2022年4月15日

「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解

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2022年4月15日
放送と青少年に関する委員会

青少年委員会の視点
インターネットの普及によるメディアの多様化の中で、従来のテレビやラジオなどの公共性が高い放送の相対的な位置が低下してきていると言われているが、依然として放送は、国民の誰もが視聴できるという特性を有するがゆえに、老若男女を問わず国民の生活に大きく関わっている。こうした放送の幅広い公共性がBPOの存立の基礎にあることは、BPOの創立以来不変の事実である。
単に青少年向けに作られた番組だけではなく、大人向けに制作された番組も、録画や「テレビ、ラジオ以外のメディア」によって、青少年の誰もがいつでもどこでも番組を視聴することが可能になった。青少年委員会は、BPOに統合前の当委員会の時代から、青少年向けの番組のみならず全ての番組について、それらが成長と発達の過程にある青少年の人間観、価値観、さらには社会情動性の発達に与える影響について注意を払うとともに、番組制作者に向け、以下の2つの見解をはじめ、折に触れて委員会の考えや委員長コメントを提示してきた。
今回、当委員会が「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」について審議入りしたのも、これまでの基本的な視点の延長線上にある。

バラエティー番組に関するこれまでの当委員会の見解
バラエティー番組は、そのダイナミックな構成と展開によって、多くの国民の間で高い人気を博している。一年を通じて、人気のある芸人が出演するバラエティー番組は、相対的に高い視聴率を得ている。翻ってこのことは、人気のある芸人が出演する番組は、それを視聴する多くの視聴者に大きな影響力を持っていることになる。これまで当委員会の審議事案の多くがバラエティー番組であったこともこうした事情を反映している。

BPOに統合前の当委員会は、2000年11月29日に、暴力を肯定するようなシーンに対して「武力や暴力を表現する時は、青少年に対する影響を考慮しなければならない」という民放連放送基準(19条)などに抵触し、「"いじめ"を肯定的に取り扱わないように留意する」という放送基準審議会からの要望(1999年6月)の趣旨に反するという理由で見解を公表し、番組制作者に注意を喚起している。

さらに、当委員会は2007年10月23日に、バラエティー番組の中でよく行われる「罰ゲーム」に関して、「出演者の心身に加えられる暴力」に関する見解を発出している。同見解は、出演者をいたぶる暴力シーンについて、バラエティー番組を好んで視聴している中学生モニターさえも「人間に対する否定的な扱い」に対して一様に不快感を表明したことを紹介するとともに、暴力シーンと未成年者の「いじめ行動」との直接的な関係に関しては、いまだ確定的な結論が見出されていない現状ではあるものの、多くの青少年がテレビメディアの公共性を信頼している中において、「人間を徒らに弄ぶような画面が不断に彼らの日常に横行して、彼らの深層に忍び込むことで、形成途上の人間観・価値観の根底が侵食され変容する危険性もなしとしない」と述べ、番組がこうした動きを増幅させないよう一考を促している。

当委員会に寄せられる視聴者意見や中高生モニターの意見
当委員会は、上記をはじめとした一連の見解、委員会の考え及び委員長コメント等が番組制作者に共有され、バラエティー番組の企画制作に活用されていることを願うものである。しかし、ここ数年間、「出演者の心身に加えられる暴力」を演出内容とするバラエティー番組に関して、当委員会に寄せられる「いじめを助長する」「不快に感じる」という趣旨の視聴者意見は減少していない。また、近時の中高生モニターからも、「本当に苦しそうな様子をスタジオで笑っていることが不快」「出演者たちが自分たちの身内でパワハラ的なことを楽しんでいるように見える」など、不快感を示す意見が一定数寄せられている。
他方において視聴者からは、これまでにもバラエティー番組に対してBPOが見解等を表明することにより「テレビがつまらなくなる」「家庭の教育の問題」というような趣旨の意見、また当委員会が「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」について審議を開始したことに対して、「BPOの規制により番組の多様性を失う」「表現の自由の範囲内の内容だ」「いじめは家庭のしつけの問題」などの意見も寄せられている。
あらためてBPOは、放送における表現の自由を実質的に確保するとともに、青少年の健やかな成長と発達にも資することを目的として、放送界が自ら設置した第三者機関であることを確認したい。今なおテレビが公共性を有し放送されることは、権威を伴って視聴者に受け容れられているといってよい社会状況のなかで、暴力シーンや痛みを伴うことを笑いの対象とする演出について番組制作者に引き続いて検討を要請するために、この見解を示すことにした。

審議の経過
当委員会は、2021年8月24日開催の委員会において「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」について審議することを決定し、その後、2022年3月22日まで7回にわたり委員会で審議した。審議の過程で、2009年11月17日公表の「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」を発出したBPO放送倫理検証委員会の委員の一人であった水島久光東海大学文化社会学部教授からのヒアリング及び意見交換、バラエティー番組制作に携わるテレビ局関係者との意見交換、2021年度青少年モニターとの意見交換を行った。

暴力シーンの意味
暴力シーンは、それ自体で視聴者に情動反応を引き起こし、幼少児では模倣行動を惹起するという意味で、その放映には十分な注意が必要である。しかし、番組の中で暴力シーンが提示される文脈(ストーリー)や、暴力を振るう個人と暴力を振るわれる個人の関係性によってその意味が大きく違ってくる。
事前に両者の間の一定の了解ないしはルールが明示されている場合と、そうでない場合で、視聴者の受ける情動的インパクトは大きく異なる。ルールのある格闘技(たとえルール破りという演出があっても)や、ドラマの中での暴力シーンは、幼少児を除いては、両者の了解のもとに行われる一種の演技であることが視聴者にも明白である。
ところが近年のバラエティー番組の罰ゲームやドッキリ企画は、時として視聴者へのインパクトを増すために、出演者の間では了解されていたとしても、リアリティー番組として見えるように工夫されている。より強いインパクトを求めて、最近のリアリティーショーは、制作者、出演者の作り込みを精緻化させ、大人でさえもリアルとしか思えないような演出がなされることもある。中高生モニターの高校生の中には、制作者と出演者の間の了解を理解している例も見られるが、視聴者が小学生の場合は、作り込まれたドッキリ企画をリアリティー番組としてとらえる可能性は高い。

近年には、多数の視聴者からの批判が寄せられた以下のような番組がある。

刺激の強い薬品を付着させた下着を、若いお笑い芸人に着替えさせ、股間の刺激で痛がる様子を、他の出演者が笑う番組があった。被害者のお笑い芸人は、事前にある程度知らされていたのかもしれないが、痛みはリアルであり、周りの出演者は他人の痛みを嘲笑していた。

深い落とし穴に芸人を落とし(ここまではドッキリ番組の定番であるが)、その後最長で6時間そのまま放置するというドッキリ番組もあった。その穴から脱出するための試みが何回となく放映され、脱出に失敗して穴の中に落ちる芸人を、スタジオでビデオを視聴する他の出演者のうち何人かが、嘲笑するというものもあった。

この2つの事例は、視聴者と、心身に加えられた暴力に苦悶する出演者の間に、それを見て嘲笑する他の出演者が入るという多重構造になっている。
この「他人の心身の痛み」を周囲の人が笑う場面が、リアリティーショーの体裁として放映されることの中に、2007年の当委員会の見解の中で憂慮した「人間を徒らに弄ぶような画面が不断に彼らの日常に横行して、彼らの深層に忍び込むことで、形成途上の人間観・価値観の根底が侵食され変容する危険性」が現実化しかねない、以下に述べる理由がある。

「他人の心身の痛み」を周囲の人が笑うことを視聴することの意味
近年の発達心理学と脳科学の発達によって、人の社会性や情動性の発達に関わる脳内活動についての理解が深まった。人が健全な社会性を獲得する上で重要な、「他者の気持ちや意図を理解する能力の発達」が、ミラーニューロン系と呼ばれる一連の脳内回路によって担われていることも明らかになっている。他者の表情や行動を見ることによって、自分が同等の表情(感情)や行動をしたときに活性化される脳内部位があり、それがミラーニューロンにあたる。たとえば他者の痛みによる苦悶の表情を見ると、自分が同様の痛みを感じたときに活性化する、自身のミラーニューロンが活性化することがわかっている。「他者の苦痛を慰撫することで、自分のミラーニューロンの活動(投影された痛み)が軽減するという仕組み」が、共感性発達の重要な鍵になるのである。子どもは「他者が慰められたり苦痛から解放されたりするシーンを見ること」で、自分自身も解放され、自然に他者の困難を助けようとする共感性を発達させてゆく。幼少時から、苦痛や困難に苦しむ人が他の人によって慰められたり助けられたりする場面を見ないで育った子どもは、共感性の発達が障害される可能性が高くなる。幼少時に虐待を受けた子どもが、自分が親になったときに、自らの子どもを虐待する率が高いこと(虐待の世代間連鎖)も、こうした共感性発達の障害が原因であると考えることができる。

では、バラエティーのドッキリ番組で、リアルに(見える)心身の痛みに苦しむ芸人を、周囲の他の出演者が嘲笑しているシーンを見たらどうなるだろうか。「苦しんでいる人を助けずに嘲笑する」シーンは、ミラーニューロンの活動を軽減せず、子どもの中に芽生えた共感性の発達を阻害する可能性があることは否めない。さらに他人の心身の痛みを嘲笑している人が、子どもが敬愛し憧れの対象である芸人だとしたらその影響はさらに大きなものになるであろう。

このように、攻撃的な場面が繰り返される番組が、人間の心理、とりわけ子どもの行動傾向および心理発達に与える影響については、多くの科学的エビデンスがもたらされている。米国を始めとする先進国において、過去60年間に蓄積された心理学・医学・社会学等の論文をメタ分析した研究では、暴力的な映像を日常的に視聴する青少年には、攻撃行動の増加および暴力に対する鈍感さ(脱感作)や、向社会的行動(例:援助行動)の減少と共感性の低下等々の心理・行動の変化が起きることが確認されている。暴力的な状況下で被害者が痛みを伴う場面を繰り返し視聴することには、視聴する子どもの攻撃性を増す危険因子があることが実証されているのである。こうした子どもの攻撃性は、視聴直後に現れるとは限らない。6歳から10歳の子どもが、攻撃的な場面の多い映像を視聴し続けたあと、その子どもが15歳から18歳になる頃に、攻撃的・反社会的行動の発現の頻度が高まることを示す縦断研究があることは、映像の視聴の影響が潜在的に長期に及ぶことを示唆するものである。

さらに、当委員会では、前述のように2000年と2007年に見解を出しているが、2013年に「いじめ防止対策推進法」が成立するなど、この15年の間にいじめをめぐる社会的認識は大きく変化している。テレビで演出される「他人に心身の痛みを与える行為」を、青少年が模倣して、いじめに発展する危険性も考えられる。また、スタジオでゲストが笑いながら視聴する様子が、いじめ場面の傍観を許容するモデルになることも懸念される。

結びとして
当委員会は、もとより番組制作者に対してバラエティー番組の基準やルールを提示することを目的として本見解を出すものではない。
気持ちの良い笑いが脳を活性化させてリラクゼーション効果をもたらし、ストレスを解放して、円滑な人間関係にもつながることは多くの人が実感するところである。バラエティー番組がテレビにおける重要なジャンルの一つであることは疑いようがなく、当委員会は、テレビ局関係者との意見交換等をとおして、制作者が限られたリソースのなかで工夫を重ね、視聴者に快い笑いを届けるために努力を重ねていることも認識しているつもりである。
その上で、70年余のテレビの歴史とその公共性に鑑みれば、その時々の時代や社会状況のなかで、視聴者を楽しませるバラエティー番組の制作を実現するためには、番組制作者の時代を見る目、センスや経験、技術を常に見直し、改善し、駆使することが重要であることを改めてお伝えしたい。
そして、「他人の心身の痛みを嘲笑する」演出が、それを視聴する青少年の共感性の発達や人間観に望ましくない影響を与える可能性があることが、最新の脳科学的及び心理学的見地から指摘されていることも事実であり、公共性を有するテレビの制作者は、かかる観点にも配慮しながら番組を作り上げていくことが求められている。
当委員会は、番組制作者がテレビの公共性や青少年に与える影響を真摯かつ謙虚に受けとめながら、今後もさらに表現に工夫を凝らしてバラエティー番組の楽しさを深め、広げていくことを期待して、本見解を出すことにした。

以上

2013年3月4日

東海テレビ『幸せの時間』に関する【委員長談話】

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2013年3月4日
放送倫理・番組向上機構【BPO】
放送と青少年に関する委員会
委員長 汐見 稔幸

昨年の11月に始まった東海テレビ制作の連続ドラマ『幸せの時間』については、放送開始直後から、昼間の番組であるにもかかわらずその性的描写が過激であるとの批判が視聴者意見として多数寄せられました。
BPO青少年委員会では、子どもが視聴する可能性のある時間帯の放送であったこともあり、本番組を委員全員で視聴し、討論した結果、審議すべきであるとの判断にいたりました。そして、2013年1月の臨時委員会で東海テレビの制作責任者等関係者と意見交換を行いました。しかし、この意見交換会当日の局側の意見では、十分に納得のいく説明がされていないと判断せざるをえませんでした。そこで、その内容を「青少年委員会の受けとめ」という文書でBPO報告等に掲載し、東海テレビに対しては改めて「今後に向けて」とする要請を行いました。
この文書で私たちは3つのことについて改めて回答を要請しました。それは(1)青少年委員会で提示した委員会の意見を受けて、社内でどのような議論と検討が行われたかを示してほしい、(2)今後このような問題を繰り返さないために、どのような体制やシステムを構築するか、再発防止策を示してほしい、(3)地上波の公共性に対する局側の認識を示してほしい――この3点でした。それに対して、2月の委員会の直前に東海テレビから「ご報告」という文書が届きました。この文書を委員会で精査しましたが、報告では上記3点について誠実に回答されていますし、1月の意見交換の時よりも、問題の本質を把握しようとする姿勢と問題点の自覚、今後の再発防止策の提示、公共性の責務への自覚などの点で明らかな深化を示していると判断できるものでした。その点で、東海テレビ側の今回の対応を評価したいと考えます。
私たちが今回の事例で最も重視した論点は、テレビというメディアの持つ公共的責任ということでした。東海テレビの「報告」にも「制作現場に地上波の公共性についての認識が十分に共有されていなかったことは否めません」と書かれていますが、このことは今後、各局とも強く自覚していただきたいと思っています。
テレビ・ラジオの公共性ということばには、誰もが見、聴く可能性があることへの配慮が大事という意味あいがあることはもちろんですが、それ以上に大事なのは、テレビ・ラジオの番組内容が国民の教養形成に与える影響の大きさです。公共というのは、すべての人々に関わるということで、公共の責任とは"公共善"の実現への責任ということを意味します。誰にとってもそれが善であるというあり方を求める責任が公共責任で、その自覚が公共意識です。
テレビやラジオは、いまやネットの世界とともに、国民の教養形成の最重要のメディアです。教養とはcommon senseつまり人間に共通の感覚のことで、何にこそ感動し何にこそ怒るべきかという国民共通のセンスのことです。今回の『幸せの時間』のようなシーンが昼間堂々と流されることで、視聴率競争の激しい文脈の中では、これが標準パターンとして是認されていくということを、私たちは懸念しました。外国人は、これが日本人の教養だと認知していく可能性があることも含めて、こうした教養形成の問題に制作側がどれだけ自覚的であったのかということを問題にしたのです。番組の制作者側はそうした"公共善"の実現の仕事をしているという自覚をこれからも是非持っていただきたいというのが、今回の事例に対する委員会の基本的要望です。
その点について、東海テレビ側はきちんと対応すると明言しています。その姿勢を多としたのですが、これを現場の制作スタッフだけの問題ではなく、局全体の問題として取り組んでくださることを強く願っています。
また、今回の番組に対しては東海テレビに視聴者から多くの苦情が届いていること、番組審議会、そして局の第三者機関である「オンブズ東海」でも厳しい意見が出たと聞いています。今後、これらの機関を積極的・有機的に活用して、きちんと自律的な番組つくりを心がけてほしいと願っています。

以上

2007年10月23日

「出演者の心身に加えられる暴力」に関する見解について

2007年10月23日
放送と青少年に関する委員会
委員長 本田 和子

青少年委員会では、テレビのバラエティー番組における罰ゲームなどに関し、放送関係者に対応を求める次の見解を発表しました。
今回の見解は、バラエティー番組において「罰ゲーム」に代表される「出演者の心身に加えられる暴力・性的表現」に関し、視聴者の厳しい意見を踏まえ、青少年委員会で慎重に審議を重ねた結果、青少年の人間観・価値観を形成するうえで看過できないこととして、BPO加盟社(NHK、日本民間放送連盟会員の放送事業者)に対し、遺憾の意を表明し今後の対応を求めたものです。

全般的に視聴率が高いとされるバラエティー番組に関して、しばしば、視聴者から批判的見解が寄せられる。その大半は、番組のおおよそは認めながらも、いわゆる「罰ゲーム」に代表される「出演者の心身に加えられる暴力」と「性的表現」についてのコメントで、「青少年に与える影響を考慮し、中止あるいは内容の検討を要望する」というものである。

本委員会は、このことをめぐって、以下のような対応を取ることとした。

  • 平成12年に「青少年委員会」から提案された「罰ゲーム」に関する見解を確認し、それに対する制作者側のその後の対応を検討する。
  • 現在放送されている番組中の「罰ゲーム」を検討する。
  • 7月下旬に開催される「中学生モニター会議」において、中学生視聴者の見解を問う。
  • 上記資料を参照して、本委員会の見解を表明する。

委員相互の申し合わせに則り、本委員会としては「罰ゲームに代表される出演者の心身に加えられる暴力・性的表現」に関して、以下の見解を表明したいと考える。

見解

現在放送中のテレビのバラエティー番組において、「罰ゲーム」に代表される「出演者の心身に加えられる暴力・性的表現」に関しては、ものによっては若干の減少がみられるが、あるものに関しては時を追うごとに過激化する傾向も見受けられる。このことに関して、本委員会は以下の理由により、遺憾の意を表明し今後の検討を要望したい。

Ⅰ. 平成12年11月委員会見解との対応

平成12年11月、「放送と青少年に関する委員会」は、「バラエティー系番組に対する見解」を表明し、番組中の「暴力表現」や「性描写」に関して、民放連放送基準の条文数ヶ所に抵触し、また、放送基準審議会による平成11年要望の主旨に悖るものとして検討を要請している。

しかし、現在放送中のバラエティー番組の「出演者に加えられる暴力」および「性的表現」に関して、内容と表現に関して若干の改善が認められるものの、必ずしも委員会要望が遵守されているとは言い難く、改めてさらなる検討を要望したいと考える。仮に、委員会要望が繰り返し無視されるとすれば、本委員会と番組制作者との協同作業たるメディアの自浄作用を疑わせる結果を生み、現在進行中のメディアに対する法規制の動きを促進する恐れがあると危惧されるからである。

Ⅱ. 中学生モニターの所見

モニター会議に参加した中学生のなかで、好んで見る番組としてバラエティー番組を挙げた者があったが、それらの者たちは、「出演者をいたぶる」暴力シーンに関して、一様に不快感を表明していた。彼らは、これらの暴力シーンが、「いじめ」等の日常行動に与える直接的な影響は否定しつつも、「人間に対する否定的な扱い」に対して不快感を表明し、さらなる改善を求めたのである。

「暴力シーン」が視聴者の不快感を触発することは、青少年委員会の「青少年へのテレビメディアの影響調査」によっても明らかにされている。

以上の結果を踏まえて、「視聴者の不快感を触発するシーンを、あえて、番組中に挿入する理由」を問い、改善の余地があるものとみて更なる検討を要請したい。

Ⅲ. 「暴力シーンが“いじめ”を誘発するとする視聴者見解」に関して

放送される暴力シーンと、未成年者の「いじめ行動」との直接的な関係に関しては、多くの調査研究があるが、いまだ確定的な結論が見いだされていないというのが現状である。

したがって、放送される番組中の特定シーンと頻発する青少年非行との間に因果関係を特定することは困難ではある。しかし、民放連放送基準にも明文化されているように、「社会の秩序、良い習俗・習慣を乱すような言動は肯定的に取り扱わない」「性に関する事柄は、視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意する」等々の留意事項は、テレビメディアの持つ公共性ゆえに「自らに課した自己規制」であって、軽々に無視すべきではないと考える。

メディアツールの多様化が進む現状にあって、なおかつ、多くの青少年はテレビメディアの公共性を信頼している。そのゆえに、放送されている内容や表現はすべて、「社会的に肯定されている」と受け止められやすい。したがって、人間を徒に弄ぶような画面が不断に彼等の日常に横行して、彼等の深層に忍び込むことで、形成途上の人間観・価値観の根底が侵食され変容する危険性もなしとしないので、これらの動きが今後とも増幅されることのないよう一考を促す次第である。

なお、この「見解」を貴局の放送番組審議会へ報告されることを希望する。

以上

2012年3月2日

子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望

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2012年3月2日
放送倫理・番組向上機構【BPO】
放送と青少年に関する委員会

青少年委員会は3月2日、東日本大震災報道と子どものPTSD(心的外傷後ストレス障害)等の心理的ストレスとの影響について、1月開催の第129回、および2月開催の第130回委員会で議論を重ねた結果、「子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望」を公表いたしました。

2011年3月11日に発災した東日本大震災後、各局が24時間体制で伝えた震災報道は、国民の知る権利に応えるとともに、被災者支援にも大きな力を発揮しました。また起こりうる災害に備えるためにも、今後、この事実を伝え続けるためにも、報道はますます重要になるものと思われます。
私たちは、真実を伝える報道の重要性を尊重しつつも、その一方で、子どもたちの震災ストレスに十分注意し、適切なケアを行う必要があると考えています。震災以後、青少年委員会にも震災報道を視聴することによるストレスについて多くの意見が寄せられてきました。
こうしたことを踏まえ、東日本大震災から間もなく1年を迎えようとする今、青少年委員会では各放送局の自主・自律性を最大限に尊重した上で、以下の3点をお願いすることにいたしました。

  • 震災関連番組内で、映像がもたらすストレスへの注意喚起を望みます。
    青少年委員会は、各局が映像によるストレスへの配慮をしながら震災関連番組を制作してきたことを評価するものです。また、注意喚起を行ってきた番組の存在も十分に承知しております。今後放送される番組内でも、映像によるストレスについての注意喚起が引き続き行われていくことを望みます。
  • 注意喚起は、震災ストレスに関する知識を保護者たちが共有できるように、わかりやすく丁寧なものとすることを望みます。
    注意喚起は、子どもたちを映像によるストレスから守る立場の保護者に向けたメッセージとして効力のあるものでなくてはならないと考えます。番組内で行われる注意喚起のあり方と内容について、各局でさらに十分に協議し、放送されることを望みます。
    震災ストレスに対する啓発のための番組の制作、および情報番組や報道番組内での詳しい解説による保護者たちへの情報提供についてもご検討いただけると幸いです。
  • 特にスポットでの映像の使用には十分な配慮を望みます。
    番組宣伝のためのスポットは、予告なく目に飛び込んでくること、前後の脈絡がない中で映像が切り取られて使用されることなど、受ける衝撃は通常の番組よりも強いものとなることが懸念されます。震災関連番組のスポットで使用する映像に関しては、子どもたちへのストレスを増長する危険性の有無について協議した上で、十分な配慮を望みます。

本委員会では、2002年3月15日に、前年の大阪の児童殺傷事件やアメリカの同時多発テロ報道を契機とした議論をもとに、「『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮』についての提言」を発表しました。提言では「テレビ報道が『事実』を伝えるのは、国民の『知る権利』に応えることであり、民主主義社会の発展には欠かせないものである。その伝える内容が暗いものであったり、時にはショッキングな映像であったとしても、『真実』を伝えるために必要であると判断した場合には、それを放送するのはジャーナリズムとして当然である。子どもにとってもニュース・報道番組を視聴することは市民社会の一員として成長していく上で欠かせない。」としています。その上で、子どもをPTSD(心的外傷後ストレス障害)等の心理的ストレスから守るため「刺激的な映像の使用への注意」「『繰り返し』効果がもたらす影響への検討」を求めました。

本委員会は同提言を踏まえ、東日本大震災の報道により、PTSD等子どもたちの被害を拡大させないために、あらためて各放送局に要望することにいたしました。

≪ 参考資料 ≫
BPO青少年委員会「『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮』についての提言」2002・3・15
民放連・放送基準審議会「『番組情報の事前表示』に関する考え方について」2001・7・19

以上

2009年11月2日

「青少年への影響を考慮した薬物問題報道についての要望」


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2009年11月2日
放送倫理・番組向上機構【BPO】
放送と青少年に関する委員会

青少年委員会は11月2日、青少年と薬物をとりまく社会情勢と、一連の薬物問題報道に対する視聴者からの多数の意見を踏まえ、9月開催の第104回、および10月開催の第105回委員会で議論を重ねた結果、「青少年への影響を考慮した薬物問題報道についての要望」を公表いたしました。

青少年と薬物の現状

警察庁等のデータによると、日本の薬物犯罪は覚せい剤を中心的課題として、大麻事犯の検挙人員は10年前の約2倍に増加しているほか、合成麻薬事犯については押収量が急増しています。また、薬物事犯全体の検挙者数は減少傾向にあるものの、特に青少年については、大麻、MDMA等合成麻薬事犯の検挙人員の6割強を未成年者及び20歳代の若年層が占めており、将来が懸念される事態となっています。
青少年委員会はこうした社会環境を踏まえ、「青少年と薬物」についていかに報道するかは放送事業者にとって重要なテーマのひとつと考えています。

一連の薬物報道について

青少年委員会ではこうした社会的状況と視聴者意見を踏まえ、「青少年と薬物問題」の専門家から現状について意見を聴く機会を設けた上、委員会で審議した結果、各放送局に対し、以下のことを要望することとしました。

  • 啓発
    青少年が薬物の使用に至る主な動機は好奇心であり、薬物被害の本質が知らされていないため、少しくらいなら大丈夫だと思って使用していることが明らかになっています。また、最近は危険な薬物をカタカナやアルファベットで表現することにより、ある種のファッション感覚で安易に薬物に手を染める青少年が増加しているといわれています。こうした傾向を回避するため、各放送局には薬物報道にあたって、単に事件報道にとどまらず、薬物が個人の健康や社会に与える深刻な被害の実態――薬物が時に緩慢な人間破壊の兵器になっている――を正確に伝え、青少年が薬物について考え、使わない選択に導くための番組制作を要望いたします。
  • 表現
    今夏以降の報道のうち、薬物の入手経路、使用方法などの放送上の表現について、「青少年にドラッグや覚せい剤に興味を与えるだけ」などの視聴者意見が届いています。日本民間放送連盟「放送基準」では、第10章の犯罪表現の中で第67条「犯罪の手口を表現する時は、模倣の気持ちを起こさせないように注意する」、第69条「麻薬や覚せい剤などを使用する場面は控え目にし、魅力的に取り扱ってはならない」としています。各放送局は上記放送基準の趣旨を充分に理解した上で番組制作にあたり、青少年に薬物への興味を惹起させるような表現がないよう、極めて慎重な配慮を要望い
  • 多角的報道
    薬物をめぐっては規範意識の向上を含めて、極めて多角的な側面があります。大量の薬物を密輸・密売する犯罪組織が存在しその資金源の一部になっていること、薬物使用者ばかりではなく、その家族までもがいつの間にか犠牲になるような事態が生じていること、薬物使用者の治療と社会復帰への支援が必要なことなど、さまざまな社会問題を総合的に解決しない限り、薬物の根絶という課題は解決することはできません。各放送局には、薬物犯罪を犯した個人に焦点を当てるだけでなく、その背景や影響をふくめて多角的に報道し、薬物問題の解決に向けて取り組まれることを要望いたします。

一連の薬物事件について、各放送局では連日にわたって、まさに過熱ともいえる長時間の報道がなされました。本委員会としても一連の報道についての量及び内容に疑問を抱かざるをえないところです。薬物犯罪の背景にある社会問題への怒りを欠いた報道は、青少年に無用な好奇心を抱かせるだけに終わることがあります。「薬物根絶」へ向けての取り組みは現在、社会的要請であり、本委員会は青少年への影響を考慮した報道がなされるべきと考え、以上3点を各放送局に要望することにいたしました。

以上

2008年4月11日

注意喚起 児童の裸、特に男児の性器を写すことについて

2008年4月11日
放送倫理・番組向上機構(BPO)
放送と青少年に関する委員会(青少年委員会)
委員長 大日向 雅美

BPOに寄せられる意見の中で、”男児の全裸や性器を写す”ことに対する批判意見が年々急増しています。05年度には6件だったものが、06年度には18件、07年度には42件ありました。

批判意見としては、例えば、「ニュース番組で小学生の強化合宿に密着取材し、小学6年の男児が合宿所で局部丸出しの状態で入浴しているシーンをモザイクやボカシ等の映像処理もなく、そのまま放送していた。仮にこの入浴シーンが動画サイトに投稿された場合、児童に対し局はどのような責任を負うのか」「お笑い芸人のお宅での入浴シーンで6歳と11歳の兄弟の性器が写っていた。その兄と同年齢の私の息子が、『もう6年生になるのに恥ずかしい。それに、学校で馬鹿にされちゃうよ』と言っていた。”男の子は性に開放的であれ”といった考え方も確かにあるが、日本が児童ポルノの発信地と揶揄され、また、男の子が性的な被害に遭うニュースも珍しくなくなってきた昨今、裸体をさらす、イコール男らしさとする保守的な精神論は時代にマッチしないと思う」といった意見が述べられています。

指摘を受けた番組は、性器をことさら大写しにしたものではなく、番組制作側の意図も、裸の映像をおおらかな、家族的シーンとして放送したものであると思われます。しかし、それでもなお、視聴者の中には、映像を見て不快に感じ、画面の悪用を懸念する声があがっていることも事実です。

近年、由々しき傾向として、乳幼児を含むあらゆる年齢の女児と男児の裸体が、インターネットの普及と合成写真を作成する機器の発達で、世界中でポルノ制作のために利用されるなど、児童ポルノの氾濫が国際的現象となっている状況を指摘し、番組内の映像が加工されて児童ポルノとして利用される事態を懸念する声が強まっているのです。

青少年委員会では、こうした視聴者意見の動向に注目するとともに、社会的な”児童ポルノ”に対する考え方も勘案して、昨年11月から5回にわたって、この問題を議論してきました。”児童ポルノ”の撲滅を訴えているグループの代表から現状について意見を聞く機会も持ちました。その結果、一般的に児童ポルノといえば女児と思われがちですが、かなりの割合で男児ポルノが含まれていることが明らかとなりました。日本での数値は正確に把握されてはいませんが、違法・有害情報の発信に関する情報収集と対処を目的として、2006年6月に開設されたインターネット・ホットラインセンターに通報されたサイトの20%弱が男児のものでした。また、昨年7月に神奈川県警に摘発された男児ポルノサイトには1日平均6000件、3年間で684万件のアクセスがあったといいます。視聴者意見にもあるように、もはや男児の全裸が”おおらかさ””ほほえましさ””開放感”だけを表現するものではなくなってきていることを十分に認識する必要があります。とりわけ、大きな影響力をもつテレビ放送にあっては、この認識が欠かせない段階にすでに立ち至っていると判断いたします。

なお、テレビで放送された児童の裸体が、インターネットで悪用されたという確証は得られておりません。しかし、インターネット上に男児を含む児童ポルノが氾濫しているのは事実であり、出会い系サイトや盗撮を利用したものに限らず、児童の様々な映像がモーフィング(合成)され出回っていることからも、テレビで放送された裸体や性器が悪用される可能性は十分にあると考え、対処にあたる必要があります。

一度インターネットに利用されると、その画像は半永久的に残り複製され続けて、児童の成長後に深い心の傷を残すことが懸念されます。また、そうでない場合でも、テレビ画面の中で自分の裸体や性器を写された児童が、後日友だち間でからかいの対象となるなど、著しく羞恥心を感じて傷つくことも考えられます。いずれも児童の人権保障の観点から、十分な配慮すべきことと考えます。

本委員会は、もとより番組制作者の表現の幅を狭めるつもりはありません。しかし、現在の”児童ポルノ”をめぐる状況を憂慮し、民放連放送基準78条にある「全裸は原則として取り扱わない」とする原則を踏まえて、テレビ映像の悪用を予防する観点から、テレビ関係者に注意を喚起するよう求めることといたしました。

以上

2006年10月26日

「少女を性的対象視する番組に関する要望」について

2006年10月26日
放送倫理・番組向上機構[BPO]
放送と青少年に関する委員会委員長
本田 和子

青少年委員会では、2006年6月から、少女を性的対象視する番組への視聴者からの厳しい意見を踏まえ、議論を続けてきました。

その結果、児童の人権・福祉の観点からも看過することはできないこととして、2006年10月26日に「少女を性的対象視する番組に関する要望」を公表し、NHK、民放各社に対し配慮を求める要望書を送付しました。

最近のテレビ番組において、幼いエロティシズムの過剰表現を素材とする番組が目立つように思われる。こうした傾向は、少女を性的対象視する風潮を増幅する危険性が高い。
また児童が被害者となる性犯罪が頻発していることから、視聴者からも、このような番組が性犯罪に及ぼす影響を懸念する意見が多数寄せられている。
委員会においても検討を重ねた結果、児童の人権と福祉の観点からも憂慮すべき傾向であり、このまま看過することはできないとの結論に達した。
青少年問題に関する規制強化の動きに対して、放送局の自主自律を堅持するためにも配慮をお願いしたく、下記のとおり要望するものである。

幼い少女に過度に性的な姿態を演じさせ、それを競わせるような番組は、少女を性的対象視するものに他ならない。幼少期から過剰に性的対象視されることは、少女自身の形成途上の自我意識を、肉体や性に固着した皮相な自己関心に陥らせる危険がある。
さらには、本来成人による児童の性的搾取あるいは性的虐待ととらえられるべき、いわゆる“援助交際”を、単なる風俗上の関心のみで扱った情報系番組が散見される。
これらは、いずれも児童の性および性意識の発達に関する権利と福祉の侵害であり、「児童の権利条約第34条」、「児童買春、児童ポルノに係わる行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」に抵触し、さらには、放送界が自主的に定めている「放送基準」や「番組基準」の趣旨に反するものとして危惧の念を禁じえない。
また、仮に当該児童および保護者の同意が得られたとしても、当該番組が出演者のみならず視聴者の上にも及ぼす影響を勘案するとき、同様の懸念を抱かざるを得ない。
よって、本委員会は、今後児童を出演させる番組、および児童を対象とした情報系番組等の制作に関して、上記の法および基準の趣旨を十分に尊重され、出演者および視聴者に対して適切な配慮がなされることを要望する。

[参 考]

「児童の権利に関する条約」

第34条 締約国は、あらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から児童を保護することを約束する。このため、締約国は、特に、次のことを防止するためのすべての適当な国内、二国間及び多数国間の措置をとる。

  • a. 不法な性的な行為を行うことを児童に対して勧誘し又は強制すること。
  • b.売春又は他の不法な性的な業務において児童を搾取的に使用すること。
  • c.わいせつな演技及び物において児童を搾取的に使用すること。

「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」

第1条 この法律は、児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利の擁護に資することを目的とする。

「日本民間放送連盟 放送基準」

  • (4)人身売買および売春・買春は肯定的に取り扱わない。
  • (21)児童を出演させる場合には、児童としてふさわしくないことはさせない。特に報酬または賞品を伴う児童参加番組においては、過度に射幸心を起こさせてはならない。
  • (79)出演者の言葉・動作・姿勢・衣装などによって、卑わいな感じを与えないように注意する。

以上

2005年12月19日

「児童殺傷事件等の報道」についての要望

2005年12月19日
放送倫理・番組向上機構[BPO]
放送と青少年に関する委員会

青少年委員会では、頻発する児童殺傷事件等の報道に関わる視聴者からの意見を受けて審議をすすめた結果、2005年12月19日に、これらの事件報道について放送関係者に更なる検討、配慮を求める要望を行いました。
青少年委員会は、2002年3月にも「『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮』についての提言」を出していますが、今回の要望は、昨今の子どもが関わる事件報道について、BPOに「犯行手口等を詳細に報道しすぎる」「被害者の同級生等へのインタビューは配慮を欠くのではないか」「被害者の文集等の放送は如何なものか」といった視聴者からの意見が寄せられていることを踏まえ、各委員の日頃の番組視聴も基にして審議した結果、上述の意見に関連する事項を主な要望点としています。
また、今回の要望は、特定の番組を指すものではなく、放送界全体への要望となっています。

昨今、頻発する児童殺傷事件等の報道について、BPOに視聴者から厳しい意見が寄せられている。これを受けて、放送と青少年に関する委員会(以下、青少年委員会)は審議をすすめた結果、一部ではいまだ憂慮すべき点が見受けられることから、放送界のさらなる検討、配慮が望ましいとの見解に達した。
青少年委員会は、既に「『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮』についての提言」(2002年3月15日)を出しているが、再度、以下のとおり要望を行うこととした。
まず、前回提言にある要望事項を、再確認のために次に引用する。

  • 衝撃的な事件・事故の報道では子どもたちへの影響が大きいことを配慮し、刺激的な映像の使用に関しては、いたずらに不安をあおらないよう慎重に取り扱うべきである。特に子どもが関係する事件では特別の配慮が求められる。
  • 子どもは言葉の理解が不十分なため、映像から大きなインパクトを受け易い特性がある点に留意し、特に「繰り返し効果」のもたらす影響については慎重な検討と配慮が求められる。
  • ニュース番組内、あるいは子ども向け番組で、日常的に、子どもにも分かるニュース解説が放送されることが望ましい。
  • 衝撃的な事件・事故の報道に際しては子どものことを配慮した特別な番組作りも研究、検討に値しよう。また、影響を受けた子どもの心のケアに関して保護者を支援する番組を即座に組めるよう、日頃から専門家チームと連携を図ることが望ましい。

上記提言は、事件・事故報道と視聴者たる子どもとの関係に関する問題把握に基づき、放送関係者に論議と今後の対策を要望したものであった。これらを踏まえて、放送界でも相応の検討や対応がなされてきているが、テレビの報道が、視聴者たる子どもの心性に直接訴え得るメディアであることに留意し、事件報道に関する更なる配慮を望んで止まない。

前回提言に加え、児童殺傷事件等の報道に関して、現委員会が特に検討を求めたい事項を以下に掲げる。

    (1) 「殺傷方法等の詳細な報道」に関して
    凶器・殺傷方法・遺体の損傷状況等を詳細に報道することは、模倣を誘発したり、視聴者たる子どもを脅えさせるおそれがあるなど、子どもへの好ましくない影響が懸念されるので、十分な配慮が必要である。

    (2)「被害児童の家族・友人に対する取材」に関して
    家族や友人等への執拗な取材、特に児童へのインタビューは、悲惨な事件によって打ちひしがれた心をさらに傷つけることにもなりかねず、また、親しい者の死を悼む子どもの心的領域に踏み込む行為でもあるので、慎重を期すよう要望したい。なお、被疑者家族への取材にも一層の配慮が望ましい。

  • (3)「被害児童および未成年被疑者の文章等の放送」に関して
    プライバシーおよび家族の心情への配慮という観点から、これらの放送には、より慎重な扱いが必要と思われる。

以上

2004年12月8日

「血液型を扱う番組」に対する要望

2004年12月8日
放送倫理・番組向上機構[BPO]
放送と青少年に関する委員会

青少年委員会では2004年6月以降、“非科学的事柄を扱う番組”について検討していましたが、特に“血液型関連番組”に対して多くの視聴者から批判的な意見が寄せられたことから、10月の委員会で、これまでに意見集約した内容を公表することを決定。
11月の委員会で川浦康至委員が起草した原案を基に議論を深め、さらに若干の加筆・修正をした上で、12月8日開催の委員会当日に記者会見を開いて公表しました。

「血液型を扱う番組」が相次ぎ放送されている。それらの番組はいずれも、血液型と本人の性格や病気などとの関係があたかも実証済みであるかのごとく取り上げている。放送と青少年に関する委員会(以下、青少年委員会)にも、この種の番組に対する批判的意見および番組がもたらす深刻な状況が多数寄せられている。

それらの意見に共通するのは、「血液型と性格は本来、関係がないにもかかわらず、番組の中であたかもこの関係に科学的根拠があるかのように装うのはおかしい」というものである。意見の中には、「これまで娯楽番組として見過ごしてきたが、最近の血液型番組はますますエスカレートしており、学校や就職で血液型による差別意識が生じている」と指摘するものもあった。

放送局が血液型をテーマとした番組を作る背景には、血液型に対する一種の固定観念とでもいうべき考え方や見方が広く流布していることがあげられる。

しかし、血液型をめぐるこれらの「考え方や見方」を支える根拠は証明されておらず、本人の意思ではどうしようもない血液型で人を分類、価値づけするような考え方は社会的差別に通じる危険がある。血液型判断に対し、大人は“遊び”と一笑に付すこともできるが、判断能力に長けていない子どもたちの間では必ずしもそういうわけにはいかない。こうした番組に接した子どもたちが、血液型は性格を規定するという固定観念を持ってしまうおそれがある。

また、番組内で血液型実験と称して、児童が被験者として駆り出されるケースが多く、この種の“実験”には人道的に問題があると考えざるを得ない。

実験内で、子どもたちは、ある血液型の保有者の一人として出演、顔もはっきり映し出され、見せ物にされるような作り方になっている。中には子どもたちをだますような実験も含まれており、社会的にみて好ましいとは考えられない。

青少年委員会では、本年6月以降、番組内での“非科学的事柄の扱い”全般について検討してきたが、ことに夏以降、血液型による性格分類などを扱った番組に対する視聴者意見が多く寄せられるようになった。そこで委員会では集中的に「血液型を扱う番組」を取り上げ、いくつかの番組については放送局の見解を求め、公表してきた。その過程で、放送局は「○○と言われています」「個人差があります」「血液型ですべてが決まるわけではありません」「血液型による偏見や相性の決めつけはやめましょう」など、注意を喚起するテロップを流すようになった。しかし、これは弁解の域を出ず、血液型が個々人の特徴を規定するメッセージとして理解されやすい実態は否定できない。

民放連は、放送基準の「第8章 表現上の配慮」54条で、次のように定めている。

(54) 占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない。
〔解説〕 現代人の良識から見て非科学的な迷信や、これに類する人相、手相、骨相、印相、家相、墓相、風水、運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを肯定的に取り扱わない。

これらを踏まえ、青少年委員会としては、「血液型を扱う番組」の現状は、この放送基準に抵触するおそれがあると判断する。
青少年委員会は、放送各局に対し、自局の番組基準を遵守し、血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長することのないよう要望する。
同時に、放送各局は、視聴者から寄せられた意見に真摯に対応し、占い番組や霊感・霊能番組などの非科学的内容の取り扱いについて、青少年への配慮を一段と強められるよう要請したい。

青少年委員会での検討経緯

2004年5月12日 委員会で、今後議論すべきテーマの一つとして、血液型や怪奇・霊能など“非科学的事柄”を番組で扱う場合の子どもに及ぼす影響について議論すべき、という提案が出され、次回以降、検討に入ることを決定。
6月9日 非科学的事柄を扱う番組について、事務局が内容分類および類型などの資料を作成し、これを基に意見交換。
7月14日 6月頃から、“血液型と性格を関連づける番組”に対して、BPOへ視聴者意見が多数、寄せられた。その多くは、「血液型別に優れているか否かなど決められるわけがない。さも科学的・医学的に立証されているかのように放送するのは問題。青少年への影響を考えない姿勢は問題」など、青少年への影響を心配する意見や苦情だった。委員会として、この種の番組を制作した関西テレビ、TBS、テレビ朝日に対して、視聴者の意見に対する局の見解を求めることにした。
9月8日 血液型関連番組は、その後も放送された。委員会では、10月に放送された番組の一部を視聴し、前月に続き意見交換した。協議の結果、委員会の意見を集約した案文を川浦康至委員が作成し、さらに議論することとした。
10月13日 血液型関連番組は、その後も放送された。委員会では、10月に放送された番組の一部を視聴し、前月に続き意見交換した。協議の結果、委員会の意見を集約した案文を川浦康至委員が作成し、さらに議論することとした。
11月10日 川浦委員作成の『「血液型を扱う番組」に対する要望』原案を基に審議し、原案を了承。その後、若干の加筆・修正を加えたうえで、12月に公表することを決定。
12月8日 『「血液型を扱う番組」に対する要望』を記者会見し、公表。

“血液型を扱う番組”に対する主な視聴者意見

〔2004年4月~11月〕

メール 16歳 男性 愛知

科学的に全く根拠がないのに、さも確実にそうであるかのように放送している。一般人にアンケートをとったというデータや実験も、番組に都合よく操作したとしか思えず、とても信用できない。

電話 40歳代 男性 大阪

血液型と性格が科学的な事実であるがごとく放送している。これが事実なら、特定血液型の人たちに対する差別やいじめにつながりかねず、許されるべきことではない。

メール 54歳 女性 栃木

これまで血液型の番組は娯楽と思っていたが、学者が出てきて血液型と性格が科学的裏づけがあるといわれると信じてしまう。テレビの影響は大きい。血液型の番組がどんどんエスカレートしているようで恐ろしい。

メール 28歳 男性 三重

生まれつき備わっていて変えることができない血液型で、性格や行動傾向を特定することは、重大な差別行為に当たる。特に、子どもを使って“実験”を行っていたが、人権上倫理的に非常に問題がある。

電話 40歳代 女性 福岡

B型は悪いものと一方的に決めつけている。子どもが通う学校で「お前はB型だろう」といじめが始まっている。笑い話と言って片づけるわけにはいかない。

メール 17歳 女性 青森

学校で「B型だから」とみんなにいろいろ言われ、心では本当に傷つきました。性格悪い=B型って、いい加減やめろってかんじ。

メール 47歳 男性 長野

幼稚園児が実験対象とされており、彼らの行動があたかも血液型に由来するかのごとく紹介されている。科学的根拠のない性格判断で、子どもの資質が判断されたりしていいものか。

メール 42歳 男性 神奈川

血液型による性格判断の実験で、幼稚園児に対して、内緒の話を守れるかという実験をしていた。人道上許されず、差別を助長するものだ。

メール 25歳 男性 埼玉

番組の最後に、「この番組は差別を助長するものではない」とテロップ表示していたが、番組の内容は明らかに逆であり、許されるものではない。

メール 31歳 女性 愛知

外国では血液型などで性格を決めることはほとんどない。血液型性格診断は信憑性がないのだから、あたかも信憑性があるように放送するのはやめてほしい。

以上

2004年3月19日

「子ども向け番組」についての提言

2004年3月19日
放送と青少年に関する委員会

青少年委員会では、2003年2月から、大人向け番組が子ども達に与える影響、ではなく、子どもにターゲットを絞った番組についての議論を続けてきました。
子ども番組制作者との意見交換や、番組視聴、海外の状況の調査など、さまざな角度から議論をして、2004年3月19日に、記者会見をして発表しました。

放送と青少年に関する委員会(以下、青少年委員会)は、2000年4月に発足して以来、放送が子どもに与える影響について議論をしてきた。しかし、その多くはおとな向けに作られた番組が、子どもに与える影響を検討するもので、いわゆる“子ども向け”に作られた番組についての議論は十分ではなかった。

そこで、改めて、視聴者を子どもに絞って制作・放送されている番組について、実際にレギュラーで放送されている番組の視聴、外国の子ども向け番組を取り巻く状況の調査、また、子ども番組のプロデューサーから話を聞くなどして、さまざまな角度から議論を続けてきた。

民放連は、1999年6月に「青少年の知識や情操を豊かにする番組を週3時間以上放送すること」を決め、同年10月から民放各局は「青少年向け番組」(2000年春に「青少年に見てもらいたい番組」と名称を変更)を、毎年の番組改編の時期に選定している。

しかし、青少年のためだけに特別に制作された番組は、アニメを含めても数本しかなく、現在の民放各局の対応は、既存の番組に「青少年に見てもらいたい番組」と命名するにとどまっている。

青少年委員会が東京キー5局へ、「青少年に見てもらいたい番組」の選定基準をたずねたアンケートでも、放送局の子ども向け番組に対する明確なビジョンは見えてこなかった。

あるテレビ局は、「1.青少年の数多くに見ていただける時間帯に放送している番組、2.エンターテインメントとして楽しんでいただきながら、知識や教養を高めるために役立つ番組、3.家族や自然、芸術などとの触れ合いを通じて情操を豊かにすることに資する番組」を挙げているが、この回答からは、子どもとおとなの違いをどのように考えて対応しているのか判然としない。

さらに青少年委員会で、放送局が「子ども向け番組」として制作・放送している番組を視聴した結果、子どもの購買欲を刺激するCMを挿入するなど、子ども=消費者とするものや、価値観の多様性を認めない、美醜・善し悪しを押し付けるものも多く認められた。そこには、子どもと正面から向き合い、子どもの成長のために、テレビが何をすべきかという視点が欠けているように感じられた。

NHKは、伝統的に幼児番組というジャンルに力を入れ、専門家とともに「子どもに見せたい番組」を積極的に制作・放送してきた。そのため、子ども向け番組のことはNHKに任せておけばいいという意識が、民放の放送現場に潜在しているのではないだろうか。

民間放送では、スポンサーや視聴率がネックとなってNHKと同様の対応はできないという反論も予想される。しかし、オーストラリアの商業放送では、「(1)6~13歳向けに制作された、楽しめると同時に知的・社会的ニーズを満たす番組を、平日の7時~8時または16時~20時30分の間、あるいは週末や休日の7時~20時30分の間に、週最低5時間放送する。(2)CMで中断されない6歳未満向けの30分番組を平日7時~16時30分の間に毎日放送しなくてはならない」などと監督機関(Australian Broadcasting Authority)により定められている。(NHK放送文化調査研究年報NO.45より)

文化的背景の違いは無視できないが、オーストラリアの事例は、日本の民間放送でも可能な子どもへの配慮として参考になると思われる。

現在、社会の多くの場面で、子どもはおとなと対等な存在だと考えられている。子どもは、未成熟な存在としての特権的な地位を追われ、おとなと同じ成熟した存在として扱われることが少なくない。子どもを消費者として捉えたり、子育ての中で子どもとの対等性を強調するなど、社会が子どもに成熟を強いている。このことが、おとなが子どもにかかわる必要性、つまり、子どもの成長発達に対して本来果たすべき責務を軽減してしまう。子どもをおとなとみなして番組を制作・放送している放送局もこれに加担していると言われても仕方ない。子どもに対する特別の配慮の必要性を放送界は再確認する必要がある。

これまで青少年委員会は、主にテレビ・ラジオが青少年に与える悪い影響について論議し、「見解」や「提言」を発表してきた。しかし、テレビが持つ公共性や、影響力の大きさ、大勢の人が容易に接触できるという特性は、子どもたちが広範囲の知識を身につけ、情操を豊かにするうえで、すばらしい役割を果たすことができると考える。

青少年委員会は、子ども向け番組の充実と、すべての番組に対する子どもへの配慮とは両立し得ると考える。子ども向け番組づくりの経験が少ないために、一般の番組づくりのうえでも子どもへの配慮に欠けるのではないか。そう言わざるを得ない面を指摘したい。子ども向け番組づくりの努力が、すべての番組へのよい刺激となり、子どもに配慮した番組を増加させ、テレビ・ラジオが子どもにとってかけがえのない、よい影響を与えることを期待したい。

以上のことから、委員会は、各放送局が、次のような点を検討されることを望みたい。

青少年委員会での検討経緯

1. 放送局は、その公共性から、子どもの成長発達を促進するための番組を作り放送する社会的責務を有していることを再認識してほしい。
2. 「青少年に見てもらいたい番組」について再検討を行い、なぜ見てほしいと考えるのか、理由を番組ごとに明らかにしてほしい。また、新たに子ども向け番組の制作が増えることを期待したい。さらに、「青少年に見てもらいたい番組」の存在が、一般の視聴者に十分に知られているとは言えない現状から、番組欄へのマーク付けや、番組冒頭でのテロップ表示など、視聴者に向けたアピール手段について考えてほしい。
3. 子ども向け番組の中で、ひとつの価値観だけが、唯一の正しいもの、良いものであるとどもたちが受け取りかねないような表現は避け、多様な価値観や生き方を子どもたちに示すような番組づくりを進めてほしい。また、子ども=消費者という視点から、子どもの購買欲や持っていないことの劣等感をあおるように商品の紹介をしたり、関連グッズをことさらにアピールしたりすることなどないよう、十分な配慮を求めたい。
4. 外部の専門家も加えた、子ども向け番組とその制作者をサポートするシステムを作るなど、 “子どもによい番組”について、多角的に検討をしてほしい。

以上

2002年12月20日

「消費者金融CMに関する見解」について

2002年12月20日

青少年委員会は、2002年9月から消費者金融CMについて、議論をしてきました。 4ヶ月の議論を経て、12月20日に「消費者金融CMに関する見解」として記者会見をして発表しました。
発表後の民放連のコメントや、委員会に寄せられた視聴者の意見などを公表します。
なお、議論の過程に関しては、"議事のあらまし"をご覧下さい。

近年、消費者金融CM(銀行系消費者ローンCMも含む)放送の増加に伴って、放送と青少年に関する委員会(略称:青少年委員会)にもCMへの批判的意見が寄せられている。意見の内容は、CMが「お金がなければ借りればよい」というメッセージを伝えるものであり、誰もがしていることとして安易に借金をする風潮を助長し、子どもや若者の金銭感覚を歪めるのではないか、というものと、そのようなCMを時間帯に関係なく流す放送局の倫理観念への疑問に集約される。

CMの多くは、若者へのアピールを中心に宣伝効果をあげるよう親しみやすく制作されており、音楽は幼児が覚えて口ずさむほどリズミカルに作られている。こうした点から、これらのCMによって青少年が容易に影響を受けるのではないかと懸念される。

なお、新規顧客に関する統計は、20代の若者が約半数(45.6%)を占めていることを示している。(出典:消費者金融連絡会2002年3月期)

青少年委員会では消費者金融CMを取り上げ、委員間の議論に加えて民放連の番組考査専門部会長に直接考えを聞く機会を設けた。委員会としては、放送事業者が、放送文化の向上の一翼を担っていることを自覚し、番組を向上させるよいスポンサーを求めて努力をしていることは十分に理解するものである。

また、深刻化する不況のなか、CM収入なしには存続しえない民放として、消費者金融CMを扱わざるを得ない事情や、CMのスポンサーである消費者金融会社の中には、証券取引所に上場している会社も多くあり、うち3社は日本経済団体連合会の会員であるという現状も認識している。

しかし、青少年委員会としては、放送を通じて青少年に悪影響が危惧される状況を見過ごすことはできない。視聴者から寄せられた意見にも真摯に対応すべきであると考える。

まず、民放連放送基準は、"3章 児童および青少年への配慮"で「放送時間帯に応じ、児童および青少年の視聴に十分、配慮する。」(18)としている。

また、"17章 金融・不動産の広告"では、「金融業の広告で、業者の実態・サービス内容が視聴者の利益に反するものは取り扱わない。」(131→現137)とし、「安易な借り入れを助長するCM表現でないこと」が留意すべき点のひとつにあげられている。さらに、"15章 広告の表現"では、「広告は、わかりやすく適正な言葉と文字を用いるようにする。」(117→現121)と定めている。

これらを踏まえ、青少年委員会としては、消費者金融CMの現状は、放送基準に抵触するおそれがあると判断する。

そこで、以下の3点を民放各社に要望する。

  • 民放連が定めている「児童および青少年の視聴に十分、配慮する時間帯」である17時から21時までの時間帯は消費者金融CMの放送を自粛する。
  • 金利および遅延損害金などについて、もっとわかりやすい表現を用いて明示するなど、借金をすることに伴う責任とリスクについても触れる。
  • 昨今の自己破産および多重債務者の増加を踏まえ、安易な借り入れを助長するような内容ではなく、社会的責任を自覚したCMを放送する。

■民放連・放送基準審議会議長コメント

放送基準のさらなる順守・徹底への要請を含めて大変厳しい内容の見解である。

3点の要望には、民放の公共性と企業経営とのバランスの観点から直ちに受け入れ難いものがあるが、あえて委員会が見解をまとめた意味を重く受け止め、可能な限りその主旨を踏まえて対応策を検討したい。現在、放送基準審議会で消費者金融CMに関するガイドラインを策定中であるので、これがまとまり次第委員会にも説明したい。

日本民間放送連盟 放送基準審議会議長
桑島 久男(名古屋テレビ放送社長)

視聴者からの反響(代表的なもの)

27歳 石川

現在、テレビコマーシャルで大規模な宣伝を繰り返している大手消費者金融業者の多くは、利息制限法に定める利率を超える違法な営業を行っている。このことは、多くの判例が示しているばかりか、消費者金融業者が裁判所に提出した訴状でも違法な金利で契約していることを自ら認めており、もはや議論の余地はない。罰則がないとは言え、消費者の正確な商品知識の無さにつけ込んだ悪質な行為であり、許し難い。テレビで放送されることにより、あたかも合法行為であるかの如く錯覚を起こしており、この影響は軽視できない。時間を区切った自粛では十分な効果が期待できず、全面的な放送禁止若しくは利息制限法による金利が超えていることを消費者に知らせるよう、義務づけるべきである。

男性 千葉

昨今、犯罪が多発しています。私はこれは借金に起因するものが相当あると思っています。委員会が、日ごろ私が感じていたことを民放各社に要望されたことを知り、敬意を表したく筆をとりました。今後益々のご健闘を祈ります。

男性 34歳 東京

「消費者金融CM自粛」の記事を読み私も昨今のはんらんする消費者金融のCMの弊害に心を痛めていたのでこういった良識的な行動を起こしてくれる組織があることを知り思わず感謝の意を述べたくなりました。日本が不景気で荒んでいる社会になった、と1番痛感するのは四六時中流れる消費者金融のCMです。いたいけな可愛らしい店員やほのぼのとした家族愛を描いて一般市民を幻惑する非常に巧妙で悪意を持ったCMで民放には社会的責任や誇りがないのか、と情けなくなります。政治や官僚や知識層による反対意見が出てこないのも疑問でした。いくら広告収入が減っているからといって金払いのいい消費者金融業者に頼る民放には何らかの規制や圧力を行なうべきです。今度はプロ野球にまで進出らしいではないですか。委員会の行動は大変社会性のあるものです。継続な行動を期待します。

男性 35歳 東京

「消費者金融CMに関する見解」を発表したことに敬意を表します。誰かが言ってほしいと思っていました。あらためて、青少年委員会の活動に拍手を送ります。

女性 29歳 北海道

よくぞ言ってくれました、という感じです。最近、サラ金会社はイメージアップに必死なのか、「犬を飼いたいなら、お金を借りてどうぞ購入してください」と、ふざけたCMまで作って、それを苦々しく思って見ていた1人です。 テレビ局各社は、お金儲けのためなら、青少年、大人にとってもよくないCMを流し続けるのでしょうか。それならば、そのようなテレビ局に、政治を批判したり、援助交際を批判したり、あるいは「鈴木宗男」のような人を批判する資格もありませんよね。自分たちが一番、お金のために手段を選んでいないのですから。
私は、パチンコ屋のCMも、時間帯を選んで流すべき、と思っているのですが、その辺はどうお考えでしょうか。とにかく、このような運動をしている会がある、というのを初めて知りました。これからも頑張ってください。応援しています。

男性 18歳 山梨

今回の消費者金融CMに関する見解について。 民放各社への3点の要望で「民放連が定めている「児童および青少年の視聴に十分、配慮する時間帯」である17時から21時までの時間帯は消費者金融CMの放送を自粛する」という項目に対して、現在は生活の習慣の変化で21~24時に小中学生でもテレビを見ている事も多いです。ですから、17~21時ではあまり効果は望めないと思います。
「金利および遅延損害金などについて、もっとわかりやすい表現を用いて明示するなど、借金をすることに伴う責任とリスクについても触れる」という項目に対して、消費者金融には、借りたい時に借りれるというメリットがあるものの、借金が増えると、後の返済が大変になるというデメリットがはらんでいる。ですから、これなら効果はあると思います。
「昨今の自己破産および多重債務者の増加を踏まえ、安易な借り入れを助長するような内容ではなく、社会的責任を自覚したCMを放送する」という項目に対して、お金は楽して手に入れるものではありません。ですからこれなら効果はあると思います。

以上

2002年6月19日

法によるメディア規制に反対し、放送界の自律強化を求める声明

2002年6月19日
放送番組向上協議会
放送と青少年に関する委員会

青少年委員会では2002年に政府が国会に提出した「個人情報保護法案」と「人権擁護法案」について議論し、“両法案は、表現の自由を脅かすだけではなく、せっかく積み重ねてきた放送界の自律努力を無にするものであり、放送文化の将来性を阻害するものだ”と考えることで認識が一致。同時に、“放送関係者に対しても、これまでの放送のあり方を厳しく点検し、自己規律を一層強めることを要望する”ことに決定。

2002年5月28日に「メディア規制法案に対する反対声明と放送界の自律を求める声明」原案を各委員に送付。6月12日に開催の委員会で原案を承認し、6月19日に記者会見を開いて公表しました。

私たちは、政府提案の個人情報保護法案と人権擁護法案に反対します。両法案とも、表現活動に政府・行政の介入を認めるものであり、放送の自由を抑圧する危険を伴うものと判断します。

放送と青少年に関する委員会は、放送界の自律によって放送文化の向上を図り、青少年の知識と情操を豊かにすることを目的とした第三者機関です。視聴者・市民の放送に対する批判、苦情、要望を公開し、審議し、番組制作者・放送局に自省を促す見解を発表するなど、2000年4月の発足以来、次第にその存在意義が認められつつあると自負しています。

言論表現の自由は、基本的人権の要の位置を占める大切なものです。その自由は市民一人ひとりの権利にかかわり、民主主義を左右する問題です。しかも、歴史が示すようにきわめて脆いものです。多数決原理で単純に是非を決めてよい性質のものではありません。表現の自由をめぐる問題は、社会の自律的な論議を深めるなかで解決すべきものと考えます。

両法案は、表現の自由を脅かすだけでなく、せっかく積み上げてきた私たちの自律の努力を無にするものであり、放送文化の将来性を阻害するものと言わざるを得ません。

私たちは、法によるメディア規制に強く反対します。同時に、この機会に、放送関係者がこれまでの放送のあり方について厳しく総点検し、自己規律を一層強めるよう求めます。

プライバシーへの侵入、集団的過熱取材による人権侵害や性・暴力表現の行き過ぎなど、メディアに対する苦情、批判は根強いものがうかがわれます。国会に未提出の「青少年有害社会環境対策基本法案」を含め一連のメディア規制法案は、このような世論のメディア不信を背景にしており、放送が焦点の一つになっていることは否定できません。

放送界は、人権、青少年に関する第三者機関の設置や各局ごとの自律強化を進め、集団取材対策の具体化にも乗り出しました。しかし、その成果も努力もなお充分とは言えません。放送の公共性や社会的影響力の大きさについてどこまで自覚しているのか、強い疑問を持たざるを得ないような事例も後を絶ちません。この状況が改善されない限り、メディア規制法反対に世論の全面的な理解と同調を得ることは期待できないでしょう。

私たちは、放送界が現状を直視し、大胆な自律強化によって表現の自由を守り、放送文化を創造的に発展させるために、決意を新たにして一層、努力されるよう、要請します。

以上

2002年3月15日

『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮』についての提言

はじめに

「放送と青少年に関する委員会」は、2001年11月から報道・ニュース番組の衝撃映像と子どもへの 影響などについて、アメリカの同時多発テロ事件後のテレビ放送に関する論文、日本の子どもと保護者、教師などへのアンケート結果なども参考にしながら、議論を重ねてきました。
その結果を、2002年度3月15日に「提言」としてまとめました。

「衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮」についての提言

テレビの事件・事故報道は「事実」であるためのインパクトをもっているので、放送する側の意図を離れて、青少年に大きな心理的影響を与えることがある。このことについては、日頃子どもたちと接することの多い教育関係者やカウンセラーの間で指摘されながら、放送界では広く論議すべき共通の課題として必ずしも重視してこなかった。各放送局の報道ガイドラインなどにも子どもの視聴に十分配慮した規定は少ない。

「放送と青少年に関する委員会」は、発足当初から、この問題に関心を持ってきた。大阪の小学校児童殺傷事件やアメリカ同時多発テロ事件などの重大な事件が続発する時代状況を考え、改めて、衝撃的なテレビニュース・報道番組の子どもへの影響を議論した。

調査、研究データや議論の積み重ねも少なく、結論を出すのは難しい面もあるが、重要な課題なので、あえて放送界に一石を投ずるために、当委員会としては現在の考え方をまとめて「提言」とすることにした。放送関係者は問題提起として受け止めて論議を深めてほしい。

アメリカ同時多発テロ事件を受けて、臨床教育研究所「虹」が教師や親を対象に実施したアンケート調査によると、テレビニュースで飛行機が世界貿易センタービルに激突する瞬間などを見た幼児が「飛行機やヘリコプターを怖がる」「子どもだけでは眠れなくなった」「怖がってトイレへ行けなくなった」などのケースが報告されている。また、親たちの中には「死の重み、命の尊さが分からなくなってしまいそうだ」「刺激に対して鈍感になるのではないか」「戦争をゲーム的に捉えるのでは」などと、子どもの受け止め方に対する不安を抱いた人も多かったという。そして、「ショッキングな映像を繰り返さないでほしい」「子どもたちにも分かる解説のあるニュース番組を増やしてほしい」などの注文も出ている。

テレビ報道が「事実」を伝えるのは、国民の「知る権利」に応えることであり、民主主義社会の発展には欠かせないものである。その伝える内容が暗いものであったり、時にはショッキングな映像であったとしても、「真実」を伝えるために必要であると判断した場合には、それを放送するのはジャーナリズムとして当然である。子どもにとってもニュース・報道番組を視聴することは市民社会の一員として成長していく上で欠かせない。しかし、子どもたちにはニュースの価値についての判断がつきにくく、また、ニュース・報道番組では内容の予測が難しいため、突然飛び込んできた映像にショックを受けることがある。子どものテレビニュース・報道番組の視聴に際し、親子の対話など大人から子どもへの的確な働きかけがあれば、子どもの受けるショックを和らげるばかりでなく、子どもの社会を見る眼を開き、子どもの成長にとっても大きな役割を果たすと考えられる。この点は強調されてよいと思うが、世の中にはさまざまな家庭があり、子どもたちにはさまざまな環境がある。そのため、テレビで報道するにあたっては、子どもの視聴を意識した慎重な配慮、特に子供が関わった事件の報道に際してはPTSD*も含めた配慮が必要になっていると考える。

同時多発テロの起こったアメリカで放送局がどう対応したかを調べた興味深い報告がある。

NHK放送文化研究所の小平さち子主任研究員が「放送研究と調査2001/12」に記しているところによると、早い放送局では、事件当日に“子どもとメディア”の専門家と親を招いて、子どもの心のケアに関する親・教師向けアドバイスを提供する特別番組を緊急放送している。また、数日後ではあるが、子どもを含むすべての視聴者に対する影響を懸念する立場から、米ABCがいち早く飛行機のビルへの激突やビル崩壊の映像は動画として使わないことを決めるなど、各放送局ともショッキングな映像の使用をそれぞれ独自の判断で自粛した。ABCの判断には精神医学の専門家などによるディスカッションが影響を与えたといわれている。また、多くの放送局で、通常の情報番組や特別番組を組んで、子どもが心の安定を保つためにどうしたら良いか、アドバイスする番組を放送した。こうしたアメリカの放送機関による子どもへの対応は、

1.事件を伝える映像・情報が子どもに及ぼす影響への対応
2.メディアの積極的関与としての多様な子ども向けサービスの展開の2点に整理できるという。

同時多発テロの起こった当事国であるアメリカと、遠く離れた日本の放送機関の対応を比較するのは無理があるが、今後日本で起こるさまざまな事件・事故を想定するとき、参考にすべきことも多い。同時多発テロ報道で、日本の放送局でもショッキングな映像の使用を、ある段階から自粛したことは評価できるだろう。しかし、子ども向けのニュース番組としては、小学校高学年から中学生を対象としたNHKの『週刊こどもニュース』、民放では北陸朝日放送をキー局とする『KIDユS NEWS』(27局ネット)など、少ない現状を考えると、いざ大きな事件に遭遇したとき、各放送局は子どもたちに向けて的確な情報を適切に伝えられるだろうか。また、映像によってショックを受けた子ども達をどうケアしたらよいか、親や教師にアドバイスする番組が即座に組めるだろうか。これらの点を含め、早急に検討すべき問題があるのではないかと考える。

以上のような考え方に立ち、委員会では衝撃的な事件・事故の報道について次の点を各放送局で検討されるよう要望したい。厳密には年齢区分に応じた配慮が必要かと思われるが、ここでは一般的、原則的な点に絞った。

*PTSD=Post-traumatic stress disorder(心的外傷後ストレス障害:大災害や戦争などの異常体験をした後に起こるストレス障害)

1.衝撃的な事件・事故の報道では子どもたちへの影響が大きいことを配慮し、刺激的な映像の使用に関しては、いたずらに不安をあおらないよう慎重に取り扱うべきである。特に子どもが関係する事件で
は特別の配慮が求められる。
2.子どもは言葉の理解が不十分なため、映像から大きなインパクトを受け易い特性がある点に留意し、特に「繰り返し効果」のもたらす影響については慎重な検討と配慮が求められる。
3.ニュース番組内、あるいは子ども向け番組で、日常的に、子どもにも分かるニュース解説が放送されることが望ましい。
4.衝撃的な事件・事故の報道に際しては子どものことを配慮した特別な番組作りも研究、検討に値しよう。また、影響を受けた子どもの心のケアに関して保護者を支援する番組を即座に組めるよう、日頃から専門家チームと連携を図ることが望ましい。

●2001年11月(第018回)より

1.講演「青少年のために 各国のテレビはどう取り組んでいるか」

ゲスト:NHK放送文化研究所主任研究員 小平 さち子氏

NHK放送文化研究所の小平と申します。よろしくお願いいたします。

非常に大きなテーマで、委員会が期待されておられる内容の、どのぐらいの部分をカバーできるか分かりませんけれども、これまで私なりに少し調べてきた中から「青少年のために各国のテレビはどう取り組んでいるか」、副題を付けるとすれば、「子どもに及ぼすテレビの影響を巡る各国の動向」ということで、お話しさせていただきます。それぞれの国の放送制度ですとか、子どもとテレビを取り巻く環境、あるいは社会特性の違いによって、取り組みもかなりまちまちのアプローチがありますので、その中のある部分は、もしかしたら日本に取り込めるかもしれないという観点から情報の提供をさせていただきたいと思います。

*子どもとメディアの関係の議論 90年代に入って活発に

ご承知のとおり、20世紀の最後の10年間ほどというのは、多くの国々が子どもとメディアの関係、特にテレビを中心としてですけれども、この問題に集中的に関心を示してまいりました。懸念される影響については具体的にいろいろな形での対応策が議論されてきたと思います。

日本の場合には90年代の後半からそういう議論が活発になりましたが、その前提として日本以外の国々、世界のいろいろな国々の動向を見て、そこから影響を受けた部分というのも大きいかと思います。

そういうことで、きょうはいろいろな国の状況を、全部網羅するのは難しいですし、私の言葉の能力の問題もありますので、第一次的に資料が得られて、自分で読んでわかるという範囲ということで、たまたま全部英語圏になりますが、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアを取り上げます。同じ英語圏と言ってもかなり文化も違い、顕著な差があるということで、この4か国について話をさせていただきたいと思います。

参考資料としましては、いろいろな国の年表ですとか、それから調査結果の抜粋などを準備しておりますのでこれを併せてご覧いただきたいと思います。(資料83~89ページ参照)

早速ですが、資料1は各国の「子どもにふさわしくない番組の放送を認めない時間帯の設定といった、放送時間帯の規制」や「番組のランク付け(レーティング)やテレビ画面へのマーク表示」の実施の有無と具体的内容、「Vチップ制度」に対する姿勢などを示したものです。このテーマでお話したり、書いたりする際、こうした情報を一覧表としてお示しすることを求められることが多いので、昨年末の原稿執筆の際、作成してみたものです。ただし、この表だけではどのような対策を採っているのか全容はわかりませんし、本質を見誤るもとにもなりかねません。具体的になぜこういうことが決められているのかという、その背景を探らないとなかなか本当のところが見えてこない、というのが表を作りながら私自身感じたところです。

ですから、きょうはこの表を細かくご説明するということはいたしません。それぞれの国がどういう背景でそういう対応をしているのか、その辺りの違いについてむしろお話しさせていただきたいと思っております。

*商業放送主導で発展してきたアメリカのテレビ

まずアメリカは、ご承知のとおり、世界各国に議論のきっかけを提供することになりましたVチップ制度というのを世界で最初に、しかも1996年の電気通信法という法律によって導入したという大きな特徴を持っております。

この背景はと申しますと、アメリカのテレビはもともと商業放送主導で発展してきまして、テレビのスタート時点からマイナスの面の影響について、この国の中だけでも非常に大きく議論されてきたということがございます。

その主な内容と言いますのは、暴力描写や性描写の問題、それからコマーシャルが及ぼす影響、この二つが内容的には大きな問題でした。

もう一つは、その裏返しと言いますか、質の高い、しかもバラエティーに富んだ子ども向けの番組がない、このことは非常に問題であるとしてアメリカ自身感じておりました。これはまず、公共放送が始まったのが非常に遅かったこと、それから現在でもやはり商業サービスが主導になっているというような、元々の放送のシステムの性格によるところが大きいと思います。

ですから、アメリカでは議会、それから放送に関する規制監督機関でありますFCC(米連邦通信委員会)、あるいは市民団体、いろいろな形の市民グループが、少しでも子どもにとってのテレビを好ましい環境に向けていこうということで、いろいろ対応策を巡っての議論が60年代、70年代、80年代を通してずっと活発に行われておりました。アメリカは非常に子どもとテレビに関する調査研究が多いのですが、それも全部こういう背景があってのことなのです。

研究の数も多いし、議論も活発だし、市民のグループの運動というのも非常に盛んなのですが、90年代になっても、テレビの状況がなかなかいいほうに改善されていないという現実がありました。

*子ども向け番組充実へ向けての方策

90年代に入ってからは資料2の年表に示されるような変化が起こってきています。「テレビ暴力番組規制法」と「子どもテレビ法」という、この二つの法律が1990年に出てきております。「テレビ暴力番組規制法」というのが、後のVチップを導入するに至る、番組の内容面、番組描写の規制に繋がっていく1996年の法律になります。もう一つは「子どもテレビ法」の制定で、これはいわゆる質の高い、教育的な質の高い番組を放送するように義務づける、そういう流れとして展開をしていきます。

いずれも1990年にそういう法律が持ち上がったところですぐに結果が出るわけではなくて、いろいろ紆余曲折があって、90年代も後半、97年ぐらいになってようやく具体的なシステムが出来上がっているという、そういう経緯がございます。

その一つは、番組のランク付け(レーティング)と画面へのマーク表示、そしてVチップ制度の導入です。これはもうすでにご存じだと思いますので、細かく申し上げませんが、もう一つは年表で、「1997年9月、商業テレビで、子ども向け教育情報番組のマーク表示」という項目がありますが、ここで週最低3時間は子ども向けの教育情報番組を放送しなくてはいけないという、具体的な数量として表れた義務付けが登場ということになっています。こういう形で二つの異なる種類の規制が、90年代のアメリカで同時平行で行われたのです。

*Vチップ、ランク付け・・・新システムの評価

このように新しいシステムとかルールの導入が進んだのですが、その検証も行われています。資料3のグラフは番組ランク付けのシステムがどのくらい認知されているのか、また実際に親が使っているのかどうかということを示していますが、これもアメリカらしくて、新しいシステムを導入すると、すぐそのあとをフォローする調査を行っているのです。その結果によれば、こうしたシステムが予想したほど親達には認知、利用されていないという分析がなされています。その他にも、ランク付けの内容が正確に理解されているとは言えないことを指摘するデータも発表されています。

それから実際にVチップを組み込んだテレビが大きく宣伝されていたようですけれども、そういうテレビが販売されていることも親を含めて一般の人は知らないというデータもあります。お店の人に聞いてみても、そういうテレビを自分の店で売っているということも必ずしもわかっていないような状況もあるようでした。

また、子どもに勧めたい番組として、教育情報番組にマーク表示をするということが、Vチップの考え方とは別に行われてきているのですが、そういうマークがテレビの画面に付けられているということも、必ずしも親たちの間で認識されていない、そういった問題がアメリカの場合にはあるようです。

こういう状況があるのですが、99年にコロラドで高校生の銃乱射事件が起こりまして、またメディアの影響が急にクローズアップされました。この時はテレビというよりはビデオとか、エンターテインメント産業全般が問題になりました。さらに最近ではインターネットの内容の問題なども出てきまして、テレビだけでなく、メディア全般の中身についてもっと規制強化をしなくては、というような声がまた議会の場で起こっているという状況があります。

*急進展するメディアリテラシーの取り組み

アメリカというと、どうしても規制の強化ということが話題になりますけれども、それ以外の部分として、最近はメディアリテラシーの取り組みがあります。アメリカでは70年代からクリティカル・ビューイング・スキルの育成というようなことは言われてきましたし、80年代には市民グループが自衛策として、自分たちが賢い視聴者にならなければ、という動きの中でメディアリテラシーの考え方が出てきておりました。それが90年代になって、こういう具体的な規制の動きが顕著になる中で、やはり本質的にはメディアと正しく付き合っていく力というのを根本的に自分で身に付けておかないと、メディアの変革期にうまく生きていけないという発想の下で、メディアリテラシーへの取り組みに力を注いでいます。そのように私は感じております。

メディアリテラシーというと、カナダが先進国と一般的に言われます。確かにカナダとはアプローチは違うのですけれども、アメリカという国は、規制をかけるときも非常にダイナミックに法律を使って、というようなことをやりますが、市民の立場からメディアに積極的に関わっていこうとするメディアリテラシーの取り組みというのも、非常にダイナミックに展開していると言えます。

また、公共放送のテレビでも、市民と一緒に番組を作っていく、実際に高校生たちをプロが作る番組の中に取り込んでいって、番組制作の体験もさせるし、それを高等学校の授業の単位としても認めるというようなことを積極的にやっています。各地方の公共放送局などでも、放送局を開放して、子どもたちは実際にプロと一緒に話をする機会もあり、番組作りをすることもできるというようなこともどんどん増やしているというようなことがあります。

ケーブルテレビでもそういう例があります。これは私が非常に好きな番組の一つですが、ニッケルオデオンという子ども専門向けのチャンネルでちょうど10年前、湾岸戦争をきっかけに始まった小学生向けのニュースマガジン番組『ニックニュース』というのがあります。大人向けのニュース番組のアンカーパーソンをやっていた女性のジャーナリストが、子ども向けにジャーナリスティックな視点を持った番組がアメリカの中に一つもないというのは残念なことだと考えてスタートさせたのです。湾岸戦争のような重大な社会の状況を子どもたちにきちんと理解できる形で提示する、そういう番組を作ろうということで始まったのですが、この番組ではメディア自身のことも重要なテーマとしてよく取り上げています。テレビの影響力の多様性とかVチップをめぐる議論など含めて。

アメリカの同時多発テロ事件の5日後、この『ニックニュース』が緊急スペシャル番組を放送したということもありまして、その番組のことなども含めて今、ちょうどアメリカの子ども番組を紹介する文章を書いているところです。(『NHK放送研究と調査』12月号)子どもたちに、テレビなどメディアのメカニズムや特性を学ばせながら、重要な情報を入手して自分で考え、議論させることを試みるシリーズなんですね。こういうすばらしい番組があることを、アメリカについては最後にご紹介しておきたいと思います。

*子ども番組に対する厳しい姿勢、商業放送もCMなし―イギリス

これに対してヨーロッパですが、ヨーロッパはアメリカと反対に元々公共放送が主導で発展してきたために、後から出てきた商業放送に対しても、青少年保護を含めた一定の番組基準の遵守というのを義務づけてきた歴史的な背景がございます。

フランスなどでは番組のランク付け、それからランク付けしたものを画面に表示する、マークで表示するというようなことをやっております。アメリカより早い時点で実施してはおりますけれども、Vチップのような強制的なしくみを設けて番組を規制するという考え方には反対の方向をとってきました。(資料1参照)

こうした姿勢が一番顕著な例がイギリスだと思います。イギリスではVチップ制度も取り入れなければ、その前段階としての番組のランク付けというのも取り入れない。というのは、それは全く問題の根本的な解決策にならないという考え方をとっているからなのです。

それでは、なぜイギリスはそういう考え方をとるかといいますと、元々イギリスには公共放送と商業放送と両方ありますけれども、イギリスの商業放送というのはアメリカとか日本で言う商業放送とは全然違いまして、商業放送ではあるけれどもかなり公共的な性格が強いのです。特に子どもの番組に対してはその性格が強くて、子ども番組は商業テレビであっても、間にCMを挟んではいけないことになっていますし、また、公共放送の子ども番組を見ていても商業放送の子ども番組を見ていても、区別がつかないくらい両方とも中身はバラエティーに富んでいるし、描写の問題についても差がない。そういった元々の背景があります。

公共放送、商業放送ともそのことを非常に自負している。そういうアメリカとは全く別な観点から、番組の描写についてはテレビのスタートの段階から厳しい姿勢を保ち続けています。

*90年代 暴力描写に対する関心の背景

だからといって映像描写を巡る問題というのをイギリスは全く抱えていないわけではありません。90年代以降、多チャンネル時代を迎えてということですが、それまでほとんどの番組はイギリス、あるいはヨーロッパの番組だったのが、アメリカの番組が急にたくさん流入してくる中で、非常に神経をとがらせている部分があります。

例えば子ども番組について言えば、アメリカのアニメマンガをイギリスに輸入すれば視聴率が上がるだろうということがあるわけですけれども、それはイギリスのこれまで育ててきた子ども文化を崩すことになりかねない、ということで、80年代いっぱいぐらいまでは、ディズニー以外のアメリカのアニメについては取り入れることに対して非常に厳しい姿勢をとってまいりました。その状況も、90年代の半ば以降少しずつ崩れてはいますけれども、そのぐらい子ども番組に対する元の素地が違うということがございます。

*視聴者との信頼関係で成り立つ“午後9時のルール”とメディア教育

では子どもにとってテレビ番組の状況をよくするためにどういうことをしているかというと、アプローチとして三つの特徴があるかと思います。一つは“午後9時のルール”というふうに言われますけれども、午後の9時前には子どもにとって好ましくないような番組は放送しないという、大前提のルールがあることです。これは1960年に既にあったルールですけれども、こういうものを非常に大事に守っている、しかも放送局が一方的に言ったのではなくて、視聴者もそれを認めて受け入れているということです。

そして第2点として、放送機関と視聴者の信頼関係というのを非常に尊重し、その信頼に基づいて放送局が作っている自主的なガイドラインというものを時代の変化に合わせながら変えていくことをしています。

第3点としては、メディア教育です。これもイギリスは早くから取り組んでいるわけですけれども、メディア教育についても新しい時代に適用する形で展開させて、イギリスの映像文化ですとか、映像産業の発展にも結びつけていく、そういう視点を持っているというのが特徴だと思います。

例えば“午後9時のルール”ですが、これはいろいろな国で、何時を境にして、それ以前は子どもたちが見ているから「番組の描写に気をつけましょう」ということを決めている実態があります。けれどもイギリスの場合には、子どもの保護ということももちろんありますが、安全地帯としての9時という考え方ではなくて、逆に「9時以降には子どもにはふさわしくないけれども、大人にはぜひとも伝えたい、そういう番組も放送します」という、むしろそういうところからの発想の存在というのが重要な特徴だと思います。ですから「今いろいろな問題が起きているから放送時間帯の制限を設けましょう」、ということで出てくる対応策とはまったく観点が違うと思います。

*描写に対する判断基準と管理メカニズム

それから自主ガイドラインについてですが、現在、公共放送のBBCは、「BBCプロデューサーズ・ガイドライン」、商業放送のほうは、放送規制監督機関のITCの番組コードという形で設けられていますけれども、これも社会実態に合わせてどんどん中身を更新してきたというものです。

これもポイントを幾つか私なりに整理してみますと、まず第1に、映像描写の取り扱いの範囲が非常に広いのです。私たちはどうしても“暴力描写”というような単純化した表現をしてしまうのですけれども、イギリスではバイオレンスと言っているときの中身にも、例えば家庭で夫婦げんかをするシーン、それを子どもが見て、どのぐらい恐い状況を感じるのかと、そういう描写まで含めて細かくガイドラインの中に書き込んでいます。

第2にいわゆる暴力描写についても、一律にすべてを排除するということではなくて、ストーリーの展開上必要であったら入れることもあり得るという、そういうアプローチがあります。ですから、文脈上必要なのか、必要でないのかによってそういう描写を認めるかどうかの判断をするという特徴があります。

3点目としてこういうルールというのは、いったん決めたらもう変えないということではなくて、社会の変化に合わせて自主基準というのも変える必要があるという、そういうスタンスをとっております。

さらに4番目のポイントとしましては、こういう描写の問題を自主ガイドラインにしたり、いろいろな規制として考える際に、商業テレビと公共放送が歩調を合わせるということが歴史的に見て特徴としてあります。もともとイギリスの商業テレビの公共性が強かったので、そういうことがやりやすいというのがあるかもしれませんが、資料の年表にありますように(資料4参照)、例えば1980年に公共放送のBBCと商業テレビが共同でガイドラインを発行しています。お互いにすり合わせをしながら、イギリス全体として子どもに向けてのテレビの環境をトータルな形で守っていこうという発想がかなり強かったように思います

*イギリスの自主基準に基づく番組チェック―重視される全体の文脈

いくらガイドラインが立派でも、それに合わせて実際に放送局がきちんと番組を放送していかなければ何もならない、ということが必ず問題になると思います。ちょうど2年前に公共放送と商業テレビ局のいくつかを直接訪問取材したことがございます。その時に、放送局では自主ガイドラインとか番組コードに照らし合わせながら、いろいろなステップでチェックをするメカニズムが細かく設けられているという印象を受けました。

90年代に入って、特にその傾向が見られるようなのですが、たとえば、午後9時以降放送の番組でも、子どもの目に触れることも考慮して、必要に応じて警告表示と呼ばれる、「若干気になる表現を含んでいますので気をつけてください」といったような番組冒頭でのアナウンスを付けるというようなこともなされています。このような時、その描写が適切かどうかという判断基準になるポイントというのは幾つかありまして、まず第1に、いろいろな自主基準の文字面を優先するのではなくて、最終的には公共の利益を優先するというようなアプローチがとられております。

判断に当たっては、最終的には解釈の問題が非常に大きいものですから、全体の文脈の中で判断していくしかない、ということをイギリスのどの放送局の人も言っております。そのための判断材料となるのがガイドラインに書かれている具体的な内容だけれども、結局一つ一つは脈絡の中で決めていくしかないだろうと。

問題となる場面が脈絡上必要なのかどうなのかということの他に、別の表現で言い換えられないかどうかというのがもう一つのポイント。それからそういう描写を提示する長さが適切なのか、次に、見ている人にとっても心構えができる範囲内のインパクトなのかどうか、非常にびっくりさせることなのかどうか、そのようなことも判断の基準に入れているようでした。

それからもう一つは、放送するのが午後9時より前なのか後なのか。これはイギリスの放送局の人は必ず言います。同じ表現でも「夜11時ならいいけれども、9時じゃあちょっと」というように、必ずその問題が出てきます。

それからさきほど言いましたが、事前に「こういう描写が出ます」という告知をしているかどうか、告知をしていれば、そういう映像を出してもいいけれども、それをしないで放送してはいけない、ということがあります。「こういう映像だったら一般の視聴者から苦情が多いかどうか」ということは、特に判断基準として重視はしないという考え方も聞きました。

その描写の部分だけ見ると、かなり問題と思うようなものでも、実際上は放送されているということも多いのですが、それは全体の脈絡の中で見ていれば、この映像は構わないというトータルな判断をイギリスは非常に重要視しているためなのです。

逆に言いますと、イギリスにはベースとしてこういう考え方があるから単純に番組にA、B、Cとランクを付けて、放送するしないというような形がなじまないという感じがいたしました。

全体的に見てイギリスの場合には、外から強制的に加わる力によって設けられるルールに対しては、その実効性をかなり疑問視しているのではないかと思います。元々放送が始まった時にある程度きちんとしたシステムが成り立っていたということがありますけれども、新しいルールを作るときには、視聴者と放送局の側とで社会的に納得できるスタンスをお互いに了解して、放送局はこういうものを出します、見るほうはこういうふうに見ますと。「9時以降は親の責任で子どもに見せます」というような共通の約束事も非常に重視する文化があるのがイギリスだと思いました。

資料5はイギリスの一般の視聴者が現在実施されているルールについてどのように思っているかということを調べたものです。例えば午後9時というのがイギリスにおいてどういう意味合いを持っているか、そうしたルールについての浸透度の高さがうかがえるし、視聴者のほうも視聴者としての責任というのを認識しているということが分かります。視聴者のほうも外からの高圧的なルールをむしろ望んでいないようです。つい最近、この秋に発表された調査報告などを見てみましても、イギリスは“午後9時のルール”というのを一番重要なルールとして認識しているという結果が出ておりました。

*メディア教育への取り組み―映像文化育成の視点

イギリスはメディア教育については長い歴史があるわけですけれども、伝統的なイギリス流のメディア教育というスタンスだけではなくて、90年代に入ってから新しい形で出てきているメディアリテラシーに対する取り組みということについても、新しい視点でやっていかなければいけないと、そういう意味では非常に謙虚な姿勢というものが見えます。アメリカなどから見ると、「イギリスはメディアに関する学習を非常に早くから始めていて、イギリスに学ぶ部分が多い」と言うのですが、イギリスでは、「異なるアプローチのメディア学習の捉えかたも必要」ということで、学習の中に、これまでよりも積極的にメディア制作を取り入れ、次の世代の創り手を育てるという観点も重視しながら、イギリスの新しいメディア教育のあり方を探っている状況があります。

このようにアメリカとイギリスというのは非常に対極的なアプローチを取っていると思いますが、次にカナダとオーストラリアについて簡単にお話をしたいと思います。

*アメリカ製番組の文化的影響を案じてのVチップ開発―カナダ

カナダとオーストラリアは自分の国の文化という視点から子どもとテレビのことを非常に強く考えている国、その代表的な二つの国だというふうに思っております。

カナダと言いますと、最近必ず言われることに、Vチップの技術を開発した国、ということがありますけれども、Vチップ制度という考え方になりますと、アメリカとはまったく違うというのが重要なポイントだと思います。

よく引用されるフレーズなのですが、カナダの放送規制監督機関がそのポリシーとして示していることで、“「暴力描写の問題の解決」について、10パーセントが「業界の自主的な基準の作成」、10パーセントが「Vチップのような新しい技術の開発」、そして残りの80パーセント、―これが一番大事だというふうに言っておりますが、「市民の意識の覚醒とメディアリテラシーなどの教育によって解決をすること」である”と。元々カナダは初めからVチップのような仕組みに頼るということではなくて、メディアリテラシーの育成ということが最初にあって、それ以外の方法もあるのであれば取り入れていこうと、そういうアプローチを採っております。カナダについては資料6の年表もご覧ください。

カナダの場合、子ども番組の状況の大きな特徴と言いますのは、アメリカの番組の影響を非常に気にしているということです。カナダがいくら自分の国の中で好ましい番組を作って放送していても、物理的に隣のアメリカの番組が全部見えてしまう。正式に輸入をしなくても、番組が映ってしまうという状況があるのです。もちろん番組の輸入ということもありますけれども。

カナダの中で番組のランク付けの問題ですとかVチップの導入という議論が行われる時に、カナダが作った番組を心配しているのではなくて、アメリカ製の番組を気にしているのです。

もう一つ、カナダで販売されるテレビの受信機はほとんどがアメリカ製ということがあります。ですからVチップ制度の導入でも、カナダは自分の国にそれを普及させることよりも、アメリカがきちんと自分の国の中での問題を解決して欲しいというのが本音だったのではないかと思われます。カナダは「映像描写の問題を論じるときに、1国の問題としてではなく、世界共通の問題として考えよう」ということを非常に強調いたします。

1993年だったと思うのですが、国際会議の場で、こういうテーマをカナダが提案してディスカッションをしたことがありますけれども、そのときにもカナダの放送規制監督機関の人が一生懸命この点を力説していました。また、アメリカの議会などにカナダのメンバーがロビー活動をしているという話も聞きました。

*メディアと教育の連携が強いカナダのメディア教育

カナダと言えば、すでによく知られていますように、メディアリテラシーの取り組みが早く、学校教育にも浸透しているという特徴があります。しかもそのメディアリテラシーの取り組みの中で放送機関、メディア側と教師、学校教育が非常にうまく結びついているということで注目されています。公共放送だけでなく、商業テレビもケーブルサービスも、それぞれがメディア学習に役立つようなサービスを提供していて、日本やアメリカを含む多くの国々が参考にしようとしているという状況があります。このようなメディア教育のアプローチにも、カナダという国が、自国の社会のテーマ、文化の観点から、テレビなどのメディアが提供する内容に注目しているということがわかります。

*「子ども番組育成」の観点に立つオーストラリア

オーストラリアの場合ですが、自国の文化を重視するということでは、カナダと共通している部分もあるのですが、もう一つ独自のおもしろいシステムというのがあります。オーストラリアではアメリカだけではなくて、イギリスからも番組をかなり輸入して放送している国ですけれども、この国では子ども番組の事前認定と、一定基準量の放送義務付けというのを1979年から実施しております。

番組の視聴制限ですとか、義務付けという言い方をしますと、ネガティブな観点からの番組ランク付けという発想があるかと思いますが、オーストラリアの場合にはそうではなくて、子ども番組の育成のためのルールです。例えば1週間にこれだけの子ども番組を放送しなくてはいけない、というルールをスタートの時点で設けておかないと、オーストラリアの中に好ましい子ども番組は育たないだろうという、そういう発想がかなり早い時期からありました。1979年に、商業テレビ局では、1週間に3時間以上の小学生向け番組と2時間以上の幼児向け番組を放送しなくてはいけないということが決められたのですが、事前に子ども番組としてふさわしいという認定を受けた番組を放送するということなので、かなり厳しいシステムになっていると思います。現在ではこの時間量も増えて、年間390時間、ですから週あたり平均7.5時間となっています。(資料7参照

まず、子ども番組と言いましても、小学生向けに適した番組と、それから幼児向けに適した番組というのをそれぞれ別に基準を設けて、これだけの分量を放送しなければいけない、また実際子どもたちが見るのにふさわしい時間帯に放送しなければいけないというようなことが決まっております。

*オーストラリア文化の重視に基づく子ども番組の育成

もう一つ興味深いのは、オーストラリア製の番組を、ある一定量放送しなくてはいけないということを定めていることです。いくらいい子ども番組だからといっても、それをほかの国から輸入してきた番組だけで埋め合わせてはいけないという、そういう視点がかなり強く入っています。同じ「文化の重視」と言いましても、カナダの場合には子ども番組についてここまで細かいルール付けはありませんから、そういう点でオーストラリアは非常にユニークだと思います。

しかも、厳しいルールを決めたというだけでは、なかなか実効上難しいということがありますので、こういう番組を作っていくために連邦政府がバックアップする形で、子ども向けの番組を作る、あるいは開発研究する財団としてACTF(オーストラリア子どもテレビ財団)を1982年に作っております。実際に子ども向けのいい番組を作るプロデューサーを育成する、あるいはいい案を持っている人には金銭的にもバックアップして番組を作りやすい状況を作っていくというように番組育成の環境作りということにも、オーストラリアは非常に力を入れております。

このオーストラリアの週3時間の子ども番組ルール(今は年間390時間ルールですが)は、アメリカの制度、システムにも影響を及ぼしました。おそらく日本の民放での3時間ルールというのも、直接的にはアメリカで3時間というのが行われているところから取り入れたと思いますけれども、そのアメリカが影響を受けた元は、このオーストラリアだったということです。そしてオーストラリアも元はと言えば、アメリカなどの商業ベースで作られた番組の影響を弱めて、オーストラリアの子ども文化を育てるテレビ番組の発展のためにこのシステムを作り、それが逆輸出という形でアメリカにも影響力を及ぼしているという非常に興味深い関係にあると思います。このオーストラリアの例は、アジアの国々などが本格的に自分の国の力で子ども向け番組を作って普及させていくスタートの段階で、ぜひこういうアイデアを取り入れておきたいということで、関心が集まっているシステムのようです。

オーストラリアは自分の国の文化を大事にする中で子ども番組を育てようという意識が強いので、当然のことながらメディア教育も盛んな国なのですが、私が知る限りではすでに放送番組、特に学校教育の番組の中でメディア教育に役立つ番組というのをかなり体系的に取り入れている国だと思います。

オーストラリアというのは、放送局の規模も小さいですし、それから実際に学校放送のような番組でも、イギリスとかカナダからの輸入番組が非常に多いのですけれども、メディアに関する番組、あるいは子ども向けのニュース番組などは、しっかり自国の文化の中で支えて作っています。そういう発想の中にもメディアに対する考え方というのが表れていると思いました。

非常に駆け足ではございましたが、4か国の例をお話させていただきました。

意見交換

〈委員〉
日本で同じような年表を作ると、どのようなものになるのでしょうか。

〈委員〉
テレビに対する俗悪論議はテレビがスタートした当時から続いているけれども、90年以降は世論の高まり方も違うし、その対応についての議論も全社会的になってきたという感じがするので、日本版年表を作ってみる必要がありそうですね。
〈委員〉
確かTBS発行の「新・調査情報」によくできた年表がありました。
〈委員〉
今日報告された国は子どもに対して何をすべきか、大人の責任をどう果たしていくかという観点が明確で、それが制度に反映しているように思いました。
〈小平〉
以前放送文化研究所の機関誌で原委員長がインタビューにこたえておっしゃった事ですが…。いったい私たちはどういう市民社会を作りたいと思っているのか、子どもたちにどうあってほしいのかという、そこのところの議論がなされないまま、基準を設けるとか、日本の場合はそういうところにいきなり飛んで行ってしまっているみたいなところがあります。ほかの国の番組がたくさん流れ込んできてしまうというような、文化のせめぎ合いっていうのでしょうか、そういうものが顕著な国というのは、そういう意識を持ちやすいという部分があるのかとは思いますが。
〈委員〉
日本の民放ではスポンサーをつけることが重視されているから、子ども番組は売りにくいということで現在のような傾向の番組になっていると思うのですが、イギリスの場合などはどうなのでしょうか。
小平 イギリスでは既存の地上波のチャンネルでは、いわゆるコマーシャルというのは子ども番組自体につけません。そういう意味で子ども番組は商業テレビの中でも特別扱いということです。全体のメカニズムの中で、スポンサーがつかなくて番組が作れない状況にはしないようにしているわけです。
〈委員〉
個々の番組でまかなえなくとも、全体として儲かった部分で社会還元をするという思想があってもいいわけだし、ヨーロッパにはあるのではないかと思う。社会の側がそういう要求を放送局にしていくべきではないだろうか。「子ども向け番組が赤字でも他の部分で補う、それが放送局としての社会的責任であり、義務だ」というくらいの要求を出していかなければいけないし、そうしないと成り立たないでしょう。また、もう少し本気になって評判のいい子ども番組を作れば「視聴率が低くても企業として良心的なイメージを求めたい」という理由でスポンサーがつく可能性も十分あると思います。
ところで文化的状況、社会環境も含めて、どこの国が一番モデルに出来そうですか。
〈小平〉
ちょっとお行儀悪く、つまみ食いになってしまいます。例えば非常にダイナミックに動く、研究にしても状況の変化があると即応して動く、という意味でいえば、そういうエネルギーはアメリカから学ぶことがあると思います。ただ、視聴者と放送局とが共通理解を持った上で、いい番組を放送していく環境やルールを育てる、そういうトータルなシステムから言えば、私はイギリスに学びたい部分が非常に多いです。放送の仕組みで言うと、日本の場合、アメリカよりはイギリスのほうにかなり近い部分もあります。
文化という観点では、もちろん、日本は固有の大切な文化を持っているのですが、テレビ開始当初から、自国制作の番組を放送することが中心だったということもあって、メディアのことを考える時に、オーストラリアやカナダのような形で自国文化を意識するということはなかったですね。ただこれからは、他の国の優れた番組の観点や、メディアに関する学習、教育や、メディア環境づくりのアイデアを取り入れていくという意味でも、この両国に学ぶところは大きいと思います。それぞれの国から刺激を受けられる部分があると思います。
それから具体的に個々の番組ということから見ていますと、今日触れた以外の国も含めて多くのすばらしい例から刺激を受けるということがあります。こういう話をしていくと、どうしてもアメリカの番組というのが悪者になりやすくて、お話をしながら少し気にはなっていたのですが、アメリカの番組の中にもいいものがたくさんあります。どこの国からも学べる部分はあると思います。
90年代後半、「子どもとメディア」をめぐるテーマの中でも、規制のことなどを少し勉強しなければいけないような状況が出てきて、研究対象にしていますが、私自身元々の関心は、どうやったら新しい時代に即したいい番組、おもしろい番組、楽しい番組が開発できるのだろうかというところにあります。さらにそういう番組を制作して、見てもらえるためのトータルな環境を作るためにはどういう番組を制作していったらいいのかという、そういう観点で考え、研究も続けたいと思っております。
〈委員〉
一般成人向けの番組の内容というのは、日本の番組とアメリカやカナダとかを比べてどうなのでしょうか。暴力、セックス表現などのレベルは。
〈小平〉
それはご覧になる方によっていろいろ感じ方やご意見が違うので、暴力度がどこの国が一番強いのかというのは非常に難しくて簡単には言えないですね。例えばヨーロッパやカナダ、オーストラリアにとってアメリカ製番組の描写が批判の対象になりやすいというような傾向がありますが。またヨーロッパの中でもドイツの番組などは、かなり教養的な側面、哲学的要素を感じるといった印象はありますが。
〈委員〉
イギリスの放送機関での番組チェックに関してですが、制作のどの段階でどのようなチェックがされるのかを知りたいのです。また、番組で問題が起きたときの責任についても。
〈小平〉
番組の種類や個々のケースによっても違うようなのですが。例えばドラマのように、まず最初の段階である程度決めておかないと、スタートしてからでは手直しできないという場合には、台本のところで細かく検討するということもありますし、実際に出来上がったものを見てみないと何とも言えないという種類のものについては、オンエア直前の段階のチェックを重視する。これはギリギリどうなのだろう、何も警告アナウンスをしないまま放送した場合に安全だろうか、などと作り手が迷う場合は、そういう相談をするセクションがあって、そこで判断をします。
一律に全部どこかへ持って行ってそこで全部同じ基準で見ていくということではなくて、最終的にはプロデューサーの責任において判断します。その基準になるのが自主基準のガイドラインです。また、それまでの判断事例もファイリングしてあって判例的に参考にしているようです。
苦情処理、苦情を受け付ける部門というのは各放送局にありますし、別途商業テレビの規制監督機関などもあって、そこにも視聴者の声が届くようになっております。そこでどういう審議をして、どういう結果になったかというのは公表されております。苦情がきても放送局として「このスタンスで正しい」ときっぱり言い切って、基本姿勢を貫くことも多いと聞きました。そういうコミュニケーションが成り立つのは大切なことだと思います。
〈委員〉
今後、これからの課題として各国が抱えている大きな問題というのは、どんなものがあるか、ご説明いただければ。
〈小平〉
その辺をもう少し追わなければと思っているのですが、一つには、テレビだけではなくてビデオとかテレビゲーム、一番大きいところでインターネットですね。その中身について、今、かなり議論、話題になってきておりまして、映像メディア全体の問題として子どもとのかかわりを考えなければいけないのではないかと、そういう傾向がいろいろな国で出てきているようです。確かオランダだったと思いますが、すべての映像メディアをある同じ基準で見ていくということが議論されていると聞いています。
〈委員〉
アメリカもこの7月にそういう公聴会があって、すべての映像メディアを同じ基準でレーティングするためのスタンダードを作ることの是非といったことが議論されています。作り手側は反対していますが、NGOとかから「やってください」、「親たちが混乱しています」という動きがあるのですが、オランダもそういう感じなのでしょうか。
〈小平〉
そうですね。テレビ、インターネット、ビデオなどそれぞれ違う基準でいいのか、という考えもあるのだと思います。例えばテレビだけはいい状況になるけれども、テレビゲームのほうはそうではないとか、ということが生じると、一人の子どもにとっての環境をトータルで考えたときには十分ではないのではないかと、そう考える傾向が出てきていると思います。
ただ、現実問題として同じ形でランク付けなどをしていくということがいいのかどうかについては、必ずしもみんながそれを望んでいるようには思えません。
〈委員〉
デジタル化したりしていくと、多分数年後にケーブルとかその他で、全部同じようにアクセスされてしまう可能性があるでしょう。その前にトータルとしての基準を作っておかないとまずいですね。
〈小平〉
インターネットでテレビが見られたり、テレビ画面からまっすぐパソコン場面に行ったりという状況が生まれると、レーティングとか、ラベリングをすることが本当に問題の解決策になるのかどうかということが改めて問題になってくるのだろうと感じております。
〈委員〉
あと、ブロードキャスティングがたかだか10チャンネルで、ケーブルでもたかだか100とか200ですが、インターネットは何万だか、何十万だか分からないほどの量でしかも毎日変わるわけですから、レーティングでいくかどうか。困りますね。インターネットにしてもフィルタリングをしてもすぐ裏をかけるので実際は意味がないし…。
〈委員〉
Vチップは失敗だったと言ってしまっていいですか。
〈小平〉
そうですね。アメリカでの各種調査結果や研究者たちの話を総合的に考え合わせて見ても、この先成功へ向けての見通しは難しいようです。
〈委員〉
調査でも一般の人たちの認知度が低いですね。文部科学省の視察団の報告を聞く限りでも、知られていない。
〈委員〉
民放では事前表示をこの10月から試み始めました。事前表示についてはまだ議論が日本では残っているわけだけれども、この点はどうですか。事前表示はやっぱりやったほうがいいのか、それともあまり効果がないのか、いままでの経験から言えるのかどうかですね。
〈小平〉
イギリスなどでは、放送開始前のアナウンスで事前に情報提供されているということで、見る側の心構えができ、自分で見るか見ないかの判断はできることから、ほかのやり方に比べれば比較的評価は高いようです。
〈委員〉
非常に難しい問題で、感じで話していただければ結構です。各国、文化が違うから価値判断も違うはずですが、いい番組とは何か、悪い番組とは何かについて、価値観がほぼ共通していると言えますか。それともかなり乱れていると言えますか。
〈小平〉
子どもに向けてのいい番組というほうのベースになる基準というのは、ある程度の共通理解があるように思います。子ども向け番組のような国際コンクールなどに参加していますと、確かに文化、背景は違いますけれども、本当にみんながいいと思うものはいいという、文化を越えて理解できる部分があるというのはかなり感じます。
教育番組だけでなくて、エンターテインメント用に作っている番組でも、そういうところで作り手たちが一致している部分というのはかなりあると思います。
それと、さきほどからお話が出ていますスポンサーの問題とか、制作環境面での障害があるために苦労する部分があるけれども、本当は子どもたちに向けこういうものを作ってみたいと意欲を持っている創り手というのは、どこの国にもたくさんいるということも感じています。
〈委員〉
法的規制と自主規制とミックスされたオーストラリアなんかその典型かもしれませんが、その辺はどうお考えですか。実際の問題として自主規制では商業放送である以上、なかなか難しいでしょう。そうすると、ある部分は法的規制が必要にだんだんなってくる、そういう社会的要求になっているのか、やはり法的規制というのはいろいろな意味でまずいから、困難でも自主規制だけでやるべきだということになっていくのか、その辺りどうですか。個人的な感想でいいですが。
〈小平〉
私は自主規制重視のイギリスの場合に注目しているのですが、ここでは外から押しつけられていたルールに自分が合わせなければいけないというのは結果的にうまくいかないというような文化があります。法律であってもそうでなくても、いきなり上から、自分の理解の範囲とか納得の範囲と違うところから下りてきてしまったルールというのは、なかなか根づきにくいのではないかということを感じます。イギリスとアメリカの比較をしたときに感じることの一つですね。
〈委員〉
日本の今の番組を見て、子どもの育成とかから考えて、「やっぱりここは少しルーズすぎる」というふうに感じておられること、いくつかあると思うのですけれども、その辺りどうですか。
〈委員〉
最近、私自身は個々の番組がどうこうというよりも、子どもの生活全体を私たち大人がどういうふうに見ているのか、注意すべきことをしているのか、していないのかということのほうに関心が向いています。社会が子どもをどう見ているかということが、そのときどきの子ども番組を含めてすべての種類の番組の状況にも反映されてしまっている、そんな気がいたします。
作り手は「子どもにとって重要」「子どもに見てほしい」と思って一生懸命作るのだけれども、そうした番組が必ずしも子どもたちには見てもらえていないという状況があるとすれば、そこにある社会的な要因にも目を向ける必要が大きいと思います。もちろん作り手のほうももっと努力して見てもらえる番組を作り、これだけ番組量が多い時代、じょうずにアピールしていくということも必要だろうと思いますが。
〈委員〉
イギリスでは見てほしい番組を子どもが見ているという事実はあるのでしょうか。あるとすれば子どもに対する見方、ポリシーが明確にあるからなのでしょうか。
〈小平〉
日本に比べれば、その傾向は強いと思います。ある程度社会的に育ってきていることがあるかと思います。イギリスの子どもも、いわゆる子ども番組だけを見ているわけではなくて、大人向けバラエティーやコメディーも見るし、以前に比べるとアメリカ製番組に傾斜する傾向も見られますが、それでも子ども向けの人気番組のベストテンをみたときに、子ども向けのニュース番組が必ず顔を出しているというようなことは今でもあります。もともと公共テレビでも商業テレビでも、バラエティーに富んだ番組を子ども向けに放送する基本ポリシーが明確だったという長年の蓄積が、テレビ全体の状況が変わっても、そういうところに表れているのかなと思います。
〈委員〉
青少年委員会に対して、ご意見とか、これまで研究されてきた立場で実際に出来そうな提案などあれば。
〈小平〉
この委員会自体は非常にユニークな組織で、世界で同じ立場にある委員会というのはないと思います。委員会での様々な活動を広くPRしていく、まだ年月が経っていないということもありますけれども、そういうことは、いろいろな機会になされていく意味が大きいのではないかと思います。  積極的に評価したい子ども番組とか、そういう観点での議論というのがあってもいいのかなとも思いますし…。
〈委員〉
小平さんは積極的に今、評価できると思っている子ども向け番組はありますか。三つ四つ挙げてもらえば、それについて議論をするのもいいかと思うのですが。
〈小平〉
そうですね。海外の番組については、ちょうど情報を集めていますので、いくつかのジャンルについてご紹介できると思います。アメリカの例で触れましたが、小学生向けのニュースマガジン番組の他、最近増えている子ども参加型番組も興味深い例があります。日本の番組については、私は放送局の人間でもありますし、議論の対象ということでしたら、中立的な立場で選んでいただくほうがよろしいかと思いますが、一つ言えるとすれば、全国放送の番組だけでなく、地方の放送局で地道な成果をあげている番組も、ぜひ取り上げていただければと思います。
〈委員〉
子ども番組のコンペティションでいいランクを受けていていまも放送されている番組というのはあるでしょうか。子ども向け番組の世界的なコンクールで賞を取った日本の番組とか。1回きりの単発ものでなくレギュラー番組で。この委員会で、世界的に認知されている、いい番組というのを見る必要もあるのかなと思ったのですけれども。
〈小平〉
国際コンクール受賞番組でレギュラー番組となると、学校や幼稚園向けの教育番組とか、『中学生日記』などになるでしょうか。
〈委員〉
民放連賞でも報道部門、とかエンターテインメント部門とか分かれていますが、子ども番組部門というのはないですね。
〈委員〉
委員の間からも積極的に評価できる番組について議論をしようという声もありますので、「国際的にいい番組だと言われているもの、議論してもらいたい、いい番組ではないか」というのがありましたら、事務局のほうに知らせてください。『ニックニュース』も見てみたいですね。今日はありがとうございました。
〈小平〉
よい番組を評価して、応援していくことは、子ども向け番組を育てていくためにとても重要なことだと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

5.「青少年を取り巻く環境の整備に関する指針」について

「青少年を取り巻く環境の整備に関する指針(案)」に青少年委員会として意見を提出したが10月19日内閣府が正式に発表したので、それを配布し、事務局から変更部分の説明をした。

6.その他

次回の議題については報道番組が子どもに与える影響、殺人現場の映像などのテーマが以前から出ていることでもあり、アメリカ同時多発テロ報道、バスジャック報道などが与える影響についてフリートークをすることになった。

その上で、NHK、各民放局が報道にあたって、アメリカの映像規制の動きをどう考えたか、子どもにどのように配慮しているかについてのアンケートを取ることも考える。

2000年11月29日

バラエティー系番組に対する見解

青少年委員会では5月の委員会から議論を重ねてきたバラエティー系番組について、内容や表現方法など、細部に渡って熱心に意見を交わし最終的に「バラエティー系番組に対する見解」を11月29日に記者会見をして発表しました。

記者会見後、おもにEメールでたくさんの意見が寄せられました。

反響の内容、放送局の対応などを公表します。

2000年11月29日

はじめに

NHKと民放連は、テレビやラジオの番組を制作・放送するに際し、青少年に対して特別な配慮が必要であるという認識に立ち、平成12年4月に「放送と青少年に関する委員会」を発足させた。 委員会は視聴者からの番組に対する意見を受付けているが、その数は11月28日の時点で820件に達した。委員会は毎月、寄せられた視聴者の意見を「放送番組向上協議会月報」とホームページ上で公表するとともに、いくつかの番組については放送局の見解を求めてそれを公表してきた。

NHKと民放連は、テレビやラジオの番組を制作・放送するに際し、青少年に対して特別な配慮が必要であるという認識に立ち、平成12年4月に「放送と青少年に関する委員会」を発足させた。 委員会は視聴者からの番組に対する意見を受付けているが、その数は11月28日の時点で820件に達した。委員会は毎月、寄せられた視聴者の意見を「放送番組向上協議会月報」とホームページ上で公表するとともに、いくつかの番組については放送局の見解を求めてそれを公表してきた。

委員会は視聴者からの苦情・批判のなかに、バラエティー系番組の占める比率が大きいことに注目し、バラエティー系番組のあり方を議論することとした。まず、視聴者からの意見や放送局からの回答などを検討した上で、青少年とのかかわりの深い「暴力表現」や「性描写」の問題があると思われる3番組を選んで視聴した。そのうちの1番組は視聴者から指摘のあったコーナーがなくなったため、残りの2番組、(『めちゃ2イケてるッ!』、『おネプ!』)を取り上げ、具体的に問題点を検討しながらバラエティー系番組のあり方について6回の会合で討議を重ねてきた。その過程で、上記2番組の制作責任者に委員会への出席を要請し、質疑応答も行った。この一連のプロセスを経て、委員会は次のような認識に至った。

1 委員会のテレビ放送の捉え方

委員会は、テレビ放送を次のような特性をもつメディアであると理解している。

テレビは、大勢の人が同時に接触することを前提としているマスメディアであると同時に、誰でも容易に接触可能なメディアである。また、老若男女を問わず、すべての人々の暮らしに深くかかわっているメディアである。

さらに重要なことは、テレビメディアの持つ公共性である。テレビが公共的なメディアである以上、テレビ局は番組制作に当たって、とりわけ、青少年の成長発達に配慮し、知識、情操をともに豊かに育成し、テレビから悪い影響を受けないようにする責任を持つ。テレビの悪影響については、青少年がテレビ番組の好ましくない場面を模倣することが問題だと指摘する意見が多いが、それだけではなく、たとえ模倣しない場合でも、青少年がテレビ番組から深刻な影響を受けることも考えなければならない。青少年はしばしばテレビ放送の内容が、社会的に肯定されたものであると捉え、テレビから社会規範を学習する。つまり、放送内容が青少年の価値観を形成し、行動の基準ともなり得る。そのため、放送局には、品位と責任のある放送を行うことが求められる。

2 具体的な番組について

フジテレビ『めちゃ2イケてるッ!』(土曜 午後7時53分~8時54分)

しりとりゲームをして間違えた人が罰として野武士の集団に襲われ、メッタ打ちにされる「しりとり侍」という企画は、「罰が暴力的でいじめを肯定するような内容」との視聴者からの苦情があった。

番組制作者からは、「七人の侍」を意識した時代劇風の設定で、見るからに安っぽいウレタンの刀を使うなどリアリティーを排していること、また、「まねをしてはいけない」といった趣旨のテロップを入れるなどして、青少年に与える影響については配慮しているとの説明があった。

しかし、画面の中での行動が一種の袋叩きであることは間違いなく、その演出方法に必然性は感じられない。大勢で一人を叩き、仲間で笑いものにする場面はいじめの形にきわめて近いものがあり、こうしたシーンを繰り返し放送することは、暴力やいじめを肯定しているとのメッセージを子どもたちに伝える結果につながると判断せざるを得ない。また、失敗した者がリンチまがいの罰を受けるのは当然だというメッセージが伝わることも考えられる。番組の中でテロップによって視聴者にさまざまな注意を喚起する方法も、弁解さえしておけば不適切な行為も許されるという、間接的メッセージを伝えることになりかねない。特にこの番組が幼児から中学生をコアの視聴者としていることから、その影響は大きいと考えられる。

テレビ朝日『おネプ!』(月曜 午後11時9分~11時54分)

ネプチューンが主に若い女性たちを巴投げで投げる「ネプ投げ」のコーナーについて、「投げられる際に女性の下着や肌が見えるのは不愉快であり、セクシュアルハラスメント、女性蔑視にもつながり、中高生に悪い影響を与えるのが心配だ」との視聴者からの苦情があった。

番組担当者によれば、この番組はネプチューンという3人のタレントのキャラクターを生かしたエンターテインメントであり、祈願成就を希望する団体のところへ出張して願いを聞き、女性を巴投げして幸せを授けるというナンセンスな設定になっている。会場の若い観客が参加して一緒にお祭り騒ぎをする番組で、回を重ねるごとに人気が出て、ついハメをはずすという現状もあり、お色気と下品、笑いと悪影響の微妙な線について迷いがあるという。

委員会は番組視聴の結果、カメラアングルに注目し、投げられる女性の下着がもっとも映りやすい位置からのショットが多用されていることなどから、番組が女性のスカートの中が見え隠れするのを売り物にしていると判断した。こうしたシーンを繰り返し放送することは、「のぞき」を肯定するというメッセージを伝えていることになる。また、投げるのは男性、投げられるのは女性という男女の役割がおおよそ固定されているうえに、女性の肉体への関心を引くような会話が多いことから、女性に対する差別的固定観念を植え付けるという問題点があると考える。

「ネプ投げ」は、映される当事者の同意を前提にしているが、公共性の強いテレビでは、「当事者の同意さえあれば何をしてもよい」ということにはならない。

民放連が定めた「青少年に特に配慮する時間帯」から外れた、夜間11時過ぎに放送される番組ではあるが、番組制作者も認めているように、最近は生活習慣の変化により11時台でも小中学生がテレビを見ており、まして子どもに人気のあるネプチューンによる番組となると一層の配慮が必要である。

3 バラエティー系番組の検討の中から特に強調しておきたいこと

放送の公共性について認識

バラエティー系の番組で問題とされるシーンも、小劇場で特定の客を対象にしたものであれば許されるであろう。しかし、公共性の強いテレビでは、番組全体の文脈から、その表現の必然性が納得されない限り、職場、学校、街中など、多くの人たちが出入りする公共の場所で見せることが社会通念として許されない行為は扱うべきではない。人を笑わせ、楽しませることを目的としたエンターテインメント番組であっても当然公共性の強い制約を受ける。そうした認識に基づき、公衆道徳や社会良識に照らして問題がないか、ほかのさまざまな放送番組を再点検すべきだと考える。

番組基準などの徹底

「NHK・民放連放送倫理基本綱領」「民放連放送基準」や各放送局の「番組基準」等は、放送局が自主的に定めた倫理基準である。放送の公共性を考え、番組制作、放送に当たっての考え方を具体的に書き記しているとも言える。しかし、残念なことに今回のバラエティー系番組をめぐる放送局との話し合いの中からは、こうした倫理基準が各放送現場で具体的に活用されている様子はうかがえなかった。制作会社のスタッフを含め放送に携わる全員に、これらの基準を手掛かりに、放送の公共性についての考えが徹底され、自律規制がなされるよう各放送局の一層の努力を望む。

委員会では、取り上げた2番組が民放局の制作ということから、番組の問題点を民放連放送基準との関係で審議し、次のように判断した。

『めちゃ2イケてるツ!』の「しりとり侍」のように、暴力を是認するようなメッセージを青少年が受け取りかねない場面を繰り返し放送することは、テレビ局が暴力を肯定していることを意味し、「暴力行為は、その目的のいかんを問わず、否定的に取り扱う」(62条→現63条)や「武力や暴力を表現する時は、青少年に対する影響を考慮しなければならない」(19条)に抵触する。また、放送基準審議会からの要望(1999年6月)の「"いじめ"を肯定的に取り扱わないように留意する」という趣旨にも反する。

『おネプ!』の「ネプ投げ」については、「児童及び青少年の人格形成に貢献し、良い習慣、責任感、正しい勇気などの精神を尊重させるように配慮する」(15条)、「社会の秩序、良い習俗・習慣を乱すような言動は肯定的に取り扱わない」(25条)、「公衆道徳を尊重し、社会常識に反する言動に共感を起こさせたり、模倣の気持ちを起こさせたりするような取り扱いはしない」(26条)といった規定に抵触する。また「性に関する事柄は、視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意する」(72条→現73条)、「全裸は原則として取り扱わない。肉体の一部を表現する時は、下品・卑わいの感を与えないように特に注意する」(76条→現78条)、「出演者の言葉・動作・舞踊・姿勢・衣装・色彩・位置などによって、卑わいな感じを与えないように注意する」(77条→現79条)など、青少年の発達にとって重要な意味を持つ性の取り扱いについての規定にも反している。

放送局の責任体制の確立

委員会と放送局との話し合いのなかで、放送局の主体性に問題があることがうかがえた。放送内容についての責任が放送局にあるのは言うまでもないことであり、各放送局はもう一度、原点に立ち戻って番組の制作・放送に対する自律の責任体制を確立することを要請する。その場合、番組制作がタレントのキャラクターに依存し過ぎる傾向があることや、一人のチーフ・プロデューサーが余りにも多くの番組を抱え、番組の隅々に目が届かなくなっている現実があることを認識し、その面での改善も必要である。問われているのは番組制作の現場だけではない。放送局全体で取り組むべき課題だと考える。

おわりに

今回、委員会は視聴者から苦情の訴えがあったバラエティー系番組の中から2番組を取り上げて、その問題点を検討してきたが、この2番組だけが特に問題と考えてきたわけではない。テレビ各局が青少年への影響を軽視し、公共性を忘れて視聴率競争に走る傾向が全般的に強いことは否定できない。委員会はバラエティー系番組の検討を通じて、青少年のために放送が果たすべき役割について考え方の一端を示し、放送界はもちろんのこと、青少年、保護者、視聴者団体など広く関係者に呼びかけ、議論を巻き起こしたいと考える。この見解をきっかけに、オープンな議論を展開させる中から青少年への配慮が進み、バラエティー番組を含めた質の高い放送文化が視聴者の期待に応えて発展することを委員会は期待する。

以上

放送局の対応

【フジテレビ】

(12年12月22日)

先日、貴委員会によるバラエティー系番組に対する見解公表において、弊社番組『めちゃ2イケてるッ!』につきまして「しりとり侍」のコーナーが「暴力といじめを肯定する内容であり、その影響は大きい」との指摘がなされました。

弊社におきましてはご指摘を真摯に受け止め、制作スタッフと数回にわたる討議を繰り返し、暴力およびいじめについて問題のないよう改善策の検討を重ねてまいりました。 また一方で社内の「TVメディア検討委員会」、「児童・青少年と放送問題検討委員会」、「ジャーナリズムのあり方を考える研究会」といった委員会でも、青少年に対するテレビの影響という観点からさまざまな議論を行ってまいりました。

最終的に、制作スタッフとTVメディア検討委員会で検討を行い、該当コーナーをこのまま継続することは難しいと判断し、今後このコーナーの放送はしないことといたしました。

貴委員会見解にあります1.テレビの公共性の認識、2.倫理規準の遵守、3.放送における責任体制の確立、の3点につきましては、今までにもまして制作現場への徹底をはかってまいる所存でございます。今後ともよりよい番組づくりにつきまして、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

【テレビ朝日】

(12年12月26日)

テレビ朝日のバラエティー番組『おネプ!』内のコーナー企画「ネプ投げ」は、依頼者の願い事をネプチューンが巴投げをして、願い事を叶えてあげる祈願成就の儀式というコンセプトで制作してまいりました。

番組宛にハガキなどで応募してきた団体、大学、商店街、会社など様々な願い事をもったグループの方々とネプチューンとの共演コーナーという形式をとっており、コーナー趣旨なども事前に説明して、あくまでも各団体、グループの意思で会場に来ていただき、出場者はネプチューンとの会話や投げられる行為自体を楽しんでいたと考えておりました。

しかし放送を重ねる中で、「行き過ぎた表現である」と指摘するご意見が、テレビ朝日や「放送と青少年に関する委員会」に寄せられるようになりました。

テレビ朝日では、寄せられたご意見を参考に、審査部長を議長とする番組審査専門部会で議論し、また編成部長を議長とする会議(青少年問題会議)に制作担当者を加えた形でご指摘を受けた部分を含め議論を重ねた結果、様々なご意見のある「ネプ投げ」のコーナーは年内で終了し、新コーナーを開発しようという結論に至っておりました。

今回の「放送と青少年に関する委員会」の見解を重く受けとめ、今後とも視聴者の信頼を損ねないよう、健全な番組作りを心掛けたいと思います。

「バラエティー系番組に対する青少年委員会・見解」 への視聴者の反響のまとめ

(~12月12日)

放送と青少年に関する委員会は、11月29日に「バラエティー系番組に対する見解」を発表したところ、視聴者から大きな反響があった。(その数は12/12現在で568人。)今回の反響の一番の特徴は、インターネット時代を反映するように、Eメールで大勢の若者から意見が寄せられたことである。

意見を寄せた視聴者の年齢別内訳は、10代124人、20代前半(20~2 4歳)203人、20代後半(25~29歳)88人、30代以上115人。不明38人で合計568人。男女比は男性445人に対して女性113人、不明1 0人。20代の男性が全体の約42%となっている。小・中学生も少数ではあるが含まれている。また、在米の人、日本在住の外国人からのメールも届いた。

意見の内容で多いのは、「指摘された番組は青少年に悪影響を与えるとは思えない」「悪いと思ったら見なければいい。親が責任を持って指導すればいい、テレビのせいにするのはおかしい」「好きな番組のコーナーが打ち切られたのが残念」「青少年委員会はお笑い番組についての理解が足りない」「大人の価値観だけで判断しないでほしい」といった意見で、委員会の見解を批判するものが全体のおよそ94%に達している。大半は無記名で、「バカ」「むかつく」といった下品な表現をするものもあって、Eメールによる投稿のもつ"気軽さ"と同時に"無責任さ"も垣間見られた。

若い視聴者からEメールで多くの意見が寄せられた背景には次のような理由があったと思われる。1.YAHOOのトピックスで取り上げられ、そこに連動した記事で青少年委員会のホームページが紹介されたため、パソコンに接する機会の多い世代の関心を引いた。2.委員会の見解は、視聴者から苦情のあった『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ)、『おネプ!』(テレビ朝日)の一部のコーナー("しりとり侍"と"ネプ投げ")について問題点を指摘するとともに、バラエティー系番組や番組全体のあり方について提言し、広く議論を呼びかけるものであったが、委員会見解発表のニュースをテレビ・ラジオや新聞あるいはインターネットのトピックスで知った若い視聴者が、委員会が放送中止を勧告したと誤解した。3.当該放送局は番組内容を改善するとのコメントを発表しているが、これも放送中止を決めたと受け取られた。4.委員会は放送界の自主的な第三者機関であるが、その役割が十分に理解されていないため、"お上による規制"と受け取られ、反発を招いた。

一方、「よく委員会が見解を出してくれた」といった見解を評価する意見を寄せた視聴者は40人に上っている。30歳を越えた人が多く、番組評価に世代間の差があることがうかがえる。

「委員会見解」に対する意見の内容

[苦情・批判]

・『めちゃ2イケてるッ!』はいじめにつながらないし、『おネプ!』は覗きではない。 132件
・委員会見解は納得がいかない。
・見るか見ないかは個人が判断するもの、子どもの視聴については親が見せないようにすればよい。テレビに責任転嫁するのは間違いだ。親としての責任放棄ではないか。 122件
・くさいものにフタをしても解決しない、判断力をつけさせることが大事。過保護にして青少年が健全に育つのか。
・テレビで悪くなることはない。少年犯罪は家庭、学校、社会に原因がある。
・子どもはバカではない。テレビで影響されない、もっと信じてほしい。
・2番組よりもっと問題にすべき番組がある。(時代劇、サスペンスドラマ、国会中継、アニメ、深夜番組、警察特集番組、ワイドショー、など) 63件
・楽しみを奪うな。テレビは娯楽なのだ。テレビを見る権利を奪うな。大好きなのに
・NHKと民放は違う。 50件
・お笑いをもっと理解して。芸人は体を張って頑張っている。芸人いじめだ。 24件

「しりとり侍」に対して

特定の人に対してではなく、平等に罰が与えられるからいじめではない。
いじめは当人同士の了承なしに行うもの。だからいじめではない。
ルールがあるのだからいいと思う。
テロップで配慮しているではないか。
ストレス解消になる。嫌なことが忘れられる番組。精神安定剤だ。

「ネプ投げ」に対して

深夜だからいいではないか。
好きで投げられているのだからかまわない。
しゃれが通じないのか。バカバカしさを楽しんでいるのに。
こういう番組をなくすと逆に性犯罪が増えると思う。

[委員会に対して]

  • 青少年の意見を聞くべき。アンケートをとるとか。 大人の価値観で決めないでほしい。
  • ジェネレーションギャップを感じる。委員会に若者を入れるべき。
  • 規制反対、批判的意見だけで判断するな。

211件

(意見の中に見られた見解について誤解をしていると思われる表現)

「放送禁止」「放送停止」「検閲」「言論統制」「表現の自由規制」「俗悪番組指定」「強権発動」「圧力をかけて潰した」「番組狩り」「魔女狩り」「数名の私情で打切るな」「教育委員会と関係あるのか」「してほしいのは問題提起であり、結論ではない

[肯定的意見]

  • 我が意を得たりという感じ。
  • やっとこういう組織ができたのかと嬉しい。遅すぎるくらいだ。
  • 自信を持って取り組んでほしい。
  • 今まで放っておいたのが不思議。
  • モグラたたきでなく公平に審議を。
  • テレビは確実に子どもに影響を与えている。がんばってください。
  • 見解に同感
  • 俗悪番組の撲滅を。

41件

[その他]

・罵倒、意味不明など

33件

(1名で複数の意見を述べている場合があるので、件数合計は676件となっています。)

< 参 考 >

10代 124人
20代前半(20~24歳) 203人
10代 124人
20代後半(25~29歳) 88人
30歳以上 115人
不明 38人※
合計 568人

※性別不明者10人を含む

視聴者から寄せられた見解についての代表的な意見

男性 16才 福島

青少年委員会の人数が少なすぎる。しかも頭の堅い人ばかりだ。もっと柔軟な考えができる人を入れるべきだ。青少年委員会に一人は青年を入れるべきだ。

男性 24才 岐阜

青少年に悪影響を与えると色々な批判が多いようですが、本当にそうなのでしょうか?殺人等を扱った番組を見て、自分もまねしてみようと思うものでしょうか?それを見たからといって悪影響を受けたというのは、親や本人のただの言い訳ではないでしょうか?今の人間というのは、そんなにも善悪がつかないのでしょうか?TVと現実の区別もつかないのは、そのこと自体が問題です。

女性Fさん 33才 千葉

いつも、あるいは少年の犯罪が起こる都度、この手の「映像・放送(またはゲームなど)の青少年に対する影響」についての議論がなされますが、一番肝心なことが忘れ去られているのではないでしょうか?それは「子供に一番影響を与えるのは親、周囲の大人」であるという事です。いくらテレビで暴力シーンを目にしようが、しっかりと現実体験を積み重ねている子は、それをマネしようなどとは思いません。家庭でろくなしつけもせず、他人(TVなど)のせいにばかりしている大人こそ、子供に悪影響を与えていると思います。

男性Uさん 22才 北海道

こんな委員会があるとは知りませんでしたが、投稿してくる人の見識を疑ってしまいます。確かに、内容的に行き過ぎのある番組もあるでしょう。ただ、それをいじめを助長するとか、女性蔑視につながるとか、いろいろな理由をつけて批判するのはおかしいと思います。テレビはみんなの物であり、個人の思い通りにならないからといって、この委員会に投稿する自体バカバカしいことだと思います。テレビより影響力のなくなった日本の親に問題があるのであって、きちんとしつけもできない親が、TVに文句をつけてるとしか思えません。過去を振り返るより、これからのTVとの付き合い方を親が子供に指導するべきだと思います。子供にきちんとしたしつけができる親は、TVに文句は言わないでしょう。家庭の問題かもしれませんが、頭の固い大人ばっかりという気がしたので、投稿させていただきました。

男性Wさん 37才 石川

放送が青少年に与える影響は確かに大きい。今回の様に、特定の低俗番組を個別に改善させるのも悪くはない。ただ、根本の問題は、放送局側の意識の低さと家庭で一般常識を教える事が出来ていないことと思う。あの程度の番組なら他にも沢山あるので、単なる見せしめか、この委員会の顔見せ興業程度にしか思えない。モグラ叩きでは無く、抜本策は何かを示して欲しい。

男性 32才 大阪

新聞記事で御会の番組批判を見ましたが、放送時間帯は考慮に入れておられるのでしょうか?『めちゃめちゃ』に関しては確かに子供の見る時間に相当しますので、ご意見ごもっともと思います。しかし、『おネプ』に関してはあの時間に子供にテレビを見せる親に問題があるのではないかと思います。あの時間帯なら他にもAV女優が出ている番組などいくらでもあるのですが、そちらは如何に?

男性Mさん 30才 香川

『めちゃイケ』や『ネプ投げ』にクレームをつけた事について・・・今、情報の山に囲まれた中で生活している青少年といわれる若者達に必要な事は、彼、彼女達を取り巻く色々な犯罪の誘惑や大人のウソなどから彼らを遠ざけたり、見せないようにする事ではなくて世の中には色んな悪やウソや汚い事がたくさんある事実を認めた上で、如何にそれらから身を守るか?という教育なんじゃないでしょうか?あなた方は番組がイジメやのぞきを肯定する!と言っていますが、肯定するもしないも大人の世界でもある事でしょう?番組に文句を付けるよりそんなくだらない番組を観ても影響を受けない教育が必要では?社会に出ればそんなくだらない事がゴロゴロしている事を今の若者はみんな知っているのですから・・・。

女性 55才 神奈川

視聴者からの意見を拝見しましたが、すべて肯定的な意見のみがとりあげられており、委員会に対する反対意見がないのはどういうことなのでしょう。私はこの委員会の存在に反対します。現在の若い方は昔のようにTVからの情報で影響されるほど単純ではありません。インターネットもあれば雑誌もたくさんあります。それにくらべたら、現在TVでやっているような内容はかわいいものです。私も今回の両番組を拝見させてもらいましたが、なんら問題はないと思います。ただのお笑いではないですか。このような番組まで規制されては若い方もかわいそうです。もうすこし頭の柔らかい人を委員に追加されてはどうでしょうか。

男性Mさん 23才 神奈川

暴力も駄目、性的表現も駄目。そして子供たちは暴力の残酷さも知らずに成長して・・・。一部の偏ったビデオや雑誌から得る一種変態的な性を正しいと認識していくんでしょうね。 ただ駄目だ駄目だと言わずにもっと積極的に放送を行うべきだとおもいます。 ただしそれは子供たちの成長に何らかの影響を与えるものと考えながら制作されるべきだとおもう。 性的表現も暴力的な表現も隠すのではなく、正しく放送されるべきだとおもいます。

男性 25才 東京

今回の見解発表について意見があります。"しりとり侍"では間違えたタレントに対する強烈なつっこみが、暴力行為の肯定と取られるのはおかしいと思います。お笑い芸人が相方を殴ったり、ゲームに敗れたタレントが罰ゲームを受けることとどう差異があるのでしょうか。ミスをして罰を受けるということが笑いを増幅すると思います。"ネプ投げ"は放送時間が深夜枠なので、ある程度の表現の自由が認められるべきです。"ネプ投げ"程度の表現が他番組より先に槍玉に挙げられるのはおかしいです。ニュース等のドキュメントで性犯罪の被害者にコメントを求めたり、暴走行為や詐欺の手口等の実態を放送することは、青少年に影響を与えないのでしょうか。今回のように見解が法律のような強制力を持つのなら、以後もっと慎重により深い議論が行われることを希望します。今の基準では放送中の番組の少なくても3割は中止することになってしまいます。

男性Mさん 23才 長野

新聞で『おネプ』の"ネプ投げ"と『めちゃイケ』の"しりとり侍"の中止の記事を見ました。はっきりいって、何でと言う気持ちでいっぱいです。そのコーナーが本当に有害なんでしょうか?"しりとり侍"を例に考えてみれば、確かに間違えたときの罰は凄まじいものがあります。しかし、それがあるからこそ、出演者は真剣に行い、面白さが生まれると思います。また、子ども達がこの"しりとり侍"をして遊んだときのことを考えると、3文字のしりとりを行うことで、頭の中で瞬時にいろんなことを考える練習になるとも考えられる。あるひとつの側面で悪いからと言って、やめろというのはどうだろうか。そんなことを言ったら、例えば教養番組と言われているものにも、伝え方が悪かったり、嘘を言っているものもある。そっちのほうがもっと有害だ。子ども達には、いい物、悪いものを自分で判断できるような力を育てることが重要である。なのに、選択肢を減らしてしまうようなことはどうだろうか。これ以上子供を温室育ちにすることは危険である。こんなことをしていたら、本当に有害なものが来たときに自分で判断できず、それこそ犯罪につながるかもしれない。バラエティー番組を悪く言うのは簡単だが、本当に悪いのはその番組なのか考えてもらいたい。あなた方は頭が硬すぎます。子供はもっと柔らかいですよ。子供はそんなにばかじゃない。

男性 20 才 神奈川

今回の2つの番組共に放送を控えるまでしなくても良いと思う。"ネプ投げ"に関しては、放送時間が23時からなのだから、常識的に考えて子供は見ていないはずである。悪影響を与えると思うなら親が見させなければ良いと思う。何でも他人(テレビ局や学校)のせいにする最近の親には本当に腹が立つ。親が常識ある子供に育てていれば番組を見たところでお笑いとして考えるだろう。"しりとり侍"にしても観たところでいじめが起きるはずはない。今の子供はそんなに馬鹿ではないと思う。馬鹿なのは小学生くらいの子供を持つ親である。

女性Iさん 27才 岐阜

YAHOOでこの委員会の事を知りました。やっと日本にもこのような委員会が設置されたか、という思いです。以前からバラエティー番組の暴力に付いてかなり不満を抱えていました。人が殴られたり蹴られたりするのが「面白い」のでしょうか?人を殴った事がある人はそういう番組を作れても、殴られた事がある人は決してそれを「楽しい笑い」とは思えないと思います。議事の方も少し読ませて頂きましたが、モラルの感覚がまだ完全に発達していない幼児・小学生(中学生)を対象にしている、と局側がはっきり意識しているのに、実際に存在するから暴力も描写していいのではないか、というレベルの問題では無いと思います。善悪の区別が付かない子供に、暴力をしかも「楽しいもの」として見せて、何のフォローもしない事が「子供にとって必要な事」なのでしょうか?(ちなみに「まねをしないで下さい」というテロップがフォローだとは思えません。何故そのテロップが必要なのか理由を説明していないからです。)放送局には、TVが子供に与える影響、というものをもっと真剣に考えて頂きたいと思います。これからもテレビ局側と委員会の活発な討議と、放送内容の向上を望みます。

男性Tさん 53才 神奈川

私は"ネプ投げ"をたまたま2、3度見た事があるだけですが、流石に高尚とは言えなくとも、飛び入りの女性ファンも多く見受けられたなど、貴会が非難するほど低俗な番組とは思えませんでした。ゴールデンタイムのもっともらしい番組の殆んどが、不倫を肯定するどころか推奨ないし常識として扱うかのような構成や、芸術性の乏しいヘアー写真主体の雑誌が少年向け雑誌の隣に置かれて販売されている現実等をもっと問題にすべきと考えます。チョッと辛辣な言い方で言えば、今回の貴会の取り組みは、大蔵省が税金の取り易いサラリーマンを標的に課税するようなやり方と考えます。それほど目くじらを立てる必要は無いと思うのですが。ただし、我が家では、普段は"ネプ投げ"の裏番組を見ているハズなので、2、3回の視聴時以外の時にとんでもない内容があったのなら訂正しお詫びいたします。

女性 38才 静岡

対応が遅いのではないかと思います。マスコミが若者に与える影響は大きく、即効性もあります。バラエティに出演しているタレントの影響力は大きいので、逆に彼等に若者の風潮を変える行動をしてくれたら・・・といつも思います。出演されている方、作っているいる方、みんな子供が出来る年齢になって初めてその悪質さに気が付くのではないでしょうか?

女性Mさん 17才 海外

はじめまして、私は海外に留学中の17歳、高3です。YAHOOのトップの記事を見ていてここのHPにたどり着きました。今回始めてこういう機関があるのを知りました。いろいろ意見を読ましていたただきました。ほとんどの意見が大人からで、青少年からの意見はみあたりませんでした。こちらの委員会かTV局の方にはそうゆう年齢層の苦情はあるのですか?『めちゃイケ』にしても、『おネプ!』にしても見ていて楽しいのだからそのままでいいじゃないですか。すくなくとも私はそう思います。TVなんだからそんなにシリアスに考えなくてもいいと思います。はっきりいって海外のTV番組とくらべると日本のTV番組はくだらないです。これはワイドショーやらも含めて。だからちっちゃいころからT Vのやっていることはシリアスにとったことはありません。日本の青少年すべてがこのような意見ではないのは承知です。しかし少なくとも大人が思っているようにはたして子供達はTV番組を真剣に考えているのでしょうか。娯楽のためのTVなのだから・・・。そうしたらNEWSと天気予報しかみれなくなっちゃうじゃないですか。昼間の番組でもろくなのやってないじゃないですか。番組を作るのは大人。それに対して意見やら苦情をするのは大人、見るのは子供、大人。将来TV番組をつくるのは今TVをみている子供達。子供に悪影響と言う前に、作っている大人が子供を信用した方がいいんじゃないですか?TV番組が子供に悪影響をするっていうことを大人がどうしてわかるのですか?今の意見・苦情を言っている大人も子供のころこういうTVをみてきたんじゃないんですか?今回はいろいろな大人の意見にちょっと納得いかなかったのでメールさせていただきました。長いメールを最後まで読んでいただき光栄です。

男性Wさん 25才 神奈川

非常に楽しみにしていた2番組が打ち切られて非常に不愉快です。善があるから悪もあり、お互いの均衡がとれて世の中が成り立っているのに、ただ一方的なくだらない意見で決定されることに腹が立ちます!!いじめだ犯罪だというのは価値観の問題だし、誰がバラエティー見ていじめと捉えているのでしょうか?そんな事言ったら昔のドリフターズの高木ブーに対するのもいじめにならないのでしょうか??少し過敏になりすぎているのではないでしょうか?要は個人とその親の育て方の問題。マズいものがあれば見なければいい。また見させなければいい。そのためにあれだけのチャンネルがあるわけでしょう??感情的に言わせてもらえば、お前らお笑いのわからないお堅いバカヤローだよ!!大変失礼しました。これは私の心の中の想いです。以上。

男性 34才 長崎

『めちゃイケ』のしりとりコーナーが暴力、子供のいじめにつながる等の意見として問題になっているようだが、私は何も問題を感じない。竹刀やバットで叩いているのでは決してなく、子供が見ても面白いと感じるだけではないか。チャンバラ遊びを知らない子供たちへの教育として逆に良いコーナーと思う。叩くという行動だけを問題としてとやかく言う社会の風潮についてもっと問題視したい。裸で踊れば確かに下品だが、下品も文化。笑える間は問題ない。うけなければ淘汰される。芸人も必死でやっている訳で下品を見たくなければ見なければいいと思う。何でも見せて、自分で判断できる子供を育てなければ良い社会に進まないように思います。規制は悪です。s

女性Iさん 23才 神奈川

"ネプ投げ""しりとり侍"に対する対応を拝見しまして思うところがあり投稿させて頂きました。私は、23歳になり、いつ母親という立場になってもおかしくない年となりました。そして、皆様が今回議論されたバラエティー番組全盛時代に生まれた一人で、毎日かかさず様々な番組を見ていました。でも、様々な番組を見てもいけない事はいけないと幼いながらもわかりますし、親との会話により発見する部分もあり放送しているすべての事をまねするようなことはありませんでした。いけない事をまったく放送しないのが良い効果を生むとは言い切れない部分があると思います。放送している事がまねしてもよい、あるいは良い事か悪い事かは、親である立場の人たちが教えるのがまず先決ではないでしょうか。そして、さまざまなものが放送されず、単調な放送ばかりが続いてしまう今後の番組を恐れています。将来生まれるであろう自分の子供の将来には、さまざまな番組を見て、それについて語る事により世間に対する知識の広い子供にしたいと思っていますので。知らないからすむ事とあえて知る事で語ることにより悟る事。青少年の未来を考えるのであれば、放送を見ることにより家族で語ることで知ることをもうこれ以上締め出さないようにお願いいたします。私自身、バラエティー番組を見ることによりさまざまな事を知ることができましたので。本当によろしくお願いいたします。

男性 25才 東京

今回のバラエティー2番組コーナーを打ち切りに追い込んだこの委員会を非常に腹立たしく思っています!いじめを肯定するだの、のぞきを肯定するだの聞いてるだけでバカバカしい限り。そんなの他に挙げればきりがないですよ!質の高い笑いってなんですか?それだけが必要なのですか?低俗な笑いだってお笑い番組には必要だと思う。番組を楽しみに見ている人のほうが多いのは事実。こんなわからんちんの委員会こそ不必要だと思います。僕と同じ意見の人のほうが圧倒的に多いですよ。

男性Kさん 35才 東京

"ネプ投げ"について。最近、アメリカから表面的なセクシャルハラスメントの概念が輸入されているが、"ネプ投げ"の場合、本人たちが了解し、希望しているのだからこれに当たらない。これを規制することは表現の自由を保障した憲法違反である。セクシャルハラスメントについても、その理念が論じられず女性が下着を見せたり、触られる現象そのものがセクシャルハラスメントだと勘違いされている風潮がある。我々が現在もっとも重要視しなければいけないことは表現の自由を守ることである。あらゆることが簡単に言論統制されることが多すぎる。ただし、"ネプ投げ"自体が良い企画だとは思わない。我々には見ない自由もある。このような企画が市民に広く受け入れられているとしたらその程度の市民なのである。論じるべきはそのことだろう。ただし、"ネプ投げ"がくだらないというならば、99%までの今のテレビ番組が全てくだらない。そのこと自体を改善すべきだ。委員のおえらいさんは木を見て森を見ずという言葉を知らないのか?

男性Kさん 30才 愛知

今回の自主規制はかなり残念です。少数の番組に対する意見により、自分の楽しみが減りました。影響される青少年は多いかもしれない。が、それだけが原因ではないとおもう。もっと親のしつけが問題で責任転嫁にすぎない。少数意見に耳を傾けていたら、TV本来の娯楽もなくなってしまうでないかと心配になります。少々のことでクレームつけるなって!!

男性Iさん 27才 東京

"ネプ投げ"の件について。番組の内容を判断するのは視聴者の判断力によるものだと考えられます。番組を規制するのではなく、個人の判断力を養うことが必要だと思われます。今回、”ネプ投げ”を規制することにより青少年の判断力を養う材料を奪ってしまっているように思います。そういうことが、温室育ちの青少年を増加させる原因と思われます。こんな規制するよりも親や教育者の質の向上を考えるべきだとおもいませんか?結局、こういう問題を審議しているところというのは、教育の現場を知らない方々で行っても意味がないのでは?と思います。青少年にバラエテエィー番組=フィクションだということを理解させるような指導(教育)体制というものをつくるような方針は無いのですか?

男性 22才 北海道

"しりとり侍"について、「暴力やいじめのメッセージを子供に伝える結果になる」と、ありますが人が毎週殺されるサスペンス物の方が暴力を肯定しているし、ゲームに負けてメッタ打ちにされるのは、ルールであり面白くない事を言ってメッタ打ちにする訳ではないので、なぜいじめと結び付くのか分かりません。ルールに従うのは社会人の基本ではないでしょうか? "ネプ投げ"についてもあれをのぞきと関連付ける方がナンセンスだと思う。その会場に来る大体の人はどんなことをするのか知っているはずで、なぜのぞきになるのか理解に苦しむ。もし、放送しないでと言われていたのに放送したら問題だとは思うが、そうではないかぎり改善をもとめるのは問題だと思います。このふたつの企画はすぐには批判される物ではないと思う。自分としては毎週人が殺されたり、犯人に人間性を持たせたりしているサスペンス物の方が青少年に与える影響は大きく危険だと思う。サスペンスをテレビでやることに意味があるのだろうか?過ちを改める勇気のない有識者が多いいので、この国はダメに成って来ているのでしょう。

男性 22才 福岡

"しりとり侍"について、「暴力やいじめのメッセージを子供に伝える結果になる」と、ありますが人が毎週殺されるサスペンス物の方が暴力を肯定しているし、ゲームに負けてメッタ打ちにされるのは、ルールであり面白くない事を言ってメッタ打ちにする訳ではないので、なぜいじめと結び付くのか分かりません。ルールに従うのは社会人の基本ではないでしょうか? "ネプ投げ"についてもあれをのぞきと関連付ける方がナンセンスだと思う。その会場に来る大体の人はどんなことをするのか知っているはずで、なぜのぞきになるのか理解に苦しむ。もし、放送しないでと言われていたのに放送したら問題だとは思うが、そうではないかぎり改善をもとめるのは問題だと思います。このふたつの企画はすぐには批判される物ではないと思う。自分としては毎週人が殺されたり、犯人に人間性を持たせたりしているサスペンス物の方が青少年に与える影響は大きく危険だと思う。サスペンスをテレビでやることに意味があるのだろうか?過ちを改める勇気のない有識者が多いいので、この国はダメに成って来ているのでしょう。

女性Eさん 22才 群馬

新聞やTVで、ネプチューンやナイナイの番組についての委員会としての考え方を拝見しました。賛成することも、反対することもあるのですが、一つ気になったのは、なぜこんなにも神経質になるのだろうかということです。イジメや性的行為について、先走りした考え方を持ちすぎではないでしょうか。ナイナイの"しりとり侍"については、罰ゲームがちょっと大げさかなとは、思っていましたが、昔から、しりとりをして間違えたらシッペとか、可愛い罰ゲームはありました。ましてや"ネプ投げ"がなぜ打ち切りになるのかいまいち納得がいきません。テレビ朝日では、"ネプ投げ"よりも早い時間から、AVなどの放送をする番組もありますし、どうみても、"ネプ投げ"をされる女性が嫌がってやってるようには見えないのです。あんなことまで、イジメの対象とか、性的な問題があるなどと考えている人がいるということだけでも、日本の教育は先走りしすぎて、子供たちに悪い事が見えないようにしすぎて、何が悪い事なのか理解できないようにしているように思えます。私にしてみれば、ワイドショーなどで、イジメや犯罪の手口をしつこいくらいに詳細に説明したり、その犯罪を肯定するかのように、犯罪者の両親の本を出版するほうが、よくないことだと思いますが。もう少し、冷静でおおらかな議事内容、検討内容にしていただきたいと思います。

女性Aさん 14才 シドニー

私は海外で生活してますが、英語と日本語の両方を使うので毎日ストレスがたまってます。でも親の仕事の都合で海外に住んでいるのでどうにもなりません。私のストレス解消法は、『めちゃイケ』を見ることなんです。TVでニュースが放送された夜、親戚がわざわざ私に電話してくれたんです。次の日の朝5時半、こっちではNHKの昨日のニュースが放送されるので見ました。うそでしょー?と思ったんですけど本当だったのでショックでした。その日は学校の授業もまともに聞けなかったです。"しりとり侍"が終わるなんて絶対イヤです。私みたいな人もいるってことを考えてください。

男性Oさん 19才 北海道

今回の"しりとり侍""ネプ投げ"両コーナーの打ち切りについて思ったことがあります。まあ、私も"ネプ投げ"はあんまり好きではないですが、両コーナーも打ち切るほどのことがあるのかと思います。テレビ番組全体に言えることなんですけど、親が子供に見せたくなきゃ、そう言えば良いことなのではないでしょうか?私なんて、小学校まで夜9時になったら布団に入らなきゃいけませんでした。子供に悪影響だと思われるシーンがあったなら、親がそれはダメだよと子供に言えば、小さい子供であるほど素直に聞くと思います。中学生にもなってテレビを見て、たとえば"しりとり侍"をまねするようなら、それはちゃんと親が子供を育ててないんだと思います。あと、今回のことで初めて、この委員会のことを知りました。多分、テレビに対して余り批判が無い人は、この委員会は知らないでしょう。知ってる人は意見のある人だけ、つまり批判の意見しかないのではないでしょうか。しかもそれは、きわめて少数ではないでしょうか。また、そんなに手間にもならないのですから、このHPに掲示板など、視聴者が意見を交し合える場を設置すれば良いと思います。

女性 16才 大分

『めちゃイケ』の"しりとり侍"が打ち切りになったことについてですが、「いじめを肯定するものだから」という意見が出ているみたいですけど、"しりとり侍"が原因で私たち青少年が「いじめをしていい」などということを考えたりすることはないのでは、と思います。もし周りのものに簡単に影響を受けて非常識な行動をとってしまう若い人がいるのなら、周りに影響されない強い心を持った若者が増えるように考えていくことが大事なことだと思います。「まわりのものが悪いから」などと大人たちの意見で青少年から、なにもかも遠ざけてしまうことで、健全な青少年が育つんですか?私はお笑いやバラエティー番組が好きなので、"しりとり侍"の打切りを聞いた時は、とても残念でした。この私の意見もお笑いの好きな人の個人的な意見にすぎないと思いますが、芸人さん達がどれだけ真剣なのか知っているファンには、こんな意見を持つ人が他にもいると思います。

男性 20才 静岡

『めちゃイケ』の"しりとり侍"が打ち切りになったことについてですが、「いじめを肯定するものだから」という意見が出ているみたいですけど、"しりとり侍"が原因で私たち青少年が「いじめをしていい」などということを考えたりすることはないのでは、と思います。もし周りのものに簡単に影響を受けて非常識な行動をとってしまう若い人がいるのなら、周りに影響されない強い心を持った若者が増えるように考えていくことが大事なことだと思います。「まわりのものが悪いから」などと大人たちの意見で青少年から、なにもかも遠ざけてしまうことで、健全な青少年が育つんですか?私はお笑いやバラエティー番組が好きなので、"しりとり侍"の打切りを聞いた時は、とても残念でした。この私の意見もお笑いの好きな人の個人的な意見にすぎないと思いますが、芸人さん達がどれだけ真剣なのか知っているファンには、こんな意見を持つ人が他にもいると思います。(女性 16才 大分) 最近のバラエティーについていろいろご意見があるのは知っています。私はバラエティーが好きなのですが、最近は逆に反応が過剰すぎているのでは?と思っています。念のために書いておきますが、私はバラエティーが好きだから一方的にそういう風におもっているのではありません。暴力シーンや全裸などは。今に始まったことではないと思うのです。確かに昔、いろいろなTVを見て影響されまねのようなことをしたことがあります。しかし今となってはいい思い出です。バラエティー番組をみた次の日には、必ず友達とその話題で盛り上がったのを覚えていますし、今現在でもバラエティー番組の話で盛り上がることもあります。それはレベルが低いことなのでしょうか?これも一種のコミュニケーションであるといってもいいと思うのです。そのように考えたことおありですか?私が思うのは、きつい表現をすると、「見たくなければ見なければいい」です。楽しみにしている人、見たい人もいるのですから。もしくは、好ましくないシーンを放送するのであればその事前に告知するなり警告なりするべきだとおもいます。以上です。