2023年7月18日

「ローカル深夜番組女性出演者からの申立て」通知・公表の概要

[通知]
2023年7月18日午後1時からBPO会議室において、曽我部真裕委員長と事案を担当した二関辰郎委員長代行、松田美佐委員、補足意見を書いた水野剛也委員、少数意見を書いた國森康弘委員が出席して、委員会決定を通知した。申立人本人と代理人弁護士、被申立人のあいテレビ(愛媛県)からは番組プロデューサーら3人が出席した。
曽我部委員長がまず、「本件番組には人権侵害は認められず、放送倫理上も問題があったとまでは言えない」という委員会の判断を示したあと、今回は申立人の心情を深刻に受けとめた結果、「問題点の指摘と要望」という形で委員会の考えをまとめたと伝えた。
申立人の「番組内での他の出演者からの下ネタや性的な言動により羞恥心を抱かせられ、放送によってイメージが損なわれ、人権侵害を受けた」という主張については、本件の特徴として、他の出演者の言動が番組内に限られており、視聴者に見られることを意識したやりとりで特殊な場面と考えられ、通常のセクハラの判断基準とは異なるという見解を説明したうえで、本件では、①放送局が申立人の意に反していたことに気づいていたか、あるいは、気づいていなかったとしても気づくことはできたと言えるかどうか、②深夜バラエティー番組として許容範囲を超える性的な言動があり、あるいは、申立人の人格の尊厳を否定するような言動があったと言えるかどうか、という基準を採用したと述べた。それに照らすと、①について、あいテレビが当時気づくことは困難であり、②については、委員の中には番組内での性的な言動は非常に悪質だという意見はあったものの委員会で一致は見られず、最終的には、人格の尊厳を否定するような言動があったとまでは言えないとした。また、申立人が番組プロデューサーに悩みを打ち明けたあとの放送対応については、申立人が問題だと指摘した部分は放送しなかったという経緯があり問題があるとまでは言えないとした。これらを総合して判断した結果、人権侵害は認められなかったと説明した。
さらに、放送倫理上の問題に関しても人権侵害の判断と同様に、問題があるというのは妥当ではないとの結論に至ったと伝えた。
ただし、あいテレビに問題点として指摘される部分がなかったかというとそうではなく、要望として大きく取り上げたと伝えた。言動が繰り返され、言われた側の役割が固定化し、放送を通じてそれを公開されることは内心で意に反していると考える申立人を極めてつらい立場に追い込んだ。今後、あいテレビはそのような状況を招かないよう環境整備に努めること、また、ハラスメントに対する人々の問題意識が高まってきた今日において、本件番組で指摘されたような表現が放送するのに適当だったか否かをよく考えてほしいこと、そして、フリーアナウンサーとテレビ局という立場の違い、他の出演者との関係性、男性中心の職場におかれた女性の立場というジェンダーの視点に照らしても申立人は圧倒的に弱い立場に置かれていたことが明らかで、放送局としては降板するほどの覚悟がなくても出演者が自分の悩みを気軽に相談できるような環境やジェンダーに配慮した体制を整備する必要があること、そのうえで、日頃から出演者の身体的、精神的な健康状態につねに気を配り、問題を申告した人に不利益を課さない仕組みを構築するなど、よりよい制度を作るための取り組みを絶えず続けること、という要望が付いたと説明した。さらに、ジェンダーバランスが適切にとれていれば下ネタや性的な言動が本件番組ほどになされることはなく、申立人に対する性的な言動への歯止めがかけられた可能性があったことも指摘した。
最後に、要望は直接的にはあいテレビが対象であるが、本件を契機として、放送業界全体が自社の環境や仕組みの見直しを行い改善に努めてほしいと伝えた。
続いて二関委員長代行が、「放送人権委員会決定における判断のグラデーション」に基づき、あくまでもグラデーション上の人権侵害や放送倫理上の問題というカテゴリーに照らすならば、問題があるとまでは言えないと判断した旨説明した。そして、今回の委員会決定の「問題点の指摘と要望」の部分が異例の長文であることに触れ、あいテレビに問題がなかったわけではないと述べた。あいテレビに対して、自社で設置した相談窓口が本当に機能しているのかをきちんと検証してほしいと要望した。
松田委員は「本件で申立人に向けられ、放送された性的な言動は悪質であり、放送を控えるべきであった」と個人の思いを伝えた。しかし一方で、表現内容だけを取り上げて問題ありとすることについては、「表現の自由」の観点から謙抑的であるべきだという委員会の判断に賛成だと述べた。そして、あいテレビに対し、表現によって誰かを傷つける可能性にもっと意識を向けてほしいと要望したうえで、「なぜ、申立人の悩みに気づけなかったのか」「なぜ、申立人は悩みが外部に伝わらないよう振る舞わざるをえなかったのか」と問いかけ、放送業界全体に、さまざまなジェンダー構造上の問題に対して社会がよりよい方向に向いていくための取り組みを求めたいと述べた。
次に、補足意見を書いた曽我部委員長がその内容を説明した。放送業界全体にジェンダーの観点から考えてもらうため、放送とジェンダーに関する近年の状況について紹介したと伝え、ジェンダーに関する偏見を再生産するのではなく率先して社会の多様性を番組に反映していくこと、そのための組織の整備を行うこと、自主的な取り組みを進めてほしいことを述べた。
同じく補足意見を書いた水野委員が「あいテレビには申立人との関係が良好だという思い込みがあったように見える」と述べ、人の心のうちは外からはうかがい知れないということを肝に銘じ、放送局は職場環境の見直しに取り組んでほしいと伝えた。
続いて、少数意見を書いた國森委員が「ハラスメントとは、気づいているか否か、あるいは、悪気があるか否かということとは関係なく、相手に苦痛や不快、不利益を与えること、あるいは相手の尊厳を傷つけることであって、その観点から、本件では人権侵害があったと考えている」と述べ、その論拠を説明した。「一般社会でハラスメントにあたるものが番組内で許されるはずはなく、申立人と性的な要素を過度に結びつけて描いている表現は非常に悪質。ましてや本人が下ネタや性的表現に同意をしていない、番組制作のあり方に納得をしていない、スタッフや共演者に不信が募る、という状況では一層深刻なハラスメント被害にあたる」とし、今回の表現が問題ないと捉えられれば、ハラスメントは今後も助長され、番組制作の現場でも一般社会でも被害はなくならず、苦しみ傷つく人が増えるだろうと述べた。
この決定を受け申立人は「残念という言葉しかない。不満だ。あいテレビが“要望で済んだ”と受け取ってしまうことが心配。長年、苦痛を訴えてきたのは事実。あいテレビが気づかなかったから今回の判断になった、と言われたことはショックである」と述べた。
あいテレビは「真摯に受け止めている。今回の申立てを受け、相談しやすい環境を作るために、現在、組織的に動いている」と述べた。

[公表]
午後2時30分から千代田放送会館2階ホールで記者会見し、委員会決定を公表した。放送局と新聞社、民放連合わせて25社1団体から36人が出席した。テレビカメラの取材はTBSテレビが代表取材を行った。曽我部委員長がパワーポイントを使いながら、決定の結論とそこに至る考え方を説明した。特に、結論部分にある「問題点の指摘と要望」の内容について強調し、もっとも時間をかけ、丁寧に説明した。
二関委員長代行は「本当に難しい事案で、委員の間でさまざまな議論が交わされた。申立人と被申立人の言い分が食い違う中での審理となったが、委員会は証拠調べや証人尋問等をするわけではない。双方から提出された資料に基づいて認定していった結果が今回の判断の骨格となっている」と補足した。
松田委員は「本件番組を視聴して驚き、あきれ、気分が悪くなった。理由は番組内での性的な言動やからかいが、女性である申立人に対して、その人格と絡める形で向けられたものであったからにほかならず、これまで自分が経験してきた、さまざまな場面で受け流すことを暗黙のうちに要請されたからかいを想起させられ、非常につらかった。しかし一方で、表現内容だけを取り上げて問題があるということは表現の自由の制約につながりうることも理解しており、謙抑的であるべきという多数意見に賛同している。放送局は、『気がつかなかった』で済ませずに、自らの表現がどういう可能性を内包しているかをもっと意識して制作を行ってほしい」と述べた。
続いて、曽我部委員長が委員会決定における補足意見と少数意見の位置づけを説明したうえで、自身の補足意見の内容について説明した。要望でも取り上げたジェンダーバランスの観点から、「放送業界は全体として、社会に存在する偏見をただ再生産するのではなく、社会の多様性を番組に反映し促進していけるよう組織を整えるために自主的な取り組みを進めることが期待されている」と述べた。
水野委員は、「申立人の苦痛は非常に深刻なのに、あいテレビはまったく気づいていなかった。その乖離に非常に戸惑った。あいテレビには、申立人とはなんでも言い合える関係であるという過信があったようだ。心の内は外からうかがい知ることはできないことを肝に命じておくことが重要である」と述べた。
國森委員は、「多数意見では構造的な問題点を指摘した上で、今後のよりよい制度作りに向けた取り組みを放送局に対して要望し、また、放送業界全体における改善も期待している。その点においては賛同している」と前置きしたうえで、「ただ、ハラスメントとは本人の意図とは関係なく、その言動が相手を困らせ傷つけるものであるという観点から、本件には人権侵害があったと考えた。審理対象期間外であるが、背中のファスナーを他の出演者から下ろされるようなシーンなどもあり、申立人が性を売りにして世を渡るような人物であるかのように、過度に人格に性的な要素を結びつけてイメージを損なった。本人も性的な表現に同意や承諾をしておらず、かなり悪質だ」と、結論に至った理由を説明した。

<質疑応答>
(質問)
申立人、被申立人双方の受け止めは?
(曽我部委員長)
申立人は委員会決定に不満だと述べた。放送局に苦痛を何度も伝えてきたのに委員会決定にそれが反映されていないというのは事実認定としておかしい、というのが申立人の言い分。本件の問題の深刻さに委員会が一定の理解を示しているというのはわかるが、結論として問題がないというのはあいテレビのやり方を認めることになってしまうと懸念していた。あいテレビは、委員会決定を真摯に受けとめていることと、体制についてはすでに一定の見直しを行い、相談体制やジェンダーバランスに関しても社内の意識を高め取り組みを進めていることをコメントした。

(質問)
2022年3月に番組が終了したことは本件と関わっているか。
(曽我部委員長)
大いに関係している。2021年11月に申立人が番組プロデューサーに悩みを伝え、降板すると申し出た。番組は開始当初から出演者3人でやってきたため申立人だけが降板するのではなく、番組自体を終了しようという判断となった。

(質問)
これを機に、委員会や委員長として、深夜番組について何か意見を出すようなことは考えているか。
(曽我部委員長)
民放連、あるいはNHKの放送基準には性的な表現についての規定があり、それに則って番組は作られている。委員会として「ここまでは許される、ここからはNGだ」ということを一概に言うということは難しく、行わない。

(質問)
あいテレビのジェンダーバランスについて、考査体制の点からお考えがあれば。
(曽我部委員長)
今まで女性が0だったのを1人入れたからもうそれでよい、というのではなく、実質的にジェンダーバランスが確保されるような、そういう体制を目指すことが重要だと思う。

(質問)
あいテレビは、申立人に対して謝罪を行ったか。
(曽我部委員長)
きちんとした形で謝罪したということにはなってない。
(二関委員長代行)
本人があいテレビ側との接触を嫌がったこともあり、コミュニケーションがお互い取れないような状態で現在に至っていると理解している。

(質問)
本件番組の表現について、あいテレビは現在どのような認識でいるのか。
(曽我部委員長)
まったく問題がないという言い方ではなかったが、ただ、番組は6年間続いており、基本的には他愛のないトークが繰り広げられる中で時々下ネタや性的な言動があるということで、「全体を見てほしい」ということを強調していた。

(質問)
少数意見の中に、申立人がプロデューサーへの不満等を伝え、それに対して、プロデューサーから「真意確認」というメール返信があったという記述があったが、多数意見ではまったく触れてはいない。これは委員会として、客観的な証拠として確認できなかったということか。
(二関委員長代行)
客観的に判断できる範囲で判断したというのが多数意見のスタンス。少数意見で言及しているが多数意見では言及していないのは、そのメールが資料として提出されてないからであり、そのため特に触れていない。
(國森委員)
委員会に証拠を提出することは義務付けられず、委員会では証拠調べはしないという制約がある中で、何に重きを置くかということを考えた。記述内容は具体的で信憑性があるとみた。双方の主張に争いのない部分で判断するというより、争いのある部分にこそ申立人が訴えたい問題があるのではないか。今回は、さまざまなものを犠牲にして訴えた申立人の方に重きを置くべきだと思った。

(質問)
「真意確認」というメールの資料提出を、例えばあいテレビに求めるような対応はできなかったのか。
(曽我部委員長)
例外的な場合を除き、基本的に委員会が資料提出を求めることはない。今回は求めていない。

(質問)
本件について人権侵害や放送倫理上の問題を判断するうえで先例やガイドラインはなかったという理解でよいか。
(曽我部委員長)
本件で直接参照できる先例やガイドラインがあったとは認識していない。そのため、委員会でどういう枠組みで判断するのかということを相当議論した。
(二関委員長代行)
ハラスメント関連の法律や厚労省のガイドラインなどは職場環境を害する言動を広く含むものとしてセクハラを定義したセクハラ防止のためのルールであるため、本件には当てはまらないと委員会で議論し、独自の基準を立てた。パワハラなどに関する実際の裁判例なども参考にした。

(質問)
少数意見で、申立人のファスナーを他の出演者が下ろすことなどの記述があったが、あいテレビが気づけたかということとは別に、そのようなシーンを放送することは性加害と視聴者に受けとられかねず、その点で人権侵害とは考えられなかったか。
(曽我部委員長)
当該シーンは背景事情として考慮しているが、直接の審理対象ではない。職場で行えば犯罪だと思うが、番組の場合、演出なのかどうかということがわからない部分がある。当時の申立人のブログ等では積極的に本件番組を宣伝していたし、ファスナーのシーンも比較的肯定的にブログに書いていた。そこからすると、あいテレビは気づかなかっただろうというのが委員会の考えである。他方で、行き過ぎた性的表現を放送するということ自体は、もちろん、放送基準の問題が発生するが、問題か否かの判断は一概にはできない。
(二関委員長代行)
申立人は、お尋ねのシーンの収録時にカメラを向けられてニコニコしている自分の写真を、自分からブログにアップしており、委員会ではこのシーンの位置づけが曖昧だと議論し、申立てから遡って1年以内の放送ではなく審理対象でもなかったので多数意見では触れなかった。

以上

2023年2月14日

「ペットサロン経営者からの申立て」通知・公表の概要

[通知]
2023年2月14日午後1時からBPO会議室において、曽我部真裕委員長と事案を担当した鈴木秀美委員長代行、野村裕委員、少数意見を書いた二関辰郎委員長代行が出席して、委員会決定を通知した。申立人本人と、被申立人の日本テレビからは取締役執行役員ら4人が出席した。
曽我部委員長がまず、本件放送に人権侵害は認められず、放送倫理上も問題があるとまでは言えないと委員会の判断を示したあと、今回は、当事者への直接取材が実現しないまま放送したことについて、直接取材の重要性を認識するよう求める要望が付いたこと、さらに、放送倫理上問題があるとする少数意見が付いたことを伝えた。
申立人の「犬を虐待死させたと印象付け、事実に反する放送で名誉を侵害された」とする主張については、放送内容そのものは申立人の社会的評価を低下させるものだが、公共性・公益目的性・真実相当性が認められるため、人権侵害は認められなかったと述べた。
また、申立人本人に直接取材しなかったことについては、当事者への直接取材は大原則だが例外もあり、本件では、直接取材実現に向けた申入れ、ホームページに掲載された申立人のコメント紹介、複数の関係者からの取材内容などの諸事情を総合的に評価すると「放送倫理上の問題があるとまでは言えない」との判断に至ったことを説明した。ただし、この点については、日本テレビに対して直接取材の重要性をあらためて認識して今後の番組制作に当たるよう求める要望が付いたこと、さらに、3人の委員が「放送倫理上問題あり」とする少数意見を付記したことを改めて説明した。
続いて野村委員が、「委員の間でなかなか意見がまとまらず激しい議論の末、多数意見に落ち着いた」と委員会の審理では白熱した議論が展開されたことを伝えた。
鈴木委員長代行は、委員会決定の法律的な部分を、委員長の説明とは言葉を変えて、かみ砕いた表現で双方に伝えた。
続いて、少数意見を書いた二関委員長代行がその内容を説明した。二関委員長代行は、人権侵害がないという結論は多数意見と同じだが、放送倫理上の問題についての結論は異なり、本件を直接取材がなくても許される例外ケースと認めて良いかどうか検討した、と述べた。日本テレビは「特段放送を急ぐ事情はなかった」と言いながら、直接取材を申し入れた後、実質半日程度しか待たずに放送している。放送時点で、申立人が取材を拒否したと判断できる事情があったとも言えない。また、多数意見は「複数の関係者から迫真的な告白を含む取材をしていた」とするが、シャンプーに居合わせた関係者は犬の死亡について自分たちも非難されかねず、責任を他者に転嫁したい動機がある立場だったと言えなくもない。さらに、日本テレビの取材を受けた関係者は、申立人と相対する犬の飼い主から辿り着いた関係者で、別ルートの関係者への取材は行われていない。そうした事情を考慮すれば、本件が、直接取材がなくても許される例外ケースとは認められない。したがって、放送倫理上の問題があるという結論に至ったと述べた。
この決定を受け申立人は「犬を虐待したということだけはありえないです」と訴えた上で、委員会の審理に対し「ありがとうございました」と述べた。
日本テレビは「要望と少数意見を真摯に受け止めます。少数意見が3委員になったことも重く受け止めます」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見し、委員会決定を公表した。放送局と新聞社など合わせて22社から32人が出席した。テレビカメラの取材は当該局の日本テレビが代表取材を行った。曽我部委員長はパワーポイントを使って報道陣に決定の内容を説明した。この中で曽我部委員長は「申立人への直接取材がなされなかったことが、放送倫理上どう評価されるのかが論点だった」と述べ、この部分を丁寧に説明した。
野村委員は、直接取材がなくても許される例外ケースについては、委員の間でも考え方に幅があったとした上で、「一般的にはどういったことが考慮要素になるのか深く議論し、本件に即して今回の多数意見に至った」と説明した。
鈴木委員長代行は「日本テレビは2021年の1月26日に取材を始めて、28日の朝に放送した。私たちが一番気にしたのは、この時間経過の中で本人取材はできなかったのか、ということだ」と述べた。
二関委員長代行は「直接取材がなくても許される例外ケースについて、例外のあてはめのところで多数意見と少数意見が分かれた」と述べ、「例外はあくまでも例外。あまり緩く認めたら原則と例外がひっくり返ってしまうこともあり得る。多数意見は緩すぎるのではないか」と放送倫理上の問題ありとした少数意見を説明した。

<質疑応答>
(質問)
日本テレビの受け止めは?
(曽我部委員長)
少数意見を含めて委員会の指摘を重く受けとめて番組作りに活かしていきたい、というコメントがあった。

(質問)
申立人にコンタクトを取ってから半日しか待たなかった。それが例えば1日、2日待てば、レスポンスがなくても、十分尽くしたと言えるのか。コロナ禍であっても、直接、取材に行くべきだったと言うのか。今回のケースでどこまでやったら取材が尽くせたと言えるのか。
(曽我部委員長)
なかなか難しいところで、単純に時間だけではない。諸事情を考えるべき。他のアプローチも、諸事情を考えて、できることはやったと言えるかどうかという個別判断になってくると思う。

(質問)
局として半日しか待てない事情があったのか。
(曽我部委員長)
日本テレビ側は、実際のところは放送時間との関係があったと思う。ただ、日本テレビは「その日に放送しないといけないという差し迫った事情はない」と説明しているので、両面あったのかなと思う。
(野村委員)
コロナに言及があったので誤解のないように申し上げるが、ここでいう直接取材というのは、対面という意味での直接ではない。遠隔の方法でも、動画での通話とか電話でもよかった。それらを含めた直接取材という意味。直接会わなければいけないという意味ではないという点を補足しておく。
(曽我部委員長)
一般論として、リモート取材と直接対面での取材、あるいは現地を見ての取材とは違うかと思うが、今回はそこまで意識されていない。直接取材と言うのはリモートでも構わないという認識だった。

(質問)
本人取材が免除されるかどうかの論点、多数意見と少数意見で一番評価が分かれたのはどこか。
(曽我部委員長)
多数意見は、他の取材で確度の高い情報が得られていたことを重視した。しかし、本人に言い分を述べる機会を設定するということと、他でちゃんと取材ができているということは別の話という考え方もできる。そのあたりが少数意見と多数意見の一番大きな考え方の違いかと思う。

(質問)
多数意見は、他の取材で補完し得るという立場で、少数意見は、本人取材には代えられないということか。
(曽我部委員長)
端的に言うとそういうことになる。

(質問)
「問題があるとまでは言えない」という結論で会見を開く理由は。
(曽我部委員長)
BPOの活動についての透明性の確保、また活動を広く知ってもらうために、結論に関わらず会見は行う。

(質問)
今回の少数意見は10分の3ということだが、これまでは6対4みたいなことはあったのか。
(曽我部委員長)
私の記憶では、6対4ということは記憶になく、3人の少数意見というのは比較的多いという印象だ。そういう意味では意見が割れたケースの1つだと思う。
(事務局)
少数意見の人数は、前回の77号が少数意見2人、76号も少数意見は2人だった。
(曽我部委員長)
少数意見が2人というのはあるが、3人はかなり珍しいと思う。

(質問)
申立人の反応は。
(曽我部委員長)
申立人にとっては望ましい結論ではなかったが、冷静に受け止めていただいたと思う。おっしゃっていたことは「とにかく真実を伝えたかった。虐待はしていないということを伝えたかった」ということ。直接取材がなかったことに関しては、申立て以前の日本テレビとの交渉でも謝罪を求めたが得られず残念だったと。あと、少数意見については評価されていた。

以上

2022年1月18日

「宮崎放火殺人事件報道に対する申し立て」通知・公表の概要

[通知]
2022年1月18日午後1時からBPO会議室において、曽我部真裕委員長と事案を担当した鈴木秀美委員長代行、水野剛也委員、少数意見を書いた二関辰郎委員長代行が出席して、委員会決定を通知した。申立人本人と、被申立人のNHKからは宮崎放送局長ら2人が出席した。
曽我部委員長がまず、「本件放送には人権侵害も、放送倫理上の問題もないというのが結論です」と委員会の判断を示したあと、「ただし今回は、放送倫理上問題があるとする少数意見がついています」と決定の全体像を伝えた。  
申立人の「兄にも何らかの非があるかのような表現によって兄の尊厳が傷つけられ、ひいては申立人の人格的利益をも侵害した」とする主張については、委員会は敬愛追慕の情の侵害の主張と捉え、裁判所の判断基準に則って総合的に判断した結果、許容限度を超える人権侵害はなかったとの判断に至ったと説明した。
また「何らかの金銭的なトラブル」との表現を使ったことについて、被申立人であるNHKは、複数の捜査関係者に裏づけ取材を行った上で警察の認識として伝えており、さらに2人が死亡した住宅火災は放火殺人事件である可能性が高まったとするニュースには高い公共性と十分な公益性があるため、放送倫理上の問題もないと判断したと述べた。
ただし「トラブル」など、多様に受け取られる可能性のある言葉は、使用するにあたり注意が必要だろうと付け加えたこともあわせて説明した。
続いて水野委員が、申立人に対し、「トラブル」など、放送で日常的に使われる言葉について、多様な受け止め方があることを示し注意喚起できたことはこの申し立ての意義があったと受け止めてほしいと述べた。
鈴木委員長代行は、人格的利益の侵害については、裁判所の判例に基づいて一般の視聴者の普通の視聴の仕方で放送全体を見て判断するので、こういう結論になったが、委員9人中2人が、放送倫理上問題ではないかとの少数意見を示しており、私も考えさせられたと述べた。
次に委員長が、「委員会全体としての判断とは別に、委員個人が異なる意見を述べるのが少数意見です」との説明を行った上で、二関委員長代行が少数意見について説明した。
二関委員長代行は、人格的利益の侵害という法的責任に関する判断については、最高裁判所の考え方に従って一般的な視聴者の視点で捉えるのが正しいが、放送倫理上の問題を考えるにはその基準を用いない方が妥当な場合がある。次々に変化していくテレビの画面について、受動的な視聴者とは異なり、放送局は予めそれらを準備する立場なので、それがどのような受け止め方をされるかを、十分に考えた上で番組を作るべきだと思う。その上で「2人の間に何らかの金銭的なトラブルがあった」という表現を考えると、この表現によって、容疑者が何の落ち度もない被害者を一方的に殺害したわけではなさそうだな、と一部の視聴者に受け止められる可能性のある放送になっていたと言える。容疑者の過去の同種前科に触れない配慮をしたのは一つの見識だが、その配慮をするのなら、同様に被害者の人権への配慮があって然るべきだったのではないか。そういったことなどから放送倫理上の問題があったのではないかと考えたと説明を行った。
この決定を受け申立人は「長い時間と多くの労力をかけていただき感謝します」と発言したあと、NHKの報道姿勢と視聴者対応に対する強い不満を表明した上で、「裁判所の判決のような決定で、もっと放送倫理的な方向に振って欲しかった」との意見を述べた。
NHKは「放送したニュースに問題はないとの主張が認められたと受け止めています。今後も人権に充分配慮しながら報道していきたい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見し、委員会決定を公表した。放送局と新聞社、民放連合わせて19社1団体から27人が出席した。テレビカメラの取材は当該局のNHKが代表取材を行った。通知と同じく、曽我部委員長が決定の結論とそこに至る考え方を説明した上で、最後に記した注意喚起について、「トラブルという言葉は、最近意識してニュースを見るようになったが、非常によく使われている。場合によっては思わぬ受け取られ方をすることもあるので、決まり文句や常とう句のようなものとして、安易に用いないようにする必要があろう」と付言した委員会の思いを述べた。
水野委員は、今回の決定は「問題なしの見解」であり、これまでに17件の同種の見解が出ているが、その中で少数意見がついたのは初めてである。その理由は「トラブル」という言葉の幅が大変広いからで、委員のなかでも異なる意見があった。送り手側が特段の意味を込めなくても、そうではない受け取り方をする人が一定数いることを意識した方が良いと述べた。
鈴木委員長代行は、当事者2人がともに死亡し真相が分からない中で、申立人は警察や報道機関がなぜもっと調べてくれないのか不満を持ちながら、自ら調査していた。8か月後にようやく真相に迫る報道があるのかと期待していたところ、自分は聞いたことがない兄にも非があるかあるかのような報道がなされ、期待が裏切られたと感じたのではないか、と申立ての背景を紹介した。
二関委員長代行は、「何らかの金銭的なトラブル」という言葉の受け止め方について、「トラブル」はそれだけを取り出すと確かに曖昧で中立的ではあるが、「2人の間に何らかの金銭的トラブルがあった」と言う場合は、2人ともそのトラブルの存在を認識している場合を指し、どちらか一方がその存在すら認識していない場合は含まないのが一般的ではないだろうか。その結果、本件は被害者が気づかないうちに金銭がとられるなどの一方的な犯罪行為ではなく、被害者である申立人の兄がよほど恨みを買うようなことをしたのではないか、と一部の視聴者が受け止める可能性があるものになっていたと考えられる。放送局にはそこまで考慮した高度な倫理性が求められるのではないかと、放送倫理上の問題ありとした少数意見を説明した。

<質疑応答>
(質問)申立人、被申立人双方の受け止めは?
(曽我部委員長)
申立人は、BPOに対しては審理への感謝を表明した上で、判断内容については「裁判所のような判断であり、もう少し放送倫理に踏み込んだ判断をして欲しかった」と述べた。放送局に対しては、強い言葉で批判を述べた。その背景には、2人が亡くなる重大な事件であるのに長い間続報がなく、8か月たってようやく報道された内容は、警察の発表通りで期待外れなものだったということがあると思われる。
NHKは、「主張が認められ感謝すると共に、今後も人権に配慮した報道をしていきたい」と述べた。

(質問)以前はよくあったような報道内容だが、報道機関に対する社会の見方が変わってきたというような議論は審理の中であったのか?
(曽我部委員長)
その点を直接議論はしなかったが、委員の問題意識、認識としてはあったと思う。今回のケースは広く社会の耳目を集めるものではなかったが、事件報道の観点からいうと重要な問題提起をするものだと考えている。事件報道の実務に関し、今まで当たり前だと思われていたことについて、全国の放送局や新聞社に考えていただきたい題材を提供するケースだったというのが、委員の共通認識だと思う。

以上

2020年3月30日

「リアリティ番組出演者遺族からの申立て」通知・公表の概要

[通知]
2021年3月30日(火)午後1時から千代田放送会館2階ホールにおいて、奥武則委員長と事案を担当した曽我部真裕委員長代行、廣田智子委員、補足意見を書いた水野剛也委員、少数意見を書いた國森康弘委員、二関辰郎委員の6人が出席して、委員会決定を通知した。申立人本人と代理人弁護士、被申立人のフジテレビからは編成制作局コンテンツ事業センター局長補佐ら3人が出席した。
はじめに奥委員長が、放送人権委員会の判断の対象はあくまで「放送」であり、Netflixでの先行配信などは関連して取り上げることになると説明した上で、委員会の決定を伝えた。「人権侵害については3点の判断を行った」として、「①本件放送自体による、視聴者の行為を介した人権侵害」については、人権侵害があったとまでは断定できないと述べた。「②自己決定権及び人格権の侵害」については、自由な意思決定の余地が事実上奪われているような場合には当たらず、自己決定権等の侵害は認められないとした。また、申立人が主張する「③プライバシー侵害」も、木村氏は撮影されることを認識し認容していたことなどから、違法なプライバシー侵害であるとは言えないと説明した。一方、放送倫理上の問題については、「Netflixでの配信を契機に木村氏に対する誹謗中傷が起こり、自傷行為に至るという深刻な事態が生じていたところ、本件放送を行うとする決定過程で、出演者の精神的な健康状態に対する配慮に欠けていた点で、本件放送には放送倫理上の問題があった」とした。これに関連してドラマなどのフィクションとは違い、視聴者の共感や反発が生身の出演者自身に向かうことになるというリアリティ番組の特殊性についても言及した。決定文の最後に「放送界全体が本件及び本決定から教訓を汲み取り、木村花氏に起こったような悲劇が二度と起こらないよう、自主的な取り組みを進めるよう期待する」と記したことは、放送人権委員会としては異例のことであり、ぜひその真意をくみ取ってほしいと締めくくった。
続いて、曽我部委員長代行が補足説明し、「人権侵害と放送倫理上の問題では、判断の基準が違う。番組そのものに違法性がない場合、人権侵害を認めるのはハードルが高い」と発言した。
続いて、水野委員が補足意見の意図について述べ、少数意見を書いた國森委員、二関委員が自身の意見の要点を説明した。
決定を受け、申立人は「娘本人がこの場に不在のため、事実を証明することが難しく悲しい」と発言。フジテレビは「今回の委員会決定を真摯に受け止め、今後の放送と番組作りに生かしていきたい」と述べた。

[公表]
午後3時から紀尾井カンファレンス・メインルームで記者会見を行い、委員会決定を公表した。29社50人が取材した。テレビカメラの取材は、在京局を代表して当該局のフジテレビ、そのほかTOKYO MXが行った。出席委員は奥武則委員長と事案を担当した曽我部真裕委員長代行、廣田智子委員、補足意見を書いた水野剛也委員、少数意見を書いた國森康弘委員、二関辰郎委員の6人。
まず、奥委員長が判断部分を中心に、決定を説明した。続いて、曽我部委員長代行が、「決定文の最後に、放送界全体へのメッセージを織り込んだ。通常は対象となった放送局に向けて要望を述べるのだが、この案件は放送界全体で考えてもらいたいという気持ちが込められている。また、木村氏の自傷行為後のケアについて、フジテレビの責任ある役職者と現場の間で情報共有や協議がなされていなかったという問題はあるが、制作スタッフは現場としてできることを懸命にやっていたと思う。さらに判断の内容の補足となるが、いずれも花さんへのケアの問題に焦点を当てながら、人権侵害と放送倫理上の問題で異なる見解を出した理由は、判断の基準が違うということ。番組そのものに違法性がない場合、人権侵害を認めるのはハードルが高い」と説明した。廣田委員は本事案の審理の難しさについて「委員会で議論を重ね、悩んで、考えて、今回の結論に至った」と述べた。
続いて、水野委員が補足意見を書いた意図について話し、さらに、少数意見を書いた國森委員、二関委員が、委員会決定との差異を中心に自身の意見の要点を説明した。
その後行われた質疑応答の主な内容は以下のとおり。

(質問)
番組と木村花氏の死の因果関係をどう考えているのか。また、木村氏のケアに関連してコロナ禍について触れているが、コロナだったら自傷行為をした後、放っておいてよいというのか。また、この案件について放送倫理検証委員会と合同で議論する余地はなかったのか?
(奥委員長)
番組と木村花氏の自死との因果関係はわからない。テレビ局も自死を予見することはできなかったと思う。番組スタッフも木村氏を放っておいてよいとは思っていなかったはずだ。決定文ではコロナ禍との関連について、緊急事態宣言が発出されていたため木村氏のケアに物理的な制約があったことを指摘している。
BPOの3委員会はそれぞれ独立して活動しており、委員会に付与されている役割も違う。放送倫理検証委員会は、申立て制を取っている放送人権委員会とはまったく違う角度から放送番組を検証する役割だと理解している。簡単に合同委員会を開いて、ということにはならない。
(曽我部委員長代行)
番組と木村花氏の自死との因果関係については、委員会は判断していない。ただ、ケアをする責任はあるということで、それが十分だったかどうかに焦点を当てて議論した。コロナに関しては二つ影響があったと考える。一つはケアに関し制約があったということ。精神科医の受診ができなかったことや、テラスハウスに同居していれば日常的なサポートができたはずがコロナの関係で収録が中断しており出演者は自宅へ帰っていた。もう一つ、本業であるプロレスの興行ができなかったことが木村氏に与えた影響は無視できないと思う。

(質問)
今回はNetflixでの先行配信がきっかけで木村氏への誹謗中傷が起こったわけだが、番組以外の理由で木村氏への誹謗中傷が起きていた場合も、フジテレビは放送倫理上の問題を問われるのか?
(曽我部委員長代行)
今回については、先行配信があって自傷行為があり、そのケアの問題に焦点を当てたのだから、先行配信が無ければ責任は生じないというのが基本だと考える。前提として、BPOは、適法な内容の番組放送に関する第三者の誹謗中傷への責任をテレビ局が負うことについて否定的な立場を取っている。ただ、特殊な事情があれば、またその時に判断することになると思う。

(質問)
現在BPOは、放送されていない番組は扱わないという規則で運営されているが、最近は、スピンオフ作品を配信のみで流すという形が浸透している。放送局の自主自律を守っていく上で、今後、“放送はされていないが局が制作したコンテンツ”にどう対応していくか、見解をうかがいたい。
(奥委員長)
委員会は、現行の運営規則に則って審理しているが、BPOという組織そのものが新しい状況にどう対応するかという課題はあると思う。
(曽我部委員長代行)
運営規則にある委員会のミッションは、われわれ委員が決めているわけではない。BPO全体、ひいてはNHKと民放連で考えていくべき問題だと思う。

(質問)
木村氏の自死について、フジテレビから親子関係が要因の一つであったような発言があったとのことだが、具体的に教えてもらいたい。
(廣田委員)
ヒアリングではなく委員会への提出書類の中で、いろいろな背景事情の一つとして親子関係が挙げられていただけで、フジテレビが親子関係を自死の原因として主張しているわけではない。

(質問)
今回の審理を振り返って、難しさを感じた点があればうかがいたい。また、ヒアリングの規模感や難航した点があれば教えてほしい。
(奥委員長)
本来の当事者とも言うべき木村花氏が亡くなっていることに一番の難しさを感じた。
当委員会は、基本的に書面を提出してもらい、それに基づいて当事者にヒアリングするというやり方を採っている。調査対象を広げて大勢に話を聞くという仕組みにはなっていない。しかし今回は、フジテレビの社員だけでなく制作会社のスタッフにもヒアリングし、申立人側では木村氏のケアに当たったプロレス仲間の方二人にも協力していただき話を聞いた。
(曽我部委員長代行)
放送人権委員会は、普段は名誉毀損やプライバシー侵害を審理していて、申立人と放送局側の当事者の意見を聞くという意図で手続き等が定められている。そこが放送倫理検証委員会と違う点で、放送局のさまざまな立場の方に多数ヒアリングすることは想定していない。

(質問)
決定は、放送局の対応について、例えば放送を見送ることや内容を差し替えるなどの編成上の問題には踏み込んでいないが、そのような視点での議論はされなかったのか。
(奥委員長)
放送することを前提に、こうすべきだったと指摘しているわけではない。自傷行為以降、地上波放送にいたるまでの間に、ケアが十分であればもっと違う対応もあったのではないかということだ。放送するか否かは放送局が決めることであって、われわれ委員会は「放送を中止すべきだった」「内容を差し替えるべきだった」というようなことを言う立場にはない。

(質問)
制作の現場と制作責任者との間の意思疎通のあり方に問題があったと指摘しているが、制作会社とフジテレビの間で意識の違いはあったと思うか。また、放送決定にいたる過程で、現場と責任者の間に温度差があったのか知りたい。
(奥委員長)
意思疎通のあり方の問題点とは、自傷行為があった時点で、フジテレビ本体に情報を伝えて、どう対応するかを議論・検討すべきだったのではないかということを指している。また、放送決定に至る過程でどのような議論がされたか不明だ。ヒアリングで、放送するか否かの判断について温度差があったか等については浮かび上がってこなかった。

以上

2020年11月16日

「一時金申請に関する取材・報道に対する申立て」に関する委員会決定の通知・公表の概要

[通知]
(2020年)11月16日午後1時からBPO会議室において決定通知が行われた。委員会からは、奥武則委員長、担当した二関辰郎委員、國森康弘委員、及び補足意見を書いた市川正司委員長代行が出席した。
申立人側は代理人のみが出席し、申立人本人は高齢であることや体調の問題等により出席できないとの説明があった。札幌テレビからはコンプライアンス担当の取締役、局長が出席した。
奥委員長から「決定の通知は、申立人と被申立人に同じ決定を同じ席で伝えることが重要だが、今回はご本人の体調に配慮して委員会としても異例の判断をした」と申立人本人不在での決定通知開催について説明した。
次に決定の内容について奥委員長から概略次のような説明があった。
「結論としては人権侵害の問題はなく、放送倫理上の問題も認められない。
人権侵害、名誉毀損について言えば、社会的評価が低下したかどうかが入り口となる。本件放送は、国に対する損害賠償請求訴訟を起こしていた申立人が、新しくできた法律に基づいて一時金を請求したことをニュースにしたもの。一般的にこのニュースを見た人が申立人に対する社会的評価を低下させることはない。一方で、新しくできた法律に批判的であった申立人が一時金を申請したことで、申立人の従来の見解を知っていた人から見れば考え方を変えたのではないかとみられてしまう可能性があり、社会的評価を低下させるというのが申立人の主張。しかし、本件放送は一時金支給法の問題点を鋭く追及しているし、申立人が悩みながら申請したということも伝わっており、社会的評価を低下させることにはならない。
放送倫理上の問題は、申立人が申請をするにいたるまでに、記者からの働きかけがどの程度あったのかということ。ヒアリングなどを通じて取材の経過を考えると、基本的には申立人に一時金申請をするという意図があり、記者の働きかけによって申請をしたとは認められないと判断した。それ以外にも事実を歪めるなどの内容も認められない。ということから放送倫理上の問題は認められないと結論付けた。法律専門家の援助を受ける権利等についての判断などは二関委員から説明する。」
二関委員からは以下の通りの発言があった。「繰り返しになるが、人権侵害については、申立人がどういう人なのかという前提知識がなかった人と、あった人の二段構えで判断した。いずれにせよ社会的評価の低下はなかったと判断した。
法律専門家の助言を受ける機会を奪われたという主張については、放送にいたる前の事情なので、基本的には当委員会では取り上げないというルールがある。記者による働きかけについても同様だが、今回は後者を取り上げ、法律専門家に相談する機会の問題はそのことに関連するので、その際にまとめて検討した。
放送倫理上の問題も、ある意味では二段構えと言える取り上げ方にしている。本件放送を見る限り、申立人が不本意ながら申立を行っているようには見えない。ただし、我々はそこだけでは検討を終えずに、放送に至るまでの経緯も検討対象とし、その点に関する双方の対立する主張の中から、共通して認められることをさぐった上で判断している。そのような過程を経てこの結論に至った。」
続いて補足意見を書いた市川委員長代行から以下のような説明がなされた。「結論は決定通りだが、今回の議論の中には一般論としても今後の参考になる点があり、掘り下げて述べておくのが良いと考えて補足意見を書いた。
今回の取材は、過去のことではなく、現在進行中のことを取材しており、その過程で、取材対象者が自ら選択し行動することに取材者がどこまで関与するのかは検討すべきこと。申立人が自ら行うことを記者が代わって行っているが、これが取材対象者との関係で踏み込みすぎと言われかねないものであるということを指摘している。今後の糧になると考えてここに掲載した。」
これに対し、申立人の代理人からは特に発言はなく、STVからは「概ね当社の主張が認められた。今日の内容は今後の取材活動に生かしていきたい」との話があった。

[公表]
同日午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見が行われ21社28人が出席した。
奥委員長、二関委員、市川代行からは概ね通知と同様の内容が公表された。國森委員からは弱者に寄り添うという同じ方向を向いている弁護団と記者が相対するのは悲しいこと。申立人を含めて三者がもっと密にコミュニケーションがはかれたらよかったと感じている。」という発言があった。

以上

2020年10月14日

「大縄跳び禁止報道に対する申立て」
に関する委員会決定の通知・公表の概要

[通知]
2020年10月14日午後1時からBPO会議室において、奥武則委員長と、担当した水野剛也委員、紙谷雅子委員が委員会決定を通知した。
申立人本人と、被申立人のフジテレビから本件番組の責任者らが出席した。
はじめに奥委員長が「本件放送に人権侵害、また放送倫理上の問題があったとは判断できない」と結論を伝え、その上で「ただし、申立人のように取材・報道に不慣れな者が予期せず声をかけられる種の街頭インタビューでは、誤解やトラブルを招かぬためにも、放送局名・番組名はもとより、取材の趣旨などを取材に際しては可能な範囲で説明し、かつ撮影した映像等の使用について本人の意向を明確に確認しておくことが望ましい」と結論には注文がついていることを述べた。その後決定文に沿って説明した。まず判断の前提となった申立人と被申立人との対立点が取材の経緯と申立人本人の発言内容の2点であり、この対立点は双方から完全に言い分が異なる主張としてなされている、と指摘した。双方の主張についていずれかが明らかに整合性を欠いていた訳ではなく、委員会としては各種書面やヒアリングの結果「申立人の主張する事実があったとは認定できない」としたと述べた。それらを総合的に判断した結果、「人権侵害、また放送倫理上の問題があったとは判断できない」という結論に至ったと説明した。また、編集のありかたについて、より慎重な姿勢を望む意見が付記されていることも説明した。
水野委員は、「放送人権委員会決定第24号(2004年)を引用しているが、『カメラに向かってインタビューに応じることは放送についても承諾している』とする第24号決定は、SNSの普及や個人情報保護の観点から、現在ではすべての取材に一律に適用できない、とこの決定文に記した。申立人からすれば人権侵害や放送倫理違反が認められなかったことは不本意かもしれないが、今後の街頭インタビューの方法などについて改善が期待できる」と述べた。紙谷委員は「実際の映像を見ると、切り張りされていたり何かがすごく強調されていたりした訳ではない。妥当な部分を編集して放送したと考えた。その上で人格権の侵害があったと判断できない、とした」と述べた。
申立人は「そもそも自分の考えとはまったく反対の意見が放送されたことで申し立てたが、認められなくて不本意だ」と述べた。
被申立人のフジテレビは「我々の考えが理解されたと考えるが、その一方で指摘された取材の在り方については真摯に受け止めたい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館ホールで、奥委員長、水野委員、紙谷委員が記者会見を行った。取材したのは22社33人。

(奥委員長)
結論として人権侵害も放送倫理上の問題も認められない。判断のグラデーションとしては「問題なし」に当たる。

(水野委員)
今後のインタビュー取材の在り方において一つの基準となる判断なのではないか。人権委員会の判断としては「問題なし」だが、今後の街頭インタビュー取材についてこの種のトラブルが生じた時の指針となると考えた。

(紙谷委員)
今回の場合、申立人は具体的な人権侵害ではなく「本来ではない自分」を放送されたと主張したので、人格権という観点で審理した。総合して考慮した結果、「人格権の侵害があったと判断することはできない」としたが、結論で述べているように取材時の丁寧な説明が望ましい。

質疑応答の概要は以下のとおり。

(質問)
申立人の年齢は?

(奥委員長)
申立書に年齢を記載する欄がないので把握していない。

(質問)
今後の取材の在り方が変化していくのではないか?

(奥委員長)
基本的なことをしっかりやっていただきたい、ということに尽きる。

以上

2020年6月30日

「オウム事件死刑執行特番に対する申立て」に関する
委員会決定の通知・公表の概要

[通知]
2020年6月30日午後1時からBPO会議室において、奥武則委員長と、担当した曽我部真裕委員長代行、松田美佐委員が委員会決定を通知した。
申立人本人と代理人弁護士、フジテレビから本件番組の責任者らが出席した。
はじめに奥委員長が「ヒアリングなどを通じて申立人の心情は理解したが、委員会は、あくまで放送番組によって人権が侵害されたのか、それに関連して放送倫理上の問題があったのかどうかを判断する立場であることを理解して欲しい」と述べた。
そして結論として「本件番組に人権侵害の問題や放送倫理上の問題は認められない」と述べ、委員会の判断を説明した。
まず、本件番組の意義として、戦後犯罪史上屈指の重大事件の首謀者らの死刑が執行されるという極めて公共性の高い出来事を、公益を図る目的によって放送したものであると、判断の前提となる考え方を示した。
そして、シール貼付などの手法については、迅速・正確に最新情報を伝える現実的な手法として必要性・相当性が認められることや、出演した弁護士の発言は、表現として不相当とは言えないこと。また事実関係の間違いのほとんどは実質的に修正されていて、いずれも人権侵害は認められないと説明した。
さらに、極めて公共性の高い出来事を公益目的で放送したものであり、死刑執行をショーのように扱っているとは言えず、放送倫理上の問題もないと判断した、と説明した。
そのうえで3人の委員が補足意見を述べており、死刑執行をリアルタイムで報じる状況において配慮すべき点について付言していることを紹介した。
曽我部代行は、名誉感情の侵害という主張については、裁判と同じように、故人に対する申立人の敬愛追慕の情が許容限度を超えて侵害されたかどうかで判断した、と補足した。
松田委員は「申立人がどのような気持ちでこの番組を見たかを想像して判断した」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館ホールで、奥委員長、曽我部代行、松田委員が記者会見を行った。取材したのは29社36人。

(奥委員長)
結論として人権侵害も放送倫理上の問題も認められない。

(曽我部代行)
名誉感情の侵害という主張については、故人に対する申立人の敬愛追慕の情が許容限度を超えて侵害されたかどうかで判断した。

(松田委員)
例のない犯罪に関した例を見ない報道番組であり、議論も難しいものがあった。補足意見にあるように、番組はさまざまな立場の人に色々なことを想起させたと思われ、こうした状況での報道の在り方を考えていく必要を感じた。

質疑応答の概要は以下のとおり。

(質問)
シール貼付という手法の必要性・相当性を判断するうえで、ネット上で意見があった視聴者の違和感などについてどのような議論があったか。

(奥委員長)
そうした意見が多数意見だったのかどうかは分からないが、申立人からも関連する資料が提出されたので検討した。
シールを貼る場面については、放送ではそれ自体を強調してはおらず、色々な配慮もしていたことから問題は認められないとの結論になった。

(質問)
ほかの放送局も特番を放送していたが、申立人はこの番組だけを見たということか。

(奥委員長)
申立人はヒアリングでは、ほかの番組にも問題はあると述べていた。

(質問)
「生きているだけで悪影響」という弁護士の発言は強いことばだと思うが、
問題ないとの結論に至った経緯は。

(奥委員長、曽我部代行)
被害対策弁護団の一員、被害者・遺族との関係といった弁護士の立場から述べた発言であり、度を超えたものとまでは言えないと判断した。敬愛追慕の情は、生きている人に対する批判より許容範囲は広いであろうということ、この事件の特異さもある中で、表現として不相当とは言えないという結論になった。

以上

2020年6月12日

「訴訟報道に関する元市議からの申立て」に関する
委員会決定の通知・公表の概要

[通知]
2020年6月12日午後1時からBPO会議室において、奥武則委員長と事案を担当した城戸真亜子委員、廣田智子委員が出席して、委員会決定を通知した。申立人と申立代理人、テレビ埼玉からは取締役と編成局長が出席した。
奥委員長がまず、決定文の結論について「本件放送に名誉毀損の問題及び放送倫理上の問題は認められない」としたうえで、その判断に至る委員会の考えを、申立人の主張する3つのポイントにそって説明した。自分が起こした裁判なのに自分がセクハラで訴えられた裁判であるかのような誤解を招くとする「ニュースのタイトル」については、ニュースの最初から最後までずっと表示されているタイトルスーパーの一部分であり、全体では誤解を招くようなものではないこと。議員辞職のタイミングが第三者委員会のセクハラ認定の後であるかのような時系列表現については、たとえ視聴者がそう受け取ったとしても、ニュース全体では申立人の裁判での主張を正確に伝えており、問題とはならないこと。そして、市議選への出馬に言及したことについては、「あの議員が性懲りもなくまた立候補する」との印象を与えてもいないし、再出馬を伝えることは地元メディアとして当然の責務と言えること。以上の理由から3点について、それぞれ名誉毀損も放送倫理上の問題もないとの結論に至ったと説明を行った。
続けて廣田委員が、結論は問題なしだが、委員会の議論の中では、テレビ埼玉の対応について懸念を示す意見があり、2箇所でそれを付記する形となっていることを説明した。1点目は、時系列表現の問題について、テレビ埼玉が「局所的な表記の問題」と捉えていることで、結果的に誤解が生じなかったから良いというものではなく、より正確な放送を目指すべきであるとの意見。2点目は、申立人側からの訂正要求に対して、一旦は応じる判断をしながら、交渉がうまく運ばず選挙告示前の訂正ができなかったことについて、正確な情報は有権者にとっても重要であり、申立人の納得が得られなくても、躊躇することなく実施すべきだったとの意見であることを説明した。
城戸委員は、放送局は視聴者のことだけではなく、放送でとりあげられる当事者がどう感じるのかも考えて、番組づくりをすることが大事であると述べた。
決定をうけ申立人は「非常に残念です」と述べ、申立代理人も「一般の受け止めではなく、放送される側への影響を理解してほしかった」と付け加えた。テレビ埼玉は、「ご指摘いただいたことを真摯に受け止め、今後の番組作りにしっかりと生かして行きたい」と述べた。

[公表]
 午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見し、委員会決定を公表した。18社25人が取材を行った。テレビカメラの取材は当該放送局のテレビ埼玉に加え、代表取材としてテレビ東京が行った。通知と同じく、奥委員長が決定の結論とそこに至る考え方を説明し、廣田委員が付記した意見の内容と、城戸委員が補足的な説明を行った。

(奥委員長)
結論的には名誉毀損も放送倫理上の問題も認められない。しかし、要望という形は取らなかったが、議論の中で出た委員の意見の一部を紹介する形でテレビ埼玉に考えて欲しいことを伝える決定となっている。
(廣田委員)
 放送は正確であることが基本。たとえ全体的には問題なくても、客観的な事実の訂正はした方がよかった。
(城戸委員)
 大筋正しければ、小さな表現の違いは「まあいいだろう」ではなく、放送される側にとっては、放送は一生に一度のことで、まさのその小さな表現が問題になることを、放送局は意識してほしい。

以上

2020年2月14日

「宗教団体会員からの肖像権等に関する申立て」に関する委員会決定の通知・公表

[通知]
2020年2月14日(金)午後1時からBPO会議室において、奥武則委員長と、事案を担当した市川正司委員長代行と水野剛也委員が出席して、委員会決定を通知した。申立人と、被申立人のテレビ東京からは報道局長ら3人が出席した。
奥委員長が決定文にそって説明し、結論について「プライバシー、肖像権の侵害はなく、放送倫理上の問題もない。しかし、要望はある」とした上で、「アレフの動向を伝えたテレビ東京の番組には、全体としては公共性・公益性があると考える。だが、アレフが団体規制法の観察対象だからといって、申立人個人の人権を侵害してよいということにはならない。個人のプライバシー保護を徹底させることは、放送の目的と何ら矛盾することではなく、両立しうることであり、それは本件ニュースにもあてはまる。今回、申立人の音声の一部が加工されないまま放送されたことを、テレビ東京は編集上のミスであり単なる不体裁と説明しているが、これをプライバシー保護に関わる問題と受け止め、ボカシの濃さや音声加工についての技術的な処理の問題、事前のチェック体制など段取りの問題、プライバシー保護に対する関係者の意識の問題など、種々の観点から再発防止に向けた取り組みを強めることを要望する」と述べた。
続いて、市川委員長代行が補足説明し、「権利侵害はなく、放送倫理上の問題もないという結論となったが、結論に至った過程はテレビ東京の主張とは少し違う。委員会は、一部の人にとってではあるが、”申立人と特定はできた”という前提に立ち、個人のプライバシーがテーマとなるととらえて議論を進めてきた。テレビ東京には、議論の過程をよく理解し、放送局内のプライバシー保護の意識をさらに深めてほしい。番組全体の公益性・公共性があっても、そこに登場する人物のプライバシーをできるだけ保護するという問題は切り分けて対応してもらいたい」と発言。
水野委員は、「決定文をよく読めば、私たちの言いたいことは理解してもらえると思う。委員会の要望や付記された意見を心に留めてほしい」とテレビ東京への期待を述べた。
決定を受け、申立人は「自分の主張を一定程度くみ取ってもらえたと感じている」と発言。一方、テレビ東京は「決定文を熟読し、指摘された点を真摯に受け止め、今後の放送に生かしていきたい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして、委員会決定を公表した。21社32人が取材した。テレビカメラの取材は、当該局のテレビ東京が行った。
まず、奥委員長が判断部分を中心に、「要望あり」の見解となった決定を説明した。続いて、市川委員長代行と水野委員が補足的な説明をした。

その後の主な質疑応答は、大要以下のとおり。

(質問)
テレビ東京は、2014年にアレフを巡る報道で放送人権委員会からプライバシーの問題で「放送倫理上の問題あり」と指摘されたにもかかわらず、今回、同じような事案が起きた。テレビ東京がどの程度、前回と今回のことを深刻に受け止めているか、疑問が残る。前回の事案を踏まえて、委員会が今回「要望あり」とした点について、ポイントを教えてほしい。
(奥委員長)
放送人権委員会決定第52号は、さまざまな点で明らかにアレフ信者のプライバシーへの配慮を欠いたとして「放送倫理上の問題あり」とした。今回の事案とは、問題の質が違うと思う。ただ、同じプライバシーについて、過去に問題となったことがあったことは事実であり、その点は指摘し、考えてもらいたいというのが要望の趣旨だ。
(市川委員長代行)
前回の番組は、青年信者の内心に迫った内容で、放送により明らかになった事実の質が今回とはかなり違う。また今回は、前回とは違い、編集上のミスによって起こったことだ。教団に対して突っ込んで取材することの必要性は委員会も高く評価している。ただ、一般信者のプライバシーを守ると決めたのならば、徹底してもらいたい。その切り分けが中途半端だったいう点は通底する問題かもしれないが、テレビ東京がまったく反省しておらず、再び問題を起こした、というふうにはとらえていない。
既にテレビ東京でも取り組みを行っていると聞いているが、今回の問題をとらえなおして、放送局内で勉強してもらいたい。本日、テレビ東京からも、多くのスタッフで問題意識を共有する考えだという発言があったので、期待している。

以上

2019年10月30日

「情報公開請求に基づく報道に対する申立て」に関する委員会決定の通知・公表

[通知]
放送人権委員会は、2019年10月30日午後1時30分からBPO会議室において、奥武則委員長、起草を担当した紙谷雅子委員と二関辰郎委員が出席して、委員会決定を通知した。申立人の大学教員、被申立人のNHKから秋田放送局長ら2人が出席した。
奥委員長が冒頭「名誉毀損はない。放送倫理上の問題もない」と結論を告げ、その後決定文に沿って説明した。「申立人は大学当局のハラスメント認定について不当性を強く主張していたが、委員会は、放送がある人の人権を侵害したかどうか、それに関わって放送倫理上の問題があるかどうかを検討する場である。大学当局のハラスメント認定が事実に基づいていたか否かを判断する立場にはない。本件放送には男性教員であるということ以外、個人情報は含まれていない。申立人の所属する学部学科にも言及していない。総合的に考えると本件放送によって、広く不特定多数の一般視聴者が男性教員を申立人であると特定する可能性はない。ただし本件放送の中に新しい情報が含まれていて、それに申立人の特定に繋がる情報が含まれていたとすると、問題は違ってくる。具体的には『小中学生でもできる』という表現が放送の中にある。しかし、すでにわかっていた威圧的な言動という情報は、何らかの具体的な言葉か行動を必然的に伴う。この点、『小中学生でもできる』という表現は社会的に是認できる表現ではないものの、そのような言動の具体例として、とりわけ新たに申立人の社会的評価を低下させるものとは考えられない。よって、本件放送は申立人に対する名誉毀損にはあたらない。
次に放送倫理上の問題だが、訓告措置に変更がないかなどメールや電話で大学当局に数回にわたって追加取材を行っている。放送倫理に求められる事実の正確性、真実に迫る努力などの観点に照らして、本件放送に放送倫理上の問題はないという判断に至った」と述べた。
続いて紙谷委員が、「申立人は、大学の決定について非常に力を入れて説明していたが、この委員会のできることの範囲の外であるということは、重要なことだ。委員会は、この放送によって、あなたが実際に名誉毀損されたのかどうか、をポイントに判断した」と述べた。
二関委員は「今回名誉毀損について特定するものではないと判断し、その後の公共性などに入ることなく、この結論に至っている。さらに不特定多数の一般視聴者が特定できないだろうと言った上で、もともと知っていた人たちがどう受け止めるのかということも判断して、社会的評価が低下することはないという結論に至った」と述べた。
決定を受けた申立人は「大学の措置が正しい情報によって判定されているのであれば何も申し上げることはないが、そうではない。その辺の問題を踏まえた上で決定を出すことが、非常に難しいとはわかるが、幾分そこは考慮していただきたかった。残念だ」と述べた。
一方、NHKからは「私どもの説明をご理解いただいたものだと受け止めている。ご指摘のように、情報公開請求は、私どもにとって大変大事な取材手法の1つであるが、それが右から左へということではなく、きちんと追加取材をして、裏取りすることは大前提だと思っている。今後もそうした取材を行い、人権に配慮した公益性の高い報道を続けて行きたい」と述べた。

[公表]
午後2時30分から千代田放送会館2階ホールで記者会見を行い、委員会決定を公表した。
18社32人が取材した。テレビカメラの取材は日本テレビが代表して行った。
まず、奥委員長が「問題なし」とする決定内容を説明し、紙谷委員と二関委員が補足的な説明をした。

その後の質疑応答の概要は以下の通り。

(質問)
今年、人権委員会も含めてBPOに持ち込まれるケースが、昨年よりも増えているようだ。その背景の1つとして、一般の方の誤解のような部分もあるのか。
(奥委員長)
誤解と言っていいのかどうかはわからないが、放送人権委員会という存在が、かなり認知度が高まっている状況が背景にある。一方で、放送人権委員会は一体何をしてくれるのか必ずしも正確な知識を持っていない。そういう部分も確かにあるだろうと思っている。

(質問)
今回の放送は匿名報道であった。だから、本人が特定されるかどうかというのが論点の1つになっていたかと思う。ただ名誉毀損については、違法性阻却事由としては、公共性、公益性、真実相当性だ。このあたりはどのように判断したのか。また、今後、匿名報道ではなく実名報道する場合もあり得ると思うが、どのように判断していくのか。
(二関委員)
名誉毀損の成否が争いになったら、その人の社会的評価を低下するか否かを考える。そして低下するとなったら、その先に阻却事由がないかどうかという判断に進んで行く。今回は、特定されていない。一部の人について特定はあるけれど、社会的評価の低下はないというところで、もう判断は終わっている。一応今回の決定の論点というのを、公共性、公益目的があるか、真実性、真実相当性は認められるかと、5ページで項目として挙げているが、そこの判断に入るまでもなく、名誉毀損はないという結論に至ったので、それ以上には踏み込んでいない。だから、実名で、かつ社会的評価を低下するのであれば、当然その先のほうに判断は入って行くことになる。

以上

2019年03月11日

「芸能ニュースに対する申立て」に関する委員会決定の通知・公表の概要

[通知]
2019年3月11日午後1時からBPO第1会議室において、奥武則委員長と、起草を担当した曽我部真裕委員長代行と廣田智子委員が出席して、委員会決定の通知を行った。申立人の細川茂樹氏と代理人の弁護士が出席し、被申立人のTBSテレビからは情報制作局担当取締役ら4人が出席した。
奥委員長が冒頭、「放送倫理上問題がある」と結論を告げ、その後決定文に沿って説明した。そして、「本件仮処分決定に言及しなかった結果、当事者の主張が食い違う紛争・トラブルの事案を扱う際に特に求められる公平・公正性及び正確性を欠くことになった点。及び、やんちゃ発言VTRを使用したことは、申立人の名誉や名誉感情に対する配慮に欠ける結果となり、放送倫理上の問題がある。TBSには、本決定の趣旨を真摯に受け止め、本決定で指摘した諸問題について、言葉足らずという総括にとどまらない掘り下げた検証を自ら行い、今後の番組制作に活かしてもらいたい」と述べた。
続いて曽我部代行が補足説明し、「名誉毀損の問題として扱うのか、放送倫理上の問題として扱うのかについては、全体的な状況を踏まえて、放送倫理上の問題として扱うということになった。申立人の被害感情については踏まえたつもり」と述べた。
廣田委員は、「発生から時間をおいて番組で取り上げるということは、一度沈静化したものを再燃させる可能性を充分に持っているので、より慎重に対応して、番組を作っていただきたい」と述べた。
決定を受けた申立人の代理人からは、「TBSの放送は悪質なものであり、細川さんへの謝罪、訂正、名誉回復措置の具体的な内容を検討してほしい」とする文書が読み上げられた。
一方、TBSテレビからは、「こうした放送をしたこと自体、まず率直にお詫びをさせていただきたい。今日示された問題点については、真摯に受け止めて、再発防止に努めたい」という発言があった。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見を開き、委員会決定を公表した。
25社42人が取材した。テレビカメラの取材はNHKが代表して行った。
まず、奥委員長が「放送倫理上問題あり」とする決定内容を説明し、曽我部代行と廣田委員が補足的な説明をした。
その後の質疑応答の概要は以下の通り。

(質問)
TBSが被害回復措置を取る用意のあることを表明していたとあるが、どの時点で表明していたのか。
(曽我部代行)
話し合いのかなり早い段階から、何らかの対応をする用意はあると言っていた。

(質問)
仮処分決定について伺いたい。地位保全とは具体的に何をさしているのか。
(曽我部代行)
所属事務所から債務不履行を理由に契約解除の通告があったが、細川さん側はそうした事実はなく、契約は有効で今までどおり活動できることの確認を求めた。裁判所がそれを認めたということ。ただし、判決とは違って決定なので詳細な事実認定や理由は書かれていない。

(質問)
実際に原稿を書いたり、編集をした人は、仮処分決定があったことを知っていたのか。責任者は知っていたと言うことだが、責任者はこの原稿をチェックしたのか。
(奥委員長)
細かいことは分からない。ヒアリングで明らかになったことについて言えば、責任者は、芸能デスクに細川さんの件はどうなっているのか聞いている。責任者はチェックはしたが、仮処分決定について重いものと受け止めていなかった。

(質問)
きょうの双方の反応は?
(奥委員長)
細川さんのほうは今までの主張をまとめる形で繰り返して主張していた。TBSは、言葉足らずということだけではなくて、いろいろ検討して真摯に対応しますという話。

(質問)
グラデーションの5段階の真ん中というのはTBS側からすると重いのではないか。
(奥委員長)
重い判断をしようとか、軽い判断をしようとか、そういうことで審理しているわけではない。審理の結果、出口としてこの結果になったので、それが放送局にとって重いものなのか軽いものなのかということは何とも言えない。

(質問)
長い番組であっても、短い尺であっても、その判断は一緒か?
(奥委員長)
名誉毀損の問題として取り扱わないで、放送倫理上の問題として考えた理由の一つとして、本件放送がごく短いもので、視聴者の受け止め方も考慮した。

(質問)
申立人が強く主張していたのは、名誉が毀損されたということだったと思うが、名誉毀損にあたるかどうかの判断をしなかったということは、名誉毀損はなかったということか?
(曽我部代行)
社会的評価が低下したということまでは明記しているが、法律的な意味での名誉毀損が成立したかどうかまでは判断せず、放送倫理上の問題ということで判断をしている。一般的な意味で名誉は傷付けられていることは明記した。

以上

2018年11月7日

「命のビザ出生地特集に対する申立て」通知・公表の概要

[通知]
11月7日午後1時からBPO第1会議室において、奥武則委員長と、事案を担当した市川正司委員長代行と水野剛也委員が出席して、委員会決定を通知した。申立人の杉原まどか氏と平岡洋氏が代理人弁護士とともに出席し、被申立人のCBCテレビからは報道局長ら2人が出席した。
奥委員長が決定文に沿って説明し、結論について「名誉毀損にはあたらない、また放送倫理上の問題はない、しかし放送倫理に絡んで要望を少し述べている決定である。判断の枠組みにあるように、申立人は10本の放送全体として名誉毀損の成否を判断すべきとの主張だが、一般視聴者はすべてを連続して見ているわけではないので、個々の放送についてそれぞれ人権侵害と放送倫理上の問題を検討することにした。第1回の放送の申立人法人事務所の取材に関しては、放送倫理上の問題までは問えないが、申立人側から見れば悪印象を与えるものという受け止めには十分理由があるとする複数の意見があったことを付記した。第2回の放送の申立人に対する取材のあり方に関しては、インタビュー部分の放送は原則的に放送局の裁量の範囲なので、放送倫理上の問題を問うまではない。しかしCBCテレビは筆跡鑑定事務所の鑑定結果を得たあとに申立人にインタビューしたのであれば、疑問点を明らかにして、自筆かどうかを追及することが調査報道としては非常に重要なのだから、しっかり取材するべきであり、今後の取材・報道にあたって、この点を参考にすることを要望する」と述べた。
続いて、市川委員長代行が補足説明し、「2回目の放送は、CBCテレビが主張する通り、杉原千畝の出生地に関する疑問と、これを巡る八百津町の対応についての疑問を投げかけており、前者の疑問が生じる根拠の一つとして手記の問題が出てくるというのが全体の流れであり、申立人の関与について言及する表現はなく、社会的評価が下がることはない。鑑定事務所と杉原まどか氏の発言が対比的に扱われており、そうであれば鑑定結果を端的に聞くことが放送局の対応としては望ましかった」と述べた。
水野委員は「キャスターの表情、しぐさ、口調については、一般視聴者が番組全体を見た時に、申立人に対して、申立人が訴えているような印象を持つかというと、そうは言えないだろうと判断した」と述べた。
決定を受けた申立人は「第3回以降の放送に、自分たちの取り扱いがないことは認識している。ただ、7番目の放送(独自中継)は、短いけれども、八百津町が手記の申請を取り下げたということについて、何故そうしたかの経緯は色々あるのに、明らかに手記そのものに何か疑いがあって、町としては苦渋の判断をせざるを得なかったというようなことを、いきなり記者が緊急放送で流すようなやり方は、テレビ局の真摯な報道姿勢とずれていると思う」と述べた。
一方、CBCテレビは「地方自治体に対する問題提起という我々の取材の趣旨を汲んでもらえたのは非常にありがたく思う。ご指摘の要望等は真摯に受け止め、今後の取材及び番組制作の面で生かしていきたいと思う」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして、委員会決定を公表した。21社34人が取材した。テレビカメラの取材は、キー局代表としてのNHKと、当該局のCBCテレビが行った。
まず、奥委員長が判断部分を中心に、「要望あり」の見解となった決定を説明した。続いて、市川委員長代行と水野委員が補足的な説明をした。
その後の質疑応答の概要は、以下のとおりである。

(質問)
CBCテレビは、何故その鑑定結果を本人に直接当てなかったのかについて、説明はあったか?
(奥委員長)
CBCテレビとしては、出生地に対して戸籍を含めて疑問が生じていることに、八百津町がきちんと対応していないという番組の作りになっていて、申立人が自筆であると考えていることをあらためて議論するとか取り上げる対象とは考えなかった、と説明した。
委員会は、明らかに筆跡鑑定事務所で一定の見解が出ていて、取材した段階ではその情報があったわけだから、それを当てることによってより調査報道として優れたものになっただろうと考えた。

(質問)
「放送倫理上問題あり」の決定の際に「少数意見付記」というのが(過去に)あるが、今回の事務所の取り上げ方の中での「付記する」という言葉使いは、それとは別物か?
(奥委員長)
少数意見として別だてするまでもなく、こういう形で付記すれば良かろうと、そういう主張をしている委員の判断があって、そのようになった。

(質問)
CBCテレビは「49枚の手記」がユネスコに提出されていることを、まどかさんたちの取材を通じて初めて知ったという体で、そのあと鑑定所に行く作りになっているが、そもそも「49枚の手記」をどういう方法で入手したのか?また、それと「手記の下書き」は、誰が管理しているのか?そして申立人も含めて、「手記の下書き」は清書の下書きであるという共通認識はあるのか?
(市川委員長代行)
CBCテレビは「49枚の手記」を事前に持っていたと聞いている。また「原稿段階のメモ書き」は、写しの存在しか分かってなく、原本の保管者については把握していないが、それが清書の下書きであるというのは共通認識として持っている。

(質問)
念のために確認するが、要望として、筆跡鑑定のことを聞くべきだったとあるが、それは放送に映っていないだけではなく、実際にも取材時に「ご本人の文字じゃないのではないか」という質問を申立人に聞いていないということか?
(奥委員長)
CBC側は、筆跡鑑定所で自筆ではない可能性が高いという鑑定結果を得ている訳だが、それについてインタビューの段階で申立人側には聞いていない。

(質問)
理事長と、副理事長のお二人と、NPO法人という四つの肩書が出てくるが、これは申し立て時も現在も変わっていないか?
(市川委員長代行)
今現在は、変わったという話は聞いていない。

以上

2018年3月8日

「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」通知・公表の概要

[通知]
3月8日(木)午後1時からBPO会議室で坂井眞委員長と、起草担当の中島徹委員と白波瀬佐和子委員が出席して本件事案の委員会決定の通知を行った。申立人は代理人弁護士2人とともに、被申立人の東京メトロポリタンテレビジョンは常務取締役ら5人が出席した。
坂井委員長が決定文に沿って説明し、結論について「委員会は、TOKYO MXによる本件放送が申立人の名誉を毀損したと判断した。そして、その原因のひとつに放送対象者に対する取材を行わなかったことがあり、その問題点について容易に考査で指摘できたにもかかわらずこれを怠り、『特段の問題が無かった』としたこと、および、人種や民族を取り扱う際に必要な配慮を欠く放送内容について考査において問題としなかった点は、番組が『放送倫理基本綱領』や『日本民間放送連盟 放送基準』に適合するかどうかの検討を考査において十分に行わないまま放送したものと言わざるを得ないこと、この2点についていずれも放送倫理上の問題があると判断した。TOKYO MXは、『持込番組』についても放送責任があることを申立て当初から認め、その後、新たな考査体制も整備しつつあるということではあるが、委員会は、TOKYO MXに対し、本決定を真摯に受け止めた上で、人権に関する『放送倫理基本綱領』や『日本民間放送連盟 放送基準』の規定を順守し、考査を含めた放送のあり方について局内で十分に検討し、再発防止に一層の努力を重ねるよう勧告する」と述べた。
通知を受けた申立人は、「本当にありがとうございました。自分の出自が使われて人が叩かれるということがどういうことなのかは、うまく言葉になりません。また、安心して放送を見られる時代が来たらいいなと思っています」と述べた。申立人代理人は「この決定を評価する。人種や民族を取り扱う際に必要な配慮ということにもきちんと触れて頂いたことについて敬意を表したい」と述べた。
一方、東京メトロポリタンテレビジョンは「委員会決定を真摯に受け止め、再発防止に努める。今後、より良い番組作りに邁進していきたい」と述べた。

[公表]
午後2時30分から都市センターホテル6階会議室で記者会見をして、委員会決定を公表した。34社67人が取材した。テレビの映像取材は、代表としてNHKが行ったが、当該局のTOKYO MXも行った。
まず、坂井委員長が、委員会の判断部分を中心に「勧告」となった委員会決定を説明した。質疑応答の概要は以下の通りである。

(質問)
この勧告が出て、今後どうなるかという確認だ。最後のところに本決定の主旨をまず、放送するようにという勧告、これはもうMXの義務ということになるのか?
(坂井委員長)
民放各局は、BPOの構成員だから、規則に従って当然それに応じて頂けると思う。

(質問)
それ以外にMX側にまた、例えば何か報告を求めるとか、そういったことはあるのか?
(坂井委員長)
こういう決定が出た場合に3か月以内に対応策、または報告書をだしてもらう。その報告書を出す前に放送人権委員会が、MXに出向いて当該局研修という意見交換をする。

(質問)
申立人、被申立人、双方に対するヒアリングだが、それぞれどれくらい時間をかけたのか? 
(坂井委員長)
確認の上事務局から後ほどお答えする(会見後に広報通じて、申立人:1時間45分、被申立人:2時間48分と回答)。

(質問)
MX側から出席したのは考査担当者か、制作担当者か。それから制作会社の出席、同席はあったのか?
(坂井委員長)
MX側としては局の考査担当、BPOとの関係の責任者、それから代理人弁護士。
制作会社はヒアリングには参加していない。MXに対して希望は伝えた。しかし、BPOというのは、NHKと民放連と民放各局の組織なので制作会社に直接要求するという立場にはないので、希望を伝えたが参加しなかったということだ。

(質問)
結論のところでも、あるいは、その前段にもあった。「人種や民族の取り扱いへの配慮を怠った」、「配慮を欠いた」という表現がある。これ、明確に差別であるということを表現に盛り込むということは検討しなかったのか?
(坂井委員長)
私個人の理解としては、最初に伝えたように決定の一番はじめに書いてあるとおり、委員会運営規則第5条で、申立人の人権侵害、それに係る放送倫理上の問題を委員会は審理する。名誉毀損の関係で出てくるのは、差別という文脈では出てこない。そういう事実摘示ないし放送内容との関係で、民放連の放送基準が求めている配慮を欠いたという指摘なので、そこは筋が違うということかと思う。

(質問)
MXの考査担当者は、(ヒアリングに)2人出席したということか?それと、制作会社側が参加しなかったことについて何か理由は示しているのか?
(坂井委員長)
考査担当は1人だけだった。出席者は、直接の考査担当者と考査部門の上司も出席した。当時と今の組織が違うということはご存知のとおりだと思うが、本件に関しMXは勿論考査はしていた。理由は特に聞いていない。

(質問)
この決定を伝えて申立人と被申立人の反応を紹介していただきたい。
(坂井委員長)
申立人側については、この委員会の判断については「評価します」ということと、委員会の委員に対しても「敬意を表します」ということが総括的な意見としてあった。申立人ご本人からは、「自分の出自が使われて、人が叩かれるということがどういうことかを分かっていただきたい」という趣旨のことも述べられた。それで「安心して放送がみられる時代が来たらいいなと思っています」とも仰っていた。MXは「決定について真摯に受け止めます。再発防止の努力をして今後のより良い番組作りに邁進していきたい」と述べた。

(質問)
放送倫理検証委員会が先(去年12月)に結論を出しているが、その結論を受けて多少
MX側の対応が、変わったりしているのか?
(坂井委員長)
基本的にそれはない。放送倫理検証委員会が結論を公表したのは去年の12月だったが、我々は既にヒアリングも終えて、審理に入っている段階であり、その後、何かMX側がアクションを起こす機会もない。ご存知のとおり、扱う対象が違うので、どちらも考査の問題として決定を出しているが、放送倫理検証委員会の結論があったから、何かが変わるという話ではないということだ。

(質問)
考査については元々、持込だということでMXは考査をしてなかったわけで、その上で、やはり内容には問題ないと主張していると思う。そこは委員会なり、委員長としてどう見ているのか?
(坂井委員長)
考査をしていないというのは、必ずしも正確ではなくて、独立した考査部門はなかったけれどもいわゆる考査としての作業はした。ヒアリングに直接(考査の)担当者とその上司が来て、持込番組についてちゃんとチェックしたけれど、問題ないと思いましたという主張だった。それについて、いやいや、こういう問題があるんじゃないですかという指摘をしたということだ。考査がなかったということではない。

(質問)
この名誉毀損の認定というのが、今までどれくらいあったのか?今までの事例の流れの中で、今回の問題の位置づけはどのように考えているか教えて欲しい。
(坂井委員長)
これまで申し立てられた事案、これは何十件かあるわけだが、委員になってから半分くらいに関わってきた。どの事案が重いとか、軽いとかという意識はもたない。申立人の方はどの事案でも、やはり本当に重たいものとして申立てをして来られて、われわれが「問題なし」と言う時も「人権侵害あり」という時も、申立人ご本人として重い気持ちで申立てられるわけなので、「この事案はより重い」というようなことは全然考えてない。「勧告」の中で「人権侵害あり」という結論が9件あったということだ。

(質問)
1月9日にMXが放送した『ニュース女子』、これは他の地方局で放送されているのか?
(坂井委員長)
それは我々の対象ではないので、正確な情報はわからない。我々の審理対象は申し立てられたMXだけなので。

(質問)
確認だが、「人権侵害」が「放送倫理上、重大な問題あり」よりも重いということでよいか?
(坂井委員長)
人権侵害があったと書いてあるので、一般的にはそのように見えるかもしれない。しかし、枠組みとしては「勧告」の中に2種類あるという意識だ。人権侵害と言えないが、非常に重たい放送倫理上の問題があるケースも存在すると思われるので、委員会としてはあえてそこは上下関係をつけることはしていない。ただ、一般的には人権侵害ありとなった方が、重さとしては分かりやすいということはあるかもしれない。しかし、そういうレベルの話だと個人的には理解している。

(質問)
委員会決定21ページに「TOKYO MXの対応は、考査の責任は言うに及ばず、放送局全体の『持込番組』の対応という観点からも放送倫理上の問題があった」という部分があるが、その問題点は、読めば分かるのかもしれないが、まず、一点目が「その取材に行ったというだけで、番組の内容に裏付けがあると信じたという理由に至っては考査の責任放棄と言わざるをえない」と。まず、一つ目にその点があるということか?
(坂井委員長)
そうではなくて、TOKYO MXは本件放送について考査を通した理由として、20ページのところで、一つ目は「別の機会で取材していればいい」っていうことと「制作に関与していないから」という話と、最後に「珍しく現地取材に行っているので」ということが書いてあり、その順番に対応した形で、後ろの委員会判断も書いているということだ。

(質問)
それを踏まえての質問だが、このTOKYO MXの対応は、放送倫理上の問題があったという部分で、単に考査部門だけに止まらず、放送局全体として問題があったという理解でよいか?
(坂井委員長)
局の体制というよりも、まずは、今回の考査の問題だったということになろうかと思うが、今回については、そもそも考査の体制がしっかりできていないという問題もあった。持込番組については、放送責任は局が負うのが当然のことだと思うが、そういう前提を取りながら、その考査の対応として、先ほど述べたこういう3つの理由で通しましたと。しかも考査の対象は、まだ出来上がる前のもので、実は今日少し細かすぎるくらい説明したが、それにテロップやナレーションが入ることによって名誉毀損に関わる内容になってきているわけだ。そこを見ないまま通したということでは、たまたまこの件についての考査の問題にとどまるものとは言えなくて、考査に対する局の姿勢の問題ということに関わるのではないかという趣旨だ。

(質問)
この『ニュース女子』については放送倫理検証委員会の判断が去年12月に出ていて、今日は「勧告」となっているが、同じ番組で、BPOの2つの委員会から見解が出るというのは、今までにもあったのか?
(坂井委員長)
今回で2件目だと思う。2015年12月11日委員会決定57号 NHKの『クローズアップ現代』の出家詐欺事案。「放送倫理上重大な問題あり」で勧告という事案だったが、これは両方の委員会が扱った。

(質問)
BPOの人権委員会というのは人権が侵害されたとかそういうことを、一般の、市井の人とか、そういう人が申し立てた時、救済するというようなシステムかなと理解していた。ところが、前にも府議、政治家とかの申立てがあり、今回は著述家であり、自分で情報発信できる人のケースだ。そのような人から申立てを受けて審理することになっている。今後も政治家であるとか、著名な著述家、オピニオンリーダー的な人の申立ても取り上げていくことになるのか。一部では「いかがなものか」という意見もあるというふうに聞いているが、その辺の見解を聞かせいただきたい。
(坂井委員長)
まず、いわば形式的な答えをすると、最初に書いたように委員会運営規則第5条というところで、我々が審理するのは何かということが書いてあり、それは、放送によって名誉なりプライバシーを侵害された方の申立てを受ける、そして、それに関わる放送倫理上の問題について取り上げるとされている。申立てができるのは原則として個人で、団体は受けないが、例外で「団体を受ける場合もある」とされている。そこには、「政治家は除く」とか「著名な人は除く」ということは書かれてない。なので、規則がある以上、それに則った申立ては基本的に受けるという事になろうかと思う。これは個人的な意見として聞いて欲しいのだが、ご指摘の趣旨は、私は理解できる部分はある。ただ、そこは扱いを分けるというシステムではないし、もしそういうことになれば、どう分けるかだって簡単ではないことだと思う。

(質問)
ヘイトスピーチ解消法は「国民はヘイトスピーチもない社会の実現に努めなければならない」とあって、企業も責務を負っていると。とりわけメディアは、その責務が重く課せられていると思うが、今回の判断の中でそういう観点から検討されたのか、この放送がヘイトスピーチに当たるのかどうか、見解を聞かせていただきたい。
(坂井委員長)
ヘイトスピーチかどうかということ、そういうアプローチは基本的にしていない。
我々が審理するのは何か、決定文6ページの最初のところに書いている。申立人の人権侵害にあたるのか、それに関わる放送倫理上の問題があったのかという観点から判断している。ヘイトスピーチというのは、もちろん個人に対する攻撃であると同時にヘイトスピーチということはあるかもしれないが、基本的には、そのような文脈には収まらない。規則に書いてある審理対象の範囲で人権侵害と放送倫理上の問題を取り上げるということだ。なので、基本的には放送内容がヘイトスピーチかどうかを独立して取り上げ、判断をする立場にはないということだ。
(中島委員)
(委員会の中で)当然議論になっている。全く無関心であったわけではない。ただ、委員長も先程来言っているように、私たちの職責というのは、個人からの申立てを受けて、その申立人の人権が侵害されたかどうかということを確定することにある。ヘイトスピーチ規制の主眼は、特定のカテゴリーに属する表現を一般的に事前に禁止する点にある。このような権限を政府に認めてよいかは、議論の余地がある。これに対し、名誉毀損は、個別事案についての事後的な評価である点で、政府に表現を事前に規制する権限を認めるわけではない。ただし、個別事案の判断とはいえ、以後、同様のケースでは同じ様な判断がなされるだろうという点では、名誉毀損という判断でも、ヘイトスピーチに対する抑止効果を持ちうるので、今回の決定がヘイトスピーチを念頭に置いていないということにはならないのではないか。

(質問)
影響力のあるメディアとして人権侵害を起こさないためにも、その番組で、ヘイトスピーチを流すようなことがあってはならないという意味では、メディアがきちんと判断する仕組みなり、判断する作業を、避けるのではなく、きちんとそういうことをやっていかなければ、いけないと思うが。
(坂井委員長)
質問の意味が理解できないわけではないが、我々の役目は何かということだ。我々は、この表現がヘイトスピーチかどうかということを判断する立場にない。なので、明らかにこれは問題だということについて、それが申立人の名誉毀損との問題に関わってくるのであれば、その限りで触れるかもしれないが、今回は、そういう事案ではない。なので、一般論としてそのような判断をする立場にない我々はそういう判断はしないということになる。

(質問)
先ほど委員長は、今回の事案も他の事案と変わらず、それぞれ重大なものを重大だと判断して、一つずつ判断してきたとがと答えたが、僕は戦後のメディア史に残るような事件ではないかとも思う。起草担当の中島委員は、そういう観点からどのように思っているか?
(中島委員)
個人的にどう考えていたかと言えば、勿論こんな重大な事件を私が起草していいのだろうか、という本当に身の引き締まる思いで取り組んだことは間違いない。だから、そういう意味で言えば、重大事件である。けれど、同時に、どんな事件だって、実は申立人にとっては重大で、深刻な事件だから、その事件の内容によっては向き合い方を変えるということはない。どれも重大な案件として捉えて取り組んでいるとしか答えられない。
(坂井委員長)
まず、起草委員がすべてを執筆する訳でなく、委員会の議論を前提に様々な意見を取り入れて決定文が書かれるということをご理解いただきたい。申立人が言っていたのは、もともとインターネットで流されていた番組が、放送局で流されたということの重大性だ。その意味で、MXの罪は重いということを言っていた。最近のいろいろな動きの中で、様々な問題について沸点が下がってきて、たくさんの問題が起きていると。本件放送の問題に関して言うと、そのような様々な反応を起こす扉を開いたのがMXなんだと。ネットでのコンテンツに社会的なお墨付きを与えたんだということを述べていた。それは個人的には理解できるが、だからといって判断を書くときに、他の事案と取り組み方を変えようということにはならない。こういう姿勢は恐らく私共ふたりが共通して言っていることだと思う。

以上

2017年8月8日

「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」通知・公表の概要

[通知]
8月8日(火)午後1時からBPO会議室で坂井眞委員長と、起草担当の奥武則委員長代行と城戸真亜子委員が出席して委員会決定の通知を行った。申立人と、被申立人のテレビ静岡は報道の責任者ら4人が出席した。
坂井委員長が決定文に沿って説明し、「委員会は、『関係先』、『関係者』、『捜索』という表現が適切だったかどうかを含めて、本件放送が伝えた事実の重要部分の真実性ないしは相当性を検討し、真実性ないしは相当性が認められると判断した。したがって、本件放送は申立人への名誉毀損に当たらない。申立人は、本件放送で流れる布団や枕が映った申立人宅の映像などが申立人のプライバシーを侵害していると主張する。しかし、これらの映像で映された対象自体は他者に知られることを欲しない個人に関する情報や私生活上の事柄とまではいえないから、プライバシー侵害は認められない。委員会は、本件放送に放送倫理上の問題があったとまでは判断しない。だが、捜査活動の全体状況に考慮して、申立人宅の映像の使い方をより抑制的にしたとすれば、あるいは申立人の被害感情はこれほど強いものにならず、精神的打撃も少なかったのではないか。本事案は、たとえ実名や本人を特定する内容を直接含むものでなくとも、テレビニュース、とりわけ犯罪に係るニュースが当事者に大きな打撃を与える場合があることを教えてくれたものといえる。本決定の当該部分を参考にして、今回、自局のニュースが委員会の審理対象になったことを契機に、人権にいっそう配慮した報道活動を行うための議論を社内的に深めることをテレビ静岡に要望する」と述べた。
奥委員長代行は、「起草に当たった者だ。委員長の説明を聞いて、申立人は『自分がいろいろ訴えたことは全く認められていない』と考え、テレビ静岡は『よかった、よかった』と考えているかもしれないが、決定文全体をしっかり読んでいただきたい。決して、片方が勝って、片方が負けたという判断ではないことを、ぜひ読み取っていただきたい。被申立人について言えば、犯罪報道は入口で独自の情報を持って取材を開始し、展開する。そういう場面で、ある種の禁欲的な放送の仕方というのは実際問題として、報道現場にいるとなかなか難しいのは私も分からないわけではないが、これからは人権ということをしっかり考えていく必要があると思う。申立人について言えば、名誉毀損などの人権侵害は認められなかったわけだが、放送倫理の観点では主張のかなりの部分は酌みこまれていると思っていただければいいと思う」と述べた。
城戸委員は、「普段、私たちは視聴者として何気なくニュースに接しているが、犯罪に関わるニュースで使われる『関係先』という言葉について、私たちはどういう印象を受けるのか。あるいは、当事者であった場合、『関係先』として自分の家の映像が流されたらどういう感情を抱くのだろうか、ということを改めて考えさせられた事案だったと思う。他社にはない独自の取材映像があった場合、やはりそれを織り込んでいきたいという気持ちも分かる。ただ、刻一刻と状況は変化していく。そういう時にその都度、見極めて判断して、使用する映像などを精査することも求められる。毎日の仕事として、より敏感に繊細に判断していくことが求められる大変な仕事だということを改めて感じた」と述べた。
通知を受けた申立人は、「自分の主張が認められていないという部分で不満が残る。報道から約1年経ち、自分は犯罪を何ひとつ犯していないのに、車を購入しただけで仕事を辞め、周りからの信頼も失って、今も病院に通っている。自宅を特定されたくないため、数十万円かけて一部改装もした。踏んだり蹴ったりの1年だった。今も仕事が再開できない状態だ。この結論に達したときには、どこに憤りを持っていけばいいのか、それが今の率直な感想と言うか、まとめきれない状況だ」と述べた。
テレビ静岡は、「弊社の報道について、長い時間審理をしていただき、ありがとうございました。決定内容については本当にしっかり受け止めたい。第三者の目からご覧になって指摘された放送倫理上の要望点については、真摯に受け止めて、社内でしっかり共有して、今後の取材、報道活動に生かしていきたい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして、委員会決定を公表した。23社47人が取材した。テレビの映像取材はTBSテレビがキー局を代表して行った。
まず、坂井委員長が要望ありの「見解」となった委員会決定について説明し、起草担当の奥委員長代行と城戸委員が補足説明を行った。
その後、質疑応答を行った。概要は以下のとおりである。

(質問)
決定文の14ページ、撮影場所について、私道につき立ち入り禁止の表示もない、捜査員は私有地への立ち入りについて注意喚起したわけではないと書かれているが、例えば、その場所に私道につき立ち入り禁止、もしくは申立人が私道だから撮影はだめだというようなことを言っていたら判断は変わるのか。
(坂井委員長)
これはこのケースについての判断ということがまず1つある。この現場は通常の宅地の道路で、誰の立ち入りも原則として拒否するものではないという前提になっていると思う。普通に通行する人から見たら、入ってはいけないと分からないわけで、この部分はまさにそういう普通の道路としか見えないところだった。登記が私道になっているからといって、立ち入りは違法だということはなかなか言えない。法律的に言うと、「推定的承諾がある」ということになるので、問題なしというケースだ。
次に、一般論としてどうかというと、14ページに書いてあるように、塀や柵などで囲まれ、一見して私有地と分かる場所、ないしは、道路ではあるが門があって家の一部分である、入ってはいけないよという前提が示されていたら、そこは原則入ってはだめで、法律上は住居侵入の問題が出てくる。報道だからと言って、公共性があり、公益目的があるからと言って、私有地に勝手に入っていいということは原則ない。それは皆さん、普段の取材でも気にしておられると思う。
その中間的なケースがあるかもしれない。道路であるが、小さな札があって、ここから先は私有地だと書いてあったらどうなのかというようなケース。それは、その場その場の、どういう状況かによって判断されると思う。少なくともここに書いてあるように、明確に立ち入りが禁止されていたり、囲っているところであれば、報道であっても勝手に入って行くのはだめだと私は考える。個人的な意見になるが。

(質問)
通知した時の申立人の反応を教えていただきたい。
(坂井委員長)
人権侵害だという主張が認められていない部分で不満が残るということだった。我々としては、人権侵害ありともしていないし、放送倫理上問題ありともしていないが、要望ありにしたという説明をしたが、全体として不満は残ると。自分は犯罪を何ひとつ犯していないし、単に車を購入しただけで、この報道によって、仕事を辞めざるを得なくなって、周囲の人からの信頼も失って、病院に通っているような状況だと。家を一部改装したり、踏んだり蹴ったりの1年だった。いまだに仕事も再開できないと。そういう状況で、こういう決定が出て、どこに憤りを持っていったらいいのか、という反応だった。

(質問)
12ページの「名誉毀損についての結論」の部分、「『関係先の捜索』という表現における『捜索』については真実性を認めることはできない」というのはどういう意味か。もう少し説明してほしい。
(坂井委員長)
端的に言うと、申立人宅にあった車を押収したということに争いはない。しかし、申立人宅、住宅を捜索したと放送したことについては、そのような事実は認められない、真実性立証はできていないということだ。真実性立証ができている、ないしは争いがないのは、車が押収されたという点に限られ、住宅の捜索については真実性は立証できていないということだ。

(質問)
14ページなどに、「捜査活動の全体状況に考慮して、申立人宅の映像の使い方をより抑制的にしたとすれば」と書いてあるが、具体的にはその映像を使わない以外に、抑制的に放送する仕方とはどういったことが考えられるか。
(坂井委員長)
1つは映像の問題だ。13ページから書いてあるが、取材過程で浜名湖事件の捜査の中心は申立人宅ではなくて浜松市の2か所だということがだんだん分かってきて、放送内容もそのように変わってきているのに、申立人宅の映像をここまで繰り返し放送する必要はなかったのではないかということだ。16ページから25ページに4回の放送概要が書いてあるので確認していただきたい。4回目のニュースでは、申立人に関する新たな映像がダメ押し的に加わっている。
もう1つ、これは決定文に書いていないことだが申し上げる。当日、取材過程でだんだん分かっていなかったことが分かってくる、だんだん変わってきた部分があると思う。その時に、バラバラ殺人事件の「関係先」、「関係者」という言葉は、本当にそういう使い方をしなければいけないのだろうかということだ。「関係先」、「関係者」という言葉は多義的であり、浜名湖事件の被疑者であると言っているわけでもない。しかし、申立人が、浜名湖事件という凄惨な事件の「関係先」、「関係者」であるというように報道されて、それが申立人のことだと視聴者に分かった時に大きなダメージを受ける場合もある。このケースもそうだと思う。であるとすれば、たとえば言葉の使い方にも配慮の余地があるのではないかと私は思う。そこまでは決定文に書き込んでいないが、その辺も配慮できるのではないでしょうかということが、今回の要望につながっていくところだ。
通知を受けた時の申立人の発言、この放送で自分はこんな酷いことになってしまったということの原因は、私が想像するに、「関係先」、「関係者」という言い方で、自分に関する映像が出てしまったということが大きいのではないかと思う。そこは1つ、大きなポイントだと個人的には思っている。
(奥委員長代行)
今の質問は、「より抑制的に」という表現がちょっと持って回ったような表現だと、要するにどうしたら良かったのかということだと思う。実はどういう表現をするか、いろいろ考えた。「関係先」、「関係者」という表現、「関係者」は直接申立人を指しているとは言えないかもしれないが、「関係先」としては出てくる。その日の捜査は、全体状況を見ていくと、委員長が言ったように、浜松市の2か所が中心だったということもあり、申立人については全然触れないということもできる、ニュースの全体構造からすれば。車を1台押収しているのは間違いないので、その映像だけを使うということもありだと思う。ただ、現実的に取材、報道している立場になって考えてみると、特ダネ映像を撮ったわけで、それを全部やめるというわけにはいかないだろうというようなことを全体的に考慮して、「より抑制的に」という表現をした。どういう形で抑制すればいいのか、それはテレビ局の方々に考えていただきたいという問題提起だ。
(坂井委員長)
1つ補足する。通知の後に、まず、申立人と被申立人同席の場で感想や意見等をいただく。その後、申立人と被申立人、それぞれ個別に意見をいただいている。その個別の意見交換の場で、私から申立人に、「関係先」、「関係者」と表現をされたことについてどう考えるか、どんな表現であればよかったのかと聞いた。1つの重要なポイントであると思ったので聞いた。これは皆さんにお話してもいいと思うので、お話する。申立人としては、断定的でなく、ないしは、直接の関わりはないことが分かるような形であればよかったのかもしれないと言っていた。その場で質問して、その場で答えているので、あくまでそのレベルのやり取りではあるが。局側は、「関係先」、「関係者」は断定的でもなく、直接性があると言っているわけでもないと主張しているが、申立人の周りの反応からすると、そうとは言えない反応になっているのでこういう答えになったのかなと思う。

(質問)
「被疑者の関係先」とかであれば、よかったのか。「関係先」よりも「もっと抑制的な」表現というのがよく分からない。
(坂井委員長)
奥代行が言ったように、この段階で正確に把握できている事実は、申立人宅から車1台を押収したということ以上ではないわけだ。だから、それがバラバラ殺人事件に関わるかのような印象を与えない表現をすればいい。「被疑者と関わりのある」と言ってしまうと、共犯、共犯というのは法律用語で、平たく言えば仲間かと思われる可能性もあるので同じような問題が生じると思う。
逆に、そこまで言う必要が本当にあるのかということが、先ほど奥代行が言ったことで、車1台が押収されたと放送していれば真実性もあるわけで、という話になるのかもしれない。ただ、そこは、我々がこういうやり方でやりなさいと言う立場ではないので、そこを工夫していただきたいというレベル以上のことは言えない。

(質問)
軽自動車が押収されて、その映像を使って報道されたことに、なぜ申立てたのか疑問に思っていたが、20ページ、22ページ辺りの放送概要を見て、なるほどと思った。申立人宅の映像に、殺されたのは出町さんで、殺人事件と断定したというコメントが付き、そこに「関係先の捜索」というスーパーが表示されると、非常にミックスされて、誤解されるような作りになったということだと分かった。
城戸委員が、映像を撮っても、使う、使わないかを考えてほしいというようなことを言ったが、誤解のないような作り方をしろということでよいのか。映像を使うことについては、特に否定的ではないということか。
(城戸委員)
1つは、テロップとの関係もある。生放送で、レポートする方がちょっと言いよどんだ時に、タイミングがずれて、あのテロップもずれて出てしまった。「死体損壊・遺棄事件として捜査本部設置」というテロップがずれて、申立人宅の映像に出てしまった。私が先ほど申し上げたことは、最初の段階で、まだ捜査の全体像がつかめてない段階で、十数人の捜査員がある家に行って車を押収したという事実はあったが、時間を追うごとに少しずつ見えてきて、申立人宅はそれほど捜索もされていないようだと分かってきた段階で、その個人宅の枕とかの映像をまだ使っているというようなところは精査すべきだったのではないかということだ。

(質問)
つまり、夕方のニュースの段階と、昼のニュースの段階では明らかに違うということか。たとえば、夕方のニュースであれば、押収される軽自動車という映像にとどめて、殺されたのは誰かというコメントに申立人宅の映像は使わない、それが抑制された使い方ではないかという理解でよいか。
(城戸委員)
申立人宅の映像は、この段階で、より抑制的に扱うべきではなかったかということだ。
(坂井委員長)
今のところは重要なポイントだと思う。昼のニュースは大変シンプルになっている。19ページ、申立人宅の映像に「関係先の捜索」というスーパー、「関係先」かどうかという議論は別にあり得るが、この使い方と、20ページや22ページの使い方は明らかに違っている。むしろ、城戸委員が言った流れとは逆になっている。捜査の中心は浜松市の2か所だと分かってきたのに、申立人宅の映像が、被害者が誰で、腹部を刺されたことが死因だというコメントのところで出てきて、スーパーで「関係先の捜索」と出てきてしまう。その辺の組み合わせで印象はまったく違う。25ページ、押収される軽自動車の映像には、事件と結びつく証拠がないかどうか調べている、出町さんはなぜ殺害されたのかというコメントがのっている。逆になってしまっている。このことは決定文にも若干書いてある。

以上

2017年7月4日

「都知事関連報道に対する申立て」通知・公表の概要

[通知]
通知は午後1時から、坂井眞委員長と、事案を担当した二関辰郎委員、紙谷雅子委員が出席して行われた。申立人の舛添雅美氏は代理人の弁護士とともに出席し、被申立人のフジテレビからは番組担当者ら6人が出席した。
坂井委員長が決定文に沿って説明し、結論について「子どもに対する肖像権侵害は成立しない。また、雅美氏に関する本件場面の放送は放送倫理上の問題として検討するのが妥当であり、その検討結果として、意図的に不合理な編集がされたわけではなく放送倫理上の問題があるとまではいえないと判断した。ただ、雅美さんは実際には事務所家賃の問題ではなく子どもの撮影に対して抗議をしていたに過ぎなかったという部分がある。取材方法については、取材依頼を事前にすべきであったのにしなかった。被取材者からの言葉に正面から対応しなかったということは、取材・撮影される側が抱く心情や不安に対する配慮、特に本件では子どものことを気にかける親の心情や不安に対する配慮が足りなかったと考える。委員会は、フジテレビに対し、本件場面を放送したことを正当化する主張に固執せず、本決定の趣旨を真摯に受け止め、上記に指摘された点に留意し、今後の番組制作に生かすよう要望する」と述べた。
続いて、紙谷委員が説明し「社会的な評価が下がったという、その基礎となる事実を指摘していないのではないかという観点から、名誉毀損の成立は無理だろうと、ある意味ちょっと技術的な判断を示している。申立人が抗議している場面は、子どもの撮影のことでやり取りがあったというようなことが、仮に説明されていたならば、家賃の質問に怒っているという誤解は生じなかったのではないか。その辺について、ちょっと工夫の余地があったのではないか。レベルの高い日本のテレビ局ということで私たちは期待しているので、もうちょっと配慮があり得たのではないかということになる。子どもが映されることについて、懸念は分かるという委員もいたが、政治家が子どもをダシに取って、『いや、ここからはオフリミット』というふうに取材させないということが起こるのも困る事態ではないかということも議論した。やはり家族が出てくる場面というのは、公人・私人、区別として大変難しいだろうと。映り込みという説明をしているが、簡単に線が引ける問題ではないということは私たちも認識している」と述べた。
二関委員は、曽我部真裕委員と連名で書いた少数意見について説明し、「委員会決定(多数意見)は放送倫理上問題がないとした上で要望を述べているが、少数意見は、雅美氏による抗議を放送した部分につき放送倫理上問題があるのではないかという立場を取っている。多数意見は、申立人のイメージダウンにつながる誤解を視聴者に与えるということをフジテレビは理解できたのではなかろうかと指摘しつつも、理由を4つほど挙げて、そういった事情もあるから放送倫理上問題ないという結論にした構造になっていると思われる。少数意見は、4つの事情をいずれもフジテレビに特に有利な事情と位置付けるのは適当ではないという立場で、例えば、ここでは一つ目についてのみ説明すると、多数意見は映像の順序を入れ替えたり途中でカットしていないという言い方をしているが、本件場面を切り取ったこと自体、そこだけを流すこと自体が不自然な編集であったと評価している。そういったことから、放送倫理上問題があると考える立場が少数意見」と述べた。
決定を受けた申立人は「私に関わる名誉毀損よりも、子どもの撮影に関する主張を何としても認めていただきたいと考えていた。極めて遺憾としか言いようがない。撮影とか取材という名目のもとに、平然と子どもの人権侵害が行われることに強い危惧を感じる」と述べた。
一方、フジテレビは「真摯に受け止めたいと思っている。我々は我々なりの思いで、取材し放送したことは確かだが、第三者の目からご覧になって指摘された点に関しては、真摯に受け止めざるを得ないと思っている」と述べた。

[公表]
午後2時25分から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして決定を公表した。23社51人が取材した。
まず、坂井委員長が判断部分を中心に、「要望あり」の見解となった決定を説明した。続いて、紙谷委員が補足的な説明を行い、二関委員は曽我部委員と連名で書いた少数意見について説明した。

続いて、質疑応答を行った。概要は以下のとおりである。

(質問)
舛添さん側の反応は?

(坂井委員長)
結論については極めて遺憾だというご意見だが、ポイントは、自分としては子どもの撮影の問題に重点があったというご主張だった。委員会決定と少数意見は、雅美さんの「いくらなんでも失礼です」と言う発言をめぐって分かれたが、そこについて遺憾というよりも、子どもが勝手に撮影されてしまう問題をきちんと取り上げてもらいたかった、子どもの人権が侵害されているという気持ちが強かったということがまず一点。委員会決定で認定した撮影状況については、当時現場におられたわけで、自分が認識しているものとはちょっと違うと思うというご意見もあった。
子どもの映像の関係で言うと、映像素材は放送目的以外には出せないというのは、これはもう原則で当然だと思うが、申立人は、撮られた側からしたら、それは見せてもらっても当然じゃないかというお考えをお持ちのようだった。それについて、私の方から「映像素材は原則として放送目的以外には使用しない」という一般的な説明はしたが、ちょっと不満があるということだった。

(質問)
申立人は具体的にどのようにおっしゃっていたのか、また被申立人はこの結果についてどう受け止めていたのか?

(坂井委員長)
「遺憾」の意味は多義的で、私が解説して正確に言えるかどうか分からないが、納得のいかない部分があるということだろうと理解している。1番のポイントは、子どもの撮影に関して問題があると認めてもらいたかったと言っておられたと、私は理解している。
フジテレビのほうは、決定の内容は真摯に受け止めますと、要望の点についてだと思うが、真摯に受け止めますと。局としてはいろいろ考えてちゃんとやったつもりだけれども、ご指摘があるので、それを真摯に受け止めますと、おっしゃっておられた。

(質問)
フジテレビにどういうことを要望したのか、簡潔に教えていただきたい。

(坂井委員長)
実際は雅美さんが子どもの撮影に抗議しているのに、事務所家賃の質問に対してキレてしまったような印象を与えていると、委員会は判断をしている。それについてはやはり問題がありますね。あえて本件場面を放送するのであれば、視聴者に誤解を与えない工夫をすべきではなかったのでしょうかと。例えば、雅美氏が怒っているのは子どもの撮影に関してであったと分かるようなナレーションを付加するなり、実はこの前に子どもの話がありましたよ、ということが分かるようにしていただければ、こういう誤解は生じなかったのではないか、それが1点。
次に、取材方法の適切性がある。まず、取材依頼なしでの取材、これは一般的にアポなし取材を否定しているわけではないが、本件に関しては、こんな早朝に取材に行くのであれば、子どもが出てくることが想定できるのだったら、しかも公共性の高い取材内容だとおっしゃっているわけだから、正面から事前に取材申し込みをしたらよかったのではないでしょうかと。それから、雅美さんは子どもの撮影のことをすごく気にしておられる。結局それが1番問題だった言っておられる。ディレクターが「お話を伺ってもいいですか」と言ったら、「失礼ですよ。子どもなんですよ。やめてください」と反応をしているのに、それに正面から答えないで、続けて家賃収入の件を聞いてしまう。そうすると、被取材者の質問に正面から対応しなかった部分は問題があるんじゃないかと。実際にカメラが焦点を当てていないとしても、長男が撮影されていると雅美さんが不安に感じたことは、撮影対応から考えれば理解できないではない。番組クルーは撮影される側が抱く心情や不安に対する配慮が足りなかった、不安にちゃんと答えていなかったのではないかということに関して要望している。

(質問)
私も早朝とか深夜の取材の経験があるが、やっぱり聞かなきゃいけないことはある。丁寧に説明し、お子さんを取材しているわけではありませんと説明したい気持ちはあるが、けんもほろろに、ワッとやられると、それを工夫しろと言われても、現実的にはなかなか難しいのではないか。

(坂井委員長)
そういうシチュエーションはあるだろうと私も思う。ご質問は、被取材者に対応していると、それで答えが拒絶されたりする時もあるから、そう簡単じゃないという趣旨だと思う。でも、これはお子さんが登校する時間帯に取材に行っているわけで、正当な話なだから、ちゃんと正面から取材依頼をしておけば、子どもが出てきて撮られたという話にはならなかったのではないかという文脈で考えている。取材依頼をしたらよかったのではないかと考えたということですね。

(質問)
お子さんを映しているわけじゃありませんと、説明しなかった、できなかった点が問題だと言っているわけではないということか。

(坂井委員長)
申立人が、最初から子どもの撮影をすごく気にしていて、「失礼ですよ。子どもなんですよ」ということを言っている時に、それに答えていない。例えば「お子さん撮るつもりはもちろんありません」、「カメラを一旦止めますから」というような対応は一切なくて、お子さんのことに対しては答えない。そのことで、雅美さんが、ますます「いくら何でも失礼です」と言ったように見える、そこの問題は、取材依頼とはちょっと別の問題としてあると思う。

(質問)
でも、取材者に対してこちらの取材姿勢を説明する時間があったら、聞くべきことを聞きたいと思う。

(坂井委員長)
お気持ちは理解するが、お子さんが登校している時に、お母さんが怒ったら、そこはやっぱり配慮したほうがいいんじゃないかと思う。

(質問)
理想論としてはそうかもしれないが、実際には現場でそんな余裕はないかと思う。あまり言い過ぎて、要するに取材を萎縮させてはいけない。

(坂井委員長)
萎縮させてはいけないが、委員会として言うべきことは言わないといけないこともある。そういうご質問がよく出るが、よく考えていただきたいのは、本件に関しては、勧告でもなく、見解の中の「放送倫理上問題あり」でもなく、あくまで「要望」として述べているというところを見てもらいたい。

(質問)
結果的に断られるか否かは別として、取材依頼を試みることは通常の取材手続きとして重要かつ基本的なことであると。なおさら正面から取材申し込みをすべきであった、と書かれているが、取材者たちは何とかコメントを取ろう、何とか肉声を取りたいと、ありとあらゆることを総合的に判断して取材に出ていると思う。別のケースによっては、相手の状況を鑑みて、気を付けながらも夜討ち朝駆けもありだという理解でいいのか。

(坂井委員長)
そういう理解でいい。以前の国家試験委員の事案(委員会決定49号)の時にはそういうことは言っていないので、それはケースバイケースだと。今回はお子さんが絡んでしまったケースなので、そういうやり方がよかったんじゃないかと。
これは委員長の立場を離れるが、私の弁護士としての活動でいきなり取材が来ることはもちろんあるし、事務所の前でメディアの方が待っていることも経験している。一般論として事前に取材依頼をしないとダメだということを言ったという趣旨ではない。

(質問)
フジテレビに対して、「正当化する主張に固執せず」という表現があるが、これがあえて入っているのは何か意味があるのか。

(坂井委員長)
決定文でフジテレビの主張をカギ括弧で引用しているが、この放送の正当性をかなり主張されている。それについて、結論として放送倫理上問題ありとはしていないけれども、要望する点があるので、そこも考えてねと、そういう文脈の記載です。

(質問)
私も事件取材が長く、疑惑の渦中の人に対して取材依頼するが、だいたい断られる。そういった場合には、家から出てくるところにぶら下がったり、突撃インタビューとかするが、それも拒否される。一度取材依頼をしているから、ちょっと無理やりインタビューしようという考えもあるが、そういったときに時にあまり取材の配慮が足りないと言われると、ちょっと現場が萎縮してしまうのではないか。

(坂井委員長)
それは全然そういうことではなくて、これは子どもの話が絡んでいるのでこうなっている。申立人が政治資金規正法に絡む会社の代表として取材依頼を受けた時に、拒否をしたと、例えばですね。それで、拒否されても、これは聞くべき事項だから取材に行く、当然だと私も思う。取材拒否されても、聞くべき事項だから聞くのは大いに当然でしょという話ですね。

(質問)
本件の場合、取材依頼をしていなかったというのは若干問題があるんじゃないかと思うが、もし取材依頼をして拒否された場合でも、こういうやり取りは普通あると思う、子どもが出てきた時にどうしても行かざるを得ない、そういう状況もあると思う。

(坂井委員長)
例えば、子どもと一緒にしか出てこないという人がいるかもしれない。そういう時に、子どもがいるから取材できないという話だったら、それは間違っていると思う。われわれも子どもの映り込みについては肖像権侵害ではないと判断している。相当の範囲で映り込むのはやむを得ない、だから肖像権侵害もないし、放送倫理上の問題があるとも言っていない、でもここは気を使ってよ、というレベルの話です。

以上

2017年3月10日

「事件報道に対する地方公務員からの申立て」事案の通知・公表

[通知]
本事案の2つの委員会決定の通知は、3月10日にBPO会議室において行われ、委員会から坂井眞委員長、市川正司委員長代行、白波瀬佐和子委員に加え、少数意見を書いた中島徹委員が出席した。少数意見を書いた、奥武則委員長代行と曽我部真裕委員は海外出張のため欠席した。
通知は、まず午後1時からテレビ熊本に対する委員会決定第63号について、申立人と被申立人であるテレビ熊本の取締役報道編成制作局長ら3名が出席して行われた。引き続き午後2時からは、熊本県民テレビに対する委員会決定第64号について、申立人と被申立人である熊本県民テレビの取締役報道局長ら2名が出席して行われた。
それぞれの通知では、坂井委員長が委員会決定の判断のポイント部分を中心に説明し、名誉を毀損したとは判断しないが、放送倫理上問題があるとの結論を告げた。その上で、テレビ熊本、熊本県民テレビそれぞれに対して「本決定を真摯に受け止めた上で、本決定の趣旨を放送するとともに、公務員の不祥事への批判と言う社会の関心に応えようとする余り、容疑者の人権への配慮がおろそかになっていなかったかなどを局内で検討し、今後の取り組みに活かすことを期待する」との委員会決定を伝えた。
また、少数意見について、欠席した2名の委員の少数意見を坂井委員長から伝えた後、中島委員が自身の少数意見について述べた。
委員会決定の通知を受け、申立人は、「自分の主張の一部が認められたことはよかったが、人権侵害を認めてもらえず残念だ」との感想を述べた。これに対して、被申立人のテレビ熊本は、「真摯に受け止め、人権に配慮した報道に取り組んでいきたい」と述べ、熊本県民テレビは、「真摯に受け止め、指摘を受けた内容を今後の放送に活かしていきたい」と述べた。

[公表]
委員会決定の通知後、午後3時15分から千代田放送会館2階ホールにおいて記者会見を行い、決定内容を公表した。22社48名が出席し、テレビカメラはNHKが在京放送局各社の代表カメラとして会見室に入った。
参加した委員は、坂井眞委員長、市川正司委員長代行、白波瀬佐和子委員、中島徹委員の4名。少数意見を書いた奥武則委員長代行、曽我部真裕委員は、海外出張のため欠席した。
会見ではまず、坂井委員長が委員会決定第63号と第64号を続けて、それぞれの判断のポイントを中心に説明した。その要旨は、放送が示した事実のうち、逮捕の直接の容疑となった事実以外の、テレビ熊本においては4つの、熊本県民テレビにおいては3つの事実について、「真実であることの証明はできていないが、副署長の説明に基づいてこれらの点を真実と信じて放送をしたことについて、相当性が認められ、名誉毀損が成立するとはいえない。」と判断したが、しかし、真実性の証明できない事実を、本件に特殊な事情があるにもかかわらず、真実であるとして放送したことは、「申立人の名誉への配慮が十分ではなく、正確性に疑いのある放送を行う結果となったものであることから、放送倫理上問題がある。」としたというものであった。
委員長からの説明を受けて、起草を担当した市川代行、白波瀬委員から補足の説明を行った。市川代行は、「名誉毀損には当たらないとしたが、別途に、『放送と人権等権利に関する委員会(BRC)決定』や民放連の『裁判員制度下における事件報道について』の指針等に鑑みて、放送倫理上求められることを検討することは必要なことと考えた」と述べ、放送倫理上の問題として検討した背景を伝えた。また、白波瀬委員は、「何を真実とするか、現場は大変なことがあると思うが、報道される当事者がいることへの配慮と注意を払ってほしい」と付け加えた。
一方、委員会決定と意見を異にする少数意見については、欠席した奥代行、曽我部委員の少数意見の内容を坂井委員長が伝えた後、中島委員から、自らの少数意見について、「委員会決定は、警察への取材に疑問を抱き質問するべきであったと指摘しているが、それを現場に求めるのは酷な状況だった。今後確立するべき倫理を一気に確立させようというのは行き過ぎのように思う」と説明した。

この後、質疑応答に移った。主な内容は以下の通り。

<申立人、被申立人の反応について>
(質問)
決定に対する申立人と被申立人の反応はどうか。

(坂井委員長)
申立人は「自分の主張で認められた部分があることはよかったが、人権侵害がなかったというのは残念だ」と述べた。テレビ熊本は、「真摯に受け止める」、熊本県民テレビは「真摯に受け止め、今後の報道に生かしていく」と述べた。また、申立人はさらに、「(放送局が)真摯に受け止めると言うだけで終わってしまうのでは、私の失ったものの大きさと比べて納得感がない」、「放送で情報を流すのは簡単だが、流された方はそれだけで終わりではない、その後も人生が長く続く、それを意識して報道して欲しい」と述べた。

<放送原稿の表現について>
(質問)
「逮捕されたのは誰々です」その後に「逮捕容疑については認めている」という表現なら印象が変わるのか。あるいは、最後に「逮捕容疑を認めている」と書くことであれば、純粋な逮捕容疑を認めているという、全体ではないですよ、ということにはならないか。
また、原稿の「容疑を認めているということです」、記者レポートの「連れ込んだということです」と、「いうことです」というのは、警察からの伝聞だということで入れている表現で、テレビではよく使う言い回しだ。「連れ込んだと警察が説明しています」とか「と見られます」ならいいのか。
あるいは、例えば「調べに対して容疑者は『間違いありません』と逮捕容疑を認めているということです」という原稿であれば、判断は変わるのか。容疑と経緯を分けて書かないといけないというのは違和感がある。

(坂井委員長)
「逮捕容疑を認めています」とあれば必ず容疑事実に限られるとか、「ということです」を「と見られます」に言葉を1つ替えればよいのか、ということではない。番組全体を一般視聴者が見た時に、どういう印象を受けるかということが重要だ。それはダイオキシン報道についての最高裁判決が参考になる。その点は、当然、全体的な報道の仕方で変わってくる場合もある。ご質問の点について、あくまでひとつの例として挙げれば、「逮捕の容疑事実はこうで、それは被疑者は認めているけれど、警察はこういうことも疑っている」とか、犯行に至る経緯については「警察はこう言っている」というように放送していたら、だいぶ一般視聴者の受ける印象は変わるのではないか。
また、本件独自の特殊性もある。そのひとつであるが、裸の女性を無断で写真に撮ったことを被疑事実として準強制わいせつで逮捕というケースはあまりない。意識を失わせて自宅に連れ込んで、その後無断で服を脱がせたというのなら、通常はそれだけで強制わいせつになる。しかし、本件では、そのような事実は容疑事実とされておらず、無断で裸の写真を撮ったという事実だけが容疑事実とされている。警察がより悪質性の高い部分まで疑いを持つのはあり得ることだとしても、逮捕容疑はその点をのぞいたところだけに絞られていた。であれば、それはなぜかという疑問も生じ得る状況だったわけだ。しかし、本件放送全体として見た場合に、広報担当が容疑事実について「それを認めている」と説明したことについて、容疑事実に含まれておらず犯行の経緯とされていたより重い事実についてまで、それらの事実を「認めている」と理解できる放送内容になっていたところが問題なのだ。
逮捕容疑事実として事案の概要に書いてあることしか報道してはいけないと委員会が言っているわけではない。公式発表とか確定した事実以外で独自に取材をして、「これは事実だ」と思って書くことは当然あっていい。報道はそういうものだと思うが、その場合、書く側に真実性ないし相当性の立証ができなければならないから、その確信がなければいけないということだ。そうでなければ、客観的な事実として放送するのではなく、警察はこういう疑いも持っているという表現にとどめるべきだということになる。

(質問)
警察の広報は、逮捕直後に取った調書を基に各社に話すと思う。それで「認めている」と言えば、それを信じて書いてしまう。「どこまで認めているのか」と副署長に聞けば良かったということか。

(坂井委員長)
そうすればはっきり分けて書けたかもしれない。本件の取材の経過を聞くと、その点をはっきりさせないで、そのまま容疑事実以外の部分まで認めたとして放送したということだと思う。しかし本件の問題は、「どこまで認めているのか」と副署長に聞けば良かったかどうかということではない。記者の質問の内容と、それに対する広報担当の対応に行き違いがあり、それが本件のような放送内容につながったという点だ。記者に、広報連絡記載の事案の概要について「容疑事実を認めているのか」と質問され、広報担当は逮捕容疑事実を「認めています」と答えた。ところがその後のやり取りの中で、事案の概要に記載のない警察の見立てについて広報担当が述べてしまい、そのために容疑事実をはみ出た部分まで被疑者が認めていると記者は信じてしまった。そのような経緯からすると相当性は否定することまではできない、と決定は判断した。
基本的に逮捕容疑事実以外のことについて「認めていますか」とは聞かないはずだから、「認めている」というのは容疑の話になるはずだ。けれど、そのはみ出た部分の話まで広報担当が述べてしまい、それを含めて認めたと記者が信じたことからこういう問題になったのだと思う。

(質問)
視聴者がどう受け取るかということですが、警察からどう聞いたかというのを聞いた時に、果たして、分けて書く、分けて書いたら、視聴者にほんとに通じるのか、逮捕容疑と容疑を、「逮捕容疑を認めているという」と、「容疑を認めている」というのを、その2つで何か違いがそこまであるのか。

(坂井委員長)
「逮捕容疑を認めている」と「容疑を認めている」とを比べて視聴者がどう受け取るかに関し違いはないのではないかと質問されているが、決定はそういうことは述べていない。視聴者に違いが分かるように放送するべきだと述べている。そしてその違いが分かるように放送する意味はあるということだ。逮捕された容疑は何かと、警察がどういう疑いを持っているかということは、意味が違うし、警察が間違うこともある。場合によったら警察発表に疑いを持つのもメディアの役割だ。「警察が言ったから事実と信じた」というだけでは通らないと思う。この決定は、そこをちゃんと区別しましょうという決定だ。

(質問)
「薬物」に関する表現で、テレビ熊本の「疑いもあると見て、容疑者を追及する方針です」は、「疑い」と「追求する方針」という言葉が強いということだが、熊本県民テレビは「警察は容疑者が・・・薬物を使って意識を朦朧とさせた可能性も含めて」と、むしろ「容疑者が」と名前を出していて、「やった」という印象が強いのではないか。

(坂井委員長)
テレビ熊本は「容疑者が」と明示して入ってはいないが、文脈としては「容疑者が」と読める。また、明確に「追及する方針です」と書くことと「可能性も含めて調べる」とではニュアンスは大分違う。

<フェイスブックの写真使用について>
(質問)
フェイスブック等からの画像の引用について、出典の明示をした場合の、懸念される事象についての言及がなされているが、委員会では出典を明示すべきかどうかについて、まとまった意見はあるのか。

(坂井委員長)
メディアでは、「フェイスブックより」と書かれることが多いのは理解しているが、本件ではその点については触れていない。この事案では「フェイスブックより」と書いたことで、全く関係のない親族や友人が実際に迷惑をこうむったようなので、そのような問題もあるからその点は少し考えたほうがいいということを指摘した。

(質問)
最近フェイスブックの写真を使うケースが多い。このぐらいの重さの事案であれば、(使用は)おおむね大丈夫と理解していいか。

(坂井委員長)
大丈夫という言い方は出来ないが、今メディアの中でフェイスブックの写真を使っていて、フェイスブックの写真は一般的にはある程度の範囲で見られてもやむを得ないという前提で載せられている。従って「だめだ」ということにはならないが、使い方によっては、問題が起きることもある。つまり、どんなケースでもOKだということにはならない。いろいろな議論があり、この点はまだコンセンサスが出来ていないと思う。ただ、フェイスブックから写真をもってくること一般がだめという議論をしているわけではない。それはケースバイケースだろう。一般論を言えば肖像権が万能ではない。表現の自由、報道の自由という問題もある、そのバランスのとり方ということだ。

<その他・審理の経緯等について>
(質問)
示談が成立して女性が被害届を取り下げて不起訴になった背景は、どの程度考慮されたのか。事実が非常にグレーな中で、放送倫理上問題があると判断したことについて説明してほしい。

(坂井委員長)
社会的評価が下がる事実を適示して報道する以上は、報道する側が真実性、相当性の立証責任を負う。この放送で示された事実についての真実性の立証は出来ていなかったが、相当性があったということで、名誉棄損ではないと判断した。
しかし、この事案で重要な部分、裸の写真を無断で撮るという事実だけでなく、それだけでなく女の人を酒に酔わせて家に連れ込んで、意識のない女性を裸にして、写真を無断で撮ったというのでは、社会的な非難は違う。そのような重要な事実について放送する以上、その真実性や相当性を放送する側は立証しなければいけない。
そして、相当性はあるが、真実性はないという結論であるならば、そのような重要な事実について真実性の立証できない事実を放送したことについて、名誉棄損にはならないとしても、放送倫理の問題として考えるべきだということだ。

(質問)
あまり抑制的に話されても困るが、BPOとして、警察の発表の仕方に何らかの考えを伝えることはあるか。

(坂井委員長)
警察に対して何か伝えるようなことはない。

(白波瀬委員)
専門も違うし、初めての経験で、不適切かもしれないが、質疑応答をずっと聞いていて、違和感を覚える。この事案は、申立てがあって議論を積み重ねたものだ。皆さんの質問を聞くと、ほんとに身につまされる感じを受ける。ただ、この報道は、一般視聴者に対して発せられた時点で具体的な姿として出てくる。その時に、どういうかたちで報道を積み上げたかという議論をしているが、その報道の対象となった人がいる。皆さんは、どういうかたちでマニュアル化して、今後、同様の申立てが来ないようにしようかとしているのはわかるが、委員会での議論の中で、非常に感じたのは、公務員に対するバッシングという社会的背景と、連れ込んだ裸の写真というものが、非常に既成の枠組みの中で解釈されているということだ。
それは、今まで、ある意味では常識的だったことであるかもしれないが、その常識だと、こういうストーリーはあるだろうといった危険性には、どこかでブレーキをかけるべきではないかと感じた。
私は、裸の写真を撮るというのは、もしかしたら今の若い子たちにとったら、そんなに特別なことではないかもしれないし、そのこと自体がどれだけの問題があるのかっていうことも含めて、ちょっと見直し、疑問を持っても、十分良いというか、立ち止まるべき時期で、この結論は、論を尽くした結果ということだ。

(質問)
白波瀬委員にお尋ねします。今の若い女性にとっては、裸の写真を撮られるのは何でもないことではないのか、とおっしゃいましたが、被害者の話を聞かずに議論をされている中で、それはどのような見識に基づいているのでしょうか。

(白波瀬委員)
大したことではない、と言ったのは、すごく語弊があるのだが、何が起こったのかといった時に、裸の写真を撮ったということは、申立人は認めているが、連れ込んだ云々については認められないということであり、そういうことはないかもしれないというふうに私は言ったつもりだったのだが。
つまり、状況というのが出て来た時に、もちろん何の合意もなく、そういう行為をした、つまり裸の写真を強制的に撮ったとか、そういうことは、もちろん問題だとは思うのだが、状況自体で、そのストーリーを、良し悪しを最初から前提としてつけるというのは問題ではないかといった意味での例を出したつもりだ。
すいません、言葉足らずで申し訳なかったです。
つまり、そういう状況自体を想定するときに、我々もずっと年齢的には高く理解しにくいが、その場面が、今実際の場面と同じようなことが起こっていると想定することが、正しいかどうかということ自体も、疑問符がつくという意味だったのですが。

(市川代行)
白波瀬委員の発言は、審議の中で、本件のことと言うのではなく一般に、知人の女性と、一定の関係のある女性と、部屋の中で裸の写真を撮るという行為が、意外と若い方の中では、同意の上でそういう例もあるかもしれないということも指摘があったということであって、いろんな背景を想定したということだ。

(質問)
「見解」が出ると、放送倫理、あるいは番組の質の向上のために、見解の内容をどういうふうに落とし込むべきか現場では考える。その点、委員会にも理解していただきたい。判断に至った法律的な論拠みたいなものはいっぱい書いてあるが、その先、どういうふうに現場に落とし込むかという部分への道筋みたいなものが見えない。もちろんそれを考えるのは私達だということかもしれないが。

(坂井委員長)
委員会が考えていないわけではない。しかし、現場でどう落とし込むかと言う問題は、本質的には、決定の内容を受けて現場の皆さんが考えることではないか。NHKと民放連、民放各局が作ったBPOで、評議委員会によって選ばれた委員会のメンバーが、運営規則に則って判断をしている。そこでの判断は、現場がどう受け止めるのかという視点ではなくて、申立人が、申し立ての対象とした放送内容について、申立て内容との関係で、その放送はどう評価されるべきかという観点において、言わばフラットな立場で判断している。その判断の際に、現場のことを考えて判断するという姿勢で結論を出し、その結果、お手盛りなどと言われるようなことがあってはならないと思っている。
現場のことを考えていないと言われたらそれは悲しいことだが、実際問題として、ここを考えればこういう内容にできるのに、という私なりの考えはある。各地での意見交換会の機会にも、その際の題材に応じて、こういう問題なので、ここはこう考えれば問題を生じませんよということを話している。そういうことは我々の方からこうしなさいということではなくて、まずは自律的にやるべきことであろうと思う。逆に現場の方が、ここは違うのでないかという意見があれば、是非聞きたいし、委員会の側も意見を言う。そういう中で自律的に動いていくものなのだと思う。

(質問)
他の地元局、NHKも、同じような報道をしたと思うが、他局はこの正確性に欠いた細かいニュアンスの部分を上手く分けて報道したのか。他局も同様な表現があるのに、そこを審議しないのはフェアではないのでは。

(坂井委員長)
制度の問題であり、放送人権委員会は、申立てのあった放送を取り上げることしかできない。我々の側から、関連する他の放送を取り上げて、その番組に口を出すことはしてはいけないし、できない。
本件でも、かなりの時間をかけて議論をする中で、こういう問題があるということで決定の結論に収束をしていった。3つの少数意見も、問題があるとまでは言わないが、決して現状でいいと言っているわけではない。逆に、放送倫理上問題があるとは言えないが、こういうことは問題だと、さらに補足をしている。9人の委員が議論を続けて、この結論になったとしか申し上げられない。
この事案に関して言えば、放送によって申立人がどういう状況に陥ったかを考える視点は必要だろう。放送はその時だけのことだが、放送された影響を受けて、申立人の人生はずっと続いていくという重さがある。そのような放送の持つ重みという意識も必要で、決定の結論の背景として指摘しておきたい。

(市川代行)
テレビ熊本も熊本県民テレビも、警察の発表に依拠して報道しており、真実と信じたことについて相当性があると考えて、報道は認められるべきだとの立場であろうが、本件は、警察の情報に依拠する中で、どういう点に気を付けるべきなのかというのが中心的な論点ではないか。
また、決定の「はじめに」で、この2局だけが直面した問題ではないだろうと書いた。通常の取材過程の中で発生し得る問題だという問題意識は、我々も触れていている。申立てを受けていないものについて委員会が判断するわけにはいかないが、決定がいろいろな現場に与える影響、現場の受け止め方も考えている。おそらく各委員も、同じ思いで、どういうグラデーションでいくのかと議論し、その結果が今回の結果だと思う。

(質問)
「抗拒不能」は法律用語で、一般のニュース、日常会話では使わない。それはどういうものかと、容疑事実を確認している。でも、視聴者はこれ全部容疑事実と思うのではないかとか、これだけのことをバツと言われている。そこをもっとしっかりやりなさいというのは分かるが、ここまで言うと萎縮してしまうのではないか。

(坂井委員長)
その点に関しては、決定は相当性を認め、名誉毀損は成立していないという結論としていることをよく理解してもらいたい。それを踏まえれば、放送倫理上の問題を指摘されたから委縮するなどということにはならないのではないか。そうではなく、今後対応することが可能な問題だと思っている。犯罪報道の在り方は、古くて新しい問題だ。容疑事実を認めるとした場合、どこまでどのように書けるかという話が繰り返し出て来る。そのような状況でも、本件に関して出来ることはあっただろうというのが、今回の委員会の決定だ。

以上

2017年2月10日

「STAP細胞報道に対する申立て」事案の通知・公表

[通知]
通知は、被申立人に対しては2月10日午後1時からBPO会議室で行われ、委員会からは坂井眞委員長と起草を担当した曽我部真裕委員、城戸真亜子委員、中島徹委員に加え、少数意見を書いた奥武則委員長代行、市川正司委員長代行の6人が出席した。被申立人のNHKからは報道局長ら4人が出席した。申立人へはBPO専務理事ら2人が東京都内の申立人指定の場所に出向いて、申立人本人と代理人弁護士に対して、被申立人への通知と同時刻に通知した。
被申立人への通知では、まず坂井委員長が委員会決定のポイントを説明、名誉毀損の人権侵害が認められることと取材方法に放送倫理上の問題ありとの結論を告げた。その上で、「委員会としてはNHKに対し本決定を真摯に受け止めた上で、本決定の主旨を放送するとともに、過熱した報道がなされている事例における取材・報道のあり方について局内で検討し、再発防止に努めるよう勧告する」との委員会決定の内容を伝えた。
この決定に対してNHKは通知後、「BPOの決定を真摯に受け止めますが、番組は、関係者への取材を尽くし、客観的な事実を積み上げ、表現にも配慮しながら制作したもので、人権を侵害したものではないと考えます。今後、決定内容を精査したうえで、BPOにもNHKの見解を伝え、意見交換をしていきます」等とのコメントを公表した。
一方、申立人は通知後、代理人弁護士が報道対応し、申立人本人のコメントとして、「NHKスペシャルから私が受けた名誉毀損の人権侵害や放送倫理上の問題点などを正当に認定していただいたことをBPOに感謝しております。NHKから人権侵害にあたる番組を放送され、このような申し立てが必要となったことは非常に残念なことでした。本NHKスペシャルの放送が私の人生に及ぼした影響は一生消えるものではありません」との内容を公表した。

[公表]
同日午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見を行い、委員会決定を公表した。28社51人が取材、テレビカメラはNHKと在京民放5局の代表カメラの2台が入った。
出席委員は坂井眞委員長、曽我部真裕委員、城戸真亜子委員、中島徹委員、奥武則委員長代行、市川正司委員長代行の6人。
会見ではまず、坂井委員長が委員会決定の判断部分を中心にポイントを説明し「本件放送は、STAP細胞の正体はES細胞である可能性が高いこと、また、そのES細胞は、若山研究室の元留学生が作製し申立人の研究室で使われる冷凍庫に保管されていたものであって、これを申立人が何らかの不正行為により入手し混入してSTAP細胞を作製した疑惑があるとする事実等を摘示するものとなっている。しかし、元留学生が作製したES細胞を申立人が不正行為により入手し混入してSTAP細胞を作製した疑惑があるとの点については真実性・相当性が認められず、名誉毀損の人権侵害が認められる」と、当該番組の問題について説明した。その後、起草を担当した曽我部、城戸、中島の3人の委員が補足の説明を行った。
曽我部委員は「補足として3点あげる。1つ目は、双方の主張は科学的なことにかなり集中していたが、本決定はあくまでこの番組が示した内容が申立人の人権侵害に当たるかどうかなどの観点から判断したことを確認してほしい。2つ目は、調査報道を否定するものではない。本決定は、個別の正確性ももちろん重要だが、それを編集した時に視聴者に与える印象というのも重要だということを示したものだ。3つ目は、この番組は非常に緻密なところと非常に粗いところが奇妙な同居状態にあるという印象を受けた。場面、場面を報道する趣旨が不明確だったのではないか」などと述べた。
城戸委員は「この番組は調査報道、つまり発表に頼らずに自身で検証していくという番組だった。そういう現場が萎縮してしまうようになってはいけないというのが委員共通の認識だった。また、内容自体が大変複雑で専門的な分野に関することだったこともあり、問題の理解や論点の絞り込みなどに丁寧な議論が重ねられたということを報告したい」と審理に臨んだ委員の認識などを説明した。
中島委員は、「調査報道等を萎縮させるべきではないというのはそのとおりだが、調査報道であれば、ゆえなく人を貶めていいかというと、もちろんそういうことにはならない。個人的な意見だが、調査報道というのは第一義的には権力に向かうべきものだと考えている。この番組で言えば、権力は理研なのであって、STAP細胞が理研にとっていかなる意味を持っていたのかを組織と個人という視点から追及するのが本来のあり方ではなかったのかと思う」と述べた。
さらに少数意見を書いた奥委員長代行、市川委員長代行がそれぞれの少数意見が委員会決定とどのように違うのかなどについて説明した。

この後、質疑応答に移った。主な内容は以下のとおりである。

(質問)
編集上の問題があったとされているが、編集が正しくされていれば問題はなかったということか。

(坂井委員長)
番組では、元留学生が作製したES細胞にアクロシンGFPが組み込まれているとは言っていない。しかし、ES細胞という点で若山氏のところに元々あったアクロシンGFPの入ったES細胞と元留学生のES細胞との間につながりが示され、それがなぜ小保方さんの研究室にあったのかという疑問が呈される。若山氏のES細胞と元留学生のES細胞とは時期が違うが、NHKは2年後の保管状況を問題にしていると主張した。しかし、そんなことは番組にはどこにも出てこなくて、STAP細胞の正体はなにかという一つの流れとして出てくる。
そういう事実関係がある時に、例えば「取材で、これは2年後のもので、前の話題の若山研究室のES細胞と同じかどうか分かりませんけれども、でも小保方さんの研究室にこういうES細胞がありました」と言うのであれば、それは事実を事実として言っている訳で、真実性も相当性も出てくるが、番組の中ではそういう区別をしていない。それをちゃんとすれば、というところが、「編集上の…」という話だ。

(質問)
摘示事実c)d)について連続性があるので相当性が認められないということだが、これは編集の問題とは関係ないということか。

(曽我部委員)
摘示事実と言うのはNHKが言いたかったことそのままではなく、視聴者が番組を見てこの番組がどういうことを言っているかを受け止める内容だ。編集の問題がどこに関わるかというと、摘示事実の受け止めに関わる。紛らわしい編集をした結果、この番組はこういうことを言っていると視聴者が受け止めるだろうというのが摘示事実のc)d)だ。
それに対してNHKはc)d)に真実性・相当性があると立証できるかというと、それはそうではない。

(坂井委員長)
端的に言うとES細胞混入の可能性があることは、他の科学論文でも言われている。また、元留学生のES細胞が小保方研究室の冷凍庫から発見されたことは事実だから、それを報道しただけではこういう問題にはならない。しかし、ES細胞混入の話と冷凍庫から見つかった元留学生のES細胞の話を、明示はしていないけれどこの番組のような流れで作ってしまうことで「不正に入手して混入したのではないか」と視聴者が受け止める作りになったのが問題なのだ。

(質問)
(5)と(6)は本来は関係ないことで、それは取材者であるNHKにもわかっていることなのに連続しているような編集をしているということか。

(坂井委員長)
連続しているように見えるし、2年間の時期の違いは知らないはずはない。専門的な知識の話ではなく、事実の話だ。
元留学生のES細胞にアクロシンGFPが入っているかどうかを、NHKが分かっていたかどうかは委員会には分からない。委員会決定は、分かっていたかどうかはともかく、そういう作り方をしてしまったら視聴者にはこう見えるということを指摘している。アクロシンGFPが入っているかどうか分からなければ、分からないと言い、元留学生のES細胞の発見は2年後のものだときちんと言えばこんな問題にはならない。
なお、時期については、この問題に詳しく、2年の時期の差が分かる人が見たとしても、この作りでは意味が分からなくなるので、やっぱり(5)(6)を繋がったものとして見るだろう、と委員会決定には両面から書いてある。

(質問)
確かにあの作りだとアクロシンGFP・ES細胞と冷凍庫にあった元留学生の由来の分からないES細胞がつながることが問題だというところは分かった。では、元留学生のES細胞とアクロシンとの関係を明示して、「ES細胞の混入があったのではないか」「元留学生のES細胞が小保方さんの研究室にあった」と分けて表現するような編集の仕方であれば人権侵害にはならないという理解なのか。

(坂井委員長)
摘示した事実について真実性・相当性が立証できれば名誉毀損は成立しない。
そもそもNHKは別の話だと言っていて、元留学生のES細胞が、なぜ小保方研究室にあったかを、理研の保管状況がいい加減だという趣旨で問うていると主張している。
しかし、番組ではそういう作りになっていない。元留学生のES細胞の樹立当時にSTAP細胞研究をやっており、それが混入したのではないかという文脈ではない。逆にそういう事実があるのであれば、STAP細胞研究当時に元留学生が作ったES細胞があった、それが混入したのではないかという話をする分には、そのような事実を立証できればいいわけだ。
疑惑を提示するなら「疑惑を提示する」と言って、その疑惑を持つにはこういう裏づけ事実があると言えば人権侵害にならない。けれど、この作りで提示された事実については裏づけ事実はない、という構成だ。

(質問)
確認だが、アクロシンGFPが入っているES細胞が若山氏に心当たりがあるというところで話を止めて、一方で若山研にあった元留学生が作ったES細胞が小保方氏の冷凍庫にあったという事実を提示して、なぜここにあったか答えてほしいというナレーションが入るというような作りであれば問題なかったのか。

(坂井委員長)
私どもが言っているのは、ちゃんと区別をする作り方ができたのではないかということだ。区別ができるならば、今、あなたが言ったような作り方もあると思う。
専門知識を持った人は分析的にみられるが、普通の人はSTAP細胞、ES細胞、アクロシンGFPなどは知らないし、そういう人は番組を分析的に見ないから、ここは違うな、とはわからない。だから、そこをちゃんと区別していくということは大事ではないかということだ。

(質問)
つまり元留学生が作ったES細胞があたかもアクロシンGFPが入ったES細胞であったかのように、見た人が誤解してしまうところがいけないのか。

(坂井委員長)
正確に見たら元留学生のES細胞にアクロシンGFPが入っていたのかどうかということを考えなければわからないという理屈はある。しかし、あの番組を普通の人が見る場合、アクロシンGFPの説明の部分で印象に残るのはES細胞混入疑惑なので、その後に元留学生の作製したES細胞というのが出てくると、こっちにはアクロシンGFPが入っていないから関係ないとは思わないのではないか。

(市川委員長代行)
それは、少数意見の私も同じで、STAP細胞がES細胞に由来しているのではないかという疑惑があるという所まで映像が進んで、次に若干の映像は入るが、元留学生のES細胞があったという映像がでると、それはやはりSTAP細胞が元留学生のES細胞に由来すると、当然繋がって理解されるだろう。
もしそういう意図が無いのであれば、そこはきちっと切り分けて、そういう印象を与えるような映像にはすべきではなかった。こうすればよかったという仮定の議論は色々あると思うが、そこの点では基本的には私も同じ意見だ。

(質問)
アクロシンGFP入りのES細胞が、どうもSTAP細胞の正体らしい、それが若山氏のラボにあったというファクトが提示される。一方で、それとは関係のない細胞だったけれども、若山氏のラボにあったはずの元留学生の細胞が、小保方氏の冷凍庫にあったという、この2つのファクトを提示されたら、見る人は小保方氏は不正な方法で細胞を入手する人だと思ってしまうのではないかと思う。そうだとしても、そこはファクトを放送しているのだから、人権侵害にはならないという判断でよろしいのか。

(奥委員長代行)
私の考えは、今あなたがおっしゃったような考えだ。疑惑を追及するには相当性があった。だから名誉毀損とは言えないという話だ。委員会決定は、要するに繋がっているから、このES細胞は元留学生のES細胞だと言っている訳だ。そこまでは、事実摘示されてないというのが、私の考えだ。

(曽我部委員)
今の質問は、今回の番組とは違って別々に提示したとしても、やはり視聴者はそう見るのではないかという趣旨かと思う。
その場合、これはもちろん具体的な作りによるが、別々に提示した上であれば、それぞれ根拠は言える。しかし、今回の番組はそこは言えないという点に違いがある。要するに、元留学生の細胞が小保方研にあったということ自体は事実だ。そこに一定の根拠があるので、疑惑が持たれたとしても、それは正当な指摘だということで、名誉毀損にはならないかもしれない。
今回の番組は、そこについて根拠が提示できなかったので、許されない名誉毀損であると判断された。社会的評価が低下したとしても、根拠があれば許される。今回は根拠が無かったので、許されない名誉毀損であるとされた。

(坂井委員長)
もう一言言わせていただくと、別々に提示してもそうなってしまうのではないかとおっしゃるが、問題は提示の仕方なのだ。今の質問は、「違う話ですよ」とわかった上で、別々と言っているからいいが、テレビの作り方においては、いろいろなテレビ的技法があり、別々に提示した形をとっても一般視聴者には別々に見えないような内容にすることだってできる。これは明らかに別の問題だということをわかるように提示すれば、それはありかもしれない。
それがまさに編集上の問題と言っていることとも繋がると思う。別々に提示すると抽象的に言っても、いろんなやり方がある。そこのところを、理解して頂けたらなと思う。

(質問)
電子メールのやり取りのくだりだが、「科学報道番組としての品位を欠く表現方法」という所が出てくるが、申立人の主張の概要を見ると、「科学番組という目的からすると重要ではない」とある。あえて「科学報道番組としての品位」という表現を入れたのは、一般の報道番組と違うという趣旨か。

(坂井委員長)
メールの内容はほとんど具体的なことは言っていない。それをわざわざ男性と女性のナレーターを使って、何か意味ありげに表現するのは、その番組の目的からしてどうだろうか、ということだ。
世間的に大変話題になった問題を調査していく科学報道番組と、いわゆるバラエティとか情報バラエティの中で作っていくのとでは、自ずからその表現は違うと思う。この番組は、硬派というか、高い公共性を持ってやっていく中で、それほど重要でないメールの内容を、あのやり方で表現するというのはどうかなという、そういう趣旨だと私は考えている。

(質問)
メールの所だが、中身は一応論文作成上の一般的な助言だということで放送倫理上の問題が無いということだが、声優による吹き替えで男女の関係を匂わせるといって、メールの文章を書いた本人がこういう形で訴えている。放送倫理上問題があるとまでは言えないとした根拠は何か。

(坂井委員長)
そこについては、見解の違いとしか言いようがない。これは委員会決定としてはここに書いてある通りだが、私としては、いかがなものかと思っている。この番組のテーマからは、ここが必要だとは、私は個人的には全然思っていない。
ただ、こういう決定となったのは、放送されたメールの内容が一般的な時候の挨拶というレベルの話で、男女関係とは全然関係ないということがある。その前に週刊誌の記事があったということがあって、そう見えてしまう人もいるという話だ。
問題があるとすれば、男性と女性のナレーションの仕方で、個人的にはこの番組でこういうことをやる意味があるのかと思ってはいるが、言葉の内容としては、大した話ではない。そうすると、そのようなやり方でナレーションに女性と男性の声を使ったということだけの問題になってしまう。それについて放送倫理上の問題という話なのかというと、そこまでは言えないということだ。

(質問)
委員長代行という重い職責と見識を持った立場の2人が、結論に異を唱えている。奥代行の指摘されていることと委員長たちの意見とは、根本的に報道の在り方について考え方の違いがある。それは小異ではなくて、今後にも非常に大きな影響があることだと感じた。
代行があくまで意見を全体に賛成されなかったのは、「そこの所については、やはりどうしても違う」ということだと推測する。それでもなお、人権侵害勧告という最も厳しい判断を、それだけ重要な少数意見、異論が出ているのを踏み越えて下された、という委員会の運営の在り方について、委員長はどうお考えか。

(坂井委員長)
全く問題はないと思っている。委員長代行も一委員に過ぎない。委員長も一委員だ。だから、9人の委員で審理を進めていって、全員一致になればいいし、ならなければ多数決で決めると運営規則に書いてある。どの事案もそれに沿って淡々とやっていくだけだ。だから、代行の意見だから重大だということでもないし、また、2人の少数意見が出たということは、べつに珍しいことではない。

(質問)
確認だが、元留学生の作ったES細胞にアクロシンGFPは組み込まれていないとあるが、これは確認されている事実なのか。

(奥委員長代行)
それはわからない。今となってみれば、組み込まれていないということはわかっているが、放送の時点でNHKが取材でどこまで把握していたかということはわからない。NHKにヒアリングした際には、残念ながら、これは聞いていない。聞けばよかったと思っている。

(質問)
ここの部分が無くても、委員会決定を作る上で問題が無かったということなのか。

(坂井委員長)
アクロシンGFPが組み込まれているかいないかをNHKが知っていたかどうかということは、委員会決定としてはそんなに重要ではない。前半部分でアクロシンと言っているけれど、後半部分ではアクロシンということは言っていない。後半部分では若山研にあったES細胞という点で元留学生のES細胞が繋がってくる。番組の中でそうやって繋げてしまっているので、もうそれで、我々が摘示事実と認定した事実は認定できてしまう。逆に言うと、アクロシンGFPがもし入っていないと知っていてこのような放送をしたのならば、なお、この作り方は悪いという話になる訳だ。
NHKのここの部分の主張は、(5)と(6)とは違う話だということで、繋がっていないという主張だ。だから、アクロシンGFPが入っているかどうかということに焦点が行かないで終わった。番組の作りとしては、アクロシンGFPと言っていなくても、そう見えてしまう、摘示事実の認定としてはそれで足りる訳だ。

(質問)
取材手法に放送倫理上問題があったということだが、取材依頼に対して拒否された場合、我々も接触したいと思ってあらゆる出口で待ちかまえたりすることもある。この「執拗に追跡し」というのはケースバイケースだと思うが、どのような場合に、「執拗に追跡し」と認定されるものなのか、もう少し説明していただきたい。

(坂井委員長)
なかなか一般的基準を作るのは難しい。取材対象者の立場とか、時間帯、取材者の人数などの要素がある。我々が書いたのは、少なくとも、NHKが言った通りだとしても、3名の男性記者やカメラマンが二手に分かれて、エスカレーターの乗り口と降り口とから挟み、通路を塞ぐようにして取材を試みた。それを避けるために別な方向に向かった申立人に、記者が話し掛ける、というようなことだ。抗議を受けて、NHKも謝罪している。そこまでについては争いがなくて、そこに限ってみても、それは行き過ぎだろう。
繰り返しになるが、アポイント無しで直接取材を試みることは、許されない訳ではない。許されるケースはたくさんあると思う。けれど、拒否された時にどこまでできるのかということは、ケースバイケースで違ってくると思う。
その人の立場にもよる。公的存在と言っても、首相から始まって、そうではない存在まである。公務員であっても一括りにできない場合もある。

(質問)
NHK側は、「客観的な事実を積み上げたものなので、人権を侵害したものではないと考える」というようなコメントを出したようだ。通知の時にそういう意見表明があったかもしれないが、それについてどのように考えるか。

(坂井委員長)
私はまだそのコメントを聞いていない。正確に聞いた上でなければ考えを出しようがないし、基本的にはNHKの言うことに対しては、「そうですか」と言うしかない。

(質問)
元留学生のES細胞の件だが、これを不正に入手したかどうかの裏付けはもちろん取れていないと思うが、編集上きちんと視聴者にわかるように区分けすれば、その元留学生のES細胞が小保方研の冷凍庫から見つかったというファクトだけを、うまく視聴者にわかるように切り離せば、ファクトとして出すこと自体は問題ないという認識と理解してよいか。
それとも、やはり入手が不正であるという、それなりの裏付けを、なぜそこにあったのかという所まで、踏み込んで取材をしなければならないという認識なのかを確認をしたい。

(坂井委員長)
私の意見だが、1つは元留学生のES細胞があったという話と、不正に入手したという話は別だ。だから、それは分けなければいけない。
そして、おっしゃっている趣旨が、元留学生のES細胞が、小保方研が使っている冷凍庫から見つかったということだけを、ファクトとして、それだけを切り離して言ったらどうかというと、それは事実だ。
ただ、おそらくそういう報道する場合は、反対取材をしなければいけないという理屈も当然あるから、小保方さんに、「どうしてあったんでしょうか?」と、普通は取材をするし、そういう情報が付いて出てくる可能性はある。
仮定の問題として、ファクトだけとおっしゃるのであれば、そういうことは当然あり得ると思うけれども、その場合も、放送の中で他の要素がそれと繋がって出て来た時に、そのファクトだけで止まるのかどうかが問題なのだ。
要するに番組として、そのファクトだけを報道したと言えるのかどうか、言い換えると、ある一定の報道の中で、そのファクトが出た時に、それがどういう意味を持つのかということは、やはり十分考えなくてはいけないだろうと思う。

(曽我部委員)
視聴者に別問題とわかるように提示したとしても、順番としては続いているので、単に元留学生の細胞が小保方研から見つかりました、ということだけを示したとしても、疑惑を強めるような受け止めになるのではないかと思う。
その時に、結局、小保方さんもそれなりの経緯を主張されている訳で、そちらに触れずにやると、やはり根拠のない疑惑の提示ということになる可能性もあるのではないかと思う。その場面を出す趣旨と、出し方に依存するのではないか。

(質問)
最終的に後になってファクトとしてわかったものとしては、小保方研の冷凍庫に実際にいっぱいあった由来のわからないES細胞の1つが、まさにSTAPの正体だったということが、第二次調査委員会で言われた訳だ。そうだとすると、あのタイミングではわからなかったかもしれないが、後からやっぱり事実だったと言えることになる。そういう場合は、どのような見解になるのか。

(坂井委員長)
今の話で抜けているのは、「不正に入手した」というような点を抜きにして、「正体は何だったのか」という議論をしているところだ。番組の話とはちょっと違う所があると思う。
番組が名誉毀損と言われた要素の重要な部分はd)の所だ。今の話は、正体が何だったかという所で、ちょっと話が違う話になっているような気はする。
名誉毀損にならない事実摘示であれば、当然、いい訳だが、名誉毀損となる場合でも、公共性・公益目的が認められて、真実性が立証できるのであればいい。真実性が立証されるとまではいかなくても、これを信じたのは理由があるとして相当性ありということになれば名誉毀損は認められない。
今回の場合、問題なのは摘示した事実の裏付けとなるものが、示されていないというのが大きい。

(市川代行)
おっしゃる通り、小保方研の冷凍庫に他にもES細胞があって、その中の1つが、第二次調査報告書ではSTAPの由来とされていたES細胞と一致したという事実は、確かにあった。ただ、そのES細胞と元留学生のES細胞は違う訳であって、いかに、その冷凍庫の中にそれがあったからといっても、その元留学生の細胞だけ取り出して来て、「これがSTAPなのではないか」という所までいった所が、やっぱり、私は踏み込み過ぎではないかと思うし、おそらく多数意見も同じなのではないか。少なくとも、この元留学生のES細胞について、STAPとの関連性というのは証明できていない。やはり、そこは相当性なし、と言わざるを得ないのかと思う。

以上

2016年9月12日

「世田谷一家殺害事件特番に対する申立て」事案の通知・公表

[通知]
9月12日(月)午後1時からBPO会議室で坂井眞委員長と、起草担当の奥武則委員長代行と紙谷雅子委員が出席して本件事案の決定の通知を行った。申立人は代理人弁護士4人とともに、被申立人のテレビ朝日は常務取締役ら3人が出席した。
坂井委員長が決定文のポイントを読み上げ、「本件放送は人権侵害があったとまでは言えないが、番組内容の告知としてきわめて不適切である新聞テレビ欄の表記とともに、テレビ朝日は、取材対象者である申立人に対する公正さと適切な配慮を著しく欠いていたと言わざるを得ず、放送倫理上重大な問題があった」との「勧告」を伝えた。
申立人の代理人は「このような結論が出たことを、局側としては、『ああ、そうですか』というだけではなくて、なぜそうなったのかについて、経営担当者から第一線に至るまで深く掘り下げていただきたい。人権侵害にはならなかったが、申立人が非常に苦痛を味わったことは事実認定の中にあると考えているので、そのようなことが犯罪被害者に関連して、これから起きないよう深い総括をお願いしたい」と述べた。
テレビ朝日は「委員会の決定を真摯に受け止めて、今後の番組、ならびに、放送に必ず生かしていきたい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして、決定を公表した。23社49人が取材した。テレビの映像取材はテレビ朝日がキー局を代表して行った。
坂井委員長が決定の判断部分を中心に説明し、結論の最後の段落、「報道機関としてのテレビ局が、未解決事件を取り上げ、風化を防ぐ番組を取材・制作することは一般論としては評価できる試みと言えよう。だが、その際、被害者やその関係者の人権や放送倫理上の問題にはとりわけ慎重になることが求められる。テレビ朝日は、本決定を真摯に受け止め、その趣旨を放送するとともに、今後番組の制作において、放送倫理の順守をさらに徹底することを勧告する」という部分を読み上げた上で、未解決事件を取り上げることには社会的意義があるが、その場合には十分な配慮をしなければいけないという指摘をさせていただいたと述べた。
奥委員長代行は、「本件面談場面を詳細に検討した。申立人が主張しているような形に明確にはなっていないが、ナレーションなどのテレビ的技法を駆使して、最初は思い当たる節がないと言っていた人が、最後は思い当たる節があると転換したというふうな作りになっている。それは間違いないので、テレビの作り方としては非常に問題があるということで、放送倫理上重大な問題があるという判断をした」と述べた。
紙谷委員は、「申立人から『自己決定権』という、委員会としてはこれまであまりそういう主張を受けたことがなかったので、いろいろ検討した。自分が言っていないことを言わされている。自分の主張が正確に伝わっていない。周囲の人から誤解され、それを解くのに非常に苦労をした。申立人はそれを『自己決定権』を侵害されたという形で表現している。委員会としてどう受け取ったらいいのか、だいぶ議論したが、社会的評価が下がったということであるならば、名誉毀損の枠組みの中で議論しても問題ないのではないかということで、判断、処理をした。委員会としてはかなり考えた上で、残念ながら決定文には数行でしか反映できなかったということを補足したい」と述べた。

このあと質疑応答に移った。主な内容は以下のとおりである。

(質問)
本人が言ってないことを言ったかのように放送されたのに、人権侵害ではないというのは法律家が定める人権侵害に該当しないということか。

(坂井委員長)
人権侵害といった場合、憲法上保障されているどういう人権の侵害なのかという議論が必要だ。言っていないことを報道されてしまった、ないしは、言ったことが歪められて放送されてしまったということは、民事法レベルなら、例えば、慰謝料請求とか、そういう話はありうる。その場合故意・過失、違法性のある行為、損害、因果関係があればいいということになるので、そういう法的な要件に当てはまる場合はあると思う。しかし、この場合はそういう民事法レベルの不法行為の話をしていない。憲法上の人権の侵害といった場合に、どういう権利の侵害なのかというのは非常に難しいところだ。自己決定権の侵害というが、その自己決定権とは何なのかということは学問的にもまだ固まっていない。なので、この委員会でそれについて何か概念を定立して、自己決定権侵害だというべき状況ではないだろうという、そういう意見が強かったと思う。民事法レベルでは当然問題が起きうるけれども、ここで問題にしている人権侵害という話にはならないだろうというのが私の理解だ。

(紙谷委員)
人のコアにある部分を何か疎かにされたのではないかというレベルでは、すごく問題はあるという主張に説得力がないわけではない。ただ、今回の場合にはそれを承認するのは無理かもしれないけれども、社会的評価の低下をもたらす名誉毀損と同じ枠の中で処理した。委員会としては自己決定権とはこういうものだと考えるという議論で書いてもよかったのかもしれないが、そこまでやっていいのかみたいな議論もいろいろあった。それで、申立人はそう言っているけれども、そこの判断はしていないという文章になった。

(坂井委員長)
補足すると、申立書の中にもある名誉毀損だとか、プライバシー侵害だとかであれば分かりが易い。しかし、申立人側には代理人に弁護士が4名付いていて、その方たちも自己決定権という言葉は使っているけれども、それについて具体的に、どういう主張をされているのか明確でなかった。ヒアリングで私も直接質問をした。名誉毀損、プライバシー侵害、人格権としての自己決定権侵害と書いてあるが、具体的にどういう憲法上の権利の侵害だと主張されるのかと。それが明確だったら、判断しやすいのだが、そこのところを抽象的に人格権としての自己決定権侵害だと書かれてしまうと本件では具体的な意味がよく分からないので、もう少し分かりやすく説明していただけたらありがたいという趣旨だ。しかしその点は、申立人代理人の弁護士も今の法律解釈の状況を前提にして主張するわけだから、なかなかクリアに主張できないし、実際質問に対する回答も明確とはいえなかった。そうすると我々としても、「それは分かりましたが、どう受け止めるかは委員会で考える」ということになって、先ほどから説明しているような結論になった。
例えば、本人が考えたこともない嘘のことを放送してしまって、それが、そういうことを言ったという事実の摘示となって、その人の社会的評価が下がるということであれば、自己決定権について判断するまでもなくそれ自体で名誉毀損だということになる。紙谷委員から説明があったことだ。そういうこともありうるわけで、その場合、名誉毀損として人権侵害を認定すれば足りることで、そこで自己決定権侵害と言わなければいけないのだろうか、というような問題もあって、委員会として、独自に言ってもいいのかもしれないが、そんなに簡単な問題ではないというのが今回の委員会の総意だと思う。

(質問)
本件に関して言えば、テレビ的技法が行き過ぎたのか、間違ったのか。委員会はどう判断したのか。

(坂井委員長)
これは3人全員からお話したほうがいいと思う。まず私から話をすると、テレビ朝日はそういうつもりはなかったと言うが、ある方向性の番組を作りたいとは思っていて、その中にとても苦しい思いをしている事件の被害者遺族の方を出演させて、作りたい方向に当てはめようとして、歪めてしまったということだと思う。最近の別の事案でも申し上げたことだが、こういう事実報道と調査報道とバラエティが混じったような番組では、それはストレートニュースではないわけで、一定の方向を出したいというケースがある。例えば、この番組であれば、サファリック氏が一定の見解を出して、とてもつらい目にあった被害者遺族もそれに賛成したみたいなことにしたかったのかなと思う。ところが本人は、そうじゃないと最初に言っているし、最後までそうですねと言ってないのに、番組の方向性に合わせて使ってしまった。そういう意味では歪めた。歪めたということは具体的にどういうことだったかというと、事実がどうだったかというところを、ストレートにその方向で言ってしまうとまちがいなく問題が起きる。そこで、テレビ的技法を使ったのだろうが、結局、視聴者にはそのように受け取れるような番組を作ってしまったということだ。つまりそのようにして事実を歪めた。それはテレビ的技法の使い方として間違っていると私は思っている。一定の意見を言う、見解を言うのはテレビ局の番組制作上当然自由だけれども、そこに出演してもらった被害者遺族の考えを歪めて使ったり、事実を曲げたりしてはいけない。被害者遺族はこう言っているけれども、それについての意見はこうだと言えばいいのに、そうではなく、事実の部分を曲げたところが間違っている。事実にもっと謙虚に向き合い、事実をもっと謙虚に扱わなければいけない。そういう姿勢でないと、またこういう問題が起きるだろうと私は考えている。

(奥委員長代行)
この番組におけるテレビ的技法の使い方は正しかったか、どうかという話であれば正しくないということになる。正しくないということの内容は委員長が縷々説明したとおりだ。

(紙谷委員)
かなりミスリードさせるような形で使っている。つまり、どちらかというと、そのまま流しちゃうと、テレビ局のシナリオにはあまり乗らなくなってしまったところに、ピーという音を入れ、思い当たる節が、とかなんとかというふうなものを、肯定したのだというふうに解釈できるように、テロップで出したとか。まさに、わざわざ誤解させている。あるいは、誤解しても不思議ではないような道筋を作っていくような使い方というのはまずい。そういう意味では、委員長と同じように事実を歪めている。そっちに持っていったら困るなあという時に、別なほうに持っていっているという使い方ではまずいのではないかと。強調するとかということであれば、決して悪い使い方ではないのかもしれないが。だから、テレビ的技法を否定しているわけではない。ただ、正直に使ってくださいということだ。

(坂井委員長)
それが端的に表れているが新聞テレビ欄表記だ。「〇〇を知らないか?心当たりがある!遺体現場を見た姉証言」。実際そんなことは言っていないのに、こういうふうに書いてしまっている。それについてテレビ朝日は字数制限があるし、適切な要約だと言うけれど、そうだろうか。起草委員の表現に委員会の総意として賛同しているが、「制限の中で番組内容を的確に伝えるのがプロの放送人たる者の腕だろう」ということだ。事実を曲げないでちゃんと要約していただきたい。しかしやはり、ここでは、事実を曲げてしまっているとわたしは思っている。そのようなことを言ってないわけだから、サファリックも申立人も。

(質問)
自己決定権を名誉毀損の中で議論したということだが、テレビ欄の問題も含めて名誉毀損にならないと判断したのか。
「理解しがたい事態である」という厳しい言葉がある。遺族の気持ちを考慮していないこともあって「重大」が付いたとの説明があった。「倫理上重大な問題あり」だが、人権侵害にはならないという、その差はどこにあるのか。

(坂井委員長)
人権侵害になるかどうか、この場合は名誉毀損かプライバシー侵害かという話で、名誉毀損の問題なので、この放送によって申立人の社会的評価が低下したのかどうかいうことになる。この事案の場合は、そういう内容にはなっていない。それは人権侵害に関する判断で、分かりづらいかもしれないが、決定文の17ページから18ページに書いてあるとおりだ。大きく分けると、まず、一般の視聴者、申立人の活動を知らない人にとってどうかと。申立人にとっては不本意かもしれないが、犯罪被害者の遺族が犯行の動機を怨恨に求めること自体は特異なことではない。だから、そういうことを言っているとされた人の社会的評価が下がるかというとそうではなくて、そういうこともあるだろうという話だと思う。次に、「ごく近い人々」、申立人がグリーフケアを一生懸命やっていることを知っている人にとってどうかということ。これも考えなくてはいけないということで、これも議論した。けれども、わたしどもが最初のところで事実認定をしたように、この放送自体はそういう誤解が生じる可能性が強いかもしれないが、そこまで断定的には言っていない。放送を見て、申立人の活動を知っている人が「考えを変えちゃったんですか」と思ったとしても、それは、決定文で「誤解」と書いたがその人の理解。しかし、問題は見た人がどう考えたかではなくて、放送内容が社会的評価を低下させるような内容の事実摘示をしたのかということだ。そして放送ではそこまでは言っていない。放送を見た申立人を知る方からそういう批判があったことは否定しないし、申立人は大変だったと思う。大変だったけれども、それで放送によって社会的評価が低下したという話ではないだろうということで、法律論としては名誉毀損にならないという、そういう形の議論だ。
ただ、それと、先ほどからご質問があるように、事実を歪めたりするテレビ的技法の使い方は大変問題だし、こういう大事件の被害者遺族については十分な配慮をして扱わなければいけない。これもイロハだと思うけれども、そこについては不十分だったのではないかと。この点についての放送倫理上重大な問題ありだという判断は、別に人権侵害なしとすることと食い違うものではないと思う。
整理すると、人権侵害ではないというところは法律的な要件の問題として、それは満たしていないという判断。だからといって、放送倫理の問題としては全部OKだということでは決してなく、重大な問題があるという判断だ。決定文で「勧告」とした場合、「判断のグラデーション」を見ていただければ分かるが、「勧告」には「人権侵害」と「放送倫理上重大な問題あり」とが並べて書かかれている。あえて、どちらが重いという書き方はしていない。表記としては上に「人権侵害」と書いているが、「勧告」としては同じだという理解をしている。

(質問)
この件に限らず、BPOで取り上げられる事案の場合、過剰な演出と恣意的な編集というのは1つのキーワードとして出てくる。今回のケースでは「過剰な演出」はあったと判断したのか。

(坂井委員長)
結論としてはイエスだ。用語としてそう言ってないだけで、例えば19ページ、放送倫理に関する判断の(1)「最後のピース」の意味のところ。「そこでは規制音・ナレーション・テロップなどのテレビ的技法がふんだんに使われていた。伏せられた発言は伏せるべき正当な理由があったとは思えない。むしろ前後のナレーションによってその重要性が強調され、視聴者の想像を一定の方向に向けてかきたてる組立てになっていた。その結果、申立人がサファリックの見立てに賛同したかのように視聴者に受け取られる可能性が強い内容となったのである。その際、とりわけ『結論』的に流される『思い当たる節もあるという』というナレーションが視聴者に与えた影響は強かったと言えよう」。これを読んでいただければ、用語としてそう言ってないだけで、中身としてはそういうことが書いてある。そういう部分が何か所かある。より具体的に書いてあるということだ。そのあたりは、今のところもそうだが、事実認定のところでも書いてある。

(奥委員長代行)
決定文の中で本件番組におけるテレビ的技法は恣意的であり、過剰であったという表現はしていない。しかし、具体的内容に即して、その点を指摘している。

(質問)
過剰な演出があった、あるいは、恣意的な編集があったと、直接的に文言として明言されなかった、盛り込まれなかったのは、何か委員会として理由があるのか。

(坂井委員長)
わたしの理解だが、抽象的にそういうことを言うよりも、何がどういけなかったのかと書くほうが意味があると思う。この決定は、当然、局の方にも理解していただかなければならないが、恣意的な編集とか過剰な演出とだけいっても、それってなんですかという話になる。それよりは、ここがこういうふうにおかしいと具体的に書くことこそ我々の仕事だと思うので、そう書いている。あえて書かなかったということではなくて、結論として、そう言っているとより理解してもらえる内容だと思っている。

(奥委員長代行)
今、指摘を受けて、割とびっくりしたが、そんなことはない。あえて避けたなんていうことは全くない。

(質問)
決定を通知された時の申立人の反応は。

(坂井委員長)
基本的には人権侵害を認められなかったから不満だというような直接的なことはおっしゃっておられない。こういう判断が出たことについては、受け入れていただいていると思う。申立人代理人の方が最初におっしゃっていたのは、これは申し上げてもいいと思うが、「放送倫理上重大な問題あり」という結論が出たわけだが、今、皆さんからご質問受けたようなことは、放送を見ればある程度分かることでもあるわけで、それであれば、もっと手前の段階で、申立人と局との間で解決ができるべきではないかという趣旨のことをおっしゃっておられたと思う。あとは、委員会の決定について、テレビ朝日にしっかり理解をしていただいて、今後こういうことがないようにしてもらいたいという趣旨のことだったと思う。

(奥委員長代行)
申立人には、基本的にかなり納得していただいたという感じを持った。テレビ朝日は、非常に決まりきった言葉だろうが、真摯に受け止めて対応するということを言っていた。

(質問)
放送を見ていないが、決定文の「放送概要」を見る限り、申立人は特になにかこれといった証言はしていないように思えるが。

(坂井委員長)
わたしの記憶ではない。

(奥委員長代行)
それ以上のことはヒアリングでも何もなかった。

(紙谷委員)
まさに今の質問のような、「思わせぶり」がこの放送の特徴だった。何かあるに違いないと。

以上

2016年5月16日

「自転車事故企画に対する申立て」事案の通知・公表

[通知]
5月16日(月)午後1時からBPO会議室で坂井眞委員長と二関辰郎委員が出席して本件事案の決定の通知を行った。申立人と、被申立人のフジテレビから編成制作局担当者ら4人が出席した。
坂井委員長が決定文のポイントを読み上げ、「フジテレビは、申立人に対して番組の趣旨や取材意図を十分に説明したとは言えず、本件放送には放送倫理上の問題がある」との「見解」を伝えた。
申立人は「放送倫理上問題があることは当然だと思う。今後、フジテレビは被害者遺族を取材する場合は最大限配慮をして欲しい。問題がうやむやにされかねないので、委員会は細かくチェックをして欲しい」と述べた。フジテレビは「決定を真摯に受け止めて、より良い番組作りを目指していきたい。出来る再発防止策はすでに進めているつもりだが、決定を読んでさらに対策をいろいろ講じて委員会に報告したい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして、決定を公表した。
20社32人が取材した。テレビの映像取材はNHKがキー局を代表して行った。
坂井委員長が決定の判断部分を中心に説明し、委員長名で書いた補足意見については「決定の結論部分に『社内及び番組の制作会社にその情報を周知し』と書いたが、いわば委員会を代表してその解説をしたと理解していただきたいと思う。これまで、委員会のヒアリング等の場に制作会社の方が出てくることはなく、今回もそういう機会はなかったが、今回、問題となった部分を担当したのは制作会社のプロデューサーだったので、特に付言をした」と述べた。
二関委員は「番組の趣旨とか取材意図をどこまで説明するかは結構難しい問題だと思う。ただ、本件の場合は、そもそも申立人が交通事故で母親を亡くした遺族であり、かつ、交通事故被害者のために支援活動をしている人で、局側はそういう人だと分かった上で接近して取材をしたという経緯もある。それにもかかわらず、内容的に事故被害者に全然配慮しないドラマが既にできていた段階で、そのことを説明しなかったという本件における個別の事情という部分がある。これからどういう番組を作ろうかという、まさに手探り状態でやっている段階では、取材対象者にこういうものができますと、きちんと説明できない場面も当然あろうかと思う。そこはケースバイケースでの判断で、本件においては説明すべきだったと委員会として判断した」と述べた。

主な質疑応答は、以下のとおりである。

(質問)
そもそも当たり屋を扱うことを制作サイドは決めていたにもかかわらず、インタビューする相手に伝えていなかったというのは、自転車事故の遺族のインタビューは、やっぱり今回の番組にふさわしくないのではないかという後ろめたさみたいなのもあったのではないか?
(委員長)
特にヒアリングで後ろめたさ云々という話はなかった。ただ、決定にも書いたように、局の方も申立人の抱く番組イメージと齟齬が生じるのではないかと考えたとおっしゃっている。それを、後ろめたさと言うかどうかだと思うが、そうであれば、伝えておけば良かったということは、決定に書いたとおりである。
特に放送内容もほぼ固まっていて、最後に申立人にインタビューをされているわけだから、で、あれば、「実はこういう内容なんだけれども」と伝えておけば、こういう問題は起きなかっただろうと。なぜそうしなかったのかは、よくわからない。局の方は台本を渡そうと思ったけれど断られたとおっしゃるし、申立人は、いや、そういう提案受けたことはないとおっしゃっておられるので。
(質問)
今の話を聞くと、口頭で「実は当たり屋が出るんです。当たり屋がテーマなんです」と言わなかったのは、それを言って、相手から「じゃあ、インタビューは受けません」と言われると、もう放送日も決まっているし、内容は変更できないとなると、ちょっとまずいという制作サイドの思いがあったのではないかと思うが?
(委員長)
そういう経緯があるのかどうかは、ヒアリングでも確定しようがない。ただ、事実としてどうだったかは確定のしようがないが、もっと突っ込んで言えば、台本を見せる見せないの話が今回の1番の問題というのではなく、そもそも台本を見せなくてもドラマの内容を口頭で話すことはできたでしょうということだ。口頭で取材の意図や番組の趣旨の説明が出来たのに、そこが落ちている。その問題性は、台本を見せる見せないに関わる事実の確定の必要性とは関係がない。言えば済んだことを言わなかった、それはやっぱり放送倫理上の問題がある、ということで足りるということです。
ヒアリングでいろいろ聞いたが、局の方は、申立人のインタビューはどうしても使わないといけないというわけではないと主張されていた。それが嘘か本当かを追求する場ではないが、そう言われてしまうと釈然としない部分は残りますね。

(質問)
繰り返しになるが、当たり屋という設定を申立人に説明しなかったことについて、フジテレビから説明はあったのか?
(委員長)
そこは、台本を見せようと提案したけれど断られたので、もうそれ以上は進みませんでした、というところで終わっていたと思う。ですから、説明方法の1つとして台本まで見せるんだと。それは、あまりないことだと私は理解しているが。
(二関委員)
もう1つ言うとすると、決定文の12ページのところ、「説明をしなかった理由として、フジテレビは自転者事故の悲惨さを伝える部分で申立人インタビューを使わせてもらいたかったが、インタビュー場面は本件ドラマ部分とは別の部分であることに加え、本件ドラマは当たり屋をメインテーマにしたものではないことから」との理由を言っている。それに対して委員会は、「確かに情報部分とドラマ部分が切り分けられているのは、それはそのとおりだけれども、しかし・・・」ということと、「当たり屋がメインかどうかは問題ではないでしょう」ということを、別のところで判断している。
(委員長)
だから、切り分けているというのが、フジの1つの主張だと思うが、同時に申立人が抱く番組イメージと実際の放送との間に齟齬が生じることを懸念したともおっしゃっていて、そこは必ずしも同じ方向ではないと思う。切り分けられるから大丈夫だが、そうはいっても齟齬が生じるかもしれないと心配した、だから、台本見せましょうかと言いました、だけど、断られました、というところで終わっているという感じですかね。
(質問)
つまり、懸念はあったから台本を見せようという提案はしたが、見せなくてもいいと言われたので、フジとしては一応その懸念は解消されたというか、それで話は終わったということか?
(委員長)
フジは情報部分とドラマ部分は切り分けてあり、申立人が当たり屋であるかのような、同類であるかのような誤解は生じない構成だと思うので、説明の必要性はないと思ったが、でも、懸念もしたので台本を見せましょうと言ったが、断られたという主張だった。

(質問)
つまり、台本を見せる見せないは、さておいて、番組趣旨を何らかの形で説明する必要があった、そこに今回の問題が集約されると理解していいか?
(委員長)
これは私のあくまで個人的理解ですけれど、時には台本を見せることもあるかもしれないが、取材をする相手、インタビューを受ける方に台本まで見せるということは、そうはないんじゃないかと私は理解している。
フジは、申立人がやってらっしゃることは分かっていて、だから取材に行っている。自転車事故でお母様を亡くされて辛い目に会われ、それで支援活動も一生懸命されておられると。そうすると、コミカルに、ちょっと誇張して、「現実にあり得ない」と決定文にも書いたが、しかも、被害者だけれど本当は被害者ではないという内容のドラマを放送したら、申立人がちょっと抵抗を感じるんじゃないかというのは、そんなに理解するのが難しい話ではない。台本を見せなさいとか、見せなかったのがいけないとかいう話ではなくて、「そこを説明すれば、こういう問題は起きなかったですね」というのが、やっぱり根っこじゃないかと思う。
もっと言ってしまうと、結局、これはバラエティーと言われているが、現実に起きたいろいろな事件や事故の被害者であったり心に痛みを持った人を取材して、単なる番組の素材として扱っちゃったら、こういう問題は起きますねということではないか。そういう立場の人の気持ちや心に配慮して、ちゃんと趣旨を説明しないといけないんじゃないか。台本を見せる見せないというより、被取材者の心情に配慮して「こういう番組なんです」と、ちょっと説明すればよかったはずで、それは台本を見せるより、私の理解ではハードルがずっと低いはずです。

(質問)
制作会社の担当者から直接ヒアリングをするという機会は、これまで1回もなかったのか?
(委員長)
放送倫理検証委員会はシステムが違っていて、もっとたくさんの方から、もっと時間をかけて、担当の委員の方が出向いて聞くというシステムをとっているので、制作会社の方から事情を聞くということはある。ただ、我々の委員会では、これまではない。ただ、それはやってはいけないということでもないし、制作会社側にヒアリングを受ける義務があるわけでもないと思う。
ただ、今回あえてこういうことを書いたのは、やはり事実関係を聞きたいときに、特に今回は問題になった説明の部分を担当されたのが制作会社のプロデューサーで、局の方がヒアリングに来ても事実関係を体験として語れないので、そういう機会が必要な場合は、そのようなヒアリングがあった方がいいのかもしれないと考えた。
(質問)
やっぱり制作会社の人からもヒアリングで話を聞きたいと、この補足意見が加わったということか?
(委員長)
補足意見の下敷きにあるのが、決定文の最後の「社内及び番組の制作会社にその情報を周知し」という部分で、これは委員会全体の意見なので、補足意見というのはちょっと適切な表現ではないかもしれないが、このように書いた趣旨を委員長が補足意見で説明したと理解していただければと思う。
決定の一番のポイント、放送倫理上問題ありとしたのは制作会社のプロデューサーがどういう説明をしたかに尽きているわけなので、その部分については特に言っておきたいと補足意見を書いたということです。

(質問)
制作会社のプロデューサーにはヒアリングに出席を求めなかった、あるいは、出席できなかったということか?
(委員長)
今回、委員会から「この方をヒアリングに連れてきてくれ」とは言っていない。我々の委員会の審理の仕方は、申立書と答弁書、それから反論書と再答弁書、関係資料を出していただいて、ヒアリングをして審理をして決定文を書いている。これを裁判の手続きみたいにとにかく精密にやろうとすると、毎回話すことだが、時間ばかりかかるという話になるのでそれはしない。そのような限界の中でやっていることなので、ある意味手続き的にはやむを得ない部分もあるかなと思う。
ただ、実際、バラエティー番組や情報番組は制作会社が関わるケースが非常に多く、だとしたら、事実関係が問題となる場合は制作会社にヒアリングをするという機会があってもいいのかなと。特にこれまで頼んだが断られたとか、そういう話ではないが、事案によってはあってもいいのかなと思う。

(質問)
局に入っている制作会社は非常に多いが、補足意見の最後に出てくる制作会社というのは、本件放送に関わった制作会社を指しているということでいいのか?
(委員長)
基本的にはそういう文脈である。本件は特にそこの問題があったのでと理解いただければと思う。

以上

2016年2月15日

「ストーカー事件映像に対する申立て」事案の通知・公表

[通知]
前事案に引き続き午後2時から、本件の通知を行い、申立人と、フジテレビ側からは編成担当者ら4人が出席した。
まず、坂井委員長が「決定の概要」と「委員会判断」をポイントに沿って読み上げる形で「本件放送には名誉を毀損する等の人権侵害があるとは言えないが、放送倫理上の問題があると判断した」との結論を伝えた。決定について申立人は「自分の主張がこれだけ認められたというのは、一つ大きな区切りがついたのかなと思っている」と述べた。
また、フジテレビ側は「作り手はギリギリのところを狙ってしまう。今までがやり過ぎだというご判断ですが、程度の問題はありつつも、今のテレビの作り方、在り方みたいなことに関わってくるかなと感じた」と述べた。
市川委員長代行は、「普通の報道番組なら、当然、裏を取って、本当にそうなのか、本当に共謀しているのか、というところを丁寧にやるが、今回は、いかにバラエティー番組とはいえ、許される範囲をはみ出し過ぎてしまっている」と述べた。
紙谷委員は「たとえば警察にもう少し情報の確認をすると、少しは事件の見方が変わったかもしれない。情報提供者の一方的なストーリーに乗せられることはなかったかもしれない」と述べた。

[公表]
午後3時から千代田放送会館2階ホールで、坂井委員長、市川委員長代行、紙谷委員が出席して記者会見を行い、2事案の委員会決定を公表した。報道関係者は21社41人が出席し、テレビカメラ3台(うち1台は民放代表カメラ)が入った。

まず坂井委員長が「本件放送には申立人の名誉を毀損する等の人権侵害があるとは言えないが、放送倫理上の問題があると判断した」との結論を述べたうえで、委員会決定の申立人の同定可能性とフジテレビの反論を中心に解説を行った。そして放送倫理上の問題について「取材対象者の名誉、プライバシーも大事だが、放送される人の名誉、プライバシーも考えなければいけないのに、そこが足りてなかった」と述べた。
市川委員長代行は「本件は情報バラエティーということもあって、事実から離れてもいいと考えてしまったがゆえに、取材、事実に迫る努力が疎かになってしまったのではないか。この点が、本件での留意点になると思う」と述べた。
紙谷委員は「関係者の名誉とプライバシーをもっと慎重に考えていただきたい。暴いていいということではないが、両者、あるいは関係者全体に対する配慮は必要であるということを強調しておきたい」と述べた。

続いて質疑応答が行われた。

(質問)
第58号と第59号両件に関わるが、フジテレビ自身はそもそもこの件は、いわゆる架空のケースとして紹介しようとしたのか。それとも、特定の事件だが分からないように伝えようとしたのか。
(坂井委員長)
架空のケースということではないと思う。実際の映像や音声を放送しているわけだから。もちろん、ぼかし等をかけてはいるし、音声も変えてある。まったく架空ではないが、現実そのものとして放送したわけではない、という考えだったと思う。

(質問)
ストーカーはしていて、書類送検もされているが、それでも本人と同定されることについて、委員会で批判、指摘されているということは、要するに、本人が特定されて、この人がやったということが一般に、公に報道されることで行き過ぎとの批判なのか、それとも匿名性を持たせようとしていたのに、ちゃんとやれてないじゃないかということか。
(坂井委員長)
同定されたこと自体を批判していない。同定されたケースで名誉棄損になる事実を摘示した場合、それでも公共性、公益目的が認められて、真実、ないしは真実であると信じるに相当であると認められれば問題とはならない。本件では、摘示した名誉棄損にあたる事実の主要な部分、基本的な部分は真実であると認められたから、名誉棄損にはあたらない。
第58号、第59号に共通するが、事実として報道する以上、再現と言えども真実に迫らなければいけないし、両当事者に取材しなければいけない。そこは放送倫理上の問題があると言っている。同定されるように放送するなら、ちゃんと取材をして、真実性立証ができなくてはいけないし、できたとしても、取材のやり方として問題があったところはありますよ、そういう放送倫理上の問題点だ。

(質問)
乱暴な言い方になるかもしれないが、たとえばバラエティーを作る体制では、ちょっと手に余る事案だったということか。
(坂井委員長)
そこは、こうだと断言するわけにはいかない。もし、手に余るのであれば、現実から離れるという選択肢はある。現実につながったことを放送してしまうことから、視聴者が、ああこれは現実なんだと受け取る。多少の改編があってもそれがどこか分からないからだ。そこで、こういう問題が生まれる。もし、しっかり取材できないのであれば、これは現実だと受け取られるような形を避けなくてはいけないということだと思う。
誇張や架空の部分も含めて現実なのだと受け止められる放送をしてしまったら、これは現実ではないですよとテロップが入っても、視聴者は全体として現実だと思ってしまう、そういう作り方の問題だ。それは、現実の映像や音声が入ったうえで、再現ですと言ってしまうことからくるのだが、そうなってしまったら、局は責任を取らなくてはいけないのであって、そういう名誉毀損になるような作り方はやってはいけない。このような作り方をするのだったら、そこまで配慮しなければいけないということだろうと思う。なぜかと言うと、関係者の名誉やプライバシー、もっとストレートに言うと、放送されてしまう人の名誉やプライバシーを考えなくてはいけないからだ。

(質問)
AさんとBさんにこの結果を伝えた時の感想について。
(坂井委員長)
二人とも、結論は違うが、Aさんの方は名誉棄損を認めて頂いたことはありがたいと。どうしてこんなふうに放送されたのか、未だに納得がいかないということだと思う。Bさんの方も、名誉棄損ということは認めないけれども、放送倫理上の問題は、はっきり言っている。それについてはありがたいという感想だった。
(市川委員長代行)
Aさんに関しては、名誉棄損のところで触れているように、社内いじめの中心人物、あるいは首謀者という扱いをされたこと、そのこと自体に対して、それは違うと。私はそうではなかった。そこが主張の骨子であり、まさにそこに答えて頂いたというふうに思って頂いた、理解して頂いたと思っている。
Bさんにも、納得を頂いた部分はあるようだ。事件の背景等について、もう少し自分にもちゃんと取材をして、自分なりの弁明をさせてほしかったという気持ちはあったようで、その点をBPOが指摘したことは、ありがたいという印象を持っていたようだ。

以上

2016年2月15日

「ストーカー事件再現ドラマへの申立て」事案の通知・公表

[通知]
通知は、午後1時からBPO会議室で行われ、坂井委員長と起草を担当した市川委員長代行、紙谷委員が出席し、申立人本人と、被申立人のフジテレビからは編成統括責任者ら4人が出席した。まず、坂井委員長が「決定の概要」と「委員会判断」をポイントに沿って読み上げる形で「本件放送には、申立人の名誉を毀損する人権侵害があったと言わざるをえないと判断した」との決定内容を伝えた。
続いて、市川委員校代行は「再現ドラマであれば、現実の事件とは違うものだと受け止められるというふうには必ずしもならない。現実の事件と組み合わせて放送する以上、現実の事件を放送するものとして、事実を正確に伝える努力も怠らないようにしていただきたい」と述べた。
また、紙谷委員は「テレビの現場は女性の視点が少ないという指摘がしばしばあり、ステレオタイプの見方がすっと通ってしまう。むしろテレビだからこそ、いろいろな見方、ステレオタイプではない情報を積極的に提供していただきたい」と述べた。
この決定に対して申立人は、「自分の思いが届いたのかなと思う」「(放送された内容は)本当に身に覚えがない」「いまだに口をきいてくれない人もいる」などと述べた。
一方、フジテレビは「我々が主張したことは、ほとんど結果的に認められてない。100パーセントそれは駄目じゃないかという感じで、非常に厳しく受け止めている。番組の作り方とかに大きく影響するであろうと、改めてそういうことを認識した」と述べた。

[公表]
午後3時から千代田放送会館2階ホールで、坂井委員長、市川委員長代行、紙谷委員が出席して記者会見を行い、2事案の委員会決定を公表した。報道関係者は21社41人が出席し、テレビカメラ3台(うち1台は民放代表カメラ)が入った。

まず坂井委員長が委員会決定について「現実にあった事件の関係者本人の映像や音声を随所に織り込み、再現の部分も含めて一連の事件として放送している以上、視聴者は現実に起きた特定の事件を放送しているものと受け止める。職場の同僚にとって、登場人物が申立人であると同定できるものであったと判断した。それで、そのいじめをした張本人ということで、首謀者、中心人物、実行者にストーカー行為をさせていた、などと指摘するものであることから、これは名誉毀損、社会的評価を低下させる事実適示であることは争いがない」と述べたうえで「委員会の判断」と「結論」の要所を紹介しながら説明を行った。市川委員長代行は「報道番組でもそうだが、モザイクがかかって本人を特定できなかったとしても、現実の事件を再現するものとして放送する以上、事実に即して何が真実であるのかをきちんと取材したうえで、それに沿った形で放送するべきだ」と述べた。
また紙谷委員は「番組のように年とったおばさんは若い女性をいじめるという思い込みがあったから、そういうふうに作り上げたのではないか。そういう思い込み、ステレオタイプを外して取材をし、番組を作ってほしかった。ジェンダーという視点を忘れないでほしい」と「補足意見」の主旨を説明した。

続いて質疑応答が行われた。主な内容は以下のとおり。

(質問)
これは第58号と第59号にまたがった質問です。放送倫理上の問題のところで、第58号では、申立人からの苦情に適切に対応しなかったことに、特に重点を置いて、放送倫理上の問題があると書かれていると読んだが、第59号は取材の妥当性について、放送倫理上の問題があるというふうに読めるが、このふたつの違いはあるか。

(坂井委員長)
第58号は放送内容について、申立人の名誉を毀損するものであるという判断をしている。その内容について名誉を毀損すると判断している以上、後はそれとは別の部分で、放送の前後に連絡があった時に、真摯に対応していなかったということを中心に書いた。第59号は、名誉棄損があったとは認めていない。主要な部分について真実性があると判断している。では、そこについて名誉棄損がないとしても、こういう放送をしてしまった、その中身について、問題はなかったのかということを検討することを考えた。
そういう意味で、第58号の方は、まず真実に迫るための最善の努力を怠った点、そしてその点の取材面での具体的な問題として、一方当事者からの取材のみに依拠して、職場内での処遇の不満や紛争という事件の背景や実態を正確に把握する努力を怠ったことを指摘した。さらに、取材方法の在り方が申立人の名誉やプライバシーへの配慮を欠くものであったということを指摘し、最後に、59号と共通している点として、本件放送に対する申立人らの苦情に真摯に向き合わなかったことを述べた。4つ目は共通だが、最初の3つについては、名誉棄損を認めていないので、番組制作の過程で、たとえ名誉棄損にならないとしても、問題があったことを指摘した。それらは第58号にも共通する問題だが、58号では、その結果名誉棄損が生じてしまったと判断している以上、それらついてはあえて書く必要はないと判断したということになる。

(質問)
A氏については、勧告になる理由が分かる。ただ、B氏については、実際にストーカー行為をしていて、そのことは認めていながらも、見解という2番目に重い判断だ。要は、A氏のことに引っ張られた感じで、勧告という結論に引っ張られてB氏の方も少し厳しくなっているような気がするが。

(坂井委員長)
そういうことはない。それぞれの申し立てについて、それぞれ判断をしている。B氏については、名誉棄損はなかった。つまり、名誉を毀損する事実の適示はあったけれども、その主要な部分は真実であると判断している。
59号では、放送された内容で真実性が立証できないものが2点ほどある。そういう部分については、考えようによったら、適示された事実の主要な部分でないとは言い切れないから名誉棄損になると判断される可能性はあった。そういう作り方をしてしまった理由はどこにあるのかという意味で、やはり放送倫理上の問題があったとなるだろう。
つまり、作り方の問題としては、A氏の申し立てがなくても、同じ問題を抱えているから、そこは変わらなかったろうというのが私の理解だ。

(市川委員長代行)
私も、第58号に引きずられたとは思っていない。出家詐欺の『クローズアップ現代』の事件も、申立人そのものに対する人権侵害は、同定性がないということで否定した。ただし、その放送倫理上の、取材上の問題、放送上の問題が、これが進めば人権侵害になっていく可能性があるという意味で、看過できない放送倫理上の問題があったと考えたわけであり、それと同じように第59号も同じような問題があったからということだ。
特に今、委員長から説明があったように、事実関係でフジテレビ側が証明できてない部分は率直に言ってある。そこの部分をどう捉えるのか。場合によってはそれだけでも名誉棄損だという意見も、当然一つの見方としてはあり得る。その点が一点。もう一つは、実際の事件と多少離れた形での放送になってもいいと、そういう捉え方をしていたということからいくと、B氏に関しても、人権侵害になっていく危険性は、やっぱりある。そういう意味で、ここで放送倫理上の問題は指摘しておかなければいけないというふうに思った。

以上

2015年11月17日

「大喜利・バラエティー番組への申立て」事案の通知・公表

[通知]
「謝罪会見報道に対する申立て」事案に引き続いて、BPO会議室で申立人側と被申立人側が同席して「委員会決定」の通知を行った。申立人の佐村河内氏は体調が思わしくないとの理由で欠席し、代理人の2人の弁護士に決定を通知した、被申立人のフジテレビからは編成制作局の担当者ら6人が出席し、委員会からは、坂井委員長と起草担当の曽我部委員、林委員が出席した。
坂井委員長は「名誉感情の侵害はない、放送倫理上の問題もないという『見解』になった」と述べ、決定文のポイントを読み上げた。
委員会側との意見交換で、申立人の代理人は「名誉感情の侵害とともに、番組を見ている小さい子どもや青少年への悪影響が放送倫理上問題ではないかと思って申し立てた。この番組は若い視聴者が多いと思うので、影響は少なからずあるのではないかなというのが率直な感想で、ちょっと残念ではある」と述べた。
一方、フジテレビは「主張を認めていただいてありがたい。ただ、決定を読むと、やはりぎりぎりのところで表現の自由と人権の問題は存在しているので、よりよい番組を作るための参考にしていかないといけない」と述べた。

[公表]
千代田放送会館2階ホールで、「謝罪会見報道に対する申立て」事案に引き続いて記者会見を行い「委員会決定」を公表した。
坂井委員長が「結論として名誉感情の侵害なし、放送倫理上の問題なしで、判断のグラデーションでいうと一番下の『問題なし』の『見解』になった」と述べ、決定文を読み上げながら説明した。続いて、2人の担当委員が以下のように説明した。

(曽我部委員)
先ほどの謝罪会見報道事案は、事実を事実として伝えるということだったが、こちらの大喜利事案は演芸の形式だということがポイントであった。これは風刺画なども同様だが、確立した表現手法によって名誉感情が侵害された場合にどういう基準で判断するかが問題になったが、比較的幅を認めるのが表現の自由の趣旨からして適当であると判断した。
それから、個別の回答の中には障害にかかわる回答があるわけだが、これは障害自体を揶揄しているというよりは、申立人の言動にフォーカスを当てて、それを風刺・批判あるいは揶揄する、そういうものだと理解するのが通常の視聴者だと思うので、そういう観点から許容範囲内であると判断した。

(林委員)
こちらはやはりパロディーというジャンルになるかと思う。そうすると、そのパロディーと表現の自由との兼ね合いという問題になるが、今回の場合はやはり佐村河内さんという時の話題の人、しかも、かなりキャラクターが立っている、風貌とか演出の仕方とか、そういうことに対してのパロディーということで、これは許容範囲ではないかと判断をした。さらに大喜利の回答が、子どもたちのいじめを助長するなど、社会的影響に波及するとは受け止められないので、こういった判断に至った。

以上

2015年11月17日

「謝罪会見報道に対する申立て」事案の通知・公表

[通知]
午後1時から、BPO会議室で申立人側と被申立人側が同席して通知を行った。申立人の佐村河内氏は体調が思わしくないとの理由で欠席し、代理人の2人の弁護士に決定を通知した。被申立人のTBSテレビからは情報制作局の担当者ら3人が出席した。委員会からは坂井委員長と起草担当の曽我部委員、林委員に加え、少数意見を書いた委員の1人の奥委員長代行が出席した。
坂井委員長が「結論は申立人の名誉を毀損したと判断する『勧告』である」と述べ、決定文のポイントを読み上げた。
担当委員による補足の説明と少数意見の委員による説明が行われたあと、申立人側、TBSとそれぞれ個別に意見交換を行った。
申立人の代理人は「感謝している。BPOとしての機能を十分果たしていただいて、あえて裁判ではなくて裁判外でこういった形で申立てをした主旨が報われたものかなと思っている」と述べた。
TBSは「正直言って非常に驚いた感じがしている。佐村河内さんの耳が聞こえているのかどうか、説明が十分でなかったとすれば、そうかもしれないが、番組は新垣さんと佐村河内氏が言っていることのどちらが正しいかを検証したもので、診断書など与えられたものを評価しただけと考えている」等と述べた。

[公表]
午後3時から千代田放送会館2階ホールで記者会見を行い、「委員会決定」を公表した。24社の51人が取材した。通知の際の坂井委員長ら4人の委員に加え、もうひとつの少数意見を書いた中島委員が出席した。
坂井委員長が「本件放送は申立人の名誉を毀損したものと判断した『勧告』となった」と述べ、決定文の判断部分を中心に説明を行った。起草担当の2人の委員は以下のように説明を行った。

(曽我部委員)
放送局の立場からすると、大変厳しい判断だと受け止められるのではないかと推測する。その関係で3つほど手短に補足させていただきたい。
まず、今回の人権侵害の判断は、過去の判断をご覧になればわかるように比較的まれな判断で、異例の厳しい判断と受け止められるのではないかと思う。ただ、勧告の中には、人権侵害と放送倫理上重大な問題ありの2つあるが、これは人権侵害のほうが重いということでは必ずしもない。訴訟になった場合、名誉毀損の程度は結局慰謝料の金額で表せるが、委員会はそういう認定をしないで、人権侵害の結論だけになってしまうので、重く見えるかもしれない。しかし、必ずしも放送倫理上重大な問題というのが人権侵害よりも軽くて、逆に人権侵害のほうが重いということではない。
2つ目は、佐村河内さんのこの間の動きを見ると、やはり疑惑はあるのではないかという点との関係である。実際、本人も一部お認めになり、社会を裏切ったこともあるので、これくらいの放送をしても、多少の行き過ぎがあったかもしれないが、人権侵害という結論は厳し過ぎるのではないのかという受け止めもあるかと思う。これについては2点ほど申し上げたいが、1つはやはりいくら疑惑があっても、その勢いで何を言ってもいいということではない。やはり客観的な証拠とか、裏付けに基づいて言える範囲のことを言っていただくことが必要で、今回も疑惑は疑惑として明確に伝わるように放送すべきではなかったか。それとの関係で2つ目として、聴覚障害はセンシティブな問題であるということである。また非常に専門的な内容であって、一般の視聴者は、仮に放送内容が誤っていた場合に簡単に誘導されてしまうおそれがあるということもあり、やはり疑惑は疑惑としてきちんと伝える、そういった配慮も必要ではなかったかということである。
最後に3点目だが、本件は情報バラエティーということで、報道・ニュースとは違うので、多少アドリブも入っていたり、自由な発言をしてもいいのではないかということとの関係で厳し過ぎるという受け止めもあろうかと思う。ただ、本件はいわゆる情報バラエティーで、特にこの回は事実を事実として伝えるということがテーマだったはずで、バラエティーだからといって、一概に判断基準を緩和するのは申立人の名誉権との関係では適当ではない。これを活字メディアとの対比で言うと、いわゆる全国紙であろうが、週刊誌であろうが、スポーツ新聞であろうが、裁判所は同じ基準で判断をしているわけで、それとの類推からもそういうことは言えるかと思う。
もちろん、委員会の中でも議論があり、3人から少数意見が出されたのは、異例のことで、いろいろな受け止めがあったということだが、最終的にはこういう形でまとまった。

(林委員)
本件はかなり難しい案件だったと私も思う。ただ、そうはいっても、この案件は、やはり放送人権委員会の原点に立ち返るべき案件ではないかと思っている。社会的に佐村河内さんはいろいろ問題がある方だった、そしてすでに社会的評価も下がっている。しかし、そういう人であっても、やはり結論ありきで、間違った、あるいは根も葉もないことを基にいろいろ冗談を言ったり、ましてや体の障害について面白おかしく話をすることは、やはり影響力の強い放送番組としてはやってはいけないだろう。
少数意見があるが、放送倫理上問題があるということでは全員一致している。聴覚障害は、なかなか難しい専門的知識が必要で、私も勉強したが、だからこそ障害について理解を歪めるような社会的影響も懸念される。その点からしても、こうした決定をすべきだと思っている。

続いて、本決定に付記された2つ少数意見の説明が行われた。奥委員長代行は市川委員長代行との連名で少数意見を書いた。

(奥委員長代行)
事実の摘示という入口の部分で多数意見と私どもとは違う。事実の摘示というとすごく難しいが、私の理解では、一般の人がテレビを見て番組でどんな内容が流れたのかというある種の印象とかイメージとか、そういうものだと思う。
多数意見は、こうこうこういう事実が摘示されたが、真実性・相当性の証明がないから名誉毀損にあたるという趣旨だが、我々は決定文が言うような事実の摘示が、明確かつクリアなかたちであったとはいえないだろうと受け取った。
とりわけ日曜日の昼過ぎの情報バラエティー番組であり、もちろん、多数意見で指摘されているように事実を事実として取り上げるわけだから、正確でなければいけないが、視聴の形態とか、見ている側の意識ということからいうと、結局、視聴者が受け取ったのは「全聾だと言っていたのはやっぱり嘘だったのかと。今も聴覚障害があると言っているけど、それは怪しいぞと。手話通訳、本当に必要なのかな」という程度のものではなかったかと思う。手話通訳が必要だということについては、かなり強い疑いがあると番組視聴者の多くは受け取っただろうと思う。ここに我々の考える事実の摘示があったと判断した。しかし、手話通訳の必要性について強い疑いを持つということは、これは今までの流れの中で、ある種の真実性はあったわけで、それは名誉毀損にはならないだろうということで、人権侵害という結論をとらなかった。
しかし、放送倫理上の問題ということでいえば、やはり聴覚障害をめぐる診断書の説明が、いろいろな部分で非常にあいまいで、しっかりした説明をしていなかった。こういう問題を取り上げるときは、ちゃんとしっかりやってくれよということで、放送倫理上問題はあるという結論になった。

(中島委員)
私は本件放送に名誉毀損の成立の前提となる事実の摘示があったとは考えていない。委員会決定のように厳格な医学的説明を要求して、それがなされないまま申立人の聴力について聴こえているのではないかとコメントすると、正常な聴力を有するという事実の摘示があったとされる。それについて真実性の証明を求めるとなると、申立人は聴こえないと主張しているわけだから、実際には証明できないということになり、名誉毀損の成立を認めざるを得ない。
しかし、すでに申立人は謝罪会見時には一定の聴力があることを認めていたので、どこまで聴こえているのか、これも聴こえているのではないかという観点から意見を述べることは許されると思う。この点で、その意見が公正な論評にあたるかどうかが問われたのが本件であると私は考えている。
委員会決定は、公正な論評についても真実性の証明を要求しているが、それは事実の摘示と同様に不可能な証明を要求することになりかねない。これは表現の自由の観点から大いに問題があると思う。論評というのは意見を自由に述べることが大前提だからである。放送人権委員会は裁判所の代行機関ではないから、表現の自由と人権保障のバランスを最高裁と同様な態度でとらなければならないとは私は考えていない。実は私が申し上げたような論評に関する考え方は、東京地裁等日本の一部の裁判所が採用し、あるいはアメリカの裁判所では一般的にとられている立場でもある。
他方、奥・市川両代行の少数意見は、事実の摘示はあったが、真実性と相当性を認めることができると論じている。私は、本件放送は謝罪会見における事実を報道し、例えばペンの受け渡し等々だが、それについて公正な論評を付したものと理解した。つまり、事実の摘示を視聴者がどのようにとらえたかという観点で論じていない。これを行うと、視聴者の視点、その時々の多数者と言い換えてもいいと思うが、そうした受け止め方を基準にして事実の摘示の有無を決定することになり、多数者の視点で表現の自由の保障があるか・ないかを検討することになりかねない。奥・市川両代行の今回の少数意見は名誉毀損を認めていないので、結果的に表現の自由に配慮がなされたことになるが、表現の自由の一般論として「一般人」=多数者を基準とするのは適切ではないと考える。
しかしながら、本件放送には申立人との関係においてではなく、障害がある人々一般に対する配慮が著しく欠けているという点で、放送倫理上重大な問題があると私は考えた。逆に言うと、申立人との関係では放送倫理上の重大な問題は認めていない。以上の点で、私の意見の法律構成上の特徴があると考えている。

このあと質疑応答に移った。主な内容は以下のとおりである。

(質問)
佐村河内さんがどのくらい聴こえるのか、委員会としてどうやって確認したのか。
(坂井委員長)
佐村河内さんの聴力がどのくらいあるのか、我々の力で確認することはできない。委員会は佐村河内さんの聴力がどうなのかを判断する場でもないし、判断する能力もないという前提で、放送内容について判断をしただけである。

(質問)
この時期に他の報道番組でもかなりこの問題を報道していると思うが、それは今回の判断に反映されたのか。
(坂井委員長) 
委員会は申立てを受けた番組について判断をするということなので、他の番組は考慮の対象外である。

(質問) 
「人権侵害」と「放送倫理上重大な問題あり」が2つとも「勧告」の中に入るというケースはありえないのか。
(坂井委員長)
委員会の結論に両方書くことはないのかというご質問だが、それもありえないと思っているわけではない。ただ、過去にそういう例はないし、人権侵害ありとしたときには、決定文に書いたように、人権侵害をしてはならないという放送倫理上の規定もあるので、当然放送倫理上の問題も生じることになろうかと思う。それを、結論にあえて書くのかどうかというと、少なくとも今回に関しては名誉毀損があったという判断で足りると。ただ、それにつながるような放送倫理上の問題は具体的に指摘しておいた。

(質問)
今回の決定自体は人権侵害を認めているが、少数意見の3人の委員は人権侵害はないと認定している。これだけ真っ向から意見が分かれる場合には、1つの意見に集約しないという考え方が、BPOとしてありうるのか、お尋ねしたい。
(坂井委員長)
原則全員一致で決定を出せるのがベターだということにはなっているが、かといって、例えば今回のように少数意見が3名、その少数意見がまた2種類あるということもある。しかし、意見が分かれるからといって、決定を出さないということは考えられない。
委員会の運営規則の16条は、「委員会の議事は委員全員の一致を持って決することを原則とする。全員の一致が得られない場合は、多数による議決とする」と書いてあり、「賛否同数の場合は委員長の判断による」と。「多数決による議決の場合は、『勧告』または『見解』に少数意見を付記することができる」、こういう規定になっている。

(質問) 
人権侵害なしという少数意見は、表現の自由に配慮するという立場からすると、大変傾聴に値する意見だと思う。我々報じる側が、両論きっちりあり、それぞれの意見を踏まえて番組制作者に考えてもらいたいと報道することが問われているのかなと思った。
(坂井委員長)
普通の裁判所の判決と違って、最高裁判決には補足意見、少数意見があるというのと同じ意味で、「あっ、こういうバランスだったのか」ということがわかる。最高裁判決について言えば、ひょっとしたら次は変わるかもしれないということもありうる。それが1ついい面であって、おっしゃるとおり委員会の議論はこういうことだったのかと分かるかもしれない。
ただ、少数意見は個人、その少数の方の意見なので、委員会全体で議論するわけではない。委員会の決定として、最終的にどうだったかといところはぜひ重く受け止めていただきたい。その上で、少数意見もあったということを理解していただくのは意味がある。私も少数意見を書いた経験があるので、ぜひ読んでいただきたいと思うが、その前に委員会としてどういう結論だったのか、少なくともそこはしっかり受け止めていただきたい。

(質問)
率直に拝読してずいぶん厳しい決定だと思った。特に情報バラエティーと銘打って、ゲストを呼んでコメントをさせていく形で進んでいく番組であり、現場が萎縮する可能性をどのくらいお考えになったのか。
(坂井委員長)
表現の自由も重いし、放送される人の人権も重いので、申し立てられた案件について淡々と判断していくしかないのかなというのが私の考え。
今回について言えば、重いと受け止められる可能性がもちろんあるかもしれないが、事案を事案として判断をしていったら、こういう判断が出たということ。委員会がどうしてこういう判断をしたのだろうかということをぜひ考えていただきたい。厳しいことを言わなきゃいけないときもあるし、そうではないときもある。厳しいことを言われると、萎縮ということが頭をよぎるかもしれないが、しかし、そこでなぜ委員会がそういう厳しい判断をしたかということをぜひ考えていただきたい。
(林委員)
これまでも、現場が萎縮するというご指摘を受けたことがあるが、現場が萎縮するから、こういう判断を出さないということはありえない。いろいろ少数意見もあり、放送現場の方がこれらをどういうふうに議論していくか、放送局全体の問題として受け止めていただくということではないか。現場では委縮という受け止めではない方法で考えていただきたいというのが、私たち全員の希望です。
(曽我部委員)
BPOの決定と萎縮という話を、二律背反的に考えてしまうと、なかなか話が進まないところもあるかと思う。今回の決定でも人権侵害という結論を出した以上、放送倫理上の問題は必ずしも述べる必要はなかったが、もう少し具体的にどの点が問題だったのかをきちんと伝えたいというところで、かなり放送倫理上の問題についても書かせていただいた。名誉毀損の部分についてもかなり詳細に書いているのは、そういうところまでお読みいただいた上で、これから考えていくヒントにしていただきたい、そういう思いがあった。

(質問)
決定を受けて、当然制作サイドで考えなくてはいけないことが多いと思う。例えば、会見から2日後に情報バラエティーで取り扱うこと自体がなかなか難しいということなのか、あるいは、こういう工夫をすれば放送できたとか、お考えがあればうかがいたい。
(坂井委員長)
事実の摘示をしっかりやって、その上でいろいろな批判、論評をしていただく分には、それは公正な論評になるだろう。そこを、論評するときの意見に合うように事実摘示をしたところが問題だというのが今回の決定のメッセージのつもりです。事実の摘示の部分は、ちゃんと客観的内容を言った上で、どうも私は信用できないという分には、問題にはならないというのが私のアドバイス、考え方です。放送人権委員会は別に、何か表現を萎縮させてもよいとか、人権だけを考えているというわけではない、委員会は、報道の自由や表現の自由を守るためには自律していなければいけないとしてできた組織、という意識を持ってやっている。ですから、久しぶりであっても、人権侵害という判断をしなければいけないときはするんだと、そういう姿勢でないと、自律的な組織とはいえないという意識は個人的にすごくある。そうすることによって、BPOなり、それを作っているNHKと民放連、民放各局に対する信頼ができてくるという意識でやっているので、その辺までわかっていただければありがたい。

以上

2015年12月11日

「出家詐欺報道に対する申立て」事案の通知・公表

放送人権委員会は2015年12月11日に「出家詐欺報道に対する申立て」事案について「委員会決定」の通知・公表を行い、本件番組について勧告として「放送倫理上重大な問題がある」との判断を示した。
通知・公表の概要は、以下のとおりである。

[通知]
通知は、被申立人には午後1時からBPO会議室で行われ、委員会からは坂井眞委員長と起草を担当した奥武則委員長代行、二関辰郎委員が、被申立人のNHKからは副会長ら4人が出席した。申立人へは、被申立人への通知と同時刻に大阪市内にある代理人弁護士の事務所で行われ、申立人本人と代理人弁護士に対して、BPO専務理事と委員会調査役が出向いて通知した。
被申立人への通知では、まず坂井委員長が委員会決定のポイント部分に沿って、申立人を特定できるものではないとして「人権侵害に当たらない」としたうえで、「全体として実際の申立人と異なる虚構を視聴者に伝えた」などとして放送倫理上重大な問題があり、「放送倫理の順守をさらに徹底することを勧告する」との委員会決定の内容を伝えた。
この決定に対してNHKは「今回の通知につきまして、真摯に受け止めたいと思います。現在私どもは再発防止の取り組みを、全国レベルで行っております。先般の放送倫理検証委員会の意見、そして、本日の放送人権委員会の委員会決定を踏まえ、再び同じようなことが起きないよう再発防止をより一層徹底させてまいりたいと考えております」等と述べた。
一方、申立人は「人権侵害が認められなかったことは残念とは思うが、NHKが事実ではないことを報道したことを委員会が認めたことに感謝したい。NHKはこの決定を真摯に受け止め、訂正の放送をすることを求める」等と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見を行い委員会決定を公表した。24社59人が取材、テレビカメラはNHKと在京民放5局の代表カメラの2台が入った。
参加した委員は坂井委員長、奥委員長代行、二関委員の3人。
会見ではまず、坂井委員長が委員会決定の判断部分を中心にポイントを説明し「人権侵害はないけれども放送倫理上重大な問題があった」との結論に至った当該番組の問題について説明した。
また、総務大臣の厳重注意や自由民主党情報通信戦略調査会の事情聴取に触れた箇所について、「憲法21条が規定する表現の自由の保障の下において、放送法1条が、まず放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって放送による表現の自由を確保することを法の目的の1つとして明記している。放送法3条では、この放送の自律という理念を具体化するという意味で『放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない』として、放送番組編集の自由を規定している。そして放送法4条は、放送事業がよるべき番組編集の基準を定めている。放送法4条が厳重注意等の「根拠」とされているようだが、この条文は、放送番組に対し干渉を規律する権限を一切定めておらず、逆に、放送法1条、3条を前提として、放送の自律の原則のもとで放送事業者が自ら守るべき基準を定めているものである。従って委員会としては、民主主義社会の根幹である報道の自由の観点から、報道内容を委縮させかねない、こうした政府及び自民党の対応に強い危惧の念を持たざるを得ないと考えている」と、述べた。
さらに放送の自律に関して、「放送には何よりも自律性が求められる。自律というためには、過ちを犯した際にも、また十全に自律を発揮しなければならない。NHKは、本件放送について当事者の聞き取りなどを行い、既に『クローズアップ現代』の報道に関する調査報告書を公表し、本件放送に多くの問題があったこと、そして再発防止策などにも触れ、『クローズアップ現代』でも検証番組を報道している。しかし、委員会としては、放送の自律性の観点から、NHKに対して、なお本決定を真摯に受け止めて、その趣旨を放送するとともに、今後こうした放送倫理上の問題が再び生じないように、『クローズアップ現代』をはじめとする報道番組の取材、制作において、放送倫理の順守をさらに徹底することを勧告した」と述べた。
続いて奥委員長代行は「放送人権委員会の委員会決定はえてして非常に難しいという意見を漏れ聞くが、なるべくわかりやすく書いたつもりだ。すでに放送倫理検証委員会が意見を出しているので今回の委員会決定について重なっている部分があって既視感をもたれるのではないかと思う。同じように放送倫理上重大な問題があると指摘しているわけだが、放送倫理検証委員会は番組全体を放送倫理の観点から検証しているのに対して、放送人権委員会は番組で出家詐欺のブローカーとされた申立人の人権についてとそれに関わる放送倫理上の問題を検討したということだ。そのあたりの違いを分かっていただきたい」と述べた。

この後、質疑応答に移った。主な内容は以下のとおりである。

(質問)
放送法に関して、放送倫理検証委員会では放送法4条は法的規範性を有しないとしたが、政府は法的規範性があるとしており、法律についての論争があるが、その点については放送人権委員会はどう考えているのか。
(坂井委員長)
私も法律家、弁護士なので、それなりの考えは持っているが、法的規範性があるかないかというところの報道については、ある意味、用語の問題の部分があると思う。報道によっては倫理検証委員会の書いたことが倫理規範であるという書き方をしている報道もあった。しかし、それは、法律でないと言っているわけではない。放送法4条に書いてあるということは誰も否定できない。その上で行政指導の根拠となる法的規範性があるのかどうかという議論をしているのだと思う。放送法4条が法律であることは当然であるが、それについて、例えば行政が介入していく法的根拠になるのかというと、それは違うということを、今回、申し上げているつもりだ。
そういう意味では倫理検証委員会と考え方は同じだ。用語の問題として、法的規範なのかどうかとか、倫理規範なのかどうかというところは、そのような意味で若干混乱があると思う。法律に書いてあるということは誰も争いがないことで、その上でどのようなレベルでの規範性があるのかという議論ではないかと思う。

(質問)
そうすると、この4条をもって行政指導の根拠にはならないという認識は同じだというか。
(坂井委員長)
放送法4条には、その基準は書いてあるが、そもそもその前提となる3条に、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」という前提がある。放送法の1条に書いてある3つの原則の1つ、放送の自律の原則というのがあり、それを具体化するものが2条以下に定めているということは最高裁の判決も述べている。平成16年11月25日の最高裁判決、『生活ほっとモーニング』についての判決だ。
放送法3条に法律に定める権限に基づく場合でなければ干渉されないと書いてある。自律だと書いてあって、そのあとに4条があるわけだ。そこに番組の編集にあたっては次の各号に定めるところによらなければならないと書いてあるわけだが、そこには、委員会決定の中に書いたように、放送番組について干渉または規律するための権限はどこにも書かれていない。こういう基準で作らなければいけない、という規範はあるが、それについて、3条がいうところの法律に定める権限というのは、ないわけだ。
さらに言うと、放送法は憲法21条に基づく法律だから、憲法21条を放送法で解釈するようなことがあってはいけない。憲法21条の下に放送法があるということだ。
憲法21条は表現の自由、報道の自由についてどう定めているかというと、それは「人権相互の問題として調整は必要だ」という前提はあるが、「政策的に何か法律で定めれば自由に制限していい」という構成には決してなっていない。
放送人権委員会というのは、まさに名誉、プライバシーと表現の自由がぶつかった時にどうするのかということを扱っているわけで、それは法律で定めれば何かができるということとは違う。だから、放送法3条が法律に定める権限に基づく場合というのも、憲法21条の規定の下で許されるということなのだ。法律で定めればいいということではない。
そのような前提において、放送法4条、3条の関係で言うと、3条を前提に4条があって、4条は「法律に定める権限は何も決めていない」ということを委員会決定に書いたということだ。

(質問)
今の質疑の関連になると思うが、人権委員会で、こういった指摘をしたのは初めてなのか。
(坂井委員長)
こういう書き方は、これまでしていないと思うが、表現の自由についての指摘をしたことはある。
一つは、「大阪府議からの申立て」事案で、表現の自由についての補足意見として前委員長が、「取材・報道の自由、とりわけ取材・放送の自由は、情報の自由な伝達を妨げかねない特定秘密保護法の運用や、時の権力者の言動によって萎縮しかねない法的性質をも併有している」と記している。このケースは府議会議員だったが、国政に関わる者にも、より当てはまるという補足意見だった。
これは、そういう意味では同じ文脈であろうと思う。
また、「民主党代表選挙の論評問題」という事案がある。決定文の一部の抜粋だが、「申立人らが民主党の有力な政治家であり、自らも、メディアを通じて、その批判について反論する機会を有するだけの政治的な力量を持つ以上、むしろこのような自由な論評は甘受すべきであり、本件放送を論難することについては、報道の自由を堅持し、政治的干渉からの自由を擁護することを通じ、民主主義を維持発展させるという観点から疑問なしとしない」、という指摘をしている。
そういう意味で、政治家であるとか権力を持っている人間が表現の自由について尊重すべきであるということは指摘しているが、放送法という形では指摘していなかったかもしれない。ただ、文脈は同じだろうと思う。

(質問)
政府や自民党の対応に対して、「強い危惧の念を持たざるを得ない」と書いてあるが、こういうことに対しても以前から指摘されていたという解釈でよいのか。
(奥代行)
私の意見だが、ここに書かれていることは放送人権委員会の基本的立場で一貫していると思う。ただ、今回は、自民党がこういう形で事情聴取をしたり、総務大臣が厳重注意するなどの具体的な出来事があったからこういう書き方をしているのであって、放送人権委員会のプリンシプルは全然変わっていない。

(質問)
ネット上で閲覧が可能になっていたので審理の対象にするというのは、今までにもあったことなのか。審理に入る要件として、3ヶ月以内に事業者に、1年以内にBPOに言ってくるというのが運営規則だと事務局から先ほど説明があったが、今回はネット上で閲覧可能だったということで審理に入ったということか。
(事務局)
誤解がないようにご説明すると、ネット上に出ていたから審理入りしたのではなく、放送された映像と音声の同じものがNHKのホームページに誰でも閲覧可能な状態であったということで、原則という意味で放送されたと同じとして、運営規則はクリアしているということだ。
過去には、「上田・隣人トラブル殺人事件報道」事案がある。これも放送からは時間が経っていたが、ネット上で閲覧可能だったということで、委員会として要件を満たしていると判断している。ネットの社会になって、放送された同じ番組がネット上で見られたという場合は、要件を満たしていると判断するようになったということで、過去にもあったということだ。
(坂井委員長)
このケースは当該の局が誰でも見られるようにしているので、放送と同じように扱っていいのではないかという考え方だ。例えば誰かが違法にキャプチャーをしてネットに上げているようなケースとは、全く別だ。

(質問)
NHKの調査報告書は結果的にヤラセとはしなかった。放送倫理検証委員会はヤラセかどうかということは議論しないで、NHKのガイドラインが一般の感覚から乖離しているという言い方でNHKの対応を批判したが、今回の勧告では、特にNHKの姿勢についての論評がない。その辺、どういうふうに考えているのか。
(坂井委員長)
質問に対するストレートな答えとしては、まずヤラセの定義を決めないと、この議論はなかなか噛み合わないところがあって、「ヤラセとは何か?」という話をしないと進まないところがある。
委員会決定に関して言うと、別にその問題を避けているわけではなく、ヤラセとは何かと定義をして、それについて当てはまるかどうかということをやっても、我々の仕事としては意味がないと思う。我々の仕事としては、シーン4の部分で放送倫理上の問題として「明確な虚偽の事実を含む」と委員会決定に書いた。
ただ、それがヤラセなのかどうなのか、ということについては、そもそもこの申立人がブローカーだったのかどうなのかというところは、決定文で言うと「藪の中」で、判断し切れない。
ヤラセの定義とも関係あるが、シーン4については明確な虚偽の部分もあるが、例えば、申立人が真実、ブローカーであって普段やっていることを単に再現したのであれば、それはヤラセにあたるのだろうかという議論になるだろう。また、仮に申立人がブローカーであったとしても、普段やっていないことを演じてくれと言われてやってしまったら、それはヤラセになるかもしれない。そのような、いろいろな難しい問題があると思う。
しかし、我々がやるべきことは放送倫理上の問題を検討することなので、「明確な虚偽の部分がある。それは問題ではないか」と書いた。それをヤラセというかかどうかは定義の問題ではないかと思う。あえて、そこを述べる必要はないと、私は個人的には思っている。
(奥代行)
基本的に委員長の考えと一緒だ。ヤラセかヤラセじゃないかということを議論するのは、委員会の主要な対象にはなり得ないだろうと考えている。一般視聴者としての感覚で言えば、あれはヤラセだっただろうというふうに簡単に思う。
ただし、委員会決定にも書いたが、NHKの記者が「出家詐欺ブローカーの役をやってくれ」というふうに頼んでやったかどうかということは確認できないし、どうもそうではない可能性のほうが強いと私は思っている。
そうすると、やらせたわけではないということになる。申立人が、いろいろな事情、状況を斟酌して積極的に出家詐欺ブローカーの役を演じたということになると、それは果たしてヤラセなのかヤラセではないのかという、そういう議論になる。
だから、ヤラセという言葉は非常に分かりやすいのだが、実はこういう決定には馴染まない問題だろうと思っている。
(二関委員)
特に付け加えることがあまりないが、「ヤラセ」という言葉にメディアの人がこだわり過ぎているなという印象を持っている。

(質問)
放送倫理検証委員会もヤラセの定義というのは、意見書にそぐわないということではあったが、NHKの放送ガイドラインには「真実のねつ造につながるいわゆるヤラセ」とヤラセの定義を書いている。今回の勧告の中には「明確な虚偽を含むナレーション」と書いてはあるが、いわゆるねつ造という言葉はない。ねつ造というものに当たらないのか。
(坂井委員長)
これも、ねつ造という言葉の意味がはっきりしない。単刀直入に言うと、「明確な虚偽を含んでいる」と言うほうがまぎれのない表現だと思う。それをねつ造というのかどうかだが、ここから先は解釈の問題になるが、シーン4の部分は、仮に申立人がブローカーだったとしても、その事務所ではなかったわけだし、多重債務者が当日偶然来たわけでもなかった。
セッティングして待っていたという意味では虚偽なわけだが、もしブローカーが本当にいて、自分の事務所では撮影されては困るとからと言って他の場所を借りて、普段やっているのと同じことをやったとしたら、それはねつ造なのだろうか?虚偽なのだろうか?という、微妙な領域があると思う。
それがいいと言っているわけではないが、そこにはいろいろなグラデーションがあるので、それをねつ造に当たるかどうかということを議論してもあまり意味がないと思う。我々がはっきり言えることは、「あの部分については明確な虚偽が含まれている。それは、放送倫理上はだめではないか。事実を事実として報道する以上そういうことがあってはいけない」という意味で、もちろん「だめだ」と言っているわけだ。
そういう切り分けのほうがむしろすっきり理解できるのではないかと私は考えている。
(奥代行)
申立人がブローカーを演じることにどこまで納得していたかは全然わからない。かなり納得していたとすると、その事務所が彼のものではなかったとしても、ねつ造とまで言えるかとなると少し躊躇する。そういうグラデーションの感じで、「明確な虚偽」、あるいは「虚構」という表現を採用したということだ。

(質問)
委員会決定を読んだ印象は、記者個人が暴走したというのはわかるが、NHKの組織としての責任は、あまり明確ではないようだ。いかがか。
(坂井委員長)
記者が悪くて局に責任ないという話ではもちろんない。結論の部分には局に対する要望をしっかり書いて、NHKに対して、「今後こうした放送倫理上の問題がふたたび生じないよう、報道番組の取材・制作において『放送倫理基本綱領』の順守をさらに徹底することを勧告する」としている。
こうなったことについて、もちろん記者が裏付けをしないまま報道した、ということはもちろん大きいが、1人で番組を作るわけではないから、その制作チームなり、最終的な判断をする立場の人の責任も当然出てくるという意識で書いている。
だから、「個人の責任に重点を置いていないか」という指摘については、どちらかというと意外な感じで、「そういうつもりでは書いていない」と答える。

(質問)
倫理検証委員会は、組織のなりたちが行き過ぎた番組につながったのではないかということを指摘しているが、人権委員会の勧告は割と記者に特化しているような印象を受けるが、いかがか。
(坂井委員長)
そこは委員会のなりたちの違いがある。我々は放送された人、取材された人から申し立てられた内容について、その人権侵害があるのか、その人の人権侵害につながるような放送倫理上の問題があるのかという観点で、番組を見る。
番組の作り方がどうだったかということは、倫理検証委員会がまさにやっていることだが、我々は作り方がどうだったかとか、責任の所在がどこにあるのかということを追求することが主な仕事ではない。放送人権委員会は、この放送で人権侵害があったかどうか、人権侵害につながるような放送倫理上の問題があったかどうかというところにフォーカスして仕事をしている委員会だ。だから、そういう違いが出てくるのだと理解をしていただきたい。
(二関委員)
今、委員長が言ったことと同じことを若干言い方を変えて述べると、申立人が番組の中でどのように描かれていたかという点に我々は着目した結果、そういった描かれ方に一番近い、画面にナレーション等の出てきている記者にどうしてもフォーカスがあたってしまうというところはあると思う。

(質問)
裏付け取材もそうだが、チェック体制がちゃんとしていれば、こういう表現は回避できたのではないかと思うが、その辺あまり指摘がないように思う。いかがか。
(坂井委員長)
裏付け取材がないというのが一番大きく、裏付け取材がないままなぜ通ってしまったのかということはある。決定文に「これは、報道番組の取材として、相当に危ういことではないか」という表現があるが、裏付け取材は事実報道をする場合の根っこの部分だ。それは、やはりしなければいけない。
それがされないまま通ってしまったことは問題だと思うが、我々はなぜ通ってしまったかということを検証する立場ではなく、この番組に人権侵害があったのかを判断する立場なので、どうしてもそれ以上突っ込めないということになる。
(奥代行)
つまりこれは人権委員会でやっているわけであって、この番組トータルにどういう問題点があったのかということを検証したわけではない。だから、読んだ時の感じの違いは当然出てくると思う。
決定文でも、本件映像という言い方をずっと一貫して使っているが、申立てに関わる映像の問題として取り上げているわけだ。本件番組をトータルに取り上げてはいないのだ。
例えば、ヤラセということで言えば、最後の場面で、多重債務者とされている人を追いかけてインタビューする場面がある。あれなどは大きな問題だと思うが、そのことに全然触れていない。なぜ触れていないかというと、申立人の問題ではないからだ。

(質問)
結局、視聴者もこの問題を取材している我々もわからないのは、申立人がブローカーだったのかどうかというところだ。決定文はNHKの報告書とあわせて公表された外部委員の見解の中で、端的に言うと「ブローカーではない」という部分を引用している。放送人権委員会としてもこの判断は同じなのか。
(坂井委員長)
ブローカーかどうか、判断できればもちろんする。
ブローカーとして報道しているのはNHKではないか。だとしたら裏付けの話に戻るが、「ブローカーとして報道して、マスキングもした」「ブローカーとして報道したのは、事実こういう裏付けがあるからだ」という答えがふつう事実報道に関しては放送する側から出てくるはずだ。でも、それはなかった。
我々はそれ以上判断のしようがない。ブローカーであったという裏付けについて、NHKは主張はしているが説得的でないと判断をした。
NHKの調査報告書も「そう言っている」と引用して、それ以上ブローカーだったのかどうかということは、私たちの委員会で判断のしようがない。我々はできるだけ早く結論を出さなければいけないので、むやみに調査するわけにはいかない。ある程度主張と資料を出してもらったうえで、双方1回ずつヒアリングして、補充の主張等を出してもらうこともあるが、それ以上のことはしない。
倫理検証委員会のほうはもっとたくさんの人間にヒアリングをしたと思うが、それだけのことをやっている委員会と我々とは目的が違う。我々の委員会に出た材料の中でどう判断できるかというと、「それは判断しようがない」というしかないし、それでいいのだと考える。その上でどう判断するかだ。
例えば訴訟でも立証できないということはしょっちゅうある。この場合、立証責任という言葉を使うが、立証できなかった時にどちらがそれで不利益を負うのかという発想になる。何でもどちらかを判断できるということではないので、この委員会のシステムの中では、「そこは判断できない」ということしか申し上げようがない。

(質問)
今回の委員会決定の評価だが、判断のグラデーションに沿うと先日の「謝罪会見報道に対する申立て」の委員会決定と単純に比較すると、同じ「勧告」でも今回の方がややトーンが下がるのかなと思ったが、その辺はどのような認識でいればいいのか。
(坂井委員長)
「謝罪会見報道に対する申立て」のケースは人権侵害ありという結論、こちらは放送倫理上重大な問題があるという結論で、カテゴリーとしては同じ「勧告」の中に入る、という以上のことは申し上げられない。これ以上のグラデーションはないので、決定文の中に書いていることを読んで判断してもらう他ない。

(質問)
放送法4条について、倫理検証委員会が意見書を出したあとに、菅官房長官が「BPOは放送法を誤解している」と反論したことがあったし、その後に岸井さんを名指しにした意見広告が出された。そういうことを念頭に置いて、この委員会決定が改めて出されたということか。
(坂井委員長)
この事案については、申立てのあった番組について直接の動きがあったので、委員会として触れたということで、それ以外の意見広告については、我々の触れる話ではない。委員会決定はあくまでこの番組の申立てについてのものと理解してほしい。

(質問)
シーン4の場面については明確な虚偽を含むもので、虚構を伝えるものだったと書かれている。これは、記者の側にそういう意思がなければそういうことにはならなかったと思うが、なぜこういうことをしてしまったのか、動機にあたる部分、背景に何があるのかについてはどう考えているのか。
(坂井委員長)
その背景までは語るべき力はないと思うが、ただ、事実報道をする立場の人は放送かプレスかに関わらず、裏付け取材はイロハのイだ。基本的に裏付けを取らないで報道してはだめな話だと思うから、そこのところを「なぜ」と言われてしまうと、「なぜそんなことを起こしてしまうのだろう」としか言いようがない。だから、そこのところは「十分考えてください」という勧告になっている。
もう1つ、そのシーン4のところについては、さきほどからヤラセなのかねつ造なのか言葉の問題はあるが、例えば私が何らかの取材を受けた際に「すみません、そこのところもう一回言ってください」と求められることはあると思う。それをヤラセというのかというと、おそらくそこまでは言わないし、明確な虚偽を含むとも言わない。
それはなぜかと言うと、言っている内容は言う本人が本気でそう思っていることだからだ。そういう話から始まって、どこまで事実の報道に演出があっていいのかという議論はあると思うが、「このくらいだったらいいだろう」みたいな話で行ってしまったのかなと想像する。
だから、今回の明確な虚偽を含むというのは放送倫理上重大な問題があって、人権侵害はないけれども、やはりとても大きな問題で、もっときついことを言えば「そういう作り方してはいけない」という話、「論外だ」と思っている。
「なぜでしょう」と言われてしまうと、「私が聞きたい」という気がする。
(奥代行)
「なぜですか」と言われて、個人的な感想だが例えば1つだけ言えば、多重債務者として登場したBさんは取材協力者としてNHKの記者とはかなり長い付き合いで、記者はいろいろな形で情報をもらったりしていた。その人に対する過重な信頼があっただろうということとか、記者というのはいつもいい映像を撮って、いいタイミングで流したいというのがあるので、そういう功名心とか特ダネ意識とかがあったのではないか。そうしたことはいろいろ指摘できるが、それはこの委員会決定とはちょっと別の次元の話だ。

以上

2015年4月14日

「大阪府議からの申立て」事案の通知・公表

放送人権委員会は4月14日、上記事案に関する「委員会決定第54号」の通知・公表を行い、本件放送は申立人の名誉を毀損したり名誉感情を侵害するものではなく、放送倫理上の問題もないとの「見解」を示した。

[通知]
通知は午後1時からBPO会議室で行われた。委員会からは坂井眞委員長と起草を担当した市川正司委員、小山剛前委員が出席し、申立人本人と被申立人であるTBSラジオ&コミュニケーションズの取締役ら4人に対して委員会決定を通知した。
まず、坂井委員長が放送人権委員会の委員の構成が4月1日付で変わったが今回の委員会決定については審理に参加した委員名で通知・公表するとした上で、「決定の概要」「委員会の判断」を読み上げる形で、申立人と局側の双方に決定内容を伝えた。
続いて、小山前委員が「一般論としては申立人が言うように、公人といっても何を言われてもいいというわけではない。今回の事案に当てはめると、申立人がこだわっていた『キモイ』という言葉は当該局が初めて出したものではなく、一連の動きの中で既に出てきている言葉だったことと、申立人本人が府議会議員であることなどからこのような結論となった」などと、説明した。
局側が一旦退席した後、委員長から委員会決定に対する意見・感想を聞かれた申立人は、「この委員会決定については『はい、分かりました』ということです」と答えた。続いて一連の問題と市長選挙との関連について、「個別の放送に関してはここで取り上げられて議論の対象となるが、一連のこと全体に対して実際どうだったのかということについて検証する場がないではないか」と述べた。
また、申立人と入れ替わって席に着いたTBSラジオ&コミュニケーションズの取締役は「私どもの主張のうちで公人としての議員の不適切な行動を論評したということを一定程度受け止めていただいたと考えている。一方では、やはり人権というものへの配慮は我々が放送するうえでも大切なものなので、この決定を社員教育などに使いながら今後の一つの基調としてやっていきたい」と述べた。
市川委員は、番組での発言は申立人の行動に対するもので、人格に対してのものではないとする局側の主張に対し「それらを峻別することは難しいという立場に立って判断した」と述べた。また、「キモイ」という言葉について「すべての場合許容されるわけではないと書いてある。その言葉の厳しさというか、例えば子供に対して使われたらどうかという問題もあるので、慎重に考えていただきたい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館の2階ホールで記者会見を行い「委員会決定」を公表した。23社46人が取材し、テレビカメラ5台が入った。
会見では、まず坂井委員長が主に「決定の概要」と「委員会の判断」の部分を読み上げながら決定の内容を説明した。続いて、補足意見について、「三宅前委員長が9年の在任中に4件の政治家に関わる事案の判断に関わられた経験があり、その経験を前提に補足の意見を書かれた」としたうえで、その主旨を紹介した。
市川委員は、番組での論評は議員の行為だけに着目したもので、人格に対する非難、あるいは社会的評価の低下とはならない、と局側が主張したことに対して、「行為と人格を峻別することは困難な場合が多く、本件でもそれを峻別する事はできないと判断した。枠組みとしては、一定の社会的評価の低下、名誉感情の侵害があるという前提で、それが公共性・公益性との関係で許容されるのかということを、委員会としては比較考量して判断した」と局側の主張する枠組みと委員会決定の枠組みの違いについて説明した。
また、補足意見に触れ「私も同感と考えている」と述べた。
小山前委員は「バラエティー番組の特性は局側が強調していたポイントのひとつだった。このバラエティーについては、かつて放送人権委員会決定第28号があるが委員会決定第28号は、独り歩きして、場合によっては都合よく拡大解釈されているのではないかという印象を持っている。バラエティーだから全部許されるのか、どこまで許されるのかは、今後、局側としても慎重に考えていかなければいけない。また、人権委員会の宿題でもあるのではないかと認識している」と述べた。
続いて質疑応答が行われた。

(質問)
日本テレビの『スッキリ!!』についての申立てが1月に取り下げられたが、申立人は取下げの理由をどう説明しているのか。
(坂井委員長)
取り下げられた事案なので、その理由を説明するのは、あまり適当ではないと思う。放送人権委員会は申立てがあって初めて審理が進められるので、理由の内容によって取り下げを認めないとかという話でもない。

(質問)
今回の判断には、『スッキリ!!』に関する委員会としての判断は示していないということか。
(坂井委員長)
そうだ。『スッキリ!!』は取り下げられた時点で、審理の対象ではなくなっている訳なので、今回についてはTBSラジオの放送のみについての判断ということだ。ただ、ここで説明した内容については、一般的な考え方も入っているので、それについて、突然また違ったことを我々委員会が言うとは思えない。
(小山前委員)
『スッキリ!!』の事案は、ヒアリングをやる前に取下げられた。ある程度、論点を整理したが、やはりヒアリングを聞いた上で具体的な事実関係とか、具体的な主張の内容を確認することになる。
一般論としては、今回の決定で使った規範の部分は取り下げられた番組にも、当然そのまま当てはまる。したがって、どういう場合にどこまで許容され、あるいはどういう場合に、人格権侵害になるかという判断の基準自体は同じだが、例外的に人格権侵害に当たるような事情があったのかどうかの確認は全くやってないので、その結論については何も申し上げることができないということだ。

(質問)
決定では「申立人の主張には理由がない」となっているが、これは問題なしという見解とはまた異なるものなのか。
(坂井委員長)
理由がないということは、申立人が主張している人権侵害、放送倫理上の問題は認められないという結論だと理解していただいて結構だ。結論として、申立ての趣旨は認められないということと全く同じだ。

(質問)
問題なし、という判断をする事によって、みだりに申立てを行うような傾向は、少し抑えられると考えるか。

(坂井委員長)
「みだりに」というところに非常に難しい評価が入っているので答えづらいが、申立てがいっぱいあればいいとは決して思っていないけれども、人権侵害や放送倫理上問題があるといった事案が出てしまえば、それは遠慮しないで申立てていただいたほうがいいと思っている。この事案で人権侵害、放送倫理上の問題はなかったからといって、一般的に、申立てることが控えられる方向になるとは思っていない。あくまで個別の判断だ。

(質問)
みだりにというか、似たような申立てがあまり起こらないように、例えば、審理入り自体を行わないという判断が今後あり得るのか。
(坂井委員長)
我々としては、原則個人の申立てで、人権侵害、名誉毀損やプライバシー侵害がある、ないしは放送倫理上の問題があるという申立てがあれば、審理を開始するということになる。そこでは、規則に定められた要件に合うかどうかということだけを考える。
それから先は個別事案を判断していく。地方議会議員は全てを受忍しなければいけないということは、もちろん無い訳で、地方議会議員であっても最も極端な例を言えば、寝室だとか浴室を暴かれていいはずはない。
ただ、そういう立場の方が申立てる時点で、申立てすべき事案かどうか本人ご自身が判断をすると思う。公的な立場だからそういう問題にはならないと考えるのか、そうでなく、いくら公的な立場でもやり過ぎだと思えば申立てる。我々は、規則に従って要件があえば審理を開始して判断をするということになる。

(質問)
三宅前委員長の補足意見の所にもあるし、市川委員も同感ということだが、受忍限度は地方議員よりも国会議員のほうがさらに高くなくてはいけないという指摘がある。これは昨今の政治状況等を反映しての補足意見あるいはお考えと考えてよいのか。
(坂井委員長)
私の個人的な意見だが、補足意見には「国政を担う政治家の行動についてはなおさら妥当する」とあるだけで、必ずしもより高くなるとまでは書かれていない。地方議会議員の場合は、一般私人に対する論評よりも受忍すべき限度は高いというのは、今回の決定で我々が書いたことで、それについて、なおさら妥当すると書いているだけだ。ただ、選挙で選ばれる議員は、公的な立場として最も強いということは、争いのないことだろうと思う。
(小山前委員)
公人というのはずいぶん広い意味で使われる場合もあって、この決定では公人という言葉は使っていない。「公人が…、公人が…」と言うのではなくて、それぞれがどういう人かで判断したほうがいい。
(市川委員)
委員会としては、これは濫用的な申立てであるとか、あるいは介入的な要素があるとか、そういうことを判断するという立場にはないし、そういう基準も持ち合わせてはいない。委員会としては、来たものをまず申立て要件にあてはまるかどうかを粛々と検討する。
放送人権委員会の場合には、人権侵害あるいは放送倫理違反という主張があれば審理入りをしなければいけないということになっている。それが本当にあるかどうかは全く考えずに審理入りをするというふうになっている。そこでの審理の開始というのは、ある意味では無色透明なものだと理解してほしい。
その上で、委員会としては、なるべく速やかに結論を出していくことによって、申立てするかどうかの判断を、自ずからみなさんが考えてくれるようになるのではないかと考えている。
(坂井委員長)
公人という言葉を使っていなくて個別に判断する訳だが、数年前ある国家試験委員をやっている方についての事案があった。もちろん、公職選挙で選ばれる方とは違う訳だが、国家試験委員をやっている方の公的な立場はどうなのかというような個別の判断をした。それぞれ、事案によって判断されていくことになると思う。
取扱い基準は、放送と人権等権利に関する委員会運営規則の第5条に書いてある。第5条の1.の(1)で「名誉・信用、プライバシー・肖像等の権利侵害、およびこれらに係る放送倫理違反に関するものを原則とする」ということが書いてあり、その中で1.の(6)に「苦情を申し立てることができる者は、その放送により権利の侵害を受けた個人または直接の利害関係人を原則とする。ただし、団体からの申立てについては、委員会において、団体の規模、組織、社会的性格等に鑑み、救済の必要性が高いなど相当と認めるときは、取り扱うことができる」と書いてある。こういう規定に従ってやっていくということになる。

(質問)
「キモイ」という言葉自体の意味と、委員会としてこれを無限定に使うことを是とするものではないということを付言しているが、あえてこれを書いたねらいは何か。
(坂井委員長)
私の個人的な考えになるが、このケースでは「キモイ」とか「キモジュン」とかの言葉が繰り返し使われていて、それは今回の申立人の立場、この放送内容を前提にして受忍限度内だということを言っているのだが、それが誤解されては困る。青少年の間のLINEでの村八分みたいな話など、色々な事象が今、報道されている。そういう中で、「キモイ」は人を傷つける場合もあるので、全部OKということは決してないということは、付言をしておきたい、というのが私の理解だ。
(市川委員)
この決定が与えるメッセージとして、「キモイ」という言葉自体にお墨付きを与えるというか、そういうことであってはいけないということが、基本的な考え方だ。審理の中でも「キモイ」という言葉の与える強い打撃を指摘する委員もいた。場面によっては、違うことになるので指摘したほうがいいだろうと思う。
ただ逆に、これはいいとかこれは悪いとかと、一律に言葉を選別するというのも適切ではないと思っているので、その辺りのことを配慮した記述にしたと考えている。

(質問)
ということは、逆に言うと、言葉の使い方について縛りをかけるという意味ではないと理解していいのか。
(坂井委員長)
この言葉について、一定の評価を一般的にかけている訳ではなくて、どの場面でどう使われるかによって、深く人を傷つける意味を持つ事もあるという意味で理解してほしい。使われる場面で、全く変わってくると思うので、一般的に言葉狩りみたいな形になってしまうのがいいとは、思っていない。

(質問)
今回の委員会の判断の中で、「キモイ」という言葉がキーワードのひとつであると書いてあるが、もし、中学生が「キモイ」と言わなければ、こういう判断基準にはならなかった可能性もあるのか。
(坂井委員長)
それは、むしろ逆で、元々この話はLINEで「キモイ」という言葉が使われて、議員のほうがそれに反論したということが報道された事案だ。それを取り上げる時に、「キモイ」という言葉を抜きにして取り上げるのは難しい。元々報道すべき事象の中に、既に「キモイ」という言葉があったので、事実の報道として、「キモイ」は出て来てしまう訳だ。
今回の番組は、必ずしも事実の報道そのものではなくて、ラジオの番組で論評をしたということだ。その中で、その事象に出てきた言葉を出演者が使ったということで、ことさらに「キモイ」という言葉の人を非常に傷つける部分を強調して使うために、あえて選んだのではないと、そういう文脈で私は理解している。
(小山前委員)
今の質問は基準が変わるのかという質問だったと思うが、基準自体は全く変わらない。基準はどこで決まるかというと、相手が公人、この場合府議会議員であり、かつまた、その論評の対象となった出来事が、府議会議員としての公務に付随した行為だった。そこのところで基準は決まる。簡単に言うと、人身攻撃みたいな例外的な場合でない限りは「我慢しろ」というのが基準だ。
要するに、確かに「キモイ」という表現は不愉快な表現だ。でも、その「キモイ」という表現は、この事案では元々のやりとりの中で既に使われていた言葉であり、殊更この申立人を誹謗中傷するつもりで言った言葉ではない。むしろ、事件のキーワードになった言葉だから、例外的な誹謗中傷にあたるような場合には該当しない。

(質問)
申立人は納得したのか。
(坂井委員長)
心の中まではわからないが、先ほど通知公表をして、格別な意見なり感想なりというのはなかったので、委員会の判断として受け止めたのだと、私は理解している。

以上

2015年1月16日

「散骨場計画報道への申立て」事案の通知・公表

放送人権委員会は1月16日、上記事案に関する「委員会決定第53号」の通知・公表を行い、本件放送について「放送倫理上問題あり」との「見解」を示した。

[通知]
通知は、被申立人には午後1時からBPO会議室で行われ、三宅弘委員長と起草を担当した坂井眞委員長代行、大石芳野委員が出席し、被申立人の静岡放送(SBS)からは取締役編成業務局長ら3人が出席した。申立人へは、被申立人への通知と同時刻に熱海市内の申立人の会社事務所にBPO専務理事と調査役がおもむき、通知した。
被申立人への通知では、まず、三宅委員長が「決定の概要」「委員会の判断」をポイントに沿って読み上げる形で、「肖像権侵害にはならないが、放送倫理上問題あり」という決定内容を伝えた。
続いて、坂井委員長代行は、「付言だが、本来、実名・顔出しでできることを記者会が足並み揃えて顔出しをやめようとするのは、報道の自由の観点から問題がある」と述べ、大石委員は「今の社会は、長いものに巻かれるという流れの中にあるような気がする。そのことが報道にも出てきたのではないか」と述べた。また、委員長は「放送は映像が伴い、記者会合意として活字メディアとひとつにまとめることには問題がある場合がある。十分議論してほしい」とした。
決定について、被申立人は「今回の決定を真摯に受け止め、今後の取材と放送活動に生かしていく所存です。本件を取材対象者との信頼関係を損なう行為と重く見ており、すでに実効性のあるマニュアルを作成し再発防止に取り組んでいます。今後は公共性・社会性のある事案に対する取材・報道への議論を深め、規制することなく真実を伝えることで、視聴者・取材対象者の信頼を得るよう努力します」と述べた。
最後に委員長が、「意見交換など積極的に行っていきたい」と今後、SBSの研修会等に協力する旨を伝えた。
申立人への通知では、専務理事から、「放送倫理上問題あり」とする「見解」で、放送局にとって厳しいものになっているが、一方、「肖像権については侵害していない」という決定内容であると伝えた。その後、「委員会の判断」に沿ってポイントを説明し、担当調査役が、「決定の概要」を読み上げる形で通知した。通知を受けた申立人は、「『放送倫理上問題あり』となっていることは当然のことだが、肖像権侵害はなかったという放送人権委員会の結論に対しては不満だ。今後は裁判所の判断を仰ぎたい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館の2階ホールで記者会見を行い、「委員会決定」を公表した。22社46人が取材し、テレビカメラ6台が入った。
会見では、まず、三宅委員長が「委員会の判断」と「結論」の要所要所を紹介しながら委員会決定の説明をした。
続いて、坂井委員長代行は「3つのポイントがある。第1点は、SBSに非があった点は争いがないということ。2点目は肖像権侵害になるのか、放送倫理上の問題はあるのかということで、今回の場合正当な社会の関心事なので、その報道で顔の映像を放送することは、肖像権侵害となる『みだりにその容貌・姿態を撮影・公表』の『みだりに』にはあたらない。公共的な事項について、そういう立場にある人の映像を放送することはできたのではないか、ということだ。3点目は付言の部分になるが、この事案は各社の判断で報道してもいい事案だと考えるので、足並み揃えて匿名・顔なしを約束することには、報道の自由の観点から問題をはらんでいるということだ」と述べた。
また、大石委員は「今の日本の社会状況は『長いものに巻かれて行こう』という流れの中にある。個々の判断に任せればいいものをみんな一緒になってしまったことが、そのことを象徴している」と述べた。
このあと、出席者から質問を受けて委員が答えた。主なやり取りは以下のとおりである。

(質問)
委員会決定の通知を受けた後の申立人と被申立人の反応を伺いたい。
(三宅委員長)
被申立人のSBSは、「決定を真摯に受け止め、今後の取材・報道に生かして行く」というものだったが、申立人は「放送倫理上問題があるということは納得するが、肖像権侵害はないということについては不満である」ということだった。
(事務局)
申立人は最初から、裁判のことは委員会に対してもSBSに対しても言っていた。今日もそのような趣旨のことはおっしゃったようだ。

(質問)
今回の決定は、放送人権委員会の「判断のグラデーション」の中で、もう少し厳しいとか、逆に「問題なし」との意見はなかったのか。
(三宅委員長)
比較的議論が一本化できた案件だった。

(質問)
話し合いを促し、当事者間に任せるというようなことはなかったのか。
(事務局)
申立書が来た段階で事務局から話し合いをお願いしている。しかし申立人は、終始一貫SBSとは話さないという態度だった。

(質問)
「顔を出さない」「匿名」という条件で記者会見を開いているということは、これまでにもあったのか。
(三宅委員長)
今回についての条件として判断している。以前どういうことがあったかは判断からはずしている。

(質問)
匿名、顔出しNGの申し入れがあった時に、記者会として受け入れず、記者会見の開催自体を断念するべきだったのか。
(三宅委員長)
いろいろな場合があると思うが、「きびしい条件が付いたので共同記者会見に至らなかった」ということで、独自取材で映像を流すこともあると思う。それは当該現場の記者の判断だから、こうすべきだということは決定文では控えている。

(質問)
SBSの内部では、合意の情報は担当記者だけのものだったのか、局として共通認識として持っていたのか。
(坂井委員長代行)
社として合意を受け入れるとしているので、担当記者だけが知っていたわけではない。しかし、ミスをしてしまった。関係者・スタッフは顔を出さない処理をするつもりだったということだ。

(質問)
今回以前の報道でも、顔・名前は一切出ていないのか。
(三宅委員長)
新聞では名前は出ていない。
(大石委員)
顔は今まで出していないと言っていた。申立人は「狭い社会なのでいやだ」と顔出しを拒否している。企業名は出ていたが、顔・個人名は出ていない。

(質問)
一旦合意すると、決定文では「報道各社が一旦受け入れたその条件を以後まったく無視して新たに取材・報道できるかどうか、大きな疑問がある」としているが、この記者会見だけ顔を出さない、個人名を出さないという合意だったのではないかと思うのだが。
(坂井委員長代行)
合意としては、理論的にはその時だけの制限といえるが、例えば翌日に独自取材で顔を映し、実名を出して、記者会の合意には縛られないからと、報道できるのだろうかということだ。顔や実名を出せるかもしれない時に、皆で出さないで行こうと合意することが、本当にいいのかどうか危惧して付言した。
(三宅委員長)
例えば事態が変わっても合意が重くなり、それに縛られてしまうのではないかということがある。そうだとしたら、条件を付けた記者会見をやるべきだったのかどうか、という議論になった。

以上

2014年1月21日

「宗教団体会員からの申立て」事案の通知・公表

放送人権委員会は1月21日、上記事案について通知・公表を行い「本件放送の公共性・公益性を高く評価するものであるが、申立人のプライバシーへの十分な配慮があるとは言えず、放送倫理上問題があると判断する」との「見解」を示した。

[通知]
通知は、午後1時からBPO会議室で行われた。三宅弘委員長と起草を担当した市川正司委員、田中里沙委員が出席、申立人本人と被申立人であるテレビ東京の報道局次長ら3人に対し、三宅委員長が決定文のポイントを読み上げ、説明を加えた。
決定について申立人は、「私の立場等も十分に検討した上で、丁寧かつ慎重に審理していただいたことが分かりました。人権侵害については、少し残念なところはあるのですが、放送倫理上の問題という観点から、プライバシーについて問題があるという判断は、十分考慮していただいた内容かと思います」と述べた。また、テレビ東京は「公共性・公益性が高いことを認めていただいたのは大変ありがたいが、我々もこれまでになく丁寧にやった上でのことなので、もう少し決定を読み込んだ上で、意見などを書くこともあるかと思います。我々にとって非常に勉強になる例なので、携わる者全員に、もう一度、徹底して勉強の材料にして、これを次の良い報道につなげていきたいと思います」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館の2階ホールで記者会見を行い、「委員会決定」を公表した。22社50人が取材した。
会見では三宅委員長が委員会決定に沿って委員会の判断や考え方などを説明し、記者からの質問を受けた。

(質問)
申立人は再放送をしてくれるなと申し立てているが、委員会の決定は「プライバシーに配慮した放送を要望する」と書いてあるだけだ。再放送については「放送局の判断」ということなのか。
(三宅委員長)
そうだ。「再放送をしてくれるな」と言うことは、表現の自由にも関わる。そこまでは立ち入っていないということだ。

(質問)
委員の間で、プライバシー侵害かどうかという判断が分かれたということだが、概ね拮抗していたのか。
(三宅委員長)
拮抗していた。

(質問)
テレビ東京は申立人に対して、全く取材の許可を得ていなかったのか。
(三宅委員長)
放送された映像や、ヒアリング等で確認した限りでは、そうだった。
承諾を取れるような対象だったのかどうか、という点はいろいろあると思う。場合によっては承諾がなくても、本人が特定出来ないようなボカシのかけ方をすれば、放送された内容を公共性・公益性の観点から検討して、プライバシー侵害かどうかを判断することになる。
今回の判断は、申立人を知る者には特定出来るのではないかということを前提として、承諾を得ずにカウンセリングの内容や手紙の内容を放送している点について判断をした。本件では本人の承諾がないが、公共性・公益性はかなり高く認めた。その上で、放送倫理の問題として、いろいろなことを考えた結果、もう少し配慮があるべきではなかったかと判断した。

(質問)
今回の事案に則して考えれば、人物が特定出来ない状況で放送すれば、カウンセリングや手紙の内容を放送しても放送倫理上問題がなかった、という判断になっていたのか。
(三宅委員長)
カウンセリングと手紙の点はリアリティを持たせる手法としては有効だと思うが、それを追求すればするほど、本人のプライバシーの部分に入って行くので、プライバシーとの関連が非常に難しいところがある。公共性・公益性が高いから、1分程度の映像が出ても許されるのではないかという意見から、心の中に入って行くという形式的な観点から言えば、それはやはりプライバシー侵害ではないかという意見まで、委員の中でも、プライバシーについての理解の仕方に幅がある。
映像を作る側の観点だけではなく、映される側、放送される側の観点からも考えて、知られたくないと思う範囲を慎重に判断して行かなければならない。今回は特にそういう点を、読み取ってもらいたい。
最近は、テレビ放送で終わるのではなく、それがネットに流れたりする。そのことで、二次的被害が生じてしまうというメディアの状況の中で、テレビの映像なり放送がどのように使われるのか、ということも配慮しながら、プライバシーの侵害の問題を議論して行かなければならないという点では、非常に難しい。
我々としては、取材段階できっちり特定して取材してほしい。あまり顔なしで取材してほしくないというのは何度も言っているが、放送をする時には、心の機微に触れるものであればあるほど、特定されないような表現方法を採ることで、脇を固めることが大事なのではないか、ということを、このケースでは考えさせられた。
(市川委員)
「特定できなければ問題はない、という理解なのか?」、という点については、仮定の話なのでちょっとお答えしがたい。
ただ、本件で問題にしている「本件放送部分」というのは、カウンセリングを外から隠し撮りしたところと、私信の公表という2つの部分で、もし特定出来なかったとしても、申立人本人にとっては自分が話したことだということが理解出来るので、そのことが放送されること自体を保護すべき利益だと考えるという見方も当然あり得る。そこでの問題性は、議論される可能性はあると思う。
(田中委員)
この放送は、ごく普通の若者がなぜ入信していくのか、というところに焦点を当てており、ごくごく普通の若者を表現するための素材が、いくつか提示されたわけだ。委員会の判断は、この素材を総合していくと特定につながるのではないかということであり、こういう情報の扱いについては今後検討しなければいけない時期に来ているのではないかと審理の過程で感じた。

(質問)
論点のところに「隠し撮り、隠し録音の取材手法とその放送の当否」が放送倫理上の問題としてあがっているが、取材方法については特に今回の判断の中では示していないという理解でよいのか。
(市川委員)
そうだ。隠し録音、隠し撮りが、どういう場合に許容されるか、されないか、についての判断をしているということではなく、むしろ取材対象としてのカウンセリングの部分に踏み込んで撮影した点での問題性を指摘した。
(三宅委員長)
付け加えると、従前の決定では、隠しカメラ、隠しマイクは、原則として使用すべきでなく、例外として使用が許されるのは、報道の事実に公共性・公益性が存在し、かつ、隠しカメラ、隠しマイクによる取材が不可欠の場合に限定されるべきである、という基準がある。今回はそれを前提として、問題の部分の放送の仕方を議論したということだ。

(質問)
当事者の承諾を得ていないと隠し録音ではないかという気もするが、今回のケースは事前に承諾が得られるような状況ではなかったということもあり、通常の場合とは違うということか。
(三宅委員長)
先程言った基準から言えば、例外的な場合ということがあり得るし、公共性・公益性に高い評価をしていることからすると、プライバシー侵害の点からどうかという点で、掘り下げて行けば、かなりいろいろな問題で議論出来るとは思う。しかし、その辺は従前の基準に照らして、あまり問題ないということで、深めてはいないということだ。

(質問)
論点の中に、「具体的な被害はあったか」とあるが、具体的な被害というのは、放送を見た人によって申立人が特定され、それが広まる可能性があったということか。
(三宅委員長)
プライバシー侵害かどうか、その違法性が阻却されるかどうかという点はあるが、他人に知られたくない自分の内面を知られてしまったという点が、具体的な被害と言えば被害であろうと思う。

(質問)
本人が何を考え、なぜ入信しようとしたかは、当人の内面に踏み込まない限り分からないのではないか。カウンセリングの隠し撮り、私信を使ったこと自体が、本来は保護すべき利益という考え方もあるとのことだが、その点をもう少し説明してほしい。
(三宅委員長)
本件放送の一番大事な点は、若者が何を考え、なぜ入信しようとしたのか、というところだから、そこを取材することは、必要なことだと思う。だから、隠し撮りとか隠し録音のような点を批判しているという決定内容ではない。そのことは理解されたとして、どういう形で放送するのかというところに、難しい点がある。今のネット社会におけるテレビの利用のされ方という点から、表現手法にかなり気を配ってやっていく必要が今後は出て来ると特に強く思っているので、その辺を考慮した。

(質問)
プライバシー侵害として白黒つけるためには、本人に対する救済の必要性が高いかどうか、という議論があったということだが、もう少し詳しく必要性についてどう判断したのか説明してほしい。
(三宅委員長)
放送の公共性・公益性が極めて高い放送なので、プライバシー侵害として違法だという判断をするかどうかという点が非常に難しく、委員会では意見が一致しなかった。ただし、放送倫理の問題として、こういうことを局側に望む、という点では意見が一致したので、その限りで本人を救済したという結果になった。本人に対する救済の必要性との関係は、公共性・公益性との兼ね合いでバランスをとるということだ。

以上

2013年10月1日

「大阪市長選関連報道への申立て」事案の通知・公表

放送人権委員会は10月1日に、上記事案についての「委員会決定」の通知・公表を行い、本件放送について「放送倫理上重大な問題がある」として、朝日放送に再発防止を「勧告」した。

〔通知〕
三宅弘委員長と起草を担当した小山剛委員、曽我部真裕委員が出席し、午後1時からBPO会議室で申立人と被申立人に対して「委員会決定」を通知した。申立人の大阪交通労働組合からは組合役員ら2人、被申立人の朝日放送からは報道担当者ら3人が出席し、三宅委員長が決定文を読み上げて通知を行った。
決定について、朝日放送は「私どもとしては、決定を真剣に受け止める。具体的には多岐にわたるご指摘があるので、熟読してじっくりと検討させていただきたいと思う」と述べた。また、大阪交通労働組合は「スクープ報道の十分な裏付けの重要性が示された。先入観で固まった勇み足とも言える報道に警鐘を鳴らしていただき、そして個々の組合員にも限度を超えた侮辱行為として名誉感情を侵害しているという決定をいただき、感謝申し上げたい」と述べた。

〔公表〕
午後2時から千代田放送会館の2階ホールで記者会見を行い、「委員会決定」を公表した。25社47人が取材した。
会見では、三宅委員長が委員会の判断と結論のポイントを説明した。
続いて、小山委員が次のように述べた。
「この放送は、非常にインパクトの強い報道だった。断定的な形で、いわゆる回収リストが存在するとし、またやくざと言ってもいいくらいの団体という発言を引用している。本来必要な裏付け取材が行われないまま、局の説明によれば時間的な理由からだが、そのような断定的な報道が行われてしまった。
決定文中の、地方自治法の百条委員会云々の部分について補足しておく。国会には、いわゆる国政調査権があるが、それに相当するものとして、地方議会にはいわゆる百条調査権が認められている。これは、関係人の出頭や証言、記録の提出を要求でき、その拒否には、罰則が定められている。そのような委員会が公表した内容であれば、裏付け取材なしで引用することも出来るのではないかと思う。でもそうではなくて、一国会議員、あるいは一地方議会議員が自分で独自の調査を行った、その内容がソースになっている場合には、多分報道機関として裏付けは必要だろうと思う。
警察取材などでも、正式の記者会見で伝達された内容については、場合によっては裏付け取材がいらないと思うが、インフォーマルに得た情報については、やはり裏付けをしないと、仮にそれが誤報であった場合には、今回と同じような形になってくるのではないかと思う」と述べた。

曽我部委員は次のように述べた。
「1点補足したいと思うのは、今回の決定は、名誉毀損の成否と放送倫理上の問題という2つの論点を取り上げているが、結論については放送倫理上の問題とし、勧告もそちらを理由にしている。放送人権委員会は、名誉毀損、プライバシー侵害という人権にかかわる判断だけではなくて、放送倫理の問題についても判断をするということはご承知のとおりだが、どちらの問題が前面に出てくるかというのは事案によって異なり、必ずしも人権の問題を優先するということにはならないのかなと思う。
今回の事案では、事後的な放送によって問題のリストがねつ造であったことは、少なくとも大阪市民には周知されているということなので、その限りで申立人の名誉というのは、かなり回復されているのではないかと。名誉毀損としては、結果としてそれほど深刻なものではなかったかもしれないと、これも断定は出来ないところですけれども。
それよりも、むしろ取材から編集、それから続報のあり方の一連のプロセスにおいて、いろいろ問題があったのではないか。そちらのほうが重要ではなかったかというような認識の下にこのような決定をしたと、個人的には理解している」と述べた。
このあと出席者から質問を受けて委員が答えた。主なやり取りは以下のとおりである。

(質問)
申立人は、謝罪と放送内容の訂正を要求していたと思う。謝罪については、決定文で10ページで民法723条について考察をしているが、放送法9条1項の訂正については記述がない。これは訂正放送は局が主体的に判断するからということなのか、それとも、名誉毀損を指摘するよりも放送倫理上の問題を結論にしたので、書いていないということなのか。
(三宅委員長)
本件は、基本的には名誉毀損に該当するが、事後報道がかなり度重なってされているので、事実上の訂正もされて、申立人の社会的評価の低下が一定程度回復されているとみることもできると判断している。放送法上の訂正放送のことまで判断せずに、放送倫理上の問題としての扱いに判断を収れんしたということである。

(質問)
決定文にある朝日放送と他社の報道との違いの点だが、リストの情報を入手しながら報道を控えた社もあり、また後追いの報道では指摘されているような「やくざ」というような表現もおそらくなかったと思う。あるいは、リストの疑惑の度合いが強調されていたという部分で、朝日放送の報道の方はより断定的で、より名誉毀損的だ、そういう違いがあるという理解でいいか。
(三宅委員長)
そういう含みもあるが、ただ本件申立ては朝日放送だけを問題にしているので、他社の報道内容を全て精査したわけではない。決定文に書いてあること以上の踏み込んだ判断はしていない。

(質問)
申立人が、他のテレビ局の報道に対して申立てをしなかったか理由はあったのか。
(小山委員)
ヒアリングで聞いた限りでは、他の局は表現の仕方が違っていたとか、自分のところへ取材に来てから放送していた、そういうことは述べていた。

(質問)
裏付け取材が十分ではなかったと書かれているが、逆に言えば、労組に対して取材をすれば、それは容易に真実ではないと分かったということか。
(小山委員)
申立人を取材すれば、回収リストは自分たちが作成したのではないという答えが返ってきたと、予想出来ると思う。放送日の2月6日よりも前に、別の局が取材した時に、申立人はそのような回答をしているようなので、多分2月6日に取材しても同じような回答ではなかったかと。その上で、どう処理するかは局の問題なのでよく分からないが、放送内容が変わっていたということも考えられる。

(質問)
取材をしていない理由として、朝日放送は時間がなかったと言っているが、それについて委員会は朝日放送になんらかの意見を言ったのか。
(小山委員)
時間がなかったということは、午前中に市議会議員の動きを取材しており、結果的に放送までに申立人側を取材することが出来なかったということだが、委員会を納得させるような説明がなかったので、今回のような決定文の記述になった。おそらく取材しなかった理由、事情等々あると思う。決定文で「委員会に提出された資料等においては」という、ある種の限定をしているが、その趣旨というのは、提出された書面やヒアリングの範囲では、説得力がある説明がなかったということである。

(質問)
「決定の概要」で、「『スクープ』として疑惑を真実であるかのように断定的に報じ」と書かれているが、「スクープ」という表現に、疑惑を断定的に報じるということの強調としての意味合いがあるのかどうか。報道する側にすれば、「独自ダネ」の意味で使っている言葉だと思う。決定では、この疑惑はさらに真実であると、付加するような意味合いで書かれているが、見解を聞きたい。
(小山委員)
「決定の概要」部分はあくまで要約で、「委員会の判断」部分、6ページの(b)のところを読んでいただければ、「『朝日放送のスクープです』と強調され、本件報道の真実性が強く印象付けられていることもあわせ考えると」と書いている。「スクープ」という言葉が、直ちに「疑惑」の「真実性」を高めたと言っているわけではない。

(質問)
1点は、「勧告」さらに「放送倫理上重大な問題あり」ということで、重い軽いでいえば、委員会の判断として、これ以上重いものはないという理解でいいのか。
また、今回確かに名誉毀損はしているが、最終的な結論としては名誉毀損と認定はしない。その理由というのは、結局、事後に名誉が一定程度回復された、社会的評価の低下が一定程度回復されたということだとすると、つまりどれだけ厳しい名誉毀損があったとしても、事後放送でちゃんとカバー出来ればよいということになってしまう。では一体名誉毀損が認定される場合はどういうケースなのかなと、何でも事後放送で回復すればいいのかいう疑問がわく。
(三宅委員長)
勧告で放送倫理上重大な問題ありというのは、判断のグラデーションでは、一番重い判断である。
それから「名誉毀損には該当するものの」という点だが、本件については、名誉毀損であるとはっきり言っているので、結論を名誉毀損をベースに判断するかどうか考えたが、名誉毀損として改善勧告を求めるよりは、放送倫理上の問題として決定文11ページで述べた4点の改善勧告をして、今後の放送に生かしていただくということで判断したほうが、今回の事案ではふさわしいと思った。
したがって、名誉毀損について、事後放送で回復されているからよいというような判断はしていない。委員会決定第40号の「保育園イモ畑の行政代執行をめぐる訴え」で「名誉毀損の疑いが強い」にとどめ、しかし重大な放送倫理違反という判断をしたこともあり、これが最初のケースでもない。先例にのっとりながら、放送倫理上の問題として改善勧告を出すほうがふさわしいという判断をした。

2013年8月9日

ステータス

「大津いじめ事件報道に対する申立て」事案の通知・公表

放送人権委員会は8月9日、上記事案に関する「委員会決定第50号」の通知・公表を行い、「本件放送は人権への適切な配慮を欠き、放送倫理上問題がある」との見解を示した。
通知は、被申立人側には8月9日午後1時からBPO第1会議室で行われ、三宅委員長、奥委員長代行が出席し、被申立人のフジテレビからは報道局専任局次長ら4人が出席した。申立人側へは、申立人の都合がつかなかったため、被申立人への通知と同時刻に京都市内にある申立人の代理人法律事務所に事務局長と調査役の2名がおもむき、通知した。申立人(少年の母親)と代理人弁護士2人が出席した。
被申立人側への通知では、まず、三宅委員長が「決定の概要」「委員会の判断」をポイントに沿って読み上げる形で決定内容を伝えた。委員長が感想を求めたのに対し、被申立人側は「人権上配慮に欠けた放送をしたことをお詫びする。決定を真摯に受け止め、新しいメディア状況を考慮したとき細心の注意と確認の上にも確認をし、再発防止に努め、スタッフの意識を高めていきたい」、「委員会決定にもあるように、何にでもぼかしを入れてしまえばいいというわけではない。モザイク処理が多くはなっているが、積極果敢な放送を心掛けたい」と述べた。最後に委員長が、「意見交換など積極的に行っていきたい」と今後、再発防止のための研修等に協力する旨を伝えた。
申立人側への通知では、事務局長が「放送倫理上問題あり」とする「見解」で、放送局にとって厳しいものになっており、この決定はテレビ界全体に対する警鐘にもなっていると説明。その後、調査役が「決定の概要」「委員会の判断」の要所要所を読み上げる形で通知した。通知後、申立人の感想は特になかったが、代理人が、決定文で「フジテレビは再発防止策をすでに実施している」としていることについて説明を求めた。事務局からは、「フジテレビは、マスキング処理の方法の改善、ダブルチェック体制などをすでに講じている。委員会は、再発防止策の運用の実際について報告するように求めており、改善策の報告を3ヶ月以内にもらうことになっている。それはホームページ上などでオープンになる」と説明した。
申立人側、被申立人側への通知の後、千代田放送会館2階ホールで記者会見を
開き、「委員会決定」を公表した。午後1時40分から事務局による事案の説明があり、引き続き午後2時から三宅委員長、奥委員長代行が記者会見した。報道関係者は23社53人が出席し、テレビカメラ6台が入った。
会見では、三宅委員長から「本件でプライバシーの侵害が生じたかどうかの判断に際しては、テレビ映像が容易に静止画像として切り取られ、インターネット上にアップロードされるという時代状況において、申立人の主張する『プライバシー侵害』が起きてしまったということをどのように判断するかという点が、今回の決定における非常に新しい判断部分であると考えている」とし、「委員会の判断」の要所要所を紹介しながら説明を行った。最後に、結論部分では、「新しい状況に対処すべく、いま放送人に求められているのは、高度に研ぎ澄まされた人権感覚である」と述べた。判断の説明の後、今回「和解」の試みもあったが、まとまらなかったことも紹介された。起草主査の奥委員長代行は「新しいメディア状況には放送局も対応しなければいけないが、当委員会も今回同じ状況に直面した。本来は放送されたものだけが審理対象だが現実は明らかに違ってきている。現実の状況をどのように審理に反映させるかが課題だった」と述べた。次に起草委員で会見には出席できなかった大石委員のコメントを三宅委員長が読み上げた。コメントの概要は「少年の事案で私たちは和解を望んだが、和解には至らなかった。テレビ局には厳しい結果になったが、人権意識を高めることがいかに大切かを考えさせてくれた事案であった」というものであった。
質疑応答では、「放送そのものではなく、録画したものから切り取った静止画像でも放送局に責任を求めたのはBPO3委員会でも初めての決定か」という質問があり、委員長は「第三者の故意行為によってアップロードされ、局とは無関係に流れたというケースで判断したのは初めて」と答え、事務局からも「他の事案で、審理の中での議論はあったかもしれないが、決定文で判断を下したのは初めて」と補足した。
「同じ時期の別の番組で、マスキング処理されたものが第三者の加工で薄く見えてしまうということがあったが、今回は議論されなかったのか」という質問には、奥委員長代行が「ご指摘の件は、申立ての中には入っていないので検討していない」と説明し」た。
「検証委員会で取り上げなかったことと、今回の判断との違いは何か」という質問には、委員長が「人権委員会は申立てがあって苦情取扱いの条件が合えば取り上げる。われわれは申立てがあってこれを受けてからということ。プライバシー権の侵害と放送倫理上の問題の2点について申立てがあったので、委員会として判断した。検証委員会と人権委員会は役割が違う。人権委員会として独自に取り上げている」と答えた。さらに、「今回、第三者の故意行為が介在してネットに流れたことで判断の範囲は広がっているが、われわれは本来放送が守備範囲だ。主たるものは放送自体であり、その点では本件の場合は何度見ても(ほとんど)分からない、ということでプライバシー侵害はないとした。このことは重要な判断といえる」と説明した。
このほか、「決定文の中で、民放連放送基準の規定も『新しい想像力とともに読み込まれる必要がある』とあるが、時代に即して規定を変えるなど、ネットの問題を明文化していくべきかどうか」という質問があり、三宅委員長は、「テレビの映像を取り巻くメディアの状況が変わっている中で、考えなければいけない要素がいくつか出てきている。放送基準を弾力的に解しながら人権への適切な配慮を及ぼすように運用していってもらいたい。(委員会としては)慎重にも慎重に放送の自由について委縮させることのないような働きかけをしながら考えて行きたい、という基本的なスタンスでいる」と答えた。また、奥委員長代行は、「ネットに流れることをパブリシティーと考えて番組作りすることも現実にあるだろう。放送基準などでネットのことについてガチガチに書いてしまうのは絶対よくない。しかし、ニュースの場合、今回のケースを含め“これはやっぱりまずいな”というふうな形で想像力を発揮してもらいたい」と答え、会見は終了した。