第122回 放送倫理検証委員会

第122回–2018年1月

2件の刑事事件で容疑者や処分内容を誤って放送したフジテレビ『とくダネ!』の審議など

昨年12月14日に当該放送局への通知と公表の記者会見を行った、東京メトロポリタンテレビジョン『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に関する意見について、出席した委員長や担当委員から当日の様子が報告され、意見交換が行われた。
委員会が昨年10月に出したTBSテレビの『白熱ライブ ビビット』「多摩川リバーサイドヒルズ族 エピソード7」に関する意見について、当該放送局から提出された対応報告書を了承し、公表することにした。
刑事事件の容疑者に関するセンシティブな情報の間違いが2件続いたことから審議入りしているフジテレビの情報番組『とくダネ!』について、担当委員から、前回委員会の議論を踏まえた意見書の修正案が示された。委員会で意見交換の結果、大筋で合意が得られたため、一部の表現について手直しをしたうえで、2月上旬にも当該放送局への通知と公表の記者会見を行うことになった。

議事の詳細

日時
2018年1月12日(金)午後5時00分~7時00分
場所
「放送倫理・番組向上機構[BPO]」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

川端委員長、升味委員長代行、神田委員、岸本委員、斎藤委員、渋谷委員、鈴木委員、中野委員、藤田委員

1. 東京メトロポリタンテレビジョン『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に関する意見の通知・公表

東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)の『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に関する意見(委員会決定第27号)の当該放送局への通知と公表の記者会見が、昨年12月14日に実施された。2017年1月2日放送の当該番組の特集は、「反対派が救急車を止めた?」「反対派の人達は何らかの組織に雇われているのか」などと伝えた情報や事実について裏付けが十分であったのか、いわゆる「持ち込み番組」なので、放送内容をチェックする放送局の考査が機能していたのかなどを検証する必要があるとして、2月の委員会で審議入りしていた。委員会は、制作会社が制作して持ち込んだ本件放送には複数の放送倫理上の問題が含まれており、そのような番組を適正な考査を行うことなく放送した点において、TOKYO MXには重大な放送倫理違反があったと判断した。
委員会では当該放送局のニュースを視聴したあと、委員長や担当委員から、通知の際のやり取りや記者会見での質疑応答の内容などが報告され、意見交換が行われた。

2. TBSテレビ『白熱ライブ ビビット』「多摩川リバーサイドヒルズ族 エピソード7」に関する意見への対応報告書を了承

昨年10月5日に委員会が通知公表した、TBSテレビの『白熱ライブ ビビット』「多摩川リバーサイドヒルズ族 エピソード7」に関する意見(委員会決定第26号)への対応報告書が、12月下旬、当該放送局から委員会に提出された。
報告書には、意見書内容の社内周知のため18回にわたり少人数のセミナーを開催したこと、その真意をより深く理解するために検証委員会の担当委員を招いた勉強会を開催したこと、そして、番組制作スタッフ一人ひとりの人権意識向上への取り組みなど、意見書で指摘された課題についてひとつひとつ改善を図っていることが記されている。
委員会では、勉強会に出席した委員からの報告などをもとに意見交換を行い、少人数の多数回セミナーなど、局の対応が適切であるとの意見がだされた。その上でこの対応報告書を了承して公表することにした。

3. 2件の刑事事件で容疑者や処分内容を誤って放送したフジテレビ『とくダネ!』の審議

フジテレビの情報番組『とくダネ!』は、2017年7月、医師法違反事件で逮捕された容疑者として全く別の男性の映像をインタビューも含めて放送し、謝罪した。翌8月には、放送した時点では書類送検されていなかった京都府議会議員について「書類送検された」などと放送し、事実の確認がとれていない報道だったと謝罪した。委員会は10月、刑事事件の容疑者の映像と処分内容という最もセンシティブな情報について、同じ番組で間違いが続いたことは大きな問題だとして審議入りを決めた。
委員会では、前回委員会で意見書原案に示された意見や議論を踏まえた意見書の修正案が担当委員から提出され、内容や表現をめぐって意見交換が行われた。その結果、大筋で了解が得られたため、表現などについて一部手直しをしたうえで、2月上旬にも当該放送局への通知と公表の記者会見を行うことになった。

以上

第254回放送と人権等権利に関する委員会

第254回 – 2018年1月

沖縄基地反対運動特集事案の審理…など

沖縄基地反対運動特集事案を審理し、提出された「委員会決定」の修正案について議論した。

議事の詳細

日時
2018年1月16日(火)午後4時~10時05分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員、水野委員

1.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が2017年1月2日と9日に放送した情報バラエティ―番組『ニュ―ス女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャ―ナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるト―クを展開、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この放送に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉氏が申立書を委員会に提出、「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が、虚偽のものであることが明らか」としたうえで、申立人についてあたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また、申立人が、外国人であることがことさらに強調されるなど人種差別を扇動するものであり、申立人の名誉を毀損する内容であると訴えた。
これに対しTOKYO MXは、「申立人の主張は本番組の内容を独自に解釈し、自己の名誉を毀損するものであると主張するものであり、理由がないことは明らか」との立場を示し、また、虚偽・不公正であるとの申立人の主張については、「制作会社において必要な取材を尽くしたうえでの事実ないし合理的な根拠に基づく放送であって、何ら偽造ではない。申立人が主張するその他の事項についても同様であり、本番組の放送は虚偽ではなく不公正な報道にも該当しない」と述べている。
今月の委員会では、第2回起草委員会を経た「委員会決定」の修正案が提出され、担当委員の説明を受けて議論した。その結果、さらに起草委員会を開き、次回委員会で審理を続けることになった。

2.その他

  • 委員会が2月2日に長野で開催する県単位意見交換会の議題、進行等を確認した。

  • 2月22日に開催される第15回BPO事例研究会について事務局長が説明した。

  • 次回委員会は2月20日に開かれる。

以上

2017年11月28日

東北地区意見交換会

放送人権委員会は11月28日に東北地区の加盟社との意見交換会を仙台で開催した。東北地区での意見交換会は2013年2月以来で、19社44人が出席し、委員会からは坂井眞委員長ら委員7人が出席した。前半はフェイスブックの写真の使用と検索結果削除に関する最高裁の判断について、後半は最近の3事案の委員会決定を取り上げ、4時間近く意見を交わした。
概要は、以下のとおりである。

◆フェイスブックの写真の使用について

今年7月に宮城県登米市で男が自宅に放火して妻と2人の子どもが死亡するという事件があり、妻がフェイスブックに自分と子供の写真を載せていた。仙台のテレビ局に対応を報告してもらい議論を進めた。

(A局)
手軽に写真とか動画が入手できますが、問題はそれが本当なのか、確認にかなり苦労をしているというのが本音です。今回は本人が亡くなっているので、その近しい人に確認しないと使えないということで確認作業をしました。ただ、1歳の子の生後まもないの頃の写真については、急激に成長して顔かたちが変わるような時期なので、ほぼ間違いないと思っても、本当に間違いないかということで、使わないという判断をしました。写真に施されたデコレーションは親の愛情とかを示しているものということで使いました。

(B局)
弊社でも、フェイスブック上から写真を入手し、A局がおっしゃったように、複数名、近しい方々に確認を取った上で、「フェイスブックより」という出典を明記して使いました。確かにデコレーションがちょっと激しくて、使わないほうがいいのじゃないかという意見もありましたが、総合的に判断し使ったほうがいいという結論に至りました。

(C局)
同じようにフェイスブックの写真を入手しましたが、A局と同じように、一番下の男の子についてはあまりにも幼くて、ちょっと確認のしようがないと。フェイスブックに名前が書いてはありますが、確認のため近所の方に見せる時には、決して「これが〇〇ちゃんですか?」というような聞き方はしなくて、名前を伏せるものですから、実際に放送に使ったのは2人だけでした。かなりキラキラしているデコレーションは、全部撮り切りで使うということは避けて顔の部分だけを切り抜いて使用しました。

(坂井委員長)
この問題はきっと2つの問題があって、1つはネット上で入手する写真の使用が肖像権の問題をクリアできているのかという問題、もう1つは被害者の方の写真をどういうふうに使っていいのかいけないのかという問題。
去年1月の軽井沢のスキーバス事故では大勢の大学生が亡くられて、テレビ各局は、新聞もですね、フェイスブックから写真を入手して使ったので、それはどうだったのだろうかという議論をしました。肖像権の問題、本人がどういう意思でフェイスブックに写真を載せているのかと。例えば、顔写真が公開になっているからいいじゃないかという議論が片方ではありますが、でも、こういう事件の時に報道で使われることまで本当にいいと思って載せたのかという疑問。熊本の公務員事件(委員会決定第63号、第64号 事件報道に対する地方公務員からの申立て)でいうと、刑事事件の被疑者として顔写真が使われることを、本人が本当に了解して載せていると考えていいのかというような問題。
今回のケースでは、皆さん、ちゃんと報道する価値を検討していた。デコレーションについてはふさわしくないんじゃないかと、報道する価値と必要性を検討されているので、いいと思いますが、座間の事件では、皆さんご存じと思いますけれども、遺族の方が「報道関係の皆様へ」という貼り紙をされて、遺族、親族一同と、最後のところで、「なお、今後とも本人及び家族の実名の報道、顔写真の公開、学校や友人・親族の職場等への取材を一切お断りします。どうかご理解のほど、よろしくお願いします」とされた。本当に悲惨というか前代未聞の事件なので、ニュース価値はすごくある、その時に、どういう扱いをしていくのかという問題だろうと思います。未成年の方もいる、それから最近の写真がないと、これは昔からありますけれど、ずいぶん小さい時の写真が報道されたりして「これは本当に必要性があるの? 価値があるの?」となる。しかし、もう片方で、「この事件で事実を報道しないでどうするんだ」ということがあって、その「報道する価値」を、どうやって構築していくのかが、1つの問題点だろうと思います。
座間の事件で『週刊文春』の11月23日号が「緊急アンケート 被害者実名・顔写真報道の賛否」という記事を書いて、ジャーナリストの江川紹子さんのコメントなどいろいろな意見を出して検討し、「小誌ではこうした実名報道の意義を考慮した上で、陰惨な事件の全容を記録し、より切実に共有するために、被害者の実名と顔写真を掲載している」と、こういう結論を取っているんですね。
「これでいいんだと言う解決策はない」というのが私の結論。去年の相模原の知的障害者施設の事件でも同じ問題がありました。「被害者が可哀想だ」、「個人情報だから、プライバシーだから、全部それが優先するんだ」ということを認めてしまうと、報道はできなくなってしまう。ですから、そこは報道する側が「いや、報道する価値がある」と、理論的な構築というか、説得力のある意見を言うことが、すごく重要なんじゃないのかなと。そうしないと、本当に匿名ばっかり、テレビで言うとボカシばっかりになってしまい、それではまずいんじゃないか。三宅委員長の時代に「顏なしインタビュー等についての要望」(2014年6月9日)を出しましたが、「報道する価値」を報道する側がいかに発信していくのかということが重要なのだろうと思います。

(市川正司委員長代行)
熊本の公務員事案は私が起草担当でした。肖像権の問題として、フェイスブックに載っているからテレビで公開されても、それは問題ないだろうと、ストレートにはつながらないだろうというふうには思っています。そうなると、被疑者の場合には、被疑事実とつながって社会的評価が下がってくるという問題とつながってくるということがあるので、そこをどう考えるのか。被害者の場合には、社会的評価の低下にはストレートにはつながらないとは思いますが、やはり遺族の感情とか、そういったものを考慮した時にどこまで載せるのかということは、考えないといけないのかなとは思っています。
フェイスブックには本人の写真の他に家族や友だちの写真が載っている場合もあって、「フェイスブックより」と引用すると、どれどれと視聴者が実際にそのページに辿り着いて、関連する写真を全部閲覧できるようになるという要素もあるので、そういった面での配慮も考えないといけないのかなと思っています。公務員事案では、ご親族と思われる方から被疑者のフェイスブックに自分たちの写真が出ているというクレームがあって、放送局がネット上のニュース動画を削除した経緯があったと聞いています。

(質問)
「フェイスブックより」という引用の明記をしないほうがいいケースもあるということですか?

(市川委員長代行)
そこは、出典は明らかにするべきだろうとは思いますが、ウェブ上の他の関係者の写真などに辿り着きやすい効果があるということは、ちょっと頭に置いとかないといけないと、委員会の決定にも書いているところです。

(奥武則委員長代行)
私みたいに大昔の新聞記者は、何かあると、「ガン首、取って来い!」と言われ、オタオタして一所懸命回って、取れないとデスクに怒られるということがあったんですけれど、今やフェイスブックを検索すると、結構いい写真が得られることがあるわけで、まあ時代は変わったなと言う気がすごくする。それは昔話ですが、写真を使用するかどうかは、基本的には比較衡量なんですね。
つまり、まあいろいろ問題もあるけれど、写真を使うとインパクトもあるし、事件の全容を伝えることができますよと。そういう利益と、肖像権とか被害者の遺族、家族の感情ですね、それを秤にかけてどっちが重いかの判断を、その都度その都度、報道する側がしなければならないということだと思うんです。その線引きの原則はあるのかというと、それはないですね。原則を作った途端に表現の自由というのは制約されてしまうわけですから。
座間の事件も、家族にしてみれば、確かに「もう、ちょっと触れられたくない」。けれども、報道する側が「写真を使わないし、お友だちにも取材しません」、「一切匿名で行きますよ」と、そういうわけには行かないですね。家族の感情を踏みにじらなければ報道できないという場面はあるわけで、その時にどういう判断をするのか、報道する側の重い責任になってくるだろうと思います。

(中島徹委員)
報道せざるを得ないというのは、言葉としては分かるのですけれど、例えば、今問題となっているお母さんと子どもの写真、あるいは座間の事件で、本当にあの写真が、あるいは被害者のことを詳細に報道する必要があるのかということについて、私はやっぱりよく分からないと考えています。どんな人が犠牲になったのか、被害者になったのか私も知りたいと思います。しかし、実際に報道がなされ、その関係者の方々の気持ちを考えると、出ないほうが良かったんだろうなとも思うわけです。
「関心事に応える」、「国民の知る権利に応える」というのは、一般論としてはよく分かりますが、でも、例えば下世話な興味に迎合するというのが報道ではないわけですから、いったいこの写真がなかったらなぜ報道が成り立たないのか、今のお話でも、そこは必ずしもはっきりしていなかったように思いました。

(坂井委員長)
私は、30年くらい前、「報道被害」と言われ始めた犯罪報道の時代からこういう問題に関わり、当時新聞社の方ともずいぶん議論をしました。その頃の新聞の然るべき立場にある方たちは、「事実報道で5W1Hがない、匿名なんてあり得ない」と。それは僕らから言わせると、「ドグマでしょう」と。「それはそうだけれど、それでも言わなきゃいけないものと控えなきゃいけないもの区別しなきゃいけないでしょう」と議論しました。
ただ、全部匿名にしたり写真を全部なくせばいいとは思ってはいなくて、情報が流通することの意義は絶対あるはずで、それを報道する側がしっかりと言わないといけないのではないか。座間の事件の報道について横浜弁護士会が会長談話を出しました、で、1行だけ「報道する側にも報道すべき理由がちゃんとおありになるんでしょうが」とは書いてあるんですが、「でも、酷いじゃないか」、「ちょっと考えてよ」という趣旨の談話です。
あの報道はひどいけれども、本当に全部匿名にしていいのかと少々危惧を感じています。「そうは言っても、事実を出さなきゃいけない時はあるのでは」、「そこはバランスだ」と感じます。報道する側の方から、こういう場合は報道する価値があると発信すべきではないか。個人情報保護法が制定されたあと、とにかく窮屈になった感がある。それは、かつてあまりに野放図に何でもできたことの裏返しかもしれないが、本人が嫌と言えば何も書けないということで報道は成り立つだろうか、という危機感を持っています。

◆「検索結果削除」で最高裁が判断

ネットの検索結果の表示がプライバシーを侵害する場合、検索事業者に表示を削除する義務があるのかどうかについて最高裁の判断が示された。曽我部委員に解説をしてもらって、放送との関連について議論した。

(曽我部真裕委員)
お配りした資料に『新聞研究』(2017年4月号)に載せていただいた文章があります。今年1月31日の最高裁の第3小法廷の決定について述べたものです。

事案と下級審の判断
本件は、児童買春の容疑で逮捕されて罰金50万円の有罪判決を受けた者が、当時公表された記事や掲示板などに転載された記事が、3年以上経っても本人の氏名と居住している県名でグーグル検索すると検索結果として表示されると、それで、グーグルに対して検索結果を削除せよと仮処分の申立てを行ったというものです。検索結果の表示というのは、見出しというかタイトル部分、それから最近の検索結果はスニペットと言いまして、そのリンク先の内容の抜粋も一緒に出ますので、その記載内容が名誉毀損とかプライバシー侵害に問われる場合もあるということです。
さいたま地裁は「忘れられる権利」を有するということで削除を認めました。「忘れられる権利」という言葉を、裁判所が実際に決定の中で使ったということで話題になりました。これに対して東京高裁は、「忘れられる権利」というのは、その正体は人格権の一内容としての名誉権ないしプライバシー権に基づく差止請求権であると。つまり「忘れられる権利」という新しい権利があるわけではなくて、その中身は従来の名誉毀損、プライバシーに基づく削除請求権であるということで、要は、新しい固有の権利ではないというような判断を示したいうことです。たぶん、この東京高裁の理解が一般の法律家の理解だろうと思います。

最高裁決定
最高裁決定では、まず「個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は、法的保護の対象となる」ということで、この事件をプライバシー侵害の問題として判断したということになります。続いて、「検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する」と述べています。グーグルは、検索結果は放送番組などとは違って主体的な意思に基づいて作られたものではなくて、一定のアルゴリズムに基づいて自動的に作られたのだから表現ではなく、したがって責任も負わないと主張をしていたわけです。最高裁はこれを否定して、「検索事業者自身による表現行為という側面を有する」としています。これは2つの意味がありまして、1つは検索結果の提供というのも表現の自由の中に入るということがあると思います。他方で、検索事業者の表現ということであれば、それに伴う責任も負うということで、自由と責任、両方あるいうことがこの部分の趣旨ということになるのではないかと思います。さらに「現代社会における検索事業者の役割」にも言及して「インターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている」ということで、検索事業者についても公共的な役割があることを認めたものだろうと思います。
その上で、先ほど来、議論になっていますが、プライバシーと表現の自由をどういうふうにバランスを取るかという話になります。「比較衡量して」という言葉が常に出てきますが、最高裁は「比較衡量して判断すべきもので、その結果、公表されない利益が優越することが明らかな場合は、検索結果の削除を求めることができる」と。要は、プライバシーが明らかに優越する場合に限って削除義務が発生するということになります。ですから、プライバシーと検索結果の提供という表現の自由のバランスの問題だけれども、そのバランスの取り方は、プライバシーが明らかに優越する場合に限って削除が義務付けられるということです。そういう意味では、フラットなバランスというよりは、検索事業者に有利なバランスの取り方ということになるかと思います。

放送局との関わり
この最高裁決定とテレビ局、放送局がどう関わるのかというと、1つは放送局で放送した番組の内容がネットの掲示板とかに転載されてずっと残っている、それが何年か経って削除請求されるという、そういう局面もあると思いますが、この場合は法的に言いますと、放送局の責任はないということになるだろうと思います。つまり、勝手に転載するということ自体が著作権法違反でもありますので、著作権法違法によって掲示板に載せられた内容について、放送局が責任を負うということはないだろうと思います。
もう1つ、例えば番組内容が転載された場合、放送局が報道対象者から依頼を受けてグーグル等に対して削除依頼をする場合も無くはないと思いますが、当事者でない人からの請求を受けて、グーグルないしヤフーが対応してくれるのかどうかは、ちょっとよく分からない、おそらくあまり対応してくれないのではないかと想像します。ですから、この場合も放送局ができることは少ないように思います。ですので、この検索結果の削除という問題に、放送局が直接関わる局面というのはあまりないかもしれないと、思っているところです。

(質問)
逮捕容疑と刑事処分の罪が違っていることが多々あります。例えば、殺人未遂が傷害になる、ひき逃げで逮捕され救護義務違反が付いていたものがただの交通事故として処理される。リンク先の画面、ウェブ上では非表示になっているけれども、検索結果のスニペットには「ひき逃げ容疑で逮捕」という形でその人の名前が残り続ける場合、倫理上問題があるというか、当事者から指摘があったら、放送局で何らかの努力をしなければいけないものなのでしょうか?

(曽我部委員)
前提として、スニペットは元の記事、元のコンテンツが消えれば、一定期間後その検索結果も消えるというのが基本的な仕組みで、一定のタイムラグがあるわけですので、そこを問題視するかどうかは1つあるとは思います。ただ、検索事業者に申し入れても、「それは、そのうち消える」と言われるだけだと思うので、実際問題としてできることは少ないのではないかとは思います。
他方で、逮捕容疑はそれなりに重いけれども、実際にはもっと軽い処分だったというような場合は、検索事業者に言ってもあまり対応されないと思うので、基本に戻って、転載されている掲示板に削除要請をするということはあると思います。ご本人が削除要請をするのが大原則ですけれども、放送局側も迷惑をかけたとか、そういうことでお手伝いといいますか、できることはするというスタンスを取られるのであれば、放送局側から削除要請をするという場合もあるかと想像しますけれども、対応してもらえなかったら、それ以上できないというのが実情だと思います。
裁判とか法的手続きで、第三者である放送局が削除要請をするというのは実際問題としてはできないのだろうと。ただし、著作権侵害だとして放送局が削除要請する可能性はあると思いますけれども、その辺、ケース・バイ・ケースかなと思います。

(質問)
放送記事がコピーサイト、ネタサイトみたいなところでコピーされて、それを削除して欲しいという要請が来ることがあります。その際に曽我部委員が言われたように「放送局が著作権侵害されているんだから、アクションを起こさなきゃいけない」というような言い方をされる方もいますが、実際、削除要請をしても削除されないという事態も結構あります。著作権侵害だから放送局側が削除要請すべきだという意見について、どのようにお考えでしょうか?

(曽我部委員)
そこはなかなか難しいですね。放送局の立場は、著作権侵害されていることは事実なので、そうすべきじゃないかという考えは全くもって正当だと思います。ただ、もっと広くネットの自由のことを考えると、私個人の考えですけれども、著作権をあまりうるさく言うのも、ネットの全体の活力といいますか、表現の自由の観点から問題かなというところもあって、著作権法の今のあり方自体を考え直すべきところがあるのではないかというのが個人的意見なので、放送局側がどんどん著作権を行使して片っ端から削除させればいいというのは、個人的には躊躇があるところです。
けれども、実際に書かれている方、取り上げられている方の名誉なりプライバシーの救済になるということであれば、それはやって然るべきではないかなと思います。

(坂井委員長)
ご質問の、放送局は著作権侵害だからアクションを起こさなきゃいけないのかという点ですけれど、それは権利、権利の行使であって義務ではないから、しなきゃいけないという話にはならないと思います。
ただ、さっきもありましたけれど、逮捕報道をバーンとやったが、そのあと尻つぼみになって全然違う事件になった。ところが、そのままネットに転載されて、例えば「〇○局でこんな報道があった」と載っているケース。局の社会的信用が高い状況でこれは気の毒だと思えば著作権を行使されればいい。載せているコピーサイトの問題だとして局がその状況を放置して被害が大きくなったりすると、また別の議論がありうるかもしれないが、原則は、やっぱりコピーサイトの問題だろうと、私は思います。

(二関辰郎委員)
以前、別の意見交換会のあとの懇親会の時に、放送局の方が、「放送した映像がネットに無断で転載されてどうしてもずっと残ってしまう。そうなることが分かっているから、実名報道するかどうか迷った時にどうしても出さない方向に傾きがちだ」というような悩みを話されたことがあったんです。雑談レベルでしたが、私は、「忘れられる権利」みたいなものが広く認められるようになれば、そういった出回ったものを消すのは、「忘れられる権利」の問題として将来対応すればいいので、実名にするかどうか、あまり考え過ぎなくていいのではないでしょうかね、という話をしたことがあったんです。
「忘れられる権利」は、EUのルールではもう少々広く認められています。日本の現行法上では、曽我部委員が説明された最高裁判断でやむを得ないのかなとは思いますけれども、「忘れられる権利」が広く認められれば、逆に実名報道について萎縮しなくていいという意味で、表現の自由を促進する面もあるのではないかと、個人的には思っています。

(曽我部委員)
『判断ガイド』416ページに「大津いじめ事件報道に対する申立て」というのがあります。これはまさにネットにキャプチャー画像が載せられた事件で、417ページの下から3段落目、赤い字の最後に「テレビ画像を切り取ってインターネットにアップロードする行為は著作権法に違反する。この点では、テレビ局のプライバシー侵害の責任は問えない」という指摘があります。
この事案は、人権侵害はないけれども放送倫理上問題があるという結論でしたが、421ページの「結論」の中に、その理由として「録画機能の高度化やインターネット上に静止画像がアップロードされるといった新しいメディア状況を考慮したとき、静止画像にすれば氏名が判読できる映像を放送した点で、本件放送は人権への適切な配慮を欠き、放送倫理上の問題がある」と、やはり直接的に法的責任が発生するわけではないけれども、もうネットに転載されるというのは周知のことなので、そこは注意深くやるべきだという指摘がされているので、ご参考にしていただければと思います。

後半では、3事案の委員会決定について、それぞれの番組映像を視聴後、担当委員が判断のポイントを説明し、質疑応答を行った。

◆「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本)

(市川委員長代行)
決定自体は、名誉毀損かどうか、それから放送倫理上問題があるかという順番で検討していますが、今日は、実際に事件が起こってから、どういう取材をして、どういう報道がなされたかという時系列に沿ったような形で説明をしたいと思います。

事件の第1報とその直後の取材
まず、最初に警察から報道各社にFAXが送られて「準強制わいせつ事件被疑者の逮捕について」という広報連絡が配布される。そこでは発生日時、発生場所、実名、年齢、住所、それから公務員であるということ、それから身柄措置、この日の午前10時、通常逮捕であるということが出ている。それから被害者の住所、罪名は準強制わいせつ。で、事案の概要として、「被疑者は上記発生日時・場所において、Aさんが抗拒不能の状態にあるのに乗じ、裸体をデジタルカメラ等で撮影したもの」と書かれています。
このFAXを受けて、記者の方は電話取材をして、この事案の概要の部分を認めているんですか、ということを警察の広報担当者に聞く。答えとしては、間違いありませんと認めているという答え。そしてさらに、皆さんも一読して疑問に思うかと思うんですが、抗拒不能とはどういうことですか、という質問をしています。これに対して警察の広報担当は、容疑者は市内で知人であったAさんと一緒に飲酒した後、意識がもうろうとしたAさんをタクシーに乗せ自宅に連れ込んだ。容疑者は意識がもうろうとしているAさんの服を脱がせ、写真を撮影した。そして、Aさんは朝、目が覚めて裸であることに気づいたと。1か月ほどした後、Aさんは第三者から知らされて、容疑者が自分の裸の写真のデータを持っていることを知って警察に相談した、こういう説明をしています。
抗拒不能とはどういうことですか、という質問に対して、さらにそれを越えたと言いますか、その前のいきさつの部分とか、そういった部分を含めて事案の全体像を警察の担当者が話しているということで、必ずしも質問とかみ合っていないというところは、ちょっと留意して頂きたいと思います。
それでは、警察の広報から、被疑者は何を事実として認めているというふうに理解出来るのかということですけれども、広報担当の説明は、事案の概要について被疑者は間違いありませんと認めている、と言っているものの、犯行の経緯についてまで、すべて認めているという明確な説明はしていないのではないか、その点、明確には言っていないということがあります。
それから、被疑者がわいせつ目的でAさんを同意のないまま自宅に連れ込んだということと意に反して服を脱がせたということは、抗拒不能の状態で裸であったこととは別のことがらなので、被疑者が本当にここまで認めているのかということは、広報担当は説明していないと解釈した方が適切なのではないかということがあります。
さらに、本件は午前10時に通常逮捕ですけれども、広報担当への取材は、それからまだ2時間弱という時点です。事案の概要についての被疑者の認否、これは当然、弁録の段階でしていると思いますが、この時点で、それを越えた犯行前の経緯についてまで被疑者が正確に詳細に供述しているかどうかは疑問であるということがあります。
それから、Aさんが知人であるということ、目が覚めて裸であったことを認識していながら、1か月後に裸の写真のデータを持っていることを初めて知って警察に相談したということからも、どの部分がAさんの意に反することであったのかについて、疑問に感じるということは、この時でも言えるのではないかということです。

放送は何を伝えているか
それでは、実際の放送はどのようになっているかということは、先ほど映像を見て頂きましたけれども、見出し部分は「意識がもうろうとしていた知人女性を自宅に連れ込み・・・」となっていて、そのあとは容疑事実、広報連絡の事案の概要に近いものです。で、「容疑を認めているということです」というコメントが入り、その後「事件当日、女性と一緒に酒を飲んだ容疑者は意識がもうろうとしている女性をタクシーに乗せ自宅マンションに連れ込んだということです」、「女性の服を脱がせ犯行に及んだということです」とつながっています。
「容疑を認めているということです」が真ん中に入っていて、後の熊本県民テレビとは若干構成が違うんですけれども、何々ということです、何々ということです、と基本的に同じような言い回しで連続して放送すると、与える印象としては、この経過も含めて容疑者がすべて認めているというふうに理解されるのではないか。犯行に至る経緯の部分と直接の逮捕容疑となった被疑事実を明確に区別せずに放送していることから、このストーリーを含めた事実関係を容疑者は認め、ストーリー全体が真実であるという印象を視聴者に与えている、と委員会は考えました。

放送倫理上の問題
そうだとすると、放送倫理上の問題としては、広報担当の説明部分のうち、どの部分までを申立人は事実と認めているのかということについて、疑問を持って、その点について丁寧に取材して、不明な部分があれば、広報担当者にさらに質問、取材をすべきではなかったかと。仮にそこまでの取材が困難だったとすれば、逮捕したばかりの段階で被疑者の供述についても担当者の説明が真実をそのまま反映しているとは限らない。追加取材もまだ行われていない段階で、何の留保もなしに容疑者は容疑を認めていますと、ストーリー全体が真実だと受け止められるような放送は、避けるべきではないかということを指摘しています。
もう1点、薬物の使用について、「疑い」があり、それから「追及する方針」と言っています。この点、熊本県民テレビは「可能性」という程度で、表現のニュアンスがちょっと違っています。「疑い」、「追及」という表現は、やはり具体的な嫌疑があるというふうに考えざるを得ないんじゃないか、そういう印象を受けるだろうということで、その根拠は果たしてあったのかとなると、根拠はない。とすれば、この表現も慎重さを欠いていると言わざるを得ないという結論を出しています。

事件報道に関する放送倫理の考え方
これに関係して、放送倫理上の考え方はどういうものがあるかということで、BRC決定を挙げております。これは「ラグビー部員暴行容疑事件報道」(委員会決定 第6号、第8号、第9号 大学ラグビー部員暴行容疑事件報道)の決定ですが、警察発表に基づいた放送では、容疑段階で犯人と断定するような表現はすべきではない。また、容疑者の家族や弁護士等を含む、裏付け取材が困難な場合には、容疑段階であることを考慮して、断定的な決めつけや誇張した表現、限度を超える顔写真の使用を避けるなど、容疑者の人権を十分配慮した、慎重な報道姿勢が求められる、という考え方を示しております。
それから、民放連が裁判員制度の開始にあたっての事件報道に関する考え方をまとめ(2008年1月17日)、「予断を排し、その時々の事実をありのままに伝え、情報源秘匿の原則に反しない範囲で、情報の発信源を明らかにする。また、未確認の情報はその旨を明示する」としています。
これはご参考までですが、同じく裁判員制度の開始にあたっての日本新聞協会の報道指針(2008年1月16日)で、これは本件と比較的近い部分を切り取っていると言っていいのかなと思いますけれども、「供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容がすべてがそのまま真実であるという印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分分配慮する」と言っています。
こういった見解も踏まえて、放送倫理上問題ありと委員会は考えたわけです。

名誉毀損について
それでは、名誉毀損が認められるかどうかという点についてです。
この点については、東京地裁の平成2年の判決がございまして、警察の捜査官が発表したことについて特段疑問を生じさせるような事情がない場合には、それを真実と信じても相当性があると指摘しています。もう1つ、平成13年の東京地裁の判決は、若干ニュアンスが異なって、警察発表は一般的に信用性が高いものではある、ただし、広報担当者が発表した被疑事件の事実について、これを被疑事実としてではなく客観的真実であるかのように報道したことにより他人の名誉を毀損したときには過失責任を免れないという判決もあります。
このように、警察発表の内容にどの程度依拠し、どの程度真実性があると考えて報道できるかについては異なる考えがあるといったことから、委員会として、本件放送について相当性がないとまでは踏み込めないということで、名誉毀損という判断はしておりません。

肖像権・プライバシーについて
肖像権、プライバシー権の問題が次のテーマで、これについては、事案の重大性、それから公務員の役職、仕事の内容に応じて、放送の適否を判断すべきだという規範を立てています。ですから、公務員だから一律に顔写真を出されてもいい、職場の映像を出されてもいいという考え方には立っていません。
それで本件について言えば、罪名が準強制わいせつという重い法定刑の事案であるし、区民課窓口で一般市民と接するという立場にもあった。そういったようなことを考えると、公益性、公共性もあり、相当な範囲内だというふうに考えました。繰り返しの写真使用については、相当な範囲を逸脱しているとまでは言えないということです。

◆「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(熊本県民テレビ)

熊本県民テレビの決定は、基本的にテレビ熊本と同じ構成ですが、表現ぶりのところが若干違っています。取材の過程はかなり似ております。やはり、事案の概要については認めているということでしたが、広報担当者が経緯の部分と言いますか、そういった部分も一気に説明したことについて、それがすべて真実であるというふうに、どうも理解されていた節があります。そして、放送では、経緯の部分も含めて読み上げた後に、これらを受けて、「容疑を認めている」としています。したがって、容疑者がすべて認めているという印象を与えてしまっています。この点で、テレビ熊本と同じ、あるいはより明確に問題点があるかなと思っています。

少数意見
「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本、熊本県民テレビ)の決定に少数意見を付記した3人の委員がそれぞれ説明をした。

(奥委員長代行)
容疑者は拘束され、まだ弁護人もついていませんから、容疑者側の言い分を聞くことは出来ない、犯罪の性質上、被害者にも当たることは出来ない。こういう状況の中で、第一報を副署長の説明によって書くというのは、ごく普通の一般的に見られる事件報道のスタイルです。放送倫理上問題があったという判断は、副署長の説明は概括的で明確とは言い難い部分があった、にもかかわらず、容疑事実について断定的に書いてしまったとあるわけですね。しかし、副署長の説明が明確でなかったかと言うと、実は明確だったのではないかと私は考え、それをいわば検証するために、いくつか新聞記事を参照しました。簡単に言うと同じことが書いてある、他のテレビ局は良く分かりませんが、ほぼ同じようなニュースを流していると思うんですね。
ということは、取材記者たちは副署長の説明をいろいろ聞いて、特段疑問を持たなかった。おかしいなとか、もう少しちゃんと取材をしてから書こうとか考えずに第一報を書いたということであって、事件報道の在り方として良いのか悪いのか、もちろん議論すべき問題が残っていると思いますが、今日、ただ今の事件報道の水準から見て、特段放送倫理上問題があったとは言えない、言い難いだろうというのが私の少数意見です。

(曽我部委員)
基本的に本体部分は奥代行の意見に乗っかる形で、それに一言付加したというのが私の少数意見です。
要は、今回わりと大きな取り上げ方をしていますが、それは、ひとえに被疑者が市役所の公務員だったということにあると思うんです。職場も映っていましたが、彼は28歳で、まだ入ったばっかりで、区役所の窓口で住民票の写しとかを発行しているような人なんですね。そういう人でも、公務員だというだけでもって、放送出来る最大限のことを放送しているというのが、ちょっと姿勢としてどうかなということを書かせて頂いたということです。

(中島委員)
多数意見、委員会決定は警察発表を疑えということでした。私の少数意見は警察を疑わなくて良いということではもちろんありません。疑うべきは疑わなければいけないとは思っておりますが、この事件で放送倫理上の問題を指摘出来るかと言えば、警察発表を鵜呑みにしないということが放送倫理として報道機関の側に確立されていないと、それはかなり難しいだろうと思います。今回の件で放送倫理上問題ありというのは、一種の遡及処罰のようなものになってしまう。これまでやってきたものを、急にある日突然180度変えろというのは、かなり無理な要求ではないかということです。
奥代行のように考えると、他の報道機関がどういう報道をしたのか分かるまでは、どうしたらいいかという基準が分からないわけですね。今回、問題提起がなされているわけですから、これを報道機関の方々が受けて、自ら放送倫理として確立していかれることが一番望ましい報道の在り方ではないか。この件で放送放送倫理上問題ありと判断するのは、ちょっと厳し過ぎるように私は思ったということです。

(質問)
委員会のヒアリングでは、申立人から、自宅に連れていく時は意識がはっきりしていた、あるいは嘔吐して服を脱がせるのを手伝ったとか、報道時点で取材出来なかった話があったと思うんですけれども、本当のことを言っているという印象もあったのでしょうか。

(市川委員長代行)
我々が彼の言っていることをそのまま信じたのかと言うと、そこは委員の印象はそれぞれですけれども、少なくとも私は、それが事実だというふうに捉えていませんし、事実であるという前提で決定を書いているわけでもありません。逮捕された時には彼の言い分は聞けないし、弁護人もついてないわけですから、そこまでの真偽を確定するべきものでもないし、その必要もなかったというふうには思っています。

(坂井委員長)
今の質問に対する答えとしては、彼の主張は主張として聞いたけれども、相手の女性の話は聞いていないわけですから、その時どうだったのか、確定的な心証は取りようがない。
だけれど、報道との関係で言うと、広報連絡で出ている被疑事実としては、無断で女性の裸の写真を撮ったとしか書いてない。意識もうろうした女性を家に連れ帰って服を脱がせて無断で裸の写真を撮った、ということは被疑事実にない。そうだったかもしれないというのは副署長が言っただけで、取材時の質問と答えがずれていて、当然、局もそれ以上のものは持っていないわけですね。結局、副署長が、ちょっととんちんかんなやり取りを言っただけだと。
別に警察を疑えと言っているわけではないが、無理な要求をしているとは思ってはいない。広報連絡に書いてある事実と副署長が話した事実が違っていて、もし副署長の説明どおり意識を失った人を連れ帰って服を脱がしたら、それを強制わいせつとしてもおかしくない。場合によっては逮捕監禁になっちゃうかもしれない。だけれど、テレビ熊本の説明では、女性は、翌朝、裸になったと気づいたと言っていて、写真のことが分かるまで何も問題にしていない。その後逮捕されるまで2か月ぐらいかかるというような経緯の中で、副署長の説明全体を事実として報道出来るような裏付けはないよねということです。

(質問)
奥委員長代行の話ですと、たぶん他の3局も同じようにニュースを取り上げたと思うんですが、申立ての対象がこの2局だったのは、何か理由があったんでしょうか?

(市川委員長代行)
他の局も最初は申立てがあったようです。ただ、最終的には取り下げられて、残ったのがこの2局だったということで、その理由は、ちょっと私どもも分からないです。取り下げられた局のニュース映像は見ていないものですから、どこに違いがあるのか、ちょっと良く分からないんです。
新聞報道についても、確かに連れ込んで裸にして云々という書き方の新聞がかなり見受けられます。ただ、それぞれニュアンスが違って、逮捕容疑の部分をまず書いた上で、それ以外の部屋に入ったところとか脱がせた部分は後ろの方で書き分けるという、そういう工夫をしているなと思われる記事もありました。
そのような意味で、取材を通じて決して疑問に思わない事案ではないんじゃないかと思うわけです。決定の通知後、この2局で当該局研修をしましたが、事案の概要や広報担当者の話を聞いたときに、委員会の見解と似たような認識を持った方もいらっしゃったのではないかと感じるところはありました。特にテレビ熊本は、もう少し意識して放送すれば、容疑事実を認めている部分はどこまでなのか、もう少し明確に放送出来たんじゃないかなと、私は思っています。

◆都知事関連報道に対する申立て

(坂井委員長)
申立人は、舛添さんご本人ではなくて、夫人の雅美さんと長男長女の合計3人です。申立ては、2人の子どもが1メートルぐらいの至近距離から執拗に撮影されて、衝撃がトラウマになって、登校のために家を出る際に恐怖を感じている。雅美さんはこうした子どもの撮影に抗議して、「いくらなんでも失礼です」と発言したのに、事務所家賃に関する質問を拒否したかのように、都合良く編集されて視聴者に雅美さんを誤解させる放送だったと。
これに対してフジテレビは、2人の子どもを取材、撮影をする意図はまったくなく、執拗な撮影行為は一切行っていませんと。雅美さんの発言については、家賃に関する質問から雅美さんの回答を一連の流れとしてノーカットで放送したもので、作為的編集の事実は一切ありません。雅美さんは政治資金の流れの鍵を握るキーパーソンで、使い道について説明責任がある雅美氏を取材することは、公共性、公益目的が極めて高いと、こういう主張です。

事案の論点
論点を簡単に書くと、肖像権侵害は成立するのか。もちろん、承諾を得て撮っていれば、肖像権侵害はないわけですが、お子さんの撮影の承諾を取っているわけはないです。そういう場合に肖像権侵害は成立しますかと。これは、撮影時の具体的状況や撮影された映像の内容、撮影の目的や必要性等を検討しなければいけません。それを検討した上で、肖像権侵害が構成されるのか。奥代行が言っていた比較衡量みたいな話になってきます。
名誉毀損はどうなのか。さっき見ていただいた雅美さんが怒っているところの摘示事実は何なのかを確定する必要があって、どういう事実が摘示されたかという前提で、それで社会的評価は低下するのだろうか、名誉毀損になるだろうか、仮になるとすると、公共性、公益目的はどうなのかという議論が出てきます。
放送倫理の問題としては、雅美さんによる抗議を放送した部分の評価、映像編集の問題も含めて問題がなかったのか。取材方法の適切性。これは取材依頼をしていなかったことや早朝取材に行ったこと、取材中に質問に答えなかったこと。あと、映像素材の取り扱い、この点はこの後、あまり話しませんが、雅美さんは子どもを撮影されて、その映像が放送局にあること自体が気持ち悪いと、そういうことをすごくおっしゃっていました。

肖像権について
まず、これは撮影しただけで、子どもの映像は、もちろん放送されていないわけで、そういう場合に肖像権侵害が成立するんでしょうかと。一般論としては、成立しますということがあります。
和歌山カレー事件法廷内撮影訴訟、これは写真週刊誌『フォーカス』が確信犯的に法廷内の撮影をして訴訟になって、訴訟になったらまたもう1回似顔絵画家を呼んでやって、それも訴訟になったというような興味深い事件です。このときの最高裁判決の判断基準は、肖像権の保護と正当な取材行為の保障とのバランス。被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の対応、撮影の必要性等を、いろんな要素を総合考慮して、被撮影者の人格的利益の侵害が、肖像権侵害ですね、社会生活上、受忍の限度を超えるものと言えるかどうか、で判断して下さいという基準です。
本件では雅美さんを取材することが目的で、その際に子どもが付随的に映り込んだに過ぎない、もともと子どもを取材しようと思っていないわけですから、被撮影者の社会的地位等を子どもについて検討するのは適切ではない。なので、社会的地位などは雅美さんに即して検討しますという立場で、撮影の態様としては、付随的に映り込んだ子どもに対して相当な範囲を超えた撮影行為がなかったか検討する。付随的と言いながら、子どもを一所懸命撮っていたら付随じゃないみたいな話になるわけで、実際はどうなんでしょうかということになります。
2人の子どもに共通する要素。取材対象は、政治資金流用疑惑が持たれている会社代表者であるところの雅美さん。場所は自宅前とはいっても1階の事務所の前。公共性は高く、公益目的もあるということになります。長男の撮影態様は、放送されていないので見ようがないんですが、フジテレビのこういう撮影でしたという主張に、申立人側からとくに異論はありませんでした。フジテレビの主張だけではなくて、放送された部分から考えてどうだろうかという検討もしました。概ねフジテレビの主張どおりの状況ですねという結果です。長女についても6秒間映っていましたが、雅美さんが出てくると思って撮影を開始したら長女が出てきた、続いて出てくるかもしれないと回していましたという話で、不合理でもないし、そもそもお子さんを撮ってもしょうがないし、そんな目的があったとも思えないので、フジテレビの説明には相応の合理性があると。結論として子どもの撮影について肖像権侵害は認められないと判断しております。

名誉毀損について
雅美さんの名誉毀損の問題です。やり取りがどうだったか、番組を見ていただいたように「すみません、家賃収入の件」、「いくらなんでも失礼です」、「家賃収入の件でお伺いしたいんですけれども」。「そして」というナレーションが入って、「間違ったことは1つもございません。きちんと取材してからいらしてください」、こういうやり取りなんですね。
この場面について、一般視聴者がどう受け止めるんでしょうかということを検討すると、ここだけ見ていると、政治資金流用疑惑を持たれる家賃関係の質問に対して、雅美さんが「いくらなんでも失礼です」と発言し、キレて怒っているという印象を与える。メディアから公共性のある質問を受けて、本来説明に応じるべき立場にあるのに、感情的に反発してヒステリックな態度を取った印象を生じるから、雅美さんにはマイナスイメージを与えるでしょうと。ただ、名誉毀損は成立しないというのが我々の結論です。
なぜかと言うと、これ2つの立場がある。1つは、私の立場ですが、マイナスイメージを与えれば社会的評価は下がる、しかし、すべて名誉毀損にあたるのかというと、それは程度によると。本件は、名誉毀損というレベルまでの社会的評価の低下、マイナスイメージを与えているわけではないという立場。もう1つは、名誉毀損のレベルまで行っているかもしれないけれど、この件は放送倫理上の問題として検討するほうが妥当だという立場。ただ、どちらの立場も、結論として名誉毀損の成立は認めていません。

放送倫理について(映像編集)
放送倫理上の問題はどうなのか。実は放送された場面の前にやり取りがありました。それはフジテレビも争っておりません。雅美さんが出てきて「子どもなんだから撮らないでくださいね」と、まず言います。ディレクターが「雅美さん、お話を伺ってもいいですか」と言うと、雅美さんが「失礼ですよ。子どもなんですよ。やめてください」と言います。で、階段を降り切った長男がカメラの前を一瞬横切って、雅美さんが長男に「行ってらっしゃい」と言います。ここから先が放送場面になるわけですが、ここまでのやり取りの映像は編集でカットしているんですね。
雅美さんは「子どもなんだから撮らないでくださいね」という発言をはじめ、子どもを撮影されたことに対してくり返し抗議をしていました。しかし、放送には子どもは一切出てこないから、子どものことが問題になっていたことは視聴者には分からないんですね。ところが、「すみません、家賃収入の件」というディレクターの質問から放送したことによって、「いくらなんでも失礼です」という発言が、家賃収入の話を聞いたら、雅美さんが突然キレちゃった、そういう印象が生じます。
そうすると、ここで映像を切ったことの説明、子どものことで怒っていたと一言添えるとか、いろいろ他の選択肢もある中で、他に何か誤解を与えない工夫をしないといけなかったんじゃないでしょうかというのが検討の結果です。雅美さんは「失礼です」という同じ言葉を繰り返し、2度目は「いくらなんでも」と修飾語をつけているから、子どもの撮影に対する抗議の意味と理解するのが妥当で、編集を行った際にフジテレビもそれはわかったんじゃないでしょうかと。雅美さんの抗議にディレクターが直接回答しなかったために、引き出された面もありますねと。
しかし、映像の順序を入れ替えたり、途中の一部をカットしたという事情はなく、同時に怒ったこと自体は事実なので、放送倫理上問題があるとまでは言えないとした。この点は私自身も本当に微妙だなと思っていて、真ん中を切ってつなげて編集したらダメだけど、肝心の前を切っちゃって誤解を与えたら、それはいいのかというと、非常に微妙ではあろうと思います。ただ、怒っていることも事実ですし、放送倫理上の問題があるとまでは言えないというのが決定の立場です

放送倫理について(取材方法)
取材方法についてですが、フジテレビからは、雅美さんに取材依頼をしても応じてもらえないと思いましたという説明があったんですが、雅美さんの方は、いやいや、ちゃんと説明したかったとおっしゃっておられました。どちらも言い分があるわけですが、フジテレビがこれだけ正当な取材とおっしゃっるのであれば、断られると思っても、まず取材依頼をしていいんじゃないかというのが我々の考えです。
子どもの登校を狙った早朝の取材については、申立人はこんな時間に取材に来ないで欲しいと主張されたんですけれども、フジテレビは雅美さんの在宅率が高いから早朝に取材に行ったとおっしゃっていて、結論としては、早朝から取材を行ったこと自体は特に問題ないという判断をしています。
それから、雅美さんは「子どもなんだから撮らないでくださいね」と確かにおっしゃっておられる。「雅美さん、お話を伺ってもいいですか」というディレクターの発言の直後に、再び「失礼ですよ、子どもなんですよ。やめてください」と発言をしておられるので、引き続き子どもの撮影を問題にしていたことはディレクターも分かったんじゃないでしょうかと。抗議されている子どもの撮影について正面から答えず、家賃収入に関する質問をしており、雅美さんの言葉を無視したという理解も仕方がない対応ということです。

要望
放送倫理に関するまとめとしては、問題ありとまでは言えないけれども、今後の番組制作に2つ要望しています。まず、雅美さんが抗議した部分について、誤解を生じさせないような配慮を、怒っている理由をわかるようにすべきだったと。取材依頼もやっぱりすべきじゃないですかと。これだけ公共性の高い事案を取材するのであれば。やっぱり正面から対応してください。それから、子どもを撮影しているつもりはないと言っても、撮られている側はわからないという面があると思うので、そういう不安には配慮したほうがよろしいんじゃないでしょうか、と言う要望です。
あと、これは付言ですが、申立人は、当時都知事だった舛添さんの政務担当特別秘書を通じて、撮影した映像を放送しないようにフジテレビ側に申し入れをしています。これは子どものことについて申し入れをしたということだったんですが、ただ、東京都知事といった公的権力を行使する立場にある者が自己に関する批判を受け、報道を行わないよう放送局に働きかけをしたと受け止められかねない行為をすることは、取材・報道の自由への介入になり得る危険な行為であり、配慮が必要ですという付言があります。

少数意見
この決定には二関委員が曽我部委員との連名で少数意見を付記しており、説明した。

(二関委員)
坂井委員長からも説明があったとおり、実際には雅美さんは子どもが撮影されたことに対して怒っていたのに、家賃の質問をされたことに対してキレたという印象を与え、つまり誤解させる映像だったと。ここは多数意見も一緒ですけれども、そういった誤解させるような放送をしたことについての評価が分かれたという点が、少数意見が異なるところです。多数意見は4つ事情を挙げて、その4つの事情を、ある意味フジテレビに有利な方向に捉えたわけですが、少数意見はフジテレビに有利に評価をすること自体、ちょっと違うんじゃなかろうかと疑問を呈しているということになります。
先ほど見ていただいたやり取り、子どもの撮影に怒っているわけですが、その前の部分を割愛しているために全く子どものことが分からないわけですね、視聴者には。そういう文脈を無視した切り方をすること自体、やっぱりおかしいのであって、それを順番を替えたりしていないからといって、フジテレビ側に有利に事情として見るのはおかしいのではなかろうかと。
あと、多数意見は怒ったこと自体は事実だから、それはいいんじゃないのと、平たく言うとそういう立場ですが、子どもが撮られたことに親が怒ったというのであれば、それはまさに親心として分からないではないが、公共性のある質問に対してキレたと言ったら、それは同情するような人は通常いないわけですから、何が原因で怒ったかっていうことは大きいだろうと。
今は4点のうち2点だけ申し上げましたが、そういったような事情から少数意見のほうは評価を異にしたということになります

(質問)
申立人は東京都知事の奥さん、公的な人物の家族ということですが、これがたとえば一般の方に対して同様な取材を行って、このような申立てがあった場合に判断は変わってくるでしょうか?

(坂井委員長)
東京都は国家に匹敵するような大きな自治体で、そういうところの都知事のただの妻じゃなくて、政治資金管理団体の代表ですから、立場的にも公的な立場。なので、公共性も公益目的もあるということですが、一般の方の場合でも、単に公的な立場でないからという理由だけで、すべて公共性、公益目的がないということにはならない。
ちょっと参考になるのは、ポイントは違いますけれども、「散骨場計画報道への申立て」(委員会決定 第53号 )という事案がありました。申立人は別に公務員でも議員でもない、一般の会社の社長ですが、有名な保養地、温泉地の熱海で「墓地、埋葬等に関する法律」の対象となるような散骨場を計画し、熱海市民の何分の1という人が反対運動に署名したり報道されたりということで、公共性がすごく高いという認定をして、肖像権侵害は認めませんでした。
だから、一般の人でも事案によってはそういうことになるし、贈収賄事件に関わったり犯罪に関わったりすれば、公共性が高くなるということで、どういうことに関われば公共性が高くなるのかという問題もあろうかと思います。

◆浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て

(奥委員長代行)
どんな事件だったのか、地元の新聞などにもずいぶん大きく報道されています。申立人はどういう人かというと、さっき見ていただいたニュースの最初のところで、警察が捜査に来て車を押収する画面が入りましたね。家がちょっと映っていますけれども、その家の人が申立人です。彼は事件の容疑者の知人であるということは間違いないんですね。事件発覚前に容疑者から軽自動車を譲り受けた、これも間違いない。申立人は、この後、その日を含めて数日間にわたって警察から事情聴取を受けた。これは申立人自身も認めているし、まさに客観的事実として間違いないわけですね。

申立て内容
では、申立人は何を訴えてきたかというと、主張の1つは、この日の警察の捜査活動は、この段階では逮捕されていないんですけれども、容疑者による別の窃盗事件の証拠品として申立人宅にあった軽自動車を押収しただけだと。要するに、この日の捜査と浜名湖切断遺体事件とは関係がないということが主張の入口の部分ですね。にもかかわらず、テレビ静岡は浜名湖切断遺体事件報道の続報として関係者とか関係先の捜索といった言葉を使って、申立人がこの事件に関わったかのように伝えた、これはひどいじゃないかという話ですね。
もう1つはプライバシーの侵害で、申立人宅前の私道から撮影した申立人宅とその周辺の映像が放送に含まれ、申立人宅であることが特定される。家が特定されるから、申立人も特定される。そこで切断遺体事件に関わった、ひょっとしたら容疑者じゃないかというふうに思われ、ひどいじゃないかと。人権侵害の中身としては、名誉毀損とプライバシー侵害になるわけですね。

判断の前提
申立人の主張について、委員会がどういうふうに判断したかと言いますと、まずこの日の捜査が浜名湖事件と関係がなかったかどうか。外形的な事実としては、確かに証拠品としての軽自動車の押収だと。これは証拠品押収のための令状があって、それは間違いない。
テレビ静岡の取材の経緯を考えてみると、これは親しい捜査関係者から、明日の朝、浜名湖事件の大きな動きがあるよ、いろいろ捜索に行くよというようなことを聞いたわけですね。その情報をもとに、捜査本部を含めていくつかの警察に朝から車を置いて張り込んでいた、そうしたら、捜査車両がバーッと出て行って、2台から最後4台ぐらいになるんですかね。これが申立人宅に行って、他の場所も2か所ぐらい、浜松のマンションとか西区とか出ていましたけども、大規模な捜索活動をやっているわけで、所轄の警察がちょっと動いたというのではなくて、まさに捜査本部全体として動いているわけです。
もう1つ、申立人は警察の事情聴取を受けているわけですけれども、内容は特に車を譲り受けてどうのというのだけでなくて、容疑者についての関わりとか何か知っていることはないかとか、そういうことをいろいろ聞かれているということですね。
このことを総合的に判断すると、この日の捜査活動は浜名湖切断遺体事件の捜査の一環だったということは間違いない。そういうふうに考えていいだろうと、まずは入口の部分で判断したわけです。

人権侵害について
名誉毀損の判断の入口でいつも問題になるのは、社会的評価が低下したかどうかですが、申立人宅の映像は、申立人宅を特定するものとは言えない、後でプライバシーの問題にもかかってきますけれども、こういえる。しかし、実際問題として、近所の人たちは、朝からあそこの家で大騒ぎしているなというのもあって、浜名湖事件のテレビ静岡のニュースを見るわけですから、周辺の住民が、申立人宅を特定した可能性は否定できないと考え、決定文では一定程度の社会的評価が低下したことは争えないだろうと書いています。
ただ、社会的評価が低下したら、すぐ名誉毀損が成立するということはないので、公共性、公益目的、それから真実性、相当性を考えないといけない。公共性とか公益目的ということで言えば、重大な世間の注目を集めつつある事件の続報ですから、公共性、公益目的はある。問題は真実性、相当性ですが、その際に、具体的に問題になるのは、ニュースで使われている関係者とか関係先の捜索という表現が、真実性を失わせるかどうかということです。
これはちょっと後にするとして、判断がそう難しくないプライバシー侵害について、最初に考えてみたいと思うんです。プライバシーとは、皆さんよくご存知のように、他者に知られることを欲しない個人に関する情報や私生活上の事柄ということですね。さっきも言いましたように、申立人宅の映像は、ただちに申立人宅を特定するものではない。近所の人、申立人をそもそも知っているという人が見れば分かったかもしれないが、一般視聴者が分かったわけではない。布団とか枕とか、そういう映像があるわけですが、普通の家の外に干してある布団とか枕がプライバシーの概念にすぐにあたるかというと、そうではなかろうと。プライバシーそのものとは言い難いということで、プライバシー侵害にあたらないと判断したわけですね。
さっき置いておいた真実性、相当性の検討ですけれども、分かっていることは、申立人宅における捜査活動が浜名湖切断遺体事件の捜査の一環として行われ、申立人が容疑者から譲渡された軽自動車が押収された。これは争いのない事実として本件放送の重要部分で、これは真実性があると言えると思うんですね。
その時に、関係者とか関係先の捜索という表現が、この真実性を失わせるかどうかという問題ですね。そこで実際の取材活動を考えてみると、テレビ静岡は捜査関係者からのリークがあって捜査車両を追いかけて行っていろいろ映像を撮った。しかし、決して当日の捜査活動の全体像を最初の段階で知っていたわけではない。そこで実際に車が押収されているという時にどういう表現をするか。いろいろ考えるべきではあろうと思うんですけども、とりあえず関係者とか関係先の捜索というような表現は、ニュースにおける一般的な用語法として逸脱とは言えないだろうと判断したわけですね。ということで、名誉毀損は成立しないという結論になったんです。

放送倫理について
テレビ静岡は、当日の警察の捜索活動の具体的な内容を全て掴んでいたわけではない、しかし、捜査情報を得て現場に向かい、目前で展開される捜索活動を取材する一環として申立人宅を撮影した。これはどこのテレビ局、新聞社だってやりますよね。それ自体問題ないし、申立人宅が特定されないように、ロングを使わずにアップの映像を使ったり、表札がちょっと映っていますが、そこでもボカシをかけているということがあるわけですね。
ということで、放送倫理上問題があるとまでは言えないと判断したんですが、少し考えてくれたほうがいいところがないわけではないというのが、実際に申立人宅内部の捜索が行われたのかどうかという問題です。申立人は、警察は車を押収しただけだ、家の中の捜索は行われていないと強く主張している、にもかかわらず、関係先の捜索という表現が使われていたと。
実際、家宅捜索は行われていないと言えるだろうと思うんですね。しかし、テレビ静岡は申立人宅の映像を繰り返し使って、さらに一番最後のニュースでは映像が増えるんですね、2階の窓の映像も加えている。ここに枕と布団が映っているんです。しかし、時間の推移とともに、申立人宅での捜査活動は車の押収であったことは推定できたはず。ですから、あんなに最後まで申立人宅の映像をバンバン使う必要はなかったんじゃないかというのが、放送倫理上の問題はないが、少し考えたほうがよかったんじゃないかという話ですね。申立人宅の映像の使い方は、より抑制的であるべきでなかったかと。もっと重要なことは、マンションに住んでいる男性が捜査陣にいわば任意同行を求められて車の中へ入って行く映像があるんですね。その人物が、実は重要参考人としてその後捕まるということになるわけです。そういうことを考えると、申立人宅の映像は少し抑制的に使う必要があったのではないかということを、いわば注文として付けたというのがこの決定です。

(起草委員 城戸真亜子委員)
関係者とか関係先という言葉をニュースなどでよく聞きます。一視聴者として聞いた時に、その事件に関係あるだろうなというイメージで聞いてしまうという見方があるというふうに思います。申立人の場合を考えると、関係先と表現しない方法もこの段階ではあったのではないかと思いました。
ニュースでは、殺害された人を説明するコメントの背景の映像として申立人の家が映っているわけですね。視聴者は、ここで殺されたか、ここに住んでいる人が犯人だと受け止めてしまうでしょう。慎重さを欠くところがあったのではないかと思いました。
特ダネだったということで、多少勇み足的になる心情はすごく理解出来ます。ただ、奥代行の説明にあったように、時間がだんだん経って、他の場所でどういう捜査が進んでいるかとか、たぶん、そういう情報が逐一入って来る中で、これは出す、これはもうは出さないという判断がその都度求められる。報道の現場は、緊張感、慎重さ、反射神経いろんなものが求められる大変な仕事だとつくづく感じたところです。

(質問)
カメラマンが撮影したポジションが私道でしたが、ここにもし「私道」と看板が立っていた場合、判断は変わりますでしょうか?

(奥委員長代行)
申立人は、テレビ静岡が私有地である私道で撮影したと主張しています。確かに私道ですが、誰でも普通に通っているところですから、プライバシーの侵害はない、問題はないという判断をしたんですね。
ここから先が私道だと、「私道に付き立ち入り禁止」というような立て看板があったとしたら、たぶんそこでやめるんじゃないですかね、今の取材のあり方としては。私のように古い新聞記者は、そんなの関係ないと中に入って撮っちゃいますけれど、今は、住居侵入とかになっちゃうからやめるんじゃないでしょうかね、という感じはします。

(坂井委員長)
私道と言っても、郵便局やヤマトや佐川は立ち入りOK、普通に訪問する人が家のベルを押すところまではOKという私道と、「私道に付き立ち入り禁止」、入るなと明示されているところがあり、そういうのは入っちゃだめですね、柵がしてあるのと同じだと考えて。
その中間の「私道」と書いてあったらどうしましょうというご質問ですが、ここから先は一軒家で、入るなというふうに見える場所もあれば、私道でも郵便局や宅配業者がみんな入って行くところであれば、そこは新聞記者とかテレビ局が取材に入っても社会的には許容される、これは法律的には推定的承諾という言い方をしますけれど。状況によるかと思います。あまりクリアな答えではないですけれども、状況判断だろうと思います。

(市川委員長代行)
所有権を侵害するかどうかということから言えば、それはだめですということになると思いますが、プライバシーとの関係で言えば、私道であっても宅急便や郵便局の人が入って来るところは、それほど保護されるようなプライバシーの権利はあまりない場合もあるように思うので、そこから撮ったら直ちにプライバシーとの関係で問題ありということにはならないと思います。私の個人的な意見です。

(質問)
警察が捜索をしたのは複数か所ですが、これが仮に、抜きネタだと追いかけて取材をしたら結果的に捜索をしたのは申立人宅だけ1か所だったと。たぶん、弊社であればスクープ映像なので関係者宅の捜索が行われたと昼から夜まで毎回流すと思うんですが、仮にそうなった場合には、この決定の判断は大きく変わることになるでしょうか?

(奥委員長代行)
申立人宅だけの捜索だった場合どうなのかというと、事件の続報という中でのウエイトの問題とか、いろんなことが出てくるので、どうでしょうかね。これは事件の本チャンの筋ではないですね。だから、ちょっとリーク情報があって取材に行ってみたけれど、空振りだったなということになるんじゃないですかね、感じとしては。

(坂井委員長)
捜索ではないというのが前提で、事実としては、申立人宅で車が事件に関係あるものとして押収されたということですね。だから、車が押収されたと報道するのはいいが、事件の本筋じゃないから、どこかでやめようという冷静な判断がないといけない。
これはすごい事件ですよね。切断遺体が浜名湖で出てきて、みんな恐ろしいと思っている時に、関連する捜索がありました、車が押収されましたと報道するのは、まずはいいとして、ちょっと怪しいと思ったらそこでやめないと、だんだん申立人が殺人事件の、主犯じゃないかもしれないが共犯かという目で社会的には見られると思うんですよ。そのへんの視点を忘れて報道をやり過ぎると、関係者という用語では留まらない意味が生じるかもしれないというようなことを感じます。

◆アンケートの回答から

事前アンケートの回答の中から2局を取り上げた。

(発言)
ローカルの情報番組の毎回のエンディングで「この夏休みはどう過ごすの?」みたいなことを、たとえば子どもにインタビューするというコーナーがあるんです。当然学校と担任の先生の許可を得て撮影し、何人かの子どもに答えてもらったんですけれど、そのうちの1人の胸の名札にフルネームが入っていました。それを見た親御さんから、プライバシーの侵害であると、BPOに言いつけてやるという電話があったと、学校から私どもの視聴者対応のほうに連絡がありました。フルネームが映ってしまったのを見逃したという部分あり、社内的には今後気をつけていかざるを得ないなという結論に至った次第です。

(坂井委員長)
たまたま名札が映っちゃったと。それはほんとにご時世で、昔だったら、問題にならなかったと思うんですけれど、ネットにどう流れるか分からないみたいな時代になっていますから。嫌だなとは思いますけども、学校名、名前、顔まで出てしまうと、そこはやっぱり配慮すべき事項だろうと思います。そういうケースだと、確かに何かあってからでは遅いという話になるような気もします。

(質問)
仙台市では中学生の自殺が複数あり、取材、報道で大変難しい判断を迫られるケースが出ています。特に最近分かったケースで、先生の体罰が絡むケースがあったりして、この学校はどこなんだという騒ぎも出たりして、もちろん、子どもたちへの直接取材とかはしていないんですが、体罰とかに関わった先生や校長先生からは話を聞かなきゃいけないと、実名報道に切り替えたという経過があります。こういう問題に対して、どのようにお考えですか。

(坂井委員長)
2つ問題があって、学校側の対応、いじめとか自殺にならないようにするために、学校の責任ある対応がなされていたのかどうかという部分では公共性があるし、匿名にする理由はないような気がするんですよね。だけれど、校長先生の顔や学校名が出ると、たとえば自殺したケースだと、遺族の方たちが「いや困る」と、遺族の方がどういうふうに考えるかということとの両面を見ながら報道することかなと思います。東北の出来事だったと思いますが、コンテストで自殺した女子生徒が写っている写真の表彰が取りやめになり、逆にご遺族の方から「写真を出してもらいたい」という話があったりして、一律ではないと思うんですね。
最初の被害者の実名、顔写真の話とつながるんですけれど、ご遺族が「困る」と言ったから、絶対それに従わないといけないということでもない、ケースによっては、名前を出して追求しなきゃいけない事案かもしれない。そこは、ほんとにどういう事案で、どこまで出さないといけないのか。匿名のまま報道しても問題提起が出来る場合もあると思うので、その要素を考えてやっていくのかなと思っています。

(曽我部委員)
いじめの場合は、当事者の意見が食い違うことが多々あるので、その辺りはかなり配慮して、当然配慮されていると思いますが、一方的で断片的な報道になってしまうと問題だと思います。ただ、委員長が言われたように、学校というのは基本的に閉鎖的な社会ですので、そこをきちんと報道するということには非常に大きな意義があると思いますので、必要に応じて、つまり匿名のままでは報道しきれないというような場合は、やはり実名で報道すべきではないかと、個人的には思います。

◆実名報道の価値 しっかり発信を ~坂井委員長 締め括りあいさつ

簡単にまとめたいと思います。これからますますいろいろなネットの問題や座間の事件ような問題が出て来たりしますので、局としてもしっかり考えていかないといけない。
今日取り上げた決定に、「勧告」はないんです。放送倫理上問題あり、または、問題なしだが要望ありの「見解」です。理由は細かく決定文に書いてありますので、ぜひ読んでいただきたい。そのうえで、ちょっと立ち止まって考えていただければ、放送倫理上問題ありとか、要望ありと言われないように、取材、報道に生かせるのではないか。現場を知らない私が言っても説得力がないかもしれませんが、ちょっと考えていただければ、こんなふうに言われないで済むのになと思うことがあります。例えば私がご説明した都知事事案の一番のポイントは、「いくらなんでも失礼です」と怒っているところの映像の切り方ですね。ここで切ったらどういう反応が来るのか、ちょっと考えれば分かるはずなんです。
それから、繰り返しになりますけれど、報道する価値とか実名報道の価値、被害者でも実名や写真を出さないといけないことがあるというならば、それを報道する側がしっかり発信していかないとだめなのだと思います。報道される側は当然いろいろ感じるわけですから。それを発信することによって、放送、テレビメディアに対する信頼が高まって、そういう報道も必要なんだと理解されていくのだと思うので、ぜひ個別の事案で委員会がどういう議論しているかを理解していただければありがたいなと。そのための意見交換会として、今日はほんとうに有意義だったと思っております。ありがとうございました。

以上

2017年12月に視聴者から寄せられた意見

2017年12月に視聴者から寄せられた意見

大相撲の暴行事件に関する意見のうち、特に各局ワイドショーなどで、加害者側を擁護する司会者やリポーターに対する批判や、およそ2か月間、ほぼ同じ内容でこの事件を追い続けている番組への批判が多かった。

2017年12月にメール・電話・FAX・郵便でBPOに寄せられた意見は2,026件で、先月と比較して665件増加した。
意見のアクセス方法の割合は、メール75%、電話23%、FAX1%、手紙ほか1%。
男女別は男性65%、女性34%、不明1%で、世代別では40歳代27%、30歳代23%、50歳代20%、20歳代14%、60歳以上13%、10歳代3%。
視聴者の意見や苦情のうち、番組名と放送局を特定したものは、当該放送局のBPO連絡責任者に「視聴者意見」として通知。12月の通知数は893件【34局】だった。
このほか、放送局を特定しない放送全般の意見の中から抜粋し、21件を会員社に送信した。

意見概要

番組全般にわたる意見

先月に引き続き、大相撲の暴行事件に関する意見が多く寄せられた。特に、各局ワイドショーなどで、加害者側を擁護する司会者やリポーターに対する批判や、およそ2ヵ月間、ほぼ同じ内容でこの事件を追い続けている番組への批判が多かった。
ラジオに関する意見は31件、CMについては23件あった。

青少年に関する意見

12月中に青少年委員会に寄せられた意見は110件で、前月から22件増加した。
今月は「表現・演出」が24件と最も多く、次に「暴力・殺人・残虐シーン」が16件、「報道・情が13件、と続いた。
「暴力・殺人・虐待シーン」では、バラエティー番組でプロレス好きな子どもを持つ母親からの依頼を扱った企画について意見が寄せられた。

意見抜粋

番組全般

【取材・報道のあり方】

  • 大相撲の暴行事件発覚後から連日、ワイドショーなどで、コメンテーターやゲストの芸能人が、個人的な思い込みや推測で話す内容は、すべての視聴者が共有すべきことだろうか。国会の審議や国際情勢など、もっと視聴者に事実を知らせ、議論する必要があるテーマがあるはずだ。私は相撲が嫌いではない。むしろ、民放では、普段から他のスポーツと同様に話題として伝えてほしい。問題が起きた時だけ、このような取り上げ方をすることは疑問に思う。

  • 大相撲の暴行事件で、悪いのは暴力をふるってけがをさせたほうなのに、番組司会者やリポーターなどが擁護しているのを見ると、10年前の力士死亡事件から何も学んでいないとしか思えない。また、暴力行為はもっと早くに止められたはずで、止めずに見ていた力士は皆同罪ではないのか。明らかに横綱側に立った報道で、聞いていて呆れる。守られる立場の被害者や親方が責められ、相撲協会は加害者を守ろうとしている。これでは学校のいじめと同じで、その中で解決できるとは思えない。警察を入れて正解だった思う。

  • 大相撲の暴行問題の放送時間が、あまりにも多くて長くて何の意味があるのだろうか。事実と結果と問題点を週一回も取り上げれば十分だ。他に社会問題、未解決事件、海外の現状など視聴者に伝えるべきことは山ほどある。あまりにももったいない。日本の研究力や大学の世界的評価の低落、選挙時の投票率の低さ、国民の問題意識の無さ。こういう現状にメディアは一役も二役も買っている。相撲で国は成長しない。特に朝はテレビのスイッチを入れる気にもならない。

  • 「小2女児刺され、同級生の母親逮捕」について、リポーターが同級生らに対し、取材と称して話を聞いていた。たとえ報道する義務があるとしても、同級生は被害者と加害者の子の両方を知っている。しかも殺人未遂である。精神的ショックが大きいと思われる事件の取材は、今後の子ども達の将来を考えると倫理的に看過できない。大切なのは、被害者児童、加害者の子、その同級生の心のケアである。事件で心に傷を負った子ども達に、さらに追い打ちをかけるような取材が行われないよう、きちんとした対処をしてもらいたい。

  • 「埼玉県の風俗店火災」の報道で、亡くなった被害者が実名で報道されていた。女性は風俗店の従業員、男性は客である。被害者、遺族の複雑な胸の内を思えば、今回は実名を出すべきではなかったのではないか。

  • 事件報道について、被害者のプライバシーを報道するなという意見がある。たしかに、遺族の感情や本人の名誉は尊重されるべきだ。しかし、被害者の生の生活を報じなければ、事件のリアリティーが失われてしまう。「こんな事情を抱え、このように生きてきた人が、こんな理不尽な事件に巻き込まれた」と報じることで、事件の現実の悲惨さを認識でき、自分に近い出来事として悲しみや怒りも湧くのではないか。無機質に「被害者は○○さん××さん」とだけ報じていては、どこか他人事で絵空事のように感じ、事件の悪質性や非人間性が伝わらない。罪を過小評価させている。それでもいいのか。

【番組全般・その他】

  • 最近、番組内容が低俗、下品で堪えられない。今日、たまたま見た番組のテーマが「ラブホテルの歴史」だった。昼間の生放送なのに呆れ果てている。受信料を払うか払わないかで裁判沙汰になっている今でさえ、馬鹿げた番組を繰り広げているのだから、緊張感がなさすぎる。現代日本は高齢者が増え続け、認知症になる人たちも多い。生産年齢は減り続け、10年先は受信料を払える人が激減するだろう。地球温暖化、北朝鮮問題、働ける人口激減問題や介護不足など、様々な問題を目前に、何のためにもならない低俗な番組を流すのは、制作側に問題がある。一体何を趣旨に番組を作っているのか。腹立たしい。

  • 昼の番組で、東京都内の神社の後継を巡る殺人事件の話題が取り上げられた。事件の背景には、宗教法人としての莫大な収入があるようだ。女性タレントが「神社の人たちが殺人事件を起こすなんて」と嘆いた上で、「神社や寺が、庶民のための存在であったのは過去の話。今は庶民への奉仕より利益優先、それでいて税の優遇はしっかり受けている。これはおかしい」と言い切った。全く同感だ。生放送でズバリと言ってくれて、胸のすく思いがした。

  • 朝の番組で、ジャーナリストが、10年前に廃業した大阪の料亭の元取締役と女将であったその母親に取材していた。質問は、廃業のきっかけになった料理の使い回しや謝罪会見での女将の行為に集中し、元取締役と母親の「あの時は申し訳なかった」と何度も頭を下げる場面を映していた。世間に対する弱みがあるから、本人たちは取材を拒否できなかったのだと思うが、なぜ今になって、10年も前の古傷に触れるようなことをするのだろうか。

  • 岩手県に住んでいる。県内の町長のわいせつ疑惑を連日のように各ワイドショーで取り上げ、出演タレントが何だかんだ騒いでいる。番組が伝えるのは、町長のハレンチな行為だけで、町が抱える問題についてはどこも触れてくれない。テレビ的に面白くならないからだろう。この町は、6年前の東日本大震災と昨年の台風10号により大きな被害に見舞われた。復興半ばの小さな町でこのようなことが起こってしまい、住民は困惑している。ワイドショーのやっていることは、町のイメージを悪くし、復興の妨げになる可能性があることを忘れないでほしい。風評被害につながるおそれもある。悪いイメージがついた町に観光に来てくれるだろうか。テレビ的には恰好のネタでも、住民からすれば、生活そのものがかかっている。中途半端に面白おかしく取り上げることはやめてもらいたい。

  • 夜の番組で、外国人の技能実習生を特集していた。日本のメディアでは、正面切って報道されることが少ない問題を、きちんと取り上げている点で大変良いものであったと思う。一部では批判的な声もあるようだが、番組関係者には、今後もそれを恐れず頑張ってほしい。

【ラジオ】

  • 朝の番組は、スペシャルウィーク期間につき、サイコロを振り、出目と同じ数のお金をリスナーにプレゼントする企画を放送していた。「1」で1万円、「6」で6万円というわけだ。しかし今朝、サイコロを振ると「1」が出た。すると司会者は「申し訳ない」と言って振り直し、「6」を出して6万円にかえてしまった。これはおかしい。1ヵ月前にも同じようなことがあったので、局に抗議をした。私の思いは伝わったと思っていただけに納得がいかない。

青少年に関する意見

【「表現・演出」に関する意見】

  • バラエティー番組で、2リットルの水を1分間にどのくらい飲めるか、という内容があり、皆一気飲みしていた。体調に影響はないのか。子どもがまねをした場合、危険極まりない。

【「暴力・殺人・残虐シーン」に関する意見】

  • バラエティー番組で、プロレス好きな子どもの相手になってほしいという母親の依頼を扱った企画で、兄が、痛がる妹にプロレス技をかけるシーンが流れ、非常に気分が悪くなった。子ども同士といえども、DVにあたらないか疑問であるし、その様子を笑いにできる番組が理解できない。

【「報道・情報」に関する意見】

  • 小学校2年生の女児が、同級生の母親に刺傷された事件について、リポーターが幼い同級生に取材と称して、話を聞いていた。報道する義務があるとしても、被害者も加害者の子どもも両方とも知っていることから、精神的なショックも大きいと思われる。今後の子どもの将来を考えると看過できない。

【「いじめ・虐待」に関する意見】

  • バラエティー番組で、お笑い芸人をだますドッキリ企画について、子どもと見ていたが、どう考えてもいじめだと思う。子どもがまねする可能性が高い。人の不幸を笑いものにするのは許せない。

2017年11月28日

四国地区テレビ・ラジオ各局と意見交換会

放送倫理検証委員会と四国地区テレビ・ラジオ各局との意見交換会が、2017年11月28日、愛媛県松山市で開催された。放送局側からは14社51人が参加し、委員会からは川端和治委員長、神田安積委員、斎藤貴男委員、渋谷秀樹委員の4人が出席した。放送倫理検証委員会は、毎年各地で意見交換会を開催しているが、四国地区での開催は初めてである。
今回は、第1部で、9月に委員長談話が公表された「インターネット上の情報にたよった番組制作」について、第2部では、2月に公表された「2016年の選挙をめぐるテレビ放送についての意見(決定第25号)」と10月の衆議院議員選挙の各局の報道を主な議題として意見交換を行った。

第1部では、川端委員長が、「インターネット上の情報にたよった番組制作についての委員長談話」を公表するきっかけとなった、フジテレビの『ワイドナショー』『ノンストップ!』の二つの番組事例を取り上げ、問題点などについて説明した。
その上で、「インターネットの情報はさまざまな人が発信している。信頼できる人が参考になる情報を書いている一方で、悪意を持った人が故意にニセの情報を流すこともある。また、悪意はないが、間違った情報を前提に意見を書いてネット上で話題になっているものもある」と指摘。「番組制作にあたっては、ディレクターなどより現場に近い人が確信を持てない情報を扱うときや、プロデューサーなどチェックを行う人が情報が正しいかどうかわからないときには、放送しないという決意とそれを貫く強さを持つことが重要だ」と発言した。また、「番組制作者は番組をきちんと作っていることに対して矜持を持たなければならない。矜持を持てる番組を作ることのできる制作体制や現場環境が、放送局の中に用意されることが必要だ」と述べた。
参加者からは、「若い人を中心にインターネット上の情報によって情報を確認する傾向が強まっている。インターネットは情報の端緒をつかむものであって、そこから先は対面や電話で当事者に情報を確認するよう指導しているが、時間の制約などがあり、常にリスクを感じている」「効果的なのはインターネット上の情報には間違いがあることを実体験させることだ。それを経験したことで慎重になった事例がある」などの感想や意見が出された。
これに対して、斎藤委員は「ネットと同じものをテレビがやるならば、かつて速報性で新聞がテレビに負けていったように、ある意味での面白さではテレビもネットに負ける日が来る。今のうちからテレビならではの放送のあり方を模索していく必要がある」と述べた。また、神田委員は「SNSなどからの写真の引用は、使い方次第でメディアの選択基準が重く問われる。取り扱いを間違えると、本来使える写真や実名が使えなくなることにもつながるので、自問自答を繰り返していく必要がある」と指摘した。
続いて、意見交換会の直前に松山市内で発生した車両暴走事件のニュース映像を視聴し、視聴者提供の映像使用について意見交換が行われた。
参加者からは「車が広範囲に走ったため、当初、事件の実態がつかめなかったが、ネットには個人のスマホで撮影した映像や情報が瞬時にアップされた。そうした映像を探し許諾を得て使用した」「一般のニュースでも投稿映像を使用することは数多くあるが、その映像がどういう状況で撮られたかなど、背景を確認しなければ確実な放送はできない」などの報告が行われた。また「悪意や金銭目的、マスコミをだましてやろう、などと思う人もいることを常に意識して映像を使用することを考える時代に来ている」という意見も聞かれた。
これに対し渋谷委員は、「ネットは情報の海で玉石混交だ。見極めるのがメディアの仕事であり、真贋が確かめられないときどういう態度をとるかが重要だ。いったん信頼が失われると、積み上げてきたものが一気に崩れてしまう」と指摘した。なお、参加者からは「昨今は事件が発生した際、そこにいる一般の人の多くが現場にカメラを向けている状況にある。メディアが一般の人からの投稿をあおるような社会が行きつく先に懸念を感じている。一枚の写真を使う重さを、どのように次の世代に伝えていくかを考えている」との意見が聞かれた。
一方、ラジオ局の参加者からは「ネットの情報をうまく使い、人手不足やコストの問題に対応することはテレビ以上に切実だ」という意見が出された。

第2部では、まず、台風の直撃と開票が重なった10月22日の衆院選について、開票速報と災害報道の扱い方について各局の状況が報告された。これに続き川端委員長から、「2016年の選挙をめぐるテレビ放送についての意見」を公表した背景について説明があった。この中で川端委員長は、「選挙は社会に大きな影響をもたらすにもかかわらず、本当に大事なことが視聴者にきちんと伝わっていないのではないかという危機感を持った。背景にはテレビ局側が選挙報道を非常に窮屈に考えている傾向がある」と述べた。一方、10月に行われた衆院選については、「昨年の参院選に比べ萎縮は少なかったと感じるが、投票率が示すように、非常に重要な政治的選択についての国民の反応が低調である状況は変わっていない」と指摘した。
その上で、「テレビは選挙における役割を果たすため、さらに工夫をし、視聴者が関心を持つような企画をやってほしい。事実をゆがめない限り放送は自由であり、勇気をもってやってほしいというのが願いだ」と述べた。
これに対し参加者からは、「質の平等というが、選挙陣営から候補者を取り上げる時間についてクレームが寄せられ、対応に苦慮することもある。インタビューなど各候補を取り扱う時間が同じというのが一番わかりやすい説明になる」「何が争点で、ここをもっと見てほしいという部分を打ち出したいと思いながら、扱いの尺やサイズ合わせといった守りに入りがちだ」などといった現場の悩みが聞かれた。
これに対し渋谷委員は「各局がどういう判断で放送内容を絞ったかをきちんと説明できることが重要だ。できるだけ真実を確かめて有権者に知らせ、判断材料を提供することが放送局の使命だ」と指摘した。また斎藤委員は「各政党はそれぞれ都合のよい争点を打ち出してくるが、何を重視して投票したらよいのか、日頃取材しているメディアだからこそわかることを、きちんと伝えてほしい」と要望した。神田委員は「今回の選挙を振り返り、意見書の内容に基づいた実践ができたのか、反論がありうるのかを検証し、その視点から憲法改正の際にあるべき報道、放送を今から考えてもらいたい」と述べた。
最後に川端委員長が「民主主義のために皆さんが背負っている責務は極めて大きい。憲法改正のための国民投票が行われる際には、どういう報道がなされるかによって日本の将来が決まる。つまり報道する皆さんが日本の将来を決めることになる。その役割を担っていることを肝に銘じ頑張ってほしい」と、放送に対する強い期待を表明し、3時間にわたる意見交換会の幕を閉じた。

終了後、参加者から寄せられた感想の一部を以下に紹介する。

(インターネット情報について)

  • 他社の事例等を聞き、使おうとしている情報が正しいものかどうか、きちんと裏取りすることの重要性を改めて認識した。疑問が残る場合はその情報の使用を「あきらめる」勇気を持つことが、ネット社会で番組を作る私たちに今後いっそう求められると感じた。理想論、建前論ではなく、マスコミとしての責任であると同時に自分たちの価値を守ることにもつながるものと考える。

  • ネット上の画像を確認なく使うことはないが、データや文言などを参考にするときは真贋がグレーであるケースも少なくなく、大きな影響がないときは突っ走ってしまうときもある。「はっきりしない時には放送しないという決意とそれを貫く強さを持つことが必要」との言葉は重く受け止めた。また、他局の現場での苦労や取り組みを聞けたのも参考になった。

(選挙報道について)

  • 反省を込めて言えば、眼や耳で客観的に量ることができる量的公平性だけが、一種のエクスキューズとして情報発信者の拠り所となってしまいがちだ。しかしマスコミ側がこうした安易な報道をする限り、視聴者(有権者)が得るべき情報の質は向上しない。その結果、選挙そのものが「軽い」ものになってしまい、量的公平性でしか判断されない報道の土壌を作ってしまうのだと思う。自分たちの報道の自由のためにも、質的公平性を一義とした報道のあり方を模索したい。

  • 選挙報道についてのBPO意見書は、最近萎縮しがちな報道現場への激励メッセージと受け止めた。意識を根本的に改め、「質的公平性」を追求していきたい。

(BPOについて)

  • BPOという機関を一放送局としては「俎上に載せられる、載せられない」といった視点でとらえてしまいがちだが、意見交換会に出席し、改めて自分たち自身の利益、つまり放送の価値向上や報道の自由のために存在しているのだとの思いを強くした。今回は各局の管理職の方の参加が目立ったように感じたが、若い記者やディレクターにも参加してもらいたいと思う。

  • BPOという組織が、顔が見える組織になった。その意味で地方での開催は意義深い。若い現場世代が参加できるものであれば、本当にBPOの意義が高まるのでは、と思った。

  • もっとざっくばらんに具体的な話(悩み、葛藤)ができる雰囲気がほしかった。

  • 日々の番組制作に忙殺されて、普段は意識が薄くなる恐れがある放送の本質的なことを改めて指摘され、大変参考になった。今後とも“責任ある放送”を心がけていきたい。

以上