◆概要◆
青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、2月23日、14時から17時、東京で学校の先生方と青少年委員会委員との意見交換会を開催しました。このような形の意見交換会は昨年に引き続いて2回目の開催となりました。
BPOからは、 榊原洋一 青少年委員会委員長、緑川由香 副委員長、菅原ますみ 委員、中橋雄 委員、吉永みち子 委員が参加しました。先生方は、東京、神奈川、茨城、岐阜、京都、沖縄の小学校、中学校、特別支援学校の先生11人が参加しました。
<榊原委員長冒頭の挨拶>
開会に先立ち、榊原委員長から、次のような挨拶がありました。
「青少年委員会では、中高生の方30人ほどにモニターになっていただいて、最近のテレビ、ラジオ等についてご意見を伺っている。視聴者からの意見は、どちらかというとクレームが多いが、中高生モニターの方は、批判もあるが、番組を一生懸命見て、どう感じたかを書いてくれる。中高生は、一人一人個人差はあるが、メディアを通じてさまざまなことを感じていることがよくわかる。皆さんは、小学生、中学生の教育に携わっていらっしゃるので、メディアが子どもたちの発達、あるいは、その人の人生に与える影響について、よくご存じだと思う。今日は、皆さんから私たちBPOに対してどのような希望があるのか、お子さんの教育に携わる立場から、放送の内容について、こういうところを変えてほしい、こういうのを作ってほしいという、忌憚のないご意見を伺わせていただければ幸いです。私たちも学びまして、今後のBPO活動に生かしていきたいと思います」
<第1部「今のテレビについて思うこと」>
第1部は、今のテレビについて、教師の立場から、子どもたちにこんな番組は見てほしくない、というテーマで意見交換しました。ジャンル別に、まず、何かと批判の多い、「バラエティー番組」「アニメ」「ドラマ」など娯楽系の番組について議論しました。出席した先生方からは次のような意見が出されました。
「最近のバラエティー番組を見ていると、人をいじめて、それを笑いものにしているような番組が増えた気がする。熱々のおでんを口に入れたり、先日もネットに、コンビニのおでんを口に入れて、それを吐き出すという動画がのった。子どもに真似をしてほしくない、モラルのない番組が増えているのではないか。おもしろい話をして、それがおもしろくて笑ってしまう番組というよりも、誰かをネタにしていじったり、ちょっかいをかけて、その人が驚いたりしているのを見て笑いものにしているものが多いように感じる。できれば、そういうのは避けてほしい。テレビの真似は、中学3年生になってもする子はする」
「この前、あるお笑い芸人さんが、番組の中でしているいじりはお互いを尊敬しあっているいじりで、芸人はそれで食べているから、という話をしていた。しかし、子どもは、テレビで芸人さんがお仕事としてやっているいじりと、自分が普段教室でしているいじりが同じか違うか判断できないだろうと思う。ひな壇芸人が出てきてからバラエティーは変わったと思う。後ろの段の人は目立とうと思ったら、おもしろいことを言わんとあかんと、盛った話をする。人の興味を引くことをしなければ目立てないという価値観は、子どもの中にもあり、ついふざけたことをし過ぎる。子どもは毎日テレビでそれをうのみにしているから、これっておかしいんじゃないかと思わなくなっているのではないか。最近、小学4年生の道徳の授業で、『いじり』と『いじめ』について扱ったが、子どもたちは『えっ、何でいじりがあかんの』と言っていた。いじられて輝くタイプの子どももいるが、そうでない子もいるから、そこの違いは考えていかなければならないと思う」
これに対して、委員からは次のような意見が出されました。
(吉永委員)「『いじめ』と『いじり』の話が出たが、関西と関東の違いはないのかなという気もしている。私は、ずっと関東圏で育っているので、言葉のやり取りが、遊びのない感じの言葉使いになる。しかし、関西だと子どもでも、ほとんどボケとツッコミで会話をしているところがある。ああいう言葉のやり取りの中の遊びの部分があるエリアとないエリアでは、結構、言葉の扱いが違うのかな、と気になった。
また、私が子どものころは、テレビの裏側を知らなかった時代だった。しかし、ある年代から裏側をテレビが映すようになり、子どもたちがテレビでやっていることに対して『どうせ出来レースじゃないの』とか『これはうけを狙ってやっているんだよ』とか、妙にリテラシーというか冷めた見方をしているようにも思われる。そうではなく、子どもたちはテレビでやっていることを結構、素直に受け取ってしまうのか、私は、普段子どもに接していないので、あまり見えてこない。例えば、いつも大人の意見は、子どもが真似をするのではないか、というのがすごく多いが、実際、子どもはそんなに真似をしているのか。こちらの大人の意見で心配している子供像と、もっとしたたかな子供像があるのかどうか。私は、今の子どもたちにとって、テレビは私たちの時代とは、随分違っているのではないかと思っている」
(緑川副委員長)「今のバラエティーは、誰かの尊厳を陥れるような、『いじり』を超えた『いじめ』にも受け取られてしまうような過激なことをしなければ、笑いがとれないようになってきているのか。仕事としてやっている芸人のいじりと、子どものいじり、それが尊厳を傷つけるようないじめになってしまっているかどうか、子どもにはそこの区別がつかなくなってしまって、一歩行き過ぎたことになることがあるのではないか。そのあたりは、制作者側も、子どもが見たときにどう思うかと考えつつ制作するべきだと思う。また、子どもを教育している先生方も保護者も、そこの違いをうまく子どもがわかるように教えていけるといいと思う」
これに対して、先生方からは、次のような意見が出されました。
「私は、関西で高校まで過ごしたが、友達の中で目立たない子や輪に入りにくいような子をちょっといじってあげて仲間に入れてあげることが日常的にあった。そこには、友達に対する愛情や仲間意識があり、それは決していじめにつながるようなことではなかったし、クラスにこんなやつがいて、こんなおもしろいところがあるんだということが自然にできていた、というのが関西の文化だったと思う。
今、社会構造が大きく変わっていて、バラエティーにしても、ドラマにしても、どの世代をターゲットにしているのかが非常にわかりづらい。子どもが見ているものなのか、大人相手に作っているものなのか。放送時間にしても遅い時間でも、今、子どもたちは普通にビデオに撮って、ボタン一つで見られる。昔だったら、この時間からあとは大人の時間とか、8時は子どもの時間とかあったが、今は曖昧になってきている。逆に家族で見られるという良さもあるが、この番組は子どもにとって適切なのかどうかを全部こっち任せにするのではなく、作っている方もそこは意識してもらいたい。この番組は何歳以上ですというテロップが出るとか、録画するときに何歳以上ですという登録が必要といった仕組みとして制限がかかると、そのあたりはクリアになると思う」
また、委員からは次のような意見も出されました。
(榊原委員長)「関西と関東の違いという話があったが、私も、そのように感じている。関西の言葉は、ソフトで、相手が傷つかないような間にクッションがある。『ぼけ』と言われても、別にすごくは傷つかない。一方、関東の場合は、『ばか者』というと本当に傷つくようなところがある。バラエティー番組でいうと、お笑い芸人は、関西の文化で来て、関西の文化の中でいじりの言葉を使っている。しかし、私のように、関東に生まれた人にとっては、ある程度裏を知っているし、これはもちろん芸としてやっていると思いながらも、先輩の芸人が下の芸人をいじったりするのにかなりの違和感を覚えている」
次に、娯楽系番組以外の「ニュース」「報道番組」「情報番組」「ドキュメンタリー番組」などについて、子どもたちのためにこんな番組は見てほしくない、こんな報道の仕方はやめてほしい、という点で意見交換をしました。まず、先生方からは、次のような意見が出されました。
「新聞にしても、テレビにしても、情報を発信する側が意図を持って出しているということは気付いてほしい。特に、沖縄の報道だと何寄りだ、と言われたり、全国のほうでは何寄りだ、といろいろな意見はあるにせよ、それは出す側の意見があるということを気づいてくれたらいいと思う。それを子どもたちには常に意識させてはいるが、テレビでわかりやすいテロップやらスライドやらが出てきたら、そちらの方の意見に寄ってしまうのかなと思う」
「先日、水泳の池江選手が病気で入院したことを報道する際、一部のニュースでは大臣の発言の一部を切り取り、趣旨が違えて伝えられた。だれだれがこう発言していましたというニュースは、切り取ったものだということを知らない子どもが見たら、あのまま受け取る。ニュースや情報番組を伝える制作者は、今やターゲット層がない状況で流されるわけなので、その点をちゃんと配慮して流してほしい」
「私も一面を切り取った報道にはすごく疑問を感じている。政治家や芸能人の発言の一面を切り取って、そこを大きくして、言い方は悪いが、悪者に仕立て上げた上で、みんなで批判を浴びせるというような報道の仕方はどうかな、と思う。それは、子どもにも正しい判断力やメディア・リテラシーを培う上でよくないのではないかと思う。去年の日大のアメフトの問題でも、かなり監督が悪者に仕立て上げられた。確かに指示したことは悪いことだと思うが、それを受け取った大学生の判断力はどうだったのだろう。大学生が悲劇のヒーローのような報道の仕方は、すごく一面的で、事件というものはもっと立体的なものなのに、ある一面からだけの光で報道する姿勢は視聴率を取るためのテクニックかもしれないが、いろいろな側面から浮かび上がらせて、視聴者に判断を促していくほうが、テレビのあるべき姿だと思う」
「私は、中学校の3年間、子どものキャスターとしてテレビ番組をつくる側に携わっていた。そのとき、いつも言われていたことは、見ている人がどんなふうに感じるか考えて発言しなさいということだった。番組を作っているディレクターは、その番組を会議にかけ、目的とか狙いがあって、『よし、それを流す』ということに持って行っているので、一概に、一方的に報道するのが悪いとは、私はあまり感じない。何かみんなに伝えたい思いがあるから番組を制作されていると思う。ただ、今、教員として感じるのは、子どもたちはそれを判断する力がないので、情報の裏には何があるかとか、こういうふうに考える人もいるけれど、こういうこともあるよねと家庭で話したり、学校でも受け取り方とか切り取り方というのを授業の中でどう扱っていくのか、考えていかなければならないと思う。保護者の方にも何か相談された時には、一概にそれは見せないほうがいいというのではなく、一緒に見て考えたら、情報の取捨選択ができるんじゃないですかという形で答えている。私たちも見せる、見せないとかではなく、どう受け取っていくかということを考えていかなければならない、と常日頃感じている」
これに対して、委員からは次のような意見が出されました。
(中橋委員)「今の議論は非常に重要なことで、以前はメディアが一面的な取り上げ方をしていて、しかし、それはそうせざるを得ないものだという認識はなかった。要するに一面的な切り取り方になるのはメディアとしては仕方がないことだと思う。伝えたいことを伝えるためには、取捨選択をして、わかりやすく、そして魅力的に伝えることを使命としているし、それができなければ見てもらえないし、責任を果たしていることにならない。しかし、そのバランスが崩れてしまう時に問題が生じる。その時は、お互いに、送り手と受け手の間で対話が必要になると思う。それは、受け取っている側が『これはやり過ぎじゃないか』と声を上げたり、送り手側も『受け止める側がこれは誤解することはないかな』ということを常に考えることである。また、メディアの取り上げ方に関しても、人によって受け止め方が違う。そこのリテラシーの違いを認識したうえで議論を深めていくことが重要だと思う」
(菅原委員)「メディア・リテラシーということに関して言えば、反面教師的にネットというものが出てきて、情報の確からしさということについては、日本国民はちょっと進歩してきていると思う。受け手にはすごく多様性があり、その一つに年齢軸がある。受け手の年齢、発達段階、立場、生理的心情、さまざまな障害を抱えているかどうか、貧困かどうかなど、ダイバーシティーのある受け手に対して、この情報はどのように届くのかシミュレーションした丁寧な番組作りが、テレビには求められていると思う。もう一点、私が感じているのは、バラエティーの比重が大きすぎ、大事なニュースや報道が圧迫されている感じがすることだ。もっと丁寧に伝えるべきだと思う。夜のニュース番組を見ていても、何か突っ込みがすごく浅い。『えっ、もう次いっちゃうの』みたいな感じで、どうしてそのキャスターがそう言えるのか、その論拠や資料をもっと丁寧に示してほしい。いろいろなことは単純にすぐに結論にいくはずはなく、そのプロセスを見せてくれていない気がする。ただ、子どもたちはバラエティーはすごく見ているので、情報バラエティーという形で、何か考えるプロセスを取り入れるという発想もあるのかもしれない」
(榊原委員長)「子どもたちにリテラシーをつけるときに、発信元が一定の意図を持って出しているものを是とするのか、否とするのか。そういう意図が入らない漂白したものを見て、本当にリテラシーが育つのかという視点もあると思う。つまり、同じことについて、立場が違うと、多少言うことが違うというのは、子どもたちが見ると、『あれっ、どれが本当かな』という考える力になるのではないか。極端な例だが、国によっては全部、国策放送しかなくて、チャンネルが1つしかなくて、情報もそれしかないとしたら、意図が違うも何もない。多分そういうところから、リテラシーは育っていかないだろう。あまり違うことを言うと、子どもは、もしかすると混乱するかもしれない。しかし、同時に、違いがあるということは、真実が見える見方があるということを学ぶことになる。そういう意味では、あまり統一されてもしまってもよくないのかなと思う」
(吉永委員)「最近、新聞とテレビがものすごく違ってきていると思う。新聞は、意図を持って、色を付けたものがどんどん出るようになっている。テレビは、その逆で、なるべく意図を持たないようにするという流れになっている印象を受けている。伝えるべきことをきちっと意図を持って伝えるのではなく、なるべく意図がわからないようにする、意見も違う意見を同等に並べて、色を出さないようにするというのが今のテレビである。昔は、大きな事件があった時に、小学生でもみんなでしゃべっていた。家で親に、『これ、どういうことやねん』と聞くと、親は自分の考えを話す。また子どもが学校に行くと、違う考えを聞く。それが自然と、メディアばかりでなく、世の中のいろいろなリテラシーを育てていた。私が、今、すごく心配しているのは、学校でそういう時間があるのかな、ということだ。リテラシーの時間でお教えしますということでなく、放課後でも先生と子どもたちが集まって、何気なく、しゃべりながら、みんなが『あっ、そういうことか』と、自分で気が付くという、ゆとりのある、自由な時間が学校にあるのかと思うと、なかなかないのではないか、家にもそういう時間がない。自然に『これ、うそやったんかい』と自分で気が付いたり、誰かとしゃべっているうちに、『自分の考えが違っているのかな』と自然に気が付く。それが一番、力が付く。リテラシーの力はそこから育まれると思う。今の子どもたちが置かれた環境が、テレビと子どもたちの関係を疎遠にしてしまったり、結構、振り回されているくせに、信用していないというちょっと不幸な状況を生んでいるのかなという感覚を持っている」
これに対し、先生方からは、次のような意見が出されました。
「さきほど、吉永委員がおっしゃっていた、子どもと話す時間があるのかということですが、自分は特別支援学級で、発達に課題を抱えている子どもと一日中、生活を共にしている状況にあるので、話す時間は結構ある。授業がちょっと早めに終わった時や給食を子どもの机で一緒に食べている時、『きのう、どんなテレビを見たの』とか『最近、気になる話題は何』と言って、子どもと交流している。また、朝の会ではニュースを取り上げ、最近は北海道の雪のニュースがすごかったので、知り合いの北海道の先生からフェイスブックで届いた写真を見せて、『今、北海道はこんなだよ。同じ日本でもこんな違いがあるんだね』ということを実感として考えられるのは、小学校のよさかなと思う。一方で、実は、情報を活用する能力は、子どもたちはすごく弱い。文科省が出している新しい学習指導要領では、問題を解決しましょうということ、言葉を正しく使いましょうということ、そして3本目の柱として情報を正しく活用できる子を育てましょうというのが新たに、取り入れられた。そうなると、これまで先生が個人的にやっていたことが、今度は、社会の授業で、ニュースを見て、みんなで読み解いてみようということができたり、国語で、いろいろな新聞を比べて、どういう違いがあるのか議論してみようという授業ができたりと、2020年度から、どんどん日本の学校で始まっていく。多分、メディアとのかかわりについても、これから読み解く力とか、自分でそれを主体的に活用していく力は、今後の日本の教育界の課題として、これからどんどん大きくなっていくし、期待できるところだと個人的には思っている」
<2017年度「青少年のメディア利用に関する調査」報告書について>
これまでの議論を受け、逆に、子どもたちは、今のテレビについてどのように思っているのか。2017年度にBPO青少年委員会が全国の中高生とその保護者を対象に行った調査の結果について担当した菅原委員が説明しました。そのポイントは、以下の通りです。
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(1)中高生がよく見る番組のジャンル⇒バラエティーが圧倒的に多い(77.9%)が、アニメ(53.7%)、ドラマ(53.1%)、歌・音楽(43.9%)と続き、ニュース・報道(43.9%)、映画(40.8%)も4割以上が視聴している。
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(2)中高生が積極的に見たい番組⇒"家族一緒に楽しめるような番組"を「ぜひ見たいと思う」・「見たいと思う」と回答した人は7割を超えて多く、男女・中高別でもほぼ同率であった。
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(3)中高生はどんな番組を見たいか(自由回答)
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- 【楽しさ・共有】…「見ていて幸せになるドラマ」「老若男女だれでもが楽しめるテレビ番組」
- 【お笑い・バラエティー】…「何も考えなくていい、ただただ笑える番組」「"笑育"が出来るような番組を見たい」「勉強や学校の息抜きになるようなおもしろい番組」
- 【アニメ・まんが】…「昔のアニメの再放送」
- 【情報・教育】…「子どもための質問コーナー」「中高生向けの学習番組」
- 【ドキュメンタリー】…「部活の番組」
- 【ニュース・情報】…「公正、公平、中立なニュース番組」「変な編集をしていない日本の政治事情や世界の情勢などについてのニュース」「情報収集はネットのほうが早いので、テレビでは面白い番組が見たい」
- 【その他】…「時間をかけて作りこんだことが分かる面白い番組」「昔のようなエロくて、下品な番組」など番組に対する多様なニーズがあった。これらをすくい上げていく作業も、テレビと青少年の距離をもっと近いものにするために有効ではないだろうか。
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(4)テレビに対する効用感⇒「テレビの話題で友だちと盛り上がることができる」(65.4%)、「テレビは家族の会話に役立っている」(59.4%)、「ストレス発散が発散されることがある」(52.1%)、「現実にはできない経験を味わえる」(51.2%)と続き、「毎日の生活が欠かせない情報が得られる」(48.2%)も4割を超えている。
これを、テレビ視聴時間の調査結果とクロスさせると、テレビを見なかった人は、テレビの話題で友だちと盛り上がるとか、家族の会話に役立っているというコミュニケーションツールとしてテレビを使っている割合がかなり低いという特徴があった。
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(5)社会の問題に関する情報収集源⇒国際・政治・社会問題などに関する情報を集める媒体として、「頻繁に」「時々」テレビを利用するのは48.3%で、他の媒体より多い(インターネット:40.8%、新聞:19.3%、ラジオ:8.2%)
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(6)家族とのテレビ共有⇒テレビは「ほとんど」「たいてい」家族と一緒に見ている中高生は、60.6%。「半分くらい」以上では83.6%と高い割合を示した。ひとり視聴がメインの中高生は12.5%に留まっている。
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(7)中高生の主観的幸福感と家族とのテレビ共有度との関連⇒家族とテレビを共有することの多い群のほうが主観的幸福感が高い傾向がある。テレビは思春期の親子のコミュニケーションを活性化する機能を持っている?
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(8)放送に関する倫理観⇒「ニュース報道にあたっては、個人のプライバシーや自由を不当に侵したり、名誉を傷つけたりしないように十分注意するべきだ」(79.9%)、「青少年向けの教育番組は、社会人になるために役立つ知識や資料などを放送するべきだ」(53.1%)、「事実の報道であっても、むごたらしい場面の細かい表現は避けるべきだ」(51.0%)、「子どもが起きていない時間帯でも、青少年に十分配慮した番組を放送するべきだ」(36.9%)など子どもの時間と大人の時間の切り分けや教育番組への方向付け、報道の残虐性表現は意見が分かれている。
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(9)バラエティー番組の"危うさ"に対する意見⇒「自分は不快に思わないが、不快に思う人もいるだろうと思うシーンがある」(57.4%)、「小学生が真似すると危ないと思うシーンがある」(56.4%)、「子どもが見たらいじめにつながると思うシーンがある」(38.3%)など、意見が割れているが、危うさを感じている層も少なくない。本人のパーソナリティーとの関連では、性格特徴(内向的で消極性が高い)、親の子どものテレビ視聴に対する制限的な関わりが強いこと、そしてメディア・リテラシー(メディア操作スキルとメディアに対する主体的な態度)が高いこと、の3つの要因が関係している。これらが強い子どものほうが危うさの認識が高いことが見えてきた。
(「青少年のテレビ・ラジオに対する行動・意識の関連要因に関する横断的検討―青少年のメディア利用に関する調査―」より)
この調査結果について、先生方からは、次のような感想が出されました。
「この家族で一緒に楽しめるようなというのにちょっとひっかかっている。親子で一緒に見て意見を交わすような意味での一緒に楽しめるのではなく、簡単に言うと、親がお友達になっている。親子で一緒にお友達として、ばかげた番組を見て笑っているという意味が、この中には含まれていると思う。最近、いわゆる教養的な番組がすごく減ってきていると思う。テレビ欄を見て、バラエティーって面白そうじゃないなと思ったら、ケーブルで科学番組のチャンネルを見ているが、昔はそういうものが民放にもあった気がする。そういうものを親子で見ているのだったらいいのだが…」
<第2部「将来を担う子どもたちのために、これからのテレビに望むこと」>
子どもたちのテレビ離れとか言われているが、将来を担う子どもたちのためにこれからのテレビに望むこと、こういう番組を作ってほしいというテーマについて意見交換しました。
(1) ドラマ・アニメについて
ジャンル別に、まず、子どもたちの心に大きな感動を与え得るドラマ、アニメなどの「ストーリーもの」について。先生方からは、次のような意見が出されました。
「自分が子どもの頃、いわゆる子供向けの名作物、トムソーヤーとか赤毛のアンとかのアニメ版がたくさんテレビで放送されていた。親からは漫画ばかり見てと言われていたが、実際の内容は児童向けの文学番組が多かった気がする。そういうのがあるといいなと思う。最近の子どもは、これぐらい知っているかなという話を意外に知らなかったりする」
「『下町ロケット』は、おもしろいなと思って見ていた。あれは結構子どもも見ていた。一生懸命頑張る姿。今、ああいうのを茶化したりする世の中だが、一生懸命働いて、まじめに取り組んで努力して、というのを描いたドラマは、子どもが見ても、子どもなりに伝わるし、大人にも響く。ああいったドラマはもっといろいろ作ってほしい」
「私の学校では、子どもたちは本を読む機会が多く、読書の量も増えている。その反面、昔の古きよき物語を意外と知らない。最近の物語は良く知っているが、金太郎とか桃太郎とか昔の話は知らない。昔のよき日本を伝えるような番組があってもいいと思うし、残したいと思う」
「『君の名は。』というアニメがすごくヒットしたが、私は、あの中で、岐阜の生活を描いていたのが印象に残っている。アニメやドラマでは、どちらかというと首都圏にスポットが当てられがちだが、日本のいろいろなところ、昔、『北の国から』というドラマもあったが、いろいろな地域で、どんな生活があるかを子どもたちが知られるような機会を与えるものがあったらいいと思う。何かきっかけを通して実体験につながっていくような発展性があると、子どもたちの知的な部分での刺激になるだろう」
「やっぱり、学校物。世代で言えば金八先生世代だが、今見ると、今の学校現場には全然ふさわしくないようなことがいっぱい描かれていて、その時代、時代を写していたと思う。今、金八先生をやるとしたら、ユーチューブを見る子どもたちがどうしているかというようなことを描くのかなとは思うが、その時代の学校の現場を写す番組は、大人の私たちも見たいですし、子どもたちにもそれを見て、だから今の時代はこうしていかなければならないということを考えさせたい」
(2) ニュース・報道、情報、ドキュメンタリー番組について
次に、子どもたちに、情報、知識、考えさせる力を与えるニュース・報道番組、情報番組、ドキュメンタリーなどについて話し合いました。先生方からは、こんな意見が出されました。
「NHKのEテレで20年くらい前に作った番組で『みんな生きている』という学校教育番組があったが、その中に、人の死を扱った回があった。白血病で亡くなった5歳のお子さんを母親がずっと撮っていた。亡くなって数年してから、編集して番組になったのだが、教室で使った時も、子どもはみんな涙しながら見ていた。こういうものはすごく力もある。一生、本当にずっと心に残るドキュメンタリーが最近あまりないなという感じがしている。多分、制作者はそういうスキル、ノウハウは持っているはずなので、是非そういう番組を作ってほしい」
「私は教科が理科なのだが、理科が好きな子どもは、『ブループラネット』みたいな番組とか、ケーブルで『アニマルプラネット』『ナショナルジオグラフィック』などを見たりしている。もちろん、そういう番組ばかりではつまらないかもしれないが、週1回でも家族で見られる時間帯にそういう番組があるといいと思う。 わかりやすくおもしろさばかりが追及されていて、淡々と、事実が流されている番組が少ないように思う。たまに朝の情報番組を見ると、朝から芸能人の話はいいから、ニュースと天気予報と交通情報だけやってほしいと思ってしまう。『朝、ニュース見てきた人』と聞くと、結局子どもたちは芸能人の話とかになる。淡々と事実や教養的な内容を流す番組もほしいなと思う」
「『プロフェッショナル』という番組のように、人を追いかけ、裏側を見せるような番組がいいと思う。番組で何かを取り上げた時に見方が変わったという意見が出てくるので、そういった裏側を見せたり、道をきわめている人にスポットを当ててほしい。そういう人には結構いわゆる変人も多いが、それが、個性ってこういうことなんだなという感覚につながって、自分の伸ばした位置から真似してみたり、その人がどうやってその個性を乗り越えてきたかとか、会社でどうやってチームを組んで動いているかとか、そういう部分が見られたらちょっと自信がつく子どももいるのかな、と思う」
「自分は特別支援教育にかかわっているので、発達障害や障害を持っている方々がどのように社会に参加しているのかとか、小学校、子ども時分にどういうふうに学校と関わってきているのか、もっと広く世の中に知らしめてもらえるようなドキュメンタリー番組が、今、少しずつ出てきてはいるが、もっと広く認知されるとうれしい」
「障害なり、障害者を扱うことは非常に難しい。障害だとか、病気だとかに対しての偏見をできるだけ少なくする、そういう理解推進みたいなものは、あまり私情を交えない、淡々としたドキュメンタリーが一番いいと思う。見ていると、何でそこでそうやるの、と思うときがある。何か山を作らなければいけないと制作者は思うみたいだが、そこで感動の場面は別にいらないんじゃないか、もっと淡々とやってくれていいんじゃないかと感じることがある。そういうドキュメンタリーがあるといいなと思う」
「私は、今年度から特別支援学校にいるが、その症状、その行動などを目の当たりにすると、自分は理解したつもりでも、理解していないんだなと痛感した。最近、『セサミストリート』で新しく主人公が出てきた。その子は今までにはないタイプで発達障害の子どもだった。今までこうした子どもをいかにどうしていくか、ということにスポットが当てられてきたが、そういうことが起こり得るんだよとか、こういうことになっているんだよ、こういう子がいるんだよといった目で、世の中全体が、共生というか、お互いが理解しあっていけたらいいなという番組作りに、やっとシフトしてきたのかなと感じている」
これに対し、委員からは次のような意見が出されました。
(菅原委員)「今の『セサミストリート』の話に続けて、ジュリアちゃんという自閉症の子どもがニューヒロインで出てくるが、その子を登場させるにあたっては、専門家もかかわり、その声優には、ご自身自閉症のお子さんをもつお母さんを起用するなど用意周到の体制を作っている。障害や貧困などを取り扱う時は、すごくデリケートであり、正しく扱わないと、余計、偏見が拡大してしまう。少しお金も時間もかかるが、放送する際は、子供にも分かる形で、子どもたちのためというか、その子たちが大人になってダイバーシティーという点で、そういう人たちと共生していけるように、『セサミストリート』の事例に制作者は学びながら、いい子ども番組を作ってもらいたい」
(榊原委員長)「発達障害ばかりでなく、さまざまな障害を持つ人がいるので、これから共生社会を目指そうというときに、そういうことを知る場面として、テレビという媒体が使われるのは、非常にいいと思う。しかし、そういう番組は、今までのを見ても、必ずしもうまくいったとは思わない。何となく教条的というか、こういう人がいるんだよという感じだったが、今の『セサミストリート』のように、自然に入ってくるようにすると、抵抗なく見られるのではないか。実際、障害者の番組というとあまり見ていただけないが、みんなが自然に見られるような番組でそういうのが出てくるというのは非常にいい考えだと思う。現在でも、障害、発達障害に対する国民の十分な理解はできていないと思っているので、今のお話は非常に大事だなと思った」
また、報道、情報の伝え方について先生方からは、次のような意見が出されました。
「以前ある番組で、ある聾学校の生徒が取り上げられたことがあった。長い時間かけて撮影したようだが、放送されたものはすごく感動的な物語に仕上げられていた。その数年後、再び取材を申し込まれたが、その学校は断ったという。事実をゆがめられ、そんなきれいごとというか、感動的なものにすること自体、障害に対する差別なり、偏見なりではないかという気がする」
「今、児童相談所のことが、いろいろ報道されているが、私も立場上、児童相談所の人とかかわることが多い。児童相談所は、今、すごく忙しく、1人の職員が抱えている案件が非常に多く、自分たちもなかなかコンタクトが取れない状況に陥っている。一体的な部分を一面的にとらえるのではなく、それが今、どういう問題をはらんでいるかが、社会全体に伝わるような投げかけ方をしてもらえると、それをきっかけに、いろいろなことが改善されるチャンスだったんじゃないかと、悲しい事件ではあったが、そう思った。
もう1点、さきほど『セサミストリート』のジュリアちゃんという自閉症のキャラクターの話が出たが、今、日本中にそういう課題を抱えている子どもがたくさんいて、それぞれがいろいろなところで生活していることを投げかけていくことと、今後は、インクルーシブ教育、つまり、こういう子どもたちだけではなく、そういう子どもたちと一緒に生活している私たちはどうすればいいのか、助けるだけじゃなくて、一緒に生活していくために、どういう理解をしていけばいいのかという投げかけが、必要になってくると思う」
「水泳の池江璃花子さんが白血病と公表して、骨髄バンクに問い合わせが殺到したという報道を見て、私も、ある医療センターにいて、白血病や小児がんの子どもたちとかかわってきたが、白血病なり骨髄移植のことがきちんと理解されているのかなと思った。私の骨髄をどうか池江さんに使ってほしいみたいな…。しかし、実際、提供者自身も1週間ほど入院したりとか、登録している中で、お願いしますといったときに、断られる確率もかなり高かったり、その辺も報道やドキュメンタリー番組で事実をちゃんと流してほしいと思った」
(3) バラエティー番組について
次に、子どもたちが一番見ているジャンルであり、笑いや心のくつろぎを与える「バラエティー番組」について、こんな番組を作ってほしいという意見を聞きました。先生方からは、次のような発言がありました。
「この意見交換会に先立って、自分の学校で生徒たちにアンケートを取ってみたが、それを紹介したい。"何年か前、『楽しくなければテレビじゃないじゃ~ん!!』というスローガンの番組があって、それは個人的にはものすごく好きで、やはり自分のなかで『テレビ=バラエティー』というのがあって、それは情報を伝える『へーっ』というバラエティーではなく、心の底からげらげら笑える、楽しいバラエティーあってほしい。ネットに押されている今だからこそ、テレビのバラエティーはすごい力を秘めたものなのだから、もう一度、テレビが元気を取り戻す時代を待っています"私も今のテレビは、すごく元気がなくなっていると思うし、ネットのことばかり気にしている。ぜひとも。テレビが元気を持って、社会のことばかり気にせず、テレビ局はこういうことを伝えたいんだという時代がもう一回きてほしい」
「チコちゃんはおもしろいと思って見ている。バラエティーの場合、やり過ぎの部分もないわけではないが、視聴率を気にしてというよりも、作り手が本当に作りたい、おもしろいというようなものを求めたい」
「個人的には、『モニタリング』という番組がすごく好きです。あの番組はバラエティーの要素も含んでいるが、突き詰めると、この人すごく相手を心配しているとか、すごく仕事に誠実とか、何か真の姿が見えてくるような、最後には、いい余韻を残してくれる。考えさせてくれる、見方が変わったと思えるような番組がバラエティーでも増えてくれるといいなと思う」
「お笑い芸人に関する話になるが、最近、コントをつくっているような番組が少ないと思う。何か意図を持って練り込まれて、場を設定して、人と違う視点で会話が展開していく番組が少ない。芸能人やお笑い芸人のトップを取る人は、頭の回転、発想と視点が違うんだなということに気づきながら、親と子で会話ができたら子どもの考え方も変わると思う。内輪ネタでしゃべっていて、予定調和で笑っている風で終わるのではなく、練り込まれたものを見せたいと思う」
ここまでの意見を受けて、委員からは次のような発言がありました。
(緑川副委員長)「子どもたちに、こういう番組を見せたいというお考えの共通するところは、子どもたちに社会的な視野を広げさせたい、ということだろうと思った。物事は一面的ではなく、いろいろなことが世の中にあるが、子どもが知っていることはその一部でしかない。だから、いろいろなことを知った方がいいし、多面的な視点から自分の考えをまとめていった方がいいんだよ、と先生方が子どもたちに教えたいと考えていらっしゃることが根本的な考え方のスタートにあるのだろうと思いながらご意見をうかがっていた」
(中橋委員)「人は、学校に行かないと学べないわけではなく、生きていること、すなわち学びだ。その中でテレビが持つ役割は、大きな意味を占めているので、そのあり方については、学校現場の中でも常に考えていかなければならないと思う」
さらに、先生方からは、次のような発言がありました。
「個人的には、スピード感がすごくあると浅くなるような気がしている。バラエティー番組でも『その動画見たことある』とか、『別のチャンネルで見たことある』とか、そうなると作り手の作るスピードが速くなってきているんだろうと思うが、そうすると番組の中身が浅くなっている印象を受ける。
また、視聴率以外の指標をどうにか導いてほしい。テレビ番組は、制作陣が本気になったらすごいものを作る。視聴率以外にも、この番組はいいものだということを、どう伝えるか、しかも熱いうちに伝えるか、いろいろ方法を考えていくべきだと思う」
「『笑点』とか、『サザエさん』とか、『ちびまる子ちゃん』などの日本の文化に根差しているような、日本語を巧みに使って笑いをとるような番組は、この先もぜひ残してほしい」
「『ザ!鉄腕!DASH!!』は、子供と一緒にたのしみに見ているが、見ていて、不愉快になる場面が全然ない。農業や林業など普段の生活の中では見落とされがちなところにもスポットが当たっていたり、東京湾の生き物というところでは、実は身近な海にもこんな豊かな生態があるんだということを捉えている。本当は一つ一つを取り上げたら、すごく堅苦しい話題だが、それを子どもと親が一緒に楽しめるところまで、番組として作り込んでいるのは、バラエティー番組としてすごくありがたいと思う。
安易にバラエティーで、ひな壇に芸人さんを並べて、何か、昔の映像を流して、わいわいコメントを言ってという番組作りだけでなく、ちゃんと取材して、それを子どもたちが楽しみながら学べるにはどんなふうに投げかけていくのかという、もっと良質な番組を作ってもらえると学校でもどんどん取り上げていきたいと思う」
(4) 子どもたちにとってテレビとは
最後に、メディアの環境が大きく変わっていく中で、この先テレビは子どもたちにとってどういう存在であってほしいか、という大きなテーマを先生方に投げかけてみました。先生方からは、次のような発言がありました。
「テレビの制作者は、我々が思いもつかないようなおもしろいものを文化として、今でも提供している。ネットの中の動画では、瞬間的におもしろいものはいろいろあるが、出川哲朗さんの企画とか、チコちゃんとかは、テレビでないとなかなか出会えない。先ほど、緑川先生が、テレビは子どもたちに社会的な視野を広げさせてほしいとおっしゃっていたが、おもしろさでも、いろいろなおもしろさ、こちらが思いつかないようなおもしろい番組を提供してくれて、それを子どもも感じられて、大人も笑いながら感じられて、楽しく過ごせるようなのをテレビ局の人は作ってくれるだろうと思っている。それを、今後も期待したいし、テレビはそういう存在であってほしい」
「テレビはいつでも憧れであってほしいと思う。テレビ局が、時代の先端の出来事を知っていたり、いち早く、その現場にいられたり、そういう憧れである。また、ある日、街の池の水を突然抜いちゃうようなこと、ああいう大がかりな社会実験みたいなことができてしまうのもテレビである。普通の人ではできないことができる、普段見ることのできないドラマが生まれてくる、そういう憧れであってほしいということだ。
以前、山間部にテレビが来たというドキュメンタリー番組があった。50年、60年前の話だが、栃木県の小さな村にテレビがやってきた。その当時は東京の生活は全然わからなくて、テレビがやってきたら、『あっ、こういうことを東京ではやっているんだ』とか、『あっ、こういう理科の勉強をすればいいんだ』といって、目が沈みがちだった子どもがどんどん目が輝いていく。また、ある日、女の子がテレビをふいている。昔は観音開きのテレビだったが、『そこで何しているんですか』と聞くと『テレビをふいている』と答える。そして『テレビとは何ですか』と聞くと、『テレビそのものが愛です』と答えた。テレビは、そういったすごい憧れであってほしい、と常日頃思っている」
<最近、BPO青少年委員会に寄せられた視聴者意見について>
BPO青少年委員会に、2018年度に寄せられた視聴者意見について、榊原委員長から先生方に次のような質問が投げかけられました。
(榊原委員長)「視聴者意見では、『子どもの教育上よくないから』という言葉がついてくるのが、すごく多い。子どもの教育以上よくないと言っているが、子どもたちが同じ番組を見ていて、本当にそれで影響を受けてしまっているみたいなことは、多分、お子さんたちと一緒にいる先生方がモニターできるのではないかと思う。私たちは、教育上よくないと言われると、どうしてって思いたくなるのですが、先生方の敏感な立場から、どこが教育上よくないのか、お考えを伺いたい」
これに先生方からは、次のような意見が出されました。
「昔から言われている言葉だが、教育上云々よりも、見ていて不愉快になるというのが正しい反応なのかなと思う。もし、そういうものをテレビがやった場合は、それは親がきちんと子どもに話をするべきだと思うし、逆に、大人が過剰に反応し過ぎている部分もあるのかと思う。大人がやたらと反応し過ぎるのもよくないが、例えばバラエティー番組でやたらと人をいじめるようなのは、教育上云々というよりは、見ていて不快だからやめてほしいというのはある」
「僕らが子どものころは、欽ちゃんだとか、ドリフだとかの番組は教育上よくないと世間が騒いでいたが、僕らはどこがよくないのかなと思いながら見ていて、いまだにそれがわからない部分もある。何か『教育上よくない』という言葉を伝家の宝刀みたいに、投稿する側は使っているのかと思う。やはり、単純に見ていて不愉快だと、そこに尽きるんじゃないかという気がする」
「子どもが真似をするのはよくないというが、これも、教育力がないんじゃないかと思う部分もある。別に真似させてもいいと思う。真似しそうだなというのがあって、やったら、やってはいけない理由を言ってやめさせるということもある。そのときにきちんと理由が子どもに伝えられればいいだけなので、多少、真似されてもいいという気がする。真似したとしても対応できる教育力が求められているのではないだろうか」
<閉会の挨拶>
今回の議論を受けて、先生方の代表者から次のような発言がありました。
「きょうは、先生方それぞれがテレビの懐かしい思い出とか、愛着とかをお持ちになっていて、それと同時に、今の子どもたちに対する思いも言うことができたと思う。テレビに期待している部分は、昔も今も変わらないと感じたし、これからの時代はテレビがどう作られているかとか、テレビを制作している人の思いをこちらも知って、それを子どもたちに伝えていくことがさらに必要になってきていると感じた。テレビも、良質というのがいいのか、おもしろいというのがいいのか、その両方が大事だと思うが、そういう番組を制作者の方がやる気になって作ってもらえたらうれしいと思う」
最後に、榊原委員長と緑川副委員長が、次のように総括しました。
(緑川副委員長)「学校の多様な教育現場で、子どもたちとかかわっていらっしゃる先生方の意見や番組に対する要望を、制作者側に伝えることが私たち委員の役割である。また、視聴者意見に関しては、まねをするとか、子供に悪影響を与えるという意見は常にあり、毎月、委員会で議論しているが、このような意見について、本日先生方から出された、それは教育力の問題であるという意見を大変頼もしく感じた。それこそが教育であろうし、現場で毎日子どもたちを教育し、導いている先生方の意思の強さを感じて、敬服した。
最初の議論で出た、番組を見せないということではなく、一緒に見て考える、それが一番ではないか。先生方がそういうふうに取り組んでいるということを十分に認識して、青少年委員会も様々な問題について議論していきたいと思う」
(榊原委員長)「テレビは、私の世代では、街頭テレビから始まり、最初は力道山とか巨人の試合を見に行くという娯楽だった。その後、私は、情報とかドキュメンタリーというのがかなり多い時代に育ったので、テレビの中にそういうものを求めているが、今日の先生方からの話で、今の子どもたちは、娯楽性というか、つらいから本当に心の底から笑いたい、そういうものを求めているということを確認でき、非常によい勉強になった。
教育上よくないと言われると、私たちはどこがと思っていたが、こういうかなり固まった意見に対して非常にしなやかに対応している子どもたちが、その後ろにいるんだということが知られて、子どもは将来、大人になるわけだが、非常に頼もしく感じた。
最後に、テレビは憧れであってほしい、というご意見も出ましたが、これは、制作者が聞いたら、本当に喜ぶだろう。そういう期待は、制作者にとって非常に大きいだろう。
BPOは、視聴者の意見、あるいは若い人たちの意見を聞きながら、ときには制作者側に反省してくださいとか、注意したりすることもあるのですが、良い番組を作っていくことに貢献する、その一部として機能していると思っている。そういう意味で、今日、お子さんたちと常に接している先生方から、励ましにも聞こえるお話をいただけて、本当によかったと思う。ありがとうございました」
以上のような活発な議論が行われ、3時間以上にわたる意見交換会は終了しました。
今回の意見交換会後、参加した先生方からは、次のような感想が寄せられました。
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世の中ではテレビ番組について批判的な意見も多い中、家族との関わりのなかでテレビ視聴を共にすることや共通の話題を提供することなどテレビの果たしている役割の大きさや、テレビが提供する良質な番組についての意見交換ができたことが有益であった。
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バラエティー番組なども昔から変わらず人気がある一方で、子どもたちが「家族で楽しめるような内容の番組」を望んでいるということを知り大変ビックリしました。テレビ番組は、自分が楽しむだけのものではなく、家族の会話を繋ぐ共通話題としての役割も大きいのだと感じました。
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ドキュメンタリー番組に関する意見が多くあり,私も視聴したいと考えました。現実で起きていることを隠さずに発信することで,努力している人たちの思いや苦しんでいる人たちがいる事実を知ることも必要だと思う。家庭や個人の判断で視聴できることがテレビの良さだと思うので,ドキュメンタリー番組が増えることを期待したい。
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我々が思っている以上に誰もが楽しめる、勉強になる、ためになる番組を求めていることがわかった。無条件に楽しい番組も必要であるが、みんなが役に立つ番組づくりも必要である。
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テレビは時代を映すこともできるし,また作ることもできる大きな影響力をもつものだと思う。その影響力について正しい理解ともって視聴することが大切であり,そのための知識と判断力を身につけることが必要となる。その役割を担う場として,学校には大きな責任が求められると思う。
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「番組が子供の成長に悪影響だから見せない」ではなく、子供と一緒に番組を見ながら会話をすることで、どのように情報と向き合って行くべきかを家庭でも考えていくような考え方が必要なのではないかと考えました。貴重な場に参加させて頂き、有難うございました。