放送人権委員会は2015年12月11日に「出家詐欺報道に対する申立て」事案について「委員会決定」の通知・公表を行い、本件番組について勧告として「放送倫理上重大な問題がある」との判断を示した。
通知・公表の概要は、以下のとおりである。
[通知]
通知は、被申立人には午後1時からBPO会議室で行われ、委員会からは坂井眞委員長と起草を担当した奥武則委員長代行、二関辰郎委員が、被申立人のNHKからは副会長ら4人が出席した。申立人へは、被申立人への通知と同時刻に大阪市内にある代理人弁護士の事務所で行われ、申立人本人と代理人弁護士に対して、BPO専務理事と委員会調査役が出向いて通知した。
被申立人への通知では、まず坂井委員長が委員会決定のポイント部分に沿って、申立人を特定できるものではないとして「人権侵害に当たらない」としたうえで、「全体として実際の申立人と異なる虚構を視聴者に伝えた」などとして放送倫理上重大な問題があり、「放送倫理の順守をさらに徹底することを勧告する」との委員会決定の内容を伝えた。
この決定に対してNHKは「今回の通知につきまして、真摯に受け止めたいと思います。現在私どもは再発防止の取り組みを、全国レベルで行っております。先般の放送倫理検証委員会の意見、そして、本日の放送人権委員会の委員会決定を踏まえ、再び同じようなことが起きないよう再発防止をより一層徹底させてまいりたいと考えております」等と述べた。
一方、申立人は「人権侵害が認められなかったことは残念とは思うが、NHKが事実ではないことを報道したことを委員会が認めたことに感謝したい。NHKはこの決定を真摯に受け止め、訂正の放送をすることを求める」等と述べた。
[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見を行い委員会決定を公表した。24社59人が取材、テレビカメラはNHKと在京民放5局の代表カメラの2台が入った。
参加した委員は坂井委員長、奥委員長代行、二関委員の3人。
会見ではまず、坂井委員長が委員会決定の判断部分を中心にポイントを説明し「人権侵害はないけれども放送倫理上重大な問題があった」との結論に至った当該番組の問題について説明した。
また、総務大臣の厳重注意や自由民主党情報通信戦略調査会の事情聴取に触れた箇所について、「憲法21条が規定する表現の自由の保障の下において、放送法1条が、まず放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって放送による表現の自由を確保することを法の目的の1つとして明記している。放送法3条では、この放送の自律という理念を具体化するという意味で『放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない』として、放送番組編集の自由を規定している。そして放送法4条は、放送事業がよるべき番組編集の基準を定めている。放送法4条が厳重注意等の「根拠」とされているようだが、この条文は、放送番組に対し干渉を規律する権限を一切定めておらず、逆に、放送法1条、3条を前提として、放送の自律の原則のもとで放送事業者が自ら守るべき基準を定めているものである。従って委員会としては、民主主義社会の根幹である報道の自由の観点から、報道内容を委縮させかねない、こうした政府及び自民党の対応に強い危惧の念を持たざるを得ないと考えている」と、述べた。
さらに放送の自律に関して、「放送には何よりも自律性が求められる。自律というためには、過ちを犯した際にも、また十全に自律を発揮しなければならない。NHKは、本件放送について当事者の聞き取りなどを行い、既に『クローズアップ現代』の報道に関する調査報告書を公表し、本件放送に多くの問題があったこと、そして再発防止策などにも触れ、『クローズアップ現代』でも検証番組を報道している。しかし、委員会としては、放送の自律性の観点から、NHKに対して、なお本決定を真摯に受け止めて、その趣旨を放送するとともに、今後こうした放送倫理上の問題が再び生じないように、『クローズアップ現代』をはじめとする報道番組の取材、制作において、放送倫理の順守をさらに徹底することを勧告した」と述べた。
続いて奥委員長代行は「放送人権委員会の委員会決定はえてして非常に難しいという意見を漏れ聞くが、なるべくわかりやすく書いたつもりだ。すでに放送倫理検証委員会が意見を出しているので今回の委員会決定について重なっている部分があって既視感をもたれるのではないかと思う。同じように放送倫理上重大な問題があると指摘しているわけだが、放送倫理検証委員会は番組全体を放送倫理の観点から検証しているのに対して、放送人権委員会は番組で出家詐欺のブローカーとされた申立人の人権についてとそれに関わる放送倫理上の問題を検討したということだ。そのあたりの違いを分かっていただきたい」と述べた。
この後、質疑応答に移った。主な内容は以下のとおりである。
(質問)
放送法に関して、放送倫理検証委員会では放送法4条は法的規範性を有しないとしたが、政府は法的規範性があるとしており、法律についての論争があるが、その点については放送人権委員会はどう考えているのか。
(坂井委員長)
私も法律家、弁護士なので、それなりの考えは持っているが、法的規範性があるかないかというところの報道については、ある意味、用語の問題の部分があると思う。報道によっては倫理検証委員会の書いたことが倫理規範であるという書き方をしている報道もあった。しかし、それは、法律でないと言っているわけではない。放送法4条に書いてあるということは誰も否定できない。その上で行政指導の根拠となる法的規範性があるのかどうかという議論をしているのだと思う。放送法4条が法律であることは当然であるが、それについて、例えば行政が介入していく法的根拠になるのかというと、それは違うということを、今回、申し上げているつもりだ。
そういう意味では倫理検証委員会と考え方は同じだ。用語の問題として、法的規範なのかどうかとか、倫理規範なのかどうかというところは、そのような意味で若干混乱があると思う。法律に書いてあるということは誰も争いがないことで、その上でどのようなレベルでの規範性があるのかという議論ではないかと思う。
(質問)
そうすると、この4条をもって行政指導の根拠にはならないという認識は同じだというか。
(坂井委員長)
放送法4条には、その基準は書いてあるが、そもそもその前提となる3条に、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」という前提がある。放送法の1条に書いてある3つの原則の1つ、放送の自律の原則というのがあり、それを具体化するものが2条以下に定めているということは最高裁の判決も述べている。平成16年11月25日の最高裁判決、『生活ほっとモーニング』についての判決だ。
放送法3条に法律に定める権限に基づく場合でなければ干渉されないと書いてある。自律だと書いてあって、そのあとに4条があるわけだ。そこに番組の編集にあたっては次の各号に定めるところによらなければならないと書いてあるわけだが、そこには、委員会決定の中に書いたように、放送番組について干渉または規律するための権限はどこにも書かれていない。こういう基準で作らなければいけない、という規範はあるが、それについて、3条がいうところの法律に定める権限というのは、ないわけだ。
さらに言うと、放送法は憲法21条に基づく法律だから、憲法21条を放送法で解釈するようなことがあってはいけない。憲法21条の下に放送法があるということだ。
憲法21条は表現の自由、報道の自由についてどう定めているかというと、それは「人権相互の問題として調整は必要だ」という前提はあるが、「政策的に何か法律で定めれば自由に制限していい」という構成には決してなっていない。
放送人権委員会というのは、まさに名誉、プライバシーと表現の自由がぶつかった時にどうするのかということを扱っているわけで、それは法律で定めれば何かができるということとは違う。だから、放送法3条が法律に定める権限に基づく場合というのも、憲法21条の規定の下で許されるということなのだ。法律で定めればいいということではない。
そのような前提において、放送法4条、3条の関係で言うと、3条を前提に4条があって、4条は「法律に定める権限は何も決めていない」ということを委員会決定に書いたということだ。
(質問)
今の質疑の関連になると思うが、人権委員会で、こういった指摘をしたのは初めてなのか。
(坂井委員長)
こういう書き方は、これまでしていないと思うが、表現の自由についての指摘をしたことはある。
一つは、「大阪府議からの申立て」事案で、表現の自由についての補足意見として前委員長が、「取材・報道の自由、とりわけ取材・放送の自由は、情報の自由な伝達を妨げかねない特定秘密保護法の運用や、時の権力者の言動によって萎縮しかねない法的性質をも併有している」と記している。このケースは府議会議員だったが、国政に関わる者にも、より当てはまるという補足意見だった。
これは、そういう意味では同じ文脈であろうと思う。
また、「民主党代表選挙の論評問題」という事案がある。決定文の一部の抜粋だが、「申立人らが民主党の有力な政治家であり、自らも、メディアを通じて、その批判について反論する機会を有するだけの政治的な力量を持つ以上、むしろこのような自由な論評は甘受すべきであり、本件放送を論難することについては、報道の自由を堅持し、政治的干渉からの自由を擁護することを通じ、民主主義を維持発展させるという観点から疑問なしとしない」、という指摘をしている。
そういう意味で、政治家であるとか権力を持っている人間が表現の自由について尊重すべきであるということは指摘しているが、放送法という形では指摘していなかったかもしれない。ただ、文脈は同じだろうと思う。
(質問)
政府や自民党の対応に対して、「強い危惧の念を持たざるを得ない」と書いてあるが、こういうことに対しても以前から指摘されていたという解釈でよいのか。
(奥代行)
私の意見だが、ここに書かれていることは放送人権委員会の基本的立場で一貫していると思う。ただ、今回は、自民党がこういう形で事情聴取をしたり、総務大臣が厳重注意するなどの具体的な出来事があったからこういう書き方をしているのであって、放送人権委員会のプリンシプルは全然変わっていない。
(質問)
ネット上で閲覧が可能になっていたので審理の対象にするというのは、今までにもあったことなのか。審理に入る要件として、3ヶ月以内に事業者に、1年以内にBPOに言ってくるというのが運営規則だと事務局から先ほど説明があったが、今回はネット上で閲覧可能だったということで審理に入ったということか。
(事務局)
誤解がないようにご説明すると、ネット上に出ていたから審理入りしたのではなく、放送された映像と音声の同じものがNHKのホームページに誰でも閲覧可能な状態であったということで、原則という意味で放送されたと同じとして、運営規則はクリアしているということだ。
過去には、「上田・隣人トラブル殺人事件報道」事案がある。これも放送からは時間が経っていたが、ネット上で閲覧可能だったということで、委員会として要件を満たしていると判断している。ネットの社会になって、放送された同じ番組がネット上で見られたという場合は、要件を満たしていると判断するようになったということで、過去にもあったということだ。
(坂井委員長)
このケースは当該の局が誰でも見られるようにしているので、放送と同じように扱っていいのではないかという考え方だ。例えば誰かが違法にキャプチャーをしてネットに上げているようなケースとは、全く別だ。
(質問)
NHKの調査報告書は結果的にヤラセとはしなかった。放送倫理検証委員会はヤラセかどうかということは議論しないで、NHKのガイドラインが一般の感覚から乖離しているという言い方でNHKの対応を批判したが、今回の勧告では、特にNHKの姿勢についての論評がない。その辺、どういうふうに考えているのか。
(坂井委員長)
質問に対するストレートな答えとしては、まずヤラセの定義を決めないと、この議論はなかなか噛み合わないところがあって、「ヤラセとは何か?」という話をしないと進まないところがある。
委員会決定に関して言うと、別にその問題を避けているわけではなく、ヤラセとは何かと定義をして、それについて当てはまるかどうかということをやっても、我々の仕事としては意味がないと思う。我々の仕事としては、シーン4の部分で放送倫理上の問題として「明確な虚偽の事実を含む」と委員会決定に書いた。
ただ、それがヤラセなのかどうなのか、ということについては、そもそもこの申立人がブローカーだったのかどうなのかというところは、決定文で言うと「藪の中」で、判断し切れない。
ヤラセの定義とも関係あるが、シーン4については明確な虚偽の部分もあるが、例えば、申立人が真実、ブローカーであって普段やっていることを単に再現したのであれば、それはヤラセにあたるのだろうかという議論になるだろう。また、仮に申立人がブローカーであったとしても、普段やっていないことを演じてくれと言われてやってしまったら、それはヤラセになるかもしれない。そのような、いろいろな難しい問題があると思う。
しかし、我々がやるべきことは放送倫理上の問題を検討することなので、「明確な虚偽の部分がある。それは問題ではないか」と書いた。それをヤラセというかかどうかは定義の問題ではないかと思う。あえて、そこを述べる必要はないと、私は個人的には思っている。
(奥代行)
基本的に委員長の考えと一緒だ。ヤラセかヤラセじゃないかということを議論するのは、委員会の主要な対象にはなり得ないだろうと考えている。一般視聴者としての感覚で言えば、あれはヤラセだっただろうというふうに簡単に思う。
ただし、委員会決定にも書いたが、NHKの記者が「出家詐欺ブローカーの役をやってくれ」というふうに頼んでやったかどうかということは確認できないし、どうもそうではない可能性のほうが強いと私は思っている。
そうすると、やらせたわけではないということになる。申立人が、いろいろな事情、状況を斟酌して積極的に出家詐欺ブローカーの役を演じたということになると、それは果たしてヤラセなのかヤラセではないのかという、そういう議論になる。
だから、ヤラセという言葉は非常に分かりやすいのだが、実はこういう決定には馴染まない問題だろうと思っている。
(二関委員)
特に付け加えることがあまりないが、「ヤラセ」という言葉にメディアの人がこだわり過ぎているなという印象を持っている。
(質問)
放送倫理検証委員会もヤラセの定義というのは、意見書にそぐわないということではあったが、NHKの放送ガイドラインには「真実のねつ造につながるいわゆるヤラセ」とヤラセの定義を書いている。今回の勧告の中には「明確な虚偽を含むナレーション」と書いてはあるが、いわゆるねつ造という言葉はない。ねつ造というものに当たらないのか。
(坂井委員長)
これも、ねつ造という言葉の意味がはっきりしない。単刀直入に言うと、「明確な虚偽を含んでいる」と言うほうがまぎれのない表現だと思う。それをねつ造というのかどうかだが、ここから先は解釈の問題になるが、シーン4の部分は、仮に申立人がブローカーだったとしても、その事務所ではなかったわけだし、多重債務者が当日偶然来たわけでもなかった。
セッティングして待っていたという意味では虚偽なわけだが、もしブローカーが本当にいて、自分の事務所では撮影されては困るとからと言って他の場所を借りて、普段やっているのと同じことをやったとしたら、それはねつ造なのだろうか?虚偽なのだろうか?という、微妙な領域があると思う。
それがいいと言っているわけではないが、そこにはいろいろなグラデーションがあるので、それをねつ造に当たるかどうかということを議論してもあまり意味がないと思う。我々がはっきり言えることは、「あの部分については明確な虚偽が含まれている。それは、放送倫理上はだめではないか。事実を事実として報道する以上そういうことがあってはいけない」という意味で、もちろん「だめだ」と言っているわけだ。
そういう切り分けのほうがむしろすっきり理解できるのではないかと私は考えている。
(奥代行)
申立人がブローカーを演じることにどこまで納得していたかは全然わからない。かなり納得していたとすると、その事務所が彼のものではなかったとしても、ねつ造とまで言えるかとなると少し躊躇する。そういうグラデーションの感じで、「明確な虚偽」、あるいは「虚構」という表現を採用したということだ。
(質問)
委員会決定を読んだ印象は、記者個人が暴走したというのはわかるが、NHKの組織としての責任は、あまり明確ではないようだ。いかがか。
(坂井委員長)
記者が悪くて局に責任ないという話ではもちろんない。結論の部分には局に対する要望をしっかり書いて、NHKに対して、「今後こうした放送倫理上の問題がふたたび生じないよう、報道番組の取材・制作において『放送倫理基本綱領』の順守をさらに徹底することを勧告する」としている。
こうなったことについて、もちろん記者が裏付けをしないまま報道した、ということはもちろん大きいが、1人で番組を作るわけではないから、その制作チームなり、最終的な判断をする立場の人の責任も当然出てくるという意識で書いている。
だから、「個人の責任に重点を置いていないか」という指摘については、どちらかというと意外な感じで、「そういうつもりでは書いていない」と答える。
(質問)
倫理検証委員会は、組織のなりたちが行き過ぎた番組につながったのではないかということを指摘しているが、人権委員会の勧告は割と記者に特化しているような印象を受けるが、いかがか。
(坂井委員長)
そこは委員会のなりたちの違いがある。我々は放送された人、取材された人から申し立てられた内容について、その人権侵害があるのか、その人の人権侵害につながるような放送倫理上の問題があるのかという観点で、番組を見る。
番組の作り方がどうだったかということは、倫理検証委員会がまさにやっていることだが、我々は作り方がどうだったかとか、責任の所在がどこにあるのかということを追求することが主な仕事ではない。放送人権委員会は、この放送で人権侵害があったかどうか、人権侵害につながるような放送倫理上の問題があったかどうかというところにフォーカスして仕事をしている委員会だ。だから、そういう違いが出てくるのだと理解をしていただきたい。
(二関委員)
今、委員長が言ったことと同じことを若干言い方を変えて述べると、申立人が番組の中でどのように描かれていたかという点に我々は着目した結果、そういった描かれ方に一番近い、画面にナレーション等の出てきている記者にどうしてもフォーカスがあたってしまうというところはあると思う。
(質問)
裏付け取材もそうだが、チェック体制がちゃんとしていれば、こういう表現は回避できたのではないかと思うが、その辺あまり指摘がないように思う。いかがか。
(坂井委員長)
裏付け取材がないというのが一番大きく、裏付け取材がないままなぜ通ってしまったのかということはある。決定文に「これは、報道番組の取材として、相当に危ういことではないか」という表現があるが、裏付け取材は事実報道をする場合の根っこの部分だ。それは、やはりしなければいけない。
それがされないまま通ってしまったことは問題だと思うが、我々はなぜ通ってしまったかということを検証する立場ではなく、この番組に人権侵害があったのかを判断する立場なので、どうしてもそれ以上突っ込めないということになる。
(奥代行)
つまりこれは人権委員会でやっているわけであって、この番組トータルにどういう問題点があったのかということを検証したわけではない。だから、読んだ時の感じの違いは当然出てくると思う。
決定文でも、本件映像という言い方をずっと一貫して使っているが、申立てに関わる映像の問題として取り上げているわけだ。本件番組をトータルに取り上げてはいないのだ。
例えば、ヤラセということで言えば、最後の場面で、多重債務者とされている人を追いかけてインタビューする場面がある。あれなどは大きな問題だと思うが、そのことに全然触れていない。なぜ触れていないかというと、申立人の問題ではないからだ。
(質問)
結局、視聴者もこの問題を取材している我々もわからないのは、申立人がブローカーだったのかどうかというところだ。決定文はNHKの報告書とあわせて公表された外部委員の見解の中で、端的に言うと「ブローカーではない」という部分を引用している。放送人権委員会としてもこの判断は同じなのか。
(坂井委員長)
ブローカーかどうか、判断できればもちろんする。
ブローカーとして報道しているのはNHKではないか。だとしたら裏付けの話に戻るが、「ブローカーとして報道して、マスキングもした」「ブローカーとして報道したのは、事実こういう裏付けがあるからだ」という答えがふつう事実報道に関しては放送する側から出てくるはずだ。でも、それはなかった。
我々はそれ以上判断のしようがない。ブローカーであったという裏付けについて、NHKは主張はしているが説得的でないと判断をした。
NHKの調査報告書も「そう言っている」と引用して、それ以上ブローカーだったのかどうかということは、私たちの委員会で判断のしようがない。我々はできるだけ早く結論を出さなければいけないので、むやみに調査するわけにはいかない。ある程度主張と資料を出してもらったうえで、双方1回ずつヒアリングして、補充の主張等を出してもらうこともあるが、それ以上のことはしない。
倫理検証委員会のほうはもっとたくさんの人間にヒアリングをしたと思うが、それだけのことをやっている委員会と我々とは目的が違う。我々の委員会に出た材料の中でどう判断できるかというと、「それは判断しようがない」というしかないし、それでいいのだと考える。その上でどう判断するかだ。
例えば訴訟でも立証できないということはしょっちゅうある。この場合、立証責任という言葉を使うが、立証できなかった時にどちらがそれで不利益を負うのかという発想になる。何でもどちらかを判断できるということではないので、この委員会のシステムの中では、「そこは判断できない」ということしか申し上げようがない。
(質問)
今回の委員会決定の評価だが、判断のグラデーションに沿うと先日の「謝罪会見報道に対する申立て」の委員会決定と単純に比較すると、同じ「勧告」でも今回の方がややトーンが下がるのかなと思ったが、その辺はどのような認識でいればいいのか。
(坂井委員長)
「謝罪会見報道に対する申立て」のケースは人権侵害ありという結論、こちらは放送倫理上重大な問題があるという結論で、カテゴリーとしては同じ「勧告」の中に入る、という以上のことは申し上げられない。これ以上のグラデーションはないので、決定文の中に書いていることを読んで判断してもらう他ない。
(質問)
放送法4条について、倫理検証委員会が意見書を出したあとに、菅官房長官が「BPOは放送法を誤解している」と反論したことがあったし、その後に岸井さんを名指しにした意見広告が出された。そういうことを念頭に置いて、この委員会決定が改めて出されたということか。
(坂井委員長)
この事案については、申立てのあった番組について直接の動きがあったので、委員会として触れたということで、それ以外の意見広告については、我々の触れる話ではない。委員会決定はあくまでこの番組の申立てについてのものと理解してほしい。
(質問)
シーン4の場面については明確な虚偽を含むもので、虚構を伝えるものだったと書かれている。これは、記者の側にそういう意思がなければそういうことにはならなかったと思うが、なぜこういうことをしてしまったのか、動機にあたる部分、背景に何があるのかについてはどう考えているのか。
(坂井委員長)
その背景までは語るべき力はないと思うが、ただ、事実報道をする立場の人は放送かプレスかに関わらず、裏付け取材はイロハのイだ。基本的に裏付けを取らないで報道してはだめな話だと思うから、そこのところを「なぜ」と言われてしまうと、「なぜそんなことを起こしてしまうのだろう」としか言いようがない。だから、そこのところは「十分考えてください」という勧告になっている。
もう1つ、そのシーン4のところについては、さきほどからヤラセなのかねつ造なのか言葉の問題はあるが、例えば私が何らかの取材を受けた際に「すみません、そこのところもう一回言ってください」と求められることはあると思う。それをヤラセというのかというと、おそらくそこまでは言わないし、明確な虚偽を含むとも言わない。
それはなぜかと言うと、言っている内容は言う本人が本気でそう思っていることだからだ。そういう話から始まって、どこまで事実の報道に演出があっていいのかという議論はあると思うが、「このくらいだったらいいだろう」みたいな話で行ってしまったのかなと想像する。
だから、今回の明確な虚偽を含むというのは放送倫理上重大な問題があって、人権侵害はないけれども、やはりとても大きな問題で、もっときついことを言えば「そういう作り方してはいけない」という話、「論外だ」と思っている。
「なぜでしょう」と言われてしまうと、「私が聞きたい」という気がする。
(奥代行)
「なぜですか」と言われて、個人的な感想だが例えば1つだけ言えば、多重債務者として登場したBさんは取材協力者としてNHKの記者とはかなり長い付き合いで、記者はいろいろな形で情報をもらったりしていた。その人に対する過重な信頼があっただろうということとか、記者というのはいつもいい映像を撮って、いいタイミングで流したいというのがあるので、そういう功名心とか特ダネ意識とかがあったのではないか。そうしたことはいろいろ指摘できるが、それはこの委員会決定とはちょっと別の次元の話だ。
以上