◆概要◆
青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、5月21日13時30分から17時まで、高知県の放送局とBPOとの相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に意見を交換しました。高知では、初めての開催でした。
BPOからは、榊原洋一青少年委員会委員長、緑川由香副委員長、稲増龍夫委員、大平健委員、菅原ますみ委員、中橋雄委員、吉永みち子委員と濱田純一BPO理事長が参加しました。放送局からは、NHK、高知放送、テレビ高知、高知さんさんテレビ、エフエム高知の各連絡責任者、編成、制作、報道番組担当者など19人が参加しました。
<BPOの活動について>
冒頭、濱田純一理事長が、「BPOの活動について」というテーマで講演をしました。そのポイントは、以下の通りです。
(濱田理事長)
- BPOは、放送という市民にとって身近なメディアに関わる問題を、政府、権力の手によって解決するのではなく、自分たちの手で解決するところに大事なポイントがある。自分たちの手で解決しようとするプロセスを経る中で、放送に対する視聴者の理解が深められていく、あるいは、放送人の職業意識も鍛えられていくとよいと思う。
- BPOは、放送局が第三者の支援を得て自律を確保するという仕組みである。BPOという第三者機関が放送人の自律を促していく、支えていく、そういう構造になっている。したがって、自律の主体はあくまで放送の現場の方々、放送人である。BPO自身が何か活動をすれば、それでおしまいということではなく、あくまで主体は放送人だという考え方である。
どうやってこの自律がうまく機能するかということだが、さまざまな決定を委員会が出すだけでなく、その後の放送局からの3カ月報告、当該局研修、今日のような意見交換会、事例研究会、講師派遣、視聴者意見を局に伝える、などの多様な方法を通じて放送界の自律を促すという仕組みをとっている。
- 意見を出す委員の思いは、その決定の結論だけを見て勝った負けたということを考えてほしくないということである。むしろ、ある問題が生じたときに、何を考えることが必要か、そのきっかけとなるメッセージを含んでいることを読み取ってほしい。その上で「自分の頭で考える」きっかけにしてほしい。
- 今回、出席者から選挙報道における公平・公正についても触れてほしいという要望があったので、それについて少し話す。詳しくは、放送倫理検証委員会による判断をBPOのウェブサイトで読んでもらいたい。ポイントとしては、いくつかの案件については、選挙における公平・公正の確保の重要性について、放送に当たった側の認識不足、不注意があったのではないかと指摘しているが、他方でコンプライアンス至上主義、思考停止にならないようにとも述べている。放送のプロフェッショナルであることを自覚して、放送の使命を考えながら制作現場でしっかり議論してほしいと期待している。また、別の意見書では、特に選挙の際の公平・公正は、量的な公平性、形式的な公平性ではなく、質的な公平性、内容的・実質的な公平性を目指してほしいと指摘している。
- 各委員会の考え方として、「べからず集」をつくって、マニュアル人間をつくることはしたくない。あくまで委員会で述べたことをきっかけに、しっかり考えていってもらいたいということである。自分の頭でしっかり考えて番組作りをすることが、ジャーナリズムの本質だと思う。
<未成年を取材する難しさと課題>
意見交換会第1部のテーマは、「未成年を取材する難しさと課題」でした。まず、日頃の取材活動で困っている課題、配慮していることなどについて出席者から次のような報告がありました。
(放送局)
「高知県は子どもの貧困という意味でも厳しい。そういう課題を解決するような、子ども食堂などいろいろな取り組みをしている。最近、小学校で、朝ご飯を子どもに作らせるという、校長先生の熱意で行われた朝食支援の取り組みを取材した。貧困家庭の子どもにご飯の作り方を覚えてほしいとか、ご飯を提供したいとか、学校のターゲットはしっかり決まっていたが、個別家庭を取材する際、学校から紹介してもらったが、本当の貧困家庭は厳しく、本当に取材できていることと放送に出せる内容が違ってしまった。その子どもに感動して取材したが、やはり子どもが特定されてしまうから、そのエピソードは話しづらく、奥歯に物が挟まったような言い方しかできなかった」
(放送局)
「荒れている中学校を校長先生が立て直しているのを取材したが、校長先生と現場の教頭先生の意見が全然違っていることもあった。校長先生は、多少荒れているところでも、これがありのままなのでどうぞ取材してくださいと、取材を許可されたが、校長先生が用事で外出し、教頭先生に変わったら、もう一切、ここで取材シャットアウトとされ、授業以外は取材しないでくださいとされた。教頭先生は、ちょっと荒れているような現場は見せたくないという思いだっただろうが、トップの見解によって正反対の対応をされ困ったこともあった」
これに対し、委員からは次のような意見が出されました。
(榊原委員長)
「貧困の問題とか、荒れている学校の問題など社会的に知ってもらうことは重要だ、という目的で取材されたと思うが、それを放送することによって、いろいろな批判が来たりするということで、オンエアを控えたこともあると思う。しかし、これをやってはいけないというのではなく、ある意味でファジーな部分については、勇気をもって出していただきたい。そこに寄せられた意見については検討すればよい。例えば、BPOにたくさん意見が寄せられた場合には、それに対して、どういう意図で作ったことであって、その批判が当たるか当たらないか判断することになるが、中立的な立場からサポートできることもあると思う。それがBPO青少年委員会の一つの役目である。子ども食堂は、貧困の子どもが行くところというイメージが強くなっているが、現実には違う。子どもに団らんの場を作ろうということで、貧困だけでなく、うちで食事ができない子どもがいるために、全国に子ども食堂という運動が広がっている。それを取材することは社会的に非常に意味がある。様々な批判もあると思うが、それに対しては、きっちりと子ども食堂は決して貧困の子どもだけを対象にしたものでないことを説明してほしい」
(吉永委員)
「取材をするべきと判断したテーマがあり、取材を進めたことによって知りえた真実があった時に、それがいろいろなところに配慮しなければならないということで、その真実を放送できないというのは、ものすごく厳しい現実だと思う。それは、テレビでは映像をつけなければならないから、どうしても難しくなる。映像が使えないということであきらめてしまうという部分があるのではないか。それを何か違う形でクリアすることはできないのか。さらに、ネット社会など、この時の流れの中で、かつてはできたけれども、今はできなくなったこともあるのではないか。また、いろいろなところで文句を言う層が膨れ上がっていることにより、現実的な判断として、これをやると後で面倒くさいことになるからやめておこうということはないのか。また放送局内で、現場と上層部とのやりとりにより、本来放送されるべき、取材で見えた真実が葬り去られることが、時代とともに増えているという印象を持っているのか知りたい」
これに対して、出席者からは次のような意見が出されました。
(放送局)
「小学校の朝食支援の取材では、キーとなる貧困家庭があった。取り組みとして、そのエピソードを伝えたかったが、校長先生も、これを言ったらどうしても特定されてしまうという思いがあり、十分に伝えきれず、残念な思いがあった。私は、映像で表現できないときの代替としては、できるだけインタビューで引き出すように工夫している。インタビューが多くなると見づらくなるとは思うが…」
(放送局)
「この春に廃校になる小学校があり、そこの子どもに生中継で出てもらったが、学校の中に一人だけ親御さんが許可しないで出られなかった子どもがいた。その子は先に帰ったが、そういうことが起こると、その子も多分傷ついているだろうと思うし、学校の中に変な空気が起こるのではないかと、心配になることもある」
これについて、委員からは次のような意見が出されました。
(菅原委員)
「学校現場も、報道に対してどうするかということを考えていく必要があると思う。教育委員会、学校、文科省と皆さんが交流して工夫していくことが必要だと感じた。原則はオプトアウト方式にならざるを得ないと思う。保護者の許可がいるので、うちは映さないでくださいという親がいたら、その子は映さないようにしなくてはいけないが、あらかじめわかっていれば、子どもたちを傷つけないように工夫ができるかもしれないので、学校の先生方にもこの問題は考えてほしい。また、子どもたちの立場からすると、テレビに出ることは傷つくだけではなく、すごく成長のチャンスになるし、うれしいことでもあるだろう。委縮し過ぎて、子どもたちの成長の場が失われているのは残念だと思う。それともう一つ、貧困や虐待の問題では、ケースが出てくると力がある。実際のケースが出てくることにより、社会的な関心が大きくなり、物事が進んでいくので、報道することを諦めないでほしい。どういう形ならケースを紹介できるのか、教育界ともメディア界とも話し合いながら、ゼロにならない工夫が必要だと思う。なかなか悩ましいところだが、子どもがテレビから姿がなくなるということは、ますます子どもにとって不利な状況になることは確かだと思う」
また、委員から次のような質問も出されました。
(榊原委員長)
「後半のテーマに関連するが、皆さんが作られた防災に関する番組のDVDを視聴させてもらったが、中学生や高校生が出ていた。今は、取材するときに、本人はもちろんだと思うが、学校や保護者の方の許可を全部取ってやるという時代になっているのか」
これに対して、参加者からは、次のような答えがありました。
(放送局)
「毎月1回のペースで、子どもたちの防災活動の番組を制作しているが、これまでトラブル等は、一回もない。防災というテーマだからこそなのかもしれないが、事前に映してはいけない生徒、児童の方いますかと学校側に問い合わせて、まず確認していただいて、ありませんということで、あとはフリーに取材している。こちらから直接、保護者に連絡したことは、一回もない。学校側に聞くと、年度が変わったときに、保護者にテレビの撮影等あった場合に、露出しても構わないか打診しているという。防災に関しては子どもたちの地道な活動を紹介してもらえるということで、学校側も積極的に協力してくれる。逆に制作するときに気をつけているのは、全員の子どもが映るようにということを意識している」
また、委員からは、次のような意見が出されました。
(吉永委員)
「やはり、不幸な事件、事故があったときにテレビクルーがどういうふうな形で子どもたちに話を聞くのか、というところで大きな問題になることがある。友だちが亡くなってしまったような事件・事故では、取材に応じた子どもが後で学校でいじめにあったり、批判されたりという事例はあるのだろうか。事件・事故が起きたというだけで、子どもたちにとっては非日常である。そういうときに、自分が思っていることをちゃんと表現できない子どもが多いと思う。おそらく、子どもはその対応をしてしまったことが、あとで自分の中で何であんなことを言っちゃたんだろうと考える子もいるのではないか。そのことに関して、あとで何か問題が浮上したか、クレームが来たか、テレビ局が後で何か問題はありませんでしたかというようなフォローがあるのかないのか、そこが子どもを持つ親の立場からすると気になるところである。視聴者がテレビ局の取材に対して距離感を生む一番大きな原因はそこにあるのではないか。最初から、『メディアの取材お断り』みたいな張り紙を出されるのは、いい関係ではないので、もし、その辺の実感があったら教えてもらいたい」
これについて、出席者からは、次のような発言がありました。
(放送局)
「去年、高知ではプールで溺れて意識不明になったり、通学路で交通事故に遭い亡くなったりという事例があり取材したが、やはり、学校の壁は非常に厚く、保護者が許可しないので学校は撮らないでほしい、普通の登校風景も撮らないでほしい、さらに事故に絡めて報道するのはやめてほしいと、かなり簡単な映像取材でもつまずいてしまった。映像がないと何も言えないところも、一般視聴者から見ると、なぜそんなところを撮るのということで、事件・事故があると何も撮れないことがある」
(放送局)
「事件・事故の際、全国ニュースでは顔を切って、声を変えて同級生に話を聞くという映像を見ることがあるが、高知のローカルでは、よほどの事案でなければ、同級生や未成年にマイクを向けることは控えるようにしている。学校内で傷害事件、暴行事件が多かった時期があり、生徒が先生に暴力をふるったという事件の取材をする際、その生徒の人となりを聞くのではなく、学校としてどう対応していくかを取材したくて、教育委員会に学校名を聞くのだが、学校が特定できないような撮り方をするということで、10年ほど前は、教育委員会の方も趣旨を理解してくれたが、ここ数年は、もう一貫、全部NGというケースが増えている」
これについて委員からは、次のような発言がありました。
(榊原委員長)
「未成年であるからということによって、放送、テレビに子どもの生の声が表に出ない形になっていると感じる。結果的に、なにか子どもの意見をスクリーニングされた意見しか国民に知らされない。災害などの取材で、子どもとしてそういうことを感じると発言したという意味もあると思うが、その子に聞くのは酷だという意見が来る。保護者、学校の許可ということを考えていくと、放送にだんだん子ども自身の生の声が出せなくなってくるという事態があると感じた」
(中橋委員)
「テレビの制作現場にいる人は、すごくメディアリテラシーが高いが、一般的に取材を受ける側はそれほど高くはない。そのギャップをいかに埋めていくかが大事である。そのためには信頼関係を作ることが重要である。これは何のための取材なのかということをしっかりとコミュニケーションをとって理解してもらうことが重要だと思う。先ほどの校長先生はオーケーで、教頭先生はだめというのは、教頭先生はよく趣旨を理解していなくて、できるだけやめてほしい、安全なところで切り抜けたいというところがあったと思う。そこもやはりコミュニケーションを深めていって、この取材が社会に出なかったとしたら、社会は悪くなっていきますよということを理解してもらうことが必要だと思う。取材を受ける側がもう少し理解を深めていくには、日常的にコミュニケーションをとって、メディアはなぜ存在しているのか、この取材は何のためにやるのかということを一緒に考えていける場が必要だと思う」
<防災番組への取り組みについて>
第2部のテーマは、主に南海トラフ地震を見据えた「防災番組」の取り組みについてでした。事前に、各局が制作した以下の番組を参加者が視聴・聴取したうえで意見交換しました。
- NHK高知
- ・『四国らしんばん 南海トラフ巨大地震から命を守る~平成の記憶を新時代へ~』(2019年3月8日放送)
- ・『西日本豪雨の教訓』(2018年9月5日放送)
- ・『防災いちばん』(ビデオクリップ)
- 高知放送
- ・『eye+スーパー 学ぼうさい~黒磯町佐賀中学校の取り組み~』(2017年7月26日放送)
- ・ RKCラジオ『地震防災メモ』
- テレビ高知
- ・『この海と生きる~世界津波の日 高校生サミット~』(2016年12月24日放送)
- エフエム高知
まず、委員から番組を視聴した感想を聞きました。
(稲増委員)
「全国放送ということで考えると、例えば関東大震災があった日とか、何か特別なときに関連する番組を一斉に大々的に放送するが、あとはほったらかしというのが今の状況ではないかと思う。本当に徹底的に、特に『学ぼうさい』というコーナーを毎月放送するのは、信じられないほどである。ネタは枯渇するだろうし、視聴率的にも苦戦するだろうと思う。しかし、あのコーナーをやり続けることはすごく意味のあることだと思う。高齢者の方が中学生に避難タワーに案内してもらい、感激しているところは、制作している側からすると別にどうということのない日常の風景だと思うが、我々の立場から見ると、これを継続的に放送し続けているのは、ものすごい努力だと思う」
(大平委員)
「同じことをずっとやっているとマンネリになって、話がつまらなくなると思うが、『世界津波の日 高校生サミット』の番組は、女子高校生2人を取り上げているようで、実は防災もやっているような感じで長続きするにはとてもいいのではないかと思った。終戦のこともだんだん風化して、ニュースがなくなっているが、なにかドキュメンタリーやドラマの背景に終戦、あるいは戦争の悲惨さがあるということを繰り返しやっているというのが、長続きできる理由ではないだろうか」
(菅原委員)
「大変勉強になった。とても中学生が頼もしく見えた。発達心理学の領域では、思春期の子どもたちは、こういう大きなイベントがあったときに、社会から頼りにされると、すごく伸びるという有名な研究結果がある。そういう意味であの子どもたちの将来が楽しみだと思った。一つのアイデアだが、今、AIを使った補助具なども発達しているので、未来的なAIを使った防災のあり方も特集されるといいなと思った」
(緑川副委員長)
「私が住んでいる地域は、東日本大震災の時に液状化して報道もされた。数カ月は非常に大変な状態を経験し、マンションで防災委員会が立ち上がるなどの取り組みをしているが、活動の広がりにつながらない面がある。時間が経過するにつれて、興味が薄れてくると思っていた。今回、皆さんが作った番組で、地域の小学生、中学生、高校生がこういう取り組みをされていることは、周りの大人たちも問題意識を持ち続けているからだと思う。それを地域のテレビ局、ラジオ局が取り上げることで、さらに地域全体の認知につながるという点で、大変良い取り組みだと思った」
(榊原委員長)
「一つは、子どもたちが主体的に、防災にかかわることをする意味である。南海トラフ地震は今すぐ起こるかもしれないし、何十年先かもしれない。その場合、次の世代に経験を伝えていくことが非常に重要だと思う。逆説的だが、マンネリズムと言われるくらいの方がむしろ何度も耳に残り、身に付くだろう。もう一つは、ラジオ番組という点である。テレビと違って、耳で聞くと言葉は残る。テレビは、映像があるため、言ったことは案外聞いてなくて、映像を見てしまう。ラジオでの、地震が来たときに、大事なことはこれとこれとこれ。津波で避難するときは、絶対に戻らないとか、私の耳に残っている。あれを何度も繰り返すことで、地域に住んでいる人に、そうだ、戻っちゃいけないんだという形が残る。そこにこのラジオ放送の意味があると思う」
(中橋委員)
「私も、当たり前のように継続されていることが素晴らしいと思った。マンネリになってしまうところを、いかにいろいろな取材対象を変え、テーマの切り口を変えて番組を生み出していくかが興味深いところだと思った。ラジオ番組については、普段、ラジオを聴いているとなかなか子どもの声は出て来ないが、急に、すごく小さな子どもの声が標語を言ってくれると、耳に響くし、記憶に残る。そこが秀逸だと思った。また、ちょっと驚いたのは、防災士が語るというコンセプトがおもしろいということだ。言葉だけが耳に入ってくることで、頭の中で、言葉で理解して、言葉で記憶しておく。それが、いざというときに行動につながっていく。これまであまり、ラジオの防災番組は聞いたことがなかったが、今回初めて聞いて、なるほど意味のあることだなと感じた」
(吉永委員)
「やはり、南海トラフ地震で34メートルの津波が来るという、具体的な数字とイメージが、防災の意識、防災の行動を充実させているという気がする。番組の中で、中学生が高齢者の手を取って避難の誘導をしていたが、ああいう姿はなかなか実現できないものかもしれない。しかし、中学生がおれたちが頼りなんだという意識を持つ、小さいうちから地域を自分で守るということは、災害という大きなものに備えるということで、ものすごい教育、人間の力をつけているなという印象を持った。やはり、これだけの放送があるということは、高知の人の防災意識は相当高いと思った」
委員の感想に対し、出席者からは次のような意見が出されました。
(放送局)
「弊社には現在、20人の防災士がいる。石を投げれば防災士に当たるくらいに、アナウンサーもどんどん資格を取るように、毎年、試験にチャレンジしている。ラジオで月曜から金曜日毎日放送していて、ネタ切れにならないかという指摘もあるが、マンネリを恐れないことにしている。いわば、素人のおじさんが防災士の資格を取って、『一番大事なのは一旦逃げたら戻らないことです』と話すと切実に聞こえる、という効果もあるかもしれない。私たち社員にしても、こうしてラジオで啓発してしゃべることは、自分のスキルを磨くことにもつながるので、これは続けていきたい。発災のときのラジオの力を私たちも訓練していて、重要なことは重々承知しているが、まずは、防災の部分に力を入れて、発災のときにどう動けるか、被害を受けてしまった場合には、皆さんの癒しの力、メッセージや音楽を届けながら復興の力にならなければいけない。ラジオの役割をそう感じている」
(放送局)
「『学ぼうさい』というコーナーは今、4年目になる。それまで普段のニュース番組の中では、大きなニュースバリューのある防災活動でないと紹介できなかったが、そこまでいかなくても、地道に日常的にやっているものを紹介できないか、と思ったことがきっかけであった。そして、やりたかったのは、大人の防災活動ではなく、子どもたちの防災活動だった。大人たちが一生懸命防災活動をしていると、この人たちは特別ではないか、自分とは違うと見てしまいがちだが、子どもたちだったら、頑張っているねという視点で見てもらえると思ったからだ。やってみて感じるのは、子どもたちが災害、防災とすごく真摯に、前向きに向き合っていることだ。取材では、打ち合わせはほとんどないが、こちらが想像以上に真剣に地域を守るんだということを、大人から言われた言葉ではなく、自分の言葉でしゃべってくれていることを感じ、自分の小学生の時と全然違うことを痛感し、頼もしく思っている」
(放送局)
「やはり、継続してやる、シリーズでやることは、すごく意味があると思う。防災ということが特別なものであってはいけない、日常の中になければならないと思う。
拝見した『学ぼうさい』の中で、印象的だったのは、おばあさんが避難タワーに到達したときに、『あっ、私も生きられるんや』という一言はすごく大きいなと感じた。高知の沿岸部に住んでいるお年寄りは、『もう地震が来たら死ぬだけや』と諦めている人が多いが、そういった人たちの意識を変えられる子どもたちの力はすごく大きいと感じた」
次にコンテンツの維持など、防災番組を継続可能なものにするための秘訣について参加者に聞きました。
(放送局)
「何とかここまでたどりついたというのが正直なところで、これから先、どうなるかは本当にやってみないとわからない。避難訓練などはメニュー的には同じものになってしまうが、救われるのは、子どもたちが変わると、違う子どもたちが頑張っている映像になるので、ある程度見てもらえるのではないか。防災と同時に、頑張っている子どもというのもテーマとしてやっているので、バランスを取りながら、苦慮しつつ続けていきたい」
(放送局)
「ネタの枯渇という点では、私たちのラジオ番組は、昨年10月にスタートしたが、秋口は小学校の防災の取り組み、防災フェアなどが多く、順調に進んでいたが、ここへきてネタに苦労している。また、ラジオは発災の際に力を発揮しなくて何のメディアだと考えている。しかし、ローカル局で非常に人数が少ない中、どうやって情報をつかんでいくか、人を動かしていくかということで、他の放送局に、局の垣根を越えて我々の動きが足りない部分を助けてくださいという相談をして、いざというときに情報をいただく態勢をとっている」
<放送関係者のための『発達障害』基礎知識>
出席者の中から、「発達障害についての番組を制作したことがあり、ある程度、分かったつもりだが、いろいろな事件報道の際など、メディアでの扱いについて疑問に思うこともある。改めて、取材の際にどんなことを気をつければいいのか知りたい」というリクエストが出され、小児科医であり、発達障害が専門の榊原洋一委員長が発達障害の基礎知識について説明しました。そのポイントは、以下の通りです。
(榊原委員長)
- *言葉として発達障害とよく使われるが、一番多い誤解は、発達障害があたかも一つの障害名、診断名のように扱われていることである。発達障害は複数の障害を含んだ総称である。
- *発達障害の理解が困難な理由は、発達障害の診断について、はっきりした症状や検査所見があるわけではなく、行動の特徴から判断するしかないことがあげられる。
- *発達障害を構成する障害は、注意欠陥多動性障害(ADHD)、自閉症スペクトラム、学習障害であるが、この3つの特徴は、皆違う。
- *発達障害は生まれつきのものであり、成育環境、育てられ方、何かつらい思いをしたトラウマなどからなるものではない。
- *発達障害の3つの障害は、併存が多い。一人の中で2つ、ときには3つともの症状がある場合がある。
- *家庭、地域、学校といった集団場面での困難が顕著になる。つまり、どこでもその行動の特徴が見られるために、社会的な大きな課題となる。
- *発達障害の啓発番組を作る場合、発達障害という一つの言葉で説明しようとすると無理があると思う。ある番組の中で、「発達障害のときはこういう特徴があって、こういう対応をしたらいい」と言っていたが、それは困る。やはり、その3つが合併している人がいるとは言いながら、注意欠陥多動性障害の場合、自閉症スペクトラムの場合、あるいは学習障害の場合と、分けて啓発してほしい。
この後、事務局から、最近、事件報道などでの発達障害の扱いについてBPOに寄せられた視聴者意見も紹介されましたが、これらを受けて、榊原委員長より次のような発言がありました。
「犯罪を犯す人の大部分は、発達障害ではないことを、覚えておいてほしい。犯罪を犯す人の中に発達障害の可能性が特に高いというデータはない。
例えば、殺人を犯すということは、確かに常軌を逸しているが、その人が発達障害のない、精神的に普通の人が犯罪を犯していることは考えなくてはいけない。殺人を犯した理由が、小さい時からいじめられたことが、そういうことにつながったのかもしれない、何か職場で嫌なことがあったためかもしれないなど、いろいろあると思うが、そのような心理的な働きは、発達障害とは関係ない、ということを頭に入れてほしい。したがって、こういう犯罪などで発達障害の言葉を使うのは、やはり避けたほうがいいと思う。その因果関係を確証するのは、本当に難しい。発達障害というと何かそれで説明できてしまうんじゃないかという心理が、報道する人の中にはあるのではないだろうか」
以上のような、活発な議論が行われ、3時間半にわたる意見交換会は終了しました。