2023年11月

青少年委員会 金沢地区放送局との意見交換会 概要

青少年委員会は毎年、全国各地でさまざまな形で意見交換会を開催しています。今回は金沢地区の放送局とBPOとの親交を深め、番組向上に役立てることを目的に2023年11月22日午後2時から5時まで、金沢市で意見交換をしました。
BPOからは青少年委員会の榊原洋一委員長、緑川由香副委員長、飯田豊委員、沢井佳子委員、髙橋聡美委員、吉永みち子委員の6人が参加しました。放送局からはNHK(金沢放送局)、MRO北陸放送、石川テレビ放送、テレビ金沢、北陸朝日放送、エフエム石川の各BPO連絡責任者、編成、制作、報道番組担当者など計15人が参加しました。

《「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解の解説》

BPO青少年委員会が2022年4月に公表した「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解について榊原委員長が解説しました。

〇榊原委員長
痛みを伴うことを笑いの対象とすること、キーワードとしては「痛み」と「笑い」です。
嘲笑は笑いではありません。嘲笑というのは例えば人が痛い目に遭っているときにワッと笑うことですが、笑いの質として違いがあります。本当に楽しく笑うと頭の中に幸せホルモンが出て、ストレスを解消する働きがあるといいます。しかし、他人が苦しんでいるのを見て、あるいは痛がっているのを見て笑うのは、本当の笑いなのだろうかという観点から考えています。
人は、例えば「苦しんでいる人を何とかしたいな」という気持ちや共感的な力、共感性というのを持っています。医学的に言いますと、その共感性というのは脳の中で他人が苦しんでいるときに何とかしてあげたいという気持ちが自然に湧いてくる能力です。その能力が生まれたばかりの赤ちゃんにはどうもないらしい。(赤ちゃんが)経験を通じて他人に対して共感するのだろうということが脳科学で分かってきています。そのときのキーワードに「ミラーニューロン」があります。ミラーニューロン、鏡の神経ということですが、他人が苦しんでいるのを見ていると、自分も、自分が苦しんだときや、自分がそういう目に遭ったときに感じるのと同じ神経がそれで活性化するということが分かっています。
赤ちゃんの模倣、赤ちゃんがまねをするというのは今から30年ぐらい前に見つかった現象ですが、赤ちゃんが他人の顔を見ていると自分がそれと同じ顔をしたと思われるところが、たとえ経験がなくても、活性化する脳の部分があるということが分かったのです。これがミラーニューロンです。
人間の場合、赤ちゃんでも大人でもそうですが、他人が泣いているところを見ると自分が泣いたときに活動する脳の部分が活動します。それを何度も繰り返して、今度は他人が困っている人を助ける、痛がっている人を助けるのを見ていると、自分も誰かが泣きやむとほっとします。このような他人の行動を鏡に映してやるようなことを繰り返す。その経験を繰り返すことで共感性が出てくると言われています。
これにはきちんとした科学的論文があります。他人の感情をミラーリングする。つまり他人の感情や行動を見ることによって、自分自身がそれと同じ体験をすることができる。このことが、人間が社会性や共感性を持つための一番根本にあるのだということが分かってきました。そのときに脳のどの部分が活性化するか、どこがミラーニューロンか、ということが明らかになってきて、研究が進んでいます。
テレビの場面では、かなりリアリティーを感じる演出になっていますから、本当に痛い場合があって、痛そうにしているのをスタジオで司会者らがそれを笑っているというのを見ることになります。辛い目に遭っている人がいるのに、何か笑っているではないか、ということを1回や2回ではなく何度も繰り返し見ることは、子どもが共感性を発達させることによくないのではないかという事実があったのです。それを基にこの見解を出しました。
他人の苦痛の表情を見ると、自分のミラーニューロン系が、自分が苦痛を感じたときと同じような活動をします。そして苦痛を感じている人を誰かが助けるのを見ると、自分の苦痛のミラーニューロン系が収まり、助ける行動で自分がいい気持ちになります。すると、教えなくても、助けた方がよいのだということがわかり、子どもがそういう場面を見ることで、共感性が育ってくると言われています。
この回路が反対に、他人が苦痛を感じているときに、それを嘲笑する、笑うというのを見ていると、働かないわけです。自分は苦痛を感じているけれど、スタジオの司会者らが結構笑っている、楽しそうにしているというのを見ると、その回路がうまく働かないことが起こるのではないかということです。
私たちはテレビを制作する方に、特に小さい子どもには、このような形で共感性を獲得していく過程があるということを知ってもらって、その知識を番組づくりに活用していただきたいと願って、この見解を出しました。
最後に、笑いにはいろいろな種類があります。「smile」や「laugh」などとてもポジティブな笑いや、嘲笑という英語だと「ridicule」とか「scorn」という言い方をしますが、これは似たような笑いと言いながら意味は違います。(番組制作者は)「みんなに笑いを届けているから」といいますが、ちょっと待ってくださいと。大人はある程度違いが分かりますが、笑いの種類によっては、特に小さい子どもや青少年の立場をじっくりと考えてほしいという気持ちでこの見解を出した次第です。

〇参加者
分かりやすいご説明をありがとうございます。僕らも「smile」と嘲笑の違いというのがなかなか分からないというところがあります。いま聞きながら笑いが定型化している、どこかそこに今の嘲笑と笑いの違いがあるのかなということに気づきました。
委員長が解説されたように(笑いが)パターン化されて、ばらまかれ、それを子どもが何回も見るというところに、テレビの持つ責任というものが出てくるのだろうと思いながら聞かせてもらいました。

《【テーマ1】子ども(小中学生)の『いじめ・自殺』報道について》

まず、地元局の代表社による、ニュース映像を用いた問題提起がありました。それを受けて髙橋委員から「いじめ、自殺報道について」説明があったのち、意見交換しました。

〇代表社の問題提起
石川県内の事例で、2年前にいじめの自殺がありました。金沢の近隣都市で、当時中学1年生の女子生徒がいじめによって自殺したケースです。各局とも、ニュースとして放送しています。弊社の初報のニュース、夕方のオンエアをご覧ください。<映像上映①>

〇髙橋委員
「子どものいじめと自殺の報道について」ということでお話させていただきます。私は全国で子どもたちのSOSの出し方教室や自殺で親を亡くした子どもたちを中心としたグリーフケアをしています。
いじめの認知率の推移について、2022年度のデータが先月(2023年10月)出されました。1,000人当たりの子どもに対してどれぐらいの認知率があるかという推移ですが、上昇しています。初めはいじめという認識がなかったものが、いじめと認識されるようになったことで増えているということもありますが、いずれにしても減ってはいないという状況です。
いじめの認知件数は低年齢ほど多いのですが、自殺の数は年齢が上がるほど多くて、これは逆相関の状況にあります。いじめが多いから自殺が多いというわけではないという状況です。子どもの自殺というのは全然減っておらず横ばい状態です。
問題は自殺の動機についてです。実は子どもの自殺は半数以上が原因不詳となっています。これは遺書が残っていないので分からないということです。遺書が残っているもので警察庁が分析した資料によると、小学校の男女とも原因の1位は家族のしつけ・叱責です。中学生は、男子が学業不振、家族のしつけ・叱責で、女子は親子関係の不和が1位になっており、本当は家庭の中の問題というのが中学生・小学生の自殺の原因の上位を占めています。いじめ問題は社会的な問題ですが、家庭内の問題というのは社会的な問題とは捉えられず、報道されにくいということがあります。子どもの自殺、イコールいじめ案件だけというイメージは、間違ったイメージであることは確かです。
ここで用語の使い分けをしておきます。自殺という言葉と自死という言葉をよく使われると思いますが、自殺対策基本法の中で、自殺対策は自殺対策ですが、遺族支援に関しては自死遺族という言葉を使っています。自殺遺族という言葉ではなくて自死遺族という言葉を使います。
自殺の報道の影響というのがあって、大きく報道されればされるほど自殺率が上がる。そして、その記事が手に入りやすい地域ほど自殺率が上がるということが分かっています。その影響は若年者層ほど大きく出ます。そして後追い自殺、その人のことを思って後を追って亡くなる自殺だけではなくて、いわゆる群発自殺と言われるような誘発、もともといろいろとメンタルに問題を抱えていたり悩み事があったりした子どもたちが、それに触発されて自殺することが起きます。これを「ウェルテル効果」と呼んでいます。

WHO(世界保健機関)は自殺報道でしてはならないことを提言という形で提示しています。提言のため拘束力がないので、あとは「報道の自由」と「報道する側の倫理観」みたいなものとの折り合いになると思います。
具体的には… ▼遺体や遺書の写真を掲載したり、自殺の方法を詳しく紹介したり、原因を単純化したりする報道はやめること。例えば、いじめで自殺した、先生に叱られて自殺したということです。▼自殺を美化したりセンセーショナルに報道したり、宗教的・文化的な固定概念を当てはめたりすることはやめる。例えば日本人は自殺が多いとか、キリスト教徒はどうだとか、そういう報道はやめるということ。▼自殺そのものを非難してはならない。これは自殺に対する偏見を助長するからであって、すごく難しいことですが、自死で亡くなった方に対する尊厳は保ちつつ、そしてその自死に対して批判はしない。でも自殺を美化しないということです。
これらがなかなか守られていない国が日本と韓国です。韓国も若いアイドルの自殺が多いのですが、やはりその後に若者が影響を受けることがあって、ここのところはしっかりと報道機関がその都度、考えていかなければならないところだと思います。

逆にやるべきことは何かというと、どこに支援を求めるか正しい情報を提供することをWHOがまず言っています。最近はニュースの最後に相談窓口の電話番号を紹介し、「困った人はこちらに連絡しましょう」と報道されるようになっていますが、私が懸念しているのは「最後にあれをつけたら中身はいいだろう」という感じがすることです。免罪符的に最後に相談窓口を紹介する傾向が見られるかなと、すごく懸念しています。
本当は身近な人に相談してほしいのです。いのちの電話やチャイルドラインは知らない人が応対するので、できれば身近な人に相談を、と考えています。
あとは自殺したことの報道だけではなく、自殺と自殺対策に対しての啓発報道をより多くしてほしいのと、日常生活のストレス対処法や、自殺の希死念慮【事務局注:「消えてなくなりたい」「楽になりたい」などの思考や観念を指す】の対処法などを報道してもらえるとよいと思います。自殺から救われるような報道をしてもらえると、幾らか生きづらい人たちが死なずに済むような道を選べるのかなと、思います。地域に根差したマスコミがいかに地域の資源を紹介するかということが非常に大事だと思っていますので、テレビ・ラジオ含めてそういう報道をしてもらえるとありがたいです。
著名人の自殺を報道する際は特に注意してほしいことがあります。改善されてきていますが、自殺の手段を報道することがあったり、「自宅で亡くなりました」や「クローゼットで見つかりました」という報道をしたりしているので、そこは気をつけてもらいたいところです。また自殺によって遺された家族や友人にインタビューするときには、非常に慎重にしなければなりません。意外と抜け落ちがちですが、メディアの関係者自身がその報道をすることや取材をすることによって、すごく心理的な影響を受けて傷つく体験をしているという観点も忘れてはならないと思います。報道する側にもケアが必要です。

子どもの自殺の原因をいじめだと、一つに絞りがちですが、実際は八方塞がりになってしまった子どもが自殺しています。部活動でうまくいかない子どもが、自宅でも家族関係がうまくいかない、勉強もうまくいかない、友達にもいじめられる、こういう八方塞がりになってしまったときに自殺のリスクが上がります。だから、いじめがあったとしても親に話せるとか、それでも何か夢があるなど、少し逃げ道があるといいのですが、それがなくて幾つか自殺の要因が重なると、リスクが上がってしまいます。
いじめの場合だと、自殺の原因を作った側の子どもに、今度は自殺のリスクが上がってしまうという観点も持っておかなければいけません。いじめ自殺の場合、ずっと裁判が続くことがありますので、加害者とされた子どもや、その加害に少し加担したと思われる子どもたち、それを傍観していた子どもたちも含めて、長い間、傷つく体験を何度も何度もしているという感じがしています。
子どもがいて、学校や地域があって、そこで私は子どもに対して自殺予防教育やSOSの出し方教室というのをやっています。教えているのは「本当に身近な大人に相談してちょうだい」ということです。「あなたたちのことを守りたいと思っている大人がいるから」と伝えています。受け止めてくれる人がいて、社会や地域にどんな資源があるかということを子どもたちがきちんと知っていることが大事だなと思います。
そういう意味では、これをきちんと地元のマスメディアが報じることがすごく大事です。この地域ではどういうことがあって、こういう子どもたちが救われているとか、こういうふうに生きづらさからリカバリーした子どもがいるなど、そういう報道がたくさんあるといいなと思っています。

<意見交換>

〇参加者
自殺の原因について、テレビだといじめということがクローズアップされてしまうのですが、家族(関係による原因)のほうが多いとの話がありましたので、「なるほどな」と思いながら聞いていました。
いじめがあった場合に私たちもいのちの電話という表示をします。いろいろ事情があって、例えば身近な人に相談してくださいといっても自殺の場合はなかなか遺族に取材するというわけにもいかなくて、教育委員会や警察など情報が限られる中で、なかなか詳しい情報は分からないところがあります。放送を通じてできることとできないことがどうしてもあるので、放送でできることはどういうことなのかなと思いながら聞いておりました。

〇髙橋委員
ありがとうございます。

〇代表社の参加者
さきほど見ていただいた映像は、いじめによって教育委員会が動いたということが主なニュースで、自殺といじめ、どちらの社会性が大きいと考えたかというと、いじめの社会性が大きいだろうということで取り上げたものです。たぶん各社のローカルニュースでも、去年1年間で1回も自殺単体でニュースにはしていないのではないかと思います。社会問題化して教育委員会が動いたとか、いじめが原因ということで捜査があったとか、そういう形ではあり得ますが、自殺単体をニュースに取り上げるということはローカルではまずないと思います。

〇吉永委員
子どもの自殺というのは私にしてみると本来驚愕の事件です。小学生・中学生が命を絶つということ自体が、何か社会に対する大きな警鐘を鳴らす一つの行動であって、これを誘発をするからという理由で報じないというのはどうなんだろうと疑問に思います。では、そのときにどう報じたらいいのかというと、特にいじめの場合はやはり学校側や教育委員会の側が隠蔽するという傾向が強いわけで、そこを時間が経ってからではなく、うまく取材をしていくことが大事で、取材しなければならない事案だと思います。ただそれをどのタイミングで出していくのかということには、すごく頭を使わなければいけないところかなと思います。
髙橋委員に質問があって、今の子どもの自殺の数がどんどん増えていることにびっくりしたのですが、これは既遂ですね。その背後に未遂の子どもがどれだけいるだろうかと思うと、社会問題としてもすごく迫ってくる重大な案件かなと思ったのですが。

〇髙橋委員
未遂に関しては推定値ですけれども、既遂の10倍はいると言われています。「死にたい、死にたい」と言っている子どもが増えているのが現実で、チャイルドラインやいのちの電話でも増えています。国はLINE相談窓口などを拡充させていますが、スクールカウンセラーの配置の増員というのをなかなか実行してくれません。目の前にいる人に相談できるような人の配置というのを早くしなければならないと思います。私が「スクールカウンセラーの配置を」と言っているのは、精神科(のカウンセリング)につなげてほしいと思うお子さんほど親御さん(保護者)にその理解がなかったり、お金や時間がなくて精神科に連れていけなかったり、自分が虐待しているからカウンセリングにはつなげたくないという親御さんがいたりするからです。

〇代表社の参加者
さきほど上映したVTRの中でも、「自宅で」という表現を使いました。今思えばそれが自宅であろうがどこであろうが、伝えるべき情報なのかということは、お話を聞いていて反省しました。
私たち報道の立場として、格好いい言葉で言えば真実を突き止めたいという、そういう思いが一方にあって、子どものいじめに関する自殺に関しては、割とぼかすところはぼかして報道しなければいけない。知っている情報もこれは精査して出さなければいけないという、そんなことを今、改めて思ったところです。
さきほども、地元に根差した身近な相談窓口など、そういったものを積極的に報道してほしいというお話がありましたし、それは大変勉強になりました。大きな公の全国レベルのところを紹介して、取りあえずアリバイづくりではありませんが、それをつけ加えればいいだろうと、そんな思いもあったように思いました。そこは地域のローカル放送局だからこそできる、そういう紹介や報道の仕方というのは改めて考えなければいけないと思いました。
この問題に関しては、例えば警察が絡む事件報道などとはまた違うスタンスで報道に臨まなければいけないということを感じました。
全国各地の自殺報道を見ていて、最初から学校名が出るケースもありますが、今回の場合は市の教育委員会は学校名を公表しませんでした。人口は5万人を超える自治体ですが、中学校は2つしかありません。市の教育委員会が学校名を伏せている中で、出すべきなのか、出さないほうがいいのか、迷いがありました。(メディア各社でも校名を)出している社と出していない社が分かれていて、弊社は途中から出すことになりました。自治体によって、教育委員会側の最初の公表の仕方がばらばらなので、いざこういう問題に自分たちが直面すると、どう対応すべきなのかという判断は、なかなかつかないのが現状です。

〇参加者
今の件で弊社は逆の対応、あくまで中学校名は出さないという対応を取りました。いまだにその報道の方針です。理由としては、遺族側には出してほしいという話がありますが、それは遺族側の思いであって、報道のデスクの間で話し合ったのは、同じ中学校の同級生たちが、もしここで名前が急に出てきて報道されたらどう思うかということです。そして、弊社は出さないという結論になりましたが、難しいですね。どこかの局は出していない、どこかの局は出している。新聞もおそらく、出している、出していないという対応が分かれた事例です。均一に線を引いてやれるものではないので難しいな、という感じをずっと持っています。

〇参加者
このニュースに関して私は当時、現場の記者をしていて、映像上映した局がやられた放送の内容と全く同じような形で放送しました。あのときは教育委員会から情報がどんどん出てきて、それを積み重ねてニュースにすると、まさに全く同じ形になりました。私たちも「自宅で」という形で方法について報道しましたが、今改めてそれを見ると、これはやったら駄目だったのではないかということを痛感しました。
当時の私には自殺を誘発するという意識が多少ありましたが、積み重なる情報を出していいかどうか、現場の記者としては事実が取れたというので(原稿に)書きました。それを一歩引いた目線で出すべきかどうかというのを本当に慎重に判断すべきだったと改めて思います。

〇榊原委員長
ありがとうございます。これを金太郎あめのように同じようにやるというのもまた変な話で、報道の自由と、(視聴者の)知る権利、それとそのことが及ぼす影響のバランスの中で、局によって(判断に)差があることは、決して悪いことではないと思います。みんなが悩んでいらっしゃることは、日本の放送をやっている方の良識がいろいろな判断の中に反映しているということだと思います。ほかにはどうでしょうか。

〇参加者
何でこのいじめ問題について報道するかというと、いじめそのものは問題ですが、その中で学校がどう対応したかという大人の問題があったと思っています。このいじめ問題について今年(2023年)、第三者委員会が入っていろいろと調べましたが、第三者委員会と学校側との認識不足というのが結構ありました。大人はどう対応したのか、学校はきちんと認識してしっかり対応したのかというところを検証するのが報道なのかなと思いました。

〇飯田委員
さきほど学校名を出す、出さないという議論になりましたが、今やテレビが報じなかったら子どもたちが知り得ないということでは必ずしもないと思います。自殺の状況次第ではSNSを介して子どもたちの目に触れたり、学校名も公になったりすることもあるでしょう。場合によっては、ネットでどれだけ情報が流通しているのかということも加味しながら、必要に応じて青少年に呼びかけていくということも、公共的ないし公益的なテレビ・ラジオの役割なのではないかと思っています。メディアの環境全体でWHO提言のうち、何を報じて何を報じないでおくべきか、というバランスを取っていくという視点が、これからますます重要になってくると考えます。

〇榊原委員長
髙橋委員の意見を聞きたいのですが、今テレビでやらなくても、SNSなどで、地元の人が「この子がいじめっ子だ」みたいに出たりするようです。そういう世の中になっていますが、何かございますか。

〇髙橋委員
問題は幾つかあります。まず子どもの自殺が起きたときに原因追求にフォーカスが当てられがちですが、原因となった人たちのケアというのも実は必要なのです。それは、いじめがあれば、(いじめた側の)子どもたちがそうですし、それに気づけなかった、あるいは対処できなかった教師たちもそうです。本当に教師人生が覆るほど傷ついているし、深い悲しみの中にいます。まず、そういう人たちをケアすることも大事なのですが、そこのケアはポンと飛ばされて、原因追求になるわけですね。
原因探しや犯人捜しを突き詰めると、再発防止になるかというと、再発防止に直結しないことも結構あります。再発防止というのは、やはりいじめがなくなるようなことを、長期的に考えていかねばなりませんが、「誰々さんがいじめをした」ことを追求するのが再発防止になるわけではありません。その仕組み自体を考えていかなければならないのであって、それ以上もう誰も傷つかないというのが本来の遺族支援というか、自殺が起きた後に私たちがやるべきことなのです。しかし、報道によって傷つく人がたくさんいる、それでまた自殺が相次ぐということになれば、これは自殺予防や、自殺が起きた後の報道としてあるべき姿ではないと私は思っています。
もう一つ。SNSでデマが回るということがあり、さまざまなうわさ話というのがSNSで回りやすい。その中で、テレビやラジオの報道がファクトであるということが大事だと思います。テレビとラジオはきちんとファクトを検証して、報道しているということです。
そこに軸足を持っていないと、例えば周辺の人にインタビューして、「そうらしいですよ」のような声を放送してしまうと、ただのうわさを流すことにしかなりません。何を共有すべきなのか、何のためにこの情報が必要なのかを考えて、ファクトを流していくことを軸足にしてほしい。
私自身、今皆さんとこうやって意見交換して、ここにジレンマを感じるとか、悩むとか、そこを一緒に考えながら、よりよい報道をしていただくことだと思います。みんなが悩む、そして今までの当たり前だったことに対して、疑問を持つということが大事なのかなと改めて思いました。

〇参加者
髙橋委員が話したネット(SNS)ということには、危機感を持っています。例えば、我々はWHOのガイドラインを見ていますし、それに沿って各社やっていると思いますし、沿っていなくても念頭にはあるわけです。
ただ、報道の配慮はできるけれども、なかなかそのケアを考えるところは、我々の仕事ではなくなってしまうのかなと思います。我々は伝えるのが仕事かなと思います。
我々はWHOのガイドラインに沿って名前も出しませんし、中学校の名前も配慮して出さないこともあります。でも一方でネットでは子どもの顔の写真が出ます、名前も出ます、どんないじめ、どんな死に方ということが出るときもあります。実際、加害者側も出てくるという中で、ネットでは「テレビ、ラジオ、新聞というのは、事実を隠しているのではないか」と言われていることもよくあるのです。
こちらがガイドラインに沿っていることで、「テレビは何か隠している」というように思われて、要するに、テレビは選択した事実しか流していないと言われてしまう。別に隠しているわけではないのですが、その辺の怖さというのを今、現場として感じています。
我々はまだ実名報道というのを守っていて、それは事実を担保するために、実名というのは必要だろうということをやっていますが、ネット時代では本当にテレビ報道は真実を伝えているのかと言われてしまう。伝えられているのですが、ネットを経験した人たちから見ると、信頼されないのではないかという、そういう思いがあります。

〇榊原委員長
この辺は、ネット情報に対するリテラシーを国民がどう持つかというところで、かなり変わってくるわけです。例えばSNSで炎上する場合、それのインフルエンサーになっている人というのは、1~2%しかいなくて、ほかの人がそれに雷同しているだけだという事実があるわけですね。それに対して、皆さんが悩みながら報道しているというのは、少なくとも複数の目が入って、どうしようか悩んだ上で出しているのです。だから、ファクトの度合いといいますか、その辺について、国民がだんだん気づくということが今後進めば、SNSの情報と、こういう複数の目が入った放送の間の差みたいなものを、みんなが分かってくると思います。
局によって対応が多少違うというあたりで悩みながらいくというのが、私が聞いていると、むしろ健全といいますか、もう絶対これだというよりは、いろいろ考えて悩んで、多少その差が出るということが重要なのかなと思いました。

《【テーマ2】子どもを対象とするカメラ取材の状況と問題について》

別の代表社によって、カメラ取材映像の紹介を交えながらの問題提起があり、その後、意見交換に移りました。

〇代表社の問題提起
5~6年ぐらい前からでしょうか、学校内で、子どもをテレビのニュースで撮影しようとする際、以前より撮影がしづらくなっています。学校側の要望で、主に子どもの顔の撮影ができませんと言われます。もともとは保護者にそういう要望があって、撮影しづらくなっています。もう一つは、制服や体操服の胸元の名札に名字があって、それが映像に映り込むのを避けるよう学校側から要望されるケースが出てきています。
実際に映像を見ていただきます。<映像上映②>

まずは、2学期の小学校のスタートのニュースです。金沢市の近隣の小学校で取材をしましたが、学校側から顔撮影がNGとありました。しかし、虐待を受けていて、親から逃げているような子どもではなく、親(保護者)の意向でNGですと。広いカットで登校風景を撮影して放送するのはいいですよと学校側から言われました。登校のときは後ろ打ち(子どもたちの背後から撮影)にしたり、広い映像にしたりしました。要は子どもの表情がない(撮影できない)のです。20数年前には、普通に登校して来る風景の中で、子ども同士が楽しく一緒に「久しぶりに会ったね」というような表情をアップで撮って、ごく普通に放送していました。社会的な条件がいろいろと重なって、撮影や放送しづらくなったなと、感じます。
もう一つ紹介します。こちらは対策編に近いところがあります。学校の中でのカメラ取材のとき、胸元にある名札の映り込みについて、感覚としては5~6年前から結構言われるようになりました。子どもの顔と胸元の名札が同じサイズの中に、例えばワンショットの中にあって、顔と名前が一致する映像を見た学校側や保護者から、「何々小学校の○○さんが付きまといに遭うのではないか」という指摘です。住宅地図でも使えば、校区内の○○という名字は、探そうと思えば探せるわけです。こういうことを懸念する学校があります。これは石川県に限らず、隣の福井県でも同じようなことを言われました。
教育委員会から指示があるわけではなく、校長や教頭クラスの管理職の判断でそういう懸念が出されているようです。いつもはうまく名札が見えないような角度にするなどして、かわしていますが、場合によっては学校側と話し合って「(名札部分に)白いテープを貼りましょうか」という提案も、それは少し行き過ぎかなと思いますが、提案することもあります。

ローカル番組に、6年前から始まった子どものクラブ活動を紹介するコーナーがあって、そこである対策をしました。よく見ると子どもたちの胸元に、番組のマスコットをマークにした缶バッジがあります。クラブ活動でかなり動きが激しいところで、もし胸元に名札があると、映像として隠したり、角度を変えて見えなくしたりは相当難しいのですが、胸元に缶バッチをつけることで、名札が隠れて見えません。このコーナーを始めたころから、名札が見えないような対策をしてきましたが、ちょうど2年前から、この缶バッチを作って、つけてもらうことを対策にしています。番組に親しみを持ってもらえるというのも併せて、いわば一石二鳥でやっています。
いずれの場合も、学校側の奥には保護者がいます。保護者と学校側の要望について映像面でどう配慮するのか、先方との話し合いはもちろん、局内でのさまざまな対策、やり方を考えないと、子どもたちの元気のよい姿が放送しづらくなっているという報告でした。

<意見交換>

〇榊原委員長
名札が映されると、何が困るのでしょうか。個人が同定されると困るということだと思いますが、どうして学校の校長らは、そういう判断をするのかという疑問です。

〇参加者
私は小学校で保護者会(の役員)をやっていたので、よく聞いた話ですが、保護者の中に子どもがテレビに映ることをよくないと思っている人は結構います。毎年、春になると多くの学校では、「テレビに映っていいですか」や「校内で作る広報誌にお子さんの顔が写ってもいいですか」という回答用紙がきて、保護者がそれにオーケーかどうかを書きこみます。広報誌にも写りたくないという保護者がいます。広報誌(の印刷)を、白黒だったのをカラー化しようとしたら、「カラーだとよりリアルになるので白黒のままであってほしい。その広報誌がどこかに回ったときに、自分の子どもが誘拐されるかもしれない。不審者につけられるかもしれない」と本気で思っている保護者が多くいます。そういう保護者の声を受けて、すごく慎重になっている学校があります。まったくおおらかな学校ももちろんありますが、厳しい保護者がいるところは、学校側も厳しくなっているなという印象があります。
もう一つ。学校取材のとき、うちの子は映してほしくないという保護者が言う子どもを、その場から外して、大丈夫な子どもだけで撮影できるようにしたことがありました。外された子どもはそんな事情を理解していないので、なぜ自分だけがその場にいられないのかと半泣きになってしまいました。みんなと一緒にインタビューに答えたいのに、先生から「あなたは駄目よ」と言われ半泣きになっている。こんな現状はよろしくないなと実感した記憶があります。
子どもを狙った事件などが増えれば増えるほど、保護者は昔と比べてものすごくデリケートになっているなというのを実感します。だから、その懸念も無視できず、なるべく大丈夫な範囲内で撮影することと、あとは本当に子どもの顔が分からないと駄目なのか、必要性も考えるようにしています。子どもが映らなくてもいいものもあれば、入学式や卒業式に子どもたちの顔は映さないでくれと言われたら、何のために取材に行っているのか分からなくなることもあって、大丈夫な学校に相談を持ちかけたことはあります。

〇榊原委員長
このような状況を薄々は想像していたのですが、校長としては、なるべく問題を起こしたくないし、別に取材に来てくれなくてもいいと考えれば、そうなると思います。どうでしょう、法律的には何かあるのですか。肖像権というのはどうなるのですか、ここに弁護士の先生(緑川副委員長)もいらっしゃいますが。

〇緑川副委員長
(取材対象が)子どもだから、(親権を持つ)保護者の意見があるという話で、そこで難しくなっていることはありますが、基本的には子どもだけの問題ではなく、例えば大人だったとしても、インタビューをしたときに顔を映していいですか、名前を出していいですか、嫌ですと言われたときに出せるかどうかということと、同じようなことなのかなと思って聞いていました。
例えばプライバシーの問題になったときには、そこはプライバシーの利益と、報道する利益の利益衡量ということで、最終的には判断されていくわけです。そうすると、そこで子どもの顔や名前を出すと、それは嫌だと言われても、出して報道するだけの利益があるのかどうかは、その都度考えながら進めることが必要になっていると思います。
特に子どもの誘拐というと、あまり一般的ではないのではないかと思いますが、絶対ないかというと、そうではないことではあります。より問題とされるのは、DVや虐待で支援措置を受けている、それで通っている学校を伏せたい、そのことすら言えないけれども、伏せたいということしか言えない事情がある子どもも今は、結構いると思います。学校側が、確認できない状況のまま映してしまうという可能性があることを気にするというのも、現実問題としてあるでしょう。報道する側は、そういう可能性があるかもしれないということを考えながら、どこまで報道するか検討していくということだと思います。
私が子どもの頃はテレビに出るということは特別なことで、そこで出たくないとか、名前を隠すというのはあまり考えられない時代でしたが、今は個人情報保護法も浸透してきて、どちらかというと「匿名社会を私たちは選んできている」、そういう方向に社会全体が向かっていて、私自身もそういう状況を受け入れていると思えるようになってきています。やはり昔とは違う社会状況というのを前提にしながら、個別、具体的に判断していかなければいけないと思います。
はじめに申し上げた利益衡量というのは、そのときの社会状況を前提にしたところでの利益衡量になりますから、「昔はこうだったのに」と言っても、そこは利益衡量の衡量材料にはなりません。今すこし行き過ぎているのではないか、そこまででなくてもよいのではないかというところで、さらにもう一歩進めて、どうしていくのがよいのかを提案しながら報道を考えていくといいのかなと思いました。
個人的には、入学式の放送では、後ろから映したとしても、別にもうよいのではないかな、前から映さなくても、後ろから入学式の状況を映しても、そのときの様子は報道できるかもしれないと思います。名札の問題をうまく調整していた放送局のやり方は、今の社会状況や、そのときの学校の状況を考えたときには、一つの方法かなと思いました。

〇参加者
僕の取材経験も全く同じで、学校側に「後ろから絶対撮ってくれ」や、インタビューもひどいのは「顔を切ってくれ(顔を映さないでくれ)」みたいな話になって、それは校長や教頭の判断ですから、おおらかな学校もいくつかあるので、そちらにお願いしていくようになります。
小学校の入学式の様子を後ろから撮ってもニュースは成立するのではないかと、お話がありましたが、成立はするでしょうけれども、そこに何のニュース価値があるのかなと思っています。ニュースにしたときは、やはり子どもの喜んでいる顔こそが、僕らはニュースの価値であって、入学式があったということ自体がニュースではないと思っています。もしどこの学校も(子どもの顔を)撮れないのであれば、たぶん取材に行かないのではないか。だからどうしても子どもの笑顔が撮りたい、そこにニュース価値があると、僕は思います。

〇参加者
さきほどDV被害から保護された子どもたちという話がありましたが、僕が聞いたところでは、たとえ顔が映らなくても、その子の持っている持ち物が映るだけでも、その子が特定されるということで、危ない事例があったようです。弊社では、顔を映さないだけではなく、その子の持ち物なども映らないように気をつけることがカメラマンの申し合わせにあるようです。だから、単純に「プライバシーで」というだけではなく、DVや虐待から逃げている母親の息子や娘という状況が、最近すごく多いということを感じています。

《関連の問題提起「子どもが映った放送番組素材のネット配信について」》

〇榊原委員長
次は、関連する事例として、子どもが映った放送番組や素材のネット配信についての問題提起があります。どうぞお願いいたします。

〇参加者から問題提起
古い話ですが2012年に、石川県内の都市にある公園で、屋外のスポーツテストをしていた高校生が、集団で熱中症の症状が出て病院に搬送されました。その一報を受けて記者とカメラマンが取材に行き、当時の状況を女子生徒にインタビューをして放送しました。
その取材内容が東京キー局にも送られ、全国向け放送ではなく、関東ローカルで放送されました。当時はまだネット配信という概念はあまりなかったのですが、放送した内容が、第三者に切り取られて、インターネットにアップされてしまいました。それをきっかけにして、その女子生徒の容姿に対する誹謗中傷が発生して、その生徒がすごく精神的な負担を受けてしまいました。
取材時の状況としては、未成年者のインタビューの際は、できるだけ保護者の同意を得るということでしたので、そこに迎えに来ていた保護者の了解を得た上でのインタビューでした。しかし、保護者としては石川県内だけの放送という認識だったので、そういう事態を受けてお怒りになってしまい、弊社としてはあちこちに削除を依頼する事態になりました。それで大部分は消えたということも含めて、納得してもらいましたが、その当時から弊社では、ネット上のいわゆるニュース映像として子どもの映像が配信されることについて、かなりシビアな対応になりました。つい最近までですが、18歳未満の子どもについては、インタビューも含めて、基本的に配信していませんでした。
だから、さきほどの入学式のニュースなども基本的には配信しないという流れで、2~3年前まではやっていましたが、最近の状況を踏まえて、「明るいニュースで承諾が取れればアップしましょう」となりました。明るいニュース以外の、事件・事故関係の子どもの映像が載ったものについては「ネット配信はなるべく控えましょう」という内規で動いているという状況です。
ただ、それも弊社だけの話であって、同じ系列の他局は全く意識していないというところですし、東京キー局ももちろんそういう意識をしていないということです。子どもが映った映像の場合、地上波だけでなく、ネットにも出されたときの対応について、特に削除が厳しいネットの状況については、頭を悩ませているところがあります。

<意見交換>

〇榊原委員長
確かに放送局のほうからネットに使えるような形で出すと、そこに責任が生じると思いますが、今はそうではなく、ただ普通に放送したものをまた録画してネットに、何の許可もなしで拡散されるという状況になっていると思います。ほかの放送局、あるいは委員から、今の問題についていかがでしょうか。

〇参加者
配信を前提とした報道というよりも、ややPRも兼ねた取材というときに、保護者全員の許諾、何なら誓約書みたいなものを取ったケースがありました。
とくに今、気をつけているのはプールの取材です。プールは女子児童であれば水着、男子児童であれば上半身は裸の場合が多いと思います。キー局から「男子であっても、胸元が見えるようなものは映さないでほしい。今はデジタルタトゥーなどという事例もあって、気をつけてほしい」と言われましたが、プールに入ると子どもは、はしゃいでジャンプしたりするのです。結果的にどうしても胸元が映ってしまう。男子なので気にしない人のほうが多いのですが、大人になったときにこれを見たらどうかとか、これを見て今いろいろな方がいますので、(性加害などの)標的になるというケースも考えられなくないということで、20~30人はいましたが、全員の保護者に、許可を取ってくれということになりました。配信前提のものでしたので、要は全世界に見えるような状態になります。プール教室にお願いして、保護者全員に一筆書いていただきました。これは数年前ですが、今年(2023年)も似たようなことがありました。そこまで苦労して撮るべきなのかな、というぐらいになっているのが実感です。そこまでやっています。

〇代表社の参加者
今、配信の話でありましたが、弊社もローカル番組の配信を始めました。取材先には放送もデジタル配信もありますよと、言うようにはしていますが、どこまで言えるかという問題があります。承諾書の話になってくると、さきほどのお話のように、20人の承諾書を取ることを前例にすると、取材よりも承諾にかかる手間のほうが多くなって、取材するほうが音を上げてしまいます。非常にバランスが難しいし、どこまでそれをやっていくのか、それをルールにすると現場取材が難しくなってしまうと思います。
さきほど参加者が、やはり子どもの表情が一番のニュースだとおっしゃり、確かにそのとおりで、我々も後ろから映すことがいいとは全然思っていません。けれども、学校の外での行動であれば映像取材は構いませんが、学校の児童・生徒が映るとなると学校の意向を聞かざるを得ない。そこが今のネックなのかなと思います。
あと、水着の話が出ていましたが、若い女性記者と話していたら、海開きかな、海で若いお子さんが楽しそうにはしゃいでいる映像を撮ろうと思ったのだそうです。しかし、こういう昨今の問題があって、それは問題かなという自主規制のような形で取材する側が遠慮してしまったということで、それはあまりよくないなと思いながら今お話を聞いておりました。

《【テーマ3】フリートーク》

参加者に、日常の取材活動などを通じて関心を持っているテーマについて、自由に問題提起してもらいました。

(1)「性的少数者である青少年の取材の留意点などについて」

〇参加者の問題提起
実はまだ取材できていないのですが、取材を試みているのは、LGBTQ(性的少数者)の高校生の男子で、学校で男女共用の服装を作ろうという運動をしています。本人は取材にオーケーで、両親もオーケーという状態ですが、ディレクターは取材をして放送するときに、本人と両親は了解しているけれども、実名を出していいのか、仮名みたいな感じで出せばいいのかと結構悩んでいます。LGBTQに関することが、この2~3年で急に話題になってきたので、僕らも過去にあまり事例がありません。ディレクターに対してどう指導していいのか、なかなか思い悩むところがあります。未成年のLGBTQの方に対して取材するときの留意点とか、どうしたらいいのかという事例があれば教えてほしいというところです。

〇髙橋委員
匿名にすることで偏見を助長する可能性もあるのではないでしょうか。偏見とのバランスはすごく難しいなと思っていて、LGBTQだから仮名にしなければならないのか、名前を伏せなければならないのかという議論にもなるので、基本的には本人の同意(に従うべき)なのかなと思います。

〇榊原委員長
私たちは、こうすべきだとか、これが正しいということを言う委員会ではなく、このようにしたらいいのかなと一緒に考えていこうという委員会です。さて、どうしたらいいのかなということですが。

〇吉永委員
ディレクターの方が悩んでいるポイントはどこですか。

〇参加者
悩んでいるというより、もし実名を出したときに、本人はいいと言うけれども、予期せずに(SNSなどが)炎上したらどうしようということです。過剰(な懸念)といえば過剰なのですが、そういう懸念をしているようです。

〇吉永委員
確かにLGBTQの状況は今すごく変わってきていて、日本では過渡期にあるのではないかと思います。この高校生は、匿名の社会の中で実名を出していいと言っているわけで、彼は孤独な戦いをしているわけではなくて、彼の周辺には理解者がいるでしょうし、そこで一緒にやろうという友人が何人かいるのですよね。その姿勢を尊重していかないと世の中が変わっていかないような気がします。
それでも、「何かがあったら」と考えていくと、もう結局やらないほうがいいという話にどうしてもなってしまう。学校がどのくらいの理解を示しているのか、学内的にもどのぐらいの理解がされているのか、どのくらい一緒にやろうという人がいるのか、という校内の雰囲気などをしっかりと総合的に判断した上で、本人の希望に沿うのか、本人を説得して匿名にさせるのか仮名にさせるのかという話になると思います。本人が(実名でと)言っているときに、逆に仮名にしろというのはなかなか難しいことではないか、という気がします。

〇参加者
LGBTQの方の取材の難しさということでは、弊社のディレクターも少し迷っているところがあります。取材しているのはLGBTQの小学生の子どもですが、その子は、小学校低学年で自分の性別に違和感を覚えているようです。本人は何となくそれを自覚しているという状況で、取材を申し込んで話を聞くことができました。本人は何となく取材に前向き、ただ保護者が「成長過程で心が変わるかもしれないので」ということで、取材に少し戸惑っていらっしゃいます。ディレクターとしては保護者が戸惑っている状況なので、さらに踏み込んだ取材をしていいのか、というところで足踏みしている状況です。
性的マイノリティーの人は成人したあと、小さい頃からすごく違和感を覚えていたと語る人が多いと思います。メディアとして、現時点でそういうふうに感じている子どもがいることを報道するのは重要なことだろうと思う反面、保護者の思いとそこを報道するかどうかで葛藤するという部分があります。子どもは成長とともにいろいろと学んで心は変わっていくと思いますが、そういう中で、この性的マイノリティーと自覚している子どもにどこまで接近して取材をしていいのか、また、取材のときにどんなことを配慮するべきなのかというところをすごく迷っている状況が、弊社にもあります。

〇榊原委員長
今のは、一番最先端の問題です。いろいろ摩擦があるようなことについては、ある程度勇気を持って出していく、きちんとした見識を自分たちでまとめて出していく、ということが世の中を変えていくのでしょう。SNSがある、あるいはネットがあると言いながら、こういう放送がとても大きな社会的な影響力を持っているというのも事実だと思います。換言すると、世論を意図的に操作するわけではありませんが、出していくということはある程度勇気を伴います。勇気が要りますが、(社会的に)必要なことだと思っています。

〇沢井委員
ネガティブなことは駄目なのかというと決してそうではなくて、むしろネガティブと思われる事柄に今後社会、環境を変えていくために大事な、今つらいけれどもこれをどうにかしたいという子どもなり保護者なりの意見があると思います。
私が子ども番組を監修するときにいつも考えるのは、国連の「子どもの権利条約」と、その条約の内容を日本の法律として初めて取り入れて、今年(2023年)4月に施行された「こども基本法」です。有名なのが子どもの意見表明権です。子どもにも意見を表明する権利があることと、子どもも社会的な活動に参加することができる、意見を言うだけではなくて、大人と一緒でもいいから、何か社会的活動に参加することができるということです。だからLGBTQの子どもの場合でも、社会をもっと住みやすく、生きづらくないように変えたいという願いを保護者と共に持っているでしょうし、その仲間にもあるでしょう。そういう潮流をメディアは誇張することもなく、「でも、そういう人たちがいますよ」ということは出すべきだと思います。
保護者が戸惑っていらっしゃるのは確かでして、例えば4歳とか5歳、6歳の子どもでは、そこで発達の過程で変化して、あれに顔出ししなければよかったと後で悔やむことがあってはいけないという心配だと思います。ただ、メディアというのは現在の出来事だけではなく、今がどのように積み重なって変わり、歴史となっていったかということを、映像として残すというミッションもあると思います。そうすると縦断的にずっと追っていく場合は、最初は顔出しではなく5歳の何とかちゃんはLGBTQの傾向があって、こういうことを悩んでいますということをずっと追っていく。私の感覚だと10歳を超えたぐらいのときにはもう本気で、そこである程度その子の人生を決めることがもう起きているように思います。10歳か11歳ぐらいのとき、小学校高学年ぐらいのときに、自分はもう意見をきちんと言いたい、顔を出して言いたい、私ではなく僕でいたいというようなことも言いますので、もちろん保護者とも話し合って、私は(放送に)出してもよいのではないかと思います。縦断的に追っていって、ある程度伏せていたことをだんだん開示して、最終的にそれは長編ドキュメンタリーになるかもしれない。それはそれで意味のあることだし、歴史的な映像になると思います。
所詮子どもなのだから、と保護し過ぎてもいけないし、隠すということも一つの偏見を生むことになるので、本当に小さいときは少し保護的であるけれども、それを撮った上で、その子どもの人生ということでドキュメンタリーにする。本当によい番組になるのではないかと思いますし、そういうことがあっていいのではないかと感じます。私は子どもの意見表明というのは顔を出すもので、表情が大事、映像のテレビですから、それはぜひできるだけ顔は撮ってほしいと思います。

(2)「ルッキズムへの配慮について」

〇参加者の問題提起
ルッキズムという言葉ですが、最近その言葉が社会問題として注目されているので取り上げさせてもらいました。見た目で人を判断したり、容姿を理由に差別したりするという意味ですが、実際に放送の中でも少しずつ関わってきます。人を見栄えで評価するのはすごくよくないことで、例えば言葉にすると不細工など、そういった言葉を使ったら駄目なのはもう当たり前の話ですが、逆にイケメンや美女など、人がよい意味で表現してきたものが青少年にとってどんな影響を及ぼすのかとか、成長に対して問題になったりするのかというのが、気になっています。放送の中で今後さらに厳しくなっていくのかなと思います。今後どうやって向き合っていくべきなのかということを、聞いてみたいです。

〇榊原委員長
本当に難しい問題、なかなか言葉というのは、非常にいろいろな意味合いがあるので、ネガティブなことだけじゃなくポジティブなことでもやっぱり言えないと。 
とても難しくなってきている時期なのでしょうが、その辺について何かご意見ございますか。

〇吉永委員
今は「美人アナ」と言っても駄目なんですよね。だからそういうのはちょっと過激な反応。20年近く前、2005年に「人は見た目が9割」(竹内一郎 著 新潮社刊)という本が出ました。そのことで何も問題もなく、みんな結構読んでいたような気がします。見た目が9割と言われたら、それこそ究極のルッキズムだよね。でも当時は、それを笑って違うんじゃないのという人と、そうだよなという人がいて成り立っていた世の中でした。今はものすごく変わったんだなという気がします。
かつてのおおらかさというか、それが全くなくなってしまって、ただネットで容姿をバッシングするというのは、本当に卑劣なやり方だよね。私たちがそれを避けるために、全部やめていってしまうと、逆にそれを認めたことになりはしないかという、非常に複雑な屈服感というか、そういうのがありますね。

〇髙橋委員
ルッキズムの問題は、例えば肥満の人がいたときにそれをいじるなど、そっちだと思います。日本はそういうことに関して、いじる文化は結構あって、それはおおらかといったらおおらかなのかもしれないけれども、アメリカだと、そういうことをやったら結構批判されますね。体型のことをいじるという、そこなのかなと。いいのよりも悪いほうです。

〇吉永委員
それは人によってだから。私は別にデブと言われても、全然傷つかないですけれども、やっぱり傷つく人だっているし、そういう人には言ってはいけないというように、人を見てそう判断をしていくとか、関係性の中で発する言葉を選んでいくというようなことが全くなくなってきているのかなと思います。

〇榊原委員長
関係性の中でというか、文脈の中でどういう意味で言ったかというのはもちろん重要で、「アホとちゃう」と言われたって、大阪の人は何もそれは普通の言葉で言っているわけです。それは「おまえはアホだ」「ばかですね」というのと違うので、その辺の文脈のこともきっちり捉えて、言葉狩りで萎縮することではないだろうと思っています。言葉狩りというのはやる気になれば幾らでもやれますので、文脈としてそういう意味ではないことを、矜持を持って伝えるということが必要になるのかなと思います。

(2)「ラジオ局(FM放送)の立場から」

〇榊原委員長
青少年委員会が委嘱している中高生モニター制度の中高生に、ラジオ番組について尋ねたところ、いろいろな意見があって、とても好評でした。好評というのは2つあって、そういうお題を出すと、「ラジオをほとんど聴いたことがない。初めて聴いた」という人が多い。これは今のラジオの状況かもしれませんが、逆に結構多くの中高生モニターが、「ラジオだとしゃべっている言葉がすごくそばにいて、言葉の持つ雰囲気や、その人の気持ちが身近に感じられる」ということをとてもよかったと言っていました。それから、ラジオを聴くようになったという人もいます。ラジオの持つ意味はいろいろあると思いますが、さきほどから議論にしている、例えば顔を出さないとか、視覚的な情報に対するNGに対して、逆にラジオは乗り越えられる可能性があるということも、今思いました。

〇ラジオ局からの参加者
委員長がお話しいただいた中で、若者がラジオを初めて聴いたというお話がありましたが、私は数年前にあるキャンペーンのため、局の前で鉛筆を配ったのです。そのときに小学校2年生の女の子が学校帰りに赤いランドセルを背負って、「私にもちょうだい」と言うので、「もちろんどうぞ」とあげるとき、聴かないだろうなと思いながら、「ラジオって聴く?」って聞いたのです。そうしたら、「ラジオって何?」と逆に返されました。これは思った以上のショックでした。それくらい家にラジオがないということになるのだと思います。あるのは車の中や、あるいは防災のラジオは持っていても、逃げるときのかばんの中に入れておくのが日常の風景ということなのでしょう。
それから、(中高生モニターが)ラジオを身近に感じるというお話もありましたが、私は前から言っているのは、例えばテレビだと今はあまり言いませんけれども、「お茶の間の皆さん」という言い方がよくありますが、ラジオの場合は「ラジオの前のあなた」なのです。つまり1対1として放送するということが多いのです。そういうこともあって、身近に感じてもらえるのかなと思っています。そういう意味では心に届くこともあるのかなというように思います。
一番初めに委員長から嘲笑は笑いではないというお話がありました。では、いじるということと、いじめ、嘲笑みたいなものの違いの境はどこなのだろうと思っていましたが、それは、地域によっても違うだろうし、人によっても違うだろうし、文脈によっても違うだろうというお話があったので、「なるほどな」と思いました。境というものはここだと区切れないものだと思いました。私も「はげ」と言われても何とも思いません。むしろおいしいと思います。もう自分で言っているのですが。ただ、テレビで、若い女の人に結婚相手についてインタビューをしたときに、はげとデブは嫌だと、全然知らない女性が言ったのです。それに関してはちょっとショック、そういうところですね。
それからテレビの方々は、映像に対しての大変なご苦労とご配慮をされているんだなと思いました。児童の胸にキャラクターの缶バッジをつけることは、ラジオにはとてもないジレンマです。
ネットの話も多くありましたが、放送で倫理を保つことはもちろん必要です。ただこれがネットのニュースの波にのまれるということも最近はあるなと思っています。委員長からファクトの度合いが国民的に広まることが望ましいというお話がありましたし、ペンは剣より強しという言葉があるというお話もされました。このペンをもう全国民が既に持っているんじゃないかと思ったりもしました。
そんなところから最近は、メディアたたきとか、むしろメディアのほうが遅いし薄いしなどの批判で、メディアが弱くなっていく倫理を保っていることが、結局メディアは駄目だという風潮がネットの中ではあるように感じています。ありがとうございました。

〇榊原委員長
時間がちょうど来ましたので、ここで意見交換会を終わりたいと思います。

事後アンケート 概要

意見交換会終了後、参加者全員にアンケートの協力を依頼し、9割以上に当たる14人から回答を得ました。その概要を紹介します。

  • ▼「『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー』に関する見解の解説」について
    • 「見解」が発表された時に一度読んではいたが、改めて「苦しんでいる人を助けずに嘲笑する」ことが「子どもの中に芽生えた共感性の発達を阻害する可能性があることは否めない」ことをテレビ局側は肝に銘じる必要があると感じた。
    • ローカル局では該当するようなコンテンツを制作する機会は少ないものの、番組編成という点では当事者であるため、見解の意図や番組制作のこれからについて関心があった。直接解説をお聞きし、専門的な見解について理解することができた。一方で、地上波放送のふり幅が小さくなる懸念も感じられ、低年齢層の接触率が高まっているネット上やゲーム等の激しいコンテンツに加速度的に意識が向き、なんらかの影響があるのではないかとも思った。
    • 「他人の心身の痛みを嘲笑する」演出は、それを視聴する青少年の共感性の発達、人間観に影響を与えるという科学的な指摘はとても腑に落ちる部分がありました。弊社の番組でも、出演者どうしの信頼関係の中で「いじる」という展開も過去にありましたが、テレビで放送する際は「関係性」などまったくない状態ですので、常に「他人の心身の痛みを嘲笑する」という表現がないか、しっかり意識しておくことが重要だと感じました。
  • ▼ (テーマ1)「子ども(小中学生)の『いじめ・自殺』報道」の意見交換について
    • 学校や教育委員会の一方的な説明に基づく報道は避けなければならないと思いますが、なかなか家族の声にまでたどりつけず、学校側の言い分を批評するにとどまっているように思います。自殺に関する報道について、詳細を伝えることが周囲に影響を与えることにつながるということを再認識しました。何を伝えるのかを常に考えながら報道していくことが大事なのだと実感しました。
    • とかく自殺の件数に目を奪われがちだが、その陰では未遂者が10倍にも上るという数字の多さに驚いた。いじめに関する自殺については、1つの原因だけではなく家庭内の事情などいくつかの要素が重なることで、最終的に死を選んでしまうという複雑な状況も学びになった。また、相談を受け付ける支援団体のニュース内での告知に関しても、全国規模の団体を紹介するよりも、より地域に身近なところで活動する団体を紹介することが、ローカル局として意義があることも学んだ。今後はこうした地域の支援団体を、映像を通して企画などで広く周知する取材も必要だと感じた。
    • 「被害者やその家族の保護」という観点はもちろんですが、「加害の子どもの保護も必要」という委員の意見に同意します。更に加えるなら無関係でありながら「同じ学校」や「同学年」というだけで疑いの目が向けられる被害もあり得ると感じます。SNSが発達した現代では報道の一部が切り取られて拡散することもありますが、表現の自由や報道の自由を外部から不当に制限されることのないよう自主・自律で配慮する必要があると思いました。
  • ▼ (テーマ2) 「子どもを対象とするカメラ取材の状況と問題」の意見交換について
    • 時代や環境の変化に伴って、子どもの取材は大変、難しくなっているのは事実です。ただ、子どもたちの主張も大事にしてあげたい、とも思います。何を取材して、どう報道したいのか、学校や保護者に伝わるような工夫をし続けるしかないのかな、と思います。
    • テレビが与える影響は大きいので、それにより青少年が傷ついてしまうことはあってはならないことだと思います。ただ、後方からの取材、顔を映さない取材が必要な部分ももちろんありますが、そういった撮影方法が増えていくことで、あれもこれも「子どもの取材は顔を映さない」が当たり前になっても、せっかくの表情やその場の空気が伝わらないように思います。私たち報道する側は、すべてにおいて引いてしまうのではなく、その都度、学校等に何を報道したいか説明し、お互い理解した上で臨んでいきたいと感じました。
    • 実名報道を原則に長年報道でカメラマンとして働いてきたので、個人情報保護法で「匿名社会を選択した」という委員の発言は重く受け止めた。ただ、そんな状況でも実名による将来への記録、実名報道による災害時の安否情報発信もあるという委員の発言もあり現場を指揮する身としては励みになった。各社とも実名匿名の判断をかなり悩みながら取材している状況も聞くことが出来て有益な意見交換になった。
  • ▼ (テーマ3) 「フリートーク」での意見交換について
    • LGBTQやルッキズムなど新たな社会のうねりにどの社も直面していることがよく理解できた。
    • LGBTQの青少年の取材については、本人・両親が了解しているのなら実名で報道しても問題ないという委員からの意見が参考になった。「本人・両親は、LGBTQのことをよく思わない人もいると分かった上で、取材や実名報道を了承している。もし周りからの摩擦があったとしても彼らは覚悟の上で意見を表明しようとしている」と委員が意見を述べていた。私もその意見はその通りと感じ、今後の報道にも参考にさせていただきます。
    • 青少年のLGBTQについての意見交換の中で、子どもの意見表明権についてご意見をいただきました。今後の成長に影響を与えるのではないかと悩むことも大事かもしれませんが、その年齢にしか感じられないことがあり、本人の意思があれば、そこに耳を傾けることも大事なのかもしれないと感じました。
  • ▼ そのほかの意見・感想、BPOや青少年委員会への要望など
    • 対面式での意見交換会が有意義であることはもちろんだが、web形式での意見交換会との併用にすれば、もっと大勢が参加できて良いのではないかと思った。
    • 学校での子どもの匿名取材について、委員には意外だったという印象を受けました。匿名性が進み過ぎたと感じることもあり、今後同じような機会があれば匿名の是非を考えることも意見交換のテーマとして取り上げていただければと思います。
    • 各局同じような悩みを抱えていることを実感し、勉強もさせてもらった大変有意義な意見交換会でした。報道する側には当たり前のことであっても、視聴者の考えや思いと離れていることもあるかと思います。こうした機会に、改めて「何のための報道なのか」を考えることができ、大変良かったです。

以上

2023年2月9日

青少年委員会 岡山・高松地区放送局との意見交換会 概要

青少年委員会は全国各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は岡山・高松地区の放送局とBPOとの相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に本年(2023年)2月9日午後2時から5時まで、岡山市で初めて意見交換しました。
BPOからは青少年委員会の榊原洋一委員長、緑川由香副委員長、飯田豊委員、佐々木輝美委員、沢井佳子委員、髙橋聡美委員、山縣文治委員、吉永みち子委員の8人の委員全員が参加しました。放送局からはNHK(岡山放送局、高松放送局)、RSK山陽放送、岡山放送、テレビせとうち、西日本放送、瀬戸内海放送、岡山エフエム放送、エフエム香川の各BPO連絡責任者、編成、制作、報道番組担当者など計24人が参加しました。

《【テーマ1】「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解について》

まず、「テーマ1」として青少年委員会が昨年(2022年)4月15日に公表した「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解について、榊原委員長らが説明し、その後、意見交換しました。

〇榊原委員長
青少年委員会がこの「見解」を出すに至った経緯を説明します。
英語ではエンパシー(empathy)といいますが、共感や共感性というのは、私たちが他人との間で同じ考えを持って、他人が苦しんでいるときにはこちらも苦しみ、他人が喜んでいるときはこちらも喜ぶ、そういう人間の持っている大きな精神的なあるいは心理的な力です。どういうものに共感を得るのか得ないのかは個人差がありますが、これはどんな人にもある感情です。
ではどのようなプロセスを経て、子どもが共感性を身につけていくのか。これは乳幼児の心理学あるいは脳科学の大きな課題でした。自然にそういう共感性が芽生えるのかというと、どうもそうではない。人間の脳の中に経験を重ねることによって共感が生じるような脳の仕組みがあるのだ、心理の仕組みがあるのだということが徐々にわかり、そのトピックスとして挙がってきたのが「ミラーニューロン」です。人間の大脳のうち前頭葉の一部にある、この「ミラーニューロン」と呼ばれる神経の働きだろうと分かってきました。
ミラーニューロンによる共感性の獲得の道筋には、一つのシナリオがあります。私たちが他人の苦痛、表情を見る。そうすると自分のミラーニューロン系が、自分が苦痛を受けたときと同じように活動します。そのときに、その苦痛を受けている人を誰かが助けたり、慰めてあげたりするのを見ると、慰められた人の苦痛が減るだけでなく、それを見ているほうも苦痛の表情が和らぎます。このミラーニューロンを通じて、そういう感情といいますか、それが伝播するような仕組みがあります。このようなことを何度も見ていると、子どもは何か痛い思いや苦しい思いをしている人を助けるという行動によって、自分もそれから解放される経験を得て、自分もそういうのを見たら助けてあげようという気持ちを後押しする、そういう働きをするのだろうと言われています。これが向社会的行動の強化と共感性の発達です。
痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーについては、若手の芸人が何らかのことで罰ゲームさせられる場合が多いのですが、何かすごく痛くなると。それは痛いわけで、見ているほうも痛そうだと感じます。問題はそこがダブル構造になっていて、スタジオにいる先輩の芸人たちが、若手が痛がっているのを見て皆で笑うわけです。それを私たち視聴者は見ている。特に小さい子どもが見ると、ミラーニューロンが働いて痛いはずなのに、それを笑って見ている大人が一緒に見える、こういう構造になるわけです。
それでなにが起きるかというと、ひとつは、苦痛を感じている人を誰かが嘲笑している、笑っているのを見ると、共感性の獲得の道筋がブロックされてしまい、自分の苦痛の元であるミラーニューロンの活動性が低下しません。さらには向社会的な行動を強化するとか、共感性の発達につながるルートに、必ずしもよくない情報が入ってくることになります。
もうひとつは、大人がそういう痛みを伴うものを見て笑っているのですから、小さい子どもの中には、こういうことは世の中で笑ってもよいのだという気持ちが育まれて、いじめなどにつながる可能性があります。
もちろん1回の番組だけでそうなるわけではないし、多くの経験を経てなるわけですが、テレビはいつでも、みんなよく見ています。回数を重ねることによって、そのような問題が起きるのではないかという懸念があり、それが「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解を発表した経緯なのです。

〇緑川副委員長
「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解は長文ですが、全部を読んでいただければ、必ずしも「痛みを伴う罰ゲーム、イコールNG」ということではないと、ご理解いただけると思います。
テレビ局は公共の電波の使用をすることができる位置にいて、公共のための放送をする責任や使命を負っています。子どもたちに対して、教養の形成であるとか、いわゆる公共善の実現に向けて考え続けるという観点も大切だと思います。表現や演出については、面白さを追求することの重要さ、そして、そのために限界的な表現に挑戦していくことの重要性を意識して、常にブラッシュアップをしていかなければならないだろうと思います。そして、その時々の社会の状況であるとか社会通念の変化、それから、最新の脳科学などによる知見、例えば子どもの発達心理学的な研究成果などについても謙虚にそのような情報、知見を取り入れて、さらによい番組にしていくという態度が重要なのではないでしょうか。
そういう考え方で、最新の脳科学の見地から、「ミラーニューロン」という知見を番組制作している皆さんと共有することによって、よりよい番組を作っていくことに役立ててほしいという理由で、今回の見解を出したことをご理解いただきたいと思います。

<意見交換>

〇参加者
ローカル局でいうと、このような「痛みを伴う」というのは制作の現場では、それほど機会はありません。ただ、BPOの見解が出て以降は何かしら罰ゲームというのはNGみたいな雰囲気があるように思います。ある場面の痛がるようなところだけを切り取られて延々と流すということになると、これも駄目なのかという感じを持ちます。
またテレビだけではなくて、ネットである部分だけ切り取られてとかSNSで流されるとか、どこまで気をつければいいのかなというのも気になります。

〇佐々木委員
ネットだと、場面を部分的に切り取ってしまうことだと理解したのですが、そうするとテレビの場合は、これこれこういう文脈でこれぐらいのものだったら、最後にみんな仲良くなっているから許容されるし、それほど大きな悪影響はないと思います。ネットの場合は文脈が分からないので、暴力シーンなどの一部分だけを見ていると、やはり結果がどうなったかが分かりません。そうすると、過去の研究で暴力シーンの結果が分からない場合は、まねされることが結構あるという結果が出ています。その暴力行為が最後に罰せられるなどの結果が示されない場合は、ネット上の切り取った画像はちょっと問題だと思います。

〇飯田委員
いわゆる「切り抜き動画」と言われるものかと思います。ネットで流通しているものは、動画を制作したユーチューバー自身が短く切り抜いて拡散しているものもあれば、テレビ番組を録画して、それを第三者が切り抜いてネットで拡散させているものもあります。中にはバラエティー番組の制作者自身が、ネットでバズらせることを意識して作っている動画もあるでしょうし、千差万別です。単に切り抜いただけでなく、第三者によって合成が入ったりコラージュが入ったり、何らかの加工があって拡散するところまでいくと、それはもう制作者がコントロールできない範疇の話です。制作者自身がネットでバズらせることを意識したのであれば、それがもたらす結果に一定の責任を持つのが制作者の倫理だと思います。しかし、意図しないかたちで拡散された切り抜き動画に関しては、これは倫理の問題というよりも、技術の変化に対して放送局と制作者の双方がその状況をどう受け止めていくのかという、ちょっとレイヤー(階層)の異なる課題かなと思います。

〇参加者
さきほどネットと言ったのは、特に我々の場合、ニュースはまず放送ですが、ネットに上げることも当たり前になっている。番組もユーチューブに上げるのが当たり前になっています。ネットのことを考えないとやっていけませんし、やらないといけないのだという認識です。その中で一部切り取られた部分が流れるという心配があると思いました。
笑いに関して僕は、痛みを伴うというよりも非常に良質な笑いというか、考えさせられる笑いというか、落語などのきちんと順序立てて笑うというものが良質な本来の笑いだと思っています。ただ、今のテレビでは一瞬、一瞬で本当に10秒に一回笑わせることを迫られている中で、じっくり10分間聞いて「アハハ」と笑えるようなものはできないと思います。

〇参加者
2021年度に中高生モニターから意見を聞いたときのやり取りには、どのようなものがあったのか、気になりました。

〇榊原委員長
BPOには中高生モニター制度があって、30人ぐらい中高生に異なる形式で2回ほど、「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に対してどう思うか聞きました。意見は分かれましたね。「面白い」という生徒がいる反面、「見ていてあまりいい感じがしない」という意見があって、どちらかというと、批判的な意見がやや多かった気がします。
あの見解が出たので、「私たち、僕たちにとって、とても面白いんだ」という答えだけが来るかと思ったら、そうではなかった。中学生でもかなり分析的な視点でいろいろ書いてくる生徒がいます。逆に「とても面白いバラエティーが、もしかすると減るのでさびしい」という意見もありました。両方あったということです。

〇髙橋委員
BPOに寄せられる意見は「これはいかがなものか」のようなものが多いため、ネガティブなフィードバックのほうが多いのは仕方がありません。「よかった、よかった」という感想は寄せられなくて、「BPOに通報」という感覚の視聴者意見が多いのではないかと思います。これが本当に大多数の意見なのか、あるいはノイジー・マイノリティー(声高の少数者)なのかは見極めなければならないと感じます。
今の子どもたちはテレビを直接見るのではなく、様々なアプリで見ることがあります。その一方で、私たち(委員会)はテレビとラジオの放送しか対象にしていないため、それはこれからの課題かなと思います。

〇参加者
ひとつすごく厄介な暴力的な問題があって、それは言葉の問題です。人の劣っているところを突っ込んで嘲り笑うような笑いがあって、身体的痛みは伴いませんが、心はすごく傷つきます。笑いの中の毒舌的なものは皆がまねします。人を傷つける言葉の暴力は、どこかでしっかりブレーキをかけさせないといけないと、かなり前から思っています。

〇緑川副委員長
言葉による暴力というのは、おっしゃる通りです。今回の見解は暴力的な肉体的な痛みの演出がきっかけになっていますが、このミラーニューロンの共感性の発達の阻害という視点からは、決して肉体的な痛みだけを対象とするものではないと理解していただければと思います。暴力というのは、肉体的なことだけでなく言葉による暴力、それを嘲笑するのがあまりいい影響を与えないのではないかということを含めて今回の見解を出しました。
私たちは、テレビ局の制作者の表現の自由を制約するという機関ではなく、逆に表現の自由を内側からさらに深めていく、深化させるために、テレビ局の皆さんが「自主自律のために」作った委員会で委員をさせてもらっていると思っています。私たちは第三者ではありますが、自主的に設立運営している機関であるからこそ、このような意見を出すことで、表現の自由の外部からの制約ではなく、中からブラッシュアップしていくためのきっかけを提供できているとすれば、たいへんありがたいと思います。

〇吉永委員
BPOに来る意見で、「問題だ」と指摘される番組は高視聴率なのです。見ていて「これはな」と思うものでも視聴率が高いと、なかなかそこに手を入れるのは難しい。今の民間放送の置かれている現状を考えると、「すごくいい番組をつくりました。けれども視聴率が取れませんでした」とすると、その作り手は結局、何の評価もされずにいい番組を作ったという自己満足だけで終わってしまう。いい番組を作っていこうという気持ちの継続に繋がっていかない気がします。だから、「うけなかったがすばらしかったね」ということを評価する軸を新たに入れることで、流れを変えていくことを考えてなければいけないと思います。

《【テーマ2】「事件や事故などが発生した際の目撃者である青少年、子どもに対する取材、インタビューの可否や妥当な方法」について》

「テーマ2」と「テーマ3」はそれぞれ、地元局の代表社による具体的な問題提起を受けて意見交換しました。

〇代表社の問題提起
これから2つ映像を見てもらいます。最初は36年前の1987年に起こった事件で弊社が放送したものをそのまま流しますが、今ではたぶん放送できません。人通りの多い商店街を自転車に乗ったまま通る人たちが多いことが問題になって、警察が取り締まりをします。その中で、道交法違反で15歳の少年が逮捕されます。<映像上映①>
これは当時そのまま放送されたと聞いています。ぼかしを入れずに少年の顔が出ているのは、おそらくこのぐらいなら(よいだろう)という判断が当時はあって、撮影するカメラが、多少顔が隠れるような形で撮ったもののままでしょう。そういう判断で放送したと聞いています。少年の顔だけでなく、おそらく今では放送できないものがいくつもあります。まず自転車に乗ってはいけないところで乗っている人を普通に撮影しているとか、それから警察が違反切符を切っているところを撮って、住所を書いているところも撮影しているなどです。さらに、手錠を15歳の少年にかけていること、後ろ姿にしていますが連行される状況を、そのままの形で撮影しているところもです。
ただ一方で、見たときに映像の持つ力の大きさというか、逆にそういうものも感じます。これで全部分かってしまうという感じです。翌日に、(視聴者から)電話が殺到したそうです。これを放送したこと自体についての意見ではなく、少年に対して「警察が注意をしたにもかかわらず逃げたのはいかん」という意見だったり、警察が逮捕するのは「やり過ぎである」という意見が出たりということでした。
次に紹介するのは2018年に、児童の列に車が突っ込んでいくという事故がありました。その翌日の放送です。<映像上映②>
このときは、被害に遭った児童の友人や、ご家族とか、そういったところへの取材を控えるという形でした。その結果、亡くなったお子さんのことは市教委が記者会見を開いて、こういう子だったという発表があっただけです。
三十数年前と、5年ほど前の事例ですが、状況がずいぶん変わったなという印象です。どちらが、当時の記録やニュースとして伝えられるものが多くあるのかといえば、もちろん最初のほう(映像①)があるとは思います。ある程度制限をしていくことによって撮影できないというか、できるところがどんどん減っていくのを感じます。情報源が限られる中で、一次情報である家族や子どもたちに取材する、しないというのは本当に悩ましいところだなと思いました。その2つの時代の映像を比べてご意見をうかがいたいと思います。

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青少年委員会は2021年10月6日に、映像②と類似の事件である、千葉県八街市で起きた飲酒運転による児童5人死傷事故で被害者の同級生へのインタビューを放送した番組について「通学中に起きた児童の死傷事故についての未成年者への取材のあり方に関する《委員長コメント》」を出しました。「テーマ2」の意見交換の参考になるこの委員長コメントについて、緑川副委員長から説明がありました。
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〇緑川副委員長
2021年10月6日に青少年委員会から、通学中に起きた児童の死傷事故についての未成年者への取材の在り方に関する委員長コメントを出しました。事故の状況については、さきほど紹介された2番目の事故(映像②)に酷似しているかなと思います。(八街市内で)通学途中の小学生の列に飲酒運転をしている車が突っ込んで5人が死傷するという痛ましい事故でした。当時のニュース番組で亡くなった子どもの友達、同級生にインタビューをした映像が流されました。これは顔が出ていて、どのように感じたかという亡くなった友達に対する気持ちを聞いているというインタビューでした。
これに視聴者から、「事故によるトラウマを想起させ二次被害につながるのではないか」「こういう場合は専門家であっても慎重な対応が必要とされる場面である」と、それから「この被害者が通っていた学校では事故の翌日には子どもたちの心のケアのために休校にしている。そういう状況だったのに、ほかの子どもや保護者の心は考えなかったのか」などの意見が多く寄せられました。同級生に対するインタビューをニュースで報道したテレビ局に、そのときの状況等について質問をし、回答をもらいました。
そのなかでテレビ局側は、その子どもの保護者から承諾を得た上でインタビューしたということです。一部で亡くなった子どもに対する気持ちを尋ねる中で、誘導とも取られかねない質問をし、それに子どもが「そうです」と答えるシーンがあり、その質問手法について「討論」のときの検討対象になりました。これについて、(局側の説明では)放送ではその場面が放送されたが、その前段階の取材の中で、そういう気持ちが話されていたものの、テレビカメラを回す段階では、子どもなのでうまく言葉が出てこなかったということです。その結果、はっきりと意図が分かる部分を放送する対応になったということでした。
しかし、事故直後に亡くなった子どもについてインタビューをすることは、その報道の必要性、つまり事故の悲惨さを伝えて社会全体で共有して同じことが起こらないように皆で考えるための報道の必要性はもちろん肯定できると考えるものの、そのための手段として事故直後に直接子どもにマイクを向けることには、やはり更なる配慮が大切ではないか。そういう問題意識のもとで、この委員長コメントを出しました。
さきほどの2番目の映像は、そのあたりが配慮された内容になっていたと拝見しながら思いました。亡くなった子どもがどういうお子さんだったのかということを校長先生と、お花を供えにいらした人でしょうか、大人に対するインタビューによって、亡くなったお子さんがどういう状況であったのかということが報道されたので、報道の必要性、報道するという趣旨に沿った報道ができていたのではないかなと感じました。

〇榊原委員長
亡くなった子について「(質問される子の)お友達でなくてよかったね」と、すこし誘導して、本人が「うん」とうなずくような(答えでした)。お友達でなくてよかったね、というのは、これは本人が言い出したことではありません。そう言われれば、直接よく知っているお友達ではなくてよかったと(答えた)。これがなぜ問題かというと、それで事故のことを思い出すということ以外に、その画像が保存されて、この子が大きくなってから、あるいはその後で周りの人が見て、この子は「自分のお友達でなくてよかった」と言った。そこだけ切り取ると「何て子だろう」と思われる。そういうことが二次的に、このインタビューを受けた子どものトラウマになっていくのではないかと思います。

〇髙橋委員
まず、友達の声が、果たして国民にとって本当に必要な情報なのか。本当に必要な情報というのは、おそらく、(事故を)再発させないために有用な情報であって、さまざまな人たちへのインタビューが必要な情報なのかなということを、もう一度考えねばならないと思います。また、インタビューに答える子どもが緊張していると笑ってしまうことがあります。そうなると、「あの子は大変なときに笑っていた」などと、ネットやSNSでバッシングが始まったり、二次的な被害がネット上で起こったりするのが、今の世の中です。
では保護者の許可があればインタビューしてよいのかという話ですが、事故直後にインタビューすることが子どもの心を傷つけるという認識が保護者になかった場合、(保護者が子どもを)守ってやれません。やはりこれは報道のプロである皆さんの常識として、直後にインタビューするのは子どもにとって心理的な影響があることを意識しながら、報道してもらえればありがたいと思います。

<意見交換>

〇参加者
事故直後の現場に子どもがいた場合、時に取材活動の一環として状況を聞かなければいけないのではないかと、取材者がそう思うのもあり得ると思います。そこのバランス、要するに子どもに声をかけること自体が子どもの心を痛めてしまうのか、話の内容によっては聞いてみるという判断があるのかどうか、取材している現場の記者はけっこう悩むポイントになると感じました。

〇榊原委員長
八街の場合は、その報道がいわゆるニュース、報道プロパーではない人がインタビューしています。つまり、それが本当に報道として伝える必要があるのかという問題と、総合的に見て報道番組とは必ずしも言い難いワイドショーや情報バラエティー番組が、話を聞きに行くことがあります。その辺の線引きが難しくなったという意見も私たちの中で出ました。純粋な報道としては髙橋委員の言う通り、それはどこまで伝える必要があるのかを判断すべきです。しかし、話題性になりますと、ちょっと視点が違います。その辺をどう分けるのか、かなり悩ましい課題がありました。

〇参加者
とにかく(取材現場では)何が起こったかを知るのが一番です。それ(取材相手)が子どもしかいないときは、これはもう聞かざるを得ないのかなと思います。ただ、テレビの取材活動として聞くものと、カメラを向けてそれを証言として繰り返し流すことによる子どもへの影響は考えないといけない。それには放送しないという判断もあるかもしれません。しかし、取材活動としては、何が起こったのか、それを誰も知らない場合に、もし友達である子どもしか知らないのなら、聞かざるを得ないという判断になると思います。
映像②の場合は、お子さんはこういう子どもだったと、市の教育委員会が発表しました。そういう取りまとめをどこかの機関が発表するのがいいかどうかも難しいところです。どこも出さないとおそらく、どんな子どもだったかを近辺で聞いて回ることになりますが、「それはやめてほしい。学校がきちんと対応する」と周知すれば、(取材者側は)いったん落ち着くでしょう。ただ、果たして学校側の「こういう子どもだった」というのが本当にそうなのかは、実際の友達に聞かないとわからないところがあります。言い方は悪いのですが、学校は「こういう子どもなんだよ」とある程度統一して発表するでしょうから、一次情報としては近所の人や友達などの声をどうしても聞きたいという気持ちになります。一方で、「子どもに影響があるんです」と、さきほど(委員が)言われました。保護者の同意があったとしても子どもへの影響を理解していない保護者がいるのだから、取材する側がきちんと理解してやらなければならないのだというご意見でした。それも全くそうだなと思いますから、ケース・バイ・ケースで、やはりそれぞれ悩ましいなと受け止めました。

〇参加者
さきほどの岡山県赤磐市で5人の小学生の列に車が突っ込んだ事故(映像②)では、仮に私がその現場に取材記者として行っていて、あの5人の中に1人でも無傷の小学生がいたら、その子のインタビューをトライすると思います。なぜかと言えば、あの事故は突っ込んだ車の女性ドライバーが居眠り運転か何かで、(ブレーキとアクセルの)踏み間違いが原因だったと思いますが、それは結果としてのちに分かったことで、事故の時点ではまだ分かっていません。もしかしたら、無傷の子どもに聞けば、事故が起きたときの状況がくわしく分かるかもしれないと考えます。事故の全容をつかむために、現場にいる子どもにインタビューをトライするのは、記者として当然のことだと思います。後輩からどうするべきかと聞かれたら、「取材しろ」と言うと思います。
ただ、無神経にテレビカメラを回してインタビューを撮るというやり方を選ぶのか、保護者に取材して、それからお子さんの了解を得た上で(カメラを回さず)話だけ聞いて、それを記事として書くのかは、また別問題です。「子どもに取材することはちょっと遠慮してください」という風潮が広がると、全くそういう取材をしなくなることをすごく危惧していて、取材するということを我々がどんどん怠ってしまうのではないかと、思いました。

〇髙橋委員
事故を目撃した子どもに直接取材することは、とても大事だと思いますが、複数の新聞社やテレビ局が同じ子どもに何回も何回も聞くことになると、その子は何回も何回も答えなければなりません。もう一点は、各メディアが同時に聞くと、大人がずらりと並んだ中で答えねばならない恐怖感があります。警察がある程度聴き取りをするはずですから、警察から聞くという方法があるかもしれません。(子どもに)何回も何回も聞くということの害があるかなと思います。私は東日本大震災(2011年3月)のときに宮城県に住んでいましたが、震災遺児に関しても、「あの子は答えてくれるよ」となると、各社がその子にインタビューしに行ってしまうということがありました。子どもが何度も話をしなければならないことを懸念しています。

〇参加者
例えば地元のメディアが代表者1人を決めて、その人間だけで取材をするという方法を取ったらいかがでしょうか。

〇髙橋委員
そういう配慮があればいいとは思いますが、現場に駆けつけた警察や消防の方々は第一発見者である子どもに対しては、かなり配慮をしながら事情を聞いているので、たとえば警察や消防などのノウハウも少し分けてもらいながら聞くというのが大事かなと思います。絶対聞くなという話ではありません。聞き方(の問題)だと思います。

《【テーマ3】「大規模災害時等における避難所での被災家族、特に青少年、子どもへの取材、インタビューの可否や妥当な方法」について》

〇代表社の問題提起
「テーマ2」と似ている話で、大規模災害時にどのように被災者に接するかは現場の課題です。(取材相手の)年齢制限についての考え方や、インタビューしないで表情だけを撮るという行為はどうなのか、その辺のことも現場のスタッフが来ていますので体験を聞きながら進めさせてもらいます。広い意味で、大規模災害時の現場でどういうことに気をつけねばならないのか、そういうところの意見交換、共有ができればいいと思います。まず、いま現場で活躍している我々のスタッフに話を聞いて、現場で気をつけているのはどういうところなのかを話してもらいます。

〇代表社の参加者①
もう30年近くずっとニュースのカメラマンをやっています。若いころは災害の現場に行くと、とにかく安全に気をつけながら映像を撮って早く放送へ結びつけることが使命でした。インターネットが普及し出すと、現場での我々取材陣の立ち居振る舞いが非常に見られていて、その立ち居振る舞いが被災されている人たちを傷つけたり悲しませたりすることになって、そこは「非常に気をつけるように」と言われています。スタッフ同士での話す内容に気を付け、冗談も言わないし、被災された人たちのことを考えて、自分たちの食事をどこでとって取材を続けるかをよく考えます。
大事件とか大災害があった後に、ネット上で「マスゴミ」という言葉が出るのが非常にショックで、たとえ直接自分が言われなくても同業者が「マスゴミ」と言われるのはやはり何か悲しいなと思います。我々は何のためにそこに行って、社会のためにやっているのかと。皆の役に立てばと思ってやっているのがごみと言われるのは、非常に残念です。どうしたらそのようにマスコミ全体が言われなくなるのか、何かいい方法がないかなと思います。

〇代表社の参加者②
私は火事の現場などに取材に行ったりすると、マスコミの姿勢というのも同時に見られているなというのをインターネットやツイッターなどのコメントを見て感じるので、なるべくそのように思われないような取材をしていきたいと思います。

〇代表社の参加者③
まず避難所ということだと、皆さんも避難所を管理している人たちの承諾を得た上で中に入って取材すると思います。その上で、青少年、子どもへのインタビューはどのようにするかということです。大規模災害になると、余計に保護者の了承なりあるいは横にいてもらうことを、十分留意しながらインタビューしているのではないでしょうか。
私が現場で記者をやっていた何年も前と比べると、いま話にも出たようにSNSなどですぐ発信をされ、特にメディアに対する批判的な見方がだいぶ強まっていることはあるでしょう。相当慎重にそのあたりの立ち居振る舞い、態度に気をつけなければならないだろうと思います。それに、一度放送に出した後、当初は本人も保護者にも理解が得られていたけれども、何度も放送で使っているうちに、「もうやめてください」となることもよくあります。そういうことも想定しながら、現場で工夫されていると想像します。

<意見交換>

〇参加者
弊社も、岡山県が放送エリアに入っていて、西日本豪雨(2018年7月)の取材経験があります。避難所取材では、当時実際に取材に当たった記者からのヒアリングしたところ、避難所開設から1週間ぐらい経って取材したケースですが、当初は被災者のプライバシーが守れないという理由で、基本的に取材が全面NGになりました。その記者ら取材班が、当時管理運営していた倉敷市と交渉して、条件付きで取材を許可してもらいました。
管理事務所を訪れて取材内容などを説明した上で、カメラでインタビューする場合は当然、本人の了解を得てから行うとか、居住スペースに配慮をする、プライバシーに配慮するなど当たり前のことばかりでした。阪神・淡路大震災(1995年1月)のときに僕も被災地に入りましたが、どうしても前のめりになってしまう自分がいたのを思い出します。そういうところはカメラクルーなり取材班として、お互い気をつけ合いながら取材しないといけないと思います。
青少年に対してだと、さきほど委員が話されたように、子どものインタビューは、そのときは答えてくれても後で違うなど、いろいろあるのだろうと思います。やはり、保護者の同意は最低限得ないといけないと思いますし、実際あった例では、オンエア後に「使ってほしくない」といわれるケースが最近増えています。ネット時代で速報性がとくに言われるようになって、カメラで撮れたからそのまま、すぐ(放送に)出そうというところがあります。だからこそ、特に事件・事故現場、災害現場などではより慎重にしないといけないと最近感じています。

〇榊原委員長
私たちは経験がありませんが、記者が取材しているときにいろいろお考えになり悩まれると、その視点はとても重要だと思います。特に子どもの場合は難しいのですが、その子どもの個人情報の問題だったり、その子が将来、心理的あるいは周りからいろいろ言われて、トラウマになったりすることがあります。どこまで報道するかという難しさは、私が共感の話をしましたが、例えばあるニュース報道の中で子どもがとてもひもじい思いをしている表情を見ると、共感で「みんなで助けよう」となります。その情報が何なのかというと、大地震の数値や被災者の数などの単なるデジタルなものではないのですから、皆さんが悩んで、どうしたらいいのかと常に反すうしながらやるなかにしかないと思います。さきほど紹介された(1987年の報道事例である)15歳少年の自転車のこと(映像①)については、「今ではこんなのはもう出せません」と言われた。それは、今までの経験の中で培われてきたことだと思います。
直近の例では、(2月6日に起きた)トルコとシリアの地震報道を見ていると、小さな子どもががれきの間に挟まって、妹を36時間ずっと守っていた話がありました。その子の顔が映されてすごくつらそうに頑張っているのを見ると、それは共感を呼び起こして、では助けるために募金ができないかと感じます。たぶん記者のみなさんは単純なデジタルな事実だけでなく、こういうことを伝えたいのでしょう。そこをどう切り取るかという線引きが難しいだろうと思って聞いていました。私も記者だったらきっと悩んだだろうと思います。

〇沢井委員
北海道で臨床心理士をしている友人(女性)から聞いた話ですが、避難所の子どもたちがどういう状態であるかをきちんと調査したのは、奥尻島の大津波災害(北海道南西沖地震。1993年7月)のときでした。あのとき奥尻島から逃げた家族が北海道内の避難所にいました。
子どもたちが避難所内の遊び場で友達と「きゃっきゃっ」と遊んでいます。それをアナウンサー、取材者が「(被災者の)大人は大変だけれども、子どもたちはこんなに生き生きと元気に過ごしております」と感動をもって伝えました。臨床心理士としてそこで子どものケアをした友人に聞くと、まず子どもについて注意しなければならないのは元気過ぎるときで、これは非常に不安の表れであって、それを「すごい、すごい、子どもは元気でたくましいですね」というコメントでよいのだろうかといいます。国民全体に誤解を与えることになるという。表面的なところを見て、記者は事実だと思ったかもしれませんが、災害の後に子どもを含めて被災者がどのように心理状態が変わっていくかということを知らなくてはいけないでしょう。
臨床心理士の彼女は、阪神・淡路大震災のときに奥尻島の知見を基に、「こういうことに気をつけてください。元気そうということで安心してはいけません」と、テレビの報道番組にも出て注意喚起しました。私も「阪神」のときには、心理学スタッフとして加わっていたテレビ局の関係者がアメリカFEMA(連邦緊急事態管理庁)のマニュアルを取り寄せてくれたので、そのマニュアルを読んで、被災した子どもにどういうケアが必要かをきちんと調べました。
それによると、災害の直後は全ての人が、隣近所も一緒に同じような災害を受けているから、非常に連帯感を持って英雄的でとても人格者に見える行動を取るし、そういう発言を皆がします。皆が謙虚で、大変だったよねということで、ある意味高揚感に満ちている。その次のステージは(それぞれの環境に)だんだん格差が出てきて、さまざまないざこざが起きることなどが、研究されています。現在では(マニュアルが)さらに進化していると思いますが、そういうことはもっとマスコミが報道する、あるいは取材をする人たちに共有されていいのではないかと思います。日本はどう防災するかという面が多いのですが、被災者の人たちがどのように心理的な心の変遷をしていくものなのか、一般的にはどうか、もちろん個別にはいろいろ異なる反応もあると思いますが、皆に共通する点は学んでおいたほうがいいと思います。無知ゆえに過剰に解釈したり、過剰に一般化したりという報道があると、歴史的にもいろいろと傷をつけることになるし、誤解を広げることになるでしょう。
フェイクニュースではないけれども、人間観察の浅さによって、それが事実であるかのように報道されてしまうことがあります。これは子どもに対する場合に限らずあると思うので、FEMAのマニュアルなどをチェックしてください。また集団心理あるいは子どもの心理について、子どもの発達段階ごとにその認知がどう変わってきて、目撃者としてどれだけ信頼性があるかということも、子どもの目撃者の研究をしている研究者がいるので、そういうことの知見をぜひ参照していただきたいと思います。

〇吉永委員
大規模災害の現場を取材するというのは本当に怖いものです。言葉が出なくなってしまう。取材する側の人間力というのがもろに試される現場だろうと思います。私は阪神・淡路大震災のときには、声を出すことすらできなくなりました。ところが、私が親しくしていたベテラン・ジャーナリストがいて、あの人は普通そこら辺で私たちと一緒に飲んでいるときと同じような感じでススッと近づいていっては「話し聞かせてんか」と言う。その相手の人も、私だったらとても受け付けないような雰囲気の人が話してくれるのです。巨大な悲しみとか、巨大な怒りが渦巻いている現場に入っていく恐ろしさというのが、私には無理だと当時思った経験があります。
だから、その中で何かを撮ってこなければならなくて行くのがどれだけ厳しいことか、と思います。そこに行くに当たって予備知識なり勉強なりしていく、あるいはそこに体力的にぎりぎりの経験をしている人が聞くほうが本当の答えが出てくると思います。体力の問題とか現場の厳しさとか、体力的に危険なところであるとなると若い人になるのでしょうが、そういうものであることをおそらく感じて帰ってきたでしょう。それを次に生かすために自分の経験を後輩なり皆に共有する場を作っていくこと、それが人間の力をつけることだと思います。
沢井委員が話したように、私も北海道の地震のときに、家族が皆生き埋めになった状況でひとりだけ元気、その子だけ助かった男の子のインタビューがあって、その子がものすごく明るかったのです。テレビの取材と私の活字の取材とは全然違って、活字は映像がないので、この子がいくら目の前で笑っていても、その中の何かを感じ取ったら、それを言葉に変えられます。しかし、映像の持っている力が言葉を超えてしまうと、「この子は何か全然、平気なんだね」というメッセージになってしまって、この子の一生にどれだけつらい思いを残してしまうのかと考えると、もうつくづく大災害の報道というのは難しいと思います。
避難所に入っていくことひとつですら、私たちは公共の建物に入っていくような気持ちですが、あそこは(被災者の)生活の場なのです。(取材者が)そこに入っていくという意識を本当に持てるのか持てないのか、何かそういうことによって中身が変わってきたり、ひとつの映像から、ひとつの言葉から受ける印象が見る側に与える影響も違ってきたりすると思います。

〇山縣委員
「テーマ3」では、私の印象でもあまり子どものインタビューは出てきません。学校が被害に遭った場合には、子どもに聞いていることもありますが、基本的には大人が語れる場合には大人で語らせるという判断になっているのではないかと思います。一方で、子どもが一番の当事者であるとか、真実を語ることができる状況になったときには、おそらくすごく苦しまれているのではないかと思っていて、その部分はきっと正解がない状況で考え続けるしかないのだろうというのが、私の印象です。

〇髙橋委員
東日本大震災のときに私は仙台にいました。テレビや新聞の記者たちがその現場を見て衝撃を受けて、PTSDになる案件が重なりました。その後の研究でも、取材をした記者たちが後々、PTSDのような症状が現れることが分かっています。さきほど「マスゴミと言われて傷つく」ということを話していましたが、これは自衛隊員の調査でも「早くやれ」「もっとやれ」「何やっているんだ」「寝ずにやれ」などと怒られた自衛官に鬱(うつ)の発症率は高くなっています。だから取材する皆さん自身も、現場を見て傷ついていることを認識しておくのはとても大事だと思います。

《【テーマ4】 フリートーク》

「テーマ4」では議題を特定せず、参加者に自由に質問してもらいました。

〇参加者
1月15日に京都で行われた全国都道府県対抗女子駅伝で、岡山県津山市の中学3年の女子選手が17人抜きしたことが全国ニュースで報じられ、話題になりました。2週間後に岡山県内で市町村対抗の駅伝大会がありましたが、多くのカメラ取材が予想され、本人が非常にナーバスになっているという情報があったため、地元の民放テレビ5社とNHKについては当日、共同取材という形式で取材しました。
その5日後、2月3日に地元の記者クラブの加盟社に、女子選手の代理人弁護士から、「環境の変化で練習が以前のように自由にできなくなった」とファクスがありました。「過度な報道で精神的にも疲れることが多かった」、そして「可能な限り普通の生活をしながら陸上競技を続けていくことを希望します」というコメントがありました。
 この話題は新聞やテレビでも報道されましたので、委員が感じたことをお聞きしたいと思います。

〇緑川副委員長
私は弁護士をしていまして、以前から報道問題に関わってきました。数十年前のことですが、 (事件の)被害者だったり加害者の近隣住民だったりして、メディアスクラムの被害を受けたという人たちにヒアリングをしたことがあります。被害者救済活動をする弁護士がまだあまりいなかった時代です。そのころ、メディアスクラムの被害に遭った人たちから、「誰に相談していいか分からない、どこに行っていいか分からない」、また「メディアの人たちは親切な人もいるけれども、だまされたような感じで出ていったら写真を撮られてしまった」という話を聞いたことがありました。
今回、中学生でしたが、(選手としての)自分の生活を守りつつメディアにも対応していきたいと考えたときに、代理人の方から連絡が来たという話を聞いて、30年経ってそういう経路ができてきたのかなという感想を持ちました。取材者と被取材者の関係ですから、時代が流れていくことによって必ず動いていくのだと思います。その都度、お互いが工夫しながら、考えながら、よりよい取材ができることを期待しています。

〇榊原委員長
この女子選手は中学生で未成年ですが、未成年の人の意見をどのように取り上げるかは社会全体の問題だと思います。今まで子どもの声を聞くときには親(保護者)が代弁者だというのが前提でしたが、必ずしもそうでない。さきほどの議論で、子どもが(事故直後の)インタビューを受けることのトラウマなどについて親(保護者)が、よく考えない場合には、取材者側が考えてやらなければならないと、ありました。一番の問題になるのは、児童虐待やネグレクトの場合で、このときは親子が対立するわけです。
この中学生の場合、弁護士を通じて(取材者側に)申し入れてもらうというアクションをおこし、この30年の間にそうしたことが取れるようになったという意味で、大したことになったなと思いました。

〇参加者
3年目の記者です。LGBTQをテーマに取材をしたり番組を作ったりしてきました。その中ですごく思うのは、LGBTQという枠があるからこそ救われたという人がいれば、自分はそうした枠にとらわれたくないからそのように描かないでほしいという考えの人もいるので、放送で描くときに表現の仕方に気をつけないといけないということです。
半年間、高校生の当事者の取材をしました。その子は、体が男性で心は男性でも女性でもどちらでもないという子でしたが、学校の男女別の頭髪基準をなくすための活動をすごく頑張っていました。でもその放送に向けて、どういう描き方をされたくないかと聞いたところ、その子は「枠にとらわれたくない」ということでしたから、視聴者に分かりやすくその子の性別を説明するのに、その枠を言わずにいかに理解してもらうかを考えました。また、学校と親(保護者)と三者合わせて話し合う機会を何度か設けて、表現をどうしていくかという話をしたのですが、「こんなに心配されるのは、自分はやっぱり普通じゃないからかな」と、その子自身が思ってきたりして、すごく難しいなと感じた取材の一つでした。当事者の取材だったり、特に未成年だったりする場合に、気をつけることや、描き方がありましたら教えていただきたいです。

〇飯田委員
これまで中高生モニターのリポートの中で、男女二分法を前提にしてつくられている番組に対する違和感のような意見が、たくさん寄せられています。例えば、テロップは男性が青で女性が赤、みたいな区別を無自覚にやっている。そういうものに対して、「今はそういう時代ではないんだ」と、学校でも(ジェンダーの多様性について)学んでいる世代ですから、(学んだことと)テレビの表現のギャップを感じる若者が増えてきていると思います。
それから、最初に話されたLGBTQという概念がなぜ当事者たちにとって必要だったかと考えると、ある種の運動や連帯のための用語だったことがあります。それに対して、レズビアンとバイセクシャルはまったく違うのに「一緒にされたくない」と、性的マイノリティー同士での差別を経験することもあるようです。LGBTQという言葉の持つ功罪といいますか、ある意味では必要だった言葉ですが、それで全てが解決しているわけではないという状況があります。若い当事者の人たちは、このような歴史的な経緯を知らないわけですから、取材をして本人が何を思っているのかを拾っていくことは大事ですが、逆に一緒に勉強して教えてあげることによって解決できる部分も多くあるのかなと思います。そういう意味では少し時間をかけてお互いに理解していくことが大事でしょう。
あと、カミングアウトしている人としていない人がいるわけで、統計的に見ても実は性的マイノリティーはそんなに少ないわけではなくて、一説には8%、数え方によりますけれども、3%から10%ぐらいが何らかの形で性的少数者と言われています。(取材対象者がこうしたことを知ることで)自分が置かれている状況を必ずしもネガティブにばかりとらえなくなっていくことは必ずあると思います。
それからもう一つ。LGBT(Q)という言葉は2000年代後半にNHKの番組で精力的に使われていて、そういうところをきっかけに広まった言葉と思いますが、最近はダイバーシティ(diversity : 多様性)という言葉がよく使われます。LGBTQがダイバーシティに置き換わったことで、人それぞれ、いろいろという理解がより一層広がった面があるかなと思いますので、こういうことは当事者にとっては非常に追い風であり、よい傾向かなと感じています。

〇榊原委員長
ラジオ(エフエム)局の参加者にも、全体の議論を聞いてみてご意見があればお聞きしたいと思います。

〇参加者
ラジオは、1対1というメディアで、車の中で1人で聴いていたり、部屋で1人で聴いていたりという、あくまでも1対1のメディアということを心掛けています。そういう意味ではやはり身近な存在で、あなたのためだけに放送しています、と考えてやっています。ラジオはなかなかテレビと違って、つける習慣がないと聴かないものですが、いったんつけ始めるとそれは温かいものであり、目には見えませんが、心に響くすごく素敵なメディアだと思っています。

〇参加者
きょうはテーマがすごく大きくて、うちも考えねばいけないなと思いました。例えば、僕らも街角で子どもにインタビューすることがありますが、おいそれとしてはいけないのかなと少し怖くもなりました。ただ、どちらかというと僕らは、生活に根差した共感というところを大事にしながら放送しているので、そういう意味では「遊園地って楽しいかい?」などと聞くようなインタビューなわけで、さほど深刻になる部分はないかもしれません。
しかし、常日ごろから、ひとつひとつ気を配って考えていかないと、ふとしたときに何か全然意図しないことを言ってしまうことがあるのかなと、きょうの話を聞いていて思いました。
特に声だけしかないメディアですので、その声の調子であるとか、よく最近は「言い方、言い方」と言われますが、それ一つで随分と印象が変わってしまうこともよくあるので、ラジオだからこそ気をつけなければいけないこともたくさんあるのだなと思ったしだいです。

〇榊原委員長
みなさま、本日はどうもありがとうございました。

事後アンケート 概要

意見交換会の終了後、参加者全員にアンケートの協力を依頼し、約7割に当たる17人から回答を得ました。その概要を紹介します。

  • ▼ (テーマ1)「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解について
    • ローカル局ではあまり、差し迫った事例はないが、制作者としては、頭にとどめておくべき問題だと改めて感じた。また、委員の皆さんが、決して、罰ゲームがダメだとは考えていない、ということが確認できたのはよかった。いじめにつながるだとか、度をこえたものだとかではなく、しっかりとバランスを見ながら番組制作していきたい。
    • バラエティー番組において他人の痛みを伴う事を笑いの対象とするものはかなり以前から多くみられる。また、人気芸人などのタレントのみならず、素人相手にそのような手法を用いてバラエティー番組を制作するケースすら見られる。規制すべきか否かの境界線が不明瞭なこのような手法を制作者が用いる時、その判断基準をどこに設定するべきかという困難なテーマは常に付きまとう。ただ、テレビメディアに携わるスタッフはその影響力の大きさを常に自覚しておく必要はある。その思いを一層強くした。
    • ニュース制作に携わる中で、あまり意識をしたことがない分野であったが、視聴者への影響を考える上で重要な議題と感じた。医学的知見から放送を考えるということは、これまで行ってこなかったので、今後のニュース制作でも、事実を伝える上で必要な一方、内容に衝撃をうける可能性がある映像を扱う場面など、必要に応じてさまざまな視点を取り入れて考えられるよう努めたい。
  • ▼ (テーマ2) 「事件や事故などが発生した際の目撃者である青少年、子どもに対する取材、インタビューの可否や妥当な方法」について
    • 子どもの気持ちを思いやり、コンタクトや取材の方法、タイミング(時期)を熟慮する必要がある。常に取材を控えるということではなく、事実を伝えるためには、保護者の理解を得るなどした上で必要な取材はするという姿勢が大切だと思う。また各社で話し合い、代表取材なども取り入れ、メディアスクラムは避ける必要がある。
    • テレビだけでなく配信もされるようになり、子どもの発言・映像も半永久的に残ってしまうかもしれない現在では、放送後のことも考えて取材をすることが肝要だと感じました。だからと言って「取材しない」という選択肢はないと思うので、ケース・バイ・ケースでの対応をマスコミ全体が考えていかなくてはいけないと思いました。
    • 子どもを守る観点からと、知る権利に奉仕するという点から、いつも悩むこと。BPOが、どのようなスタンスで意見をおっしゃっているかがわかった。親(保護者)に承諾を得ていても、子どもへの影響について理解していない親がいるので取材は慎重になってほしい、という話があったが、難しい課題だと感じた。
  • ▼ (テーマ3) 「大規模災害時等における避難所での被災家族、特に青少年、子どもへの取材、インタビューの可否や妥当な方法」について
    • 避難所での取材も本人や子どもの場合は保護者の了解を得て行っているが、子どもの場合は、元気過ぎるのは不安の裏返しということもあるので、取材者も子どもの心理などについて学ぶ必要がある。記者は日々の取材に追われがちなので会社でそういう場を設けることも考えないといけないと感じた。
    • 大きな衝撃や喪失を感じる被災者への取材方法については、答えが出ているものではないが、避難所取材でも、生活の一部を見せていただくという意識を持った上で、代表撮影や場所を指定した取材の交渉など必要な情報の発信と被災者へ過度な負担をかけない報道を両立できるようにしたい。
  • ▼ フリートークやそのほかの意見、BPOや青少年委員会への要望など
    • ジェンダー問題や障害者に対する意識は急速に変わってきている気がする。先日も街頭インタビューで「障害者手帳を持っている」というコメントに一瞬ひるんでしまった。最新の意識調査の結果や世の中の潮流には常に気を配っていなくてはならないと感じていたので、非常に参考になった。
    • 放送だけでなく、今やデジタル展開は、放送業界では当たり前になっている。BPOも放送だけでなく、放送のネット展開も、考慮に入れないといけない時代になっていると感じた。委員の負担は大きくなるでしょうが。

以上

2022年6月28日

「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する『見解』をテーマにした「意見交換会」内容報告 & 事後アンケート調査結果報告

◆概要◆

青少年委員会とBPO加盟各社との意見交換会を2022年6月28日、千代田放送会館2階ホールで開催しました。在京・在阪の放送局およびNHKには来場してもらい、全国の加盟社にはオンラインで同時配信しました。
放送局の参加社は、会場の在京・在阪局が12社39人、全国の加盟社のオンライン参加が105社で、アカウント数は230でした。
委員会からは榊原洋一委員長、緑川由香副委員長、飯田豊委員、佐々木輝美委員、沢井佳子委員、髙橋聡美委員、山縣文治委員、吉永みち子委員の8人全員が出席しました。

最初に榊原委員長から、「皆さん、お集まりいただき、ありがとうございます。この『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーについての見解』を作成するにあたり、まとめ役をしてきました。この意見交換会では『見解』をまとめるに至るまでには様々な考え方があったことをお話ししたいと思います」と挨拶がありました。

続いて同じく榊原委員長から今回の『見解』の趣旨や、『見解』を出すに至った経緯などについて説明が、そして起草担当委員から補足説明がありました。

○榊原委員長
まずどのような経過でこの『見解』を公表したのかについて簡単にお話しします。
会場の皆さんの中には昨年11月に在京局の関係者を招いて開催した勉強会・意見交換会に参加された方もいらっしゃるでしょう。この時の意見交換会はまさに『見解』の議論の過程のひとつでした。実際にこのような『見解』になるかどうかまだ分からなかったのですが、こういうテーマを議論しようとなってもう1年近く経っていると思います。
どうしてそれが、私たちの委員会で検討する俎上に上がったかについて、簡単に経緯をお話しします。
まず、これは青少年委員会、あるいはBPO全体もそうなのですが、その性質に関わっている点があります。私たちは「視聴者からの意見」というモニターを行っています。視聴者から届く様々な意見がきっかけとなって、私たちははじめて活動を起こします。私たちは「視聴者からの意見」と離れたところで課題を見つけることは基本的にしません。「視聴者からの意見」の数や内容という一定の基準を作って、委員会の俎上に上げるプロセスをとっていて、全てが「視聴者からの意見」でスタートするのです。
BPOは民放連とNHKが、いわば、皆さんが作った第三者機関で、放送を見た誰もが意見を寄せることができます。BPOはその窓口です。
今回の『見解』に対してニュースやインターネット等で様々な意見や批判があるのは承知しています。しかし、その中の多くの方が誤解しています。BPOが検閲や規制をする機関であるかのような言い方をされ、それが一般の視聴者だけでなく、ニュース記事を書く記者の中にも全くの誤解を基に書いている方がいることはとても残念に思います。
BPOは政府の干渉から放送の自由を守るための仕組みとして、皆さんが作ったものであることを、ぜひ思い返してください。
それから、BPOは政府などの機関と違います。(その決定は)法律とも違います。今回公表した『見解』にも、法的あるいは道義的な規制力はありません。視聴者から寄せられた意見についてどう考えたらよいのかを、エビデンスに基づいて解釈して皆さんにお返しする役割であることを理解してください。
もうひとつの経緯として、BPOは今回とほぼ同じ内容の見解や意見をこれまでに3回出しています。青少年委員会からは2000年に「バラエティー系番組に対する見解」、2007年に「『出演者の心身に加えられる暴力』に関する見解」を、また放送倫理検証委員会から2009年に「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」を出していて、決して今回が初めてではありません。
『見解』について事前に皆さんから寄せられた質問の中には「痛みの定義とは何か、ガイドラインを示せないか」という趣旨のもがありましたが、BPO青少年委員会の性質とは相容れないものです。私たちは基準やガイドラインを示したり、こうすべきだと言ったりするような委員会ではありません。この『見解』は、「視聴者からこんな意見が来ているが、これにはこういう意味があるのではないか、今後番組を制作するときにぜひ念頭に置いて制作していただきたい」という思いから作ったものです。
「規制をかけるのは何事か」という意見もありますが、私たちには規制をするような権限はありませんし、BPOはそういうために作られたのではないということは確認しておきたいと思います。
この後は『見解』の起草を担当した各委員から補足説明をしてもらった後、質疑応答に移りたいと思います。

○髙橋委員
私はおもに子どもの自殺問題に関して活動していて、いじめに関することと自殺に関することはリンクする部分があると考えています。2013年に「いじめ防止対策推進法」ができて以来、この10年でいじめに関する社会的な情勢がかなり変化してきました。そんな中、番組がいじめを助長することにならないかという視点は欠かせないと思っています。
加えて、今は子どもたちが動画を撮ってそれをSNSに投稿できる時代です。ちょっとしたドッキリの仕掛けであればまねできてしまい、それをSNSで拡散できる時代であると感じます。下手をするとYouTubeなどの投稿動画のほうが悪質な場合が多いです。(映像が) 子どもに与える影響が時代とともに変わってきていると思います。

○沢井委員
私たちは今回の『見解』を科学的なエビデンスに基づいたものにしようと考えました。テレビ放送は70年の歴史があり、番組が視聴者に与える影響についての研究は蓄積され、そのメタ分析から共通項が見出せます。映像で攻撃的な行為を見たり、それを周りが平然と見ている様子を視聴したりすることで、その模倣が生じることを報告する論文が多くあります。
今回の『見解』の新しい点は、痛み苦しんでいる人を傍観的に見ている、あるいはワイプの中で人の苦痛を笑いながら見ている番組が近年増えているという指摘です。「痛みがあってはいけないのか?」という議論もありますが、心理的・肉体的な苦痛を味わっている様子が演じられていたものだとしても、その様子を周辺が見て笑っているという、「潜在的な攻撃性が模倣される可能性」が、今回の問題点です。
「人を殴る場面がテレビ番組、例えばドラマなどにもあるのに、なぜそれについて言わないのか」との意見がありますが、フィクションという枠組みが明確なものは、5歳の子どもでも「ああ、こういう物語か」と分かります。今回は、痛みを受けた人を遠巻きに見て笑うという多重構造のバラエティーが問題ではないかと言っているのです。
『見解』の中で具体的な例を2つ挙げました。下着の例と、3メートルの深い落とし穴に6時間落としたままにしておく企画です。この2例にふだんの10倍の数の視聴者意見が来ました。私たちは視聴者が感じる不快をただ代弁するのではなくて、なぜそれを不快と思う人がいるのか、なぜここで共感性の問題を問わなくてはいけないのかということを、科学的なデータを基に説明する必要があると思いました。視聴者意見の代弁というより、それに対して解釈を加えながら説明する。そして、問題点を指摘し、もう少し違う視点で面白いものを開発できないかという提案の気持ちも込めて、この『見解』を書きました。

○緑川副委員長
私の仕事は弁護士ですが、弁護士の仕事は紛争が生じたときに生じた事実に法律や規範を適用して結論を導いていきます。ですから、何か問題が起こったときにはどうしても、法律はどうなっているのだろう、ルールはどうなっているのだろう、規範はどうなっているのだろうと考え始めて、そこに対して生じている事実がどのように当てはまるのかという思考で仕事をしています。
しかし青少年委員会で、テレビ放送が青少年にどういう影響を与えるのかを考えるときには、BPOの例えば放送人権委員会のように特定の表現が人権を侵害しているのか、放送倫理に違反しているのかというような思考方法とは違ってきます。そこには、これ以上やったら青少年に悪影響を与えると、私たちが当てはめられるようなきっちりとしたルールがあるわけではありません。やっていいルール、やってはいけないルールがあるわけではないのです。
私自身も子どものころは、「8時だヨ!全員集合」を毎週のお楽しみとして見ていた世代で、テレビで子どもによい影響を与えないと言われている番組を見ることが実際子どもにどのくらい影響を与えているのか、説得力のあることなのかと思っていたところがありました。
青少年委員会に入って、毎月届く視聴者意見を見ていると、誰かに痛みを与え、それを笑っているバラエティー番組に対する視聴者意見が毎月一定数、継続して来ていることが分かりました。番組制作者、また私たち第三者機関の委員は、青少年に対する影響というものが説得力のある科学的な根拠を持ったものなのかどうかを、きちんと考えなければ、調べなければ、確認しなければいけないと思うようになりました。
委員長からも「毎回こういう意見が来ている。一度考えてみたほうがよいのではないか」という示唆があり、青少年に対する影響、子どもに対する影響というのが科学的にどういうふうに研究されているのか、科学的な根拠を確認したいという意見も申し上げて、今回の検討が始まりました。発達心理学や小児科医という子どもについての専門家が多くいる中で、時間をかけて世界的な知見について説明を受けて今回の『見解』になりました。
私たちは、こういう研究があることをテレビ番組の制作者の方々とも共有をして、その中で今のこの時代、公共性を持っているテレビとしてこれからどう表現を工夫していくべきかを一緒に考えていきたいと捉えています。
BPOが『見解』などによって、結果的に番組制作者に不自由さをもたらしてしまうのではという意見もあります。青少年に影響があると思えば、この表現はやめておいたほうがよいのではという発想が出てきますが、表現の内容も方法も無限にある中で、今のこの時代や社会において工夫を凝らしていい番組を作っていくということを、私たちも一緒に考えていきたいと思っている次第です。

主な質疑応答の内容は以下のとおりです。

Q:痛みを伴うバラエティーに関して、痛みの判断基準はどこまでがOKでどこまでがNGなのでしょうか。制作者側の物差しになるようなガイドラインは作れないのでしょうか。

A:(榊原委員長)私たちは「ガイドラインを作成してここまではいいですよ」と判断するような立場ではありません。基本的には視聴者である青少年が「本人が苦痛を感じている」「すごく痛そうだ」と思うかどうかです。その痛みは演技である可能性もあると思います。しかし、それを見て「これはちょっとすごく痛そうだ」あるいは「苦痛だ」という「苦悩」、そういう表現が、私たちがここでいう「痛み」になります。
格闘技やドラマの中にも暴力シーンが出てきますが、流れの中、ルールの中でやっているのだということが予見できるものは、表面的に「痛い」と見えても今回対象としたものではありません。
それからもう一点。ただストレートに見るだけではなくて、スタジオにいる人たちがその場面を見て嘲笑している、楽しがっている。この2つのことが同時に見られるということが、私が(『見解』の中で)ミラーニューロンという脳科学の話を出しましたが、子どもたちの中で「これは何なんだろう」と、つまり人が苦しがっているとしか見えないのに、周りにいる人がこんなに笑っている。それをリアリティーショーとして見た場合、何度も何度も見る過程の中で、子どもたちの中には、例えば実生活で他人が苦しみを味わっていても、それを傍観するような姿勢につながる可能性があるということです。
ですから、判断基準というのは書かれたものはありません。表現、演出は皆さんの専門ですので、そこはきちんと見ていただいて、例えば「小学生ぐらいの子どもがこれを見たらどう思うだろうか」というように想像力を働かせて、皆さんの中で判断してもらいたいと思います。

Q:芸人が覚悟を持って臨む“お約束的な”痛みを伴う笑いは明るくおおらかな気持ちで見ることができますが、一方でいわゆるドッキリのように本人が予期せず痛みを受ける姿を笑うような番組には不快感を覚えます。これらをひとくくりにせず分類するような動きはありますか。

A:(榊原委員長)覚悟を持って、明るくおおらかな笑いの気持ちで見ることができるような演出・演技というのはたくさんあると思います。私たちが審議に入ったところで、社会的には大みそか恒例の人気番組に対して向けられたのではないかと言われました。私たちには青天の霹靂でした。今回の審議入りの際に、あの番組については視聴者から批判的な意見は来ていませんし、私たちもあの番組のことは全然対象に考えていませんでした。あの番組はある程度のルールの下で行われている、ゲームと言うと怒られますが、それは子どもにも分かります。小学生の間でもとても人気のある番組で、私たちは審議する段階でこの番組のことは対象として考えていなかったというのが事実です。

(沢井委員)分類してはどうかという点に関しましては、これは作り手の方が分類をなさってもよいのかなと思います。それなりの基準というものを、制作の方がそれぞれに企画の助けとしてお作りになればよいと思います。
拷問のような、「自分ではどうにもできない状態で苦しむもの」が、今までの視聴者の意見においては、非常に不快を持って受け取られる傾向にあります。
痛みがあっても、出演者が挑戦して、乗り越えていくとか、何かを獲得していくとか、メダルを取るとか…という場合では、視聴者は共感を持って見ますし、応援したくなります。例えば『SASUKE』の海外版『THE NINJA WARRIORS』は非常に人気があります。チャレンジする姿は痛そうで辛そうですが、罰ゲームはひとつもない番組です。ゴールまでたどり着けるか否かを競うだけで、ルールも明確です。苦しみがあってもそれが共感になるという構成で、国際的にも評価されている番組です。
日本のバラエティー番組は罰ゲームが多過ぎると思います。なぜこれほどまでに罰を与えなればいけないのか疑問です。輝かしい競争というものがあれば、そこで競い合う姿を見て、誰かを応援するということだけで、視聴者はハラハラドキドキしながらも面白いわけです。

Q:行為の見た目とは違い、被行為者が受ける痛みがほとんどないような場合も見た目が痛そうだからよろしくないという判断になるのでしょうか。お笑い芸人の突っ込みもその部類に入ると思いますが。

A:(榊原委員長)被行為者の受ける痛みがほとんどないような場合でも視聴者にはその場面からしか情報は入りません。特に年齢が小さい子どもには、そこに見えることが全てです。実際には痛みがなくても、明らかに痛みが起こっているように見える演出があった場合、さらにそれを周りの人たちが笑うような場面があった場合、子どもたちによい影響を与えないと思います。
お笑い芸人の突っ込みは、それが芸として成り立っている場合、文脈の中でやっているということが見る側にも明らかです。ひとつの芸として痛い思いをされて、それがまた受けるというような芸が確立している場合には、みんな「来るぞ」という感じで見るわけですから、それは見る側にとって先ほど言った大きな心の痛みにはならない。ただ、同じように2人でやっている場合でも全く予想のつかないところで本当にパンチを喰らわせてしまったときなどで、本当にそれが痛かった場合はリアルに見えると思いますし、この間の線引きだと思います。
お笑い芸人のよく確立された突っ込み芸について、私たちはこれが痛みを伴うことを笑うという対象になるとは最初から考えておりませんでした。

Q:関西には伝統芸能と言ってもよい吉本新喜劇があります。暴力シーンがたびたび出てきます。何かというと棒のようなものや灰皿やお盆で叩いたり、女性の芸人さんを壁に投げ飛ばしてぶつけて目が回るようなしぐさをする場面が頻繁にあります。関西では子どものころからなじみのある芸なので一定の理解をしてお約束事と受け止めますが、いかがでしょうか?

A:(榊原委員長)痛みを伴うことを笑いとするということに該当する番組はどういうものがどのくらいの数があるのかを、数年にわたって見ていますが、吉本新喜劇が視聴者意見で批判的なものとして寄せられたことはほとんどありません。見る方は分かっているのではないかと思います。上からたらいが落ちてきたりするのは芸の流れの中であることは、みんなから理解されていると思います。もちろん私たちも吉本新喜劇が該当するという考えは最初からありませんでした。

Q:先日、亡くなられた人気芸人の熱湯風呂やアツアツおでんのような芸は、痛みを伴うバラエティーの対象にならないと考えてよろしいのでしょうか。

A:(緑川副委員長)
ご本人の芸は有名ですし、今までの説明や質疑応答でもお話ししたとおり、今回の委員会の『見解』が対象にしているものでないことはご理解いただけたのではないかと思います。
今回の『見解』の4ページに、他人の心身の痛みを周囲の人が笑うことを視聴することの意味ということで、今回の『見解』の趣旨を特徴づけていることをご理解いただけるのではないかと思います。文脈があり、見ている人たちが気持ちよく笑える演芸とか芸とか技術とか、そういう域に達している笑いの中に痛みがあるということを問題にしているのではなく、そこを人が嫌がって避けようと思っていて、避けたいのに羽交い絞めにして痛みを与え、そのことをさらに周りで嘲笑していることが、科学的には子どもによい影響を与えないということがあるのではないかということを、一定程度考えて番組制作をしていくためのひとつの情報というか、そういうことがあるのだということを共有していきたいという趣旨で作った『見解』です。そういう観点から番組制作に役立てていただければと思います。

Q:痛みを伴うバラエティーというくくり自体が広過ぎるので、もう少しテーマを絞られたほうがよかったのではないかと思ったのですが…。

A ;  (榊原委員長)どういう名前(『見解』のタイトル)にしようかということは確かに話し合いました。今回はひとつの番組ではなくて、とてもたくさんの種類がある中で共通点がある批判というかコメントが多かったので、番組名を挙げるのではなくて全体的に扱おうということで、この名前に決めました。
昨年11月に在京局の皆さんと意見交換したときにも、「少し広過ぎるのではないか」という同様の意見が出ました。ただ、実際に議論をする中で、私たちの一番の骨子は本当に苦しんで苦痛に見えるところを周りで笑っているというところ、その中で例えば共感性の発達などによくないだろうということが、だんだんと焦点化されてきた経過がございます。誤解を呼ぶような可能性があったかなという点ではおっしゃるとおりだと思っています。

Q:今は、ものすごい多様性の世の中で、YouTubeもあれば漫画もある、映画もある、いろんなものがあり、子どもたちも同様にこの多様性の中で生きています。小学生と高校生だと考え方も違うと思いますし、実際に番組を子どもが見て、いじめといったところに本当にどれだけリンクしているのかというのが我々には分からないところがありますので、そういうことも教えてほしいと思いますが。

A:(髙橋委員)いじめに関することで報道等に関連するデータはないのですが、少なくとも惨事報道や自殺に関する報道に関しては、心理的な影響があるということが、今までの東日本大震災や9.11のテロのときの研究で分かっています。私自身もこのお笑いのことだけではなくて自死に関する報道に関しても、これは子どもたちにどういう影響があるのかを見ているところですが、バラエティーに限らず報道全般の問題だと思います。
今回この議題が上がったのは、BPOの側からではなく、視聴者からいろいろな意見が届いたからです。それを取り上げて、視聴者と番組制作者との間で私たちは調整をしながら、これをどういうふうに持っていったらよいかを一緒に考えていく立場だと思っています。この番組は駄目とかそういうことではなくて、みんなで一緒に考えていくというスタンスです。

(沢井委員)子どものいじめについてその影響がすぐに出るかどうかですが、放送番組を見てから3か月後かもしれないし、5年後かもしれません。攻撃的な番組ばかりを見ていた、罰ゲームばかり見ていたこと…等々が影響する可能性や因果関係をすぐに見ることは難しいです。
子どものSOSの電話の話し相手をしているボランティアによると、「テレビ番組の罰ゲームをまねした強烈ないじめを受け、死にたいと言ってきた小中学生が複数いる」とのことでした。なかなか表に出ない話ですが、ある程度の数があるだろうと予想されます。

Q:本日、お話しいただいたような痛みを伴うバラエティーの痛みの真意について、BPOから直接、記者や芸人さんに向けて発信していただけたらありがたいのですが…。

A:(榊原委員長)意見交換会という形で私たちの考えを正直に申し上げたのは、それを皆さんの中できちんと分かっていただければよいのではないかと思ったからです。私たちは、「いや、この番組は違う、これは違う」ということを申し上げるべき立場ではないと思っています。つまり、BPOがこう考えているということによって、私たちは皆さんに考えていただきたいということで、一般的な問題の投げかけをしたと思っています。
皆さんにはこの『見解』を作るときには大みそかの番組のことが頭になかったことも申し上げましたし、亡くなられた人気芸人の芸についての視聴者からの意見も来ていないことも申し上げましたので、皆さんにはもうそれが伝わっていると思います。その辺で皆さんの中で確信として持っていっていただくことで、言い方としては、「いや、この間そういう意見交換会があって、どうもBPOはそうじゃないみたいだ」など、これは皆さんの解釈で言っていただくことは自由だと思うのですが、私たちがこの番組は私たちにとってよろしい、よろしくないということを言う、そういう立場ではないということです。
この『見解』は一般の視聴者にも公表されていますが、主に民放とNHKという実際に番組を制作する側に読んでいただきたくて作ったのが本音です。皆さん、確信を持った上でこれならできるという形で自信を持って番組を作っていただきたいと思います。

(緑川副委員長)今の関連でこの『見解』を出した後で批判的な意見がBPOに届いたり、ネットで書かれていたという報告を受けています。私も拝見して気になった点として、青少年に悪影響を与えるという根拠を示していないという意見がありましたが、『見解』の全文をお読みいただければ、根拠を示していることがお分かりになると思ったことがあります。
また、例えば罰ゲームでも私たちは今回の『見解』で問題にしたような、人が困っているところを嘲笑してさらに困らせるみたいな、そういうところは本文を読んでいただければ理解してもらえると思って『見解』を作りました。しかし、題名の『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーに関する見解』というのは、幅広に解釈できるタイトルだったことをそのとき改めて思いました。タイトルが衝撃的に印象に残って、全文を確認されないまま今までやってきた、受け入れられてきたはずの芸もできなくなってしまうのではないかという批判につながったのではないかとも思いました。
もちろん今日おいでくださった皆さんは十分に理解していただいていると思いますが、テレビ局、制作をされている皆さんにはぜひ、現場の方々にも全文を、BPOのウェブサイトにも出ていますから、読んでいただきたいと思います。これをかいつまんで報道された部分だけを読むことでは、私たち委員会が伝えたかった真意や根拠としたエビデンスがあるというところまで、なかなか理解してもらえないことも誤解につながっているのかなと思います。批判的意見の中には、「根拠を示せ」というものが多くあったのですが、やはり批判をするときには原典に当たってから確認をした上でということも必要なのだろうなと改めて思いましたので、制作現場の方々には読んでいただきたいと思います。
これを読むことによって、罰ゲームは全部駄目なのかとか、芸の範疇だったら全部いいのかとか、そういう単純なことではなく、子どもに対して共感性の発達に影響を与えることがあるのを知っているのと知らないのとでは、どういう番組を作ろうかというとき、みんなで作り上げていくとき、ひとつの参考情報になるのではないかと思います。

Q:ドラマは流れや予見などストーリーがあるから影響はないが、バラエティーはそうではないから影響があると断じられているのがずっと腑に落ちません。バラエティーにも流れや予見はありますし、きちんと台本も書いています。構成も作っていますし、そもそもドッキリ番組はタイトルにドッキリと付いています。なので、視聴者もドッキリを見るつもりでドッキリを見ているので、なぜバラエティーだけそこを断じて悪い影響と言ってしまうのかが極めて腑に落ちません。また芸人がいろいろドッキリを仕掛けられたときに、それをワイプなどで嘲笑されていると書いてあります。お笑い芸人がドッキリを仕掛けられて全力でリアクションをして、それをワイプなどで笑われるという行為は、ばかにされているのではなくて、最大の賛辞であると思うのですが、いかがしょうか。お笑い芸人はそういうところで笑いを生み出して、それをスタジオのMCやゲストが笑うということが一番の喜びで、それを職業にされている方であって、ドラマの中で俳優さんが名演技をして、それを見てスタジオのみんなが泣くのと同様だと思います。そこだけなぜばかにして笑われると断じてしまうのかと思っていて、バラエティーのほうはこの『見解』を読む限りでは強めに批判されているような気がしてなりませんがいかがでしょうか。

A:(榊原委員長)とても線引きが難しいことを言っていらっしゃると思います。ドラマの中で暴力場面がある場合には、もちろん多少は物理的な痛みを感じると思うのですが、やはりドラマというのは作られた話であると思われているわけです。ところが、バラエティーの中でリアリティーショーとして、あるいはドッキリという名前がついていても、ドッキリということ自体は、全部作られたものであったとしても、暴力などを受ける人が知らないところでやるからドッキリは面白いわけです。ですから、先ほど言いましたように芸の一部になっていて、次にここでたらいが落ちてくるよ、ここでお湯の中に落ちるよというのは、もうストーリーがそこで見えるわけです。ドッキリといっても、ドッキリという言葉の中にこれはドッキリをかけられている人は知らないぞというようなリアリティーを作り出していっています。そこがドラマと違うところです。ドッキリとついているから、もちろん大人で見ている人は分かりますよ、ドッキリだから。けれども、実際それは(子どもにとっては)、ドッキリとついているということは、仕掛けられたほうの人は知らないのではないかなというようなリアリティーを作り出しているわけです。それが非常に今技術的にうまくなっていますので、私たちが見ても「おお、これは」というようなのがまさにリアリティーになっているわけです。そこがドラマの間との薄い点ですが、線引きです。
それからもうひとつ、私たちはもちろん芸人さんが命をかけている、あるいは芸としてやっているということは理解していますし、尊敬しています。しかし、私たちはそれを見た視聴者がどう思うかということが全てのスタートです。芸人の間で、芸人同士あるいは作り手との間で、きちんと分かっていること自体が分かっていても、できたものを見る人間、特に年齢の小さい人にとって、例えばすごく苦しそうに見えるような、それもドッキリを知らないところでされたのだと、こういう形になります。ですから、ドッキリはかけられる人が来ることが分かったら全然面白くない。あれはストーリー上知らないことになっていると。それをどんどん作り込みの中で本当にそれらしくしていくわけです。
小学生ぐらいの子どもはそのようなことについては見分けられない可能性があります。その辺のところの小さい線引きは難しいところですが、皆さんにも理解してもらいたいと思っています。

Q:見ているほうが苦痛に感じるか感じないかが重要だと言っていましたが、ドラマも一緒だと思います。なぜドラマだけはストーリーを知っているからこのシーンは影響がないと断言できるのか。ドラマも見たシーンが暴力的だったら、その全部のストーリーを知っているか知らないかにかかわらず影響は大きいと思います。なぜドラマは大丈夫でバラエティーはダメなのですか。

A:(榊原委員長)これは理解力によると思うのですが、ドラマというのは作られたお話だということはかなり小さい子どもでも分かります。しかし、ドッキリでリアリティーショーに作られているところになると、そこは子どもでは分からないと思います。そこで私たちはドラマとは少し分けています。
ただ、もう少し突っ込んで言いますと、この『見解』の中にも書いてありますが、暴力場面自体が小さい子どもにとっては別にリアリティーであろうとドラマであろうと格闘技であろうと、あまりよろしくないというデータは出ております。

Q:痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーに関してですが、これは痛みを伴うシーンを笑っているという構図を対象にしているということでよろしいですか。痛みを伴うシーンに対して笑うということに対する何か実験だとかデータはあるのかどうかを教えていただきたいのですが。

A:(榊原委員長)  『見解』4ページにございます。これは小さい子どもが共感性ということを発達させる過程にミラーニューロンというものが関係していて、ある他人が苦しい目に遭ったときに自分もそれと同じように感じる部分が脳にあります。その他人を、例えば慰めるとか止めるというところを見て共感性が発達するということが今、脳科学や発達心理学の中で言われています。生まれたばかりの人間の赤ん坊に共感性というのはないと言われています。それがやがて、どういう具合にして自分ではなくて他人が転んで痛くて泣いているところに助けに行ったりするのかということは、実はそういう周りの体験をたくさん見る中で共感性が発達するからだとされています。

Q:他人の心身の痛みを笑うというのと嘲笑するというのでは大分違うと思うのですが、その笑いが嘲笑であるかどうかというのを我々が判断していかねばならないのは非常に悩ましいです。判断基準を我々が考えていくということですと、今回の番組についてもこれは嘲笑ではないからOKだという判断が出る可能性もあるなと、制作者側としては思うのですが。

A:(榊原委員長)  番組の中では分からないのですが、嘲笑と笑いの差というのはやはり状況の中で作られます。他人が明らかに苦しんでいる、泣いているのを笑うのはどんな笑いであっても嘲笑になります。やはり文脈の中で言うしかないですね。痛いことを笑うというのが人間の本質にとって本当に楽しい、心が解放される笑いなのかということの、ある意味ではかなり哲学的な問いになると思いますが、嘲笑と笑いというのはそういうことで厳密に分けることはできないと思っています。

Q:今回対象にしているのは嘲笑であるということですよね。そのときの判断について、我々は日々視聴者からの意見に少数であっても考えねばならないというケースが出てくるのですが、我々の一番の悩みどころはそれを数で判断していいものなのかというところです。その辺はどうお考えでしょうか。

A:(榊原委員長)自由に意見が寄せられたものを数で判断するのは難しいですね。もちろんある期間にどのぐらい来ているかということで総体的な数、これはサンプリングと同じことになると思いますが、そういう意味ではある程度数が多いときと少ないとき、またある番組にたくさん来ているときというのはあります。私たちには常に一定のたくさんの意見が届くわけですから、それが増えていることはある程度、つまり数が反映されていると判断して、こういう議論をしているわけです。ひとつだけあったからそれをやるということはまず基本的にいたしません。ある番組について、ある一定の数が来たというのをまずスタート地点として議論することを私たちのルールにしています。

最後に副委員長と委員長から閉会の挨拶をいただきました。

○緑川副委員長
今日は、長時間にわたってご参加いただき、ありがとうございました。オンラインで視聴していただいた方々も本当にありがとうございました。
今日は私たちが公表したこの『見解』についての説明と、質問に対しての回答をいたしました。『見解』を公表したときに記者会見をすぐにできなかったことを指摘されましたが、今後の参考にさせていただきます。今日は委員のほうからもだいぶ踏み込んだお話をさせてもらい、様々な質問にご説明する機会を持てて本当によかったと思っています。
ずっとコロナがあって、なかなかこういう機会を持つことができなかったわけですが、「視聴者とテレビ局をつなげる回路」ということが青少年委員会の目的とされていますので、今後はできるだけこのような機会を設けてお話をさせていただきたいと改めて思いました。

○榊原委員長
皆さん、最後までいろいろなご意見、ご質問をいただきまして、ありがとうございました。
私たちの表現の仕方などによって誤解が生じたというところについては、今後考えていかねばならないと思っています。ただ、BPOの立ち位置というのを皆さんにしっかり、当事者として知っていただきたいと思います。視聴者から寄せられる意見の中には、私たちは規制する立場ではないのにもかかわらず、「もっと規制を」と要望される方がいます。それから、世の中には放送というものに対してBPOのような第三者機関ではないものを作るべきだという意見もあることは知っていただきたいと思います。
私たちは、より多くの視聴者が楽しんでもらえるテレビ番組を作るにはどうしたらよいかという点では、皆さんと同じ方向を向いているつもりです。今回の『見解』の私たちの発表の仕方というのが誤解を生じてしまったかもしれないということは真摯に受けとめ反省いたしますが、そういう気持ちで活動していることだけはご理解いただけたらと思います。皆さんそれぞれの局に帰られたら、今回の『見解』はBPOのウェブサイトにも掲載されていますので、特に制作に関わる方には「こういうのが載っているのでよく読んでほしい」ということと、今日いろいろお話ししたことを皆さんの中で解釈してもらって、こういう意味なのだということを局の皆さんに伝えていただいて、番組をよくすることに今後いっそう精進してもらえたらと思っています。
本日は最後までありがとうございました。

質疑応答を中心におよそ1時間半にわたって行われた意見交換会は、青少年委員会が公表した『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーに関する見解』について、あらためて理解を深めてもらうよい機会となりました。

【参考資料】
◇BPO青少年委員会「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー番組」に関する見解
(2022年4月15日)〈見解全文 PDF〉
https://www.BPO.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/youth/request/20220415_youth_kenkai.pdf

〇BPO青少年委員会「バラエティー系番組に対する見解」
(2000年11月29日) 
https://www.BPO.gr.jp/?p=5111

〇BPO青少年委員会「出演者の心身に加えられる暴力」に関する見解について
(2007年10月23日)
https://www.BPO.gr.jp/?p=5152

〇BPO放送倫理検証委員会「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」
(2009年11月17日)
https://www.BPO.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/kensyo/determination/2009/07/dec/0.pdf

事後アンケート(概要)

  • (1)開催日時、開催形式について
    • ウェブ配信はありがたい。金曜日以外で、もう少し早い時間帯が参加しやすい。
    • 委員(壇上から)と参加者が対面形式だったため、対立しているように見えた。
    • バラエティーを制作する機会は少ないが、できれば対面で参加したかった。
  • (2)委員会の説明、意見交換について
    • 委員の説明は分かりやすく、「見解」の内容・背景を多角的に理解できた。
    • 委員に真摯に対応してもらい、考えを直接聞けたことは有意義だった。
    • BPOに対して「職員室の先生」のようなイメージを抱いていたが、闊達な意見交換が展開されていて、健全でいいことだと思った。
    • 子どもに悪影響を与えかねないという根拠のデータを詳しく聞きたかった。
    • 見解だけ読めば誤解を与えかねないものだった。公表前に(または公表時に)説明会や記者会見を開くべきだった。
    • 広がった誤解を解くためにも、今回の記録を残して各社で共有するべきだ。
    • 委員会が児童の脳の発達の視点で話していたのに対し、放送局側はプロとしての芸人の仕事への干渉という点で話をしていたため、双方の溝があまり埋まらなかったと感じた。痛みを伴う行為が一律にダメなわけではないとの回答を得られたことは、実りがあった。
    • もっと意見交換と質疑に時間を割いてほしかった。他社の意見を聞きたかった。
  • (3)気づいた点、要望、今後取り上げてほしいテーマ等
    • 定期的に委員の方々と意見交換できる場があればうれしい。
    • 委員会での議論のプロセスが分かるような意見交換会にしてもらえると有意義だと思う。
    • 今後見解を出すときは、誤解を生まないためにも会見を開いたほうがいい。
    • BPOは検閲機関ではなく放送局が自ら律するための機関であるという基本的な理解を含め、今回のような機会を継続して意見交換を重ねていく必要性を感じた。

以上

2020年2月

学校の先生方との意見交換会の概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、2月15日、14時から17時、東京で学校の先生方と青少年委員会委員との意見交換会を開催しました。このような形の意見交換会は一昨年、昨年に引き続いて3回目の開催となりました。
BPOからは、 榊原洋一 青少年委員会委員長、緑川由香 副委員長、菅原ますみ 委員、吉永みち子 委員が参加しました。先生方は、東京、神奈川、北海道、茨城、岐阜、京都、沖縄の小学校、中学校、特別支援学校の先生10人が参加しました。

<榊原委員長冒頭の挨拶>

冒頭、榊原委員長より、次のような挨拶がありました。

〇榊原委員長
BPOの青少年員会は、青少年のモニターという制度を持っており、中学校・高校の生徒30名くらいの方に、1年間にわたって、例えば最近見たテレビドラマで何が良かったかというようなテーマで報告をもらい、そこから今の青少年の方が、どのようにテレビを見ているかということを常に情報を入れて、私たちもリフレッシュしている。私たちの見方と青少年の見方が違うのではないかということで、とても貴重な制度である。
今回は、それを補強する意味で、私たちよりいつも青少年に接している皆様のご意見を伺うことによって、現代の児童・生徒たちがどのようにテレビを見ているにか、インターネットに接しているのか、皆様とご見解、ご経験を共有させていただきたい。忌憚のないご意見、コメント、あるいはBPOへのご意見、ご注文も併せてお聞かせいただきたい。

<第1部「インターネットが子どもたちに与える影響について」>

これまでの意見交換会では、主にテレビが子どもたちに及ぼす影響について議論してきましたが、今回は、子どものメディア利用という意味では、今やテレビ以上に大きな存在となっているインターネット、特にスマホの拡大がどのように子どもたちに影響を与えているか議論しました。まず、今、子どもたちがどのくらい、どのようにネット、スマホを使っているのか、実態を報告してもらいました。

〇先生
本校は、81人しかいない学校だが、そのうち49%くらいの子どもが、自分のスマートフォン、タブレット、あるいはゲーム機を利用して、常にインターネットにつながるものを持っている状態である。保護者の端末まで入れると、9割以上の子どもが普段からインターネットを利用している。
利用状況としては、学校ではユーチューブを使って情報を発信している。例えば授業参観の時はQRコードをつけて、そこにアクセスするとユーチューブで、例えば子どもたちが作品を作っている途中の映像が見られたり、あと体育館もQRコードだらけになっていて、跳び箱とか縄跳びなどの飛び方を動画で見せている。こうやって使うと学習道具になるということをアピールしているところである。普段の自習の中でも、ユーチューブのまとめ動画で調べましたとか、ネットに載っている情報から教科書にないものを探してまとめている子どももいる。しかし、それは一部で、大体の子どもはオンラインゲームや最近はLINEを多く利用している。そこでは、トラブルも起きている。悪口を言っているような状況もある。意味がよくわからないが、オンラインゲームでボイスチャットを使って、ゲームをするのではなく、会話をしながら宿題をしている子どももいる。テレビ電話の代わりに使っている。
家庭でのルールを聞いてみると、1日何時間です、と答える保護者に対して、子どもたちはその倍以上使っている。見えない時間帯に使っているのもあるのかなと感じている。
特に今、気になっているのが、オンラインゲーム上でボイスチャットでけんかをあおるような言葉使いをしていたり、親が寝てから子どもが起きだして、親の寝ているところからスマートフォンを持ってきてゲームをやっている子もいるようだ。そういった子が夜中から朝方までゲームをやって、一応登校してくるが、眠い状態で授業を受けていて寝ている子もいる。
新聞報道もされたが、1日6時間以上ゲームをやっている子どももいるみたいで、寝不足の子がいらいらしているような状況もあって、クラス内でけんかが起きている。利用時間の多い学年の子はけんかが多いという結果や、テストでも平均点より下の子が多くなっている状況もあるので、現在は家庭に利用状況についてちゃんと把握してほしいこと、ルールをしっかり持ってほしいことを呼び掛けているところである。

〇先生
今回の意見交換会に参加するにあたって、子どもたちにアンケートを取ってみたが、休みの日には、大体高学年は9割くらい、4時間以上インターネットを使っているという実態があった。そのほとんどが、ユーチューブとオンラインゲームであった。
本校にも不登校の子どもがいたが、その子は学校には来ないけれども、オンラインゲーム上で「いたよ」というのを、先生が子どもたちから聞くみたいな感じであった。その子はのめりこみすぎて、1週間ほど入院してゲームから離れる時間を取って、その後、戻ってきた後は午後から登校する形で、いわゆるインターネット依存であった。
低学年の子どもたちも、テレビを見るよりも、インターネットでアマゾンプライムを見たり、オンラインゲームをダウンロードしてやっている時間のほうが長い。また、自分でTikTokなどに投稿している子どもも3割くらいいたり、教員が把握していないところで子どもたちはいろいろな知識をつけていることが、今、学校でも話題になっている。ただ、周りに大きな都市がないので、ユーチューブなどで子どもたちがいろいろな視野を広げたり、刺激を受けたりという点で、いい点もあるのかなと思っている。しかし、その動画を見て、危険性がわからないまま、「良い子はまねしないでね」というのが、何かネタのように子どもたちは感じていて、それをやったら学校の電気がショートしてしまったみたいなこともあったので、本当に教員もちゃんとそういうところは見ていかなければいけないと思う。

〇先生
今の中学校では、もう小学校6年生からスマホを持たせている家庭が半分くらいある。保護者に聞いてみると、やはり持たせたくないが、子どもたちが保護者のほうに、みんな持っているからという、「みんな」という合言葉を使い始めていて、実際は半分くらいだったものを、大きく盛って、LINEのグループに入らないと仲間外れになるから買ってもらわないと困ると随分せがんだようだ。しょうがなく買ったという保護者の方は、厳しくルールを決めているという印象であった。この1年、スマホ依存で大きなトラブルもなかったし、LINEのグループでのトラブルを指導したこともない。しかし、逆に、厳しくない保護者もいて、もっと前、小学校3、4年生から持たせている子どもについて、実は何をしているかもわかりませんという人もいる。使い方について本当にルールが決められないでいる。なかなか仕事が忙しくて子どもに目を向ける時間がなく、しょうがなく使わせているところから、どんどんほころびてしまうと、1日3時間、4時間使ってしまうという傾向になっている。やはり家庭で小学生の時からルールが守られていなかった子どもは、学力的にも随分厳しい状況があったりする。

〇先生
特別支援学校でも高等部になると、スマホやiPadは、普通に使っている。特に動画を見ている時間が多くなると、知的障害がある子どもたちも、すごく安定するようだ。学校の中でもiPadを授業の中でコミュニケーションを図るためのツールとして見せている。iPadを見るとイコールユーチューブ、ネットという感覚が頭の中にあるようだ。休み時間とか、着替える時間、片付ける時間が早く終わったときに、ユーチューブを見てもいいよというと、すごく喜んで見ている。自分がこれで落ち着くということで良い面として、ユーチューブは使われていると思う。そして、「1回の動画再生が終わったら次の子に替わろうね」とか「自分一人だけが見続けるのはなしにしましょう」などのルールは作っている。知的に障害があっても、そこのルールは、ちゃんと守ってくれている。

これらの実態報告を受けて、委員からは次のような意見が出されました。

〇吉永委員 
私たちの時代では全く考えられない授業の形で、素晴らしく良い面もたくさんあるだろうと思いますが、デメリットの部分をどうしたらいいんだろうかということは、これから結構大きな課題になってくると思う。
長時間使うことによる身体的な影響では、目が悪くなるとか、音楽を聴き続けることによって難聴になるとか、また心的な影響では、集中力がなくなってくるとか、睡眠がちゃんととれなくなる。学校に行って眠くなってしまうとか、あるいは集中力がなくなってしまうことによる学力の低下、それによってついていけなくなるから、ますますそちらの世界に行ってしまうという、連鎖もあるのかなと思う。
実際に、自分も子どもを育ててみて、小学生くらいまでは何とかコントロールが効くが、中学の反抗期くらいになると、ルールを決めれば決めるほど反発するという悪い状況も生まれてきてしまう。逆に、今度は恐ろしくてルールが決められなくなってしまったり、ずっと監視しているわけにはいかないので、見ていないところで、それにすごい時間が費やされてしまう。やめよう、やめようと思っても、依存症というか、ゲームをやり続けると止まらなくなる。私も、以前、ゲームボーイにはまったことがあった。朝から晩まで。仕事があるのにやってしまう。大人になっていたから、自分で何とかしなければと思い、これは恐ろしいことだなと、自分で実感して、逆に実感したからセーブできたのだか…。ルールを決める前に、このことを何時間やっていると、目がこんなふうになるよとか、体がどうなってくるよとか、本人がこれをやっているとまずいぞと思えば、少し自分の中でブレーキができてくる。そういうものをどうしたらつくっていけるのかと思った。
また、何かの調査で驚いたのだが、8歳から11歳くらいでアカウントを持っている子どもが結構いる。23%とか24%くらいだった気がするが、本当にそういう実態なんだろうか。特に大阪の女の子が、行方不明になり、子どもだからそこら辺にいると思ったら、とんでもないところに行っちゃっている。何か中年のおじさんのところに行っている。それもスマホでつながっていた。ああいうことが実際に起こるんだなと驚いてしまった。そういうことも含めて、ネガティブな側面は、調査・研究して、それに対する対策を本当に考えていかなければならないフェーズに入っているのかなと感じた。

〇菅原委員
家庭の養育力というか、ユーチューブの使い方の親のルールつくりの問題だが、大きな子どもの24時間の中で、上手にメリハリのある、子どももうれしく使えるし、ほかの必要な勉強にも差しさわりのない使い方にはまっていくと、支障は出てこないと思うが、普通の家庭だと、上手にやれる親はそれをやれているが、うまくない親は、子どもの生活自体にまずコミットしていないし、上手に、メリハリをつけるように子どもたちを納得させるというスキルもない。つまり、親のメディアリテラシーが重要になってくると思う。
私たちは、NHKで、ゼロ歳から11歳までの子どもを対象に、1年に1回、子どもの視聴実態と、家庭の親の意識ということで、追跡調査をしてきたが、親がどのくらい意識して子どもをメディアに触れさせるか、時間のコントロールとか、いい番組を選ぶとか、という意識では、個人差がすごく大きいことが分かった。衝撃的だったのは、そのコントロールが上手な親は、ゼロ歳の時からそれができていて、11歳まで結構継続する。一方、最初から意識がなくて緩い親はそのまま行ってしまう。あるメディアを子どもに触れさせる、その時同時にスタートラインでの使わせる側のリテラシーというのがすごく大きい。子どもは、やはり単純なので、その枠に入ってしまえばそういうものだと、だんだん理解していくものだと思う。中学とか高校になると、子どももそのルールの中でもう10年近くやっているので、それをどうやって修正していくのかが大きな課題だと思う。
ゲームとか、スマホは後から出てきたが、先生方の目の前に現れる子どもたちは、すでに家庭で、使わせられ方、ルールの入れ方でキャリアがあって学校にやってくる。それを学校でどうやって調節していくかというところが、腕の振るいどころだろう。

次に、こうしたネット、スマホの拡大が、子どもたちにどんな影響を与えているのか、良い影響、悪い影響について聞きました。先生方からは次のような意見が出されました。

〇先生
良い影響と言っていいのかわからないが、今の子どもたちはICT(情報通信技術)機器に対しての抵抗感はほぼない。これから先の現場に入ってくるであろう、いろいろなコンピューターやAIだとか、プログラミングも次年度から学校教育で始まっていく中で、そういう子どもたちの実情を考えると、導入はしやすいだろう。インターネットにしてもスマホにしても、子どもたちは生まれた時からあるものなので、それが当たり前の社会の中で、良い影響も当然あると思うが、問題点としては、追いついていかないところである。日々、いろいろなことが変わっている中で、指導する側も子どもたちも追いついていけない現状があることは、すごく感じる。
インターネットは時間の縛りが全くないので、自分が好きな時に好きなようにアクセスできるところが最大の利点であり、最大の課題だと感じている。そこから生活のリズムが崩れたりだとか、時間で切れないところがあると思う。非常に気軽にネットワークに接続できる環境があるので、いい意味でも悪い意味でも、これからもっといろいろなことが出てくると、子どもたちを見ていて感じている。

〇先生
OECD学習到達度調査では、日本の子どもたちはデジタルスキルの活用がないという結果がはっきり出ている。スマホイコール動画、ゲーム、SNSみたいなイメージがすごく強く、それを授業の中では活用できていない。持っているスマホやICT機器は実はもっといろいろな使い方ができるということを子どもたちも教員も知らないのが、現状だろう。今の子どもたちは、デジタルの機器やツールは常にある状態で、そこから学びをどうしていくかを考えていかなければならない。学校側にまだまだスキルもなければ、環境もないのが現状なので、多くの教員は、勉強とデジタルは別というとらえ方が強いのが課題だと思う。いい部分をどう活用しながら子どもたちの学びにつなげていくか、それによって日本社会もイノベーションができると思う。

〇先生
OECDの調査では、日本人は特にゲームが好きなようで、インターネットをゲームとして使っているのは、ほぼトップのところにいるが、逆にスマホ、パソコン、インターネットなどが学校で使われているかというと、順位が逆転してしまう。効果があることはわかっているので、いかに学習に結び付けていくかが大きな課題だろう。ゲームも遊びのツールとしてはよく使っているが、それを踏まえたうえで、どう活用していくか考えていかなければならないだろう。

〇先生
保護者の方も、もしかしたら教員自身も、自分自身はスマホがうまく使えているという思い込みがあって、子どもも使えるだろうと思っているのかもしれない。本当はお母さんとか家の人もものすごくネットのオンラインゲームなどをしていて、自分は上手に使えているから、子どももきっと使えるだろうという甘い勘違いみたいなものが多いのではないかと思う。家の人も一応ルールを決めているが、ルールを決めても、家の人自身が守れていないというか、自分自身ものめりこんでいる傾向が強い。自分自身がスマホを触りたい衝動を抑制できないのに、子どもの衝動を抑制するのはたぶん無理だろうと感じている。子どもがスマホを欲しがっている親から学校にどんなルールを決めたらいいですか、聞きに来ることがある。トラブルが起こってから、学校ではどんな指導をしていますかとか、相手の子の使い方が悪かったのではないかという議論のすり替えみたいなことが起こるが、そもそも家庭でルールが守られていないので、保護者自身、教員自身スマホとのかかわり方を見直す必要があるのではないかと感じている。

先生からの意見を受けて、委員からは次のような発言がありました。

〇吉永委員
さきほどデジタルスキルがあまり育っていないという発言があったが、世界の子どもたちに比べて、日本人がネットを使う時間が少ないとは思わない。しかし、それがゲームということに集中しているという側面がある。おそらく学校に入る前、最初のスマホとかネットのつながりができてしまったのだろうが、これをメリットとして学習にうまく結びつけられないのはなぜだろうか。例えばコンテンツの問題なのか、あるいは規制とか縛りがあってうまくいかないという面もあるのだろうか。

この意見に対して、先生からは次のような発言がありました。

〇先生
コンテンツの問題については、学校の現場でネットを使おうとすると、多くの学校は、まず「総合的な学習」の時間で、調べ学習が思いつく。多くの学校でやっている調べ学習は、ネットで調べて、調べたことをまとめて発表するというものである。従来の「総合的な学習」の時間の探求的な内容は、自分の目で見たり、聞いたりして調べたことをまとめて発表するというものだったが、それがいとも簡単にネットで、あたかも自分が調べているみたいなものがうまく発表できてしまうところに傾きつつあるのかなと感じている。私は、数学担当だが、例えば、生徒一人一人が、学力が低い子どもだったら基本的な問題を解く時間、さらに少し発展的な問題を解く時間というふうに、ゆくゆくはAIが自動で判断することに取り組んでいるが、そのコンテンツがなかなかなく、あったとしても費用がかかる。今は、手作業でこちらで問題を作って、それをコンピューターに登録して、自分で解いていくことをしているが、教員側の作業量が大変になる。まだまだ教育にコンテンツを使うのは、調べ学習とか、動画を見て学習するというところで止まってしまうのではないかと思う。

さらに、委員からは、次のような疑問が出されました。

〇榊原委員長
ここにいらっしゃる先生方は、ICT(情報通信技術)とかコンピューターについて、非常に関心の高い方だが、日本全体で、小中高も入れて、そのスキルはどんな状態にあるのだろうか。先生方自身のそれに対する知識、個人ユースするレベルから、もう一つ上の教えるというスキルが今どんな状態にあるのか知りたい。

これについて、先生からは次のような発言がありました。

〇先生
先ほど、デジタルスキルと授業とをうまく結びつけられていないという話が出たが、学校の中で正しくメディアを使うと言ったら、こう使いましょう、こうしたらいけませんという禁止事項をいっぱい作る授業が多いなと感じている。学校では、使い方の失敗例を教えてはいけないという考えがあり、正しい使い方を示さなければならないが、逆に正しい使い方が全面的に出てしまい、大人でも使い方で間違うことがあるのに失敗例が許されないというところがある。道徳的な使い方だけ教えて、自分の生活が豊かになる使い方について子どもと一緒に考えることがないと感じている。デジタルスキルが学校現場に普及しない原因は、失敗が許されないというところにもあると思う。

〇先生
先ほど、良いコンテンツが使われていないという話があったが、その考え方も大事だと思う。LINEも、良いコンテンツなのか、悪いコンテンツなのか両面あると思う。メールでは基本的に1人ずつ送っていたが、共有するのが難しかったものを画期的に変えた部分がある一方、それによるトラブルも当然起こっている。また、考え方ひとつで、ゲームも学習になると私は思っている。具体例をあげれば、私自身はゲームの『桃鉄』が大好きで、日本地理は『桃鉄』で覚えた。ゲーム会社は相当データを取っているので、そこの駅に行ったときにいろいろな特産品が買えるが、そのデータが頭に入る。私の子どもは『マインクラフト』が大好きで、かなりの時間やっていて、ブロックを渡すとそれなりのものが作れる。いい面、悪い面を周りがきちんと価値づけてあげることが、良いコンテンツを作っていくことにつながっていくと思う。
子どもの中に学習と遊びが別物になっている部分があるが、遊びの中でこそ学びはあるだろう。鬼ごっこでも、いろいろな相手の意識も考えなければいけないように、ゲームイコール悪なのかというのは、もちろん依存性の問題など、いろいろな問題をはらんでいるが、捉え方ひとつで変わってくると思う。

〇先生
特別支援学校に異動してきて思ったのは、子どもたちがユーチューブなどを見るときの約束は、ずっと前から守られてきたということだ。自分が終わったら替わらなければならないとか、むやみやたらの暴力やちょっと行き過ぎた映像は、なぜか見ない。自分にも偏見があったが、とにかく何でもかんでも好きなものを見るだろうと思っていたが、そこにはきちんと約束がある。これを見てはいけないのではないかとか、これを見るとみんなが楽しめるだろうというということがわかっている。例えば、最近ではパプリカがはやっていたが、これを見ると男の子も女の子も歌いだすので楽しいな、とか、自分の好きなアニメの歌を流すとみんなで歌えるなということを、障害があっても感じられる。自分にも本当に偏見があったと感じるし、子どもたちも日々こういうことを繰り返していけば発達していくと感じている。
菅原先生の本にもあったが、メディアを長時間見続けるかどうかではなく、そこにコミュニケーションを挟んでいくことが、子どもたちが発達していくための大きな要因であるということは、すごく勉強になった。このiPadを渡せば子どもが泣き止むとか、おとなしくなるから渡しちゃえということではなく、それを一緒に見ながら、ああだね、こうだねと対話していくことが大切だということだ。

さらに、インターネットを教育に生かす際、支障になっている点について、次のような指摘がありました。

〇先生
私たちの町では、iPadを各校に何台かずつ入れているが、使いたいアプリを教育委員会に申請して許可が下りないと使えない状況である。私はもう5回くらい、ユーチューブを入れてくれるように申請したが却下されるという状況である。ツイッターも見られるようにお願いしても、駄目になっている。調べ学習の時など、市町村、県などは、ユーチューブやツイッターで発信しているものが多い。ただ禁止されてしまっているので、うまく使えていなくて、もったいない、と思う。
先生方の使い方のスキルの話だが、4年くらい使ってきても、写真を撮るだけの活用の先生もいる。こちらが、こういう使い方もある、動画も作れる。写真より動画のほうが伝わりやすいのではないかなどと遊びながら研修をしているのだが、その時は使い方が分かったとなるが、実際授業でどう使うかとなると悩んでしまう先生も多いのが実情だ。

これまでの先生方の意見を受けて、委員からは次のような発言がありました。

〇緑川副委員長
大変興味深く、今の学校現場の状況を教えていただいた。弁護士をしていて、普段依頼者との連絡は電話やPCのメールですることが多いが、最近ではLINEを利用する方も増えている。若い経営者などは、スマホ一つでフットワーク軽やかに連絡を取り合いながら、ものすごいスピードで事業を進めている。今、日本の若い人たちが経済を引っ張っていくような活躍をしているというところから遡って考えていくと、今の子どもたちはデジタルネイティブで、小学校、中学校からスマホやPCを使い始め、大学生くらいになると、私たちが考え及ばないように使いこなしているように見える。スマホは、コミュニケーションツールとして使うことも、娯楽のためにゲームをすることも、情報収集のためユーチューブやネット検索もできる。そんな中で、学校で子どもたちにどういう教育ができるのかということは、スマホやPCのどの使い方に着目して、何を教えるのかということを考えながら、場面場面を特定して、教えるべき目標を立てたうえで対応していかないと、子どもたちがどんどん先に進んでいるところの後追いになってしまうのではないかとも思える。むしろ、最近では子どもたちが柔軟な気持ちで進んでいるところを、でもそこをやったら個人情報の問題になるんだよ、プライバシーの問題が出てきてこうなるんだよ、という基本的な部分を抑えるというところで追っていくしかできないくらい、子どもたちは先に進んでいるのではないかというような印象をうける。
一方で、ゲーム依存の問題であるが、WHOがこれを精神疾患と位置付けているということを踏まえるとアルコール依存、ギャンブル依存と同じように治療しなければならないという段階に入っているということであろう。ゲームは子どもの時から始めることが多いので、スタートするときに動機づけをしてあげることが大切ではないかと思う。しかし、これは、もう教育、学校現場だけでは限界があるかもしれない。とても難しい状況だと思う。

<第2部 子どもたちにとってインターネットとテレビが良い関係を築いていくためにテレビに望むこと>

子どもたちにとって、テレビはネットにだいぶ押されている現状の中、このままでは、将来、テレビを見る人がいなくなってしまうのではないかという危機感もテレビ業界にはあります。そんな中、テレビとネットが良い関係を築いていく、共存共栄していくためにテレビに望むことについて議論しました。
まず、ネットにはない、テレビの良さについて先生方に聞いてみました。

〇先生
圧倒的にテレビの画質と音質はネットにはかなわない。大河ドラマが好きでよく見るが、4K映像で見ると本当に美しい。自然の描写も同じ色でこんなに違うんだなと思う。一つの美術品としての美しさがある。なかなか行けないところを、臨場感あふれる映像で子どもたちが体感できることは、圧倒的にテレビのよいところだと思う。

〇先生
やはりテレビは臨場感、ライブ感だろう。記憶に新しいところで、ラグビーのワールドカップでは、ネットで見るというよりは、その場で行われている試合を生で見られるということはテレビのいいところだと思う。もちろんニュース番組も、その時起こっていることを伝えるという意味では、テレビは非常に有効だろう。学校でも、子どもたちは昔と一緒で、インターネットで何々見たという話ではなく、テレビで見た内容をしゃべっている。

〇先生
テレビならではの良さという点では、放送の制約がある中、テレビ番組の中には攻めた内容があるなと感じている。最近、NHKの『バリバラ』で、ブラック・イン・ブラクという番組があった。触れるときに細心の注意を払うような内容だったが、それをあえてテレビ番組にするのは、攻めているなと思って、印象に残っている。このような攻めた番組があるのはテレビの良さだと思う。しかし、逆に、視聴者からの意見にもあったみたいに、攻めたからこそ失敗しているというか、放送的に良くないといわれる番組もあって、子どもたちもそれを見てしまうこともある。今までは、情報の受け手としてその番組をどう受け取るかだけを考えていたが、これからは、なぜこんな攻め方をこの番組制作者はしたんだろうとか、メディアでの情報の作られ方について、教育現場で考えていかなければならないと思う。

さらに、今の子どものテレビの視聴スタイルについてこんな意見も出されました。

〇先生
小学校の高学年を担当することが多いが、子どもたちのテレビの見方はかなり変わってきている。基本的にライブでは見られず、録画視聴である。学校から帰ってすぐに習い事。そこから帰ってくるのが8時、9時だったりすると、あとはご飯を食べて寝るしかない。そうすると、テレビは、空いている時間に見るという、インターネットに近い使い方になっている。基本的には視聴者が選んで、それを見たい時に見るというふうに、シフトしている。そうなったとき、深夜の番組でも子どもも見られる環境がある。時間帯によって演出を変えたりということをしていると思うが、そのフィルター、時間のフィルターは、子どもたちはやすやすと越えていくという現状を理解する必要があると思う。スポーツ中継、ニュースなど即時性のあるものは録画しているという話はあまり聞かないが、バラエティー番組やアニメは、基本的にはライブでは見ていない子どもが多いという印象を持っている。

次に、「テレビよ、がんばれ」という意味で、子どもたちのために、これからのテレビに望むことについて議論しました。先生方からは、次のような発言がありました。

〇先生
個人的な意見だが、制作者のスキルは、たぶんテレビのほうがネットより高いかなと思う。編集のスキルなどはテレビならではのものだと思う。授業でも『NHK for School』などを使わせてもらっているが、普遍的なもの、再活用できる番組がテレビには多いと思う。高校の数学の番組があるが、それを作ったのは結構前のことである。それを5年前、授業で使ったときの使い方と今の使い方は変わっているが、まだ使える。質の良い番組は、5年前でも今でも使えるし、使い方が変わるので、視聴者によってバージョンアップできていると思う。
今後も財産になるようなものを作ってくれるのがテレビで、インターネットやユーチューブの動画は、基本的に即時性というか、今よければいいという、制作の意図が違う部分があると思うので、テレビはテレビの役目、インターネットはインターネットの役目という形で進めていけはよいのではないか。

〇先生
テレビの在り方とインターネット、ユーチューブの在り方は全く違うもので、テレビは家族があって、家族団らんで楽しむもの、個で楽しむものではないと思う。一人で楽しむところもあるとは思うが、やはり、家族で一つのテレビを見て過ごすというのが今の時代の形だろう。一方、インターネットは個人で楽しむものだと思うので、それぞれの扱いに応じて変わっていくことによって、両者がいい関係を築くことになるのだろう。

〇先生
我が家でも、娘はパソコンでユーチューブを見ている。息子は寝転びながらスマホをいじり、私は台所でパソコンで仕事をしている。妻はテレビを1人で陣取って見ている。それぞれのメディアがばらばらだが、皆でテレビを見ようとなったら、ばっと集まってくる。そこが一つのコミュニケーションツールとしての良さかなと思う。
番組を作るときに、テレビ、インターネットかかわらず、企画力が重要なんだと思う。ユーチューブにただ単に鉄道の車窓をずっと流している動画がある。そこに川や鉄橋についてユーチューバーの解説が入る。普段自分が見慣れたところが、あっ、こうだったのかと明らかになっていくのが面白く、その人のユーチューブはいつも見るようになった。このように、人を引き込む企画力と話術が卓越したものは、インターネット、テレビは関係ないなと思う。

〇先生
ちょっと別の視点から、テレビを家電と見たとき、基本的にテレビは家電のテレビを見ているが、メーカー側は、今、テレビをインターネットも視野に入れた商品として売っている。そんな中、いわゆる地上波で何ができるのかというのは、本当に死活問題になっているという印象がある。特に、民放では、スポンサーなどの絡みも強く、さらに自由度がなくなっている中で何を見せたらいいのかというのは、より視聴者を意識していかないと、それはネットでいいよねという判断につながるだろう。家族の団らんでも、テレビでユーチューブを見る、という時代ももう来ているのかなと思う。
子どもたちにアンケートを取ると、テレビでインターネットを活用する率が少しずつ上がってきている。我々が思っているテレビと、子どもが思っているテレビが、変わってきている、ということも考えていく必要があると思う。

さらに、テレビの魅力の一つと考えられてきた、「視聴者に感動与える」ということについて、逆に、ネットを見ても深く感動することはあるのか、聞いてみました。先生方からは、次のような意見が出されました。

〇先生
昨日ヤフーニュースで、アメリカのことだが、自分の息子が脳死状態になり、心臓や角膜を移植手術のために提供し、移植を受けた人から、移植した心臓の音を録音した人形をもらって感動したことをドナーの親がSNSの載せていたという話を見た。自分の子どもの心臓の鼓動を聞いて、あの子は生きているということを感じたという。そういうニュースは、テレビだとなかなか取り上げられないが、ネットのニュースだと取り上げられる。感動的なニュースではあるが、それこそネットの特性で、本当にそれは信ぴょう性のある情報なのかどうかは気になるところだが…。

〇先生
感動という点では、アマゾンプライムに、テレビでは流れていない海外ドラマもあり、感動して見ている。ネットでも感動、共感を呼ぶものはある。逆にテレビでも、ニュース番組でツイッターですぐ反響を聞いて、それを流しながらこたえる番組もあり、ドラマでも、話が終わったと思ったら、続きはネットでというものもある。教育番組の『NHK for School』でも、番組を見ていたら、途中で、続きはネットでというのがあった。線を引いて考えることも必要だが、テレビ局もネットをうまく使っていると思う。

これまでの先生方からの意見を受けて、委員からは、次のような発言がありました。

〇吉永委員
私たちの世代は、間違いなくテレビ放送しかない時代で、はっきり放送からスタートしているが、今の子どもたちは、もう通信と放送がほとんど融合している状態でネットがどうの、テレビがどうのという考え方をしているのかどうか、わからない。自分が見ているものがネットなのかテレビなのか、あれ、これテレビだっけみたいな世界になりつつあるのではないか。
ユーチューブの世界もほとんど個人放送局になっている。作り方もどんどん良くなっていくと思う。今、小学生の将来なりたい職業の1位がユーチューバーになり、プロ野球選手を抜いたということが話題になったが、何十億稼ぐユーチューバーは、もう全部自分の中に、構成作家を雇ったり、企画する人を雇ったりと、本当に小さな放送局がいっぱい出てくるのだろうと思う。
テレビとユーチューブが、視聴者を意識するようになる、つまり、『いいね』と『視聴率』を意識するようになったら、圧倒的にユーチューブのほうが強いのかなと思う。やはり、テレビは「層」で見てもらわなければならない。この時間帯に見るのは、主婦層だとか、高齢者層だとか、という感じになると、すべてがそこをターゲットにするしかなくなるので、だんだん面白くなくなってしまう。
子どもたちは、テレビとネットの壁を楽々乗り越えていて、この前、『あなたの番です』というテレビドラマがあったが、ネットの世界で、子どもたちがものすごく反応して、犯人捜しとか、ドラマを自分たちで並行して作っていたりしていた。放送と通信の融合の形は、我々世代には想像もつかないところに子どもたちは入っている。
また、テレビの危機という点では、今、ネットフリックスは、制作費として年間1.8兆円くらいを計上している。そうすると、すごい番組があちらのほうから出てきてしまう。放送法も何もないので、自由である。もっともっと刺激的だったり、面白かったりするものが、すごいクオリティーで提供されてくるのではないか。お金がどんどんネットに集まってきているので、テレビのコンテンツが、これからネットフリックスなどに比べると、制作費が潤沢にあるのかどうか、また、スポンサーをつけようと思えば、視聴者に迎合しなければならなくなるなど、テレビのこれからの苦しさが始まってくるだろう。本当は、テレビならではの、美しい映像であったり、目先のことではない、もっと大きなテーマでしっかりした番組を作ってほしい、作りたいという願いはみんなにある。しかし、それでは視聴率はとれないよなという話になると、なかなかそれが実現されなくなってしまう。一方、ユーチューバーたちも『いいね』を意識しだすと、テレビと同じような形になっていくのか、放送と通信の融合の明日が見えないような気がする。
ある動画配信サービスの経営者が、テレビは何の時に見ますか、と聞かれたら、「災害の時に見る」と言っていた。災害時だけは、放送局のニュースがすごく大事だという。ネットには災害時いろいろなものが流れるので、信頼性が担保された情報という点で、テレビへの信頼があるのかなと思った。その一点だけはテレビの明日としては大事なのかなと思っている。

<第3部 メディア環境が多様化するなか、子どもたちのメディアリテラシーをいかにして養っていくか?>

メディアの情報を正しく理解するため、子どもたちのメディアリテラシー教育の重要性が指摘されているが、まず、日々、子どもたちと接していく中で、テレビの受け止め方やインターネットの扱いについて、危ういと感じたことについて聞いてみました。

〇先生
関西では、私が小さい時からお笑い番組が本当に定番になっていて、今でも子どもたちは楽しんでいると思うが、昨日、人権学習の授業で。不細工芸人ナンバーワンに選ばれた、あるお笑い芸人が、その時ホームページに載せた言葉を紹介した。“僕はプロのブスです。だからどんなことを言われても全く動じません、大丈夫です。だけど、一般の人たちには、誰だれは私に似ているなどということは絶対に言わないでください。そんなことを言うとその人が傷つくんです。それが言葉のナイフです”と。私が一番子どもたちに言っているのは、人権学習は、まずは、自分自身のことを大切にするために、そして、周りにいるみんなを大切にするために学んでいるのだということだ。昨日も、毎日の学校生活で、友達同士そんなことを言い合っていたらどう思うと話すと、子どもたちは真剣に聞いてくれていた。そして、日常生活とテレビから得られる情報はしっかり区別して考えてほしいという話をした。それも、メディアリテラシーの一つだと思う。

さらに、子どもたちのメディアリテラシーを育む取り組みについて、先生方からは次のような発言がありました。

〇先生
一つには、NHK Eテレにも『メディアタイムズ』などメディアリテラシーを育む番組があるので、活用している。子どもたちのメディアリテラ―を養っていくため一番大きな課題は、教育現場でメディアをどれだけ使うかということだと思う。必要感がないと、なかなかそこに意識が向いていかない。たくさんのメディアに子どもたちが触れられるような授業を組み立てていく中で、例えば、フェイクニュースや表現の難しさなどに気がついて、初めて学びにつながると思う。
ただ、正直に言うと、時間との闘いがすごく大きい。現場としては、学習指導要領にメディアリテラシーを育みましょうという項目がないため、その時間を生み出すのが難しい。要は、優先順位が高くない、ということである。
しかし、メディアリテラシーの育成について、社会の要請、現場の要請は強い。さまざまなトラブルがものすごく顕在化しているからである。例えば、LINEのトラブルでは、小学生でもどんどんそこに上げている。そして、保護者も上げている現状もあるが、保護者にリテラシーがない。それをやることでどれだけ危険性があるか、という認識がないまま、上げてほしいから上げているのが現状である。さらに、子どもは、話を通しやすいほうに通す。子どもにLINEのトラブルがあったことを母親に連絡すると、うちの子は使っていません、そんなトラブルがあるはずがないという。子どもに聞くと、父親に許可を取って使っていたということになり、夫婦間でもめたこともあった。
例えば、リーフレットを作る授業でも、総合評価をすることは実践しているが、なかなか苦しい。しかし、それをやると子どもは確実に伸びているという実感はある。また、写真の使用でも単に撮るだけではなく、どっちの写真を選ぶか、必ず複数取って選ばせる、というような形でリテラシーを伸ばすための取り組みを行っている。

これらの先生方の発言を受けて、委員からは、次のような発言がありました。

〇榊原委員長
今の話を伺っていると、メディアリテラシーは複雑になってきていると感じる。数十年前は、メディアリテラシーというと、子ども部屋にテレビを置くな、テレビを見せない、というものだったが、今は子どもたちが、タブレットなどが使える時代になっている、いろいろな出口があるので、より難しくなってきている。
昔はフィルターをするのが比較的楽だった。今は、テレビを見せなくても、部屋でタブレットを見てしまう、スマホを親が寝た後に見るとか、より問題が複合的になったという印象である。
私たちBPOは、テレビで流される番組ついて、別に規制ではないが、時には意見を言うことがあり、そういう仕組みになっているが、インターネットにはそれがないという状況のなかで、どうしていくか。より複合的なグローバルな課題になっていると、今、お話を伺って感じた。

<終わりに>

最後に、先生方の代表者から次のような挨拶がありました。

〇先生
今回も、議論が白熱して、あっという間に時間が過ぎたと思います。ありがとうございました。
今日、テレビとネットについて議論したが、そもそもその境目、子どもたちにとっては、その境目すらないのではないだろうか。教員としても、子どもにネット、テレビにかかわらず、どうそのメディアに向き合わせていくかは大事だなと思う。これをしてはいけない、こうやってやるんだよというような教育ではなく、子どもたちが、放送も通信も融合した時代に、どう関わっていけるのか考えられるような取り組みが学校現場でも必要だと考えた。
それと同時に、我々もテレビにはすごく期待しているところが多い。テレビにはいろいろな魅力がある。それは子どもたちにも伝えていかなければならないと感じた。

以上のような活発な議論が行われ、3時間以上にわたる意見交換会は終了しました。
今回の意見交換会後、参加した先生方からは、次のような感想が寄せられました。

  • インターネットが普及することによるデメリットだけでなく、メリットを生かしていくことや、なんでも制限・禁止していくことよりも子どもが正しく判断するため一緒にルールを決めたり、家庭で話し合ってもらったりしていくことが必要だと感じました。また、インターネットが娯楽としての活用だけでなく、手間を省く、簡単にできる、わかりやすくするためのツールとして子ども達が利用していくために学校教育でも指導していく必要があると思いました。今までは、自分の考えとして良い点よりも問題点を感じていました、BPO委員会や他校の先生から話を伺って、新しい気付きにもなりましたし、すぐに家庭と交流できる内容もあったので、大変勉強になりました。

  • 参加者の皆さんの報告から、子どもたちにとって「インターネットを含むネットワーク」が当たり前の世界になっており、良くも悪くも影響を受けていることがよくわかりました。だからこそ、良い影響をどう伸ばしていき、悪い影響をどうコントロールしていくかが大切だと感じた。特にインターネットの場合、ネットワークに対して自分からアクセスしていくため、時間による区切りが難しい部分が浮き彫りになっている。インターネットの活用が低年齢化しているため、欲求のコントロールが難しく、長時間視聴してしまうことで生活リズムを崩したり、健康を害してしまったりすることに繋がっている。インターネットをより有効に活用するための「モデル」が必要なのかもしれないと感じた。

  • 大人が思っている以上に子どもにとってテレビとネットの境目がないということを感じています。テレビが得意としていること苦手としていること、ネット配信が得意としていることと苦手としていることを整理して、互いの良さを生かして共存しながら発展していくことが必要であると感じました。

  • 自分も含めて大人のメディアリテラシーに対する意識の低さも深刻であるように思います。日々多様化している環境の中で、「こうあるべきだ」という明確なメディアとの向き合い方があるとも思えません。社会全体の問題として、大人―子どもで分けて考えるのではなく、子ども達と対等な立場で、メディアとの向き合い方を考え続けていきたいです。

  • 一つの情報に流されるのではなく、複数の情報に触れ、自分で取捨選択できる能力を養うことが大切である。日ごろから良質な情報に触れる時間を増やしていくことがメディアリテラシーを養うことに繋がる。学校の中でも積極的に使い、児童・生徒に正しい情報とは何かを考えてもらえるようにしなければいけないと思った。

以上

2019年10月3日

意見交換会(山形)の概要

◆概要◆

青少年委員青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的の為、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、山形県の放送局との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、2019年10月3日の14時から17時まで「意見交換会」を開催しました。
BPO青少年委員会からは、榊原洋一委員長、緑川由香副委員長、大平健委員が参加しました。放送局の参加者は、NHK、山形放送、山形テレビ、テレビユー山形、さくらんぼテレビジョン、エフエム山形の各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など24人です。
会合ではまず、緑川副委員長が「青少年委員会が出してきた青少年が関わる事件・事故報道に関する見解について」を説明したのち、第一部では「青少年が関わる事件・事故報道」について。第二部では「災害報道における子ども、被災者への配慮」についての活発な意見交換がなされたのち、第三部として小児科医である榊原委員長から「放送関係者のための"発達障害"の基礎知識」の説明が行われました。最後に地元放送局を代表して山形テレビ 大塚大介 常務取締役編成制作局長から閉会のご挨拶をいただきました。

<青少年委員会が出してきた青少年が関わる事件・事故報道に関する提言・要望等について>

〇緑川副委員長
BPO青少年委員会が発表した4つの提言・要望などがある。

(1) 「衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮」についての提言(2002年3月15日)
2002年3月15日に発表したジャーナリズムの責務と子どもへの配慮についての提言である。まず、テレビ報道が事実を伝えるのは国民の知る権利に応えることであり、民主主義社会の発展には欠かせないものであり、その内容が時にはショッキングな映像であったとしても、真実を伝えるために必要であると判断した場合には、これを放送するのはジャーナリズムとして当然であり、子どもにとってもニュース・報道番組を視聴することは市民社会の一員として成長していく上で欠かせないとして、ジャーナリズムの責務について述べている。
他方において、子どもたちはニュースの価値についての判断がつきにくく、突然飛び込んできた映像にショックを受けることがあり、そのためテレビで報道するに当たっては、子供の視聴を意識した慎重な配慮、特に子どもが関わった事件の報道に際しては、PTSDも含めた配慮が必要になってくることを指摘し、その上で、放送局に対して検討を要望したい事項を挙げた。その1つ目が、刺激的な映像の使用に関する慎重な配慮として、衝撃的な事件や事故報道の子どもへの影響に配慮し、子どもが関係する事件においては特別な配慮をしてほしいこと、2つ目が、繰り返し効果のもたらす影響への慎重な検討と配慮、3つ目が、メディアの積極的関与として、多様な子ども向けのサービスを展開して、子どもを対象にしたニュース解説のようなものを放送することを検討してほしいこと、4つ目として、子どもに配慮した特別番組と、保護者を支援する番組のための研究と対応として、子どもへの影響を配慮した特別番組や、衝撃的なニュース報道などによって、影響を受けた子どもの心のケアに関して保護者を支援するような番組を組めるように研究や検討を深めていってほしいと要望した。

(2) 「児童殺傷事件等の報道」についての要望(2005年12月9日)
先ほど紹介した2002年の提言に加え、特に検討を求めたい事項を要望したものである。
1つ目として、殺傷方法などの詳細な報道に関する慎重な配慮をしてほしいとして、模倣の誘発、視聴者たる子どもをおびえさせるなどの影響を懸念し、この点について配慮した上での報道の検討を要望している。
2つ目として、被害児童の家族や友人に対する取材への配慮である。大人はもちろん、未成熟な子どもに対する心理的影響に配慮しつつ取材に対応してほしいという趣旨である。
3つ目が、被害児童及び未成年被疑者の文章などの放送についての配慮である。これはプライバシー、家族への慎重な配慮をきめ細やかに配慮した上での取材・報道を求めたいという要望事項だ。

(3) 「子どもへの影響を配慮した震災報道」についての要望(2012年3月2日)
2011年の東日本大震災以後、震災報道を視聴することによるストレスについての視聴者意見がBPOに寄せられたということを踏まえ、震災後1年を迎える時期に放送局に対する要望を発表したものだ。当時、震災報道に関して大人にとってもショッキングな映像が流れていたが、そのような映像がもたらす子どものストレスへの注意喚起をした。また、震災のストレスに関する知識を保護者たちが共有できること。震災ストレスに対する啓発のための番組の制作、保護者に対する情報提供などを踏まえた番組づくりの検討をしてほしいという意見をまとめたものだ。加えて、津波などの非常に強い衝撃のある映像などの使用について、予告なく目に飛び込んでくるスポット映像や、子どもへのストレス増長の危険性について協議した上で、十分な配慮をして番組づくりをしてほしいという意見を出している。

(4) "ネット情報の取り扱い"に関する「委員長コメント」(2015年4月28日)
残虐・悲惨な事件や事故などの映像を、そのまま映像を伴って配信しているインターネット上のサイトを情報番組で紹介した企画について、当時、青少年委員会に視聴者意見が寄せられ、ネット情報の取り扱いに関する委員長コメントを発表した。今、私たちの周りは無限大のネットの情報空間があり、世界のあちこちで貧困と格差の拡大、局地戦争、人権無視の暴力や殺りく、テロ、深刻な環境破壊問題が起こっていて、それらの最前線の具体的事実については、そのほとんどを私たちは知らないでいるという現実があること、そのことを伝えることを大事だと考え、私的に利用できるネットで公開しようとする人たちが出てくるのも必然であり、そのネット上の情報が瞬時に世界を飛び回るという状況にあること、地上波のテレビメディアもその周辺でこうした情報空間が広がってきている現実を無視することができなくなっていく可能性があり、ネットメディアの情報をテレビが紹介したり、それに触発されて新たに番組を制作したりすることも、これから増えていくことが予想されると指摘した。そして、テレビ局の情報収集力は限られているが、ネット情報には、例えそれが吟味されたものではないにしても、無限と言ってよいほどの収集力と提供力があり、その中でテレビ局の独自性と責任性を、どこにあると考えていくべきなのであろうかという問題提起だった。

<意見交換会の概要>

第一部「青少年が関わる事件・事故報道」について

〇事務局
各社これまで青少年の事件・事故報道で取材時、編集時、放送時に困ったこと、悩んだこと等があったら、挙手して教えていただきたい。

〇放送局
かつていじめられていたというお子さんを取材して番組を企画したときに、端的に言うと本人もご家族も了解だった。しかし、こちらが本人やご家族が了解だからと全てを紹介すると、全てが明らかになって、誰がいじめた、どこの学校であるとか、そこから推察されそうな情報がたくさん出てしまうということで、ある意味自主規制で子どもの顔を出さなかったり、いろいろ配慮して情報量としては半分ぐらいに削って出したような記憶がある。その判断はその時点では正しかったと思っているが、ご本人が了解だという場合に何でもかんでも出すべきというのは、そのときの制作者の判断によってしまうのだが、何か指針のようなものを持って考えればいいということがあるのかな、と思った。

〇放送局
いじめた相手の方も少年や未成年ということだろうし、そういった反対側の方の配慮というのは間違いなく必要だろうから、自主規制という話だったが、やはり何らかの線引きというか、配慮は必ず必要になってくるのではないかと考える。

〇放送局
2014年、天童で当時中学1年生の女子生徒がいじめを苦に自殺をしたという事件があり、その報道の出し方を巡って女子生徒が通っていた中学校の実名を出すかどうか、弊社を含め各局でかなり対応が分かれたと記憶している。ちなみに、弊社は当時、部内でいろいろ協議を重ねた結果、実名で行こうということで中学校名を出して報じたという経過がある。繰り返し放送になるということもあり、果たしてそれが本当によかったのか、今振り返ると思う部分もなくもない。

〇事務局
天童のいじめ事件では各局で対応が割れたようだが、それぞれの局の対応はどうだったか教えてほしい。

〇放送局
弊社も実名で中学校は出した。天童に中学校は少ないので、ネット上では既に特定されているような状況もあった。ただ亡くなった彼女なり、遺族の特定にはならないようにという配慮をした上で、原則実名で行きたいという思いもあり、匿名か実名かのせめぎ合いだったように記憶している。

〇放送局
弊社では、当初は一報段階では学校名などは伏せていたが、その後問題が大きくなるにつれ、社内でも議論を重ね学校名は出した。ただ山形は人口が少なくて、天童で事案が起きた周りの人は言わずもがな、どこの誰だと当然知っている。田舎であるために、その名前を出す出さないによってどこまで影響があるのかということも考えた上で、学校名は出すという判断に至った。ただその映像について学校名を出していながら、学校の外観を思い切り映すのかどうなのか、議論になった。建物に対しても、例え学校名を出しているにしても、何らかの配慮が必要なのではないかというような議論をした。

〇榊原委員長
いじめ事件・事故報道と関連した報道に、犯罪報道がある。しかし犯罪といじめというのは少し違う。私は東京のある区のいじめの対策の第三者委員会の委員をやっているが、いじめの場合には犯罪と少し違う点として、いじめられた子ども人といじめた子ども、その両方とも多くの場合未成年であるということがまず違うと思う。
もう一つの違いは、そこに学校がかかわってくるということである。学校というもう一つの主体があるところが問題を難しくしていると思う。さらに学校の後ろには教育委員会があったり、地域社会がかかわってくるという大きな課題がある。そこがいじめ問題の報道の難しさだと思う。
結論はなかなか出ないと思うが、報道というのは真実を伝えるという第一義的な意味があるが、いじめの場合に学校などの名前を出すことにどういう意味があるのか、皆さんが悩んで検討されたと思うが、それが大きなポイントかと思っている。

〇事務局
山形県内で親による子どもの虐待事件が何件か起こっていて、虐待事件ならではの苦労もあったと聞いている。

〇放送局
4月以降、県内で親が自分の実の子どもに対して暴力を振るったり、けがを負わせたりという事案が相次いだ。子どもは未就学、小学校、中学校と様々だったのだが、親の名前を出すかどうかという点で報道部内で議論をした。親の名前を出すと子どもまで紐づいて分かってしまうのではないか。子どもへの影響を考えての議論だったわけだが、こういった事件が相次ぎ、全国的に悲惨な事件も起きているので、社会性があるのではないかという点。それから知る権利に応えねばならない、事件の正確性を保たなければいけないという点。その上で再発防止なども含めて実名で出すという判断をした。一部、もう既に裁判になっている母親のケースでは、否認をして係争中で別の実の子ども、兄弟が証言台に立って、弟は「自分の目の前で暴力を振るわれていた」などと証言をしいる。逮捕、起訴、それから裁判と、続けて報道をしていくことにもなる。そういった場合にどう判断をしていったらいいのか悩ましいというか、考えさせられる。

〇事務局
その際に御社内には実名を出さないほうがいいのではないか、というような意見はあったのか。

〇放送局
基本は実名で行こうとなった。他社でも出さなかったところがあり、子どもへの配慮を考えての判断だろうということで、今後の報道の仕方について考える一つの材料になっていくのかなという議論はした。

〇大平委員
精神科医として感じるのは、名前とか権利とかというものに対して、法整備が遅れているのか、きちんと考えが行き届いてないのか、大人であれ子どもであれ、被疑者の段階で報道されて名前が出ていくということ自体が、まだ推定無罪が原則というのが全く貫徹しようのないような状況があって、そもそも問題じゃないかと思う。
逮捕されたり起訴されたりしたときに、これから裁判を受けるのであるから、まだ有罪ではないのだから名前を出されてはいけない。ただそうすると被害者のほうはどうかということになるが、日本の親子関係の規定というのが、きちっとしていない気がする。親の権利は守られているのか、子どもが一人で生きていく権利というのが親とセットになっていて、堂々と子どもが一人で親と関係なしに生きていくことが考えられていない、前提になっていないということがあると思う。
大事なのは、「うちはこれでやります」と何でやるのかということを1行でも報道するときに言ってもらったら、視聴者の方には伝わるものがあると思う。堂々と言えるような、自分たちの主張として言えるというのがいいことなのではないかと思う。皆さんが現実に一所懸命考えているわけだから、そのこともちゃんと報道しておく、そのことを伝えておくということが大事だと思う。映像にボカシを入れているのは、こんなことは報道としてはしたくないが、横流ししてネット上で流す不埒な人間がいるので、そういう人たちのせいで犠牲者が出るのは嫌なので顔を出さないんだ、と堂々とやれば。それを全部自分のところの部局だけで良い悪いと議論して、何を議論したのかも出さないで、すっとニュースにしてしまうせいで、日本の報道、テレビに限らずラジオも同じだが、どれほど損しているかと思う。
警察の発表というのは名前に限らず、本当にお上が出したいものだけしか出さないの典型だ。日本の役所はおそらく全部そう。新聞でも結構多いことなので非常に問題だが、警察がここまでしか出さないので、ここまでしか報道できないんですと言う。私が望んでいるのは、「警察が発表しないので報道できないのです」ということをきっちりと言ってくれる時代が来ることだ。例えばアメリカでは、事件があったときに、必ず署長なり保安官が出てきてテレビの前で説明する。そのときにみんなが質問して答えなかったらどうなるかというと、翌日の新聞の第1面、テレビでもネットの放送でも、どこどこのシェリフはちゃんと答えなかったというのがヘッドラインになる。それは何をしているのかというと、自分たちの姿勢を訴えるんだということ。自分たちはどこまでも真実を訴えたいんだと。そういうことをやはり主張してほしい。

〇緑川副委員長
法的な権利関係の視点からのポイントのひとつとして、犯罪報道の場合、被疑者の実名報道については、無罪推定の原則との関係で、実名を報道することによって有罪視報道になってしまわないかということがある。
もう一つは、これは犯罪報道に限らず、子ども同士のいじめ、刑事事件になっていないようないじめ、最近の京都アニメーションの事件における被害者の実名報道、災害のときの被災者の実名報道など全てに共通する問題としては、プライバシーと知る権利に支えられる報道の自由との調整の問題がある。
3つめは、放送局の場合には映像を流すため肖像権の問題も出てくると思う。
先ほどの子どもの虐待事件は、既に逮捕されて刑事事件になっている。そういうときに逮捕された親の実名を報道することによって、子どもが特定されてしまうという視点は、子どものプライバシーであるとか、子どもの成長発達権とか、その子どもの視点、人権に立った上での配慮ないし検討事項であり、とても重要なことだ。
一方で、無罪の推定原則があり、逮捕された親を最初から非難する方向での犯人視報道をしたとして、裁判が進んでいって、もし有罪じゃない、あるいは、違う事実が出てきたときにどうするのか、そういう視点からの検討は必要だろうと思う。ただ、必ず匿名報道すべきだというのではなく、推定無罪の原則がある中で、その事案の具体的内容を十分に調査し、それでも被疑者を実名報道すべきなのかどうかという視点から検討すべきなのではないかということだ。
プライバシーの問題になるともっと広がってきて、刑事事件に限らず、全ての実名報道すべきかどうかという問題において検討する事項になってくる。例えば、いじめの問題で、いじめた側もいじめられた側も、どちらも子どもであって、刑事事件にもなっていないし、民事事件にもなっていないというような状況だったとして、被害者側が実名について承諾していたとしても、加害者側が承諾していないというところで加害者が特定されるような報道をすることによって、加害者側のプライバシーというのが侵害される可能性がある。加害者のプライバシーが侵害されるから報道してはいけないというように簡単に結論が出る問題ではなく、判例上、報道される側のプライバシーと、一方で報道することの必要性、憲法21条の表現の自由、報道の自由、知る権利の比較衡量で結論を出していくので、プライバシーが侵害されているとしても、それを上回る報道する必要性、知る権利を充足させるための報道の必要性があるのかどうか、その報道の仕方として相当なのかというところを、詰めて考えておかないといけないと思う。
学校側からクレームがついたとしても、そこの比較衡量において、「自分たちの社ではこう判断したから特定できるかもしれないけれども、こういうふうに報道した」というふうにいえるだけの検討をしているかどうか、ということだろう。プライバシーとそれを押しても報道する必要性、報道の仕方の相当性があるかどうかということを詰める、そこを整理して考えることによって、何か不安だというところからもう一歩進んだ問題点を洗い出していけるのではないか。テレビの場合には肖像権の問題があるので、肖像権という視点からも人物を特定するような報道をするというときには、そこも検討事項としてはクリアしておかなければいけないと思う。

〇榊原委員長
いじめのことで、学校側が知られたくないという場合は結構多い。それは、いじめというのはどこに責任があるのかというのはなかなか難しい問題であるが、多くの場合、学校が監督責任あるいは、教育の責任として責任が問われることがあるために、学校側としては余り報道されたくないという事態があると思う。それで学校のほうから報道しないでくれ、あるいは、学校の名前を出すのは困るという意見が出るのだと思う。
そこで、学校名を出すことの意義を皆さんが詰めて考える必要があると思う。学校側の教育的な配慮が足らなかったことを訴えたいという結論が出たとしたら、それは学校名を出すということもあり得ると思う。当然、学校側は反発すると思うが、いろいろな状況から考えると学校側の責任もあるのではないかということを社会的に出していくために学校名を出す必要があるという覚悟で報道するという意味もあると思う。例えば学校側の責任の問題というのが真実の一つとしてある、というふうに考えれば学校名を出すことになるだろう。
ただその時々のさまざまな条件、いじめは必ずしも犯罪ではないので、推定無罪の原則というのはないのだが、いじめられた子といじめた子どものプライバシーの問題、あるいは知る権利の問題、あるいは、いじめの場合は肖像権は必ずしも出ないと思うが、幾つかの相反する要因を検討して報道するということに尽きるのではないか。

〇事務局
ここまでは我々が知り得た個人名や学校名をこちら側が出すか出さないかという判断についてだが、警察サイドが名前等を出さなくなってきている状況もあるようだが。

〇放送局
いま代表的な問題となっているのは、京都アニメーションの事件だと思う。警察が被害者の名前を遺族に配慮して出さない。もっと遡るとやまゆり学園の事件で、障害のある人たちの被害者の名前を警察は出さなかった。要は警察側が被害者側の意向を汲んで出さなくなっている傾向が多々見られる。山形では大きな凶悪な事件はないが、交通事故に関しても、骨折した子供の名前を「親御さんが名前言わないでくれと言っているから」というものも警察署によってはあったりするが、それはどうなのかと思う。
警察は大きな公権力を持っているので、基本、仕入れた情報は出すのが大原則で、それを受けて我々が出すかどうかを判断するというスタンスが大事なのではないかと考えている。警察が名前を出さないのを我々が無理やり嫌がっている被害者に名前出せといって出させているような対立構図に捕えられがちになっていて、実名報道に関しても1つの事件ごとに、この場合はどうする、この事件についてはどうすると、本当に個別の対応が迫られていて非常に頭を悩ませている。そこまで大きな社会問題、一般の人も巻き込んでの問題になってきているのかなと日々感じている。

〇事務局
京都アニメーションの問題は皆さん関心が高いと思うが、プライバシー保護と報道について、他にご意見は。

〇放送局
京都アニメーションの事件に関しては、当初被害者の実名を出さなかった経緯について、いろいろ問題視していることなどが逆に報じられている。プライバシーに配慮しつつというが、公益性などを勘案したときに、警察がプライバシーの保護を優先して公表しないということに相当問題があるのではないか。事件の正確性や社会性も含めてきちんと報じるべきところを報じなければというのが報道の立場だとは思うが、それができないというところが非常にもどかしい。警察の対応のおかしさを感じてしまう。実際報道する、しないについては報道機関のほうで判断すべきところは判断すべきだと思うが、情報として出してこないことに関しては非常に憤りというか、どうしたことだというような形で受け取っている。

〇緑川副委員長 
京都アニメーションの被害者の実名が40日間警察から出てこなかったということと、出てきた後で報道されたことについて、SNSなどで批判的な意見が出していた。いろいろな意味で社会的に多くの人が関心を持ったことだったと思う。今回の京アニ事件の被害者の実名報道はプライバシーとの利益衡量の問題だと思うが、ここで警察の発表と報道を分けて考えないといけないと思う。警察などの公的機関が実名を含めて情報を出すことは重要かつ必要なので求めていかないといけないと思う。それによって報道機関はその事実の正確性や、さらに事案を深掘りしていって報道すべき重要なことがあるのかないのか、そういうことを取材できる端緒にもなるので、公的機関は報道機関に対して公表すべきと思う。
他方において、それを報道機関が報道するかについては、プライバシーの問題や、推定無罪との関係で有罪視報道にならないか、あるいは放送の場合には肖像権の侵害の問題など、さらなる視点を踏まえて十分に考えた上で、どのような形で報道していくかということになると思う。40日後の発表が遅いか早いかということに関しては、メディア関係者が実名報道の理由として挙げる報道機関の使命である正確な報道とか、社会的に重大な事実を記録するために実名報道が原則という視点から考えれば、40日後であったとしても、1年後だったとしても、記録するという意味では問題ないのではないかと思う。
2005年に所属している日弁連の人権と報道の調査部会でニューヨークタイムズに行ったことがある。2001年に9.11が起こって、調査に行ったのが2005年だったが、そのときニューヨークタイムズの方たちから聞いたのは、被害者、犠牲者全員の名前をプロフィールを含めて新聞に出したが、それは事件が起こってから全部で2年か3年かかったと。2年か3年かかったけれども、1つずつ掘り起こしていって全部出したという話であった。また、その際、アメリカの報道機関では、被害者本人が嫌だというから実名を出さないという視点はないという話も聞いた。アメリカは憲法の最初に表現の自由の保障が規定されていることも踏まえて興味深い話であったが、2年、3年かかっても、その人たちが生きてきた歴史を刻む、それが報道に必要だから報道したという考えであるのならば、40日が遅かったかどうかというのは、40日であっても1年後であっても、京アニで活躍していた方たちの生きてきた証を掘り起こした記事を出すということで、それは遅くはないだろうと思う。
一方で、安否確認という視点から被害者の実名報道を考えると、被害者や遺族の意向を尊重しつつも、早期の公表と報道の必要性を検討すべきかもしれない。
そのあたりを整理して考えて、そしてその整理して考えた結果、なぜ被害者の実名を出すことが必要なのかということを丁寧に社会の人たちに知らせていって、社会のコンセンサスを得る努力をしていかなければいけないのではないかと思う。

〇放送局
遺族が亡くなった家族の名前を出してほしくない、報道せずにそっとしておいてほしいという遺族側の心情は理解できる。しかし、我々としては実名報道という部分は原則としてはあるというところで、価値観が対立しているのかという気もする。一方で遺族が取材を余り受けたがらない背景には、報道する側の取材の態度だったり、いわゆるメディアスクラムというのが大きいのかなと思っている。
聞いた話だが、滋賀県の幼稚園の子どもたちが車にはねられて大々的に報道されたことがあったが、そのとき遺族取材で最初はテレビ局、新聞を含めて皆で遺族の家に押しかけるような取材だったのだが、クラブ内で話し合いを持ち、当番制で1社ずつ時間を区切って遺族への取材に行くような対応をしたということで、我々の報道する姿勢もちょっと今後変わってくるのかなと思った。遺族への配慮というのをこちらも見せないと、遺族側も取材を受けたがらないのではないかと思い、自分たちを改革していく必要もあるのではないかと感じた。

第二部「災害報道における子ども、被災者への配慮」について

〇事務局
最近、災害報道について「撮影している暇があったら復旧を手伝え」「被災者の家に入り込んで何をやっているんだ」などと言った意見がBPOに来ることが多い。災害報道での子どもや被災者への配慮に加えて、視聴者の意見についての見解を教えてほしい。

〇放送局
阪神淡路、最近は東日本大震災を経験し、報道の仕方の勉強会を数々開いてきた。今年6月の新潟・山形地震に関しては朝番組で生中継をやったが、避難場所の中には入らず、外で中継して、中には人が入って取材して、それを外で伝えるという報道姿勢でやった。
ヘリコプター騒音に関しても、基本的には航空法で定められている高さを守っている。しかし夜10時22分発生の地震だったので、朝になり明るくならないと状況が分からないというところで、各社一斉に夜明けを待ってヘリコプターが向かったと思う。
液状化の取材が一か所に集中していたという視聴者意見だが、幸い地震被害がそれほど大きくなく、液状化現象が鶴岡駅前だけに集中していて、その事実を伝えるために何回も放送された。鳥居などが倒れているのも、象徴的なのでその映像が繰り返されたことは事実だと思う。現場へ向かう記者、カメラマン等の安全確保も基本になっており、注意報が出ているところには行かせない。記者の安全も守りながら今回も報道した。
津波が起こると視聴者へ注意喚起の呼びかけをするが、アナウンサーが中心になって、どう呼びかけるかという勉強会をやっている。想定集があるので、それに則ってやるようにしている。しかし津波というのは危険なので「早く逃げてください」、大雨の時も「自分の命を守ってください」というようなことも想定集の中にどんどん入れ込んで、どれがいいのかを取捨選択してアナウンサーはやっているというのが現在の報道姿勢だ。

〇放送局
今回の新潟・山形地震では、震度が6弱ということで山形でこれまで経験したことのない大きな揺れだったということ。それからもう一つ、津波注意報が出た。日ごろから訓練して、報道のあり方について社内でも取り組んではいるが、急な大きな地震ということで、対応にはさまざま反省点も出ているところだ。
1つは津波注意報が出たということで「すぐ逃げろ」とか、「今すぐ逃げてください」というような呼びかけが一部報道の中にあった。しかしそこまでではない「沿岸に近づかないでください」という呼びかけで、伝える側の正確な情報の発信という意味でどうだったのかという反省が出た。発災が夜だったということで「逃げてください」とか「避難所へ向かってください」というようなことについても、「足元に注意して」とか、「夜だから家の中にまずは待機して情報を見極めてから」とか、夜の発災ということを踏まえた呼びかけがどうだったのかという点で事後に議論した経緯がある。
我々は酒田市でタクシーをチャーターして、そのタクシーから撮影した映像を流したが、「津波注意報が出ている。タクシーの運転手を巻き込んでいいのか」というような視聴者からの指摘があった。これについても酒田市役所が避難所になっており、津波注意報のレベルで想定される津波の高さからすると、この場所については大丈夫だろうということでこういう手法をとった。しかし視聴者の方の指摘、いろいろな見方、我々に抜けているような指摘もいただいているという印象だ。ヘリコプター騒音についても、現地の記者からの電話が聞こえないぐらいヘリが来ていた。大きな災害に慣れていなかったこともあるが、配慮しなければいけないと改めて認識した。
幸い被害が少なかった中で、温海の小岩川地区は瓦が落ちたりして被害が大きかったのだが、メディアスクラム的な集中をしてしまい被災者への配慮、取材者の意識の問題等も反省点として出てきた。

〇事務局
大きな災害になると被災者にとってはラジオが情報源になると思う。大きな災害時にラジオはどう対応したか。

〇放送局
東日本大震災の時は、5時間半の生ワイド番組を放送していたが、その最中に揺れた。そこから番組の内容を切りかえて、情報を常に提供し続けるということを夜10時、11時くらいまで続けた記憶がある。当初はテレビと同じようにどこが震源で、どこが揺れていて、どこに被害が発生しているか、被害状況を説明するというようなことを行った。ただ情報収集には限界があって、ややもすると正しい情報をなかなか伝えられないし、画像が我々のところに届いているわけではないので山形県以外の、例えば岩手県や宮城県の被害状況を言葉で伝えることはできても、その状況を見ていないので伝えることには限界があった。そのうちにリスナーから求められているのが、"報道"ではなくて"情報"だということに気がついた。それは例えば食料はどこで買えるのか、水はどこで手に入れることができるのか。特にあのとき山形県内は広い範囲で停電になり、その停電の復旧状況、情報などが非常に求められていると感じた。
ではその情報をどうやって集めるかということを社内で協議した結果、リスナーから民間レベルの情報を集めるのはどうかという意見が出た。リスナーの情報をそのまま鵜呑みにして放送するというのは非常に危険なのでそういう例は過去なかったが、状況が状況だったのでとにかくリスナーからライフライン情報等を集めて、それを提供することにしようと最終的に当時の社長が決定した。今まで被害状況を伝えていたのを今度は山形県内でどこのコンビニやスーパーが営業しているのか、どこのガソリンスタンドが営業しているのかといった状況を中心に、リスナーから情報を集めて報道することを決めた。恐ろしいほどの情報が集まって、ひっきりなしにメールやファクスが動くような状況になった。まず食料品を買える情報、水が得られる情報、お風呂に入れる情報、オムツが買えるところはどこだとか。最終的には停電の復旧状況の話が中心になってきて、山形市内でもいろいろ差があったので、どこどこは停電から復旧した、水も出るようになったという情報が今度は集まってきた。するとリスナーから他の地区も頑張って下さいというようなコメントもついてくるようになって、それを紹介しながら続けていたという記憶がある。
ラジオに求められているのは、"報道"よりも"情報"なのだなと思った。コミュニティ放送だったらより市町村に密着しているので、もっと濃い情報を集められるだろう。ただ、果たしてその情報が100%正しかったかどうか、検証するすべはなかったような状況だった。もし被害状況がもっと長く続けば、今度は安否確認情報なども入ってきただろうと思うが、幸いにしてそれほど長期の停電が続かなかったので、そこまで至らないで終わったような状況であった。もし同じ規模の災害が発生した場合も、やはりラジオとしては、最初は被害状況を伝えるに止まるが、被害が長期に及べば情報提供をするような役割がラジオに求められているということを認識してやっていきたい。

〇榊原委員長
ラジオの情報というのは非常に重要だと思っている。この意見交換会は、この1年半ぐらいの間に熊本、盛岡、高知、そしてこちら山形でやってきた。盛岡、山形は東日本大震災。熊本は熊本震災があった。高知は南海トラフ地震を非常に心配していて、それぞれの地域の放送局がさまざまな取り組みをしているのを見聞してきた。1つは、災害の放送で子どもたち、青少年が見ているというので、放送の仕方について、例えばPTSDを引き起こさないようにとか、非常に悲惨な画像は考えてくれということで意見を申し上げてきた。 
もう一つは、取材を受けた大人もそうだが、子どもに何度も取材がいき、思い返しをすることによってPTSDのようなことが起こりやすくなるということで、放送局の方が苦心されていた。高知では南海トラフの地震の起こる可能性が高い。いつ来るかわからない。現在の子どもが大人になってから来る可能性もあるということで、大災害に対する子どもの教育に放送局が熱心に取り組んでいるのも見てきた。
青少年委員会としては、地震のような大災害と報道と子どもの関係というのはさまざまなところでリンクしている、非常に重要なことがあると思っている。報道の仕方・取材、それを日本全国の子どもが見ているわけだから、子どもへの災害教育的な意味もあると思う。地震のような大災害に対していろいろな困難を皆様は経験されたと思うが、それを日本全国の放送界で共有していくというようなことが重要なのではないか。偶然この1年半の間に大きな災害があった所で意見交換会をしてきので、そのような印象を持った。

〇事務局
被災者の実名を公表するか、非公表かというのは国に統一基準がなく、各自治体の判断に委ねられている。法令で氏名公表の統一的な基準を設けるべきではないかという意見もある。

〇緑川副委員長
災害の被害者名を自治体、行政機関が発表するかについて、国による全国統一の基準がないとしても、自治体は自治体の責任で公表するかしないを決める必要があるだろう。事故のときにも情報を持っている警察などの公的機関が氏名を公表しないことによって、報道機関は取材の端緒を得られない、そのことによって事件を深く取材して報道することができなくなっていく可能性があるし、権力監視という報道機関の使命を果たすことが難しくなるという懸念もある。報道機関は、自治体や警察などの公共機関に対して、情報を公開するよう求めていくべきことであろう。
なぜ最近、警察が公表しないのか。公表しない理由として挙げられるメディアスクラムやプライバシーの問題だけではなく、背後に情報をコントロールするという意図があるのかもしれない。プライバシーの問題やメディアスクラムで遺族が被害を受けるからと言わせてしまわないように、メディア側も理解を得らえる対応を示す必要があると思う。少しずつではあってもメディアの使命を社会に知ってもらう。そのことで権力側が情報隠しをしない、公表しなければいけないというコンセンサスを得られるような状況ができていったらいいと思う。

〇放送局
実名を出して、事象によっては忖度というのが生まれて、それは警察がずっとそういうことをやり出すと、出す、出さないを勝手に決められるということが、むしろプライバシーというところは、京都アニメーションはすごいデリケートなんですけれども、その他にも波及していくと思う。やっぱり基本的には実名を出すという姿勢を警察は事件なのだから、やってもらわないと困る。困った時代になっていくのではないかと思う。

〇放送局
難しいのは、実名報道は原則だけれども、我々ローカルはどうしても地元密着で被害者に向き合い、寄り添わなければいけない。大きな局でさえ1人の生死にかかわるような要望が来ると、それはやはり無視できない。そうすると原則実名だけれども、そういう理由があるから1人は伏せて放送するとか、非常にまだらな判断が生まれる。忖度の次には、どうやって整合性をとっていくのかという難しい選択が来るということで、その先も難しい問題が山積みになっていって、丁寧に向き合っていかねばならないと思っている。
緑川副委員長にお伺いしたいが、最近、遺族側の弁護士を通して取材の自粛要請とかが非常に増えているような気がする。その辺の動きというのはどうなのか。

〇緑川副委員長
意見交換会などで見聞した印象ではあるが、増えているようには思う。それはメディア対応に限らず、犯罪被害者保護に関する法的整備や被害者保護についての社会の理解が進んできて、被害者に弁護士が代理人としてつくような事案が増えてきているように思う。被害者の代理人がメディア対応も行うことから、弁護士が入って被害者のメディア対応の窓口となるということがあると思う。
以前は、犯罪被害者に代理人がつくことは珍しく、自分で全部対応していかねばならなかった。メディアスクラムについてのメディア側の申し合わせなどもなかったころは、現在よりも大変だったと思う。そういう時代に、捜査などで被害者とも接点が多くなる警察が、相談を受けて、メディアに対して被害者の意向を伝えるというようなこともあったように聞いている。弁護士有志で、20年ほど前に、犯罪被害者に限定せずにメディアスクラム被害について調査して、弁護士が被害者の代理人としてメディア対応ができることもあるのではないかということを検討したことがあった。今は、犯罪被害者の保護の対応として、弁護士がメディア対応もやっているという流れであるような印象だ。

第三部 放送関係者のための『発達障害』基礎知識

今回の意見交換会に小児科医であり、発達障害が専門の榊原洋一委員長が出席するならば「発達障害」について知り、今後の取材、原稿制作、編集、放送に役立つ基礎知識を身につけたいというリクエストが出席者から出された。これを受けて、榊原委員長から、発達障害の基礎知識についての説明があった。そのポイントは、以下の通りである。

〇榊原委員長
*発達障害とよく使われるが、発達障害は複数の障害を含んだ総称である。

*発達障害の理解が困難な理由
(1)「発達」も「障害」も誰でも知っている言葉。個々人の解釈が存在する
(2)通常の病気のように、はっきりした症状(発熱、咳、痛み)や検査所見(血圧上昇、血糖値上昇、白血球増多)がない
(3)確定診断のための検査法がなく、専門家の間でも見立てが異なることがある
(4)定型発達児の行動と発達障害の行動は連続していて境目がない

*発達障害を構成する障害
(1)注意欠陥多動性障害(ADHD) (2)自閉症スペクトラム (3)学習障害

*生得的な障害(遺伝的)であり発達過程で発現
*併存(合併)が多い
*知的障害が併存することはあるが必須ではない
*罹病率が高い ADHDは小児期の心理、精神的障害で最多
*男児に多い *小児期に顕在化するが、成人期まで存続する
*家庭、地域、学校といった集団場面での困難が顕著

〇榊原委員長
*以前、さまざまな障害を理解しようというテレビ番組があった。二、三十人が胸に自分の障害名を書いてスタジオにいたが、その中に「発達障害」という診断名をつけて出ている人がいた。かなり愕然とした。発達障害という診断名はない。もし診断名、症状名を出すとすれば注意欠陥多動性障害とか、自閉症スペクトラムとか、学習障害とか。人によっては注意欠陥多動性障害とアスペルガー症候群両方あると、こういうように言わないとメッセージが伝わらない。

*"障害を乗り越えて"というと、乗り越えようと思っても既にあるものなので、乗り越えられるものではないという意見もある。障害は性格みたいなものだという説明は確かにする。しかし、注意欠陥多動性障害は症状ベースで言うと、日本で子どもときには4%だが、大人だと1.6%。アメリカでは子供が7%、大人になると4%と言われているから、そういう意味で治る。自閉症スペクトラムでもアスペルガー症候群の一部は本人自身の経験の中で、ほとんど社会生活に支障を来たさなくなる。ある意味で治る、乗り越えることはできるが、ただ障害は個性、あるいは性格だというような言い方がかなり定着しているので乗り越えるというと、それは無理だというような気持ちになる親御さんがいるのは理解できる。

*アスペルガー症候群あるいはADHDの行動の特徴が犯罪に結びついたと思われるようなシナリオがあった場合には、それは考えるべきだろう。しかし、例えば犯罪で捕まった人が実はアスペルガー症候群でした、といった場合にその間の関係があるかどうかというのはわからない。報道としては、その人がそういう診断名を持っているかということが明らかにその犯罪と結びつく場合には考えなくてはいけないだろう。しかしそれ以外の場合には注意しないとアスペルガー症候群でしたと言うと、聞いた人が「そうか。アスペルガー症候群の行動の特徴で犯罪を犯すんだな」と思ってしまうので、そこは慎重にすべきだろう。

*インタビューなどでどうしても発達障害の特徴が出るような場合には、編集するときにどうなんだろう。言いよどんだりした場合は、そのまま出さないほうがいいんじゃないか、と悩んでいる放送関係者がいる。これはその番組の性格によると思う。発達障害の中のどれかについての番組だとすると、特徴が出たほうがいいと思うが、そうではない番組で言いよどんだということで、発達障害だからといって特別に普通の定型発達の人と差をつける必要はないと思う。言いよどんだというのが分からなくなるよう、ここは編集してカットということでいいのではないかと思う。

<まとめ>

〇大平委員
一般的に理解されていないのが、"インタビュー"というのはお互いに見るという意味。向こうも見ているその間の空間のことを意味しているということが意外と忘れられていて、皆さんがインタビューする立場になったら、見られているという感覚がなくなっていると思う。相手、向こうは見ている。お互いに見るという人間関係だということが忘れられていて、情報を取る人と情報を提供しなければいけない人の関係だと、いつの間にか誤解されている。
ではどうすればいいのか。すごく簡単なことで、向こうも自分の態度を見ている。善心を持って自分は相手を尊重するということだ。立場からいうと自分のほうがお話を聞かせて頂かなくてはいけないわけだから、これは向こうの人に気に入ってもらえる、こいつなら話していいやと思えるように、自分の人間性というのを指し示さなければいけないということだ。
実名報道とも関わってくるのは、実名というのはそもそも報道とは離れて何なのかといったら、相手の個としての、個人の個としての尊重ということ。結局我々が相手を人間として認めるときには名前というのがついて回る。だからこそ報道で真実を追い求めるというときに、どういう人なのかということの出発点になるのは、我々の関心のスタートがそこにあるからなのだ。それをねじ曲げて名前は教えないと言っているのはおかしいわけだ。しかし、それは変なことではなく自分の名前を知られるということは良いことが何もないという時代になっている。人のプライバシーを売り物にしているだけではなく、人の個人としての尊重をするどころか、人間性を失わせようとする連中がいっぱいいるということだ。だからみんな名前を取られる、名前を明らかにするのが本能的なリアクションとして感情的に嫌になっている。
いわゆる報道の現場では、そういう背景に実名報道というのがあるということを理解してほしい。取材に行ったときには、ただの取材をする1人の人間なんだ。自分の人間性を見せるように、見ていただく。自分がマイク持ってお話を伺いにと行ったときに、相手は判断つけていますよということ。だからとても感じのいい人になっていただきたい。そうすれば、よくなってくると思う。皆さんの周りのとても感じのいい人たちが、お話聞かせて下さいと言ったら、悪い気はしないと思う。目が血走ってマイク持って、何が何でもこいつから話聞いて帰らないとデスクから叱られるみたいな切羽詰まった人たちがワッと押し寄せてきて、一言聞かせて下さいと言われたらこれはたまらないと思う。そういう状況にならないように皆さんが気をつけていると、5年後、10年後には取材に行くとウエルカムになると思う。そうなれば、実名報道も当然じゃないでしょうか、というふうに広まっていく一助になるかもしれない。

〇榊原委員長
テーマとしては、特に実名報道ということに焦点が絞られて、さまざまな深いお話ができたと思う。青少年委員会としては、子どもであるという要因が加わった非常に複雑な問題を解かなくてはいけない、そういう状況にあると思っている。ただ、そのときにやはり重要なことは、皆さんがきっちり話を詰めて、皆さんの報道する立場、なぜするのかということを見据えて対処していく。その場合には責任も伴うので、そういう判断をして、その結果、社会的な反論がなされた場合には、それに対してもきっちり応えていく。そのようなことが必要なのではないかと思った。
青少年にかかわる、例えば青少年が取材の対象になったり、あるいは視聴者としての青少年がいる、そういう立場から皆様と意見を交換しながら青少年委員会は、日本の放送の質を高めるための機関だと自負しており、今後も皆さんと意見交流しながら放送をよいものにしていきたいと思っているし、その思いを新たにした。

〇事務局
閉会のご挨拶を山形テレビ常務取締役編成制作局長 大塚大介様からよろしくお願いいたします。

〇大塚常務取締役編成制作局長
皆様、大変お疲れさまでございました。私、このたび幹事を務めさせていただきました山形テレビ、大塚でございます。
BPO青少年委員会様、各局様には日ごろ大変お世話になっております。また、本日は委員の先生方には大変お忙しい中、遠路山形にお越しいただきまして誠にありがとうございます。おかげさまで本日は各局様から放送と子ども、青少年に関する問題について活発にご意見をいただきました。とりわけ実名報道については、プライバシーの問題と真実を報道するという問題の中でどう判断していくのか。その根本は、やはりそれぞれがきっちりと責任ある報道をすることであるというふうに受けとめた次第でございます。活発にご意見、ご発言をいただきまして大変有意義な意見交換会になったと思っております。委員の先生方、各局様のご協力に感謝を申し上げます。

以上

2019年5月21日

意見交換会(高知)の概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、5月21日13時30分から17時まで、高知県の放送局とBPOとの相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に意見を交換しました。高知では、初めての開催でした。
BPOからは、榊原洋一青少年委員会委員長、緑川由香副委員長、稲増龍夫委員、大平健委員、菅原ますみ委員、中橋雄委員、吉永みち子委員と濱田純一BPO理事長が参加しました。放送局からは、NHK、高知放送、テレビ高知、高知さんさんテレビ、エフエム高知の各連絡責任者、編成、制作、報道番組担当者など19人が参加しました。

<BPOの活動について>

冒頭、濱田純一理事長が、「BPOの活動について」というテーマで講演をしました。そのポイントは、以下の通りです。

(濱田理事長)

  • BPOは、放送という市民にとって身近なメディアに関わる問題を、政府、権力の手によって解決するのではなく、自分たちの手で解決するところに大事なポイントがある。自分たちの手で解決しようとするプロセスを経る中で、放送に対する視聴者の理解が深められていく、あるいは、放送人の職業意識も鍛えられていくとよいと思う。
  • BPOは、放送局が第三者の支援を得て自律を確保するという仕組みである。BPOという第三者機関が放送人の自律を促していく、支えていく、そういう構造になっている。したがって、自律の主体はあくまで放送の現場の方々、放送人である。BPO自身が何か活動をすれば、それでおしまいということではなく、あくまで主体は放送人だという考え方である。
    どうやってこの自律がうまく機能するかということだが、さまざまな決定を委員会が出すだけでなく、その後の放送局からの3カ月報告、当該局研修、今日のような意見交換会、事例研究会、講師派遣、視聴者意見を局に伝える、などの多様な方法を通じて放送界の自律を促すという仕組みをとっている。
  • 意見を出す委員の思いは、その決定の結論だけを見て勝った負けたということを考えてほしくないということである。むしろ、ある問題が生じたときに、何を考えることが必要か、そのきっかけとなるメッセージを含んでいることを読み取ってほしい。その上で「自分の頭で考える」きっかけにしてほしい。
  • 今回、出席者から選挙報道における公平・公正についても触れてほしいという要望があったので、それについて少し話す。詳しくは、放送倫理検証委員会による判断をBPOのウェブサイトで読んでもらいたい。ポイントとしては、いくつかの案件については、選挙における公平・公正の確保の重要性について、放送に当たった側の認識不足、不注意があったのではないかと指摘しているが、他方でコンプライアンス至上主義、思考停止にならないようにとも述べている。放送のプロフェッショナルであることを自覚して、放送の使命を考えながら制作現場でしっかり議論してほしいと期待している。また、別の意見書では、特に選挙の際の公平・公正は、量的な公平性、形式的な公平性ではなく、質的な公平性、内容的・実質的な公平性を目指してほしいと指摘している。
  • 各委員会の考え方として、「べからず集」をつくって、マニュアル人間をつくることはしたくない。あくまで委員会で述べたことをきっかけに、しっかり考えていってもらいたいということである。自分の頭でしっかり考えて番組作りをすることが、ジャーナリズムの本質だと思う。

<未成年を取材する難しさと課題>

意見交換会第1部のテーマは、「未成年を取材する難しさと課題」でした。まず、日頃の取材活動で困っている課題、配慮していることなどについて出席者から次のような報告がありました。

(放送局)
「高知県は子どもの貧困という意味でも厳しい。そういう課題を解決するような、子ども食堂などいろいろな取り組みをしている。最近、小学校で、朝ご飯を子どもに作らせるという、校長先生の熱意で行われた朝食支援の取り組みを取材した。貧困家庭の子どもにご飯の作り方を覚えてほしいとか、ご飯を提供したいとか、学校のターゲットはしっかり決まっていたが、個別家庭を取材する際、学校から紹介してもらったが、本当の貧困家庭は厳しく、本当に取材できていることと放送に出せる内容が違ってしまった。その子どもに感動して取材したが、やはり子どもが特定されてしまうから、そのエピソードは話しづらく、奥歯に物が挟まったような言い方しかできなかった」

(放送局)
「荒れている中学校を校長先生が立て直しているのを取材したが、校長先生と現場の教頭先生の意見が全然違っていることもあった。校長先生は、多少荒れているところでも、これがありのままなのでどうぞ取材してくださいと、取材を許可されたが、校長先生が用事で外出し、教頭先生に変わったら、もう一切、ここで取材シャットアウトとされ、授業以外は取材しないでくださいとされた。教頭先生は、ちょっと荒れているような現場は見せたくないという思いだっただろうが、トップの見解によって正反対の対応をされ困ったこともあった」

これに対し、委員からは次のような意見が出されました。

(榊原委員長)
「貧困の問題とか、荒れている学校の問題など社会的に知ってもらうことは重要だ、という目的で取材されたと思うが、それを放送することによって、いろいろな批判が来たりするということで、オンエアを控えたこともあると思う。しかし、これをやってはいけないというのではなく、ある意味でファジーな部分については、勇気をもって出していただきたい。そこに寄せられた意見については検討すればよい。例えば、BPOにたくさん意見が寄せられた場合には、それに対して、どういう意図で作ったことであって、その批判が当たるか当たらないか判断することになるが、中立的な立場からサポートできることもあると思う。それがBPO青少年委員会の一つの役目である。子ども食堂は、貧困の子どもが行くところというイメージが強くなっているが、現実には違う。子どもに団らんの場を作ろうということで、貧困だけでなく、うちで食事ができない子どもがいるために、全国に子ども食堂という運動が広がっている。それを取材することは社会的に非常に意味がある。様々な批判もあると思うが、それに対しては、きっちりと子ども食堂は決して貧困の子どもだけを対象にしたものでないことを説明してほしい」

(吉永委員)
「取材をするべきと判断したテーマがあり、取材を進めたことによって知りえた真実があった時に、それがいろいろなところに配慮しなければならないということで、その真実を放送できないというのは、ものすごく厳しい現実だと思う。それは、テレビでは映像をつけなければならないから、どうしても難しくなる。映像が使えないということであきらめてしまうという部分があるのではないか。それを何か違う形でクリアすることはできないのか。さらに、ネット社会など、この時の流れの中で、かつてはできたけれども、今はできなくなったこともあるのではないか。また、いろいろなところで文句を言う層が膨れ上がっていることにより、現実的な判断として、これをやると後で面倒くさいことになるからやめておこうということはないのか。また放送局内で、現場と上層部とのやりとりにより、本来放送されるべき、取材で見えた真実が葬り去られることが、時代とともに増えているという印象を持っているのか知りたい」

これに対して、出席者からは次のような意見が出されました。

(放送局)
「小学校の朝食支援の取材では、キーとなる貧困家庭があった。取り組みとして、そのエピソードを伝えたかったが、校長先生も、これを言ったらどうしても特定されてしまうという思いがあり、十分に伝えきれず、残念な思いがあった。私は、映像で表現できないときの代替としては、できるだけインタビューで引き出すように工夫している。インタビューが多くなると見づらくなるとは思うが…」

(放送局)
「この春に廃校になる小学校があり、そこの子どもに生中継で出てもらったが、学校の中に一人だけ親御さんが許可しないで出られなかった子どもがいた。その子は先に帰ったが、そういうことが起こると、その子も多分傷ついているだろうと思うし、学校の中に変な空気が起こるのではないかと、心配になることもある」

これについて、委員からは次のような意見が出されました。

(菅原委員)
「学校現場も、報道に対してどうするかということを考えていく必要があると思う。教育委員会、学校、文科省と皆さんが交流して工夫していくことが必要だと感じた。原則はオプトアウト方式にならざるを得ないと思う。保護者の許可がいるので、うちは映さないでくださいという親がいたら、その子は映さないようにしなくてはいけないが、あらかじめわかっていれば、子どもたちを傷つけないように工夫ができるかもしれないので、学校の先生方にもこの問題は考えてほしい。また、子どもたちの立場からすると、テレビに出ることは傷つくだけではなく、すごく成長のチャンスになるし、うれしいことでもあるだろう。委縮し過ぎて、子どもたちの成長の場が失われているのは残念だと思う。それともう一つ、貧困や虐待の問題では、ケースが出てくると力がある。実際のケースが出てくることにより、社会的な関心が大きくなり、物事が進んでいくので、報道することを諦めないでほしい。どういう形ならケースを紹介できるのか、教育界ともメディア界とも話し合いながら、ゼロにならない工夫が必要だと思う。なかなか悩ましいところだが、子どもがテレビから姿がなくなるということは、ますます子どもにとって不利な状況になることは確かだと思う」

また、委員から次のような質問も出されました。

(榊原委員長)
「後半のテーマに関連するが、皆さんが作られた防災に関する番組のDVDを視聴させてもらったが、中学生や高校生が出ていた。今は、取材するときに、本人はもちろんだと思うが、学校や保護者の方の許可を全部取ってやるという時代になっているのか」

これに対して、参加者からは、次のような答えがありました。

(放送局)
「毎月1回のペースで、子どもたちの防災活動の番組を制作しているが、これまでトラブル等は、一回もない。防災というテーマだからこそなのかもしれないが、事前に映してはいけない生徒、児童の方いますかと学校側に問い合わせて、まず確認していただいて、ありませんということで、あとはフリーに取材している。こちらから直接、保護者に連絡したことは、一回もない。学校側に聞くと、年度が変わったときに、保護者にテレビの撮影等あった場合に、露出しても構わないか打診しているという。防災に関しては子どもたちの地道な活動を紹介してもらえるということで、学校側も積極的に協力してくれる。逆に制作するときに気をつけているのは、全員の子どもが映るようにということを意識している」

また、委員からは、次のような意見が出されました。

(吉永委員)
「やはり、不幸な事件、事故があったときにテレビクルーがどういうふうな形で子どもたちに話を聞くのか、というところで大きな問題になることがある。友だちが亡くなってしまったような事件・事故では、取材に応じた子どもが後で学校でいじめにあったり、批判されたりという事例はあるのだろうか。事件・事故が起きたというだけで、子どもたちにとっては非日常である。そういうときに、自分が思っていることをちゃんと表現できない子どもが多いと思う。おそらく、子どもはその対応をしてしまったことが、あとで自分の中で何であんなことを言っちゃたんだろうと考える子もいるのではないか。そのことに関して、あとで何か問題が浮上したか、クレームが来たか、テレビ局が後で何か問題はありませんでしたかというようなフォローがあるのかないのか、そこが子どもを持つ親の立場からすると気になるところである。視聴者がテレビ局の取材に対して距離感を生む一番大きな原因はそこにあるのではないか。最初から、『メディアの取材お断り』みたいな張り紙を出されるのは、いい関係ではないので、もし、その辺の実感があったら教えてもらいたい」

これについて、出席者からは、次のような発言がありました。

(放送局)
「去年、高知ではプールで溺れて意識不明になったり、通学路で交通事故に遭い亡くなったりという事例があり取材したが、やはり、学校の壁は非常に厚く、保護者が許可しないので学校は撮らないでほしい、普通の登校風景も撮らないでほしい、さらに事故に絡めて報道するのはやめてほしいと、かなり簡単な映像取材でもつまずいてしまった。映像がないと何も言えないところも、一般視聴者から見ると、なぜそんなところを撮るのということで、事件・事故があると何も撮れないことがある」

(放送局)
「事件・事故の際、全国ニュースでは顔を切って、声を変えて同級生に話を聞くという映像を見ることがあるが、高知のローカルでは、よほどの事案でなければ、同級生や未成年にマイクを向けることは控えるようにしている。学校内で傷害事件、暴行事件が多かった時期があり、生徒が先生に暴力をふるったという事件の取材をする際、その生徒の人となりを聞くのではなく、学校としてどう対応していくかを取材したくて、教育委員会に学校名を聞くのだが、学校が特定できないような撮り方をするということで、10年ほど前は、教育委員会の方も趣旨を理解してくれたが、ここ数年は、もう一貫、全部NGというケースが増えている」

これについて委員からは、次のような発言がありました。

(榊原委員長)
「未成年であるからということによって、放送、テレビに子どもの生の声が表に出ない形になっていると感じる。結果的に、なにか子どもの意見をスクリーニングされた意見しか国民に知らされない。災害などの取材で、子どもとしてそういうことを感じると発言したという意味もあると思うが、その子に聞くのは酷だという意見が来る。保護者、学校の許可ということを考えていくと、放送にだんだん子ども自身の生の声が出せなくなってくるという事態があると感じた」

(中橋委員)
「テレビの制作現場にいる人は、すごくメディアリテラシーが高いが、一般的に取材を受ける側はそれほど高くはない。そのギャップをいかに埋めていくかが大事である。そのためには信頼関係を作ることが重要である。これは何のための取材なのかということをしっかりとコミュニケーションをとって理解してもらうことが重要だと思う。先ほどの校長先生はオーケーで、教頭先生はだめというのは、教頭先生はよく趣旨を理解していなくて、できるだけやめてほしい、安全なところで切り抜けたいというところがあったと思う。そこもやはりコミュニケーションを深めていって、この取材が社会に出なかったとしたら、社会は悪くなっていきますよということを理解してもらうことが必要だと思う。取材を受ける側がもう少し理解を深めていくには、日常的にコミュニケーションをとって、メディアはなぜ存在しているのか、この取材は何のためにやるのかということを一緒に考えていける場が必要だと思う」

<防災番組への取り組みについて>

第2部のテーマは、主に南海トラフ地震を見据えた「防災番組」の取り組みについてでした。事前に、各局が制作した以下の番組を参加者が視聴・聴取したうえで意見交換しました。

  • NHK高知
    • ・『四国らしんばん 南海トラフ巨大地震から命を守る~平成の記憶を新時代へ~』(2019年3月8日放送)
    • ・『西日本豪雨の教訓』(2018年9月5日放送)
    • ・『防災いちばん』(ビデオクリップ)
  • 高知放送
    • ・『eye+スーパー 学ぼうさい~黒磯町佐賀中学校の取り組み~』(2017年7月26日放送)
    • ・ RKCラジオ『地震防災メモ』
  • テレビ高知
    • ・『この海と生きる~世界津波の日 高校生サミット~』(2016年12月24日放送)
  • エフエム高知
    • ・『高知県防災力向上委員会 広がれ!防災の輪』

まず、委員から番組を視聴した感想を聞きました。

(稲増委員)
「全国放送ということで考えると、例えば関東大震災があった日とか、何か特別なときに関連する番組を一斉に大々的に放送するが、あとはほったらかしというのが今の状況ではないかと思う。本当に徹底的に、特に『学ぼうさい』というコーナーを毎月放送するのは、信じられないほどである。ネタは枯渇するだろうし、視聴率的にも苦戦するだろうと思う。しかし、あのコーナーをやり続けることはすごく意味のあることだと思う。高齢者の方が中学生に避難タワーに案内してもらい、感激しているところは、制作している側からすると別にどうということのない日常の風景だと思うが、我々の立場から見ると、これを継続的に放送し続けているのは、ものすごい努力だと思う」

(大平委員)
「同じことをずっとやっているとマンネリになって、話がつまらなくなると思うが、『世界津波の日 高校生サミット』の番組は、女子高校生2人を取り上げているようで、実は防災もやっているような感じで長続きするにはとてもいいのではないかと思った。終戦のこともだんだん風化して、ニュースがなくなっているが、なにかドキュメンタリーやドラマの背景に終戦、あるいは戦争の悲惨さがあるということを繰り返しやっているというのが、長続きできる理由ではないだろうか」

(菅原委員)
「大変勉強になった。とても中学生が頼もしく見えた。発達心理学の領域では、思春期の子どもたちは、こういう大きなイベントがあったときに、社会から頼りにされると、すごく伸びるという有名な研究結果がある。そういう意味であの子どもたちの将来が楽しみだと思った。一つのアイデアだが、今、AIを使った補助具なども発達しているので、未来的なAIを使った防災のあり方も特集されるといいなと思った」

(緑川副委員長)
「私が住んでいる地域は、東日本大震災の時に液状化して報道もされた。数カ月は非常に大変な状態を経験し、マンションで防災委員会が立ち上がるなどの取り組みをしているが、活動の広がりにつながらない面がある。時間が経過するにつれて、興味が薄れてくると思っていた。今回、皆さんが作った番組で、地域の小学生、中学生、高校生がこういう取り組みをされていることは、周りの大人たちも問題意識を持ち続けているからだと思う。それを地域のテレビ局、ラジオ局が取り上げることで、さらに地域全体の認知につながるという点で、大変良い取り組みだと思った」

(榊原委員長)
「一つは、子どもたちが主体的に、防災にかかわることをする意味である。南海トラフ地震は今すぐ起こるかもしれないし、何十年先かもしれない。その場合、次の世代に経験を伝えていくことが非常に重要だと思う。逆説的だが、マンネリズムと言われるくらいの方がむしろ何度も耳に残り、身に付くだろう。もう一つは、ラジオ番組という点である。テレビと違って、耳で聞くと言葉は残る。テレビは、映像があるため、言ったことは案外聞いてなくて、映像を見てしまう。ラジオでの、地震が来たときに、大事なことはこれとこれとこれ。津波で避難するときは、絶対に戻らないとか、私の耳に残っている。あれを何度も繰り返すことで、地域に住んでいる人に、そうだ、戻っちゃいけないんだという形が残る。そこにこのラジオ放送の意味があると思う」

(中橋委員)
「私も、当たり前のように継続されていることが素晴らしいと思った。マンネリになってしまうところを、いかにいろいろな取材対象を変え、テーマの切り口を変えて番組を生み出していくかが興味深いところだと思った。ラジオ番組については、普段、ラジオを聴いているとなかなか子どもの声は出て来ないが、急に、すごく小さな子どもの声が標語を言ってくれると、耳に響くし、記憶に残る。そこが秀逸だと思った。また、ちょっと驚いたのは、防災士が語るというコンセプトがおもしろいということだ。言葉だけが耳に入ってくることで、頭の中で、言葉で理解して、言葉で記憶しておく。それが、いざというときに行動につながっていく。これまであまり、ラジオの防災番組は聞いたことがなかったが、今回初めて聞いて、なるほど意味のあることだなと感じた」

(吉永委員)
「やはり、南海トラフ地震で34メートルの津波が来るという、具体的な数字とイメージが、防災の意識、防災の行動を充実させているという気がする。番組の中で、中学生が高齢者の手を取って避難の誘導をしていたが、ああいう姿はなかなか実現できないものかもしれない。しかし、中学生がおれたちが頼りなんだという意識を持つ、小さいうちから地域を自分で守るということは、災害という大きなものに備えるということで、ものすごい教育、人間の力をつけているなという印象を持った。やはり、これだけの放送があるということは、高知の人の防災意識は相当高いと思った」

委員の感想に対し、出席者からは次のような意見が出されました。

(放送局)
「弊社には現在、20人の防災士がいる。石を投げれば防災士に当たるくらいに、アナウンサーもどんどん資格を取るように、毎年、試験にチャレンジしている。ラジオで月曜から金曜日毎日放送していて、ネタ切れにならないかという指摘もあるが、マンネリを恐れないことにしている。いわば、素人のおじさんが防災士の資格を取って、『一番大事なのは一旦逃げたら戻らないことです』と話すと切実に聞こえる、という効果もあるかもしれない。私たち社員にしても、こうしてラジオで啓発してしゃべることは、自分のスキルを磨くことにもつながるので、これは続けていきたい。発災のときのラジオの力を私たちも訓練していて、重要なことは重々承知しているが、まずは、防災の部分に力を入れて、発災のときにどう動けるか、被害を受けてしまった場合には、皆さんの癒しの力、メッセージや音楽を届けながら復興の力にならなければいけない。ラジオの役割をそう感じている」

(放送局)
「『学ぼうさい』というコーナーは今、4年目になる。それまで普段のニュース番組の中では、大きなニュースバリューのある防災活動でないと紹介できなかったが、そこまでいかなくても、地道に日常的にやっているものを紹介できないか、と思ったことがきっかけであった。そして、やりたかったのは、大人の防災活動ではなく、子どもたちの防災活動だった。大人たちが一生懸命防災活動をしていると、この人たちは特別ではないか、自分とは違うと見てしまいがちだが、子どもたちだったら、頑張っているねという視点で見てもらえると思ったからだ。やってみて感じるのは、子どもたちが災害、防災とすごく真摯に、前向きに向き合っていることだ。取材では、打ち合わせはほとんどないが、こちらが想像以上に真剣に地域を守るんだということを、大人から言われた言葉ではなく、自分の言葉でしゃべってくれていることを感じ、自分の小学生の時と全然違うことを痛感し、頼もしく思っている」

(放送局)
「やはり、継続してやる、シリーズでやることは、すごく意味があると思う。防災ということが特別なものであってはいけない、日常の中になければならないと思う。
拝見した『学ぼうさい』の中で、印象的だったのは、おばあさんが避難タワーに到達したときに、『あっ、私も生きられるんや』という一言はすごく大きいなと感じた。高知の沿岸部に住んでいるお年寄りは、『もう地震が来たら死ぬだけや』と諦めている人が多いが、そういった人たちの意識を変えられる子どもたちの力はすごく大きいと感じた」

次にコンテンツの維持など、防災番組を継続可能なものにするための秘訣について参加者に聞きました。

(放送局)
「何とかここまでたどりついたというのが正直なところで、これから先、どうなるかは本当にやってみないとわからない。避難訓練などはメニュー的には同じものになってしまうが、救われるのは、子どもたちが変わると、違う子どもたちが頑張っている映像になるので、ある程度見てもらえるのではないか。防災と同時に、頑張っている子どもというのもテーマとしてやっているので、バランスを取りながら、苦慮しつつ続けていきたい」

(放送局)
「ネタの枯渇という点では、私たちのラジオ番組は、昨年10月にスタートしたが、秋口は小学校の防災の取り組み、防災フェアなどが多く、順調に進んでいたが、ここへきてネタに苦労している。また、ラジオは発災の際に力を発揮しなくて何のメディアだと考えている。しかし、ローカル局で非常に人数が少ない中、どうやって情報をつかんでいくか、人を動かしていくかということで、他の放送局に、局の垣根を越えて我々の動きが足りない部分を助けてくださいという相談をして、いざというときに情報をいただく態勢をとっている」

<放送関係者のための『発達障害』基礎知識>

出席者の中から、「発達障害についての番組を制作したことがあり、ある程度、分かったつもりだが、いろいろな事件報道の際など、メディアでの扱いについて疑問に思うこともある。改めて、取材の際にどんなことを気をつければいいのか知りたい」というリクエストが出され、小児科医であり、発達障害が専門の榊原洋一委員長が発達障害の基礎知識について説明しました。そのポイントは、以下の通りです。

(榊原委員長)

  • *言葉として発達障害とよく使われるが、一番多い誤解は、発達障害があたかも一つの障害名、診断名のように扱われていることである。発達障害は複数の障害を含んだ総称である。
  • *発達障害の理解が困難な理由は、発達障害の診断について、はっきりした症状や検査所見があるわけではなく、行動の特徴から判断するしかないことがあげられる。
  • *発達障害を構成する障害は、注意欠陥多動性障害(ADHD)、自閉症スペクトラム、学習障害であるが、この3つの特徴は、皆違う。
  • *発達障害は生まれつきのものであり、成育環境、育てられ方、何かつらい思いをしたトラウマなどからなるものではない。
  • *発達障害の3つの障害は、併存が多い。一人の中で2つ、ときには3つともの症状がある場合がある。
  • *家庭、地域、学校といった集団場面での困難が顕著になる。つまり、どこでもその行動の特徴が見られるために、社会的な大きな課題となる。
  • *発達障害の啓発番組を作る場合、発達障害という一つの言葉で説明しようとすると無理があると思う。ある番組の中で、「発達障害のときはこういう特徴があって、こういう対応をしたらいい」と言っていたが、それは困る。やはり、その3つが合併している人がいるとは言いながら、注意欠陥多動性障害の場合、自閉症スペクトラムの場合、あるいは学習障害の場合と、分けて啓発してほしい。

この後、事務局から、最近、事件報道などでの発達障害の扱いについてBPOに寄せられた視聴者意見も紹介されましたが、これらを受けて、榊原委員長より次のような発言がありました。

「犯罪を犯す人の大部分は、発達障害ではないことを、覚えておいてほしい。犯罪を犯す人の中に発達障害の可能性が特に高いというデータはない。
例えば、殺人を犯すということは、確かに常軌を逸しているが、その人が発達障害のない、精神的に普通の人が犯罪を犯していることは考えなくてはいけない。殺人を犯した理由が、小さい時からいじめられたことが、そういうことにつながったのかもしれない、何か職場で嫌なことがあったためかもしれないなど、いろいろあると思うが、そのような心理的な働きは、発達障害とは関係ない、ということを頭に入れてほしい。したがって、こういう犯罪などで発達障害の言葉を使うのは、やはり避けたほうがいいと思う。その因果関係を確証するのは、本当に難しい。発達障害というと何かそれで説明できてしまうんじゃないかという心理が、報道する人の中にはあるのではないだろうか」

以上のような、活発な議論が行われ、3時間半にわたる意見交換会は終了しました。

以上

2019年2月23日

学校の先生方との意見交換会の概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、2月23日、14時から17時、東京で学校の先生方と青少年委員会委員との意見交換会を開催しました。このような形の意見交換会は昨年に引き続いて2回目の開催となりました。
BPOからは、 榊原洋一 青少年委員会委員長、緑川由香 副委員長、菅原ますみ 委員、中橋雄 委員、吉永みち子 委員が参加しました。先生方は、東京、神奈川、茨城、岐阜、京都、沖縄の小学校、中学校、特別支援学校の先生11人が参加しました。

<榊原委員長冒頭の挨拶>

開会に先立ち、榊原委員長から、次のような挨拶がありました。
「青少年委員会では、中高生の方30人ほどにモニターになっていただいて、最近のテレビ、ラジオ等についてご意見を伺っている。視聴者からの意見は、どちらかというとクレームが多いが、中高生モニターの方は、批判もあるが、番組を一生懸命見て、どう感じたかを書いてくれる。中高生は、一人一人個人差はあるが、メディアを通じてさまざまなことを感じていることがよくわかる。皆さんは、小学生、中学生の教育に携わっていらっしゃるので、メディアが子どもたちの発達、あるいは、その人の人生に与える影響について、よくご存じだと思う。今日は、皆さんから私たちBPOに対してどのような希望があるのか、お子さんの教育に携わる立場から、放送の内容について、こういうところを変えてほしい、こういうのを作ってほしいという、忌憚のないご意見を伺わせていただければ幸いです。私たちも学びまして、今後のBPO活動に生かしていきたいと思います」

<第1部「今のテレビについて思うこと」>

第1部は、今のテレビについて、教師の立場から、子どもたちにこんな番組は見てほしくない、というテーマで意見交換しました。ジャンル別に、まず、何かと批判の多い、「バラエティー番組」「アニメ」「ドラマ」など娯楽系の番組について議論しました。出席した先生方からは次のような意見が出されました。

「最近のバラエティー番組を見ていると、人をいじめて、それを笑いものにしているような番組が増えた気がする。熱々のおでんを口に入れたり、先日もネットに、コンビニのおでんを口に入れて、それを吐き出すという動画がのった。子どもに真似をしてほしくない、モラルのない番組が増えているのではないか。おもしろい話をして、それがおもしろくて笑ってしまう番組というよりも、誰かをネタにしていじったり、ちょっかいをかけて、その人が驚いたりしているのを見て笑いものにしているものが多いように感じる。できれば、そういうのは避けてほしい。テレビの真似は、中学3年生になってもする子はする」

「この前、あるお笑い芸人さんが、番組の中でしているいじりはお互いを尊敬しあっているいじりで、芸人はそれで食べているから、という話をしていた。しかし、子どもは、テレビで芸人さんがお仕事としてやっているいじりと、自分が普段教室でしているいじりが同じか違うか判断できないだろうと思う。ひな壇芸人が出てきてからバラエティーは変わったと思う。後ろの段の人は目立とうと思ったら、おもしろいことを言わんとあかんと、盛った話をする。人の興味を引くことをしなければ目立てないという価値観は、子どもの中にもあり、ついふざけたことをし過ぎる。子どもは毎日テレビでそれをうのみにしているから、これっておかしいんじゃないかと思わなくなっているのではないか。最近、小学4年生の道徳の授業で、『いじり』と『いじめ』について扱ったが、子どもたちは『えっ、何でいじりがあかんの』と言っていた。いじられて輝くタイプの子どももいるが、そうでない子もいるから、そこの違いは考えていかなければならないと思う」

これに対して、委員からは次のような意見が出されました。

(吉永委員)「『いじめ』と『いじり』の話が出たが、関西と関東の違いはないのかなという気もしている。私は、ずっと関東圏で育っているので、言葉のやり取りが、遊びのない感じの言葉使いになる。しかし、関西だと子どもでも、ほとんどボケとツッコミで会話をしているところがある。ああいう言葉のやり取りの中の遊びの部分があるエリアとないエリアでは、結構、言葉の扱いが違うのかな、と気になった。
また、私が子どものころは、テレビの裏側を知らなかった時代だった。しかし、ある年代から裏側をテレビが映すようになり、子どもたちがテレビでやっていることに対して『どうせ出来レースじゃないの』とか『これはうけを狙ってやっているんだよ』とか、妙にリテラシーというか冷めた見方をしているようにも思われる。そうではなく、子どもたちはテレビでやっていることを結構、素直に受け取ってしまうのか、私は、普段子どもに接していないので、あまり見えてこない。例えば、いつも大人の意見は、子どもが真似をするのではないか、というのがすごく多いが、実際、子どもはそんなに真似をしているのか。こちらの大人の意見で心配している子供像と、もっとしたたかな子供像があるのかどうか。私は、今の子どもたちにとって、テレビは私たちの時代とは、随分違っているのではないかと思っている」

(緑川副委員長)「今のバラエティーは、誰かの尊厳を陥れるような、『いじり』を超えた『いじめ』にも受け取られてしまうような過激なことをしなければ、笑いがとれないようになってきているのか。仕事としてやっている芸人のいじりと、子どものいじり、それが尊厳を傷つけるようないじめになってしまっているかどうか、子どもにはそこの区別がつかなくなってしまって、一歩行き過ぎたことになることがあるのではないか。そのあたりは、制作者側も、子どもが見たときにどう思うかと考えつつ制作するべきだと思う。また、子どもを教育している先生方も保護者も、そこの違いをうまく子どもがわかるように教えていけるといいと思う」

これに対して、先生方からは、次のような意見が出されました。

「私は、関西で高校まで過ごしたが、友達の中で目立たない子や輪に入りにくいような子をちょっといじってあげて仲間に入れてあげることが日常的にあった。そこには、友達に対する愛情や仲間意識があり、それは決していじめにつながるようなことではなかったし、クラスにこんなやつがいて、こんなおもしろいところがあるんだということが自然にできていた、というのが関西の文化だったと思う。
今、社会構造が大きく変わっていて、バラエティーにしても、ドラマにしても、どの世代をターゲットにしているのかが非常にわかりづらい。子どもが見ているものなのか、大人相手に作っているものなのか。放送時間にしても遅い時間でも、今、子どもたちは普通にビデオに撮って、ボタン一つで見られる。昔だったら、この時間からあとは大人の時間とか、8時は子どもの時間とかあったが、今は曖昧になってきている。逆に家族で見られるという良さもあるが、この番組は子どもにとって適切なのかどうかを全部こっち任せにするのではなく、作っている方もそこは意識してもらいたい。この番組は何歳以上ですというテロップが出るとか、録画するときに何歳以上ですという登録が必要といった仕組みとして制限がかかると、そのあたりはクリアになると思う」

また、委員からは次のような意見も出されました。

(榊原委員長)「関西と関東の違いという話があったが、私も、そのように感じている。関西の言葉は、ソフトで、相手が傷つかないような間にクッションがある。『ぼけ』と言われても、別にすごくは傷つかない。一方、関東の場合は、『ばか者』というと本当に傷つくようなところがある。バラエティー番組でいうと、お笑い芸人は、関西の文化で来て、関西の文化の中でいじりの言葉を使っている。しかし、私のように、関東に生まれた人にとっては、ある程度裏を知っているし、これはもちろん芸としてやっていると思いながらも、先輩の芸人が下の芸人をいじったりするのにかなりの違和感を覚えている」

次に、娯楽系番組以外の「ニュース」「報道番組」「情報番組」「ドキュメンタリー番組」などについて、子どもたちのためにこんな番組は見てほしくない、こんな報道の仕方はやめてほしい、という点で意見交換をしました。まず、先生方からは、次のような意見が出されました。

「新聞にしても、テレビにしても、情報を発信する側が意図を持って出しているということは気付いてほしい。特に、沖縄の報道だと何寄りだ、と言われたり、全国のほうでは何寄りだ、といろいろな意見はあるにせよ、それは出す側の意見があるということを気づいてくれたらいいと思う。それを子どもたちには常に意識させてはいるが、テレビでわかりやすいテロップやらスライドやらが出てきたら、そちらの方の意見に寄ってしまうのかなと思う」

「先日、水泳の池江選手が病気で入院したことを報道する際、一部のニュースでは大臣の発言の一部を切り取り、趣旨が違えて伝えられた。だれだれがこう発言していましたというニュースは、切り取ったものだということを知らない子どもが見たら、あのまま受け取る。ニュースや情報番組を伝える制作者は、今やターゲット層がない状況で流されるわけなので、その点をちゃんと配慮して流してほしい」

「私も一面を切り取った報道にはすごく疑問を感じている。政治家や芸能人の発言の一面を切り取って、そこを大きくして、言い方は悪いが、悪者に仕立て上げた上で、みんなで批判を浴びせるというような報道の仕方はどうかな、と思う。それは、子どもにも正しい判断力やメディア・リテラシーを培う上でよくないのではないかと思う。去年の日大のアメフトの問題でも、かなり監督が悪者に仕立て上げられた。確かに指示したことは悪いことだと思うが、それを受け取った大学生の判断力はどうだったのだろう。大学生が悲劇のヒーローのような報道の仕方は、すごく一面的で、事件というものはもっと立体的なものなのに、ある一面からだけの光で報道する姿勢は視聴率を取るためのテクニックかもしれないが、いろいろな側面から浮かび上がらせて、視聴者に判断を促していくほうが、テレビのあるべき姿だと思う」

「私は、中学校の3年間、子どものキャスターとしてテレビ番組をつくる側に携わっていた。そのとき、いつも言われていたことは、見ている人がどんなふうに感じるか考えて発言しなさいということだった。番組を作っているディレクターは、その番組を会議にかけ、目的とか狙いがあって、『よし、それを流す』ということに持って行っているので、一概に、一方的に報道するのが悪いとは、私はあまり感じない。何かみんなに伝えたい思いがあるから番組を制作されていると思う。ただ、今、教員として感じるのは、子どもたちはそれを判断する力がないので、情報の裏には何があるかとか、こういうふうに考える人もいるけれど、こういうこともあるよねと家庭で話したり、学校でも受け取り方とか切り取り方というのを授業の中でどう扱っていくのか、考えていかなければならないと思う。保護者の方にも何か相談された時には、一概にそれは見せないほうがいいというのではなく、一緒に見て考えたら、情報の取捨選択ができるんじゃないですかという形で答えている。私たちも見せる、見せないとかではなく、どう受け取っていくかということを考えていかなければならない、と常日頃感じている」

これに対して、委員からは次のような意見が出されました。

(中橋委員)「今の議論は非常に重要なことで、以前はメディアが一面的な取り上げ方をしていて、しかし、それはそうせざるを得ないものだという認識はなかった。要するに一面的な切り取り方になるのはメディアとしては仕方がないことだと思う。伝えたいことを伝えるためには、取捨選択をして、わかりやすく、そして魅力的に伝えることを使命としているし、それができなければ見てもらえないし、責任を果たしていることにならない。しかし、そのバランスが崩れてしまう時に問題が生じる。その時は、お互いに、送り手と受け手の間で対話が必要になると思う。それは、受け取っている側が『これはやり過ぎじゃないか』と声を上げたり、送り手側も『受け止める側がこれは誤解することはないかな』ということを常に考えることである。また、メディアの取り上げ方に関しても、人によって受け止め方が違う。そこのリテラシーの違いを認識したうえで議論を深めていくことが重要だと思う」

(菅原委員)「メディア・リテラシーということに関して言えば、反面教師的にネットというものが出てきて、情報の確からしさということについては、日本国民はちょっと進歩してきていると思う。受け手にはすごく多様性があり、その一つに年齢軸がある。受け手の年齢、発達段階、立場、生理的心情、さまざまな障害を抱えているかどうか、貧困かどうかなど、ダイバーシティーのある受け手に対して、この情報はどのように届くのかシミュレーションした丁寧な番組作りが、テレビには求められていると思う。もう一点、私が感じているのは、バラエティーの比重が大きすぎ、大事なニュースや報道が圧迫されている感じがすることだ。もっと丁寧に伝えるべきだと思う。夜のニュース番組を見ていても、何か突っ込みがすごく浅い。『えっ、もう次いっちゃうの』みたいな感じで、どうしてそのキャスターがそう言えるのか、その論拠や資料をもっと丁寧に示してほしい。いろいろなことは単純にすぐに結論にいくはずはなく、そのプロセスを見せてくれていない気がする。ただ、子どもたちはバラエティーはすごく見ているので、情報バラエティーという形で、何か考えるプロセスを取り入れるという発想もあるのかもしれない」

(榊原委員長)「子どもたちにリテラシーをつけるときに、発信元が一定の意図を持って出しているものを是とするのか、否とするのか。そういう意図が入らない漂白したものを見て、本当にリテラシーが育つのかという視点もあると思う。つまり、同じことについて、立場が違うと、多少言うことが違うというのは、子どもたちが見ると、『あれっ、どれが本当かな』という考える力になるのではないか。極端な例だが、国によっては全部、国策放送しかなくて、チャンネルが1つしかなくて、情報もそれしかないとしたら、意図が違うも何もない。多分そういうところから、リテラシーは育っていかないだろう。あまり違うことを言うと、子どもは、もしかすると混乱するかもしれない。しかし、同時に、違いがあるということは、真実が見える見方があるということを学ぶことになる。そういう意味では、あまり統一されてもしまってもよくないのかなと思う」

(吉永委員)「最近、新聞とテレビがものすごく違ってきていると思う。新聞は、意図を持って、色を付けたものがどんどん出るようになっている。テレビは、その逆で、なるべく意図を持たないようにするという流れになっている印象を受けている。伝えるべきことをきちっと意図を持って伝えるのではなく、なるべく意図がわからないようにする、意見も違う意見を同等に並べて、色を出さないようにするというのが今のテレビである。昔は、大きな事件があった時に、小学生でもみんなでしゃべっていた。家で親に、『これ、どういうことやねん』と聞くと、親は自分の考えを話す。また子どもが学校に行くと、違う考えを聞く。それが自然と、メディアばかりでなく、世の中のいろいろなリテラシーを育てていた。私が、今、すごく心配しているのは、学校でそういう時間があるのかな、ということだ。リテラシーの時間でお教えしますということでなく、放課後でも先生と子どもたちが集まって、何気なく、しゃべりながら、みんなが『あっ、そういうことか』と、自分で気が付くという、ゆとりのある、自由な時間が学校にあるのかと思うと、なかなかないのではないか、家にもそういう時間がない。自然に『これ、うそやったんかい』と自分で気が付いたり、誰かとしゃべっているうちに、『自分の考えが違っているのかな』と自然に気が付く。それが一番、力が付く。リテラシーの力はそこから育まれると思う。今の子どもたちが置かれた環境が、テレビと子どもたちの関係を疎遠にしてしまったり、結構、振り回されているくせに、信用していないというちょっと不幸な状況を生んでいるのかなという感覚を持っている」

これに対し、先生方からは、次のような意見が出されました。

「さきほど、吉永委員がおっしゃっていた、子どもと話す時間があるのかということですが、自分は特別支援学級で、発達に課題を抱えている子どもと一日中、生活を共にしている状況にあるので、話す時間は結構ある。授業がちょっと早めに終わった時や給食を子どもの机で一緒に食べている時、『きのう、どんなテレビを見たの』とか『最近、気になる話題は何』と言って、子どもと交流している。また、朝の会ではニュースを取り上げ、最近は北海道の雪のニュースがすごかったので、知り合いの北海道の先生からフェイスブックで届いた写真を見せて、『今、北海道はこんなだよ。同じ日本でもこんな違いがあるんだね』ということを実感として考えられるのは、小学校のよさかなと思う。一方で、実は、情報を活用する能力は、子どもたちはすごく弱い。文科省が出している新しい学習指導要領では、問題を解決しましょうということ、言葉を正しく使いましょうということ、そして3本目の柱として情報を正しく活用できる子を育てましょうというのが新たに、取り入れられた。そうなると、これまで先生が個人的にやっていたことが、今度は、社会の授業で、ニュースを見て、みんなで読み解いてみようということができたり、国語で、いろいろな新聞を比べて、どういう違いがあるのか議論してみようという授業ができたりと、2020年度から、どんどん日本の学校で始まっていく。多分、メディアとのかかわりについても、これから読み解く力とか、自分でそれを主体的に活用していく力は、今後の日本の教育界の課題として、これからどんどん大きくなっていくし、期待できるところだと個人的には思っている」

<2017年度「青少年のメディア利用に関する調査」報告書について>

これまでの議論を受け、逆に、子どもたちは、今のテレビについてどのように思っているのか。2017年度にBPO青少年委員会が全国の中高生とその保護者を対象に行った調査の結果について担当した菅原委員が説明しました。そのポイントは、以下の通りです。

  • (1)中高生がよく見る番組のジャンル⇒バラエティーが圧倒的に多い(77.9%)が、アニメ(53.7%)、ドラマ(53.1%)、歌・音楽(43.9%)と続き、ニュース・報道(43.9%)、映画(40.8%)も4割以上が視聴している。

  • (2)中高生が積極的に見たい番組⇒"家族一緒に楽しめるような番組"を「ぜひ見たいと思う」・「見たいと思う」と回答した人は7割を超えて多く、男女・中高別でもほぼ同率であった。

  • (3)中高生はどんな番組を見たいか(自由回答)

    • 【楽しさ・共有】…「見ていて幸せになるドラマ」「老若男女だれでもが楽しめるテレビ番組」
    • 【お笑い・バラエティー】…「何も考えなくていい、ただただ笑える番組」「"笑育"が出来るような番組を見たい」「勉強や学校の息抜きになるようなおもしろい番組」
    • 【アニメ・まんが】…「昔のアニメの再放送」
    • 【情報・教育】…「子どもための質問コーナー」「中高生向けの学習番組」
    • 【ドキュメンタリー】…「部活の番組」
    • 【ニュース・情報】…「公正、公平、中立なニュース番組」「変な編集をしていない日本の政治事情や世界の情勢などについてのニュース」「情報収集はネットのほうが早いので、テレビでは面白い番組が見たい」
    • 【その他】…「時間をかけて作りこんだことが分かる面白い番組」「昔のようなエロくて、下品な番組」など番組に対する多様なニーズがあった。これらをすくい上げていく作業も、テレビと青少年の距離をもっと近いものにするために有効ではないだろうか。
  • (4)テレビに対する効用感⇒「テレビの話題で友だちと盛り上がることができる」(65.4%)、「テレビは家族の会話に役立っている」(59.4%)、「ストレス発散が発散されることがある」(52.1%)、「現実にはできない経験を味わえる」(51.2%)と続き、「毎日の生活が欠かせない情報が得られる」(48.2%)も4割を超えている。
    これを、テレビ視聴時間の調査結果とクロスさせると、テレビを見なかった人は、テレビの話題で友だちと盛り上がるとか、家族の会話に役立っているというコミュニケーションツールとしてテレビを使っている割合がかなり低いという特徴があった。

  • (5)社会の問題に関する情報収集源⇒国際・政治・社会問題などに関する情報を集める媒体として、「頻繁に」「時々」テレビを利用するのは48.3%で、他の媒体より多い(インターネット:40.8%、新聞:19.3%、ラジオ:8.2%)

  • (6)家族とのテレビ共有⇒テレビは「ほとんど」「たいてい」家族と一緒に見ている中高生は、60.6%。「半分くらい」以上では83.6%と高い割合を示した。ひとり視聴がメインの中高生は12.5%に留まっている。

  • (7)中高生の主観的幸福感と家族とのテレビ共有度との関連⇒家族とテレビを共有することの多い群のほうが主観的幸福感が高い傾向がある。テレビは思春期の親子のコミュニケーションを活性化する機能を持っている?

  • (8)放送に関する倫理観⇒「ニュース報道にあたっては、個人のプライバシーや自由を不当に侵したり、名誉を傷つけたりしないように十分注意するべきだ」(79.9%)、「青少年向けの教育番組は、社会人になるために役立つ知識や資料などを放送するべきだ」(53.1%)、「事実の報道であっても、むごたらしい場面の細かい表現は避けるべきだ」(51.0%)、「子どもが起きていない時間帯でも、青少年に十分配慮した番組を放送するべきだ」(36.9%)など子どもの時間と大人の時間の切り分けや教育番組への方向付け、報道の残虐性表現は意見が分かれている。

  • (9)バラエティー番組の"危うさ"に対する意見⇒「自分は不快に思わないが、不快に思う人もいるだろうと思うシーンがある」(57.4%)、「小学生が真似すると危ないと思うシーンがある」(56.4%)、「子どもが見たらいじめにつながると思うシーンがある」(38.3%)など、意見が割れているが、危うさを感じている層も少なくない。本人のパーソナリティーとの関連では、性格特徴(内向的で消極性が高い)、親の子どものテレビ視聴に対する制限的な関わりが強いこと、そしてメディア・リテラシー(メディア操作スキルとメディアに対する主体的な態度)が高いこと、の3つの要因が関係している。これらが強い子どものほうが危うさの認識が高いことが見えてきた。
    (「青少年のテレビ・ラジオに対する行動・意識の関連要因に関する横断的検討―青少年のメディア利用に関する調査―」より)

この調査結果について、先生方からは、次のような感想が出されました。

「この家族で一緒に楽しめるようなというのにちょっとひっかかっている。親子で一緒に見て意見を交わすような意味での一緒に楽しめるのではなく、簡単に言うと、親がお友達になっている。親子で一緒にお友達として、ばかげた番組を見て笑っているという意味が、この中には含まれていると思う。最近、いわゆる教養的な番組がすごく減ってきていると思う。テレビ欄を見て、バラエティーって面白そうじゃないなと思ったら、ケーブルで科学番組のチャンネルを見ているが、昔はそういうものが民放にもあった気がする。そういうものを親子で見ているのだったらいいのだが…」

<第2部「将来を担う子どもたちのために、これからのテレビに望むこと」>

子どもたちのテレビ離れとか言われているが、将来を担う子どもたちのためにこれからのテレビに望むこと、こういう番組を作ってほしいというテーマについて意見交換しました。

(1) ドラマ・アニメについて

ジャンル別に、まず、子どもたちの心に大きな感動を与え得るドラマ、アニメなどの「ストーリーもの」について。先生方からは、次のような意見が出されました。

「自分が子どもの頃、いわゆる子供向けの名作物、トムソーヤーとか赤毛のアンとかのアニメ版がたくさんテレビで放送されていた。親からは漫画ばかり見てと言われていたが、実際の内容は児童向けの文学番組が多かった気がする。そういうのがあるといいなと思う。最近の子どもは、これぐらい知っているかなという話を意外に知らなかったりする」

「『下町ロケット』は、おもしろいなと思って見ていた。あれは結構子どもも見ていた。一生懸命頑張る姿。今、ああいうのを茶化したりする世の中だが、一生懸命働いて、まじめに取り組んで努力して、というのを描いたドラマは、子どもが見ても、子どもなりに伝わるし、大人にも響く。ああいったドラマはもっといろいろ作ってほしい」

「私の学校では、子どもたちは本を読む機会が多く、読書の量も増えている。その反面、昔の古きよき物語を意外と知らない。最近の物語は良く知っているが、金太郎とか桃太郎とか昔の話は知らない。昔のよき日本を伝えるような番組があってもいいと思うし、残したいと思う」

「『君の名は。』というアニメがすごくヒットしたが、私は、あの中で、岐阜の生活を描いていたのが印象に残っている。アニメやドラマでは、どちらかというと首都圏にスポットが当てられがちだが、日本のいろいろなところ、昔、『北の国から』というドラマもあったが、いろいろな地域で、どんな生活があるかを子どもたちが知られるような機会を与えるものがあったらいいと思う。何かきっかけを通して実体験につながっていくような発展性があると、子どもたちの知的な部分での刺激になるだろう」

「やっぱり、学校物。世代で言えば金八先生世代だが、今見ると、今の学校現場には全然ふさわしくないようなことがいっぱい描かれていて、その時代、時代を写していたと思う。今、金八先生をやるとしたら、ユーチューブを見る子どもたちがどうしているかというようなことを描くのかなとは思うが、その時代の学校の現場を写す番組は、大人の私たちも見たいですし、子どもたちにもそれを見て、だから今の時代はこうしていかなければならないということを考えさせたい」

(2) ニュース・報道、情報、ドキュメンタリー番組について

次に、子どもたちに、情報、知識、考えさせる力を与えるニュース・報道番組、情報番組、ドキュメンタリーなどについて話し合いました。先生方からは、こんな意見が出されました。

「NHKのEテレで20年くらい前に作った番組で『みんな生きている』という学校教育番組があったが、その中に、人の死を扱った回があった。白血病で亡くなった5歳のお子さんを母親がずっと撮っていた。亡くなって数年してから、編集して番組になったのだが、教室で使った時も、子どもはみんな涙しながら見ていた。こういうものはすごく力もある。一生、本当にずっと心に残るドキュメンタリーが最近あまりないなという感じがしている。多分、制作者はそういうスキル、ノウハウは持っているはずなので、是非そういう番組を作ってほしい」

「私は教科が理科なのだが、理科が好きな子どもは、『ブループラネット』みたいな番組とか、ケーブルで『アニマルプラネット』『ナショナルジオグラフィック』などを見たりしている。もちろん、そういう番組ばかりではつまらないかもしれないが、週1回でも家族で見られる時間帯にそういう番組があるといいと思う。 わかりやすくおもしろさばかりが追及されていて、淡々と、事実が流されている番組が少ないように思う。たまに朝の情報番組を見ると、朝から芸能人の話はいいから、ニュースと天気予報と交通情報だけやってほしいと思ってしまう。『朝、ニュース見てきた人』と聞くと、結局子どもたちは芸能人の話とかになる。淡々と事実や教養的な内容を流す番組もほしいなと思う」

「『プロフェッショナル』という番組のように、人を追いかけ、裏側を見せるような番組がいいと思う。番組で何かを取り上げた時に見方が変わったという意見が出てくるので、そういった裏側を見せたり、道をきわめている人にスポットを当ててほしい。そういう人には結構いわゆる変人も多いが、それが、個性ってこういうことなんだなという感覚につながって、自分の伸ばした位置から真似してみたり、その人がどうやってその個性を乗り越えてきたかとか、会社でどうやってチームを組んで動いているかとか、そういう部分が見られたらちょっと自信がつく子どももいるのかな、と思う」

「自分は特別支援教育にかかわっているので、発達障害や障害を持っている方々がどのように社会に参加しているのかとか、小学校、子ども時分にどういうふうに学校と関わってきているのか、もっと広く世の中に知らしめてもらえるようなドキュメンタリー番組が、今、少しずつ出てきてはいるが、もっと広く認知されるとうれしい」

「障害なり、障害者を扱うことは非常に難しい。障害だとか、病気だとかに対しての偏見をできるだけ少なくする、そういう理解推進みたいなものは、あまり私情を交えない、淡々としたドキュメンタリーが一番いいと思う。見ていると、何でそこでそうやるの、と思うときがある。何か山を作らなければいけないと制作者は思うみたいだが、そこで感動の場面は別にいらないんじゃないか、もっと淡々とやってくれていいんじゃないかと感じることがある。そういうドキュメンタリーがあるといいなと思う」

「私は、今年度から特別支援学校にいるが、その症状、その行動などを目の当たりにすると、自分は理解したつもりでも、理解していないんだなと痛感した。最近、『セサミストリート』で新しく主人公が出てきた。その子は今までにはないタイプで発達障害の子どもだった。今までこうした子どもをいかにどうしていくか、ということにスポットが当てられてきたが、そういうことが起こり得るんだよとか、こういうことになっているんだよ、こういう子がいるんだよといった目で、世の中全体が、共生というか、お互いが理解しあっていけたらいいなという番組作りに、やっとシフトしてきたのかなと感じている」

これに対し、委員からは次のような意見が出されました。

(菅原委員)「今の『セサミストリート』の話に続けて、ジュリアちゃんという自閉症の子どもがニューヒロインで出てくるが、その子を登場させるにあたっては、専門家もかかわり、その声優には、ご自身自閉症のお子さんをもつお母さんを起用するなど用意周到の体制を作っている。障害や貧困などを取り扱う時は、すごくデリケートであり、正しく扱わないと、余計、偏見が拡大してしまう。少しお金も時間もかかるが、放送する際は、子供にも分かる形で、子どもたちのためというか、その子たちが大人になってダイバーシティーという点で、そういう人たちと共生していけるように、『セサミストリート』の事例に制作者は学びながら、いい子ども番組を作ってもらいたい」

(榊原委員長)「発達障害ばかりでなく、さまざまな障害を持つ人がいるので、これから共生社会を目指そうというときに、そういうことを知る場面として、テレビという媒体が使われるのは、非常にいいと思う。しかし、そういう番組は、今までのを見ても、必ずしもうまくいったとは思わない。何となく教条的というか、こういう人がいるんだよという感じだったが、今の『セサミストリート』のように、自然に入ってくるようにすると、抵抗なく見られるのではないか。実際、障害者の番組というとあまり見ていただけないが、みんなが自然に見られるような番組でそういうのが出てくるというのは非常にいい考えだと思う。現在でも、障害、発達障害に対する国民の十分な理解はできていないと思っているので、今のお話は非常に大事だなと思った」

また、報道、情報の伝え方について先生方からは、次のような意見が出されました。

「以前ある番組で、ある聾学校の生徒が取り上げられたことがあった。長い時間かけて撮影したようだが、放送されたものはすごく感動的な物語に仕上げられていた。その数年後、再び取材を申し込まれたが、その学校は断ったという。事実をゆがめられ、そんなきれいごとというか、感動的なものにすること自体、障害に対する差別なり、偏見なりではないかという気がする」

「今、児童相談所のことが、いろいろ報道されているが、私も立場上、児童相談所の人とかかわることが多い。児童相談所は、今、すごく忙しく、1人の職員が抱えている案件が非常に多く、自分たちもなかなかコンタクトが取れない状況に陥っている。一体的な部分を一面的にとらえるのではなく、それが今、どういう問題をはらんでいるかが、社会全体に伝わるような投げかけ方をしてもらえると、それをきっかけに、いろいろなことが改善されるチャンスだったんじゃないかと、悲しい事件ではあったが、そう思った。
もう1点、さきほど『セサミストリート』のジュリアちゃんという自閉症のキャラクターの話が出たが、今、日本中にそういう課題を抱えている子どもがたくさんいて、それぞれがいろいろなところで生活していることを投げかけていくことと、今後は、インクルーシブ教育、つまり、こういう子どもたちだけではなく、そういう子どもたちと一緒に生活している私たちはどうすればいいのか、助けるだけじゃなくて、一緒に生活していくために、どういう理解をしていけばいいのかという投げかけが、必要になってくると思う」

「水泳の池江璃花子さんが白血病と公表して、骨髄バンクに問い合わせが殺到したという報道を見て、私も、ある医療センターにいて、白血病や小児がんの子どもたちとかかわってきたが、白血病なり骨髄移植のことがきちんと理解されているのかなと思った。私の骨髄をどうか池江さんに使ってほしいみたいな…。しかし、実際、提供者自身も1週間ほど入院したりとか、登録している中で、お願いしますといったときに、断られる確率もかなり高かったり、その辺も報道やドキュメンタリー番組で事実をちゃんと流してほしいと思った」

(3) バラエティー番組について

次に、子どもたちが一番見ているジャンルであり、笑いや心のくつろぎを与える「バラエティー番組」について、こんな番組を作ってほしいという意見を聞きました。先生方からは、次のような発言がありました。

「この意見交換会に先立って、自分の学校で生徒たちにアンケートを取ってみたが、それを紹介したい。"何年か前、『楽しくなければテレビじゃないじゃ~ん!!』というスローガンの番組があって、それは個人的にはものすごく好きで、やはり自分のなかで『テレビ=バラエティー』というのがあって、それは情報を伝える『へーっ』というバラエティーではなく、心の底からげらげら笑える、楽しいバラエティーあってほしい。ネットに押されている今だからこそ、テレビのバラエティーはすごい力を秘めたものなのだから、もう一度、テレビが元気を取り戻す時代を待っています"私も今のテレビは、すごく元気がなくなっていると思うし、ネットのことばかり気にしている。ぜひとも。テレビが元気を持って、社会のことばかり気にせず、テレビ局はこういうことを伝えたいんだという時代がもう一回きてほしい」

「チコちゃんはおもしろいと思って見ている。バラエティーの場合、やり過ぎの部分もないわけではないが、視聴率を気にしてというよりも、作り手が本当に作りたい、おもしろいというようなものを求めたい」

「個人的には、『モニタリング』という番組がすごく好きです。あの番組はバラエティーの要素も含んでいるが、突き詰めると、この人すごく相手を心配しているとか、すごく仕事に誠実とか、何か真の姿が見えてくるような、最後には、いい余韻を残してくれる。考えさせてくれる、見方が変わったと思えるような番組がバラエティーでも増えてくれるといいなと思う」

「お笑い芸人に関する話になるが、最近、コントをつくっているような番組が少ないと思う。何か意図を持って練り込まれて、場を設定して、人と違う視点で会話が展開していく番組が少ない。芸能人やお笑い芸人のトップを取る人は、頭の回転、発想と視点が違うんだなということに気づきながら、親と子で会話ができたら子どもの考え方も変わると思う。内輪ネタでしゃべっていて、予定調和で笑っている風で終わるのではなく、練り込まれたものを見せたいと思う」

ここまでの意見を受けて、委員からは次のような発言がありました。

(緑川副委員長)「子どもたちに、こういう番組を見せたいというお考えの共通するところは、子どもたちに社会的な視野を広げさせたい、ということだろうと思った。物事は一面的ではなく、いろいろなことが世の中にあるが、子どもが知っていることはその一部でしかない。だから、いろいろなことを知った方がいいし、多面的な視点から自分の考えをまとめていった方がいいんだよ、と先生方が子どもたちに教えたいと考えていらっしゃることが根本的な考え方のスタートにあるのだろうと思いながらご意見をうかがっていた」

(中橋委員)「人は、学校に行かないと学べないわけではなく、生きていること、すなわち学びだ。その中でテレビが持つ役割は、大きな意味を占めているので、そのあり方については、学校現場の中でも常に考えていかなければならないと思う」

さらに、先生方からは、次のような発言がありました。

「個人的には、スピード感がすごくあると浅くなるような気がしている。バラエティー番組でも『その動画見たことある』とか、『別のチャンネルで見たことある』とか、そうなると作り手の作るスピードが速くなってきているんだろうと思うが、そうすると番組の中身が浅くなっている印象を受ける。
また、視聴率以外の指標をどうにか導いてほしい。テレビ番組は、制作陣が本気になったらすごいものを作る。視聴率以外にも、この番組はいいものだということを、どう伝えるか、しかも熱いうちに伝えるか、いろいろ方法を考えていくべきだと思う」

「『笑点』とか、『サザエさん』とか、『ちびまる子ちゃん』などの日本の文化に根差しているような、日本語を巧みに使って笑いをとるような番組は、この先もぜひ残してほしい」

「『ザ!鉄腕!DASH!!』は、子供と一緒にたのしみに見ているが、見ていて、不愉快になる場面が全然ない。農業や林業など普段の生活の中では見落とされがちなところにもスポットが当たっていたり、東京湾の生き物というところでは、実は身近な海にもこんな豊かな生態があるんだということを捉えている。本当は一つ一つを取り上げたら、すごく堅苦しい話題だが、それを子どもと親が一緒に楽しめるところまで、番組として作り込んでいるのは、バラエティー番組としてすごくありがたいと思う。
安易にバラエティーで、ひな壇に芸人さんを並べて、何か、昔の映像を流して、わいわいコメントを言ってという番組作りだけでなく、ちゃんと取材して、それを子どもたちが楽しみながら学べるにはどんなふうに投げかけていくのかという、もっと良質な番組を作ってもらえると学校でもどんどん取り上げていきたいと思う」

(4) 子どもたちにとってテレビとは

最後に、メディアの環境が大きく変わっていく中で、この先テレビは子どもたちにとってどういう存在であってほしいか、という大きなテーマを先生方に投げかけてみました。先生方からは、次のような発言がありました。

「テレビの制作者は、我々が思いもつかないようなおもしろいものを文化として、今でも提供している。ネットの中の動画では、瞬間的におもしろいものはいろいろあるが、出川哲朗さんの企画とか、チコちゃんとかは、テレビでないとなかなか出会えない。先ほど、緑川先生が、テレビは子どもたちに社会的な視野を広げさせてほしいとおっしゃっていたが、おもしろさでも、いろいろなおもしろさ、こちらが思いつかないようなおもしろい番組を提供してくれて、それを子どもも感じられて、大人も笑いながら感じられて、楽しく過ごせるようなのをテレビ局の人は作ってくれるだろうと思っている。それを、今後も期待したいし、テレビはそういう存在であってほしい」

「テレビはいつでも憧れであってほしいと思う。テレビ局が、時代の先端の出来事を知っていたり、いち早く、その現場にいられたり、そういう憧れである。また、ある日、街の池の水を突然抜いちゃうようなこと、ああいう大がかりな社会実験みたいなことができてしまうのもテレビである。普通の人ではできないことができる、普段見ることのできないドラマが生まれてくる、そういう憧れであってほしいということだ。
以前、山間部にテレビが来たというドキュメンタリー番組があった。50年、60年前の話だが、栃木県の小さな村にテレビがやってきた。その当時は東京の生活は全然わからなくて、テレビがやってきたら、『あっ、こういうことを東京ではやっているんだ』とか、『あっ、こういう理科の勉強をすればいいんだ』といって、目が沈みがちだった子どもがどんどん目が輝いていく。また、ある日、女の子がテレビをふいている。昔は観音開きのテレビだったが、『そこで何しているんですか』と聞くと『テレビをふいている』と答える。そして『テレビとは何ですか』と聞くと、『テレビそのものが愛です』と答えた。テレビは、そういったすごい憧れであってほしい、と常日頃思っている」

<最近、BPO青少年委員会に寄せられた視聴者意見について>

BPO青少年委員会に、2018年度に寄せられた視聴者意見について、榊原委員長から先生方に次のような質問が投げかけられました。

(榊原委員長)「視聴者意見では、『子どもの教育上よくないから』という言葉がついてくるのが、すごく多い。子どもの教育以上よくないと言っているが、子どもたちが同じ番組を見ていて、本当にそれで影響を受けてしまっているみたいなことは、多分、お子さんたちと一緒にいる先生方がモニターできるのではないかと思う。私たちは、教育上よくないと言われると、どうしてって思いたくなるのですが、先生方の敏感な立場から、どこが教育上よくないのか、お考えを伺いたい」

これに先生方からは、次のような意見が出されました。

「昔から言われている言葉だが、教育上云々よりも、見ていて不愉快になるというのが正しい反応なのかなと思う。もし、そういうものをテレビがやった場合は、それは親がきちんと子どもに話をするべきだと思うし、逆に、大人が過剰に反応し過ぎている部分もあるのかと思う。大人がやたらと反応し過ぎるのもよくないが、例えばバラエティー番組でやたらと人をいじめるようなのは、教育上云々というよりは、見ていて不快だからやめてほしいというのはある」

「僕らが子どものころは、欽ちゃんだとか、ドリフだとかの番組は教育上よくないと世間が騒いでいたが、僕らはどこがよくないのかなと思いながら見ていて、いまだにそれがわからない部分もある。何か『教育上よくない』という言葉を伝家の宝刀みたいに、投稿する側は使っているのかと思う。やはり、単純に見ていて不愉快だと、そこに尽きるんじゃないかという気がする」

「子どもが真似をするのはよくないというが、これも、教育力がないんじゃないかと思う部分もある。別に真似させてもいいと思う。真似しそうだなというのがあって、やったら、やってはいけない理由を言ってやめさせるということもある。そのときにきちんと理由が子どもに伝えられればいいだけなので、多少、真似されてもいいという気がする。真似したとしても対応できる教育力が求められているのではないだろうか」

<閉会の挨拶>

今回の議論を受けて、先生方の代表者から次のような発言がありました。

「きょうは、先生方それぞれがテレビの懐かしい思い出とか、愛着とかをお持ちになっていて、それと同時に、今の子どもたちに対する思いも言うことができたと思う。テレビに期待している部分は、昔も今も変わらないと感じたし、これからの時代はテレビがどう作られているかとか、テレビを制作している人の思いをこちらも知って、それを子どもたちに伝えていくことがさらに必要になってきていると感じた。テレビも、良質というのがいいのか、おもしろいというのがいいのか、その両方が大事だと思うが、そういう番組を制作者の方がやる気になって作ってもらえたらうれしいと思う」

最後に、榊原委員長と緑川副委員長が、次のように総括しました。

(緑川副委員長)「学校の多様な教育現場で、子どもたちとかかわっていらっしゃる先生方の意見や番組に対する要望を、制作者側に伝えることが私たち委員の役割である。また、視聴者意見に関しては、まねをするとか、子供に悪影響を与えるという意見は常にあり、毎月、委員会で議論しているが、このような意見について、本日先生方から出された、それは教育力の問題であるという意見を大変頼もしく感じた。それこそが教育であろうし、現場で毎日子どもたちを教育し、導いている先生方の意思の強さを感じて、敬服した。
最初の議論で出た、番組を見せないということではなく、一緒に見て考える、それが一番ではないか。先生方がそういうふうに取り組んでいるということを十分に認識して、青少年委員会も様々な問題について議論していきたいと思う」

(榊原委員長)「テレビは、私の世代では、街頭テレビから始まり、最初は力道山とか巨人の試合を見に行くという娯楽だった。その後、私は、情報とかドキュメンタリーというのがかなり多い時代に育ったので、テレビの中にそういうものを求めているが、今日の先生方からの話で、今の子どもたちは、娯楽性というか、つらいから本当に心の底から笑いたい、そういうものを求めているということを確認でき、非常によい勉強になった。
教育上よくないと言われると、私たちはどこがと思っていたが、こういうかなり固まった意見に対して非常にしなやかに対応している子どもたちが、その後ろにいるんだということが知られて、子どもは将来、大人になるわけだが、非常に頼もしく感じた。
最後に、テレビは憧れであってほしい、というご意見も出ましたが、これは、制作者が聞いたら、本当に喜ぶだろう。そういう期待は、制作者にとって非常に大きいだろう。
BPOは、視聴者の意見、あるいは若い人たちの意見を聞きながら、ときには制作者側に反省してくださいとか、注意したりすることもあるのですが、良い番組を作っていくことに貢献する、その一部として機能していると思っている。そういう意味で、今日、お子さんたちと常に接している先生方から、励ましにも聞こえるお話をいただけて、本当によかったと思う。ありがとうございました」

以上のような活発な議論が行われ、3時間以上にわたる意見交換会は終了しました。

今回の意見交換会後、参加した先生方からは、次のような感想が寄せられました。

  • 世の中ではテレビ番組について批判的な意見も多い中、家族との関わりのなかでテレビ視聴を共にすることや共通の話題を提供することなどテレビの果たしている役割の大きさや、テレビが提供する良質な番組についての意見交換ができたことが有益であった。

  • バラエティー番組なども昔から変わらず人気がある一方で、子どもたちが「家族で楽しめるような内容の番組」を望んでいるということを知り大変ビックリしました。テレビ番組は、自分が楽しむだけのものではなく、家族の会話を繋ぐ共通話題としての役割も大きいのだと感じました。

  • ドキュメンタリー番組に関する意見が多くあり,私も視聴したいと考えました。現実で起きていることを隠さずに発信することで,努力している人たちの思いや苦しんでいる人たちがいる事実を知ることも必要だと思う。家庭や個人の判断で視聴できることがテレビの良さだと思うので,ドキュメンタリー番組が増えることを期待したい。

  • 我々が思っている以上に誰もが楽しめる、勉強になる、ためになる番組を求めていることがわかった。無条件に楽しい番組も必要であるが、みんなが役に立つ番組づくりも必要である。

  • テレビは時代を映すこともできるし,また作ることもできる大きな影響力をもつものだと思う。その影響力について正しい理解ともって視聴することが大切であり,そのための知識と判断力を身につけることが必要となる。その役割を担う場として,学校には大きな責任が求められると思う。

  • 「番組が子供の成長に悪影響だから見せない」ではなく、子供と一緒に番組を見ながら会話をすることで、どのように情報と向き合って行くべきかを家庭でも考えていくような考え方が必要なのではないかと考えました。貴重な場に参加させて頂き、有難うございました。

以上

2018年11月19日

意見交換会(岩手)の概要

◆概要◆

青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的の為、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、岩手県の放送局との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、2018年11月19日の14時から17時まで、「意見交換会」を開催しました。
BPOからは、榊原洋一 青少年委員会委員長、緑川由香 副委員長、吉永みち子 委員と高橋宗和BPO理事が参加しました。放送局の参加者は、NHK、アイビーシー岩手放送、テレビ岩手、岩手めんこいテレビ、岩手朝日テレビ、エフエム岩手の各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など20人です。
会合ではまず、緑川副委員長から「青少年委員会が出してきた青少年が関わる事件・事故報道に関する見解について」を説明したのち、(1)「青少年が関わる事件・事故報道」について、(2)東日本大震災をはじめとする「災害報道における子ども、被災者への配慮」について活発に意見交換がなされました。最後に地元放送局を代表して岩手朝日テレビの長生常務取締役報道制作局長からご挨拶をいただきました。

〈青少年委員会が出してきた青少年が関わる事件・事故報道に関する見解について〉

(緑川副委員長)これまでに、BPOの青少年委員会が、幾つかの提言であるとか要望等を発表してきているが、本日はこの中から、青少年がかかわった事件や事故報道について、青少年委員会が出した提言や要望について、簡単に概観をご説明させていただきます。
BPOの青少年委員会が発表した4つの見解については、まず1番目として、2002年3月15日に、「衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮」について提言を出している。続いて、2005年2月19日に、「児童殺傷事件等の報道」についての要望を発表している。3番目に、2012年3月2日に、子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望を出している。直近のものとして、2015年4月28日に、ネット情報の取り扱いに関する委員長コメントを発表している。
1番目の「衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮」についての提言。これは2002年3月15日に発表したもので、当時、1997年の神戸の少年連続殺傷事件、この発表の前年にあった2001年の池田小学校児童殺傷事件と2001年のアメリカ同時多発テロ事件、これらの重大な事件が続発する時代状況において、衝撃的なテレビニュースや報道番組の子どもへの影響を議論し、放送関係者に対して問題提起をしたものである。
まず、ジャーナリズムの責務と子どもへの配慮ということで、テレビ報道が「事実」を伝えるのは、国民の「知る権利」に応えることであり、民主主義社会の発展には欠かせないものである。その伝える内容が暗いものであったり、ときにはショッキングな映像であったとしても、真実を伝えるために必要であると判断した場合には、それを放送するのはジャーナリズムとして当然である。子どもにとってもニュース・報道番組を視聴することは市民社会の一員として成長していく上で欠かせないということで、事実の報道が、知る権利に応えるメディアの責務として当然のことであるということを確認している。
他方において、子どもたちにはニュースの価値についての判断がつきにくく、また、ニュース・報道番組では、内容をあらかじめ予測することが難しいため、突然飛び込んできた映像にショックを受けることがある。そのため、テレビで報道するに当たっては、子どもの視聴を意識した慎重な配慮、特に子どもがかかわった事件の報道に際しては、PTSDを含めた配慮が必要になっていると考えるとして、子どもへの配慮の必要性について言及している。
その第1として、刺激的な映像の使用に関しては慎重な配慮をしていただきたい。衝撃的な事件や事故報道の子どもへの影響に配慮をすること。それから、子どもが関係する事件においても特別な配慮をしていただけるよう検討をお願いしたいとしている。
2番目として、「繰り返し効果」のもたらす影響には、特に慎重な検討と配慮をしていただきたい。映像から大きなインパクトを受けやすい子どもの特性に留意をしたときに、衝撃的な映像を繰り返し映すことによる子どもに対する効果というのに対して、特に慎重な検討と配慮をしていただきたいということを挙げている。
3番目に、展開的な要望として、子どもにもわかるニュース解説を充実させていくことを検討できないかと提案した。子どもに配慮した特別番組、それから保護者を支援する番組のための研究や検討ということで、子どもへの影響を配慮した特別番組や、影響を受けた子どもの心のケアに関して保護者を支援するような番組は、そういう状況が起こったときに急遽つくり上げることも難しいため、日ごろから専門家のチームと連携をとっておくことも検討されてはどうかという意見を出している。
次に、2005年12月19日に発表した、「児童殺傷事件等の報道」についての要望がある。これは、当時、2005年11月に広島小1女児殺害事件、同年の12月に栃木での小学校1年生の女児殺害事件、また、京都宇治の学習塾で小学校6年生の女の子が殺害された事件などが続いて起こっており、これらの事件の報道などを踏まえて、先ほど紹介した2002年の提言に加えて、特に検討を求めたい事項を要望したものである。
この要望でも、まず、先ほど紹介した2002年の要望の4点を確認しているが、さらに加えて、第1に、殺傷方法などの詳細な報道に関する慎重な配慮を求めている。模倣の誘発であるとか、視聴者たる子どもをおびえさせる影響を懸念した上での配慮を求めるとしている。これは、全裸であったとか、体中の血液がほとんどないというような描写があったり、その殺傷方法や、被害に遭った子どもの状況を詳細に報道することによって、子どもをおびえさせるというような影響があるのではないかというような点についての注意を求めるものである。
次が、被害児童の家族や友人に対する取材への配慮ということ。これは、被害を受けて心に傷を負っている子どもの心理的な影響に配慮して、取材については十分な配慮が必要なのではないかという視聴者意見が相当程度寄せられたということもあり、この点についても言及をしている。
また、委員会では、メディアスクラム的な影響について、どのように考えた上での取材だったのかというような意見も出て、検討しなければならない課題はまだ残されているという感想が出た。
この事件・事故に遭遇した当事者の心理に関しては、学術上も議論が分かれるところであって、デリケートな問題をはらんでいるということは重々承知の上で、今後も深い考察と議論を続けていくことを望むということで討論を終えている。
なお、その後、2014年4月に、栃木県で女児が殺害された事件で容疑者が逮捕される。これは事件から相当程度年数がたった後なのだが、その逮捕される直前の報道で、被害女児の当時の同級生のインタビューを顔出しで放送したことに対して視聴者意見が寄せられた。このときも青少年委員会で討論をした。「配慮が足りないのではないか」などの意見や、「事件の説明について配慮を求める」というような視聴者意見もあり、青少年委員会の委員全員が、その視聴者意見が寄せられた番組を視聴して、その上で討論した。
これについて、委員からは、当時、高校生になった被害女児の同級生のインタビューを見て、これだけ月日が経過したということを視覚的に感じられる効果があるのではないか。顔出しが一概にだめだという一律な判断ということではないのではないかというような意見が出た。また、事件の説明についても、リアリティーを出すための十分な検討がなされているのではないかという意見が出て、審議入りということにはしないで、討論のみで終わっている。
第3に、被害児童及び未成年被疑者の文章などを放送する場合については、やはりプライバシーや家族への心情などを配慮していただく必要があるのではないかという点を要望している。
3番目に発表した要望が、子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望ということで、2012年3月2日、ちょうど東日本大震災の1年後の直前に発表している。東日本大震災以後、震災報道を視聴することによるストレスについて視聴者意見が寄せられており、震災後1年を迎える時期に、放送局に対する要望を発表したものである。震災報道についての要望事項ということで、映像がもたらすストレスへの注意喚起。2番目として、その注意喚起については、わかりやすく丁寧にしていただきたい。震災ストレスに関する知識を保護者たちが共有できることが必要である。また、震災ストレスに対する啓発のための番組制作が必要である。また、保護者に対する情報提供ということも考えていただきたいということである。
次にスポットの映像使用に対する十分な配慮をお願いしたいということ。予告なく目に飛び込んでくるスポット映像の強い衝撃であるとか、子どもへのストレス増長の危険性を協議した上で、十分な配慮をお願いしたいということをこのときに要望している。
最後にネット情報の取り扱いに関して、これは委員長のコメントという形で出している。この委員長コメントを出したきっかけというのは、2015年4月に、ある情報番組で過激映像を流すサイトを紹介するコーナーで、それが刺激的な映像であり、また子どもも見る時間であったということから、視聴者意見が相当数届いたということがきっかけになっている。
私たち委員も視聴し、討論した。テレビにおけるネット情報の取り扱いについて、テレビという公共のための放送システムがこれから抱く可能性のある問題として問題提起をした。ネットメディアの情報をテレビが紹介したり、それに触発されて新たに番組を制作したりすることも、これから増えていくことが予想される。テレビ局の情報収集力は限られているが、ネット情報には、たとえそれが吟味されたものでないとしても、無限と言ってよいほどの収集力と提供力があるからである。そして、そのときにテレビ局の独自性と責任性がどこにあると考えるべきかを問題提起としている。テレビ局の方たちも、こういうネット情報の取り扱いについては、今いろいろ考えているところだと思う。

【意見交換の概要】

(1)「青少年が関わる事件・事故報道」について

【矢巾町立中学校いじめ自殺事件】…2015年7月5日岩手県矢巾町立中学校2年の男子生徒が、列車に飛び込み自殺した。生徒は、1年生の時からいじめを受け、担任教諭にいじめを訴えていた。
【岩手・不来方高バレー部員自殺】…2018年7月岩手県立不来方(こずかた)高校3年のバレーボール部員が自殺。バレー部顧問の40代男性教諭による行き過ぎた指導が自殺につながったと遺族は訴えている。

(事務局)青少年のかかわる事件・事故報道ですが、各社県内の事件とか、これまでで青少年の事件・事故、どんな事件でも、事故でも構わないので、取材時、編集時、また放送するに際し困ったこと、悩んだ事例というのがあったらご発言をどうぞ。

(放送局)不来方高校のバレーボール部の選手が自殺したニュースは、当初の段階から高校の名前を出すかどうか、それについて我々の間でも議論をしながら、慎重に扱いつつ、でも原則は実名というところもあるので、そういった状況の中で判断をした。
その選手が高校の部活の顧問の先生との関係において、厳しい指導が原因だと訴えていて自殺したという状況で、相手方が少年ではないというところと、強豪バレーボール部で起きたというところで、高校名は最初から出すことに決めたという状況がある。
また、自殺した生徒の名前については、遺族の意向も踏まえた上で、段階を踏んだ。当初は匿名だったが、遺族の思い、意向を聞いた上で実名に切りかえた。顧問の先生は、基本的には匿名でやっている。その中で、当初の段階では、高校名をどこまで出すかというところで非常に迷いながら、いろいろと相談しながら決めたというところがある。

(事務局)今の不来方高校バレー部の件では、社によって対応が分かれているという話もあるが、各局どのような対応なのか。

(放送局)弊社は、実はここ数日前というか、先週の段階で初めて高校名と、亡くなった生徒の名前を実名で報道している。原則実名報道というのは頭に置いた上で、生徒の名前等を出すことで、今高校に通っている生徒、バレー部にいる方たちへの影響がどうなんだろうという部分で、出すことで二次被害というか、そういった影響があるんじゃないかということで匿名にしていた。
以前であったら、指導で許されていたものが、今はもう行き過ぎた指導ということで、それが問題になる。時代が変わるにつれて、ニュースの中での扱いに非常に悩むところであり、それをニュースで伝えることが、どんどんその先生たちの指導を萎縮させてしまうのではないかというようなことも思ったりもして、その都度考えるが、なかなか難しいなと日々思っている。

(放送局)遺族の方が発信力があって、弁護士の方もそうなのだが、どうしてもそういった方々の声が強くて、逆に言うと、指導した先生の方の声はなかなか聞こえてこない、学校の声が聞こえてこないという中で、そういったバランスをどうやってとっていけばいいのかというところを悩みながら、放送はしている。

(榊原委員長)私たち(BPO)は報道の方法がいいかどうかを判断するところではなくて、それをどのように考え、かつ、つくり手と実際に聞く方がどういうふうに考えていくのかを検討するところなので、結論があるわけではないと思う。
小児科医の立場で申し上げると多分、皆さんがジレンマに陥られたのは2つのポイントだと思う。未成年の方の個人情報の保護というのはいつでも前提であるが、いじめという日本で独特とは言いわないが、非常に大きな問題であるのに、どうしても表面に出てこない。多分、隠匿される可能性があるいじめという問題に対して、報道としてどう考えるかということを悩まれたと思う。
もう一つが、遺族の方が希望されたという点。遺族の方が認めたから報道していいのかどうかという、なかなか難しい問題があると思われる。例えば、未成年のご本人がいじめにあって、自分が実名を出して訴えたいというように言った場合はどうするのかということと置きかえてみてもいいのかなと思う。
これは非常に難しい問題で、未成年の方が主張するということを言った場合に、いじめはあったのかもしれないが、もしかすると、いじめたとされている人の間で、片方だけの情報を出すことが妥当かというような問題も出てくる。
新聞が先行したり、SNS等でもう拡散している状況のなかで、このいじめという、放っておくと風化してしまう、あるいは出てこない問題に対して、報道というものがどういう立場を持つべきかというかなり大きな、かつ非常に難しい問題に直面しているのだと思った。

(吉永委員)いろいろ背景を考えると、例えば、その先生にも家族があるとか、この報道によって、何かまた次に苦しむ人が出てくるのではないかということを考え出すと、伝えられる情報が、大幅に制限されてしまったりしないのだろうか。その結果、我々受け手の側として見たときには、何が起きて、どんな背景があったのかわからなくなってしまうという側面がある。一体何が起きて1人の子どもが命を絶ったのかということが見えにくくなってしまうがゆえに、逆にさまざまな憶測が流れてしまって、どうなっているのか知ろうとすると、ネットしかなくなってしまうみたいな流れを作ってしまうような気もする。
例えば、子どもが自殺するということは、ある意味では命をかけた告発という側面もあると思う。それを真正面から受け止めて、学校が変わっていけるような報じた方はないのだろうかと考える。加害者もまた子どもなわけで、今度は逆に加害者がバッシングされたり、教師が叩かれたりして忘れていくのではなく、不幸な出来事を乗り越えて、いい形に生まれ変わっていけるために何が必要なのだろうか。
もうひとつ、匿名か実名かの問題。地元では匿名であってもみんな誰か知っている。私たち東京の人間とか九州の人間が、岩手で起きた出来事で「どこどこ中学校」「○○君」「○○先生」と実名であっても、ほとんど匿名に近い。全然わからない。
だから匿名というものが、ただ名前を伏せればいいのかとか、死んだ子どもについてと、加害側の生徒や先生や校長とは、また違うと思う。1人の人間が死んだときに固有名詞を出せないというのは、それまでその子の生きてきた時間が否定されるような気持ちも一方ではする。親御さんが、「その名前を出してくれ」と言ったときに、それでも匿名の死にされた時に、この子の一生というのは何なんだろうかなという思いもする。

(放送局)不来方バレー部の件に関しては、実名に切りかえるきっかけになったというのは、保護者の、お父様の意向がすごく大きくて、部活のパワハラというのを根絶したいという社会的な、言ってみれば使命のようなものを持って、弁護士とスポーツ庁に行って申し入れをしたり、鈴木長官と面談したりというような動きを実際にされている。それはもう保護者の方なり、弁護士の方なりがそのように広がりを意識して動いていて、そこに我々は引っ張られるような形で、今報道しているような状況だ。
それとはまた別に、中学生の自死のときは、振り返ってみれば、そのような広がりがないままに、ただ一方の言葉だけを追いかけざるを得なかった、忸怩たるものがあるが、既に今となってはその先生の言い分というのを、やはり最後まで、聞きたかったが聞けずに終わってしまったなというところがある。

(放送局)今回この不来方高校の件を見ていて、どうも弁護士さんに引っ張られ過ぎているなと。第三者委員会をつくる云々、申し入れた県教委、申し入れたらすぐにもう東京に行かれて、文科省に行かれたとか。そこで我々にリリースが来て、「東京へ取材に来られない社はご連絡ください」とか、そういう形になると、ちょっと待てよと。一方的に、僕らは引っ張られ過ぎているんじゃないかという、若干疑念も持った。
最近、直接取材しにくくなっている気がする。例えば、学校に行くと、校長先生ですら、もう「教育委員会に聞いてください」となると、まさに当事者の先生には、まずお会いできないような状況が多々ある。
矢巾のケースも、私は事件の後、1年半ぐらいして当時の校長先生にお会いしたら、「言いたいことは、実はいっぱいあったんだ」とおっしゃるわけだが、それがなかなか伝わっていなかったというようなところが問題で、この手の問題は両者の言い分をきっちり取材したいけれども、できないというような状況があるのかなという気がしている。

(榊原委員長)その「引っ張られるように」というのは、事実を言われたと思う。「ぜひ行ってほしい」と。ただ、そのときに、むしろこの「引っ張られるように」といっても、「この人が言っているからすぐ行く」というんではなくて、そこでどうすべきか悩まれたのだと思う。
つまり、報道というのは、加害者の親が「名前を出してもいい。ぜひ言わせてくれ」と言ったような場合を考えたとき、命を絶ったということの重みというのは、すごく大きいと思うが、主体的にどういうようになさるのかなと。

(放送局)多分、それは取材をしてみて、その発言の内容を見ながら、これが本当にそのまま放送していいのかどうか、それは周辺取材も含めて、事実なのかどうかも含めてを判断して、どうするかということだと思う。

(榊原委員長)ということは、これはいじめがあって、そのために命を絶ったんだということは、いろんな事情から明らかだろうという判断のもとに、出されたということですね。ただ、「いや、私たちのほうも言わせてくれ」と校長先生が後になって言われたそうだが、そういう場合に、裁判官であればどちらかに判断しなくてはならないが、報道の現場にいる方はどうなさるのか。伺いたいと思う。

(放送局)その言葉をなきものにするという権利はないと思うので、何かしら、やはり編集する者としての意識を持ってオンエアするしかないと思うが、そのバランスも考えつつだ。ここでシャットアウトするわけにはいかないと思うので。

(吉永委員)弁護士さんに引っ張られているのではないかというお話もあったが、こういうのは、結局は最初に学校という組織や教育委員会という組織が、個人の前に立ちはだかる。今までのいじめのパターンというのが、必ず教育委員会とか学校が否定する。組織や先生を守ろうとするところから始まっていく。
そうすると、もし自分が親の立場であったときに、どういうふうにしていいかがわからないわけです。個人として、何かいっぱい質したいことがある、聞きたいことがある、心の中に思うことがあるけれども、なかなかそのすべを持たない一人の親にとって、弁護士さんが付いてくれることで、やっと調査をしてくれたり、社会問題になる、みんなの共有する問題になるという側面もある。
素人が語れることの限界があるから、どうしても代弁者が前に出てくる。そのことが視聴者、見ている人にとって、すごく引かせてしまうというか、逆にその問題が、何かすごく歪曲されてしまう面もあったときに、どういうスタンスで臨むのか。報じるときにバランスをとりにくいのではないかという気がする。

(放送局)吉永委員が言うように、教育委員会、学校が先生を守ろうとしていると言いながら、実はあれは守っていないんじゃないかなと。守っているのであれば、言い分等々をしっかりアピールをすればいいと思う。守るというのが保身なのかどうか、そこらがどうしても伝わらないし、それを我々が、先生方の言い分をしっかり事実関係も含めて確認して、確認できたら、そこでバランスがとれるんだろうけれども、今のところ、そちらがどうも欠けているようなケースがちょっと目立つかなという気がする。

(緑川副委員長)私たちが弁護士として依頼者から受任して裁判をする場合、裁判で事実を明らかにして責任を追求する、損害賠償を請求するが、そのときに大事なのは、主張だけではなく、立証であって、その結果、最終的に裁判所に判断される。そこで初めて判決という形で結論が出るという手続きに慣れている。これから裁判をやって主張、立証をしていこうというときに、提訴の段階でメディアに公表するのを見ることが多くなってきた印象があるが、このような一方の主張を前提に公表するという方法を見て、戦略としてメディアを使うことが上手になってきているのかなというふうには思う。今回のこの件で、遺族の方の強い意向、それから弁護士の方が非常に熱心に活動されているというお話を聞いて、ちょっとそこのところを思った。メディアの方々がいろんな角度から働きかけをしていって、何かこぼれ出てきた反面的な事実があったときに、その事実を報道できるというところに報道の面白さというか、だいご味があるのかなというふうにも思っている。

(事務局)矢巾町の中学生のいじめ事件について、2016年に1時間のドキュメンタリーを制作した担当ディレクターさんが出席している。

(放送局)当時の担任の先生の声を入れられなかったというのは、やはりその一番のもどかしさというか。やはり遺族のほうが声が大きいので、どうしても我々もそっちのほうを取り上げるのだが、一方で私も先生のほうには、自宅とかに行って当たるのだが完全に取材をシャットアウトされ、もうどうすることもできないとなった中、片方の意見しか入っていないというところの葛藤というか、難しさはあった。ご遺族も息子の異変に気づけなかったとおっしゃっている中、一番近くにいた友達とか、先輩、後輩とかが本当は一番情報を持っているかもしれないというところでも、学校の「絶対話すな」という統制が敷かれて。でもそれを知るために私たちは行かなければいけないわけだが、それもどの程度行っていいのか。例えば、校門で待ち伏せをして、生徒さんが来て、それをずっと追いかけ回してもいいのかとか。その子は親友で、その子しか知り得ない情報を絶対持っているとわかっているときに、どう対応すればいいのかとか。そういったところは難しかったかなとは思う。

(榊原委員長)報道番組というのは、例えばある人が自殺したとなると、これは個人の課題であるのだが、その背景に社会的な問題があるということで、個人の問題として報道するのと同時に、社会的な問題、例えば学校のどうしても隠してしまう体質があり、それを解決するための方策のヒントになるようなことを報道することができる立場に皆さんはいるのではないかと思う。

(放送局)不来方の事案というのは、顧問の先生ということで、大人がいた。以前やった中学生のいじめ事件のほうは、学校という限られた中でのいじめ事件ということで、何となく一見似たように見えているけれども、結構、全然違うかなというところがあると思う。遺族の方が名前を出してお話をするというのは、この中学生の事件が先駆けだったのかなというような反応があるということを、まず言っておきたいと思う。やはり中学校という中で起きた事件の中で、どう本当に真実をつかむのか、事実をつかむのかというようなことで相当苦労していたということがある。警察とかいろんなところを取材していくと、どうも刑事事件になりそうだという情報を得てくると、これは中学生ということで、刑事事件になると加害者は少年法とか、いろいろなことが課題に上がって、逆に匿名性を強くしなければいけないなとか、そういうジレンマもどんどん出てくるという形になってくる。

(事務局)今、少年法という話が出たが、民法が2022年に改正されると18歳が成人ということだが、この先の少年法と報道でどのようなことが予想されるのか。

(緑川副委員長)少年法61条は、少年について推知報道をしてはいけないという規定があって、この少年法の成年年齢も18にすべきではないかとか、あるいはもっと厳罰化すべきではないかという議論は根強くされてはいるが、今のところ、少年法を改正するというような具体的なところには至っていない。
少年法61条というのは、家庭裁判所の審判に付された少年、それから少年のとき犯した罪で公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容貌などによりその者が当該事件の本人であると推知することができるような記事や写真を新聞紙その他出版物に掲載してはならないということで、氏名、住居、写真を出していないとしても、本人であることが推知されるような報道は禁止されているということになる。細かい話だが、審判に付された少年と公訴を提起された者なので、厳密に言うと、捜査中の者は入らない。ただ一般的に報道機関は、捜査中から少年法61条の趣旨に鑑みて自粛するというような対応をされているのではないかと思う。
インターネットは、現状の条文上は対象外ということになる。
また、罰則はない。したがって、この推知報道をされたということで問題になるのは、刑事事件としてではなく、通常、民事上の損害賠償請求として、その少年とか元少年から、メディアに対して、プライバシーの侵害などを理由に損害賠償請求をするという場面である。そのときに少年法61条というのが、違法性を根拠づけるものとして出されてくるという考え方になる。
結局のところ、裁判では利益較量の問題となると思われ、罰則を規定していない少年法の規定と、言論報道の自由を考えると、それは出来る限り社会の自主規制に委ねられたものであり、メディアは、日々こういう事件が起こるたびに自問自答することが、そのまま裁判所で問題になった事例において判断されていることになるのではないかと思う。

(2)「東日本大震災をはじめとする災害報道における子ども、被災者への配慮」について

(事務局)東日本大震災を経験した岩手の放送局として、青少年に限らず、被災者への取材時の苦労とか、特別な配慮、編集するに際しての苦労、対応等を聞かせてほしい。

(放送局)被災した当時、子どもたちに各局がメディアスクラム的な状態になって、それで本人も、嫌になっちゃったとかという話や、各局に出たことによって家族間で議論があって、「何で出したんだ」というようなこともあった。今、そういったことをもう一度、当時のことも含めて、それから今のことも含めて取材したいというふうに、当時子どもだったが、成人したとなると、例えば、本人は取材に応じてもいいというケースでも、親御さんが「勘弁してくれ」というふうなことで、家族間でまたそれでいろいろぎくしゃくするというような場合、やはり、なかなかこちらが取材をごり押しすることは難しい。そういう震災直後のメディアの対応が、結構今も引きずっているなというようなことになった場合に、なかなかそこはどういうふうに取材していくのかなということが、我々、現場としては悩むところだ。

(放送局)私は岩手県の宮古市というところで津波に被災したというか、取材をし続ける中で、ことしの3月まで現地にいたのだが、取材をし続ける中で、我々を含めていろいろなメディアの取材によって「もう二度とごめんだ」というのは、必ずしも子どもや青少年に限るものではなくて、それは大人にも共通していることだというのが大前提。特に子どもに関して言えば、思い切り津波をかぶったところなのだが、うまく避難をすることができて全員助かった保育所だとか、あるいは、一つの地域の中でその学校だけが残るというか被災を免れて、あとは全部やられてしまったというような所があったのだが、そういう所を、執拗にというか、当時のことを当然しゃべらせるわけなのだが、そういうことがあって、メディアの取材を学校もしくは保育所として受けないというところが結構ある。私自身も断られたのだが、それを修復するまでには数年単位の時間がかかった。取材はできるようにはなったが、結局行き着くところ、取材者の人間関係に尽きる。
被災地のそういう現状なり、事実とはまた違った真実というのをわかるためには、やはりある程度そこに住んで、あるいは接点を持ち続けるからこそできる部分というのが非常に大きくて、個人的な見解とすれば、ローカルの特色というか、そこで我々はずっと生きていくものだから、その我々がきちんとした相手との関係を築きながら仕事をしていくことが全てじゃないかなというふうに思う。
あともう一つは、自分がずっと住んでいて思うのは、東日本大震災ということに関して言えば、やはり発災当初にみんなが思っていた復興という姿が、どうやらその通りはいかないんじゃないかというものが、やや確信になる。復興というのは、震災前より当然いいものにするというのが復興で、もとに戻すだけでは復旧でしかあり得ない。そんな中で、取材していく中で、長年被災して、仮設で営業を続けてきた店なんかが再開をすると、ついつい言わせてしまいたくなるのが「復興してきましたね」とか、「前に進んできましたね」とか「希望の光が見えましたね」。作るほうも、見るほうも、そこである程度ハッピーエンドになるから、物としてはいいのかもしれないが、そこに暮らしている人に行けば行くほど、やっぱり不安というのは大きい。被災地で暮らしている我々ができるのは、本当の姿なのか。個人的には消化不良になっても、そういうものは伝えていかなきゃいけないのかなと思ったりしている。

(吉永委員)発災時、気も動転している中で、いきなり多くのメディアに来られたときに、どういう形で対応ができるのかというのは大人でも難しいので、子どもには相当難しいのではないかなというふうに思う。メディアが慣れていないのは普通で、緊張したり舞い上がったりして、精神的に追い詰められた感があったとか、あるいは、その質問されたことが、心に何か残って、それが後遺症みたいになって、いまだにそれを素直に受け入れられないものがあるのか。あるいは、とっさに言ってしまったことなので、本当は自分が言いたかったことではないところを放送されたとか、そういうことというのはあると思う。そのことによって、家族間で「おまえ、何であんなことを言ったんだ」とか、そういうことが心に影響していて、「もう二度と答えてはいけない」「そんなものは受けちゃいけない」という話になっているのか、どちらの感じが多いのか。

(放送局)例えばお父さんが亡くなったとか、そういう非常につらい立場にいる子どもがどうやって頑張っているかとか、割と前向きに、けなげに一生懸命頑張っていますみたいな、そういうタッチで描かれたケースが結構あったらしく、それに対して、どうも家族間で、描き方の問題なのか、受けとめたときに「こういう話じゃないだろう」というふうにあったのか。家族の間からいろんな意見があって「何で出したんだ」ということがあるようだ。その子どもがある種の像として描かれていくようなことに一つの違和感を感じたみたいなことはご家族が思っていたようだ。それからは「もう勘弁してください」ということで、背を向けたという。どういうことが原因になったのか、なかなか具体的にずばっと言えないが、いろいろそういう複雑な思いを持って、メディアの取材に対して感じてしまっているというのが現状のようだ。

(吉永委員)12歳ぐらいの子がもう20歳くらいになる。そうすると「あれに答えたばかりにこんな目に遭った」とか、いろんな思いがあると思うのだが、メディアとの関係性というのが、今後壊れてしまうのはとても悲しい。

(放送局)あの震災報道を経験する中で一番怖かったのは、あの福島第一原発の爆発したとき。あのとき、岩手に100人以上の人が系列取材団として応援が入っていたわけなのだが、何が起きたかわからない。けれども、すごく危険なことが起きているということはわかる。必死に携帯で、「全部の仕事をやめていいから」ということで、連絡をとっていった。そこのときに、皆さんや視聴者の方たちがおっしゃるメディアというのは、ある種の権力を持って、力を持って、取り囲んで取材してというイメージだと思うのだが、あのときは、本当にその犠牲者になるかもしれないという人がたくさんいるということ、抱えているというその心理状態においては、我々も余り変わらないと思う。地元で生きていくということの極端な例というのは、多分そういうことだと思う。我々だって被災するかもしれないし。そういう思いを持って、あのときは本当にやってきたわけで、そういうときに地元のメディアというのは、そういう権力を持ったメディアなんてとんでもない話で、自分たちも同じ立場で、自分たちの仲間の家族が亡くなったりしているということも知っているわけですから、そういう中で生きていくわけである。そういう中で、例えば中央のメディアが心ないことをして、「メディアは」ということで排除されるということもたくさん経験していますし、それを修復していくためには、多大な時間がかかると思う。ただ、我々に対して何か問題があったら、反省をしなければいけないと思う。

(榊原委員長)実際、現場におられた方からの非常に重い発言を聞いた。青少年の問題ということから言うと、子どもに対して、特に被災者である、かつ子どもであるという人への取材ということの持つ意味というのを、青少年委員会としては大きく捉えている。子どもが感じていることと家族が感じていることは、必ずしも同じではない。もちろん、子どもが大きくなって思い返してみると、自分が言ったことが不十分であった、あるいはそうは思っていなかったということもあると思うのだが、子どもの取材には、大きな課題がある。
それからもう一つは、子どもは特に心理的外傷に対して弱いという事実である。大人は子どもより、より客観的に見られる。客観的に見ても非常に大変な状況だけれども、子どもの場合は何が起こっているのかわからないということの中で、PTSDという、外傷後ストレス症候群というのが起こりやすいということもわかっている。例えば、災害の場面の画像を見るだけでも、PTSDが起きて夜寝られないとか、不眠になるとか、非常に衝動的になるというような行動が起こりやすい。被災者だけではなくて、アメリカの9.11のときの場合は、ビルが倒れるのを見た、全くその場にいない子どもたちが非常にたくさんPTSDになっている。

(放送局)ああいう大きな災害が発生した直後は、どうしても自分の頭の中で、通常のニュースをやる感覚に戻そうとする気持ちになってしまいがちになった。ただ、想像をはるかに超える被害が出ているというところで、だんだん通常のニュース報道の頭というか、規範というか、そういうものが徐々に、タガが外れるわけではないが、とにかく「見えたものはとにかく映せ」、そして「取材して、インタビューしろ」というようなことを指示していたと思う。だから遺体だらけの町や、そういう映像がたくさん残っている。最初、本当にもうどこを映しても悲惨な風景、まずそれを伝えていた時期があって、それからだんだん、避難所で凍えている人たちを取材するようになり、子どもは最初からは取材していなかったと思う。子どもに目を向けたのは、やはりちょっとずつ「毎日悲惨な風景だけ放送していても」という気持ちもあった。そういう中で、明るい話題というわけではないが、子どもを取材すると、受けがいいというのがまずあった。通常だとちゃんと両親に、あるいは学校の先生の許可を得て取材するというルールを持っていたが、やはりそのときもタガが外れて、直接子どもに話を聞いたりというような形をとっていた。
1カ月たって、あるいは1年たって、2年たってというときに、どういうふうにこの震災を伝えていこうかというときに、やっぱり思い出すのは子どもたちだった。その子どもたちと、何とかもう一度、あのときこういうふうになっていた子どもたちが、今こうなっていますよ。もう元気にやっていますよというのを伝えたいなという気持ちでアポイントを取ろうとするのだが、徐々に親御さんのほうから、やんわりと断られたり、あるいは取材を受けるのはいいけれども、テレビカメラの前でしゃべるのは嫌だというような子どもが多かったと思う。
サブで放送、映像を出しながら、あのときは泣きながらやっていた。あれほど大きなことがあって、タガが外れてしまった当時の私自身の中のニュースの報道に対する規範というのが、しばらく伸び切ったゴムのようになったまま報道してしまっていたなというのが個人的な反省でもあるし、その結果が、今なかなか心を開いてくれない当時の子どもたちの思いというのもつくってしまったのかなという自戒もある。

(放送局)7年8カ月がもう経過しているが、震災当日の状況を尋ねることは、今でも慎重にやっており、当時のことを思い出したくない方も多いし、逆に今こういう状況だというのを伝えるために、当時の状況というのを伝えなければならない面というのも当然あるし、そこは慎重に、出会ってすぐにその核心を質問するようなことを避けて、うまく人間関係をきちんとつくりながら、こちらの考えを無理に押しつけないで、引くときは引いてという形で今もやっており、今後もやっていかなければならないと思っている。
我々も被災地のテレビ局ということになるが、ただ同じ岩手でも、盛岡にいる人間と、沿岸で被災された方というのは、全然立場も違うので、もっと大変な思いをして毎日生きている方たちにきちんと寄り添って、伝えなければならないことは伝えて、被災した方たちを思いやる。風化していくのは止められない部分もあるが、それを少しでも食いとめるような報道というのは、していなかければならないのかなと思う。
子どもへの配慮だけではないが、津波の映像をしばらく使うのを避けているが、南海トラフ等が現実にいつ起きるかという状況の中で、津波の怖さというのを伝えなければならない。津波の怖さというのは、実際に被災した方たちへの配慮と、今後来るであろう大津波への備えという部分で、その映像の使用というのは、考えていかなければならないかなとは思う。

(榊原委員長)2つ皆さんに質問がある。震災のときのラジオというのは、テレビと違う働きがあったと思うが、それについての、何か思いとかがあったら伺いたい。それからもう一つ、皆さんに、先ほども津波の映像を出すことによってつらい思いをしている人がいると言いながら、風化させないために報道はされていくと思うが、その辺についての皆さんのお考えを伺いたい。まず、ラジオの方から。

(放送局)久慈と釜石に制作拠点があったので、ほぼ避難所の取材ということで動いていたが、マイクを向ける、向けないというのがあった。避難所に行って、許可のいただける避難所と、やめてくれという避難所があり、中には「頑張っている人もおられるので、そういう方ならいいんじゃないでしょうか」というお話をして、取材に出てもらったというのを記憶しているし、子どもにマイクを向けたというのはないと思う。
我々の放送は、ほぼ安否情報でつづられてしまう世界があって、来たものを読んで紹介している。「誰々さんから誰々さんへ」という形で。そうすると、その「誰々さんから」というのは明確に言っていいだろうけど、「誰々さんへ」というところを、余り具体的に言わないほうがいいんじゃないかという、そういうことは気を遣ってやっていた。
また発災の1日ぐらいのところは、支援情報みたいなものもどっと来るので、「どこどこでガソリンある」などというのもやっていたが、これもよろしくないなということで、やりながら淘汰されたみたいなことがあった。要は、そういう支援情報を届ける場合も伝えたいのだが、これをやったら、やはりいろんな混乱が起きるんだなというのが、だんだん見えてきたというような気がした。
あとは、その後からの声を聞くと、ふだんジャパニーズロックとか、そういうのをかけているのだが、こういう場合でそんなのはかけていられないだろうなというので、結局、童謡とか、アニメの子どもたちが喜ぶような曲とか、そのような曲をかけたところ、すごく反響があって、とてもそれで心が落ちつきましたとか、そういう声はたくさんいただいたという経緯があった。

(放送局)弊社では、現在も週1回のペースで被災地ネタというものを放送している。そのほかは、仮設住宅の住民を追ったシリーズというのもその週1回の枠の中に収容して放送している。年数が経てばたつほど、少しずつしゃべってくれる人が増えるんじゃないかという思いが、何となくイメージとしてあったが、逆に、思ったとおりいっていないというか、口を閉ざす人が多くなってきているのかなという印象だ。
その原因に、その取材のあり方等々に問題があったのか、あるいは、その対象者自身の生きざまか、ということはわからないが、いずれにせよ当事者にとってみれば、小学生で言えば、入学から卒業しても、なお月日が経つような長い期間を被災と地震の復興に充てているという、その人生というのは本当に大きいものなんだなということをつくづく感じいる。
仮設住宅も、いまだに人が住んでいるという状況。今残っていらっしゃる方々は、やはり経済的な部分だったり、あるいは自分の周りの家族との関係性があったりとかという形を考えると、非常に孤立感のある人たちで、我々は、「寄り添う」と簡単に言いながらも、本当はそういう人たちを取り上げなければいけないと思いつつも、そこに暮らしていらっしゃる方は、なかなかカメラの前でお話をしてもらえるには厳しいというような状況になってきている。風化させないというのは、やっぱり続けること。そして岩手に住む我々として、できることをやっていく、地道にやっていくことだとは思うが、実際問題やってみると、月日がたつからこそ簡単だと思っていたものが難しかったり、だけれどもやらなければいけないなというような、当然悩みながら日々取材をしている。
そして、今までなら復旧なり、再生の道を果たすということで、人にスポットを当てながら、その人なりの生きざまみたいなものを出せればよかったのだが、もうこの時点になってくると、もう少し大きな目で被災地を俯瞰しなければいけない。取材するほうも、どういう面から切っていくかということを考えなければいけないなという中で、続けるということが、やっぱり少しでも風化の防止につながるのかなという思いをしている。
ただ、「風化、風化」とよく言うが、少なくとも沿岸被災地の人たちにとってみれば、風化することはあり得ない。むしろ風化してしまうのは、やっぱり当事者ではない人たち。そこを含めた風化を防ぐということを考えると、この放送なり、テレビなり、ラジオの役割というのはすごく大きいなということを身をもって感じている状況だ。

(放送局)先ほどの津波の映像については、我々もずっと迷っているところで、今、弊社では「これから津波の映像が流れます」というスーパーでお断りをしてから映像を出すような形にはしているが、これは自己満足の世界なのかどうかとか、そういったところも含めて、今後、津波の映像をどうしていくのかというのは、すごく考えなければいけないなという気持ちでいる。3.11の教訓を、絶対に来ると言われている南海トラフにどう生かしていくのかとか、そういった考え方もあるわけなので、確かにあの津波の威力、津波が来たことの悲惨さというのは、やはり映像のインパクトというのはすごく強い。これはやっぱり伝えていかなければならないんだろうなと思いつつ、どうやって出していくのか、悩みどころだ。

(放送局)津波の映像については、基本的には積極的には使っていない。ただ映像の力というのがあるので、怖さ、そういった部分を伝える上で、あの映像を使わなければいけないタイミングというのは、どこかで出てくるかなと思っている。社内でも積極的に使いたい派と、まだだという派がいる。使うタイミングは、悩みどころかなとは思っている。
風化については、内陸にいる我々が風化している部分があるし、全国に伝えていかなければいけないというところももちろんある。被災3県の系列局があるが、毎月1回特集枠があり、持ち回りでやっている。3局とも同じテーマに沿った企画を放送している。福島県の原発を抱えている現状だとか、宮城県の漁業に関するテーマだったりとか、そちらのネタを岩手県で放送することにすごく意味があって、そこにヒントがあったりとか、ほかの2県のお話、なかなか全国ネットでも最近放送しないという中、ローカルで見られるというのは良いという意見も受けているので、そういった形で、岩手の局として、岩手の情報を岩手の方々に伝える。同じ悩みを抱えている被災地の2県の特集をあえて月1回放送して、それを伝えるというところにも、今、意味を見つけ始めている。

(吉永委員)外から見る災害と、うちの中で当事者として取材をしていくという、被災者であると同時に取材者であるという、その立場、とても複雑でもあり、難しいことでもあるのかなと思う。
発災から少し経ったころ、避難所から本が欲しいというリクエストがあったので、持っていった。津波の写真雑誌とか、私はそれを避けた。当たり障りのない楽しめる本を持って行ったら、避難所の人たちに、「津波の写真の本ないの?」と言われた。びっくりして「それは置いてきた」と言ったら、「それが見たい」と言われた。私たちは外にいて、全部見ているが、現場にいた人は、自分の町がどうなっちゃったのかがわかっていないと。だから「見せてほしい」と言われたときに、こちらが思っている思いやりみたいなものとか、現場の人が本当にその現実を知りたい。自分の身に何が起きたのか、この町にどんなふうに起きて、ほかのエリアはどうなっているのかという、知りたいという思いと、外から見るのと違うんだなということを感じた。
それと、「風化をさせない」という言葉が踊る度に、何を風化させないのか、風化させないとは何なのかと考えてしまう。メディアにとって1年に1回は思い出す日、終戦記念日と一緒のように、3月11日になるとキー局でも特番をやる。新聞も特集を組む。
この日にこのことがあったんだ。そこで大きな被害を受けて、大変な多くの人が命を落としたり、今まで営々と築き上げてきた生活を失ったんだというようなことを、この1年に1回思い出すことが「風化させない」ということなんだろうか。何かちょっと違うような気もする。「風化をさせない」というのは、もっとそこの現場にいた人たちの、無念というか、その中で踏ん張って生きていかなきゃいけないという思いというのを、風化させないということなのかなと考えてみたり、毎年3月が近づくたびにそのことを思う。

(榊原委員長)私たち当事者じゃない人間というのは忘れっぽい。社会をつくって生きている中で、やはりそういう人たちがいるんだということを、本当に、現地の人、被災者の方は、実際忘れようがない。毎日の現実なのだから。ただ現実でないと、やはり忘れるということがあるので、あのとき感じた共感というか、あれは何だったのかということを思い出すために、やはりやる必要があるのかなと。
もう一つ、お子さんの話が出ていた。8年たって大きくなったと。そうすると、子どもたちにとっても、そういうことがあったんだというようなことを伝えていくということは、意味があるのではないかと思う。

(緑川副委員長)災害報道ではないが、青少年委員会に来る視聴者意見で、子どもがまだ見ている時間で、子どもが見るような番組が終わって、その直後、そのままテレビをつけていたら、子どもが見て非常に怖がるような場面が、次の番組の紹介で出てきたと。こういう映像を突然出されると、「見たくなければ、見ないでいいだろう」と言われていても、避けることができないという趣旨の意見があった。事前にその辺りをテロップか何かで出してくれれば、親としては自分の子どもに配慮して、そのときにチャンネルを変えるとかできるという意見が出ることがある。これは津波についての意見ではなく、ドラマについて以前来た意見だったが、参考になるのではないかと思っている。
それから、被災者の方々のその後については、やはり私たちが日本人として知らなければいけないことだし、それを報道できるのはきっちりとした取材のできるローカル局の皆さんなのだろうと、皆さんのお話を聞いていて思った。

(事務局)最後に榊原委員長のから、まとめの一言をお願いします。

(榊原委員長)いじめに関する、あるいは自殺、その報道について、それから災害についての報道ということについて、私たちは、皆さんが非常に悩みながら、さまざまなことを考慮して番組をつくっているということを、非常に感銘を受けながら伺った。
皆さんの中には不本意と思われるような視聴者からの意見を一応お見せしたが、このような一般的な意見があることは、皆さんも知っておいていただきたい。これが必ずしもBPOの意見というのではなくて、こういうように十分理解してもらえていない人も見ているんだというのは一つの現実なので、提供させてもらった。
きょうのテーマの大切なことは、やはり社会的なミッションとして、災害報道を被災地として出していくこと。あるいは、報道にはいじめという社会的に大きな問題について、それをどうしたらいいのかということを広く社会に発信していくという、社会的な大きなミッションを持っていらっしゃると思う。
同時に、そこで対象になる子どもであったり、あるいはその被災者である、特に子どもの被災者たちを取材するときの大きな課題がある。その2つの問題を悩みながらつくっていらっしゃるということがよく分かった。私たちは本当に放送をいかによくしていくのか、国民にとっていい放送を提供するのかということを、どうすればお助けできるかという立場ですので、非常に勉強になった。きょうは最初の緑川副委員長から子どもの番組に関する私たちの要望や、少年法のお話もあったが、参考にしてもらって今後もよい番組をつくっていっていただけると、私たちの役目も果たせたのかと思う。本当にきょうは長い時間ありがとうございました。

(事務局)最後に閉会のご挨拶を、岩手朝日テレビ常務取締役・報道制作局長 長生正広様にお願いします。

(長生報道制作局長)僭越ですけれども、一言挨拶をさせていただきます。
本日は委員の皆さん、盛岡までお越しいただきましてありがとうございました。貴重な意見交換ができたというふうに思っております。
我々報道機関としては、青少年にかかわるニュース番組をどう扱うかというのは、ずっと悩むところです。我々の大先輩たちも、ずっと悩み続けている問題だと思います。
ただ、ずっと悩んでいるということは、要は100%の正解がないという問題だと思いますので、都度、物事が起こったときに、どうするかというのを各局とも判断され、ニュースですから、時間もない中で非常に厳しい判断を迫られることもあると思います。そういうことだから、各局で扱い方が違うことも多々あるのだろうと思います。
ただ、我々はこれからも、やっぱりこの問題に悩み続けて、正解はないんでしょうけれども、より正解に近い答えを出しながら放送していくということだと思います。
震災報道も、非常に難しい時期に入ってくるというのも、先ほども皆さんのお話にもありました。これからますます難しくなるんだと思います。吉永さんからありましたけれども、「風化させない」という言葉を風化させないということも大事かなと思いますし、我々は、中身でちゃんと風化させないような報道もしていくということかなと思います。
きょうの話を皆さん持ち帰って、現場とも共有しながら、よりよい報道に努めていきたいと思います。ありがとうございました。

以上

2018年10月2日

青少年委員会 「意見交換会」(熊本)の報告

◆概要◆

青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的に沿って、"視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能"を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、熊本県の放送局との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、10月2日の14時から17時半まで、「意見交換会」を開催しました。
BPOからは、榊原洋一 青少年委員会委員長、緑川由香 副委員長、稲増龍夫 委員、大平健 委員、菅原ますみ 委員、中橋雄 委員、吉永みち子 委員の全委員と、濱田純一 理事長、三好晴海 専務理事が参加しました。放送局の参加者は、NHK、熊本放送、テレビ熊本、熊本県民テレビ、熊本朝日放送、エフエム熊本の各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など23人です。
会合ではまず、地元放送局を代表してNHK熊本放送局の宮原孝明局長からご挨拶をいただきました。続いて濱田理事長が「BPOと青少年委員会」について説明をしたのち、
(1)「赤ちゃんポスト」を巡る報道や番組制作について、(2)熊本地震における災害報道について(青少年が関わる事柄について)、(3)青少年に関する取材全般についての課題と疑問など、について活発に意見交換がなされました。

【地元放送局代表 挨拶】(NHK熊本放送局 宮原孝明局長)

地元の放送局代表というのでNHKは全国転勤族じゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私は熊本出身なので、そういうこともあり、挨拶を一言、させていただこうと思う。
BPOというと、怖い印象を持つ放送現場の方がいらっしゃるかもしれない。実は私も、かつてはそういう思いを持って記者として取材をしていた時期もあった。でも、BPOは、本当は放送局の味方、ちょっと不遜な言い方をさせてもらうと、パートナーというつもりで、私はいる。実は私は、BPOの意見交換会に参加するのは今回で4回目になる。今年の6月まで広島放送局に勤務しており、これまでの3年間で放送倫理検証委員会、放送人権委員会、そしてこの青少年委員会と、3回の意見交換会がありそのすべてに参加し、今回は2周目に入ったところだ。それまではBPOは伝え聞くだけの組織だったが、ざっくばらんに意見交換をさせていただくうちに、先ほどのような印象に変わった。
私が初めて参加したのは2015年に行われた放送倫理検証委員会の意見交換会だったが、実はその直前にNHKは『クローズアップ現代』という番組の報道を巡りBPOから委員会決定がなされていた。「何でこんなタイミングにBPOの意見交換会があるんだろう」と思いながらの参加だったが、そこで、委員の皆さんの放送局に対する意見、そして、BPOの視点などに触れることができた。実はそのときに放送倫理検証委員会に出された決定を、私はいつも持っていて、きょうも持っている。BPOのウェブサイトからダウンロードできるので、もし読んでいらっしゃらない方がいらしたら、ぜひ読んでいただければと思う。当然、前半の部分では当時のNHKの番組についての問題点などが指摘されているのだが、何よりも「終わりに」と書かれた4ページにわたり書かれている意見が、非常にBPOをあらわしていると思う。要は、当時の総務省の行政指導や、自民党の部会による意見聴取、事情聴取を、本当に毅然とした書きっぷりで厳しく批判している。それらの経験を通して、やはり、BPOと放送現場は意見を交わしながらやっていかなければいけないと思っている。
きょうは「赤ちゃんポスト」や「熊本地震」など熊本の放送現場が直面している課題について意見交換をするということで、何か言ってはいけないことがあるのではないかなどと構えている方もいるかもしれないが、そんなことは気にせず、自由に意見を交換しあう意味のある場にできればと思う。

【BPOと青少年委員会】(濱田理事長)

私からは、BPOの概略と、青少年委員会がこれまでどのように考えて活動してきたかということを、ざくっとお伝えしたい。BPOには放送倫理検証委員会、放送人権委員会、青少年委員会の3つの委員会があり、それぞれの役割を果たしている。放送倫理検証委員会は、放送倫理上の問題を取り扱うわけだが、特に、事実に対する向き合い方や事実をおろそかにしていないか、ということについて委員は注意を払っているという印象を私自身は持っている。
BPOについては今、宮原さんが実感を持ってどういう組織かということを語っていただいたので、それ以上つけ加えることはないが、よく「自主規制の機関なのか」、それとも「第三者機関なのか」ということを聞かれる。そういうときには「BPOは、第三者の支援を得て、放送局、あるいは、放送関係者が自律を行う仕組みだ」と、答えている。
もちろん、この自律を放送局が行えばそれでいいのだが、それだけでは視聴者や国民の信頼を得られない場合もある。そういう場合に第三者が関与することによって、放送の自由と自律を守っていこうという仕組みだ。
そういう意味で強調したいのは、自律の主体はあくまで放送事業者、放送に関係する方々だということだ。つまり、放送に関係する方々が自分たちの自由のために、あるいは、自分たちの責任のために一生懸命頑張っていこうとしている、それをしっかりと第三者の立場から応援するのがBPOということになる。極端に言えば、放送に携わる方が、自由や責任を放棄してしまうとBPOという組織は成り立たない。BPOとは、あくまで放送で頑張ろうとしている方々を応援する組織だと、私は考えている。
ただ、こういう仕組みがきちんと機能するためには、BPOという組織と放送に携わる方々との相互交流がしっかり保たれなければいけない。そのために、BPOが番組や放送について考え方を示した場合には、それに対応して放送局の方々がどういうふうに改善をしたかの報告をいただく、あるいは、研修をしてもらう、あるいは、きょうのように意見交換会をする、あるいは、さまざまな事例を取り扱う勉強会を一緒に行うなど、いろいろな仕組みが設けられている。BPOの役割というと、ともすれば、決定や見解、考え方が公表されておしまいというふうに世の中の人は見ているかもしれないが、それだけではなくて、それらをどのようにして今後の放送番組に生かしていくかという、そのためのプロセスをきちんと動かす活動が大切なのだと思っている。そういう意味で、3カ月報告、研修、研究会など放送局とBPOという組織がやりとりをするこのような仕組みこそが、BPOというものが自由と自律を保証するための応援をしていくうえで、とても重要だと考えている。
各委員会はこれまでに様々な決定や見解等を出しているが、私が強調しておきたいのは、それらが出されたときの受け取り方、読み方についてだ。これは、勝った、負けたではないということだ。つまり、決定や見解などの中には、番組づくりにあたって何を考えることが大切なのかという、基幹となるメッセージが含まれている。そういうものを手がかりに、これからの番組づくりを自分の頭でしっかり考えてやっていってほしい、それが委員会として、特に希望しているところである。自分の頭で考えるというのは、何か表現をすることの根本だろうと思う。もう少しかたく言えば、ジャーナリズムというのは、自分の目で見、自分の耳で聞き、しっかりと事実を踏まえて自分の頭で考えていくことが根幹であり基本だろう。その基本を番組づくりにおいて忘れないようにする、そのきっかけが、BPOの出す決定や見解であるというふうに受けとめていただけるとありがたい。
特に、青少年委員会について話をすれば、青少年委員会では視聴者から日々寄せられているさまざまな意見に注意を払っている。そういう意見や、良質な番組の視聴講評などを通じて視聴者と放送局を結ぶ回路としての役割を果たしていこうというのが特に青少年委員会の特徴である。また青少年委員会は、青少年とメディアについての調査研究も行い定期的に公表もしている。つまり、放送倫理検証委員会、放送人権委員会というのは、どちらかといえば、問題がある番組についてものを言うという性格が強いが、青少年委員会は視聴者と放送局を結ぶための回路をどうつくっていくか、そういうところにかなり力を入れている委員会ということをご理解いただきたい。
また青少年委員会には、中高生モニターという仕組みがある。BPOに来る視聴者意見というのは、壮年以上の方の意見が多い。青少年の声が届けられることはなかなかないので、モニター制度や調査研究を通じて、青少年の意識をしっかりつかんでいこうという取り組みを行っている。また青少年委員会では基本的にどのようなスタンスをとっているのか、それがわかるメッセージをたびたび出してきたので、そのいくつかを抜粋し紹介をしておきたい。
まずバラエティー番組についてだが、「バラエティー番組は特に放送の限界に挑戦し、新たな笑いの文化を生み、視聴者の心を開放し、活力を与えるという、大きな働きがあります」と、以前出した見解の中で述べている。つまりバラエティー番組というのは、ともすれば、下品だとか不真面目だとかいう評価もされるが、しかしバラエティー番組というのも、人々の生活にとってとても大切なものだということをしっかり押さえた上で議論をしていこうというのが青少年委員会のスタンスである。これは青少年委員会に限らず、広く各委員会のスタンスでもあるが、そのような考え方を踏まえながら、いろいろな議論がされているということだ。それでもやはり、人間の尊厳に背くような行為をあえてして笑いをとろうとするような場合には、視聴者からの批判の意見が寄せられる。そういう意味では、バラエティー番組なども含め番組によって、人々の心に訴えかける、人々に喜んでもらう、あるいは、開放感を味わってもらう、そういう制作上での挑戦を行うことによって人間の尊厳や価値に何が生じるかということに想像力を働かせてほしい。これまで問題になったいろいろな案件では、それらの基本を失念していたとか、あるいは、そういう問題意識が議論の俎上に上らなかったというような報告が、放送局から出されることがある。しかし、そういう基本、根幹はしっかりと押さえながら番組づくりをしてほしい。世の中から下品だ、つまらないなどと批判される内容であっても、どういう意図で放送したのかということをしっかり伝えることができれば、放送として番組として立派なものだと私は思う。
ただ、そういうことすら考えずに、とにかく放送してしまうということを、委員会としても一番、気にしている。あくまでしっかりと考え、創造力を働かせながら番組づくりを行ってほしい。それが委員の思いだろうと、私は思っている。
ただ意見や見解というものは、委員の目から見て申しあげるわけだが、それがひょっとすると番組づくりの現場と見方が違うかもしれない。その可能性は常に、委員も慎重に考えている。また、実際に番組づくりの現場にいる方からすれば、委員は一体何を考えているのか、と思われることもある。そういう差を、少しでも縮めていこうということでこのような意見交換会が設けられている。ちなみに今、申しあげた趣旨が、青少年委員会の考え方の中にうまくまとめられているので最後に読ませていただきたい。『青少年委員会は青少年に番組が与える影響をできるだけポジティブなものにするために、局側が気づかない視点を提示したり、安易に番組を作成したため結果として逆の効果を生んでいるところの問題を指摘したりして、それを克服するための方策を探ってもらうこと、青少年たちがよい番組として認知しているものや理由を伝え参考にしてもらうことなど、結果として青少年によい影響を与えうる番組の制作、番組向上への気運を高めることを大事なミッションとしています』。
きょうの意見交換会で大事なのはこの考え方で、すぐに意見の一致が得られるわけではないということは承知しているが、意見交換を行うことは決して無駄ではなく、双方への理解を深める貴重な機会となるはずだ。今後もよりよい番組づくりのために各放送局と意見交換を行い、ともに考え続けることができればと願っている。これは青少年委員会を含め、各委員会からの明確なメッセージでもある。以上で説明は終わろうと思うが、おしまいに私が日ごろあちこちで言っていることを伝えたい。放送の自由と自律を支えていくというのは、放送人としての誇りと緊張感であろうと思う。誇りと緊張感を思い起こしていただくというのが、BPOの役割ということになる。BPOというのは組織であり、仕組みであり、思想でもあると、私は思う。BPOというのは一つの組織ではあるが、さまざまな意見交換を通じて動いていくことで初めて意味がある、放送番組がよりよいものになってくる、そういうきっかけになってくる、そういうものだと思う。そのように自分たちが抱えている課題を、自分たちで議論して解決していくことは、社会のあり方としては、とてもすばらしいものだろう。そういう意味で、BPOは社会の哲学だということになる。そのような市民社会の在り方としての一つの夢の形の実現を、BPOが媒介をして、放送に携わる方々にやっていただいているということだ。その一つの形が、きょうの意見交換会であるいうことを、改めてご理解いただければうれしい。

【意見交換の概要】

(1)「赤ちゃんポスト」を巡る報道や番組制作について

※「赤ちゃんポスト」とは
実の親が諸事情のために育てることのできない赤ちゃんを匿名で受け入れる施設。国内唯一の施設が、熊本市にある慈恵病院が2007年5月10日、運用を開始した<こうのとりのゆりかご>である。2018年3月末までに137人が預け入れられている。
※「赤ちゃんポスト」についての議論を進めるにあたり、熊本放送・熊本県民テレビの2局の理解と協力を得て、参加者には事前に以下の2番組を視聴いただいた。

【熊本放送】
RKK NEWS JUST ゆりかご10年シリーズ(3) 『預けられた赤ちゃんは今…』
「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」に預けられ、育ての親のもとで10代に成長した子どもに、現在の思いをインタビューするニュース内企画

【熊本県民テレビ】
NNNドキュメント’18『ゆりかごから届く声~赤ちゃんポスト11年~』
出自が分からない子どもを生み出してしまうという問題など様々な課題が横たわる一方、孤立する女性の駆け込み寺のような存在となる慈恵病院の取り組みや、ゆりかごに赤ちゃんを入れた女性の声、特別養子縁組の実例などを通して、家族とは何かを考えるドキュメンタリー

(事務局)本日の意見交換会参加にあたり、事前に番組を視聴してもらい、アンケートに回答していただいたが、そのなかで特に関心が高かったポイントについて、議論をしていきたい。アンケートで多かった回答は、取材する際のプライバシーの配慮と報道の兼ね合いについてや子どもの将来についての配慮、取材の工夫と課題、ポストについての議論が深められないことへのジレンマなどがある。言わずもがなではあるが、きょうは赤ちゃんポストの是非を問う議論ではなく、メディアの人間が、赤ちゃんポストにどのように向き合っていくかということについての議論を行いたいと思う。
まずは事前視聴していただいた番組の取材制作者の狙いや思いについて、RKK熊本放送報道部の佐々木慎介さんからお話しいただく。

(熊本放送報道部 佐々木キャスター)熊本の「こうのとりのゆりかご」赤ちゃんポストに関して、RKKでの取り組みについて紹介させていただく。熊本には水俣病やダム問題、ハンセン病、諫早湾の干拓問題、そしてトンネルじん肺など人権問題に関する深い取材テーマが常にたくさんある。そこに11年前、新たに加わったのが「こうのとりのゆりかご・赤ちゃんポスト」の問題だ。熊本の皆さんには説明は不要だが、委員の皆様に向けて簡単に概要を説明する。熊本市内にある民間の産婦人科病院・慈恵病院が国内で唯一、赤ちゃんを匿名でも受け入れるという赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を運用している。2006年11月に計画が発表され、各局が一斉に取材をスタートしたのが11年前のことだ。それ以来、2007年5月10日に運用が始まり、11年間で137人が赤ちゃんポストに預けられた。この子たちに関しては運用の仕組み上、親がわかればその親の居住地近くの乳児院などに措置されるが、親がわからない場合には、熊本市長が名付け親になり熊本県内の乳児院に措置されることになっている。137人の中の一定数は親がわからないので、我々は今、そういった子どもたちと一緒にこの熊本で暮らしているということになる。
RKK熊本放送としては、計画発表から取材を開始し、これまでに350本を超えるニュースを放送してきた。また節目には、TBSを通じて全国ニュースにも発信をしている。もちろんドキュメンタリーも熊本県域、九州ネット、関東ネットの放送などで、30分から1時間の番組を何本か制作している。
さらにニュースやドキュメンタリーだけではなかなか一般の方や若い方は見にくいだろうということで2006年、全国ネットの2時間ドラマも制作した。預けた母親、預けられた子ども、預けられた子どもを育てている親、それから病院関係者などを訪ねて全国を取材し、脚本家とともに3か月かけて脚本をつくり上げ、放送に至った。
赤ちゃんポストの問題というのは、子どもの立場、それから大人の立場、社会の立場、どの立場から見るかで全く見え方が変わるので、我々も特集を組むにあたり、どのようなテーマで取り組むかと毎回、頭を悩ませている。去年は赤ちゃんポストが10年を迎えたということで運用開始の5月10日を中心に特集を9本制作した。その中の3本目、運用開始丸10年の5月10日に放送した企画「預けられた赤ちゃんは今」を今回ご参加のみなさまにご視聴いただいた。
このインタビューを行うにあたり数年前から、本人とその保護者と接触していた。最初は「いつかあなたがゆりかごに預けられるということについて、何かテレビで言いたいというときには、ぜひ、私に知らせてほしい」ということで話をしていた。インタビュー取材に入る前にも2度、自宅を訪ね、最終的な意思確認を行い、個人の特定につながらないための約束事を書面に明記したうえで保護者と一緒に打ち合わせをした。打ち合わせでは、名前や居住地、年齢、就学状況、預入の背景などの表現をどのようにするかや、映像や音声の加工についてや取材時の服装についての約束事などを取り決め合意した。
また本人が現在暮らす地方の方言で話したときには、その部分の放送はやめるという打ち合わせもした。しかし、私たちがどうしても使いたいと思うようないいコメントが出たところで、本人もその言葉に気合いが入るので、方言が出てしまうということがあり、使いたかったコメントが使えなかったというようなこともあった。
また今回視聴していただいた企画ではないが、預けた女性についても取材をしており、この女性については取材に向かう途中の量販店で洋服を買い、その服を着てインタビューに答えていただき、インタビューが終わり次第、その服は廃棄した。服装に関する特徴などから本人が特定されることのないようにという配慮からだ。
今回、インタビューに答えてもらった男の子と保護者の放送後の反応についてだが、放送後会いに行き確認をしている。結果的には、本人の学校や地域で、テレビに出演したことについてのリアクションはなく、全くばれてはいなかったということだった。本人もテレビに出たことについては、誰かから強制されたわけではなく、伝えたいことがあった、と話してくれた。また里親である保護者の話では、「本人はゆりかごに預けられたという使命を背負っているので、そのことについてスピークアウトしていくという思いを持っているだろうと感じる。18歳未満のうちは私たちの責任だが、18歳を過ぎたら本人の意思で取材を受けることになるだろう」と話をしていた。本人に、「成人したら顔出し、実名で取材を受けますか」と聞いたら苦笑いをしていたが、預けられた子どもたちがスピークアウトするときはすぐそこまで来ているのかもしれない。

(事務局)とても丁寧に、取材対象者と向き合われた様子がわかったが、取材の過程で葛藤したり躊躇したりするような場面はなかったのか。

(熊本放送 佐々木)本人を特定されるのが一番まずい。従って、社内でも、当時の編集長、部長ぐらいしか私の接触相手を知らなかった。実際、全国のどこでどのような取材をしているか、私とカメラマンしか知らない。例えば、預けられた女性のインタビューは、ホテルの部屋を一室借りて、屋外でカメラを回すということは一切しなかった。つまり、その人にテレビカメラが向いているというシチュエーションを、公共の場で一切作らなかった。

(事務局)放送後の一般視聴者の反響はどうだったのか。

(熊本放送 佐々木)こういう形で預けられた子がいるんだということ、自分たちの社会や身の回りにこういう境遇の子がいるんだということがわかったという反応は、幾つかあった。まずはそのことをわかってもらうことが大事だと思う。
どうしても私たちは、両親がいて兄弟がいて祖父母がいて、というような標準的な家族に対してカメラを向けることが多いのだが、そうではないシチュエーションで、私たちの隣で生活している友達がいるということをわかってもらうことは、すごく大事かなと考えている。

(放送局)最初に映像を拝見したときに、佐々木さんがすごくラフな服装だと感じたが、子どもに打ち解けてもらうために敢えてそのようにしたのか?

(熊本放送 佐々木)狙いが当たったか外れたかはわからないが、そのつもりだった。本来であれば多分、スーツにネクタイということだとは思う。

(放送局)佐々木さんが出演した放送は当然、病院側との信頼関係があって成り立っているとは思う。しかし例えば、この放送を、これから慈恵病院に相談しようとか、預けることになるかもしれないと考えている女性が見たときに、赤ちゃんポストに子どもを預けると、マスコミに追いかけられることになるのではないか?という不安も抱かせることにならないだろうか、という葛藤はなかったのか?

(熊本放送 佐々木)それは多分、各局の皆さんも抱えている葛藤だろうと思う。我々メディアが、ゆりかご報道を通して何かを伝えるとき、「どれだけ母親が孤立しているか」や「父親の無責任さ」そして、「社会がそれに対していかに冷たいか」ということを視聴者に知ってもらうために、言葉は悪いが、彼らにスピークアウトしてもらうしかない。そういう中で、メディアが騒がなければ追跡される心配もないわけだが、しかし、だからこそ、取材に入るまでの間に決して強制はせず、直接会う前にも手紙でのやりとりを踏んで、ようやく面会するというようなプロセスが大事なのだと思う。

(榊原委員長)実際に今回、当事者にインタビューをしてみて、彼らの思いや発言について佐々木さんが事前に思ったとおりの発言だったのか、あるいは、思っていなかったような発言を得られたのか、聞かせてほしい。

(熊本放送 佐々木)インタビューを終えてほっとしたことを覚えている。このVTRの中でも言っているが、彼らが幸せとは言わないまでも、一般的な子どもたちと同じように、普通に成長していくかどうかというところが、自分たちの追跡取材の意味だと思っている。彼は、現在暮らしている居住地で、あるスポーツで2番になったぐらい運動を頑張っている。勉強も頑張っている。普通の子どもとして育っている。普通に育っているということに、私はすごく、ほっとした。支持者や専門家、コメンテーターなどが様々にこうのとりのゆりかごの是非を論じているが、最終的にその答えは、預けられた子たちしか持ち合わせていないだろうと、私は思っている。だからこそ、いつか、預けられた子に話を聞きたいと考えてきた。その子たちがしっかり自分の言葉で話せるまで待とうという中で、今、10年待って、ようやくこの取材が実現したということだ。

(放送局)番組を拝見し、スタンスも非常に明確ですばらしい取材をされていると思った。今のお話を伺っても、信頼関係を得るために、長年取材をされ、配慮もされていることに、地元の放送局としてすごくいい仕事をしていらっしゃるなと感じた。その上で、2点伺いたい。まず1点目は、子どもが着ていた服の柄が迷彩服のような特徴のある服装だったこと気になったのだが、そのあたりの配慮を伺いたい。2点目は、137人の預けられた子どもがいるなかで、今回の子どもは非常に幸せだという前向きなリポートだったとは思うが、そうでない子どもも多分いるであろうなかで、今回の出演者を137人いる子どもの代表としていいのかどうかとか、あるいは、そうではない状況の子どもいるんだということをどのように伝えるかということについて議論はなかったのか?

(熊本放送 佐々木)子どもの服装に関しては、最初こちらで量販店の服を提供すると提案したのだが、もうすぐサイズアウトし着なくなる服があるのでそれを着用すると先方から言われ、あの服装になった。取材の後、彼はこの服を着ていないようだ。
また2つ目の質問に関してだが、幼すぎる子どもだと、なかなか自分の言葉で、自分の考えを述べるということは難しいと思うが、彼は、取材の過程でも、保護者がいない場でもしっかり、自分の考えを伝えてくれていたので、彼の話は放送の価値があると判断した。ご指摘のように、厳しい境遇の中で育っている子も当然いるので、今後、そういう明暗の暗の部分の取材にも関わらなくてはならないと自覚している。

(放送局)服装について、感想だけだが、私も記者をやっていたが、自分ならどうするかと思った場合に、特定されたくない出演者が特徴のある服を着ていたら、本人がかまわないと言っても、着がえてもらうかな、と思った。かなり細かいことだが、喉に小さいほくろがあったことも気になったぐらいだったので、ちょっと神経を使い過ぎなのかもしれないし、いろいろな判断があると思うが、自分が取材者だったら服装は変えてもらうだろうと思った。

(菅原委員)難しい出自である彼が今、幸せであるという、その10年間の歩みやプロセスを、見ているほうはインタビューを聞きながら想像するのだが、放送の中で子どもの口から『なぜの部分』が語られなかったとしても、佐々木さんたちが取材の過程で感じられたことがあったら、お聞きしたい。

(熊本放送 佐々木)VTRの中では、友達と遊ぶとか勉強するということに幸せを感じるよと、紹介している。しかし、家族の関わりや地域との関わりについては、彼以外の人物が画面に登場することで個人の特定につながってしまうので放送できない。他にも運動は何をやっているとか、いわゆる彼の日常生活に関して情報を補足すると、そのことがどんどん本人の特定につながってしまうので、本当に出したい情報があるのに出せない。彼がニコニコ笑う表情も、モザイクで隠さなきゃいけないなど、放送したいことが放送できないということが、やはりすごく難しかった。

(中橋委員)赤ちゃんポストの問題というのは社会全体で、これからも考えていかなくてはならない問題だと思うので、これからもマスメディアが取り扱っていくということは使命だと感じるが、実際にオンエアを終えて反響も受けた上で、もっとこうしておけばよかった、次があったらこういうふうにしたいなどと思うようなことがあれば、教えていただきたい。

(熊本放送 佐々木)今回の子どものご家族ともいつも話をしているのだが、彼らはゆりかごに預けられたということを、負の遺産として背負っていきたくないと考えている。私たちの社会はどうしても、「ゆりかごに預けられた子たちはかわいそうだ、不幸だ」「産みの親がだらしなかった」などというイメージで捉え、それを預けられた子どもたちにまで背負わせてしまっているのかもしれないが、彼らは、「ゆりかごで命を助けられたんだ」とすごく前向きに育っている。実際、ゆりかごに預けられた他の子とも連絡を取り合っているが、みんな、ゆりかごに預けられたことを、恥ずかしいと思っていない。ゆりかごに預けられる前の父母のことよりも、ゆりかごから自分たちの人生が出発していると考えたり、今の保護者から伝えられたりしている子が多いので、いつかは、ゆりかごに預けられた子どもが顔出し、実名で、社会に何かを訴えたいという日が来るのではないか、と期待している。

(中橋委員)彼らが大人になって、社会的に発言をすることの意味や、赤ちゃんポストの仕組みや歴史などを詳しく知った後での発言と、まだ子どもである現在の発言というのは多分、変わってくることもあるだろう。そのときが来たら改めて考えなくてはならない問題なのだろうと思う。

(吉永委員)東京に暮らしているとなかなか継続的に見ることができず、節目節目に断続的に、考えるくらいだった。放送されたシリーズ全体を視聴すれば受ける印象もまた違うのだと思うが、事前に視聴させていただいた1本だけを見て一つ、二つ伺いたい。里親の方は、事実を前向きに捉えて肯定的に使命を持って、子どもを引き取っている。放送局もこの取り組みをきちんと伝えたいという使命を持っている。それに対して、子ども自身はどのくらい同じ思いを持っているのかなと感じた。そもそも子どもは親に対してものすごく配慮するところがあって、親がこういうふうに思っているんだったら自分もこうしなきゃいけないと、けなげに考えたりすることがある。自分はゆりかごの子どもであるということを理解している境遇であればなおのこと、そういうふうに思ってしまうのではないだろうか。例えば、インタビューに答える子どもの表情がわかるならば、私はそれを読み取れると思うが、この場合モザイクがかかっていることはすごく大事なことだけれども、大事であるがゆえに、逆に、この子のことがいまひとつわかり切れないというジレンマもあった。この子は今回の取材を自分で引き受けたがゆえに、これを背負っていかなきゃいけないのだろうなという点も、気になった。
それともう一つは、幸せであるということはすごくいいことだし、ほっとするのだが、幸せでなくても生きていてほしいというような思いがあるので、ある時期は不幸せかもしれないが、その先に、例えば二十歳になったときに、幸せだと感じてくれるかもしれない。そうすると、やはり、あるメッセージとして、幸せであることがこの制度の一つの目的のような感じになっていいのかなという思いと、やはりそうであってほしいという思いと、見ていてすごく葛藤があったのだが、佐々木さんがインタビューしながら、この2点について、どんなふうな思いがあったかを伺いたい。

(熊本放送 佐々木)今回インタビューに答えてくれた彼は、ゆりかごの報道を記事で見つけると、スクラップをしているそうだ。そのぐらい、自分の出自はゆりかごだということを、今はそのまま背負っている。私たちRKKは、当初から、このゆりかご問題の答えが出るのは20年先になるか30年先になるかわからないし、そのときに答えが出るかもわからないということで、常々、キャスターコメントをしてきた。同じように、ゆりかごを開設された慈恵病院の理事長の蓮田さんという方はずっと、「預けられた子がその後も幸せに育ってほしい」と言っている。ということで、今回のインタビューでは、「理事長が幸せになってほしいというふうに思っているが、あなたは幸せですか」という聞き方をした。私たちがスタジオで受けるキャスターコメントとしては、「彼らが普通に暮らせるような社会環境になっているのだろうか」ということを、常に述べるようにしている。だから我々のほうから「彼らが幸せな世の中にしなくてはならない」とか「彼らは幸せに育たなくてはいけない」などというふうにコメントをしないようにしているということは、今のご心配と少し一致するかもしれない。

(緑川副委員長)「こうのとりのゆりかご」ができてから10年という中で、長い時間をかけて慎重に、丁寧に取材をして、取材対象者、関係者との間で信頼関係を得た上で、番組をつくっていることが感じ取れる番組で、これこそがテレビで報道すべき、つくるべき番組なのだろうと思った。事前に視聴した、もう1本の番組『ゆりかごから届く声~赤ちゃんポスト11年』も、制度全体の問題点や、ドイツで行われている内密出産の問題にまでテーマを広げて制作されており勉強になった。番組制作者の吉村さん(熊本県民テレビ)は、制作過程での思いとして、子どもたちが大きくなったときにこの番組を見て傷つかないか、その点について、いつも立ち返りながら制作したと聞いているが、具体的に、どのようなところで、どういう配慮をされたのか伺いたい。

(熊本県民テレビ報道部 吉村記者)現在は、違法とはいえ、ユーチューブで番組がいつでも見つけられる時代で、いつか子どもが大きくなったときにこの番組を目にして、もしかしたらこれは自分のことではないだろうか、と感じることがあるかもしれないと考えた。特に、ゆりかごに託された子どもについて心配だった。産みの親からの愛情を受けていたけれども、そのとき学生だったからやむを得ず託されたということをわかってもらえればいいと思った。要らなかったから捨てられたというふうに思ってほしくなかった。そのような気持ちを、ナレーションでうまく入れればいいと考え、今回の番組では、編集チームのみんなで話し合いながら制作した。

(緑川副委員長)当事者を特定されないよう匿名性を確保するための服装や撮影場所などへの配慮はどうだったのか?

(熊本県民テレビ 吉村)我々も子どもを託した母親のインタビュー時の服装を、制作サイドで用意した。また場所が特定されないよう、編集チームで細かく気をつけてチェックした。さらに靴下の柄などから特定につながってはいけないと、足元にもモザイクをかけたシーンもかなりある。ただ、その人の人となりというものをインタビューシーンに乗せたいという葛藤もあり、手元やちょっと少しの動きなどで彼女なりの葛藤を感じてほしいという点については、編集チームで考えたつもりだ。

(事務局)それに関しては、番組制作者のお二人から「個人を特定されないように配慮をすればするほど、映像のリアリティーが失われていってしまうので、そのはざまで悩んだ」や「ディテールを入れれば入れるほどプライバシーに寄っていってしまうので、ぎりぎりのラインで悩んだ」というような話を聞いている。

(熊本県民テレビ 大木編成局長)最初に理事長がおっしゃったが、こういう番組は勝ち負けではない。もちろん、他局でもすばらしい番組が作られていて、それよりもっといいものを作りたいという気持ちが、ディレクターには生まれるのだが、番組は勝ち負けではない。プロデューサーとしては、プライバシーと放送だけではなく、いかにディレクターが功名心を押さえるかというところも気にかけていた。もちろんプロデューサーとして、いいものをつくりたいし、それからリアリティーもどこかで出さないと、うそっぽくなってしまうと、放送とプライバシーの問題も考える。現場では苦労して取材をしているので、リアリティーは出してあげたいのだが、そこの部分は、本当に一つ一つ、リアリティーとプライバシーの保護を考えた。そしてもう一つ、番組は勝ち負けではないのだということ、私たちが目指さなくてはならないのは、この番組で何を伝えたいかということであると、伝え続けた。この小さな赤ちゃんポストの中には、今、子どもたちが置かれている過酷な現実や今の時代の課題や矛盾などが全部詰まっている、そういうものを見せることこそが一番のテーマなので、一つ一つのシーンにリアリティーを持たせるというよりも、番組全体でメッセージを伝えることのほうが大事だと、ディレクターには最初から言い続けた。そういう意味では、随分、悔しい思いをさせたとは思う。

(事務局)取材の中で苦労して知り得た情報を、制作の過程で捨てざるを得ないようなこともたくさんあったのではないかと思うが、その辺はどうか?

(熊本県民テレビ 吉村)出したい情報と出せない情報とを、編集チームで考えて臨んだ。開設当初にポストに0歳で入れられた子供が今、11歳。その子たちがどうやってこの思春期を過ごしているのかというところに、見た人が思いをはせてほしいと感じながら番組を作っていた。プライバシーの配慮については、居住地は基本的に言わないと決めた。また家族構成も知りたい情報ではあるが、生い立ちは明かさないようにしようと、決めて臨んだ。結果、イメージ映像ばかりになってしまい葛藤があったが、子どもを託した彼女の、葛藤した思いを感じてほしいという思いでつくった。

(熊本放送 佐々木)取材の過程で情報を知ってしまったがゆえに、非常に苦しむことも多々ある。例えば、生みの親の情報を私たちは取材の中で知りえたが、10年後、20年後の子どもの将来を考えたとき、育ての親には伝えないほうがいいだろうと判断し、育ての親には提供できなかったというような情報も、私たちは多々、握りながら取材をしているというのが現状だ。

(榊原委員長)なぜ、赤ちゃんポストの議論や運用が日本では広がらないのか。取材を通じて、何が問題だと感じたか?

(熊本県民テレビ 吉村)難しい質問だ。それがわかれば、赤ちゃんポストがどんどん広まると思う。取材中、ドイツの市民20人くらいにインタビューをしたが、みんな赤ちゃんポストについて知っていて関心があり、何が今、問題なのかといことをすらすら話してくれた。「自分は反対」「賛成」ということも言ってくれた。一方、熊本で街頭インタビューしたときには「賛成」「反対」さえも言えない現状だった。今回、放送後に寄せられた意見で、「赤ちゃんポストを知らなかった」というコメントがかなり寄せられたことにも衝撃を覚えた。こういう現実があるということに関心がないということが、一番大きな問題なのではないかと思う。またドイツは、民間が赤ちゃんポストを設置した後に、政府が運用や問題点について議会で話し合っている。その結果、問題点を踏まえて内密出産という新たなシステムが始められた。しかし日本では、熊本市政も赤ちゃんポストには関わっていない。もちろん国政では議論すらなされない。その点が、開設以来10年が経っても何も進んでいない日本とドイツとの相違点だと思う。まずは、番組を通じて、たくさんの方に赤ちゃんポストの実態を知ってもらい関心を持ってもらうことが必要だと考える。

(大平委員)みなさんの番組制作に向かう姿勢を伺っていると、プライバシーの保護を過剰に求めすぎる日本社会の問題が見えてくる。当事者のプライバシーが外へ漏れてはいけないとモザイクをかけていくと究極はモザイクだらけの画面でやるしかない。本当は、先ほどの話にもあったようにディテールにこそリアリティーが宿る。にっこり笑ったり悲しんだりするその表情を見れば、どんな育ちの人か、何を思っているのか、思っていないのか、言葉がなくてもわかるということがリアリティーだ。テレビが映像を武器にしているというのは、そういうことなわけで、それが発揮できないという今の世の中はやはりおかしいのかもしれない。

(2)熊本地震における災害報道について(青少年が関わる事柄について)

(事務局)第2部では、熊本地震における災害報道、特に、青少年が関わる事柄についてと、青少年に関する取材全般についての課題と疑問などについて話を進めたい。まず、熊本地震における災害報道についてだが、地震によるトラウマやPTSDへの配慮など日々どのようなことを思いながら取材していたかについて実際の経験を伺いたい。

(放送局)当時、ニュースデスクだったので、現場に出るより指示を出すほうが多かったが、時々、現場に行ったり、現場の記者の話を聞く中で感じていたことがある。それは、全国から大量におしよせたマスコミと地元の放送局との温度差だ。自分たちは被災地の局としてずっと寄り添っていく使命があるのでいろいろ配慮しながら取材を進めるが、応援でやってくる局のクルーは、節目に来て、取材をし、帰って放送を出せば終わりという感じを受けることもある。被災者の方から後から話を聞くと、どこから来たのかわからないようなカメラに勝手に撮られて、それが全国放送になっていたというようなこともあったようだ。
もう一つ、子どもたちへの配慮については、身一つで避難している人たちにカメラを向けるということは心苦しく葛藤もあったのだが、今、この現状を伝えることで何が足りないか全国に伝わるのではないか、今、このインタビューを流すことで、行政が問題に気づいてくれるのではないかと思い、その都度、保護者に了解を取って取材をしていた。
今、感じるのは、被災地の学校で「子どもたちが、カメラがあると不安になるので」という言葉が、当初よりも多く聞かれるようになった気がする。「子どもたちをあまり撮らないでほしい」という先生が多い。2年半たって、指導者側も非常にナーバスになってきているのかなということも感じつつ今、取材をしている。

(事務局)榊原委員長に小児科医の見地から教えていただきたいのだが、地震当時は大丈夫だったが、2年半経った今、カメラに対して子どもが不安を感じるというような症状があらわれることは、実際あるのか。

(榊原委員長)PTSD、心的外傷後ストレス障害という症状がある。例えば、有名な例では、アメリカの9.11のときに、現場にいてもいなくても、子どもたちがその後、悪夢を見たりするPTSDになった。ということで、現場にいれば、一定の割合で、大きなストレスを感じると心的外傷によって、そういうことが起こる。一人一人、感受性は違うが、繰り返し何度も何度も当時のことを聞かれるというようなことを繰り返すと、後になってから当時の記憶が誘発されるということは確かにある。ところが、もう一つ、子どもというのは、概してではないが大人よりも柔軟性がある。したがって、外傷後のストレス症候群がありながら、逆に、それを乗り越えていくような反応も出てくることがわかっている。東日本大震災後のある調査で、被災地の子どもと都市部の子どもの心理を追跡した。すると他人に対する寛容、親切心は、被災地の子どものほうが伸びる。つまり、自分が被災の経験をしたことによって、他人に優しくしようというような共感的心理がよくなるとわかっている。つまり言えることは二つあって、子どもというのは非常にナイーブなところがある半面、そこから回復する力も大きい。
今、伺った経験談では、現場で葛藤を感じながら取材されていた。これがやはり、こういう場面を報道する人間の基本であって、葛藤を感じているということでやり過ぎることはない。それでいいのではないかと思う。いずれにせよ、子どもたちは大変なストレスを負っているわけだから、その事実は変えようがない。その傷をむやみに深くするようなことがなければ大きな問題ではないし、そういう子どもたちがいることを全国に発信することの意味は大きい。

(事務局)取材のときに苦慮したことや行った配慮について具体的な話を伺いたい。

(放送局)先ほどの話に似ているが、全国からの支援に感謝の意思を示そうと、被災地の子どもたちがメッセージを書いて発信するということが、最近あった。その取材時の学校の対応に、メディアのインタビューを受ける子どもたちを先生が事前に指名していたという今までにない変化を感じた。こちらとしては、「地震」や「2年半前」などというキーワードを使わないので、子どもたちの生の言葉を自由に取材させてほしいと思うのだが、学校からの規制が強くなっていると感じている。とはいえ、これからこの子たちがどう成長していくのか、町がどうよみがえっていくのか、発災当時、生まれたばかりの赤ちゃんや小学校でボランティアをしていた子どもたちをこれまで同様、丁寧に追跡取材していきたい。熊本地震がどういうもので、何だったのかということを、リアルに後世に伝えていくことは、我々と彼らにしかできない役目だと思うので、その成長を見つめていこうと思う。

(放送局)先ほどから話に出ているが、節目だけではなくて、伝え続けていくことが大事だと思うので、週に1回、夕方のニュース番組の最後に、1週間の熊本地震関連ニュースをまとめて放送するということを今も続けている。子どもたちを追うというのは、0歳だった子が2歳半になって、だんだん大きくなって、地震からの経過時間がはっきりわかりやすいと思うので、子どもを取材し続けていく意味というのは、報道では大事なのではなかと感じている。

(吉永委員)この間の北海道の地震のときに、たまたま中学生と一緒にテレビを見ていたのだが、そのときにその子が「こいつら、本当、むかつくんだよな」と言っており「何にむかついているんだろう」と思ったら、報道陣にむかついているらしい。本当に大事なことが起きているときに、それを伝える側に対して、「こいつら、うざい」とか「むかつく」って言われてしまうということは、若い人たちとテレビが、これから先の信頼関係をどのように築いていくのだろうと憂慮し、大変心が痛んだ。ご存じのように、これまで災害報道のたびに報道批判が起きて、それが最近もどんどんエスカレートしているような気がする。熊本地震のときも、やはり、取材に関する問題が噴出した。BPOに来ている意見にも、報道批判が多かった。いつもは報道する側だが、在熊の放送局の方は、ある意味、被災者でもあった。取材される側の立場も同時に経験しながら、感じながら取材をされていたと思うが、貴重な二重の経験の中、これから先の災害報道について何か感じたことがあればお聞かせ願いたい。

(放送局)今おっしゃった報道に携わる者であると同時に、被災者であるという話だが、私の両親も、いまだ仮設で暮らしている身である。今回、被災し取材をする中で、地元のメディアとして、今は取材を受けるタイミングではないことを察してほしいなど、いろんなクレームも受けた。また、余震が1週間で1,000回を優に超え、しかも、震度7が2回来るなかで、3回目が来たら多分、電波も止まるだろうな、という半ば諦めやストレスを感じながら取材していた。個人的に思うのは、生まれ育った町がだんだん壊れていくのを見ながら、取材するときに、やはり忘れてはいけないのは、自分自身もものすごくストレスを受けているという事実。今思い返せば、当時は上司にもいらいらしたし、現場を見ていない人とたくさん衝突もするなど、ストレスがどんどんたまっていた。その精神状態やテンションで、被災者を訪ねても、「こんな聞き方をすべきではなかった」と後で反省するような雑な取材しかできなかった。だから、「自分も今、きついんだな」「ストレスを感じているんだな」ということを素直に受け入れ、認めて、その上で、現場に向かうという気持ちがすごく大事だなと感じた。被災地に生きる人間であり、マスコミの人間として、「強くならなきゃいけない」ではなくて、自分もかなりストレスを受けているなとか、結構、涙もろいし弱い人間なんだなということをきちんと認めることが出発点かもしれないということは、今回の反省点だ。

(事務局)ラジオ局の方は、テレビ局とはまた違った視点で震災時の放送に向き合ったのではないかと思うが、取り組みを教えてほしい。

(放送局)ラジオ局なので、テレビ局とは全く違った報道の仕方になる。どちらかというと、ひたすらライフライン情報を伝えていたというのが当時の状況だ。ただ当時、避難所に行っていて、ヘリコプターの音が気になった。避難所の人たちも相当気にしていた。ラジオ局が言うことでもないが、今後の取材に当たっては、ある程度状況が分かった後は、あれだけ何台もヘリを飛ばさなくていいのではないか、という話をテレビ局の知り合いとした記憶はある。発災直後は、避難所内での話し声も聞こえないぐらいの爆音がしていた。

(放送局)確かにご指摘のとおりで、現実的に発災直後は用意ドンになってしまうところはある。地上から被害の全容が撮影できない場所があると結局、空撮が早い。キー局からもいち早く映像をとリクエストもされる。そうなると、そのエリアに近い放送局がヘリを飛ばし、いち早く伝える。ある程度時間が経過すれば、共同取材にすることも可能かもしれないが、発災直後にできるかというと、今現在の形では、現実的に無理なのではないかと思う。

(菅原委員)2点、話をしたい。私の専門は心理学だが、先ほど被災者の方のPTSDが話題になっていたが、報道する人間のメンタルケアもとても大事だと思う。災害や事件が起きたとき最前線に立って報道する人を支えるメンタルケアのシステムも考えられたらいいと思う。もう1点は、ラジオについて。避難所では、子どもたちもラジオを聞いているので、年齢に合った、小さい子向けの楽しい歌や中高生向けの放送など、子ども目線のメッセージが放送されればすごくいいと思う。

(放送局)発災の2日後ぐらいに、エフエム仙台とエフエム東京から連絡があり、今後、子どもたちの心のケアがものすごく大事な話になっていくという、彼らが震災当時できなかった反省を踏まえたアドバイスをいただいた。放送局として、ラジオ局として、もっとこうすればよかったというアドバイスを当時、現場におろしながら放送を続けた。例えば、楽曲がまさにそうなのだが、東日本大震災の当時、「アンパンマンマーチ」などを放送して子どもたちがとても喜んだという話があったので、例えば、スタジオジブリ関連のCDなんかを全部集めろと指示をし、3日間ぐらいはほとんど、それらの曲を中心に流していた。東日本大震災の教訓を生かせたとは思う。また大阪北部地震の際には、こちらから地元のラジオ局に連絡をしてアドバイスをすることもできた。細々とでも少しずつつなげていくことで進化できればいいと思いながら制作にあたっている。

(3)青少年に関する取材全般についての課題や疑問など

(事務局)最後に、取材対象者の青少年の将来への配慮に関して、事前にたくさんのご意見をいただいているので、そこについての意見交換を行いたい。実際に青少年を取材して困ったこと、考えたことなどあれば発言をお願いしたい。

(放送局)以前、フリースクールを立ち上げた教育者のドキュメンタリーを制作した経験がある。フリースクールに通う子には、何らかの事情を抱える子どもも多いが、映像だからこそ伝わることがあると考えていたので、顔を出してもいいと本人も保護者も言ってくれる子を取材しようと思っていた。実際、そこに通う中学生は10人ぐらいしかいなかったのだが、幸い出演の承諾と許可を得ることができ取材に入った。その結果、フリースクールに通い始めて数カ月で、子どもたちが笑顔を見せたという過程を放送できたのはよかったのだが、その後、彼らが高校生や社会人になったときに、フリースクールに通っていたことを知られたくないと思ったとしても取り返しがつかない。実際は、先生も保護者も本人も放送後に「いい放送してくれた」と言ってくれたので、今のところはその懸念はない。しかし、放送された事実は恐らく一生残るので、今後については、わずかな心配もある。

(放送局)自分はマスコミ業界に入って2年目の、本当に新人なので、青少年の報道に関しての経験はまだない。しかし最近、テレビの報道を見ていて、事件そのものよりも、当事者のプライベートなところに踏み込んでいくことが多いように感じている。当事者の家族や卒論の内容など、あまり事件の報道にとって重要ではないように思えることが増えている。今はネット社会なので、それらの報道がネットに流れてしまえばもう消すことはできないと言っていい。それを考えたときに、当事者だった青少年がまた世の中に出ていって、自分の足で立って生きていこうとしたときに、それが障害になってしまう可能性も大いにあると思うので、報道する側の人間は気をつけていかなくてはならないと考えている。

(事務局)取材対象者の青少年や子どもの将来への配慮については、実は去年、ある番組をきっかけに青少年委員会でも話をしたことがある。緑川委員から手短に、当時の概要と見解をご説明いただきたい。

(緑川副委員長)去年の8月に、あるチャリティー番組で5歳の男の子を育ててきた母親が、「自分は実の母親ではないということを子どもに告白したい」と番組に申し出て、その告白シーンが放送された。そのようなプライベートで非常にセンシティブな内容が、モザイクなしの顔出しで放送されたので、BPOにも批判的な視聴者意見が多数寄せられた。青少年委員会でも、「本当にその事実の意味をわかっているかどうかもわからない5歳という年齢の子どもの非常にセンシティブな状況を放送するということについて、放送局としてはどのようなことに配慮して放送に至ったのか」「親子や周囲へのフォローがきちんとされているのか」という点について意見が出た。その後、放送局から番組企画について自発的に説明書が提出され、その内容の問題点については十分に認識し、放送することのマイナス面も含め当事者に丁寧に説明をしたうえで放送に至ったということがわかった。その報告を受けて、青少年委員会で再度検討した。「5歳の男の子の出自にかかわるプライベートでセンシティブな内容を放送したということについて、その子本人が、その後どういうふうに考えるのかを継続的に調べられるわけではない。そのことについての懸念がある」という意見も出た。ただ、放送局としてはできる限りの配慮をしたうえで番組に取り組んだことが理解できるということで、議論を終えた。この議論に関して、委員会では5歳の男の子のきわめてセンシティブなプライバシーについて放送するということについて問題意識を持って議論はしたが、そのような取り組み自体を否定するという結論にはならなかったことは申しあげておきたい。この経緯については、BPOのウェブサイトに青少年委員会2017年10月の議事概要が掲載されているので、ご覧いただきたい。

(事務局)先ほどの取材経験談にあったような、例えば、不登校の中学生をロケするような場面で、その子どもの将来の不利益を考えて躊躇してしまったような経験、あるいは、その放送後の反響に不安になったということなどはないだろうか?

(放送局)メディアを取り巻く環境は近年、様変わりしており、青少年に関する事件や事故を報道する際、テレビで一生懸命配慮をしていても、ネットでは様々な情報が出回っている。最近、熊本では、高校生の自殺があったのだが、亡くなった生徒の顔写真などテレビでは報じないことがネットには出ている。報道への配慮について、ここでは議論しているが、一方では、もう情報化の中で全然違う次元で社会に情報は出回ってしまっている。このような現状に関し、本当に矛盾を感じているというところが実際にある。テレビは配慮していても、社会の現状はかけ離れている。これだけ情報化社会になってくると、テレビの自己規制ってどうなんだろう、と疑問を感じながらやっているのが実感だ。

(濱田理事長)私もずっとメディアの研究しており、実態もよくわかっているつもりだ。そういうジレンマについては本当によくわかる。きっとこれ以上ひどい状態が、これからも出てくると思う。そのときに、少なくとも私自身は、良識ある人間として守らなければいけないものは、しっかり示しておくというスタンスをとりたいと思っている。つまり、世の中がぐじゃぐじゃになっているから、それに合わせるのだということでは、恐らく社会が成り立たない。私たちが守らなくてはいけないラインはどこにあるのか。モラルも含めてどこにあるのかということをしっかり示すことは、やはりマスメディアの役割であろう。まして、放送というのは、社会的責任が非常に大きく期待されている。確かに、SNSなどで情報はいろいろ流れてくるかもしれないが、それでも、私たちが共通に持っておくべき良識ある情報というものはある。だからこそ、放送というものの意味があるのだ。そういう一種の、社会的責任を守る盾としての役割もマスメディアは担っているのではないかと、私は思う。恐らくインターネットに流れるものに全て社会の水準を合わせていくということにはならないと思う。例えば、暴力表現や性的な表現など、匿名実名に関係なく、ネット上にはいろんなものがあふれているが、放送もそれに合わせていいのかというと、多分、そうはならない。放送の持っている矜持、放送の持っている意味というものを社会に理解してもらう。きれいごとかもしれないが、きれいごとを維持していくということも社会としては大事なのかもしれない。

(放送局)先ほどの地震報道で話が出たヘリコプター取材について、BPOとしてキー局と話し合いをしたり意見を出したりはしていないのか?

(放送局)BPOではなく放送局全局で取り決めがあるのではないか。災害報道のたびに視聴者から意見があるようだが、多分、視聴者はそれがマスコミのヘリなのか、人命救助のための消防のヘリなのか、警察のヘリなのか、混同しているのではないか。もちろん、マスコミのヘリが最初に飛んでいるというのは否めない事実だが、全てがマスコミではない。

(放送局)熊本地震の際、ヘリに乗って上空取材をしたが、少なくとも、上空を3層に分けると一番下の層は、被害状況を確認する警察や国交省や消防のヘリ、その上を搬送の必要があった場合などに二番手でおりてくるヘリ、そしてマスコミのヘリは、その一番上を飛んでいる。言いわけかもしれないが、地上から機体番号が肉眼で見えるような位置をマスコミのヘリは、まず飛べないし許可も下りない。例えば、救出現場の上空を自由に旋回できるかといったら、絶対にできない。マスコミのヘリの騒音が全くないとは言わないが、理解を求め周知していくことは大事かもしれない。

(放送局)報道する我々の側にも、「取材より目の前の被災者を一人でも助けに行きたい」というような声をあげた現場の記者がいた。またマスコミのヘリに関しては、この間の北海道地震しかり、熊本地震しかりだが、被害の全容が空撮でわかる場合がある。北海道地震での地滑り被害や、阿蘇大橋の陥落など、空撮映像がなければ現実の被害の大きさは伝えられなかった。それぐらい、空撮映像は大事な情報だ。またもう一方で、西日本豪雨等での教訓もあり、災害報道の最近の流れというのは、大雨や台風など被害が起きてからではなく、被害が起きる前から注意喚起の報道をすることで、一人でも多くの命が救えるのではないかというように、マスコミの災害報道への向き合い方が変わってきていると感じている。

(吉永委員)大きく今までと違うのは、今、取材する側が取材されているということだと思う。取材の様子を見かけた誰かが、ちょっとしたことをSNSなどに上げると、それが全てのマスコミのしわざであるように思われる。だから、自分たちは取材しているつもりだが、実はものすごくたくさんのスマホで監視されている中で取材を行っているという、かつてとはまた違うとても難しい状況、緊張感のなかに置かれているということを、取材する一人一人が胸に置いていないと、今後の報道はなかなか難しいのではないか。テレビの取材陣が、今度は、市民のスマホにさらされつつ仕事をするということを十分に理解していないと、誤解を生み信頼感を失う事態になりかねない。被災地などでは、被害を受けた人たちの気持ちや感情、状況も理解した上で、常に大勢の耳目にさらされながら取材していることを自覚しなければならない時期なのだと感じている。

【榊原委員長まとめ】

今回、初めて意見交換会に出させていただき、非常に感銘を受けた。当たり前のことを言って怒られそうだが、一言で言うと、番組をつくっている方が、真剣に放送と向き合っているという印象を強く受けた。きょうは、熊本で起こり全国的に非常に大きな課題となった二つのテーマ、一つは赤ちゃんポストのこと、それからもう一つは、未曾有の大震災について、実際に取材制作する方の苦労などを伺うことができて、非常に意を強くした。
赤ちゃんポストについて言えば、開設前からずっと寄り添って取材がなされてきたという真摯な対応に、感銘を受けている。外側からではなく、当事者、子どもを預けた母親、あるいは、実際に預けられて大きくなった子どもという当事者の声を、できるだけそのまま放送したいという、その努力についてよくわかった。後半の震災の話も、報道する立場の良心を感じた。放送関係者が葛藤を感じながら自律していく、自分たちを律していくという気持ちがあらわれた話だと思って聞いていた。私は、委員長としての日も浅くBPOの精神を語れるほどの立場ではないのだが、やはり自律の主体はみなさんであり、BPOというのは、放送人の誇りと緊張、放送の自由を下支えする、サポートする、そういう立場の機関だということをわかっていただけたらと思う。

以上

2018年2月24日

学校の先生方との意見交換会の概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、2月24日、18時から21時、東京で学校の先生方と青少年委員会委員との意見交換会を開催しました。このような形での意見交換会は、初めてのことでした。
BPOからは、汐見稔幸 青少年委員会委員長、最相葉月 副委員長、稲増龍夫 委員、中橋雄 委員、緑川由香 委員が参加しました。先生方は、東京、神奈川、岐阜、京都、沖縄の小学校、中学校、高校、特別支援学校の先生12人が参加しました。

【青少年委員会の目的】(汐見委員長)

冒頭、汐見委員長が、開会の挨拶として、青少年委員会の目的について次のように述べました。
「私も本当にテレビ少年であり、テレビ番組が様々な夢を育んでくれた。青少年にとってテレビから与えられるものは、とても大きい。一つの国のマスコミの言論の自由は、徹底して守らなければ、民主社会はないと私は考えている。BPOは、政治権力から様々なクレームをつけられるような番組を作ることに対して、自主的にしっかりと襟を正していくことが必要だということで作られている組織である。その中で、青少年委員会はこれからの日本あるいは世界を担う若者たちが、どんなテレビを見ているのか、彼らが本当に求めているテレビ番組は何なのか、などを視聴者とのパイプ役となって放送局に伝えることが主な役割である。
今回の意見交換会は、子どもたちのテレビ視聴や、マスコミのリテラシー、また、テレビ番組をどう教育に生かしていくかをいつも考えて教育していらっしゃる先生方が、今、青少年の現状とマスコミとの関係について、どのように考えているのか、意見交換をする初めての試みで、これから私たちの活動の糧にしたいと思いますので、よろしくお願いいたします」

【テレビ番組を教育現場でどのように活用しているか】

まず、テレビ番組を教育現場でどのよう活用しているか、先生方から次のような報告がありました。
「特別支援学級を担任しているが、読み書きが苦手な子どもも多いので、視覚的なところからの情報は教育面ではとても有効だと思う。『こういったことをやるよ』ということを、番組を一緒に見ながら理解したうえで、それに実際に取り組んでみるとか、番組を見た後で、そのストーリーの中で何が大事なのか意見を交わしていくという教育がとても効果を上げている」
「小学校1年生を担任しているので、文字がまだ読めない子どもたちに対して、読書活動の一環として放送番組の『おはなしのくに』を見せている。お話の楽しさを味わって、その後、心に残った場面を絵に表したり、ペープサートで表現して友達と交流することも行っている」
「以前、病院の院内学級にいたが、子どもたちは、基本的に外で元気よく活動できないので、映像による間接体験が多くなる。しかし、道徳の授業で、こんなこともあった。道徳ドキュメントで脳死をどう思うかみたいな番組があった。その生徒の中には、臓器移植の子どもはいなかったが、骨髄移植をした子どもはたくさんいた。彼らにとっては、移植はありか、なしかという問題ではなく、移植しなければ生きていけない。ただ、生きていることに感謝するというようなことは指導できるが、脳死がありか、なしかという番組は見せることができなかった。道徳の授業では、明日の希望につながるような内容のものしか実際は見せられなかった」

【テレビに何を期待しているか】

次に、「テレビに何を期待しているか」という問いに対して、先生方からは次のような発言がありました。
「テレビは、子どもたちが、情報を知るきっかけや手段としてあったらいいと思う。今、テレビを見ていると、大筋のターゲットに対してのアプローチが大きい気がする。大人向けに作られた番組も、もしかしたらこの世代の子どもたちも見ているかもしれないという伏線は大事だと思う」
「最近、テレビ番組で素晴らしいと思うのは、『仕事』を扱った番組である。高校生は直に職業や仕事に関係してくる。『本当に仕事は楽しい。でも、苦しい。それでも、みんなで協力してやっている』ということを描いた番組が好きである。例えば、誇りを持って、『この野菜は俺が作ったんだ。うまいだろう』という生産者の目の輝きに子どもたちはすごく感動すると思う」
これに対し、委員からは次のような発言がありました。
(稲増委員)「近年、テレビの視聴傾向は、非常に多様化している。先ほど、ターゲットの話も出たが、誰に向けて作るのかという点では、作る側もみんなに向けて作っても無駄だと思っている。これは若者、これは高齢者など、ある程度ターゲットを絞って、傾向も絞って作らざるを得ない。それは、商業主義だが、テレビの宿命として仕方がないことだと思う。このテレビの構造的な問題の背景には、国民の価値観やライフスタイルの多様化があると思う」

【バラエティーやドラマなど娯楽番組について】

第1部のテーマは、「子どもが真似したら危険だ」「性的表現が子どもの教育上よくない」「いじめにつながる」「暴力・殺人・残虐シーンが子どもに悪影響を与える」「低俗だ」などの視聴者意見が寄せられる「バラエティー、ドラマなど娯楽番組について」でした。

まず、様々な意見が寄せられた裸芸の芸人について、先生方からは次のような発言がありました。
「5年生の自然教室でお風呂に入っていた男子生徒が風呂桶で裸芸を真似していた。教室でズボンを脱がせて裸にさせるというのであれば問題になると思うが、裸芸は一時的な流行であり、楽しめるときにちょっと楽しんでおいていいのかなと思う。あまり生徒を難しく縛りすぎると何もできなくなってしまうのではないか」
「テレビの中は、エンターテインメントで、お約束事の世界だ。あれをリアルの世界でやると話は違うぞ、という前提が昔はあった。あれをやったらまずいよな、ということがどこかで働いていた。しかし、今、それをリアルでやってしまう時の判断基準が少しずれてきている。個人的には、テレビでやることは、別にかまわないと思うが、見る側の姿勢が重要である。家庭、学校、地域で、『これはエンターテインメント、要するにうその世界だよ』という形の話をする機会が必要ではないか」
これに対して、委員からは次のような発言がありました。
(緑川委員)「子どもの教育を考える時に大切なことは、大人になっていろいろな社会の難しいところに一人で立ち向かっていけるよう、子どもが自立できるように教育することだと思う。子ども時代の、周りに先生がいたり、保護者がいたり、大人がいたりして、適切なサポートを受けられる時に、テレビで下品といわれるようなことや社会の大変なことを見るのも一つの経験として良いといえる場合があるのではないかと思っている。それは教育のチャンスというか、『それをしちゃいけない』と子どもにきちんと教えてあげるきっかけにテレビがなることがある、という温かい目でテレビを見てほしい」

次に、「いじめにつながる」などの視聴者意見について意見交換しました。
先生方からは、次のような発言がありました。
「いじめについては、バラエティーの中でいじった、いじられた、突っ込みとぼけなどがいじめにつながるという意見に対しては、あれはルールの中でやっているということを大人が諭してあげる、つまり、我々の教育力が求められている。テレビ側の立場で大衆に受けるものをつくるという前提はあってもよい、と思う。しかし、実際のいじめ自殺の報道は、個人的には心が痛む。それを子どもが見て、いじめは絶対にいけないと思うのか、いじめが助長されるのかはわからないが、デリケートに扱ってほしい」
「今はいじめた意識があるかないかではなく、いじめられたと思った人がいたかいないかというほうが大きいと生徒に話した。そこで心を痛めている人がいるということは、やはりよくない、という点は、高校生でもなかなかわからないようであった」

ここで、最相副委員長から、次のような疑問が提起されました。
(最相副委員長)「今の子どもたちは、録画をして見るケースが非常に多く、これまでは17時から21時までは、ファミリーが見る時間なので、あまり過激な番組は作らないように、それ以降だったら多少はめをはずしてもよいという形で捉えられていたが、最近はそういうことを言っていられない。制作現場の方も非常に悩んでいる。そのような夜中の番組を見過ぎて悪影響をこうむっているような子ども、あるいは、テレビ番組も動画サイトにそのまま載ったりするが、リアルタイムでなくても、ぎりぎりのラインをいっているような番組を見過ぎることによって、日中の生活態度に影響が出ているケースはあるのか、知りたい」
これに対して、先生方からは、次のような報告がありました。
「中学校で不登校の生徒がいるが、家庭訪問をすると、昼夜完全に逆転になり、夜8時ぐらいに訪ねたが、まだ寝ていた。夜9時ころ起き始めて動画サイトでアニメを見たり、録画したアニメを見たりという生活であった。深夜のアニメは男の子より女の子が好む傾向があり、男の子はゲームに向かうほうが多いと思う」
「私の小学校では、動画サイトが大きな問題になっている。不登校で夜中ずっと動画サイトを見ている子どももいる。そこの歯止めがかからないことが問題であり、夜中に見ていると脳が刺激されて眠れなくなってしまうという健康面の影響もある。また、課題が大きいと思うのは、言葉使いがすごく悪くなってきているということである。暴力的な言葉や性的な言葉だ。小学生がそんな言葉知っているんだというのが、会話の随所に出てきて、いちいち指導はするが、自分たちの知っているところは氷山の一角かなと思うところがある」
「貧困問題にも関連するが、母親が夜も仕事をしている家庭では、子どもにスマートフォンを持たせていることが多い。しかも、フィルタリングもしていないことがある。家には誰もいないし、さみしさを紛らわすために外出する。何か悪いことをしているわけではないが、深夜までおしゃべりしたりして、眠れないという生活をしている子どももいる」
これらの報告に対して、委員会らは次のような発言がありました。
(中橋委員)「動画サイト、特にスマートフォンの普及による変化は大きく、親や他人が入っていけない、パーソナルな空間の中での出来事が子どもたちにどう影響しているかということは考え直していく必要がある。教育現場でも指導が必要な場面も増えてくると思う。
一方、テレビ文化は、これまで先人たちが積み上げてきた素晴らしい文化である。新しいことを知ったり、生き方を考えることができたり、娯楽としても楽しめる、人間の生活を豊かにする非常に重要な文化である。そのテレビをもっとよくしていくためにはどうしたらいいだろうかということを建設的に考えていく場として、教育現場では、テレビの影の面だけでなく、良い面をいかに伸ばしていけるか、子ども達にしっかり教えていくことが大事だと思う」

次に、テレビでの「性的表現」について意見交換しました。
先生方からは、次のような発言がありました。
「思春期を迎えている中学生を担任しているが、表立ってテレビの性的表現によるいじめや指導が必要なことがあったかといわれると、ほぼなかったと思う。その番組が今の中学生に何か影響があったのかというと、ほぼない。やはり、ネットのほうが情報源はたくさんあると思う。ただ、最近、LGBTの問題は気になる。学校には、その傾向が見受けられる生徒もいる。『オネエ』という言葉がテレビでよく使われるが、『なんか、あいつオネエみたい』というような言葉が実際に学校で使われた時には、どういう意味で使ったのか指導したことはある」
「性的表現は、テレビの深夜番組にはよくあると思う。深夜番組は、ほとんど録画して見ている子どももいる。その子どもたちがそれを見る時間はいつだと考えると、多くの時間を奪われているのだろうと思う。情報をしっかり読み取る力が身についていればいいが、そうとは限らない。たぶん、いろいろなものを失っている部分があるだろうと思うので、その点を学校や家庭で教育していかなければならない」
「中学2年生くらいになると、性的なことは人前で話してはいけないということはなんとなくわかってくる。しかし、言葉の端々から、テレビやネットで得た知識で、にやにやしながら話しているのが聞こえてくることもあるので、そこはきちんと教えなければいけないと感じている。全く性的なものに触れないまま大人になるのも心配ではあるが、変に偏った情報が子どもに入らなければいいなと思う」

【報道・情報系番組について】

第2部のテーマは、「報道・情報系番組について」でした。
「子どもたちが関連する事件・事故の取材」、「子どもへのインタビュー」、「被害少年の実名報道」などに様々な意見が寄せられる報道・情報系番組について、また、学校や先生自体が事件・事故の当事者となったり、影響を受けてしまったりするケースについて意見交換しました。

まず、先生方からは、次のような発言がありました。
「4年前、河川敷で中学生が複数の高校生らに殺害される、という事件が発生したが、この事件をきっかけに、不登校傾向にある児童が休んだ場合、電話連絡、家庭訪問、児童支援チームの立ち上げなどのマニュアルが各学校に配布されている」
「小学校であったが、この河川敷での事件の報道を受け、子どもたちに『命はひとつしかない、大切だよね』という話はした。それにいじめの話とつなげて『本人は軽い気持ちで言っても、死ぬほど嫌な気持ちになって、複数で逆らえない、ものの言えない子がいじめにつながるんだよ。いじめというのは命を即なくすことにつながるんだよ』と話した。同じようなことが起こるたびに、毎週の学年会では、このことを話している」
「原発事故で避難した子どもがいじめを受けたという報道を受けて、各学校で『いじめ対策防止委員会』を開くようにということで、今、取り組んでいる。また、以前、ある生徒の父親が、薬物関連で逮捕され、家にマスコミが来たということがあった。子どもは、そのとき、母親の実家に引っ越していて、インタビューや取材を受けるようなことはなかった。報道側の立場もわかるが、何の罪もない子どもが心理的につらい思いをして大好きだった学校を離れていくのは、担任としては非常に心苦しかった。」
「この『原発いじめ問題』では、個人情報に関わることが非常に多かったので、公式にメディアに対して発信できない部分がたくさんあったと思う。そのことで、あの子どもが犯人だとして実名が出てしまったり、別の先生の名前が出てしまったりと、かなり情報が錯そうし、それによって被害をこうむった人たちも多かったという印象を受けた。この事件をきっかけに、学校では、いじめアンケートを取り、その中で、自分は嫌な思いをしているという回答があった子どもには、個別に対応したり、聞き取りをしたりしている。また、『いじめ』の場面を見かけたことがある、と答えた子どもについては、個別に『どういった場面だったの?』と丁寧に洗い出しながら、子どもに寄り添って対応することを、ここ何年か続けている」
「私の学校でも、いじめアンケートがあり、悩みを書いた子どもを呼んで話を聞くという取り組みを続けている。しかし、中学生になると、悩みを書くと先生に呼ばれて話を聞かれるというところに敏感になってくる。逆にもう書かなくなる。教師としては、悩みが書いてないから何もないとは思わないようにしている。
以前、若い男が小学生を殺害する事件が発生し、学校の近くの団地に逃亡したことがあった。その際は、校門にカメラや記者が待ち構えていた。その後、生徒が取材に応じないよう、学校では、半年以上にわたって、必ず誰かが校門に立ち、マスコミ対応をしたことがある。さらに、ある担任の先生が逮捕されるという事件があり、報道もされた。その時の子どもたちの動揺は本当に計り知れないものがあった。報道で知ることは、子どもたちにはすごく影響があると思う」

次に、最相副委員長から、先生方に対して、次のような質問が投げかけられました。
(最相副委員長)「私たちは放送局の現場の方々と意見交換をしているが、近年、学校の取材が全然できないという声が出てくる。季節の話題として、卒業式や入学式が行われました、というときも、カメラが学校に入れない、と聞く。これは、皆様方の学校では、どうなっているのか」
この質問に対して、先生方からは、次のような発言がありました。
「子どもの顔がテレビに出るのは、たぶん管理職が了解しないと思う。個人情報は、かなり慎重に取り扱われている」
「私の学校の自治体では、年度の頭に、保護者に対して、どこまで情報を出していいですか、という確認を全校一斉にとる。顔までとか、名前も大丈夫とかいう確認を年度ごとにとり、それ以外のメディア対応は、その都度、改めて保護者に確認をとらなければいけないルールになっている。入学式では、まだその確認をとっていない状況であり、卒業式では、『だめです』と書いている保護者全員に一つ一つ確認を取ったうえで、取材を受け入れるという手続きをとることになるので、前日とかに取材を申し込まれても確認を取る時間がないので、結局、断ることになる」
「生徒の顔については、ホームページはもちろん、学校通信、学年通信でも保護者の許可をとっている。誰がNGなのかは、学校側はしっかり把握しているので、その子は除いて載せる。たとえ承諾がもらえていても、顔がわかるものでなく、後姿や遠目のものを載せるよう配慮している」
また、委員からは、次のような質問も出されました。
(稲増委員)「教育問題、いじめ問題などをメディアで扱う際、取材する側から出てくるのは、学校や教育委員会には隠蔽体質があるのではないか、ということである。学校側が『いじめはなかった』と言っても、取材する側は、『いや、いじめは絶対あったはずだ』というステレオタイプで見る傾向がある。その見方は、本当なのか、それとも過剰なステレオタイプなのか、何か実感していることがあったら聞きたい」
これに対して、先生方からは次のような発言がありました。
「私が勤めていた学校で、卒業生と在校生が、オレオレ詐欺の関係で逮捕されるということがあった。その際、とにかく報道機関からの問い合わせがすごく、学校側は、とにかく答えるな、教育委員会を通すようにということであったが、何か隠しているのだろうという感じで電話をしてきた。個人的には、どこどこの学校に通っていたことから派生して、通学途中の子どもをつかまえてインタビューされたりという事態を考えると、隠蔽しようということではなく、ほかの子どもへの影響を考え、報道機関への対応は慎重になると思う」

また、スマートフォンが子どもたちにも普及したことの影響について、最相副委員長から次のような問題提起がありました。
「数年前にキス動画というのが話題になり、それを引用したテレビ番組もあった。一時的な熱でキスして、その画像をネットにアップしてしまうということで、危険があるし、未来のことを考えていない。これは、かなり大きな問題だと思った。個人情報保護には慎重すぎるほどなのにプライバシーを自ら公開することは割と平気でやってしまう。頻繁に起こっていることだと思うが、どうだろうか」
これに対して、先生方からは次のような発言がありました。
「先生と生徒の距離があまりに近すぎるのかわからないが、例えば、妻と自分が歩いているのを勝手に写真に撮ってSNSに載せられるということがあった。その時、生徒には、『君たちと先生は仲がいいかもしれないが、私たちにも肖像権がある』と注意した。『他人の写真を実際にアップして、全世界に広まり、もし訴えられたら大変なことになる』というようなことを教えなければいけないと思う」
さらに委員からは次のような発言がありました。
(中橋委員)「報道する側が取材される側への理解をより深めていくという場は必要であるが、これからは子どもたち自身もそういうことを考えていかなければならないと思う。自分たちが取材して、それを発信する側に立つことがあるのと同時に、友達から撮られて、それがアップされるような報道される側に立つ場合もある。さらに、それは、ソーシャルメディアだけでなく、マスメディアでも大きく取り上げられることもある。
学校現場においては、ドラマは作り物の世界だが、報道は事実を伝えていて、正確に中立公正に伝えるのがニュースだという価値観がある。しかし、ニュースの中にも『演出』があったり、意見が多分に含まれているものもある。それを読み間違えると、勝手に受け手の側が深読みをして、間違った方向に読まれてしまうことが起こりうる、ということを教師の側が認識したうえで、子どもたちに伝えていく必要があると思う」
(緑川委員)「今、個人情報に対して、特に保護者の意識は非常に高く、誰もが自分の情報を自分でコントロールしていくという意識が高くなっているのではないかと思う。他方、SNSなどで自分のプライバシーを簡単に出してしまっている。全く矛盾した行動を私たちはとっている。ネットでプライバシーを侵害された、名誉棄損されたという相談を受けることがあるが、一度ネットに出てしまった情報は完全に消すことはできない。小学生からスマートフォンを持っている時代であり、先生方には、小学生のうちから自分の情報をきちんと自分でコントロールするという意識、ネットにそれを出すことがどのくらい危険かということを是非教えてあげてほしい」

今回の議論を受けて、先生方の代表者から次のような意見が出ました。
「我々教員として、テレビの影の部分と楽しい部分、良い部分をちゃんと伝えていかなければならない。また、テレビだけでなく、SNSやスマートフォンについても、発信者として、受け手として、子どもたちにしっかり理解したうえで使えるように指導していくことが教育現場では必要であるし、家庭に伝えてしておくことも必要だ、と改めて感じた」
最後に、最相副委員長と汐見委員長が次のように総括しました。
(最相副委員長)「今日、報道の問題がたくさん出てきたが、これまで、報道・制作現場の人たちの話を伺ってきた印象として、ほとんどが誠実な人たちだった。どのような形で報道のトラブル、学校現場とのトラブルが起こるのかは、いろいろな理由があると思うが、現場の先生方もぜひ報道に携わっている『人』を見ていただきたい。個人個人ですばらしい仕事をしている記者の方々はたくさんいる。テレビだからだめというのではなく、彼らがどういう目的でそのテーマを追いかけ、何をやろうとしているかを正面から受け止めていただければ、それが世の中を変える力になるかもしれない」
(汐見委員長)「情報がどんな形でも流れてしまって、残ってしまうという社会になってきたということで、その社会におけるモラルや自分を守る技術についての模索が懸命に行われているという感じを受けた。実際は、メディアの発達のほうが早くて、その後を私たちが必死になって追いかけている感じがする。放っておいたら、あらゆるところにコンピューター、AIが組み込まれていくことが進む。プライバシーなども全くないような社会になっていく可能性がある。そのような社会を望んでいるかとは別に、それが大事だというふうになっているのが『文明』である。私たちが予測していないような事態が『文明』によって起こってしまうことがある。そういう中で、人々の尊厳を守る、人権を守るということが、どうしたら可能なのかという大変な難題に私たちは挑まなければならない。私たちは、たぶん、その入り口にいるのだと思う。それをやらないと、楽で快適でというだけで人間は幸せにはなれない。私たちは知恵を一つずつ出して、『文明』がもたらす問題を解決していくしかないわけであり、先生方のメディアリテラシーは、これから本当に大事になっていくと思う。その努力が、少しずつ世間の知恵になっていくことを願っているし、私たちも私たちなりの立場でそれに参画していきたいと改めて思った」
以上のような活発な議論が行われ、3時間以上に及んだ意見交換会は終了しました。

今回の意見交換会終了後、参加者からは、以下のような感想が寄せられました。

  • テレビが生徒に与える影響について、こんなに意見交流したことは初めてでした。
    今回の経験をもとに、日々の学校生活においても、生徒たちがどのようにテレビと接しているのか、テレビが与える影響がどのようなものかを意識しながら考えたいと思いました。今は、テレビの影響より、ネットやスマホ・SNSといった新しいメディアが生徒たちに大きな影響を与えていると思います。ただ、テレビについては、ネットやスマホとは違い、家族で観るメディアであることも考えると、保護者や生徒にどのような影響があるのかを考えていきたいと思います。

  • なぜ学校は、情報を公開しようとしないのか。学校側と情報を発信していこうとするメディア側の温度差がある点について、学校側は、良いことは発信していきたいが、発信できない現実的な問題もある。もっと楽になればと思いますが、なかなか難しいです。

  • 弁護士の緑川先生の、テレビを見て間違ったことをしてしまう子どもの話になった際、「今のうち(家族がいて教員がいて、失敗したことをサポートしてもらえるうち)に経験して、大きくなったときに間違わない材料にしてほしい」という内容の発言が印象に残りました。テレビの内容を白か黒かで判断するのではなく、成長過程にいる児童にとって教育できる機会にもなるという幅をもって、活用していきたいと思いました。

以上

2017年10月24日

青少年委員会 「意見交換会」(静岡地区)の概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、10月24日、14時から17時、静岡地区の放送局とBPOとの相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、意見交換会を開催しました。静岡地区では、初めての開催でした。
BPOからは、汐見稔幸 青少年委員会委員長、最相葉月 副委員長、稲増龍夫 委員、大平健 委員、菅原ますみ 委員、中橋雄 委員、緑川由香 委員と濱田純一 理事長が参加しました。放送局からは、NHK、静岡放送、テレビ静岡、静岡朝日テレビ、静岡第一テレビ、静岡エフエム放送の各連絡責任者、編成、制作、報道・情報番組担当者など21人が参加しました。

【BPOとは何か】

冒頭、濱田理事長が、「BPOとは何か~とりわけ、青少年委員会の役割~」というテーマで講演をしました。その内容は、以下の通りです。
(濱田理事長)
「BPOとは何かと捉えようとすると、これは『放送倫理・番組向上機構』という組織・団体であることは間違いないが、組織というイメージだけで捉えているとその意義がなかなか見えてこない。BPOは、組織であるだけでなく、システム、仕組みであり、あるいは思想、つまり社会を作っている基本的な考え方、そういうものを含んだ概念だ、と考えている。そのことを具体的に話していきたい。
BPOは、自主規制機関なのか、それとも第三者機関なのか、とよく問われる。私は、BPOは、第三者の支援を得て自律を行う仕組みだと理解している。つまり、放送事業者あるいは放送に関係している皆さんが、第三者(各委員会)の支援を得て、自らを律していく、あるいは自由を確かなものにしていく、そういう構造を取っているのがBPOだと考えている。したがって、大切なのは放送界の自律が機能することであり、BPOの各委員会が第三者として判断をすれば、それで終わりということではない。その判断について皆さんと議論することがとても大事である。各委員会の活動と放送局の自律とがお互いに絡み合いながら動いていくことが、このBPOという仕組みにとってはとても大切なことである。
委員会は、決定や見解等を出すが、それは放送局にとって、勝った負けたということではない。むしろ、決定や見解とともに示されている考え方、その中に、何を番組作りの際に心がけることが必要なのか考えていくためのきっかけとなるメッセージが含まれている。それを読み取ってもらうことが重要である。
また、これはやってはいけない、これはやってもよいというガイドラインを作ってもらったほうが実際に番組作りをする現場にとっては楽だ、という意見が出ることもあるが、そのような『べからず集』でマニュアル人間を作ることは、一番望ましくないことだと思う。マニュアル人間になることは、ジャーナリズムのあり方の基本に反することである。表現をするというのは、右から左へ情報を流す行為ではなく、自分の人格をその表現にかける行為なので、そこでマニュアルになってしまってはどうしようもない、と思う。
次に、とりわけ青少年委員会について触れておきたい。青少年委員会は、青少年に対する放送や番組のあり方に関する視聴者からの意見などを基に審議している。また、青少年が視聴する番組の向上に資する調査研究、あるいは良質な番組の視聴・講評などを行っているのも特徴である。このようにして、青少年委員会は、視聴者と放送局を結ぶ『回路』の役割を担っている。
青少年委員会のスタンスを話すと、例えばバラエティー番組については、ああいうものはとにかく俗悪だという視聴者も間違いなくいるが、青少年委員会は、『バラエティー番組は時に放送の限界に挑戦し、新たな笑いの文化を生み、視聴者の心を解放し活力を与えるという大きな働きがある』と述べている。また、『下ネタも時と場合によっては見るものを開放的にし、豊かな笑いをもたらす』、『社会を風刺する毒のある表現が、視聴者の憂さ晴らしになることもある』とも言っており、『こうした番組作りのために民放連の放送基準を杓子定規にあてはめるつもりはない。それは本来、なんでもありのバラエティー番組の委縮につながりかねない』と、バラエティー番組についての基本的なスタンスを述べている。また、青少年委員会が個々の番組について、問題がある、課題が残っていることを指摘する際の言葉にも注意してほしい。つまり、委員会がこれはだめ、あれはだめだけで切り捨てるのではなく、まずは放送現場の皆さんにきちんと考えてほしいというメッセージをつねに出している。想像力を働かせてほしい、あるいは議論の俎上に載せてほしい、どのような意図で放送することにしたのか、はっきり考えておいてほしい。そういう放送に携わる者の自覚を促すメッセージを出していることに注意してもらいたい。
青少年委員会の委員長は、次のようなことを話しておられる。『青少年委員会は、青少年に番組が与える影響をできるだけポジティブなものとするために、局側が気づかない視点を提示したり、安易に番組を作成したため結果として逆の効果を生んでいる等の問題を指摘したりして、それを克服するための方策を探ってもらうこと、青少年たちがよい番組として認知しているものや理由を伝え参考にしてもらうこと等、結果として青少年によい影響を与え得る番組の制作、番組向上への気運を高めることを大事なミッションとしています。そのため、番組内容、制作過程等について局側と率直な意見交換をすることが重要な手法となると考えています。』これがまさに今日の意見交換会の趣旨である。
こうしたBPOの仕組みがきちんと動いていくことは、これからの社会において、放送に限らず、あらゆる場面で、自由と自律がバランスよく機能していくという社会作りにもかかわっている、と私は思っている。」

【青少年が関わる事件・事故の報道について】

意見交換会第1部のテーマは、「青少年が関わる事件・事故の報道について」でした。
最初に、最相副委員長から、子どもが関係する事件・事故の報道について、これまで青少年委員会が出してきた4つの「提言」「要望」「委員長コメント」について次のような説明がありました。
(最相副委員長)
「私たちの活動の、まず一丁目一番地は、視聴者意見である。その質と量に応じて、これは議論しなくてはいけない、何らかの見解を出さなければいけないなどを討論している。今回のメーンテーマである青少年が関わる事件、事故の報道については、これまで青少年委員会は4つの見解などを出している。

まず1つ目は、『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮についての提言』(2002年3月15日)である。これは、アメリカの同時多発テロでアメリカABCが、早い時期にビルに飛行機が激突するシーンの放送を取りやめたことが一つのきっかけであった。PTSDという言葉がクローズアップされ、悪夢を見る、感情が麻痺してしまうなどさまざまな症状が子どもたちに起きたことが背景にあった。また、日本でも、大阪の附属池田小学校での児童殺傷事件でメディアスクラムに近いことが起き、被害者のプライバシー、人権、遺族感情と報道の自由とのバランスが深刻な問題になったという背景がある。その提言の要点は、

  • (1) 子どもへの影響が大きいことに配慮し、刺激的な映像の使用に関してはいたずらに不安をあおらないように慎重に取り扱う。特に子どもが関係する事件については慎重に扱ってほしい。
  • (2) 子どもは理解が不十分なため映像からインパクトを受けやすい点に留意。特に繰り返し効果の影響に配慮してほしい。
  • (3) 日常的に子どもにもわかるニュース解説をしていただきたい。
  • (4) 子どもに配慮した特別番組作りの研究、検討、心のケアについて保護者を支援する番組を組めるよう、日頃から専門家チームと連携してほしい。

の4点であった。

2つ目の要望は、『児童殺傷事件等の報道についての要望』(2005年12月19日)である。これは、栃木で小学生が非常に残忍な殺され方をした事件を受けて、もう一度、事件報道について留意していただきたいということで要望を出したという経緯がある。ここでは、留意してほしい点として、

  • (1) 殺傷方法等の詳細な報道がどこまで許されるものなのか。例えば、衣類を身に着けていない、胸に10か所ほどの刺し傷がある、遺体が切断されていたなどの表現はどのように報道すればよいか、個別ケースにおいて検討してもらいたい。
  • (2) 被害児童の家族・友人に対する取材については配慮が必要である。
  • (3) 被害児童及び未成年の被疑者が書いた文章等をどのように出すか、慎重な扱いが必要である。

の3点を挙げている。

3つ目の要望は、『子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望』(2012年3月2日)である。これは、東日本大震災の翌年に出たものだが、1年経った報道で、地震発生時と同じような津波の映像が出るだろうということを事前に留意して、このようなお願いを出した。そのポイントは、

  • (1) 映像がもたらすストレスへの注意喚起。
  • (2) 注意喚起は震災ストレスの知識を保護者たちが共有できるように、わかりやすく丁寧にお願いしたい。
  • (3) 特にスポットでの映像使用については十分な配慮をお願いしたい。

の3点であった。

4つ目の委員長コメントは、『ネット情報の取り扱いに関する委員長コメント』(2015年4月28日)である。これは、あるバラエティー番組で、自分の身近に起こった事件映像などを自由に投稿できるアメリカのサイトからあまり厳選せずにそのまま放送したことで、視聴者意見が大量に来たことがきっかけであった。ネットユーザーの注目を浴びたいということで過激化していく動画がたくさんネットにあふれているが、それをSNSから安易にとってきて、放送することに対してどう考えるか、という点で、3点を指摘している。

  • (1) 最前線の事実を伝えたいという発信者の想い。つまり悲惨でもそれが世界の現実だからという想いで発信者はネットに公開している。
  • (2) ネット情報の利用は増えるだろう。
  • (3) 公共的な責任を負う放送局の独自性と責任はどこにあると考えるべきか、自問自答を繰り返す必要がある。」

【静岡での具体的な事例について意見交換】

次に、参加者から、実際に青少年が絡む事件・事故での報道の際、困ったこと、悩んだこと、それにどのように対応したか、具体的な事例を報告してもらい、意見交換をしました。

まず、今年9月、静岡市の住宅で男子高校生が一緒に住んでいる父親をナイフで刺して殺害した事件の報道について各局の参加者から次のような報告がありました。
(放送局)
「警察がなかなか情報を出してくれない状況の中、加害少年の人となりを取材するため、近所の少年などいろいろな人にインタビューしたが、具体的な部活動の名前を出すと少年の特定につながってしまう。いかに特定されないようにその人となりを伝えるかに悩んだ。また、父親についても、どういう仕事をしていたかを出すと特定につながる可能性がある。同僚の人へのインタビューの内容にも注意した。」
「事件の背景に何があったのか迫りたいし、確認したいが、伝えてしまうとどんどん特定につながる。わからせないように伝えることは非常に難しいと実感した。事件現場もここだとわかってしまわないように、画面のサイズや映り込みに注意して編集したが、最初の編集後、大きな画面で確認すると電柱に特定できる情報が映っていた。編集を3回4回やり直して、映像を差し替えたり、特定につながる部分を省いて放送した。」
「疑いの少年の特定につながらない取材手法という点では、映像だけではない。学校自体は特定できたが、その学校に接触していいのかは悩んだ。学区周辺で取材している社もあったと聞いているが、取材姿勢についても、もろもろ問われた事件であった。」
「最初は、事情が全く分からなかったが、事件2日目くらいに、少年がゲームをしていたのを止められて殺したという情報が入ってきた。本当の事情は分からないが、その簡単な言葉が躍った。ゲームを止められて殺した、という安易な形で少年事件が起こるのが理解できず、もうちょっと何かないかと取材したかったが、難しかった。」
(稲増委員)
これに対し、稲増委員からは、「少年が特定されない報道がされている一方、ネットではどんどん実名などが出ている状況についてはどう思うか。」という質問が出されました。
(放送局)
これについて、参加者からは、「たとえば、誘拐事件が起こって、自分たちが報道協定を一生懸命守っても、ネット上には情報が出てしまうかもしれない。本当に悩ましい問題で、どうしたらいいのか頭を抱えている状態である」と報道現場の実情が示されました。
(大平委員)
また、大平委員からは、「ゲームで親を殺して終わり、というのが納得いかない、これはとても大事なことである。理解したい、腑に落ちないというところが取材の原動力だと思う。ゲームというのは表の理由だけで、その背景に父親と息子、あるいは周りの家族などのどろどろした事情があったと思う。しかし、知りたいことはとことん知っていいが、ニュースとして出すときは、全部は出してはいけない。それが報道のエレガントさを保つ一番重要なところだと思う」という意見が出されました。

次に、今年10月、伊東市で4歳の男の子が遊びに来て、親がバーベキューの用意をしているうちに行方不明になり、2日間、山中をさまよった末、無事発見されるという事件の報道について各局の参加者から報告がありました。
(放送局)
「警察も現に行方不明になったということで子どもの氏名も公表したので、氏名を出して報道するべきだろうと判断がついたが、顔写真を載せるかどうか、非常に悩んだ。すぐに無事見つかったとしたら、顔写真を出すことによって、後々トラウマになってしまうような悪影響が残らないか悩んだ。逆に、捜している人に子どもの顔を広く知らしめるという点では意味があると思った。結局、写真を使うことは見送った」
「顔写真を使用する、使用しないについて若干迷いがなかったわけではないが、私たちの局は使用した。その理由は、放送を見た人が、あっ、この子だとなれば、発見の助けができるということと、こんなにいたいけな少年が行方不明になっているのだ、ということはニュースとして伝えるべき要素だと思ったことである。むしろ、議論になったのは、匿名・実名の切り替えであったが、割と短い間で無事見つかったということもあり、発見後も実名のままで報道した。また、数日後、消防団の人が地元の警察から感謝状が贈られたのを伝える際、その男の子が病院を出ていくときの映像を使ってよいかどうか、議論した。地上波の放送といえどもインターネットに画像が残るかもしれない、ということに迷いは感じたが、結果的にワンショットで顔が映る映像ではなかったため使用した。以前だったらあまり心配しなくてもいいことも、日々立ち止まりながら考えなければいけないことを実感している。」
(菅原委員)
これに対し、菅原委員からは、「インターネットに残ってしまうこととクロスして本当に難しい状況だと思う。視聴者としては、何が原因でその子がいなくなってしまったのか、知りたいと思う。それが本当に大したことのない原因で迷ってしまったのであれば、本人が発見されても実名でも問題ないと思う。しかし、今回は違うが、背景に障害や虐待など複雑なものがあった場合は、それが残ってしまうことはいけないだろう。難しい判断だと思う。」という意見が出されました。
(中橋委員)
中橋委員からは、「さまざまな難しい判断があったと思うが、特に子どものその後の人生というところが、非常に重要になってくるだろう。実際、事実関係がまだよくわからない段階では、それに関わるかどうかの判断が難しいところだと思う。その段階で、実名、顔写真を出していいかどうかは、ケース・バイ・ケースで考えていく必要がある。顔写真は、出してほしい人もいるのではないかと思って出してしまうと、逆に出してほしくなかった人が出てくる。写真を入手した記者とチェックする人との関係性がとても大事だと思う。」という意見が出されました。
(緑川委員)
緑川委員からは、「警察が捜していて写真も公表しているという点が、顔写真を掲載した社の判断を後押しした部分があったのではないかと思う。警察の捜索と公表がなければ、顔写真の掲載という判断をすることは難しかったのでないか。顔写真を出しても捜したいと思っているのは誰か、親権者の意向はどうか、そのあたりの事情も踏まえて判断することも大切だと思う。また、今は、テレビで放送されたものが、ネット上に残ってしまうことが一般的に認知されている。テレビ局として顔写真を出すときには、意図しなくても、二次的にネット上で利用されていくかもしれないということを予見できる状況になってきたと思われる。このような新たな事情も踏まえて、顔写真の使用、匿名か実名かなどを判断していくことが求められるのではないか。」という意見が出されました。

次に、静岡市の夫婦が死亡した東名高速道路での追突事故で、今年10月、悪質運転をしていた男が逮捕されたニュースの報道について、参加局から次のような報告がありました。
(放送局)
「東京の局から、遺族が静岡に住んでいるようなので当たってくれないか、という依頼が来たが、車に同乗していた姉妹の取材はできなかった。それは、親族にコンタクトが取れてインタビューしたが、そこで、姉妹は精神的にまいっているので、取材を受けられる状態ではない、勘弁してほしいと言われたからである。しかし、その後、たくさんの取材陣がその姉妹のもとを訪れて、事故の前、ラインで助けてくれというやり取りをしていたことなどが明らかになるにつれて、私たちが最初の段階で、娘さんの取材を無理だとあきらめてしまった、という自分たちなりの判断はどうだったのか、考えている。」
「事件が公になる前、姉妹は取材を受けていたが、やはり放送されたことによって、精神的なダメージを非常に受けている、という話を聞いた。こちらとしても、そこは無理強いせず、その姉妹から話を聞いた親族の取材をさせてもらった。もちろん、記者としては、その姉妹の話を直接聞いてみたかったし、いい情報を取ってきたいと思ったが、それを放送するにあたって、姉妹の心の部分は気になった。」
(菅原委員)
これに対し、菅原委員からは、「今回の姉妹のような証言は、両親を亡くされて心理的にも厳しい状況にある中、記憶がゆがんでいることもあるし、いろいろな点で不確かなこともある。『こう言った』ということが残っていくのは、場合によっては後に姉妹を追いつめることになったりする。基本的に姉妹のインタビューを控えたのは、正しい判断だったと思う。」という発言がありました。

【青少年関連の事件・事故報道に対する視聴者意見について意見交換】

意見交換会第2部では、2016年~2017年にBPOに寄せられた青少年に関する事件・事故の報道に対する視聴者意見について意見交換をしました。

まず、「ある少年事件で、亡くなった被害者の顔写真が報じられた。加害者の顔写真や名前は明らかにされないのに、被害者だけのプライバシーがさらされるのはいかがなものか。被害者の情報が保護されないことはおかしい」という視聴者意見について議論しました。これに類する視聴者意見は少年事件の報道のたびに、しばしば寄せられています。
これについて、参加者からは、次のような意見が出されました。
(放送局)
「加害者が少年で、被害者も少年という事件が静岡で起こったとしたら、間違いなく、記者に対して亡くなった被害者の少年の顔写真を探せと指示を出していると思う。加害者は少年法に守られ、被害者は顔写真も出して報道されるというのは、矛盾しているとは思うが、顔が見えて、その事件の悲惨さが伝わってくる。警察の外観だけでは伝わりにくいのではないか。川崎市の河川敷で少年が、遊び仲間らに殺害された事件があったが、少年は、島根県から川崎に出てきたばかりだった。島根の頃の写真には、さわやかで屈託のない笑顔があった。顔写真を出すことによって事件の背景を伝える意味もあったと思う。一方、被害者のプライバシーをどこまで放送するかという点では、これは必要、これは必要ではないということを判断し、その事件に応じて必要最小限にするべきだということは、常に頭に入れている。」
「テレビでは、撮りきりと言って、画面全体に顔写真を出す場合と小さく画面のすみに顔写真を出すという表現の手法がある。やはり全面を使ったほうが、インパクトは強いが、私たちの社は、比較的、小さいサイズで写真を出すことが多いと思う。ケース・バイ・ケースで、誰かは満足しながら、誰かは不満を感じながらやっているという感じである。」
(最相副委員長)
これに対し、最相副委員長からは、「顔写真ではないが、先の川崎市の河川敷の事件では、視聴者としては、被害少年がどういう少年だったのか、川崎でどんな変節をとげたのか、その友達はどんな子どもで、どんな生活をしていたのか、知りたいと思う。しかし、表面的な部分だけではなく、その生い立ちをめぐって知りたいということと、そのプライバシー、個人情報に深くかかわるというところでは、現場では激しいせめぎあいがあったと聞いている。」という意見が出されました。
(緑川委員)
また、弁護士の緑川委員からは、少年法について、次のような説明がありました。
「少年加害者は少年法でプライバシーが守られるが、被害者は守られていない、それがアンバランスという議論の立て方に、個人的には違和感を持っている。成人であっても少年であっても、被疑者をどう報道するか、実名を出すのか顔写真を出すのか、また、被害者について実名を出すのか顔写真を出すのか、生い立ちなどプライベートな情報をどこまで報道をするかは、報道する側として、個別の事件ごとに個別の判断で考えてほしい。
少年法61条は、家庭裁判所の審判に付された少年、または少年の時に犯した罪により公訴を提起されたものについては、氏名、年齢、職業、住所、容貌などにより、その者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事、写真、新聞紙、その他出版物は掲載してはならない、と規定している。
少年法61条に関する判例として、いわゆる「堺市通り魔事件」がある。これは、ある雑誌が加害少年を実名で報道し、顔写真も掲載したことに対して、加害少年側が出版社側を訴えた裁判である。大阪高裁は、少年法61条は、可塑性のある少年の将来のため、プライバシーを保護して改善更生を阻害しないという公益性と、その被疑者が報道されないことが再犯防止に効果的という刑事政策的配慮によるもので、少年に対して実名で報道されない権利を付与しているとは解されないし、少年法61条違反に罰則が規定されていないことに鑑みると、表現の自由との関係において、少年法61条が当然に優先するとも解されないと判断した。そして、少年法61条は、できるだけ社会の自主規制に委ねたものであって、伝える側には、少年法61条の趣旨を尊重して、良心と良識をもった自己抑制が求められているとともに、受け手側にも、本条の趣旨に反する表現に対して厳しい批判が求められるべきという判断を示した。その上で、当該事件については、社会的に重大な犯罪であって、その報道の仕方が相当性をもっているのであれば、実名を報道したことで、直ちに違法性が認められるものではないとして、出版社側の当該表現行為に違法性は認められないとした。この事件は最高裁に上告されたが、その後取り下げられたため、この大阪高裁の判決が確定している。
このような重大事件の時に、何を、どのように報道すべきかは、少年法61条の趣旨を踏まえながら、報道の必要性、相当性について個別具体的にきっちり考えていかなければならない。プライバシー、名誉を侵害せずに、しかし重大事件では社会の正当な関心事ということになるので、謙抑的で適切な報道をどのようにしていくかを考える必要がある。」

次に、「小学生が殺害された事件のニュースで被害者の同級生にインタビューしていた。友人が殺害されるという強いストレス下にある子どもにインタビューすることはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の発症原因になるのではないか」「小学生の登校の列にトラックが突っ込んだ、というニュースで、被害者の児童にインタビューしていた。衝撃的な事件を思い出させて克明に伝えることは、人権侵害ではないか」など、子どもの「心」「将来」への配慮に関する視聴者意見について、議論しました。
これについて、参加者からは次のような意見が出されました。
(放送局)
「これは、難しい事案だと思う。ある程度情報を与えないと、余計な推測やデマの引き金を引くようなところもあるので、伝えられることをなるべく伝えるべきだと思う。地元の記者クラブ、記者会に対して、関係の家族から、友人や近所の取材を避けてもらいたいという要望が来て、それを幹事が受けた時点で、了解あるいは、ある程度了解ということで紳士的に取材対応を考慮するが、それを受け取ったのと時を同じくして、ネットワークのキー局の番組などが取材に入ってくると、お願いしたのになぜ取材したのか、という問題が起きることもある。」
「以前、学校の教員が出勤の時に小学生を車ではねて、死亡させてしまうという事故が起こった。先生の人柄はニュースとして必要と思い、生徒に話を聞きたいというところでデスクと相談した。その結果、取材は学校側に絞って、学校に来た子どもたちにはインタビューしないことに決めた。子どもたちの心のケアを考えると、なかなか取材も難しい。ケース・バイ・ケースでいろいろ悩む必要がでてくると思う。」
また、PTSDとは、実際どのようなものなのか、事件・事故は子どもの心にどのような影響をあたえるのか、精神科医である大平委員から次のような説明がありました。
(大平委員)
「PTSDは、ほとんど正しく理解されないで、独り歩きしている概念だと思う。PTSDとは、本来、神経症、ノイローゼになっている人の症状をずっと調べていると、本人が覚えていると称する小さいときの体験に原因があるかのように心の中ですべて症状が出来上がっていることをいう。したがって、その事実が実際に過去にあったからそれが原因である、ということとは違う。心の中で、あたかも子どものころに、そういう出来事があったかのように作られていて、そこから今の症状ができているということである。
事件の話で言うと、子どもたちは、皆が心配するほど大きな障害をこうむることはない。しかし、子どもは合理化が下手なので、一生懸命自分が不安でなくなろうとしていることが容易に破たんしやすいことはある。そのため、バックグラウンドにノイローゼ、依存症などになりそうな何かほかの背景がある場合に、それが加わって、その人の人生をゆがめてしまうことは大いにありうる。
一方、PTSDとは別に、報道の際、実名が報道されてかわいそうだ、と思われていることは肝に銘じてほしい。(一般の人は)取材が来たおかげで、不可解なことが明るみに出るだろうと期待を持って皆さんを歓迎しているわけではない。『かわいそうな人がプライバシーを暴かれた』としか思われなくなっている。この状況がPTSDという言葉とダブっているのだと思う。」

最後に、汐見委員長が今回の意見交換会について、次のように総括しました。
(汐見委員長)
「事件というのは、すべてそうだと思うが、その背景にどろどろしたものがたくさん蓄積されていて、それがどこかで噴火してしまったものがポコンと出てきたところが事件になる。その下にはマグマみたいな世界がある。たぶん皆さんも本当は、事実を知りたい、なぜこういうことが起こってしまったのか、もっとその事実を知りたいと思っているでしょう。しかし、最後まで、本当の事実はわからない。その中で、何を伝えていけばいいのかが、マスコミの一番悩むところではないか、と改めて感じた。
与えられた条件のもとでここまでは分かった。しかし、私たちはまだ本当のことがわかっているわけではない。どうしても伝えたいことを伝えるので、あとは視聴者の皆さん、判断してください。そういう形で伝えていくのが、マスコミの仕事だと思う。お願いしたいことは、わけがわからなくなっている日本の社会の中で、ぽつんとぽつんと出てくる事件から、そこにある事実をつかもうという飽くなき姿勢を是非捨てないで頑張ってほしい。
もう一つは、少年が関わる報道の難しさだが、これについては、ケース・バイ・ケースで、事件の背景から、責任はすべて負えないだろうし、これからの更生の可能性を考えた時にこういう報道は差し控えておこう、というようなことをその都度考えていくしかないと思う。
青少年委員会は、本当にいい番組をつくるためにはどうしたらいいのかという悩みを現場の皆さんと共有させてもらい、そういうことを議論し合えるような場を提供していきたいと考えている。そういう委員会だということを理解してほしい。」
以上のような活発な議論が行われ、3時間以上に及んだ意見交換会は終了しました。

【参加者の感想】

今回の意見交換会終了後、参加者からは、以下のような感想が寄せられました。

  • BPOの組織・役割などについては、ある程度理解していました。しかしトップの立場の方から発せられるメッセージは、やはり重みや説得力のあるもので、仕組みであり社会哲学と言うポイントは、放送現場に立つ者が同様に感じておくべきことと肝に銘じました。
  • 各社の判断基準、対応方針などについて共有する貴重な機会となった。普段、ここまで具体的かつ本音ベースで意見交換をする場を持つことはないので、そういった意味でも有意義だった。また、ともすると繁忙な業務に流されがちであるが、改めて、自分たちの報道姿勢などを立ち止まって見つめ直す、いい機会ともなった。
  • 青少年問題についてはシンプルな結論・基準を示すのがなかなか難しいです。そうした中、難しさをあらためて認識できたこと、各社とも真摯に考えようとしている姿勢を感じられたことが有意義でした。我々は、誰のため何のために報道しようとしているのか、という根本から考えることが大切だと再認識させられました。

以上

2017年6月30日

青少年委員会 「意見交換会」(山陰地区)の概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、山陰地区(島根県・鳥取県)の放送局との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、6月30日の午後2時から5時まで、「意見交換会」を松江市で開催しました。
BPOからは、青少年委員会の汐見稔幸委員長、最相葉月副委員長、菅原ますみ委員と、三好晴海専務理事が参加しました。放送局の参加者は、日本海テレビ、NHK、山陰放送、山陰中央テレビ(チャンネル順)の各連絡責任者、制作・報道・情報番組担当者など25人です。
冒頭、BPO設立の経緯および青少年委員会について、三好専務理事から話があり、続いて、委員から、事前に視聴・聴取した地元制作番組についての感想が述べられました。
その後、(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について、(2)行政や教育委員会による「テレビなどの視聴規制」について、活発な意見交換がなされました。

【BPO設立の経緯および青少年委員会について】(三好専務理事)

1985年ごろから、いわゆる「やらせ」や「過剰演出」など、放送倫理が社会問題化することが相次いだ。市民からの放送局批判が高まり、NHKと民放連が協議し、信頼を取り戻すため、放送局の自主・自律の精神で立ち上げたのがBPOである。公権力の放送への介入を回避し、表現の自由を守るための組織でもある。つまりBPOは放送の監視機関ではなく、自浄作用のために作られた組織だということは、覚えておいていただきたい。
さて、1987年に日弁連がメディアに対して二つの注文を付けた。一つ目は、名誉・プライバシー等に配慮して、行き過ぎた取材・報道に注意してほしいということ。これは、至極当然である。二つ目は、捜査情報への安易な依存をやめ、原則として匿名報道の実現を行ってほしい、ということ。たしかに、捜査情報への安易な依存は、放送局側も戒めていることではあるが、局側は事件・事故の再発防止などのために、実名報道を主張しており、この部分については、日弁連と相容れないところである。そんな中、1994年の松本サリン事件において、多くのメディアが本来被害者であった会社員の男性を犯人視報道し、その後、訂正・謝罪するという事態に陥った。この問題も含め、市民から信頼失墜との声が強くなり、総務省(当時の郵政省)が「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」を立ち上げ1年半にわたる議論を経て、以下の五つの提言を行った。(1)青少年の保護、(2)意見の多様性と政治的公平、(3)放送事業者の自主性と責任、(4)放送事業者以外のものによる評価、(5)権利侵害と被害者救済、である。これらのうち、(4)と(5)にNHKと民放連が注目し、1997年に設立したのが「放送と人権等権利に関する委員会」である。その後、青少年による事件の頻発により、放送の児童・青少年への影響が社会問題化し、2000年に「放送と青少年に関する委員会」を、さらに、バラエティー番組でのねつ造問題をきっかけとして2007年には「放送倫理検証委員会」が作られ、現在の3委員会となった。
つまり、BPOは皆さんが作った組織であり、監視機関では決してないということ。また数々の不祥事を経て、放送界が自主・自律のために作った組織であるということは、知っておいていただきたい。

(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について

【これまでBPOに寄せられた主な意見などについて】(最相副委員長)

子どもが関わる事件・事故の取材・報道について、これまで、青少年委員会が行ってきた提言について簡単にお話ししたい。
最初の提言は、2002年3月5日付の「『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮』についての提言」である。
これは、1997年の神戸連続児童殺傷事件と2001年大阪・附属池田小学校の事件におけるメディアスクラムで傷ついた人がいたということを契機にしたものだった。提言の要点は以下の四つ。(1)衝撃的な事件・事故の報道では子どもたちへの影響が大きいことを配慮し、刺激的な映像の使用に関しては、いたずらに不安をあおらないよう慎重に取り扱うべきである。(2)子どもは言葉の理解が不十分なため、映像から大きなインパクトを受け易い特性がある点に留意し、特に「繰り返し効果」のもたらす影響については慎重な検討と配慮が求められる。(3)ニュース番組内、あるいは子ども向け番組で、日常的に、子どもたちにも分かるニュース解説が放送されることが望ましい。(4)衝撃的な事件・事故の報道に際しては、影響を受けた子どもたちの心のケアに関して、保護者を支援する番組を即座に組めるよう、日頃から専門家チームと連携を図ることが望ましい。特に、(4)の提言に関しては、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)への配慮を求めており、当時はまだ耳慣れない言葉だったPTSDに言及したものだった。
続いては、2005年12月19日付の「『児童殺傷事件等の報道』についての要望」で、これは栃木県で起きた小1児童殺害事件がきっかけだった。この要望の要点は、以下の3点。
(1)「殺傷方法等の詳細な報道」に関して、凶器・殺傷方法・遺体の状況などを詳細に報道することは、模倣を誘発したり、視聴者たる子どもを脅えさせるおそれがあるなど、好ましくない影響が懸念されるので、十分な配慮が必要である。(2)「被害児童の家族・友人に対する取材」に関しては、悲惨な事件によって打ちひしがれた心をさらに傷つけることにもなりかねず、また親しい者の死を悼む子どもの心的領域に踏み込む行為でもあるので、慎重を期すように要望したい。(3)「被害児童および未成年被疑者の文章等の放送」に関して、プライバシーおよび家族の心情への配慮の観点からより慎重な扱いが必要と思われる。
この「文章等」には、現代においては、写真や卒業文集、SNSの書き込みなども含まれると考えられる。この要望(2)にある「事件事故に関連する子どもたちへの取材」については、最近も視聴者から意見が寄せられることがたびたびあり、委員会でも討論をしている。
3番目は2012年3月2日付の「子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望」である。これは、東日本大震災の発生から1年を前に、多数放送されるであろう震災関連番組などを念頭に、配慮を要望したものだった。結果、放送では津波映像の前に、注意喚起テロップが放送されるなど放送局の理解と配慮を得ることができた。
最後は、2015年4月28日に公表した「"ネット情報の取り扱い"に関する『委員長コメント』」で、これは、インターネット上の殺りく、虐待など人権を無視した映像を扱うサイトの情報をテレビが放送したことについて討論した結果、出されたコメントである。番組自体は審議入りしないことにはなったが、テレビという公共のための放送システムが抱く可能性のある問題を示したものだった。インターネット情報の取り扱いについてなども、意見があれば伺いたいと思う。

【取材・放送の現状や課題などについて】(意見交換)

(事務局)被取材者となる子どもへの接し方について、悩んだ経験などないか?
(放送局)2015年の「川崎市中1男子生徒殺害事件」のとき、被害者の男子生徒が小学6年生まで隠岐島で過ごしていたことが分かった。社内で議論し、いったんは島に取材に入らないことを決めたのだが、その後、各局の取材やキー局からの要請もあり、出遅れる形で、取材クルーが島に入った。しかし、小学校長から子どもの取材はやめてほしいと要請があり、当初は許可されていた校長自身の顔出しインタビューもできなくなっているなど、島内の取材は全滅といっていい状況だった。当時、記者からは、「島の子どもたちが相当なショックを受けている」と報告を受けたことを覚えている。
(放送局)取材を進めると被害少年は、かつては「ごくありふれた島の少年」だったことが分かった。事件の悲惨さを伝えるためにも、島の取材は必要だったと思っている。
(放送局)わが社は、事件のバックグラウンドを知るために、地元の民放局では2番目というわりと早い段階で島に入った。しかし、その段階ですでに新聞を含め各メディアが島に殺到しており、宿の確保も困難な状況だった。
(事務局)メディアスクラムのような状況だったのか?
(放送局)メディアスクラムになる前の段階だったと思うが、そのときすでに地元住民からはメディアに対する拒否反応が出ていたと記憶している。
(事務局)子どもの取材に対する注意喚起などは、取材者に行ったのか?
(放送局)子どもへの接触や取材以前の段階で、拒否反応が出ていた。
(最相副委員長)キー局からの取材要請など、地元局の判断と異なる要請があった場合はどのように対応しているのか?
(放送局)わが社の系列キー局からは、そこまで強い要請があったわけではないが、他局の状況などを鑑みて、遅ればせながら島に取材に入ったというのが実情だった。
(放送局)自然災害が起きたときなど、キー局のワイドショー班が、我々の頭を越えていきなり飛び込んでくるようなことがある。また、情報提供を求められることもある。中央は、良くも悪くもスピーディーだとは思うが、その取材の間に、地元に残していく傷跡を感じることはよくある。
(放送局)かつて、ある漁師の方に、取材を申し込み拒否されたことがあるが、その理由は、「キー局の"やらせ"に近い取材手法へのアレルギー」だと言われた。
(事務局)子どもを取材するうえで、学校などはポイントだと思うが、そのあたり、近年困難に思うことはないか?
(放送局)一昨日、市内の中学校で交通事故遺族の講演があり、取材することになった。その「命の授業」を開催したのは、地元警察だったが、当初、警察からは、子どもの取材・撮影は許可できない、講演者の顔のみ撮影してほしいとの要請があった。しかし、それでは講演会の意義は伝えきれないと考え、担当記者が学校に相談したところ、在校生にDV被害による転校生がいることが分かった。そこで当該生徒のいるクラスは撮影しないことを条件に、生徒取材の了承を得た。事情に合わせてその都度交渉し、現場において最大限の配慮をすることで、取材が可能になる場合はある。
(放送局)そもそも、学校内で不特定多数の児童や生徒を取材することは、近年非常に難しい。学校側に、取材を許可できない理由を尋ねても明確な答えはなく、とにかく取材は困る、の一点張りだったりもする。現場での感覚で言えば、10年位前から、入学式や卒業式の取材すら困難になっていると感じる。
(事務局)被取材者の子どもへの精神的影響などは、専門的にみてどうか?
(菅原委員)
年齢による違いや個人差はあるが、一般的に幼い子どものほうが、言葉で処理することができない分、事態を重く受け止め影響が長く続くと言われている。一般的には、低年齢の子どものほうが、影響や被害が大きいということ。また、同年齢の子どもについての報道に影響を受けやすいことも分かっている。例えば、自殺報道による自殺の連鎖などが知られている。子どもにとって等身大の人についての報道は、影響が大きい。もちろん、ストレスに強い子や弱い子などの個人差はあるが、一般的には、大人よりもデリケートに反応することは確かで、低年齢であればあるほど丸のまま受け止めてしまうので、大人のプロテクトは必要と言える。ただし、青少年になれば精神的にも成熟し、インタビュアーのまなざし一つで安心することができる。どんな場合でも、取材者が心を込めて接することが大切なのではないか。

(2)行政や教育委員会による「テレビなどの視聴規制」について

【これまでの経緯と現状の報告】(地元放送局 報道制作部長)

私は、生まれたときからテレビがあって、「テレビばっかり見るな」という親の言うことも聞かずテレビの番組と共に育ってきた、といっても過言ではない「テレビっ子」世代。そんな私が親になり、いつの頃からか、子どもが通う小中学校でチャレンジデーなどと称して、「1週間テレビを見る時間を3時間以内にしましょう」などという運動が始まった。そしてチャレンジが達成できたかどうか、親の感想も書かされていた。このチャレンジの目的はテレビを見ずに親子のコミュニケーションを図る、ということだったが、すでに社会に溶け込み、一定の評価を得ているテレビを見るな、という取り組みに正直、「今さら感」を覚え、うんざりした。感想にはきまって、「テレビを見るからコミュニケーションがない家庭が、テレビを見ないでコミュニケーションが図れるか疑問」などと批判めいたことを書いていた。
「ノーテレビデー」を最初に耳にしたのは、2007年の鳥取県三朝町の「ノーテレビデーの町」宣言。町議会の決議を可決する形でスタートしている。その決議には、「テレビをはじめとする『メディア文化』は、空気や水と同じように私たちを取り巻く環境の一つです。『テレビを一度消す』ことで、家族のふれあいや団らんの時間が、いかにテレビによって失われているかが分かります。テレビとの付き合い方を知ることで、パソコンや携帯電話など他のメディアとの付き合い方の基本を学ぶことができます。テレビを消すことで、家庭の団らんや家族の会話を増やすことができます。そして、テレビをちょっと消してみると、静かな時間の中で何かを感じ取ることができると思います。子どもたちをはじめ全町民が、テレビをはじめとする『メディア文化』をあらためて考え、温かい人間愛にあふれ、心のふれあう家庭や地域を創造するため、ここに毎月15日は憩いの日『ノーテレビデーの町』と宣言することを決議する」とある。このとき、社内で「営業妨害だ」との声があったのを覚えているが「放っておこう」という空気だったと記憶している。学校などでチャレンジデーなどが設けられたのは、その後だ。
鳥取県教委や鳥取県のPTA連合会に確認したところ、ノーテレビデーのチャレンジは7 ~ 8年前から始まり、県内ほとんどの小中学校で何らかの取り組みがあるという。県や市町村の教育委員会からの発信でPTAが取り組んだようだ。テレビを見る時間を1週間制限したり、月に1度テレビを見ない日を作ったり、内容はさまざま。当初はテレビとゲームの時間だったが、最近は「ノーメディアデー」と名を変えて、対象はパソコンやスマホなどネットメディアが中心になっている。担当者は今、問題視されているのはテレビよりもソーシャルメディアである、と言っていた。そして一昨年からPTAが取り組んでいるのが「メディア21:00」というもので、21時以降はゲームやソーシャルメディアをするのは、やめようという運動だ。この中にはテレビも含まれているが、時間制限から時間帯制限になり、録画すれば見たい番組も見られるようになったのはわずかながら前進だと思う。
また、島根県でも多くの小中学校で同様の動きになっているようで、松江市では、ちょうど今月2日に市や学校関係者、学識者らで作る「子どもとメディア」対策協議会というのが開かれたので、市教委の担当者に「ノーテレビデー」の成り立ちと現状を聞いてみた。もともとは(鳥取県も同じくだが)子どもたちの生活習慣の見直しがスタートだった。その発端になったのが、2007年度の文科省による「早寝早起き朝ごはん」国民運動推進の通達だ。その中にはテレビを見る時間を制限せよ、などとはうたわれていないのだが、松江市ではテレビやゲームで寝るのが遅くなり、生活習慣が乱れているという感覚があったようで、「ノーテレビ・ノーゲーム運動」というものが始まった。また、問題意識の中には、「親子のコミュニケーション不足」ということもあったようだ。そして2015年度からは「メディアコントロールウィーク」に名称が変わり、ソーシャルメディアも含まれるようになったがテレビも「コントロール」するメディアに含まれている。市内のほとんどの小中学校でテレビを見ない時間を設定する何らかの取り組みが行われている。一方で担当者は、メディアの専門家からアドバイスを受けているようで、テレビもスマホも十把一からげにメディアとしてくくることを見直す動きがあるとも言っている。教委レベルでは「ネットにつながるもの」と「つながらないもの」を分けて考えるべき、という意見のようだが、末端の学校現場いわんやPTAまで浸透するのは時間がかかるだろうと言っていた。
これを踏まえ個人的に違和感を覚えるのは次の点である。
(1) 子どもたちをはじめ多くの視聴者に見てもらおうと思って作ったテレビ番組を、行政や学校などの公的機関が半強制的に見せないようにしていること。各家庭が個々の判断で見ないのならともかく、公的機関が見ないように仕向けるのは「営業妨害」では?
(2)「ノーテレビデー」の目的である、テレビ視聴と生活習慣の乱れ、あるいはテレビ視聴とコミュニケーション不足は、そもそも相関関係にないのでは?ノーテレビデーではテレビより読書、などと言われることもあったが、徹夜で読書したら同じことだろう。我々「テレビっ子」世代の多くは、テレビからも毒や薬を飲んで、大げさに言えば社会を学んだ。時代によって毒や薬は変わるが、そこを今、青少年委員会とテレビ局が議論し、よりよい番組を目指しているのだと思う。そういう点が全く理解されないで単純にテレビを見ないようにしようというのは、「テレビを見れば馬鹿になる」というようなテレビ草創期に言われた話が根底にあるのではとも感じている。番組の作り手としては残念だが、逆に、そこをもっと理解してもらうことも必要かもしれない。
この場の議論が「ノーメディアデー」を勧める関係者はじめ多くの視聴者に届き、テレビに対する理解につながればありがたい、と考えている。

【学術的な裏付けなどについて】(菅原ますみ委員)

テレビの子ども向けコンテンツが少子化などによりただでさえ制作されにくくなっている現状がある中で、「テレビは子どもにとってよくないもの」とすることは、よいコンテンツにアクセスする機会を子どもから奪うことになり、子どもにとっても不利益なのではないか、またニューメディアに対するスキルトレーニングからも遠ざけられることにつながるのではないか、と個人的には危惧している。
「映像メディアと子どもの発達」について、小児科学と発達心理学を踏まえて話をしたい。この分野については、胎児期からの追跡調査など、アメリカを中心に国家規模の研究がなされている。そもそも、子どもへのテレビの悪影響について考えられるきっかけとなったのは、1999年のアメリカ小児科学会による勧告だとされる。これは、「小児科医は、2歳以下の子どものいる親に、テレビを見せないように働きかけるべきである」というものだったが、当時は、乳幼児の健全な脳発達などのためには、親や保育者と触れ合うことが必要だというエビデンスがあっただけで、テレビの悪影響についてその論拠があったわけではなかった。
その後、アメリカ小児科学会の勧告を受け、2004年に日本小児科学会も、「2歳以下の子どもにはテレビやビデオを長時間見せないように。長時間視聴児は言語発達が遅れる危険性が高まる」という提言を行う。しかしその後、さまざまな実証研究の発展を受け、2016年にアメリカ小児科学会は再度、子どものメディア利用についての提言を行い、"ノーテレビ"というスタンスを脱し、"スマート・テレビ・ユース(賢いテレビ利用)"を推奨するに至っている。また、「テレビ接触が子どもの発達に及ぼす影響」についての最近の実証実験の結果を踏まえ分かってきたこともある。
まず、子どもに見せるコンテンツは年齢にふさわしい教育的で良質なコンテンツであることが重要だということ。また、テレビの視聴時間が就学前の発達に及ぼす大きな負の影響性は今のところ認められていないということ。一緒に視聴する大人が、オープンエンドな質問をするなど共有視聴することで、子どもの内容理解や語彙獲得を促す効果を得られる可能性があることも分かっている。日本で行った12年間に渡るテレビの視聴調査でも、「テレビ視聴量の多寡が幼児期の問題行動と関連する」という結果は得られていない。つまり、家族で対話しながら共有するテレビ番組は、子どもにとって楽しみとなるだけでなく、子どもを賢くする機能を持つ可能性がある。

【「テレビ視聴の規制」が放送局に及ぼす影響などについて】(意見交換)

(放送局)スマートフォンやタブレットなどの視聴は「個の世界」で、子どもが何をしているのか分からないと感じる。自分もそうであったように、テレビから学ぶことはたくさんあるはずなので、制作者として良質なコンテンツを作り出していきたいとあらためて思う。
(放送局)自分自身、2歳の子どもの親だが、どこからか聞いてきた情報で、自分が放送に携わる人間でありながら、テレビを見せることに罪悪感を持ったりしていたところがこれまでは、正直あった。
(事務局)行政や教育委員会などが、「ノーテレビデー」などの方法で人間の内面に踏み入ってくることに対しての思いなどは?
(最相副委員長)先ほどからの話を聞いていて、憲法に抵触するのではないか?と思うほどの憤りを感じている。「違和感を覚える」とか「営業妨害」などのレベルではなく、人間の自由や人権に関わることだと思う。ぜひ、今後も勉強会を開催するなどして、この問題については考えていっていただきたい。
(放送局)「テレビ規制」の動きが県内で始まった当初は、「真正面から相手にするもの大人げない」というような雰囲気が社内にはあったように記憶している。これを機に、いろいろ調べながら各局の連携なども考えなくてはならないのかもしれない。拳を振り上げるというよりは、放送局らしいやり方を考えていきたい。

【地元放送局代表 挨拶】(山陰放送テレビ総局 杉原充子総局長)

同じ地域で同じ仕事に取り組んでいても、日頃なかなか顔を合わせる機会のない者同士が集う機会を持つことができ、大変ありがたかった。今日の議論から、またさまざまな課題が見えてきた部分もあるが、これからも山陰という地域で、各放送局が協力し合いながら、今後も進んでいくことができればうれしい。

【まとめ】(汐見委員長)

行政や教育委員会による「テレビの視聴規制」についての議論が行われたことは、大変意義のあることだと思う。行政や教育委員会と対決するのではなく、「親子の会話の時間を作ることや、子どもがこの家に生まれて良かったと思えるような家庭を作ること」を自分たちも放送を通じて応援したいのだ、というスタンスでメディアに携わる人たちには頑張っていただきたい。「行政や教育委員会が目指すところはよく分かるが、家庭での会話を生み出すことや話題作りにテレビが寄与できるのではないか」ということを、上手に伝えていってほしい。
かつて、落語家の林家一平さん(現・三平)から、父である初代三平さんと家族のエピソードを聞いたことがある。三平さんは7時のニュースを家族全員で見て、みんなに討論をさせていたそうだ。その経験から一平さんは、「世の中のことを知らない人間は恥ずかしい」ということや、「意見が同じだとつまらない。意見は違うからこそ面白い」ということなどを知ったと教えてくれた。昭和の爆笑王はテレビを媒体にして「家族の時間と空間を作っていたのだなぁ」と思った。
皆さんには、行政や教育委員会と一緒に、「どうすれば家族の時間を作ることができるか、テレビに何ができるか」ということを話し合えるような新しい関係を生み出していっていただきたい。教育の世界の人たちと前向きな良い関係を築いていっていただきたいと思う。

以上

2017年1月24日

在京局担当者との「意見交換会・勉強会」概要

◆概要◆

青少年委員会は1月24日、「放送における障害者~当事者の視点から見た現状~」をテーマに、在京テレビ各社(NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ、東京MXテレビ)との「意見交換会・勉強会」を千代田放送会館で開催し、14時から16時まで活発な意見交換を行いました。
各放送局からは、BPO連絡責任者、番組制作者など23人、青少年委員会からは汐見委員長ら7人の委員全員が参加しました。
今回の「意見交換会・勉強会」は、青少年委員会の中高生モニターから、障害者を取り上げた番組に対して賛否様々な意見が寄せられたこと、相模原市の障害者福祉施設で起きた殺傷事件で、被害者の氏名が警察から発表されずに物議を醸したことなどから、「放送における障害者」問題を今一度見つめることを目的に開催したものです。
司会役は中橋委員が務め、まず、東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎准教授にご講演いただきました。ご自身も脳性まひである熊谷准教授からは、障害者に関する意見交換のための重要な基礎的知識について、当事者の視点から解説いただいた上で、「相模原事件から考える暴力と障害」を中心としたお話がありました。その後の意見交換では、障害者を対象にした取材や番組制作時における悩みなどについて、出席者から質問があり、熊谷准教授からは自らの経験に基づいた考えが示されました。

【講演の概要】
熊谷准教授は、暴力と障害について、2016年7月26日に神奈川県相模原市の障害者福祉施設で発生した、元施設職員による入所者殺傷事件に触れ、「一方が加害者で一方が被害者と思いがちだが、どちらも同じような社会的な排除を受けていたり、リスクを持っていたりする」「障害者と介助者の関係は一般の関係とは違い、非対称性がある。障害者は介助者に暴力を振るわれたらかなわないし、介助者は介助の仕事を降りることができる。こうした非対称性は暴力の関係を生みやすい」などの解説があり、障害者が頼れる先(依存先)を複数持つことの重要性が示されました。
メディアに関しては、「事件と何かを関連付けたくなるだろうが、特定の精神疾患と暴力性に統計的な関連性はない。こうした疾患が暴力行為に直接関連しているかのような報道は避けるべきだ。一方、暴力性は"反社会的行動""薬物依存"など8つのリスクと関連しているとされているが、これについても様々な要因やケースがあるので、安易に関連があるかのような報道も慎むべき」「健常者と障害者の境は時代によって変わる。かつては手足を自由に使えることが"健常"だった。しかし、機械が単純労働を代替してくれる現代ではコミュニケーション能力が求められ、かつては"黙々と働く人"と言われていたような人が"コミュニケーション障害"とされるようなことも起きている。流動的で曖昧な"コミュニケーション能力"のひな型を作り上げる要因の一つにメディアがなっているかもしれないとの思いを持っていてほしい」などの話がありました。

【意見交換の概要】
▲=熊谷准教授、●=委員、○=放送局出席者

  • ● 中高生モニターからは、障害者をテーマにしたバラエティー・情報番組である『バリバラ』(NHK教育)や『24時間テレビ』(日本テレビ)について、それぞれの番組の良さを感じながらも、障害者のあり方、あるいはメディアが障害者をどう取り扱うかということに関する考えを深めたという意見が寄せられた。

  • 〇 モニターから「裏番組を批判しているようだ」との意見があったようだが、そのような意図はない。かつての自分を思い、自戒の念を込めて作ったものだ。

  • 〇 今回話題となった『バリバラ』の放送回はインターネット上でかなり話題になったが、視聴率は通常と変わらなかった。インターネットやSNSでの議論や意見などを確認したが、ほとんどの人は番組をしっかりと見ていないように感じた。

  • ○ "障害者がテレビに出てくる時には必ず何がしかの役割を期待される"ことについて考えてもらいたくて、ストレッチャーに乗ったままで何もしない障害者をあえて出演させた。しかし、同番組に関するインターネット上の話題では、そのことについて深く議論されなかったようだ。表層的な理論の域を出なかったのかと残念に思ったが、やった意味はあったと思っている。

  • 〇 相模原市の障害者福祉施設での殺傷事件では、警察が被害者の氏名を発表しなかったが、仮に情報提供があり、それを報道するかどうかをメディア側に委ねられた時に、どう判断すべきかの理論構築は非常に難しい。

  • ▲ 今回の事件後に、ご遺族の方などにインタビューをした。なぜ名前を出したくないと思うのかと聞いたら、「あんなやつらにうちのかわいい、大切な子どもの名前を明かしてたまるか」「これまでさんざん自分たちのことを見捨ててきたのに、こういう時にだけ急に関心を高めて知ろうとする。そんな人たちに大事なうちの子の名前を明かしたり、大事な思い出を紹介して、それを再編集されたりしてたまるか」とおっしゃった方がいた。

  • ▲ どこかで地域への恨み、メディアへの恨み、あるいは一部の障害を持った子どもが政治利用されたりすることもある障害者運動への恨みが家族の中にどこかある。その恨みはとても根が深いものだ。メディアは障害者である取材対象者を本当に仲間だと思い、「だから知りたいんだ」ということを、どれぐらい相手に伝えられるのかが問われているのだと思う。

  • ▲ メディアの倫理で、名前を出すか、出さないかといった矮小なレベルで考えても仕方がない。出せないことの背後に、重層的な恨み、地域への不信感、メディアへの不信感、障害者運動への不信感などが渦巻いている。腹をくくって、誠意をもってつき合い続けるしかないのかなと思っている。

  • ● メディアと障害者が信頼関係をどう築いていくかが重要だと理解した。

  • 〇 相模原市の障害者福祉施設での殺傷事件では、警察が匿名発表した際、障害者団体からは「実名で報じてほしい」という声もあった。本当の温度感が分からない。果たして、どこまで共通認識になっていたのだろうか。通常の事件と同じように扱うべきだと思いながらも、情報の入口と出口で制約があり、判断に迷った。

  • ▲ 一人一人の障害者の思いや、家族の思い、運動体としての思いは全く別だと思うので、障害者が共通認識を持つことはとても難しい。長期的には実名報道すべきだと個人的に思っているが、短期的には、その人の人生を知らない状態で暴くような形でアウティングするようなことは絶対にしてほしくない。事件が起きた時に、どう対応すべきか迅速な判断をすることはすごく難しいことだが、大事に扱わないといけない部分だ。

  • 〇 障害者だからといって実名を伏せるのも逆差別的であり、違和感を覚える部分がある。報じないのも一つの判断だという理解で良いか。

  • ▲ 被害者の名前を伏せるようなことは許されるべきではないという思いと、被害者一人一人のことを考えると、残された家族の思いなどを尊重したいという思いの両方がある。長期的に是正しなければいけないことと、短期的に意思決定を尊重しなければいけないこととのせめぎ合いがいつもある。それをしないでルーチン化して報道してしまうと、取り返しのつかないことが起きる可能性があるので留意が必要だ。

  • 〇 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、多様性の素晴らしさにあらためて注目が集まっているが、ついついきれいな言葉を使いがちだ。先日、障害者と健常者で、差別やバリアフリーを考えるという企画を行ったが、互いに深く話し合うことに慣れていない。本音を出すことで初めて話し合えると考えているのだが、すごく難しい。メディアはどうしていけばいいのだろうか。

  • ▲ 薬物依存症の人が自分たちをセルフサポートしている、ダルクというセルフヘルプグループでは、"正直になること"を大事にしている。正直になることは本音主義と対極ぐらい違い、本音主義は必ずしも正直になることとは違う。ダルクの代表に「正直になるとはどういうことか」と聞いたら、「祈りだ」と一言あった。「祈りとは何か」と聞いたら、「話すことではなく聞くこと」だと言っていた。正直になることというのは、アウトプットよりインプットを重視するスタイルだ。これを"祈り"と彼らは呼んでいる。"聞く"には二つの意味があり、自分とは異なる他者の分かりづらい言葉に耳を傾けるという"聞く"と、自分の中の内なる言葉になりにくいものに耳を傾けるという"聞く"がある。つまり、アウトプットに意識を払い過ぎると本音から外れていったり、正直さから外れていったりするが、自分にも他人にもインプットの回路を全開に開くことが正直さにつながっていき、相手への理解につながっていくと言いたかったのだろう。アウトプットに目が向きがちだが、むしろ"聞く"ことをどうファシリテートしていくかが大事だと思う。

【汐見委員長まとめ】

最後に、汐見委員長から熊谷講師と出席者に謝辞が述べられるとともに、「考えなくてはいけないテーマを整理できた。私は幼児教育に携わっているが、常に、その人が今、何を本当に必要としているのかを感じる能力を問われていると思っている。人間には違いがたくさんある。そのでこぼこは一人一人全く違っていて、でこぼこに応じた"必要"を持っている。その"必要"を感じ合うコミュニティーをどう作っていけばいいのかのヒントが今日の講演にはたくさんあった。一方、文化を創るということにも関心があり、マスメディアはその担い手の一つだと思っている。文化を翻訳して上手に伝えていく仕事をエディットという。文化は編集者と創造者が共同して創るものだ。熊谷講師の考えをエディットして、文化として世の中に生きる形で残していくのがマスメディアの仕事だと思う。すべてに迎合するのではなく、"必要"を感じ取り、それを形にしていくという点で共通していると感じた。各自がそれぞれに受けとめて、また議論していただきたい」との感想があり、意見交換会を終えました。

以上

2016年10月14日

意見交換会(立命館アジア太平洋大学)

◆概要◆

青少年委員会は青少年にとっての放送番組の向上を目指すとともに、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路」としての機能も担っています。その活動の一環として、10月14日(金)の午後2時15分から5時までの間、立命館アジア太平洋大学(大分県別府市)A棟3階第1会議室において、同校の学生と意見交換会を行いました。
意見交換会には、同校から7カ国12名の留学生を含む22名の学生、青少年委員会からは汐見委員長、最相副委員長、稲増委員、専門家として宇治橋祐之氏(NHK放送文化研究所・メディア研究部主任研究員)が参加しました。また、オブザーバーとしてNHKおよび在大分の放送局から6人が参加しました。

当日は意見交換に先立ち、BPOの役割や設立経緯について説明した後、同校の牧田正裕社会連携担当部長からあいさつがあり、その後、参加者全員が自己紹介を行い、稲増委員の司会進行で活発な意見交換が行われました。意見交換にあたっては、宇治橋氏から適宜、各国の放送事情などについて解説があったほか、在大分局からもそれぞれの実務経験を踏まえた発言がありました。
意見交換では、まず人気バラエティー番組でのお笑いタレントの"罰ゲームシーン"を視聴したうえで、学生たちから自身の感想や出身国での一般的な捉えられ方などについて発言がありました。その他、日本の放送と自国の放送の違い、日本のアニメや性的表現、ラジオなどについて意見交換しました。
汐見委員長からは「青少年委員会は本当に青少年にとって良い番組とは何だろうと考え続けています。子どもの頃に見たテレビが一生を方向づけることもあるはずです。そうした番組を作る力は放送局だけではなく、視聴している皆さんの様々な意見の中で作られていきます。放送は日本の文化です。それを外国の方が見たときにどう評価するのかとても興味がありました。いい機会になりました」との感想がありました。
最後に最相副委員長から「日本が自慢できるものは長らく技術に偏っていましたが、近年、テレビは素晴らしい番組をたくさん作り輸出してきました。皆さんも母国に持ち帰れるような、自慢できるような番組を探していただけたらと思います」と閉会のあいさつがありました。
意見交換の概要は次のとおりです。

【罰ゲームシーンについて】
「面白い番組だ。自国でもこのようなシーンが放送されているが、家庭に悪い影響を与えるとはとらえられていないと思う」(インドネシア)、「このような番組があれば自国でも人気が出ると思う」(シンガポール)など、番組の面白さに注目した好意的な意見が寄せられた一方、「このような番組は来日して初めて見た。とても面白いが、お笑いタレントの人たちが本当に危険かどうか判断しかねるので、もう少し軽めの罰ゲームでもいいのではないか」(メキシコ)、「バカバカしい内容で笑わせるのではなく、意義のあるお笑い番組を放送してほしい」(ベトナム)などの意見もありました。
日本人の学生からは「罰ゲームを見て、面白いという気持ちより怖いという気持ちの方が勝った」「自分が見る分には面白いと思うが、幼稚園児や小学生が真似するおそれがあると思う。親子一緒に視聴する必要があるのではないか」など、留学生に比べて"罰ゲーム"への否定的な意見が目立ちました。また、「BPOには『バラエティー番組などでの過激な演出がいじめを助長する』との意見が寄せられることが多いようだ。私はそうは思わないのだが、放送局の人はどう考えているのか」との質問があり、オブザーバーからは「直接的にはつながらないと個人的には思うが、乱暴な行為への抵抗感が薄れることも考えたい」などの発言がありました。

【日本の放送と自国の放送の違いについて】
「日本の番組はクリエイティブだ。アイデアが非常に面白い」(インドネシア)、「中国系なので、自国では中国の番組を良く見ていた。中国の番組と比べると日本の番組は真面目だ」(マレーシア)、「日本のドラマは恋愛ものだけではなく幅広い。見ると頑張ろうという気持ちになれる。人生のレッスンになるような番組が多い」(ベトナム)、「NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見て、頑張ろうという気持ちが湧いてきた」(インド)など、コンテンツの素晴らしさに触れる意見が多く寄せられました。報道については、「日本のメディアには自由がある。自国の放送は政府が管理しているので、政治に関するニュースが少ない」(ベトナム)「地震や台風などの災害時に文字情報などを有効に利用していて驚いた」(メキシコ)などの感想がありました。

【日本のアニメや性的表現について】
「自国で日本のアニメを見て日本の文化を学んだ。学校を舞台にしたアニメでは桜の季節に入学式があることや、正月に書初めをしていることなどを知り興味が湧いた。インターネットを通じて視聴している人が多いようだ」(メキシコ)、「自国で見ていた日本のアニメに少し性的なシーンがあり、親に注意されたことがある」(ベトナム)、「日本で制作されたアニメで仮に乱暴な言葉や性的な言葉が使われていても、自国で放送する際には違う言葉に翻訳されるので、特に問題にはなっていない」(インドネシア)、「胸を誇張したアニメキャラクターなどの存在には驚いた」(メキシコ)、「宗教的な問題で婚前交渉が許されない国の人も留学しており、日本の放送に驚いていた。しかし、彼らは人や国によって性的表現に対する意識や厳しさは違うことを理解し、それが日本の“当たり前”だと受け止めている」(日本)などの発言がありました。宇治橋氏からは「日本の放送の性的表現が各国と比較して緩いかと言うと一概には言えない。例えばヨーロッパではあれば裸のシーンは意外と多い面もある。それぞれの国の文化的、宗教的背景があり、その捉え方による」との解説がありました。

【ラジオについて】
「バイクツーリングが趣味なのでラジオをよく聴く。天気や災害情報を入手するのにとても役立っている。また、色々な音楽が聴けるのも魅力だ」(スリランカ)、「アメリカに留学した際にNHKの英語ニュースを聴いていた。日本での出来事を知りつつ勉強にもなり、とても便利だった」(日本)、「自国で大地震があった際、停電などでテレビが見られず情報が入らなかった。津波という現象を知らない人も多く、水が引いた海に入って多くの人が亡くなった。電池でも聴けるラジオがあれば津波の情報も入手できたと思うので、被害者数も相当違ったのではないか」(スリランカ)、「車を運転する際に音楽だけでは寂しいので、トークもあるラジオ番組を聴いている」などの意見がありました。委員からは「先日は大分でも大きな地震があったので、災害に対する不安を持っている留学生も多いと思う。阪神淡路大震災や東日本大震災では避難やライフラインの確保にラジオが大変役立った。ピンポイントで大事なことを伝えるのに適したメディアがラジオだ。外国語によるコミュニティーFMを自ら立ち上げることも考えてはどうか」などの発言がありました。

以上

2016年9月12日

意見交換会(広島)

◆概要◆

青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的の為、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、広島県の放送局の皆様との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、9月12日の14時から17時まで、RCC文化センター会議室にて「意見交換会」を開催しました。
BPOからは、汐見稔幸・青少年委員会委員長、最相葉月・同副委員長、稲増龍夫・同委員、大平健・同委員、菅原ますみ・同委員、中橋雄・同委員、緑川由香・同委員の全委員と濱田純一・理事長、三好晴海・専務理事が参加しました。放送局の参加者は、NHK、中国放送、広島テレビ、広島ホームテレビ、テレビ新広島、広島エフエムの各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など24人です。
会合ではまず、委員から、事前に視聴・聴取した地元制作番組についての感想が述べられ、続いて、濱田理事長から、表現の自由と放送法の解釈について解説がありました。また、汐見委員長からは、青少年委員会が8月に公表した文書についての説明がありました。
その後、(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について、(2)原爆の歴史の伝え方について、(3)地域におけるラジオの重要性、などについて、活発な意見交換がなされました。

【地元制作番組を視聴・聴取した委員の感想】

  • 『フェイス もう一度勉強してみんか?~地域の学習支援は子どもを救うか~』(NHK広島)非常に丹念な取材が重ねられていた。扱うテーマも良いのでローカルにとどまらず全国のネットワークを活用していただければよいと思う。
  • 『ひろしま8・6ドラマ ふろたき大将 故郷に帰る』(NHK広島)貧困問題や若者の自分探しなども取り込み、被ばくだけにとどまらない盛りだくさんなドラマ。内容もキャスティングも意欲的でとても見ごたえがあった。
  • 『ニュース6スペシャル ヒロシマとアメリカ』(中国放送)アメリカの核開発の歴史やアメリカの若者の被ばく観の変化の分析、また広島の被ばく者についても多方面にわたり取材するなど、多様な視点に基づき構成された見ごたえある番組だった。
  • 『ひろしまフラワーフェスティバル 花と笑顔の40年史』(中国放送)40年続く地元のイベントの初回開催までの苦労や、これまでの歴史の中でのエピソードなどを紹介する地元制作ならではの佳作。「広島はいい街だなぁ」と思わせてくれる番組だった。
  • 『学校青春バラエティー ぐるぐるスクール』(広島テレビ)中高生のリアルなはじけた姿に感動し涙した。出演する中高生のナチュラルな姿、進行役のタレントのアニキ感、見守る大人たちの視線、すべてが心地よかった。このような素敵な番組が全国で、特に大阪や東京のような大都市で作られるにはどのような工夫が必要なのだろう、と考えた。
  • 『"あの日"は何を変えたのか?~被ばく71年 アメリカの今~』(広島ホームテレビ)オバマ大統領の広島訪問でいったい何が変わったのか?に焦点があてられていたが、大統領の被ばく地訪問に対するアメリカ政府の意図など、表面には見えないところにこれほどまでに隠されたものがあったのかということを知った。
  • 『テレメンタリー2013 3500通の"グルチャ"の果てに…広島16歳少女集団暴行死事件』(広島ホームテレビ)グループチャット、"グルチャ"といわれるSNS上の文字のやりとりだけで、子どもがいかに危ない方向に変化していくかが非常によくわかり、不気味に感じた。直接知らないしゃべったこともない子どもたちが、文字だけのやりとりで、はやし立てたり制したりしながら最後は暴行死に至る。当事者以外の四十数名は共犯者なのだろうか、と考えさせられた。少女Aの自首までの経緯を第2弾として見てみたいと思った。
  • 『そ~だったのカンパニー』(テレビ新広島)69人の鋳物工場の奮闘記。コツコツ続けることの良さが分かる地元に貢献する気持ちのいい番組。
  • 『ヒロシマを遺した男~原爆資料館 誕生秘話~』(テレビ新広島)原爆資料館初代館長の話。今は忘れ去られてしまった人を、番組が丹念に掘り出していく。声高ではなく、等身大の好奇心で追いかけ、結果として真実が見えてくる品のいい番組だった。
  • 『大窪シゲキの9ジラジ』(広島エフエム)ターゲットを高校生に絞り込み、寄り添う番組。メールやファクスだけでなくLINEなど新しいメディアを活用するなど、ラジオ放送だけでない楽しみ方も工夫もされている。リスナーと出演者、作り手の信頼関係を強く感じ、長く愛されている番組なんだろうと思った。

【表現の自由と放送法の解釈】(濱田理事長)

衆議院予算委員会における総務大臣の「最悪の場合は電波停止もありうる」という発言などを中心として放送法を巡りいろいろ話題になったことは、放送の現場にとっては気になるテーマだと思う。
総務大臣発言の法的根拠である電波法76条とは、放送法に違反した場合の、無線局の運用停止や免許取り消しの可能性を規定したものである。では放送法はどのようになっているかというと、第1~3条では、放送の最大限の普及、そして放送の不偏不党や表現の自由の確保、健全な民主主義の発達に資するといったことや番組編集の自由などが掲げられている。そして第4条に政治的公平の規定がある。つまり総務省の解釈では、例えば放送法4条、政治的公平に違反すれば放送法違反ということで、電波法76条に基づく運用停止がありうるだろうとなる。
しかし放送法4条は、政府が放送内容について干渉する根拠となる法規範ではなく、自律的に番組を編集するための倫理規範であるというのが、メディア研究者や憲法研究者の間でも通説的な考えであるようだ。最高裁の判例でも『番組の編集は、表現の自由の保障を前提として、放送事業者の自律的判断にゆだねられていると国民一般は認識している』とある。仮に法規範と考える場合も、表現の自由が前提である以上は、政府の口出しは基本的に許されないことが大原則であるべきだし、倫理規範と考える場合も、放送のあり方が国民の信頼を得ていることが大枠となるので、制約がないわけではない。
この「政治的公平」という概念については、事前のアンケートでも各社の苦労がうかがえたが、ひとつ言えることは、政治的公平とはひとつの番組だけで完結すべきことではなく、その放送局全体で判断されるということ。ある番組の中で偏りが見られたとしても、それをもって議論にはならない。
実質的なことを言えば、政治的公平を考えるとき、表現の自由が大前提であることや、ジャーナリズムに権力の監視機能が求められているということを忘れてはならない。政治的公平という言葉をもって、「政府への反対意見ばかり報道するのはいかがなものか」という議論もあるが、一般に伝えられている情報というのは、現実的に公権力側からの情報が結果として多いということは往々にしてあり得るわけで、それに対しジャーナリズムのスタンスから一定の反対意見がある程度のボリュームで主張されてもバランスを欠くことにはならないとも思う。また視聴者のニーズ、国民の知る権利を見極め考えながら報道するというスタンスも、政治的公平を考える際には求められる。例えば、最近も話題になったが、選挙の候補者をすべて同時間で紹介しなければ政治的公平に反するのか、ということ。これは視聴者ニーズの観点からすれば、候補者を絞った報道も許されると考えられている。全候補者を等分に紹介することで本当に必要な情報が視聴者に伝わらなくなる可能性もある。政治的公平は、形式的に扱われるべきものではない。これからは、実質的な議論をメディアの側からも積極的に行っていくとよいのではないだろうか。

【質疑応答】
●=理事長、○=放送局出席者

  • ○ 政治的公平は放送局全体としてバランスをとればいいということだったが、これはメディア全体にまで広げて考えてもいいのだろうか。例えば、ある局が多少偏っていてもほかの放送局と比べていくつかの全体として見たときにバランスがとれていればそれでいいというようなことは考えられるか。
  • ● 今の法解釈では、ひとつの放送局においてバランスをとらねばならないとなっている。アメリカなどは全体バランスの方向に進んでいるし、今後は日本もその方向に進んでいくのではないかと思うが、現行制度ではひとつの放送局で考えることになっている。
  • ○ アメリカと日本の違いは、具体的にどのようなことがあるか。
  • ● 政治的公平という考え方は、アメリカにはない。それぞれの放送局が一種の特色を持ち、その中で放送間の競争が生まれ、視聴者の知識の幅広さ、情報量につながっていると言われている。
  • ○ 放送の多チャンネル化などメディアの変遷が著しいが、今後、放送法4条などの倫理規範が緩和される動きはあるのか。
  • ● 放送も新聞と同じでいいのではないか、という考え方は以前からある。しかし、放送というのは規制される対象として、他方、新聞は自由販売が原則という歴史的惰性がある。規制はなぜ必要なのか、という議論はこれから高まっていくだろう。

【青少年委員会が公表した文書の解説】(汐見委員長)

青少年委員会では8月に「残虐なシーンのある番組を放送する際の配慮に関する委員長コメント」を出した。当該番組は、ホラーサスペンス系のドラマ。元来、夜10時から放送される番組だったが初回のみ放送時間が拡大され夜9時のスタートとなっていた。
コメントの論点は、2つある。まずは、相当に残虐なシーンがたびたびあることへの配慮がどこまでなされ制作されたかということ。2つ目は、ゴールデンタイムの放送で番組開始まもなくタイトルもなく残虐シーンが映し出されることにより、ホラーが苦手な視聴者も期せずして目にしてしまう可能性が高かった。つまり視聴者に選択の余地がなく、放送が持つ公共性の観点から問題はないだろうか、ということ。我々は、放送基準や放送ガイドラインを判断のよりどころとしているが、例えば民放連の放送基準には「病的、残虐、悲惨、虐待などの情景を表現する時は、視聴者に嫌悪感を与えないようにする」というふうに書かれており、またNHKの放送ガイドラインでは「ドラマなどフィクションの世界であっても、過度の刺激的な描写や暗示、不適切なことばなどは避ける。」とある。さらに、民放連の放送基準審議会は2001年「番組情報の事前表示」に関する考え方について文書を出しているが、そこには「午後5時~9時に放送する番組については、とりわけ児童の視聴に十分配慮する」ということが明記されている。今は録画視聴が増えているのでこの規定をそのまま昔と同じように準用するかどうかについては大いに議論が必要だが、規定があるということは事実である。従って、今回の番組については、子どもたちも見ていることを考慮し、慎重に制作していただきたいということを要請した。

【意見交換の概要】
●=委員、○=放送局出席者

(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について

  • ○ 最近、県内で教員のわいせつ事案が多数発生しているが、県教育委員会からは、児童・生徒への配慮のためとして、学校名と教員名の匿名を要請される。しかし、インターネット上には、実名も顔写真も掲載されていることが多く、各社配慮に意味はあるのか、と考えてしまう。
  • ○ 丁寧に取材を重ねていても、途中でSNSなど思わぬところで情報が拡散してしまい取材対象者に迷惑がかかることがある。従って、その配慮に取材の過程で今まで以上に時間と労力がかかってしまう。真実をできるだけ早く伝えるのが報道の使命でもあるなかで、板挟みになり苦慮しているということは、十数年前にはなかった課題だ。
  • ○ インターネット上では、真偽不明な部分も含めてすでに出回っている情報を、放送では被害者への配慮ということで匿名にしていることが、視聴者からみれば生ぬるく映ってしまい取材が手ぬるいと批判されることがある。
  • ○ インターネットに出ているからといってメディアが実名報道していいという論理にはならない。判断は、状況を総合的に鑑みてケースバイケースで行っている。
  • ● 被害者を守るためにメディアが口をつぐんでいるようにも見えて、違和感を禁じ得ないが、報道が逆の方向に向かってはいないだろうか。
  • ○ 社会性と事件性などから考慮はするが、原則は実名報道である。「出したもの勝ち」ではなく「出さない配慮」への評価が必要なのではないだろうか。
  • ○ 2013年に「呉16歳少女暴行死事件」が起き、おそらくあの事件でSNSに様々な情報が詰まっているとメディアが気づき、インターネットから情報取り放題のような傾向が生じたと記憶している。しかし、SNS上では子どもも大人も別人格のように書き込んでいたり、本意ではない書き込みの可能性も排除できない。インターネットは情報も取りやすいが、その危うさや人権への配慮も忘れてはならない。

(2)原爆の歴史の伝え方について

  • ○ 被ばくから71年、存命被ばく者も減少するなかテーマの枯渇やマンネリ化という状況を正直感じている。また被ばく体験を話したい人もいれば、思い出したくもないという被ばく者もいる。そんななか、原爆の歴史を今後どのように伝えていくかは、在広マスコミの課題だと考える。
  • ○ 私が入社した25年前は、曜日に関係なく「8月6日8時15分」を中心に編成が組まれ、全国ネットを差し替えて放送していたが、今ではそのように手厚い編成はなされなくなった。また近年、「8月6日」に対する全国からの注目の著しい低下を感じる。キー局は、もはや「8月6日」に目を向けていないのではないか、と非常に不安に思う。
  • ○ この10年で相当な変化を実感している。全国の方と広島の方との原爆や核に対する意識のギャップはものすごく大きくなっている。東京などでは「8月6日に何が起きたのか」を知らない子が普通になってしまっている。被ばく地の放送局として、全国に伝える役割を果たしていかねばならない。
  • ○ 若い人たちのニュースへの接触度が非常に低くなっている。いい番組を各局作っていると思うが、若い人たちに全く届いていない。ストレートのボールを投げて自己満足していても若い人は見てくれない。そんな若年視聴者に向けてどう知恵を出していくか、今、現場が一番悩んでいる所ではないだろうか。
  • ● 本当にテーマは枯渇しているのか、証言者はいないのか、ということを問いかけることから始めてみるということもあるのではないだろうか。平和を世界に訴える、放射線の害を訴えるだけではない、「もうひとつの広島」、つまり「これまで報道されてこなかった広島」というものが、まだまだ隠されてはいないだろうか。
  • ● 子どもたちがテレビを見ていないという問題は、広島だけではなくテレビ全体の問題。しかし、青少年委員会の中高生モニターと接していると、作り手が真剣に向き合って作った番組は必ず子どもたちに伝わっていることを実感できる。番組と子どもたちをつなげる方法は、我々も考えなくてはならないが、番組を受け取る子どもたちの力を信じてもいいと思う。
  • ● 原爆の悲惨な映像は、何歳ぐらいから子どもたちに見せてもいいのだろうか、という悩みが事前アンケートで寄せられたが、放送現場では実際どのように対応しているのか教えてほしい。
  • ○ 悲惨な映像は必要があれば使うし、必要がなければ使わない。しかし、子どもが怖がるから見せない、などの配慮は過剰にしなくても、子どもは子どもなりに柔軟な気持ちで受けとめられると思っている。
  • ● 悲惨な映像は、意味が伴わなければ、たとえ中高生が見たとしても、ただのグロい映像でしかなく、詳細な解説が必要になる。しかし丁寧な解説が添えられメッセージが伝わるものならば、どんな映像であっても、きちんと伝わる。

(3)地域におけるラジオの重要性

  • ○ 今、放送開始から17年目になる番組に携わっているが、子どもたちの居場所づくりを番組でやっている。共感を生むメディアでありたい、と思っている。
  • ○ 番組を通じて子どもたちに「相談する力」「吐き出す力」を育みたい。学校にも家庭にも居場所がないというリスナーの子どもたちが、なんとか明日を迎えられるように、メッセージを届けたいと、音楽の力を信じ番組を作っている。
  • ○ 10代でラジオを聞いていた子どもは、大人になってからも戻ってきてくれる。その時に「最近つらかったから久しぶりにラジオをつけた」と教えてくれたりすると、居場所づくりの重要性を再認識する。
  • ○ ラジオは情報の最終ラインだと肝に銘じている。テレビが扱わないような小さなネタ、ラジオが見逃すと消えてしまう情報があるので、緊張感を持って情報を扱うようにしている。一方、テレビでは言いにくいようなことも意識して言う。ラジオだからこそ言える表現や大きなメディアとは少し違う一言など、常に意識している。
  • ● 映像がないからこそ伝わる、想像できる、というラジオならではの特性がある。新たな特性や意味を持つメディアとしての価値も大きいと思うので、大切にしてほしい。

【委員長まとめ】

各地で意見交換会を行うが、毎回きれいな結論が導かれるわけではなく、様々な課題を改めて確認しあいながら、わずかな光でも見つけられればと思い続けている。今、メディアの多様化が一気に進む時代にあって、テレビやインターネットなどが互いに、どのようにすみ分けるかが、模索されるのだろうと思う。例えば、テレビとインターネットの比較についてだが、間もなく公表される我々が行った調査(「高校生のメディア・リテラシーに関する探索的研究-バラエティー番組に対する感想をめぐって-」)によれば、彼らが信頼するメディアは新聞に次いでテレビであり、最も信頼性が低いものはインターネットだという答えが出ている。テレビはとても丁寧に配慮もされて作られていることを、高校生は分かっている。インターネットは手っ取り早いから利用されているのであって、そことテレビが競争しても意味がないとも思う。しかし、放送現場にはインターネットに対していろいろな葛藤があることを、改めて感じさせられた。
また今回、広島の放送局のみなさんの原爆や平和へのこだわりに非常に感銘を受けた。原爆が投下されたこの地のメディアのみなさんには、200年経っても300年経っても、時代がどのように変わっていっても、人類の絶対的な平和の願いを伝え続けていくというマスコミの使命を担っていていただきたいと思った。

以上

2016年6月8日

意見交換会(新潟)

◆概要◆

青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的の為、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、新潟県の放送局の皆様との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、6月8日の15時から18時まで、新潟放送の会議室で「意見交換会」を開催しました。新潟地区では初めての開催です。
BPOからは、汐見稔幸・青少年委員会委員長(白梅学園大学学長)、大平健・同委員(精神科医)、緑川由香・同委員(弁護士)と三好晴海・専務理事が参加しました。放送局側の参加者は、NHK、新潟放送、新潟総合テレビ、テレビ新潟、新潟テレビ21、エフエムラジオ新潟、新潟県民エフエムの各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など29人です。
会合ではまず、委員から、事前に視聴・聴取した地元制作番組についての感想が寄せられました。続いて、緑川委員から、表現の自由と放送法の解釈について解説がありました。また、三好専務理事からは、放送業界を巡る法規制の歴史や現状、BPOの役割などについて説明がありました。
その後、(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について、(2)18歳選挙に向けて、(3)地域におけるラジオの重要性、などについて、活発に意見交換しました。

【地元制作番組を視聴した委員の感想】

  • 『~にいがたすむひと 人生の転機~』(NHK新潟)は、地元で活躍している一般の方が、人生の次のステップをどのように開いていったかを紹介する内容で、興味を持って視聴した。新潟在住の人が見れば、とても身近にも感じられるし、地元だけではない、誰もが共感できる部分を見つけられる良い番組だと思った。
  • 『にいがた偉人伝』(新潟放送)を視聴したが、新潟だけではもったいない番組だと感じた。新潟県に関わる何かを成し遂げた人を分かりやすいだけではなく、面白く紹介している。感受性のある子どもたちは興味を持って見ると思う。
  • 『ネギStyle』(FMラジオ新潟)は、新潟県を地盤に活動するアイドルグループのNegiccoがパーソナリティーを務める、懐かしい感じのラジオ番組だった。取り上げる話題も身近なことが多く、青少年も無理なく入っていける内容だろう。『Rafvery学園』(FMラジオ新潟)も学生向けの番組だが、「不得意なことをどう克服していくか」をリスナーと同じ目線で伝えている。懐かしくもあるが新鮮な内容だった。
  •  長岡市とホノルル市の中学生同士の交流を描いた、『長岡・ホノルル平和交流の軌跡』(新潟総合テレビ)を視聴したが、このような交流が行われていることも、長岡の花火に戦死者に対する鎮魂の思いが込められていたことも今まで知らなかったので、感銘を受けた。ぜひ全国放送してほしい内容だ。
  •  新潟出身のタレントであるヤンさんがMCを務める、『ヤンごとなき』(新潟テレビ21)を視聴した。地元にある面白いことを再発見していくことは、地域作りのためにとても大事なテーマだ。県外の人が見たらどう感じるのかも見てみたいと思った。
  • 『Bon Repos! Soleil』(新潟県民エフエム)を聴取した。私はもともと"ながら族"で、ラジオを聞かないと勉強できなかったというタイプだ。久しぶりに放送を聞きながら仕事をしたり、運転したりしたのだが、気持ちよくしてくれる番組だという印象を受けた。パーソナリティーの表現がとても良く、運転している人に対する配慮を感じた。相当考えて、丁寧に作りこまれていることがよく分かった。
  • 『夕方ワイド新潟一番』(テレビ新潟)は、一日の終わりにゆったりとくつろげる、ご飯と味噌汁のような番組だと感じた。東京ではくつろぎたい時間帯の放送が少しやかましく、興奮をかきたてるような番組が多いが、この番組は穏やかなニュースを主体に構成してあり、地元で暮らすことの良さがでている。
  • 『大追跡~心を震わせた新潟 あの瞬間~』(テレビ新潟)は、新潟で起こった出来事を通じて、日本史から世界史まですべて見えてしまうような、非常に程度の高い歴史番組だと感じた。本来、歴史は自分の等身大のところから学んでいかなくてはならない。学校の授業で見せたら、無味乾燥な歴史の授業から子どもたちが解き放たれると思う。

【表現の自由と放送法の解釈】(緑川委員)

自民党に所属する国会議員らの会合で、「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」などという趣旨の発言があったことや、『クローズアップ現代』(NHK総合)に対する総務大臣の文書による厳重注意などがあったこと、また、高市総務大臣が、衆議院予算委員会において放送法4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波を停止する可能性に触れる旨の答弁がなされたことなどの経緯から、メディア関係者の中で、表現の自由と放送法への意識が高まっている。こうした一連の動きについては、今回の意見交換会での事前アンケートでも、各社が危機感を持っていることが見受けられた。
通説的見解や判例を踏まえて放送法4条を見ると、倫理規範であると考えるのが一般的だ。仮に法規範と考えるとすれば、憲法違反と考えざるを得ない。民主主義社会では、私たちが民主政治において適切な判断ができるために、情報を知ることが大切であり、そのためにも表現の自由の制約は限定的でなければならない。
放送法4条の1号(公安及び善良な風俗を害しないこと)や2号(政治的に公平であること)を理由として権力側が表現を規制できるのかという点については、どちらも抽象的な内容であり、表現を制限する根拠としては広範すぎる。こうした内容の条文で規制をかけることができるとなると、表現の自由に広範な規制をかけることができるので、憲法21条に違反すると言わざるをえない。ある表現が、一見して政治的に公平なのか、公序良俗に反しているのかなどは分からない。このような条文では番組制作者は萎縮してしまう。だからこそ4条は自ら適正な放送をするための倫理規定と解釈しないと憲法違反になってしまうと言われている。
放送法は権力者が放送を制限する構造とはなってない。あくまでも報道、表現の自由を守るためにメディアが自律的に対応する構造となっており、この流れの中で、BPOも設立されたと考えている。
以上のように、法律の構成について考えることも大事だが、法律論争に終始してしまってもいけないと思う。放送事業者が報道の自由を守るための自律性を考え、実現する必要がある。そのために、市民から信頼される番組を作ることが重要だ。BPOは自律性を確保・維持するためにある。これからもBPOが上手く機能して、放送の自律を守っていく必要があろう。

【意見交換の概要】
●=委員、○=放送局出席者

(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について

  • ○ 2011年に長岡高専の敷地内で男女2名が倒れており、女生徒がまもなく亡くなった事件があったが、五月雨式に情報が出てきたため、どのように報道すべきか悩ましかった。その時点では自殺なのか心中なのか殺人なのかも不明であり、学校名を伝えるべきなのかなど、報道にあたり留意すべき要素がたくさんあったため、その都度情報を整理し、慎重に判断した。
  • ● 子どもの取材についての明確な基準はないし、拙速に作るべきではないと私は思っている。原則として、視聴者は事件の背景などを詳しく知りたいと思うので、裏をとったうえで、子どもの意見なども伝えていくことは原則だ。しかし、取材相手が子どもだった場合、その場では報道陣の期待に応えようとして何かしらを話したとしても、数年後に「どうしてあのようなことを話したんだろう」と苦しむことがある。視聴者が知らなくても問題がない部分については、"未来の子どもの人権"まで考えつつ判断してほしい。何歳からインタビューしていいとは決められない。ケースに応じてその都度慎重に判断すべきとしか、今のところ言いようがない。
  • ● 子どもに取材する際の、保護者への許諾に関する各社の基準を教えてほしい。
  • ○ 社としての基準があるというわけではない。必要に応じて会社に確認しながら判断するが、通常、未成年が対象の場合には保護者の許諾をとる。
  • ○ ガイドラインがあり、事件・事故に関わる取材の場合、学校や保護者の許諾をとっている。一般の取材については高校生ぐらいから、保護者の許可がなくても取材している。
  • ○ 事件・事故に関する取材については義務教育の範囲内かどうかをひとつのラインとしているので、高校生に聞くこともある。放送にあたっては名札を写さないよう留意している。
  • ○ ガイドラインはない。事件の凶悪性や事件後の期間、葬式なのかなど、様々な要素で判断しているが、基本的には保護者に許諾を得てから取材している。祖父の許諾を得て取材したが、親から後で放送するなと連絡があったこともある。生きている事件を扱うので、報道人としての判断力を高める必要がある。
  • ○ マニュアルはなく、必要に応じて保護者の許諾を得ている。最近は事件・事故などではない普通の取材でも、子どもの顔を写さないようにしてほしいとの要望が多く、番組制作に苦慮している。
  • ● 深夜のラジオ番組に青少年のリスナーが電話出演する企画がよくあるが、電話出演に関して何かしらの基準はあるのか。
  • ○ 高校生くらいだと、わざわざ保護者の許諾を得るということはない。また、小学生・中学生から電話がかかってくるということはほとんどない。
  • ○ 事件・事故について子どもにインタビューした際の、子どもへの心理的影響とはどのようなものか。
  • ● 大人であれ子どもであれ、インタビューとは一種のコミュニケーションであり、それが快適なのか暴力的なのかということだ。覗き見気分でインタビューされると非常に傷つく。これがマスコミ不信の根底になっているのではないか。
  • ● 親が子どもをテレビにさらさない理由は2つある。漠然とした社会に対する不信感と、放送局に対する不信感だ。こうした気分が広範に醸成されており、取材拒否も増えている。キー局から大挙して取材に来ると、みなさんも側で見ていて気分が悪いと思う。取材は立場の強い人と弱い人との間のコミュニケーションである。その自覚がない取材者は、相手や周囲から嫌悪されるということだ。マスコミに崇高な理念があるとしても、人間性を大事に考えれば無理な取材はできないはずだ。取材は圧倒的に強い人と弱い人との間でのコミュニケーションだということを心の中に置きとめておいてほしい。
  • ● 大きな事件や事故があったときに、その映像を見せていいのかという視点から、青少年委員会は「『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮』についての提言」「子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望」など、何度か意見を出しているが、放送局側としてはどのように受け止めているのか。
  • ○ 当社では新潟で起きた重大ニュースをまとめた番組を作ったが、新潟で起きた少女監禁事件を取り上げるかどうかについて、社内で非常に議論した。結局、新潟の人にとっては忘れることのできない重大な事件だが、少女は社会復帰しており、本人や周辺の人たちへの影響などを考えて取り扱わないこととした。
  • ● 報道される側のプライバシーと報道の自由の権利調整の問題だ。プライバシー権も重要な人権であり、相当な衡量が必要だ。
  • ● 若いときに微罪で逮捕された情報などでもインターネット上の検索結果に履歴が残ってしまうことがある。起訴猶予だった場合でも、逮捕された事実が情報として残ってしまい、その後の社会生活に影響を与えてしまうことがある。報道においても慎重な対応が求められる。近時、EUの裁判所では"忘れられる権利"が認められたと聞いているが、日本の裁判事例で、"忘れられる権利"という新たな権利として判断されたことはなく、従前のプライバシー権の枠組みの中で判断されている。

(2)18歳選挙に向けて

  • ● 7月の参議院議員選挙から、選挙権が18歳に拡大される。何かしらの啓発をしたり、番組や報道において留意したりしている点などがあれば教えてほしい。
  • ○ 日常のニュースを通じて伝えている。また、直接的ではないが、青少年からの質問を受け付ける企画で取り上げたこともある。
  • ● 選挙活動もできるようになるが、民法上は未成年のままである。未成年が公職選挙法に違反した場合であっても、少年法61条の対象であることに変わりはないので、意識しておく必要があろう。また、同じ高校3年生でも選挙権がある人とない人がいる。分かりにくい中での難しい対応となるだろう。
  • ○ ニュースや番組で取り組んでいるが、高校が取材に応じてくれない。私立高校は自校での取り組みなどを教えてくれることもあるが、公立高校への取材は特に難しい。先生たちが"政治的公平"を保つために事なかれ主義に陥っているように感じる。本音を引き出せていない状況だ。
  • ● 教育基本法には「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」とある。しかし、政党教育になってしまうことを避けるために、政治教育自体を避けているのが現状だ。取材が難しいのであれば、教育委員会に正式に申し込むべきではないか。

(3)地域におけるラジオの重要性

  • ○ ラジオの媒体力が年々低下していると言われているが、2004年の新潟県中越地震と2007年の新潟県中越沖地震以降、リスナーが増えていると感じている。ラジオにおける災害報道では、聴取者は今、情報が必要なのか、安心が必要なのかを考えることが大切ではないかと思っている。不安をかきたてるだけでなく、安心な気持ちを届けることも大切だ。何かがあったときに頼りにされる媒体でありたい。そのためには、いつも聞いてもらえる信頼できる媒体であることが必要である。ラジオは生放送が多く、災害などにも即時に対応できるし、そのための訓練も日々、行っている。
  • ○ 最近の中高生はラジオの聴き方自体を知らない。どうしたら青少年にラジオを聴いてもらえるのか、日々、悩んでいるところだ。市町村と組んでイベントを行う際や番組に、頑張って人気アーティストに出演してもらうなど、青少年に注目してもらうための努力を続けている。
  • ○  この冬、雪で長岡のバイパスが通れなくなった際に、その地域に住むおじいちゃんおばあちゃんから当社に電話があり、抜け道を教えてくれた。そういう情報をいただけるのは、放送やイベントなどを通じて、信頼感を得ているからだとあらためて感じた。

【まとめ】

最後に、汐見委員長から出席者に謝辞が述べられるとともに、「3つのお願いをしたい。一つ目は、子どもへの取材は"インタビュー"だと考えてほしいということだ。"インタビュー"は本来、相互に見解を述べあうという意味である。子どもへの聞き方、姿勢などにこちらの意見がにじみ出る。それによって子どもの意見は変わってくる。子どもの権利条約では、子どもを人間としてみることを前提としており、子どもを子ども扱いする時代は終わっている。子ども達と接するに際しては"インタビュー"が大切ではないかと考えている。
二つ目は、『日本では自由闊達に議論できる場が少ない』という課題があることを念頭に仕事をしてほしいということだ。活発な議論をしない民主主義は衆愚政治となる。常に議論してないと民主主義にはならない。そのための一翼をメディアが担っていることを忘れないでほしい。
三つ目は現在の子どもについて、研究・勉強する場を持ってほしいということだ。「なぜラジオを聴かないのか」は若者たち自身に聞かないと分からないだろう。また、最近の日本では、子どもたちに『レジリエンス』(精神的な回復力)が上手く育っていないために"引きこもり"が多いとの考えを示す研究者もいる。そういう若者たちに対してどういう番組を作っていくべきなのかは大きな研究テーマである。私のような、若者をどう育てようかと考えている人間と、マスコミの皆さんとが共通の問題意識を持つことが大事だと考えている」との感想があり、意見交換会を終えました。

以上

2015年11月24日

在京局担当者との「意見交換会・勉強会」概要

◆概要◆

青少年委員会は11月24日、「インターネット情報の取り扱いについて」をテーマに、在京テレビ各社(NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ、東京MXテレビ)との「意見交換会・勉強会」を千代田放送会館で開催しました。本テーマについての会合は前回(7月28日)に続き2回目です。
今回は、砂川浩慶・立教大学社会学部メディア社会学科准教授をお招きし、同テーマに関するご講演をいただいた後、各局との意見交換を行いました。
各放送局からは、BPO連絡責任者、編成、報道、情報番組担当者など25人、青少年委員会からは汐見稔幸委員長ら7人の委員全員、BPOからは濱田純一理事長と三好晴海専務理事が参加しました。
司会役は川端裕人委員が務め、砂川准教授から、放送法や著作権法など、放送とインターネットに関する法律について解説いただいたうえで、(1)インターネット時代の放送倫理のあり方、(2)インターネット情報にどこまで配慮すべきか、(3)危険情報等への誘引懸念などを論点に、13時から16時まで活発な意見交換を行いました。
砂川准教授からは「日本の著作権法は世界的に見て権利者の保護という観点がとても強い。放送に際してはさまざまな権利処理が必要だ」「報道引用で許容される範囲は限定的である。引用部分とそれ以外の部分の"主従関係"が明確であること、"公正な慣行"に合致することなどの条件がある」など、インターネット上で入手した情報等を放送するにあたっての留意点について解説がありました。
また、「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の知的財産分野では著作権侵害の非親告罪化についての交渉も進められている。仮に合意に至れば、権利者以外の提起が可能になり、テレビ局での利用も含めた、違法利用に対する監視が強まることになろう」「2010年の放送法改正により、放送の定義が『公衆によつて直接受信されることを目的とする電気通信(従前は無線通信)』の送信に変わった。インターネット業界側がある種の"お墨付き"を得るために、従来の放送型の規制を自ら求め、一般放送として認定されることも考えられる。そうなると、今、議論している『インターネット情報』が放送というカテゴリーの中で扱われることになるかもしれない」「インターネット業界では"忘れられる権利"についての議論が進みつつあり、判例も出始めている。放送業界でも考えていかなくてはいけないテーマのひとつになろう」など、現状のみならず、今後の見通しや課題も示されました。
そのうえで、「放送におけるインターネット情報の取り扱いは過渡期である。放送業界全体で事例や情報を共有することで、ある種のスタンダードを確立していくことを考えてはどうか」との提案がありました。

【意見交換の概要】
△=砂川准教授、●=委員、○=放送局出席者

  • ○ 権利処理に関してのノウハウを放送局は持っており、その面においてはインターネット企業よりアドバンテージがあると考えている。仮にインターネット企業が一般放送事業者化することがあった場合、インターネット上に溢れているさまざまな情報をどれだけ合法的に伝えることできるのかについては疑念がある。
  • ○ 当社では出所や権利関係がはっきりしない映像は利用しない。インターネット上の情報が面白いからといって簡単に使うということはない。これからもきちんとした情報発信をしていきたい。
  • ○ 情報の裏付けを取ることは当然だが、これだけたくさんの情報が溢れている中で、すべての情報について100%信頼できる裏付けを取ることは不可能に近い。当該情報を放送するリスクと情報の信頼性を考慮して、放送するか否かを判断することも考えられる。
  • △ そういった場合の各局の判断の参考にするために、とてもデリケートな問題ではあるが、放送業界全体で事例を集めることを考えてはどうか。現場での判断を積み重ね、業界全体で共有化を進めていけば参考になると思う。
  • ○ インターネットユーザーは、インターネット上でうわさになっていることが事実かどうかをテレビで確認していることがある。テレビでの情報は信頼されているようだ。
  • ○ 若い人たちはインターネット情報を信じきっているのではないかと思うことがある。砂川先生の"ネットリテラシーに放送局としても取り組むべき"との考えに同意する。
  • ○ ネットリテラシーについてはテレビがその役割を果たすべきとの考えか。
  • △ そういった点も含めて自社や放送業界内で議論してほしい。私はインターネットを通じて放送局のコンテンツを見る人が多くなっているからこそ必要な取り組みではないかと考えている。今までは放送局のコンテンツはテレビのみで見られていたが、PCやスマートフォンで放送局のコンテンツを視聴するなど、環境が変わってきている。インターネットについて"よその家の話"と言える状況ではなくなってきている。
  • △ 若い人たちがインターネットサイトを見て、インターネット情報だと思い込んでいるものの中には、実は、放送局が制作したコンテンツも含まれている。発信元のクレジットをもっと明確にするなど、ポータルサイトで埋没しないような仕組みが必要だろう。
  • ○ テレビで蓄積したノウハウや判断基準を基に、ネット情報も判断していくべきだ。私はネット配信のニュースを担当しているが、時系列で情報を積み重ねて、ニュースを深掘りできるような特設サイトを作るなどの取り組みも進めている。
  • △ アドバンテージを活かすことは視聴者にとっても良いことだ。大災害時の報道などはインターネットがすぐに代替できるようなものではない。今現在起こっている事実を切り取って構成する力はインターネットにはない。
  • ○ 茨城で起きた水害の報道の際は現地が停電しており、現地の住民はスマートフォンでニュースを見ていた。人命を守るうえで現状を伝えることが重要だとの判断から、地上派とは異なる判断でニュース配信を行ない、大きな反響があった。地上波で危険なシーンを放送すると判断するには、それなりの時間を要すると思う。
  • ● 放送局のコンテンツのインターネットへの配信はビジネスとして確立されているのか。
  • ○ 利益があるような状況ではないが、さまざまなデバイスを通じてさまざまな人に情報を伝えていく展開を考えていきたい。
  • ○ 情報を無料だと思っている人が多いことが悩ましい。洗練されたしっかりした情報を出すにはマンパワーがかかることも理解してほしい。
  • ● 放送局の番組が動画サイトなどに無断でアップロードされていることが多々あると思うが、裁判を起こしたことはあるのか。また、放送番組の無断アップロードは違法行為である旨を視聴者にもっとアピールすべきではないか。
  • △ 海外の海賊版に関して、放送局が訴訟を起こしたケースもある。違法アップロードに費やす放送局の労力はとても大きなものになっている。
  • ○ 違法アップロードについては、民放連が「放送番組の違法配信撲滅キャンペーン」を行っており、有名俳優を使ったCMを各局で放送するなどの対応をしている。
  • ○ 若者がテレビ受像機を購入しない現状がある。テレビを見る手段を持たない人に放送局がどうアピールするかが課題だ。ハードが変わっていくことについて危機感を持っている。
  • △ 今の学生の中には動画投稿サイトに掲載される10分程度の動画に慣れてしまっていて、60分の長さの番組を見ることができない人もいる。10分で描ける世界もあれば、1時間、2時間ないと伝えられない世界もあることを若者に分かってもらう必要があろう。
  • ● 投稿動画など、インターネット上の映像を使って番組を作ることが多いことについて、BPOの中高生モニターから批判が多くあるが、どう考えるか。
  • ○ インターネット上の映像を使用している番組は確かに増えている。上手くショーアップできている番組は生き残れるだろうが、あくまでもインターネット上の情報や動画は番組作りの素材に過ぎない。志のない番組は淘汰されていくだろう。
  • ○ 海外の面白投稿映像などは供給元と独占契約を結べないケースが多く、複数の放送局や番組で使用することもあるので、既視感が生じているのかもしれない。
  • ○ 投稿動画などの真贋判断については確たる判断基準がない。ケース・バイ・ケースの判断を丁寧に積み重ねていくしかないだろう。
  • ● テレビは子どもたちにとって接触時間も長く、信頼度が高いメディアである。テレビがリーディングメディアとして、倫理性を示すチャンスでもあると考えてほしい。
  • ● 2000年ごろはメディアリテラシーに関する番組の放送が多くあったが、最近は見かけないので、ぜひ制作してほしい。

【汐見委員長まとめ】

最後に、汐見委員長から出席者に謝辞が述べられるとともに、「私たち委員も大変勉強になった。放送や新聞などの近代社会を作ってきたメディアが、新たなメディアに存在の根本を問われている状況だと思う。インターネットの発達により、個人でも簡単に情報を流せる時代だからこそ、放送局はこれからも強い使命感や倫理観、志を持ち続け、視聴者の信頼を確保してほしい。BPOとしてもそうした動きを応援していきたい」との感想があり、意見交換会を終えました。

以上

2015年10月30日

青少年との意見交換会(立命館守山)概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路」としての機能を担っています。その活動の一環として、10月30日(金)の午前9時から正午までの間、立命館守山高校(滋賀県守山市)メディアホールにおいて、青少年(視聴者)、放送局、青少年委員会委員の3者による意見交換会を行いました。3者が一緒に意見交換を行うのは初めてのことです。
今回の意見交換会は実験的な取り組みであり、立命館守山高校および朝日放送のご協力を得て実施しました。立命館守山高校からは1・2年生およそ300人、朝日放送からはテレビ制作・ラジオ・報道担当者とアナウンサー、BPOからは汐見稔幸委員長、最相葉月副委員長、稲増龍夫委員が参加しました。
当日は意見交換に先立ち、松井健副校長からあいさつがあった後、BPOの三好晴海専務理事がBPOおよび青少年委員会の役割について生徒に説明しました。その後は稲増委員と橋詰優子アナウンサー(朝日放送)の司会進行により、テレビ制作、ラジオ、アナウンサー、報道の仕事について、それぞれ朝日放送の担当者から説明があり、3者による活発な意見交換が行われました。
同校はタブレット端末を使用した授業を推進していることから、意見交換にあたっては、各クラスの代表生徒十数名がタブレット端末を持ち、放送局担当者や委員との質疑応答に活用しました。

テレビ制作、ラジオの担当者からは、実際に制作を担当した番組の映像や音声を利用しながら説明がありました。アナウンサーの仕事については、自らの実経験を踏まえた業務紹介、報道については写真や図を用いて、高校生にも分かりやすく説明が行われました。また、事前アンケートの結果を基に、高校生の視聴(聴取)実態や興味のある番組などについても意見交換が行われました。
意見交換を終えて、汐見委員長からは「生徒のみなさんはインターネットと放送を上手に使い分けているようだ。テレビやラジオは公共性を大事にしながら、たくさんの人が関わり、責任ある放送をしている。インターネットは様々な個人の意見が出ているのだと理解して、これからも使い分けてほしい。BPOは視聴者と放送局をつなぐ役割をしている。みなさんには一緒にいい番組を作っていく応援団になってほしい」とのまとめの言葉がありました。
また、上杉兼司副校長からは「放送がどのように制作されているかを知ることで、今後は新しい角度から視聴・聴取することができるようになるだろう。本日は初めての機会ということもあり、もっと言いたいことや深い意見があったにも関わらず、上手く発言出来なかった人もいると思う。これを機会に、積極的に自分たちの声を出すようにしてほしい」との言葉がありました。

放送局の各担当者の経歴・講演、質疑応答の概要は次のとおりです。

(1)「テレビ制作について」井口毅氏(朝日放送・東京支社制作部プロデューサー

<経歴>
1993年入社、テレビ制作部に配属。『ごきげん!ブランニュ』などを担当し、2002年東京支社制作部に異動。『みんなの家庭の医学』や『芸能人格付けチェック』などを担当。現在は『大改造!! 劇的ビフォーアフター』のプロデューサーをつとめる。
<講演>
自らが制作を担当した、『芸能人格付けチェック』や同番組の予選会の映像(お笑いタレントの罰ゲームシーンなど)を会場のスクリーンに映し出し、その映像を基に、企画、キャスティング・構成、シミュレーションなど、番組制作の仕組みを説明したほか、どのような考えで企画が生まれ、どのような点に留意して番組制作を進めているのかを具体的にわかりやすく伝えた。
質疑応答では、BPOに「お笑いタレントへの罰ゲームなどが子どもたちのいじめを助長している」との視聴者意見が多く寄せられていることから、生徒たちに意見を聞いた。「いじめを助長している」と考える生徒が少なかったことを受け、井口氏から「番組制作にあたっては様々なシミュレーションを行い、安全を確認している。親世代からの意見が多いようだが、実際の視聴者である高校生のみなさんが冷静に番組を見てくれているようで安心した」との感想があった。
また、バラエティー番組でのやらせをどう考えるかについて質問したところ、否定と肯定の意見がほぼ半数となった。井口氏からは「やらせの定義は難しいが、視聴者と何をどこまで約束しているかが大事だ。視聴者が何を番組で楽しんでいるのかを常に考え、それを裏切るようなことをしてはいけない」との考えが示された。

(2)「ラジオ制作について」鈴木洋平氏(朝日放送・ラジオ局編成業務部主任)

<経歴>
2003年入社、技術局から2005年テレビ制作部に異動。コメディ番組やM-1グランプリの担当を経て2013年ラジオ局に異動。現在、月曜~木曜の午後10時から午前1時までの番組『よなよな…』のプロデューサーをつとめる。
<講演>
『よなよな…』の音源を聞きながら、ラジオ番組の制作について、「ラジオは台本があってないようなもの。『よなよな…』は生放送なのでその場で判断し、展開している」「スタッフは少なく、ほぼ3人で放送している」など、制作現場の実態について説明があった。また、「テレビでのタレントのイメージと違う一面が出るところも魅力。タレントの素の話を聞きたいならラジオが適している」とラジオの楽しみ方を伝えた。
質疑応答では、ラジオを実際に聴取している生徒が少なかったことから、「どうしたらラジオを聴くようになるか」と質問した。生徒からは「好きなタレントが出演していたら」「もっと手軽に聞けるようになったら」などの回答があったほか、テレビを利用してラジオの魅力をもっとアピールすべきとの意見も複数寄せられた。
また、会場でラジオ受信機を持っているかどうか聞いたところ、持っている人が少なかったことを受け、委員から「防災用品として、ひとりが1台持ってほしい」との発言もあった。

(3)「アナウンサーについて」橋詰優子氏(朝日放送・編成局アナウンス部主任)

<経歴>
1997年アナウンサーとして入社。夕方の情報番組のサブ司会、夕方のニュース番組キャスターをつとめる。2011年末に双子を出産し、2013年9月職場復帰。現在、ラジオ『堀江政生のほりナビ!』の火曜レギュラー、『橋詰優子の「劇場に行こう」』、『橋詰優子のサンデーかうも。』を担当。
<講演>
担当番組での業務について詳しい説明があり、アナウンス業務の楽しさと厳しさを生徒たちに伝えた。また、同社では聴覚障害者向けの解説放送に力を入れており、自らも『新婚さんいらっしゃい』の解説放送を担当していることから、解説放送にも興味を持ってほしいと訴えた。
また、担当番組以外のアナウンス業務について、「天災などへの対応に備え、泊まり勤務があり、誰かが必ず局にいる。何かあったときにひとりでも多くの命を救うために常に訓練している」と、その使命についても語った。

(4)「報道について」田中徹氏(朝日放送・報道局局長補佐)

<経歴>
1982年入社、報道局に配属。警察・司法担当後、「ニュースステーション」に1年派遣。「おはよう朝日です」などの情報番組経験も豊富。「サンデープロジェクト」にはディレクター、プロデューサーとして合計6年かかわる。
<講演>
ニュースネットワークや取材拠点などの紹介を通じて、ニュースが放送されるまでの仕組みなどをわかりやすく伝えた。また、「世の中には色々な出来事が起こっているが、放送時間は限られている。様々な要素があるが、"驚き"をひとつの基準として、ピックアップした出来事をニュースとして伝えている」との考えを示した。
質疑応答では、生徒から「特に朝のニュースでは要点をまとめて放送してほしい。夕方や夜のニュースでは学生が見やすいように工夫してほしい」との要望があり、「いかに分かりやすく伝えるかに注力しているが、どうしても高校生より上の年代を意識している面があるかもしれない。高齢者への配慮は進んでいるが、今後は若者への配慮も考えていきたい」との回答があった。
また、「質疑応答を通じて、テレビとインターネットでは情報の信頼性が違うと理解している生徒が多く、安心した」との感想もあった。

【質疑応答】
△=生徒、○=放送局、●=委員

【演出とやらせについて】

  • ● インターネットの掲示板などでは、『芸能人格付けチェック』の一部の出演者が答えをあらかじめ知っているのではないかとのうわさもある。高校生はどう思っているのか。
  • △ 制作者は面白い展開にしたいと考える。視聴者にはばれないので、あらかじめ答えを教えているのではないか。
  • △ 答えを教えていてもいなくても、出演者が上手に対応してくれると思うので、教えていないと思う。
  • ○ 答えを教えてはいない。制作する側からすると、正解でも不正解でも面白い展開になることが予想されるので、事前に教える意味が全くない。
  • ○ 事前に答えを求めるようなタレントに出演してもらうことはない。一流と呼ばれる出演者が間違ってしまうリスクもあるため、出演を断られることもあるが、正月の恒例番組として理解頂き、出演いただいている。クイズ的な要素もあるが、タレントの本当の姿はどうなのかという興味に迫ることが番組の趣旨だと考えている。
  • ● バラエティー番組であれば多少のやらせをしてもいいと思うか。
  • △ バラエティー番組は面白ければいいので、多少のやらせはあってもいいと思う。
  • ○ 視聴者と何をどこまで約束しているかが大事だ。視聴者が何を番組で楽しんでいるのかを常に考え、それを裏切るようなことをしてはいけないと考えている。
  • ● 『大改造!! 劇的ビフォーアフター』の出演者はどのように選んでいるのか。
  • ○ たとえスタッフの知り合いが出演したいと言っていても、番組のフォームから応募してもらうことにしている。

【罰ゲームといじめについて】

  • ● BPOには視聴者から、お笑いタレントへの罰ゲームなどが子どもたちのいじめを助長しているとの意見が寄せられることがある。お笑いタレントにとっては、いわゆる「おいしい」演出ではあるが、いじめを助長している面もあると思うか。
  • ● タブレット端末の回答を見てみると、「いじめを助長する」と考えている生徒はほとんどいないようだ。
  • △ バラエティー番組なので、多少の罰ゲームはあってもいいのではないか。
  • △ ちょっとしたことから発展していじめにつながることも考えられる。
  • △ 番組の中で行われていることであり、テレビの中だけの話だと理解している。学校でのいじめには全く関係ない。
  • ● 年配の人からは若い人に悪影響を与えるとの意見が多く寄せられている。
  • ○ もう少し「いじめを助長する」と考える生徒が多いかと思っていた。若い人たちが冷静に番組を見ていることがわかった。
  • ● 予想どおりの結果となった。番組での行為がいじめの方法を考えている人にヒントを与えてしまうとの意見もあるが、そういう人はいつの時代にもいる。
  • ● 制作現場では罰ゲームの程度について、どのように判断しているのか。
  • ○ シミュレーションをしっかりとしている。罰ゲームは軽すぎると面白くないが、やりすぎると危険だ。大がかりな罰ゲームについては、専門業者に頼んで事前に実験をしている。その後、プロデューサーやディレクター自身でチェックすることもある。
  • ○ 必要に応じて、事前にタレントに対し、仮に罰ゲームを受けることになった場合、どのような展開になっていくのかの概要は伝えることもある。

【録画視聴の実態について】

  • ● 深夜帯の番組を録画視聴している人はどれくらいか。(6~7割の生徒が録画視聴していると回答)
  • △ 深夜帯のアニメ番組が好きだが、夜の遅い時間に視聴することは親が許してくれないので、親に録画を頼み、休日の朝などに見ている。
  • ● 深夜帯のアニメ番組については、保護者からだけではなく、若い人からの意見も多い。

【ラジオについて】

  • ● ラジオ受信機を持っている人、およびラジコを使っている人はどれくらいか(受信機を持っている生徒が20人、ラジコを使用している生徒が10人程度挙手)
  • ● 今の若者は受信機もなく、ラジコの存在も知らない人がほとんどのようだ。どうすれば若者もラジオを聴くようになると思うか。
  • △ 有名な人や好きな人が出演していたら聴きたい。
  • △ もっと手軽に聴けるようになれば聴きたい。
  • △ テレビCMでラジオの魅力をアピールすべき。
  • △ テレビが無くなれば聴く。
  • ○ 高校生のラジオ聴取に関するリアルな現状を知ることができた。みんなに聞いてもらえるよう、頑張っていきたい。

【報道について】

  • ● 講演を聞いて、高校生のみなさんが思うよりニュースはあらゆることに気をつけて制作されていることを理解してもらえたと思う。インターネット上に情報があふれ、若者はテレビ離れをしている。放送が世の中に役立っていることを啓発し続けていくことも大事だと考える。
  • △ テレビのニュースは、色々な過程を経てから放送されていることが良く分かった。
  • ● 事前アンケートではテレビは偏向しているなどの意見もあった。テレビのニュースにどのような不満があるのか教えてほしい。
  • △ 放送時間が長いニュースがあるが、特に朝のニュースでは要点をまとめて放送してほしい。
  • △ 夕方や夜のニュースでは、もっと学生が見やすいような工夫が必要だと思う。

【インターネットとテレビについて】

  • ● テレビを見ながらインターネットをするのはどのようなときか。
  • △ スポーツ中継を見ながら、他の試合会場での試合情報を確認したりしている。
  • △ 「ニコニコ生放送」などにアクセスしながら、仲間とテレビ番組の良かった点などについて意見交換をしている。
  • ● 事件などがあった場合、テレビのニュースではプライバシーに配慮して匿名にしているが、インターネットでは実名が出ていることがある。そうした情報を知りたい場合はインターネットで確認をしているのか。インターネットとの付き合い方や問題点をどう考えているのか教えてほしい。
  • △ テレビでは放送されない動画や写真は、SNSなどを通じて見ている。
  • △ インターネット上の情報とテレビの情報が違うことがあり、混乱することがある。
  • △ インターネット上の情報には嘘の情報があるので怖い。
  • △ インターネットもテレビも好きなように使えばいい。
  • △ テレビとインターネットは別物と考えている。テレビの情報は先生から聞いているような感覚で、インターネットの情報は友達と話しているような感覚だ。
  • △ インターネット上には嘘の情報もあり少し怖いが、面白いこともたくさんある。テレビの情報はほぼ信用できるので、ニュースはテレビ、面白い動画などはインターネットで見ている。
  • △ テレビは速報があり、情報が早い。
  • △ インターネット上の情報には嘘も多いが、テレビが意図的に隠していることが分かる点が魅力だ。
  • △ インターネットニュースや新聞は見出しがあり、自分の見たいニュースを選べるところが利点だ。
  • ○ 放送局では、どの情報を出すべきか、出さざるべきか、様々な要素を基に判断している。少年犯罪の報道などでは、加害者であっても特定されないように配慮しているが、インターネット上の情報で特定されることもあり、判断が増々難しくなってきている。
  • ○ 一般の人であっても面白い素材を撮影できる時代になっており、ポジティブに考えると、放送できる素材が多くなったとも言える。これをテレビなりに取捨選択して使用することが大事であり、インターネットとは共存共栄の関係でありたいと考えている。
  • ○ インターネット上の情報は、テレビよりリアリティーがあるとの気持ちもある。テレビではなかなか本音が言えない面もある。インターネット上では、正しい、正しくないは別として本音が言えているような気がする。
  • ○ インターネットとテレビでは情報の信頼性に違いがあるということを認識してくれていて安心した。

【ニュースについて】

  • ● どうすればもっとニュースを見るようになるか教えてほしい。
  • △ 特に朝のニュースでは要点をまとめて放送してほしい。
  • △ 夕方や夜のニュースでは学生が見やすいように工夫してほしい。
  • △ 今のままでいい。
  • △ 使用する語句を含め、もっと分かりやすく伝えてほしい。
  • ○ いかに分かりやすく伝えるかに注力しているが、実際にはどうしても高校生より上の年代を意識している面もある。
  • ○ 現在の『報道ステーション』の前身である『ニュースステーション』を立ち上げたときの目標が、「中学生でも分かるニュース」だった。しかし、まだまだ工夫の余地があるようだ。
  • ○ 最近のニュースで理解できないことはあるか。
  • △ 政治、マイナンバー制度、安全保障制度を含む憲法改正論議などが難しい。
  • ○ 高齢者などには配慮しているが、中高生をあまり意識した番組作りをしていないかもしれない。
  • ● 学生が自由に使える時間が少ないことが分かった。ニュースには簡潔さを求めているようだ。
  • ● 家族と一緒に番組を見ているという人が8割ほどいたのが驚きだった。
  • ○ テレビのニュースは「先生の話を聞いているようだ」との意見もあった。偉そうに言っているように思われているのだろうか。考えたい。
  • ● 取材にあたり、取材対象に無神経な行動をしていると感じることはあるか。
  • ○ 犯罪であれ事故であれ、被害者への取材はつらい。放送局の都合を優先して取材してしまうこともあることは否めない。
  • ○ ひとりひとりの記者がしっかりとした取材や対応をしていても、取材する放送局が多くなってしまうと過熱感が出てしまう。近年は各局で調整することもあるが、難しい課題だ。
  • ● 特ダネ争いはあるのか。
  • ○ 報道は、いわゆるやじうま根性に支えられている面もある。これが無理な取材が生じてしまう要素になっているとも言える。
  • ● 視聴者は特ダネ争いにはそれほど興味がないのではないか。
  • ○ 世の中の人が知らない大事なニュースや、隠されたニュースなどを発掘するきっかけになっている場合も多い。

【汐見委員長の言葉】

まず、第一線で番組を作っている放送局の人が、第一線で番組を見ている若い人たちと話をする機会を持てたことを感謝したい。
ラジオが私の予想よりも若い人たちに聴かれていなかったが、とてももったいないと思う。意見交換では、ネットは会話しているような雰囲気がいいとの意見が生徒からあったが、ラジオは品を保ちつつ会話しているように感じる媒体である。声と音だけで想像する喜びはラジオならではであり、暖かさが伝わってくる。ぜひ、ラジオを聴く機会を確保してほしい。
生徒のみなさんはインターネットと放送を上手に使い分けしているようだ。テレビやラジオは公共性を大事にしながら、たくさんの人が関わり、責任を持って放送している。インターネットは様々な個人の意見が出ているのだと理解して、これからも上手に使い分けてほしい。
これから、18歳で参政権を持つ時代になる。テレビのニュースを政治のことなどを議論するきっかけにも使ってほしい。海外の学生は政治について常に議論している。テレビを活用して、政治についてもバラエティー的に気楽に議論をしてほしい。
BPOは視聴者と放送局をつなぐ役割をしている。みなさんには、批判をするだけではなく、一緒にいい番組を作っていく応援団になってほしいと考えている。

以上

2015年9月29日

意見交換会(福岡)概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たす役割を担っています。その活動の一環として、在福岡放送局の皆様との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、9月29日にRKB毎日放送6階特設会議室で「意見交換会」を開催しました。福岡地区では初めての開催、14時半から18時まで意見交換が行われました。
BPOからは、汐見稔幸・委員長はじめ7人の委員全員と濱田純一・理事長が参加しました。放送局からは、NHK、RKB毎日放送、九州朝日放送、テレビ西日本、福岡放送、TVQ九州放送、エフエム福岡、CROSS FM、ラブエフエムの9局から、BPO連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など41人が参加しました。
意見交換会は2部構成で行い、緑川由香・委員の進行により、第1部では(1)BPOや青少年委員会に対する質問・要望、(2)地元制作番組を視聴した感想と課題、などについて意見交換しました。
第2部では(3)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮、(4)ネット情報の取り扱いについて、(5)ネットリテラシーを含むメディアリテラシーへの取り組み、などについて意見交換しました。

【第1部】

●=委員、○=放送局出席者

(1)BPOや青少年委員会に対する質問・要望

  • ○BPOの意義は理解しているが、最近すぐ視聴者がBPOへ訴えるということが多く、放送局側は萎縮してしまう。
  • ●たくさんの視聴者がいる中で、たったひとりの意見にでも現場はびびる傾向にある。しかし、満足している人は意見をよこさないものだ。あまり意識しすぎる必要はなく、テレビ・ラジオには王道を歩んでほしいと思っている。
  • ○ネットの盛り上がりと視聴率がリンクするかどうかは分からない。福岡ではネットで騒がれるような番組は無く、意識したことは無い。
  • ●BPOと言えば、権力からの直接的な規制を防ぐために自主規制を各局に求めているとの印象があるようだが、青少年委員会は少し違った形の活動もしている。個人情報やプライバシーの保護など世の中の価値観が変わってきているケースについては局側にあらためて考えてもらうことを求めているが、一方で、スポンサーの確保は難しいかもしれないが、青少年のためにいい番組が広がることを応援していきたいとも思っている。「見解」などを丁寧に読んでもらえれば分かるが、過剰な規制を求めているわけではない。また、明確な解決策はないが、批判が局に届くことで放送局が萎縮してしまうことについて模索する場を設けることも大切なことだと思っている。
  • 〇他の委員会に比べて青少年委員会は印象が薄い。視聴者が人生を変えることができるような良い番組をプッシュして存在感を出してほしい。
  • ●調査研究も青少年委員会の使命の一つなので、具体的に影響を受けた内容を局側に伝えられるように子どもたちの声を引き出していきたい。
  • ●中高生モニターが毎月のモニター報告の中でドキュメンタリー番組に感銘を受け千字以上も感想を寄せてきた。全力で作った番組は必ず伝わる。自信を持って制作してほしい。

(2)地元制作番組を視聴した感想と課題

各局から地元制作の青少年におすすめするテレビ・ラジオ番組が合計11番組寄せられ、委員が全ての番組を前もって視聴し、感想や意見などを述べた。

<提出された番組一覧>

  • NHK福岡放送局『きん☆すた』 ~祭りへGO!第二弾!~
  • RKB毎日放送『みんなの青春のぞき見TV TEEN!TEEN!』
    ~ピースさんぽ&早良高校水球部~
  • RKBラジオ『スマスマE-KIDS』 ~室見小学校の着衣水泳~
  • 九州朝日放送『アサデス。』
  • KBCラジオ『KBCラジオ特別番組「憲法で巡る日本の旅」』
  • テレビ西日本『華丸・大吉のなんしようと?』 ~中川家と直方市をぶらり!~
  • 福岡放送『ナンデモ特命係発見らくちゃく!』 ~天国からのラブソング~
  • TVQ九州放送『土曜の夜は!おとななTV』
  • エフエム福岡『小澤俊夫 昔話へのご招待 特別編~子どもの成長を見つめて』
  • CROSS FM『Challengeラヂヲ』
  • ラブエフエム『月下虫音』(げっかちゅうね)

【第2部】

(3)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について

  • ●子どもが性的被害にあった場合や顔写真の扱いなど表現に関してと、子どもの取材において保護者の同意をどこまでとるかといったような取材時の配慮の2つに分類できる。
  • ○子どもへのインタビューにおける保護者への同意については、過去にトラブルがあった。それ以降、シビアな事件・事故についてはその場で保護者の同意を取り、いない場合には電話で確認を取るようにしている。トラブルを起こした時には、いくつものチェックポイントで見逃されてしまった。ただ、取材の現場がシビアに問題意識を持っていないとうまくいかない。
  • ○当社では原則として保護者に許可を取るようにしている。しかし現場ではなかなかうまくいかないことがある。取材後に「やはり出さないでほしい」と言われればもちろん出すことはしない。
  • ●課外活動の紹介でも、名札にモザイクをかけてほしいとの要望があったとアンケートにあったが。
  • ○悩むことが多い。ケースによって出す必要があるかどうか考えている。性的被害などについては、被害者の顔と名前を出した場合は被害内容に踏み込めない時もある。悩ましいのは、他局がどういう対応をしているかだ。柔道の授業中に大外刈で生徒が死亡した事故では学校名は出さなかった。この場合、各社で対応が分かれた。マニュアルはあるが、線で引いたように判断はできない。自殺した生徒の場合、その時は名前を出さなかったが、のちに卒業証書が渡される時に保護者から写真を出してほしいと言われたこともあった。
  • ○佐世保の事件の時には初動から取材したが、学校から保護者に取材を受けなくてもいいとの連絡があり、ますます周辺取材が過熱し長引いた。また、ネットでは既に被害者の名前などの情報が出ていた。当社は顔写真などを放送するのは控える判断をしたが、ネット上で容疑者関連の写真、情報が大量に流布しており、既存メディアの「配慮」が実質的にはあまり意味をなさなくなっていることをあらためて認識した。もちろんネットと放送で判断が違うのは当然だが、違和感もあった。ただ、性的被害についてはよほどの必要性がある場合以外は出さない。
  • ○性的被害について警察からは報道しないよう強い要請があったが、事件の再発防止には必要な情報だと判断し、遺族に対しても手紙でこちらの意図を伝えた上で報道した。遺族との信頼関係を作った上で報道に臨む姿勢が重要ではないか。
  • ○特に決まったルールがあるわけではないが、事案ごとに判断している。実名・匿名を判断するためにも取材が必要だ。公務員が性犯罪で逮捕された際に、その施設の外観映像を使うかどうかについて、被害者がいつまでいたのか、何人くらいいたのかなどの情報が無いと判断が難しい。三重県朝日町の事件では、容疑者が捕まっていない段階で警察がチラシを配ったが、被害者が匿名になっていた。
  • ●警察が情報を出さなくなっている印象があるが、どうなのだろう。
  • ○十数年前から警察は被害者の名前を出さない傾向がある。被害者から名前を出さないでほしいと要望があったからのようだが、ある社が「警察が発表したから」と答えたケースが引き金になったようだ。
  • ○福岡県警はまだ情報を出している方だ。交通事故の場所でさえ出さない警察もある。
  • ●海外では情報を出さないとそれがニュースになるのだが。
  • ●2013年、暴風雪の中、娘をかばいお父さんが亡くなった北海道暴風雪事件では、生き残った少女にインタビューが殺到した。視聴者からも報道の在り方に関して多くの意見が寄せられた。青少年委員会で各局に確認したところ、ある局は放送終了後も関係を継続していた。叔母が取材を許可していたが、少女も応援してくれた全国の人にお礼が言いたいという考えを持っていた。報道する意義があるかないか、ということと、本人や家族に対する取材側の配慮が大変重要だと考える。
  • ○深夜の学生向けの番組宛てに自殺予告のファックスが届いた。個人名は特定できなかったが、番組ナビゲーターが放送で思いとどまるように呼びかけ、翌朝、教育委員会を通して個人を特定し自殺を思いとどまらせることができた。ラジオはナビゲーターとリスナーの距離が近いので、おそらくナビゲーターに助けを求めたのだと思うが、どう対応すれば良いのか悩んだ。同じようなことが多発したらどうしようかと考え「命のダイヤル」の紹介をした。逆に犯罪予告などが来ることも考えられる。
  • ●やはり、番組のパーソナリティーと視聴者の距離の近さ、信頼関係が重要ではないか。今の青少年は本音を家族や友達にも明かせず一人悩んでいることも多い。放送がその中高生の心を開かせることに役立ち、相談窓口になるとすれば、素晴らしいと考える。ただ、メディアが信頼されていない現状もあり、それが取材の難しさに繋がっている。

(4)ネット情報の取り扱いについて

  • ●ネット情報の裏付けをどうしているか、ネット上のサイトを番組内で紹介することの影響について、の二つの論点が考えられる。
  • ●大人たちは知らない人が多いだろうが、今、学生たちの間では「はじめしゃちょー」がYouTubeでとても人気がある。「はじめしゃちょー」は見ている人たちの手の届く範囲の話題、日常的な話題を毎日アップしている。ネットとマスメディアの情報流通の質の違いを感じる。若者たちは、テレビよりYouTubeの方が面白いと感じているのだろう。時代の変わり目なのだろうか。マスコミもネットに依存しすぎている。現象を紹介しても「自分たちが作ったものでは無い」とのエクスキューズをしている。
  • ●ネット上の刺激的なサイトを紹介した番組について視聴者意見が多く寄せられたので議論した。紹介された映像がかなり過激だった。やったら危険だと思う映像もあった。こういった映像を現場でどう判断して放送したのか疑問が生じた。また、IS(いわゆるイスラム国)関連では、子ども番組を差し替えて報道特番にした時にも多くの意見が寄せられた。ISが発信する情報を使わざるを得なかった状況はあったし、速報性ももちろん大切だが、映像の与える衝撃性や信憑性の確認など、どの程度検討が加えられたか疑問だった。ネットは無法地帯であるので、放送する側が考えないといけない。
  • ●総務省の行なった"テレビとネット"に関する調査によれば、10代のテレビの情報への信頼度はネットに比べて相対的に高い。ネットの情報がテレビで取り上げられた瞬間に「格上げ」される。あそこまでやればテレビで取り上げられるんだと考える人もいるだろう。そういった状況であることを意識して扱ってほしい。
  • ○真実性の判断は各現場で行っている。ラジオではネットは重要な情報源だ。ラジオでは信頼関係が強すぎて、青少年の悩み相談になってしまっている面もある。近い人に吐露できない青少年から連絡がある。青少年の一生を変えてしまいかねない状況でもあり、スタッフの悩みも大きい。しかし、解決はできないまでも一端を担っているとの自負はある。
  • ○子どもはネット耐性があると思う。良い悪いは別として、ネットとテレビでは世界観が違う。幸い、担当番組では情報を検証する時間もある。

「インターネット上の情報や映像を番組で利用する際に配慮している点」について、事前アンケートに以下のような回答が寄せられている。

  • YouTubeなどの映像を使う場合には、担当者の部長の許可が必要。
  • インターネットには多くの嘘が書き込まれている。そのことを前提に制作にあたっている。基本的には裏付けのない情報は使用しない。また必要に迫られネットの発言を紹介する場合は、コメントで断定的な表現を避けるなど、配慮している。
  • サイトの情報はあくまでも参考か、情報をとる取っ掛かりとして認識している。その上でその情報を基に、最低でも3つ以上は別の情報ソースを探し確認する。またその情報ソースもできるだけ公の機関が出しているものを選択する。ネットや電話を介して、できるだけ人にも直接取材をし、情報の整合性を確認する。
  • ネット上の情報や映像をそのまま利用することはない。必ず権利者や情報発信者に確認と承諾を得た上で放送に使用している。ただし突発的な事件事故などで事後承諾をお願いしたケースは過去にあった。
  • 権利処理や情報の真贋確認はもちろんだが、あくまで"○○のサイトによる"というエクスキューズのテロップやナレーションを入れるようにしている。

(5)ネットリテラシーを含むメディアリテラシーへの取り組みについて

このテーマについては、メディアと法の関係を長く研究してきた立場から、濱田純一・理事長が話をした。
日本にメディアリテラシーという概念が入ってきた時には"メディアを批判的に読み取る"という文言から"文句をつけること"と理解され、放送局側からも目の敵にされた。それから比べると現在は放送局側も社会もこの概念をよく理解するようになった。法律的な観点から言えば、放送が与える影響が大きいから規制すべきだということになるが、メディアリテラシーが身に着けば少々変な情報を流しても大丈夫とのロジックも出てくる。
どういう形でメディアリテラシーが養われるかは広い目で考える必要があると思っている。各局の協力でテクニカルな面は理解が進んでいるが、それだけではないと思う。自分の周りにいる人たちが、メディアというものをどういう風に見ているのか、メディアが自分の身近なところにどういう風に関わっているのか、そういったところを見聞きすることから育ってくると思う。皆さんがお作りになった番組を視聴させていただいたが、身近なところを取り上げている。実はそのことが、子どもたちのメディアリテラシーを養っていくことに繋がっていくのではないかと思う。身近なところに視聴者がいると思って番組を作ることがメディアリテラシーに役立つことになる。それはメディアに対する「信頼」ということに繋がってくる。メディアを知ることにより「信頼」するようになる、そういう構造をどうやって作っていくかがとても大事なことだ。
ネット情報をメディアが伝える時に"どういう判断で伝えようとしているのか"が視聴者に分かるかどうかが、とても大切だと思う。自分たちの判断の基準、マニュアルを作るのは大切なことだと思うが、視聴者はどう受け止めてくれるのか、どう理解してくれるのかという視点を持つことが必要で、それもメディアリテラシーの一環として議論していく必要があると思う。

  • ●ネット上の議論では、メディアリテラシーという言葉が悲しいくらいに感じられない。「マスゴミ」という言葉を使う人は、きっとメディアリテラシーが低いのだろう。同時にマスコミの言っていることは100%正しいと思っている人もメディアリテラシーが高いとは思えない。その間で、どうしたら健全な疑問を問い続けられる心持ちを維持できるのか、考えさせられる。インターネットのメディアリテラシーとテレビのメディアリテラシーは根っこのところでは繋がっているのではと感じる。
  • ●青少年委員会の議論のスタートは視聴者意見だ。最近の視聴者意見の傾向として、ネットで煽られた人からの意見が一斉に寄せられることがあるが、当委員会では視聴者意見の量だけで判断しているのではない。ネット上で騒がれていることに惑わされることは無いので、局側は、過度に萎縮する必要はない。

【まとめ】

最後に、汐見稔幸・委員長からまとめの言葉があった。
局を超えて同じテーマで議論する機会は少ないと思う。これが良いきっかけになってくれればと思う。子どもを取材する時にどういう原則が必要なのかについて、こういう基準であらねばならないということではなく、ケースバイケースで対応しながら、これで良かったかどうかを吟味していくことが大切だ。
子どもの顔は出さないということが当たり前のようになっているが、あまり強くこだわらないでいただきたい。報道の自由は大切だし、事実はできるだけ正確に詳しく伝える必要がある。もちろん犯人が捕まっていないのに被害にあった人の友達を顔出しで取材することは慎んでいただきたいが、特に、ポジティブな場面で顔を映すことに対してあまり神経質にならないでほしい。3.11の際にはリアルな現場を報道しなかったが、過去の映像が恐怖を呼び起こすこともあるので、事前に注意文言を出すなどの配慮を求めたことがあるが、各局が積極的に協力してくれた。子どもが人間として育つことを支えている報道ということを考えると、子どもが関わる事件・事故を扱う時の難しさもあることを認識しておいてほしい。
ネットとの関係をどう作っていくかについては、まだ宿題だなと思った。今は、テレビがネットに押されている印象がある。私はネットで情報を見てもテレビでもう一度見たいとか、ドラマはテレビとか、バラエティーはやはりテレビと思っている。テレビはテレビでしかできない、ラジオはラジオでしかできないということがたくさんある。それぞれの強みを議論してほしい。
今日のキーワードは「信頼」だったと思う。「話す」は放すに通じる。「語る」は人と人が結びつくこと。今の時代「語る」文化が少なくなってきている。「語る」ことをしないと人と人が結びつかず、「信頼」も生まれない。ネットではできない「語る」ことのメリットをテレビやラジオは大切にして深めていってほしい。
青少年委員会は、どうあれば良いか模索のさなかである。問題がある時に指摘するだけでは他の委員会とあまり変わらなくなってしまう。視聴者との回路になること、視聴者が何を願っているかを掴んでいくこと、若い人が期待している番組を一緒に模索していくことをミッションとしている。例えば、一年間で一番感動したという番組を青少年たちに選んでもらって、ディスカッションしてみたい。また、今年は、高校生と直接議論する場も設けた。
これからも、青少年委員会に要望があればどんどん言ってほしい。叱咤激励してほしい。今日はありがとうございました。

以上

2015年7月28日

在京局担当者との「意見交換会・勉強会」概要

◆概要◆

青少年委員会は7月28日、「インターネット情報の取り扱いについて」をテーマに、在京テレビ各社(NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ、東京MXテレビ)との「意見交換会・勉強会」を千代田放送会館で開催しました。各放送局からは、BPO連絡責任者、編成、報道、情報番組担当者など14人、青少年委員会からは汐見委員長ら7人の委員全員が参加しました。
司会役は川端委員が務め、(1)インターネット上の映像使用、(2)インターネット情報の検証体制、(3)インターネット情報の利用ルール、(4)青少年(保護者)への警鐘(メディアリテラシー)のあり方などについて、16時30分から18時30分まで、各放送局の現状報告を中心に活発な意見交換を行いました。青少年委員会では今回の会合での議論を踏まえ、論点を整理したうえで、11月を目途にあらためて、在京テレビ各局とインターネット情報の取り扱いなどに関する意見交換会・勉強会を実施する予定です。

【意見交換の概要】
●=委員、○=放送局出席者

  • ○ インターネット上の情報もその他の情報も裏付けをとるのは当然であり、その点での違いはない。情報量は多いが、あくまでも一つの情報源である。
  • ● 子ども達にとってテレビは信頼度が高いメディアのひとつである。インターネット上の情報がテレビに流れることで、その情報自体の信用度も大きく高まる。そういった面も念頭に情報の取り扱いには注意してほしい。
  • ○ インターネット上の情報の真贋を見極めるのは非常に難しい。偽の動画を作成して、わざとテレビ局を騙そうとするようなケースもあるので、放送での使用に際しては慎重に判断している。
  • ○ 映像に加工された痕跡がないかなど、技術的な面でのチェックも実施している。
  • ● 番組のコンテンツをインターネット上の情報に依存する傾向が強まっていると感じる。どのような取り扱いをしていけばいいのか、考えていく必要があろう。
  • ○ インターネット上の映像を使用する背景には、戦場の最前線など、通常では取材できないような事実を伝えたいとの思いがある。映像や情報の検証は当然行うが、伝えるべきと情報・映像だと判断した際には、検証しきれない場合でも出所を明らかにしたうえで放送することもある。
  • ● インターネット上は刺激的で面白い映像に溢れている。この宝の山をどう使うべきか、何に注意すべきかについて、今後も検討していきたい。
  • ○ 玉石混交のインターネット上の情報をしっかりと検証することで放送の信頼性を担保したいと考えており、日々、努力している。詳細な基準はあえて設けず、個々のケースに即して責任者が判断している。
  • ○ バラエティー番組においては、著作権上の問題が生じる可能性があるので、インターネット上の映像などを直接使用することはない。
  • ○ 報道においては情報の信憑性を徹底的に確認しつつ、公共性を勘案のうえ報道目的で引用するケースも当然ある。番組ジャンルによってインターネット上の情報との関わりかたも異なる。
  • ○ 画像や映像を報道引用する際には、写っている人の気持ちも考慮し、ケースバイケースで判断している。
  • ○ 動画投稿サイトの映像などを使用する際で検証しきれない場合などは、動画投稿サイトのクレジットを出し、「○○と言われている映像」などの形で紹介することもあり得る。通信社からの配信映像などについても同様の扱いをすることがある。
  • ○ インターネット上の情報を取り扱った企画において、大所高所から番組内でネットリテラシーについて述べることが必ずしも必要だとは思えない。
  • ● テレビはネットリテラシーを広めることができるひとつのインフラではあるが、学校や親の責任も当然あり、テレビだけが責任を持っているとは考えていない。ただテレビでネット情報を扱う場合にはバランスが必要だと思う。自らの情報をインターネット上にアップする子どもがいる現状などを伝える一方で、本人が予測できないような影響が広がる可能性があることなどにも触れる部分があってくれればと思う。
  • ○ インターネットへの関わり方は刻々と変化してきており、動画サイトの紹介をすることによって、その状況を知らない親世代などへの一種の警鐘になるとも考えている。
  • ● 現状を紹介する意義については理解できるが、刺激的な映像を繰り返し使用するケースも散見する。テレビの公共性を踏まえたうえで、番組コンセプトと映像のバランスを取ることが重要であろう。
  • ○ 事件・事故の発生直後などにおいては、どんな良識的な視聴者であっても、実態を見たいとの欲求から、"強い"映像を求める傾向があり、それに迎合し過ぎるどんどん"強い"映像になってしまう。しかし、抑制し過ぎると他局に見劣りしてしまい、視聴率にも敏感に反映してしまう面もあるので悩ましい。
  • ○ 日本の視聴者は良心的で、震災報道における遺体映像などの残忍な映像は望まない。諸外国の報道ではたくさんの遺体映像が使われていたが、日本ではほとんど使われていない。一方、若者などがインターネット上にアップするような映像は、残虐な映像とは少し違い、その時点で視聴者が見たいと思ってしまうような映像が多い。それをどこまで抑制するかという点が問われているのだろう。

【汐見委員長まとめ】
最後に、汐見委員長から出席者に謝辞が述べられるとともに、「各放送局とも難しい課題を抱えつつも、テレビの使命を全うすべく努力している姿が伝わってきた。情報技術や社会の変化はとても速いが、それに対応しながら視聴者にリアルな形で情報を伝えている。真実性や放送すべき価値がある情報なのかを吟味する経験を重ねることで、各放送局で共有すべき留意点などがより明確になっていくことを期待したい。今後も折に触れて、放送局とBPO委員が知恵を出し合えるような機会を設けたい」との感想があり、意見交換会を終えました。

以上

2015年7月3日

意見交換会(松山)概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たす役割を担っています。その活動の一環として、在松山放送局の皆様との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、7月3日に愛媛朝日テレビ役員会議室で「意見交換会」を開催しました。四国地区では初めての開催であり、15時から18時まで、活発な意見交換が行われました。
BPOからは、汐見稔幸・青少年委員会委員長(白梅学園大学学長)、川端裕人・同委員(作家)、緑川由香・同委員(弁護士)と三好晴海・専務理事が参加しました。放送局側の参加者は、NHK、南海放送、テレビ愛媛、あいテレビ、愛媛朝日テレビ、FM愛媛の各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など27人です。
川端委員の司会進行により、会合ではまず、三好専務理事が「BPO発足の経緯と役割」、事務局が「青少年委員会の役割」などについて説明しました。参加者からは、昨今の放送局やBPOに対する与党の発言などについて懸念する声があがり、更なる"自律"に向けて、放送界全体が気を引き締めていくことの重要性について委員との意見が一致しました。また、放送局側から「BPOで取り上げられることになった時点で、当該番組に問題があることが確定したかのような印象が世間に生じてしまっている」との指摘があり、事務局から「青少年委員会での議論には段階を設けており、放送局名や番組名の公表は段階に応じて慎重に行っている。また、放送前や実際には視聴していないにも関わらず意見が寄せられるケースがあることなども踏まえ、丁寧な対応および広報を心掛けている」との説明がありました。
その後、(1)地域における番組制作の課題と克服、(2)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮、(3)ネット情報の取り扱いについて、(4)メディアリテラシーの取り組みなどについて意見交換しました。

【意見交換の概要】
●=委員、○=放送局出席者

(1)地域における番組制作の課題と克服について

  • ● 県内放送局の現状を教えてほしい。
  • ○ 地域情報を取り上げる番組に各局が力を入れてきており、それぞれの局の視点で地域の魅力を掘り下げているところだ。
  • ○ 「地域の人が見る地域放送」「全国の人が見る地域放送」「地域の人が見る全国放送」のバランスが難しい。青少年向け番組については、「地域の人が見る全国放送」のニーズが高いと感じているが、そうなるとローカル局制作の範疇を超えるため、積極的な番組制作が難しい。
  • ○ 青少年は近くの学校や県内で起こっていることなど身近な情報を知りたいと思っていると思う。当社はラジオ社で自主制作番組の比率が比較的高いので、愛媛の10代にターゲットを絞った番組を制作できる環境にあり、特性を活かした番組編成を行っている。

(2)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について

  • ○ 社会環境の変化に沿って、子どもに配慮すべき時間帯が拡大しているとの思いがあるが、委員会ではどのように考えているのか。
  • ● 以前に比べ、青少年の間でもタイムシフト視聴が浸透してきているとの認識がある。深夜帯だから過激な表現が許されるといった単純な状況ではなくなってきているのではないか。一方、時間帯によって表現の許容度が大きく異なる制度を運用している国もあるので、そういった制度も研究したうえで、放送局の人たちと共に、日本に適した考え方を模索していきたいとの思いもある。
  • ○ ラジオはテレビに比べ、パーソナリティーの考えや思いがそのまま発信されていく傾向が強い。それが良さでもあるがリスクも大きいため、パーソナリティーを含めたスタッフが、日頃から放送が青少年に与える影響を考えていく必要があろう。
  • ○ 最近ではニュース番組であっても、青少年に人気のあるタレントを起用するなど、青少年の視聴も念頭に置いた作りになっており、事件報道でも露骨な表現や直接的な表現は避けるなどの配慮をしている。
  • ○ ラジオ番組に対する青少年関連の視聴者意見にはどのようなものがあるのか。
  • ● パーソナリティーによる過激な発言や性的な発言についての意見が一定程度寄せられている。また、未成年と思われる聴取者の性的体験談を放送したことなどについての意見もあった。これらの意見はほとんどが親世代からのものである。一方、BPOの中高生モニターからはラジオ独特のローカルな企画などについて好意的な意見が寄せられている。
  • ○ ラジオでの性的な発言が直接的な表現になってきている印象がある。かつてはもっとイメージに訴える表現が多かったと思う。最近の聴取者はインターネット情報などの直接的で過激な表現に慣れてきていることから、こうした聴取者に合わせてラジオでの表現も過激になりがちなので留意している。
  • ○ 性的な事件の被害状況などのディテールをどこまで表現するかが難しい。狭いエリアを対象にした放送であり、被害者が特定されてしまうおそれが都会に比べて高い。報道によって被害者やその家族などが傷つく可能性がないかについて悩むことは多い。
  • ○ 被害者映像の取り扱いが悩ましい。テレビメディアの特性上、映像をいかに入手するかという問題が出てくる。卒業アルバムや写真シールなど、色々な形で被害者映像を入手するが、映り方によっては被害者の人物像に予断を与えかねないので気を付けている。
  • ○ 親子で罪を犯した場合が難しい。成人である親の名前を実名で出すと、子どもの匿名性が維持出来なくなるといったケースも考えられる。
  • ○ 海外の少年刑務所で更正プログラムを受けている少年達のドキュメンタリーを作った際に考えさせられた。同プログラムを受けている少年達は、社会復帰間近の模範囚で、厳しい訓練を受けて立ち直ろうとしていることに誇りを持っていた。日本の少年法に則り、モザイクをかけて放送する旨を少年たちに伝えたところ、「また悪者扱いか」と大変失望された。顔を出すことで当該少年に不利益があるとは思えないし、親権者も顔出しを望んでいた。色々な考え方があるかと思うが、難しい問題だ。
  • ● 日本の少年院を退院して社会復帰した人を取り上げた番組で、本人の強い意思があったことから、放送局内での様々な議論や周辺情報の確認を経て、顔出しで放送したとの報告があった。放送後も特に問題は生じていないとのことなので、適切な判断だったのではないかと思う。しかし、マスメディアで放送される影響は、本人が考えている以上に広がる可能性がある。放送だけではなく、週刊誌やインターネットなど、他のメディアにも波及しかねない。社会復帰後の生活を保護しようという視点から、個別に慎重な判断をしていくことが重要ではないか。

(3)ネット情報の取り扱いについて

  • ● インターネット上の情報をどう取り扱うかが、放送局共通の新たな課題として浮き上がってきている。ガイドラインや放送局内での共通理解の有無、あるいは現状を教えてほしい。
  • ○ インターネットに特化した対応マニュアルやガイドラインはない。インターネットはあくまでも情報を得るためのツールのひとつであり、他のルートから得た情報と同様、情報の真贋確認などを慎重に行っている。
  • ○ SNSを含めたインターネット上の情報を鵜呑みにして放送することは絶対にない。取材に進むにあたっての入口に過ぎない。
  • ○ キー局を中心にSNSと放送の融合を加速させる動きが進んでいる。SNSやインターネット上の情報は、裏取りも含めて、より慎重な取り扱いが求められている。
  • ○ 視聴者からの投稿動画を広く募集する動きも進んでいるが、当該動画の真贋をどこまで見極められるのか不安だ。大きな交通事故や天変地異などの映像が投稿されると、すぐに飛びつきたくなるが、投稿した方への詳細な取材や行政・司法機関への確認などを行ってはじめて情報の信頼性が担保されることを頭に入れておかねばならない。
  • ○ 事故情報など、速報性が求められる場合もある。そういった場合には情報の確認をしつつも、情報の出所を明らかにしたうえで一次情報を放送することもあり得る。
  • ○ 映像については著作権がクリアされているかどうか分からないので、必ず実際に情報提供者と連絡を取り、確認した上で使っている。
  • ○ 生放送でSNSを利用した番組へのコメントや意見募集を行う際には、大人数でスクリーニングしている。SNSを利用することで双方向性が高まり、番組が豊かになり、生放送らしさも出てくるので今後も活用したいと考えているが、非常に手間がかかるし、注意が必要な手法でもある。
  • ● インターネット上で流行していることや人気のサイトを紹介する際には、青少年への影響にも配慮してほしい。
  • ● インターネット上の過激な映像を紹介する企画が散見するが、そういった映像の中には、仮に放送局自身が取材・撮影していたら放送しなかったと思われるようなシーンであっても、「インターネット上ではこんな過激映像が流れています」という形で放送しているものがあると感じる。

【まとめ】
最後に、汐見委員長から出席者に謝辞が述べられるとともに、「新たなメディアが急速に発達しているが、それに対応した新しい倫理基準や法律が用意されているわけではないので、その都度考えていく必要がある。悩ましい問題だからこそ率直な意見交換が大事だ。その意味で、今回の意見交換会は非常に有意義だったと思う。また、意見交換会に先立ち、各放送局の番組を視聴したが、地元の素晴らしいものを再発見し、それをきっかけに若い人が自分たちの足元をもっと豊かにしていくサポートになるような、広い意味での"街づくり"をしているように感じた。番組を通じて若者たちが小さな夢を育めるような、新しい情報環境をぜひ作っていただきたい」との感想があり、意見交換会を終えました。

以上

2015年2月13日

意見交換会(山梨)概要

◆概要◆

青少年委員会は2月13日の午後3時から6時にわたり、山梨県甲府市の山梨放送(山日YBS本社)で、在山梨放送局担当者との意見交換会を開催しました。
山梨地区の番組は、日本民間放送連盟賞の特別表彰部門「青少年向け番組」に多数入賞するなど、いわゆる「青少年向け番組」に関する取り組みが充実していることから、同地区放送局との意見交換を通じて相互理解を深め、放送界全体の番組向上に役立てるために企画したもので、同地区での意見交換会の開催は初めてとなります。
BPOからは汐見稔幸・青少年委員会委員長、加藤理・同副委員長、最相葉月・同委員の3名、放送局側からはNHK、山梨放送、テレビ山梨、エフエム富士の各BPO連絡責任者、制作・報道担当者など27名が参加し、論議が交わされました。
意見交換会は2部形式で実施し、第1部では、BPOや青少年委員会の役割などについて事務局から説明しました。また、委員が事前に視聴・聴取した、各局の「青少年向け番組」について感想を述べ、意見交換しました。委員からは、「視聴した後にも余韻をかみしめられるような、手間暇かけた内容の番組が多く、すがすがしい気持ちになった」「青少年だけではなく年代を越えて共感できる内容であり、作品に力がある」「新たな発見もあり、豊かな時間を過ごすことができた」などの感想が寄せられました。
第2部では、「地元密着型の番組制作」「青少年向け番組」「メディアリテラシー」のそれぞれのテーマについて、意見交換しました。
「地元密着型の番組制作」については、委員から、「家族のだんらんを大切にしている県民性や青少年を地域で育む意識が高いことなどが伝わってきた」「取材対象者との関わりかたが上手。距離をとりながら魅力的に人物を描いている」などの感想が寄せられました。放送局側からは、「山梨の人が山梨の良いところを知らないのではないかと感じている。東京に近くて大自然があり、NPO法人が調査した『ふるさと暮らし希望ランキング』で1位になるなど、潜在的な財産が多くある。メディアが発信していくことで地域に恩返ししたい」「山梨はケーブルテレビの普及率が高く、キー局の番組を受信できる環境にある視聴者も多い。そこで、キー局の番組との差別化を図るため、地元に密着した良質な番組を作り上げていこうという意識が強い」「NHKも含めてテレビ局が3局しかなく、互いに切磋琢磨している。また、番組コンクールでの受賞なども励みになっており、放送局間はもちろんのこと、同局の社員同士でも『負けたくない』との意識で一生懸命制作している」などの考えが示されました。その一方で、「狭い社会であり、少し番組に出ただけで注目されてしまうので取材が難しい。出演に際しての説得に苦慮している」など、現場ならではの苦労も披露されました。
「青少年向け番組」については、「そもそも青少年向け番組とは何か」との論議がありました。委員からは、「児童文学であれ放送であれ、素晴らしい作品ははじめから青少年向けに作られたものではない。当地区での作品も様々な年代の視聴者が共感できる内容となっている」との発言があり、放送局側からも、「青少年のみに視聴してもらうために制作している訳ではない。様々な年代の視聴者が納得できる作品を目指している」など、基本的な制作スタンスについての考えが示されました。報道や情報番組などにおける具体的な取材・制作手法については、「危険ドラッグの取り上げ方などに際しては、社内でも徹底的に議論するなど、細心の注意を払っている」「ゲームやスマートフォンを過剰に取り上げることで、子どもたちの欲求を惹起してしまうのではないかと考えると、取り扱いが悩ましい」などの発言がありました。また、メディアリテラシーについては、「視聴者によってリテラシーの差が大きく、基準をどこにあわせるかが難しい」などの悩みが寄せられました。
最後に汐見委員長から、「山梨地区における各放送局の番組作りは、足元にすばらしい自然や歴史、文化があることをメディアが広めて行く、ひとつのモデルになり得ると感じた。これからは、視聴者参加型の番組などを通じて、県民の皆さんに『私たちの番組』であるとの意識をもってもらうことが大切だと思う。キー局とは違ったアプローチでこれからも頑張ってほしい。本地区での取り組みを各局に伝えていくことを通じて、『視聴者と放送事業者を結ぶ回路』としての、青少年委員会の役割を広げていきたい」との、まとめの言葉があり、3時間にわたる会合を終了しました。

以上

2013年10月4日

意見交換会(札幌)概要

BPO・放送と青少年に関する委員会(青少年委員会)は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たす役割を担っています。今回その活動の一環として、札幌地区の放送局との相互理解を深め番組向上に役立てるため、10月4日に北海道放送会議室で意見交換会を行いました。参加したのは、青少年委員会から、加藤理副委員長(東京成徳大学教授)と渡邊淳子委員(弁護士)、放送局側からは、NHKと、札幌に拠点を置く北海道放送・札幌テレビ放送・北海道テレビ放送・テレビ北海道・北海道文化放送・STVラジオの7社からプロデューサー、ディレクター、広報関係者など43人です。
まず青少年委員会から、これまでに公表した「見解」などを説明し、続いて番組制作上の悩み、現場での課題等について意見交換しました。

意見交換の内容

  • 【委員】子どもにかかわる事件で、遺体で発見された中学生のいたましい様子を初めは赤裸々に報道したものの、その後詳しい表現を控えた。報道する際の表現方法に配慮はしているのか?
  • 【放送局側】当然人権に配慮することを常に念頭におきつつ報道しているが、やはり犯罪報道には情報を明らかにする使命があり、それは犯人逮捕につながることもあると思われる。
  • 【委員】少年事件を担当している弁護士の立場から言えば、報道現場は、いじめで自殺した子の友達にインタビューをしても、モザイクをかければいいじゃないか、という安易な考え方をしているように思う。撮れるものは撮ろうというような「いけいけどんどん」的なエスカレートした報道が多いのではないか。
  • 【放送局側】詳細情報を視聴者に伝えるという報道の原点を守ったものではあるが、常日頃から、人権の問題と報道の使命のせめぎあいの中で現場は苦しみつつ、悩みつつ、報道に向きあっているのが現状である。
  • 【委員】「暴風雪で父親をなくした少女」(注1)の報道に関して、直接被害者少女へのインタビューなしでは、事件が報道できなかったのか、疑問に思う。
  • 【放送局側】
    • 子どもの人権への配慮と必要な情報をとりたいという狭間で現場の記者は日々悩んでいる。
    • 少女への社会的同情が集まり、保護者からお礼を言いたいという申し出があったため取材した。
    • 現場で取材した記者は長い時間をかけて当事者の少女の信頼を受けるようになり、その記者になら答えていいということで対応してくれた。取材者と取材される側の信頼関係が重要と思う。
    • この暴風雪の報道を受けて、気象台でも天候に関する警報を「外出を避けてください」という強い文言を使うようになり、通信会社も消防からの要請があれば、携帯のGPS位置情報を教えるという体制が整うなど、その後の類似被害を防ぐ防災体制整備にこの報道が役に立った。
  • 【委員】子どもがたとえ事件直後にハイテンションになってインタビューに答えたとしても、その後極端にパニックに陥ることがあるので、やはり、子どもへのインタビューには賛成できない。また、少年犯罪で、すでに拘束された加害者の防犯カメラ映像が公開され、モザイクをかけてもかばんやスニーカーから個人が特定できる可能性があった事例について、その少年の更生のためには、既に身柄を確保された少年の映像を放送する必要性があったのか、疑問に思う。
  • 【放送局側】
    • 報道する側の立場として必要な情報を視聴者に提供する意味では、人権に配慮することは当然考えても、伝えるべきことは伝える姿勢は保っていきたい。
    • 入社4年目ではあるが、報道取材の現場で、いつも考え、悩みながら、日々、取材を行っている。

まとめ

「意見交換会」は、青少年委員会の活動の理解促進と、委員が制作現場の生の意見を聞くことを目的の一つにしています。閉会にあたって加藤副委員長は、「本日は忌憚のない意見が聞け、現場の悩みも率直に話していただいたと思う。我々委員も、取材の現場の状況や、取材側の立場や日々の葛藤を直接お聞きできて、大変勉強になった。今後とも積極的にこういう機会を持ちたい」と2時間半ほどにわたる意見交換会をしめくくりました。

(注1)
2013年3月2日から3日にかけて、北海道や東北を暴風雪が襲い、あわせて9人の命が奪われた。紋別郡湧別町では53歳の父親が9歳の長女を守って凍死した。2日の午後4時ころ、父親は親戚に電話をかけ、「燃料が少なくなってきた。近くの知人宅へ避難する。先方に、そう伝えておいてほしい」と頼んできたという。父親は地吹雪の中、娘を連れて歩いて知人宅を目指したが、途中で激しい地吹雪に行く手を阻まれた。発見された時、父親は娘を風から守るように、娘に覆いかぶさった状態で亡くなっていたという。娘は、奇跡的に無事だった。少女は、その後、『吹雪に襲われた時の様子』、『父親への思い』、『現在の心境』、などについて、各放送局のインタビューを受け、その内容が全国に放送された。

以上

2013年11月26日

在京局バラエティー制作者との意見交換会・勉強会 概要

青少年委員会は11月26日に、NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビのバラエティー番組を中心としたプロデューサー、ディレクターなど27人と、汐見委員長ら7人の委員が参加して、「いじり」や「いじめ」問題を中心とした勉強会を、千代田放送会館で開催しました。
小田桐委員が司会役を務め、最初に、最近の青少年委員会で話し合われている「いじり」や「いじめ」に関する問題について、意見交換が行われました。視聴者から寄せられた意見も踏まえながら、論議が交わされました。
次に、バラエティー番組を制作する上での基本的な考え方や方針について話し合われました。委員から、罰ゲームとはどのようなものと考えているか、子どもが真似するという視聴者の指摘についてどう認識しているか、などの質問が出されました。制作者側からは、バラエティー番組の「フィクション」と「ノンフィクション」のすみ分けなど、番組企画の理念の具体的な説明がありました。
また、番組の制作過程についても話し合われ、制作者側からは、現場では「制作者の意図と、番組を見る視聴者の受け止め方にギャップがないか」など、論議を重ねて作っている現状が述べられました。さらに、委員に対する質問や、委員会に対する意見・要望も出されました。
「勉強会」は、青少年委員会の活動の理解促進と、制作現場の生の意見を聞くことを目的の一つにして開催しています。汐見委員長は、「こういう忌憚のない意見を述べ合える勉強会をずっと開催したかった。もっと制作現場の話を聞きたい」「テレビを見て笑うことは、国民共通の富であり、国民の笑いはその国の力を表す」「楽しく見て笑えるバラエティー番組を躊躇せず、臆せず作っていってほしい」「テレビ番組制作者は、文化を“作る”一方で、“広める”という重要な二役をやっている。笑いの質が多様化していることを認識しつつ、視聴者に広く受け入れられ愛される21世紀の笑いのスタイルを作っていってほしい」と、2時間にわたる勉強会をまとめました。

以上

2013年9月3日

意見交換会(名古屋)概要

青少年委員会では、"視聴者と放送事業者を結ぶ回路"としての役割を果たすため、これまで、委員と在京キー局の担当者との「意見交換会」を行ってきました。今年は、1月22日にNHKを含む在阪テレビ6局と東京以外で初めての「意見交換会」を開催したのに続き、9月3日にはNHKを含む在名テレビ6局の担当者との「意見交換会」を名古屋市の中部日本放送本社で開催しました。NHK、中部日本放送、東海テレビ放送、名古屋テレビ放送、中京テレビ放送、テレビ愛知のプロデューサー、ディレクターなど42人と、汐見委員長ら7人の全委員が参加しました。
第1部で、7人の委員が自己紹介と、事前に視聴した在名テレビ各局制作番組に対する感想を述べました。その後、第2部では、これまでに青少年委員会が公表した『見解』などを事務局から説明し、その内容について意見を交換。続く第3部は、川端委員の司会・進行で"バラエティー番組・情報系番組の表現について"をテーマに話し合われました。
第3部では、特定の番組を取り上げるのではなく、青少年委員会に寄せられた視聴者意見を基に、委員会の姿勢や制作者の意識に関しての議論が中心となりました。視聴者意見を、(1)「取材・報道の在り方」 (2)「性的な表現」 (3)「バラエティー番組の中のいじめにつながりかねないとされる表現」 の三つのカテゴリーに類型化しました。
まず、(1)「取材・報道の在り方」では、事件や事故に巻き込まれた子どもへの取材や放送の表現方法が焦点となりました。放送局からは、取材される側への人権に配慮し、取材・放送の過程で制作担当者や管理者が議論を深めながら放送で取り上げている実情が語られました。(2)「性的な表現」では、たとえば乳幼児が入浴する映像などがネットで広まり、いつまでも残ってしまう現代の情報社会が抱える問題点をふまえた上で、このような現状では、「児童を対象とした性的な表現」への配慮から、乳幼児の裸体を放送することが問題視される傾向が強くなる一方だが、その中でも表現の幅を狭めず、放送の送り手と受け手が互いに認め合える表現内容をどのように求めていくか、現場の取り組みが述べられました。また、(3)「バラエティー番組の中のいじめにつながりかねないとされる表現」というテーマに関しては、在名各局から、そのようなバラエティー番組は作っておらず、むしろ、そのような対象となるのはキー局制作の番組ではないかとの指摘がありました。
「意見交換会」は、青少年委員会の活動の理解促進と、制作現場の生の意見を聞くことも目的の一つとしています。汐見委員長は、「地方には首都圏では視聴できない番組も多いので、地方局の制作者との意見交換には、大きな収穫があった。こうした機会を重ね、地方の番組制作者を応援していきたいと考えている」と、4時間にわたる意見交換会をまとめました。

以上

2013年1月22日

意見交換会(大阪)概要

青少年委員会として東京以外で初めての意見交換会を、1月22日午後3時から大阪・朝日放送アネックスの3A会議室で開催した。参加者は、NHKと在阪準キー局の毎日放送、朝日放送、テレビ大阪、関西テレビ、読売テレビの、合わせて6局の番組制作者を中心とした52人で、青少年委員7人とさまざまな意見交換を行った。
テーマは「大阪と東京の番組制作の違い」。まず、関西の人気番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)の構成作家で、『永遠の0』などのベストセラー作品で知られる作家の百田尚樹氏が、「大阪の番組作りの秘密」と題する講演を行った。「大阪の局は東京に比べて予算が少ない分アイディアで勝負する」、「今のテレビに期待する役割として、バラバラになった家族を、テレビの力で再び茶の間にひき付けられないか」など、およそ30分にわたって経験談を披露してくれた。
その後、各委員が事前に視聴した各局制作の番組についてそれぞれの局の現場の制作者と意見交換を行った。続いて、番組が青少年に与える影響について、局側から「どんな反応があるのか手ごたえがなく、おそるおそるやっているのが実態である」とか、「自分には高一の娘がいるが、下ネタに関しては制作者として悩ましいところだ」などの意見が出た。汐見委員長は、「テレビは人間の行動の標準モデルを作る可能性を持っている。それが、テレビが持っている公共的な影響力だ」とテレビの持つ公共的側面を話し、「関西文化は庶民に対する優しさが根っこにあるのではないか。条件が非常に厳しい中で、熱い意思を持ってよい番組を作ろうとしている人たちがたくさんいることを改めて感じた」と3時間に及ぶ意見交換会を締めくくった。
今回のアンケート結果には、「もっと意見交換する時間がほしかった」、「各委員からすると興味深いテーマかもしれないが、制作者にとっては日常身にしみている話で、深まりが無かった」、「各委員のスタンスの違いが現れていて興味深かった」、「BPOの委員について先入観のようなものが無くなった。共にテレビ番組について考える存在なのだと思えた」などの意見があった。取り上げるテーマや形式など、参加者から寄せられた意見を参考に、次回以降の意見交換会の開催につなげたい。

以上

2014年11月25日

在京局報道担当者との意見交換会・勉強会 概要

青少年委員会は11月25日、「報道における青少年の扱いについて」をテーマに、在京テレビ各社(NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ、東京MXテレビ)との「意見交換会・勉強会」を千代田放送会館で開催しました。各局からは、報道・情報番組の担当者など23人、青少年委員会からは汐見稔幸委員長ら7人の全委員が参加し、論議が交わされました。また、高木光太郎・青山学院大学社会情報学部教授をお招きし、ご講演いただきました。
司会役は渡邊淳子委員が務め、まず、事件関係者である青少年にインタビューする際に留意している点などについて、各局から説明がありました。各局からは、「原則として、中学生以下の場合は保護者の了解を必要条件としている。それ以上の未成年者についても必要な配慮をしている」「近年、SNSが社会に浸透していることなどから、取材する側、される側の想像を超えて情報が拡散することもあり得るので、さらなる配慮をしている」「青少年が被害者や目撃者である場合は、事件の全体像などを視聴者に伝えるために必要不可欠な場合のみ行うこととしている」などの発言がありました。
続いて、高木光太郎青山学院大学社会情報学部教授から、「子どもへのインタビューをめぐって~法心理学の視点~」と題する講演がありました。高木教授からは、刑事事件裁判での供述の信用性を心理学的に評価してきた立場から、「十分な知識がない人が子どもに話を聞いた場合、子どもの記憶が変わってしまうことがあることから、イギリスでは全警察官が子どもから適切に話を聞くための訓練を受けている」「小さい子どもは、自分の記憶、伝聞情報、空想を明確に区別していないと言われており、思い込みや大人の意見への迎合性が強いため、聴き取りに際しては一定の技法を用いることが重要である」など、子どもから話を聞くための技法や事例などについて説明がありました。また、「スピーディーかつ的確に子どもを取材する方法について、各局の現場における研究を進めてほしい」との提言がありました。
その後の意見交換では、各局から、青少年へのインタビュー取材に細心の注意を持って臨むのは当然のこととしたうえで、「青少年が事件・事故の被害にあった際、当該被害者の人物をよく知る同級生などにインタビューを行うことがあるが、具体的な事件・事故の輪郭について視聴者に関心を持ってもらうための1つの材料と考えて実施している」「青少年への取材に限らず、少しでも多くの事実を集め、客観的に判断して報道することが基本姿勢である」などの考えが示されました。そのうえで、「取材時以上に、テレビで放送する際の影響は大きいので、その段階でもあらためて、当該インタビュー映像の使用について検討する必要があろう」「記者やデスクとの意思疎通を日常的に図っておきたい」「記者などへの事前教育を行ったうえで、取材をしっかりさせたい」など、青少年への配慮についての意識をより高めていきたい旨の発言もありました。
一方、委員からは、被取材者の年齢を考慮したPTSDへのさらなる配慮や、取材後のケアの充実を求める意見がありました。
汐見委員長からは、「取材する側には視聴者に事実を伝える義務があるが、一方で取材される側にも様々な権利がある。真実の追及に取材は不可欠だが、取材される側の論理も念頭に置いて行うことが、ますます求められていることを認識してほしい。また、高木教授の講演を聞いて、取材する側には一定のスキルが必要だと実感した。今回の意見交換会・勉強会が、放送局の若い人たちへの教育を行う上でのきっかけとなってくれれば幸いだ。これからも放送局と青少年委員会が議論しながら、より良い放送のあり方を探っていきたい」との、まとめの言葉があり、2時間30分にわたる話し合いを終了しました。

以上

2014年6月6日

意見交換会(沖縄)概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たす役割を担っています。その活動の一環として、沖縄地区の放送局関係者との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、6月6日にRBC4階ホールで「意見交換会」を開催しました。沖縄地区では初めての開催であり、14時から17時30分まで、活発な意見交換が行われました。
BPOからは、汐見稔幸・青少年委員会委員長(白梅学園大学学長)、小田桐誠・同委員(ジャーナリスト)、川端裕人・同委員(作家)と三好晴海・専務理事が参加しました。放送局側の参加者は、NHK、琉球放送、沖縄テレビ、ラジオ沖縄、FM沖縄、琉球朝日放送の各連絡責任者、制作・報道・情報番組制作者など36人です。
意見交換会は2部構成で行い、第1部では、三好専務理事から「BPO発足の経緯と役割」、事務局からは「青少年委員会が公表した『見解』など」について説明しました。
第2部では、(1)沖縄の抱える諸問題、(2)取材における子どもへの影響や人権への配慮、(3)報道番組や情報番組・バラエティー番組の制作上の悩みなどについて、委員と参加者が意見交換しました。

◆意見交換の概要◆

(1).キー局との"温度差"について

  • 【委員】"基地問題"など、沖縄特有の問題に関する報道について、地元の放送局とキー局との"温度差"を感じることはあるか?
  • 【放送局側】
    • 基地問題について、キー局側から「偏っているのではないか」と言われることがあるが、決して偏っているのではなく、沖縄県民の目線で感じていることを発信しているに過ぎない。全国目線での報道に加え、現地目線での報道をすることで、全国的な報道の中立が保たれているとも感じる。
    • 沖縄の基地問題はイデオロギーの問題である一方、身近な生活の問題でもある。"誰が悪い"というスタンスではなく、今後とも丁寧に取材していきたい。
    • 基地問題については「賛成派」「反対派」と単純に分けることはできない。地域住民、親戚等との軋轢などから、長い時間を経て「賛成」の立場に転じることになった人など、様々な背景がある。地元放送局として、そういった人々の心情や歴史を踏まえた、丁寧な報道をしていきたい。
    • 視聴率が取れないとの理由で、沖縄のニュースを全国ネットで取り上げてもらえない気がする。沖縄の放送局が全国に伝えなくてはいけないことはたくさんあるので、どう伝えるかを模索している。
  • 【委員】キー局などとの"温度差"を気にしすぎて、沖縄の放送局が自主規制に走ってしまうことが怖いと感じた。沖縄の人々が生活感覚として、基地がなくなることを望んでいるという情報はキー局もほしがっていると思う。情報を発信し続けてほしい。
  • 【放送局側】
    • まるで風物詩の映像を求めるように、一部の若者による"荒れる成人式"の映像をキー局から要求されることがある。他県の厳粛な成人式の映像を放送した後、「一方で沖縄は」との論調で使われており、沖縄の若者に対する悪いイメージが作り上げられてしまう。
    • 沖縄については、高い離婚率や低い所得など、極端な悪いデータが示されることが多い。沖縄には誇るべきこともたくさんあり、これらを放送で示していくことも大事だと考えている。

(2).沖縄のラジオについて

  • 【委員】沖縄のラジオ局は独特の存在感を出していると聞いている。実状を教えてほしい。
  • 【放送局側】
    • ラジオを時報代わりに聴いている中小の事業所が多いなど、沖縄には働きながらラジオを聴く慣習がある。また、鉄道がないことから車文化が発達しており、カーラジオが普及している。さらに、台風などの災害も多く、幼少時から停電対策などでラジオを聴く環境にある。
    • 当社の番組では、30~40代のパーソナリティーが中心となり、沖縄方言「うちなーぐち」で放送をしているが、年配の聴取者からイントネーションが違っているなどの苦情がくることがある。「うちなーぐち」は、地域によっても異なる。ラジオは正しい方言やアクセントを伝える一つのツールでもあり、青少年にどのように伝えていくか悩ましい。
    • ポッドキャストを利用した聴取環境が整ってきている。また、観光などで沖縄に来た際に、レンタカーでラジオを聴いて、沖縄のラジオ局のファンになったとの声が寄せられることもある。そこで、当社では、全国の聴取者を意識した放送を心掛け、「うちなーぐち」での発言については、必ず解説するようにしている。

(3).青少年への配慮についての実例(子ども情報の取り扱い)

まず、2013年3月に暴風雪に巻き込まれ、父親(凍死)に抱きかかえられて、命を取り留めた北海道の小学生に関する報道について、事務局から報告した後、意見交換を行いました。
この報道については、2013年10月に開催した「意見交換会(札幌)」で、委員から、被害者である少女への直接インタビューの必要性について質問があり、参加した各放送局からは、記者と被害者の信頼関係の重要性や、報道により防災体制が整備されたことなどが報告されています。また、一部の委員からは、子どもがインタビューの対象となった場合、事件直後のハイテンションな状態でインタビューに応えたとしても、その後に極端なパニック状態に陥ることがあるので、子どもへのインタビューには賛成できない旨の意見がありました。(詳細は『意見交換会(札幌)概要』参照)

  • 【委員】
    • ショッキングな事件などを近くで見た子どもがいれば、当然、取材する側は事実を直接聞きたいと考えるだろう。一方、取材された子どもは一生懸命答えるが、成長したときに、「なんで話してしまったのだろうか」「本当の気持ちだったのだろうか」と悩むことがある。思春期手前の子どもは特にそうで、話した自分を責めてしまうこともある。難しい問題でケースバイケースの判断が必要だが、このようなこともあり得るとの見識を持って取材に臨むことは必要だろう。
    • 年齢などにより、取材方法も変えていく必要があろう。映像の使い方も色々と考えるべきことがあると思う。原則としてきっちりと取材した後に、伝え方を慎重に考えることが大切ではないか。インターネットも発達しており、想定外の事態もおこりやすい社会環境にあることにも留意すべきだ。
    • 刺殺された少女の遺体が衣服を身に着けない状態で発見された事件があった。最近、容疑者が逮捕されたが、その際の報道で、「当時、少女が衣服を身に着けない状態で発見された」旨の情報が本当に必要だったのか、表現も含め、今一度考えるべきだろう。私は"死者の尊厳"もあると考える。特に青少年関連の報道については、そのときそのときに悩みながら配慮し、解決していくしかない。
  • 【放送局側】
    • 沖縄では青少年が集団飲酒を行って補導されることがあるが、報道した場合、模倣のおそれもあることから、慎重な判断をしている。
    • のどかな田舎で暮らしている家族を紹介するドキュメンタリー番組を制作した際、その家の男児(当時3歳ほど)の性器が一瞬映り込んだカットがあった。おおらかな暮らしぶりを描いたつもりだったが、結局、放送直前で再編集することとした。
  • 【委員】青少年委員会では、視聴者意見や、社会的な「児童ポルノ」に対する考え方も勘案して、2008年に「児童の裸、特に男児の性器を写すことについて」という注意喚起を出し、テレビ番組制作にあたっては、ほかの表現方法がないかなどを慎重に検討するよう求めている。
  • 【放送局側】沖縄では、ネグレクトなどの児童虐待やドメスティックバイオレンスの問題が深刻な課題だと感じている。しかし、当事者への配慮や周囲への影響を考えると取材が非常に難しく、課題を認識しながらもなかなか取材に踏み切れない。

◆まとめ◆

最後に、汐見委員長から出席者に謝辞が述べられるとともに、「人々が本当に平和で幸せに暮すために、どういう番組作りや報道をすればいいのか、時代の流れを鋭く感じ取る嗅覚を持ちながら、自信を持って仕事していただきたい。また、沖縄が抱える子どもの学力や貧困の問題についても、大いに取材・議論し、沖縄が進むべき道を提案していく責務があると考えている。"沖縄は新しい道を歩み始めた"と感じさせるような番組を作っていってほしい。青少年委員会は、未来を担う子どもたちや若者たちを励ますために、どのような番組が必要なのかを考え続けたいと思っているので、今後ともこういった機会を通じて意見交換したい」との感想があり、意見交換会を終えました。

以上

2014年9月9日

意見交換会(仙台)概要

◆概要◆

青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的の為、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たす役割を担っています。今回その活動の一環として、仙台地区の放送局関係者との相互理解を深め番組向上に役立てるため、9月9日午後2時30分から午後6時までNHK仙台放送局第1スタジオで意見交換会を開催しました。
BPOから、飽戸弘BPO理事長、汐見稔幸委員会委員長、加藤理副委員長、小田桐誠委員、川端裕人委員、最相葉月委員、萩原滋委員、渡邊淳子委員が参加しました。放送局側からは、NHK・東北放送・仙台放送・宮城テレビ放送・東日本放送・FM仙台の各BPO連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など34人が参加しました。
意見交換会は2部構成で行い、第1部では、BPOの紹介及び青少年委員会がこれまでに公表した「見解」などの説明をしました。
第2部では、「震災後3年半を迎えた震災報道」を中心テーマに、"取材時の子どもへの影響や人権への配慮"などについて意見交換しました。
まず、NHK小林智紀記者から、「震災発生から3年半、震災報道 現在の取り組みと課題」をテーマに、次に、仙台放送西村和史ディレクターから「『ともに』を作りながら思うこと」についてそれぞれ基調報告をしてもらいました。
その後、放送局側からは番組制作上の悩みや努力の現状、委員からは報道現場に対する質問や要請が述べられました。
発災当時の報道の在り方と現在の在り方で違いを感じることがあるか?という委員の質問に対して放送局側からは、「発災当時、すぐ気仙沼に三陸沿岸の被災地の震災報道をするという拠点を設けた。当初はその拠点の意味も大きかったが、今は、全国で関心がある情報と地域として一番に伝えるべき情報の中味がだんだんずれてきている。しかし、地域の放送局として、長い道のりではあるが、伝えるべきものを粛々と伝えるべきだというスタンスに変わりはない」などの意見が述べられました。
"子どもへの影響を配慮した震災報道"をどう考えるか?というテーマについては、数人の制作者から、「基本的には取材する側とされる側の人間関係を作ることの重要性」があげられました。親密になった子どもとの会話から、あえて3月11日には取材に行かなかった経験談や、発災直後よりも3年半たった現在の方が子どもへの取材のハードルが高くなった話などが出ました。また、地元放送局として、津波の映像を極力出さないようにしている一方で、「過度の抑制は現実の過酷さを薄めることになるので配慮が必要だ」など、制作者の現場での様々な葛藤が述べられました。

◆まとめ◆

最後に、汐見委員長から出席者に謝辞が述べられるとともに、「この地域の放送関係者が、番組が青少年に与える影響について深く思考しながら、非常に慎重にかつ丁寧に対応されていることについて率直に私は感銘を受けた。今後ともこういった機会を通じて意見交換をしていきたい」旨の表明があり、3時間半にわたる意見交換会を終えました。

以上