『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮』についての提言
はじめに
「放送と青少年に関する委員会」は、2001年11月から報道・ニュース番組の衝撃映像と子どもへの 影響などについて、アメリカの同時多発テロ事件後のテレビ放送に関する論文、日本の子どもと保護者、教師などへのアンケート結果なども参考にしながら、議論を重ねてきました。
その結果を、2002年度3月15日に「提言」としてまとめました。
「衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮」についての提言
テレビの事件・事故報道は「事実」であるためのインパクトをもっているので、放送する側の意図を離れて、青少年に大きな心理的影響を与えることがある。このことについては、日頃子どもたちと接することの多い教育関係者やカウンセラーの間で指摘されながら、放送界では広く論議すべき共通の課題として必ずしも重視してこなかった。各放送局の報道ガイドラインなどにも子どもの視聴に十分配慮した規定は少ない。
「放送と青少年に関する委員会」は、発足当初から、この問題に関心を持ってきた。大阪の小学校児童殺傷事件やアメリカ同時多発テロ事件などの重大な事件が続発する時代状況を考え、改めて、衝撃的なテレビニュース・報道番組の子どもへの影響を議論した。
調査、研究データや議論の積み重ねも少なく、結論を出すのは難しい面もあるが、重要な課題なので、あえて放送界に一石を投ずるために、当委員会としては現在の考え方をまとめて「提言」とすることにした。放送関係者は問題提起として受け止めて論議を深めてほしい。
アメリカ同時多発テロ事件を受けて、臨床教育研究所「虹」が教師や親を対象に実施したアンケート調査によると、テレビニュースで飛行機が世界貿易センタービルに激突する瞬間などを見た幼児が「飛行機やヘリコプターを怖がる」「子どもだけでは眠れなくなった」「怖がってトイレへ行けなくなった」などのケースが報告されている。また、親たちの中には「死の重み、命の尊さが分からなくなってしまいそうだ」「刺激に対して鈍感になるのではないか」「戦争をゲーム的に捉えるのでは」などと、子どもの受け止め方に対する不安を抱いた人も多かったという。そして、「ショッキングな映像を繰り返さないでほしい」「子どもたちにも分かる解説のあるニュース番組を増やしてほしい」などの注文も出ている。
テレビ報道が「事実」を伝えるのは、国民の「知る権利」に応えることであり、民主主義社会の発展には欠かせないものである。その伝える内容が暗いものであったり、時にはショッキングな映像であったとしても、「真実」を伝えるために必要であると判断した場合には、それを放送するのはジャーナリズムとして当然である。子どもにとってもニュース・報道番組を視聴することは市民社会の一員として成長していく上で欠かせない。しかし、子どもたちにはニュースの価値についての判断がつきにくく、また、ニュース・報道番組では内容の予測が難しいため、突然飛び込んできた映像にショックを受けることがある。子どものテレビニュース・報道番組の視聴に際し、親子の対話など大人から子どもへの的確な働きかけがあれば、子どもの受けるショックを和らげるばかりでなく、子どもの社会を見る眼を開き、子どもの成長にとっても大きな役割を果たすと考えられる。この点は強調されてよいと思うが、世の中にはさまざまな家庭があり、子どもたちにはさまざまな環境がある。そのため、テレビで報道するにあたっては、子どもの視聴を意識した慎重な配慮、特に子供が関わった事件の報道に際してはPTSD*も含めた配慮が必要になっていると考える。
同時多発テロの起こったアメリカで放送局がどう対応したかを調べた興味深い報告がある。
NHK放送文化研究所の小平さち子主任研究員が「放送研究と調査2001/12」に記しているところによると、早い放送局では、事件当日に“子どもとメディア”の専門家と親を招いて、子どもの心のケアに関する親・教師向けアドバイスを提供する特別番組を緊急放送している。また、数日後ではあるが、子どもを含むすべての視聴者に対する影響を懸念する立場から、米ABCがいち早く飛行機のビルへの激突やビル崩壊の映像は動画として使わないことを決めるなど、各放送局ともショッキングな映像の使用をそれぞれ独自の判断で自粛した。ABCの判断には精神医学の専門家などによるディスカッションが影響を与えたといわれている。また、多くの放送局で、通常の情報番組や特別番組を組んで、子どもが心の安定を保つためにどうしたら良いか、アドバイスする番組を放送した。こうしたアメリカの放送機関による子どもへの対応は、
1.事件を伝える映像・情報が子どもに及ぼす影響への対応
2.メディアの積極的関与としての多様な子ども向けサービスの展開の2点に整理できるという。
同時多発テロの起こった当事国であるアメリカと、遠く離れた日本の放送機関の対応を比較するのは無理があるが、今後日本で起こるさまざまな事件・事故を想定するとき、参考にすべきことも多い。同時多発テロ報道で、日本の放送局でもショッキングな映像の使用を、ある段階から自粛したことは評価できるだろう。しかし、子ども向けのニュース番組としては、小学校高学年から中学生を対象としたNHKの『週刊こどもニュース』、民放では北陸朝日放送をキー局とする『KIDユS NEWS』(27局ネット)など、少ない現状を考えると、いざ大きな事件に遭遇したとき、各放送局は子どもたちに向けて的確な情報を適切に伝えられるだろうか。また、映像によってショックを受けた子ども達をどうケアしたらよいか、親や教師にアドバイスする番組が即座に組めるだろうか。これらの点を含め、早急に検討すべき問題があるのではないかと考える。
以上のような考え方に立ち、委員会では衝撃的な事件・事故の報道について次の点を各放送局で検討されるよう要望したい。厳密には年齢区分に応じた配慮が必要かと思われるが、ここでは一般的、原則的な点に絞った。
*PTSD=Post-traumatic stress disorder(心的外傷後ストレス障害:大災害や戦争などの異常体験をした後に起こるストレス障害)
1.衝撃的な事件・事故の報道では子どもたちへの影響が大きいことを配慮し、刺激的な映像の使用に関しては、いたずらに不安をあおらないよう慎重に取り扱うべきである。特に子どもが関係する事件で
は特別の配慮が求められる。
2.子どもは言葉の理解が不十分なため、映像から大きなインパクトを受け易い特性がある点に留意し、特に「繰り返し効果」のもたらす影響については慎重な検討と配慮が求められる。
3.ニュース番組内、あるいは子ども向け番組で、日常的に、子どもにも分かるニュース解説が放送されることが望ましい。
4.衝撃的な事件・事故の報道に際しては子どものことを配慮した特別な番組作りも研究、検討に値しよう。また、影響を受けた子どもの心のケアに関して保護者を支援する番組を即座に組めるよう、日頃から専門家チームと連携を図ることが望ましい。
●2001年11月(第018回)より
1.講演「青少年のために 各国のテレビはどう取り組んでいるか」
ゲスト:NHK放送文化研究所主任研究員 小平 さち子氏
NHK放送文化研究所の小平と申します。よろしくお願いいたします。
非常に大きなテーマで、委員会が期待されておられる内容の、どのぐらいの部分をカバーできるか分かりませんけれども、これまで私なりに少し調べてきた中から「青少年のために各国のテレビはどう取り組んでいるか」、副題を付けるとすれば、「子どもに及ぼすテレビの影響を巡る各国の動向」ということで、お話しさせていただきます。それぞれの国の放送制度ですとか、子どもとテレビを取り巻く環境、あるいは社会特性の違いによって、取り組みもかなりまちまちのアプローチがありますので、その中のある部分は、もしかしたら日本に取り込めるかもしれないという観点から情報の提供をさせていただきたいと思います。
*子どもとメディアの関係の議論 90年代に入って活発に
ご承知のとおり、20世紀の最後の10年間ほどというのは、多くの国々が子どもとメディアの関係、特にテレビを中心としてですけれども、この問題に集中的に関心を示してまいりました。懸念される影響については具体的にいろいろな形での対応策が議論されてきたと思います。
日本の場合には90年代の後半からそういう議論が活発になりましたが、その前提として日本以外の国々、世界のいろいろな国々の動向を見て、そこから影響を受けた部分というのも大きいかと思います。
そういうことで、きょうはいろいろな国の状況を、全部網羅するのは難しいですし、私の言葉の能力の問題もありますので、第一次的に資料が得られて、自分で読んでわかるという範囲ということで、たまたま全部英語圏になりますが、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアを取り上げます。同じ英語圏と言ってもかなり文化も違い、顕著な差があるということで、この4か国について話をさせていただきたいと思います。
参考資料としましては、いろいろな国の年表ですとか、それから調査結果の抜粋などを準備しておりますのでこれを併せてご覧いただきたいと思います。(資料83~89ページ参照)
早速ですが、資料1は各国の「子どもにふさわしくない番組の放送を認めない時間帯の設定といった、放送時間帯の規制」や「番組のランク付け(レーティング)やテレビ画面へのマーク表示」の実施の有無と具体的内容、「Vチップ制度」に対する姿勢などを示したものです。このテーマでお話したり、書いたりする際、こうした情報を一覧表としてお示しすることを求められることが多いので、昨年末の原稿執筆の際、作成してみたものです。ただし、この表だけではどのような対策を採っているのか全容はわかりませんし、本質を見誤るもとにもなりかねません。具体的になぜこういうことが決められているのかという、その背景を探らないとなかなか本当のところが見えてこない、というのが表を作りながら私自身感じたところです。
ですから、きょうはこの表を細かくご説明するということはいたしません。それぞれの国がどういう背景でそういう対応をしているのか、その辺りの違いについてむしろお話しさせていただきたいと思っております。
*商業放送主導で発展してきたアメリカのテレビ
まずアメリカは、ご承知のとおり、世界各国に議論のきっかけを提供することになりましたVチップ制度というのを世界で最初に、しかも1996年の電気通信法という法律によって導入したという大きな特徴を持っております。
この背景はと申しますと、アメリカのテレビはもともと商業放送主導で発展してきまして、テレビのスタート時点からマイナスの面の影響について、この国の中だけでも非常に大きく議論されてきたということがございます。
その主な内容と言いますのは、暴力描写や性描写の問題、それからコマーシャルが及ぼす影響、この二つが内容的には大きな問題でした。
もう一つは、その裏返しと言いますか、質の高い、しかもバラエティーに富んだ子ども向けの番組がない、このことは非常に問題であるとしてアメリカ自身感じておりました。これはまず、公共放送が始まったのが非常に遅かったこと、それから現在でもやはり商業サービスが主導になっているというような、元々の放送のシステムの性格によるところが大きいと思います。
ですから、アメリカでは議会、それから放送に関する規制監督機関でありますFCC(米連邦通信委員会)、あるいは市民団体、いろいろな形の市民グループが、少しでも子どもにとってのテレビを好ましい環境に向けていこうということで、いろいろ対応策を巡っての議論が60年代、70年代、80年代を通してずっと活発に行われておりました。アメリカは非常に子どもとテレビに関する調査研究が多いのですが、それも全部こういう背景があってのことなのです。
研究の数も多いし、議論も活発だし、市民のグループの運動というのも非常に盛んなのですが、90年代になっても、テレビの状況がなかなかいいほうに改善されていないという現実がありました。
*子ども向け番組充実へ向けての方策
90年代に入ってからは資料2の年表に示されるような変化が起こってきています。「テレビ暴力番組規制法」と「子どもテレビ法」という、この二つの法律が1990年に出てきております。「テレビ暴力番組規制法」というのが、後のVチップを導入するに至る、番組の内容面、番組描写の規制に繋がっていく1996年の法律になります。もう一つは「子どもテレビ法」の制定で、これはいわゆる質の高い、教育的な質の高い番組を放送するように義務づける、そういう流れとして展開をしていきます。
いずれも1990年にそういう法律が持ち上がったところですぐに結果が出るわけではなくて、いろいろ紆余曲折があって、90年代も後半、97年ぐらいになってようやく具体的なシステムが出来上がっているという、そういう経緯がございます。
その一つは、番組のランク付け(レーティング)と画面へのマーク表示、そしてVチップ制度の導入です。これはもうすでにご存じだと思いますので、細かく申し上げませんが、もう一つは年表で、「1997年9月、商業テレビで、子ども向け教育情報番組のマーク表示」という項目がありますが、ここで週最低3時間は子ども向けの教育情報番組を放送しなくてはいけないという、具体的な数量として表れた義務付けが登場ということになっています。こういう形で二つの異なる種類の規制が、90年代のアメリカで同時平行で行われたのです。
*Vチップ、ランク付け・・・新システムの評価
このように新しいシステムとかルールの導入が進んだのですが、その検証も行われています。資料3のグラフは番組ランク付けのシステムがどのくらい認知されているのか、また実際に親が使っているのかどうかということを示していますが、これもアメリカらしくて、新しいシステムを導入すると、すぐそのあとをフォローする調査を行っているのです。その結果によれば、こうしたシステムが予想したほど親達には認知、利用されていないという分析がなされています。その他にも、ランク付けの内容が正確に理解されているとは言えないことを指摘するデータも発表されています。
それから実際にVチップを組み込んだテレビが大きく宣伝されていたようですけれども、そういうテレビが販売されていることも親を含めて一般の人は知らないというデータもあります。お店の人に聞いてみても、そういうテレビを自分の店で売っているということも必ずしもわかっていないような状況もあるようでした。
また、子どもに勧めたい番組として、教育情報番組にマーク表示をするということが、Vチップの考え方とは別に行われてきているのですが、そういうマークがテレビの画面に付けられているということも、必ずしも親たちの間で認識されていない、そういった問題がアメリカの場合にはあるようです。
こういう状況があるのですが、99年にコロラドで高校生の銃乱射事件が起こりまして、またメディアの影響が急にクローズアップされました。この時はテレビというよりはビデオとか、エンターテインメント産業全般が問題になりました。さらに最近ではインターネットの内容の問題なども出てきまして、テレビだけでなく、メディア全般の中身についてもっと規制強化をしなくては、というような声がまた議会の場で起こっているという状況があります。
*急進展するメディアリテラシーの取り組み
アメリカというと、どうしても規制の強化ということが話題になりますけれども、それ以外の部分として、最近はメディアリテラシーの取り組みがあります。アメリカでは70年代からクリティカル・ビューイング・スキルの育成というようなことは言われてきましたし、80年代には市民グループが自衛策として、自分たちが賢い視聴者にならなければ、という動きの中でメディアリテラシーの考え方が出てきておりました。それが90年代になって、こういう具体的な規制の動きが顕著になる中で、やはり本質的にはメディアと正しく付き合っていく力というのを根本的に自分で身に付けておかないと、メディアの変革期にうまく生きていけないという発想の下で、メディアリテラシーへの取り組みに力を注いでいます。そのように私は感じております。
メディアリテラシーというと、カナダが先進国と一般的に言われます。確かにカナダとはアプローチは違うのですけれども、アメリカという国は、規制をかけるときも非常にダイナミックに法律を使って、というようなことをやりますが、市民の立場からメディアに積極的に関わっていこうとするメディアリテラシーの取り組みというのも、非常にダイナミックに展開していると言えます。
また、公共放送のテレビでも、市民と一緒に番組を作っていく、実際に高校生たちをプロが作る番組の中に取り込んでいって、番組制作の体験もさせるし、それを高等学校の授業の単位としても認めるというようなことを積極的にやっています。各地方の公共放送局などでも、放送局を開放して、子どもたちは実際にプロと一緒に話をする機会もあり、番組作りをすることもできるというようなこともどんどん増やしているというようなことがあります。
ケーブルテレビでもそういう例があります。これは私が非常に好きな番組の一つですが、ニッケルオデオンという子ども専門向けのチャンネルでちょうど10年前、湾岸戦争をきっかけに始まった小学生向けのニュースマガジン番組『ニックニュース』というのがあります。大人向けのニュース番組のアンカーパーソンをやっていた女性のジャーナリストが、子ども向けにジャーナリスティックな視点を持った番組がアメリカの中に一つもないというのは残念なことだと考えてスタートさせたのです。湾岸戦争のような重大な社会の状況を子どもたちにきちんと理解できる形で提示する、そういう番組を作ろうということで始まったのですが、この番組ではメディア自身のことも重要なテーマとしてよく取り上げています。テレビの影響力の多様性とかVチップをめぐる議論など含めて。
アメリカの同時多発テロ事件の5日後、この『ニックニュース』が緊急スペシャル番組を放送したということもありまして、その番組のことなども含めて今、ちょうどアメリカの子ども番組を紹介する文章を書いているところです。(『NHK放送研究と調査』12月号)子どもたちに、テレビなどメディアのメカニズムや特性を学ばせながら、重要な情報を入手して自分で考え、議論させることを試みるシリーズなんですね。こういうすばらしい番組があることを、アメリカについては最後にご紹介しておきたいと思います。
*子ども番組に対する厳しい姿勢、商業放送もCMなし―イギリス
これに対してヨーロッパですが、ヨーロッパはアメリカと反対に元々公共放送が主導で発展してきたために、後から出てきた商業放送に対しても、青少年保護を含めた一定の番組基準の遵守というのを義務づけてきた歴史的な背景がございます。
フランスなどでは番組のランク付け、それからランク付けしたものを画面に表示する、マークで表示するというようなことをやっております。アメリカより早い時点で実施してはおりますけれども、Vチップのような強制的なしくみを設けて番組を規制するという考え方には反対の方向をとってきました。(資料1参照)
こうした姿勢が一番顕著な例がイギリスだと思います。イギリスではVチップ制度も取り入れなければ、その前段階としての番組のランク付けというのも取り入れない。というのは、それは全く問題の根本的な解決策にならないという考え方をとっているからなのです。
それでは、なぜイギリスはそういう考え方をとるかといいますと、元々イギリスには公共放送と商業放送と両方ありますけれども、イギリスの商業放送というのはアメリカとか日本で言う商業放送とは全然違いまして、商業放送ではあるけれどもかなり公共的な性格が強いのです。特に子どもの番組に対してはその性格が強くて、子ども番組は商業テレビであっても、間にCMを挟んではいけないことになっていますし、また、公共放送の子ども番組を見ていても商業放送の子ども番組を見ていても、区別がつかないくらい両方とも中身はバラエティーに富んでいるし、描写の問題についても差がない。そういった元々の背景があります。
公共放送、商業放送ともそのことを非常に自負している。そういうアメリカとは全く別な観点から、番組の描写についてはテレビのスタートの段階から厳しい姿勢を保ち続けています。
*90年代 暴力描写に対する関心の背景
だからといって映像描写を巡る問題というのをイギリスは全く抱えていないわけではありません。90年代以降、多チャンネル時代を迎えてということですが、それまでほとんどの番組はイギリス、あるいはヨーロッパの番組だったのが、アメリカの番組が急にたくさん流入してくる中で、非常に神経をとがらせている部分があります。
例えば子ども番組について言えば、アメリカのアニメマンガをイギリスに輸入すれば視聴率が上がるだろうということがあるわけですけれども、それはイギリスのこれまで育ててきた子ども文化を崩すことになりかねない、ということで、80年代いっぱいぐらいまでは、ディズニー以外のアメリカのアニメについては取り入れることに対して非常に厳しい姿勢をとってまいりました。その状況も、90年代の半ば以降少しずつ崩れてはいますけれども、そのぐらい子ども番組に対する元の素地が違うということがございます。
*視聴者との信頼関係で成り立つ“午後9時のルール”とメディア教育
では子どもにとってテレビ番組の状況をよくするためにどういうことをしているかというと、アプローチとして三つの特徴があるかと思います。一つは“午後9時のルール”というふうに言われますけれども、午後の9時前には子どもにとって好ましくないような番組は放送しないという、大前提のルールがあることです。これは1960年に既にあったルールですけれども、こういうものを非常に大事に守っている、しかも放送局が一方的に言ったのではなくて、視聴者もそれを認めて受け入れているということです。
そして第2点として、放送機関と視聴者の信頼関係というのを非常に尊重し、その信頼に基づいて放送局が作っている自主的なガイドラインというものを時代の変化に合わせながら変えていくことをしています。
第3点としては、メディア教育です。これもイギリスは早くから取り組んでいるわけですけれども、メディア教育についても新しい時代に適用する形で展開させて、イギリスの映像文化ですとか、映像産業の発展にも結びつけていく、そういう視点を持っているというのが特徴だと思います。
例えば“午後9時のルール”ですが、これはいろいろな国で、何時を境にして、それ以前は子どもたちが見ているから「番組の描写に気をつけましょう」ということを決めている実態があります。けれどもイギリスの場合には、子どもの保護ということももちろんありますが、安全地帯としての9時という考え方ではなくて、逆に「9時以降には子どもにはふさわしくないけれども、大人にはぜひとも伝えたい、そういう番組も放送します」という、むしろそういうところからの発想の存在というのが重要な特徴だと思います。ですから「今いろいろな問題が起きているから放送時間帯の制限を設けましょう」、ということで出てくる対応策とはまったく観点が違うと思います。
*描写に対する判断基準と管理メカニズム
それから自主ガイドラインについてですが、現在、公共放送のBBCは、「BBCプロデューサーズ・ガイドライン」、商業放送のほうは、放送規制監督機関のITCの番組コードという形で設けられていますけれども、これも社会実態に合わせてどんどん中身を更新してきたというものです。
これもポイントを幾つか私なりに整理してみますと、まず第1に、映像描写の取り扱いの範囲が非常に広いのです。私たちはどうしても“暴力描写”というような単純化した表現をしてしまうのですけれども、イギリスではバイオレンスと言っているときの中身にも、例えば家庭で夫婦げんかをするシーン、それを子どもが見て、どのぐらい恐い状況を感じるのかと、そういう描写まで含めて細かくガイドラインの中に書き込んでいます。
第2にいわゆる暴力描写についても、一律にすべてを排除するということではなくて、ストーリーの展開上必要であったら入れることもあり得るという、そういうアプローチがあります。ですから、文脈上必要なのか、必要でないのかによってそういう描写を認めるかどうかの判断をするという特徴があります。
3点目としてこういうルールというのは、いったん決めたらもう変えないということではなくて、社会の変化に合わせて自主基準というのも変える必要があるという、そういうスタンスをとっております。
さらに4番目のポイントとしましては、こういう描写の問題を自主ガイドラインにしたり、いろいろな規制として考える際に、商業テレビと公共放送が歩調を合わせるということが歴史的に見て特徴としてあります。もともとイギリスの商業テレビの公共性が強かったので、そういうことがやりやすいというのがあるかもしれませんが、資料の年表にありますように(資料4参照)、例えば1980年に公共放送のBBCと商業テレビが共同でガイドラインを発行しています。お互いにすり合わせをしながら、イギリス全体として子どもに向けてのテレビの環境をトータルな形で守っていこうという発想がかなり強かったように思います
*イギリスの自主基準に基づく番組チェック―重視される全体の文脈
いくらガイドラインが立派でも、それに合わせて実際に放送局がきちんと番組を放送していかなければ何もならない、ということが必ず問題になると思います。ちょうど2年前に公共放送と商業テレビ局のいくつかを直接訪問取材したことがございます。その時に、放送局では自主ガイドラインとか番組コードに照らし合わせながら、いろいろなステップでチェックをするメカニズムが細かく設けられているという印象を受けました。
90年代に入って、特にその傾向が見られるようなのですが、たとえば、午後9時以降放送の番組でも、子どもの目に触れることも考慮して、必要に応じて警告表示と呼ばれる、「若干気になる表現を含んでいますので気をつけてください」といったような番組冒頭でのアナウンスを付けるというようなこともなされています。このような時、その描写が適切かどうかという判断基準になるポイントというのは幾つかありまして、まず第1に、いろいろな自主基準の文字面を優先するのではなくて、最終的には公共の利益を優先するというようなアプローチがとられております。
判断に当たっては、最終的には解釈の問題が非常に大きいものですから、全体の文脈の中で判断していくしかない、ということをイギリスのどの放送局の人も言っております。そのための判断材料となるのがガイドラインに書かれている具体的な内容だけれども、結局一つ一つは脈絡の中で決めていくしかないだろうと。
問題となる場面が脈絡上必要なのかどうなのかということの他に、別の表現で言い換えられないかどうかというのがもう一つのポイント。それからそういう描写を提示する長さが適切なのか、次に、見ている人にとっても心構えができる範囲内のインパクトなのかどうか、非常にびっくりさせることなのかどうか、そのようなことも判断の基準に入れているようでした。
それからもう一つは、放送するのが午後9時より前なのか後なのか。これはイギリスの放送局の人は必ず言います。同じ表現でも「夜11時ならいいけれども、9時じゃあちょっと」というように、必ずその問題が出てきます。
それからさきほど言いましたが、事前に「こういう描写が出ます」という告知をしているかどうか、告知をしていれば、そういう映像を出してもいいけれども、それをしないで放送してはいけない、ということがあります。「こういう映像だったら一般の視聴者から苦情が多いかどうか」ということは、特に判断基準として重視はしないという考え方も聞きました。
その描写の部分だけ見ると、かなり問題と思うようなものでも、実際上は放送されているということも多いのですが、それは全体の脈絡の中で見ていれば、この映像は構わないというトータルな判断をイギリスは非常に重要視しているためなのです。
逆に言いますと、イギリスにはベースとしてこういう考え方があるから単純に番組にA、B、Cとランクを付けて、放送するしないというような形がなじまないという感じがいたしました。
全体的に見てイギリスの場合には、外から強制的に加わる力によって設けられるルールに対しては、その実効性をかなり疑問視しているのではないかと思います。元々放送が始まった時にある程度きちんとしたシステムが成り立っていたということがありますけれども、新しいルールを作るときには、視聴者と放送局の側とで社会的に納得できるスタンスをお互いに了解して、放送局はこういうものを出します、見るほうはこういうふうに見ますと。「9時以降は親の責任で子どもに見せます」というような共通の約束事も非常に重視する文化があるのがイギリスだと思いました。
資料5はイギリスの一般の視聴者が現在実施されているルールについてどのように思っているかということを調べたものです。例えば午後9時というのがイギリスにおいてどういう意味合いを持っているか、そうしたルールについての浸透度の高さがうかがえるし、視聴者のほうも視聴者としての責任というのを認識しているということが分かります。視聴者のほうも外からの高圧的なルールをむしろ望んでいないようです。つい最近、この秋に発表された調査報告などを見てみましても、イギリスは“午後9時のルール”というのを一番重要なルールとして認識しているという結果が出ておりました。
*メディア教育への取り組み―映像文化育成の視点
イギリスはメディア教育については長い歴史があるわけですけれども、伝統的なイギリス流のメディア教育というスタンスだけではなくて、90年代に入ってから新しい形で出てきているメディアリテラシーに対する取り組みということについても、新しい視点でやっていかなければいけないと、そういう意味では非常に謙虚な姿勢というものが見えます。アメリカなどから見ると、「イギリスはメディアに関する学習を非常に早くから始めていて、イギリスに学ぶ部分が多い」と言うのですが、イギリスでは、「異なるアプローチのメディア学習の捉えかたも必要」ということで、学習の中に、これまでよりも積極的にメディア制作を取り入れ、次の世代の創り手を育てるという観点も重視しながら、イギリスの新しいメディア教育のあり方を探っている状況があります。
このようにアメリカとイギリスというのは非常に対極的なアプローチを取っていると思いますが、次にカナダとオーストラリアについて簡単にお話をしたいと思います。
*アメリカ製番組の文化的影響を案じてのVチップ開発―カナダ
カナダとオーストラリアは自分の国の文化という視点から子どもとテレビのことを非常に強く考えている国、その代表的な二つの国だというふうに思っております。
カナダと言いますと、最近必ず言われることに、Vチップの技術を開発した国、ということがありますけれども、Vチップ制度という考え方になりますと、アメリカとはまったく違うというのが重要なポイントだと思います。
よく引用されるフレーズなのですが、カナダの放送規制監督機関がそのポリシーとして示していることで、“「暴力描写の問題の解決」について、10パーセントが「業界の自主的な基準の作成」、10パーセントが「Vチップのような新しい技術の開発」、そして残りの80パーセント、―これが一番大事だというふうに言っておりますが、「市民の意識の覚醒とメディアリテラシーなどの教育によって解決をすること」である”と。元々カナダは初めからVチップのような仕組みに頼るということではなくて、メディアリテラシーの育成ということが最初にあって、それ以外の方法もあるのであれば取り入れていこうと、そういうアプローチを採っております。カナダについては資料6の年表もご覧ください。
カナダの場合、子ども番組の状況の大きな特徴と言いますのは、アメリカの番組の影響を非常に気にしているということです。カナダがいくら自分の国の中で好ましい番組を作って放送していても、物理的に隣のアメリカの番組が全部見えてしまう。正式に輸入をしなくても、番組が映ってしまうという状況があるのです。もちろん番組の輸入ということもありますけれども。
カナダの中で番組のランク付けの問題ですとかVチップの導入という議論が行われる時に、カナダが作った番組を心配しているのではなくて、アメリカ製の番組を気にしているのです。
もう一つ、カナダで販売されるテレビの受信機はほとんどがアメリカ製ということがあります。ですからVチップ制度の導入でも、カナダは自分の国にそれを普及させることよりも、アメリカがきちんと自分の国の中での問題を解決して欲しいというのが本音だったのではないかと思われます。カナダは「映像描写の問題を論じるときに、1国の問題としてではなく、世界共通の問題として考えよう」ということを非常に強調いたします。
1993年だったと思うのですが、国際会議の場で、こういうテーマをカナダが提案してディスカッションをしたことがありますけれども、そのときにもカナダの放送規制監督機関の人が一生懸命この点を力説していました。また、アメリカの議会などにカナダのメンバーがロビー活動をしているという話も聞きました。
*メディアと教育の連携が強いカナダのメディア教育
カナダと言えば、すでによく知られていますように、メディアリテラシーの取り組みが早く、学校教育にも浸透しているという特徴があります。しかもそのメディアリテラシーの取り組みの中で放送機関、メディア側と教師、学校教育が非常にうまく結びついているということで注目されています。公共放送だけでなく、商業テレビもケーブルサービスも、それぞれがメディア学習に役立つようなサービスを提供していて、日本やアメリカを含む多くの国々が参考にしようとしているという状況があります。このようなメディア教育のアプローチにも、カナダという国が、自国の社会のテーマ、文化の観点から、テレビなどのメディアが提供する内容に注目しているということがわかります。
*「子ども番組育成」の観点に立つオーストラリア
オーストラリアの場合ですが、自国の文化を重視するということでは、カナダと共通している部分もあるのですが、もう一つ独自のおもしろいシステムというのがあります。オーストラリアではアメリカだけではなくて、イギリスからも番組をかなり輸入して放送している国ですけれども、この国では子ども番組の事前認定と、一定基準量の放送義務付けというのを1979年から実施しております。
番組の視聴制限ですとか、義務付けという言い方をしますと、ネガティブな観点からの番組ランク付けという発想があるかと思いますが、オーストラリアの場合にはそうではなくて、子ども番組の育成のためのルールです。例えば1週間にこれだけの子ども番組を放送しなくてはいけない、というルールをスタートの時点で設けておかないと、オーストラリアの中に好ましい子ども番組は育たないだろうという、そういう発想がかなり早い時期からありました。1979年に、商業テレビ局では、1週間に3時間以上の小学生向け番組と2時間以上の幼児向け番組を放送しなくてはいけないということが決められたのですが、事前に子ども番組としてふさわしいという認定を受けた番組を放送するということなので、かなり厳しいシステムになっていると思います。現在ではこの時間量も増えて、年間390時間、ですから週あたり平均7.5時間となっています。(資料7参照)
まず、子ども番組と言いましても、小学生向けに適した番組と、それから幼児向けに適した番組というのをそれぞれ別に基準を設けて、これだけの分量を放送しなければいけない、また実際子どもたちが見るのにふさわしい時間帯に放送しなければいけないというようなことが決まっております。
*オーストラリア文化の重視に基づく子ども番組の育成
もう一つ興味深いのは、オーストラリア製の番組を、ある一定量放送しなくてはいけないということを定めていることです。いくらいい子ども番組だからといっても、それをほかの国から輸入してきた番組だけで埋め合わせてはいけないという、そういう視点がかなり強く入っています。同じ「文化の重視」と言いましても、カナダの場合には子ども番組についてここまで細かいルール付けはありませんから、そういう点でオーストラリアは非常にユニークだと思います。
しかも、厳しいルールを決めたというだけでは、なかなか実効上難しいということがありますので、こういう番組を作っていくために連邦政府がバックアップする形で、子ども向けの番組を作る、あるいは開発研究する財団としてACTF(オーストラリア子どもテレビ財団)を1982年に作っております。実際に子ども向けのいい番組を作るプロデューサーを育成する、あるいはいい案を持っている人には金銭的にもバックアップして番組を作りやすい状況を作っていくというように番組育成の環境作りということにも、オーストラリアは非常に力を入れております。
このオーストラリアの週3時間の子ども番組ルール(今は年間390時間ルールですが)は、アメリカの制度、システムにも影響を及ぼしました。おそらく日本の民放での3時間ルールというのも、直接的にはアメリカで3時間というのが行われているところから取り入れたと思いますけれども、そのアメリカが影響を受けた元は、このオーストラリアだったということです。そしてオーストラリアも元はと言えば、アメリカなどの商業ベースで作られた番組の影響を弱めて、オーストラリアの子ども文化を育てるテレビ番組の発展のためにこのシステムを作り、それが逆輸出という形でアメリカにも影響力を及ぼしているという非常に興味深い関係にあると思います。このオーストラリアの例は、アジアの国々などが本格的に自分の国の力で子ども向け番組を作って普及させていくスタートの段階で、ぜひこういうアイデアを取り入れておきたいということで、関心が集まっているシステムのようです。
オーストラリアは自分の国の文化を大事にする中で子ども番組を育てようという意識が強いので、当然のことながらメディア教育も盛んな国なのですが、私が知る限りではすでに放送番組、特に学校教育の番組の中でメディア教育に役立つ番組というのをかなり体系的に取り入れている国だと思います。
オーストラリアというのは、放送局の規模も小さいですし、それから実際に学校放送のような番組でも、イギリスとかカナダからの輸入番組が非常に多いのですけれども、メディアに関する番組、あるいは子ども向けのニュース番組などは、しっかり自国の文化の中で支えて作っています。そういう発想の中にもメディアに対する考え方というのが表れていると思いました。
非常に駆け足ではございましたが、4か国の例をお話させていただきました。
意見交換
- 〈委員〉
- 日本で同じような年表を作ると、どのようなものになるのでしょうか。
- 〈委員〉
- テレビに対する俗悪論議はテレビがスタートした当時から続いているけれども、90年以降は世論の高まり方も違うし、その対応についての議論も全社会的になってきたという感じがするので、日本版年表を作ってみる必要がありそうですね。
- 〈委員〉
- 確かTBS発行の「新・調査情報」によくできた年表がありました。
- 〈委員〉
- 今日報告された国は子どもに対して何をすべきか、大人の責任をどう果たしていくかという観点が明確で、それが制度に反映しているように思いました。
- 〈小平〉
- 以前放送文化研究所の機関誌で原委員長がインタビューにこたえておっしゃった事ですが…。いったい私たちはどういう市民社会を作りたいと思っているのか、子どもたちにどうあってほしいのかという、そこのところの議論がなされないまま、基準を設けるとか、日本の場合はそういうところにいきなり飛んで行ってしまっているみたいなところがあります。ほかの国の番組がたくさん流れ込んできてしまうというような、文化のせめぎ合いっていうのでしょうか、そういうものが顕著な国というのは、そういう意識を持ちやすいという部分があるのかとは思いますが。
- 〈委員〉
- 日本の民放ではスポンサーをつけることが重視されているから、子ども番組は売りにくいということで現在のような傾向の番組になっていると思うのですが、イギリスの場合などはどうなのでしょうか。
小平 イギリスでは既存の地上波のチャンネルでは、いわゆるコマーシャルというのは子ども番組自体につけません。そういう意味で子ども番組は商業テレビの中でも特別扱いということです。全体のメカニズムの中で、スポンサーがつかなくて番組が作れない状況にはしないようにしているわけです。
- 〈委員〉
- 個々の番組でまかなえなくとも、全体として儲かった部分で社会還元をするという思想があってもいいわけだし、ヨーロッパにはあるのではないかと思う。社会の側がそういう要求を放送局にしていくべきではないだろうか。「子ども向け番組が赤字でも他の部分で補う、それが放送局としての社会的責任であり、義務だ」というくらいの要求を出していかなければいけないし、そうしないと成り立たないでしょう。また、もう少し本気になって評判のいい子ども番組を作れば「視聴率が低くても企業として良心的なイメージを求めたい」という理由でスポンサーがつく可能性も十分あると思います。
ところで文化的状況、社会環境も含めて、どこの国が一番モデルに出来そうですか。
- 〈小平〉
- ちょっとお行儀悪く、つまみ食いになってしまいます。例えば非常にダイナミックに動く、研究にしても状況の変化があると即応して動く、という意味でいえば、そういうエネルギーはアメリカから学ぶことがあると思います。ただ、視聴者と放送局とが共通理解を持った上で、いい番組を放送していく環境やルールを育てる、そういうトータルなシステムから言えば、私はイギリスに学びたい部分が非常に多いです。放送の仕組みで言うと、日本の場合、アメリカよりはイギリスのほうにかなり近い部分もあります。
文化という観点では、もちろん、日本は固有の大切な文化を持っているのですが、テレビ開始当初から、自国制作の番組を放送することが中心だったということもあって、メディアのことを考える時に、オーストラリアやカナダのような形で自国文化を意識するということはなかったですね。ただこれからは、他の国の優れた番組の観点や、メディアに関する学習、教育や、メディア環境づくりのアイデアを取り入れていくという意味でも、この両国に学ぶところは大きいと思います。それぞれの国から刺激を受けられる部分があると思います。
それから具体的に個々の番組ということから見ていますと、今日触れた以外の国も含めて多くのすばらしい例から刺激を受けるということがあります。こういう話をしていくと、どうしてもアメリカの番組というのが悪者になりやすくて、お話をしながら少し気にはなっていたのですが、アメリカの番組の中にもいいものがたくさんあります。どこの国からも学べる部分はあると思います。
90年代後半、「子どもとメディア」をめぐるテーマの中でも、規制のことなどを少し勉強しなければいけないような状況が出てきて、研究対象にしていますが、私自身元々の関心は、どうやったら新しい時代に即したいい番組、おもしろい番組、楽しい番組が開発できるのだろうかというところにあります。さらにそういう番組を制作して、見てもらえるためのトータルな環境を作るためにはどういう番組を制作していったらいいのかという、そういう観点で考え、研究も続けたいと思っております。
- 〈委員〉
- 一般成人向けの番組の内容というのは、日本の番組とアメリカやカナダとかを比べてどうなのでしょうか。暴力、セックス表現などのレベルは。
- 〈小平〉
- それはご覧になる方によっていろいろ感じ方やご意見が違うので、暴力度がどこの国が一番強いのかというのは非常に難しくて簡単には言えないですね。例えばヨーロッパやカナダ、オーストラリアにとってアメリカ製番組の描写が批判の対象になりやすいというような傾向がありますが。またヨーロッパの中でもドイツの番組などは、かなり教養的な側面、哲学的要素を感じるといった印象はありますが。
- 〈委員〉
- イギリスの放送機関での番組チェックに関してですが、制作のどの段階でどのようなチェックがされるのかを知りたいのです。また、番組で問題が起きたときの責任についても。
- 〈小平〉
- 番組の種類や個々のケースによっても違うようなのですが。例えばドラマのように、まず最初の段階である程度決めておかないと、スタートしてからでは手直しできないという場合には、台本のところで細かく検討するということもありますし、実際に出来上がったものを見てみないと何とも言えないという種類のものについては、オンエア直前の段階のチェックを重視する。これはギリギリどうなのだろう、何も警告アナウンスをしないまま放送した場合に安全だろうか、などと作り手が迷う場合は、そういう相談をするセクションがあって、そこで判断をします。
一律に全部どこかへ持って行ってそこで全部同じ基準で見ていくということではなくて、最終的にはプロデューサーの責任において判断します。その基準になるのが自主基準のガイドラインです。また、それまでの判断事例もファイリングしてあって判例的に参考にしているようです。
苦情処理、苦情を受け付ける部門というのは各放送局にありますし、別途商業テレビの規制監督機関などもあって、そこにも視聴者の声が届くようになっております。そこでどういう審議をして、どういう結果になったかというのは公表されております。苦情がきても放送局として「このスタンスで正しい」ときっぱり言い切って、基本姿勢を貫くことも多いと聞きました。そういうコミュニケーションが成り立つのは大切なことだと思います。
- 〈委員〉
- 今後、これからの課題として各国が抱えている大きな問題というのは、どんなものがあるか、ご説明いただければ。
- 〈小平〉
- その辺をもう少し追わなければと思っているのですが、一つには、テレビだけではなくてビデオとかテレビゲーム、一番大きいところでインターネットですね。その中身について、今、かなり議論、話題になってきておりまして、映像メディア全体の問題として子どもとのかかわりを考えなければいけないのではないかと、そういう傾向がいろいろな国で出てきているようです。確かオランダだったと思いますが、すべての映像メディアをある同じ基準で見ていくということが議論されていると聞いています。
- 〈委員〉
- アメリカもこの7月にそういう公聴会があって、すべての映像メディアを同じ基準でレーティングするためのスタンダードを作ることの是非といったことが議論されています。作り手側は反対していますが、NGOとかから「やってください」、「親たちが混乱しています」という動きがあるのですが、オランダもそういう感じなのでしょうか。
- 〈小平〉
- そうですね。テレビ、インターネット、ビデオなどそれぞれ違う基準でいいのか、という考えもあるのだと思います。例えばテレビだけはいい状況になるけれども、テレビゲームのほうはそうではないとか、ということが生じると、一人の子どもにとっての環境をトータルで考えたときには十分ではないのではないかと、そう考える傾向が出てきていると思います。
ただ、現実問題として同じ形でランク付けなどをしていくということがいいのかどうかについては、必ずしもみんながそれを望んでいるようには思えません。
- 〈委員〉
- デジタル化したりしていくと、多分数年後にケーブルとかその他で、全部同じようにアクセスされてしまう可能性があるでしょう。その前にトータルとしての基準を作っておかないとまずいですね。
- 〈小平〉
- インターネットでテレビが見られたり、テレビ画面からまっすぐパソコン場面に行ったりという状況が生まれると、レーティングとか、ラベリングをすることが本当に問題の解決策になるのかどうかということが改めて問題になってくるのだろうと感じております。
- 〈委員〉
- あと、ブロードキャスティングがたかだか10チャンネルで、ケーブルでもたかだか100とか200ですが、インターネットは何万だか、何十万だか分からないほどの量でしかも毎日変わるわけですから、レーティングでいくかどうか。困りますね。インターネットにしてもフィルタリングをしてもすぐ裏をかけるので実際は意味がないし…。
- 〈委員〉
- Vチップは失敗だったと言ってしまっていいですか。
- 〈小平〉
- そうですね。アメリカでの各種調査結果や研究者たちの話を総合的に考え合わせて見ても、この先成功へ向けての見通しは難しいようです。
- 〈委員〉
- 調査でも一般の人たちの認知度が低いですね。文部科学省の視察団の報告を聞く限りでも、知られていない。
- 〈委員〉
- 民放では事前表示をこの10月から試み始めました。事前表示についてはまだ議論が日本では残っているわけだけれども、この点はどうですか。事前表示はやっぱりやったほうがいいのか、それともあまり効果がないのか、いままでの経験から言えるのかどうかですね。
- 〈小平〉
- イギリスなどでは、放送開始前のアナウンスで事前に情報提供されているということで、見る側の心構えができ、自分で見るか見ないかの判断はできることから、ほかのやり方に比べれば比較的評価は高いようです。
- 〈委員〉
- 非常に難しい問題で、感じで話していただければ結構です。各国、文化が違うから価値判断も違うはずですが、いい番組とは何か、悪い番組とは何かについて、価値観がほぼ共通していると言えますか。それともかなり乱れていると言えますか。
- 〈小平〉
- 子どもに向けてのいい番組というほうのベースになる基準というのは、ある程度の共通理解があるように思います。子ども向け番組のような国際コンクールなどに参加していますと、確かに文化、背景は違いますけれども、本当にみんながいいと思うものはいいという、文化を越えて理解できる部分があるというのはかなり感じます。
教育番組だけでなくて、エンターテインメント用に作っている番組でも、そういうところで作り手たちが一致している部分というのはかなりあると思います。
それと、さきほどからお話が出ていますスポンサーの問題とか、制作環境面での障害があるために苦労する部分があるけれども、本当は子どもたちに向けこういうものを作ってみたいと意欲を持っている創り手というのは、どこの国にもたくさんいるということも感じています。
- 〈委員〉
- 法的規制と自主規制とミックスされたオーストラリアなんかその典型かもしれませんが、その辺はどうお考えですか。実際の問題として自主規制では商業放送である以上、なかなか難しいでしょう。そうすると、ある部分は法的規制が必要にだんだんなってくる、そういう社会的要求になっているのか、やはり法的規制というのはいろいろな意味でまずいから、困難でも自主規制だけでやるべきだということになっていくのか、その辺りどうですか。個人的な感想でいいですが。
- 〈小平〉
- 私は自主規制重視のイギリスの場合に注目しているのですが、ここでは外から押しつけられていたルールに自分が合わせなければいけないというのは結果的にうまくいかないというような文化があります。法律であってもそうでなくても、いきなり上から、自分の理解の範囲とか納得の範囲と違うところから下りてきてしまったルールというのは、なかなか根づきにくいのではないかということを感じます。イギリスとアメリカの比較をしたときに感じることの一つですね。
- 〈委員〉
- 日本の今の番組を見て、子どもの育成とかから考えて、「やっぱりここは少しルーズすぎる」というふうに感じておられること、いくつかあると思うのですけれども、その辺りどうですか。
- 〈委員〉
- 最近、私自身は個々の番組がどうこうというよりも、子どもの生活全体を私たち大人がどういうふうに見ているのか、注意すべきことをしているのか、していないのかということのほうに関心が向いています。社会が子どもをどう見ているかということが、そのときどきの子ども番組を含めてすべての種類の番組の状況にも反映されてしまっている、そんな気がいたします。
作り手は「子どもにとって重要」「子どもに見てほしい」と思って一生懸命作るのだけれども、そうした番組が必ずしも子どもたちには見てもらえていないという状況があるとすれば、そこにある社会的な要因にも目を向ける必要が大きいと思います。もちろん作り手のほうももっと努力して見てもらえる番組を作り、これだけ番組量が多い時代、じょうずにアピールしていくということも必要だろうと思いますが。
- 〈委員〉
- イギリスでは見てほしい番組を子どもが見ているという事実はあるのでしょうか。あるとすれば子どもに対する見方、ポリシーが明確にあるからなのでしょうか。
- 〈小平〉
- 日本に比べれば、その傾向は強いと思います。ある程度社会的に育ってきていることがあるかと思います。イギリスの子どもも、いわゆる子ども番組だけを見ているわけではなくて、大人向けバラエティーやコメディーも見るし、以前に比べるとアメリカ製番組に傾斜する傾向も見られますが、それでも子ども向けの人気番組のベストテンをみたときに、子ども向けのニュース番組が必ず顔を出しているというようなことは今でもあります。もともと公共テレビでも商業テレビでも、バラエティーに富んだ番組を子ども向けに放送する基本ポリシーが明確だったという長年の蓄積が、テレビ全体の状況が変わっても、そういうところに表れているのかなと思います。
- 〈委員〉
- 青少年委員会に対して、ご意見とか、これまで研究されてきた立場で実際に出来そうな提案などあれば。
- 〈小平〉
- この委員会自体は非常にユニークな組織で、世界で同じ立場にある委員会というのはないと思います。委員会での様々な活動を広くPRしていく、まだ年月が経っていないということもありますけれども、そういうことは、いろいろな機会になされていく意味が大きいのではないかと思います。 積極的に評価したい子ども番組とか、そういう観点での議論というのがあってもいいのかなとも思いますし…。
- 〈委員〉
- 小平さんは積極的に今、評価できると思っている子ども向け番組はありますか。三つ四つ挙げてもらえば、それについて議論をするのもいいかと思うのですが。
- 〈小平〉
- そうですね。海外の番組については、ちょうど情報を集めていますので、いくつかのジャンルについてご紹介できると思います。アメリカの例で触れましたが、小学生向けのニュースマガジン番組の他、最近増えている子ども参加型番組も興味深い例があります。日本の番組については、私は放送局の人間でもありますし、議論の対象ということでしたら、中立的な立場で選んでいただくほうがよろしいかと思いますが、一つ言えるとすれば、全国放送の番組だけでなく、地方の放送局で地道な成果をあげている番組も、ぜひ取り上げていただければと思います。
- 〈委員〉
- 子ども番組のコンペティションでいいランクを受けていていまも放送されている番組というのはあるでしょうか。子ども向け番組の世界的なコンクールで賞を取った日本の番組とか。1回きりの単発ものでなくレギュラー番組で。この委員会で、世界的に認知されている、いい番組というのを見る必要もあるのかなと思ったのですけれども。
- 〈小平〉
- 国際コンクール受賞番組でレギュラー番組となると、学校や幼稚園向けの教育番組とか、『中学生日記』などになるでしょうか。
- 〈委員〉
- 民放連賞でも報道部門、とかエンターテインメント部門とか分かれていますが、子ども番組部門というのはないですね。
- 〈委員〉
- 委員の間からも積極的に評価できる番組について議論をしようという声もありますので、「国際的にいい番組だと言われているもの、議論してもらいたい、いい番組ではないか」というのがありましたら、事務局のほうに知らせてください。『ニックニュース』も見てみたいですね。今日はありがとうございました。
- 〈小平〉
- よい番組を評価して、応援していくことは、子ども向け番組を育てていくためにとても重要なことだと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
5.「青少年を取り巻く環境の整備に関する指針」について
「青少年を取り巻く環境の整備に関する指針(案)」に青少年委員会として意見を提出したが10月19日内閣府が正式に発表したので、それを配布し、事務局から変更部分の説明をした。
6.その他
次回の議題については報道番組が子どもに与える影響、殺人現場の映像などのテーマが以前から出ていることでもあり、アメリカ同時多発テロ報道、バスジャック報道などが与える影響についてフリートークをすることになった。
その上で、NHK、各民放局が報道にあたって、アメリカの映像規制の動きをどう考えたか、子どもにどのように配慮しているかについてのアンケートを取ることも考える。