札幌で「意見交換会」開催
放送人権委員会は9月4日(木)、札幌で意見交換会を開催した。在札幌9局から54名が参加し、委員会からは三宅 弘委員長、市川正司委員、田中里沙委員が出席した。まず、6月9日に公表された「顔なしインタビュー等についての要望~最近の委員会決定をふまえての委員長談話~」について委員長から基調報告があり、後半では、最近の「委員会決定」をもとに、人権や放送倫理について意見を交わした。午後3時から始まり、終了予定の午後5時30分を越えて、5時50分頃まで熱心な議論が行われた。主な内容は以下のとおり。
◆三宅委員長の基調報告◆
「顔なしインタビュー等についての要望」は、反響を呼んでいまして、ご賛同いただくご意見もあるんですが、どうも現場の方々には、「分かっているけれど、こんなんじゃやっていられない」というような意見が結構あるという話を聞いています。
なぜこういうものをこの時期に出したかというところからお話をさせていただきます。昨年の8月から今年の1月にかけて3件の委員会決定を出しています。一つは、「大津いじめ事件報道に対する申立て」の委員会決定ですが、「放送倫理上問題あり」というもので、放送の中で瞬間的に加害者とされている少年の名前が準備書面の中に出ている。通常の見方では分かりませんが、それがネット上に拡散されて行き、炎上して行くことについて、局がどこまで責任を負うのかが問題になりました。ネット上にアップロードして拡散していくところまでは局の責任は問えないけれども、そういうことを想定して、名前をなぜ消せなかったのかということが問題になったケースです。新しい時代、新しいメディア状況においての放送倫理のあり方を考えなければいけないということがあったわけです。
もう一つは、「大阪市長選関連報道への申立て」です。1分37秒のニュースで、初めに「スクープです」で始まって、「朝日放送が独自に入手した紹介カードの回収リストの件です」という話で進んで、回収リストを提供してくれた内部告発者の「やくざと言ってもいいくらいの団体だと思っています」ということで、大阪市交通労働組合を批判しているコメントが出たわけです。これは顔がないコメントで、後ろのほうから撮っている映像が出ました。内部告発者ですから、顔なしで撮るというのはやむを得ないと思いますが、顔なしインタビューの用い方ということで少し考える必要もあるのではないかということが話題になりました。
三つ目の「宗教団体会員からの申立て」の問題としては、宗教団体に入会した人の脱会カウンセリングのことと、信仰についての気持ちを書いた両親に宛てた手紙がそのままアップで出て、かなり鮮明にプライバシーの根幹に関わる部分が出ました。
そういう状況の中で、取材を進めて行くということと、名誉やプライバシーを保護するということの調整をどう図るべきかを現場で考えていただく上での指針を明らかにしておいた方が良いのではないかと考えました。実はこのテーマは4年位前から各地の意見交換会を行う際に、いろいろ議論してきました。当時は専修大学のメディア学研究の専門家である山田健太教授が自ら提案されたものをたたき台に議論したわけです。今回はその山田教授のたたき台をベースに約半年議論して詰めたものです。
I.情報の自由な伝達と名誉・プライバシーの保護など
冒頭のところは、かつてアメリカ人の弁護士が「法廷でメモが取れない」ということで裁判をしたところ、最高裁が「メモが取れなかったことは申し訳ない」という判断をした中に、表現の自由というのは何のためにあるのかということが書かれている一節があります。報道関係者にとっても、非常に噛みしめるべき一文であると思いましたので、それをまず冒頭に持ってきました。
表現の自由は、自己が自分の人格形成を発展させ、社会生活の中にこれを反映させていくという、これはいわゆる自己実現という表現の自由の意味合いが一つあります。他人に知られないままのものより、お互いに他人とコミュニケーションを取ることによって、お互いの人格形成に刺激を与えるということがまず基本だろうということです。後段は「民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保を実効あるものとする」としています。これは自己統治という、民主政治、民主主義国家において自ら表現するためには、まず知らなければいけないということで、ここに知る権利、国民の知る権利という発想が出てくるわけです。この要望には書いてありませんが、最高裁の判例で言えば、博多駅テレビフィルム提出命令事件の中にあるように、取材・報道の自由は知る権利に奉仕するという立場がまず基本にあるということです。
その次に、「高度情報通信社会において、他人に知られたくない個人のプライバシー、名誉、肖像などはみだりに侵害されることのないよう保護することも必要である」とし、情報の自由な伝達と、プライバシーや秘密保護の適正な調整ということが必要で、そこを放送関係者の皆さんが担っているんだという基本的な前提をシンプルな形ですが示しました。
表現の自由、それから知る権利に奉仕する報道・取材の自由というものがまずあって、しかし、その自由を行使することに名誉、プライバシー等の侵害があってはいけないということで調整するということです。
II.安易な顔なしインタビューが行われていないか
放送倫理に関して各局で出されているものの中には、事実の正確性、客観性、真実に迫る努力が放送倫理にとって非常に大事なことだと規範として書かれています。それから考えても、顔出しインタビューを原則とするということははっきり掲げていいだろうと思いました。
海外で見ますと、「国際通信社傘下の映像配信会社が…」というところですが、例外的な顔なしインタビューをするにあたっては、配信する上で理由を付記するというようなことがありましたので、日本ではあまり行われていない例も紹介したわけです。
ただ、理念的なことばかりでも良くないということで、東京の各局の夕方のニュースを顔が出ているものと出ていないもの、どういうところで顔を消しているかというようなことを1週間でしたが統計的に分析しました。ある局では顔が出ているが、ある局では出ていないというものもあり、あまり統一的な運用が行われていないと思いました。それから、刑事事件のニュースではない地域のごくありふれた出来事について周辺住民のインタビューをするのに、「なぜ匿名にしなければいけないのか」というものが多くあることが分かり、これはどういうところから来ているのか議論しました。そこで地域の出来事については、周辺住民のインタビューの際に安易に顔なしインタビューが行われてはいないかという点を問題提起しました。
III.安易なボカシ、モザイク、顔なし映像はテレビ媒体の信頼低下を追認していないか
テレビ画面では一層ボカシやモザイク、顔なしインタビューが日常化していますが、事実を伝えるべき報道・情報番組がこの流れに乗って安易に顔なしインタビュー映像を用いることがいいのかどうかという点で、少し価値判断的なことをここで書きました。
IV.取材、放送にあたり委員会が考える留意点
一つが真実性の担保の努力ということで、顔なしインタビューで映像を撮るときも、誰なのかということが検証可能な映像を確保するという努力も一方では必要なのではないかということです。二つ目は取材の対象者と、なるべく意思疎通をきっちりして、限られた時間であってもお願いをするように努めてもらうということです。最近、報道番組を見ていて、「消費税が10%になったらどうなりますか」というような質問で、皆さん税金のこと、物価が上がっていることについてストレートにいろいろな意見を言っていて、顔がきっちり出ているんですね。各世代、いろいろな立場の方が、こういう意見を持っているんだというのが、はっきり分かります。私は、「基本的に顔を出してやっていただくということを提言してよかった」と思いながら、各局のニュース報道を見ています。三つ目の取材源の秘匿ということは基本的な倫理であり、民放連の報道指針の中に書かれていることです。
次に、放送時においてどう考えるのかということですが、「大津いじめ事件報道に対する申立て」の問題のように、インターネットなどを用いた無断での二次的利用も起きる、そういう状況の下では、ボカシ、モザイク処理も思い切ってやっていただくことがあっていいのではないかということです。中途半端なボカシ、モザイク処理は憶測を呼ぶなど、かえって逆効果になるのではないかということで、「宗教団体会員からの申立て」の決定を踏まえたものも盛り込みました。
また、思い切って放送段階では使わずに、別の映像素材を出すということで、素材を替えることがあってもいいのではないかということを議論しました。
それから、モザイクやボカシの使用、顔なし映像の場合に画面上でその理由を字幕表示してはどうかということです。これはまだあまり行われていないことですが、海外の取扱いを見て、こういうこともあっていいのではないかということです。政府の情報公開制度では、原則情報公開、例外として非公開にするときに、「プライバシーの保護のために非公開にしています」ということで政府は非公開にするわけですが、同様に、なぜそこは黒塗りにするのか、ボカシを入れるのかということを原則公開と例外非公開の立場で考えてもらうということです。それは放送する側、それを受け止める国民サイドでも考えるということがやはり大事ではないかということです。
また、すでにルールのあるところは当然そのルールの徹底を社内で図っていただくし、社内ルールがあまりなくて、「系列局のもので応用しています」というところでは、さらに自前のルールを考えていただきたいということも提言しました。
V.行き過ぎた"社会の匿名化"に注意を促す
やはり基本は人がお互いにさまざまな意見、知識、情報に接して、摂取する機会を持つということの大切さを踏まえながら、あまり行き過ぎないように、プライバシーなどを保護するという、そういうモノの考え方を社会に定着させていく上でも、放送の持っている非常に大きな力というものがありますので、その点を意識しながら日常の仕事をしていただくことがこの社会全体のためになるのではないかということです。放送の使命のようなものについて、最後はちょっとエールを送りたいという気持で提言をまとめました。
私もこのテーマについては4、5年考えてきて、最近の委員会決定を踏まえて、この段階において委員会全体で考えた上で、社会に、また取材放送の関係者に提言をさせていただくことが、日本社会における放送のあり方に一石を投ずることになるのではないかと思っていました。思っていた以上に反響があり、「現場のことが分かっていないんじゃないか」というような話から始まって、たくさんの意見が出て私自身は良かったと思っています。この要望を踏まえて、さらにいろいろなことを現場で考えていただければと思っているところです。
■参加者からの発言■
□三宅委員長:犯罪現場に行って近所の人のコメントを取るということがあります。犯罪報道において周辺住民に被疑者について聞いたりするときは、顔なし、声も変えてということは、当然あっていいと思います。また、内部告発者の問題についても、慎重に扱いつつも真実に迫るという点から、少し検証可能な映像を担保することも考えるという点も必要かと思います。もちろん、それを放送するというわけではありませんが。
日常の、地域の出来事のいろいろなことを放送するのと、犯罪報道では違うと思っていますが、その辺は各局がきめ細かい判断をし、具体的な適用基準を考えていただきたいと思います。あまり事細かに「これはこうすべきだ」という談話にすべきではないと考えたものですから、細かく触れていませんが、是非、社内でいろいろ議論していただきたいと思います。
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原則、モザイクは無いほうがいいと思っています。この談話に関しては非常に感銘しました。その一方で、若手の記者などを見ていると、他局でモザイクをかけているし、後で処理すればいいということで意外と考えずに現場で撮ってしまうというケースもあります。取材を受ける方も根拠があって嫌だという方もいらっしゃいますが、なんとなく映るのが嫌だということがあり、十分話をすれば応じてくれる場合もありますが、時間がない時は顔なしでそのまま撮ってきてしまうというケースもあります。
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最近、学校現場の取材が非常に難しく、取材を申し込んでも、映っていい生徒、児童と映ってはいけない生徒、児童を分けるのは当然になっています。驚いたのは、運動会の取材なんかでも顔を撮ってくれるなという話があったりします。顔なしの駆けっこというのはどうかと思います。ちゃんと顔の出た取材というのをいかに実現していくかが難しくなっていると日々思っています。
もう一点あります。私どもの局では地上波で流れたものをそのままネットに上げるんですが、やはりネットに一度出てしまうと、これはほぼ永遠に消えることはありません。その辺で違う配慮をしていかなければいけない時代ではないかと思います。
□三宅委員長:事件なり、いじめの問題なりに関わってくると、その重要な部分については、かなりボカシは入れざるを得ないだろうと思います。ただ、普段の行事の何げないものについてまで、ボカシを入れるかどうかということは考えるべき点だと思います。
ニュースについては、最近、特にインターネットですぐ動画で出ますが、放送人権委員会では、一応テレビで放送されたものが対象になるわけですが、当該局のホームページ上の動画で出ていると、出ている限りにおいて全部対象として考えざるを得ないということで、範囲が広がります。最初のニュースと、ネットで出す時のボカシの入れ方とか、その辺は変えてもいい時代なのかもしれないと思います。ネットニュースをどのように各社の戦略上考えるかによって、「放送人権委員会の対象が広がってもいいから、真実性としてそのまま出す」という社から、少し注意をしてボカシの入れ方等を工夫してみるとか、二次的被害が及ばないように工夫をするということも、これから考えていいことだと思います。
□田中委員:子どもが小学校入学の時に、「メディアの取材が来た時にはお子さんを出していいですか、どうですか?」という書類が配られるということがありました。中学校でもそういうことがあり、全ての小中学校でやっているかどうかは分かりませんが、そういう動きが、結構学校の現場ではあります。
□市川委員:ネットニュースでどう出すかということのお話がありましたが、昔は即時的な、その時の映像を見てプライバシー侵害かどうかということで、ある意味では分かりやすい話だったのですが、「大津いじめ事件報道に対する申立て」事案のように、その瞬間は肉眼では分かりませんが静止画像にすれば分かってしまう。また、それをネット上に上げれば、より拡散するという技術を誰でも使うことのできる時代になってきているという背景の中で、インタビューを受ける側にも「インタビュー受けて映像が出たことによって、どういうふうに使われていくんだろう?」という漠然とした、おそれみたいなものを持っている方もいるのではないかと思います。そういう意味で非常に難しい時代だと思いますが、そうであればこそ余計に現場でも説得する時に、このニュースがどういうところで使われ、どういう範囲で、例えばネットではどうなるのかも含めて、見晴らしの良い形で説明ができると説得もしやすくなるのではないかと思います。きめ細かい基準作りとか対応というのが、これから必要になってくると感じます。
- 犯罪現場の近所の方のインタビューとか、事実に迫る内部告発者のインタビューは、匿名でもやむを得ないのではないかということですが、それ以外で、どういう場合に顔なしインタビューの違和感を覚えていらっしゃるのかお聞きします。
□市川委員:例えば誘拐事件で、「あの子はいい子だったのに、心配です」など、非常に漠然とした感想のインタビューなどです。やはりインタビューの中身によってもかなり違うところがあって、近所の方とか同じ町とか同じ市の中の一住民としてのコメントであるのにモザイクをかけているというような場合には、必然性がないのではないかと感じています。
◆決定52号「宗教団体会員からの申立て」について◆
意見交換会後半は、「宗教団体会員からの申立て」事案を議題にした。当事案はテレビ東京が2012年12月30日に放送した報道番組『あの声が聞こえる~麻原回帰するオウム~』において、番組で紹介された男性が、公道での隠し撮影された容姿・姿態が放送されたほか、本人の承諾もなくカウンセリングにおける会話や両親に宛てた手紙の内容が公にされるなどプライバシーを侵害されたなどとして申し立てたもの。委員会は、本件放送の公共性・公益性を高く評価するものであるが、その放送目的を追求するあまり、申立人のプライバシーに対する十分な配慮を欠いた結果となっているとして、放送倫理上問題があると判断した。
「番組の概要」を事務局から説明した後、決定文の起草主査を務めた市川委員から「委員会の判断」の説明があった。同じく起草委員を務めた田中委員からも補足の説明が行われた。
□市川委員の説明□
・本件全体の判断枠組
「判断のグラデーション」がありますが、まずは、一番重い判断として「人権侵害かどうか」というのがあります。私どもとしては、まず人権侵害に当たるかどうかというところを考えることになります。
人権侵害には当たらない、あるいはそこまでの一致点がない、あるいはそれを今回は言う必要がないだろうという判断に至った場合には、「個別の人権侵害には当たらないけれども、放送倫理上問題があるかどうか」ということを次の段階で検討することになります。
この放送倫理上の問題というのは、ある意味では非常に広い捉え方ができるわけですが、この放送人権委員会という名称からも分かるように、放送倫理を全て網羅するということよりも、どちらかというと、この放送倫理を守らないことが将来的には人権侵害に結び付きかねないというような人権侵害との関係、名誉とかプライバシー、あるいは肖像権、それとの関係で問題が生じうるような放送倫理上の問題ということに絞って検討されています。
・プライバシー権等侵害の本件判断枠組
まず、プライバシー権・肖像権を侵害するか、これは要するにプライバシーや肖像権の内容に踏み込んでそれを放映しているのかどうかということが問題となります。
そして、法律上の言い方としては違法性の阻却と言いますが、形式上はプライバシー権侵害になるけれども、それが公共性・公益性の観点から許容されるという場合には、全体としてはプライバシー権侵害にはならないということがあり、プライバシー権・肖像権の場合には、次のステップとして、公共性・公益性の観点から許容されるかということが検討されます。
・プライバシーに立ち入る内容か
プライバシーに立ち入っているのかどうかということですが、本件では2つのところを捉えました。脱会カウンセリングの模様の隠し録音の内容、音声は変えていますが、思春期に悩みがあって、それが信仰によって解決したという、短いのですが、そういう言葉が出てきます。それから両親への私信の映像、朗読が出てきます。この部分は、「プライバシーにかかわるものであり、申立人のプライバシー権を侵害するものではないかとの問題が生じる」としています。
・申立人と特定(同定)可能か
映像という点から行くと、かなり、ボカシの度合いとしては弱い部分があります。顔は隠れていますが、髪型等は分かる。それから卒業式と思われる写真では、その友人の衣装であるとか、そういったものは分かるので、友だちが見れば、「あ、これ、私の着ていた衣装だ」、「卒業式の時のあの衣装だ」というのは、かなり鮮明に記憶にあるところではないかと思います。
「今年春、A市内の国立大学を卒業し、A市内で就職」というナレーションが入っていますが(「A市」は当委員会決定では非公開とした)、申立人が卒業した大学の雑観の映像があり、大学名は出していないんですが、学部の名称が入った門柱を映しています。その門柱はある理系の学部の門柱なんですが、その学部のある大学は特定できると言えばできるということです。また、ナレーションで申立人の実家のある地方名が出て、出身の地方が分かります。そして、その出身地の駅ビル名の入った背景が出てきます。また、よく見ると、実家近くの税務署の映像も、車で通っていく中では出てきたりするということもあります。総合して判断すると、申立人と特定(同定)可能であろうと委員会は考えました。
どの範囲の人が特定できるのかが問題になりますが、いわゆる一般の視聴者の方、全く知らない人から見て特定できるかというと、それはできません。名前は出てきませんので。ただ、申立人の周辺にいる大学時代の友人、あるいは高校時代の友人、今いる職場の知人にとってみると番組全体からは分かるので特定できるということになります。
・プライバシーに立ち入ることを公共性・公益性の観点から許容されるか
次の問題は、プライバシーに立ち入ることを公共性・公益性の観点から許容されるかということです。公共性・公益性という問題と侵害の程度、その何を映し、どういう態様で映したのかということ、放送したのかというところの比較衡量的な部分になってきます。ここは、委員の中で意見が分かれたところであり、「いかに一定の公共性が認められるとしてもプライバシー侵害に当たるのではないか」という意見と、これに対して「そこまでは言えないのではないか」という意見もあったということです。かなり議論をし、その結果、委員会としては、この侵害についての判断はしないということで結論を出しています。
・申立人の特定可能性への配慮
次に、放送倫理上の問題があるのかというのがテーマになります。「申立人の特定可能性への配慮」が一つの論点になるわけですが、これについては、申立人の特定可能性への配慮に欠けるところがあるとしました。「申立人のプライバシーにかかわる事実を明らかにするものであるから、申立人の顔のボカシや肉声の機械的処理による変換という配慮だけでなく、申立人を特定しうる情報をどの範囲で、どのように明らかにするかについて、より慎重な配慮を行うべきであったし、放送目的との関係でもそれは可能であった。」と決定文では言っています。
これは、ボカシの程度の問題もありますが、出身大学であるとか出身の学部であるとかを推測させるような映像、それから出身地を示したりという、そういう情報が果たしてあそこまで必要なのかということに関しては、やや行き過ぎではなかったか、それがあったが故に逆に特定可能性が出てしまったのではないかという判断をしています。
・カウンセリングの隠し録音と両親への信書の撮影・朗読の問題点
次にもう一つの問題として、プライバシーのところでも議論したカウンセリングの隠し録音と両親への信書の撮影・朗読の問題点ということを論じており、「申立人の私生活の領域に深く立ち入るものである」ということで、カウンセリングという場で思春期からの心情を語っている部分、両親に対して信仰に至った経過を書いている部分、これはかなり心の中の深いところを語っている部分なので、そういう意味では私生活の領域に深く立ち入っている、かなり重い部分に入っていると認定しています。
・公共性・公益性により許容されるか
カウンセラーの守秘義務に関する申立人の信頼を裏切らせ、申立人には思いがけず自らの内面を明らかにされる結果となり、両親に対する私信が公開されないことを信頼して信仰に関する感情を記しているのに無断で放映したという点が、態様においても問題が大きいとしました。公共性・公益性は高いけれども、プライバシーへの配慮という面で欠けている部分が大きいということで、放送倫理上問題ありという判断をしました。
・団体としての取材拒否、申立人の両親の承諾との関係
当該局としては、団体としての取材拒否がされていたこと、申立人の両親から承諾を得ていたことをカウンセリングの内容の隠し録音を正当化する根拠として挙げていました。しかし、委員会としては、基本的には、団体と申立人は別個のものであるとし、アレフや申立人以外の信者が取材を拒絶していたからといって、申立人本人に対する取材を申し入れすらしていないということは正当化できないとしました。また、両親が承諾したからといって、申立人は既に成人しており、取材・表現方法の問題は解消されないというのが委員会としての判断です。
以上のような判断過程の下で放送倫理上問題ありという判断をいたしました。決定文では、「個人情報の取扱いに十分注意し、プライバシーを侵すような取扱いをしない」という民間放送連盟の放送基準、それから同連盟報道指針での「名誉、プライバシー、肖像権を尊重する」という指針を示して、放送倫理上の問題を指摘しています。
□田中委員の補足説明□
オウムは何も変わっていないし、若者がまだまだ入信しているという事実に警鐘を鳴らすというもので、非常に感銘を受けた番組の一つでした。
特定可能性の問題でいえば、もう少し配慮があれば良かったと思います。この「もう少し」の線引きがどういうところかということもありますが、周囲の方とか身近な方が見て本人が特定される内容になっていることが問題だったと思います。わからないように、特定できないようにしたと当該局は言っていましたが、数多くの写真が使われ、繋いでいくと、この人ではないかと分かります。その部分を何とかできる方法がなかったのかと思いました。
放送は見た人がどう思うかというところを一義的に考えなければいけないということですので、本人の特定というところに真摯に向き合ってもらうことが本件においては重要だったのではないかと思います。
両親との信頼関係の中で取材が成立していたところもあり、両親は、局と息子である申立人の間で難しい状況に追いやられたのではないかと思いました。
■参加者からの発言■
□市川委員:審理の中で、社内での検討状況と言うか、それを聞くことはあまりしません、出てきたものを内容で判断するというのが基本です。
確信犯かどうかということになると、私は確信犯とまでは言えないのではないかと思っています。担当のプロデューサー達が、アレフの件についてはサリン事件の当時からずっと追いかけていたグループで、今も追いかけています。そういう中で、その団体の危険性や、アレフに今、若い人が入ってきているという、そこに対する警鐘を鳴らさなければいけないという番組の目的があり、担当者の熱意と言いますか、非常に強い情熱と言いますか、そういうものをヒアリングしている中でも強く感じました。恐らく、局内でも、そういったものが強く伝わっていたんではないかと思います。しかし、そこで冷静な判断、違う視点から見て立ち止まって考えるという作業は考えていただかなければいけないことだと思います。
担当者は、高い公共性・公益性というものを非常に強く、ものすごく重いものだと思っていて、これがあれば殆どどんなことでもOKだと思ってしまっているのかも知れません。しかし、そこは違って、仮に重いものであっても、プライバシーの問題として立ち入ってはいけないもの、こちらの方も重いものがあって、そこはバランスを取って考えていただかなければいけないということです。その点の認識を冷静に違うところから見ていただけたら良かったのではないかと思っています。
「勧告」か「見解」かということですが、確信犯だというところまでいっていないということもあり、「見解」ということになっています。
□三宅委員長:公共性とか公益性はかなりあるということですし、担当者もかなり検討をして、この程度のボカシでいいだろうという判断をしたということをヒアリングでも伺いましたが。われわれと見解の違いがありました。例えば、氏名とか生年月日、住所、性別というのは、プライバシーの中の外側の、いわゆる外延情報と言われる部分ですが、思想信条に関わる部分というのはプライバシーの核心部分ですから、そこについての配慮というのは、氏名が公表されるようなレベルとは違うものとして、そこの部分は、それ自体として保護されなければいけないものだという認識を持っていただく必要があります。その辺の温度差がかなりあったわけですが、当該局の担当者も相当に判断しての放送であったという意味で、「見解」にしました。
今回の場合は、判断のグラデーションでは、問題なし・ただし要望ありに留めるか、放送倫理上問題ありにするかという点では、委員全員が放送倫理上の問題として捉えるべきだとしました。ただ、それ以上にプライバシーの侵害として、権利侵害として見るかどうかの点については、意見がまとまりませんでした。
□市川委員:危険性があるという前提の下で決定が書いてあると全く考えていません。当該局としては、アレフに危険性があることは放送の中でいろいろなデータを示しながら言ってるわけですが、そういうことも一つ報道の目的に入っています。あと、そういうアレフに若者が何故入信するのかというのが、もう一つの報道の目的ということになるのですが、「疑惑などに関係する」というのは、番組担当者の放送目的、その意図がこういうことであるということを客観的に述べただけであって、決して疑惑があると私どもが認識しているということはありません。
高い評価というところは、文脈全体を読んでいただければわかるように、アレフの構成員であれば人権はないのかと言うと、決してそうは思っていません。アレフの中でも、いわゆる役員としてより高いレベルでの観察の対象になってる人と、今回の申立人のように一在家信者に過ぎない人と、そこは立場も違うというところもあります。
もう一つ言えば、犯罪報道で、例えば、現に犯罪を犯そうとしている、あるいは、犯しつつあるという中での潜入的な取材などは、ある程度正当化されるとは思いますが、そういうテーマではないというところを考えると、人権あるいは放送倫理の問題として踏み越えているか踏み越えていないかを考えるというのが、この見解の立場だと考えていただければと思います。
□市川委員:両親が取材に応じたのは、息子さんをできれば脱会という方向に向けたいということで、そういう両親の気持ちに寄り添う形で取材していたのだろうということは、推測ですができます。ただ、結果的に、申立人は、この映像の中では、脱会カウンセリングに応ぜず、その後アレフの集会に出たという映像で締めくくられているわけです。そういう意味では、両親の気持ちというのは複雑だったのではないかと思います。両親への対応というのが、ある意味では、取材側と申立人側の引っ張り合いみたいな形になってしまったところがありました。両親は最終的には極めて苦しい立場に追い込まれたのではないかということは、推測ですが、そういうことはあると思います。
手紙については、映像を伴って見せるということは、すごくリアリティを持たせる手法としては強い方法だと思います。カウンセリングの場面も、その場の声をとれたからこそ、リアリティを持って映したいというのはすごくよく分かるのですが、そうであるが故に、より、その人の心情をあからさまにしてしまうという要素があると思います。一般的に手紙を読むことがダメだということにはなりませんが、今回のように、直筆の手紙を撮って読んでいくという手法、手紙の中身も、魂がどうしたとかの記述に及んでるということで、ちょっとこれは行き過ぎではないかというのが判断です。仮定の議論としてラジオで読んだらどうかというのは判断しにくいのですが、絶対ダメだということではないと思っています。
□市川委員:特段、接触はしていないと伺っています。
◆三宅委員長から締め括りのあいさつ◆
本日は、基調報告をさせていただけた上に、さらに、「宗教団体会員からの申立て」事案の事例分析ということで、放送倫理のあり方についてきめ細かい議論をしているというところはご理解いただけたのではないかと思います。BPOの3つの委員会が独自の立場で、きめ細かい議論をすることによって、放送上の倫理が確立されているという事実は非常に重いものがあると思っております。
BPO自体は政府とは全く離れたところで運営されている、世界的にも珍しい団体ということですが、2009年の6月5日にTBSテレビの『情報7daysニュースキャスター』の問題について総務省が行政指導してから、これでもう5年、放送内容についての指導はありません。これは、私はすごいことだと思います。こういう世界で類を見ない団体であり運営のあり方というのが、これからもきっちりされることによって、公権力の介入を招かない、放送と取材・報道の自由というものの確立にとって非常に大事な役割を果たしていると思いますので、今後とも、こういう意見交換会などを通じて、その辺の認識を共通のものにし、また、いろいろなご意見を伺いながら、私ども委員会の中での運営のあり方を改善して行きたいと思っております。
決定文についても、できる限りわかりやすくということで、従前の決定文の書き方をガラッと変えています。読んでわかっていただけるような形に工夫をしたりするのも、皆さんのご意見を伺ってやっているところです。これからも忌憚のないご意見を伺いながら、放送の自由、取材の自由を守っていく役割を果たしていきたいと思っております。
今日は、いろいろご意見を伺うことができましたので、本当に有意義な時間を持てたと思います。本日はどうもありがとうございました。