8月の委員会は例年通り休会したが、中高生モニターについて持ち回りで審議した。8月に寄せられた視聴者意見については9月委員会で審議する。
8月のモニター報告のテーマは、「大震災関連」「原発事故関連」の特集番組、もしくは「大震災・原発事故」を扱った通常の報道番組の中から番組を見て、何を感じたか、何を考えさせられたか、自分ならどう行動するかなどの感想を書いてもらい、26人から報告が届いた。
いちばん報告の多かった番組は、フジテレビ系列の『金曜プレステージ わ・す・れ・な・い~東日本大震災155日の記録~』で7人からリポートが届いた。
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「津波の映像はよく目にしましたが、ここまでまとめられた映像は見たことがなく驚きました。たくさんの地点からの映像を時系列ごとに放送していて、三陸海岸がどのように津波に襲われたのかがよく分かりました。東北地方に住む自分は、震災発生当初停電によりテレビを見ることができなかったので、地震発生時の情報カメラの映像はあまり見たことがありませんでした。また、津波で家族を失った方、危機一髪で津波から助かった方のドキュメンタリーは心に響くものがありました。改めて日本に震災が多いこと、そしてその震災から立ち上がってきたこと、『日本は負けない』ということが感じ取られました。」(中学3年・男子)
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「驚いたのは宮古市の津波は最初20センチだったのが、その数分後に10メートルの堤防を超える大きさになったことです。誰がそんなことが起こると想像したでしょうか?頑丈な堤防が一瞬で壊れてしまう自然の恐ろしさをまざまざと見せられました。1台のカメラがとらえた一人から『津波はまったく静かで音がしなかった』と言っていたのが不思議でした。それは堤防があったからだと言っています。堤防は津波を遅らせたり、抑えたりすることができるけど、逆に言うと、いつ津波が襲ってくるのかが分からないので堤防も良し悪しなんだと思う。私は津波にあったことがないし見たこともないが、この映像を後世まで伝えて、恐ろしさを伝えていかなければならない。それが私たちの使命なのではと感じた。」(中学1年・女子)
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「いろいろな場所のカメラが撮影した津波の映像を順番に流して、とても分かりやすかったです。一般の人が撮影した映像もあり、とても近くに津波が来ていることが分かりました。また、堤防は避難する時間を稼いでくれるが、堤防の下からは波の高さが見えないため、逃げ遅れる可能性もある、ということが分かりました。津波は跳ね返り、あちこちから戻ってきた津波が重なって、より高さを増すことにも驚きました。それをCGで説明していたことはとても分かりやすかったです。時々、こういう番組があるといいと思います。未来に語り継いでいくには映像が一番良いのだな、と思いました。」(中学2年・男子)
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「次々に流れる津波・地震の映像を見ると、心がえぐられているような感覚になりました。そして私が知らなかったこともたくさんありました。その中で、日本人の冷静さやマナーの良さを知ることができました。電車の全線復旧までわずか49日というのは過去最速の記録だそうで、それを聴き、すごく嬉しく感じました。日本人は強いと思います。日本人として誇りに思います。」(中学3年・女子)
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「千年に1度といわれるぐらい稀な大地震が東日本を襲い、それに続いて起きた大津波で、現在わかっているだけで、死者・行方不明者2万人以上、まさに未曾有という言葉で表現される大惨事。放送中、宮古市職員が思わず、言い放った『終わった、すべてが終わった』というように、まさに『この世の終わり』に匹敵するほどの大きなものでした。当時設置されていた19台のカメラが見た大地震・大津波の全容を通して多くのことを学ぶために放送されたものだと思いました。また、今回の災害を通して『人は人の記憶を生かすことができる。それがどんなつらいことであっても…』の言葉にあるように、大惨事を通してこの経験を次に生かすのが残されたものの使命であるということも痛感しました。」(高校2年・女子)
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「映し出されている人々が発する言葉がところどころ胸にささり、2時間という長い番組でしたが飽きることなく見ることができ、充実した内容だったと思います。具体的にどんな言葉が胸にささったかというと、視聴者が撮った津波の映像の後ろに入っている被災者の方々の叫び声です。『死にたくない』『もう終わった』『(津波を)止めてくれ』という言葉はそれだけで考えさせられるものがありますが、その声が震えていたり、本当に諦めの気持ちが伝わってきたりして、今までテレビで見て知っていた以上に被災者の方たちの心の傷を知らされました。始まってしばらくして、『生々しい津波の映像を流すのでストレスを感じる人は見ないで下さい』という注意が流れ、私はこんな思いをしてまで伝えるべきことなのかなと少し疑問に思いました。また、津波について科学的に分析・検証できていてその完成度は高かったですが、具体的な津波に対する対策法は述べられておらず、すこしもの足りなかったです。」(高校1年・女子)
次に4人から報告が寄せられたのは、NHK『BS世界のドキュメンタリー シリーズチェルノブイリ事故25年 永遠のチェルノブイリ 被ばくの森はいま』である。
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「チェルノブイリの原発事故で、周りの環境が崩れ、今も立ち入り禁止ということは知っていたが、ここまでひどいものとは知らなかった。放射線は雲となって流れて行き、世界各国へと散らばっていった。原発周辺は森となり、動物がかなり増えていた。しかし、どの動物も被ばくしていて、体内にセシウムがあったり、奇形だったりしていた。これが人間に起こったと思うと、ゾッとする。20年以上たった今でも、放射線障害を訴える子どもがいることにはびっくり。放射線が恐ろしいものだと再び認識した。」 (中学1年・男子)
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「この番組を見た印象は『怖い…』ということです。原発事故から25年たった現在のチェルノブイリは、かつて人間が生活していた場所には見えない自然の地へと変わっていました。人間が居なくなった静かなその場所は動物たちにとっては"楽園"となりましたが、皮肉なことに世界中の研究者たちにとっては放射能が生物に及ぼす影響を研究するのに絶好の場所にもなりました。その映像がなんともいえない…悲しい世界に見えました。私はこの番組を見て"原発の是非"について考えさせられました。チェルノブイリに住んでいた人々は25年たった今も、元いた場所に帰れていません。そして福島原発から30キロ圏内の人々もまた、5ヶ月たった今もまだ戻れるメドはたっていません。長い間住んできた場所を急に離れなくてはならなくなり、友だちとも離ればなれ…福島の人々のことを思うと胸が痛みます。かといって危険なので仕方はありませんが、チェルノブイリの森のようにならないように政府には少しでも早く福島の人々が元の生活に戻ることができるようにしっかりとしてもらいたいと思いました。」 (中学3年・女子)
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「福島原発事故と同じ史上最悪の事故である、このチェルノブイリ原発事故の現在の状況や長年にわたる調査結果を見ることによって、動植物に与える影響、人体に及ぼす影響について理解を深めることができたと感じています。元々自然界に存在しない放射性物質セシウム137とストロンチウム90はカリウムやカルシウムと科学的性質が似ていることから、植物が誤ってそれらの放射性物質を自らとりこんでしまうというのです。内部被ばくした植物でも人が食して良い部分などは分かっているようですが、野生動物には分かるはずもありません。その影響は植物を食べる草食動物、肉食動物など、食物連鎖の繋がりで人間にも影響を与えていくことになると思われます。人間が作り出したものは、周り巡って、私たち自身にも影響を与える結果になる事例の一つだと思います。今後、農業のことなどチェルノブイリから多くのことが学べると思います。それを利用して、これからの放射線との付き合い方も見えてきやすくなるのではないかと思っています。」(高校2年・女子)
3人から報告の寄せられた番組は、日本テレビ系列の『NNNドキュメント 天国のママへ~届け、いのちの鼓動~』(ミヤギテレビ制作)である。
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「この番組の主人公は石巻市に住む8歳という年齢で母親を津波で亡くした少女です。少女の母親は仕事が忙しかったため、2人はなかなか一緒に居られなかったそうですが、週に2回、母子で一緒に太鼓の教室に通っていました。その太鼓教室こそが、2人を繋ぐものでした。本当はお母さんと一緒に出る予定だった年に1回のお祭りの日の晴れ舞台。当日の舞台には、"お母さん"の分まで懸命に太鼓をたたく少女の姿がありました。母という大事な存在をなくしたにもかかわらず、懸命に生きる少女に、私は勇気をもらいました。」(中学1年・女子)
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「母一人、祖母一人の家に育った女の子が母を亡くしたということは、想像できないくらい辛くて、幼い女の子にとっては一人ではどうしようもできない不安でいっぱいだと思います。そんな女の子を周りが支えてあげる、学校でも特別扱いせず前と同じように接することで、徐々に自分も頑張ろうという気持ちが生まれたのだと感じました。だから、幼い子どもが家族を亡くしても、『かわいそうに』とか『頑張ってね』などの言葉はあまりよくないと思います。そのような言葉だと"孤独"を感じてしまうような気がするからです。"被災者"にはさまざまなケースがあります。もっと個別的にこういう生活を送っている人もいるし、また違った生活を送っている人もいるのだと報道した方が、真実を伝えられるのだと思いました。」(高校1年・女子)
日本テレビ系列の『24時間テレビ』で取り上げられた震災報道について報告が2人から寄せられた。
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「私は真矢みきさんが取材した『ガレキの中の小さな花屋さん』を見ました。地震が起きた後、どこのお店より早く店を再開した花屋さんに来る人は、ほとんどが津波で亡くなった人への花を買いに来る人でした。取材の様子を見て『よく悲しんでいる人に取材できるな。酷いな』とそのとき私は思いました。そこまでして取材しなくてもいいのでは?と思う一方で、この大災害を忘れかけていた自分がいることに気づきました。大震災のその日から悲しくて苦しくて、涙も流せないほど傷ついている人がいるという現実から、私は逃げていました…。しかしこの放送を見て、消えることのない悲しみにくれている人々がいるのだと痛感しました。そして、この事実を永遠に覚えておかなければいけないのだと分りました。」(高校1年・女子)
テレビ朝日系列の『報道ステーション』の特集コーナーについても2人から報告が寄せられた。
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「この番組では、最近の建物について注目していました。地震が起きると細かくS字形に揺れる構造にしたり、建物の地価に大きなバネのようなものを仕込んで地面が揺れてもバネが揺れを吸収したりして、被害を減らそうという工夫されていました。先日、学校で『原発は本当に必要か』という討論会をしました。最近、テレビで福島原発の大変な状況ばかりを見ているので、『要らない』『原発以外のもっと安全な方法で電気を作り出せるのではないか』という意見が多い中で、『今回の大地震が起きたからそう考えるけれど、もしあの地震がなかったら原発はあってもいいのではないかと自分たちは思っていたはず…』という意見が出され、今まで自分は『原発は要らない』としか思わなかったけれど、改めて考えさせられる意見でした。」(中学1年・女子)
NHK『ゆうどきネットワーク』の特集コーナーへの意見も寄せられた。
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「福島原発事故で暮らしを奪われた福島県相馬市の2つの家族を取り上げていました。最初の家族は夫婦と子ども3人が群馬県片品村に避難している一家である。3月から狭い避難所で暮らしていた一家に、『8月末にこの避難所を閉鎖する』という通知が…。家が放射能で危険だから、我慢して窮屈な避難所暮らしをしていた人に対する扱いがひどすぎる。『この国は正気か?』と思いました。もう1つの家族は、親子2人で運送業をしていた家族です。津波によって得意先も流されてしまい、運送業が続かなくなっていました。国から仕事を紹介されたりするのかと思いましたが、現実は甘くないみたいです。結局、娘さんがパートを掛け持ちしてお父さんを食べさせていくことになりました。お父さんも仕事をしたがっていましたが、年齢的に無理なのです。この番組を見て、『国』というものの無力さをとても感じました。」(中学3年・男子)
そのほか、NHKの『追跡! A to Z スペシャル 福島第一原発作業員に何が?』、『ETV特集 アメリカから見た福島原発事故』、テレビ東京の『ガイアの夜明け』の特集コーナーについての報告が寄せられたほか、3人から震災報道全般についてのリポートが寄せられた。
【委員の主な所感】
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今月の報告には、モニターの皆さんの「自分は何ができるか」という真摯な問いにあふれていました。今回の大災害を、テレビで報じられた「一過性の出来事」にとどめず、自分の問題として受け止め、自分にできることを具体的に模索しており、痛みを共にしようとする姿勢に、優しさを感じました。
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全体的にやや感想文レベルに止まっているリポートが目立っていました。日常生活から紡ぎだされる問題意識、被災地や原発事故で避難生活を余儀なくされた住民への想像力、「森を見てから木を見る」眼、具体的で分かりやすい根拠から導き出される自分なりの結論・感情などがリポートの中に表現されているかがポイントだと考えます。
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ドラマやバラエティーですと見る側に「作りもの」という意識が強く働き、モニター報告も番組に対する批評や評価が前面に出やすいのですが、今回のようなドキュメンタリーの場合は、番組の作り方ではなく、そこで示されたことがらに対する感想が中心になりがちですが、批判精神にあふれた優れたリポートもありました。ドキュメンタリーなどのノンフィクションに関しては、何を取り上げ、それをどう描いたか、という制作者の視点を考えるとよいのではないかと思いました。
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未曾有の大震災や原発問題に関する特集番組を見ての感想だったこともあり、多くの皆さんが自分のこととして受け止めて自分なりの意見をまとめてくださってよかったと思います。もう一歩進めて、制作者が何を意図してその番組を制作したのかを推察し、自分だったらもっとこういう番組にしたという意見があると面白かったかなと思います。
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3月12日に福島原発で水素爆発が起ったことは、将来10年、20年、30年後にどうなるか?モニターである中学1年から高校2年の皆さんの人生とピッタリ合致して、この問題を意識する、しないに関らず背負い続けることになります。皆さんは一方的にテレビの報道を見ているだけでは、何がホントで、何がウソかの判断が下せないと思います。物事は自分の目で見たこと、聞いたことと比べることからすべては始まると思います。『複眼』で見つめることを心がけてください。
「今月のキラ★報告」(宮城・高校2年男子)
「彼らだけここにいて私だけどこかに逃げるのは嫌。同じ空気を吸って同じ季節を感じて生活したい」、船越の漁師は語る。
大震災から5ヶ月が経過し、大震災関連の特集番組が増える一方、通常の報道番組ではほとんど大震災関連の報道をすることがなくなった。とはいえ、いつまでも「東日本大震災」を伝え続ける訳にもいかない。常に新情報を届けなくてはならない報道番組は、時間の経過とともに震災情報を減らしたり、もしくはその番組の中で特集として取り上げたりするようになる。だから「いつの間にか震災情報が減ったなぁ」と私たちに感じさせるテレビは、私たちの震災に対する気持ちの薄れを見事に反映しているものだと言えるだろう。
さて、私が今回視聴した番組は仙台放送の『ともに』である。震災後定期的に放送され、東北の震災関連の情報を主に伝える生放送番組だ。冒頭の文章は、被災した漁師の言葉である。家族を津波で亡くし、漁をするための船や道具なども失ってしまった彼は船越に残り、仲間の漁師とともに漁業の復興に取り組んでいる。そこで私が驚いたのは、手作業で漁具を修復していたことである。もちろん、船がなければ漁をすることができないが、漁具も不可欠なものだ。特に、東北の復興に当たって重要視されるのが「漁業」であるにもかかわらず、国や地方自治体の対応が遅れ、漁師同士が船や道具の貸し借りをしているのが現状である。
番組を通して感じたことは「復興は全然していない」、そんな当たり前ともいえる言葉に尽きる。報道番組は「新情報」、そして「変化」を求めている。震災から数ヶ月たてば、状況の変化が見られないため、人々の「努力」を映し出そうとする。私の視聴した番組『ともに』も、被災者の「努力」や「心情の変化」を伝えている。それは「寄り添う」番組だ。私はとても大切なテーマだと思うが、現状を伝えることも忘れてはならない。例えば、原発作業員の話を聴く場面が多いが、原発の状況を「振り返る」ことも必要なのではないだろうか。東日本大震災を忘れないために…。
番組の最後に、被災地の少年野球チームが兵庫県に招待されたことが紹介されていた。震災後、被災地の生徒が他県や海外に招待されるといったニュースをよく見るが、私にはその趣旨がよく理解できない。「励ます」ということなのだろうか。私はそれよりも「地域との交流」を重視すべきだと考える。それに、平等性に欠けている。被災地見学やボランティア活動をして子どもや若者中心に「経験」をさせ、「将来の幅」を広げることが大切なのではないだろうか。東日本大震災(の経験)を生かすために…。
【委員会の推薦理由】
常に新しい情報を提供し続けなければならない報道番組の宿命を論じ、また時間の経過とともに、被災者の努力や心情の変化というような番組を提供する必要性を鋭く指摘していた。また、被災地の子どもたちを県外や海外に招待するよりも、被災地以外の子どもたちが被災地にやってくることの方が重要であるという意見も、被災地で暮らしているからこそ感じる指摘で、評価に値すると考える。