2017年6月30日

青少年委員会 「意見交換会」(山陰地区)の概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、山陰地区(島根県・鳥取県)の放送局との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、6月30日の午後2時から5時まで、「意見交換会」を松江市で開催しました。
BPOからは、青少年委員会の汐見稔幸委員長、最相葉月副委員長、菅原ますみ委員と、三好晴海専務理事が参加しました。放送局の参加者は、日本海テレビ、NHK、山陰放送、山陰中央テレビ(チャンネル順)の各連絡責任者、制作・報道・情報番組担当者など25人です。
冒頭、BPO設立の経緯および青少年委員会について、三好専務理事から話があり、続いて、委員から、事前に視聴・聴取した地元制作番組についての感想が述べられました。
その後、(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について、(2)行政や教育委員会による「テレビなどの視聴規制」について、活発な意見交換がなされました。

【BPO設立の経緯および青少年委員会について】(三好専務理事)

1985年ごろから、いわゆる「やらせ」や「過剰演出」など、放送倫理が社会問題化することが相次いだ。市民からの放送局批判が高まり、NHKと民放連が協議し、信頼を取り戻すため、放送局の自主・自律の精神で立ち上げたのがBPOである。公権力の放送への介入を回避し、表現の自由を守るための組織でもある。つまりBPOは放送の監視機関ではなく、自浄作用のために作られた組織だということは、覚えておいていただきたい。
さて、1987年に日弁連がメディアに対して二つの注文を付けた。一つ目は、名誉・プライバシー等に配慮して、行き過ぎた取材・報道に注意してほしいということ。これは、至極当然である。二つ目は、捜査情報への安易な依存をやめ、原則として匿名報道の実現を行ってほしい、ということ。たしかに、捜査情報への安易な依存は、放送局側も戒めていることではあるが、局側は事件・事故の再発防止などのために、実名報道を主張しており、この部分については、日弁連と相容れないところである。そんな中、1994年の松本サリン事件において、多くのメディアが本来被害者であった会社員の男性を犯人視報道し、その後、訂正・謝罪するという事態に陥った。この問題も含め、市民から信頼失墜との声が強くなり、総務省(当時の郵政省)が「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」を立ち上げ1年半にわたる議論を経て、以下の五つの提言を行った。(1)青少年の保護、(2)意見の多様性と政治的公平、(3)放送事業者の自主性と責任、(4)放送事業者以外のものによる評価、(5)権利侵害と被害者救済、である。これらのうち、(4)と(5)にNHKと民放連が注目し、1997年に設立したのが「放送と人権等権利に関する委員会」である。その後、青少年による事件の頻発により、放送の児童・青少年への影響が社会問題化し、2000年に「放送と青少年に関する委員会」を、さらに、バラエティー番組でのねつ造問題をきっかけとして2007年には「放送倫理検証委員会」が作られ、現在の3委員会となった。
つまり、BPOは皆さんが作った組織であり、監視機関では決してないということ。また数々の不祥事を経て、放送界が自主・自律のために作った組織であるということは、知っておいていただきたい。

(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について

【これまでBPOに寄せられた主な意見などについて】(最相副委員長)

子どもが関わる事件・事故の取材・報道について、これまで、青少年委員会が行ってきた提言について簡単にお話ししたい。
最初の提言は、2002年3月5日付の「『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮』についての提言」である。
これは、1997年の神戸連続児童殺傷事件と2001年大阪・附属池田小学校の事件におけるメディアスクラムで傷ついた人がいたということを契機にしたものだった。提言の要点は以下の四つ。(1)衝撃的な事件・事故の報道では子どもたちへの影響が大きいことを配慮し、刺激的な映像の使用に関しては、いたずらに不安をあおらないよう慎重に取り扱うべきである。(2)子どもは言葉の理解が不十分なため、映像から大きなインパクトを受け易い特性がある点に留意し、特に「繰り返し効果」のもたらす影響については慎重な検討と配慮が求められる。(3)ニュース番組内、あるいは子ども向け番組で、日常的に、子どもたちにも分かるニュース解説が放送されることが望ましい。(4)衝撃的な事件・事故の報道に際しては、影響を受けた子どもたちの心のケアに関して、保護者を支援する番組を即座に組めるよう、日頃から専門家チームと連携を図ることが望ましい。特に、(4)の提言に関しては、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)への配慮を求めており、当時はまだ耳慣れない言葉だったPTSDに言及したものだった。
続いては、2005年12月19日付の「『児童殺傷事件等の報道』についての要望」で、これは栃木県で起きた小1児童殺害事件がきっかけだった。この要望の要点は、以下の3点。
(1)「殺傷方法等の詳細な報道」に関して、凶器・殺傷方法・遺体の状況などを詳細に報道することは、模倣を誘発したり、視聴者たる子どもを脅えさせるおそれがあるなど、好ましくない影響が懸念されるので、十分な配慮が必要である。(2)「被害児童の家族・友人に対する取材」に関しては、悲惨な事件によって打ちひしがれた心をさらに傷つけることにもなりかねず、また親しい者の死を悼む子どもの心的領域に踏み込む行為でもあるので、慎重を期すように要望したい。(3)「被害児童および未成年被疑者の文章等の放送」に関して、プライバシーおよび家族の心情への配慮の観点からより慎重な扱いが必要と思われる。
この「文章等」には、現代においては、写真や卒業文集、SNSの書き込みなども含まれると考えられる。この要望(2)にある「事件事故に関連する子どもたちへの取材」については、最近も視聴者から意見が寄せられることがたびたびあり、委員会でも討論をしている。
3番目は2012年3月2日付の「子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望」である。これは、東日本大震災の発生から1年を前に、多数放送されるであろう震災関連番組などを念頭に、配慮を要望したものだった。結果、放送では津波映像の前に、注意喚起テロップが放送されるなど放送局の理解と配慮を得ることができた。
最後は、2015年4月28日に公表した「"ネット情報の取り扱い"に関する『委員長コメント』」で、これは、インターネット上の殺りく、虐待など人権を無視した映像を扱うサイトの情報をテレビが放送したことについて討論した結果、出されたコメントである。番組自体は審議入りしないことにはなったが、テレビという公共のための放送システムが抱く可能性のある問題を示したものだった。インターネット情報の取り扱いについてなども、意見があれば伺いたいと思う。

【取材・放送の現状や課題などについて】(意見交換)

(事務局)被取材者となる子どもへの接し方について、悩んだ経験などないか?
(放送局)2015年の「川崎市中1男子生徒殺害事件」のとき、被害者の男子生徒が小学6年生まで隠岐島で過ごしていたことが分かった。社内で議論し、いったんは島に取材に入らないことを決めたのだが、その後、各局の取材やキー局からの要請もあり、出遅れる形で、取材クルーが島に入った。しかし、小学校長から子どもの取材はやめてほしいと要請があり、当初は許可されていた校長自身の顔出しインタビューもできなくなっているなど、島内の取材は全滅といっていい状況だった。当時、記者からは、「島の子どもたちが相当なショックを受けている」と報告を受けたことを覚えている。
(放送局)取材を進めると被害少年は、かつては「ごくありふれた島の少年」だったことが分かった。事件の悲惨さを伝えるためにも、島の取材は必要だったと思っている。
(放送局)わが社は、事件のバックグラウンドを知るために、地元の民放局では2番目というわりと早い段階で島に入った。しかし、その段階ですでに新聞を含め各メディアが島に殺到しており、宿の確保も困難な状況だった。
(事務局)メディアスクラムのような状況だったのか?
(放送局)メディアスクラムになる前の段階だったと思うが、そのときすでに地元住民からはメディアに対する拒否反応が出ていたと記憶している。
(事務局)子どもの取材に対する注意喚起などは、取材者に行ったのか?
(放送局)子どもへの接触や取材以前の段階で、拒否反応が出ていた。
(最相副委員長)キー局からの取材要請など、地元局の判断と異なる要請があった場合はどのように対応しているのか?
(放送局)わが社の系列キー局からは、そこまで強い要請があったわけではないが、他局の状況などを鑑みて、遅ればせながら島に取材に入ったというのが実情だった。
(放送局)自然災害が起きたときなど、キー局のワイドショー班が、我々の頭を越えていきなり飛び込んでくるようなことがある。また、情報提供を求められることもある。中央は、良くも悪くもスピーディーだとは思うが、その取材の間に、地元に残していく傷跡を感じることはよくある。
(放送局)かつて、ある漁師の方に、取材を申し込み拒否されたことがあるが、その理由は、「キー局の"やらせ"に近い取材手法へのアレルギー」だと言われた。
(事務局)子どもを取材するうえで、学校などはポイントだと思うが、そのあたり、近年困難に思うことはないか?
(放送局)一昨日、市内の中学校で交通事故遺族の講演があり、取材することになった。その「命の授業」を開催したのは、地元警察だったが、当初、警察からは、子どもの取材・撮影は許可できない、講演者の顔のみ撮影してほしいとの要請があった。しかし、それでは講演会の意義は伝えきれないと考え、担当記者が学校に相談したところ、在校生にDV被害による転校生がいることが分かった。そこで当該生徒のいるクラスは撮影しないことを条件に、生徒取材の了承を得た。事情に合わせてその都度交渉し、現場において最大限の配慮をすることで、取材が可能になる場合はある。
(放送局)そもそも、学校内で不特定多数の児童や生徒を取材することは、近年非常に難しい。学校側に、取材を許可できない理由を尋ねても明確な答えはなく、とにかく取材は困る、の一点張りだったりもする。現場での感覚で言えば、10年位前から、入学式や卒業式の取材すら困難になっていると感じる。
(事務局)被取材者の子どもへの精神的影響などは、専門的にみてどうか?
(菅原委員)
年齢による違いや個人差はあるが、一般的に幼い子どものほうが、言葉で処理することができない分、事態を重く受け止め影響が長く続くと言われている。一般的には、低年齢の子どものほうが、影響や被害が大きいということ。また、同年齢の子どもについての報道に影響を受けやすいことも分かっている。例えば、自殺報道による自殺の連鎖などが知られている。子どもにとって等身大の人についての報道は、影響が大きい。もちろん、ストレスに強い子や弱い子などの個人差はあるが、一般的には、大人よりもデリケートに反応することは確かで、低年齢であればあるほど丸のまま受け止めてしまうので、大人のプロテクトは必要と言える。ただし、青少年になれば精神的にも成熟し、インタビュアーのまなざし一つで安心することができる。どんな場合でも、取材者が心を込めて接することが大切なのではないか。

(2)行政や教育委員会による「テレビなどの視聴規制」について

【これまでの経緯と現状の報告】(地元放送局 報道制作部長)

私は、生まれたときからテレビがあって、「テレビばっかり見るな」という親の言うことも聞かずテレビの番組と共に育ってきた、といっても過言ではない「テレビっ子」世代。そんな私が親になり、いつの頃からか、子どもが通う小中学校でチャレンジデーなどと称して、「1週間テレビを見る時間を3時間以内にしましょう」などという運動が始まった。そしてチャレンジが達成できたかどうか、親の感想も書かされていた。このチャレンジの目的はテレビを見ずに親子のコミュニケーションを図る、ということだったが、すでに社会に溶け込み、一定の評価を得ているテレビを見るな、という取り組みに正直、「今さら感」を覚え、うんざりした。感想にはきまって、「テレビを見るからコミュニケーションがない家庭が、テレビを見ないでコミュニケーションが図れるか疑問」などと批判めいたことを書いていた。
「ノーテレビデー」を最初に耳にしたのは、2007年の鳥取県三朝町の「ノーテレビデーの町」宣言。町議会の決議を可決する形でスタートしている。その決議には、「テレビをはじめとする『メディア文化』は、空気や水と同じように私たちを取り巻く環境の一つです。『テレビを一度消す』ことで、家族のふれあいや団らんの時間が、いかにテレビによって失われているかが分かります。テレビとの付き合い方を知ることで、パソコンや携帯電話など他のメディアとの付き合い方の基本を学ぶことができます。テレビを消すことで、家庭の団らんや家族の会話を増やすことができます。そして、テレビをちょっと消してみると、静かな時間の中で何かを感じ取ることができると思います。子どもたちをはじめ全町民が、テレビをはじめとする『メディア文化』をあらためて考え、温かい人間愛にあふれ、心のふれあう家庭や地域を創造するため、ここに毎月15日は憩いの日『ノーテレビデーの町』と宣言することを決議する」とある。このとき、社内で「営業妨害だ」との声があったのを覚えているが「放っておこう」という空気だったと記憶している。学校などでチャレンジデーなどが設けられたのは、その後だ。
鳥取県教委や鳥取県のPTA連合会に確認したところ、ノーテレビデーのチャレンジは7 ~ 8年前から始まり、県内ほとんどの小中学校で何らかの取り組みがあるという。県や市町村の教育委員会からの発信でPTAが取り組んだようだ。テレビを見る時間を1週間制限したり、月に1度テレビを見ない日を作ったり、内容はさまざま。当初はテレビとゲームの時間だったが、最近は「ノーメディアデー」と名を変えて、対象はパソコンやスマホなどネットメディアが中心になっている。担当者は今、問題視されているのはテレビよりもソーシャルメディアである、と言っていた。そして一昨年からPTAが取り組んでいるのが「メディア21:00」というもので、21時以降はゲームやソーシャルメディアをするのは、やめようという運動だ。この中にはテレビも含まれているが、時間制限から時間帯制限になり、録画すれば見たい番組も見られるようになったのはわずかながら前進だと思う。
また、島根県でも多くの小中学校で同様の動きになっているようで、松江市では、ちょうど今月2日に市や学校関係者、学識者らで作る「子どもとメディア」対策協議会というのが開かれたので、市教委の担当者に「ノーテレビデー」の成り立ちと現状を聞いてみた。もともとは(鳥取県も同じくだが)子どもたちの生活習慣の見直しがスタートだった。その発端になったのが、2007年度の文科省による「早寝早起き朝ごはん」国民運動推進の通達だ。その中にはテレビを見る時間を制限せよ、などとはうたわれていないのだが、松江市ではテレビやゲームで寝るのが遅くなり、生活習慣が乱れているという感覚があったようで、「ノーテレビ・ノーゲーム運動」というものが始まった。また、問題意識の中には、「親子のコミュニケーション不足」ということもあったようだ。そして2015年度からは「メディアコントロールウィーク」に名称が変わり、ソーシャルメディアも含まれるようになったがテレビも「コントロール」するメディアに含まれている。市内のほとんどの小中学校でテレビを見ない時間を設定する何らかの取り組みが行われている。一方で担当者は、メディアの専門家からアドバイスを受けているようで、テレビもスマホも十把一からげにメディアとしてくくることを見直す動きがあるとも言っている。教委レベルでは「ネットにつながるもの」と「つながらないもの」を分けて考えるべき、という意見のようだが、末端の学校現場いわんやPTAまで浸透するのは時間がかかるだろうと言っていた。
これを踏まえ個人的に違和感を覚えるのは次の点である。
(1) 子どもたちをはじめ多くの視聴者に見てもらおうと思って作ったテレビ番組を、行政や学校などの公的機関が半強制的に見せないようにしていること。各家庭が個々の判断で見ないのならともかく、公的機関が見ないように仕向けるのは「営業妨害」では?
(2)「ノーテレビデー」の目的である、テレビ視聴と生活習慣の乱れ、あるいはテレビ視聴とコミュニケーション不足は、そもそも相関関係にないのでは?ノーテレビデーではテレビより読書、などと言われることもあったが、徹夜で読書したら同じことだろう。我々「テレビっ子」世代の多くは、テレビからも毒や薬を飲んで、大げさに言えば社会を学んだ。時代によって毒や薬は変わるが、そこを今、青少年委員会とテレビ局が議論し、よりよい番組を目指しているのだと思う。そういう点が全く理解されないで単純にテレビを見ないようにしようというのは、「テレビを見れば馬鹿になる」というようなテレビ草創期に言われた話が根底にあるのではとも感じている。番組の作り手としては残念だが、逆に、そこをもっと理解してもらうことも必要かもしれない。
この場の議論が「ノーメディアデー」を勧める関係者はじめ多くの視聴者に届き、テレビに対する理解につながればありがたい、と考えている。

【学術的な裏付けなどについて】(菅原ますみ委員)

テレビの子ども向けコンテンツが少子化などによりただでさえ制作されにくくなっている現状がある中で、「テレビは子どもにとってよくないもの」とすることは、よいコンテンツにアクセスする機会を子どもから奪うことになり、子どもにとっても不利益なのではないか、またニューメディアに対するスキルトレーニングからも遠ざけられることにつながるのではないか、と個人的には危惧している。
「映像メディアと子どもの発達」について、小児科学と発達心理学を踏まえて話をしたい。この分野については、胎児期からの追跡調査など、アメリカを中心に国家規模の研究がなされている。そもそも、子どもへのテレビの悪影響について考えられるきっかけとなったのは、1999年のアメリカ小児科学会による勧告だとされる。これは、「小児科医は、2歳以下の子どものいる親に、テレビを見せないように働きかけるべきである」というものだったが、当時は、乳幼児の健全な脳発達などのためには、親や保育者と触れ合うことが必要だというエビデンスがあっただけで、テレビの悪影響についてその論拠があったわけではなかった。
その後、アメリカ小児科学会の勧告を受け、2004年に日本小児科学会も、「2歳以下の子どもにはテレビやビデオを長時間見せないように。長時間視聴児は言語発達が遅れる危険性が高まる」という提言を行う。しかしその後、さまざまな実証研究の発展を受け、2016年にアメリカ小児科学会は再度、子どものメディア利用についての提言を行い、"ノーテレビ"というスタンスを脱し、"スマート・テレビ・ユース(賢いテレビ利用)"を推奨するに至っている。また、「テレビ接触が子どもの発達に及ぼす影響」についての最近の実証実験の結果を踏まえ分かってきたこともある。
まず、子どもに見せるコンテンツは年齢にふさわしい教育的で良質なコンテンツであることが重要だということ。また、テレビの視聴時間が就学前の発達に及ぼす大きな負の影響性は今のところ認められていないということ。一緒に視聴する大人が、オープンエンドな質問をするなど共有視聴することで、子どもの内容理解や語彙獲得を促す効果を得られる可能性があることも分かっている。日本で行った12年間に渡るテレビの視聴調査でも、「テレビ視聴量の多寡が幼児期の問題行動と関連する」という結果は得られていない。つまり、家族で対話しながら共有するテレビ番組は、子どもにとって楽しみとなるだけでなく、子どもを賢くする機能を持つ可能性がある。

【「テレビ視聴の規制」が放送局に及ぼす影響などについて】(意見交換)

(放送局)スマートフォンやタブレットなどの視聴は「個の世界」で、子どもが何をしているのか分からないと感じる。自分もそうであったように、テレビから学ぶことはたくさんあるはずなので、制作者として良質なコンテンツを作り出していきたいとあらためて思う。
(放送局)自分自身、2歳の子どもの親だが、どこからか聞いてきた情報で、自分が放送に携わる人間でありながら、テレビを見せることに罪悪感を持ったりしていたところがこれまでは、正直あった。
(事務局)行政や教育委員会などが、「ノーテレビデー」などの方法で人間の内面に踏み入ってくることに対しての思いなどは?
(最相副委員長)先ほどからの話を聞いていて、憲法に抵触するのではないか?と思うほどの憤りを感じている。「違和感を覚える」とか「営業妨害」などのレベルではなく、人間の自由や人権に関わることだと思う。ぜひ、今後も勉強会を開催するなどして、この問題については考えていっていただきたい。
(放送局)「テレビ規制」の動きが県内で始まった当初は、「真正面から相手にするもの大人げない」というような雰囲気が社内にはあったように記憶している。これを機に、いろいろ調べながら各局の連携なども考えなくてはならないのかもしれない。拳を振り上げるというよりは、放送局らしいやり方を考えていきたい。

【地元放送局代表 挨拶】(山陰放送テレビ総局 杉原充子総局長)

同じ地域で同じ仕事に取り組んでいても、日頃なかなか顔を合わせる機会のない者同士が集う機会を持つことができ、大変ありがたかった。今日の議論から、またさまざまな課題が見えてきた部分もあるが、これからも山陰という地域で、各放送局が協力し合いながら、今後も進んでいくことができればうれしい。

【まとめ】(汐見委員長)

行政や教育委員会による「テレビの視聴規制」についての議論が行われたことは、大変意義のあることだと思う。行政や教育委員会と対決するのではなく、「親子の会話の時間を作ることや、子どもがこの家に生まれて良かったと思えるような家庭を作ること」を自分たちも放送を通じて応援したいのだ、というスタンスでメディアに携わる人たちには頑張っていただきたい。「行政や教育委員会が目指すところはよく分かるが、家庭での会話を生み出すことや話題作りにテレビが寄与できるのではないか」ということを、上手に伝えていってほしい。
かつて、落語家の林家一平さん(現・三平)から、父である初代三平さんと家族のエピソードを聞いたことがある。三平さんは7時のニュースを家族全員で見て、みんなに討論をさせていたそうだ。その経験から一平さんは、「世の中のことを知らない人間は恥ずかしい」ということや、「意見が同じだとつまらない。意見は違うからこそ面白い」ということなどを知ったと教えてくれた。昭和の爆笑王はテレビを媒体にして「家族の時間と空間を作っていたのだなぁ」と思った。
皆さんには、行政や教育委員会と一緒に、「どうすれば家族の時間を作ることができるか、テレビに何ができるか」ということを話し合えるような新しい関係を生み出していっていただきたい。教育の世界の人たちと前向きな良い関係を築いていっていただきたいと思う。

以上

2017年7月18日

在京キー局との意見交換会

放送人権委員会は、7月18日に在京キー局との「意見交換会」を千代田放送会館会議室で開催した。民放5局とNHKから17人が出席、委員会からは坂井委員長ら委員全員が出席した。
今年の2月と3月に通知・公表を行った決定第62号「STAP細胞報道に対する申立て」(NHK 勧告:人権侵害)と決定第63号、64号の「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本、熊本県民テレビ 見解:放送倫理上問題あり)を取り上げ、それぞれ番組を視聴し、坂井眞委員長と起草担当委員による説明、少数意見を付記した委員による説明の後、質疑応答を行い、約3時間にわたって意見を交わした。
質疑応答の概要は、以下のとおり。

◆ 「STAP細胞報道に対する申立て」

(NHK)
決定の説明で、ダイオキシン報道の最高裁判決の話があったが、最高裁判決は、煎茶のダイオキシン類測定値を野菜のそれと誤って報道した部分については、放送が摘示する事実の重要部分の一角を構成するものであり、これを看過することができないとしている。決定文を読んだ職員からは、STAP細胞報道で、ホウレンソウをメインとする所沢の葉っぱものとのコメントに当たるところはどこなのか、それがないのではないか、という声が出ている。

(坂井委員長)
今のご質問は最初にもっとも意見交換すべきところだと思う。まず曽我部委員が言ったように、ダイオキシン報道最高裁判決は、新聞記事に関する最高裁の判例が一般の読者の普通の注意と読み方が基準だとしていることを引用したうえで、テレビ放送でも同様に一般視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準とするとしている。こういう抽象論を言ったあとに、最高裁判決ではさらに具体的にどういう要素によって摘示されている事実を判断するかということを述べている。
まず当該報道番組により摘示された事実がどのようなものであるかということについては、当該報道番組の全体的な構成、これが一つの要素とされている。決定文(7~8ページ)で言っている(1)~(5)までと(6)のつながりも、この要素との関係で出てくるものと言える。この場面がどういう全体の流れの中にあるのかという観点からの判断だ。
それから二つ目が登場した者の発言内容。今おっしゃった久米さん(ダイオキシン報道の番組キャスター)の発言をストレートに挙げている。つまり久米さんの発言はいくつかの要素のうちの一つです。その次に画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとよりとされている点。これは、最近の例で言うと、人権侵害との判断はしていないが、テレビ朝日の「世田谷一家殺害事件特番への申立て」(決定第61号)で、サイドマークだったり、テロップだったり、いろいろな形式で用いられていた文字情報を含めて摘示されている事実が何かを判断したこととかかわっています。それから、もちろんテレビですから、映像の内容、効果音、ナレーション等の映像及び音声にかかる情報内容という要素、そして放送内容全体から受ける印象等。これらの要素を総合的に考慮して判断すべきであると最高裁判決は述べています。
だから、ダイオキシン報道の最高裁判決というのは、何か具体的な一つの発言を捉えて、それがあることを前提として判断しているわけではなくて、こういうたくさんの要素全体から判断すると言っているのです。ダイオキシン報道で特に象徴的に出てくるのは、さっき申し上げたホウレンソウをメインとする所沢産の葉っぱものと言っていたところだが、実は一番濃度が高かったのはお茶だった。それについて専門家もちゃんと説明していないとか、いろんな事情があったが、そこについては真実性ありとは言えない。重要な部分について真実性がありとは言えない、そういう事例だった。
判断基準としては、発言内容でこれを言ったとかいう、ピンポイントの要素で判断するのではないというのが私の説明になる。本件についても、どれか一つの発言ということではなくて、今、指摘したようなたくさんの要素を総合的に考慮して、我々の摘示事実の認定がなされたということになる。

(曽我部真裕委員)
ちょっと補足をさせていただきたいが、実はこの裁判は東京高裁では真実性ありという判断だった。それは別の研究者が白菜の測定もして、煎茶の3.8ピコグラムに近いような数字が出ていたと。そういう情報を持ってきたので、それをもって高裁は真実性ありと判断した。最高裁は、それはダメだと言った。なぜダメだかというと、摘示事実の認定が高裁と最高裁で違っていた訳です。
最高裁は摘示事実として、所沢産の葉っぱものが全般的に高濃度に汚染されているということを言ったと判断した。だから、要するに白菜1点持ってきたところで、それでは全般的に高濃度に汚染されているということの証明にはならないと言って、真実性・相当性は否定した。これに対して、高裁は全般的にとは言っていない。高濃度の白菜が一つあったので真実性を認めた。
だから、高裁と最高裁で判断が分かれたのは、摘示事実の認定が違っているところにあって、なぜ、最高裁が摘示事実として全般的に高濃度に汚染されていると言ったかというと、これは当該部分全体を見ているから言ったわけです。番組の中で、別に全般的に高濃度に汚染されているという発言は無かったが、全体として、それこそ全体として汚染の深刻さを繰り返し、いろんな手を変え品を変え訴えていたことから、最高裁は摘示事実を全般的に高濃度に汚染されているという認定をした。
要は、全体の作りから一般の視聴者はそう受け止めるであろうと判断したもので、むしろ参考にすべきは、この判断かなと思う。

(NHK)
最高裁判決でいうと、ホウレンソウの値段が暴落しているので、一般視聴者も多分そう見ただろうと思う。ただ、今回のSTAPについては、我々はモニターからリポートを取っていて、この番組が終わった後、視聴者の皆さんからモニターを取ったが、その100件余りの中でも、要するに盗んだという決定と同じように番組を見たという人はいなかったし、そういう抗議も来なかった。申立人が主張してきて初めて、ああ、そういうふうに見られているのだということが分かった。
先ほどの曽我部委員の説明で、摘示事実の認定に関わる部分で、STAP研究が行われた時期と、元留学生のES細胞が小保方研究室の冷凍庫から見つかった時期の間には、2年以上のブランクがあると繰り返し指摘されている。ただ、STAP細胞が最初に成功したとされるのが平成23年11月以降で、その後、研究を継続的に行っているので、2年以上の間隔があるという事実は無い。なぜ、2年以上の間隔があると判断したのか。

(坂井委員長)
2年以上の間隔という意味が、みなさんが捉えていらっしゃるポイントと、我々が言っている趣旨がズレているというか、違っていると思います。
我々が言っているのは、番組を見てわかるように、キメラ実験を成功させたときのSTAP細胞は、実はES細胞のコンタミ(混入)が原因だったんじゃないかという点にかかわることだ。番組では、そのときの話をしているわけだから、それから2年以上経って、ということになる。特にキメラ実験をしている当時は、まだ小保方研なんてないですし、まして小保方研の冷凍庫も無いわけですから、それから2年以上経って小保方研の冷凍庫から見つかりましたということに、どういう意味があるのか。キメラ実験のときのコンタミしたかもしれないES細胞と、どこにあったか分からない留学生の細胞、どこで、いつどうやって、どういう経路でキメラ実験の後に作られた小保方研の冷凍庫に入ったか分からない留学生のES細胞との関係が問題とされているわけで、見つかったときと、キメラ実験をしたときの間が2年もある。そうすると、関係が無いのだったら、ここで見つかったから混入したのではないかという話にはならない。
NHKは、STAP研究は2年以上続いていたという。でも、その話は申立てに係わる、この放送の問題とはあまり関係ない。この放送でどういう事実が摘示されて、それが名誉毀損に当たるかどうかという話をしているときに、放送で問題にしているキメラ実験の後もSTAP研究が続いていたということは意味がなく、我々が言っている2年間とは観点が全然違う。

(曽我部委員)
2年という数字そのものには、特に意味は無い。おそらく、視聴者としてみれば、最初のキメラ実験の辺りから混入していたのであろうと、これは決定文には無いですけれども、おそらく通常、受け止めるだろうと思う。そうすると、その時点から混入していたという話と、だいぶ後になってから、たまたま、たまたまかというかどうか、出て来ましたよと、研究室の冷凍庫にありましたよという指摘とのつながりは、少なくとも、あの放送内容では視聴者はよく理解できないんじゃないかと思う。
審理の過程でも議論はあったが、あの場面はNHKの側からしてみると、要するに、小保方研における細胞の保管状況はあまり厳格ではなかったので、混入する可能性も、客観証拠として、傍証として、間接証拠としてはあるんじゃないかという趣旨で放送したのかなという気もするわけだが、ただ、それは後から見ると、もしかしたらそういう趣旨だったのかもしれないなという程度で、やはり普通に見ると、先ほど来ご説明申し上げているような形で視聴者は受け止めるだろうということだと思う。

(A)
第二次調査報告書の中で結局、2005年に若山研のメンバーが樹立したES細胞が、その後ずっと2010年に若山研が持ち出すまでは研究室にあって、その後なくなったはずのES細胞が、後に小保方研のフリーザーに残っていた資料から見つかって、それが今回のSTAP細胞の中の成分と一致しているという、そして、これは誰が入れたのか、謎のままだという調査結果が出ている。
その大筋においては、それが元留学生のものかどうかは別として、ある程度放送と一致した内容の最終的な調査報告書が出たということが、今回の真実性の判断の中で審理されたのか?

(坂井委員長)
報告書では、若山研にあったES細胞がコンタミしたのではないかと書いてあるから、その限りでは真実性があるのではないかというお話だが、真実性は、番組で摘示された事実を対象に真実性があるかどうかを判断する。
我々の認定した摘示事実では、留学生の作成したES細胞と、冷凍庫で発見されたES細胞というのは、番組で関連があるんじゃないかと言っているわけだから、留学生のES細胞を取っ払って、一般的に若山研のES細胞との関係で真実性を判断するわけにはいかない。報告書で若山研にあったES細胞がコンタミしたのではないかとされているから、その点は真実性があるというが、番組はそういうことは言っていない。前提として、番組の摘示事実は何かというところから真実性の話をしないと、ちょっと論点がズレるのではないか。
市川代行の少数意見は、そこは切り離している。番組として切り離すのだったら、留学生の細胞の話を出さなくたっていいわけですから。私は切り離すのはおかしいと思っているが、それは意見の違いだからしょうがない。

(B)
私は放送を一視聴者として見ていたが、そのときの印象として、出所不明のES細胞が小保方研究室の冷凍庫から出て来たという事実は捉えたが、いわゆるSTAP細胞がそのES細胞に由来する可能性があるとまで摘示しているとは感じなかった。それが即、STAP細胞に使われたというふうには思えなかったというのが正直な感想だった。普通の視聴者の視聴の仕方というが、やっぱり、個々の視聴者が感じることは違うと思うので、私は委員会の判断は相当厳しいなと、すごく感じた。

(坂井委員長)
我々は一般視聴者を全部調査しているわけではない。さっきNHKもおっしゃったように、そうでもないと思う人もいるだろうし、我々もそういう意見もあることは聞いているが、我々は9人の委員がどう認識するかで判断するほかない。つまり、放送を見て、委員会のメンバーが最高裁の基準からしてどう判断するかということで、それは違うと言う人がいたからといって、間違っているということにはならないだろう。委員会として、これを普通に見たらどうなるだろうかと判断をするしかない。これを厳しくしようとか、緩くしようとかは、全然思っていない。
今のお話は、出所不明の留学生の作ったES細胞が、その前の場面のアクロシンGFPが入った若山研にあったES細胞と同じとまでは思わなかったという話ですよね。当時同じだと認識していなかったのであれば、それを明らかにしたうえで、留学生の作ったES細胞が、なぜか後になって小保方研の冷凍庫から見つかったが、なぜそこにあるのか、小保方さんには説明していただけませんでしたというふうにすれば、その前の部分とは区切られて問題にはならないかもしれない。
逆に先ほど説明したように、アクロシンGFPが組み込まれたES細胞が混入したのではないかというSTAP研究当時の混入の可能性を指摘した部分に続けて、それとは別の話であることをはっきりさせないで、元留学生作製のES細胞の保管状況を紹介し、なぜこのES細胞が小保方研の冷凍庫から見つかったのかと疑問を呈するナレーションがある。そうすると、このES細胞が混入したらSTAP細胞ができちゃうね、という流れだと、一般の人にもそう見えると我々は判断した。
NHKは違う話だと主張するが、違う話だったら、どうしてこういう流れで出てくるのか分からないというが委員会の意見で、違う話だと分かるようにすればいいと思う。理研なり小保方研での細胞の管理がいい加減だったという文脈であれば、そういう文脈をはっきり出せばいいと思うし、そうではないと言うのだったら、それまでのアクロシンGFPが組み込まれたES細胞が混入したのではないかというSTAP研究当時の混入の可能性を指摘した部分との関係、そこはまだよく分からないけれども、なぜか無いと言っていたES細胞がありましたと、それは事実で真実性を立証できる、無いと言っていたのに出てきたわけですし、出て来たということは立証できるんだったら、それは全然問題ないし、やりようはあるだろうなと思う。

(B)
この元留学生が作ったES細胞には、アクロシンGFPは組み込まれていないのですね?

(坂井委員長)
結論としては、そうだと思う。

(B)
NHKは放送当時、それを知っていたのか?

(奥武則委員長代行)
今おっしゃった部分について、もし放送するなら、こうやればよかったかなと、一つの提案に過ぎないが、決定文29ページの下から11行目の、「事態が『霧の中』にある状況で」という書き出しの段落の真ん中あたりに、例えばとして書いてある(「アクロシンGFPが組み込まれていないため、現在の時点では遺伝子解析が行われたSTAP細胞とのつながりは明らかではないが、小保方氏の研究室で使われている冷凍庫から、本来あるはずのないES細胞が見つかった」)。こんなふうにすれば、別であるということが分かったのではないか。
アクロシンGFPの話は、後になって、NHKにヒアリングした際にちゃんと聞けばよかったなと思った。アクロシンGFPが入っているか入っていないのかについて、NHKが取材したかどうかは、今もって分からないが、事実としては入っていなかった。

(B)
もしNHKが知っていて表現しなかったなら、放送倫理上問題はあるなと私は思う。ただ、なぜかこういう事実摘示だと認定し、人権侵害のほうに行ってしまうのが、本当によかったのかなと。

(坂井委員長)
そこは何とも言いようがないが、一般視聴者ではなく、やっぱりその道のプロでいらっしゃると、そうお考えになるのかなと思いながら聞いている。ただ、委員会は、一般視聴者が普通に見たらどうだろうかという観点で議論をし、結果、こう判断せざるを得ないと結論した。少数意見も2人もいて、人権侵害とは認めないとしているが、放送倫理上問題ありとはおっしゃっている。

(C)
今の議論を聞いていて、委員会は裁判所なのかなと思ってしまう。例えば、今の状況で行けば、加計の問題とか森友の問題、僕らは一切放送できない。事実性も真実相当性も中途半端な状態でしか分からないので。
今回のケースで行けば、やっぱり、あのSTAP細胞に何かあったのじゃないかという素朴な疑問、メディアの素朴な疑問、当然NHKも持つし、僕らも持った。その疑問について、当然、小保方さんにも当てた、一切回答は返ってこなかった。そういう状況の中で、一所懸命番組を組み立てていった。この問題をメディアがどうやって伝えるべきか、その大義の部分の認識は委員にあったのか? 些末なことが十分な真実性が無いから人権侵害だと断じてしまうのは、ほとんどの調査報道の道を閉ざすことになる。

(坂井委員長)
加計の話とこの話は違うし、調査報道はいくらでもすればいい。ただ、名誉毀損にならないようにすればいいだけの話。それをしない方法はいくらでもある。ここをこうすればという、こんな問題で名誉毀損と言われなくて済むやり方はあると思う。法律家ですから、よく分かっているつもりですけれど、そのようなやり方をするのも報道する側の仕事だと思う。名誉毀損された人間というのは、とんでもない痛みを受けることがある。それを忘れてはいけないと思う。
報道というメディアの重大な役割は委員全員が認識している。それは決定文に書いてあると思うし、こういう問題を起こさないようにすることこそが大切だ。
加計の問題を言われるが、安倍さんは総理大臣だから、公的存在として、STAP研究の1研究員と全然違う。報道されていい範囲が立場によって全然違うのはご存じですね。それを同列で議論できるわけがない。おっしゃるような調査報道はどんどんやるべきでしょう。けれども、そこで名誉毀損だと言われないようにする、細心の注意を払うべきじゃないかと思う。それは、そういう重大な役割を担っている報道のみなさんの役割だし、義務だと思う。

(D)
やっぱり普通に番組を見ると、小保方さんがあの細胞を勝手に盗んできて、個人的にやったのかと見えちゃう。小保方さんが個人的にやったのか、もしくは研究者の誰かが勝手に入れたのか、何らかの手続きで間違って入ったのかもしれませんけれども、これを見る限りでは、個人がなんか意図的にやっているふうに見えちゃう。だとすると、これは個人がやったのか、それとも第三者が勝手に入れたのか、それについてお答え願いたいみたいな表現にすれば、よかったのかなと思う。
それよりも、どちらかというと、声優を使って紹介したメールのやり取りのほうが、かなり問題ではないのかなと。たしかに公的なメールでプライバシーの侵害ではないが、男と女の関係を匂わせるような表現はいかがなものかと、僕はリアルタイムで見ていてびっくりした。

(坂井委員長)
いかがなものかという趣旨の表現は決定文に書いてあると思う。本件のような大事なテーマで、そういうニュアンスを出すのはいかがなものかと、私も個人的に思うが、でも、声優が話している内容自体は大したことじゃないので、問題ありという結論にはならないと思う。

(奥委員長代行)
先ほどご質問があった調査報道のことは、また少数意見で言いにくいが、決定文28ページの「調査報道の意義と限界」というところを読んでいただければ、私が考えていることは分かると思う。委員会は裁判所ではない。

(C)
委員会はより良い放送メディアを作るためのものなので、行き過ぎはもちろん訂正しないといけないが、とにかく押し込めてしまうということがあってはいけないと思う。法廷ではバランスは取れない、絶対に。ただ、委員会はバランスが取れると思っている。たしかに問題があるかもしれないが、伝える意味合いがあるものに対しては、それとのバランスをどういうふうに取るかを、是非お考えいただきたい。法律で言ったら、おっしゃるとおりだということはよく分かる。ただ、委員会はそういう場ではないと思っている。

(城戸真亜子委員)
私は法律の専門家ではない。放送に携わったこともあり、表現する立場でもある。やはり、調査報道は踏み込まないとできないという、おっしゃっていることはとても理解できるし、スレスレの姿勢で入り込んでいく姿勢が必要だと思う。今回のNHKのこの番組は、独自に調べられてタイムリーに作ったと思う。
でも、私はリアルタイムで拝見したが、やはり申立人が何か重大な間違いを犯してしまったんじゃないだろうか、という見方をした。あそこのシーン、留学生の話があり、試験管のようなものが出て来て、私の印象では「杜撰な管理方法でよかったのだろうか」みたいなことでまとめていたら、たぶん人権侵害にはならなかったのではないかと感じた。やはり、ちょっと行き過ぎた言葉によって、傷ついただろうと感じた。申立人のしたことが、それよりも大きかったかどうかはちょっと分からないが、放送によって本人が名誉が毀損されたと感じたならば、やはりそこを考えて判断していくのが、この委員会だと思っている。

(NHK)
今言われたことと、ちょっと関係するが、放送は「小保方さんにこうした疑問に答えてほしいと考えている」で終わっているわけではなくて、その後まで続いていて、新たな疑惑に対して理研は調査を先送りにしてきていて、こういったコンタミを含めた調査をきちんとやらないのかと、指摘する場面を付けている。

(城戸委員)
小保方さんは答えをくれなかったわけで、そして、理研はどうなんだとつながっていくことは大変よく分かるが、そこまでのトーンが、やっぱり、そのコメントに集約して着地しているように私は感じた。

(E)
7月3日付で委員会からNHKに対する意見(NHKの「STAP細胞報道に関する勧告を受けて」に対する意見)というものを出されたが、異例の強い調子で述べられているように私は受け止めている。これはもう、こういう形で平行線で終わりということになるのか。

(坂井委員長)
決定を通知したあと、我々が行って、当該局研修と言いますけれど、研修をしてその報告をいただいて、それで分かりましたと了承するときと、報告の内容に納得いかない部分があるときは、我々はそれに対する意見を出して、それで終わるというのがこれまでの通例です。
大阪市長選事案(決定第51号「大阪市長選関連報道への申立て」)のときも、当該局の報告に対して委員会の意見を出したが、そのときもそれで終わっている。それ以降について、特に何か意見を交換し合う手続きがあるわけではないが、でも、こういう意見交換会のように実態としては局側と話ができている。引き合いがあれば、こういう話ができればと思うが、手続き的には特に定めは無い。

◆ 「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本、熊本県民テレビ)

(A)
こういったケースは、おそらく同じような形で、いろんな場所にあるような気がしている。警察の見立てだと明確化すれば問題ないという結論になるのか、それとも、現時点で見立てに近いものはできるだけ報じないほうがいいというご趣旨なのか。どういった形で正しい原稿、倫理上問題のない原稿を書くかを、ご指導いただきたい。

(坂井委員長)
分かりやすいほうから言うと、警察の見立てに近い部分は報道しないほうがいいとは、全然言っていない。見立ては見立てとして報道してくださいと、委員会決定ではそういう言い方をしていると思う。見立ての部分と、そうではない部分、客観的事実として報道する部分は、ちゃんと区別してくださいということです。
決定文(テレビ熊本)の32ページを見ると、冒頭のところ(リード部分「酒を飲んで意識がもうろうとしていた知人女性を自宅に連れ込みデジカメで女性の裸を撮影したとして、熊本市の職員の男が準強制わいせつの疑いで逮捕されました」)で、逮捕容疑事実、警察発表の文書にないことも含めて言っている感がある、まず、そう言っている。そこはたしかに問題がある。そのあとの真ん中のあたりの「警察によりますと、(容疑者は今年7月、自宅マンションで意識がなく抵抗できない状態の20代の知人の女性の裸の写真をデジタルカメラで)~ 撮影した疑いです」、ここはそのとおり、警察発表のとおりだから、これを書いたからと言って放送倫理上問題ありという判断にはならない。
当該局研修でかなり活発に意見交換してきたが、全体を見てどうなのかということを考えないといけない。原稿はちゃんと書いたが、現場へ行ったアナウンサーやリポーターが話す内容が違うこともあるという話もあった。記者リポートのところに入ると、「事件当日、意識がもうろうとしている女性をタクシーに乗せ、自宅マンションに連れ込んだということです。意識を失い横になっていた女性の服を脱がせ、犯行に及んだということです」と言っている。この記者リポート、先ほど指摘した冒頭部分があり、その流れで放送されているから、このままでいいのかというと、なかなかそうとは言えないだろうなという気がする。

(A)
この記者リポートに近い中身を報じようと思ったら、警察の見立てと言われているところだが、例えば「警察によると、~ということです」と、エクスキューズを付ければ、ありうるのか。つまり前段で被疑事実を言う、被疑事実を認めていると。そのあと、追加、プラスαとして電話して聞いた中身とか逮捕の被疑事実とは離れた肉付け部分を、どういう表現を使えば、「容疑を認めている」から外して、プラスαとして「警察はこう言っているんですよ」という情報として付け加えて、かつ倫理違反に問われないのか?

(坂井委員長)
おっしゃっている部分が、きっとこのケースで一番問題になるところで、冒頭の部分は明らかにオーバーランしている。たしかに副署長が容疑事実を超えたことを言っていて、副署長は最初に、逮捕容疑はこうです、と言いながら、容疑事実にある「抗拒不能とは何ですか?」と聞かれると、全然違う話をバーッとしている。本当は、そこで、「いや、それって、なんか容疑事実と違うのですけれど、いいのですか?」という話があってほしいなと。別に「そう言え」と言うつもりはないが、そういう疑問があってもいいなという感じはする。「いやいや、現場はそんなことはできないよ」という話も、当該局でいろいろ聞いてきましたけれど(笑)。いずれにしても、エクスキューズということではなく、被疑者が認めている容疑事実と、警察の言っていることとは違う部分があるということが分かる表現が必要だと思う。

(市川正司委員長代行)
最初の冒頭のところがちょっと踏み込み過ぎ、「連れ込んで云々」と言ってしまったところが問題の一つ。もう一つは、「容疑を認めている」というあとにも、「何々しているとこのことです」「何々しているとこのことです」となっている。「とのことです」というのは比較的よく使う。警察の疑いを「こうですよ」と示すような意味合いで使うという意味では、それ自体は悪いことではないと思うが、ただ、「容疑を認めてます」という言葉のあとに、また同じような口調で言っているが故に、同じ容疑、同じレベルの容疑というふうに、どうしても受け止めてしまう。それが結局、放送している事実全てを認めている、容疑を全部認めているのだなと、全体としては受け止められてしまうのではないかと思う。
そうだとすれば、「認めています」というあとで、経過に関する事実、聞き取った事実があるのであれば、そこは、警察の疑いとしてはこうですよ、ということがはっきり分かるように、それを書けばいいと。我々が正解を出すわけではないが、そこは区別すべきだったのではないか、もうちょっと区別する工夫があって然るべきじゃないかなと思う。
当該局研修に行ったときに、そこは実は意識はしていらっしゃったという方もいたと感じたところだが、そこがなお不十分だったなというふうには思った。

(坂井委員長)
事案の概要(逮捕容疑)以外のことを聞いたら、余分なことを副署長が言っちゃっている、弁護人の話も何も聞けていないときに、これをそのまま放送に出すべきかどうかという判断が、本当はあるべきだろうと思う。出すなと我々は言っていないが、出すのだったら、そこはちょっと気を遣って、配慮しないといけないのではないかという決定文になっていると思う。出し方の問題はたしかに難しいと思うが、少なくとも彼はこういうことをやったと認めていないし、彼がそこを認めたと見られるような報道の仕方はまずいという気がする。

(E)
おっしゃる区分けというのは、ある意味で分かるが、例えば詐欺事件の場合、おそらく数億円の詐欺の可能性がある、だけれど、直接の容疑というのは、まず一定のところで始まって、最終的に立件されるのも、被害者弁護団が言っているような何億円になるかというと、そうならない事件もある。殺人の場合も、当初の逮捕容疑は死体遺棄がほとんどで、我々としてはそこまで見通してやっているわけだが、どうするのか。連続殺人事件の場合、埼玉の場合でも鳥取の場合でも、不審死とされた人の中で立件されたケースもあると。そのあたりをどう考えていくのか、日々、本当に現場で問われていることだと思うが、おそらく、そこについては、当然、報じていくことになると思う、僕らとしては。その人の周辺で複数の多くの人が亡くなっているという、その疑問が主体ということになると思うが、おそらく全く変わらないと思う、こういう委員会の決定があっても。
ただ、全体として見たら、この人はやっているのじゃないかと。一般の人の一般の視聴の仕方を基準にしたら、全体の印象としてはそういうふうに見られてしまうということがあるのではないか?

(坂井委員長)
例えば、詐欺の数億円の被害、実際、起訴されるのは公判維持できる範囲というケースもあると思う。いろんな経済事件がそうだと思う。そういうときに、まあ抽象的な話ですけれど、例えば被害者弁護団がいて、こういう損害があると主張しているというふうに書けば、メディアの責任は問われないと思う。すべての裏付けが取れない中でやっていらっしゃると思うけれど、工夫してやっていただきたいなということで、やるなということでは、もちろんない。
熊本の2局の当該局研修で、記者の方ではベテランの方から若い方まで、と話してきた。やっぱり経験によって判断の違いはあるし、このケースだといろいろ考えるという方もいるし、そうじゃない方もいるし、そこは、ケースによってだいぶ変わってくるだろうと思う。さっきの連続殺人と言われるようなケースで、絶対ここは負けない、つまり裏付けのある部分、そこは絶対ということもあるでしょう。そこを含めてどこまで何をどう書くかのかは、まさに工夫のしどころだという気はする。

(市川委員長代行)
私も、あまり一般化して、こう書けばいいとか、そもそも書いちゃダメだとか言うつもりは全くない。今回で言えば、容疑を認めているという、その与える印象が非常に強いわけで、そうであるとすれば、どこまで認めているということなのか、きちっと吟味していただきたいし、放送するときには気を遣っていただかないといけないということが、今回のメッセージだと思っている。

(F)
「容疑を認めている」とは、我々としては、要するに逮捕容疑を認めているという趣旨で書いているつもりだったが、そこを指摘されたので、今、いろいろ揉んでいる。実態はケース・バイ・ケースだが、なるべく分けるようにして書く、逮捕容疑と警察の経緯の見立ての部分は分けて書くが、放送時間が短くなると、どうしても経緯の部分とか動機の部分が重要だったりするので、一緒になってしまって、このまま逮捕容疑を認める、一部を認めるにしようかみたいな、いろいろな議論をしているが、ちょっと難しい部分がある。
BPOの意見は承るが、なかなか原稿に書くと難しい部分があるなというのが現実の問題、現場がやっぱり混乱して、ずーっとそういう状態が続いているが、それはちょっとご理解いただきたいと思う。
副署長が言ったからといって、余分なことを書くべきではないと言うと、若干、現場が萎縮する。やっぱり副署長が言ったこと、取材のやり取りで聞いたものを書くのが記者だと思う、特に第一報であれば。

(坂井委員長)
余分なことを書くべきじゃないというような、シンプルな言い方はしていない。そういう考え方もケースによったらありますよね、ということを申し上げた。事案によってはこの段階では書かないという選択肢もあるかもしれない、書くのだったら、誤解されないように書いたほうがいいのではないかと申し上げた。

(G)
両局ともフェイスブックの写真を使っている。フェイスブックの写真を大写しで放送に使われたことが、どれぐらい申立人の不安というか怒りの部分に影響しているとお考えか?

(坂井委員長)
ヒアリングのときの話は正確に思い出せないが、やっぱり写真を大きく出されたことは、かなり彼にとって大きなことだったのじゃないかなという印象は持っている。それで、彼は肖像権侵害と言っているわけだが、それは違いますよと、我々は思っている。
ただ、肖像権の問題は、法律的にはまだきれいに整理されていない。著作権に関する報道引用の問題と肖像権の問題は違うので、これから議論して行かないといけない。フェイスブックの写真について、犯罪報道の時には写真を使っていいよという考え、要するにフェイスブックの写真は公開されるという前提だから、今は使うことが基本的にOKだろうという方向で扱われているが、本件のような見方をする人が増えてくると、配慮が必要な場合もあるかもしれない。別の集まりで、軽井沢のバス事故の被害者の写真について、あのケースはどうだったのだろうかとテレビ局の方と話をしたことがある。フェイスブックから引っ張ってきて写真を載せたテレビ局は多くあったと思うが、被害者のほうでも、載せてOK、むしろ載せてもらいたいという方たちがいる一方、いや、こういうところで、そういう写真を使ってほしくないという遺族の方がいるので、これからきっと議論されていくのかなという気がしている。

(市川委員長代行)
たしかにフェイスブックの全身に近い画像が、しかも複数回出てきているところがあって、ちょっと通常の写真の扱いとは違うところがあるのかなとは思う。それは権利侵害とか問題があるとは我々は考えなかったが、ここまでやるのかと、申立人は思ったのかもしれない。どこが彼の琴線に触れたのか、正直、そこまではヒアリングのときには分からなかったが、その扱いの違いというものがあるかもしれない。そこは少数意見として曽我部委員がちょっと触れているところではあるが、果たしてここまでやる必要があったのかという問題意識は、私も無いわけではない。

(曽我部委員)
ヒアリングのときの若干の記憶がある。申立人はフェイスブックに写真は載せるが、それはまさに知り合いとかと交流するために載せるのであって、たしかに一般公開の設定にしてはいるけれども、そういう本来の目的と違う文脈で使われるのは心外であるというようなことは、たしかおっしゃっていたような気はする。
多分、そういう感情は割りと一般的で、フェイスブックのルール上は一般公開で何に使われてもしょうがないとなっているはずだが、ユーザーの意識はそこまで割り切れてなくて、やっぱり全然違う文脈、とりわけ自分が被疑者扱いで使われることは、当然想定していなくて、非常にわだかまりを感じるということは、ある意味理解できる。

(G)
今回は写真の出どころがフェイスブック、自分が載せたフェイスブックだが、昔は知り合いから顔写真を提供してもらうというパターンだった。そういう写真か何かであれば、こういう問題にはならなかったということか?

(曽我部委員)
昔だったら卒業アルバムとかの写真を使っていたと思うが、あれも、卒業アルバムに載せた本来の目的で放送で使われているわけではないという意味で同じだとは思うが、やっぱり感情的には大きな違いはあるとは思う。

(G)
おそらく熊本の地元にとっては、市役所の職員が逮捕される大きい事件で、おそらく全社が扱っていたのかなと思うが、新聞も含めて同じようなことが書かれているにもかかわらず、なぜ申立て対象がこの2局だけだったのか、問題ありと認定されたのはどうしてなのか?

(坂井委員長)
当時、熊本で公務員不祥事が続いていたということもあって、当然、熊本の民放、NHKも含めてテレビ局はみんな報道している。なぜ、この2局なんだということは、やっぱり当該局も思っていらっしゃるようだ。ただ、我々としては申立人からそこを正確に聞いたわけではないが、おっしゃるような扱い方だとか写真の使い方が影響したのだろうなと私は思っている。彼は報道されているときは逮捕されているから見ていない。出てきてから報道されたものを見て2局を選んだということなので、それは、当然、放送内容で選んだと思う。

(市川代行)
我々もほかの局の放送は見ていないので、ちょっと比較のしようがないというところがある。ただ、印象としては、たしかに写真の問題というのは、彼があえて2局を申し立てたという中にはあったのかもしれない部分と思う。それから、ほかの局や新聞報道はみんな同じ内容だったと言えるかというと、違いはあるだろうし、実際に新聞報道もよく子細に読むと、警察の見立ての部分の書き分け方などでニュアンスは違うなと個人的には感じている。

(H)
全体を通してだが、委員会の中で、少数意見をどういうふうに考えてらっしゃるのか伺いたい。NHKのSTAP事案も、それからこの熊本の事案も少数意見があって、少数意見があるから、当該局というか、各局の中にやっぱり戸惑いが結構ある。必ずしも決定文が十分理解されてない部分があると思う。
放送局にとって、人権侵害とか放送倫理違反は大変重い決定で非常に重く受け止める。特に今回のように複数の少数意見が付くのであれば、人権侵害とか放送倫理違反の認定にあたって、もう少し議論を集約させるまで慎重に審理をしていただくとか、何かそういうことは考えられないものなのか。あるいは、少数意見がある場合に決定まで持ち込む、ある種のコンセンサスというか、どういうルールでやっておられるのか?

(坂井委員長)
運営規則上は全員一致とならない場合は多数決でこれを決する、可否同数の場合は委員長が決するという規定だ。全員一致なら、それは一番分かりやすいけれども、最後は結論を出さないといけないので多数決で決めるしかない。
具体的にどうやっているのかというところは抽象的にしかお話できないが、9人全員に意見を自由に言ってもらう、率直に言って意見が違うときは、かなり激しく議論をする(笑)。それが収れんしていって、意見が全員一致になれば全員一致の意見になるし、そうじゃないときは少数意見を書いていただくようになる。少数意見を書かれる方も、もちろん最初から結論を持っているわけではないから、「うーん・・・」ということで、ある時点で「やっぱり書きます」と、そういうことになる。
少数意見があるということは、私はあまり否定的に考えていない。例えば、普通の裁判所の3人の合議体では少数意見は書かない。実は割れていたかもしれないが、少数意見は書かれない。しかし最高裁ではある。委員会では少数意見が出ることによって、委員会でどういう議論がなされたか、中身が見えてくるので、私は個人的には肯定的に捉えている、ああ、そういう議論をしたんだなと。それは、例えば人権侵害ありと言うときに少数意見があるのか、それとも放送倫理上問題ありと言うときにどういう少数意見がどれだけあったのかで、方向性が全然違ってきて、際どいところで人権侵害にならなかったというケースもあり得るし、逆にギリギリのところで人権侵害があったと判断されるというケースもあり得るわけで、そういうことが少数意見の存在で分かってくる。3人ぐらいの少数意見があったケースは過去に何度かあるが、どういう議論がなされて、判断の違いがどこにあるのかが、むしろ分かったほうがいいのではないか。
STAP事案でも少数意見はあったが、これは人によって判断が変わってくる領域で、数学の計算式みたいに答えが一つしかないという問題ではなく、また、時代が変わったりすれば見方も変わってくる。委員会がどういう議論をしているのかが見えるという意味で、全員一致であれば一番分かりやすくていいが、議論をしても一つにまとまらない場合、少数意見の人はこういうふうに考えたということが分かることを、むしろプラスに考えていただけないかなという気がしている。

(市川委員長代行)、
起草担当者としては、委員の皆さんの意見も聞きながら、最大公約数の部分を取り込みつつ議論・起草をしているつもりだが、やはり、そうは言っても、どうしても多数意見の枠外に出ざるを得ないという意見が出てきてしまうことがある。どうしても一つに全部まとまるというのは難しいなというときもある。最初から少数意見を書くことありき、ということでは決してない。

以上

2017年度 第66号

「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」に関する
委員会決定

2017年8月8日 放送局:テレビ静岡

見解:要望あり
テレビ静岡は2016年7月14日のニュース番組『FNNスピーク』等において、「静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった事件で、捜査本部は関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関連を調べています」等と放送した。
この放送に対し申立人は、「殺人事件に関わったかのように伝えながら、許可なく私の自宅前である私道で撮影した、捜査員が自宅に入る姿や、窓や干してあったプライバシーである布団一式を放送し、名誉や信頼を傷つけられた」等と訴えた。
委員会は、審理の結果、本件放送に申立人の人権侵害(名誉毀損、プライバシー侵害)はないと結論した。放送倫理の観点からも問題があるとまでは判断しなかった。しかし、今回、自局のニュースが委員会の審理対象になったことを契機に、人権にいっそう配慮した報道活動を行うための議論を社内的に深めることをテレビ静岡に要望した。

【決定の概要】

2016年7月8日、静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった。本件放送は、同月14日、テレビ静岡がこの浜名湖事件の捜査の進展状況を午前11時台から午後6時台に4回、ニュースとして伝えたものである。
本件放送は、「関係先とみられる県西部の住宅などを捜索し、複数の車を押収し、事件との関連を調べている」、「関係者から事情を聴いている」というテレビ静岡が独自に入手した捜査本部の動向を含む内容だった。これらは申立人宅の一部や敷地内で押収された車が運ばれる場面などの映像とともに放送された。
申立人は、後に浜名湖事件の容疑者として逮捕される人物と交遊があり、この人物から軽自動車を譲り受けていた。この車がこの日、申立人宅の敷地内で押収された。申立人は、捜査員は浜名湖事件の容疑者による別の窃盗事件の証拠品として車を押収しただけだったにもかかわらず、本件放送は浜名湖事件に関係のない申立人を事件に係ったかのように伝えたとして、人権侵害(名誉毀損、プライバシー侵害)を委員会に申し立てた。
テレビ静岡の取材経緯や多数の捜査員を動員した警察当局の行動から分かるように、当日、申立人宅で行われた捜査活動が浜名湖事件捜査の一環だったことは明らかである。
委員会は、本件放送の映像を検討し、申立人宅の一部が映った映像によってただちに申立人宅と特定されるとはいえないと判断した。しかし、当日朝の警察の活動は申立人宅周辺の人々の耳目を集めるものだったと思われ、そうした人々が後に本件放送を見て、申立人宅を特定した可能性は否定できない。
本件放送には「関係先の捜索」、「関係者の聴取」といったスーパーが伴っていた。その結果、本件放送によって、申立人宅が浜名湖事件の「関係先」として、申立人が「関係者」として、申立人宅周辺の人々に認知され、申立人の社会的評価は一定程度低下しただろう。
しかし、殺人事件の捜査状況を伝える本件放送には公共性・公益性が認められる。そのうえで、委員会は、「関係先」、「関係者」、「捜索」という表現を含めて、本件放送が伝えた事実の重要部分の真実性ないしは相当性を検討し、真実性ないしは相当性が認められると判断した。したがって、本件放送は申立人への名誉毀損に当たらない。
申立人は、本件放送で流れる布団や枕が映った申立人宅の映像などが申立人のプライバシーを侵害していると主張する。しかし、これらの映像で映された対象自体は他者に知られることを欲しない個人に関する情報や私生活上の事柄とまではいえないから、プライバシー侵害は認められない。
放送倫理の観点からも委員会は本件放送に問題があるとまでは判断しなかった。しかし、取材過程で、捜査活動の目的は申立人宅の家宅捜索ではなく、敷地内に駐車していた軽自動車の押収だったことが推定できたのではないか。そのような捜査活動の全体状況に考慮して、プライバシー侵害に当たらないとはいえ、繰り返し流れた「関係先の捜索」というスーパーを表示した申立人宅の一部の映像はより抑制的に使うべきだったのではないか。本事案は、たとえ実名や本人を特定する内容を直接含むものでなくとも、テレビニュース、とりわけ犯罪に係るニュースが当事者に大きな打撃を与える場合があることを教えてくれたものといえる。委員会は、今回、自局のニュースが委員会の審理対象になったことを契機に、人権にいっそう配慮した報道活動を行うための議論を社内的に深めることをテレビ静岡に要望する。

全文PDFはこちらpdf

2017年8月8日 第66号委員会決定

放送と人権等権利に関する委員会決定 第66号

申立人
静岡県在住A
被申立人
株式会社テレビ静岡
苦情の対象となった番組と放送日時
2016年7月14日(木)
『FNNスピーク』
  午前11時37分頃(全国ネット)
  午前11時48分頃(ローカル)
『てっぺん静岡』 午後 4時25分頃(ローカル)
『みんなのニュースしずおか』 午後 6時14分頃(ローカル)

【本決定の構成】

I.事案の内容と経緯

  • 1.本件放送内容と申立てに至る経緯
  • 2.論点

II.委員会の判断

  • 1.はじめに――何を問題にすべきか
  • 2.名誉毀損について
    • (1) 判断の前提
    • (2)「関係先」、「関係者」という表現
    • (3)「捜索」について
    • (4) 名誉毀損についての結論
  • 3. プライバシー侵害について
  • 4. 放送倫理の観点から

III.結論

IV.放送概要

V.申立人の主張と被申立人の答弁

VI.申立ての経緯および審理経過

全文PDFはこちらpdf

2017年8月8日 決定の通知と公表の記者会見

通知は、2017年8月8日午後1時からBPO第1会議室で行われ、このあと午後2時から千代田放送会館2階ホールで公表の記者会見が行われた。
詳細はこちら。



2017年7月に視聴者から寄せられた意見

2017年7月に視聴者から寄せられた意見

国会審議におけるテレビ各局の報道姿勢が、政権批判や総理批判などに偏り過ぎているのではないか、といった意見。九州北部地方で記録的な豪雨により大きな被害が出たが、災害時の報道のあり方や、視聴者投稿映像に関する意見など。

2017年7月にメール・電話・FAX・郵便でBPOに寄せられた意見は2,947件で、先月と比較して1,103件増加した。
意見のアクセス方法の割合は、メール77%、電話21%、FAX1%、手紙ほか1%。
男女別は男性71%、女性28%、不明1%で、世代別では30歳代27%、40歳代26%、50歳代18%、20歳代16%、60歳以上10%、10歳代3%。
視聴者の意見や苦情のうち、番組名と放送局を特定したものは、当該放送局のBPO連絡責任者に「視聴者意見」として通知。7月の通知数は1,508件【54局】だった。
このほか、放送局を特定しない放送全般の意見の中から抜粋し、22件を会員社に送信した。

意見概要

番組全般にわたる意見

国会審議におけるテレビ各局の報道姿勢が、政権批判や総理批判などに偏りすぎているのではないか、といった意見が多く寄せられた。また、九州北部地方で記録的な豪雨により大きな被害が出たが、災害時の報道のあり方や、視聴者投稿映像に関する意見も多く寄せられた。
ラジオに関する意見は45件、CMについては34件あった。

青少年に関する意見

7月中に青少年委員会に寄せられた意見は233件で、前月から67件増加した。
今月は「暴力・殺人・残虐シーン」が53件と最も多く、次に「表現・演出」が45件、「報道・情報」が37件と続いた。
「暴力・殺人・残虐シーン」では、高校生を主人公にした連続ドラマでの暴力シーンについて意見が寄せられた。「表現・演出」では、バラエティー番組で芸能人を万引き犯に仕立てて、だます「ドッキリ企画」について意見が寄せられた。「報道・情報」では、芸能人夫婦の離婚問題の報道について意見が寄せられた。

意見抜粋

番組全般

【取材・報道のあり方】

  • 九州北部の豪雨に関する視聴者からの動画が放送されていた。なかには、周囲の住宅が今にも濁流に飲み込まれようとしているなど、危険が差し迫っていることがうかがえるものがあった。一方で、各局のニュースで、直ちに命を守るための行動をとるように呼び掛けていた。これは矛盾した行為ではないか。メディアが視聴者投稿を放送していることが、視聴者の安易な行動を促す一因になっている。少なくとも進行中の災害については、全メディアが協定し、視聴者からの投稿の放送を控え、避難を優先するよう呼びかけるべきではないか。

  • 6月の視聴者意見で、スクープ映像募集のあり方について、新潟県三条市の寺での火災におけるスマホ撮影の意見があったが、私も全く同感である。以前、交通事故をニヤニヤと撮影して去って行った人を見たことがある。救助や通報、誘導と居合わせた多くの人が協力して命を救おうとしている現場でだ。相変わらず各局では「あなたのスクープ映像を送って下さい」とPRしている。先日の豪雨災害でも、身の安全が先決であるにもかかわらず、無理な状況から洪水の映像を放送局に送ったスマホユーザーも多かったようだ。素人が、緊迫した状況で撮影している余裕があるのなら、お年寄りなど地域の人の避難や保護のことを考えてはどうかと思う。安全やマナー・モラルを無視した映像でも、喉から手が出るほどほしいのだろうか。放送局の倫理観には疑問を抱かざるを得ない。

  • 福岡ドームで行われたプロ野球中継を見た。試合後のヒーローインタビューの際、アナウンサーがその日のヒーローの選手に「現在、福岡や大分が豪雨で大変なことになっています。それについて何か一言を」とマイクを向けた。ところが、その選手は豪雨のことを知らなかったようで黙ってしまった。無理もない。この日の午前中はそれほど激しい雨ではなかった。午後になって状況が変わり、短時間で大災害になったのだ。試合当日の野球選手は、心身ともにゲーム前の準備に没頭していて、ニュースを見聞きする余裕も無かったのだろう。選手が黙ってしまったところで、アナウンサーはそのことを察しフォローすべきだったのに、同じ質問を再度繰り返した。その間、選手は無言でうつむいたままだった。アナウンサーとして臨機応変に対応できなかったことが残念だし、選手のイメージが悪くなるのではないかと心配してしまった。

  • 都議会議員選挙前の各局の報道姿勢について。元秘書に対して暴言を吐いた女性議員がいた。確かに、彼女の態度はあるまじき行為だと思うが、それを伝えるマスコミの表現方法に問題はなかったのか。罵声を大きな音声とともにテレビ画面一杯に大きな文字で映し出す。それが何回も何回も繰り返された。他局へ替えても、同様に見せつけられた。このことが視聴者の意識、あるいは都議選候補者の選考基準に影響を与えないわけがない。政治の公平中立性という放送倫理に反している。テレビ局側のインパクトのある内容ばかり優先され、視聴者側の見る権利が疎外されている。悪害演出に対し、自制を求める基準と警告を希望する。

  • どの番組も現政権の批判を主としている。日本では表現&思想信条の自由があるが、公共の電波を使って偏った物の見方を是とする番組は問題がある。各番組とも「~と思う」「~と思われても仕方ない」という、憶測や推定の不確かな根拠を基に現政権を非難する報道を繰り返している。現政権に明確な非があり、物的証拠をもって非難するのなら理解できる。しかし憶測に基づく偏った非難は、どう考えても番組側の思想を視聴者に強制する行為だ。テレビを見ている人は「テレビが言うのだからそうなのだろう」と影響を受け、テレビが望む方向に思想が傾倒する可能性がある。賛否のある問題、特に政治問題は多角的に取り上げ、中立公平な情報を基に視聴者に判断させるのが望まれる。また、中立性を保つというアリバイ作りとして、政権を擁護する立場のコメンテーターを呼ぶ番組もあるが、その場合、そのコメンテーターが話をし始めると司会者がそれを遮ってコメントを途中で中断させることも多々ある。こんな不誠実な番組が存在しているのは異常だ。

  • 最近、偏向報道が進んでいる気がする。特にインターネットで流れる情報と、テレビの情報の乖離が激しい。国民がテレビから離れていくというのも納得できる有様になっている。政治を報道するということは、2つの対立する立場の中で、両方の立場からの意見を平等に報道しなければいけないのではないか。

  • 所沢市の小学校の児童が教師から体罰を受け、学校側が謝罪しているということは何らかの実態があったかもしれない。しかし、被害保護者からの視点だけで報道されている。学校での教師と被害児童とのやり取りを目にした児童の中には、食い違う話をしている子もいるらしい。被害者だけに視点を置いて大人目線での報道でいいのか。もっと配慮はないのか。体罰は許されることではないが、先生は教育熱心で評判が良かったことも事実ではないのか。実際、この出来事が身近で起き、背景が見える者としては、報道が適切なのか疑問を感じた。

  • 私は児童クラブの職員をしている。小学生の子ども達と学校が終わってから過ごしているのだが、子ども達が時と場所を選ばずに「このハゲー」と叫ぶことがある。言葉の意味など関係なく使っているようだ。また、児童クラブの職員である私に「バイアグラってなに?」と悪気なく聞いてくるが、説明していいのかどうか悩んでしまう。今日から夏休みになり、子ども達もテレビを見る機会が増えるだろう。問題になっている投稿映像や暴言を吐いている音声を放送することはやめてほしい。

【番組全般・その他】

  • 日曜朝の番組で、およそ15分にわたり、特定の政党の批判をしていた。今日が都議会議員選挙の日であることを考えると、少し行きすぎているように感じる。もちろん報道の自由はあると思うが、これがたとえ、他の政党批判であっても、今日という日は、特定の政党を長時間批判する見せ方は控えるべきではないか。

  • 朝の番組は、重要なニュースそっちのけで芸能関係の話題ばかり伝えているが、政治経済や気象情報、地域のニュース等々、もっと優先して報道すべき話題はいくらでもあるではないか。朝早くに出勤するサラリーマンにとって、番組は大切な情報源であり、ゆっくり番組を見る暇もないという人々に配慮すべきではないのか。重要性のある話題に特化したような硬派なものだけで十分だ。

  • 昼の番組で「都知事初登庁の際、都議会議長が知事の握手を拒否した」と虚偽の内容を伝え、さんざん議長を批判した。実際には握手していたのに、である。捏造ではないか。しかも1年も前の映像を一部分だけ切り取って都合よく編集するなど、世論操作にも等しい。以前より感じていたが、この番組は、政権批判など偏向がひどい。テレビの影響力を考慮し、公平・公正な放送をするべきだ。

【ラジオ】

  • プレゼントでの選考に異議あり。「この夏、会いに行きたい人は誰ですか?会いたい理由やエピソードを番組中紹介させて頂いた方から抽選で往復航空券を差し上げます」。この内容でリスナーからコメントを募集して番組内でも多数紹介されていた。しかしプレゼントが当選した人は「この夏、会いに行きたい人は誰ですか?」にコメントした人でなく、「ハワイ島に行きたい」とコメントした人だった。無関係のコメントをした人に当選させるのは、懸賞に関する定義にも違反しているとしか思えない。スポンサーが9月から路線を開設するにあたり、番宣のために「ハワイ島に行きたい」という人を当選させたとしか思えない。そのような趣旨であれば、「ハワイ島就航を祝し、ハワイ島への想いをお聞かせ下さい。その中からプレゼントいたします」ではないか。リスナーをだますような番組は好ましくない。

【CM】

  • サプリメントや化粧品のCMなどで「これは良く効きます」と出演者が効用を強調する。その上で「これは個人の感想です」と、見えないくらい小さく画面の隅に出す。こうすれば薬事法違反にならないのか。誇大広告にならないのか。「個人の感想」というのは、表現の自由とはいえ、ひどすぎる。消費者トラブルに繋がるように思う。

青少年に関する意見

【「暴力・殺人・残虐シーン」に関する意見】

  • 高校を舞台にした連続ドラマで、暴力的なシーンがひどい。小中学生でも見られる時間帯に放送しており、現実のいじめなどにもつながる可能性がある。これで類似の事件が起きれば、このドラマが起因となったと感じてしまう。

【「表現・演出」に関する意見】

  • バラエティー番組で芸能人へのイタズラとして、万引き犯に仕立てるドッキリ企画があった。ドッキリをかけられた芸能人への人権侵害にもなるし、視聴者、特に子どもへも悪影響だ。これを真似する人が出てきたり、いじめにつながる可能性もある。

  • 医療を扱った情報バラエティー番組で、モザイクなしに手術映像を画面いっぱいに流していた。そういう映像に耐えられない子どもへの配慮がない。子どもにとってトラウマになりかねない。

【「報道・情報」に関する意見】

  • 女優の離婚騒動を取り上げる際、本人がネットを使い、個人を中傷し続けている映像を、テレビでも放送し騒いでいるのを見るのは非常に不愉快だ。一方的な恨みを晴らす道具に使うことがまかり通ると思うと、子どもにも悪影響だ。

  • 高校野球のニュースを取り上げる際、東京のある高校の一選手をスター扱いして流し続けることは不愉快だ。青春を賭けた高校生をもっと平等に扱うべきだ。偏った放送はやめてほしい。

第194回 放送と青少年に関する委員会

第194回-2017年7月25日

視聴者からの意見について…など

2017年7月25日、第194回青少年委員会をNHK放送センターで開催しました。この日は午前中から同センターで中高生モニター会議を行ったため、委員会も引き続き同じ場所で開催しました。7人の委員全員が出席し、まず6月16日から7月15日までに寄せられた視聴者意見について意見を交わしました。
視聴者意見に関しては、高校を舞台とした連続ドラマに対して「暴力を助長しているようで、不愉快だ」など主に暴力的な表現を問題とする意見が多数寄せられました。委員会ではこの番組について討論することとして、委員全員が番組を視聴したうえで意見を出し合いました。その結果、委員会としては、「連続ドラマの初回であり、今後の放送も見守りたい」として、現段階では審議などに進む必要はないとの結論となりました。
また、いわゆるドッキリ企画で芸能人を万引き犯に仕立てるという設定をしたバラエティー番組に関して、「冤罪は、人生をだめにするという意味ではしゃれにならないことである。企画をたてるときには、そういう点も考えてもらいたい」などの意見が出されました。
そのあと、6月の中高生モニター報告に続いて、6月30日に開催された意見交換会(山陰地区)の模様が報告されました。
8月は休会とすることを確認、次回は9月26日に定例委員会を開催します。

議事の詳細

日時
2017年7月25日(火) 午後4時45分~午後7時00分
場所
NHK放送センター 474会議室
議題
出席者
汐見稔幸委員長、最相葉月副委員長、稲増龍夫委員、大平健委員、菅原ますみ委員、中橋雄委員、緑川由香委員

視聴者からの意見について

高校を舞台にした連続ドラマで、高校生同士の「殴り合い」のシーンなどが放送されたことに対し、「暴力を助長しているようで、不愉快だ」「子どものいじめを助長するような残酷シーンがあり、気分が悪くなった」「高校生が起きている時間帯に放送することは考え直してほしい」などの視聴者意見が多数寄せられました。この番組ついては、全委員が視聴し、委員会で討論しました。委員からは、「暴力をふるうシーン自体は多くはないが、追いつめられる恐怖感などが視聴者に嫌悪感を与えたのではないか。また、高校生が喫煙をするシーンも必ずしも否定的に描いていないように見えた」「作品としてはとても力が入っていておもしろかった」「自分の高校時代を思い出した。不良高校生に対する不安、恐怖はこうだったという感じもあり、あまりいやな印象はなかった」などの意見が出されました。委員会としては、連続ドラマの初回であり、今後の放送を見守りたいということになりました。
バラエティー番組で、芸能人を万引き犯に仕立てて、だますという「ドッキリ企画」を放送したことについて、「ドッキリをかけられた芸能人への人権侵害になり、視聴者、特に子どもへも悪影響だ」「子どものいじめにつながると思う。悪ふざけにも程がある」などの意見が寄せられました。これに対し、委員からは、「センスが良いとは思わないが、あれを見て、青少年がまねをするとは思わない」「痴漢の冤罪を思い出した。冤罪は、人生をだめにするという意味ではしゃれにならないことである。企画をたてるときには、そういう点も考えてもらいたい」などの意見が出されました。この番組については、現段階ではこれ以上話し合う必要はないとなりました。

中高生モニター報告について

34人の中高生モニターにお願いした7月のテーマは、「最近見たバラエティー・クイズ・音楽番組の感想」でした。また「自由記述」と「青少年へのおすすめ番組について」の欄も設けました。全部で32人から報告がありました。
「バラエティー・クイズ・音楽番組の感想」では、バラエティー番組について25人、クイズ番組について1人、音楽番組について6人から報告がありました。『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ)には最多の5人から、『THE MUSIC DAY 願いが叶う夏』(日本テレビ)には3人から感想が寄せられました。
バラエティー番組の「口にピンポン球を複数入れる」演出について疑問や意見を呈したモニターが2人いました。
また自由記述で〈ドッキリ企画の設定〉について「善意を利用して人をだますことになってしまったと感じる。“驚かす”ということが過剰になっているのではないか」という意見や〈東京都議会議員選挙開票速報〉について「スポーツ中継を見ているかのようなライブ感を楽しんだ」という感想がありました。
「青少年へのおすすめ番組」では、『ミライ☆モンスター』(フジテレビ)について「(中高生の)私たちは何かしら悩みの心の荷物を抱えている。そんなとき誰かが頑張っている姿を見るということは自分を勇気づけ、刺激し、奮い立たせてくれる」という感想を寄せるなど、2人のモニターが番組を取り上げていました。

◆委員の感想◆

  • 【最近見たバラエティー・クイズ・音楽番組の感想】について

    • 『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ)の海外で現地の人たちと共に色々なことに挑戦するコーナーについて、「笑いに国境はない」と感じたというリポートがあった。文化の違いを感じつつも、一方で笑いはいいものだなという感覚をテレビから受けているのは意味のあることだと思う。

    • 『日本ソダテル検定』(テレビ朝日)について、父親やコーチに厳しい言葉を浴びせられてもひたすらトレーニングを続ける卓球に取り組む少年を、「私は(親に)反発してしまいできないので尊敬する」というリポートを書いてきたモニターがいた。この番組については「虐待まがいじゃないか」といった視聴者意見が何件かあったが、このモニターは頑張っている少年の立場で番組を見ていたのだろう。面白いと思った。

    • 『ミュージックフェア』(フジテレビ)について「番組の歴史を感じることができました」という報告があった。この番組は一人の人物・歌手を丁寧に紹介するものだが、丁寧に音楽を聞き、その歌詞を知ってもらいたいという趣旨を理解して、番組を楽しんでくれたことはうれしいことだと思った。

  • 【自由記述】について

    • 女優がYouTubeにアップした夫らを非難する動画を番組で流すことについて、「YouTubeの映像をそのまま何回も流すのはどうなんだろう。興味がある人は自分で検索してみればいい」という意見があった。本当にその通りだと思う。

    • 豪雨やヒアリのニュースに関して「事実よりも視聴者を扇動するような内容しか放送していないと思った」という意見があったが、これは冷静に考える必要があるかもしれない。あまり不安を煽ることより、もう少し冷静に事実を報告してほしいということは確かに当たっている。

    • ラジオに関して対比的な意見が2つあった。一つは「ラジオに足りないのは『華やかさ』だ。有名な芸能人の方がラジオに出演すれば立ち位置も変わってくるのではないか」というもの。もう一つは「テレビにはないラジオならではの距離感で友達の話を聞いているようなリラックスした気分にしてくれます。ラジオは私たち学生に向いているメディアではないでしょうか」というものだ。2つの意見は、突っ込んでいけばそれほど違ったことを言っているのではないかもしれないが、ラジオについて両方とも関心を持っていることを示している。もう少しラジオについては議論しなければいけないのではないかと感じた。

    • ネット炎上を「桃太郎」で描いたCMが賛否両論を巻き起こしたことについて「少数の人が不快に思い問題にするとそれに加勢する形で規制してほしいと世の中が動き出してしまう怖さがある」という意見があった。社会の構造を分析的に読み解き、一定の表現の自由を守るために委員会が必要なのだという見方をしているところは、中学生にしてはなかなか深いと感じた。

◆モニターからの報告◆

  • 【最近見たバラエティー・クイズ・音楽番組の感想】について

    • 『THE MUSIC DAY 願いが叶う夏』(北日本放送/日本テレビ)1年間で最も楽しみにしていた番組だったので夢中になってみました。たくさんの夢のある歌をきいて、願いが叶う夏が来そうな気がしました(富山・中学1年・女子)

    • 『世界の果てまでイッテQ』(日本テレビ)明日から学校で嫌だな。憂鬱だなあという日曜夜の気持ちを解決してくれるように感じます。 飽きないのは、私の日常で考えることのできる考えの外側がふいに画面に出てきてハッとすることがあるからだと思います。素朴な疑問からスタートして見たことのない景色やお祭り、行事、出演者のふいの表情に惹きつけられます。ハッと感動する時とあまり考えずゆるゆる見ている時との配分バランスがいいのだと思います。(千葉・中学2年・女子)

    • 『日本ソダテル検定』(テレビ朝日)世界で活躍する子供がたくさん取り上げられ、感心するばかりだった。スポーツから音楽、英語までの分野に渡り、その道を極めている同年代、あるいは私よりも若い人たちがみんな誇れるものがあって羨ましいということと、私にはそういう特技がないという焦りを感じた。どの親子にも共通することは、親が子供の幼い頃から練習をさせ、それを習慣化させていることだ。親子の絆がとても強いと感じた。私は親に教わるということがどうしても反発してしまい出来ないので尊敬する。(東京・高校1年・女子)

    • 『世界の果てまでイッテQ』(讀賣テレビ/日本テレビ)この番組では誰もが本気を出している様子が見られ、とても爽快でした。しかし、違和感を感じたところもありました。今回はプロのマジシャンで口の中にピンポン球を4個入れる方が登場しました。それに挑戦した出演者が無理をして、明らかに顔色がおかしくなっていました。限度を超えたチャレンジは危険だと感じました。私の大好きな番組だけに少し心配になりました。(兵庫・高校2年・女子)

    • 『GROOVER‘S DIVE』(ZIP-FM)学生を対象に制作されていて、自分と同じ年の子の最近起こったことや思ったことをリアルタイムで知ることができ、自分の経験と重ねて共感したりして、とても身近に感じます。テレビにはないラジオならではの距離感で友達の話を聞いているようなリラックスした気分にしてくれます。テレビでは画面を見て音を聴いて迫力満点の番組が放送されています。一方ラジオでは映像がなく音だけの番組でテレビよりも地味な印象を受けます。だからこそ,逆にラジオは私たち学生にむいているメディアなのではないでしょうか。ラジオ番組は学校への登下校のときや勉強しているときなど「○○しながら」聞くことが出来ます。ラジオ番組はテレビ番組に負けないくらい面白いものなんだとラジオを聴かない人に知ってほしいと思いました。(愛知・高校2年・女子)

    • 『MUSIC FAIR』(テレビ愛媛/フジテレビ)この番組は、ほとんどの曲が生演奏をバックに歌っていて、CDとは違った演奏で聞くことが出来ます。セットも美しく、好きです。たまに昔の映像だけ放送する回もあり、昔の映像が好きな自分としては、それも楽しみです。VTRで石川さんが番組に初出演した時の映像が流れていて、代表曲である「津軽海峡冬景色」が1977年に発表された歴史のある曲であることを知り、石川さんがその曲を歌ったのが19歳の時であると知り驚きました。そんな昔の映像が同じ番組で見られるのも、この番組が長年続いてきたからであり、改めて番組の歴史を感じることができました。落ち着いて見ることができる番組だと思います。(愛媛・高校2年・男子)

  • 【自由記述】

    • 最近賛否両論となったACジャパンの桃太郎のCMですが、ネット炎上だけでなく、テレビ放送にも少し関係があると思いました。少数の人が不快と思い問題にすると、それに加勢する形で、規制してほしいと世の中が動き出してしまう怖さがあるような気がします。一定の表現の自由を守るために、放送倫理委員会が必要なのだなと思いました。(神奈川・中学1年・男子)

    • 最近、ある女優の動画がよく流れているが、YouTubeの映像をそのまま何回も流すのはどうなんだろう、と思った。興味がある人は自分で検索して観ればいいので、朝の情報番組などで毎日のように取り上げなくてもいいのではないかと思った。(東京・中学2年・男子)

    • 自分より少し年上の人たちが頑張っていて、励みになりました。音楽以外でも中学生棋士や卓球など幅広い分野で中学生が活躍していることを最近のテレビやニュースでたくさん知ることができるのは、とてもうれしいです。(滋賀・中学2年・女子)

    • 最近のバラエティー番組はあまり面白くないと私は感じます。それと同時に、友達とテレビの話をしなくなったと思います。このふたつのことは、とても関係が深くさびしいと思いました。(秋田・中学3年・女子)

    • 「ドッキリ」が人の善意を利用して、人をだますことになってしまったと感じます。「驚かす」という意味が、どんどん過剰になっていると思います。今の番組を見ていると、そこが少し心配です。(東京・中学3年・女子)

    • 東京都議選の開票速報番組をいくつか見ました。社会的に注目を集めている選挙であるということで、見たいと思いました。小さい頃はつまらないと思っていましたが、今ではスポーツ中継を見ているかのようなライブ感を楽しめました。(長野・高校1年・男子)

    • バラエティーは特にあると思うが、視聴者の感情をある程度コントロールする編集をしていたりするので少し批判的に見たりする必要がある。効果音、アナウンス、音楽など視聴者のムードを左右する仕掛けがあちこちにばらまかれている。大体どこの番組もどの芸能人が悪いという印象を与えないようにしている。しかし、町でのインタビューは編集され、一つの意見が多かったように錯覚させることが可能なので全て鵜呑みにはできないと思って私は見ている。バラエティー番組はあくまでエンターテインメントで楽しいことが第一なのでそういうことはしょうがないと思う。そしてそういう工夫もあるからこそわかりやすい。(東京・高校1年・女子)

    • 九州の大雨やヒアリの話題で、ニュース番組は事実よりも視聴者を扇動するような内容しか放送していないと思った。(東京・高校2年・男子)

    • ラジオは音だけなので聴く人の想像力が大切になりますが、テレビは簡単に華やかな世界が見られるところが魅力だと思います。ラジオに足りないのは「華やかさ」ではないかと思いました。有名な芸能人の方がラジオに出演すれば、ラジオの立ち位置が変わってくるのではないかと考えます。(青森・高校2年・女子)

    • 今回の九州の大雨災害で多くの方が犠牲になりました。その中で、九州の豪雨とそれに伴う土砂災害の危険を警告する報道が胸に迫りました。特にNHKのアナウンサーの方たちの迫真の報道が印象的でした。東日本大震災の時を思い起こすような、切実な訴えが届きました。伝える人たちの「命を守りたい」という想いが感じられました。もしもの時、人々の命を救うことも報道の重要な責務であると思いました。(東京・高校3年・女子)

  • 【青少年へのおすすめ番組について】

    • 『ミライ☆モンスター』(フジテレビ)自分が詳しく知らない競技の選手を取材した番組であっても興味を持って見ることができます。30分という短い時間の中で、見ごたえのあるノンフィクション番組を見れるのも魅力の1つだと思います。中学生や高校生の私たちは、進路や友人関係や何かしらの悩みの心の荷物を抱えていると思います。そんな時、自分とは面識のない、全く知らない人であっても、誰かが頑張っている姿を見るということは自分を勇気付け、刺激し、奮い立たせてくれるものだと思います。特に、それが同年代ともなるとより一層です。だから、この番組を見ていると、自分より頑張っている人がいる、わたしも頑張らないと!と思うことが出来ます。(埼玉・高校1年・女子)

    • 『究極の○×クイズSHOW!! 超問!真実か?ウソか?』(日本テレビ)このクイズ番組はあまり好きではない。プレゼンターの主張が弱く葛藤して答えをみちびくというよりは勘で答えを決めるみたいな問題になっていて特徴が生かせておらず、一般には絶対にわからない問題を勘で答える番組になってしまっていると思う。(東京・高校2年・男子)

◇中高生モニター会議について◇

7月25日午前11時からNHK放送センターで中高生モニター会議を実施しました。全国から集まった25人の中高生モニターと委員7人、それにNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』を担当している池田由紀チーフ・プロデューサーが参加しました。
会議は午前11時から午後4時過ぎまでの間、スタジオ等の見学、池田チーフ・プロデューサーとのドキュメンタリー番組を巡る議論、番組企画のグループワークなどを行いました。中高生モニターたちは放送局の仕組みや番組作りなどについての知識を深め、委員は中高生の放送への考え方や感覚を実感したようです。この会議の詳細は後日BPOウェブサイトに掲載する予定です。

調査研究について

調査業者を決定し調査の基礎となるサンプリングの作業を始めたことが担当委員から報告されました。調査は9月中旬に実施し、年内にはその結果がまとめられます。その後、調査結果に関して放送局の関係者から意見聴取することなどを検討していることが説明されました。

今後の予定について

  • 今後の日程を次のとおり確認しました。8月8日、東海テレビ(名古屋市)が開催するメディアリテラシー企画『夏休み!みんなのテレビスクール』に中橋雄委員を講師派遣。10月24日、静岡市にて意見交換会(静岡地区)。これには濱田理事長も参加。