの大きな課題がある。その2つの問題を悩みながらつくっていらっしゃるということがよく分かった。私たちは本当に放送をいかによくしていくのか、国民にとっていい放送を提供するのかということを、どうすればお助けできるかという立場ですので、非常に勉強になった。きょうは最初の緑川副委員長から子どもの番組に関する私たちの要望や、少年法のお話もあったが、参考にしてもらって今後もよい番組をつくっていっていただけると、私たちの役目も果たせたのかと思う。本当にきょうは長い時間ありがとうございました。
(事務局)最後に閉会のご挨拶を、岩手朝日テレビ常務取締役・報道制作局長 長生正広様にお願いします。
(長生報道制作局長)僭越ですけれども、一言挨拶をさせていただきます。
本日は委員の皆さん、盛岡までお越しいただきましてありがとうございました。貴重な意見交換ができたというふうに思っております。
我々報道機関としては、青少年にかかわるニュース番組をどう扱うかというのは、ずっと悩むところです。我々の大先輩たちも、ずっと悩み続けている問題だと思います。
ただ、ずっと悩んでいるということは、要は100%の正解がないという問題だと思いますので、都度、物事が起こったときに、どうするかというのを各局とも判断され、ニュースですから、時間もない中で非常に厳しい判断を迫られることもあると思います。そういうことだから、各局で扱い方が違うことも多々あるのだろうと思います。
ただ、我々はこれからも、やっぱりこの問題に悩み続けて、正解はないんでしょうけれども、より正解に近い答えを出しながら放送していくということだと思います。
震災報道も、非常に難しい時期に入ってくるというのも、先ほども皆さんのお話にもありました。これからますます難しくなるんだと思います。吉永さんからありましたけれども、「風化させない」という言葉を風化させないということも大事かなと思いますし、我々は、中身でちゃんと風化させないような報道もしていくということかなと思います。
きょうの話を皆さん持ち帰って、現場とも共有しながら、よりよい報道に努めていきたいと思います。ありがとうございました。