第267回放送と人権等権利に関する委員会

第267回 – 2019年3月

委員会決定、通知公表の報告…など

議事の詳細

日時
2019年3月19日(火)午後4時~5時45分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「芸能ニュースに対する申立て」委員会決定、通知公表の報告

本件事案の委員会決定(見解:放送倫理上問題あり)の通知・公表を3月11日に行った。事務局がその概要を報告し、当該局のTBSテレビが放送した決定を伝えるニュース番組と当該番組(通常編成)の同録DVDを視聴した。

2. その他

  • 委員退任の件
     白波瀬佐和子委員が3月末で退任する。

  • 講師派遣の報告

  • 申立ての状況

  • 2019年度の委員会予定

以上

2018年度 第69号

「芸能ニュースに対する申立て」に関する委員会決定

2019年3月11日 放送局:TBSテレビ

見解:放送倫理上問題あり
TBSテレビは、2017年12月29日に「新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版」で、タレント細川茂樹氏に関し、「パワハラを理由に契約を解除された」などと放送した。
この放送について、細川茂樹氏は「放送は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことを強調して取り上げているが、仮処分決定で事務所側の主張には理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあった」として委員会に申立書を提出した。
委員会は、審理の結果、「放送は、疑惑が相当濃厚であるという事実を摘示するものといえ、申立人の社会的評価を低下させる」としながらも、「名誉毀損の成否について判断するよりも、放送倫理上の問題を取り上げることの方が有益」と判断し、当事者の主張が食い違う紛争・トラブルを扱いながら仮処分決定に触れなかったこと、使用したVTR素材が申立人の名誉や名誉感情に対する配慮に欠いていたことの2点について、放送倫理上の問題があると結論づけた。そしてTBSテレビに対して、本決定の趣旨を真摯に受け止め、掘り下げた検証を行い、今後の番組制作に活かすよう求めた。

【決定の概要】

本件申立ての対象となったのは、TBSテレビで2017年12月29日に放送された『新・情報7days ニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』(以下、「本件番組」という)の一部である。本件番組は2017年の芸能ニュースをランキング形式で取り上げるものであり、その14位の項目の冒頭に申立人に関して放送された部分が問題となった(この部分を以下、「本件放送」という)。
本件放送では、まず、「14位、俳優・細川茂樹、事務所と契約トラブル」というナレーションのあと、過去に放送された申立人のVTRが放送され、その中で「誰に何を言われようと、やんちゃに生きていきますね」という申立人の発言が流される(以下、「やんちゃ発言VTR」という)。その後再びナレーションで、「昨年末、所属事務所からパワハラを理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、契約終了という形で、表舞台から姿を消した」などと述べられる。本件放送の放送時間は31秒である。
本件放送による摘示事実について、「昨年末~」というナレーション自体は多義的であるが、それに先立つやんちゃ発言VTRや、本件放送のテロップも含めると、申立人がパワハラを行ったことを断定しているとまでは言えないが、そうした疑惑が相当程度濃厚であるという事実を摘示するものと言え、申立人の社会的評価を低下させる。
ところで、委員会には事案を人権侵害の問題として扱うか、放送倫理上の問題として扱うかについて、判断の余地が存在する。次の(1)から(3)までを総合的に考慮すると、名誉毀損の成否についての判断をするよりも、放送倫理上の問題を取り上げることの方が、報道被害の解決を図りつつ、正確な放送と放送倫理の高揚への寄与のために有益だと考える。
(1)本件放送がごく短いもので、ナレーション及びテロップそのものは概ね真実であること(もっとも、重大な言及漏れがあることは後述 a)の通りである)、そして、本件放送はごく短いものであり、特に揶揄するような表現を用いているわけでも、パワハラの存在を断定するものでもなく、本件放送そのものが申立人の社会的評価に及ぼした影響は小さいこと、(2)申立人の被害感情が大きいことには理解できる側面があるが、TBSに悪意があったわけではないこと、(3)TBSは早い段階から本件放送に一定の問題があったことを認めて協議に応じてきたのであり、早期に被害回復措置がとられる可能性もあったこと。
そして、次の2点について放送倫理上の問題がある。a)申立人の主張を認める東京地裁の本件仮処分決定に言及しなかったことによって、当事者の主張が食い違う紛争・トラブルの事案を扱う際に特に求められる公平・公正性及び正確性を欠くことになったこと、b)やんちゃ発言VTRを使用したことが申立人の名誉や名誉感情に対する配慮に欠けたこと。他方、本件番組が年末特番であって、申立人の契約トラブルが話題になった時点から時間が経っていることとの関係で、事後確認を十分にしていなかった点に放送倫理上の問題があるとまで言えるかについては、委員の間で一致をみなかった。
本件放送は芸能情報番組の一部であるが、芸能情報については、制作者側に、視聴者が必ずしも真剣に受け止めるわけではないし、芸能人である以上は多少不正確な情報でも甘受すべきだという考えがあるのかもしれない。一般的にはそのように言える場合もあり得るが、本件は申立人の芸能人生命に関わる事案として法的措置にまで訴えていることからすれば、より慎重な考慮が必要であった。
TBSも、本件放送に関しては「言葉足らず」であったとして反省を示しているが、その背景には何があるか、検証が求められる。TBSには、本決定の趣旨を真摯に受け止め、本決定で指摘した諸問題について、「言葉足らず」という総括にとどまらない掘り下げた検証を自ら行い、今後の番組制作に活かしてもらいたい。

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2019年3月11日 第69号委員会決定

放送と人権等権利に関する委員会決定 第69号

申立人
細川茂樹
被申立人
株式会社TBSテレビ
苦情の対象となった番組
『新・情報7daysニュースキャスター 超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』
放送日時
2017年12月29日(金)午後9時00分~午後11時04分
(午後9時57分10秒~57分41秒)

【本決定の構成】

I.事案の内容と経緯

  • 1.放送の概要と申立ての経緯
  • 2.本件放送の背景事情
  • 3.本件放送の内容
  • 4.論点

II.委員会の判断

  • 1.名誉毀損について
    • (1) 摘示事実について
    • (2) 名誉毀損について判断することの適否
  • 2.放送倫理上の問題について
    • (1) 本件仮処分決定への言及がないことについて
    • (2) やんちゃ発言VTRについて
    • (3) 本件仮処分決定後の事情について

III.結論

IV.放送概要

V.申立人の主張と被申立人の答弁

VI.申立ての経緯および審理経過

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2019年3月11日 決定の通知と公表の記者会見

通知は、2019年3月11日午後1時からBPO第1会議室で行われ、午後2時から千代田放送会館2階ホールで公表の記者会見が行われた。
詳細はこちら。

2019年6月18日 委員会決定に対するTBSテレビの対応と取り組み

委員会決定第69号に対して、TBSテレビから対応と取り組みをまとめた報告書が6月11日付で提出され、委員会はこれを了承した。

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第266回放送と人権等権利に関する委員会

第266回 – 2019年2月

「芸能ニュースに対する申立て」事案の審理…など

議事の詳細

日時
2019年2月19日(火)午後4時~6時40分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「芸能ニュースに対する申立て」事案

対象の番組は、2017年12月29日に放送されたTBSテレビ『新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』。 番組の中ほどで、「14位 俳優・細川茂樹 事務所と契約トラブル」とナレーションがあり、「昨年末、所属事務所から『パワハラ』を理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、『契約終了』という形で、表舞台から姿を消した。」と伝えた。
この放送について細川氏は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことをわざわざ強調して取り上げているが、東京地裁の仮処分決定で事務所側の主張に理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあったと主張し、謝罪と名誉回復措置を求めて申し立てた。これに対してTBSテレビは、意図的に申立人を貶めた事実は全くないとする一方、放送に「言葉足らずであって、誤解を与えかねない部分があった」として、申立人におわびするとともに、ホームページあるいは放送を通じて視聴者に説明することを提案し、できる限りの対応をしようとしてきたとしている。
今月の委員会では、前回の委員会後に開かれた第3回起草委員会で修正された「委員会決定」案が提案され、了承された。その結果、3月11日午後に「委員会決定」を通知・公表することになった。

2. その他

  • 講師派遣の件、年次報告会の開催について事務局から報告があった。

  • 次回委員会は3月19日に開かれる。

以上

2018年11月28日

長崎県内各局と意見交換会

放送人権委員会の「意見交換会」が11月28日に、長崎市で開催された。放送人権委員会からは奥武則委員長、市川正司委員長代行、二関辰郎委員が、そして長崎県内の民放6局とNHK長崎放送局から30名が参加して、2時間にわたって行われた。
意見交換会では、まず奥委員長が「放送局の現場の生の声を聴く大変貴重な機会であり、積極的な意見を言ってもらえればありがたい」と挨拶し、開始した。そして、市川委員長代行が「事件報道に対する地方公務員からの申立て」について、そのポイントを解説した。続いて奥委員長が「事件報道と人権」と題して、前記委員会決定の少数意見の説明と、「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」を取り上げて説明を行い、それを基に参加者と意見を交わした。
後半は、参加者に事前に答えてもらったアンケートで関心の高かった「実名報道や子どもへのインタビュー、顔写真の使用の際に注意すべきポイント」について、二関委員から解説があった。その後に質疑応答があり、有意義な意見交換となった。
概要は以下のとおり。

◆ 市川委員長代行

「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本)について説明します。申立人は、警察発表に色を付けた報道で、意識がもうろうとしている女性を連れ込んで、無理矢理服を脱がせた、というのは事実と異なる内容だと申し立てました。「容疑を認めている」と放送されたことにより、すべてを認めていると誤認させているという点が一つ。それとフェイスブックから無断使用された顔写真とか、職場や自宅の映像まで流され、非常に極悪人のような印象を受ける報道だったと言っています。
この報道について、時系列的に説明します。まず、警察の広報から「広報連絡」のファックスが流れてきます。「準強制わいせつ事件事案の被疑者の逮捕について」ということで、発生日時、発生場所、申立人の実名、職業・公務員、それから身柄を拘束した、これはその当日の午前10時、通常逮捕です。そして、県内の住所と準強制わいせつという罪名が書かれています。事案の概要は、「被疑者は、上記発生日時・場所において、Aさんが抗拒不能の状態にあるのに乗じ、裸体をデジタルカメラ等で撮影したもの」です。
これを受けて、皆さんの疑問は、どういう事案なのか、容疑を認めているのか、となると思いますが、電話で取材した記者は、「被疑者は事案の概要の容疑を認めていますか」と質問し、広報担当の副署長が、「『間違いありません』と認めています」とのやり取りがありました。さらに、「抗拒不能」と書いてあるので、「これはどういうことですか」と聞きました。すると、「容疑者は、市内で知人であったAさんと一緒に飲酒した後、意識がもうろうとしていたAさんをタクシーに乗せ容疑者の自宅に連れ込んだ。それからもうろうとしていたAさんの服を脱がせ、写真を撮影した。そして1か月ほどした後に、写真の存在を知って警察に相談した」と広報担当は説明したということです。広報担当が、「抗拒不能」ということの意味だけでなく、事案の概要の前後のくだりの部分についても、問わず語りに説明したことになります。
警察の広報の内容から考えて、被疑者は何を事実と認めているのかと考えた時に、事案の概要の部分だけなのか、広報担当が言った、マンションに入るまでの「飲酒した後、タクシーに乗せて連れ込んだ」、それから「もうろうとしていたAさんの服を脱がせて写真を撮影した」の部分も含めて、事実と認めているように理解すべきなのか。ここが一つの論点となります。
「申立人がわいせつ目的を持ってAさんを同意のないまま自宅に連れ込んだ」ということと、「Aさんの服を脱がせた」ということは、事案の概要に書かれたこととは別のことです。しかも、事案の概要の事実の前の段階の「連れ込んだ」、それから「意に反して服を脱がせた」、これは非常に大きく事案の悪質性にかかわりますが、広報連絡には書かれていない。そして事案の概要について、申立人は「『間違いありません』と説明した」ということですが、広報担当は、この二つの点について認めているとは明言していません。
それからもう1点、取材時は午前10時に逮捕されてから2時間弱の、その日の正午頃です。そうだとすれば、被疑者が警察の疑いを正確に理解して、その前段階の経緯も含めて詳細に供述しているのかは疑問だと考えられます。私どもは、事案の概要に至るまでのくだりの部分と、服を無理やり脱がせたという点についてまで認めているとは言い難いのではないかと考えました。
これに対して、放送が示す事実は、a~fに分けて書くと、こうなっています。aは、「意識がもうろうとしていた知人女性を自宅に連れ込み」ということが放送されています。bとcの部分はあまり争いがなく、bは、容疑、つまり広報連絡に書いてある事案の概要そのものになります。dで「容疑者は容疑を認めているということです」と言っています。
続けてeで、先ほどのマンションに至るくだりの「連れ込んだということです」。それからfで「服を脱がせ犯行に及んだということです」という説明が続けてなされています。
語尾がすべて「何々"ということです"」と、これはよく使われる言い方なのですが、その前のところも「‥ということです」、「容疑を認めている"ということです"」となっていて同じ語尾になっています。
そこで、放送が示す事実は何かということになるのですが、「容疑を認めている」と放送していることと、犯行の経緯や態様、それから直接の逮捕容疑となった被疑事実を明確に区別せずに放送していることから、このストーリーを含めた事実関係をすべて申立人が認めている、したがって、このストーリー全体が真実だろう、という印象を与えていると考えました。放送倫理上の問題としては、先ほど言ったような広報担当の説明の仕方、それから広報連絡の事案の概要の書きぶりなどを考えると、「広報担当者の説明部分のうち、どの部分まで申立人は事実と認めていることなのか、そうではない警察の見立てのレベルのことが含まれるのかということについて疑問を持ち、その点について丁寧に吟味し、不明な部分があれば広報担当者にさらに質問・取材をするべきではなかったか」ということです。
仮にそこまでの取材が困難であったとすれば、逮捕したばかりの段階で、被疑者の供述についての警察担当者の口頭での説明が真実をそのまま反映しているとは限らず、関係者などへの追加取材も行われていない。そのような段階で留保なしに、「容疑者は容疑を認めています」として、ストーリー全体が真実であると受け止められるような放送の仕方をするべきではなく、少なくとも先ほどの自宅マンションに至る経緯、それから「脱がせた」という、こういった事実については「疑い」や「可能性」にとどまることを、より適切に表現するように努める必要があるのではないかと考えています。
以上のところが、放送倫理上の問題の1点目であります。
放送倫理上の問題の2点目は、薬物使用の疑いの放送部分です。放送は「意識を失った疑いもあるとみて容疑者を追及する方針です」としています。この「疑い」があり「追及する」というところは、一般的に薬物使用の可能性を指摘するにとどまらず、何らかの嫌疑をかけるに足りる具体的な事実や事情があって、その疑いに基づいて警察が被疑者を追及しているのではないかという印象を与えます。そういう意味で、疑いがあるという印象を与えた放送というのは、単なる一般的可能性ではなくて、具体的疑いを示しているという点で正確性を欠くと。このような表現は慎重さを欠いていると言わざるを得ないというのが、2点目の指摘です。
放送倫理上の考え方としては、放送と人権等権利に関する委員会(BRC)決定、これはある大学のラグビー部の事案に関するものですけれども、「警察発表に基づいた放送では、容疑段階で犯人を断定するような表現はするべきではない」、それから「裏付け取材が困難な場合には、容疑段階であることを考慮して、断定的なきめつけや過大、誇張した表現、限度を超える顔写真の多用を避ける」といったことを指摘しています。
それから民放連の「裁判員制度下における事件報道について」の留意点として、予断の排斥等々が出ています。
三つ目が新聞協会の指針で、本件もちょうどこれに近いところですが、「捜査段階の供述の報道にあたっては、供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する」とあります。これは新聞協会の指針ではありますが、参考になるかと思い決定文の中でも引用しております。
こういったことを受けて「放送倫理上問題あり」と考えました。
結論としては、「副署長の説明は概括的で明確とは言いがたい部分があり、逮捕直後で、関係者への追加取材もできていない段階であったにもかかわらず、本件放送は、警察の明確とは言いがたい説明に依拠して、直接の逮捕容疑となっていない事実についてまで真実であるとの印象を与えるものであった」と。それから、先ほどの薬物等の使用について疑いがあるという印象を与えたと。この2点の指摘が、放送倫理上の問題です。
この決定文では引用してなくて、参考までにということですが、警察発表との関係についての参考判例で、一つは広島地裁の平成9年の判決があります。これは運転中のAさんの車を停めて、Aさんに拳銃様のものを突きつけて下車させ、近くに止めていた乗用車にAさんを乗車させ、ナイフでAさんの右手甲を突き刺したという、監禁致傷で逮捕した、というのが警察の発表でした。また、逮捕時に被疑者は覚醒剤を所持しており、覚醒剤所持の現行犯でも逮捕されました。
さて、それで記事をどう書いたかというと、逮捕の被疑事実を書いたうえで、「調べに対し、容疑者は『後ろを走っていたAさんの車がつけてきたと思い、腹が立った』と供述している」というコメントを加えています。報道側は、記者の動機に関する質問に警察は、「シャブでもやって、被害妄想でやったんだろう」と回答したことから、こういった記事を書いたんだと言ったのですが、警察は裁判になると、この警察の回答自体を行ったことを否定してしまいました。
それで判決では、犯行の動機を供述しているとして、その具体的内容が記載されていることから、被疑事実が単なる疑いに留まらず真実であるという印象を与えるとし、動機の供述の記載は、社会的評価を更に低下させ、真実性・相当性を欠き、名誉毀損になるという結論を出しています。
それからもう一つ、神戸地裁の平成8年のケースですが、広報資料の記載では、何年何月にある人の家の中で電話機を窃取しました、こういう犯罪事実でした。それで、窃盗での通常逮捕です。記事は「民家に忍び込み」というのを付け加えて、「民家に忍び込み、携帯電話を盗んだとして手配され」と書いた。この部分が名誉毀損だという主張をしたわけです。報道側としてみれば、人の家で盗んだのだから、当然、他人の住居に忍び込んだのでしょうと。通常、住居侵入と窃盗は、牽連犯と言って密接に関連するものだと言われているので、警察発表と同じだと主張したのですが、判決のほうは、住居侵入は牽連犯とは言っても、窃盗とは別の犯罪だから、住居侵入を伴う窃盗というのは全然罪状が違う。したがって、警察発表の被疑事実の範囲とは言えないとして、「民家に忍び込み」という部分を名誉毀損と認めました。こういった判例も参考にはなると思います。
最後に、肖像権・プライバシー侵害の問題ですが、先ほどのフェイスブックの写真、それから区役所の外観を撮影し、何々区役所区民課主事と言ったというところで、肖像権・プライバシー侵害だということが論点になったのですが、これは一般論として、委員会は、公務員が刑事事件の被疑者になったからといって、役職や部署にかかわらず、一律に公共性・公益性があるとは言えないだろうと考えています。被疑事件の重大性や、その公務員の役職、仕事の内容に応じて放送の適否を判断すべきだと。ただ本件の対象事件は、準強制わいせつで重い法定刑の事案である。それから申立人が窓口業務ということ、公共的な意味合いの強い場であることを考えると、こうした放送が許されない場合とは言えないだろうと考えました。
繰り返しの写真使用については、これも相当な範囲を逸脱しているとまでは言えないということです。ただし、曽我部委員は、ややこれはやり過ぎではないかという少数意見を言っていますので、後ほど(奥委員長に)説明していただければと思います。
それからフェイスブックから取得した写真の使用の点ですが、まず使用方法については、フェイスブックに公開すると同時に権利を放棄しているのではないかとも言われているのですが、こういう場面で使うことは一般論として一律に許されるとは、私どもも考えておりません。ただ本件については、その公共性・公益性という観点から考えて、こういった画像の使用も認められないわけではない、許されると考えました。
留意点としては、フェイスブックからの画像であると、通常皆、引用元として書かれており、出典を明らかにすることは良いかもしれませんが、これを書くと、視聴者はフェイスブックのその人のページに誘導されて、その申立人の画像だけではない、ほかの画像も見られるということになる。本件でも、申立人の画像以外に、親族の子どもさんの写真なども、その同じフェイスブックの中に入っていたそうで、親族の方からクレームがあり、ウェブサイトに載せていたニュースは短時間で削除した、というような経過があったと聞いています。フェイスブックの写真の利用には、このような側面があることに留意する必要があるということを付言しております。
以上がテレビ熊本で、熊本県民テレビについては、違いだけ説明します。放送が示す事実のところを見ていただきますと、熊本県民テレビは、abcdという、マンションに至るくだりや、「服を脱がせ」というのも含めて、容疑事実をずっと話して、最後にeとしてまとめて「容疑者は『間違いありません』と容疑を認めているということです」と、より端的にすべてを認めているという言い方をしています。
表現としては、テレビ熊本のほうが、やや容疑事実の違いを意識したとも言える放送だった。こちらのほうは、あまりそれは意識せずに、全体を容疑として認めているという言い方をしており、ちょっとニュアンスが違っています。あと、違うところは、放送倫理上の問題について、薬物の使用云々については、表現としては「可能性があるというふうに考えています」という程度の表現ぶりだったので、この点に関しては、熊本県民テレビについては、委員会は問題にしませんでした。
ということで、若干グラデーションが違うところはありますが、放送倫理上の問題を指摘したというのが本件の論点ということになります。

◆ 奥委員長

「事件報道と人権」という少し大きな括りになっていますが、最初に「人権」とは?ということです。難しい定義はさておき、私は「個々人が、社会にあって、幸せに生きることができること」、これが人間の人権だと考えています。放送局にとってみれば、名誉毀損とかプライバシー侵害とか肖像権の侵害とか、こういう形で具体的に人権の問題が出てくるわけです。
放送というのは、人権だけを全面的に考えると、放送できないケースがあります。そこに公共性・公益性や、真実性・真実相当性がある場合には、報道の自由があります。常にこれを人権と比較衡量して、どうなるかというふうに考えなければいけない。
今、市川委員長代行が説明された「事件報道に対する地方公務員からの申立て」事案は、容疑内容にないことまで容疑を認めているような印象を与えたということですが、人権侵害とまでは言えないけれど、放送倫理上問題があるという結論です。これに対して私の少数意見は、警察の広報連絡を基に、警察当局に補充の取材を行って、その結果を放送するのは、容疑者の逮捕を受けた直後の事件報道の流れとして一般的に見られるものであって、内容的にも、警察当局の発表や説明を逸脱した部分はないということで、放送倫理上の特段の問題があったとは考えないというものです。警察の広報担当者の説明があいまいだったということを決定は指摘していますが、新聞報道も大体同じことを書いています。そういう意味でも、本件放送に放送倫理上特段の問題があったとは考えない。
実はもう一つ少数意見がありまして、曽我部さんは、私の少数意見に基本的には賛成だが、放送倫理上問題ないから、それでいいという話ではないことを指摘しています。「もっとも、これは本件報道が良質な報道であったとするものでは全くない。申立人は一若手職員にすぎなかった者であり、本件刑事事件は公務とは無関係なものであるが、公務員というだけで、詳細の分からない段階で、顔写真はともかく、職場の映像の放送や、薬物使用の可能性の指摘、卑劣だとのコメントまで必要だっただろうか。あるいは、こうした扱いにふさわしい取材がなされたといえるだろうか」という疑問を呈して、「申立人の主張を信じるとすれば、若者が時に犯すことのある飲酒の上での軽率な行為という趣のものであった事案が、公務員による計画的な性犯罪であるかのような印象を与えかねないニュースとして報道されてしまったもので、申立人の悔しい思いは理解できるところがある」と述べています。この点は、この案件を考える時に非常に重要な問題だと私も思っています。
次に、「浜名湖切断遺体事件報道」です。これは連続殺人で二人を殺したとして容疑者が逮捕され、地元を震撼させた事件です。
「静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった事件で、捜査本部は関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関連を調べています」と放送しました。
申立人の訴えの内容は、「殺人事件にかかわったかのように伝えながら、許可なく私の自宅前である私道で撮影した。捜査員が自宅に入る姿や、窓や干してあったプライバシーである布団一式を放送し、名誉や信頼を傷つけられた」というものです。決定は、申立人の人権侵害(名誉毀損、プライバシー侵害)はないという結論です。放送倫理の観点からも問題があるとまでは判断しませんでした。
申立人はこの事件で捕まった容疑者の知人で、事件発覚前にこの容疑者から軽自動車を譲り受けています。さらにこのテレビニュースがあった日に、警察が申立人宅へ赴き、この軽自動車を押収した。そして申立人は、同日以降、数日間にわたって警察の事情聴取を受けている。これについては、申立人も認めている争いのない事実です。申立人の主張の前提は、この日の警察の捜査活動は容疑者による別の窃盗事件の証拠品として申立人宅敷地内にあった軽自動車を押収しただけで、浜名湖連続殺人事件とは関係ない、ということです。ところが、ニュースは「関係者」「関係先の捜索」といった言葉を使い、申立人をこの事件に係わったかのように伝え、申立人の名誉を毀損した。また、申立人宅前の私道から撮影した申立人宅とその周辺の映像が含まれ、申立人であることが特定され、プライバシーが侵害されたと主張しています。
「プライバシー」とは、他人に知られることを欲しない個人に関する情報や私生活上の事柄で、本人の意思に反してこれらをみだりに公開した場合はプライバシーの侵害に問われる。ここでは、「みだりに」というところが重要なわけです。本件放送の場合はどうかというと、申立人宅の映像はただちに申立人宅を特定するものではないし、布団や枕などの映像も、外のベランダに干してあるわけですから、個人に関する情報や私生活上の事柄とは言えないだろうということで、プライバシー侵害には当たらないという決定にしました。
一方、ニュースの内容がその人の社会的評価を低下させるということになると、名誉毀損という問題が生ずるわけですが、その際に公共性・公益性があって、さらに真実性・真実相当性があれば名誉毀損に問われないという法理が確立されています。この場合は、現地における大事件ですから、その続報を放送することは、公共性・公益性はもちろんある。問題は、真実性・相当性の検討になってくる。申立人宅における当日の捜査活動が浜名湖遺体切断事件の捜査の一環として行われ、申立人が容疑者から譲渡された軽自動車を押収した。これは本件放送の重要部分で、これには真実性が認められます。
問題は、「関係者」「関係先の捜索」という表現をしたことによって、この真実性を失わせるかどうかです。テレビ静岡は、当日の捜査活動の全体像を知っていたわけではない。リークされた情報があり、捜査本部のある警察署から捜査車両が出て行ったのを追尾していったら、申立人の家で捜索活動が行われたのですが、テレビ静岡は映像を撮った段階では、一体この申立人宅でやっていることは、全体の中でどういうことなのかは、実は分かっていなかったということです。そういう時に「関係者」とか「関係先の捜索」という表現を使うのは、ニュースにおける一般的な用法として逸脱とは言えないという判断をして、申立人に対する名誉毀損は成立しない、という決定になったわけです。
ただ、申立人宅内部の捜索が行われたのかどうかということは実は問題で、アナウンサーのコメントは、最初のニュースが「静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった事件で、捜査本部は今朝から関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関係を調べています」というものです。申立人宅の映像は、この時を含めて繰り返し使われ、遅くなるほど詳しくなって、2階の窓の映像も加えられたりしています。実際は、家の中の家宅捜索は行われていなかったのですが、あの時点で取材陣が、捜索が行われたと考えたことには相当性が認められる。しかし、時間の推移とともに申立人宅での捜索活動は、車の押収だったことは推定できたはずです。にもかかわらず、だんだん映像が多くなってくるわけですから、申立人宅映像の使用は、より抑制的であるべきではなかったかということを要望しました。
次に少し事件報道一般についてお話ししたいと思います。
「事件報道は人を傷つける」と私はいつも言っています。逮捕された容疑者は当然、「ひどいことをする人間だ」と世間から指弾されます。ほかにその事件の関係者はいろいろいるわけです。容疑者の家族、被害者、その家族、いろんな人がいますけれど、みんな何らかのかたちで傷つくのです。こういうところは、言い過ぎかもしれませんが、事件報道の"原罪"なのかと思います。事件報道は、一方にクールで成熟した市民が受け手としていて、もう一方に熟練した職業人としての腕と情熱、そして品性を持ったジャーナリストがいる。その往還の中で、"原罪"的なものを、つまり事件報道が持っている「悪」を飼い馴らす、という方向でやっていくしかないだろうと考えています。ニュースの送り手としては、腕と情熱が非常に重要だと思います。情熱がないと特ダネが取れません。やっぱり特ダネというのは大変重要なものですが、特ダネを取ろうとすると、しばしば人権を侵害する事態になってしまうこともあります。
事件報道は、つまりは犯罪についての報道です。犯罪を捜査しているのは警察で、ニュースソースの大半は警察なわけです。だから警察が間違うとひどいことになります。この点では松本サリン事件が大きな教訓を残しました。1994年に長野県の松本市の住宅街で未明によく分からないガスが漂って7人死亡したという事件です。その第一通報者が犯人視扱いされて、ひどい報道がされました。長野県警の初動捜査の誤りで、警察情報に依存する報道が、ある意味で仕方ないところはあるけれど、結果は非常に最悪のケースになりました。
ではどうしたらいいのか。よく言われていることは、情報を多角化し、警察情報を相対化しなければいけない。そして、「特ダネ」至上主義からの脱却。松本サリン事件を見ていると、「もうよその社が書くよ」、「これ書かないと特落ちになっちゃうよ」ということがありました。そういう「横並び意識」をどこかで排除しないといけない。では何が必要かというと、私は「道理」の優先というのをいつも言っています。ちょっとおかしくないか、と踏み止まってみる。物事の正しい筋道、筋が通っていることを、しっかりと考えましょうということです。
さて、報道被害について。報道被害が大きく問題になったのは、和歌山毒物カレー事件です。事件があったのは、和歌山市の園部地区という小さな集落で、そこに全国から新聞・テレビ・週刊誌の大取材陣が来て、その地区の住民は日常生活ができなくなったという状況になりました。これはメディアスクラム、集団的過熱取材と言われて、あらためて問題になったのですが、日本新聞協会や民放連も見解等を出しています。民放連の見解を少し紹介しますと、「嫌がる取材対象者を集団で執拗に追いまわしたり、強引に取り囲む取材は避ける。未成年者、特に幼児・児童の場合は特段の配慮を行う」「死傷者を出した現場、通夜・葬儀などでは遺族や関係者の感情に十分配慮する」「直接の取材対象者だけではなく、近隣の住民の日常生活や感情に配慮する。取材車両の駐車方法、取材者の服装、飲食や喫煙時のふるまいなどに注意する」と、具体的に書いています。やっぱり具体的に非常に注意しないといけないということです。
では、メディアスクラム状況を起こさないためにはどうしたらいいのか。現場の記者クラブである種の協定をするとか、そういうことをしなければいけない。しかし、実は問題は、どこまで取材して、何を伝えるかというのが根底にあるので、それを抜きに、協定すればうまくいくという話ではないですから、難問として最後まで残るだろうというふうに思います。
ここに来ている方は、報道の現場の方が多いと思いますが、昔は「知る権利」という言葉がよく使われました。市民から付託されて、メディアは取材対象に向き合う、市民に後押しされるという存在でした。今や、メディアは挟撃されているというのが私の認識で、取材される対象からは、酷いじゃないかとかフェイクニュースだとか言われたり、一方市民の方からは、人権抑圧だというふうに言われたりして、挟撃されている。非常に難問に迫られているのですが、しかし、こうした状況だからといって萎縮してはならない。積極果敢に打って出なければいけないと思います。
新しい『判断ガイド』の前文に、私は「私たちにとって最大の武器は歴史と経験に学ぶことができる力です」と書きました。判断ガイドに沢山の事例がありますが、こういうことで活用していただきたいと思います。「人権」が強く叫ばれるようになって、ますます取材が難しくなるという状況の中ですが、皆さんいろいろ工夫しながら、いいお仕事をしていただきたいと思っています。

◆ 【委員会決定について】

○参加者
「人権」とは?という説明の中に、「個々人が、社会にあって、幸せに生きることができること」とありますが、裸の写真を撮られたこの女性は、社会にあって、幸せに生きることができたのでしょうか。私は一番人権侵害を受けたのは、この女性なのではないかと思うんです。それを許せないという思いが、報道の発露ですし、深く掘り下げて取材しようとした記者の行為は当然だと思います。当然行き過ぎた報道とか反省すべき点はあると思いますが、その被害者の女性を差し置いて、一若手の職員の方がBPOの制度を使って、自分の人権侵害を申し立てるというのが釈然としないので、こういう質問をしました。

●市川委員長代行
被害者の女性とは接触していないので、その後の経過とか、心境というものは把握していません。BPOの建て付け・枠組みは、放送された側と放送局との問題なので、その事件の背景にある被害者の方がどう思ったかなどの点の究明は、構造上どうしても限界があることはご理解いただきたい。この事案は、公共性・公益性があるので報道に値するが、真実らしいとして報道できるところだけでなく、そこまでは認められない事実まで真実らしく認められるように報道している部分が行き過ぎではないか、というのが本決定の言いたいところです。

○参加者
熊本の事案について、あれ以上どういう形で確認等、表現を考えればいいのか、非常に悩んでいるところです。当然初報の段階で、解説員がニュースを補足するような感想を言うのは、私自身もおかしいと思いました。しかし、何月何日被疑者宅で女性が裸を撮影された、というのが事案の概要で、これだけではニュースにならないし、抗えない状態というものを構成する要素として、酒を飲ませたり、連れ込んだりといった具体的な説明をすることが、倫理上問題があるのかを教えていただきたい。

●市川委員長代行
一つは、何を認めているのかという問題です。「認めている」ということは、今までグレーだったものが真っ黒になるわけで、非常に重たい言葉なんです。だとすれば、一体どこからどこまで認めているのかをきちんと吟味すべきだと思います。初報の段階で、広報担当の話を聞いたうえで、実際にどこまで認めているのかを、もう一歩踏み込んで聞けばよりクリアになるはずです。もう一つは、あれ以上の言い方はできないとおっしゃいましたが、事案の概要として書かれたことを認めていると、ここでまず切れるわけです。捜査当局がどこを疑いとして、見立てとして言っているのかは、はっきり区別すべきだと思います。新聞報道では、その辺りを区別しているなと受け止められる全国紙もありました。
また、抗拒不能の状態について聞くのは自然ですが、抗拒不能というのは、酒に酔って抵抗できない状態のことを言うわけであり、それがなぜ起きたかということについては、あの段階では警察は見立てとして考えていたとすると、車に乗せて連れ込んで裸にしたということが、抗拒不能という事実の中に含まれているというふうには受け止めないほうがいい、したがって、事案の概要以外のこともすべて認めているという印象を与える報道はしないほうが良いだろうと思います。

●二関委員
この事案の概要は、裸の状態を撮影したというものです。そのような状況に至るまでには、部屋に行ったり、服を脱いだりといったいろいろな経過があったはずなのに、撮影という一瞬の出来事だけを切り取っているわけです。
なぜその一瞬だけなのかと記者の方も思うはずです。それゆえ、メディアとすれば警察に取材することになるのでしょうが、他方、警察のほうもメディアが絶対聞きに来るなと分かっていて、文書で発表する部分と、あとは口頭で言おうとする部分とを使い分けているのではないかと思います。そのような警察の想定に乗せられてしまった事件ではないか、という気がしています。さらに、もし、無理やり服を脱がせたといったことについても被疑者が犯行を認めていたとすれば、被害者と被疑者という関係者の供述が一致しているわけですから、なおさら、なぜ撮影という一瞬の出来事の部分だけを切り取って事案の概要として公式発表したのか、疑問が生じても良い事案ではなかったかと思います。

○参加者
「肖像権・プライバシー侵害か」のところで、「区民課の窓口で一般市民とも接触する立場にあり、勤務部署も公共的な意味合いの強い場であることに鑑みれば、職場や職場での担当部署を放送することが許されない場合とはいえない」とあるが、一般市民と密接にかかわらない他の部署の一職員だと、その職場の映像はもとより、○○課というような表現をすることは疑問である、という結論に導かれてしまうのでしょうか。

●市川委員長代行
一般的には、選挙される立場の公務員や議員の方たちの、公共性・公益性というのは非常に高く、それ以外の公務員の場合には、地位や扱っている業務との関係で、公共性・公益性が論じられると思うので、今回は窓口の人であることは一つの要素として考えましたが、窓口対応しない人は公共性がないのかと言われれば、そうでもないだろうし、一概には言えないと思います。普通の区役所の職員であった場合に、すべて公共性・公益性が認められ、必ず名前や顔を出し、こういう扱いをすることが認められるかと言うと、必ずしもそうでもないだろうと思います。

●二関委員
当時の議論で覚えているのは、課長職以上のように意思決定に大きな権限を持っている人と、そうでない人とは一線を画すのが妥当であろうといった議論です。このケースでは、若手の現場の職員なので、公共性は低い方に分類されることになるけれども、市民との接点もある人だから、その点も踏まえた考え方を取り入れて、単純に公共性が低いという扱いにはしないようにしましょう、という議論をした経緯があります。

○参加者
立場や役職というものではなく、逮捕容疑の重さで判断していいのではないかと考えるのですが、いかがでしょうか。

●市川委員長代行
そこは仮定の議論なので、何とも言い難いですが、職務とかの要素を考えないで一律にというわけにはいかないのではないかと思います。報道するかしないかということと、どこまで突っ込んで放送するかですね。あの場合には、窓口対応のその窓口の席まで映したわけなんですけど、そこまでやる必要があったかということも関係するのかなと思っています。

○参加者
フェイスブックの写真の使用について、「その友人や家族のマスキングのない写真や情報を閲覧することができるということにもなりうる。フェイスブックの写真の利用にこのような側面があることには留意する必要がある」と書いてあり、意味は分かるが、どう留意すればいいのかは非常に悩むところです。今回の件に関して、そういった議論があったかを参考までにお聞きしたい。

●市川委員長代行
その点はおっしゃる通りで、私どもも正解を持ち合わせているわけではありません。ただ、報道後、フェイスブックの中の写真に小さなお子さんの親族の写真も写っていて、そのお母さんから連絡があったりして、フェイスブックの写真には波及効果があるなということを感じました。
また、WEB上のニュースなどの映像について、いつまで出し続けるかという問題もあると思います。フェイスブックからの引用自体が許されないということはないだろうし、その際に出典は明記するはずだと思いますし、正解はありません。ただ、SNSの写真はそういう紐付け効果みたいなものや、永続的にいろんな人がたどり着けるので、アルバムの写真を載せるのとは違う要素があることは、考えたり気をつけたりしないといけない。今の段階ではそのようなことを考慮して放送すべきだろうと考えます。

●二関委員
他からも入手できる写真があるにもかかわらず、ネットで取れて簡単だからといって、フェイスブックに流れるという姿勢は、避けることができる場合があるように思います。

○参加者
今のご発言について、参考のコメントとして言いますと、おそらく各社がフェイスブックの写真を知り合いの人などに見せて確認したり、他から入手した写真と照合したりしたうえで使っています。裏取りの作業は報道現場でも今は求められていると言えます。
さて今回の熊本の件ですが、私はどうしても奥委員長の少数意見に共感してしまいます。BPO、特に人権委員会は、メディアの人間と、法律家あるいは研究者の、ある意味価値観のせめぎ合いの場なのかなという気もします。それで、参考判例(2)の平成8年の神戸地裁の判決について、当然法律家は判例に沿って考えると思うのですが、社会通念から見て、個人的な評価というか感想を、法律家出身のお二方の忌憚のないところをお聞きしたい。

●市川委員長代行
印象としては、たしかに厳しい判決だろうなとは思います。ここで例として挙げた理由は、今回のような広報資料として出されてきている事実と、それ以外のこととは、やはり違うんですよ、ということです。法律家がこういうふうに考えることは、全く世間から乖離しているということではない。今回の件で言えば、真偽のほどは分からないが、裸の女性の抗拒不能の状態の写真を撮ったという事実と、それ以外の酒を飲ませて、連れ込んで、裸にしてということが付け加わっているのと、受ける印象はかなり大きな違いがあることを考えないといけないと思います。

●二関委員
犯罪事実というのは、午前2時35分から9時30分頃までと幅がありますよね。これが深夜だけしかなかったら「忍び込んだ」というふうに思えるが、人が起きているような時間を含んでいますから、入った経緯までは違うことがあり得ると、理屈で考えればあると思います。ただ市川委員長代行が言ったとおり、たしかに厳しいかなという感想ではあります。

●奥委員長
私は法律の専門家ではありませんが、警察の広報担当者が説明したことを書いたら、それについては基本的には責任は問われない、という判例もあるようです。

○参加者
参考判例(2)は、「忍び込み」を排除して窃盗するということは、相当広げないと常識的に難しいかなと思い、こうしたことがベースになって積み重なっていくのは、結構危険な面もあるのかなというふうに感じたので、こういう質問をした次第です。

●市川委員長代行
先ほど奥委員長が言った、警察発表を信じてそのまま書いたら、それは相当性がありというのは、決定でも引用した、平成2年の判決があります。もう一方で、平成13年の判決では、警察発表だからと言って、被疑事実を客観的真実であるように書いてはいけないというものもあります。そういう意味で、名誉毀損が成立するかどうかという観点からいくと、現在の状況で名誉毀損とまでは言えませんね、と我々は議論して考えました。ただ、違うレベルの問題として、放送倫理の問題から言うと、熊本の事件のこの事案では、放送倫理の問題を指摘できるのではないかということです。

○参加者
熊本の事案は、放送倫理上問題があるという判断で、静岡の事案は、放送倫理に問題があるとまでは判断しなかった、この違いは何だろう、そこまでの違いがあるようには自分の中ですっきりと消化ができていないところがあります。静岡の案件で言うと、軽自動車を譲り受けていた知人の家に、警察が車を押収するなどの捜査活動をしている映像が映っている。私もよく言われますが、特に田舎だと住所を言わなくても、ちょっと映像が映っただけで誰の家かはすぐ分かると。この映像が映ったおかげで、殺人事件にかかわっていないのに、犯人扱いされたという話だと思うが、むしろこっちのほうが熊本の件よりも人権侵害の要素があるのではないかと思ったりします。
静岡の件で、放送に問題があるとまで判断しなかったというところに至ったポイントは、殺人事件に関する報道の公共性・公益性などを重要視したのかどうか、補足で教えていただきたい。

●奥委員長
公共性・公益性ではなく、それはもう入口としては当然ある。問題は、あのニュースが、「関係先」とか「関係者」という表現をしているが、実際に申立人があの事件の犯人と直接かかわりがある、この事件の関係者であるという意味での関係者というふうに、視聴者に受け取られるかというと、必ずしもそうではないでしょう、という判断です。

●市川委員長代行
まず、名誉毀損かどうかを考えた時に、その放送自体がその人の社会的評価を下げるかどうかですが、浜名湖の事案の場合には、特定性の問題もあり、事件の被疑者とは描かれていません。彼の社会的評価を下げていることにはならないということで名誉毀損にはならないということになっています。熊本の場合には、犯罪報道で、申立人は特定されて社会的評価が下がっています。真実性の証明もできていない。しかし、真実と信じたことの相当性というところで名誉毀損とはならなかった。レベル感は違うと思います。

***

●司会
次に事前アンケートの中に、「事件、事故の犠牲者の顔写真を友人から入手して放送する場合、家族の了承は必要でしょうか」とか、「未成年の場合は、保護者の了承を取る必要があるでしょうか」また、「報道で名前や顔などの情報をどこまで出せるのか」といった、各局に共通して気になるところがありました。今回、二関委員にポイントを参考資料にまとめていただきましたので、資料の説明をお願いします。

●二関委員
事務局から、「実名報道」「子どもへのインタビュー」「顔写真の使用」の3件について報告してほしいという依頼がありましたので、これらについて説明したいと思います。
まず「実名報道」ですが、日本新聞協会が『実名報道』(2016年)という冊子を出しておりますので、これをベースに項目等のご説明を簡単にしたいと思います。この冊子には、「実名報道が原則だ」とする根拠が書いてあり、配付資料に挙げている項目がそれに対応しています。メディアがこのような広報をすることは重要ですが、他方、その根拠づけが一般化できるのか、どこに限界があるのかといった視点を持って読むことも重要と思います。
まず一つ目は、「知る権利」への奉仕と書いてあり、最高裁の「博多駅テレビフィルム提出命令事件」を挙げていて、民主主義社会における国民の「知る権利」の重要性を書いています。「国民の『知る権利』がまっとうされるために、実名は欠かせないと考えます。実名こそが、国民が知るべき事実の核だと信じるからです」と書いてありますが、これは信念であって、これ自体は根拠ではないと思います。また、「民主主義社会において」ということですから、それと関係ない文脈に関する事実についての実名については、この理由づけで説明するのは難しいかと思います。
次に、「不正の追及と公権力の監視」と書いてあります。これは、たしかに大事なことで、今日も地方公務員の話が出ていましたが、公権力に携わる人に対する実名の問題と、一市民の実名の問題とでは、違ってくると思います。
次に、「歴史の記録と社会の情報共有」という項目で、友人や職場の同僚、地域の人々など広い意味での知人は、報道によって安否についての情報を知る、と書いてあります。報道にそのような機能なり効果はあるでしょうが、他方、報道は、全く関係のない人にも広く伝えるものですから、この理由づけによって説明できない人もそれに接するんだという点には留意が必要と思います。
次に、「訴求力と事実の重み」とあって、実名による報道は、匿名と比べ、読者、視聴者への強い訴求力を持ち、事実の重みを伝えるのだ、と書いてあります。たしかに、そういう場合も多いとは思いますが、一方で、文章で工夫することによって、名前を使わなくても訴求力を持った記事はありえ、工夫できる場面によっては実名は必ずしもいらない場合もあるのではないかと考えられます。
あと、「訴えたい被害者」の記載で、被害の事実と背景を、自らの立場から広く社会に訴えようという方もいる、ということです。これは、そういう方もいれば、そうではない方もいる、という話だろうと思います。
以上が「実名報道原則」の関係です。
続いては、「発表情報と報道情報の峻別」という問題です。これは警察に代表されるような公的機関などが、そもそもメディアに対し、実名を伝えないで匿名にしてしまうという問題です。これは本当に大事な問題です。メディア側からすれば、自分たちの責任で報道の段階で出すかどうかを適切に判断するということなのでしょうが、発表する側からすれば、本来実名が出されるべきではない場合に、ある社はきちんと対応していても、よそから実名で出てしまうという問題も生じるかと思います。他方、そうであるからといって公的機関だけが情報を握ったままというのも問題で、なかなか難しい落ちつきどころを見つけにくい問題という気がしています。
次に、「被疑者・被告人と被害者」という項目を挙げました。被疑者・被告人に関しては、裁判例を配付資料の後ろに載せておきました。この二つの事案の裁判例は、実名で犯罪を報道したことで名誉毀損となった裁判の判決です。(「福岡高裁那覇支部2008年10月28日判決」、「東京地裁2015年9月30日判決」とその控訴審「東京高裁2016年3月9日判決」)
これを見ますと、裁判所は実名報道を応援してくれている、というように読み取ることができると思います。いろいろな理由を挙げて、やはりそこには公共性・公益性があるのだと言ってくれています。ただ一方で、プライバシーも大事だと言っています。要は、事件報道に関するものであるから実名でいいと直ちに結論づける発想は、裁判所は取っていません。結構きめ細かく事案ごとに、要素を見て判断していることが分かると思います。
東京地裁で一般論を述べているところがありますので紹介します。プライバシーの侵害については、実名を公表されない法的利益と、これを公表する理由とを比較衡量するのですが、その際に考慮すべきは何かというと、「(1)新聞に掲載された当時の原告の社会的地位、(2)当該犯罪行為の内容、(3)これらが公表されることによって、原告のプライバシーに属する情報が伝達される範囲と、原告が被る具体的被害の程度、(4)記事の目的や意義、(5)当該記事において当該情報を公表する必要性など、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し、これらを比較衡量して判断することが必要」と言っています。
被疑者の場合と、被害者の時とは、だいぶ状況が違います。
被害者に関しましては、冊子『実名報道』の中で、二次被害防止、軽微な事件、性犯罪の被害者、亡くなった被害者本人や遺族にとって「不名誉な死」にあたるか否かを基準に判断をする社もあるとの記載があり、それも一つの考え方かと思います。
それから、「一過性と継続性」という項目も挙げておきました。これは基本的に報道する側は、報道するまでで終わってしまうのに対して、報道される側は、そこから始まる、ということです。インターネットが普及してきますと、そもそも情報が残る、そういう傾向がより顕著になってくるのではないかと思います。
あとは、「報道機関の匿名措置とネットでの実名流布」という問題です。報道機関が匿名措置を1回取っても、ネットではさらされる状況というのが、事件によっては時折見られます。これをどう考えるかということです。報道機関としては、ネットに載っているからうちも、といった情報伝達の横並びの話にはおそらくならなくて、報道機関は報道機関としての矜持を持って対応すべき場面であろうと思います。さらに、気を付けなくてはいけないことは、自分のところで匿名措置を取っていたとしても、ネットの情報と突き合わせることで個人が特定できてしまう、そういうことがあることを念頭に置かなければならない難しい時代に入ってきているという気がします。
実名報道に関しては、当委員会の曽我部委員も、朝日新聞が出している『ジャーナリズム』2016年10月号に記事を書いていますので、ご参考にしていただければと思います。
では2点目にまいりまして、「子どもへのインタビュー」という問題です。これは何がテーマかによって異なってきます。例えば地域のお祭りなどのイベントに参加している子どもを取材する場合と、事件が発生した際に同じ学校の生徒に取材するといった場合とでは違ってくるということは、お分かりいただけると思います。
配付資料に「保護者の承諾」、「本人の承諾」と書きましたが、一定の場合には本人の承諾のみならず、保護者の承諾も取るべきでしょう。「財産権と人格権」と書いたのは、民法などでは、財産権にかかわる事項の場合には、お小遣いを超えるような範囲の時には、親権者などの法定代理人の同意を得ることになっていますが、人格権にかかわることであれば、ある程度の年齢、例えば高校生ぐらいになってくれば、むしろ未成年者であろうとも自分で判断できる事項もあるでしょうから、そういう時に親の同意があるので子どもの同意がなくていい、といった考え方はとりにくいと思います。
そして、NHKの『放送ガイドライン』からの引用ですが、「未成年者の取材や番組出演にあたっては、本人だけでなく、必要に応じて保護者に、その趣旨や内容を説明し承諾を得る」とあります。これは本人からの承諾は当然としたうえでの保護者の承諾ということですね。あと「未成年者に対しては、取材や出演が不利益にならないよう、十分配慮するとともに、精神的な圧迫や不安を与えないよう注意する」とあります。これは2001年に、池田小学校という大阪の事件がありましたが、あの時に事件現場で子どもがインタビューされたことに対して、それを見た視聴者などからかなり批判がありました。そういう子どもの心のケアが大切な時に配慮が足りないとか、ショックを受けている子どもにマイクを向けるとは非常識だ、そういった批判があったことなどを受けて出てきているガイドラインかと理解しています。
あと、BPO青少年委員会が2005年に出した「児童殺傷事件等の報道」についての要望の中で、「被害児童の家族・友人に対する取材」に関する部分を、配付資料に挙げておきました。
最後に3点目の「顔写真の使用」については、今日配られた『判断ガイド2018』の顔写真の使用についていろいろと書かれた場所がありますので、該当頁だけ挙げさせていただきました。時間の都合上、後でお読みいただければと思います。(「匿名報道、モザイク映像等(27頁~)」、「容疑者映像等(42頁~)」、「肖像権(71頁~)」)
ここで言っているのは、安易な顔無しなどはしないということです。ある意味、負のスパイラルみたいなところがあって、顔無しの映像を普段見慣れた視聴者は、例えば取材を受けた時に、「一般的にそうだから自分も顔無しにしてほしい」と要望してくることが増えるでしょうし、取材する側もそのように言われると説明に窮して応じてしまい、その結果、ますます顔無し映像が増えるという流れが、最近できてしまっているような感じがします。そういった流れを、安易な顔無し映像を減らすことでコツコツと軌道修正していくといった地道な取り組みが大切かと思っています。
どの問題にしても、この場合にはこうすべきだという、カチッとした正解がある世界ではないので、なかなか難しいと思いますが、議論のきっかけとしてご報告させていただきました。

○参加者
4年前の土砂災害で高校生の男子が亡くなり取材していたら、同級生が、「良いやつだったから、顔写真を是非使ってほしい」というので、写真をもらって放送したのだが、その後お兄さんから電話があって、「何で勝手に使うんだ」とお怒りになっていた。別のデスクが受けたので、私が引き受けてお兄さんと話をしたら、その段階ではすでに怒りが収まっていて、実は抗議の電話をかけた後に、「親や周囲から怒られた。何てことを言っているんだ」と言われ、それ以上は進まなかったということがありました。
友人、知人から入手した写真、特に未成年者、子どもさんの場合に、もう時間もないし、確認もできたから使った時に、使うという判断をする前に、自分は親の承諾を取りに行くと考えているものかと思い、もし「使わないでくれ」と言われたらどう対応すべきなのか判断に迷うところです。

●市川委員長代行
問題は二つあって、同級生が未成年であり、その未成年から写真をスッともらうこと自体がどうかという問題と、その未成年の被害者の写真を使ったら、被害者の遺族にとってどうかという問題があると思います。最初の点については、その写真の性格にもよるとは思いますが、アルバムや皆さんと一緒に映っている普通の集合写真をもらう時に、その子の親の承諾を取るかと言われると、個人的な見解ですが、そうでもないと思います。被害者のほうについても、どこまでの範囲でご遺族に了解を取るかというのも、にわかに回答できませんが、私の個人的意見としては、すべて取らなきゃいけないというふうには思いません。

●奥委員長
今は写真の話ですが、実名報道の問題とも絡んできて、名前を出してほしくないという時にどうするか。基本的には、どういう報道なのか、どういう事案なのか、どういうケースなのか。先ほど二関委員も比較衡量の話をしていましたが、やっぱりこれには写真が必要なんだ、これには実名が必要なんだ、という判断を、承諾が取れたか取れないかとか、取ろうとか取らないとか、ということとは別に、報道する側でしなければいけないと私は思います。その時は崖から飛び降りてやるんです。後から文句が来たら、それは必要だったというふうに言わざるを得ない。ただし、実名は要らないケースがあるだろうし、実名を載せることによって人権侵害とか二次被害が出てくる問題の時は避ける。顔写真の問題も、要らない場合もあるだろうし、ということを常に考えないといけないのだが、よそから言われたから載せるのを止めましたよ、という話ではなかろうと私は思っています。

●二関委員
私も委員長の意見とほぼ同じですが、いずれにしても何かクレームが来たら、こう説明できるようにしようと、ちゃんと考えたうえで出すか出さないかを決める。外に対して説明できるような判断を経たか、というところが大事だと思います。

●市川委員長代行
写真の場合、どういう切り取り方をするかというのもあって、前回の意見交換で出たのは、被害者のご家族で、母親と幼児のお子さんの写真がフェイスブックに載っていて、非常に広く撮って報道しているところと、顔の部分だけが出るような形で報道しているのとでは、受ける印象がずいぶん違うなと思いました。その事案の性格に見合った形で出す顔写真のほうがふさわしいという話に、意見交換の中でなったことはあります。今回の場合もフェイスブックの写真が2回ぐらい出てくるのですが、カメラを持ってほほえんでいる全身像の写真の印象は、ただ顔写真が出てくるのとすいぶん印象が違う感じがして、報道される側からすると非常にさらされている感じがあるのかもしれないと思いました。参考までに。

○参加者
我々が自社でやるニュースサイトについては、期限を決めて閲覧できるようにしているが、意図せずインターネット上に拡散されていったものは、将来も流れて行ってしまう。我々は公共性・公益性があると判断し、一度出したものではあるが、それが長く残ることによってさらに人権を侵害してしまうおそれが出てくるとかについて、BPOへ申立てや協議になったものなどはありますか。

●奥委員長
何年か前に「大津いじめ事件」についての決定があります。テレビのニュース画像に裁判の資料が出て、いじめの加害者の名前がちょこっと出たんです。ニュースの画像を見ている限りでは全然分からないが、録画して静止画面にしてキャプチャーして拡大すると読める。それがネットに拡散して、被害を受けた方からの訴えがありました。BPOにとっては、たぶん新しい問題でもあったが、テレビ局はそういう形でネットに流れるということを想定して、ニュースなり番組なりを作らなければいけないという結論になりました。
通信と放送の融合とか、いろんなことを言われる時代ですから、それは知らないよ、勝手に向こうがやったことでしょ、という話にはならないと言わざるを得ない。そこまで注意する。これがネットに流れて残った時にどうなるか、そういうことを考えてやらざるを得ない。そういう時代に今至っているなと思います。

●二関委員
別の観点からですが、誰かが勝手に流していて今でもネットで映像を見ることができるからという申立てが来ても、元々の放送局がやっていた時を基準にしてBPOが定めている期限を過ぎていたら、審理入りはしないことになると思います。一方で奥委員長が言ったとおり、注意すべき点があるのはもちろんですが、そういうことがあるからといって、萎縮し過ぎてもいけないのであり、難しいところだと思います。そこについては、いわゆる"忘れられる権利"といった概念で対応して、消すことができるルールが別途適用されるのであれば放送局は萎縮しないで済むかなと、私としては思っていました。しかし、2017年1月の最高裁決定は結構厳しい基準で、なかなか忘れられる権利的なものは認めてくれないので、難しい状況だという感想です。

●市川委員長代行
委員会決定に、無許可スナックの摘発報道の事件というのがあって、テレビ局のサイトで被疑者の方のニュース映像がアップされ、それが約1か月、映像を見ることができる状態になっていたものがあり、事案の重さからしてもやり過ぎではないかということを指摘したことはあります。期間とか名前をどれくらい残すかは、ネットではまた別の配慮が必要だと思います。ただ、それを二次利用したりするのは、基本的にそれ自体をBPOは判断の対象にはしません。

***

こうした参加者との意見交換を受けて、最後に奥委員長が次のように締めくくり閉会した。
「いろいろと直接生の声を聞いて、考えさせられることが沢山ありました。『放送倫理』とは何か、と言われても答えはなかなかなく、どういう点が必要かについてはガイドブックにも書いてありますが、いろいろな事案を考える時には、放送倫理にどう問題があるのかないのかを、その都度事案に即して考えざるを得ないのが実態であります。
実際問題としては、番組を作ったりニュースを流したりしている方が、もっと身近に感じている問題だと思います。その際には、常にそういうことを考えていただきたい。けれども萎縮すると言いますか、当たらず障らずというのでは、報道の使命は達せられないだろうと思いますので、是非果敢にお仕事をしてほしいと、私はいつも言っています。今日は本当にありがとうございました。」

以上

第265回放送と人権等権利に関する委員会

第265回 – 2019年1月

「芸能ニュースに対する申立て」事案の審理…など

議事の詳細

日時
2019年1月15日(火)午後4時~7時
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、白波瀬委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「芸能ニュースに対する申立て」事案

対象の番組は、2017年12月29日に放送されたTBSテレビ『新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』。 番組の中ほどで、「14位 俳優・細川茂樹 事務所と契約トラブル」とナレーションがあり、「昨年末、所属事務所から『パワハラ』を理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、『契約終了』という形で、表舞台から姿を消した。」と伝えた。
この放送について細川氏は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことをわざわざ強調して取り上げているが、東京地裁の仮処分決定で事務所側の主張に理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあったと言わざるを得ないと主張し、謝罪と名誉回復措置を求めて申し立てた。これに対してTBSテレビは、意図的に申立人を貶めた事実は全くないとする一方、放送に「言葉足らずであって、誤解を与えかねない部分があった」として、申立人におわびするとともに、ホームページあるいは放送を通じて視聴者に説明することを提案し、できる限りの対応をしようとしてきたとしている。
今月の委員会では、12月の審理を踏まえ開かれた第2回起草委員会で起草した「委員会決定」案の修正案が示され、担当委員より説明の後、審理が行われた。審理では、各論点に対する評価や表現等について意見が交わされ、さらに第3回起草委員会を開いて修正を行い、次回2月の委員会に提案することになった。

2. その他

  • 1月29日に大阪で開く近畿地区での意見交換会について事務局より説明が行われた。

  • 次回委員会は2月19日に開かれる。

以上

第264回放送と人権等権利に関する委員会

第264回 – 2018年12月

「芸能ニュースに対する申立て」事案の審理…など

議事の詳細

日時
2018年12月18日(火)午後4時~6時20分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、白波瀬委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「芸能ニュースに対する申立て」事案

対象の番組は、2017年12月29日に放送されたTBSテレビ『新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』。番組の中ほどで、「14位 俳優・細川茂樹
事務所と契約トラブル」とナレーションがあり、「昨年末、所属事務所から『パワハラ』を理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、『契約終了』という形で、表舞台から姿を消した。」と伝えた。
この放送について細川氏は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことをわざわざ強調して取り上げているが、東京地裁の仮処分決定で事務所側の主張に理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあったと言わざるを得ないと主張し、謝罪と名誉回復措置を求めて申し立てた。これに対してTBSテレビは、意図的に申立人を貶めた事実は全くないとする一方、放送に「言葉足らずであって、誤解を与えかねない部分があった」として、申立人におわびするとともに、ホームページあるいは放送を通じて視聴者に説明することを提案し、できる限りの対応をしようとしてきたとしている。
前回委員会でのヒアリング後の審理で結論の方向が固まり、起草委員会が開かれ「委員会決定」案が起草された。今月の委員会では、担当委員が決定案を説明して審理した。審理の結果を踏まえ、第2回起草委員会で決定案を修正し、次回1月の委員会に提案することになった。

2. その他

  • 事務局の山田瞳法律専門調査役(非常勤 弁護士)が今月限りで退任し、後任に當舎修弁護士が就任することになった。

  • 次回委員会は1月15日に開かれる。

以上

2018年11月7日

「命のビザ出生地特集に対する申立て」通知・公表の概要

[通知]
11月7日午後1時からBPO第1会議室において、奥武則委員長と、事案を担当した市川正司委員長代行と水野剛也委員が出席して、委員会決定を通知した。申立人の杉原まどか氏と平岡洋氏が代理人弁護士とともに出席し、被申立人のCBCテレビからは報道局長ら2人が出席した。
奥委員長が決定文に沿って説明し、結論について「名誉毀損にはあたらない、また放送倫理上の問題はない、しかし放送倫理に絡んで要望を少し述べている決定である。判断の枠組みにあるように、申立人は10本の放送全体として名誉毀損の成否を判断すべきとの主張だが、一般視聴者はすべてを連続して見ているわけではないので、個々の放送についてそれぞれ人権侵害と放送倫理上の問題を検討することにした。第1回の放送の申立人法人事務所の取材に関しては、放送倫理上の問題までは問えないが、申立人側から見れば悪印象を与えるものという受け止めには十分理由があるとする複数の意見があったことを付記した。第2回の放送の申立人に対する取材のあり方に関しては、インタビュー部分の放送は原則的に放送局の裁量の範囲なので、放送倫理上の問題を問うまではない。しかしCBCテレビは筆跡鑑定事務所の鑑定結果を得たあとに申立人にインタビューしたのであれば、疑問点を明らかにして、自筆かどうかを追及することが調査報道としては非常に重要なのだから、しっかり取材するべきであり、今後の取材・報道にあたって、この点を参考にすることを要望する」と述べた。
続いて、市川委員長代行が補足説明し、「2回目の放送は、CBCテレビが主張する通り、杉原千畝の出生地に関する疑問と、これを巡る八百津町の対応についての疑問を投げかけており、前者の疑問が生じる根拠の一つとして手記の問題が出てくるというのが全体の流れであり、申立人の関与について言及する表現はなく、社会的評価が下がることはない。鑑定事務所と杉原まどか氏の発言が対比的に扱われており、そうであれば鑑定結果を端的に聞くことが放送局の対応としては望ましかった」と述べた。
水野委員は「キャスターの表情、しぐさ、口調については、一般視聴者が番組全体を見た時に、申立人に対して、申立人が訴えているような印象を持つかというと、そうは言えないだろうと判断した」と述べた。
決定を受けた申立人は「第3回以降の放送に、自分たちの取り扱いがないことは認識している。ただ、7番目の放送(独自中継)は、短いけれども、八百津町が手記の申請を取り下げたということについて、何故そうしたかの経緯は色々あるのに、明らかに手記そのものに何か疑いがあって、町としては苦渋の判断をせざるを得なかったというようなことを、いきなり記者が緊急放送で流すようなやり方は、テレビ局の真摯な報道姿勢とずれていると思う」と述べた。
一方、CBCテレビは「地方自治体に対する問題提起という我々の取材の趣旨を汲んでもらえたのは非常にありがたく思う。ご指摘の要望等は真摯に受け止め、今後の取材及び番組制作の面で生かしていきたいと思う」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして、委員会決定を公表した。21社34人が取材した。テレビカメラの取材は、キー局代表としてのNHKと、当該局のCBCテレビが行った。
まず、奥委員長が判断部分を中心に、「要望あり」の見解となった決定を説明した。続いて、市川委員長代行と水野委員が補足的な説明をした。
その後の質疑応答の概要は、以下のとおりである。

(質問)
CBCテレビは、何故その鑑定結果を本人に直接当てなかったのかについて、説明はあったか?
(奥委員長)
CBCテレビとしては、出生地に対して戸籍を含めて疑問が生じていることに、八百津町がきちんと対応していないという番組の作りになっていて、申立人が自筆であると考えていることをあらためて議論するとか取り上げる対象とは考えなかった、と説明した。
委員会は、明らかに筆跡鑑定事務所で一定の見解が出ていて、取材した段階ではその情報があったわけだから、それを当てることによってより調査報道として優れたものになっただろうと考えた。

(質問)
「放送倫理上問題あり」の決定の際に「少数意見付記」というのが(過去に)あるが、今回の事務所の取り上げ方の中での「付記する」という言葉使いは、それとは別物か?
(奥委員長)
少数意見として別だてするまでもなく、こういう形で付記すれば良かろうと、そういう主張をしている委員の判断があって、そのようになった。

(質問)
CBCテレビは「49枚の手記」がユネスコに提出されていることを、まどかさんたちの取材を通じて初めて知ったという体で、そのあと鑑定所に行く作りになっているが、そもそも「49枚の手記」をどういう方法で入手したのか?また、それと「手記の下書き」は、誰が管理しているのか?そして申立人も含めて、「手記の下書き」は清書の下書きであるという共通認識はあるのか?
(市川委員長代行)
CBCテレビは「49枚の手記」を事前に持っていたと聞いている。また「原稿段階のメモ書き」は、写しの存在しか分かってなく、原本の保管者については把握していないが、それが清書の下書きであるというのは共通認識として持っている。

(質問)
念のために確認するが、要望として、筆跡鑑定のことを聞くべきだったとあるが、それは放送に映っていないだけではなく、実際にも取材時に「ご本人の文字じゃないのではないか」という質問を申立人に聞いていないということか?
(奥委員長)
CBC側は、筆跡鑑定所で自筆ではない可能性が高いという鑑定結果を得ている訳だが、それについてインタビューの段階で申立人側には聞いていない。

(質問)
理事長と、副理事長のお二人と、NPO法人という四つの肩書が出てくるが、これは申し立て時も現在も変わっていないか?
(市川委員長代行)
今現在は、変わったという話は聞いていない。

以上

第263回放送と人権等権利に関する委員会

第263回 – 2018年11月

「芸能ニュースに対する申立て」事案のヒアリングと審理など

議事の詳細

日時
2018年11月20日(火)午後3時~8時5分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、白波瀬委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「芸能ニュースに対する申立て」事案

対象の番組は、2017年12月29日に放送されたTBSテレビ『新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』。番組の中ほどで、「14位 俳優・細川茂樹 事務所と契約トラブル」とナレーションがあり、「昨年末、所属事務所から『パワハラ』を理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、『契約終了』という形で、表舞台から姿を消した。」と伝えた。
この放送について細川氏は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことをわざわざ強調して取り上げているが、東京地裁の仮処分決定で事務所側の主張に理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあったと言わざるを得ないと主張し、謝罪と名誉回復措置を求めて申し立てた。これに対してTBSテレビは、意図的に申立人を貶めた事実は全くないとする一方、放送に「言葉足らずであって、誤解を与えかねない部分があった」として、申立人におわびするとともに、ホームページあるいは放送を通じて視聴者に説明することを提案し、できる限りの対応をしようとしてきたとしている。
今月の委員会では、申立人とTBSテレビにヒアリングを実施した。
申立人側は細川茂樹氏本人と代理人弁護士2人が出席し、「この問題を取り上げたいくつかの局のワイドショーは、正しい裏付け取材もせずに契約解除の理由をでっち上げた内容を放送したため、謝罪コメントを番組ホームページに出してもらったが、本件放送はある局の謝罪コメントが出された10日後に放送された。TBSテレビは裏付け取材をしておきながら、申立人が契約書の条項にしたがって契約期間満了を理由に契約関係を終了したのに、裁判所で否定された前事務所側の契約解除通知を事実と称して報道した。この悪質性に鑑み、他局が行った謝罪レベルのコメントでなく、どうしてあの時期に、あのような放送を行ったのか、踏み込んだ謝罪と反省を求めたが、為されなかった。話し合いや書面でも、故意、意図的な放送ではないとする客観的証拠は示されなかった。放送の影響による被害はインターネットでまだ拡散しており、申立人の社会的地位を奪い、裁判所決定を否定した放送の責任は重い」等と述べた。
TBSテレビからは番組の責任者ら3人が出席し、「申立人の件は年末時点では視聴者の関心も薄れていると予想したが、2017年は他のタレントのトラブルも話題になっていたので、申立人の件を導入部として『タレントと事務所とのトラブル』という括りで伝えることにした。導入部という限られた時間の中で『細川さんは事務所側からパワハラを理由に契約解除を突き付けられ、これを認めずにトラブルになったけれども、別の形で契約終了の道を選び、芸能界の一線から退くことになった』ということを、どう分かりやすく伝えるか腐心した。放送時点では表現に問題はないと考えたが、申立てを受けて再検討すると、『細川さんが事務所の主張を認めていない』という点が明確でなく、視聴者の誤解を招きかねない表現だったと反省し、申立人に大変なご心痛をおかけしたことは本当に申し訳ないと思っている。ただ、『判断ガイド2018』に記載されているような『誰の目にも明らかな権利侵害』に当たるとは考えていない」等と述べた。

ヒアリング終了後、本件事案の論点を踏まえて審理を続け、その結果、担当委員が決定文の起草に入ることになった。

2.「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案 決定の通知・公表の報告

本件事案の委員会決定(見解:要望あり)の通知・公表が11月7日に行われた。事務局がその概要を報告し、当該局のCBCテレビが放送した決定を伝えるニュース番組の同録DVDを視聴した。

3. その他

  • 次回委員会は12月18日に開かれる。

以上

2018年9月27日

新潟で県単位意見交換会

放送人権委員会の県単位意見交換会が9月27日に新潟市で行われ、放送人権委員会から奥武則委員長、曽我部真裕委員長代行、廣田智子委員が、新潟県内の民放6局とNHK新潟放送局から34名が参加して、2時間にわたって行われた。
意見交換会では、まず奥武則委員長から「放送の現場の方々の意見を直接聞いて、有意義な意見交換を行いたい」と挨拶した上で、「事件報道と人権」と題して講演し、それを基に参加者と意見を交わした。
後半では、5月に新潟で起きた「女児殺害事件」をめぐる人権上の課題や取材上の問題などについて取り上げた。事件の状況が、まだ完全には収束しておらず、取材、報道が続いていることなどに配慮し、委員長の判断で放送局側の具体的な発言は公表しないこととした。参加者からは、率直な意見や報告がなされ、活発な意見交換となった。
概要は、以下のとおり。

◆ 奥委員長

「事件報道と人権」ということを考えてみたいのですが、報道の現場、放送局のレベルで考えれば、この人権というのは、具体的には、名誉毀損、あるいはプライバシー侵害、肖像権の侵害ということになろうかと思います。
私は、事件報道は人を傷つけるといつも言っているのですけれども、衛生無害な事件報道はあり得ない。たとえば、あるストーカー事件を考えてみると、Aさんがストーカー行為して捕まった。これが新聞・テレビで報道されると、もちろん、加害者のAさんは、社会的評価を著しく落とします。被害者も、どこか隙があったのではないかとか、そういう形で言われかねない。家族も、ひどいお父さんだと世間から指弾される。いろんな人を傷つける面を事件報道は持っています。
では、こうした人権を考えたら、メディアはこの事件を報道するべきではないのか、しなければ人権侵害は起きない。でも、そう言うわけにはいかない。人権という重い重い問題がある一方で、公共性とか公益性、真実性、真実相当性ということを踏まえて報道する。そこに報道の自由というものがある。つまり、報道の自由と人権をはかりにかけて、どっちが重いかという話になるわけです。
そうした中で、報道の自由というのは、非常に重要な民主主義社会を守る基本的な自由として認められているわけです。「難問としての事件報道」というのは、そんな簡単に答えはないという話なんですね。我々、いつも、人権委員会でいろんな議論をしますが、何か1+1=2というふうな答えは出て来ない。
さて、「事件報道に対する地方公務員からの申し立て」は、2つ事案があって、決定文の内容は微妙に違うところはありますが、基本的な構造は一緒です。地方公務員が準強制わいせつ容疑で逮捕されたというニュース報道で、申立人は事実と異なる内容で、容疑内容にないことまで容疑を認めているような印象を与え、人権侵害を受けた。さらにフェイスブックの写真を無断で使用され、権利を侵害されたという形で申し立ててきました。
決定は、放送倫理上問題ありという結論になりました。少数意見がついている決定です。どうして放送倫理上問題ありになったのか、決定の一番の骨の部分は、警察の逮捕容疑は、意識を失い、抗拒不能の状態にある女性の裸の写真を撮った。これが容疑事実で、これで逮捕した。抗拒不能というのは、要するに、抗うことが出来ない状態のことです。申立人が認めたのも、この点だけだったと。
ところがニュースは、警察の広報担当者の明確とは言い難い説明に依拠して、直接の逮捕容疑となっていない事実についてまで、真実であるとの印象を与え、申立人の名誉への配慮が充分でなく、正確性に疑いのある放送を行う結果となったということで、放送倫理上問題があるという決定になったわけです。
次に、浜名湖切断遺体事件報道、朝から夕方のニュースまで、くり返し行われて、だんだん詳しくなっていく。これは連続殺人で2つの殺人を犯したとして逮捕され、裁判が行われて、死刑判決が出たという事件です。
放送内容は、静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった事件で、捜査本部は関係先の捜索を進めて、複数の車両を押収し、事件との関連を調べていますというものです。これが放送の一番根幹部分だと思います。申立人は、殺人事件に関わったかのように伝えながら、許可なく私の自宅前である私道で撮影した。捜査員が自宅に入る姿や、窓や干してあったプライバシーである布団一式を放送し、名誉や信頼を傷つけられたと申し立ててきたわけです。これに対して委員会の決定は、申立人の人権侵害、名誉毀損、プライバシー侵害はないというもので、放送倫理上の観点からも、問題があるとまでは判断しなかった。
どうしてこういう決定になったかと言うと、まず、プライバシー侵害ですが、本件放送の場合、実際問題として、申立人宅の映像は直ちに申立人宅を特定するものではない。放送では、ロングの映像を使い、表札もぼかしを入れたりしている。ベランダに干した布団とか枕は、映り込んだのであって、プライバシーとも言い難いということで、プライバシー侵害にはあたらないと結論が出ました。
そして、真実性相当性の検討です。公共性があって公益性があるニュース報道だとしても、それに真実性があるか、あるいは真実と考えた相当の理由があるかどうかということが、名誉毀損の場合、常に問題になるわけです。この申立人宅における当日の捜査活動が、浜名湖遺体切断事件の捜査の一環として行われ、申立人が容疑者から譲渡された軽自動車が押収された、こういうニュースの根幹部分は、確かに真実性が認められると判断できると思います。
問題は、「関係者」「関係先を捜索」という表現が、この真実性を失わせるかどうかということでした。このニュースが出たプロセスを考えてみると、テレビ静岡は当日の捜査活動の全体像を知っていたわけではない。リークされた情報があり、捜査本部がある警察署から出て行った捜査車両を追尾していったら、車の押収とか、一見家宅捜索らしいことが行われていたわけです。
そういう時に、「関係者」とか「関係先の捜索」という表現は適切かどうかということです。どういう言葉を使うべきか、これから報道現場で考える必要があるかもしれませんが、ニュースにおける一般的な用法として逸脱とは言えないと判断して、申立人に対する名誉毀損は成立しない、との結論になりました。
この申立人宅の映像は特ダネ映像として撮ったということだったのでしょう、最初のニュースから使っていて、午後4時台と6時台のニュースでは、2階の窓の映像も加えている。全体像が分かっていなかったということと、その場の状況を見て、申立人宅でも捜索が行われていたと考えたことには、相当性が認められると判断したわけです。
しかし、この決定には要望もついています。時間の推移と共に、申立人宅の捜索活動は、車の押収が中心だった。別のところでも捜索していて、そこの容疑者の家でも車を押収している。そういうことが分かってきていた中で、申立人宅の映像の使用は、より抑制的であるべきではなかったかということを要望しています。
最初に言いましたが、事件報道はいろんな人を傷つけてしまう。ちょっと変な言い方ですが、私は事件報道には「原罪」があるというふうに考えています。どうしたらいいのか、事件報道というのは、もちろん市民にも成熟してもらわなければ困るんですけれども、やはり送り手の方が一番問題で、熟練した職業人としての腕と情熱、そして品性を持つジャーナリスト、この存在が一番キーだろうと、私は思っています。
事件報道が、どうしても逸脱してしまうのは、犯罪についての報道なわけで、犯罪捜査をしているのは警察ですから、ニュースソースの大半は警察なわけで、警察が間違うと、報道も間違った方向に行ってしまう。松本サリン事件という第一発見者が犯人扱いにされる、ひどい事件がありました。その時、言われたことは、警察報道だけでなくて、警察情報を相対化して、情報を多角化しなければいけない。弁護士を通じて、逮捕された人の声も聞くことも出来る、そういうことをやらなければいけないと。
一方で、すごく難問なのが特ダネ至上主義です。特ダネというのは、すごく重要だと思っていますが、特ダネ至上主義からの脱却というのを、どこかでしないと。横並び意識の排除、向こうもやるから、こっちもやらなきゃという、そういうところからフライングの誤ったニュースが出ちゃうということがあります。松本サリン事件のケースを詳しく調べてみると、やはりこういうことがすごくあるんですね。
私は、道理の優先というのをいつも言っています。道理というのは、物事の正しい筋道ということだと思います。ちょっとおかしいよと思う感覚。筋が通っているかどうか。そういうことについて報道をする人間一人一人が自分の意識の中に持たなければいけないのではないかと思っています。
さて、メディアスクラムですが、報道被害が改めて大きな問題になったのは、1988年に和歌山で起きた毒物カレー事件です。本当に小さな集落に全国から大取材陣が来て、この地区に住んでいる人たちは、日常的な生活が出来なくなりました。重要なことは、1人1人、個々の新聞社なり、報道記者なりが行う行動であれば、必ずしもそれは報道被害を起こさないのだけれども、それが集団になると、過熱して報道被害を生むということです。
この問題は、また後で議論したいと思いますが、集団的過熱取材、報道被害の問題の根底には、やはり、何をどこまで取材して、何を伝えるかという問題があって、単に横並び意識というだけでなく、取材する側は一生懸命頑張って、いろんなことを伝えようとするわけで、それを、どこで留めるかという、そこが実は難問中の難問だろうと思います。

◆ 曽我部代行

放送人権委員会の決定は、委員会の決定とは別に、少数意見、その委員個人の個別の意見を書くことができる仕組みになっています。あくまで、委員個人の意見で、決定と同列に並べることはできませんが、何か考える素材にしてもらえると思っています。「事件報道に対する地方公務からの申立て」事案の決定には3名の少数意見が付いていました。
実際には、認めているのは、写真を撮ったということで、連れ込んだ、脱がせたというのは、あくまで警察の見立てであって、何か客観的な裏付けがあるのかないのか、はっきりしないという状況であったということです。しかし、放送では、それらが客観的な裏付けがあるかのような放送であった。認めているのも、全部認めている印象を与える放送になっていたということで、行き過ぎがあったという決定だったわけです。要するに、そういう厳密な区別を、ちゃんとすべきじゃないかというのが、多数意見だったわけです。
しかし、放送の事件取材の実情からすれば、それはちょっと過剰な要求であって、奥代行(当時)の少数意見は、当時の新聞も同じような報道をしていて、逮捕事実と警察の見立ては、特段区別されていない。そういうものが一般的な取材の方法なのであるから、放送倫理上、それをもって問題があるということはないのではないかという意見でした。
私も同じように思うわけですが、そうは言っても、全く何の問題もないと終わらせてしまっていいのかというと、そこには引っ掛かるものがある。この事案は、要するに20代の区役所の窓口で住民票を発行しているような人なわけです。公務員だからというので、あのように大々的に報道されましたが、公務員といっても、窓口の人なんですね。しかも職務と全然関係ないプライベートでの犯罪なわけで、それを、公務員だからということで、ああいうふうに取り上げることが、本当にどうなのか。一部の局は、自宅マンション前で中継しているとか、そういったことが本当に必要なことなのだろうか、あるべき事件報道という観点からして、望ましいことなのかとか、そういったことを考えるきっかけにしていただきたいと思って付記したというわけです。
もう一つの少数意見は、限られた時間の中で、逮捕された本人に取材することもできない中では、放送倫理上の問題ありということはできないだろうというような意見です。

◆ 【委員会決定について】

●参加者
地方公務員の事案について、私も、この原稿の書き方には、容疑と、それと付随した推測を、もう少しきちっと分けたほうがいいと思いますが、ただ、この決定について思うのは、取材の理想を記していただくのは非常にありがたいのですが、やはり、理想をもってこの倫理上問題ありという結論を出されると、はっきり言って、事件記者に、かなり萎縮効果というのが出てくると思います。
また、決定の中ではないが、裸の写真を撮られることがどうとか、あの程度の事案で中継等々といった、ニュース価値の判断に踏み込んだ発言を知り、『東京視線だな』と思いました。やはり、地方と東京とでは、ニュース価値は違いますし、会社、個人、テレビと新聞でもニュース価値は違います。そういう様々なニュース価値で大きくなったり、その日の事案によって小さくなったりすることはあるので、その辺もぜひ勘案していただければと思います。

●奥委員長
おっしゃることはよくわかる。熊本市では、公務員の犯罪が続いていたことなど、いくつかの要因で、ああいう扱いになったのだと私も思います。ただ、やはり、顔写真が何度も出てきたり、住んでいたマンションとかが出てきたりして、どこかで踏みとどまる可能性はあったのだろうという考え方もあるわけです。
事件報道で言うと、ずいぶん難しくなってきました。しかし、難しくなってきた中で、やはり取材する側が、いろいろ知恵を働かせてやることしかないのだろうと思っています。

●曽我部代行
事件報道のあり方は、時代によって相当変わってきている。今の現実のあり方がずっと永久不変なわけではなくて、常によりよいものに向けて考えていく、そういうくり返しで変化してきたところがある。そういう、これからの発展に向けて、1つの外野からの意見だと受け止めてもらいたい。

●廣田委員
私は、この審理のときにはおりませんでした。ただ、1つの事案で3つも少数意見が付いていて、少数意見を書いた委員に弁護士がいないことに関して、ああ、弁護士的発想だと多数意見の方になるだろうなと思いました。なぜなら、弁護士が裁判をする時に、法規範というのがあって、今、現にこうだから、それでいいというだけではなくて、そこに望まれるものも、その規範の中にあって、その望まれるレベルというのも問題になるわけです。裁判だと、求められるものというのをいつも思い描いてやって行くので、何かそういう違いがあったのかなあと感じました。自分としては、今の議論も非常に参考になりました。(今後)弁護士としての目だけではなく、いろんな角度から考えたいと思いました。

●参加者
若い頃から事件の取材をしてきて、これで放送倫理上問題ありとされると、本当に現場の記者が委縮してしまうことが心配です。警察の発表した事案に基づいて、疑いありという逮捕容疑を伝えるとともに、現場では、その拠り所となるさまざまな情報を取りに行くわけです。今回の場合は、それが混同したところが問題かと思いますが、これが倫理上問題ありとされたことによって、記者のその取材して行く姿勢というか、そこが萎縮してしまうことが心配だという現場の率直な感想です。

●参加者
報道部でデスクをしています。この感じの事件の内容で、顔写真をフェイスブックから取り報道引用で使うとか、自宅前で中継をするとか、そういうことをするかと言われると、ちょっと疑問点はあります。ただ、この原稿の書き方は、その容疑事実と、それから警察取材に基づく内容を報じているという意味において、そんなに問題がある放送内容なのかなと思います。
映像(自宅)は、現場という意味合いで、そこを撮ったのかなと思うし、映像にモザイクをかけて一定の配慮をしようとしている様子も見られます。それに、写真を使う、使わないは、その社のニュースに対する判断に基づいて決まってくるのではないでしょうか。

●奥委員長
委員会の中でも、ニュースの書き方の問題について議論がありました。この時に、警察広報は、抗拒不能の状態の女性の裸の写真を撮ったという容疑事実だけでした。本人は、それは認めていた。だから容疑事実と、そうではない副署長の説明というのを、はっきりとわかるような書き方をしたらよかったのではないかという意見がありました。私も、そうしたほうがよかったし、そうすると、あるいは放送倫理上問題ありというところまで行かなかったのかもしれません。そういう意見があったということを紹介させていただきます。
放送ニュースの原稿というのは、新聞記事と違ってなかなか書きにくいんです。最初にサマリーをパッと言って、それでという話になるから。ですが、そういう点についてもやはり、これから現場でいろいろ工夫して行くことが必要なのだろうと思います。

●曽我部代行
今回、フェイスブックから被疑者の写真を使っています。著作権法上は、報道引用で正当な利用ということにはなっていますけど。著作権とは別に、固有の問題があるだろうと、今後、ご注意いただきたいということも決定に書いています。
フェイスブックの写真というのは、単独で写真だけ存在するわけではなくて、本人のさまざまな日常的な書き込み、そして友人関係というのも全部紐付いて、アカウントにあるわけです。そこに、「フェイスブックより」と表示することは、著作権法上必要な引用元の出典の表示なわけですが、それを観た視聴者は、フェイスブックを見に行って、いろんな日常的な書き込みとか、友人関係とか、芋づる式に知ってしまうことになり、必要以上にプライバシーが拡散してしまうリスクが同時にあるということです。ルール上使ってはいけないということではないですが、そういう特殊性があることを留意する必要があるということを付言しています。

***

●司会
ここからは、地元に即した事案ということで、5月に新潟で起きた、痛ましい女児殺害事件報道をめぐる人権上の課題や、取材上の問題について意見交換をして行きたいと思います。この問題には、BPOにも全国から大変多くの視聴者意見が届きました。
きょうは、参加者の具体的な発言は非公表とします。まず、委員に伺います。

●曽我部代行
新聞通信調査会が、毎年メディアに関する全国世論調査という、NHK、新聞、民放テレビ、インターネット、雑誌に区分してメディアの信頼度について聞いています。10年ぐらい前は、民放テレビは、65パーセントぐらいが信頼していて、それが、直近だと59.2パーセント、少しずつ下がる傾向にあります。NHKは7割ぐらいです。
今回の視聴者意見でいろいろ書かれていることは、この信頼度ということに非常に関わると思います。この視聴者意見を寄せた方々におけるメディアの信頼度というのは、著しく下がっていると思います。今では、インターネットで、事件現場等での取材者の振る舞いが、あっという間に知れ渡り、それがメディアの信頼度に及ぼす影響は非常に大きいと思います。その意味で、テレビ界全体として重く受け止める必要があると思います。
このメディアスクラムの問題は、非常に難しくて、1社1社が節度を持ってやっていても、皆が一遍に来るとメディアスクラムだと言われてしまう。1社では防ぎようがない問題で、テレビ界だけでなく、新聞、週刊誌も含めた報道界全体として取り組みが必要ではないかと思います。
メディアスクラムの防止については、民放連、新聞協会、いろいろ取り決め等はありますが、こういうものは、常にメンテナンスしないと、ただの取り決めになってしまう。ですので、常にいろいろな形で、たとえばある事案が起きた時に、ちゃんと皆さんで振り返りを行うとか、メディアスクラムを防止する仕組みというものをメンテナンスして行く。
それから、事案が何かあったとして、その反省を踏まえてよりよくして行くためにはどうしたらいいのかということを、折りに触れて考えていくことだと思います。全メディアを通じて行うべき取り組みだと思いますが、地元局の皆さん方としては、その地元単位でそういう取り組みをしていただくというのが、まずはできることではないかと思います。

●廣田委員
私からは、弁護士会の議論を紹介したいと思います。今、弁護士会で報道に関して問題になるのは、圧倒的に被害者報道です。これは、相模原の事件、座間の事件とあって、単刀直入に言えば、匿名か、実名かということで、弁護士間でも非常に意見が分かれます。
報道の方たちは、被害者を実名で報道することについて、いろんな根拠を話してくれます。凄惨な犯罪によって、1人の生身の人間がこの世からいなくなったことをきちんと知らせる。実名で報道することで、制度が変わったり、いろんな犯罪の防止にも繋がるとか、共感を得るためとかお聞きしますが、BPOに寄せられた視聴者意見を見てみると、視聴者にはそのようには伝わっていない。報道の方が言う、実名で報道する意味というのが、今、視聴者、国民に届きにくくなっているのかなと思ったのです。ただ、視聴者意見の中には、見たくないとかありますが、見たいものだけを見ていればいいわけではないし、喜ばれるものだけを放送すればいいというものでは絶対なくて、目を背けたいものでも見てもらわなければいけないし、見てもらおうと思って放送されているのだと思います。
では、どういうふうにすればいいのか。弁護士会で話した時に出てきたことが2つあります。1つは、実名にする時期です。事件の中身がまだよくわからないような状態から、座間事件で言えば、性的被害や、自殺願望があったとか、なかったとか、わからないような状態の時に実名にする意味があるのか。少しの時間を置いて、取材をして、その結果として実名で報道してもいいのではないかという点。もう1つは、なぜ実名なのかを説明できないか。座間事件では、新聞社の中で、実名にした理由、考え、至った経緯、悩みのようなことを紙面で書いた新聞があり、そのように、なぜ実名で報道するのかを説明することはできないかというのが、弁護士会の議論で出ています。
プライバシー侵害となることを防ぐためにも、その映像は何のために撮るのか、何のために実名にするのかを考えていただき、できれば説明していただけたら、視聴者や国民も、「ああ、そうなんだ」というふうになるのかなと思います。報道の現場とは全然違う弁護士会での議論ですが、そのような議論がされています。
弁護士会での話をご紹介しましたが、BPOでの個別の、例えば、実名・匿名が問題になったような事案が来た時には、その放送の中でどうかということであって、弁護士会がどうだからということではありません。それに、私自身の意見が、弁護士会の意見と同じというわけでもないので、誤解がないようにお伝えします。

***

こうした委員からの意見を受けて、各局参加者から発言があった。
メディアスクラムについては、極めて狭い地域の中に多くの取材要素が集まっていたこと、東京キー局から局ごとではなく番組ごとに取材が押しかけたこと、IT時代の今、中継車がなくても中継が簡便にできる状況にあることなど、それらが原因の一端にあったのではないかといった報告や、今後も技術革新によってメディアスクラムのようなことが誘発される危険性があるとの指摘もあった。また、関係各方面への取材のあり方については、地元局として自制的な行動をとろうという判断があった一方で、他局との競争、系列局との関係など、困難な対応に直面したといった現場の苦労も示された。そして、実名・匿名扱いを巡る問題では、早い段階から問題意識を持っていたが、その時点で警察広報に判断の根拠となる情報が示されなかったことなど、判断する上での苦悩が語られた。そして会場からは、「よく言われるような、思考停止状態であったようなことは決してなかった」などと、現場の記者が疲弊する中、葛藤しながら取材し、報道をしていた状況を振り返る発言が続いた。
こうした参加者との意見交換を受けて、最後に奥委員長が次のように締めくくった。
「今日、話を聞いていて、匿名・実名にしても、被害者遺族の取材についても、1人1人の取材記者、デスク、そういう方々が非常に悩まれて、悩んだ末に1つの結論を出している。そういう状況がよくわかって、ある意味で、変な言い方ですが、心強く思いました。
この問題、私は、いつも難問だとか、事件報道の原罪だとかと言うのですが、どこかに正しい答があるわけではない。日々起こる事件というのは、1つ1つケースが違うわけで、今回のケースで言えば、非常に特異な事件ではあったわけです。そういう時に、どういう報道が正しいか、正解はないと思います。悩まれて匿名にしたり、実名にしたりするという、そういう作業を積み重ねていくことによって、どうにか、何となく、上手くなるんだろうと思います。これからも、現場にいる方、デスクの方、悩んでいくことになると思いますが、そこは、ある意味で、こういう仕事を選んだ誇りを持って悩んでいただきたいというふうに思います。
今日は、皆さんに現場からの率直な意見を聞かせていただいて、我々3人も大変勉強になりました。お忙しいところ遅くまで、どうも本当にありがとうございました。」

以上

2018年度 第68号

「命のビザ出生地特集に対する申立て」に関する委員会決定

2018年11月7日 放送局:CBCテレビ

見解:要望あり
CBCテレビは、2016年7月12日から翌2017年6月16日にかけて報道番組『イッポウ』で10回にわたって、外交官・杉原千畝の出生地をめぐる特集等を放送した。岐阜県八百津町が千畝の手記等をユネスコ世界記憶遺産に登録申請したが、「八百津町で出生」という通説が揺らいでいるとして、千畝の戸籍謄本についての検証や、千畝の出生地が記された手記は、千畝の自筆ではない可能性が高いとする筆跡鑑定の結果等を放送した。
この放送について、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」とその理事長らが、「手記は偽造文書であるとの印象を一般視聴者に与え、さらに申立人らがそれの偽造者であるとの事実を摘示するもので、社会的評価を低下させる」と名誉毀損を訴えた。
委員会は、審理の結果、本件の各放送は名誉毀損にあたらず、放送倫理上の問題もないと判断した。ただし、手記が杉原千畝の自筆によるものであるかどうかについて、筆跡鑑定事務所の意見などの具体的な疑問が存在し、鑑定事務所の意見と申立人とのコメントを対比的に放送するのであれば、申立人に対して、端的にこれらの疑問点を伝えて、申立人の反論や説明を聞くことが望ましく、委員会はCBCテレビに対し、今後の取材・報道にあたって、この点を参考にすることを要望した。

【決定の概要】

本件は、CBCテレビが、2016年7月12日から翌2017年6月16日にかけて報道番組『イッポウ』で放送した計10本の放送を申立ての対象とする事案である。第1回及び第2回の放送では、岐阜県八百津町やおつちょうが、杉原千畝ちうね
の出生地が同町であるということを前提に千畝の手記などをユネスコの世界記憶遺産に登録申請していること、一方で、戸籍謄本の記載などからすると、千畝の出生地は八百津町ではなく岐阜県武儀郡むぎぐん
上有知町こうずちちょう
(現在の美濃市)ではないかという疑問があることなどを示し、この疑問を残したままに八百津町が世界記憶遺産の申請をしていることに疑問を投げかけている。
また、杉原千畝の出生地に関する疑問が生じる理由の一つとして、世界記憶遺産の申請対象である千畝の手記の、原稿段階のメモ書きの中の出生地の記載が「武儀郡上有知町」から「加茂郡八百津町」に手書きで訂正されており、その訂正部分は千畝の筆跡とは異なると思われ、清書された手記ともう一つの手記についても、千畝の自筆ではない可能性が高いことを筆跡鑑定事務所の見解として伝えている。
申立人は、世界記憶遺産の申請対象である杉原千畝の二つの手記の原本を保管しているNPO法人とその理事長1名、副理事長2名で、10本の放送全体を通じて、副理事長2名が千畝の手記を偽造したこと、NPO法人や副理事長2名がこれら偽造文書をユネスコに提出したこと、NPO法人と理事長がこれら偽造文書を保管し、真正なものであると主張していることなどの内容が放送され、名誉を毀損されたとして、委員会に申し立てた。
委員会は、申立てを受けて審理し、本件の各放送は名誉毀損にあたらず、放送倫理上の問題もないと判断した。ただし、後述の通り要望をすることにした。決定の概要は以下の通りである。
委員会は、各放送が間隔を置いて不定期に放送されたものであることから、個々の放送ごとに名誉毀損の有無等を判断する。
第1回の放送では、NPO法人が「手記の原本」の管理者として紹介され、記者がホームページにある事務所の住所を訪ねたが事務所はなく、その後NPO法人は、いま事務所は移転中だと答えた、という内容が放送される。
放送は、原稿段階のメモ書きの、出生地を訂正した部分が杉原千畝の自筆ではないのではないかという疑いを示すものの、NPO法人が「手記の原本」を「管理している」ということ以上に、NPO法人やその理事が「手記」の作成に関与したとか、世界記憶遺産の申請対象として「手記」を提出したという事実は示していないから、放送は申立人の社会的評価を低下させず、名誉を毀損しない。
第2回の放送では、記者が、副理事長2名に、原稿段階のメモ書きと世界記憶遺産に申請した二つの手記の関係などを確認したのち、杉原千畝の出生地を八百津町であると考える根拠についてインタビューする場面が放送され、場面が変わって、筆跡鑑定事務所で、二つの手記が千畝の自筆でない可能性が高いとする鑑定人の意見が放送される。その後、副理事長らのインタビュー場面に戻り、「49枚の祖父が一生懸命晩年に書いたものですから」と語る、千畝の孫でもある副理事長のコメントなどが放送される。
放送の中には、NPO法人が世界記憶遺産の申請に協力していること、二つの手記をNPO法人が保管していることの他には、申立人とこれらの手記との関係を放送している部分はない。放送全体の流れからしても、放送は、杉原千畝の出生地に関する疑問とこれをめぐる八百津町の対応を問うものと視聴者には受けとめられ、手記の作成や使用に関する申立人の関与のあり方に対して、視聴者の関心が向くような流れにはなっていない。
したがって、第2回の放送は申立人の社会的評価を低下させるものではなく、名誉毀損とはならない。
第3回以降の放送は、各手記と申立人との関係について触れるものはなく、いずれも申立人に対する名誉毀損はない。
また、本件放送に放送倫理上の問題があるとは言えない。
ただし、二つの手記が杉原千畝の自筆によるものであるかどうかについて、筆跡鑑定事務所の意見などの具体的な疑問が存在し、鑑定事務所の意見と申立人のコメントを対比的に放送するのであれば、申立人に対して、端的にこれらの疑問点を伝えて、申立人の反論や説明を聞くことが望ましく、委員会は、今後の取材・報道にあたって、この点を参考にすることを要望する。

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2018年11月7日 第68号委員会決定

放送と人権等権利に関する委員会決定 第68号

申立人
特定非営利活動法人「杉原千畝命のビザ」(理事長 杉原 千弘)
杉原 千弘、杉原 まどか、平岡 洋
被申立人
株式会社CBCテレビ
苦情の対象となった番組
『イッポウ』(月~金曜 午後4時50分~7時)内 特集等
放送日時
  • (1) 2016年7月12日 第1回特集(14分1秒)
    • 「"日本のシンドラー"のルーツ~杉原千畝の出生地は?」
  • (2) 2016年8月8日 第2回特集(18分23秒)
    • 千畝はどこで生まれたの?千畝の手記の筆跡が違う?」
  • (3) 2016年9月29日 第3回特集(13分59秒)
    • 「八百津町議会に入れないCBCのカメラ」
  • (4) 2016年11月4日 第4回特集(12分8秒)
    • 「岐阜県の内部資料を独占入手。書かれていた驚きの内容とは」
  • (5) 2017年1月23日 第5回特集(13分44秒)
    • 「ユネスコ本部にCBCのカメラが入った」
  • (6) 2017年2月7日 第6回特集(13分39秒)
    • 「八百津町議会がCBC記者に意見を求める」
  • (7) 2017年2月21日 独自中継(2分7秒)
    • 「八百津町が手記2点の申請を取り下げ」
  • (8) 2017年2月22日 ショート企画(3分3秒)
    • 「八百津町がユネスコ申請書から『出生地、出身地』表記を削除」
  • (9) 2017年3月31日 第7回特集(9分14秒)
    • 「八百津町のよりどころ、千畝紹介本に複数の誤り」
  • (10) 2017年6月16日 ショート企画(6分6秒)
    • 「ついに議員からも『おかしい!』」

【本決定の構成】

I.事案の内容と経緯

  • 1.放送の概要と申立ての経緯
  • 2.論点

II.委員会の判断

  • 1.委員会の判断の枠組み
  • 2.名誉毀損について
    • (1) 第1回の放送
    • (2) 第2回の放送
    • (3) 第3回以降の放送
  • 3. 放送倫理上の問題について
    • (1) 申立人法人事務所の取り上げ方
    • (2) 申立人に対する取材のあり方

III.結論

IV.放送概要

V.申立人の主張と被申立人の答弁

VI.申立ての経緯および審理経過

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2018年11月7日 決定の通知と公表の記者会見

通知は、2018年11月7日午後1時からBPO第1会議室で行われ、午後2時から千代田放送会館2階ホールで公表の記者会見が行われた。
詳細はこちら。

第262回放送と人権等権利に関する委員会

第262回 – 2018年10月

「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案の審理…など

議事の詳細

日時
2018年10月16日(火)午後4時~7時50分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案

対象となったのは、外交官・杉原千畝の出生地をめぐって、CBCテレビが2016年7月から翌年6月までに報道番組『イッポウ』で10回にわたり放送した特集等。岐阜県八百津町は千畝の手記などをユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請したが、番組では「八百津町で出生」という通説が揺らいでいるとして、千畝の戸籍謄本についての検証や千畝の出生地が記された手記の筆跡鑑定の結果等を放送した。
この放送について、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」とその理事長らが「手記は偽造文書であるとの印象を一般の視聴者に与え、さらに申立人らがそれの偽造者であるとの事実を摘示するもので、社会的評価を低下させる」と名誉毀損を訴え申し立てた。これに対しCBCテレビは、「一連の報道は、出生地の疑問やその根拠を再検証したもので、手記が真正か偽造されたものかという判断には踏み込んでいないし、申立人らが偽造したという印象を一般の視聴者が抱くとは思えない」と主張している。
前回の委員会後に開かれた第3回起草委員会で修正された「委員会決定」案が今月の委員会に提案され、了承された。その結果、来月上旬に「委員会決定」を通知・公表することになった。

2.「芸能ニュースに対する申立て」事案

対象の番組は、2017年12月29日に放送されたTBSテレビ『新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』。
番組の中ほどで「14位 俳優・細川茂樹 事務所と契約トラブル」とナレーションがあり、「昨年末、所属事務所から『パワハラ』を理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、『契約終了』という形で、表舞台から姿を消した。」と伝えた。
この放送について細川氏は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことをわざわざ強調して取り上げているが、東京地裁の仮処分決定で事務所側の主張に理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあったと言わざるを得ないと主張し、謝罪と名誉回復措置を求めて申し立てた。これに対してTBSテレビは、意図的に申立人を貶めた事実は全くないとする一方、放送に「言葉足らずであって、誤解を与えかねない部分があった」として、申立人におわびするとともに、ホームページあるいは放送を通じて視聴者に説明することを提案し、出来る限りの対応をしようとしてきたとしている。
委員会ではヒアリングに向けて起草担当委員が作成した論点と質問項目の案について検討した。次回11月の委員会で、申立人、被申立人双方にヒアリングを実施することを決めた。

3. 審理要請案件「夫婦間トラブル報道に対する申立て」~ 審理せず

2017年8月28日に放送された朝の情報番組で、ある地方議会議員が妻とトラブルになり、けがをさせた傷害の疑いで書類送検されたという報道が約12分間行われた(以下、「本件放送」という)。議員は、事実に反する報道によって名誉を毀損されたなどと訴える申立書を2018年8月26日付で委員会に提出した(以下、「本件申立て」という)。
委員会運営規則第5条1項の苦情の取り扱い基準は、審理の対象となる苦情について「苦情申立人と放送事業者との間の話し合いが相容れない状況になっているもので、原則として、放送のあった日から3か月以内に放送事業者に対し申し立てられ、かつ、1年以内に委員会に申し立てられたものとする」としている。
委員会は、この規定に照らして本件申立てを審理するかどうか検討し、審理対象外と判断した。理由は以下のとおりである。
本件放送の直後、申立人は、代理人の弁護士を通じて局に対して「書類送検された」、「ストーカー登録をされた」との2点の報道は誤報だと指摘して訂正を申し入れている。これに対して局は2点が誤報だったことを認め、同日の深夜、局の担当者と同弁護士が面談した結果、合意が成立し、局はこの合意に沿うかたちで、翌日の同じ番組内で2点の誤報を訂正し申立人の実名を出してお詫びをする放送を行っている。これ以降、本件申立てまでの間に、申立人側から局に対してお詫び放送に不満を示したり、さらなる対応を求めたりした事実はない。
以上の事実経過から、本件放送直後の局に対する申立人の苦情申し入れは、局がお詫び放送をしたことによって解決したと判断される。苦情の取り扱い基準にある「苦情申立人と放送事業者との間の話し合いが相容れない状況になっているもの」にも該当しない。お詫び放送から本件申立てに至る約1年もの間、申立人が局に対して何らの苦情を伝えてこなかったことは、この点を裏付けている。
なお、本件申立てが、上記の本件放送直後の苦情申し入れに含まれない権利侵害などを新たに申し立てる趣旨であるならば、それらは本件申立てで初めて主張することになり、苦情の取り扱い基準にある「3か月以内に放送事業者に対して申し立てられ」た苦情に当たらない。
以上のように、委員会は本件申立てを審理対象外と判断した。

4. その他

  • 近畿地区2府4県の民放、NHKとの意見交換会を来年1月29日に大阪で開催することになった。

  • 次回委員会は11月20日に開かれる。

以上

第261回放送と人権等権利に関する委員会

第261回 – 2018年9月

「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案の審理…など

議事の詳細

日時
2018年9月18日(火)午後4時~8時30分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、白波瀬委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案

対象となったのは、外交官・杉原千畝の出生地をめぐって、CBCテレビが2016年7月から翌年6月までに報道番組『イッポウ』で10回にわたり放送した特集等。岐阜県八百津町は千畝の手記などをユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請したが、番組では「八百津町で出生」という通説が揺らいでいるとして、千畝の戸籍謄本についての検証や千畝の出生地が記された手記の筆跡鑑定の結果等を放送した。
この放送について、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」とその理事長らが「手記は偽造文書であるとの印象を一般の視聴者に与え、さらに申立人らがそれの偽造者であるとの事実を摘示するもので、社会的評価を低下させる」と名誉毀損を訴え申し立てた。これに対しCBCテレビは、「一連の報道は、出生地の疑問やその根拠を再検証したもので、手記が真正か偽造されたものかという判断には踏み込んでいないし、申立人らが偽造したという印象を一般の視聴者が抱くとは思えない」と主張している。
今月の委員会では、第2回起草委員会を経て提出された「委員会決定」修正案を審理し、次回委員会でさらに検討することになった。

2.「芸能ニュースに対する申立て」事案

対象の番組は、2017年12月29日に放送されたTBSテレビ『新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』。番組の中ほどで「14位 俳優・細川茂樹 事務所と契約トラブル」とナレーションがあり、「昨年末、所属事務所から『パワハラ』を理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、『契約終了』という形で、表舞台から姿を消した。」と伝えた。
この放送について細川氏は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことをわざわざ強調して取り上げているが、東京地裁の仮処分決定で事務所側の主張に理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあったと言わざるを得ないと主張し、謝罪と名誉回復措置を求めて申し立てた。これに対してTBSテレビは、意図的に申立人を貶めた事実は全くないとする一方、放送に「言葉足らずであって、誤解を与えかねない部分があった」として、申立人におわびするとともに、ホームページあるいは放送を通じて視聴者に説明することを提案し、出来る限りの対応をしようとしてきたとしている。
前回の委員会後、申立人から「反論書」が、被申立人から「再答弁書」が提出され、所定の書面が出揃った。
今月の委員会では事務局が双方から提出された資料と主な主張について説明し、委員が意見を交わした。今後、担当委員が事案の論点とヒアリングに向けた質問事項を整理し、次回委員会に提案することとなった。

3. その他

  • 長崎県の民放、NHKとの意見交換会を11月28日に長崎市で開催することになった。

  • 次回の委員会は10月16日に開かれる。

以上

2018年9月7日

『放送人権委員会 判断ガイド2018』を刊行

放送人権委員会は『放送人権委員会 判断ガイド2018』を刊行した。委員会がこれまでに通知・公表した67件の決定文や、そこで示された判断のポイントや留意点、関係の資料等を掲載している。
決定件数が増えたことから、判型を従来の『判断ガイド』よりもひと回り大きいB5版とし、3色刷りにして見易くした。内容では、委員会審理で取り上げる機会が多くなっているバラエティー番組と名誉感情に関する項目を新たに設けた。

第260回放送と人権等権利に関する委員会

第260回 – 2018年7月

「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案の審理…など

議事の詳細

日時
2018年7月17日(火)午後4時~6時40分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案

対象となったのは、外交官・杉原千畝の出生地をめぐって、CBCテレビが2016年7月から翌年6月までに報道番組『イッポウ』で10回にわたり放送した特集等。岐阜県八百津町は千畝の手記などをユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請したが、番組では「八百津町で出生」という通説が揺らいでいるとして、千畝の戸籍謄本についての検証や千畝の出生地が記された手記の筆跡鑑定の結果等を放送した。
この放送について、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」とその理事長らが「手記は偽造文書であるとの印象を一般の視聴者に与え、さらに申立人らがそれの偽造者であるとの事実を摘示するもので、社会的評価を低下させる」と名誉毀損を訴え申し立てた。これに対しCBCテレビは、「一連の報道は、出生地の疑問やその根拠を再検証したもので、手記が真正か偽造されたものかという判断には踏み込んでいないし、申立人らが偽造したという印象を一般の視聴者が抱くとは思えない」と主張している。
前回の委員会でのヒアリング、審理を受けて、起草委員会が開かれて「委員会決定」案が起草され、今月の委員会では担当委員が決定案を説明して審理した。審理の結果を踏まえ、第2回起草委員会で決定案を修正し、次回委員会に提案することになった。

2.「芸能ニュースに対する申立て」事案

対象の番組は、2017年12月29日に放送されたTBSテレビ『新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』。 番組の中程で「14位 俳優・細川茂樹 事務所と契約トラブル」とナレーションがあり、「昨年末、所属事務所から『パワハラ』を理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、『契約終了』という形で、表舞台から姿を消した。」と伝えた。
この放送について細川氏は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことをわざわざ強調して取り上げているが、東京地裁の仮処分決定で事務所側の主張には理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあったと言わざるを得ないと主張し、謝罪と名誉回復措置を求めて申し立てた。
前回の委員会で審理入りが決定したのを受けて、TBSテレビから答弁書が提出された。答弁書の中で、TBSテレビは、意図的に申立人を貶めた事実は全くないとする一方、放送に「言葉足らずであって、誤解を与えかねない部分があった」として、申立人におわびするとともに、ホームページあるいは放送を通じて視聴者に説明する提案し、出来る限りの対応をしようとしてきたとしている。
今後、申立人から反論書、TBSテレビから再答弁書が提出される見込みで、次回委員会でさらに審理を進める。

3. その他

  • 放送人権委員会は7月4日に東京・台場のフジテレビを訪問した。テレビ局の報道現場について理解を深める目的で、奥委員長ら委員7人が参加した。
    委員会では事務局より報告した後、委員が感想を述べた。
    当日は、まずフジテレビの報道の体制や取材から放送に至る業務の流れ、危機管理態勢の取り組みについて説明を聞いた。このあと報道センターへ移動し、夕方のニュース番組の放送直前のスタジオを見学したり、字幕スーパーのチェック体制や速報を出す仕組みの解説を聞いた。また、放送本番を迎えても作業が続く映像の編集現場(NV室)やサブ(副調整室)での送出の様子をリアルタイムで見学した。
    委員からは、「大人数が時間に合わせて動き回ってニュースを毎日放送しているのは、まさに職人の世界だと思った」、「インターネット上の情報等の真偽の見極め方といった最前線の話が聞けて参考になった」、「ニュース素材の編集において、委員会決定(第50号「大津いじめ事件報道に対する申立て」)を踏まえて改善している点の説明があり、私たちの存在意義を感じた」などの感想が出された。

  • 新潟県内の民放、NHKとの意見交換会を9月27日(木)に新潟市で開催することになった。

  • 8月の委員会は休会とし、次回の委員会は9月18日に開かれる。

以上

第259回放送と人権等権利に関する委員会

第259回 – 2018年6月

「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案のヒアリングと審理…など

議事の詳細

日時
2018年6月19日(火)午後3時~8時50分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、白波瀬委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案 ヒアリング、審理

対象となったのは、外交官・杉原千畝の出生地をめぐって、CBCテレビが2016年7月から翌年6月までに報道番組『イッポウ』で10回にわたり放送した特集等。岐阜県八百津町は千畝の手記などをユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請したが、番組では「八百津町で出生」という通説が揺らいでいるとして、千畝の戸籍謄本についての検証や千畝の出生地が記された手記の筆跡鑑定の結果等を放送した。この放送について、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」とその理事長らが「手記は偽造文書であるとの印象を一般の視聴者に与え、さらに申立人らがそれの偽造者であるとの事実を摘示するもので、社会的評価を低下させる」と名誉毀損を訴え申し立てた。
今月の委員会では、申立人と被申立人のCBCテレビにヒアリングを実施し、詳しい話を聴いた。
申立人側は、NPOの副理事長2人が代理人の弁護士とともに出席し、「鑑定結果について、『完全に違う』という鑑定員の発言や『千畝の文字ではない可能性が極めて高いという結果が出ました』というナレーションがあり、現在、NPOが手記を保管していることからすれば、改ざんに申立人らが関与しているとほぼ特定する結論になっている。一連の放送の中では、『改ざん』、『偽造』、『偽物』という言葉が使われているし、アナウンサーの表情や態度からも、視聴者に改ざんの印象を与えていると理解する。取材のときには偽造や改ざんの可能性に関する指摘や質問等は一切なく、納得して帰られたので、放送を見て非常に驚いた」等と述べた。
CBCテレビからは報道の責任者ら3人と代理人弁護士が出席し、「手記の清書前の原稿で出生地が書き換えられていて、千畝本人が行ったのか、その可能性を探る方法として筆跡鑑定を行った。その結果、千畝の筆跡とは違う可能性が高いと伝えただけであり、いつ、誰が書き換えたかについては言及しておらず、手記が偽造や改ざんされたと断定するような放送はしていないし、視聴者もそう受け取ることは無いと考える。報道の意図は、手記が真正なものか偽造されたものかを確かめるものではなかったので、わざわざ申立人に筆跡鑑定の結果は問わなかったが、『手記は誰が書いたものですか』という質問はしている」等と述べた。
ヒアリング終了後、本件事案の論点を踏まえ審理を続け、その結果、担当委員が決定文の起草に向けて準備に入ることになった。

2.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」委員会決定についての対応報告の検討

本年3月8日に通知・公表が行われた委員会決定第67号「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」(勧告 人権侵害)に対して、東京メトロポリタンテレビジョンから対応報告が提出され、委員会はこれを了承した。

3. 審理要請案件「芸能ニュースに対する申立て」

委員会は、本件申立ての審理入りを決定した。
番組は、2017年12月29日に放送されたTBSテレビ『新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』。
番組の中程で「14位 俳優・細川茂樹 事務所と契約トラブル」とナレーションがあり、「昨年末、所属事務所から『パワハラ』を理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、『契約終了』という形で、表舞台から姿を消した。今年は、芸能人と事務所をめぐるトラブルが目立った」と伝えた。
この放送について細川氏は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことをわざわざ強調して取り上げているが、東京地裁の仮処分決定で事務所側の主張には理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあったと言わざるを得ないと主張し、謝罪と名誉回復措置を求めて申し立てた。
これに対してTBSテレビは、委員会に提出した「経緯と見解」において、申立人を意図的に貶めようと放送したという主張はまったくの誤解だとする一方、放送に「言葉足らずであって誤解を与えかねない部分があった」として、申立人に謝罪するとともに、ホームページあるいは放送を通じて視聴者に説明する意向を示したが、当事者間での話し合いでは解決に至らなかった。
委員会は、本件申立ては委員会運営規則第5条の苦情の取り扱い基準を満たしているとして審理入りすることを決めた。

4. その他

  • 次回委員会は7月17日に開かれる。

以上

2018年6月19日

「芸能ニュースに対する申立て」審理入り決定

番組は、2017年12月29日に放送されたTBSテレビ『新・情報7daysニュースキャスター超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』。番組の中程で「14位 俳優・細川茂樹 事務所と契約トラブル」とナレーションがあり、「昨年末、所属事務所から『パワハラ』を理由に契約解除を告げられた細川茂樹さん。今年5月、『契約終了』という形で、表舞台から姿を消した。今年は、芸能人と事務所をめぐるトラブルが目立った」と伝えた。
この放送について細川氏は、事務所からパワハラを理由に契約解除されたことをわざわざ強調して取り上げているが、東京地裁の仮処分決定で事務所側の主張には理由がないことが明白になっており、申立人の名誉・信用を侵害する悪質な狙いがあったと言わざるを得ないと主張し、謝罪と名誉回復措置を求めて申し立てた。
これに対してTBSテレビは、委員会に提出した「経緯と見解」において、申立人を意図的に貶めようと放送したという主張はまったくの誤解だとする一方、放送に「言葉足らずであって誤解を与えかねない部分があった」として、申立人に謝罪するとともに、ホームページあるいは放送を通じて視聴者に説明する意向を示したが、当事者間での話し合いでは解決に至らなかった。
委員会は、本件申立ては委員会運営規則第5条の苦情の取り扱い基準を満たしているとして審理入りすることを決めた。

放送人権委員会の審理入りとは?

「放送によって人権を侵害された」などと申し立てられた苦情が、審理要件(*)を満たしていると判断したとき「審理入り」します。
ただし、「審理入り」したことがただちに、申立ての対象となった番組内容に問題があると委員会が判断したことを意味するものではありません。

* 委員会審理に必要な要件については、同委員会「運営規則 第5条」をご覧ください。

第258回放送と人権等権利に関する委員会

第258回 – 2018年5月

「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案の審理…など

議事の詳細

日時
2018年5月15日(火)午後4時~6時
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案の審理

対象となったのは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人を救った外交官・杉原千畝の出生地をめぐって、CBCテレビが2016年7月から翌年6月までに報道番組『イッポウ』で10回にわたり放送した特集等。岐阜県八百津町は千畝の手記などいわゆる「杉原リスト」をユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請したが、番組では「八百津町で出生」という通説が揺らいでいるとして、千畝の戸籍謄本についての検証や出生地が記された手記の筆跡鑑定の結果等を放送した。
この放送について、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」とその理事長らが委員会に申立書を提出し、番組は、手記は偽造文書であるとの印象を一般の視聴者に与え、さらに申立人らがそれの偽造者であるとの事実を摘示するもので、社会的評価を低下させると名誉毀損を訴えた。これに対し、CBCテレビは委員会に提出した「経緯と見解」書面において、一連の報道は、出生地の疑問やその根拠を再検証したもので、手記が真正か偽造されたものかという判断には踏み込んでいないし、申立人らが偽造したという印象を一般の視聴者が抱くとは思えないと主張した。
今月の委員会では、起草担当委員から本件事案の論点とヒアリングの質問項目の案が示され審理した。その結果、次回6月の委員会で申立人と被申立人のCBCテレビにヒアリングを実施し詳しい話を聴くことを決めた。

2.その他

  • 委員会決定第67号「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」で人権侵害の「勧告」を受けた東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で4月27日に研修会が開催された。委員会から奥武則委員長と事案の担当だった白波瀬佐和子委員、それに決定の取りまとめに当たった坂井眞前委員長が出席、TOKYO MXは社員140人余りが出席した。番組のDVDを視聴してから坂井前委員長が決定のポイントを説明し、放送と人権などをめぐって質疑応答を行った。

  • 次回委員会は6月19日に開かれる。

以上

第257回放送と人権等権利に関する委員会

第257回 – 2018年4月

「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案の審理…など

奥委員長が就任して初めての委員会で、まず、奥委員長が2名の委員長代行に市川委員と曽我部委員を指名した。このあと、報道機関による撮影が行われた。

議事の詳細

日時
2018年4月17日(火)午後3時~5時45分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

奥委員長、市川委員長代行、曽我部委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、二関委員、廣田委員、水野委員

1.「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案の審理

対象となったのは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人を救った外交官・杉原千畝の出生地をめぐって、CBCテレビが2016年7月から翌年6月までに報道番組『イッポウ』で10回にわたり放送した特集等。岐阜県八百津町は千畝の手記などいわゆる「杉原リスト」をユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請したが、番組では「八百津町で出生」という通説が揺らいでいるとして、千畝の戸籍謄本についての検証や出生地が記された手記の筆跡鑑定の結果等を放送した。
この放送について、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」とその理事長らが委員会に申立書を提出し、番組は、手記は偽造文書であるとの印象を一般の視聴者に与え、さらに申立人らがそれの偽造者であるとの事実を摘示するもので、社会的評価を低下させると名誉毀損を訴えた。これに対し、CBCテレビは委員会に提出した「経緯と見解」書面において、一連の報道は、出生地の疑問やその根拠を再検証したもので、手記が真正か偽造されたものかという判断には踏み込んでいないし、申立人らが偽造したという印象を一般の視聴者が抱くとは思えないと主張した。
前回の委員会後、申立人から「反論書」が、被申立人からそれに対する「再答弁書」が提出され、所定の書面が出揃った。今回の委員会では、事務局がそれら双方の主張を取りまとめた資料を説明し、それを基に委員が意見を交わした。今後、論点を整理するため起草担当委員が集まって協議することとなった。

2.『判断ガイド2018』の検討

新しい『判断ガイド2018』をこの夏をめどに刊行することになり、内容や構成を検討した。版型は、掲載する決定件数が大きく増えることなどから、現行の『判断ガイド2014』のA5版よりひと回り大きいB5版とすることになった。

3.その他

  • 次回委員会は5月15日に開かれる。

以上

2018年3月8日

「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」通知・公表の概要

[通知]
3月8日(木)午後1時からBPO会議室で坂井眞委員長と、起草担当の中島徹委員と白波瀬佐和子委員が出席して本件事案の委員会決定の通知を行った。申立人は代理人弁護士2人とともに、被申立人の東京メトロポリタンテレビジョンは常務取締役ら5人が出席した。
坂井委員長が決定文に沿って説明し、結論について「委員会は、TOKYO MXによる本件放送が申立人の名誉を毀損したと判断した。そして、その原因のひとつに放送対象者に対する取材を行わなかったことがあり、その問題点について容易に考査で指摘できたにもかかわらずこれを怠り、『特段の問題が無かった』としたこと、および、人種や民族を取り扱う際に必要な配慮を欠く放送内容について考査において問題としなかった点は、番組が『放送倫理基本綱領』や『日本民間放送連盟 放送基準』に適合するかどうかの検討を考査において十分に行わないまま放送したものと言わざるを得ないこと、この2点についていずれも放送倫理上の問題があると判断した。TOKYO MXは、『持込番組』についても放送責任があることを申立て当初から認め、その後、新たな考査体制も整備しつつあるということではあるが、委員会は、TOKYO MXに対し、本決定を真摯に受け止めた上で、人権に関する『放送倫理基本綱領』や『日本民間放送連盟 放送基準』の規定を順守し、考査を含めた放送のあり方について局内で十分に検討し、再発防止に一層の努力を重ねるよう勧告する」と述べた。
通知を受けた申立人は、「本当にありがとうございました。自分の出自が使われて人が叩かれるということがどういうことなのかは、うまく言葉になりません。また、安心して放送を見られる時代が来たらいいなと思っています」と述べた。申立人代理人は「この決定を評価する。人種や民族を取り扱う際に必要な配慮ということにもきちんと触れて頂いたことについて敬意を表したい」と述べた。
一方、東京メトロポリタンテレビジョンは「委員会決定を真摯に受け止め、再発防止に努める。今後、より良い番組作りに邁進していきたい」と述べた。

[公表]
午後2時30分から都市センターホテル6階会議室で記者会見をして、委員会決定を公表した。34社67人が取材した。テレビの映像取材は、代表としてNHKが行ったが、当該局のTOKYO MXも行った。
まず、坂井委員長が、委員会の判断部分を中心に「勧告」となった委員会決定を説明した。質疑応答の概要は以下の通りである。

(質問)
この勧告が出て、今後どうなるかという確認だ。最後のところに本決定の主旨をまず、放送するようにという勧告、これはもうMXの義務ということになるのか?
(坂井委員長)
民放各局は、BPOの構成員だから、規則に従って当然それに応じて頂けると思う。

(質問)
それ以外にMX側にまた、例えば何か報告を求めるとか、そういったことはあるのか?
(坂井委員長)
こういう決定が出た場合に3か月以内に対応策、または報告書をだしてもらう。その報告書を出す前に放送人権委員会が、MXに出向いて当該局研修という意見交換をする。

(質問)
申立人、被申立人、双方に対するヒアリングだが、それぞれどれくらい時間をかけたのか? 
(坂井委員長)
確認の上事務局から後ほどお答えする(会見後に広報通じて、申立人:1時間45分、被申立人:2時間48分と回答)。

(質問)
MX側から出席したのは考査担当者か、制作担当者か。それから制作会社の出席、同席はあったのか?
(坂井委員長)
MX側としては局の考査担当、BPOとの関係の責任者、それから代理人弁護士。
制作会社はヒアリングには参加していない。MXに対して希望は伝えた。しかし、BPOというのは、NHKと民放連と民放各局の組織なので制作会社に直接要求するという立場にはないので、希望を伝えたが参加しなかったということだ。

(質問)
結論のところでも、あるいは、その前段にもあった。「人種や民族の取り扱いへの配慮を怠った」、「配慮を欠いた」という表現がある。これ、明確に差別であるということを表現に盛り込むということは検討しなかったのか?
(坂井委員長)
私個人の理解としては、最初に伝えたように決定の一番はじめに書いてあるとおり、委員会運営規則第5条で、申立人の人権侵害、それに係る放送倫理上の問題を委員会は審理する。名誉毀損の関係で出てくるのは、差別という文脈では出てこない。そういう事実摘示ないし放送内容との関係で、民放連の放送基準が求めている配慮を欠いたという指摘なので、そこは筋が違うということかと思う。

(質問)
MXの考査担当者は、(ヒアリングに)2人出席したということか?それと、制作会社側が参加しなかったことについて何か理由は示しているのか?
(坂井委員長)
考査担当は1人だけだった。出席者は、直接の考査担当者と考査部門の上司も出席した。当時と今の組織が違うということはご存知のとおりだと思うが、本件に関しMXは勿論考査はしていた。理由は特に聞いていない。

(質問)
この決定を伝えて申立人と被申立人の反応を紹介していただきたい。
(坂井委員長)
申立人側については、この委員会の判断については「評価します」ということと、委員会の委員に対しても「敬意を表します」ということが総括的な意見としてあった。申立人ご本人からは、「自分の出自が使われて、人が叩かれるということがどういうことかを分かっていただきたい」という趣旨のことも述べられた。それで「安心して放送がみられる時代が来たらいいなと思っています」とも仰っていた。MXは「決定について真摯に受け止めます。再発防止の努力をして今後のより良い番組作りに邁進していきたい」と述べた。

(質問)
放送倫理検証委員会が先(去年12月)に結論を出しているが、その結論を受けて多少
MX側の対応が、変わったりしているのか?
(坂井委員長)
基本的にそれはない。放送倫理検証委員会が結論を公表したのは去年の12月だったが、我々は既にヒアリングも終えて、審理に入っている段階であり、その後、何かMX側がアクションを起こす機会もない。ご存知のとおり、扱う対象が違うので、どちらも考査の問題として決定を出しているが、放送倫理検証委員会の結論があったから、何かが変わるという話ではないということだ。

(質問)
考査については元々、持込だということでMXは考査をしてなかったわけで、その上で、やはり内容には問題ないと主張していると思う。そこは委員会なり、委員長としてどう見ているのか?
(坂井委員長)
考査をしていないというのは、必ずしも正確ではなくて、独立した考査部門はなかったけれどもいわゆる考査としての作業はした。ヒアリングに直接(考査の)担当者とその上司が来て、持込番組についてちゃんとチェックしたけれど、問題ないと思いましたという主張だった。それについて、いやいや、こういう問題があるんじゃないですかという指摘をしたということだ。考査がなかったということではない。

(質問)
この名誉毀損の認定というのが、今までどれくらいあったのか?今までの事例の流れの中で、今回の問題の位置づけはどのように考えているか教えて欲しい。
(坂井委員長)
これまで申し立てられた事案、これは何十件かあるわけだが、委員になってから半分くらいに関わってきた。どの事案が重いとか、軽いとかという意識はもたない。申立人の方はどの事案でも、やはり本当に重たいものとして申立てをして来られて、われわれが「問題なし」と言う時も「人権侵害あり」という時も、申立人ご本人として重い気持ちで申立てられるわけなので、「この事案はより重い」というようなことは全然考えてない。「勧告」の中で「人権侵害あり」という結論が9件あったということだ。

(質問)
1月9日にMXが放送した『ニュース女子』、これは他の地方局で放送されているのか?
(坂井委員長)
それは我々の対象ではないので、正確な情報はわからない。我々の審理対象は申し立てられたMXだけなので。

(質問)
確認だが、「人権侵害」が「放送倫理上、重大な問題あり」よりも重いということでよいか?
(坂井委員長)
人権侵害があったと書いてあるので、一般的にはそのように見えるかもしれない。しかし、枠組みとしては「勧告」の中に2種類あるという意識だ。人権侵害と言えないが、非常に重たい放送倫理上の問題があるケースも存在すると思われるので、委員会としてはあえてそこは上下関係をつけることはしていない。ただ、一般的には人権侵害ありとなった方が、重さとしては分かりやすいということはあるかもしれない。しかし、そういうレベルの話だと個人的には理解している。

(質問)
委員会決定21ページに「TOKYO MXの対応は、考査の責任は言うに及ばず、放送局全体の『持込番組』の対応という観点からも放送倫理上の問題があった」という部分があるが、その問題点は、読めば分かるのかもしれないが、まず、一点目が「その取材に行ったというだけで、番組の内容に裏付けがあると信じたという理由に至っては考査の責任放棄と言わざるをえない」と。まず、一つ目にその点があるということか?
(坂井委員長)
そうではなくて、TOKYO MXは本件放送について考査を通した理由として、20ページのところで、一つ目は「別の機会で取材していればいい」っていうことと「制作に関与していないから」という話と、最後に「珍しく現地取材に行っているので」ということが書いてあり、その順番に対応した形で、後ろの委員会判断も書いているということだ。

(質問)
それを踏まえての質問だが、このTOKYO MXの対応は、放送倫理上の問題があったという部分で、単に考査部門だけに止まらず、放送局全体として問題があったという理解でよいか?
(坂井委員長)
局の体制というよりも、まずは、今回の考査の問題だったということになろうかと思うが、今回については、そもそも考査の体制がしっかりできていないという問題もあった。持込番組については、放送責任は局が負うのが当然のことだと思うが、そういう前提を取りながら、その考査の対応として、先ほど述べたこういう3つの理由で通しましたと。しかも考査の対象は、まだ出来上がる前のもので、実は今日少し細かすぎるくらい説明したが、それにテロップやナレーションが入ることによって名誉毀損に関わる内容になってきているわけだ。そこを見ないまま通したということでは、たまたまこの件についての考査の問題にとどまるものとは言えなくて、考査に対する局の姿勢の問題ということに関わるのではないかという趣旨だ。

(質問)
この『ニュース女子』については放送倫理検証委員会の判断が去年12月に出ていて、今日は「勧告」となっているが、同じ番組で、BPOの2つの委員会から見解が出るというのは、今までにもあったのか?
(坂井委員長)
今回で2件目だと思う。2015年12月11日委員会決定57号 NHKの『クローズアップ現代』の出家詐欺事案。「放送倫理上重大な問題あり」で勧告という事案だったが、これは両方の委員会が扱った。

(質問)
BPOの人権委員会というのは人権が侵害されたとかそういうことを、一般の、市井の人とか、そういう人が申し立てた時、救済するというようなシステムかなと理解していた。ところが、前にも府議、政治家とかの申立てがあり、今回は著述家であり、自分で情報発信できる人のケースだ。そのような人から申立てを受けて審理することになっている。今後も政治家であるとか、著名な著述家、オピニオンリーダー的な人の申立ても取り上げていくことになるのか。一部では「いかがなものか」という意見もあるというふうに聞いているが、その辺の見解を聞かせいただきたい。
(坂井委員長)
まず、いわば形式的な答えをすると、最初に書いたように委員会運営規則第5条というところで、我々が審理するのは何かということが書いてあり、それは、放送によって名誉なりプライバシーを侵害された方の申立てを受ける、そして、それに関わる放送倫理上の問題について取り上げるとされている。申立てができるのは原則として個人で、団体は受けないが、例外で「団体を受ける場合もある」とされている。そこには、「政治家は除く」とか「著名な人は除く」ということは書かれてない。なので、規則がある以上、それに則った申立ては基本的に受けるという事になろうかと思う。これは個人的な意見として聞いて欲しいのだが、ご指摘の趣旨は、私は理解できる部分はある。ただ、そこは扱いを分けるというシステムではないし、もしそういうことになれば、どう分けるかだって簡単ではないことだと思う。

(質問)
ヘイトスピーチ解消法は「国民はヘイトスピーチもない社会の実現に努めなければならない」とあって、企業も責務を負っていると。とりわけメディアは、その責務が重く課せられていると思うが、今回の判断の中でそういう観点から検討されたのか、この放送がヘイトスピーチに当たるのかどうか、見解を聞かせていただきたい。
(坂井委員長)
ヘイトスピーチかどうかということ、そういうアプローチは基本的にしていない。
我々が審理するのは何か、決定文6ページの最初のところに書いている。申立人の人権侵害にあたるのか、それに関わる放送倫理上の問題があったのかという観点から判断している。ヘイトスピーチというのは、もちろん個人に対する攻撃であると同時にヘイトスピーチということはあるかもしれないが、基本的には、そのような文脈には収まらない。規則に書いてある審理対象の範囲で人権侵害と放送倫理上の問題を取り上げるということだ。なので、基本的には放送内容がヘイトスピーチかどうかを独立して取り上げ、判断をする立場にはないということだ。
(中島委員)
(委員会の中で)当然議論になっている。全く無関心であったわけではない。ただ、委員長も先程来言っているように、私たちの職責というのは、個人からの申立てを受けて、その申立人の人権が侵害されたかどうかということを確定することにある。ヘイトスピーチ規制の主眼は、特定のカテゴリーに属する表現を一般的に事前に禁止する点にある。このような権限を政府に認めてよいかは、議論の余地がある。これに対し、名誉毀損は、個別事案についての事後的な評価である点で、政府に表現を事前に規制する権限を認めるわけではない。ただし、個別事案の判断とはいえ、以後、同様のケースでは同じ様な判断がなされるだろうという点では、名誉毀損という判断でも、ヘイトスピーチに対する抑止効果を持ちうるので、今回の決定がヘイトスピーチを念頭に置いていないということにはならないのではないか。

(質問)
影響力のあるメディアとして人権侵害を起こさないためにも、その番組で、ヘイトスピーチを流すようなことがあってはならないという意味では、メディアがきちんと判断する仕組みなり、判断する作業を、避けるのではなく、きちんとそういうことをやっていかなければ、いけないと思うが。
(坂井委員長)
質問の意味が理解できないわけではないが、我々の役目は何かということだ。我々は、この表現がヘイトスピーチかどうかということを判断する立場にない。なので、明らかにこれは問題だということについて、それが申立人の名誉毀損との問題に関わってくるのであれば、その限りで触れるかもしれないが、今回は、そういう事案ではない。なので、一般論としてそのような判断をする立場にない我々はそういう判断はしないということになる。

(質問)
先ほど委員長は、今回の事案も他の事案と変わらず、それぞれ重大なものを重大だと判断して、一つずつ判断してきたとがと答えたが、僕は戦後のメディア史に残るような事件ではないかとも思う。起草担当の中島委員は、そういう観点からどのように思っているか?
(中島委員)
個人的にどう考えていたかと言えば、勿論こんな重大な事件を私が起草していいのだろうか、という本当に身の引き締まる思いで取り組んだことは間違いない。だから、そういう意味で言えば、重大事件である。けれど、同時に、どんな事件だって、実は申立人にとっては重大で、深刻な事件だから、その事件の内容によっては向き合い方を変えるということはない。どれも重大な案件として捉えて取り組んでいるとしか答えられない。
(坂井委員長)
まず、起草委員がすべてを執筆する訳でなく、委員会の議論を前提に様々な意見を取り入れて決定文が書かれるということをご理解いただきたい。申立人が言っていたのは、もともとインターネットで流されていた番組が、放送局で流されたということの重大性だ。その意味で、MXの罪は重いということを言っていた。最近のいろいろな動きの中で、様々な問題について沸点が下がってきて、たくさんの問題が起きていると。本件放送の問題に関して言うと、そのような様々な反応を起こす扉を開いたのがMXなんだと。ネットでのコンテンツに社会的なお墨付きを与えたんだということを述べていた。それは個人的には理解できるが、だからといって判断を書くときに、他の事案と取り組み方を変えようということにはならない。こういう姿勢は恐らく私共ふたりが共通して言っていることだと思う。

以上

2018年4月1日

放送人権委員会 新委員長に奥武則委員

放送人権委員会は、新しい委員長に奥武則委員を4月1日付で選任した。任期は3年。奥氏は、元法政大学社会学部教授で近現代日本のジャーナリズム史が専門。現在、毎日新聞客員編集委員。2012年4月に放送人権委員会の委員に就任し、これまで2期6年委員長代行を務めてきた。坂井眞前委員長は任期を終え3月末で退任した。
同じく4月1日付で、新委員に弁護士の廣田智子氏が就任した。中島徹委員は任期を終え3月末で退任した。

2017年度 解決事案

2017年度中に委員長の指示を仰ぎながら、委員会事務局が審理入りする前に申立人と被申立人双方に話し合いを要請し、話し合いの結果解決に至った「仲介・斡旋」のケースが6件あった。

「死後離婚特集に対する申立て」

A局が2017年6月に放送したバラエティー番組で、配偶者の死亡後に相手側との親族関係を解消する「死後離婚」を取り上げ、夫と死別した後、「姻族関係終了届」を役所に提出した女性にインタビュー取材したVTRを放送した。この放送に対し、この女性から、夫の死因や義母との関係等、背景を詳しく説明したにもかかわらず、放送では、「使いたい部分のみを編集し、身勝手な嫁と思わせるような取り上げ方をしていた」と、名誉毀損を訴える申立書を提出した。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、A局側が申立人に面会して「配慮が足りなかった」等と謝罪、それを受けて取下書が提出され、解決した。

(放送2017年6月、解決同年8月)

「年末特番に対する申立て」

B局は2016年12月に放送した年末特番で、この年に県内で発生した「学校をめぐる問題」3件をフリップで示し、「いじめの疑い」がある事例として紹介した。この放送に対し、生徒の母親が特徴から自らの息子を指していることは明らかで、「いじめの疑いのある誤報道は、本人と家族の名誉を侵害した」と申し立てた。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、双方の代理人が2回にわたり話し合いの場を持った結果、申立人は「これ以上アクションは起こさない」として取下げ書を提出し、解決した。

(放送2016年12月、解決2017年10月)

「在宅医療特集に対する申立て」

C局は2017年2月に放送した報道番組で、自宅で最期を迎えたいという人の間で広がる在宅医療を特集した。この放送に対し、難病で亡くなる直前の夫の痛々しい写真を全く無断で放送されたという女性が、「故人と家族のプライバシーの侵害」と主張する申立書を提出した。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、同局に写真を提供した診療所職員を交えて3者で話し合った結果、診療所職員に「より問題があった」ことが分かったとして、申立書は取り下げられ、解決した。

(放送2017年2月、解決同年10月)

「深夜番組に対する申立て」

D局は2017年11月に放送した深夜バラエティー番組で、街頭で無許可で一般女性の顔を撮影したうえ、リポーターが身体的特徴を予想し、一方的な感想を述べる等の内容を放送した。この放送に対し、番組で取り上げられた女性が「勝手に撮影されたことで、私のプライドや人権が酷く侵害された」と申し立てた。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、同局取締役らが申立人に会って、「弊社にすべての責任がある」等とする謝罪文を渡し、申立人の要望を聞いたうえで当該番組および翌日の夕方ニュースでお詫びのコメントを放送、さらに同じ内容のお詫び文を3か月間ホームページに掲載した。これを受けて取下げ書が提出され、解決した。

(放送2017年11月、解決2018年2月)

「産廃不法投棄報道への申立て」

E局は2015年11月に放送したローカルニュース番組で、廃棄物処理業者の担当役員が産廃不法投棄の容疑で逮捕されたと放送した。この放送に対し、同役員は不起訴処分となった後、委員会に申立書を提出、「断定的な表現・演出」と自宅マンションから逮捕、連行される映像を放送されたことで、プライバシーを侵害され、また会社が風評被害に苦しみ、申立人および家族が精神的痛手に苦しんでいる」と訴えた。委員会事務局の要請に応じて双方が話し合いに入り、申立人は放送されたニュース映像を確認したいとE局に要求したが、同局は放送法で保存が定められた3か月が過ぎたため、処分してしまったと拒否。その後、テロップ等が入っていない未編集の白素材が残っていたことが判明し、申立人が同社に出向いて視聴したものの、不完全な映像では放送内容が確認できず、納得できなかったとしながらも、会社の判断を優先して取下げ書を提出し、解決した。委員会では、局がニュース映像を処分してしまったとし、その結果未編集の素材しか確認できなかったことに申立人が納得できなかったのは「もっともだ」との意見が複数の委員から出された。

(放送2015年11月、解決2018年3月)

「税金滞納報道に対する申立て」

F局は2016年3月、ローカル情報番組で、地元市長の親族による多額の税金滞納について報道した。この放送に対し、その後退任した元市長が「申立人が市長として滞納を知った時期および滞納額が事実でなく、名誉、信用を大きく侵害され、放送翌月の市長選挙で得票数を激減させた」と委員会に申し立てた。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、双方が代理人弁護士同席の下面談し、同局によると、「真実相当性がある」との点でほぼ一致したため、同局から申立人代理人に申立ての取り下げを求めるファックスを送付したものの回答がなく、その後も同局と事務局からの電話およびファックスによる再三の連絡にも返信がない状態が1年以上続いた。このため、委員会内規に照らし、申立人の明確な意思が確認できない状態が3か月以上続いたと判断、本件申立ては取り下げられたとみなし、委員会に報告した。

(放送2016年3月、解決2018年3月)

第256回放送と人権等権利に関する委員会

第256回 – 2018年3月

沖縄基地反対運動特集事案の通知・公表の報告、命のビザ出生地特集事案の審理…など

沖縄基地反対運動特集事案の「委員会決定」の通知・公表が3月8日に行われ、事務局が概要を報告した。命のビザ出生地特集事案の実質審理に入った。

議事の詳細

日時
2018年3月20日(火)午後4時~6時20分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員、水野委員

1.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案の通知・公表の報告

本件事案の「委員会決定」(勧告:人権侵害)の通知・公表が3月8日に行われた。事務局がその概要を報告し、当該局の東京メトロポリタンテレビジョンが放送した決定を伝える番組の同録DVDを視聴した。

2.「命のビザ出生地特集に対する申立て」事案の審理

対象となったのは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から逃れた多くのユダヤ人を救った外交官・杉原千畝の出生地について、CBCテレビが2016年7月12日から2017年6月16日までに報道番組『イッポウ』で10回にわたり放送した特集等。番組では、岐阜県八百津町が千畝の手記などいわゆる「杉原リスト」をユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請したのを受けて、千畝が「八百津町で出生」という通説に一部で疑念が生じており、千畝の子供で唯一存命の四男・伸生氏が入手した戸籍謄本には、「武儀郡上有知町」(現在の美濃市)で出生したと表記されていたことや、千畝の手記(下書き原稿)は出生地の記述が書き直されているとして、その筆跡鑑定の結果等を放送した。
この放送に対し、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」およびその理事である杉原千弘氏と杉原まどか氏、平岡洋氏の3氏が委員会に名誉毀損を訴える申立書を提出。番組は「杉原千畝命のビザ」が実体のない怪しい団体であり、また手記は偽造文書であるとの印象を一般の視聴者に与え、さらにまどか氏および平岡氏がそれの偽造者であるとの事実を摘示しており、申立人らの社会的評価を低下させたと訴え、番組内で手記はいずれも千畝が書いた真正なものである旨の訂正を読み上げるよう求めた。
これに対し、CBCテレビは委員会に提出した「経緯と見解」書面において、番組は世界記憶遺産登録申請の活動の根幹となる「八百津町で出生」という通説が揺らいでいて、地元メディアの役割としてそれを再検証する必要があると考えて一連の報道を行ったと説明した。手記の書き直しは筆跡鑑定で、千畝とは別人の筆跡である可能性が高いという結果が出たが、手記が真正か偽造されたものかという判断には踏み込んでいないし、まどか氏および平岡氏が手記を偽造したという印象を一般の視聴者が抱くとは思えないと主張。したがって、訂正を放送する考えはないと反論した。
前回の委員会で審理入りが決定したのを受けて、今回の委員会から実質審理に入った。CBCテレビから「答弁書」が提出され、双方の主張をまとめた資料を基に事務局が説明した。

3.その他

  • 委員会が2月2日に長野で開催した県単位の意見交換会について事務局が報告、その模様を伝える地元局の番組同録DVDを視聴した。

  • 2018年度「放送人権委員会」活動計画(案)が事務局から提示され、了承された。

  • 委員会が2018年度中に刊行する予定の『判断ガイド 2018』について、事務局から概要を説明した。

  • 坂井眞委員長、中島徹委員の2委員が3月末で任期満了となり、退任することになった。坂井委員長は委員、委員長代行時代を含め3期9年、中島委員は1期3年それぞれ務めた。

  • 4月から委員に就任する廣田智子氏(弁護士)が専務理事から紹介され、経歴等の説明があった。

  • 次回委員会は4月17日に開かれる。

以上

2018年2月2日

長野で県単位意見交換会

放送人権委員会は、2017年度の県単位「意見交換会」を2月2日に長野で開催した。意見交換会には、長野県内の民放5局とNHK長野放送局から47名が参加し、2時間にわたって行われた。意見交換会では、まず濱田純一理事長が「BPOとは何か」をテーマに講演した。その後、最近の委員会決定から「事件報道に対する地方公務員からの申立て」と「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」の決定のポイントを委員から説明し、それを受けて委員と参加者との間で意見を交わした。とくに、フェイスブックにある写真の使用について、各社から軽井沢バス事故での経験が報告されるなど、具体的な意見交換が行われた。
概要は、以下のとおり。

◆ 坂井委員長

本日は、本当にありがとうございます。
まず、ご挨拶に代えて、こういう意見交換会の意義というものを、簡単に述べさせていただきます。
放送人権委員会というのは、申立人がいて、局と申立人の話が、うまく話し合いで解決できないときに申立てを受け付けて、それを委員会で審理をして決定を出すという形式なので、どちらの結論が出ても、誰かは不満を感じることになります。ですが、報道の自由と、名誉、プライバシー、肖像権などの人権、それはどちらかが優越するというものではなくて、報道の自由も大切だけれども、報道する側も報道される側の人権を配慮して報道していかなければならない。そのバランスがどうなのかという問題なので、報道の自由も人権もそのどちらもが大切なのだということを、まず申しあげたいと思います。
放送における表現の自由、報道の自由は、NHKと民放連・民放各局を合わせた放送界全体で、自律して守って行かなければいけないものだと考えています。自律して守っていくということは、放送、報道をするときに、やはり人権に対する配慮もしっかりしていかなければなりません。
私たちは、そういう具体的な事案を扱いますから、委員会がどんな議論をして、どうしてこういう結論になったのかを、放送現場の皆さんと率直に意見交換できることは、すごく大事だと思っています。
さて、委員会決定を読むときのポイントですが、まず、委員会がどういうことを議論したのかということを考えていただくことが大事です。そして考えるときに、結論が厳しいとか厳しくないといった議論ではなくて、どういう事実認定、論理構成をして、こういう結論に至ったのか、そういう視点で読んでいただきたい。そういうところを理解していただくと、決定を今後に生かしていただけるのではないかと思います。もう一点、放送する側にいる方は、ついその立場でものを考えてしまいますが、この放送において、自分が放送された側だったらどう感じるだろうかということを、ぜひ、想像してみていただきたいと思います。
そういう決定文の読み方をしていただき、自分たち放送界で作ったBPOの人権委員会が言っているのだからと、そういうふうな形で生かしていただきたいと思います。

◆ 濱田理事長

BPOというのは、たしかに一つの組織体ではあるのですが、それは同時に社会の仕組み、システムであり、社会を作る一つの考え方、理想的な考え方を示しているのだと思います。
BPOは自主規制機関なのか第三者機関なのか、と聞かれることがよくあります。それについて私は、BPOというのは仕組みです。第三者の支援を得て放送界が自律を行う仕組みなのだと。つまり、もちろん放送界が自律を行うのだけれども、それを応援するのがBPOの役割だと思っています。ですから、何かBPOに任せておけば、この問題は解決できるということではなくて、最後は放送界の皆さま方自身に考えていただかなければいけないことだと思います。
たしかにBPOは、決定を出したり、さまざまな活動をしていますが、そこで目指しているのは、放送界がきちんと自律ができるように手助けをすることで、そのためにBPOではいろいろな仕組みを放送界との間で設けています。決定が出た3か月後に、その決定の趣旨を踏まえてどういう取組みを実際に放送局で行ったのか報告をいただくとか、あるいは決定を踏まえて当該放送局が研修を行う、あるいは今日のような意見交換会を放送局の皆さまと委員との間で行うとか、いろいろな事例を取り上げて一緒に勉強をする、といった取り組みしているわけです。
こうしたさまざまな活動は、決定の付属物ではない、ということを特に強調しておきたいのです。たしかにBPOの活動の中で決定を行うというのは、とても大事な活動です。
しかし、それと同じく、こういう形で意見交換する、さまざまな形の研修を行う、そういうことも合わせてBPOの要となる活動なのです。そういうことを通じて自律というものが最終的に機能するのだと考えています。
その意味では、単に勝った負けたといった勝負事として委員会の判断を読んでいただきたくはない。むしろ、その決定文の中で何を考えるか、何がこれからのジャーナリズムにとって必要なのか、大切なのか、そういうことを考えるメッセージが含まれており、それを読み取っていただきたいと思います。さらに言えば、それぞれ放送に携わっている皆さま方が自分の頭で考えるための材料にしてほしい。それが各委員会の思いです。
時々、長い決定文を読むよりは、何をしたらいけないのか、何をしてよいのか、そういうものをマニュアル化してくれないかというようなことを言われることもありますが、一種の「べからず集」でマニュアル人間を作ることは、ジャーナリズムの在り方としてはあってはならないことだと思います。それは、ジャーナリズムの本質や表現行為の本質に反する。表現をするという行為自体、自分の人格を、その文字あるいは番組に懸けるということだと思います。表現をする者は自分の人格を懸けてこれを伝えようとしているのだという原点を、その思いを、常に忘れないでほしい。それを思い起こすのが、こうした意見交換会などの機会だと受け止めていただけるとうれしいと思います。
こういう意見交換では、委員と放送局の皆さま方との間で結構厳しいやり取りをすることがありますが、それはとても大事なことだと思います。それがうまく機能するために大事なことは、お互いにそれぞれ良心、誠実さ、誇り、あるいは志を持って表現ということを行っているのだと、そういう相互了解があるということが一番大事だと思います。そうであってこそ、いろんな角度から物事を眺めてみよう、ああいう考え方もある、こういう考え方もあるということを柔軟に受け止めて学んでいくことができる。放送局の方々も、委員のほうも、こういうやり取りの中から学んでいくことが少なからずあります。そういうものとして、こういう場が持たれていると思っています。
そういう中で、人権委員会はもちろん、ほかの二つの委員会を見ていて「とても大事にしているな」と思うのは、徹底的に事実というものにこだわっていることです。放送番組というのは、一つの表現であり、表現のやり方にはいろいろな手法がありうると思います。だけども、究極的には事実にこだわって、そのうえで、ものを作っている。その姿勢は、やはり放送というものがジャーナリズムである以上は、一番の原点であります。最近、オルタナティブ・ファクトだとか、ポスト・トゥルースだとか、だんだん事実というものが怪しくなってきているところがありますが、やはり放送、新聞といったマスメディアというものは、徹底的に事実にこだわってほしいと思いますし、委員の方々も、そういうところをしっかり押さえながら判断をされているのだろうと思います。
もう一つ付け加えておきたいのですが、委員会は、法的に許されるか許されないかという単に法的判断だけではなくて、倫理的な判断として、これは如何なものか、あるいはこれは許されるか、といった倫理を巡る判断もします。非常に大雑把に言うと、法も倫理の一部なのですが、倫理というのは法的なルールよりはもっと広い概念ということになります。もし倫理というものを法的な規制と同じように扱うことになると、これは、法的な規制があるのに、さらに倫理々々でどんどん縛られていくのかというだけの話になってしまいます。
法的な規制というのは、それなりに、これまでの歴史の中で練られてきた。そういう意味では自由の逸脱を抑制するためには必要な部分があるのですけれども、倫理というのは、むしろ自分たちが行為する表現の自由の質を高めていく、そういうものだと思います。倫理を巡る議論というのは、ただ判断の結果をリスペクトするというだけではなくて、そういう判断が実際に正しいのかどうか、もう一度、放送界の皆さま方も自分の頭で考えてみる。一方的に受け取るだけではなくて、「自分はこう思う」といった意見も、むしろ積極的に出していただく。そういう中でこそ倫理というものが本当に根付いていくことになるのだと思います。
放送の自由と自律、この調整は、なかなか常に難しい課題ですけれども、常に放送にかかわる方々が自分たちが表現をするという誇りと緊張感を失わないことが、とても大切であり、それが、放送という活動の原点だと思います。そういうことを常に呼び起こしてもらうように、それを応援していくのがBPOの役割だと、私は思っています。
BPOというのは、組織があって活動してればそれでいいというわけではなくて、こういうやり取り、あるいは視聴者とのやり取りを含め、社会の仕組みの中に根付いていくことが大切だと思います。そのようなやり取りをしながら、自由と倫理、あるいは自由と自律の調整を図っていくという社会の在り方は、民主主義社会の一つの在り方として大変素晴らしいと思っています。
ぜひ、私たちもこういう思いを持ってこの意見交換会に臨んでいるということをご理解いただいて、皆さま方からも積極的なご議論をいただければと思っています。

(司会)
今日は、事件報道に対する決定から、さらに焦点を絞って取り上げたいと思います。

◆ 【委員会決定第63号、第64号「事件報道に対する地方公務員からの申立て」】

(市川委員長代行)
では、委員会決定第63号のテレビ熊本のほうから、我々がどこで問題に感じたのかというところを中心にお話しします。この決定は「名誉毀損ではない、しかし放送倫理上の問題はあり」という結論です。それに少数意見がありました。
事案の概要ですが、申立人は、「意識が朦朧とした女性を連れ込み、無理やり服を脱がせた」と、警察発表に色を付けて報道し、自分が認めてもいないことを放送しており、これらのことを「容疑を認めている」と放送することにより、すべてを認めていると誤認させたと主張しています。また、フェイスブックの写真が無断で使用され、職場の内部、自宅の映像まで放送されるという、完全な極悪人のような報道内容で、人権侵害を受けたという主張です。
一方、テレビ熊本は、現職の公務員が起こした準強制猥褻の事案であって、その影響は大きいことから、こういう報道の仕方は問題ないのだと。それから、他の事案同様に取材を重ね、事実のみを報道したとして、人権侵害は全くないという主張でした。
きょうは、事案の取材から放送までの経過を追いながら説明いたします。逮捕当日の10時頃、報道各社にファックスで警察から広報連絡が入ります。その広報連絡には、「準強制猥褻事件被疑者の逮捕、発生日時、発生場所、申立人の実名、年齢、住所、申立人の職業、公務員である」ということと、「身柄措置が午前10時」、「通常逮捕」で、「被害者と逮捕罪名」と「事案の概要」が書いてあります。
その「事案の概要」に書いてあるのは、「被疑者は、上記発生日時、場所において、Aさんが抗拒不能の状態にあるのに乗じ、裸体をデジタルカメラ等で撮影したもの」と、これだけです。
ここで記者が警察の広報担当とどういうやり取りをしたかですが、記者は、「この容疑事実について、事案の概要の容疑を認めているのか?」と聞いたのに対して、広報担当は、「『間違いありません』と認めている」というふうに答えました。
そして、記者は、もう少し事実関係がどうなのか知りたいと、「抗拒不能というのはどういうことなのか?」と聞いています。それに対する答えはひとつながりで、「容疑者が市内で知人であったAさんと一緒に飲酒した後、意識が朦朧としていたAさんをタクシーに乗せて容疑者の自宅に連れ込んだ」、それから「容疑者は意識が朦朧としたAさんの服を脱がせ、写真を撮影した。Aさんは、朝、目が覚めて、裸であることに気付いた」、「1か月ほどした後、Aさんは第三者から知らされて、容疑者が自分の裸の写真のデータを持っていることを知り、警察に相談した」、このように答えています。
質問は、「抗拒不能とはどういうことか?」というものですが、これに対して広報担当者は、直接、それに答えるだけではなくて、それ以前の、マンションの部屋に入るまでの状況、それから、そのあとの状況も説明をしています。
そうだとするときに、記者としてどういうふうに理解するか、この「『容疑を認めている』というのは、何を認めているというふうに理解すればいいのだろうか?」ということが、次に問題になると思います。最初にあった広報連絡の「事案の概要」の部分、その部分に限るのか、それとも副署長が説明した、一連の成り行きと言うか、経緯部分とその後の部分も含めたものか。特に、その「Aさんと一緒に飲酒した後、意識朦朧としていたAさんを自宅に連れ込んだ」、それから「Aさんの服を脱がせて写真を撮影した」という、この後半部分も含めるのかどうか、これらも含めて事実を認めているのかどうかというところが、一つ問題になるわけです。
この点について私どもは、この取材の中で、いくつかの事情を考えるべきだったのでは、というふうに考えました。
一つは、広報担当の副署長は、広報連絡に書いた「事案の概要」について「間違いありません」とは言っているけれども、犯行に至る経緯というところについては明確に認めているというふうに言っているわけでない。「抗拒不能とはどういうことですか」、という質問に対して一連の事実を説明したということに過ぎないわけで、すべてについて認めているということまでは言えないのではないか、明言はしてないのではないかと。
「猥褻目的でAさんを自宅に連れ込んだ」と「それから服を脱がせた」ということは、「事案の概要」には書いてないわけで、抗拒不能の状態で裸であったこととこれらのことは別のことなので、やはり、これらのことまで申立人が認めた趣旨という説明とは言えないのではないかと。
それから、副署長への取材は、10時に逮捕されて2時間弱しか経っていない時点です。事案の概要で示された「抗拒不能の状態云々」という、これは被疑事実に当たるわけですけれども、弁解録取をしたときに、被疑者が果たしてそういった被疑事実に対する認否を超えた部分の犯行の経緯について、正確に警察からの疑いを理解して詳細に供述しているのかも疑問が生じます。
さらに、Aさんが、翌朝には裸であったことを認識していたのですが、1か月後に写真データを知って警察に相談したという、こういった経緯についても考えるべきではないかと。
そして、連れ込んだといったことは、むしろ一般的に言えば撮影する行為以上の違法性が強いことも考えると、広報連絡に書いてある事案の概要の事実とは別の問題として、きちんと捉えるべきではないかというふうに考えたわけです。
それに対して放送が示している事実ですが、abcdefと順に整理して並べていますが、この順に読み上げています。熊本テレビはabcまでのところのあとで「容疑を認めているということです」というふうに言って、さらにefというところで、その事案の概要にない部分の詳しいことを説明しています。
これらの説明の語尾を見ていただくと、「~ということです」というふうになっていて、これは最近の事件報道で「~ということです」という、疑い、容疑事実として説明するという意味では、こういう説明の仕方は決して間違いではないと思います。ただ、同じ語尾を使っている中で、dというところで「容疑を認めているということです」ということが入ってくると、やはり、全体としてaからfまでのすべてを認めているという印象を、どうしても受けざるを得ないのではないかと考えました。ですので、放送で示した事実は、ストーリー全体を真実であろうという印象を与えるのではないかと考えました。
そして、放送倫理上の問題としては、今の説明のように、どの部分までが申立人は事実と認めているのか、そうではない警察の見立てのレベルのことが含まれるかについて疑問を持つべきで、その点を丁寧に吟味して、不明な部分があれば、広報担当者にさらに質問、取材すべきだったのではないか。認めている部分はどこまでなのか、容疑事実の部分なのか、それとも、部屋に連れ込み、その後、服を脱がせたという、詳しい経過部分についてまで認めているのかを、突っ込んで聞くことはできたのではないかと考えました。仮にそこまで無理だったとしても、逮捕直後のこの段階での事案の説明としては、疑いや可能性に留まるということを、表現の中で、より適切にするべきではなかったのかと考えました。
あと、もう一点、薬物使用の疑いについて、「疑いもあると見て容疑者を追及する方針です」という言い方をしています。「疑い」、「追及する方針」というのは、一般的な可能性ということに留まらずに、何らかの嫌疑を掛ける具体的な事情があるのではないかとの印象を与えるという意味で、表現としては不適切ではないかと考えました。それが放送倫理上の二つの問題点です。
放送倫理上の考え方については、詳しく説明しませんが、民放連、新聞協会、それからBPOの決定文でも記載してありますので、報道に際して考えていただければと思います。
次に、肖像権・プライバシー権の侵害ですが、これは申立人が主張していた点で、職場や自宅を詳しく放送された。それから、フェイスブックの写真を何度も放送されたという点です。「公務員である、ということを考えると」、というのがテレビ局の説明でしたが、私どもは、公務員であれば必ずすべての場合にこうした放送の仕方が許されるとは考えていません。その職場や担当部署とか、そういうことを考慮しないで、一律に正当化されるわけではないだろうと思います。やはり、被疑事件、事実の重大性とか、公務員の役職であるとか仕事内容に応じて、放送の適否を判断すべきだと考えています。ただ、本件については、重い法定刑の事案であり、区民課の窓口で一般市民に接触する立場ということも考えて、やむを得なかったのではないかと考えました。
それから、繰り返しの写真使用については、問題ないと結論としては考えていますが、特にフェイスブックの画像は、ネット上では、公開され、誰でも見られるわけですけれども、そのことと、放送ができる、許されるかどうかというのは、別の問題だと考えています。
本件では、特に留意点として、同じフェイスブックの中にこの方の親族の写真も何枚か入っていたため、この放送を見た方がフェイスブックを見に行くと、その親族らの画像もあって、親族の画像も見ることになる、そういうフェイスブックのちょっと特殊な側面、そういった点は留意する必要があるだろうと付言しています。だからやってはいけないということではありませんが、その点での注意が必要だということです。この件では、ご家族からテレビ局に対して指摘があり、テレビ局は、ウェブ上でのニュース映像については、短期間で削除した経過があったと聞いています。
熊本県民テレビの事案について、違う点は、放送の内容について、ある意味で、より明確なところがあり、aからdまでに整理した、事案の概要にあたる事実と、その経過部分も含めて言ったあとで、最後のところで「容疑に対して『間違いありません』と認めています」と言っていて、これを見ると、これはaからdまで言ったことすべて認めているというふうに放送が示して、印象を与えるというところが明らかで、その点で放送倫理上の問題があると考えています。

◆ 【委員会決定第66号「浜名湖切断遺体事件報道」】

(奥委員長代行)
ニュース映像を見てもらいましたが、あれは一つのニュースではなくて、午前中の時間帯から4回流れていって、だんだん詳しくなっています。BPOの人権委員会として、この事案を、なぜ、人権侵害としなかったのかというところに絞って考えてみます。
これは静岡では大変大きな事件で、テレビ静岡もすごく力を入れて報道しました。申立人は後に容疑者として逮捕された人の知人です。事件発覚前に容疑者から軽自動車を譲り受けています。2016年7月14日に警察が申立人宅に赴いて、この軽自動車を押収し、申立人は同日以降数日間にわたって警察の事情聴取を受けている。これは申立人も認めていて、争いのない事実なんですね。
申立人の主張の一つは、たしかに車を押収されたけれども、それは容疑者による別の窃盗事件の証拠品として押収されたもので、浜名湖切断遺体事件とは関係ないというものです。そして、ニュースの中で、関係者とか、関係先とか、関係先の捜索と言う言葉が使われていて、こういう言葉を使われたことによって、申立人がこの事件にかかわったかのように受け取られる。それから、申立人宅の前の私道から撮影して申立人宅とその周辺の映像があって、これは見た人から申立人宅であることが特定されてしまう。この点で名誉毀損であり、プライバシー侵害だという主張です。
これに対して委員会の判断は、外形的な事実としては、証拠品としての軽自動車の押収だったことは間違いない。しかし、テレビ静岡は良く分からないまま、そういう情報があるというので、張っていたら警察車両が行ったので取材した、という状況でした。捜査本部が間違いなく動いていて、大々的に捜査していますし、実際に申立人からも事情聴取をしている。単に車を譲り受けた経緯だけではなくて、容疑者についてもいろいろ聞いている。こうしたことを総合すると、当日の申立人宅での警察の活動が、浜名湖切断遺体事件の捜査の一環だったというふうに判断せざるを得ない。この点で申立人の主張は退けられてしまうわけです。
人権侵害、名誉毀損というのは、申立人の社会的評価が、そのニュースが流れることによって低下したかどうかということです。申立人宅の映像がいろいろ映りましたが、ロングの映像を使っていたり、映った表札を隠したりして、申立人宅を特定するものとは言えない。ただ、当日、捜査陣が来て大騒ぎしていましたから、あの映像を見ると、周辺住民には、この事件だったのかと、申立人宅と特定できた可能性は否定できないと判断しました。
けれども、社会的評価が低下したからと言って、すぐそれで名誉毀損が成立するわけではなく、その事実摘示に公共性、公益目的があるかどうか、さらに真実性、相当性を検討する必要があるわけです。
ここで一番重要なところは、関係先あるいは関係先の捜索という表現が、このニュースの重要部分の真実性を失わせることになったのかどうかということです。これは後で説明するとして、分かりやすいプライバシーのほうから話します。プライバシーとは、他者に知られることを欲しない個人に関する情報や私生活上の事柄です。本人の意思に反してこれをみだりに公開した場合は、プライバシーの侵害に問われます。本件の場合、申立人宅の映像は直ちに申立人宅を特定するものではない。布団とか枕が映っていたと申立人は主張していますが、これも、いわゆる守られるべきプライバシーとは言えないだろうということで、結論的にはプライバシー侵害にはあたらないと判断しました。
そして、名誉毀損のほうですが、関係先とか、関係者とか関係先の捜索という部分について、真実性、相当性の検討することになります。
申立人宅における当時の捜索活動が、浜名湖切断遺体事件の捜査の一環として行われ、申立人が容疑者から譲渡された軽自動車が押収されたことは争いがないわけです。しかし、申立人は、関係者、関係先の捜索という表現があることによって、この事件と全然関係ないのに共犯者だとか、何か事情を知っているとか、そう周りから思われたと言っているわけです。テレビ静岡は、当日の捜査活動の全体像を、取材に入った段階で知っていたわけではないのですね。警察の捜査車両の後について行ったら、そこで捜査活動が行われて、車が押収された。それで、それを特ダネ映像だとして写したということです。
こうした場合、申立人や申立人宅をニュースの中で、どう表現するかということですね。本件放送は関係者とか関係先の捜索という表現を使った。こういう言葉の使い方は、ニュースにおける一般的な用語としては、逸脱とは言えないだろうと委員会は判断しました。そういうことで、申立人に対する名誉毀損は成立しないということになりました。
ただ、やはり放送倫理の観点から考えると、必ずしも、全く問題がないとは言えないだろうという感じがしました。先に述べたように、テレビ静岡は当日の警察の捜査活動の具体的な内容をつかんでいたわけではありません。捜索は3か所ぐらいで行われていました。
事態がだんだん動いてくるときに、どう考えたのかということが焦点で、良く分からないけども、ともかく目前で展開される捜査活動を取材する一環として、申立人宅を撮影したことに問題はないだろう。それに、それなりの配慮をして、ロングの映像を使っているとか、表札が見えないようしている。そういうこともしていて放送倫理上問題があるとまでは言えない。放送倫理というのをどう考えるかというのは、非常に難しい問題があるわけですけれども、委員会の総意として放送倫理上問題があるとまでは言えないだろうということになりました。
しかし、最初のニュースの段階では、「静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった事件で、捜査本部は今朝から関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関連を調べています」とこう言っています。ここで関係先というのが出てくるわけです。そして、実際ニュースでは、この申立人宅の映像が、この最初のニュースを含めてくり返し使われている。
そして、午後4時台と午後6時台のニュースと遅くなるほど、詳細に、2階の窓の映像も加えている。実際、家の中まで入り込んで捜索が行われたかどうかというのは、分からないところがありましたが、申立人宅でも捜索が行われた、というふうに考えたことには、相当性が認められるだろうと判断しました。
しかし、時間の推移と共に、この申立人宅での捜査活動は車の押収だったことは分かったと思います。他のところでは、実際に家宅捜索もしていて、容疑者を任意同行している。捜査活動の中心はそちらのほうだったことは、推定できたはずだ。そうすると、くり返し申立人宅の映像を流し、なおかつ後になるほど増えてくる状況には問題があるのではないか。そこで、申立人宅の映像の使用はより抑制的であるべきではなかったかということを、決定文に書いたわけです。
この「より抑制的であるべきではなかったか」ということを、実際はどうしたらいいのかと、いろいろなところで聞かれます。これは、皆さんがそれぞれ考えなければいけないのですけれども、抑制的であるべきであったということは言えるだろうと思っているわけです。ですから、放送倫理上問題あるとまでは言えないけども、放送倫理上こういうことを考えてほしい、という決定になりました。

◆ 【意見交換】

(司会)
ここから意見交換に入りたいと思います。3つの事案をご紹介しました。事前のアンケートでは、決定文を読んだがよく分からないといった意見も散見されましたが、いかがでしょう。

(C放送局)
3事案とも、全国どこでも起こりうることで、私も大変考えさせられました。地方公務員事案では、申立ては二つの局に対して行われていますが、他の放送局はどんな伝え方をしたのか。申立人からすると、この2局が他局と比べて大きく違った点や、納得いかない点があったのでしょうか。

(坂井委員長)
その点は、よく出てくる疑問ですが、申立てとして残ったのはこの2件ということです。この事件が報道されたとき、申立人は逮捕されていて直接見ていません。出てきてからご覧になって、最初は各局全部問題にしようと思ったかもしれませんが、見た結果、申立てとして残ったのがこの2局だということです。なぜこの2局なのかという点は、本人からは直接聞いていないので、答えることはできません。ただ、これは私の個人的な想像ですが、フェイスブックの映像の使い方だとか、写真をどんな大きさで何回使うか、みたいなことが、きっと関係しているのではないかと想像しています。

(A放送局)
同じ事案で、我々からすると、やや不本意な、と言うか、こういう原稿の書き方は、私たちでもするだろうなと思う点が2点あります。一つは、そのニュース価値という点が、あまり今回検討されていないのですが、なぜ裸の女性が部屋にいたのかということが、ニュースにとって一番大事な観点になります。つまり、もし女性が自発的、もしくは了解のもとで部屋に入って、服を脱いだということであれば、それは全く事件の本質が変わってくるわけです。そうしたニュース価値の重みの中で、当然、デスクにしても、記者にしても、そこをまず聞かなければいけないと考えたと思います。
もう一つのポイントは、実際の取材の中での警察との関係性というところだと思います。基本的に副署長というのはスポークスマンですから、僕たちの感覚としては、嘘は言わない、知らないことは知らないと言うけれども、嘘は言わないという前提に立っています。そこが崩れてしまうと、報道が成り立ちませんので、そういう中で、最も記者が知りたいニュースの価値の部分、つまり、なぜそこで抗拒不能な形でいたのかということを聞いたとき、認めていますという中の、さらに、感覚としては、ちょっとサービス的な発言でもあるかと思うのですが、具体的な内容を、経緯、内容を話したということであれば、我々としては、ニュースの重みと価値判断と、それから通常の取材の中で、これは信じるに足りると判断せざるをえない。たしかに、もう1回、どこまで事実ですかと聞けばいいと言えば、そうですが、ただ、日常の取材活動の中での判断として、ここが放送倫理上問題と言われると、ちょっと厳しいなという感触を持っています。
特に、決定の中にあったように、連れ込む、または服を脱がすことがより悪質だとしても、これはまさに相対の問題なので、極めて立証の難しい、また取材も性犯罪になるので難しい問題になります。そういう中で、出てきた最終的な表現、まとめ方をもって、この決定というのは少し厳しいというか、放送としてはなかなか難しいなという感想を持っております。

(坂井委員長)
それは、まさにポイントで、現場の立場からおっしゃるのは、よく理解できますが、その裏返しをぜひ申しあげておきたいと思います。
単に仲良く一緒に家に行って、裸になった姿を写真に撮っただけであったら、全然、話が変わるという問題意識を持っておられる。それはまさに話が違ってくるわけです。同じころ、東京でも酔っ払っている女性を無理やり家に連れさらって、裸にして強姦するような事件が何度かありました。それとは、性質が全然違いますよね。裸になっている女性の写真を単に撮ったというのと、拉致して連れ帰って裸にして強姦してしまう、というようなこととは、全然違う。裏を返せばそういう話だと思うんですね。
そこを当然聞きたくなるのは、分かります。その問題意識を前提に、このとき、どういう容疑事実で、どういう取材結果だったのか、ということを冷静に考えていただければありがたいというのが、委員会決定の立場です。そういう大変な事件であれば、そもそもこのような容疑事実にはならない。拉致して連れ帰って、無理やり服を脱がせて、裸の写真を撮ったのであれば、連れ帰れば逮捕監禁かもしれないし、服を脱がせたとすれば、それが、むしろ準強制わいせつになるので、写真を撮ったところで準強制わいせつにならない。なのに、このときの容疑事実は、極めてイレギュラーな容疑事実になっている。
経験のある方でしたら分かると思います。この容疑事実は、何か普通ではないと。ぜひ、そこに突っ込んでいただきたい。そして、これ、二つの番組でちょっとニュアンス違いますよね。二つ目のほうは割とまとめて認めていますと言っている。一つ目は、分けて書いていたけど、後ろのほうも結局まとめて認めているみたいな、ちょっとニュアンス違いますが、いずれにしても取材の現場では、容疑事実は写真を撮ったというだけです。裸になっている写真を撮った。黙って撮った。そして、認めているのですか、認めていますっていう、テレビ熊本はそういう取材結果だったと思います。広報連絡。副署長にですね。その後に、抗拒不能とは、どういう意味ですかと。容疑事実は抗拒不能で裸でいる女性の写真を撮った。その抗拒不能とは、何でしょうかと聞いたら、副署長が、容疑事実でないことまでいろいろ話し出したというときに、あれ、容疑事実と違うのではないか、もしそうだとしたら、全然違う話になるのではないかということに、気づいてもいいのではないかというのが、決定の立場なのです。
たとえば、サツ回り1年目の人がすぐそういうこと気づくかというと、必ずしもそうでないかもしれないけれども、報道された側の立場からすると、意識不明の女性を家に連れ帰って、服をはぎ取って、写真撮ったという報道になるのか、家にいて裸でいる女性を、ただ写真を撮ったという報道をされるかは、報道される側にとってのダメージはすごく違うだろうと思います。でも、そうは言っても、我々の決定は、だから名誉毀損だとは言っていなくて、相当性はあるとしています。
そこが接点だと思いますが、副署長の説明は曖昧で、質問と答えが食い違っているし、ここは信じてもしかたがないから、名誉毀損ではない。決定としては、これは相当性ありだと。でも、その部分は、冷静に考えたら、放送倫理上の問題があると言えるのではないか、というのが決定の立場です。少数意見を唱えた委員もいましたが、決定全体としてはそういう結論になったということです。

(司会)
この決定に少数意見を書かれた委員から付け加えることはありますか。

(奥委員長代行)
事件があって、簡単なことしか書いていない広報連絡を持って副署長のところに行き、抗拒不能とはどういうことですか、どうして抗拒不能になったのですかとか、いろいろ聞いて、副署長がそれなりに一貫した説明をすれば、それを第一報として書くのは、事件報道として逸脱しているとは言えないだろうということで、少数意見を書きました。

(坂井委員長)
ちょっと付け加えますが、この事件は結局、示談が成立して起訴猶予になっているため、本当は何が起きたのか、我々も分かりません。相手の女性から話を聞いているわけでもないし、警察に取材したわけでもない。
でも、結局刑事事件にならなかったというときに、最初の報道で、ダメージの大きい報道をして、そういう報道をされた人間が受けるダメージというのはどうなのかということは、個人的にはやっぱり考えるべきだと思っています。

(市川委員長代行)
あと、警察との関係についてどう考えるのかは、なかなか難しいことです。ここまで取材で引き出すことができて、全部話してもらえたということは、取材として必要なことだと思います。とくに、この事案の概要だけ放送しても、何が何だか分からないですから。ただ、その一方で、やはり「容疑を認めている」と言うことの与える印象というのはすごく強くて、グレーなものが真っ黒という印象を、非常に強く与えやすい。そうであるとすれば、「容疑を認めている」という言葉を使う以上は、認めているのはここまでで、それ以外の部分はあくまでも疑いのレベルだということは、きちっと書きわけてほしいと思います。

【フェイスブック写真の使用について】
(司会)
この決定は、フェイスブックの使い方について付言されているところもポイントです。フェイスブックの使い方がクローズアップされたのは、軽井沢でのバス事故ごろからではないでしょうか。ぜひ、皆さんの体験や評価についてご紹介いただけないでしょうか。

(A放送局)
この事故は広く報道されましたが、被害者は長野県の方ではなくて、関東など、県外の方が多いという特殊なケースでした。長野県の方が亡くなられていたら、当然ご自宅を訪れて、フェイスブックに載っている写真でも、本人確認を取って、かつ複数、大体3人ぐらい、それぞれ違う方、家族や友だちとか、どれぐらい近いか判断しながら、放送に出していいかどうか判断するのですけれども、このケースでは、東京のキー局が、関東の方で家族含めて取材をする中で、フェイスブックの写真を、家族や親族に確認を取って、間違いないと確認が取れて放送しました。軽井沢の事故の場合は、被害者のお写真ですので、決定で指摘のあったように、家族の方から使ってくれるなとか、逆にフェイスブックの写真でなくこちらの写真を使って下さいというケースもありました。
フェイスブックの写真自体を使うことに対しては、一般に広く公開されていると言えば公開されているものである以上、確認を取ったうえで使うと。ただ、指摘の中であったように、やっぱりフェイスブックをたどっていけば友だちにも行きついてしまうし、本当の家族が出てきてしまう。素性がすべて分かってしまうというところは、普段取材していく中で、あるいは放送する際に検討していかなければいけない要素かなと思います。

(B放送局)
この事故についてのフェイスブックの使用については、私どもも東京キー局のほうで対応したので、私どもが直接ということはありませんでした。ただ、軽井沢の事故でなく、フェイスブックを扱うことについては、まず本人確認、私どもも異なる3人の人から間違いないという確認を得て、家族、またはそうした関係の方に了解を得られるところについては、そうした了解を得ながら使用するという形で対応しています。
フェイスブックの扱いについては、今までの卒業写真などの扱いと同じ考え方でやっています。ただ、通常私たちが関係先を回って手に入れる、いわゆる卒業写真といったものとは違って、フェイスブックは一気に広がってしまうので、手に入れるという取材等での重きは同じですけれども、拡散というのか、広がるものということについては、これまでの写真とはちょっと違うので、扱いについては、正直なところ、まだ、それほど詰めて話してはいませんが、これまでの写真とフェイスブックの違いというものについて、考えていかなければいけないのかなと思っています。

(C放送局)
この事故では、いっぺんに多くの方が犠牲になられたことが一つポイントで、うちも東京のキー局の方針に基づいて使用しています。実際には、引用する場合は、フェイスブックより、といったクレジットを必ずつけることとか、今回のバス事故で言えば、実際にフェイスブックからたどっていって、ご親族や、ご遺族など、関係者の方たちに許諾を取ったりしました。遺族によっては、そこから提供を受けたりすることもありましたが、基本的な扱いに関してはキー局に準ずる形で使っています。でも、実際に使う場合には、昨今のSNSの繁栄の中で、人権を侵害しないかどうか、プライバシーは大丈夫かなど、しっかり留意しなければいけないと考えています。

(D放送局)
うちも系列の基準の下、フェイスブックとかツイッターとか、どこから引用したのかをきちんと出す。
さらに、フェイスブックにある写真とかですと、それを3人以上に本人確認を取ったうえで使います。その後は、ご家族やご友人から画像なり写真なりを入手して、二次的には、そういう手間をかけて入手したものを使っていくようになっています。
バス事故に関しては、大きな事故でしたので弊社ではなくキー局ですべて動画の入手とか写真の入手を行いました。ですので、私どもはかかわっていません。ただ、後からフェイスブックの写真とかを使わないでほしいといったご遺族やご家族から要望があり、使用禁止になった素材とかもあります。
地方公務員事案で、容疑者のフェイスブックの写真からご家族の写真に行き着くというような話がありましたが、でも、今は、名前検索をするだけでも、かなりの動画が上がってきます。どこどこの公務員、とインターネット検索すると、別にフェイスブックを知っているか知らないかにかかわらず、名前だけでも行きつくような状況にあると思います。その点、どう考えたらよいでしょうか。

(E放送局)
当時弊社では、複数の被害者の方の写真をフェイスブックから引用して、放送に使いました。その際は、フェイスブックより、というクレジットをつけて使用しました。その都度その都度判断していることですが、あれだけの大規模な事故で、非常に関心も高く、亡くなられた方々のお人柄とか、ご本人がどのような人生を送られたかということを伝えるうえで、写真は不可欠だという判断で、著作権法第41条にある事件報道を根拠に、その範囲内で使用すると判断しました。その判断基準は、軽井沢の事故の前も後も、社内では特に変わっていません。とは言え、その都度その都度見極めて、ということでやっています。でも、なるべく直接ご遺族なりご友人の方々から、違うお写真などを提供いただく努力をして、極力、そういったものに替えて放送しています。

(司会)
きょうは、FM局も一社参加されています。もちろん映像は使っていません。

(市川委員長代行)
親族の写真に紐付けされていったということについて、委員会としては、だから直ちにフェイスブックの写真を使ってはだめだと考えているわけではありません。ただ、フェイスブックやインターネット上で検索可能な情報だとすれば、そういうところに行きつきやすい性格があるわけですから、使うときには、この点も気をつけたほうがいいのではないかということです。そこは、その場その場でまだ検討をしなければいけない、結論を出せていないところだと、率直に思っています。
もう一方で、地方公務員事案でのフェイスブックの写真というのは、カメラを構えている様子の写真などを、しかも、それをかなり大きくして使っています。やはり、そういう出し方は、普通の卒業写真の顔を一部くり抜いて使うのとは、与えるニュアンスというのが違うと感じます。その点は、曽我部委員が少数意見で触れておられます。

(曽我部委員)
今、名前で検索すれば出てくるではないか、というご指摘がありましたが、「フェイスブックより」というクレジットがついているので、フェイスブックを見てみようという感じになって、クレジットがあることによって、より好奇心をそそる面もあるのではないかと思います。
それから、フェイスブックの写真を使われることの抵抗感というのは、おそらく本来の文脈と違う形で使われるということへの抵抗感というのがあるのだと思います。卒業アルバムの写真などは、割と文脈のない写真ですので、どこに出てもそれほど違和感はありませんが、フェイスブックの写真というのは日常生活の場面を切り取って載せているものですから、それを全く違う事件報道の写真として使われることは、本人としては非常に違和感が強いのではないかと思います。公開はしているものですが、心理的な抵抗感があるのは、その辺りが一つ原因ではないかと感じています。
地方公務員事案で少数意見を書いて言及したのは、ちょっと違う話で、フェイスブック写真の使い方と言うよりは、要するに、申立人は、区役所の窓口の、住民票の写しの発行などをしている人なのですね。それが、あのような形で大きく報道をされてしまうことの、ニュース価値の判断について、個人的にはそこまでやる必要があるのかなと感じました。
自宅マンションの前からの記者リポートや、職場窓口を映した局もありました。当時、市役所職員の不祥事が続いていたという文脈もあるやに聞いていますけれども、幹部公務員が職務上の不祥事を起こしたというのであればともかく、若手の窓口の職員が起こしたプライベートの事件という中で、あそこまでやる必要があるのかなというのを書いたのが私の少数意見です。

(坂井委員長)
このフェイスブックの写真の利用と肖像権の関係という問題は、まだ議論が固まっていません。去年の弁護士会と民放連との会合で話したことをご紹介します。
まず、皆さんのいう同一性確認、裏取りというか、本当に本人なのかということは、当然やっていただかなければいけないという前提で、そのうえで、そのまま使っていいのかという議論があります。そのとき、フェイスブックに関して言うと、あそこに出す写真というのは、公開しますという了解を取っているので、良さそうに見えますが、曽我部委員が言ったように、使われ方の文脈が違うときに、本当に全部それでOKと言えるのだろうかという話なのです。
フェイスブックで、自己紹介で出すことについては、公開されますよと言う前提なのだけど、たとえばこの事案で言うと、破廉恥な行為をやった被疑者として、テレビで何回も大写しをされることについての承諾まで、本当にあるのだろうか。軽井沢バス事故の件で言うと、事故の被害者として報道されるときに使われることを本当に承諾していたのだろうかということ。それから、最近の事件で言うと、座間の事件、あれは被害者といっても、バス事故よりももう少しデリケートな、センシティブな問題が関わってくる。
自殺とか、性被害があったのでないかということがあるので、そういうときに写真をどう使えるのかという議論もかかわってきます。
結局これは、肖像権の問題と報道の自由、表現の自由とのバランスの問題です。天秤の話で、たとえば座間の事件で、あまりひどい報道をされるから、遺族の方から、もう写真は絶対使わないでくれというような貼り紙をされました。そもそも遺族に本人に関する肖像権はないわけですが、族が嫌だ、本人が嫌だと言ったら、報道は全部出してはいけないことになるのだろうか。本当は、それはバランスからして、どうなのかという議論をしなくてはいけない。報道の側からも、これまで出してきたからいいだろうと言うのではなくて、報道の被害者であっても了解なく使える場合があるのではないかといった議論をするべきなのだと思います。
だから、同一性確認の問題と、報道として使っていいかという問題は、別の議論のはずなのですね。それが、座間の事件で言えばデリケートな部分があり、バス事故の場合は割と出して下さって結構だ、名無しじゃないんだうちの子は、と言いやすい状況があります。逆に、この事例で言うと、被疑者ですから、あまり出してほしくないという話が出てくる。
たとえば、熱海の散骨場の事案では、放送局が本人の了解なく、約束を破って使いましたが、その場合でも肖像権侵害を認めてない。というのは、一定の場合に本人の了解なく使っても、肖像権侵害にならない場合がある、ということなのです。放送メディアにとって、映像は、ある意味命なわけで、肖像権が万能だと言ってしまうと、ニュース映像の顔は全部ぼかさなければいけないというような話になって、三宅前委員長時代に、それはまずくないですか、という委員長談話を発表しています。
そういうところにかかわるので、報道する側から、やはりこういう場合は報道のために肖像を使えるのではないかという領域がある、ということを言わないと、だんだん窮屈になって、同一性確認だけでなくて、OKしてもらわないと使えないことになる可能性もあって、それは怖いことだと私は思います。情報流通という意味では、使っていい場合もあるし、もちろん座間の事件で、心なき報道があって、そういうのが良いと言うわけではありません。しかし、事件報道として必要な場合もあるというときに、肖像権と表現の自由、報道の自由のバランスをどう取るのか、報道する側から積極的な議論をしないと、本当に窮屈になって、難しい時代が来ると思っています。
それから、さっきE放送局がおっしゃった、著作権の問題で、報道引用の話と肖像権侵害の問題は別の議論なので、著作権法の議論だけではカバーできないだろうなという気がしています。また別の理屈を立てなければいけないのではないかと思います。

(C放送局)
地方公務員の事案に戻りますが、最終的には不起訴だったと思いますが、そういう刑事処分のことは、委員会決定の心証に影響するものでしょうか。それとも、あくまでも申立て事実のみで、審理されていて心証的なものは排除されているのでしょうか。
(坂井委員長)
刑事処分がどうなったかで、結論が変わるという話ではなくて、書いてあるとおり、事実はどうだったのかということと、名誉毀損で言うと、社会的評価の低下があったのかどうか、公共性、公益目的、真実性、相当性というところで議論をしていきます。逆に言うと、起訴前の刑事事件ですから、公共性はまず認められて、ストレートニュースですので、公益目的を否定することは、およそ考えられないので、結局、真実性、相当性の問題はどうかとうところだけでやっているので、後で不起訴になったからとかで、結論が変わるという話ではないと思っています。

(二関委員)
補足ですけれど、不起訴になる場合も、起訴猶予の場合とか、罪となる事実がないから不起訴にする場合など、いろいろあって白黒まさに良く分からない場合があります。検察官も、特にその理由とかを明らかにしないケースが結構多いと思います。その意味で、本当に不起訴になったからどうだということを、委員会が、そこから何か引き出せない場合のほうが、むしろ多い面がありますので、その事実が仮に委員会の審理より前に明らかになっていたとしても、影響を受けることは基本的にないということになると思います。

(D放送局)
私、報道でないので、一視聴者としての率直感想です。起訴になった起訴にならないが、この判断基準にならないというのは、ちょっと、びっくりしました。この程度、と言ってはいけませんが、もっと大きな重罪を犯している犯罪者が、顔写真が入手できたできないによって、顔写真が載る載らないという案件もあると思います。つまり、たまたまこの件では、フェイスブックをやっていて、我々放送側にしてみれば、写真を入手しやすいシチュエーションがあった。しかし、それが結果的に起訴されなかったにもかかわらず、ここまでの顔写真が出てしまったことが、あまり問題視されていないというのは、どうなのだろうかと疑問に感じました。

(坂井委員長)
そこは、論点が食い違っているように感じます。ご質問は、名誉毀損になるかどうか、放送倫理上問題があるかどうかの結論が、起訴されたかどうかで変わるのか、というものでしたから、それで判断するのではありませんという答えになりました。
今、おっしゃったのは、もっと根っこのことで、被疑事実は何だったのかという話なんですね。被疑事実は抗拒不能の女性を、意識不明の女性を家へ連れ帰って、服をはぎ取って写真を撮った、ではなくて、意識不明の女性の裸の写真を撮ったというもので、しかも起訴猶予になった、ないしは不起訴になったということで、我々が分かるのは、検察も立件しなかったということ。ただ、このケースは、嫌疑がなかったのか、猶予なのか分かりませんけど、示談が成立したということは、何らかの問題があったようにも思われる。でも真相は分からない。そういう前提で、放送局が何をしなければいけないかというと、放送した内容の真実性の立証、相当性の立証をしなければいけないという話になるのです。
だから、結果として検察が起訴したかどうかということは、我々には判断する理由はなくて、名誉毀損を判断するには、真実性、相当性の立証であり、本件のように検察も起訴しなかったものについて、放送局は何をもってそれを立証するのかという議論になるわけです。
その後の放送倫理の問題としては、じゃあ被疑事実について、結果的に起訴に至らなかった事案について、放送のときの話はそれは分からない前提ですから。そうすると、起訴されるかどうか分からない段階で、こういう容疑事実について、こんな写真の使い方をするのか、こんな放送をするのか、という話になってしまう。放送したときの話というのは、まだ逮捕されているだけですから、その後起訴されるか不起訴になるかということは、その放送時点での判断には出て来ようがない。真実性立証絡みでは後付けで判断されるので、出てきますけど、放送時点では、検察も真実性立証をしていないという話になりますよね。容疑事実をはみ出した部分については、真実立証をしないと判断したのかもしれない。そういうレベルの話をしているので、ちょっと論点が食い違っているような気がします。

(D放送局)
分かりました。私見ですけども、今、この社会では、防犯カメラとか非常に映像も入手しやすい、フェイスブックも然りだと思いますが、そういう映像の入手しやすさ云々で、映像が取れたからと、私ども放送局が使いやすくなっていることは事実だと思います。
この事案でも、容疑者の社会復帰という一面もある中で、刑が確定してない時点で、入手しやすかった映像が、テレビ的に使いやすいからと言って、出してしまったことに対して、自戒も込めて、注意をしていかなければいけないと感じます。

(坂井委員長)
この事件の被疑事実で、この段階で、こういう写真の使い方をするのですかという、それは、おっしゃるとおりだと思います。

■ 長野放送(NBS)を訪問、視察

放送人権委員会は、長野での意見交換会に先立ち、10名の委員全員が長野放送を訪問し、外山衆司社長らと懇談したほか、社内を視察した。
懇談では外山社長から「人権や放送倫理は重要な問題であり、長野県での意見交換会開催は、そのことをもう一度意識し、倫理意識を向上させる契機となる」と挨拶があった。その後、船木正也常務、矢澤弘取締役報道局長らから、ローカル局の現状や仕事の状況などの説明を受け、委員からも「取材における在京局との違いは」、「ネットとローカル番組の比率、自社制作の割合は」、「スタッフ数の増減や記者クラブの状況は」といった質問などが出された。さらに、委員らは夕方の『NBSみんなのニュース』の放送現場や、報道局内での作業などを視察した。
委員会ではこれまで、在京局への視察を行っているが、委員会としてローカル局を訪問、視察するのは、これが初めて。地方局に対する申立てが増える傾向にある中、今回の視察は、ローカル局の現状に対する委員らの理解を深める貴重な機会となった。

以上

2017年度 第67号

「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」に関する
委員会決定

2018年3月8日 放送局:東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)

勧告:人権侵害
東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)は2017年1月2日放送の情報バラエティ―番組『ニュース女子』で沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集した。軍事ジャーナリストが沖縄を訪れリポートしたVTRを放送し、その後スタジオで、出演者によるトークを展開した。また、翌週9日放送の『ニュース女子』の冒頭では、この特集に対するネット上の反響を紹介した。
この放送について、申立人の辛淑玉氏は、「本番組はヘリパッド建設に反対する住民を誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が、虚偽のものであることが明らか」とした上で、申立人についてあたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また、申立人が、外国人であることがことさらに強調されるなど人種差別を扇動するものであり、申立人の名誉を毀損する内容であると訴えた。
委員会は審理の結果、2018年3月8日に「委員会決定」を通知・公表し、「勧告」として、本件放送には申立人に対する名誉毀損の人権侵害があったと判断した。その理由として、本件放送で「申立人は過激で犯罪行為を繰り返す基地反対運動を職業的にやってきた人物でその『黒幕』である」、「申立人が過激で犯罪行為を繰り返す基地反対運動参加者に5万円の日当を出している」との事実を摘示しているものと認められ、TOKYO MXによって、それら事実の真実性は立証されていないとの判断を示した。

【決定の概要】

TOKYO MXは2017年1月2日、『ニュース女子』で沖縄の基地問題を取り上げ、1月9日の同番組では1月2日の放送に対する視聴者からの反響について冒頭で取り上げる放送をした。『ニュース女子』は「持込番組」であり、TOKYO MXは企画、制作に関わっていないが、「持込番組」であっても放送局が放送責任を負うことは当然であり、TOKYO MXもこれを争っていない。
この放送について申立人は、「高江でヘリパッドの建設に反対する住民を『テロリスト』『犯罪者』とし、申立人がテロ行為、犯罪行為の『黒幕』であるとの誤った情報を視聴者に故意に摘示した。『テロリスト』『犯罪者』といわれた人間は、当然のごとく社会から排除されるべき標的とされる。本放送によって〈排除する敵〉とされた申立人は平穏な社会生活を奪われたのである」などとしたうえ、そのように描かれた基地反対運動の「黒幕」であり「日当5万円」を支給しているものとされた「申立人の名誉の侵害について主に」問題とするなどと訴え、委員会に申立書を提出した。
これに対しTOKYO MXは、1月2日の放送は、申立人が「のりこえねっと」を主宰する者で、現在は沖縄の基地問題にも取り組んでいるという事実を摘示するものに過ぎず、これらの事実摘示が、直ちに申立人の社会的評価を低下させるものではなく、また、申立人が基地反対運動の「黒幕である」とか、基地反対運動参加者に「日当」を出しているとの内容ではないし、仮にそのような内容であり、それが社会的評価を低下させるとしても、公共性のあるテーマについて公益目的で行われた放送で、その内容は真実であるから名誉毀損にはあたらない、などと反論した。
委員会は、申立てを受けて審理し決定に至った。委員会決定の概要は、以下のとおりである。
1月2日の放送は、前半のVTR部分と後半のスタジオトーク部分からなるが、トークはVTRの内容をもとに展開されており、両者を一体不可分のものとして審理した。VTR部分では基地反対運動が過激で犯罪行為を繰り返すものと描かれており、これを受けてのトーク部分では申立人が関わる「のりこえねっと」のチラシに申立人の名前が記載されていることに言及しつつ、申立人が日当を基地反対運動参加者に支給していると受け取る余地がある出演者の発言やテロップ、ナレーションが重ねて流される。これらの放送内容を総合して見ると、本件放送は「申立人は過激で犯罪行為を繰り返す基地反対運動を職業的にやってきた人物でその『黒幕』である」、「申立人は過激で犯罪行為を繰り返す基地反対運動の参加者に5万円の日当を出している」との事実を摘示しているものと認められ、それらは申立人の社会的評価を低下させるものと言える。この放送に公共性、公益性は認められるが、TOKYO MXによって、上記各事実の真実性は立証されておらず、申立人に対する名誉毀損の人権侵害が成立する。
これに加えて、1月2日および1月9日放送の『ニュース女子』には以下の2点について放送倫理上の問題がある。第一に、「放送倫理基本綱領」は「意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない」などとしているところ、1月2日の放送を見れば申立人への取材がなされていないことが明らかであるにもかかわらず、TOKYO MXは考査においてこれを問題としなかった。第二に、「日本民間放送連盟 放送基準」は「人種・民族・国民に関することを取り扱う時は、その感情を尊重しなければならない」などとしているところ、そのような配慮を欠いた1月2日および1月9日のいずれの放送についても、TOKYO MXは考査において問題としなかった。
委員会は、TOKYO MXに対し、本決定を真摯に受け止めた上で、本決定の主旨を放送するとともに、人権に関する「放送倫理基本綱領」や「日本民間放送連盟 放送基準」の規定を順守し、考査を含めた放送のあり方について局内で十分に検討し、再発防止に一層の努力を重ねるよう勧告する。

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2018年3月8日 第67号委員会決定

放送と人権等権利に関する委員会決定 第67号

申立人
辛 淑玉
被申立人
東京メトロポリタンテレビジョン株式会社(TOKYO MX)
苦情の対象となった番組
『ニュース女子』
放送日時
2017年1月2日(月)22時から23時のうち 冒頭16分
2017年1月9日(月)22時から23時のうち 冒頭 7分

【本決定の構成】

I.事案の内容と経緯

  • 1.本件放送内容と申立てに至る経緯
  • 2.論点

II.委員会の判断

  • 1.はじめに
  • 2.本件放送は申立人の名誉を毀損したか
  • 3.放送倫理上の問題について

III.結論

IV.放送概要

V.申立人の主張と被申立人の答弁

VI.申立ての経緯および審理経過

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2018年3月8日 決定の通知と公表の記者会見

通知は、2018年3月8日午後1時からBPO第1会議室で行われ、午後2時30分から都市センターホテル6階会議室で公表の記者会見が行われた。
詳細はこちら。

2018年6月19日 委員会決定に対する東京メトロポリタンテレビジョンの対応と取り組み

委員会決定第67号に対して、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)から対応と取り組みをまとめた報告書が6月8日付で提出され、委員会はこれを了承した。

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第255回放送と人権等権利に関する委員会

第255回 – 2018年2月

沖縄基地反対運動特集事案の審理、審理要請案件…など

沖縄基地反対運動特集事案の「委員会決定」案を検討し、了承した。命のビザ出生地特集事案を審理要請案件として検討し、審理入りを決定した。

議事の詳細

日時
2018年2月20日(火)午後4時~10時55分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員、水野委員

1.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が2017年1月2日と9日に放送した情報バラエティ―番組『ニュ―ス女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、軍事ジャ―ナリストが現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるト―クを展開、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この放送に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉氏が申立書を委員会に提出、「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が、虚偽のものであることが明らか」としたうえで、申立人についてあたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また、申立人が、外国人であることがことさらに強調されるなど人種差別を扇動するものであり、申立人の名誉を毀損する内容であると訴えた。
これに対しTOKYO MXは、「申立人の主張は本番組の内容を独自に解釈し、自己の名誉を毀損するものであると主張するものであり、理由がないことは明らか」との立場を示し、また、虚偽・不公正であるとの申立人の主張については、「制作会社において必要な取材を尽くしたうえでの事実ないし合理的な根拠に基づく放送であって、何ら偽造ではない。申立人が主張するその他の事項についても同様であり、本番組の放送は虚偽ではなく不公正な報道にも該当しない」と述べている。
今月の委員会では、2月に入って2回開かれた起草委員会を経て修正された「委員会決定」案を審理、読み合わせをしながら表現、字句等を修正したうえで大筋で了承され、委員長一任となった。その結果、3月上旬に通知・公表を行うことになった。

2.審理要請案件:「命のビザ出生地特集に対する申立て」

上記申立てについて審理入りを決定した。
対象となったのは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から逃れた多くのユダヤ人を救った外交官・杉原千畝の出生地について、CBCテレビが2016年7月12日から2017年6月16日までに報道番組『イッポウ』で10回にわたり放送した特集等。番組では、岐阜県八百津町が千畝の手記などいわゆる「杉原リスト」をユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請したのを受けて、千畝が「八百津町で出生」という通説に一部で疑念が生じているとして、千畝の子供で唯一存命の四男・伸生氏(ベルギー在住)が取り寄せた戸籍謄本には、千畝が八百津町ではなく、「武儀郡上有知町」(現在の美濃市)で出生したと表記されていたことや、千畝の手記(下書き原稿)を入手して調べたところ、出生地が「武儀郡上有知町」が二重線で消され、「加茂郡八百津町」に書き直され、伸生さんは書き直した文字は「父の筆跡ではない」と話し、筆跡鑑定士も「千畝のものと違う」と鑑定した等と放送した。
この放送に対し、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」およびその理事である杉原千弘氏と杉原まどか氏、平岡洋氏の3氏が委員会に名誉毀損を訴える申立書を提出。この中で、番組ではユネスコに提出された本件各手記を「杉原千畝命のビザ」が保管していることを杉原まどか氏と平岡洋氏に確認させ、直後に「鑑定士」2人が本件各手記は偽造文書であると決めつける発言をそのまま放送したことから、「一般の視聴者は、本件各手記は偽造されたものとの印象を受けた」と主張した。
さらに、杉原まどか氏及び平岡洋氏が本件各手記の真正を述べるインタビューを放送した直後に、「違うよ、こんなの」だとか、「裁判所からの鑑定だったら、完全に違う、と言う。」と、「鑑定士」が両氏のインタビュー内容を徹底的に否定してみせたことにより、「かかる構成からすると、杉原まどか及び平岡洋が偽造者であるとの事実を摘示している」と述べた。
申立書は、「私文書偽造は犯罪であり、しかもそれをユネスコに提出して偽造私文書を行使したというのだから、本件放送が杉原まどか及び平岡洋の社会的評価を低下させることは明らか」で、また本件各手記の保管者である「杉原千畝命のビザ」の社会的評価も低下させ、「本件各手記の真実の保管者は杉原千弘であること、同人は杉原千畝命のビザの理事であることから、杉原千弘の社会的評価も低下させる」と主張した。
申立書は放送による具体的被害として、それまで半年間に十数件あった申立人らへの講演依頼が、放送後はほとんどなくなった点等を挙げ、CBCテレビに対し、「本件各手記はいずれも杉原千畝が書いた真正なものである」との趣旨の訂正を番組内で放送するよう求めている。
申立人とCBCテレビは、委員会事務局の要請に応じて面会し、話し合いによる解決を模索したが、双方の主張は折り合わず、不調に終わった。
これを受けてCBCテレビは2018年1月30日付で「経緯と見解」書面を提出、「申立人が主張する『杉原千畝の手記とされる文書を、偽造文書と決め付けるような放送』は、行っていない。従って、申立人が求めている訂正を、放送する考えはない」と述べた。
同局は、八百津町が町内に設置した「杉原千畝生家跡」との看板を後に「実家跡」に書き換えたことをきっかけに取材を始め、番組は世界記憶遺産登録申請の「活動の根幹(根拠)となる『八百津町で出生』という通説が揺らいでいることを報じたもので、この"霧"を晴らすことが地元メディアの役割であり、真っ当な世界遺産登録への道と考えた。正確性、真正性が厳格に問われるユネスコの審査に、疑義を残したままで大丈夫なのか。登録申請者である八百津町の姿勢に警鐘を鳴らすとともに、世界に胸を張って杉原千畝の業績の顕彰を進めるため、この機会に、地元や研究者の間にくすぶる千畝の出生地の疑問、及びその根拠を再検証する必要があると考え、一連の報道を行った」と説明した。
また「一連の取材でキーになったのが、千畝の子どもで唯一存命の四男・伸生氏へのインタビューと、彼が入手した千畝の戸籍謄本などの一次資料」とし、出生地に関する手記の書き直しが、伸生氏が指摘するように別人によるものかその可能性を探るため「利害関係のない専門家」に筆跡鑑定を依頼したところ、「下書き原稿の出生地書き直しは、千畝とは別人の筆跡である可能性が高い。」という結果が出たと指摘。ただ、「筆跡鑑定は絶対ではなく、あくまで判断材料の一つ」として、「放送は、手記が真正か、偽造されたものかという判断には踏み込んではいない。但し、下書き原稿の出生地の書き直しに限っては、筆跡鑑定の結果を含めた総合的な判断として、不自然さが残ることを指摘した。申立人が指摘する『手記は偽造文書だ』という旨の放送は、行っていない。また、申立人が指摘する『杉原まどか氏および平岡洋氏が手記を偽造したという印象』を、この放送を視聴された一般の方が抱くとは思えない」と主張した。

委員会は、委員会運営規則第5条(苦情の取り扱い基準)に照らし、本件申立ては審理要件を満たしていると判断し、審理入りすることを決めた。
次回委員会より実質審理に入る。

3.その他

  • 3月13日に開催される2017年度BPO年次報告会について事務局長が説明した。

以上

2018年2月20日

「命のビザ出生地特集に対する申立て」審理入り決定

放送人権委員会は2月20日の第255回委員会で、上記申立てについて審理入りを決定した。
対象となったのは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から逃れた多くのユダヤ人を救った外交官・杉原千畝の出生地について、CBCテレビが2016年7月12日から2017年6月16日までに報道番組『イッポウ』で10回にわたり放送した特集等。番組では、岐阜県八百津町が千畝の手記などいわゆる「杉原リスト」をユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請したのを受けて、千畝が「八百津町で出生」という通説に一部で疑念が生じているとして、千畝の子供で唯一存命の四男・伸生氏(ベルギー在住)が取り寄せた戸籍謄本には、千畝が八百津町ではなく、「武儀郡上有知町」(現在の美濃市)で出生したと表記されていたことや、千畝の手記(下書き原稿)を入手して調べたところ、出生地が「武儀郡上有知町」が二重線で消され、「加茂郡八百津町」に書き直され、伸生さんは書き直した文字は「父の筆跡ではない」と話し、筆跡鑑定士も「千畝のものと違う」と鑑定した等と放送した。
この放送に対し、手記を管理しているNPO法人「杉原千畝命のビザ」およびその理事である杉原千弘氏と杉原まどか氏、平岡洋氏の3氏が委員会に名誉毀損を訴える申立書を提出。この中で、番組ではユネスコに提出された本件各手記を「杉原千畝命のビザ」が保管していることを杉原まどか氏と平岡洋氏に確認させ、直後に「鑑定士」2人が本件各手記は偽造文書であると決めつける発言をそのまま放送したことから、「一般の視聴者は、本件各手記は偽造されたものとの印象を受けた」と主張した。
さらに、杉原まどか氏及び平岡洋氏が本件各手記の真正を述べるインタビューを放送した直後に、「違うよ、こんなの」だとか、「裁判所からの鑑定だったら、完全に違う、と言う。」と、「鑑定士」が両氏のインタビュー内容を徹底的に否定してみせたことにより、「かかる構成からすると、杉原まどか及び平岡洋が偽造者であるとの事実を摘示している」と述べた。
申立書は、「私文書偽造は犯罪であり、しかもそれをユネスコに提出して偽造私文書を行使したというのだから、本件放送が杉原まどか及び平岡洋の社会的評価を低下させることは明らか」で、また本件各手記の保管者である「杉原千畝命のビザ」の社会的評価も低下させ、「本件各手記の真実の保管者は杉原千弘であること、同人は杉原千畝命のビザの理事であることから、杉原千弘の社会的評価も低下させる」と主張した。
申立書は放送による具体的被害として、それまで半年間に十数件あった申立人らへの講演依頼が、放送後はほとんどなくなった点等を挙げ、CBCテレビに対し、「本件各手記はいずれも杉原千畝が書いた真正なものである」との趣旨の訂正を番組内で放送するよう求めている。
申立人とCBCテレビは、委員会事務局の要請に応じて面会し、話し合いによる解決を模索したが、双方の主張は折り合わず、不調に終わった。
これを受けてCBCテレビは2018年1月30日付で「経緯と見解」書面を提出、「申立人が主張する『杉原千畝の手記とされる文書を、偽造文書と決め付けるような放送』は、行っていない。従って、申立人が求めている訂正を、放送する考えはない」と述べた。
同局は、八百津町が町内に設置した「杉原千畝生家跡」との看板を後に「実家跡」に書き換えたことをきっかけに取材を始め、番組は世界記憶遺産登録申請の「活動の根幹(根拠)となる『八百津町で出生』という通説が揺らいでいることを報じたもので、この“霧”を晴らすことが地元メディアの役割であり、真っ当な世界遺産登録への道と考えた。正確性、真正性が厳格に問われるユネスコの審査に、疑義を残したままで大丈夫なのか。登録申請者である八百津町の姿勢に警鐘を鳴らすとともに、世界に胸を張って杉原千畝の業績の顕彰を進めるため、この機会に、地元や研究者の間にくすぶる千畝の出生地の疑問、及びその根拠を再検証する必要があると考え、一連の報道を行った」と説明した。
また「一連の取材でキーになったのが、千畝の子どもで唯一存命の伸生氏(四男・ベルギー在住)へのインタビューと、彼が入手した千畝の戸籍謄本などの一次資料」とし、出生地に関する手記の書き直しが、伸生氏が指摘するように別人によるものかその可能性を探るため「利害関係のない専門家」に筆跡鑑定を依頼したところ、「下書き原稿の出生地書き直しは、千畝とは別人の筆跡である可能性が高い。」という結果が出たと指摘。ただ、「筆跡鑑定は絶対ではなく、あくまで判断材料の一つ」として、「放送は、手記が真正か、偽造されたものかという判断には踏み込んではいない。但し、下書き原稿の出生地の書き直しに限っては、筆跡鑑定の結果を含めた総合的な判断として、不自然さが残ることを指摘した。申立人が指摘する『手記は偽造文書だ』という旨の放送は、行っていない。また、申立人が指摘する『杉原まどか氏および平岡洋氏が手記を偽造したという印象』を、この放送を視聴された一般の方が抱くとは思えない」と主張した。

委員会は、委員会運営規則第5条(苦情の取り扱い基準)に照らし、本件申立ては審理要件を満たしていると判断し、審理入りすることを決めた。
次回委員会より実質審理に入る。

放送人権委員会の審理入りとは?

「放送によって人権を侵害された」などと申し立てられた苦情が、審理要件(*)を満たしていると判断したとき「審理入り」します。
ただし、「審理入り」したことがただちに、申立ての対象となった番組内容に問題があると委員会が判断したことを意味するものではありません。

* 委員会審理に必要な要件については、同委員会「運営規則 第5条」をご覧ください。

第254回放送と人権等権利に関する委員会

第254回 – 2018年1月

沖縄基地反対運動特集事案の審理…など

沖縄基地反対運動特集事案を審理し、提出された「委員会決定」の修正案について議論した。

議事の詳細

日時
2018年1月16日(火)午後4時~10時05分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員、水野委員

1.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が2017年1月2日と9日に放送した情報バラエティ―番組『ニュ―ス女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャ―ナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるト―クを展開、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この放送に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉氏が申立書を委員会に提出、「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が、虚偽のものであることが明らか」としたうえで、申立人についてあたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また、申立人が、外国人であることがことさらに強調されるなど人種差別を扇動するものであり、申立人の名誉を毀損する内容であると訴えた。
これに対しTOKYO MXは、「申立人の主張は本番組の内容を独自に解釈し、自己の名誉を毀損するものであると主張するものであり、理由がないことは明らか」との立場を示し、また、虚偽・不公正であるとの申立人の主張については、「制作会社において必要な取材を尽くしたうえでの事実ないし合理的な根拠に基づく放送であって、何ら偽造ではない。申立人が主張するその他の事項についても同様であり、本番組の放送は虚偽ではなく不公正な報道にも該当しない」と述べている。
今月の委員会では、第2回起草委員会を経た「委員会決定」の修正案が提出され、担当委員の説明を受けて議論した。その結果、さらに起草委員会を開き、次回委員会で審理を続けることになった。

2.その他

  • 委員会が2月2日に長野で開催する県単位意見交換会の議題、進行等を確認した。

  • 2月22日に開催される第15回BPO事例研究会について事務局長が説明した。

  • 次回委員会は2月20日に開かれる。

以上

2017年11月28日

東北地区意見交換会

放送人権委員会は11月28日に東北地区の加盟社との意見交換会を仙台で開催した。東北地区での意見交換会は2013年2月以来で、19社44人が出席し、委員会からは坂井眞委員長ら委員7人が出席した。前半はフェイスブックの写真の使用と検索結果削除に関する最高裁の判断について、後半は最近の3事案の委員会決定を取り上げ、4時間近く意見を交わした。
概要は、以下のとおりである。

◆フェイスブックの写真の使用について

今年7月に宮城県登米市で男が自宅に放火して妻と2人の子どもが死亡するという事件があり、妻がフェイスブックに自分と子供の写真を載せていた。仙台のテレビ局に対応を報告してもらい議論を進めた。

(A局)
手軽に写真とか動画が入手できますが、問題はそれが本当なのか、確認にかなり苦労をしているというのが本音です。今回は本人が亡くなっているので、その近しい人に確認しないと使えないということで確認作業をしました。ただ、1歳の子の生後まもないの頃の写真については、急激に成長して顔かたちが変わるような時期なので、ほぼ間違いないと思っても、本当に間違いないかということで、使わないという判断をしました。写真に施されたデコレーションは親の愛情とかを示しているものということで使いました。

(B局)
弊社でも、フェイスブック上から写真を入手し、A局がおっしゃったように、複数名、近しい方々に確認を取った上で、「フェイスブックより」という出典を明記して使いました。確かにデコレーションがちょっと激しくて、使わないほうがいいのじゃないかという意見もありましたが、総合的に判断し使ったほうがいいという結論に至りました。

(C局)
同じようにフェイスブックの写真を入手しましたが、A局と同じように、一番下の男の子についてはあまりにも幼くて、ちょっと確認のしようがないと。フェイスブックに名前が書いてはありますが、確認のため近所の方に見せる時には、決して「これが〇〇ちゃんですか?」というような聞き方はしなくて、名前を伏せるものですから、実際に放送に使ったのは2人だけでした。かなりキラキラしているデコレーションは、全部撮り切りで使うということは避けて顔の部分だけを切り抜いて使用しました。

(坂井委員長)
この問題はきっと2つの問題があって、1つはネット上で入手する写真の使用が肖像権の問題をクリアできているのかという問題、もう1つは被害者の方の写真をどういうふうに使っていいのかいけないのかという問題。
去年1月の軽井沢のスキーバス事故では大勢の大学生が亡くられて、テレビ各局は、新聞もですね、フェイスブックから写真を入手して使ったので、それはどうだったのだろうかという議論をしました。肖像権の問題、本人がどういう意思でフェイスブックに写真を載せているのかと。例えば、顔写真が公開になっているからいいじゃないかという議論が片方ではありますが、でも、こういう事件の時に報道で使われることまで本当にいいと思って載せたのかという疑問。熊本の公務員事件(委員会決定第63号、第64号 事件報道に対する地方公務員からの申立て)でいうと、刑事事件の被疑者として顔写真が使われることを、本人が本当に了解して載せていると考えていいのかというような問題。
今回のケースでは、皆さん、ちゃんと報道する価値を検討していた。デコレーションについてはふさわしくないんじゃないかと、報道する価値と必要性を検討されているので、いいと思いますが、座間の事件では、皆さんご存じと思いますけれども、遺族の方が「報道関係の皆様へ」という貼り紙をされて、遺族、親族一同と、最後のところで、「なお、今後とも本人及び家族の実名の報道、顔写真の公開、学校や友人・親族の職場等への取材を一切お断りします。どうかご理解のほど、よろしくお願いします」とされた。本当に悲惨というか前代未聞の事件なので、ニュース価値はすごくある、その時に、どういう扱いをしていくのかという問題だろうと思います。未成年の方もいる、それから最近の写真がないと、これは昔からありますけれど、ずいぶん小さい時の写真が報道されたりして「これは本当に必要性があるの? 価値があるの?」となる。しかし、もう片方で、「この事件で事実を報道しないでどうするんだ」ということがあって、その「報道する価値」を、どうやって構築していくのかが、1つの問題点だろうと思います。
座間の事件で『週刊文春』の11月23日号が「緊急アンケート 被害者実名・顔写真報道の賛否」という記事を書いて、ジャーナリストの江川紹子さんのコメントなどいろいろな意見を出して検討し、「小誌ではこうした実名報道の意義を考慮した上で、陰惨な事件の全容を記録し、より切実に共有するために、被害者の実名と顔写真を掲載している」と、こういう結論を取っているんですね。
「これでいいんだと言う解決策はない」というのが私の結論。去年の相模原の知的障害者施設の事件でも同じ問題がありました。「被害者が可哀想だ」、「個人情報だから、プライバシーだから、全部それが優先するんだ」ということを認めてしまうと、報道はできなくなってしまう。ですから、そこは報道する側が「いや、報道する価値がある」と、理論的な構築というか、説得力のある意見を言うことが、すごく重要なんじゃないのかなと。そうしないと、本当に匿名ばっかり、テレビで言うとボカシばっかりになってしまい、それではまずいんじゃないか。三宅委員長の時代に「顏なしインタビュー等についての要望」(2014年6月9日)を出しましたが、「報道する価値」を報道する側がいかに発信していくのかということが重要なのだろうと思います。

(市川正司委員長代行)
熊本の公務員事案は私が起草担当でした。肖像権の問題として、フェイスブックに載っているからテレビで公開されても、それは問題ないだろうと、ストレートにはつながらないだろうというふうには思っています。そうなると、被疑者の場合には、被疑事実とつながって社会的評価が下がってくるという問題とつながってくるということがあるので、そこをどう考えるのか。被害者の場合には、社会的評価の低下にはストレートにはつながらないとは思いますが、やはり遺族の感情とか、そういったものを考慮した時にどこまで載せるのかということは、考えないといけないのかなとは思っています。
フェイスブックには本人の写真の他に家族や友だちの写真が載っている場合もあって、「フェイスブックより」と引用すると、どれどれと視聴者が実際にそのページに辿り着いて、関連する写真を全部閲覧できるようになるという要素もあるので、そういった面での配慮も考えないといけないのかなと思っています。公務員事案では、ご親族と思われる方から被疑者のフェイスブックに自分たちの写真が出ているというクレームがあって、放送局がネット上のニュース動画を削除した経緯があったと聞いています。

(質問)
「フェイスブックより」という引用の明記をしないほうがいいケースもあるということですか?

(市川委員長代行)
そこは、出典は明らかにするべきだろうとは思いますが、ウェブ上の他の関係者の写真などに辿り着きやすい効果があるということは、ちょっと頭に置いとかないといけないと、委員会の決定にも書いているところです。

(奥武則委員長代行)
私みたいに大昔の新聞記者は、何かあると、「ガン首、取って来い!」と言われ、オタオタして一所懸命回って、取れないとデスクに怒られるということがあったんですけれど、今やフェイスブックを検索すると、結構いい写真が得られることがあるわけで、まあ時代は変わったなと言う気がすごくする。それは昔話ですが、写真を使用するかどうかは、基本的には比較衡量なんですね。
つまり、まあいろいろ問題もあるけれど、写真を使うとインパクトもあるし、事件の全容を伝えることができますよと。そういう利益と、肖像権とか被害者の遺族、家族の感情ですね、それを秤にかけてどっちが重いかの判断を、その都度その都度、報道する側がしなければならないということだと思うんです。その線引きの原則はあるのかというと、それはないですね。原則を作った途端に表現の自由というのは制約されてしまうわけですから。
座間の事件も、家族にしてみれば、確かに「もう、ちょっと触れられたくない」。けれども、報道する側が「写真を使わないし、お友だちにも取材しません」、「一切匿名で行きますよ」と、そういうわけには行かないですね。家族の感情を踏みにじらなければ報道できないという場面はあるわけで、その時にどういう判断をするのか、報道する側の重い責任になってくるだろうと思います。

(中島徹委員)
報道せざるを得ないというのは、言葉としては分かるのですけれど、例えば、今問題となっているお母さんと子どもの写真、あるいは座間の事件で、本当にあの写真が、あるいは被害者のことを詳細に報道する必要があるのかということについて、私はやっぱりよく分からないと考えています。どんな人が犠牲になったのか、被害者になったのか私も知りたいと思います。しかし、実際に報道がなされ、その関係者の方々の気持ちを考えると、出ないほうが良かったんだろうなとも思うわけです。
「関心事に応える」、「国民の知る権利に応える」というのは、一般論としてはよく分かりますが、でも、例えば下世話な興味に迎合するというのが報道ではないわけですから、いったいこの写真がなかったらなぜ報道が成り立たないのか、今のお話でも、そこは必ずしもはっきりしていなかったように思いました。

(坂井委員長)
私は、30年くらい前、「報道被害」と言われ始めた犯罪報道の時代からこういう問題に関わり、当時新聞社の方ともずいぶん議論をしました。その頃の新聞の然るべき立場にある方たちは、「事実報道で5W1Hがない、匿名なんてあり得ない」と。それは僕らから言わせると、「ドグマでしょう」と。「それはそうだけれど、それでも言わなきゃいけないものと控えなきゃいけないもの区別しなきゃいけないでしょう」と議論しました。
ただ、全部匿名にしたり写真を全部なくせばいいとは思ってはいなくて、情報が流通することの意義は絶対あるはずで、それを報道する側がしっかりと言わないといけないのではないか。座間の事件の報道について横浜弁護士会が会長談話を出しました、で、1行だけ「報道する側にも報道すべき理由がちゃんとおありになるんでしょうが」とは書いてあるんですが、「でも、酷いじゃないか」、「ちょっと考えてよ」という趣旨の談話です。
あの報道はひどいけれども、本当に全部匿名にしていいのかと少々危惧を感じています。「そうは言っても、事実を出さなきゃいけない時はあるのでは」、「そこはバランスだ」と感じます。報道する側の方から、こういう場合は報道する価値があると発信すべきではないか。個人情報保護法が制定されたあと、とにかく窮屈になった感がある。それは、かつてあまりに野放図に何でもできたことの裏返しかもしれないが、本人が嫌と言えば何も書けないということで報道は成り立つだろうか、という危機感を持っています。

◆「検索結果削除」で最高裁が判断

ネットの検索結果の表示がプライバシーを侵害する場合、検索事業者に表示を削除する義務があるのかどうかについて最高裁の判断が示された。曽我部委員に解説をしてもらって、放送との関連について議論した。

(曽我部真裕委員)
お配りした資料に『新聞研究』(2017年4月号)に載せていただいた文章があります。今年1月31日の最高裁の第3小法廷の決定について述べたものです。

事案と下級審の判断
本件は、児童買春の容疑で逮捕されて罰金50万円の有罪判決を受けた者が、当時公表された記事や掲示板などに転載された記事が、3年以上経っても本人の氏名と居住している県名でグーグル検索すると検索結果として表示されると、それで、グーグルに対して検索結果を削除せよと仮処分の申立てを行ったというものです。検索結果の表示というのは、見出しというかタイトル部分、それから最近の検索結果はスニペットと言いまして、そのリンク先の内容の抜粋も一緒に出ますので、その記載内容が名誉毀損とかプライバシー侵害に問われる場合もあるということです。
さいたま地裁は「忘れられる権利」を有するということで削除を認めました。「忘れられる権利」という言葉を、裁判所が実際に決定の中で使ったということで話題になりました。これに対して東京高裁は、「忘れられる権利」というのは、その正体は人格権の一内容としての名誉権ないしプライバシー権に基づく差止請求権であると。つまり「忘れられる権利」という新しい権利があるわけではなくて、その中身は従来の名誉毀損、プライバシーに基づく削除請求権であるということで、要は、新しい固有の権利ではないというような判断を示したいうことです。たぶん、この東京高裁の理解が一般の法律家の理解だろうと思います。

最高裁決定
最高裁決定では、まず「個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は、法的保護の対象となる」ということで、この事件をプライバシー侵害の問題として判断したということになります。続いて、「検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する」と述べています。グーグルは、検索結果は放送番組などとは違って主体的な意思に基づいて作られたものではなくて、一定のアルゴリズムに基づいて自動的に作られたのだから表現ではなく、したがって責任も負わないと主張をしていたわけです。最高裁はこれを否定して、「検索事業者自身による表現行為という側面を有する」としています。これは2つの意味がありまして、1つは検索結果の提供というのも表現の自由の中に入るということがあると思います。他方で、検索事業者の表現ということであれば、それに伴う責任も負うということで、自由と責任、両方あるいうことがこの部分の趣旨ということになるのではないかと思います。さらに「現代社会における検索事業者の役割」にも言及して「インターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている」ということで、検索事業者についても公共的な役割があることを認めたものだろうと思います。
その上で、先ほど来、議論になっていますが、プライバシーと表現の自由をどういうふうにバランスを取るかという話になります。「比較衡量して」という言葉が常に出てきますが、最高裁は「比較衡量して判断すべきもので、その結果、公表されない利益が優越することが明らかな場合は、検索結果の削除を求めることができる」と。要は、プライバシーが明らかに優越する場合に限って削除義務が発生するということになります。ですから、プライバシーと検索結果の提供という表現の自由のバランスの問題だけれども、そのバランスの取り方は、プライバシーが明らかに優越する場合に限って削除が義務付けられるということです。そういう意味では、フラットなバランスというよりは、検索事業者に有利なバランスの取り方ということになるかと思います。

放送局との関わり
この最高裁決定とテレビ局、放送局がどう関わるのかというと、1つは放送局で放送した番組の内容がネットの掲示板とかに転載されてずっと残っている、それが何年か経って削除請求されるという、そういう局面もあると思いますが、この場合は法的に言いますと、放送局の責任はないということになるだろうと思います。つまり、勝手に転載するということ自体が著作権法違反でもありますので、著作権法違法によって掲示板に載せられた内容について、放送局が責任を負うということはないだろうと思います。
もう1つ、例えば番組内容が転載された場合、放送局が報道対象者から依頼を受けてグーグル等に対して削除依頼をする場合も無くはないと思いますが、当事者でない人からの請求を受けて、グーグルないしヤフーが対応してくれるのかどうかは、ちょっとよく分からない、おそらくあまり対応してくれないのではないかと想像します。ですから、この場合も放送局ができることは少ないように思います。ですので、この検索結果の削除という問題に、放送局が直接関わる局面というのはあまりないかもしれないと、思っているところです。

(質問)
逮捕容疑と刑事処分の罪が違っていることが多々あります。例えば、殺人未遂が傷害になる、ひき逃げで逮捕され救護義務違反が付いていたものがただの交通事故として処理される。リンク先の画面、ウェブ上では非表示になっているけれども、検索結果のスニペットには「ひき逃げ容疑で逮捕」という形でその人の名前が残り続ける場合、倫理上問題があるというか、当事者から指摘があったら、放送局で何らかの努力をしなければいけないものなのでしょうか?

(曽我部委員)
前提として、スニペットは元の記事、元のコンテンツが消えれば、一定期間後その検索結果も消えるというのが基本的な仕組みで、一定のタイムラグがあるわけですので、そこを問題視するかどうかは1つあるとは思います。ただ、検索事業者に申し入れても、「それは、そのうち消える」と言われるだけだと思うので、実際問題としてできることは少ないのではないかとは思います。
他方で、逮捕容疑はそれなりに重いけれども、実際にはもっと軽い処分だったというような場合は、検索事業者に言ってもあまり対応されないと思うので、基本に戻って、転載されている掲示板に削除要請をするということはあると思います。ご本人が削除要請をするのが大原則ですけれども、放送局側も迷惑をかけたとか、そういうことでお手伝いといいますか、できることはするというスタンスを取られるのであれば、放送局側から削除要請をするという場合もあるかと想像しますけれども、対応してもらえなかったら、それ以上できないというのが実情だと思います。
裁判とか法的手続きで、第三者である放送局が削除要請をするというのは実際問題としてはできないのだろうと。ただし、著作権侵害だとして放送局が削除要請する可能性はあると思いますけれども、その辺、ケース・バイ・ケースかなと思います。

(質問)
放送記事がコピーサイト、ネタサイトみたいなところでコピーされて、それを削除して欲しいという要請が来ることがあります。その際に曽我部委員が言われたように「放送局が著作権侵害されているんだから、アクションを起こさなきゃいけない」というような言い方をされる方もいますが、実際、削除要請をしても削除されないという事態も結構あります。著作権侵害だから放送局側が削除要請すべきだという意見について、どのようにお考えでしょうか?

(曽我部委員)
そこはなかなか難しいですね。放送局の立場は、著作権侵害されていることは事実なので、そうすべきじゃないかという考えは全くもって正当だと思います。ただ、もっと広くネットの自由のことを考えると、私個人の考えですけれども、著作権をあまりうるさく言うのも、ネットの全体の活力といいますか、表現の自由の観点から問題かなというところもあって、著作権法の今のあり方自体を考え直すべきところがあるのではないかというのが個人的意見なので、放送局側がどんどん著作権を行使して片っ端から削除させればいいというのは、個人的には躊躇があるところです。
けれども、実際に書かれている方、取り上げられている方の名誉なりプライバシーの救済になるということであれば、それはやって然るべきではないかなと思います。

(坂井委員長)
ご質問の、放送局は著作権侵害だからアクションを起こさなきゃいけないのかという点ですけれど、それは権利、権利の行使であって義務ではないから、しなきゃいけないという話にはならないと思います。
ただ、さっきもありましたけれど、逮捕報道をバーンとやったが、そのあと尻つぼみになって全然違う事件になった。ところが、そのままネットに転載されて、例えば「〇○局でこんな報道があった」と載っているケース。局の社会的信用が高い状況でこれは気の毒だと思えば著作権を行使されればいい。載せているコピーサイトの問題だとして局がその状況を放置して被害が大きくなったりすると、また別の議論がありうるかもしれないが、原則は、やっぱりコピーサイトの問題だろうと、私は思います。

(二関辰郎委員)
以前、別の意見交換会のあとの懇親会の時に、放送局の方が、「放送した映像がネットに無断で転載されてどうしてもずっと残ってしまう。そうなることが分かっているから、実名報道するかどうか迷った時にどうしても出さない方向に傾きがちだ」というような悩みを話されたことがあったんです。雑談レベルでしたが、私は、「忘れられる権利」みたいなものが広く認められるようになれば、そういった出回ったものを消すのは、「忘れられる権利」の問題として将来対応すればいいので、実名にするかどうか、あまり考え過ぎなくていいのではないでしょうかね、という話をしたことがあったんです。
「忘れられる権利」は、EUのルールではもう少々広く認められています。日本の現行法上では、曽我部委員が説明された最高裁判断でやむを得ないのかなとは思いますけれども、「忘れられる権利」が広く認められれば、逆に実名報道について萎縮しなくていいという意味で、表現の自由を促進する面もあるのではないかと、個人的には思っています。

(曽我部委員)
『判断ガイド』416ページに「大津いじめ事件報道に対する申立て」というのがあります。これはまさにネットにキャプチャー画像が載せられた事件で、417ページの下から3段落目、赤い字の最後に「テレビ画像を切り取ってインターネットにアップロードする行為は著作権法に違反する。この点では、テレビ局のプライバシー侵害の責任は問えない」という指摘があります。
この事案は、人権侵害はないけれども放送倫理上問題があるという結論でしたが、421ページの「結論」の中に、その理由として「録画機能の高度化やインターネット上に静止画像がアップロードされるといった新しいメディア状況を考慮したとき、静止画像にすれば氏名が判読できる映像を放送した点で、本件放送は人権への適切な配慮を欠き、放送倫理上の問題がある」と、やはり直接的に法的責任が発生するわけではないけれども、もうネットに転載されるというのは周知のことなので、そこは注意深くやるべきだという指摘がされているので、ご参考にしていただければと思います。

後半では、3事案の委員会決定について、それぞれの番組映像を視聴後、担当委員が判断のポイントを説明し、質疑応答を行った。

◆「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本)

(市川委員長代行)
決定自体は、名誉毀損かどうか、それから放送倫理上問題があるかという順番で検討していますが、今日は、実際に事件が起こってから、どういう取材をして、どういう報道がなされたかという時系列に沿ったような形で説明をしたいと思います。

事件の第1報とその直後の取材
まず、最初に警察から報道各社にFAXが送られて「準強制わいせつ事件被疑者の逮捕について」という広報連絡が配布される。そこでは発生日時、発生場所、実名、年齢、住所、それから公務員であるということ、それから身柄措置、この日の午前10時、通常逮捕であるということが出ている。それから被害者の住所、罪名は準強制わいせつ。で、事案の概要として、「被疑者は上記発生日時・場所において、Aさんが抗拒不能の状態にあるのに乗じ、裸体をデジタルカメラ等で撮影したもの」と書かれています。
このFAXを受けて、記者の方は電話取材をして、この事案の概要の部分を認めているんですか、ということを警察の広報担当者に聞く。答えとしては、間違いありませんと認めているという答え。そしてさらに、皆さんも一読して疑問に思うかと思うんですが、抗拒不能とはどういうことですか、という質問をしています。これに対して警察の広報担当は、容疑者は市内で知人であったAさんと一緒に飲酒した後、意識がもうろうとしたAさんをタクシーに乗せ自宅に連れ込んだ。容疑者は意識がもうろうとしているAさんの服を脱がせ、写真を撮影した。そして、Aさんは朝、目が覚めて裸であることに気づいたと。1か月ほどした後、Aさんは第三者から知らされて、容疑者が自分の裸の写真のデータを持っていることを知って警察に相談した、こういう説明をしています。
抗拒不能とはどういうことですか、という質問に対して、さらにそれを越えたと言いますか、その前のいきさつの部分とか、そういった部分を含めて事案の全体像を警察の担当者が話しているということで、必ずしも質問とかみ合っていないというところは、ちょっと留意して頂きたいと思います。
それでは、警察の広報から、被疑者は何を事実として認めているというふうに理解出来るのかということですけれども、広報担当の説明は、事案の概要について被疑者は間違いありませんと認めている、と言っているものの、犯行の経緯についてまで、すべて認めているという明確な説明はしていないのではないか、その点、明確には言っていないということがあります。
それから、被疑者がわいせつ目的でAさんを同意のないまま自宅に連れ込んだということと意に反して服を脱がせたということは、抗拒不能の状態で裸であったこととは別のことがらなので、被疑者が本当にここまで認めているのかということは、広報担当は説明していないと解釈した方が適切なのではないかということがあります。
さらに、本件は午前10時に通常逮捕ですけれども、広報担当への取材は、それからまだ2時間弱という時点です。事案の概要についての被疑者の認否、これは当然、弁録の段階でしていると思いますが、この時点で、それを越えた犯行前の経緯についてまで被疑者が正確に詳細に供述しているかどうかは疑問であるということがあります。
それから、Aさんが知人であるということ、目が覚めて裸であったことを認識していながら、1か月後に裸の写真のデータを持っていることを初めて知って警察に相談したということからも、どの部分がAさんの意に反することであったのかについて、疑問に感じるということは、この時でも言えるのではないかということです。

放送は何を伝えているか
それでは、実際の放送はどのようになっているかということは、先ほど映像を見て頂きましたけれども、見出し部分は「意識がもうろうとしていた知人女性を自宅に連れ込み・・・」となっていて、そのあとは容疑事実、広報連絡の事案の概要に近いものです。で、「容疑を認めているということです」というコメントが入り、その後「事件当日、女性と一緒に酒を飲んだ容疑者は意識がもうろうとしている女性をタクシーに乗せ自宅マンションに連れ込んだということです」、「女性の服を脱がせ犯行に及んだということです」とつながっています。
「容疑を認めているということです」が真ん中に入っていて、後の熊本県民テレビとは若干構成が違うんですけれども、何々ということです、何々ということです、と基本的に同じような言い回しで連続して放送すると、与える印象としては、この経過も含めて容疑者がすべて認めているというふうに理解されるのではないか。犯行に至る経緯の部分と直接の逮捕容疑となった被疑事実を明確に区別せずに放送していることから、このストーリーを含めた事実関係を容疑者は認め、ストーリー全体が真実であるという印象を視聴者に与えている、と委員会は考えました。

放送倫理上の問題
そうだとすると、放送倫理上の問題としては、広報担当の説明部分のうち、どの部分までを申立人は事実と認めているのかということについて、疑問を持って、その点について丁寧に取材して、不明な部分があれば、広報担当者にさらに質問、取材をすべきではなかったかと。仮にそこまでの取材が困難だったとすれば、逮捕したばかりの段階で被疑者の供述についても担当者の説明が真実をそのまま反映しているとは限らない。追加取材もまだ行われていない段階で、何の留保もなしに容疑者は容疑を認めていますと、ストーリー全体が真実だと受け止められるような放送は、避けるべきではないかということを指摘しています。
もう1点、薬物の使用について、「疑い」があり、それから「追及する方針」と言っています。この点、熊本県民テレビは「可能性」という程度で、表現のニュアンスがちょっと違っています。「疑い」、「追及」という表現は、やはり具体的な嫌疑があるというふうに考えざるを得ないんじゃないか、そういう印象を受けるだろうということで、その根拠は果たしてあったのかとなると、根拠はない。とすれば、この表現も慎重さを欠いていると言わざるを得ないという結論を出しています。

事件報道に関する放送倫理の考え方
これに関係して、放送倫理上の考え方はどういうものがあるかということで、BRC決定を挙げております。これは「ラグビー部員暴行容疑事件報道」(委員会決定 第6号、第8号、第9号 大学ラグビー部員暴行容疑事件報道)の決定ですが、警察発表に基づいた放送では、容疑段階で犯人と断定するような表現はすべきではない。また、容疑者の家族や弁護士等を含む、裏付け取材が困難な場合には、容疑段階であることを考慮して、断定的な決めつけや誇張した表現、限度を超える顔写真の使用を避けるなど、容疑者の人権を十分配慮した、慎重な報道姿勢が求められる、という考え方を示しております。
それから、民放連が裁判員制度の開始にあたっての事件報道に関する考え方をまとめ(2008年1月17日)、「予断を排し、その時々の事実をありのままに伝え、情報源秘匿の原則に反しない範囲で、情報の発信源を明らかにする。また、未確認の情報はその旨を明示する」としています。
これはご参考までですが、同じく裁判員制度の開始にあたっての日本新聞協会の報道指針(2008年1月16日)で、これは本件と比較的近い部分を切り取っていると言っていいのかなと思いますけれども、「供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容がすべてがそのまま真実であるという印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分分配慮する」と言っています。
こういった見解も踏まえて、放送倫理上問題ありと委員会は考えたわけです。

名誉毀損について
それでは、名誉毀損が認められるかどうかという点についてです。
この点については、東京地裁の平成2年の判決がございまして、警察の捜査官が発表したことについて特段疑問を生じさせるような事情がない場合には、それを真実と信じても相当性があると指摘しています。もう1つ、平成13年の東京地裁の判決は、若干ニュアンスが異なって、警察発表は一般的に信用性が高いものではある、ただし、広報担当者が発表した被疑事件の事実について、これを被疑事実としてではなく客観的真実であるかのように報道したことにより他人の名誉を毀損したときには過失責任を免れないという判決もあります。
このように、警察発表の内容にどの程度依拠し、どの程度真実性があると考えて報道できるかについては異なる考えがあるといったことから、委員会として、本件放送について相当性がないとまでは踏み込めないということで、名誉毀損という判断はしておりません。

肖像権・プライバシーについて
肖像権、プライバシー権の問題が次のテーマで、これについては、事案の重大性、それから公務員の役職、仕事の内容に応じて、放送の適否を判断すべきだという規範を立てています。ですから、公務員だから一律に顔写真を出されてもいい、職場の映像を出されてもいいという考え方には立っていません。
それで本件について言えば、罪名が準強制わいせつという重い法定刑の事案であるし、区民課窓口で一般市民と接するという立場にもあった。そういったようなことを考えると、公益性、公共性もあり、相当な範囲内だというふうに考えました。繰り返しの写真使用については、相当な範囲を逸脱しているとまでは言えないということです。

◆「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(熊本県民テレビ)

熊本県民テレビの決定は、基本的にテレビ熊本と同じ構成ですが、表現ぶりのところが若干違っています。取材の過程はかなり似ております。やはり、事案の概要については認めているということでしたが、広報担当者が経緯の部分と言いますか、そういった部分も一気に説明したことについて、それがすべて真実であるというふうに、どうも理解されていた節があります。そして、放送では、経緯の部分も含めて読み上げた後に、これらを受けて、「容疑を認めている」としています。したがって、容疑者がすべて認めているという印象を与えてしまっています。この点で、テレビ熊本と同じ、あるいはより明確に問題点があるかなと思っています。

少数意見
「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本、熊本県民テレビ)の決定に少数意見を付記した3人の委員がそれぞれ説明をした。

(奥委員長代行)
容疑者は拘束され、まだ弁護人もついていませんから、容疑者側の言い分を聞くことは出来ない、犯罪の性質上、被害者にも当たることは出来ない。こういう状況の中で、第一報を副署長の説明によって書くというのは、ごく普通の一般的に見られる事件報道のスタイルです。放送倫理上問題があったという判断は、副署長の説明は概括的で明確とは言い難い部分があった、にもかかわらず、容疑事実について断定的に書いてしまったとあるわけですね。しかし、副署長の説明が明確でなかったかと言うと、実は明確だったのではないかと私は考え、それをいわば検証するために、いくつか新聞記事を参照しました。簡単に言うと同じことが書いてある、他のテレビ局は良く分かりませんが、ほぼ同じようなニュースを流していると思うんですね。
ということは、取材記者たちは副署長の説明をいろいろ聞いて、特段疑問を持たなかった。おかしいなとか、もう少しちゃんと取材をしてから書こうとか考えずに第一報を書いたということであって、事件報道の在り方として良いのか悪いのか、もちろん議論すべき問題が残っていると思いますが、今日、ただ今の事件報道の水準から見て、特段放送倫理上問題があったとは言えない、言い難いだろうというのが私の少数意見です。

(曽我部委員)
基本的に本体部分は奥代行の意見に乗っかる形で、それに一言付加したというのが私の少数意見です。
要は、今回わりと大きな取り上げ方をしていますが、それは、ひとえに被疑者が市役所の公務員だったということにあると思うんです。職場も映っていましたが、彼は28歳で、まだ入ったばっかりで、区役所の窓口で住民票の写しとかを発行しているような人なんですね。そういう人でも、公務員だというだけでもって、放送出来る最大限のことを放送しているというのが、ちょっと姿勢としてどうかなということを書かせて頂いたということです。

(中島委員)
多数意見、委員会決定は警察発表を疑えということでした。私の少数意見は警察を疑わなくて良いということではもちろんありません。疑うべきは疑わなければいけないとは思っておりますが、この事件で放送倫理上の問題を指摘出来るかと言えば、警察発表を鵜呑みにしないということが放送倫理として報道機関の側に確立されていないと、それはかなり難しいだろうと思います。今回の件で放送倫理上問題ありというのは、一種の遡及処罰のようなものになってしまう。これまでやってきたものを、急にある日突然180度変えろというのは、かなり無理な要求ではないかということです。
奥代行のように考えると、他の報道機関がどういう報道をしたのか分かるまでは、どうしたらいいかという基準が分からないわけですね。今回、問題提起がなされているわけですから、これを報道機関の方々が受けて、自ら放送倫理として確立していかれることが一番望ましい報道の在り方ではないか。この件で放送放送倫理上問題ありと判断するのは、ちょっと厳し過ぎるように私は思ったということです。

(質問)
委員会のヒアリングでは、申立人から、自宅に連れていく時は意識がはっきりしていた、あるいは嘔吐して服を脱がせるのを手伝ったとか、報道時点で取材出来なかった話があったと思うんですけれども、本当のことを言っているという印象もあったのでしょうか。

(市川委員長代行)
我々が彼の言っていることをそのまま信じたのかと言うと、そこは委員の印象はそれぞれですけれども、少なくとも私は、それが事実だというふうに捉えていませんし、事実であるという前提で決定を書いているわけでもありません。逮捕された時には彼の言い分は聞けないし、弁護人もついてないわけですから、そこまでの真偽を確定するべきものでもないし、その必要もなかったというふうには思っています。

(坂井委員長)
今の質問に対する答えとしては、彼の主張は主張として聞いたけれども、相手の女性の話は聞いていないわけですから、その時どうだったのか、確定的な心証は取りようがない。
だけれど、報道との関係で言うと、広報連絡で出ている被疑事実としては、無断で女性の裸の写真を撮ったとしか書いてない。意識もうろうした女性を家に連れ帰って服を脱がせて無断で裸の写真を撮った、ということは被疑事実にない。そうだったかもしれないというのは副署長が言っただけで、取材時の質問と答えがずれていて、当然、局もそれ以上のものは持っていないわけですね。結局、副署長が、ちょっととんちんかんなやり取りを言っただけだと。
別に警察を疑えと言っているわけではないが、無理な要求をしているとは思ってはいない。広報連絡に書いてある事実と副署長が話した事実が違っていて、もし副署長の説明どおり意識を失った人を連れ帰って服を脱がしたら、それを強制わいせつとしてもおかしくない。場合によっては逮捕監禁になっちゃうかもしれない。だけれど、テレビ熊本の説明では、女性は、翌朝、裸になったと気づいたと言っていて、写真のことが分かるまで何も問題にしていない。その後逮捕されるまで2か月ぐらいかかるというような経緯の中で、副署長の説明全体を事実として報道出来るような裏付けはないよねということです。

(質問)
奥委員長代行の話ですと、たぶん他の3局も同じようにニュースを取り上げたと思うんですが、申立ての対象がこの2局だったのは、何か理由があったんでしょうか?

(市川委員長代行)
他の局も最初は申立てがあったようです。ただ、最終的には取り下げられて、残ったのがこの2局だったということで、その理由は、ちょっと私どもも分からないです。取り下げられた局のニュース映像は見ていないものですから、どこに違いがあるのか、ちょっと良く分からないんです。
新聞報道についても、確かに連れ込んで裸にして云々という書き方の新聞がかなり見受けられます。ただ、それぞれニュアンスが違って、逮捕容疑の部分をまず書いた上で、それ以外の部屋に入ったところとか脱がせた部分は後ろの方で書き分けるという、そういう工夫をしているなと思われる記事もありました。
そのような意味で、取材を通じて決して疑問に思わない事案ではないんじゃないかと思うわけです。決定の通知後、この2局で当該局研修をしましたが、事案の概要や広報担当者の話を聞いたときに、委員会の見解と似たような認識を持った方もいらっしゃったのではないかと感じるところはありました。特にテレビ熊本は、もう少し意識して放送すれば、容疑事実を認めている部分はどこまでなのか、もう少し明確に放送出来たんじゃないかなと、私は思っています。

◆都知事関連報道に対する申立て

(坂井委員長)
申立人は、舛添さんご本人ではなくて、夫人の雅美さんと長男長女の合計3人です。申立ては、2人の子どもが1メートルぐらいの至近距離から執拗に撮影されて、衝撃がトラウマになって、登校のために家を出る際に恐怖を感じている。雅美さんはこうした子どもの撮影に抗議して、「いくらなんでも失礼です」と発言したのに、事務所家賃に関する質問を拒否したかのように、都合良く編集されて視聴者に雅美さんを誤解させる放送だったと。
これに対してフジテレビは、2人の子どもを取材、撮影をする意図はまったくなく、執拗な撮影行為は一切行っていませんと。雅美さんの発言については、家賃に関する質問から雅美さんの回答を一連の流れとしてノーカットで放送したもので、作為的編集の事実は一切ありません。雅美さんは政治資金の流れの鍵を握るキーパーソンで、使い道について説明責任がある雅美氏を取材することは、公共性、公益目的が極めて高いと、こういう主張です。

事案の論点
論点を簡単に書くと、肖像権侵害は成立するのか。もちろん、承諾を得て撮っていれば、肖像権侵害はないわけですが、お子さんの撮影の承諾を取っているわけはないです。そういう場合に肖像権侵害は成立しますかと。これは、撮影時の具体的状況や撮影された映像の内容、撮影の目的や必要性等を検討しなければいけません。それを検討した上で、肖像権侵害が構成されるのか。奥代行が言っていた比較衡量みたいな話になってきます。
名誉毀損はどうなのか。さっき見ていただいた雅美さんが怒っているところの摘示事実は何なのかを確定する必要があって、どういう事実が摘示されたかという前提で、それで社会的評価は低下するのだろうか、名誉毀損になるだろうか、仮になるとすると、公共性、公益目的はどうなのかという議論が出てきます。
放送倫理の問題としては、雅美さんによる抗議を放送した部分の評価、映像編集の問題も含めて問題がなかったのか。取材方法の適切性。これは取材依頼をしていなかったことや早朝取材に行ったこと、取材中に質問に答えなかったこと。あと、映像素材の取り扱い、この点はこの後、あまり話しませんが、雅美さんは子どもを撮影されて、その映像が放送局にあること自体が気持ち悪いと、そういうことをすごくおっしゃっていました。

肖像権について
まず、これは撮影しただけで、子どもの映像は、もちろん放送されていないわけで、そういう場合に肖像権侵害が成立するんでしょうかと。一般論としては、成立しますということがあります。
和歌山カレー事件法廷内撮影訴訟、これは写真週刊誌『フォーカス』が確信犯的に法廷内の撮影をして訴訟になって、訴訟になったらまたもう1回似顔絵画家を呼んでやって、それも訴訟になったというような興味深い事件です。このときの最高裁判決の判断基準は、肖像権の保護と正当な取材行為の保障とのバランス。被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の対応、撮影の必要性等を、いろんな要素を総合考慮して、被撮影者の人格的利益の侵害が、肖像権侵害ですね、社会生活上、受忍の限度を超えるものと言えるかどうか、で判断して下さいという基準です。
本件では雅美さんを取材することが目的で、その際に子どもが付随的に映り込んだに過ぎない、もともと子どもを取材しようと思っていないわけですから、被撮影者の社会的地位等を子どもについて検討するのは適切ではない。なので、社会的地位などは雅美さんに即して検討しますという立場で、撮影の態様としては、付随的に映り込んだ子どもに対して相当な範囲を超えた撮影行為がなかったか検討する。付随的と言いながら、子どもを一所懸命撮っていたら付随じゃないみたいな話になるわけで、実際はどうなんでしょうかということになります。
2人の子どもに共通する要素。取材対象は、政治資金流用疑惑が持たれている会社代表者であるところの雅美さん。場所は自宅前とはいっても1階の事務所の前。公共性は高く、公益目的もあるということになります。長男の撮影態様は、放送されていないので見ようがないんですが、フジテレビのこういう撮影でしたという主張に、申立人側からとくに異論はありませんでした。フジテレビの主張だけではなくて、放送された部分から考えてどうだろうかという検討もしました。概ねフジテレビの主張どおりの状況ですねという結果です。長女についても6秒間映っていましたが、雅美さんが出てくると思って撮影を開始したら長女が出てきた、続いて出てくるかもしれないと回していましたという話で、不合理でもないし、そもそもお子さんを撮ってもしょうがないし、そんな目的があったとも思えないので、フジテレビの説明には相応の合理性があると。結論として子どもの撮影について肖像権侵害は認められないと判断しております。

名誉毀損について
雅美さんの名誉毀損の問題です。やり取りがどうだったか、番組を見ていただいたように「すみません、家賃収入の件」、「いくらなんでも失礼です」、「家賃収入の件でお伺いしたいんですけれども」。「そして」というナレーションが入って、「間違ったことは1つもございません。きちんと取材してからいらしてください」、こういうやり取りなんですね。
この場面について、一般視聴者がどう受け止めるんでしょうかということを検討すると、ここだけ見ていると、政治資金流用疑惑を持たれる家賃関係の質問に対して、雅美さんが「いくらなんでも失礼です」と発言し、キレて怒っているという印象を与える。メディアから公共性のある質問を受けて、本来説明に応じるべき立場にあるのに、感情的に反発してヒステリックな態度を取った印象を生じるから、雅美さんにはマイナスイメージを与えるでしょうと。ただ、名誉毀損は成立しないというのが我々の結論です。
なぜかと言うと、これ2つの立場がある。1つは、私の立場ですが、マイナスイメージを与えれば社会的評価は下がる、しかし、すべて名誉毀損にあたるのかというと、それは程度によると。本件は、名誉毀損というレベルまでの社会的評価の低下、マイナスイメージを与えているわけではないという立場。もう1つは、名誉毀損のレベルまで行っているかもしれないけれど、この件は放送倫理上の問題として検討するほうが妥当だという立場。ただ、どちらの立場も、結論として名誉毀損の成立は認めていません。

放送倫理について(映像編集)
放送倫理上の問題はどうなのか。実は放送された場面の前にやり取りがありました。それはフジテレビも争っておりません。雅美さんが出てきて「子どもなんだから撮らないでくださいね」と、まず言います。ディレクターが「雅美さん、お話を伺ってもいいですか」と言うと、雅美さんが「失礼ですよ。子どもなんですよ。やめてください」と言います。で、階段を降り切った長男がカメラの前を一瞬横切って、雅美さんが長男に「行ってらっしゃい」と言います。ここから先が放送場面になるわけですが、ここまでのやり取りの映像は編集でカットしているんですね。
雅美さんは「子どもなんだから撮らないでくださいね」という発言をはじめ、子どもを撮影されたことに対してくり返し抗議をしていました。しかし、放送には子どもは一切出てこないから、子どものことが問題になっていたことは視聴者には分からないんですね。ところが、「すみません、家賃収入の件」というディレクターの質問から放送したことによって、「いくらなんでも失礼です」という発言が、家賃収入の話を聞いたら、雅美さんが突然キレちゃった、そういう印象が生じます。
そうすると、ここで映像を切ったことの説明、子どものことで怒っていたと一言添えるとか、いろいろ他の選択肢もある中で、他に何か誤解を与えない工夫をしないといけなかったんじゃないでしょうかというのが検討の結果です。雅美さんは「失礼です」という同じ言葉を繰り返し、2度目は「いくらなんでも」と修飾語をつけているから、子どもの撮影に対する抗議の意味と理解するのが妥当で、編集を行った際にフジテレビもそれはわかったんじゃないでしょうかと。雅美さんの抗議にディレクターが直接回答しなかったために、引き出された面もありますねと。
しかし、映像の順序を入れ替えたり、途中の一部をカットしたという事情はなく、同時に怒ったこと自体は事実なので、放送倫理上問題があるとまでは言えないとした。この点は私自身も本当に微妙だなと思っていて、真ん中を切ってつなげて編集したらダメだけど、肝心の前を切っちゃって誤解を与えたら、それはいいのかというと、非常に微妙ではあろうと思います。ただ、怒っていることも事実ですし、放送倫理上の問題があるとまでは言えないというのが決定の立場です

放送倫理について(取材方法)
取材方法についてですが、フジテレビからは、雅美さんに取材依頼をしても応じてもらえないと思いましたという説明があったんですが、雅美さんの方は、いやいや、ちゃんと説明したかったとおっしゃっておられました。どちらも言い分があるわけですが、フジテレビがこれだけ正当な取材とおっしゃっるのであれば、断られると思っても、まず取材依頼をしていいんじゃないかというのが我々の考えです。
子どもの登校を狙った早朝の取材については、申立人はこんな時間に取材に来ないで欲しいと主張されたんですけれども、フジテレビは雅美さんの在宅率が高いから早朝に取材に行ったとおっしゃっていて、結論としては、早朝から取材を行ったこと自体は特に問題ないという判断をしています。
それから、雅美さんは「子どもなんだから撮らないでくださいね」と確かにおっしゃっておられる。「雅美さん、お話を伺ってもいいですか」というディレクターの発言の直後に、再び「失礼ですよ、子どもなんですよ。やめてください」と発言をしておられるので、引き続き子どもの撮影を問題にしていたことはディレクターも分かったんじゃないでしょうかと。抗議されている子どもの撮影について正面から答えず、家賃収入に関する質問をしており、雅美さんの言葉を無視したという理解も仕方がない対応ということです。

要望
放送倫理に関するまとめとしては、問題ありとまでは言えないけれども、今後の番組制作に2つ要望しています。まず、雅美さんが抗議した部分について、誤解を生じさせないような配慮を、怒っている理由をわかるようにすべきだったと。取材依頼もやっぱりすべきじゃないですかと。これだけ公共性の高い事案を取材するのであれば。やっぱり正面から対応してください。それから、子どもを撮影しているつもりはないと言っても、撮られている側はわからないという面があると思うので、そういう不安には配慮したほうがよろしいんじゃないでしょうか、と言う要望です。
あと、これは付言ですが、申立人は、当時都知事だった舛添さんの政務担当特別秘書を通じて、撮影した映像を放送しないようにフジテレビ側に申し入れをしています。これは子どものことについて申し入れをしたということだったんですが、ただ、東京都知事といった公的権力を行使する立場にある者が自己に関する批判を受け、報道を行わないよう放送局に働きかけをしたと受け止められかねない行為をすることは、取材・報道の自由への介入になり得る危険な行為であり、配慮が必要ですという付言があります。

少数意見
この決定には二関委員が曽我部委員との連名で少数意見を付記しており、説明した。

(二関委員)
坂井委員長からも説明があったとおり、実際には雅美さんは子どもが撮影されたことに対して怒っていたのに、家賃の質問をされたことに対してキレたという印象を与え、つまり誤解させる映像だったと。ここは多数意見も一緒ですけれども、そういった誤解させるような放送をしたことについての評価が分かれたという点が、少数意見が異なるところです。多数意見は4つ事情を挙げて、その4つの事情を、ある意味フジテレビに有利な方向に捉えたわけですが、少数意見はフジテレビに有利に評価をすること自体、ちょっと違うんじゃなかろうかと疑問を呈しているということになります。
先ほど見ていただいたやり取り、子どもの撮影に怒っているわけですが、その前の部分を割愛しているために全く子どものことが分からないわけですね、視聴者には。そういう文脈を無視した切り方をすること自体、やっぱりおかしいのであって、それを順番を替えたりしていないからといって、フジテレビ側に有利に事情として見るのはおかしいのではなかろうかと。
あと、多数意見は怒ったこと自体は事実だから、それはいいんじゃないのと、平たく言うとそういう立場ですが、子どもが撮られたことに親が怒ったというのであれば、それはまさに親心として分からないではないが、公共性のある質問に対してキレたと言ったら、それは同情するような人は通常いないわけですから、何が原因で怒ったかっていうことは大きいだろうと。
今は4点のうち2点だけ申し上げましたが、そういったような事情から少数意見のほうは評価を異にしたということになります

(質問)
申立人は東京都知事の奥さん、公的な人物の家族ということですが、これがたとえば一般の方に対して同様な取材を行って、このような申立てがあった場合に判断は変わってくるでしょうか?

(坂井委員長)
東京都は国家に匹敵するような大きな自治体で、そういうところの都知事のただの妻じゃなくて、政治資金管理団体の代表ですから、立場的にも公的な立場。なので、公共性も公益目的もあるということですが、一般の方の場合でも、単に公的な立場でないからという理由だけで、すべて公共性、公益目的がないということにはならない。
ちょっと参考になるのは、ポイントは違いますけれども、「散骨場計画報道への申立て」(委員会決定 第53号 )という事案がありました。申立人は別に公務員でも議員でもない、一般の会社の社長ですが、有名な保養地、温泉地の熱海で「墓地、埋葬等に関する法律」の対象となるような散骨場を計画し、熱海市民の何分の1という人が反対運動に署名したり報道されたりということで、公共性がすごく高いという認定をして、肖像権侵害は認めませんでした。
だから、一般の人でも事案によってはそういうことになるし、贈収賄事件に関わったり犯罪に関わったりすれば、公共性が高くなるということで、どういうことに関われば公共性が高くなるのかという問題もあろうかと思います。

◆浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て

(奥委員長代行)
どんな事件だったのか、地元の新聞などにもずいぶん大きく報道されています。申立人はどういう人かというと、さっき見ていただいたニュースの最初のところで、警察が捜査に来て車を押収する画面が入りましたね。家がちょっと映っていますけれども、その家の人が申立人です。彼は事件の容疑者の知人であるということは間違いないんですね。事件発覚前に容疑者から軽自動車を譲り受けた、これも間違いない。申立人は、この後、その日を含めて数日間にわたって警察から事情聴取を受けた。これは申立人自身も認めているし、まさに客観的事実として間違いないわけですね。

申立て内容
では、申立人は何を訴えてきたかというと、主張の1つは、この日の警察の捜査活動は、この段階では逮捕されていないんですけれども、容疑者による別の窃盗事件の証拠品として申立人宅にあった軽自動車を押収しただけだと。要するに、この日の捜査と浜名湖切断遺体事件とは関係がないということが主張の入口の部分ですね。にもかかわらず、テレビ静岡は浜名湖切断遺体事件報道の続報として関係者とか関係先の捜索といった言葉を使って、申立人がこの事件に関わったかのように伝えた、これはひどいじゃないかという話ですね。
もう1つはプライバシーの侵害で、申立人宅前の私道から撮影した申立人宅とその周辺の映像が放送に含まれ、申立人宅であることが特定される。家が特定されるから、申立人も特定される。そこで切断遺体事件に関わった、ひょっとしたら容疑者じゃないかというふうに思われ、ひどいじゃないかと。人権侵害の中身としては、名誉毀損とプライバシー侵害になるわけですね。

判断の前提
申立人の主張について、委員会がどういうふうに判断したかと言いますと、まずこの日の捜査が浜名湖事件と関係がなかったかどうか。外形的な事実としては、確かに証拠品としての軽自動車の押収だと。これは証拠品押収のための令状があって、それは間違いない。
テレビ静岡の取材の経緯を考えてみると、これは親しい捜査関係者から、明日の朝、浜名湖事件の大きな動きがあるよ、いろいろ捜索に行くよというようなことを聞いたわけですね。その情報をもとに、捜査本部を含めていくつかの警察に朝から車を置いて張り込んでいた、そうしたら、捜査車両がバーッと出て行って、2台から最後4台ぐらいになるんですかね。これが申立人宅に行って、他の場所も2か所ぐらい、浜松のマンションとか西区とか出ていましたけども、大規模な捜索活動をやっているわけで、所轄の警察がちょっと動いたというのではなくて、まさに捜査本部全体として動いているわけです。
もう1つ、申立人は警察の事情聴取を受けているわけですけれども、内容は特に車を譲り受けてどうのというのだけでなくて、容疑者についての関わりとか何か知っていることはないかとか、そういうことをいろいろ聞かれているということですね。
このことを総合的に判断すると、この日の捜査活動は浜名湖切断遺体事件の捜査の一環だったということは間違いない。そういうふうに考えていいだろうと、まずは入口の部分で判断したわけです。

人権侵害について
名誉毀損の判断の入口でいつも問題になるのは、社会的評価が低下したかどうかですが、申立人宅の映像は、申立人宅を特定するものとは言えない、後でプライバシーの問題にもかかってきますけれども、こういえる。しかし、実際問題として、近所の人たちは、朝からあそこの家で大騒ぎしているなというのもあって、浜名湖事件のテレビ静岡のニュースを見るわけですから、周辺の住民が、申立人宅を特定した可能性は否定できないと考え、決定文では一定程度の社会的評価が低下したことは争えないだろうと書いています。
ただ、社会的評価が低下したら、すぐ名誉毀損が成立するということはないので、公共性、公益目的、それから真実性、相当性を考えないといけない。公共性とか公益目的ということで言えば、重大な世間の注目を集めつつある事件の続報ですから、公共性、公益目的はある。問題は真実性、相当性ですが、その際に、具体的に問題になるのは、ニュースで使われている関係者とか関係先の捜索という表現が、真実性を失わせるかどうかということです。
これはちょっと後にするとして、判断がそう難しくないプライバシー侵害について、最初に考えてみたいと思うんです。プライバシーとは、皆さんよくご存知のように、他者に知られることを欲しない個人に関する情報や私生活上の事柄ということですね。さっきも言いましたように、申立人宅の映像は、ただちに申立人宅を特定するものではない。近所の人、申立人をそもそも知っているという人が見れば分かったかもしれないが、一般視聴者が分かったわけではない。布団とか枕とか、そういう映像があるわけですが、普通の家の外に干してある布団とか枕がプライバシーの概念にすぐにあたるかというと、そうではなかろうと。プライバシーそのものとは言い難いということで、プライバシー侵害にあたらないと判断したわけですね。
さっき置いておいた真実性、相当性の検討ですけれども、分かっていることは、申立人宅における捜査活動が浜名湖切断遺体事件の捜査の一環として行われ、申立人が容疑者から譲渡された軽自動車が押収された。これは争いのない事実として本件放送の重要部分で、これは真実性があると言えると思うんですね。
その時に、関係者とか関係先の捜索という表現が、この真実性を失わせるかどうかという問題ですね。そこで実際の取材活動を考えてみると、テレビ静岡は捜査関係者からのリークがあって捜査車両を追いかけて行っていろいろ映像を撮った。しかし、決して当日の捜査活動の全体像を最初の段階で知っていたわけではない。そこで実際に車が押収されているという時にどういう表現をするか。いろいろ考えるべきではあろうと思うんですけども、とりあえず関係者とか関係先の捜索というような表現は、ニュースにおける一般的な用語法として逸脱とは言えないだろうと判断したわけですね。ということで、名誉毀損は成立しないという結論になったんです。

放送倫理について
テレビ静岡は、当日の警察の捜索活動の具体的な内容を全て掴んでいたわけではない、しかし、捜査情報を得て現場に向かい、目前で展開される捜索活動を取材する一環として申立人宅を撮影した。これはどこのテレビ局、新聞社だってやりますよね。それ自体問題ないし、申立人宅が特定されないように、ロングを使わずにアップの映像を使ったり、表札がちょっと映っていますが、そこでもボカシをかけているということがあるわけですね。
ということで、放送倫理上問題があるとまでは言えないと判断したんですが、少し考えてくれたほうがいいところがないわけではないというのが、実際に申立人宅内部の捜索が行われたのかどうかという問題です。申立人は、警察は車を押収しただけだ、家の中の捜索は行われていないと強く主張している、にもかかわらず、関係先の捜索という表現が使われていたと。
実際、家宅捜索は行われていないと言えるだろうと思うんですね。しかし、テレビ静岡は申立人宅の映像を繰り返し使って、さらに一番最後のニュースでは映像が増えるんですね、2階の窓の映像も加えている。ここに枕と布団が映っているんです。しかし、時間の推移とともに、申立人宅での捜査活動は車の押収であったことは推定できたはず。ですから、あんなに最後まで申立人宅の映像をバンバン使う必要はなかったんじゃないかというのが、放送倫理上の問題はないが、少し考えたほうがよかったんじゃないかという話ですね。申立人宅の映像の使い方は、より抑制的であるべきでなかったかと。もっと重要なことは、マンションに住んでいる男性が捜査陣にいわば任意同行を求められて車の中へ入って行く映像があるんですね。その人物が、実は重要参考人としてその後捕まるということになるわけです。そういうことを考えると、申立人宅の映像は少し抑制的に使う必要があったのではないかということを、いわば注文として付けたというのがこの決定です。

(起草委員 城戸真亜子委員)
関係者とか関係先という言葉をニュースなどでよく聞きます。一視聴者として聞いた時に、その事件に関係あるだろうなというイメージで聞いてしまうという見方があるというふうに思います。申立人の場合を考えると、関係先と表現しない方法もこの段階ではあったのではないかと思いました。
ニュースでは、殺害された人を説明するコメントの背景の映像として申立人の家が映っているわけですね。視聴者は、ここで殺されたか、ここに住んでいる人が犯人だと受け止めてしまうでしょう。慎重さを欠くところがあったのではないかと思いました。
特ダネだったということで、多少勇み足的になる心情はすごく理解出来ます。ただ、奥代行の説明にあったように、時間がだんだん経って、他の場所でどういう捜査が進んでいるかとか、たぶん、そういう情報が逐一入って来る中で、これは出す、これはもうは出さないという判断がその都度求められる。報道の現場は、緊張感、慎重さ、反射神経いろんなものが求められる大変な仕事だとつくづく感じたところです。

(質問)
カメラマンが撮影したポジションが私道でしたが、ここにもし「私道」と看板が立っていた場合、判断は変わりますでしょうか?

(奥委員長代行)
申立人は、テレビ静岡が私有地である私道で撮影したと主張しています。確かに私道ですが、誰でも普通に通っているところですから、プライバシーの侵害はない、問題はないという判断をしたんですね。
ここから先が私道だと、「私道に付き立ち入り禁止」というような立て看板があったとしたら、たぶんそこでやめるんじゃないですかね、今の取材のあり方としては。私のように古い新聞記者は、そんなの関係ないと中に入って撮っちゃいますけれど、今は、住居侵入とかになっちゃうからやめるんじゃないでしょうかね、という感じはします。

(坂井委員長)
私道と言っても、郵便局やヤマトや佐川は立ち入りOK、普通に訪問する人が家のベルを押すところまではOKという私道と、「私道に付き立ち入り禁止」、入るなと明示されているところがあり、そういうのは入っちゃだめですね、柵がしてあるのと同じだと考えて。
その中間の「私道」と書いてあったらどうしましょうというご質問ですが、ここから先は一軒家で、入るなというふうに見える場所もあれば、私道でも郵便局や宅配業者がみんな入って行くところであれば、そこは新聞記者とかテレビ局が取材に入っても社会的には許容される、これは法律的には推定的承諾という言い方をしますけれど。状況によるかと思います。あまりクリアな答えではないですけれども、状況判断だろうと思います。

(市川委員長代行)
所有権を侵害するかどうかということから言えば、それはだめですということになると思いますが、プライバシーとの関係で言えば、私道であっても宅急便や郵便局の人が入って来るところは、それほど保護されるようなプライバシーの権利はあまりない場合もあるように思うので、そこから撮ったら直ちにプライバシーとの関係で問題ありということにはならないと思います。私の個人的な意見です。

(質問)
警察が捜索をしたのは複数か所ですが、これが仮に、抜きネタだと追いかけて取材をしたら結果的に捜索をしたのは申立人宅だけ1か所だったと。たぶん、弊社であればスクープ映像なので関係者宅の捜索が行われたと昼から夜まで毎回流すと思うんですが、仮にそうなった場合には、この決定の判断は大きく変わることになるでしょうか?

(奥委員長代行)
申立人宅だけの捜索だった場合どうなのかというと、事件の続報という中でのウエイトの問題とか、いろんなことが出てくるので、どうでしょうかね。これは事件の本チャンの筋ではないですね。だから、ちょっとリーク情報があって取材に行ってみたけれど、空振りだったなということになるんじゃないですかね、感じとしては。

(坂井委員長)
捜索ではないというのが前提で、事実としては、申立人宅で車が事件に関係あるものとして押収されたということですね。だから、車が押収されたと報道するのはいいが、事件の本筋じゃないから、どこかでやめようという冷静な判断がないといけない。
これはすごい事件ですよね。切断遺体が浜名湖で出てきて、みんな恐ろしいと思っている時に、関連する捜索がありました、車が押収されましたと報道するのは、まずはいいとして、ちょっと怪しいと思ったらそこでやめないと、だんだん申立人が殺人事件の、主犯じゃないかもしれないが共犯かという目で社会的には見られると思うんですよ。そのへんの視点を忘れて報道をやり過ぎると、関係者という用語では留まらない意味が生じるかもしれないというようなことを感じます。

◆アンケートの回答から

事前アンケートの回答の中から2局を取り上げた。

(発言)
ローカルの情報番組の毎回のエンディングで「この夏休みはどう過ごすの?」みたいなことを、たとえば子どもにインタビューするというコーナーがあるんです。当然学校と担任の先生の許可を得て撮影し、何人かの子どもに答えてもらったんですけれど、そのうちの1人の胸の名札にフルネームが入っていました。それを見た親御さんから、プライバシーの侵害であると、BPOに言いつけてやるという電話があったと、学校から私どもの視聴者対応のほうに連絡がありました。フルネームが映ってしまったのを見逃したという部分あり、社内的には今後気をつけていかざるを得ないなという結論に至った次第です。

(坂井委員長)
たまたま名札が映っちゃったと。それはほんとにご時世で、昔だったら、問題にならなかったと思うんですけれど、ネットにどう流れるか分からないみたいな時代になっていますから。嫌だなとは思いますけども、学校名、名前、顔まで出てしまうと、そこはやっぱり配慮すべき事項だろうと思います。そういうケースだと、確かに何かあってからでは遅いという話になるような気もします。

(質問)
仙台市では中学生の自殺が複数あり、取材、報道で大変難しい判断を迫られるケースが出ています。特に最近分かったケースで、先生の体罰が絡むケースがあったりして、この学校はどこなんだという騒ぎも出たりして、もちろん、子どもたちへの直接取材とかはしていないんですが、体罰とかに関わった先生や校長先生からは話を聞かなきゃいけないと、実名報道に切り替えたという経過があります。こういう問題に対して、どのようにお考えですか。

(坂井委員長)
2つ問題があって、学校側の対応、いじめとか自殺にならないようにするために、学校の責任ある対応がなされていたのかどうかという部分では公共性があるし、匿名にする理由はないような気がするんですよね。だけれど、校長先生の顔や学校名が出ると、たとえば自殺したケースだと、遺族の方たちが「いや困る」と、遺族の方がどういうふうに考えるかということとの両面を見ながら報道することかなと思います。東北の出来事だったと思いますが、コンテストで自殺した女子生徒が写っている写真の表彰が取りやめになり、逆にご遺族の方から「写真を出してもらいたい」という話があったりして、一律ではないと思うんですね。
最初の被害者の実名、顔写真の話とつながるんですけれど、ご遺族が「困る」と言ったから、絶対それに従わないといけないということでもない、ケースによっては、名前を出して追求しなきゃいけない事案かもしれない。そこは、ほんとにどういう事案で、どこまで出さないといけないのか。匿名のまま報道しても問題提起が出来る場合もあると思うので、その要素を考えてやっていくのかなと思っています。

(曽我部委員)
いじめの場合は、当事者の意見が食い違うことが多々あるので、その辺りはかなり配慮して、当然配慮されていると思いますが、一方的で断片的な報道になってしまうと問題だと思います。ただ、委員長が言われたように、学校というのは基本的に閉鎖的な社会ですので、そこをきちんと報道するということには非常に大きな意義があると思いますので、必要に応じて、つまり匿名のままでは報道しきれないというような場合は、やはり実名で報道すべきではないかと、個人的には思います。

◆実名報道の価値 しっかり発信を ~坂井委員長 締め括りあいさつ

簡単にまとめたいと思います。これからますますいろいろなネットの問題や座間の事件ような問題が出て来たりしますので、局としてもしっかり考えていかないといけない。
今日取り上げた決定に、「勧告」はないんです。放送倫理上問題あり、または、問題なしだが要望ありの「見解」です。理由は細かく決定文に書いてありますので、ぜひ読んでいただきたい。そのうえで、ちょっと立ち止まって考えていただければ、放送倫理上問題ありとか、要望ありと言われないように、取材、報道に生かせるのではないか。現場を知らない私が言っても説得力がないかもしれませんが、ちょっと考えていただければ、こんなふうに言われないで済むのになと思うことがあります。例えば私がご説明した都知事事案の一番のポイントは、「いくらなんでも失礼です」と怒っているところの映像の切り方ですね。ここで切ったらどういう反応が来るのか、ちょっと考えれば分かるはずなんです。
それから、繰り返しになりますけれど、報道する価値とか実名報道の価値、被害者でも実名や写真を出さないといけないことがあるというならば、それを報道する側がしっかり発信していかないとだめなのだと思います。報道される側は当然いろいろ感じるわけですから。それを発信することによって、放送、テレビメディアに対する信頼が高まって、そういう報道も必要なんだと理解されていくのだと思うので、ぜひ個別の事案で委員会がどういう議論しているかを理解していただければありがたいなと。そのための意見交換会として、今日はほんとうに有意義だったと思っております。ありがとうございました。

以上

第253回放送と人権等権利に関する委員会

第253回 – 2017年12月

沖縄基地反対運動特集事案の審理…など

沖縄基地反対運動特集事案を審理し、提出された「委員会決定」原案の構成、内容について意見を交わした。

議事の詳細

日時
2017年12月19日(火)午後4時~8時05分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員、水野委員

1.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が2017年1月2日と9日に放送した情報バラエティ―番組『ニュ―ス女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャ―ナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるト―クを展開、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この放送に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉氏が申立書を委員会に提出、「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が、虚偽のものであることが明らか」としたうえで、申立人についてあたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また、申立人が、外国人であることがことさらに強調されるなど人種差別を扇動するものであり、申立人の名誉を毀損する内容であると訴えた。
これに対しTOKYO MXは、「申立人の主張は本番組の内容を独自に解釈し、自己の名誉を毀損するものであると主張するものであり、理由がないことは明らか」との立場を示し、また、虚偽・不公正であるとの申立人の主張については、「制作会社において必要な取材を尽くしたうえでの事実ないし合理的な根拠に基づく放送であって、何ら偽造ではない。申立人が主張するその他の事項についても同様であり、本番組の放送は虚偽ではなく不公正な報道にも該当しない」と述べている。
今月の委員会では、12月初めに開かれた第1回起草委員会を踏まえた「委員会決定」の原案が提出され、担当委員の説明を受けて、全体の構成、内容等について各委員から意見が出された。次回委員会でさらに検討を重ねることになった。

2.その他

  • 12月から委員に就任した水野剛也氏(東洋大学社会学部教授)が専務理事から紹介され、経歴等の説明があった。水野委員の就任は、2017年3月のBPO理事会で委員会の委員定数を1名増員することが承認されたことを受けたもの。

  • 委員会が11月28日に仙台で開催した東北地区意見交換会について事務局が報告、その模様を伝える地元局の番組同録DVDを視聴した。

  • 委員会が2月2日に長野で開催する県単位意見交換会の進行等を事務局が説明、了承された。

以上

第252回放送と人権等権利に関する委員会

第252回 – 2017年11月

沖縄基地反対運動特集事案の審理…など

沖縄基地反対運動特集事案を審理し、「委員会決定」の構成や方向性について意見を交わし、その結果、担当委員が起草に入ることになった。

議事の詳細

日時
2017年11月21日(火)午後4時~7時40分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員

1.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が本年1月2日と9日に放送した情報バラエティ―番組『ニュ―ス女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャ―ナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるト―クを展開、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この放送に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉氏が申立書を委員会に提出、「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が、虚偽のものであることが明らか」としたうえで、申立人についてあたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また、申立人が、外国人であることがことさらに強調されるなど人種差別を扇動するものであり、申立人の名誉を毀損する内容であると訴えた。
これに対しTOKYO MXは、「申立人の主張は本番組の内容を独自に解釈し、自己の名誉を毀損するものであると主張するものであり、理由がないことは明らか」との立場を示し、また、虚偽・不公正であるとの申立人の主張については、「制作会社において必要な取材を尽くしたうえでの事実ないし合理的な根拠に基づく放送であって、何ら偽造ではない。申立人が主張するその他の事項についても同様であり、本番組の放送は虚偽ではなく不公正な報道にも該当しない」と述べている。
今月の委員会では先月のヒアリングを受けて、「委員会決定」の構成や方向性ついて意見を交わした。その結果、担当委員が決定文の起草に入ることになった。

2.その他

  • 委員会が11月28日に仙台で開催する東北地区意見交換会の進行等について事務局が説明、了承された。

以上

第251回放送と人権等権利に関する委員会

第251回 – 2017年10月

沖縄基地反対運動特集事案のヒアリングと審理…など

沖縄基地反対運動特集事案のヒアリングを行い、申立人と被申立人から詳しく事情を聴いた。

議事の詳細

日時
2017年10月17日(火)午後3時~9時15分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員

1.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案のヒアリングと審理

対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が2017年1月2日と9日に放送した情報バラエティー番組『ニュース女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャーナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるトークを展開し、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。この放送に対し人権団体「のりこえねっと」の共同代表・辛淑玉氏が、「名誉を毀損する内容である」と申し立てた。
委員会では、申立人と被申立人のTOKYO MXにヒアリングを行い、詳しく事情を聴いた。
辛淑玉氏は代理人の弁護士とともに出席。本件番組でスタジオ出演者の発言やテロップ等を合わせると、(1)沖縄の基地反対運動の現場で行われているのは「犯罪」で、「テロリズム」である、(2)反対派は5万円の日当、つまり報酬をもらってやっている、(3)そこにおカネを送っているのは辛淑玉氏である、等の事実を摘示しており、これが申立人の社会的評価を低下させ、名誉を毀損したと改めて主張した。
また、スタジオの出演者が、申立人は「元々反原発、反ヘイトスピーチなどを職業的にずーっとやってきて、今は沖縄に行っている」「いわゆるスキマ産業ですね」と述べたことについて、「スキマ産業という、つまり営利目的でやっている、何らかの利益を得ているという評価をされた。しかし、この活動だけで利益を得たことは一度もない。この事実の摘示は虚偽であり、それ自体が名誉毀損にあたる」と述べた。
さらに、番組の制作会社が反対運動の現場や辛淑玉氏ら「のりこえねっと」の人間に何ら取材をしていない点を挙げ、「対象としている個々対立する意見がある事象について、片方の意見のみ聞いて報道したことが、最も大きな不公正」と指摘。辛淑玉氏は、「少なくともMX自体も私に聞くべきだと思う」と付け加えた。
このほか、本件番組が「明白な人種差別」と主張する理由について、「韓国人はなぜ反対運動に参加する?」とのテロップ等、「批判の対象が韓国人であること、外国人であることを殊更強調している。それ自体が差別」と主張した。
本件番組による被害については、「普通のテレビで見られ、スマホでもテレビの受信が出来る(地上波の)MXで流されたということが、今までインターネットの中だけでやられていたものとは一線を越えている」との判断を示し、具体的には放送による精神的な苦痛、放送後の脅迫・嫌がらせのメール、手紙、社員研修等仕事の発注量の減少、社会的評価の低下等「かつてとは質・量が違い、多岐にわたる」被害があったとし、特に「今回の番組で初めて、自分の出自は沖縄の友だちにこんなに迷惑になると思った。朝鮮人であることが、こういう使われ方をするかと思い、厳しかった」と心境を語った。
一方、被申立人のTOKYO MXからは上席執行役員編成局長、考査担当者ら3人が代理人弁護士2人とともに出席。「申立人の主張は本番組の内容を独自に解釈し、自己の名誉を毀損するものであると主張するものであり、理由がないことは明らか」との立場を改めて示した。
また、虚偽・不公正であるとの申立人の主張については、「制作会社において必要な取材を尽くしたうえでの事実ないし合理的な根拠に基づく放送であって、何ら偽造ではない。申立人が主張するその他の事項についても同様であり、本番組の放送は虚偽ではなく不公正な報道にも該当しない」と述べた。
ただ、「表現の仕方などに関しては、もう少しきちんと見ておいても良かったのかなと、要は不快の念を抱かれた方がいらっしゃるのではないかということで、遺憾の念を述べさせていただいており、そこは反省点である」と語った。
基地反対派を「テロリスト」と表現していることについては、「明らかに断定していれば、それはまずいという指摘になる」「『テロリストみたい』という表現だったら、ギリギリ許される表現なのかなというふうには考えていた」と説明した。
本件番組は自社制作番組とは異なり、スポンサー側で制作を行い、電波料も別途支払われ、番組分類上「持ち込み番組」に該当する。同局は「きちんと考査もしたうえで放送しており、放送倫理、放送基準、放送法に則って、たとえ持ち込みであろうが、自社制作であろうが、所定の手続きをもって審査して放送している」と、重ねて放送責任を認め、さらに、名誉毀損の成否は通常、公共性、公益性、真実性という枠組みで判断するが、持ち込み番組であっても、自社制作と同じ基準で判断することを前提としてよいかとの問い対し、「そうでなければいけないと思うし、それはきちんと責任をもっていくつもり」と答えた。
基地反対派や申立人らに取材しなかったことについては、反対派らの意見を「聞けたほうがベストと思う」としながらも、「これはある一つの角度から見た番組なので、違う角度から見る番組というのは当然必要になる。いわゆる放送法第4条が定めるような両論併記というところも、我々としては視野に入れているので、今回は取材をしなくても、別の機会で取材をすれば良いだろうという判断も一つはある」と述べた。
また考査担当者は、本件番組は通常スタジオトークを中心に番組進行することが多く、現場での取材はほとんどしないことから、沖縄に飛んで取材した「軍事ジャーナリスト」の報道内容については、「そもそもの現場に本人が行っているというのが、なによりの担保になってしまって、自分の中では疑う余地を外してしまったというのが本音」と明かした。
委員会はヒアリング後審理を続行、その結果、担当委員が起草準備のための会合を開いたうえで、次回委員会でさらに審理を進めることになった。

2.その他

  • 委員会が今年度中に開催予定の県単位の意見交換会について、年明け2月2日に長野で開催することになり、事務局から概要を説明した。

以上

第250回放送と人権等権利に関する委員会

第250回 – 2017年9月

浜名湖切断遺体事件報道事案の通知・公表の報告、沖縄基地反対運動特集事案の審理…など

浜名湖切断遺体事件報道事案の「委員会決定」の通知・公表が8月8日に行われ、事務局が概要を報告した。また沖縄基地反対運動特集事案を審理した。

議事の詳細

日時
2017年9月19日(火)午後4時~8時15分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員

1.「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」事案の通知・公表の報告

本件事案の「委員会決定」(見解:要望あり)の通知・公表が8月8日に行われた。事務局がその概要を報告し、当該局のテレビ静岡が放送した決定を伝える番組の同録DVDを視聴した。

2.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が本年1月2日と9日に放送した情報バラエティ―番組『ニュ―ス女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャ―ナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるト―クを展開、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この放送に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉氏が申立書を委員会に提出、「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が、虚偽のものであることが明らか」とした上で、申立人についてあたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また、申立人が、外国人であることがことさらに強調されるなど人種差別を扇動するものであり、申立人の名誉を毀損する内容であると訴え、TOKYO MXに対し訂正放送と謝罪、第三者機関による検証と報道番組での結果公表等を求めた。
これを受けて同局は、申立てに関する「経緯と見解」書面を委員会に提出した。その中で「本番組は沖縄県東村高江地区のヘリパッド建設反対運動が、過激な活動によって地元の住民の生活に大きな支障を生じさせている現状等、沖縄基地問題においてこれまで他のメディアで紹介されることが少なかった『声』を現地に赴いて取材し、伝えるという意図で企画されたものであると承知している」と放送の趣旨を説明。放送内容は、「申立人が主張する内容を摘示するものでも、申立人の社会的評価を低下させるものでなく、申立人が主張する名誉毀損は成立しないものと考える」と反論した。
今月の委員会では、ヒアリングに向けて起草担当委員がまとめた論点と質問項目案について検討した。その結果、次回委員会で申立人、被申立人双方にヒアリングを実施し、詳しい事情を聴くことを決めた。

3.その他

委員会が本年度中に予定している東北地区加盟社との意見交換会を11月28日(火)に仙台で開催することになり、その概要を事務局が説明した。

以上

2017年8月8日

「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」通知・公表の概要

[通知]
8月8日(火)午後1時からBPO会議室で坂井眞委員長と、起草担当の奥武則委員長代行と城戸真亜子委員が出席して委員会決定の通知を行った。申立人と、被申立人のテレビ静岡は報道の責任者ら4人が出席した。
坂井委員長が決定文に沿って説明し、「委員会は、『関係先』、『関係者』、『捜索』という表現が適切だったかどうかを含めて、本件放送が伝えた事実の重要部分の真実性ないしは相当性を検討し、真実性ないしは相当性が認められると判断した。したがって、本件放送は申立人への名誉毀損に当たらない。申立人は、本件放送で流れる布団や枕が映った申立人宅の映像などが申立人のプライバシーを侵害していると主張する。しかし、これらの映像で映された対象自体は他者に知られることを欲しない個人に関する情報や私生活上の事柄とまではいえないから、プライバシー侵害は認められない。委員会は、本件放送に放送倫理上の問題があったとまでは判断しない。だが、捜査活動の全体状況に考慮して、申立人宅の映像の使い方をより抑制的にしたとすれば、あるいは申立人の被害感情はこれほど強いものにならず、精神的打撃も少なかったのではないか。本事案は、たとえ実名や本人を特定する内容を直接含むものでなくとも、テレビニュース、とりわけ犯罪に係るニュースが当事者に大きな打撃を与える場合があることを教えてくれたものといえる。本決定の当該部分を参考にして、今回、自局のニュースが委員会の審理対象になったことを契機に、人権にいっそう配慮した報道活動を行うための議論を社内的に深めることをテレビ静岡に要望する」と述べた。
奥委員長代行は、「起草に当たった者だ。委員長の説明を聞いて、申立人は『自分がいろいろ訴えたことは全く認められていない』と考え、テレビ静岡は『よかった、よかった』と考えているかもしれないが、決定文全体をしっかり読んでいただきたい。決して、片方が勝って、片方が負けたという判断ではないことを、ぜひ読み取っていただきたい。被申立人について言えば、犯罪報道は入口で独自の情報を持って取材を開始し、展開する。そういう場面で、ある種の禁欲的な放送の仕方というのは実際問題として、報道現場にいるとなかなか難しいのは私も分からないわけではないが、これからは人権ということをしっかり考えていく必要があると思う。申立人について言えば、名誉毀損などの人権侵害は認められなかったわけだが、放送倫理の観点では主張のかなりの部分は酌みこまれていると思っていただければいいと思う」と述べた。
城戸委員は、「普段、私たちは視聴者として何気なくニュースに接しているが、犯罪に関わるニュースで使われる『関係先』という言葉について、私たちはどういう印象を受けるのか。あるいは、当事者であった場合、『関係先』として自分の家の映像が流されたらどういう感情を抱くのだろうか、ということを改めて考えさせられた事案だったと思う。他社にはない独自の取材映像があった場合、やはりそれを織り込んでいきたいという気持ちも分かる。ただ、刻一刻と状況は変化していく。そういう時にその都度、見極めて判断して、使用する映像などを精査することも求められる。毎日の仕事として、より敏感に繊細に判断していくことが求められる大変な仕事だということを改めて感じた」と述べた。
通知を受けた申立人は、「自分の主張が認められていないという部分で不満が残る。報道から約1年経ち、自分は犯罪を何ひとつ犯していないのに、車を購入しただけで仕事を辞め、周りからの信頼も失って、今も病院に通っている。自宅を特定されたくないため、数十万円かけて一部改装もした。踏んだり蹴ったりの1年だった。今も仕事が再開できない状態だ。この結論に達したときには、どこに憤りを持っていけばいいのか、それが今の率直な感想と言うか、まとめきれない状況だ」と述べた。
テレビ静岡は、「弊社の報道について、長い時間審理をしていただき、ありがとうございました。決定内容については本当にしっかり受け止めたい。第三者の目からご覧になって指摘された放送倫理上の要望点については、真摯に受け止めて、社内でしっかり共有して、今後の取材、報道活動に生かしていきたい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして、委員会決定を公表した。23社47人が取材した。テレビの映像取材はTBSテレビがキー局を代表して行った。
まず、坂井委員長が要望ありの「見解」となった委員会決定について説明し、起草担当の奥委員長代行と城戸委員が補足説明を行った。
その後、質疑応答を行った。概要は以下のとおりである。

(質問)
決定文の14ページ、撮影場所について、私道につき立ち入り禁止の表示もない、捜査員は私有地への立ち入りについて注意喚起したわけではないと書かれているが、例えば、その場所に私道につき立ち入り禁止、もしくは申立人が私道だから撮影はだめだというようなことを言っていたら判断は変わるのか。
(坂井委員長)
これはこのケースについての判断ということがまず1つある。この現場は通常の宅地の道路で、誰の立ち入りも原則として拒否するものではないという前提になっていると思う。普通に通行する人から見たら、入ってはいけないと分からないわけで、この部分はまさにそういう普通の道路としか見えないところだった。登記が私道になっているからといって、立ち入りは違法だということはなかなか言えない。法律的に言うと、「推定的承諾がある」ということになるので、問題なしというケースだ。
次に、一般論としてどうかというと、14ページに書いてあるように、塀や柵などで囲まれ、一見して私有地と分かる場所、ないしは、道路ではあるが門があって家の一部分である、入ってはいけないよという前提が示されていたら、そこは原則入ってはだめで、法律上は住居侵入の問題が出てくる。報道だからと言って、公共性があり、公益目的があるからと言って、私有地に勝手に入っていいということは原則ない。それは皆さん、普段の取材でも気にしておられると思う。
その中間的なケースがあるかもしれない。道路であるが、小さな札があって、ここから先は私有地だと書いてあったらどうなのかというようなケース。それは、その場その場の、どういう状況かによって判断されると思う。少なくともここに書いてあるように、明確に立ち入りが禁止されていたり、囲っているところであれば、報道であっても勝手に入って行くのはだめだと私は考える。個人的な意見になるが。

(質問)
通知した時の申立人の反応を教えていただきたい。
(坂井委員長)
人権侵害だという主張が認められていない部分で不満が残るということだった。我々としては、人権侵害ありともしていないし、放送倫理上問題ありともしていないが、要望ありにしたという説明をしたが、全体として不満は残ると。自分は犯罪を何ひとつ犯していないし、単に車を購入しただけで、この報道によって、仕事を辞めざるを得なくなって、周囲の人からの信頼も失って、病院に通っているような状況だと。家を一部改装したり、踏んだり蹴ったりの1年だった。いまだに仕事も再開できないと。そういう状況で、こういう決定が出て、どこに憤りを持っていったらいいのか、という反応だった。

(質問)
12ページの「名誉毀損についての結論」の部分、「『関係先の捜索』という表現における『捜索』については真実性を認めることはできない」というのはどういう意味か。もう少し説明してほしい。
(坂井委員長)
端的に言うと、申立人宅にあった車を押収したということに争いはない。しかし、申立人宅、住宅を捜索したと放送したことについては、そのような事実は認められない、真実性立証はできていないということだ。真実性立証ができている、ないしは争いがないのは、車が押収されたという点に限られ、住宅の捜索については真実性は立証できていないということだ。

(質問)
14ページなどに、「捜査活動の全体状況に考慮して、申立人宅の映像の使い方をより抑制的にしたとすれば」と書いてあるが、具体的にはその映像を使わない以外に、抑制的に放送する仕方とはどういったことが考えられるか。
(坂井委員長)
1つは映像の問題だ。13ページから書いてあるが、取材過程で浜名湖事件の捜査の中心は申立人宅ではなくて浜松市の2か所だということがだんだん分かってきて、放送内容もそのように変わってきているのに、申立人宅の映像をここまで繰り返し放送する必要はなかったのではないかということだ。16ページから25ページに4回の放送概要が書いてあるので確認していただきたい。4回目のニュースでは、申立人に関する新たな映像がダメ押し的に加わっている。
もう1つ、これは決定文に書いていないことだが申し上げる。当日、取材過程でだんだん分かっていなかったことが分かってくる、だんだん変わってきた部分があると思う。その時に、バラバラ殺人事件の「関係先」、「関係者」という言葉は、本当にそういう使い方をしなければいけないのだろうかということだ。「関係先」、「関係者」という言葉は多義的であり、浜名湖事件の被疑者であると言っているわけでもない。しかし、申立人が、浜名湖事件という凄惨な事件の「関係先」、「関係者」であるというように報道されて、それが申立人のことだと視聴者に分かった時に大きなダメージを受ける場合もある。このケースもそうだと思う。であるとすれば、たとえば言葉の使い方にも配慮の余地があるのではないかと私は思う。そこまでは決定文に書き込んでいないが、その辺も配慮できるのではないでしょうかということが、今回の要望につながっていくところだ。
通知を受けた時の申立人の発言、この放送で自分はこんな酷いことになってしまったということの原因は、私が想像するに、「関係先」、「関係者」という言い方で、自分に関する映像が出てしまったということが大きいのではないかと思う。そこは1つ、大きなポイントだと個人的には思っている。
(奥委員長代行)
今の質問は、「より抑制的に」という表現がちょっと持って回ったような表現だと、要するにどうしたら良かったのかということだと思う。実はどういう表現をするか、いろいろ考えた。「関係先」、「関係者」という表現、「関係者」は直接申立人を指しているとは言えないかもしれないが、「関係先」としては出てくる。その日の捜査は、全体状況を見ていくと、委員長が言ったように、浜松市の2か所が中心だったということもあり、申立人については全然触れないということもできる、ニュースの全体構造からすれば。車を1台押収しているのは間違いないので、その映像だけを使うということもありだと思う。ただ、現実的に取材、報道している立場になって考えてみると、特ダネ映像を撮ったわけで、それを全部やめるというわけにはいかないだろうというようなことを全体的に考慮して、「より抑制的に」という表現をした。どういう形で抑制すればいいのか、それはテレビ局の方々に考えていただきたいという問題提起だ。
(坂井委員長)
1つ補足する。通知の後に、まず、申立人と被申立人同席の場で感想や意見等をいただく。その後、申立人と被申立人、それぞれ個別に意見をいただいている。その個別の意見交換の場で、私から申立人に、「関係先」、「関係者」と表現をされたことについてどう考えるか、どんな表現であればよかったのかと聞いた。1つの重要なポイントであると思ったので聞いた。これは皆さんにお話してもいいと思うので、お話する。申立人としては、断定的でなく、ないしは、直接の関わりはないことが分かるような形であればよかったのかもしれないと言っていた。その場で質問して、その場で答えているので、あくまでそのレベルのやり取りではあるが。局側は、「関係先」、「関係者」は断定的でもなく、直接性があると言っているわけでもないと主張しているが、申立人の周りの反応からすると、そうとは言えない反応になっているのでこういう答えになったのかなと思う。

(質問)
「被疑者の関係先」とかであれば、よかったのか。「関係先」よりも「もっと抑制的な」表現というのがよく分からない。
(坂井委員長)
奥代行が言ったように、この段階で正確に把握できている事実は、申立人宅から車1台を押収したということ以上ではないわけだ。だから、それがバラバラ殺人事件に関わるかのような印象を与えない表現をすればいい。「被疑者と関わりのある」と言ってしまうと、共犯、共犯というのは法律用語で、平たく言えば仲間かと思われる可能性もあるので同じような問題が生じると思う。
逆に、そこまで言う必要が本当にあるのかということが、先ほど奥代行が言ったことで、車1台が押収されたと放送していれば真実性もあるわけで、という話になるのかもしれない。ただ、そこは、我々がこういうやり方でやりなさいと言う立場ではないので、そこを工夫していただきたいというレベル以上のことは言えない。

(質問)
軽自動車が押収されて、その映像を使って報道されたことに、なぜ申立てたのか疑問に思っていたが、20ページ、22ページ辺りの放送概要を見て、なるほどと思った。申立人宅の映像に、殺されたのは出町さんで、殺人事件と断定したというコメントが付き、そこに「関係先の捜索」というスーパーが表示されると、非常にミックスされて、誤解されるような作りになったということだと分かった。
城戸委員が、映像を撮っても、使う、使わないかを考えてほしいというようなことを言ったが、誤解のないような作り方をしろということでよいのか。映像を使うことについては、特に否定的ではないということか。
(城戸委員)
1つは、テロップとの関係もある。生放送で、レポートする方がちょっと言いよどんだ時に、タイミングがずれて、あのテロップもずれて出てしまった。「死体損壊・遺棄事件として捜査本部設置」というテロップがずれて、申立人宅の映像に出てしまった。私が先ほど申し上げたことは、最初の段階で、まだ捜査の全体像がつかめてない段階で、十数人の捜査員がある家に行って車を押収したという事実はあったが、時間を追うごとに少しずつ見えてきて、申立人宅はそれほど捜索もされていないようだと分かってきた段階で、その個人宅の枕とかの映像をまだ使っているというようなところは精査すべきだったのではないかということだ。

(質問)
つまり、夕方のニュースの段階と、昼のニュースの段階では明らかに違うということか。たとえば、夕方のニュースであれば、押収される軽自動車という映像にとどめて、殺されたのは誰かというコメントに申立人宅の映像は使わない、それが抑制された使い方ではないかという理解でよいか。
(城戸委員)
申立人宅の映像は、この段階で、より抑制的に扱うべきではなかったかということだ。
(坂井委員長)
今のところは重要なポイントだと思う。昼のニュースは大変シンプルになっている。19ページ、申立人宅の映像に「関係先の捜索」というスーパー、「関係先」かどうかという議論は別にあり得るが、この使い方と、20ページや22ページの使い方は明らかに違っている。むしろ、城戸委員が言った流れとは逆になっている。捜査の中心は浜松市の2か所だと分かってきたのに、申立人宅の映像が、被害者が誰で、腹部を刺されたことが死因だというコメントのところで出てきて、スーパーで「関係先の捜索」と出てきてしまう。その辺の組み合わせで印象はまったく違う。25ページ、押収される軽自動車の映像には、事件と結びつく証拠がないかどうか調べている、出町さんはなぜ殺害されたのかというコメントがのっている。逆になってしまっている。このことは決定文にも若干書いてある。

以上

2017年7月18日

在京キー局との意見交換会

放送人権委員会は、7月18日に在京キー局との「意見交換会」を千代田放送会館会議室で開催した。民放5局とNHKから17人が出席、委員会からは坂井委員長ら委員全員が出席した。
今年の2月と3月に通知・公表を行った決定第62号「STAP細胞報道に対する申立て」(NHK 勧告:人権侵害)と決定第63号、64号の「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本、熊本県民テレビ 見解:放送倫理上問題あり)を取り上げ、それぞれ番組を視聴し、坂井眞委員長と起草担当委員による説明、少数意見を付記した委員による説明の後、質疑応答を行い、約3時間にわたって意見を交わした。
質疑応答の概要は、以下のとおり。

◆ 「STAP細胞報道に対する申立て」

(NHK)
決定の説明で、ダイオキシン報道の最高裁判決の話があったが、最高裁判決は、煎茶のダイオキシン類測定値を野菜のそれと誤って報道した部分については、放送が摘示する事実の重要部分の一角を構成するものであり、これを看過することができないとしている。決定文を読んだ職員からは、STAP細胞報道で、ホウレンソウをメインとする所沢の葉っぱものとのコメントに当たるところはどこなのか、それがないのではないか、という声が出ている。

(坂井委員長)
今のご質問は最初にもっとも意見交換すべきところだと思う。まず曽我部委員が言ったように、ダイオキシン報道最高裁判決は、新聞記事に関する最高裁の判例が一般の読者の普通の注意と読み方が基準だとしていることを引用したうえで、テレビ放送でも同様に一般視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準とするとしている。こういう抽象論を言ったあとに、最高裁判決ではさらに具体的にどういう要素によって摘示されている事実を判断するかということを述べている。
まず当該報道番組により摘示された事実がどのようなものであるかということについては、当該報道番組の全体的な構成、これが一つの要素とされている。決定文(7~8ページ)で言っている(1)~(5)までと(6)のつながりも、この要素との関係で出てくるものと言える。この場面がどういう全体の流れの中にあるのかという観点からの判断だ。
それから二つ目が登場した者の発言内容。今おっしゃった久米さん(ダイオキシン報道の番組キャスター)の発言をストレートに挙げている。つまり久米さんの発言はいくつかの要素のうちの一つです。その次に画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとよりとされている点。これは、最近の例で言うと、人権侵害との判断はしていないが、テレビ朝日の「世田谷一家殺害事件特番への申立て」(決定第61号)で、サイドマークだったり、テロップだったり、いろいろな形式で用いられていた文字情報を含めて摘示されている事実が何かを判断したこととかかわっています。それから、もちろんテレビですから、映像の内容、効果音、ナレーション等の映像及び音声にかかる情報内容という要素、そして放送内容全体から受ける印象等。これらの要素を総合的に考慮して判断すべきであると最高裁判決は述べています。
だから、ダイオキシン報道の最高裁判決というのは、何か具体的な一つの発言を捉えて、それがあることを前提として判断しているわけではなくて、こういうたくさんの要素全体から判断すると言っているのです。ダイオキシン報道で特に象徴的に出てくるのは、さっき申し上げたホウレンソウをメインとする所沢産の葉っぱものと言っていたところだが、実は一番濃度が高かったのはお茶だった。それについて専門家もちゃんと説明していないとか、いろんな事情があったが、そこについては真実性ありとは言えない。重要な部分について真実性がありとは言えない、そういう事例だった。
判断基準としては、発言内容でこれを言ったとかいう、ピンポイントの要素で判断するのではないというのが私の説明になる。本件についても、どれか一つの発言ということではなくて、今、指摘したようなたくさんの要素を総合的に考慮して、我々の摘示事実の認定がなされたということになる。

(曽我部真裕委員)
ちょっと補足をさせていただきたいが、実はこの裁判は東京高裁では真実性ありという判断だった。それは別の研究者が白菜の測定もして、煎茶の3.8ピコグラムに近いような数字が出ていたと。そういう情報を持ってきたので、それをもって高裁は真実性ありと判断した。最高裁は、それはダメだと言った。なぜダメだかというと、摘示事実の認定が高裁と最高裁で違っていた訳です。
最高裁は摘示事実として、所沢産の葉っぱものが全般的に高濃度に汚染されているということを言ったと判断した。だから、要するに白菜1点持ってきたところで、それでは全般的に高濃度に汚染されているということの証明にはならないと言って、真実性・相当性は否定した。これに対して、高裁は全般的にとは言っていない。高濃度の白菜が一つあったので真実性を認めた。
だから、高裁と最高裁で判断が分かれたのは、摘示事実の認定が違っているところにあって、なぜ、最高裁が摘示事実として全般的に高濃度に汚染されていると言ったかというと、これは当該部分全体を見ているから言ったわけです。番組の中で、別に全般的に高濃度に汚染されているという発言は無かったが、全体として、それこそ全体として汚染の深刻さを繰り返し、いろんな手を変え品を変え訴えていたことから、最高裁は摘示事実を全般的に高濃度に汚染されているという認定をした。
要は、全体の作りから一般の視聴者はそう受け止めるであろうと判断したもので、むしろ参考にすべきは、この判断かなと思う。

(NHK)
最高裁判決でいうと、ホウレンソウの値段が暴落しているので、一般視聴者も多分そう見ただろうと思う。ただ、今回のSTAPについては、我々はモニターからリポートを取っていて、この番組が終わった後、視聴者の皆さんからモニターを取ったが、その100件余りの中でも、要するに盗んだという決定と同じように番組を見たという人はいなかったし、そういう抗議も来なかった。申立人が主張してきて初めて、ああ、そういうふうに見られているのだということが分かった。
先ほどの曽我部委員の説明で、摘示事実の認定に関わる部分で、STAP研究が行われた時期と、元留学生のES細胞が小保方研究室の冷凍庫から見つかった時期の間には、2年以上のブランクがあると繰り返し指摘されている。ただ、STAP細胞が最初に成功したとされるのが平成23年11月以降で、その後、研究を継続的に行っているので、2年以上の間隔があるという事実は無い。なぜ、2年以上の間隔があると判断したのか。

(坂井委員長)
2年以上の間隔という意味が、みなさんが捉えていらっしゃるポイントと、我々が言っている趣旨がズレているというか、違っていると思います。
我々が言っているのは、番組を見てわかるように、キメラ実験を成功させたときのSTAP細胞は、実はES細胞のコンタミ(混入)が原因だったんじゃないかという点にかかわることだ。番組では、そのときの話をしているわけだから、それから2年以上経って、ということになる。特にキメラ実験をしている当時は、まだ小保方研なんてないですし、まして小保方研の冷凍庫も無いわけですから、それから2年以上経って小保方研の冷凍庫から見つかりましたということに、どういう意味があるのか。キメラ実験のときのコンタミしたかもしれないES細胞と、どこにあったか分からない留学生の細胞、どこで、いつどうやって、どういう経路でキメラ実験の後に作られた小保方研の冷凍庫に入ったか分からない留学生のES細胞との関係が問題とされているわけで、見つかったときと、キメラ実験をしたときの間が2年もある。そうすると、関係が無いのだったら、ここで見つかったから混入したのではないかという話にはならない。
NHKは、STAP研究は2年以上続いていたという。でも、その話は申立てに係わる、この放送の問題とはあまり関係ない。この放送でどういう事実が摘示されて、それが名誉毀損に当たるかどうかという話をしているときに、放送で問題にしているキメラ実験の後もSTAP研究が続いていたということは意味がなく、我々が言っている2年間とは観点が全然違う。

(曽我部委員)
2年という数字そのものには、特に意味は無い。おそらく、視聴者としてみれば、最初のキメラ実験の辺りから混入していたのであろうと、これは決定文には無いですけれども、おそらく通常、受け止めるだろうと思う。そうすると、その時点から混入していたという話と、だいぶ後になってから、たまたま、たまたまかというかどうか、出て来ましたよと、研究室の冷凍庫にありましたよという指摘とのつながりは、少なくとも、あの放送内容では視聴者はよく理解できないんじゃないかと思う。
審理の過程でも議論はあったが、あの場面はNHKの側からしてみると、要するに、小保方研における細胞の保管状況はあまり厳格ではなかったので、混入する可能性も、客観証拠として、傍証として、間接証拠としてはあるんじゃないかという趣旨で放送したのかなという気もするわけだが、ただ、それは後から見ると、もしかしたらそういう趣旨だったのかもしれないなという程度で、やはり普通に見ると、先ほど来ご説明申し上げているような形で視聴者は受け止めるだろうということだと思う。

(A)
第二次調査報告書の中で結局、2005年に若山研のメンバーが樹立したES細胞が、その後ずっと2010年に若山研が持ち出すまでは研究室にあって、その後なくなったはずのES細胞が、後に小保方研のフリーザーに残っていた資料から見つかって、それが今回のSTAP細胞の中の成分と一致しているという、そして、これは誰が入れたのか、謎のままだという調査結果が出ている。
その大筋においては、それが元留学生のものかどうかは別として、ある程度放送と一致した内容の最終的な調査報告書が出たということが、今回の真実性の判断の中で審理されたのか?

(坂井委員長)
報告書では、若山研にあったES細胞がコンタミしたのではないかと書いてあるから、その限りでは真実性があるのではないかというお話だが、真実性は、番組で摘示された事実を対象に真実性があるかどうかを判断する。
我々の認定した摘示事実では、留学生の作成したES細胞と、冷凍庫で発見されたES細胞というのは、番組で関連があるんじゃないかと言っているわけだから、留学生のES細胞を取っ払って、一般的に若山研のES細胞との関係で真実性を判断するわけにはいかない。報告書で若山研にあったES細胞がコンタミしたのではないかとされているから、その点は真実性があるというが、番組はそういうことは言っていない。前提として、番組の摘示事実は何かというところから真実性の話をしないと、ちょっと論点がズレるのではないか。
市川代行の少数意見は、そこは切り離している。番組として切り離すのだったら、留学生の細胞の話を出さなくたっていいわけですから。私は切り離すのはおかしいと思っているが、それは意見の違いだからしょうがない。

(B)
私は放送を一視聴者として見ていたが、そのときの印象として、出所不明のES細胞が小保方研究室の冷凍庫から出て来たという事実は捉えたが、いわゆるSTAP細胞がそのES細胞に由来する可能性があるとまで摘示しているとは感じなかった。それが即、STAP細胞に使われたというふうには思えなかったというのが正直な感想だった。普通の視聴者の視聴の仕方というが、やっぱり、個々の視聴者が感じることは違うと思うので、私は委員会の判断は相当厳しいなと、すごく感じた。

(坂井委員長)
我々は一般視聴者を全部調査しているわけではない。さっきNHKもおっしゃったように、そうでもないと思う人もいるだろうし、我々もそういう意見もあることは聞いているが、我々は9人の委員がどう認識するかで判断するほかない。つまり、放送を見て、委員会のメンバーが最高裁の基準からしてどう判断するかということで、それは違うと言う人がいたからといって、間違っているということにはならないだろう。委員会として、これを普通に見たらどうなるだろうかと判断をするしかない。これを厳しくしようとか、緩くしようとかは、全然思っていない。
今のお話は、出所不明の留学生の作ったES細胞が、その前の場面のアクロシンGFPが入った若山研にあったES細胞と同じとまでは思わなかったという話ですよね。当時同じだと認識していなかったのであれば、それを明らかにしたうえで、留学生の作ったES細胞が、なぜか後になって小保方研の冷凍庫から見つかったが、なぜそこにあるのか、小保方さんには説明していただけませんでしたというふうにすれば、その前の部分とは区切られて問題にはならないかもしれない。
逆に先ほど説明したように、アクロシンGFPが組み込まれたES細胞が混入したのではないかというSTAP研究当時の混入の可能性を指摘した部分に続けて、それとは別の話であることをはっきりさせないで、元留学生作製のES細胞の保管状況を紹介し、なぜこのES細胞が小保方研の冷凍庫から見つかったのかと疑問を呈するナレーションがある。そうすると、このES細胞が混入したらSTAP細胞ができちゃうね、という流れだと、一般の人にもそう見えると我々は判断した。
NHKは違う話だと主張するが、違う話だったら、どうしてこういう流れで出てくるのか分からないというが委員会の意見で、違う話だと分かるようにすればいいと思う。理研なり小保方研での細胞の管理がいい加減だったという文脈であれば、そういう文脈をはっきり出せばいいと思うし、そうではないと言うのだったら、それまでのアクロシンGFPが組み込まれたES細胞が混入したのではないかというSTAP研究当時の混入の可能性を指摘した部分との関係、そこはまだよく分からないけれども、なぜか無いと言っていたES細胞がありましたと、それは事実で真実性を立証できる、無いと言っていたのに出てきたわけですし、出て来たということは立証できるんだったら、それは全然問題ないし、やりようはあるだろうなと思う。

(B)
この元留学生が作ったES細胞には、アクロシンGFPは組み込まれていないのですね?

(坂井委員長)
結論としては、そうだと思う。

(B)
NHKは放送当時、それを知っていたのか?

(奥武則委員長代行)
今おっしゃった部分について、もし放送するなら、こうやればよかったかなと、一つの提案に過ぎないが、決定文29ページの下から11行目の、「事態が『霧の中』にある状況で」という書き出しの段落の真ん中あたりに、例えばとして書いてある(「アクロシンGFPが組み込まれていないため、現在の時点では遺伝子解析が行われたSTAP細胞とのつながりは明らかではないが、小保方氏の研究室で使われている冷凍庫から、本来あるはずのないES細胞が見つかった」)。こんなふうにすれば、別であるということが分かったのではないか。
アクロシンGFPの話は、後になって、NHKにヒアリングした際にちゃんと聞けばよかったなと思った。アクロシンGFPが入っているか入っていないのかについて、NHKが取材したかどうかは、今もって分からないが、事実としては入っていなかった。

(B)
もしNHKが知っていて表現しなかったなら、放送倫理上問題はあるなと私は思う。ただ、なぜかこういう事実摘示だと認定し、人権侵害のほうに行ってしまうのが、本当によかったのかなと。

(坂井委員長)
そこは何とも言いようがないが、一般視聴者ではなく、やっぱりその道のプロでいらっしゃると、そうお考えになるのかなと思いながら聞いている。ただ、委員会は、一般視聴者が普通に見たらどうだろうかという観点で議論をし、結果、こう判断せざるを得ないと結論した。少数意見も2人もいて、人権侵害とは認めないとしているが、放送倫理上問題ありとはおっしゃっている。

(C)
今の議論を聞いていて、委員会は裁判所なのかなと思ってしまう。例えば、今の状況で行けば、加計の問題とか森友の問題、僕らは一切放送できない。事実性も真実相当性も中途半端な状態でしか分からないので。
今回のケースで行けば、やっぱり、あのSTAP細胞に何かあったのじゃないかという素朴な疑問、メディアの素朴な疑問、当然NHKも持つし、僕らも持った。その疑問について、当然、小保方さんにも当てた、一切回答は返ってこなかった。そういう状況の中で、一所懸命番組を組み立てていった。この問題をメディアがどうやって伝えるべきか、その大義の部分の認識は委員にあったのか? 些末なことが十分な真実性が無いから人権侵害だと断じてしまうのは、ほとんどの調査報道の道を閉ざすことになる。

(坂井委員長)
加計の話とこの話は違うし、調査報道はいくらでもすればいい。ただ、名誉毀損にならないようにすればいいだけの話。それをしない方法はいくらでもある。ここをこうすればという、こんな問題で名誉毀損と言われなくて済むやり方はあると思う。法律家ですから、よく分かっているつもりですけれど、そのようなやり方をするのも報道する側の仕事だと思う。名誉毀損された人間というのは、とんでもない痛みを受けることがある。それを忘れてはいけないと思う。
報道というメディアの重大な役割は委員全員が認識している。それは決定文に書いてあると思うし、こういう問題を起こさないようにすることこそが大切だ。
加計の問題を言われるが、安倍さんは総理大臣だから、公的存在として、STAP研究の1研究員と全然違う。報道されていい範囲が立場によって全然違うのはご存じですね。それを同列で議論できるわけがない。おっしゃるような調査報道はどんどんやるべきでしょう。けれども、そこで名誉毀損だと言われないようにする、細心の注意を払うべきじゃないかと思う。それは、そういう重大な役割を担っている報道のみなさんの役割だし、義務だと思う。

(D)
やっぱり普通に番組を見ると、小保方さんがあの細胞を勝手に盗んできて、個人的にやったのかと見えちゃう。小保方さんが個人的にやったのか、もしくは研究者の誰かが勝手に入れたのか、何らかの手続きで間違って入ったのかもしれませんけれども、これを見る限りでは、個人がなんか意図的にやっているふうに見えちゃう。だとすると、これは個人がやったのか、それとも第三者が勝手に入れたのか、それについてお答え願いたいみたいな表現にすれば、よかったのかなと思う。
それよりも、どちらかというと、声優を使って紹介したメールのやり取りのほうが、かなり問題ではないのかなと。たしかに公的なメールでプライバシーの侵害ではないが、男と女の関係を匂わせるような表現はいかがなものかと、僕はリアルタイムで見ていてびっくりした。

(坂井委員長)
いかがなものかという趣旨の表現は決定文に書いてあると思う。本件のような大事なテーマで、そういうニュアンスを出すのはいかがなものかと、私も個人的に思うが、でも、声優が話している内容自体は大したことじゃないので、問題ありという結論にはならないと思う。

(奥委員長代行)
先ほどご質問があった調査報道のことは、また少数意見で言いにくいが、決定文28ページの「調査報道の意義と限界」というところを読んでいただければ、私が考えていることは分かると思う。委員会は裁判所ではない。

(C)
委員会はより良い放送メディアを作るためのものなので、行き過ぎはもちろん訂正しないといけないが、とにかく押し込めてしまうということがあってはいけないと思う。法廷ではバランスは取れない、絶対に。ただ、委員会はバランスが取れると思っている。たしかに問題があるかもしれないが、伝える意味合いがあるものに対しては、それとのバランスをどういうふうに取るかを、是非お考えいただきたい。法律で言ったら、おっしゃるとおりだということはよく分かる。ただ、委員会はそういう場ではないと思っている。

(城戸真亜子委員)
私は法律の専門家ではない。放送に携わったこともあり、表現する立場でもある。やはり、調査報道は踏み込まないとできないという、おっしゃっていることはとても理解できるし、スレスレの姿勢で入り込んでいく姿勢が必要だと思う。今回のNHKのこの番組は、独自に調べられてタイムリーに作ったと思う。
でも、私はリアルタイムで拝見したが、やはり申立人が何か重大な間違いを犯してしまったんじゃないだろうか、という見方をした。あそこのシーン、留学生の話があり、試験管のようなものが出て来て、私の印象では「杜撰な管理方法でよかったのだろうか」みたいなことでまとめていたら、たぶん人権侵害にはならなかったのではないかと感じた。やはり、ちょっと行き過ぎた言葉によって、傷ついただろうと感じた。申立人のしたことが、それよりも大きかったかどうかはちょっと分からないが、放送によって本人が名誉が毀損されたと感じたならば、やはりそこを考えて判断していくのが、この委員会だと思っている。

(NHK)
今言われたことと、ちょっと関係するが、放送は「小保方さんにこうした疑問に答えてほしいと考えている」で終わっているわけではなくて、その後まで続いていて、新たな疑惑に対して理研は調査を先送りにしてきていて、こういったコンタミを含めた調査をきちんとやらないのかと、指摘する場面を付けている。

(城戸委員)
小保方さんは答えをくれなかったわけで、そして、理研はどうなんだとつながっていくことは大変よく分かるが、そこまでのトーンが、やっぱり、そのコメントに集約して着地しているように私は感じた。

(E)
7月3日付で委員会からNHKに対する意見(NHKの「STAP細胞報道に関する勧告を受けて」に対する意見)というものを出されたが、異例の強い調子で述べられているように私は受け止めている。これはもう、こういう形で平行線で終わりということになるのか。

(坂井委員長)
決定を通知したあと、我々が行って、当該局研修と言いますけれど、研修をしてその報告をいただいて、それで分かりましたと了承するときと、報告の内容に納得いかない部分があるときは、我々はそれに対する意見を出して、それで終わるというのがこれまでの通例です。
大阪市長選事案(決定第51号「大阪市長選関連報道への申立て」)のときも、当該局の報告に対して委員会の意見を出したが、そのときもそれで終わっている。それ以降について、特に何か意見を交換し合う手続きがあるわけではないが、でも、こういう意見交換会のように実態としては局側と話ができている。引き合いがあれば、こういう話ができればと思うが、手続き的には特に定めは無い。

◆ 「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本、熊本県民テレビ)

(A)
こういったケースは、おそらく同じような形で、いろんな場所にあるような気がしている。警察の見立てだと明確化すれば問題ないという結論になるのか、それとも、現時点で見立てに近いものはできるだけ報じないほうがいいというご趣旨なのか。どういった形で正しい原稿、倫理上問題のない原稿を書くかを、ご指導いただきたい。

(坂井委員長)
分かりやすいほうから言うと、警察の見立てに近い部分は報道しないほうがいいとは、全然言っていない。見立ては見立てとして報道してくださいと、委員会決定ではそういう言い方をしていると思う。見立ての部分と、そうではない部分、客観的事実として報道する部分は、ちゃんと区別してくださいということです。
決定文(テレビ熊本)の32ページを見ると、冒頭のところ(リード部分「酒を飲んで意識がもうろうとしていた知人女性を自宅に連れ込みデジカメで女性の裸を撮影したとして、熊本市の職員の男が準強制わいせつの疑いで逮捕されました」)で、逮捕容疑事実、警察発表の文書にないことも含めて言っている感がある、まず、そう言っている。そこはたしかに問題がある。そのあとの真ん中のあたりの「警察によりますと、(容疑者は今年7月、自宅マンションで意識がなく抵抗できない状態の20代の知人の女性の裸の写真をデジタルカメラで)~ 撮影した疑いです」、ここはそのとおり、警察発表のとおりだから、これを書いたからと言って放送倫理上問題ありという判断にはならない。
当該局研修でかなり活発に意見交換してきたが、全体を見てどうなのかということを考えないといけない。原稿はちゃんと書いたが、現場へ行ったアナウンサーやリポーターが話す内容が違うこともあるという話もあった。記者リポートのところに入ると、「事件当日、意識がもうろうとしている女性をタクシーに乗せ、自宅マンションに連れ込んだということです。意識を失い横になっていた女性の服を脱がせ、犯行に及んだということです」と言っている。この記者リポート、先ほど指摘した冒頭部分があり、その流れで放送されているから、このままでいいのかというと、なかなかそうとは言えないだろうなという気がする。

(A)
この記者リポートに近い中身を報じようと思ったら、警察の見立てと言われているところだが、例えば「警察によると、~ということです」と、エクスキューズを付ければ、ありうるのか。つまり前段で被疑事実を言う、被疑事実を認めていると。そのあと、追加、プラスαとして電話して聞いた中身とか逮捕の被疑事実とは離れた肉付け部分を、どういう表現を使えば、「容疑を認めている」から外して、プラスαとして「警察はこう言っているんですよ」という情報として付け加えて、かつ倫理違反に問われないのか?

(坂井委員長)
おっしゃっている部分が、きっとこのケースで一番問題になるところで、冒頭の部分は明らかにオーバーランしている。たしかに副署長が容疑事実を超えたことを言っていて、副署長は最初に、逮捕容疑はこうです、と言いながら、容疑事実にある「抗拒不能とは何ですか?」と聞かれると、全然違う話をバーッとしている。本当は、そこで、「いや、それって、なんか容疑事実と違うのですけれど、いいのですか?」という話があってほしいなと。別に「そう言え」と言うつもりはないが、そういう疑問があってもいいなという感じはする。「いやいや、現場はそんなことはできないよ」という話も、当該局でいろいろ聞いてきましたけれど(笑)。いずれにしても、エクスキューズということではなく、被疑者が認めている容疑事実と、警察の言っていることとは違う部分があるということが分かる表現が必要だと思う。

(市川正司委員長代行)
最初の冒頭のところがちょっと踏み込み過ぎ、「連れ込んで云々」と言ってしまったところが問題の一つ。もう一つは、「容疑を認めている」というあとにも、「何々しているとこのことです」「何々しているとこのことです」となっている。「とのことです」というのは比較的よく使う。警察の疑いを「こうですよ」と示すような意味合いで使うという意味では、それ自体は悪いことではないと思うが、ただ、「容疑を認めてます」という言葉のあとに、また同じような口調で言っているが故に、同じ容疑、同じレベルの容疑というふうに、どうしても受け止めてしまう。それが結局、放送している事実全てを認めている、容疑を全部認めているのだなと、全体としては受け止められてしまうのではないかと思う。
そうだとすれば、「認めています」というあとで、経過に関する事実、聞き取った事実があるのであれば、そこは、警察の疑いとしてはこうですよ、ということがはっきり分かるように、それを書けばいいと。我々が正解を出すわけではないが、そこは区別すべきだったのではないか、もうちょっと区別する工夫があって然るべきじゃないかなと思う。
当該局研修に行ったときに、そこは実は意識はしていらっしゃったという方もいたと感じたところだが、そこがなお不十分だったなというふうには思った。

(坂井委員長)
事案の概要(逮捕容疑)以外のことを聞いたら、余分なことを副署長が言っちゃっている、弁護人の話も何も聞けていないときに、これをそのまま放送に出すべきかどうかという判断が、本当はあるべきだろうと思う。出すなと我々は言っていないが、出すのだったら、そこはちょっと気を遣って、配慮しないといけないのではないかという決定文になっていると思う。出し方の問題はたしかに難しいと思うが、少なくとも彼はこういうことをやったと認めていないし、彼がそこを認めたと見られるような報道の仕方はまずいという気がする。

(E)
おっしゃる区分けというのは、ある意味で分かるが、例えば詐欺事件の場合、おそらく数億円の詐欺の可能性がある、だけれど、直接の容疑というのは、まず一定のところで始まって、最終的に立件されるのも、被害者弁護団が言っているような何億円になるかというと、そうならない事件もある。殺人の場合も、当初の逮捕容疑は死体遺棄がほとんどで、我々としてはそこまで見通してやっているわけだが、どうするのか。連続殺人事件の場合、埼玉の場合でも鳥取の場合でも、不審死とされた人の中で立件されたケースもあると。そのあたりをどう考えていくのか、日々、本当に現場で問われていることだと思うが、おそらく、そこについては、当然、報じていくことになると思う、僕らとしては。その人の周辺で複数の多くの人が亡くなっているという、その疑問が主体ということになると思うが、おそらく全く変わらないと思う、こういう委員会の決定があっても。
ただ、全体として見たら、この人はやっているのじゃないかと。一般の人の一般の視聴の仕方を基準にしたら、全体の印象としてはそういうふうに見られてしまうということがあるのではないか?

(坂井委員長)
例えば、詐欺の数億円の被害、実際、起訴されるのは公判維持できる範囲というケースもあると思う。いろんな経済事件がそうだと思う。そういうときに、まあ抽象的な話ですけれど、例えば被害者弁護団がいて、こういう損害があると主張しているというふうに書けば、メディアの責任は問われないと思う。すべての裏付けが取れない中でやっていらっしゃると思うけれど、工夫してやっていただきたいなということで、やるなということでは、もちろんない。
熊本の2局の当該局研修で、記者の方ではベテランの方から若い方まで、と話してきた。やっぱり経験によって判断の違いはあるし、このケースだといろいろ考えるという方もいるし、そうじゃない方もいるし、そこは、ケースによってだいぶ変わってくるだろうと思う。さっきの連続殺人と言われるようなケースで、絶対ここは負けない、つまり裏付けのある部分、そこは絶対ということもあるでしょう。そこを含めてどこまで何をどう書くかのかは、まさに工夫のしどころだという気はする。

(市川委員長代行)
私も、あまり一般化して、こう書けばいいとか、そもそも書いちゃダメだとか言うつもりは全くない。今回で言えば、容疑を認めているという、その与える印象が非常に強いわけで、そうであるとすれば、どこまで認めているということなのか、きちっと吟味していただきたいし、放送するときには気を遣っていただかないといけないということが、今回のメッセージだと思っている。

(F)
「容疑を認めている」とは、我々としては、要するに逮捕容疑を認めているという趣旨で書いているつもりだったが、そこを指摘されたので、今、いろいろ揉んでいる。実態はケース・バイ・ケースだが、なるべく分けるようにして書く、逮捕容疑と警察の経緯の見立ての部分は分けて書くが、放送時間が短くなると、どうしても経緯の部分とか動機の部分が重要だったりするので、一緒になってしまって、このまま逮捕容疑を認める、一部を認めるにしようかみたいな、いろいろな議論をしているが、ちょっと難しい部分がある。
BPOの意見は承るが、なかなか原稿に書くと難しい部分があるなというのが現実の問題、現場がやっぱり混乱して、ずーっとそういう状態が続いているが、それはちょっとご理解いただきたいと思う。
副署長が言ったからといって、余分なことを書くべきではないと言うと、若干、現場が萎縮する。やっぱり副署長が言ったこと、取材のやり取りで聞いたものを書くのが記者だと思う、特に第一報であれば。

(坂井委員長)
余分なことを書くべきじゃないというような、シンプルな言い方はしていない。そういう考え方もケースによったらありますよね、ということを申し上げた。事案によってはこの段階では書かないという選択肢もあるかもしれない、書くのだったら、誤解されないように書いたほうがいいのではないかと申し上げた。

(G)
両局ともフェイスブックの写真を使っている。フェイスブックの写真を大写しで放送に使われたことが、どれぐらい申立人の不安というか怒りの部分に影響しているとお考えか?

(坂井委員長)
ヒアリングのときの話は正確に思い出せないが、やっぱり写真を大きく出されたことは、かなり彼にとって大きなことだったのじゃないかなという印象は持っている。それで、彼は肖像権侵害と言っているわけだが、それは違いますよと、我々は思っている。
ただ、肖像権の問題は、法律的にはまだきれいに整理されていない。著作権に関する報道引用の問題と肖像権の問題は違うので、これから議論して行かないといけない。フェイスブックの写真について、犯罪報道の時には写真を使っていいよという考え、要するにフェイスブックの写真は公開されるという前提だから、今は使うことが基本的にOKだろうという方向で扱われているが、本件のような見方をする人が増えてくると、配慮が必要な場合もあるかもしれない。別の集まりで、軽井沢のバス事故の被害者の写真について、あのケースはどうだったのだろうかとテレビ局の方と話をしたことがある。フェイスブックから引っ張ってきて写真を載せたテレビ局は多くあったと思うが、被害者のほうでも、載せてOK、むしろ載せてもらいたいという方たちがいる一方、いや、こういうところで、そういう写真を使ってほしくないという遺族の方がいるので、これからきっと議論されていくのかなという気がしている。

(市川委員長代行)
たしかにフェイスブックの全身に近い画像が、しかも複数回出てきているところがあって、ちょっと通常の写真の扱いとは違うところがあるのかなとは思う。それは権利侵害とか問題があるとは我々は考えなかったが、ここまでやるのかと、申立人は思ったのかもしれない。どこが彼の琴線に触れたのか、正直、そこまではヒアリングのときには分からなかったが、その扱いの違いというものがあるかもしれない。そこは少数意見として曽我部委員がちょっと触れているところではあるが、果たしてここまでやる必要があったのかという問題意識は、私も無いわけではない。

(曽我部委員)
ヒアリングのときの若干の記憶がある。申立人はフェイスブックに写真は載せるが、それはまさに知り合いとかと交流するために載せるのであって、たしかに一般公開の設定にしてはいるけれども、そういう本来の目的と違う文脈で使われるのは心外であるというようなことは、たしかおっしゃっていたような気はする。
多分、そういう感情は割りと一般的で、フェイスブックのルール上は一般公開で何に使われてもしょうがないとなっているはずだが、ユーザーの意識はそこまで割り切れてなくて、やっぱり全然違う文脈、とりわけ自分が被疑者扱いで使われることは、当然想定していなくて、非常にわだかまりを感じるということは、ある意味理解できる。

(G)
今回は写真の出どころがフェイスブック、自分が載せたフェイスブックだが、昔は知り合いから顔写真を提供してもらうというパターンだった。そういう写真か何かであれば、こういう問題にはならなかったということか?

(曽我部委員)
昔だったら卒業アルバムとかの写真を使っていたと思うが、あれも、卒業アルバムに載せた本来の目的で放送で使われているわけではないという意味で同じだとは思うが、やっぱり感情的には大きな違いはあるとは思う。

(G)
おそらく熊本の地元にとっては、市役所の職員が逮捕される大きい事件で、おそらく全社が扱っていたのかなと思うが、新聞も含めて同じようなことが書かれているにもかかわらず、なぜ申立て対象がこの2局だけだったのか、問題ありと認定されたのはどうしてなのか?

(坂井委員長)
当時、熊本で公務員不祥事が続いていたということもあって、当然、熊本の民放、NHKも含めてテレビ局はみんな報道している。なぜ、この2局なんだということは、やっぱり当該局も思っていらっしゃるようだ。ただ、我々としては申立人からそこを正確に聞いたわけではないが、おっしゃるような扱い方だとか写真の使い方が影響したのだろうなと私は思っている。彼は報道されているときは逮捕されているから見ていない。出てきてから報道されたものを見て2局を選んだということなので、それは、当然、放送内容で選んだと思う。

(市川代行)
我々もほかの局の放送は見ていないので、ちょっと比較のしようがないというところがある。ただ、印象としては、たしかに写真の問題というのは、彼があえて2局を申し立てたという中にはあったのかもしれない部分と思う。それから、ほかの局や新聞報道はみんな同じ内容だったと言えるかというと、違いはあるだろうし、実際に新聞報道もよく子細に読むと、警察の見立ての部分の書き分け方などでニュアンスは違うなと個人的には感じている。

(H)
全体を通してだが、委員会の中で、少数意見をどういうふうに考えてらっしゃるのか伺いたい。NHKのSTAP事案も、それからこの熊本の事案も少数意見があって、少数意見があるから、当該局というか、各局の中にやっぱり戸惑いが結構ある。必ずしも決定文が十分理解されてない部分があると思う。
放送局にとって、人権侵害とか放送倫理違反は大変重い決定で非常に重く受け止める。特に今回のように複数の少数意見が付くのであれば、人権侵害とか放送倫理違反の認定にあたって、もう少し議論を集約させるまで慎重に審理をしていただくとか、何かそういうことは考えられないものなのか。あるいは、少数意見がある場合に決定まで持ち込む、ある種のコンセンサスというか、どういうルールでやっておられるのか?

(坂井委員長)
運営規則上は全員一致とならない場合は多数決でこれを決する、可否同数の場合は委員長が決するという規定だ。全員一致なら、それは一番分かりやすいけれども、最後は結論を出さないといけないので多数決で決めるしかない。
具体的にどうやっているのかというところは抽象的にしかお話できないが、9人全員に意見を自由に言ってもらう、率直に言って意見が違うときは、かなり激しく議論をする(笑)。それが収れんしていって、意見が全員一致になれば全員一致の意見になるし、そうじゃないときは少数意見を書いていただくようになる。少数意見を書かれる方も、もちろん最初から結論を持っているわけではないから、「うーん・・・」ということで、ある時点で「やっぱり書きます」と、そういうことになる。
少数意見があるということは、私はあまり否定的に考えていない。例えば、普通の裁判所の3人の合議体では少数意見は書かない。実は割れていたかもしれないが、少数意見は書かれない。しかし最高裁ではある。委員会では少数意見が出ることによって、委員会でどういう議論がなされたか、中身が見えてくるので、私は個人的には肯定的に捉えている、ああ、そういう議論をしたんだなと。それは、例えば人権侵害ありと言うときに少数意見があるのか、それとも放送倫理上問題ありと言うときにどういう少数意見がどれだけあったのかで、方向性が全然違ってきて、際どいところで人権侵害にならなかったというケースもあり得るし、逆にギリギリのところで人権侵害があったと判断されるというケースもあり得るわけで、そういうことが少数意見の存在で分かってくる。3人ぐらいの少数意見があったケースは過去に何度かあるが、どういう議論がなされて、判断の違いがどこにあるのかが、むしろ分かったほうがいいのではないか。
STAP事案でも少数意見はあったが、これは人によって判断が変わってくる領域で、数学の計算式みたいに答えが一つしかないという問題ではなく、また、時代が変わったりすれば見方も変わってくる。委員会がどういう議論をしているのかが見えるという意味で、全員一致であれば一番分かりやすくていいが、議論をしても一つにまとまらない場合、少数意見の人はこういうふうに考えたということが分かることを、むしろプラスに考えていただけないかなという気がしている。

(市川委員長代行)、
起草担当者としては、委員の皆さんの意見も聞きながら、最大公約数の部分を取り込みつつ議論・起草をしているつもりだが、やはり、そうは言っても、どうしても多数意見の枠外に出ざるを得ないという意見が出てきてしまうことがある。どうしても一つに全部まとまるというのは難しいなというときもある。最初から少数意見を書くことありき、ということでは決してない。

以上

2017年度 第66号

「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」に関する
委員会決定

2017年8月8日 放送局:テレビ静岡

見解:要望あり
テレビ静岡は2016年7月14日のニュース番組『FNNスピーク』等において、「静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった事件で、捜査本部は関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関連を調べています」等と放送した。
この放送に対し申立人は、「殺人事件に関わったかのように伝えながら、許可なく私の自宅前である私道で撮影した、捜査員が自宅に入る姿や、窓や干してあったプライバシーである布団一式を放送し、名誉や信頼を傷つけられた」等と訴えた。
委員会は、審理の結果、本件放送に申立人の人権侵害(名誉毀損、プライバシー侵害)はないと結論した。放送倫理の観点からも問題があるとまでは判断しなかった。しかし、今回、自局のニュースが委員会の審理対象になったことを契機に、人権にいっそう配慮した報道活動を行うための議論を社内的に深めることをテレビ静岡に要望した。

【決定の概要】

2016年7月8日、静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった。本件放送は、同月14日、テレビ静岡がこの浜名湖事件の捜査の進展状況を午前11時台から午後6時台に4回、ニュースとして伝えたものである。
本件放送は、「関係先とみられる県西部の住宅などを捜索し、複数の車を押収し、事件との関連を調べている」、「関係者から事情を聴いている」というテレビ静岡が独自に入手した捜査本部の動向を含む内容だった。これらは申立人宅の一部や敷地内で押収された車が運ばれる場面などの映像とともに放送された。
申立人は、後に浜名湖事件の容疑者として逮捕される人物と交遊があり、この人物から軽自動車を譲り受けていた。この車がこの日、申立人宅の敷地内で押収された。申立人は、捜査員は浜名湖事件の容疑者による別の窃盗事件の証拠品として車を押収しただけだったにもかかわらず、本件放送は浜名湖事件に関係のない申立人を事件に係ったかのように伝えたとして、人権侵害(名誉毀損、プライバシー侵害)を委員会に申し立てた。
テレビ静岡の取材経緯や多数の捜査員を動員した警察当局の行動から分かるように、当日、申立人宅で行われた捜査活動が浜名湖事件捜査の一環だったことは明らかである。
委員会は、本件放送の映像を検討し、申立人宅の一部が映った映像によってただちに申立人宅と特定されるとはいえないと判断した。しかし、当日朝の警察の活動は申立人宅周辺の人々の耳目を集めるものだったと思われ、そうした人々が後に本件放送を見て、申立人宅を特定した可能性は否定できない。
本件放送には「関係先の捜索」、「関係者の聴取」といったスーパーが伴っていた。その結果、本件放送によって、申立人宅が浜名湖事件の「関係先」として、申立人が「関係者」として、申立人宅周辺の人々に認知され、申立人の社会的評価は一定程度低下しただろう。
しかし、殺人事件の捜査状況を伝える本件放送には公共性・公益性が認められる。そのうえで、委員会は、「関係先」、「関係者」、「捜索」という表現を含めて、本件放送が伝えた事実の重要部分の真実性ないしは相当性を検討し、真実性ないしは相当性が認められると判断した。したがって、本件放送は申立人への名誉毀損に当たらない。
申立人は、本件放送で流れる布団や枕が映った申立人宅の映像などが申立人のプライバシーを侵害していると主張する。しかし、これらの映像で映された対象自体は他者に知られることを欲しない個人に関する情報や私生活上の事柄とまではいえないから、プライバシー侵害は認められない。
放送倫理の観点からも委員会は本件放送に問題があるとまでは判断しなかった。しかし、取材過程で、捜査活動の目的は申立人宅の家宅捜索ではなく、敷地内に駐車していた軽自動車の押収だったことが推定できたのではないか。そのような捜査活動の全体状況に考慮して、プライバシー侵害に当たらないとはいえ、繰り返し流れた「関係先の捜索」というスーパーを表示した申立人宅の一部の映像はより抑制的に使うべきだったのではないか。本事案は、たとえ実名や本人を特定する内容を直接含むものでなくとも、テレビニュース、とりわけ犯罪に係るニュースが当事者に大きな打撃を与える場合があることを教えてくれたものといえる。委員会は、今回、自局のニュースが委員会の審理対象になったことを契機に、人権にいっそう配慮した報道活動を行うための議論を社内的に深めることをテレビ静岡に要望する。

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2017年8月8日 第66号委員会決定

放送と人権等権利に関する委員会決定 第66号

申立人
静岡県在住A
被申立人
株式会社テレビ静岡
苦情の対象となった番組と放送日時
2016年7月14日(木)
『FNNスピーク』
  午前11時37分頃(全国ネット)
  午前11時48分頃(ローカル)
『てっぺん静岡』 午後 4時25分頃(ローカル)
『みんなのニュースしずおか』 午後 6時14分頃(ローカル)

【本決定の構成】

I.事案の内容と経緯

  • 1.本件放送内容と申立てに至る経緯
  • 2.論点

II.委員会の判断

  • 1.はじめに――何を問題にすべきか
  • 2.名誉毀損について
    • (1) 判断の前提
    • (2)「関係先」、「関係者」という表現
    • (3)「捜索」について
    • (4) 名誉毀損についての結論
  • 3. プライバシー侵害について
  • 4. 放送倫理の観点から

III.結論

IV.放送概要

V.申立人の主張と被申立人の答弁

VI.申立ての経緯および審理経過

全文PDFはこちらpdf

2017年8月8日 決定の通知と公表の記者会見

通知は、2017年8月8日午後1時からBPO第1会議室で行われ、このあと午後2時から千代田放送会館2階ホールで公表の記者会見が行われた。
詳細はこちら。



第249回放送と人権等権利に関する委員会

第249回 – 2017年7月

都知事関連報道事案の通知・公表の報告、浜名湖切断遺体事件報道事案の審理、沖縄基地反対運動特集事案の審理…など

都知事関連報道事案の「委員会決定」の通知・公表が7月4日行われ、事務局が概要を報告した。浜名湖切断遺体事件報道事案の「委員会決定」の再修正案を検討し、了承された。また沖縄基地反対運動特集事案を審理した。

議事の詳細

日時
2017年7月18日(火)午後4時~8時50分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員

1.「都知事関連報道に対する申立て」事案の通知・公表の報告

本件事案の「委員会決定」(見解:要望あり)の通知・公表が7月4日に行われた。事務局がその概要を報告し、当該局のフジテレビが放送した決定を伝える番組の同録DVDを視聴した。

2.「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」事案の審理

今月の委員会では、前回の委員会後に修正された「委員会決定」案が提示され了承された。
その結果、8月上旬に「委員会決定」を通知・公表することになった。

3.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が本年1月2日と9日に放送した情報バラエティ―番組『ニュ―ス女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャ―ナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるト―クを展開、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この放送に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉氏が申立書を委員会に提出、「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が、虚偽のものであることが明らか」とした上で、申立人についてあたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また、申立人が、外国人であることがことさらに強調されるなど人種差別を扇動するものであり、申立人の名誉を毀損する内容であると訴え、TOKYO MXに対し訂正放送と謝罪、第三者機関による検証と報道番組での結果公表等を求めた。
これを受けて同局は、申立てに関する「経緯と見解」書面を委員会に提出した。その中で「本番組は沖縄県東村高江地区のヘリパッド建設反対運動が、過激な活動によって地元の住民の生活に大きな支障を生じさせている現状等、沖縄基地問題においてこれまで他のメディアで紹介されることが少なかった『声』を現地に赴いて取材し、伝えるという意図で企画されたものであると承知している」と放送の趣旨を説明。放送内容は、「申立人が主張する内容を摘示するものでも、申立人の社会的評価を低下させるものでなく、申立人が主張する名誉毀損は成立しないものと考える」と反論した。
前回の委員会後、被申立人から「再答弁書」が提出され、所定の書面が出揃った。今月の委員会では、事務局が双方のこれまでの主張をまとめた資料を説明、それを基に委員が意見を交わした。今後、論点を整理するため起草担当委員が集まって協議することとなった。

4.その他

  • 7月27日(木)に開催される第14回BPO事例研究会について改めて事務局から説明した。当委員会からは、「事件報道に対する地方公務員からの申立て」と「STAP細胞報道に対する申立て」の2事案を取り上げる予定で、坂井眞委員長、市川正司委員長代行、曽我部真裕委員が出席する。
  • 8月は休会とし、次回委員会は9月19日に開かれる。

以上

2017年7月4日

「都知事関連報道に対する申立て」通知・公表の概要

[通知]
通知は午後1時から、坂井眞委員長と、事案を担当した二関辰郎委員、紙谷雅子委員が出席して行われた。申立人の舛添雅美氏は代理人の弁護士とともに出席し、被申立人のフジテレビからは番組担当者ら6人が出席した。
坂井委員長が決定文に沿って説明し、結論について「子どもに対する肖像権侵害は成立しない。また、雅美氏に関する本件場面の放送は放送倫理上の問題として検討するのが妥当であり、その検討結果として、意図的に不合理な編集がされたわけではなく放送倫理上の問題があるとまではいえないと判断した。ただ、雅美さんは実際には事務所家賃の問題ではなく子どもの撮影に対して抗議をしていたに過ぎなかったという部分がある。取材方法については、取材依頼を事前にすべきであったのにしなかった。被取材者からの言葉に正面から対応しなかったということは、取材・撮影される側が抱く心情や不安に対する配慮、特に本件では子どものことを気にかける親の心情や不安に対する配慮が足りなかったと考える。委員会は、フジテレビに対し、本件場面を放送したことを正当化する主張に固執せず、本決定の趣旨を真摯に受け止め、上記に指摘された点に留意し、今後の番組制作に生かすよう要望する」と述べた。
続いて、紙谷委員が説明し「社会的な評価が下がったという、その基礎となる事実を指摘していないのではないかという観点から、名誉毀損の成立は無理だろうと、ある意味ちょっと技術的な判断を示している。申立人が抗議している場面は、子どもの撮影のことでやり取りがあったというようなことが、仮に説明されていたならば、家賃の質問に怒っているという誤解は生じなかったのではないか。その辺について、ちょっと工夫の余地があったのではないか。レベルの高い日本のテレビ局ということで私たちは期待しているので、もうちょっと配慮があり得たのではないかということになる。子どもが映されることについて、懸念は分かるという委員もいたが、政治家が子どもをダシに取って、『いや、ここからはオフリミット』というふうに取材させないということが起こるのも困る事態ではないかということも議論した。やはり家族が出てくる場面というのは、公人・私人、区別として大変難しいだろうと。映り込みという説明をしているが、簡単に線が引ける問題ではないということは私たちも認識している」と述べた。
二関委員は、曽我部真裕委員と連名で書いた少数意見について説明し、「委員会決定(多数意見)は放送倫理上問題がないとした上で要望を述べているが、少数意見は、雅美氏による抗議を放送した部分につき放送倫理上問題があるのではないかという立場を取っている。多数意見は、申立人のイメージダウンにつながる誤解を視聴者に与えるということをフジテレビは理解できたのではなかろうかと指摘しつつも、理由を4つほど挙げて、そういった事情もあるから放送倫理上問題ないという結論にした構造になっていると思われる。少数意見は、4つの事情をいずれもフジテレビに特に有利な事情と位置付けるのは適当ではないという立場で、例えば、ここでは一つ目についてのみ説明すると、多数意見は映像の順序を入れ替えたり途中でカットしていないという言い方をしているが、本件場面を切り取ったこと自体、そこだけを流すこと自体が不自然な編集であったと評価している。そういったことから、放送倫理上問題があると考える立場が少数意見」と述べた。
決定を受けた申立人は「私に関わる名誉毀損よりも、子どもの撮影に関する主張を何としても認めていただきたいと考えていた。極めて遺憾としか言いようがない。撮影とか取材という名目のもとに、平然と子どもの人権侵害が行われることに強い危惧を感じる」と述べた。
一方、フジテレビは「真摯に受け止めたいと思っている。我々は我々なりの思いで、取材し放送したことは確かだが、第三者の目からご覧になって指摘された点に関しては、真摯に受け止めざるを得ないと思っている」と述べた。

[公表]
午後2時25分から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして決定を公表した。23社51人が取材した。
まず、坂井委員長が判断部分を中心に、「要望あり」の見解となった決定を説明した。続いて、紙谷委員が補足的な説明を行い、二関委員は曽我部委員と連名で書いた少数意見について説明した。

続いて、質疑応答を行った。概要は以下のとおりである。

(質問)
舛添さん側の反応は?

(坂井委員長)
結論については極めて遺憾だというご意見だが、ポイントは、自分としては子どもの撮影の問題に重点があったというご主張だった。委員会決定と少数意見は、雅美さんの「いくらなんでも失礼です」と言う発言をめぐって分かれたが、そこについて遺憾というよりも、子どもが勝手に撮影されてしまう問題をきちんと取り上げてもらいたかった、子どもの人権が侵害されているという気持ちが強かったということがまず一点。委員会決定で認定した撮影状況については、当時現場におられたわけで、自分が認識しているものとはちょっと違うと思うというご意見もあった。
子どもの映像の関係で言うと、映像素材は放送目的以外には出せないというのは、これはもう原則で当然だと思うが、申立人は、撮られた側からしたら、それは見せてもらっても当然じゃないかというお考えをお持ちのようだった。それについて、私の方から「映像素材は原則として放送目的以外には使用しない」という一般的な説明はしたが、ちょっと不満があるということだった。

(質問)
申立人は具体的にどのようにおっしゃっていたのか、また被申立人はこの結果についてどう受け止めていたのか?

(坂井委員長)
「遺憾」の意味は多義的で、私が解説して正確に言えるかどうか分からないが、納得のいかない部分があるということだろうと理解している。1番のポイントは、子どもの撮影に関して問題があると認めてもらいたかったと言っておられたと、私は理解している。
フジテレビのほうは、決定の内容は真摯に受け止めますと、要望の点についてだと思うが、真摯に受け止めますと。局としてはいろいろ考えてちゃんとやったつもりだけれども、ご指摘があるので、それを真摯に受け止めますと、おっしゃっておられた。

(質問)
フジテレビにどういうことを要望したのか、簡潔に教えていただきたい。

(坂井委員長)
実際は雅美さんが子どもの撮影に抗議しているのに、事務所家賃の質問に対してキレてしまったような印象を与えていると、委員会は判断をしている。それについてはやはり問題がありますね。あえて本件場面を放送するのであれば、視聴者に誤解を与えない工夫をすべきではなかったのでしょうかと。例えば、雅美氏が怒っているのは子どもの撮影に関してであったと分かるようなナレーションを付加するなり、実はこの前に子どもの話がありましたよ、ということが分かるようにしていただければ、こういう誤解は生じなかったのではないか、それが1点。
次に、取材方法の適切性がある。まず、取材依頼なしでの取材、これは一般的にアポなし取材を否定しているわけではないが、本件に関しては、こんな早朝に取材に行くのであれば、子どもが出てくることが想定できるのだったら、しかも公共性の高い取材内容だとおっしゃっているわけだから、正面から事前に取材申し込みをしたらよかったのではないでしょうかと。それから、雅美さんは子どもの撮影のことをすごく気にしておられる。結局それが1番問題だった言っておられる。ディレクターが「お話を伺ってもいいですか」と言ったら、「失礼ですよ。子どもなんですよ。やめてください」と反応をしているのに、それに正面から答えないで、続けて家賃収入の件を聞いてしまう。そうすると、被取材者の質問に正面から対応しなかった部分は問題があるんじゃないかと。実際にカメラが焦点を当てていないとしても、長男が撮影されていると雅美さんが不安に感じたことは、撮影対応から考えれば理解できないではない。番組クルーは撮影される側が抱く心情や不安に対する配慮が足りなかった、不安にちゃんと答えていなかったのではないかということに関して要望している。

(質問)
私も早朝とか深夜の取材の経験があるが、やっぱり聞かなきゃいけないことはある。丁寧に説明し、お子さんを取材しているわけではありませんと説明したい気持ちはあるが、けんもほろろに、ワッとやられると、それを工夫しろと言われても、現実的にはなかなか難しいのではないか。

(坂井委員長)
そういうシチュエーションはあるだろうと私も思う。ご質問は、被取材者に対応していると、それで答えが拒絶されたりする時もあるから、そう簡単じゃないという趣旨だと思う。でも、これはお子さんが登校する時間帯に取材に行っているわけで、正当な話なだから、ちゃんと正面から取材依頼をしておけば、子どもが出てきて撮られたという話にはならなかったのではないかという文脈で考えている。取材依頼をしたらよかったのではないかと考えたということですね。

(質問)
お子さんを映しているわけじゃありませんと、説明しなかった、できなかった点が問題だと言っているわけではないということか。

(坂井委員長)
申立人が、最初から子どもの撮影をすごく気にしていて、「失礼ですよ。子どもなんですよ」ということを言っている時に、それに答えていない。例えば「お子さん撮るつもりはもちろんありません」、「カメラを一旦止めますから」というような対応は一切なくて、お子さんのことに対しては答えない。そのことで、雅美さんが、ますます「いくら何でも失礼です」と言ったように見える、そこの問題は、取材依頼とはちょっと別の問題としてあると思う。

(質問)
でも、取材者に対してこちらの取材姿勢を説明する時間があったら、聞くべきことを聞きたいと思う。

(坂井委員長)
お気持ちは理解するが、お子さんが登校している時に、お母さんが怒ったら、そこはやっぱり配慮したほうがいいんじゃないかと思う。

(質問)
理想論としてはそうかもしれないが、実際には現場でそんな余裕はないかと思う。あまり言い過ぎて、要するに取材を萎縮させてはいけない。

(坂井委員長)
萎縮させてはいけないが、委員会として言うべきことは言わないといけないこともある。そういうご質問がよく出るが、よく考えていただきたいのは、本件に関しては、勧告でもなく、見解の中の「放送倫理上問題あり」でもなく、あくまで「要望」として述べているというところを見てもらいたい。

(質問)
結果的に断られるか否かは別として、取材依頼を試みることは通常の取材手続きとして重要かつ基本的なことであると。なおさら正面から取材申し込みをすべきであった、と書かれているが、取材者たちは何とかコメントを取ろう、何とか肉声を取りたいと、ありとあらゆることを総合的に判断して取材に出ていると思う。別のケースによっては、相手の状況を鑑みて、気を付けながらも夜討ち朝駆けもありだという理解でいいのか。

(坂井委員長)
そういう理解でいい。以前の国家試験委員の事案(委員会決定49号)の時にはそういうことは言っていないので、それはケースバイケースだと。今回はお子さんが絡んでしまったケースなので、そういうやり方がよかったんじゃないかと。
これは委員長の立場を離れるが、私の弁護士としての活動でいきなり取材が来ることはもちろんあるし、事務所の前でメディアの方が待っていることも経験している。一般論として事前に取材依頼をしないとダメだということを言ったという趣旨ではない。

(質問)
フジテレビに対して、「正当化する主張に固執せず」という表現があるが、これがあえて入っているのは何か意味があるのか。

(坂井委員長)
決定文でフジテレビの主張をカギ括弧で引用しているが、この放送の正当性をかなり主張されている。それについて、結論として放送倫理上問題ありとはしていないけれども、要望する点があるので、そこも考えてねと、そういう文脈の記載です。

(質問)
私も事件取材が長く、疑惑の渦中の人に対して取材依頼するが、だいたい断られる。そういった場合には、家から出てくるところにぶら下がったり、突撃インタビューとかするが、それも拒否される。一度取材依頼をしているから、ちょっと無理やりインタビューしようという考えもあるが、そういったときに時にあまり取材の配慮が足りないと言われると、ちょっと現場が萎縮してしまうのではないか。

(坂井委員長)
それは全然そういうことではなくて、これは子どもの話が絡んでいるのでこうなっている。申立人が政治資金規正法に絡む会社の代表として取材依頼を受けた時に、拒否をしたと、例えばですね。それで、拒否されても、これは聞くべき事項だから取材に行く、当然だと私も思う。取材拒否されても、聞くべき事項だから聞くのは大いに当然でしょという話ですね。

(質問)
本件の場合、取材依頼をしていなかったというのは若干問題があるんじゃないかと思うが、もし取材依頼をして拒否された場合でも、こういうやり取りは普通あると思う、子どもが出てきた時にどうしても行かざるを得ない、そういう状況もあると思う。

(坂井委員長)
例えば、子どもと一緒にしか出てこないという人がいるかもしれない。そういう時に、子どもがいるから取材できないという話だったら、それは間違っていると思う。われわれも子どもの映り込みについては肖像権侵害ではないと判断している。相当の範囲で映り込むのはやむを得ない、だから肖像権侵害もないし、放送倫理上の問題があるとも言っていない、でもここは気を使ってよ、というレベルの話です。

以上

第248回放送と人権等権利に関する委員会

第248回 – 2017年6月

都知事関連報道事案の審理、浜名湖切断遺体事件報道事案の審理、沖縄基地反対運動特集事案の審理、STAP細胞報道事案の対応報告、事件報道に対する地方公務員からの申立て事案の対応報告など

都知事関連報道事案の「委員会決定」案を検討のうえ了承し、浜名湖切断遺体事件報道事案の「委員会決定」案を引き続き議論、また沖縄基地反対運動特集事案を審理した。STAP細胞報道事案について、NHKから提出された対応報告を引き続き検討し、事件報道に対する地方公務員からの申立て事案で、テレビ熊本、熊本県民テレビから提出された対応報告を了承した。

議事の詳細

日時
2017年6月20日(火)午後4時~9時30分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員

1.「都知事関連報道に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、フジテレビが2016年5月22日(日)に放送した情報番組『Mr.サンデー』。番組では、舛添要一東京都知事(当時)の政治資金流用疑惑に関連して、舛添氏の政治団体から夫人の雅美氏が代表取締役を務める会社(舛添政治経済研究所)に事務所家賃が支払われていた問題を取り上げ、早朝に取材クルーを舛添氏の自宅を兼ねた事務所前に派遣し、雅美氏が「いくらなんでも失礼です」と発言した模様等を放送した。
申立書によると、未成年の長男と長女は、1メートル位の至近距離からの執拗な撮影行為によって衝撃を受け、これがトラウマになって家を出て登校するたびに恐怖を感じ、また雅美氏はこうした撮影行為に抗議して「いくらなんでも失礼です」と発言したのに、家賃に対する質問に答えたかのように都合よく編集して放送され視聴者を欺くものだったとしている。雅美氏と2人の子供は人権侵害を訴え、番組内での謝罪などをフジテレビに求めている。
これに対してフジテレビは委員会に提出した答弁書において、長男と長女を取材・撮影する意図は全くなく執拗な撮影行為など一切行っておらず、放送した雅美氏の発言は、ディレクターが家賃について質問した以降のやり取りを恣意性を排除するためにノーカットで使用したとしている。さらに雅美氏は政治資金の使い道について説明責任がある当事者で、雅美氏を取材することは公共性・公益性が極めて高いとしている。
前回の委員会後開かれた第2回起草委員会で修正された「委員会決定」文が、今月の委員会に提案され了承された。その結果、7月4日に「委員会決定」を通知・公表することになった。

2.「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、テレビ静岡が2016年7月14日に放送したニュースで、「静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった事件で、捜査本部は関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関連を調べています」等と放送した。この放送に対し、同県在住の男性が「殺人事件に関わったかのように伝えられ名誉や信頼を傷つけられた」と申し立てた。
申立人は、「私の自宅、つまり私と特定できる映像と、断定した『関係者』『関係先』とのテロップを用いて視聴者に残忍な事件の関係者との印象を与えた。実際、この放送による被害が目に見える形で発生しており、名誉毀損は十分に成立する」等と述べている。
これに対しテレビ静岡は、「本件放送は社会に大きな不安を与えてきた重大事件について、客観的な事実に基づいて、捜査の進展をいち早く知らせる目的をもって行ったものであり、申立人の人権の侵害や名誉・信頼の毀損にはあたらないものと考えている」等と述べている。
今月の委員会では、6月7日の第2回起草委員会を経て委員会に提出された「委員会決定」修正案を審理し、次回委員会でさらに検討を重ねることになった。

3.「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が本年1月2日と9日に放送した情報バラエティ―番組『ニュ―ス女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャ―ナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるト―クを展開、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この放送に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉氏が申立書を委員会に提出、「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が、虚偽のものであることが明らか」とした上で、申立人についてあたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また、申立人が、外国人であることがことさらに強調されるなど人種差別を扇動するものであり、申立人の名誉を毀損する内容であると訴え、TOKYO MXに対し訂正放送と謝罪、第三者機関による検証と報道番組での結果公表等を求めた。
これを受けて同局は、申立てに関する「経緯と見解」書面を委員会に提出した。その中で「本番組は沖縄県東村高江地区のヘリパッド建設反対運動が、過激な活動によって地元の住民の生活に大きな支障を生じさせている現状等、沖縄基地問題においてこれまで他のメディアで紹介されることが少なかった『声』を現地に赴いて取材し、伝えるという意図で企画されたものであると承知している」と放送の趣旨を説明。放送内容は、「申立人が主張する内容を摘示するものでも、申立人の社会的評価を低下させるものでなく、申立人が主張する名誉毀損は成立しないものと考える」と反論した。
前回委員会で審理入りが決定したのを受けて、今回の委員会から実質審理に入った。申立人、被申立人よりその後提出された書面について事務局が報告し、委員から発言があった。

4.「STAP細胞報道に対する申立て」 NHKの対応報告

2017年2月10日に通知・公表された委員会決定第62号に対し、NHKから提出された報告「STAP細胞報道に関する勧告を受けて」(5月9日付)を、前回の委員会に引き続いて検討した。
その結果、同報告に関する委員会の考えを「意見」として取りまとめ、これを付して報告を公表することになった(局の報告と委員会の意見はこちらから)。

5.「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本)事案の対応報告

2017年3月10日に通知・公表された委員会決定第63号に対して、テレビ熊本から6月9日付で提出された「対応と取り組み」報告について事務局より報告があり、委員会としてこれを了承した。

6.「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(熊本県民テレビ) 事案の対応報告

2017年3月10日に通知・公表された委員会決定第64号に対して、熊本県民テレビから6月9日付で提出された「対応と取り組み」報告について事務局より報告があり、委員会としてこれを了承した。

7.その他

  • 委員会が7月18日(火)に開催する在京キー局との意見交換会について、事務局が議題、進行等を説明して了承された。当日予定される委員会に先立って開催する。
  • 7月27日(木)に開催される第14回BPO事例研究会について事務局から説明した。当委員会からは、「STAP細胞報道に対する申立て」、「事件報道に対する地方公務員からの申立て」の2事案を取り上げる予定。
  • 次回委員会は7月18日に開かれる。

以上

2017年度 第65号

「都知事関連報道に対する申立て」に関する委員会決定

2017年7月4日 放送局:フジテレビ

見解:要望あり(少数意見付記)
フジテレビは2016年5月22日(日)に放送した情報番組『Mr.サンデー』で、舛添要一東京都知事(当時)の政治資金流用疑惑を取り上げ、舛添氏の政治団体から夫人の雅美氏が代表取締役を務める会社(舛添政治経済研究所)に事務所家賃が支払われていた問題を伝えた。放送2日前の早朝に取材クルーを舛添氏の自宅・事務所前に派遣し、雅美氏が「いくらなんでも失礼です」と発言した模様等を放送した。
この放送について、雅美氏と未成年の長男、長女が番組での謝罪などを求める申立書を委員会に提出した。2人の子どもは家を出て登校する際に1メートルくらいの至近距離からの執拗に撮影されたと肖像権侵害を訴え、雅美氏はこうした撮影行為に抗議して「いくらなんでも失礼です」と発言したのに、家賃に対する質問に答えたかのように都合よく編集して放送され視聴者を欺くものだったとしている。
委員会は、審理の結果、子どもに対する肖像権侵害は認められないと判断した。また、雅美氏による抗議の放送場面は名誉毀損を問題とせず、放送倫理上の問題として検討するのが妥当であるとし、その検討結果として、映像の順序を入れ替えたり途中の一部をカットしたといった事情はないこと等に照らすならば、放送倫理上の問題があるとまではいえないと判断した。もっとも、この場面の放送については視聴者に誤解を生じさせないための工夫の余地があったと考えられるとした。
また、取材方法については、公共性・公益性の高い問題である以上まずは取材依頼をするべきであったし、取材の際に被取材者の言葉に正面から対応しなかったのは妥当ではなかったとした。
委員会は、フジテレビに対し、本決定の趣旨を真摯に受け止め、指摘された点に留意し、今後の番組制作に活かすよう要望した。
なお、本決定には、雅美氏による抗議を放送した部分につき、結論を異にする少数意見が付記された。

【決定の概要】

フジテレビは、2016年5月22日放送の『Mr.サンデー』において、舛添要一東京都知事(当時)の政治資金の私的流用疑惑を取り上げ、この中で舛添氏の政治団体が、夫人の雅美氏が代表取締役を務める会社(舛添政治経済研究所)に事務所家賃を支払っていた問題を伝えた。放送2日前の早朝にカメラクルーが舛添氏の自宅・事務所前で雅美氏を取材し、番組では雅美氏が「いくらなんでも失礼です」と発言した模様などを放送した。
この放送について、雅美氏と長男、長女が番組での謝罪などを求める申立書を委員会に提出した。二人の子どもは取材の際に1メートルくらいの至近距離から執拗な撮影をされ衝撃を受けたとして肖像権侵害を訴え、また、雅美氏はこうした子どもの撮影に抗議して「いくらなんでも失礼です」と発言したのに、事務所家賃に関する質問を拒否したかのように都合よく編集して放送されたために名誉を毀損されたと主張している。また、取材依頼なしでの取材、子どもの登校時にあわせた早朝の取材、子どもの撮影をやめるよう求めたのにフジテレビが答えなかったこと等につき放送倫理上の問題があったと主張している。
委員会はこの申立てを審理し、大要、次のとおり判断した。
二人の子どもの撮影は、フジテレビによる雅美氏の取材の際に、いわゆる映り込みとして生じたと考えられる。政治資金流用疑惑のある家賃支払先の会社代表者である雅美氏を取材することには高い公共性・公益性が認められ、子どもの撮影は、そのような取材に伴う付随的撮影として相当な範囲を超えるものではないから、二人の子どもに対する肖像権侵害は認められない。
雅美氏による抗議を放送した部分は、政治資金流用疑惑のある家賃関係の質問に対して雅美氏がキレて怒った印象を視聴者に与え、雅美氏にマイナスイメージを与える。しかしながら、社会的評価の低下をもたらす具体的事実は摘示していないし、実際の映像を放送したにすぎないといった事情から、この点は名誉毀損を問題とせず、放送倫理上の問題として検討するのが妥当である。
そのうえで、この部分につき放送倫理上の問題を検討すると、同放送部分は、雅美氏が実際には子どもの撮影に対して抗議をしたのに、家賃問題に関する質問に対してキレたという誤解を視聴者に与えるものである。ただし、映像の順序を入れ替えたり映像の途中を一部カットしたといった事情はないこと等に照らすならば、放送倫理上の問題があるとまでは言えない。もっとも、この場面の放送については視聴者に誤解を生じさせないための工夫の余地があったと考えられ、フジテレビは、本決定の指摘を真摯に受け止めて今後の番組制作に活かすよう要望する。
取材方法に関しては、早朝に取材を行ったことに特に問題はないが、取材依頼を試みることは通常の取材手続きとして重要かつ基本的なことであるうえ、本件は政治資金流用疑惑という公共性のある事項についての取材であったから、仮に事前に取材を申し込んでも十分な対応は期待できないと判断したとしても、事前に取材依頼を試みるべきだったと考えられる。また、取材の際に被取材者からの言葉に正面から対応しなかったのは妥当ではなかった。これらはいずれも放送倫理上の問題まで生じさせるものではないが、フジテレビがこれらの点に改善の余地がなかったか検討し今後の番組制作に活かすよう要望する。
なお、本決定には、雅美氏による抗議を放送した部分につき、結論を異にする少数意見がある。

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2017年7月4日 第65号委員会決定

放送と人権等権利に関する委員会決定 第65号

申立人
舛添雅美および同人の長男、長女
被申立人
株式会社フジテレビジョン
苦情の対象となった番組
『 Mr.サンデー 』
放送日時
2016年5月22日(日)午後11時~午前0時15分

【本決定の構成】

I.事案の内容と経緯

  • 1.放送の概要と申立ての経緯
  • 2.論点

II.委員会の判断

  • 1.人権侵害に関する判断
  • 2.放送倫理上の問題に関する判断

III.結論

IV.放送内容の概要

V.申立人の主張と被申立人の答弁

VI.申立ての経緯および審理経過

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2017年7月4日 決定の通知と公表の記者会見

通知は、2017年7月4日午後1時からBPO第1会議室で行われ、このあと午後2時25分から千代田放送会館2階ホールで公表の記者会見が行われた。
詳細はこちら。

  • 「補足意見」、「意見」、「少数意見」について
  • 放送人権委員会の「委員会決定」における「補足意見」、「意見」、「少数意見」は、いずれも委員個人の名前で書かれるものであって、委員会としての判断を示すものではない。その違いは下のとおりとなっている。

    補足意見:
    多数意見と結論が同じで、多数意見の理由付けを補足する観点から書かれたもの
    意見 :
    多数意見と結論を同じくするものの、理由付けが異なるもの
    少数意見:
    多数意見とは結論が異なるもの

2017年3月10日

「事件報道に対する地方公務員からの申立て」事案の通知・公表

[通知]
本事案の2つの委員会決定の通知は、3月10日にBPO会議室において行われ、委員会から坂井眞委員長、市川正司委員長代行、白波瀬佐和子委員に加え、少数意見を書いた中島徹委員が出席した。少数意見を書いた、奥武則委員長代行と曽我部真裕委員は海外出張のため欠席した。
通知は、まず午後1時からテレビ熊本に対する委員会決定第63号について、申立人と被申立人であるテレビ熊本の取締役報道編成制作局長ら3名が出席して行われた。引き続き午後2時からは、熊本県民テレビに対する委員会決定第64号について、申立人と被申立人である熊本県民テレビの取締役報道局長ら2名が出席して行われた。
それぞれの通知では、坂井委員長が委員会決定の判断のポイント部分を中心に説明し、名誉を毀損したとは判断しないが、放送倫理上問題があるとの結論を告げた。その上で、テレビ熊本、熊本県民テレビそれぞれに対して「本決定を真摯に受け止めた上で、本決定の趣旨を放送するとともに、公務員の不祥事への批判と言う社会の関心に応えようとする余り、容疑者の人権への配慮がおろそかになっていなかったかなどを局内で検討し、今後の取り組みに活かすことを期待する」との委員会決定を伝えた。
また、少数意見について、欠席した2名の委員の少数意見を坂井委員長から伝えた後、中島委員が自身の少数意見について述べた。
委員会決定の通知を受け、申立人は、「自分の主張の一部が認められたことはよかったが、人権侵害を認めてもらえず残念だ」との感想を述べた。これに対して、被申立人のテレビ熊本は、「真摯に受け止め、人権に配慮した報道に取り組んでいきたい」と述べ、熊本県民テレビは、「真摯に受け止め、指摘を受けた内容を今後の放送に活かしていきたい」と述べた。

[公表]
委員会決定の通知後、午後3時15分から千代田放送会館2階ホールにおいて記者会見を行い、決定内容を公表した。22社48名が出席し、テレビカメラはNHKが在京放送局各社の代表カメラとして会見室に入った。
参加した委員は、坂井眞委員長、市川正司委員長代行、白波瀬佐和子委員、中島徹委員の4名。少数意見を書いた奥武則委員長代行、曽我部真裕委員は、海外出張のため欠席した。
会見ではまず、坂井委員長が委員会決定第63号と第64号を続けて、それぞれの判断のポイントを中心に説明した。その要旨は、放送が示した事実のうち、逮捕の直接の容疑となった事実以外の、テレビ熊本においては4つの、熊本県民テレビにおいては3つの事実について、「真実であることの証明はできていないが、副署長の説明に基づいてこれらの点を真実と信じて放送をしたことについて、相当性が認められ、名誉毀損が成立するとはいえない。」と判断したが、しかし、真実性の証明できない事実を、本件に特殊な事情があるにもかかわらず、真実であるとして放送したことは、「申立人の名誉への配慮が十分ではなく、正確性に疑いのある放送を行う結果となったものであることから、放送倫理上問題がある。」としたというものであった。
委員長からの説明を受けて、起草を担当した市川代行、白波瀬委員から補足の説明を行った。市川代行は、「名誉毀損には当たらないとしたが、別途に、『放送と人権等権利に関する委員会(BRC)決定』や民放連の『裁判員制度下における事件報道について』の指針等に鑑みて、放送倫理上求められることを検討することは必要なことと考えた」と述べ、放送倫理上の問題として検討した背景を伝えた。また、白波瀬委員は、「何を真実とするか、現場は大変なことがあると思うが、報道される当事者がいることへの配慮と注意を払ってほしい」と付け加えた。
一方、委員会決定と意見を異にする少数意見については、欠席した奥代行、曽我部委員の少数意見の内容を坂井委員長が伝えた後、中島委員から、自らの少数意見について、「委員会決定は、警察への取材に疑問を抱き質問するべきであったと指摘しているが、それを現場に求めるのは酷な状況だった。今後確立するべき倫理を一気に確立させようというのは行き過ぎのように思う」と説明した。

この後、質疑応答に移った。主な内容は以下の通り。

<申立人、被申立人の反応について>
(質問)
決定に対する申立人と被申立人の反応はどうか。

(坂井委員長)
申立人は「自分の主張で認められた部分があることはよかったが、人権侵害がなかったというのは残念だ」と述べた。テレビ熊本は、「真摯に受け止める」、熊本県民テレビは「真摯に受け止め、今後の報道に生かしていく」と述べた。また、申立人はさらに、「(放送局が)真摯に受け止めると言うだけで終わってしまうのでは、私の失ったものの大きさと比べて納得感がない」、「放送で情報を流すのは簡単だが、流された方はそれだけで終わりではない、その後も人生が長く続く、それを意識して報道して欲しい」と述べた。

<放送原稿の表現について>
(質問)
「逮捕されたのは誰々です」その後に「逮捕容疑については認めている」という表現なら印象が変わるのか。あるいは、最後に「逮捕容疑を認めている」と書くことであれば、純粋な逮捕容疑を認めているという、全体ではないですよ、ということにはならないか。
また、原稿の「容疑を認めているということです」、記者レポートの「連れ込んだということです」と、「いうことです」というのは、警察からの伝聞だということで入れている表現で、テレビではよく使う言い回しだ。「連れ込んだと警察が説明しています」とか「と見られます」ならいいのか。
あるいは、例えば「調べに対して容疑者は『間違いありません』と逮捕容疑を認めているということです」という原稿であれば、判断は変わるのか。容疑と経緯を分けて書かないといけないというのは違和感がある。

(坂井委員長)
「逮捕容疑を認めています」とあれば必ず容疑事実に限られるとか、「ということです」を「と見られます」に言葉を1つ替えればよいのか、ということではない。番組全体を一般視聴者が見た時に、どういう印象を受けるかということが重要だ。それはダイオキシン報道についての最高裁判決が参考になる。その点は、当然、全体的な報道の仕方で変わってくる場合もある。ご質問の点について、あくまでひとつの例として挙げれば、「逮捕の容疑事実はこうで、それは被疑者は認めているけれど、警察はこういうことも疑っている」とか、犯行に至る経緯については「警察はこう言っている」というように放送していたら、だいぶ一般視聴者の受ける印象は変わるのではないか。
また、本件独自の特殊性もある。そのひとつであるが、裸の女性を無断で写真に撮ったことを被疑事実として準強制わいせつで逮捕というケースはあまりない。意識を失わせて自宅に連れ込んで、その後無断で服を脱がせたというのなら、通常はそれだけで強制わいせつになる。しかし、本件では、そのような事実は容疑事実とされておらず、無断で裸の写真を撮ったという事実だけが容疑事実とされている。警察がより悪質性の高い部分まで疑いを持つのはあり得ることだとしても、逮捕容疑はその点をのぞいたところだけに絞られていた。であれば、それはなぜかという疑問も生じ得る状況だったわけだ。しかし、本件放送全体として見た場合に、広報担当が容疑事実について「それを認めている」と説明したことについて、容疑事実に含まれておらず犯行の経緯とされていたより重い事実についてまで、それらの事実を「認めている」と理解できる放送内容になっていたところが問題なのだ。
逮捕容疑事実として事案の概要に書いてあることしか報道してはいけないと委員会が言っているわけではない。公式発表とか確定した事実以外で独自に取材をして、「これは事実だ」と思って書くことは当然あっていい。報道はそういうものだと思うが、その場合、書く側に真実性ないし相当性の立証ができなければならないから、その確信がなければいけないということだ。そうでなければ、客観的な事実として放送するのではなく、警察はこういう疑いも持っているという表現にとどめるべきだということになる。

(質問)
警察の広報は、逮捕直後に取った調書を基に各社に話すと思う。それで「認めている」と言えば、それを信じて書いてしまう。「どこまで認めているのか」と副署長に聞けば良かったということか。

(坂井委員長)
そうすればはっきり分けて書けたかもしれない。本件の取材の経過を聞くと、その点をはっきりさせないで、そのまま容疑事実以外の部分まで認めたとして放送したということだと思う。しかし本件の問題は、「どこまで認めているのか」と副署長に聞けば良かったかどうかということではない。記者の質問の内容と、それに対する広報担当の対応に行き違いがあり、それが本件のような放送内容につながったという点だ。記者に、広報連絡記載の事案の概要について「容疑事実を認めているのか」と質問され、広報担当は逮捕容疑事実を「認めています」と答えた。ところがその後のやり取りの中で、事案の概要に記載のない警察の見立てについて広報担当が述べてしまい、そのために容疑事実をはみ出た部分まで被疑者が認めていると記者は信じてしまった。そのような経緯からすると相当性は否定することまではできない、と決定は判断した。
基本的に逮捕容疑事実以外のことについて「認めていますか」とは聞かないはずだから、「認めている」というのは容疑の話になるはずだ。けれど、そのはみ出た部分の話まで広報担当が述べてしまい、それを含めて認めたと記者が信じたことからこういう問題になったのだと思う。

(質問)
視聴者がどう受け取るかということですが、警察からどう聞いたかというのを聞いた時に、果たして、分けて書く、分けて書いたら、視聴者にほんとに通じるのか、逮捕容疑と容疑を、「逮捕容疑を認めているという」と、「容疑を認めている」というのを、その2つで何か違いがそこまであるのか。

(坂井委員長)
「逮捕容疑を認めている」と「容疑を認めている」とを比べて視聴者がどう受け取るかに関し違いはないのではないかと質問されているが、決定はそういうことは述べていない。視聴者に違いが分かるように放送するべきだと述べている。そしてその違いが分かるように放送する意味はあるということだ。逮捕された容疑は何かと、警察がどういう疑いを持っているかということは、意味が違うし、警察が間違うこともある。場合によったら警察発表に疑いを持つのもメディアの役割だ。「警察が言ったから事実と信じた」というだけでは通らないと思う。この決定は、そこをちゃんと区別しましょうという決定だ。

(質問)
「薬物」に関する表現で、テレビ熊本の「疑いもあると見て、容疑者を追及する方針です」は、「疑い」と「追求する方針」という言葉が強いということだが、熊本県民テレビは「警察は容疑者が・・・薬物を使って意識を朦朧とさせた可能性も含めて」と、むしろ「容疑者が」と名前を出していて、「やった」という印象が強いのではないか。

(坂井委員長)
テレビ熊本は「容疑者が」と明示して入ってはいないが、文脈としては「容疑者が」と読める。また、明確に「追及する方針です」と書くことと「可能性も含めて調べる」とではニュアンスは大分違う。

<フェイスブックの写真使用について>
(質問)
フェイスブック等からの画像の引用について、出典の明示をした場合の、懸念される事象についての言及がなされているが、委員会では出典を明示すべきかどうかについて、まとまった意見はあるのか。

(坂井委員長)
メディアでは、「フェイスブックより」と書かれることが多いのは理解しているが、本件ではその点については触れていない。この事案では「フェイスブックより」と書いたことで、全く関係のない親族や友人が実際に迷惑をこうむったようなので、そのような問題もあるからその点は少し考えたほうがいいということを指摘した。

(質問)
最近フェイスブックの写真を使うケースが多い。このぐらいの重さの事案であれば、(使用は)おおむね大丈夫と理解していいか。

(坂井委員長)
大丈夫という言い方は出来ないが、今メディアの中でフェイスブックの写真を使っていて、フェイスブックの写真は一般的にはある程度の範囲で見られてもやむを得ないという前提で載せられている。従って「だめだ」ということにはならないが、使い方によっては、問題が起きることもある。つまり、どんなケースでもOKだということにはならない。いろいろな議論があり、この点はまだコンセンサスが出来ていないと思う。ただ、フェイスブックから写真をもってくること一般がだめという議論をしているわけではない。それはケースバイケースだろう。一般論を言えば肖像権が万能ではない。表現の自由、報道の自由という問題もある、そのバランスのとり方ということだ。

<その他・審理の経緯等について>
(質問)
示談が成立して女性が被害届を取り下げて不起訴になった背景は、どの程度考慮されたのか。事実が非常にグレーな中で、放送倫理上問題があると判断したことについて説明してほしい。

(坂井委員長)
社会的評価が下がる事実を適示して報道する以上は、報道する側が真実性、相当性の立証責任を負う。この放送で示された事実についての真実性の立証は出来ていなかったが、相当性があったということで、名誉棄損ではないと判断した。
しかし、この事案で重要な部分、裸の写真を無断で撮るという事実だけでなく、それだけでなく女の人を酒に酔わせて家に連れ込んで、意識のない女性を裸にして、写真を無断で撮ったというのでは、社会的な非難は違う。そのような重要な事実について放送する以上、その真実性や相当性を放送する側は立証しなければいけない。
そして、相当性はあるが、真実性はないという結論であるならば、そのような重要な事実について真実性の立証できない事実を放送したことについて、名誉棄損にはならないとしても、放送倫理の問題として考えるべきだということだ。

(質問)
あまり抑制的に話されても困るが、BPOとして、警察の発表の仕方に何らかの考えを伝えることはあるか。

(坂井委員長)
警察に対して何か伝えるようなことはない。

(白波瀬委員)
専門も違うし、初めての経験で、不適切かもしれないが、質疑応答をずっと聞いていて、違和感を覚える。この事案は、申立てがあって議論を積み重ねたものだ。皆さんの質問を聞くと、ほんとに身につまされる感じを受ける。ただ、この報道は、一般視聴者に対して発せられた時点で具体的な姿として出てくる。その時に、どういうかたちで報道を積み上げたかという議論をしているが、その報道の対象となった人がいる。皆さんは、どういうかたちでマニュアル化して、今後、同様の申立てが来ないようにしようかとしているのはわかるが、委員会での議論の中で、非常に感じたのは、公務員に対するバッシングという社会的背景と、連れ込んだ裸の写真というものが、非常に既成の枠組みの中で解釈されているということだ。
それは、今まで、ある意味では常識的だったことであるかもしれないが、その常識だと、こういうストーリーはあるだろうといった危険性には、どこかでブレーキをかけるべきではないかと感じた。
私は、裸の写真を撮るというのは、もしかしたら今の若い子たちにとったら、そんなに特別なことではないかもしれないし、そのこと自体がどれだけの問題があるのかっていうことも含めて、ちょっと見直し、疑問を持っても、十分良いというか、立ち止まるべき時期で、この結論は、論を尽くした結果ということだ。

(質問)
白波瀬委員にお尋ねします。今の若い女性にとっては、裸の写真を撮られるのは何でもないことではないのか、とおっしゃいましたが、被害者の話を聞かずに議論をされている中で、それはどのような見識に基づいているのでしょうか。

(白波瀬委員)
大したことではない、と言ったのは、すごく語弊があるのだが、何が起こったのかといった時に、裸の写真を撮ったということは、申立人は認めているが、連れ込んだ云々については認められないということであり、そういうことはないかもしれないというふうに私は言ったつもりだったのだが。
つまり、状況というのが出て来た時に、もちろん何の合意もなく、そういう行為をした、つまり裸の写真を強制的に撮ったとか、そういうことは、もちろん問題だとは思うのだが、状況自体で、そのストーリーを、良し悪しを最初から前提としてつけるというのは問題ではないかといった意味での例を出したつもりだ。
すいません、言葉足らずで申し訳なかったです。
つまり、そういう状況自体を想定するときに、我々もずっと年齢的には高く理解しにくいが、その場面が、今実際の場面と同じようなことが起こっていると想定することが、正しいかどうかということ自体も、疑問符がつくという意味だったのですが。

(市川代行)
白波瀬委員の発言は、審議の中で、本件のことと言うのではなく一般に、知人の女性と、一定の関係のある女性と、部屋の中で裸の写真を撮るという行為が、意外と若い方の中では、同意の上でそういう例もあるかもしれないということも指摘があったということであって、いろんな背景を想定したということだ。

(質問)
「見解」が出ると、放送倫理、あるいは番組の質の向上のために、見解の内容をどういうふうに落とし込むべきか現場では考える。その点、委員会にも理解していただきたい。判断に至った法律的な論拠みたいなものはいっぱい書いてあるが、その先、どういうふうに現場に落とし込むかという部分への道筋みたいなものが見えない。もちろんそれを考えるのは私達だということかもしれないが。

(坂井委員長)
委員会が考えていないわけではない。しかし、現場でどう落とし込むかと言う問題は、本質的には、決定の内容を受けて現場の皆さんが考えることではないか。NHKと民放連、民放各局が作ったBPOで、評議委員会によって選ばれた委員会のメンバーが、運営規則に則って判断をしている。そこでの判断は、現場がどう受け止めるのかという視点ではなくて、申立人が、申し立ての対象とした放送内容について、申立て内容との関係で、その放送はどう評価されるべきかという観点において、言わばフラットな立場で判断している。その判断の際に、現場のことを考えて判断するという姿勢で結論を出し、その結果、お手盛りなどと言われるようなことがあってはならないと思っている。
現場のことを考えていないと言われたらそれは悲しいことだが、実際問題として、ここを考えればこういう内容にできるのに、という私なりの考えはある。各地での意見交換会の機会にも、その際の題材に応じて、こういう問題なので、ここはこう考えれば問題を生じませんよということを話している。そういうことは我々の方からこうしなさいということではなくて、まずは自律的にやるべきことであろうと思う。逆に現場の方が、ここは違うのでないかという意見があれば、是非聞きたいし、委員会の側も意見を言う。そういう中で自律的に動いていくものなのだと思う。

(質問)
他の地元局、NHKも、同じような報道をしたと思うが、他局はこの正確性に欠いた細かいニュアンスの部分を上手く分けて報道したのか。他局も同様な表現があるのに、そこを審議しないのはフェアではないのでは。

(坂井委員長)
制度の問題であり、放送人権委員会は、申立てのあった放送を取り上げることしかできない。我々の側から、関連する他の放送を取り上げて、その番組に口を出すことはしてはいけないし、できない。
本件でも、かなりの時間をかけて議論をする中で、こういう問題があるということで決定の結論に収束をしていった。3つの少数意見も、問題があるとまでは言わないが、決して現状でいいと言っているわけではない。逆に、放送倫理上問題があるとは言えないが、こういうことは問題だと、さらに補足をしている。9人の委員が議論を続けて、この結論になったとしか申し上げられない。
この事案に関して言えば、放送によって申立人がどういう状況に陥ったかを考える視点は必要だろう。放送はその時だけのことだが、放送された影響を受けて、申立人の人生はずっと続いていくという重さがある。そのような放送の持つ重みという意識も必要で、決定の結論の背景として指摘しておきたい。

(市川代行)
テレビ熊本も熊本県民テレビも、警察の発表に依拠して報道しており、真実と信じたことについて相当性があると考えて、報道は認められるべきだとの立場であろうが、本件は、警察の情報に依拠する中で、どういう点に気を付けるべきなのかというのが中心的な論点ではないか。
また、決定の「はじめに」で、この2局だけが直面した問題ではないだろうと書いた。通常の取材過程の中で発生し得る問題だという問題意識は、我々も触れていている。申立てを受けていないものについて委員会が判断するわけにはいかないが、決定がいろいろな現場に与える影響、現場の受け止め方も考えている。おそらく各委員も、同じ思いで、どういうグラデーションでいくのかと議論し、その結果が今回の結果だと思う。

(質問)
「抗拒不能」は法律用語で、一般のニュース、日常会話では使わない。それはどういうものかと、容疑事実を確認している。でも、視聴者はこれ全部容疑事実と思うのではないかとか、これだけのことをバツと言われている。そこをもっとしっかりやりなさいというのは分かるが、ここまで言うと萎縮してしまうのではないか。

(坂井委員長)
その点に関しては、決定は相当性を認め、名誉毀損は成立していないという結論としていることをよく理解してもらいたい。それを踏まえれば、放送倫理上の問題を指摘されたから委縮するなどということにはならないのではないか。そうではなく、今後対応することが可能な問題だと思っている。犯罪報道の在り方は、古くて新しい問題だ。容疑事実を認めるとした場合、どこまでどのように書けるかという話が繰り返し出て来る。そのような状況でも、本件に関して出来ることはあっただろうというのが、今回の委員会の決定だ。

以上

第247回放送と人権等権利に関する委員会

第247回 – 2017年5月

都知事関連報道事案の審理、浜名湖切断遺体事件報道事案の審理、STAP細胞報道事案の対応報告、沖縄基地反対運動特集事案の審理入り決定など

都知事関連報道事案および浜名湖切断遺体事件報道事案の「委員会決定」案をそれぞれ議論し、またSTAP細胞報道事案について、NHKから提出された対応報告を検討した。さらに沖縄基地反対運動特集事案を審理要請案件として検討し、審理入りを決定した。

議事の詳細

日時
2017年5月16日(火)午後4時~9時20分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員

1.「都知事関連報道に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、フジテレビが2016年5月22日(日)に放送した情報番組『Mr.サンデー』。番組では、舛添要一東京都知事(当時)の政治資金流用疑惑に関連して、舛添氏の政治団体から夫人の雅美氏が代表取締役を務める会社(舛添政治経済研究所)に事務所家賃が支払われていた問題を取り上げ、早朝に取材クルーを舛添氏の自宅を兼ねた事務所前に派遣し、雅美氏が「いくらなんでも失礼です」と発言した模様等を放送した。
申立書によると、未成年の長男と長女は、1メートル位の至近距離からの執拗な撮影行為によって衝撃を受け、これがトラウマになって家を出て登校するたびに恐怖を感じ、また雅美氏はこうした撮影行為に抗議して「いくらなんでも失礼です」と発言したのに、家賃に対する質問に答えたかのように都合よく編集して放送され視聴者を欺くものだったとしている。雅美氏と2人の子供は人権侵害を訴え、番組内での謝罪などをフジテレビに求めている。
これに対してフジテレビは委員会に提出した答弁書において、長男と長女を取材・撮影する意図は全くなく執拗な撮影行為など一切行っておらず、放送した雅美氏の発言は、ディレクターが家賃について質問した以降のやり取りを恣意性を排除するためにノーカットで使用したとしている。さらに雅美氏は政治資金の使い道について説明責任がある当事者で、雅美氏を取材することは公共性・公益性が極めて高いとしている。
前回の委員会後、起草委員会が開かれて「委員会決定」文が起草され、今月の委員会では担当委員の説明を受けて決定文案の結論部分を中心に審理した。次回委員会でさらに検討を重ねることになった。

2.「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、テレビ静岡が2016年7月14日に放送したニュースで、「静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった事件で、捜査本部は関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関連を調べています」等と放送した。この放送に対し、同県在住の男性が「殺人事件に関わったかのように伝えられ名誉や信頼を傷つけられた」と申し立てた。
申立人は、「私の自宅、つまり私と特定できる映像と、断定した『関係者』『関係先』とのテロップを用いて視聴者に残忍な事件の関係者との印象を与えた。実際、この放送による被害が目に見える形で発生しており、名誉毀損は十分に成立する」等と述べている。
これに対しテレビ静岡は、「本件放送は社会に大きな不安を与えてきた重大事件について、客観的な事実に基づいて、捜査の進展をいち早く知らせる目的をもって行ったものであり、申立人の人権の侵害や名誉・信頼の毀損にはあたらないものと考えている」等と述べている。
委員会では、5月9日の第1回起草委員会を経て委員会に提出された「委員会決定」案を審理した。その結果、第2回起草委員会を開催して修正案を検討し、次回委員会に提出することになった。

3.「STAP細胞報道に対する申立て」 NHKの対応報告

本事案で「勧告」として「名誉毀損の人権侵害が認められる」との決定を受けたNHKから、対応報告(5月9日付)が委員会に提出された。
報告内容について意見が出され、次回委員会でさらに検討のうえ対応を決めることになった。

4.審理要請案件:「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」

上記申立てについて審理入りを決定した。
対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が本年1月2日と9日に放送した情報バラエティー番組『ニュース女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャーナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるトークを展開し、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この特集に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉氏が、「事実と異なる虚偽情報」と在日韓国人である同氏に対する「人種差別発言」により名誉を毀損された等とする抗議文(1月20日付)を同局に送付した。
その後辛氏は1月27日付で申立書を委員会に提出。「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が虚偽のものであることが明らか」としたうえで、番組内では、「のりこえねっと」の団体名を挙げるとともに申立人について、あたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また申立人が外国人であることがことさら強調され、不法な行為をする「韓国人」の一部であるかのような人種差別を扇動するものであり、申立人の「名誉を毀損する内容である」と訴え、TOKYO MXに対し同番組での訂正放送と謝罪、第三者機関による検証と報道番組での結果報告、再発防止策の公表と実行、人権、差別問題に関する社内研修の確立等を求めた。
また申立書は、「虚偽を事実であるかのように放送したこと」「まともに取材していないこと」「極めて偏向した内容であること」という放送内容は、「もはや放送倫理云々のレベルですらなく、明確に放送法4条各号違反である」と主張した。
さらに1月9日の放送については、改めて申立人もしくは「のりこえねっと」に取材することなく、前週放送の「虚偽報道を糊塗するような放送がなされた」としている。
申立人とTOKYO MXは、委員会事務局の要請に応じて代理人同士が話し合いによる解決を模索したが、不調に終わり、申立人側から4月12日、改めて委員会の審理を要望する意思が事務局に伝えられた。
これを受けて同局は4月27日、本件申立てに関する「経緯と見解」書面を委員会に提出。その中で、「本番組は、沖縄県東村高江区のヘリパッド建設反対運動が、過激な活動によって地元の住民の生活に大きな支障を生じさせている現状等、沖縄基地問題において、これまで他のメディアで紹介されることが少なかった『声』を現地に赴いて取材し、伝えるという意図で企画されたものであると承知している」と放送の趣旨を説明し、放送内容は「申立人が主張する内容を摘示するものでも、申立人の社会的評価を低下させるものでなく、申立人が主張する名誉毀損は成立しないものと考える」と反論した。
同局は、申立人が「黒幕」として「テロリスト」に資金を供与しているかのような情報を番組が摘示したと主張していることについて、「申立人が具体的に本件番組のどの表現を捉えてこのような主張をしているのか、不明であると言わざるを得ない。当社としては、本件放送はそのような内容を含むものではないと考えている」と述べ、また「申立人が問題視している『テロリスト』等の表現は、高江でヘリパッドの建設反対運動には、一部強硬な手段がとられていることを伝える中で比喩として用いられているものであり、申立人について述べたものではないため、本件申立ての争点である申立人の名誉毀損の成否とは直接の関係がないといえる」と主張した。
このほかTOKYO MXは、申立人が放送内容が事実に反すると主張している点について、「当社として調査、確認した結果、本件番組内で使用された映像・画像の出典根拠は明確であり、本件番組内で伝えられた事象は、番組スタッフによる取材、各新聞社等による記事等の合理的根拠に基づく説明であって、本件放送に係る事実関係において、捏造や虚偽があったとは認められない」と反論した。
TOKYO MXによると、本件番組は自社制作番組とは異なり、番組分類上スポンサー側で制作を行い、電波料も別途支払われる持込番組に該当するため、クレジットが、「製作著作 DHCシアター」となっているが、「当社は、放送枠を販売する形式ではあるが、放送責任が当社にあることは承知している」と述べている。
なお、本番組については、BPO放送倫理検証委員会が2月10日の委員会で審議入りを決定している。

委員会は、委員会運営規則第5条(苦情の取り扱い基準)に照らし、本件申立ては審理要件を満たしていると判断し、審理入りすることを決めた。
次回委員会より実質審理に入る。

5.その他

  • 在京キー局との意見交換会を7月18日(火)に開催することになり、事務局から概要を説明して了承された。当日予定される委員会に先立って開催する。
  • 委員会が今年度中に予定している東北地区加盟社との意見交換会について、今秋仙台で開催することを決めた。
  • 次回委員会は6月20日に開かれる。

以上

2017年5月16日

「沖縄の基地反対運動特集に対する申立て」審理入り決定

放送人権委員会は5月16日の第247回委員会で、上記申立てについて審理入りを決定した。
対象となった番組は、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が本年1月2日と9日に放送した情報バラエティー番組『ニュース女子』。2日の番組では、沖縄県東村高江地区の米軍ヘリパッド建設反対運動を特集し、「軍事ジャーナリスト」が現地で取材したVTRを放送するとともに、スタジオで出演者によるトークを展開し、翌週9日の同番組の冒頭、この特集に対するネット上の反響等について出演者が議論した。
この特集に対し、番組内で取り上げられた人権団体「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉氏が、「事実と異なる虚偽情報」と在日韓国人である同氏に対する「人種差別発言」により名誉を毀損された等とする抗議文(1月20日付)を同局に送付した。
その後辛氏は1月27日付で申立書を委員会に提出。「本番組はヘリパッド建設に反対する人たちを誹謗中傷するものであり、その前提となる事実が虚偽のものであることが明らか」としたうえで、番組内では、「のりこえねっと」の団体名を挙げるとともに申立人について、あたかも「テロリストの黒幕」等として基地反対運動に資金を供与しているかのような情報を摘示し、また申立人が外国人であることがことさら強調され、不法な行為をする「韓国人」の一部であるかのような人種差別を扇動するものであり、申立人の「名誉を毀損する内容である」と訴え、TOKYO MXに対し同番組での訂正放送と謝罪、第三者機関による検証と報道番組での結果報告、再発防止策の公表と実行、人権、差別問題に関する社内研修の確立等を求めた。
また申立書は、「虚偽を事実であるかのように放送したこと」、「まともに取材していないこと」、「極めて偏向した内容であること」という放送内容は、「もはや放送倫理云々のレベルですらなく、明確に放送法4条各号違反である」と主張した。
さらに1月9日の放送については、改めて申立人もしくは「のりこえねっと」に取材することなく、前週放送の「虚偽報道を糊塗するような放送がなされた」としている。
申立人とTOKYO MXは、委員会事務局の要請に応じて代理人同士が話し合いによる解決を模索したが、不調に終わり、申立人側から4月12日、改めて委員会の審理を要望する意思が事務局に伝えられた。
これを受けて同局は4月27日、本件申立てに関する「経緯と見解」書面を委員会に提出。その中で、「本番組は、沖縄県東村高江区のヘリパッド建設反対運動が、過激な活動によって地元の住民の生活に大きな支障を生じさせている現状等、沖縄基地問題において、これまで他のメディアで紹介されることが少なかった『声』を現地に赴いて取材し、伝えるという意図で企画されたものであると承知している」と放送の趣旨を説明し、放送内容は「申立人が主張する内容を摘示するものでも、申立人の社会的評価を低下させるものでなく、申立人が主張する名誉毀損は成立しないものと考える」と反論した。
同局は、申立人が「黒幕」として「テロリスト」に資金を供与しているかのような情報を番組が摘示したと主張していることについて、「申立人が具体的に本件番組のどの表現を捉えてこのような主張をしているのか、不明であると言わざるを得ない。当社としては、本件放送はそのような内容を含むものではないと考えている」と述べ、また「申立人が問題視している『テロリスト』等の表現は、高江でヘリパッドの建設反対運動には、一部強硬な手段がとられていることを伝える中で比喩として用いられているものであり、申立人について述べたものではないため、本件申立ての争点である申立人の名誉毀損の成否とは直接の関係がないといえる」と主張した。
このほかTOKYO MXは、申立人が放送内容が事実に反すると主張している点について、「当社として調査、確認した結果、本件番組内で使用された映像・画像の出典根拠は明確であり、本件番組内で伝えられた事象は、番組スタッフによる取材、各新聞社等による記事等の合理的根拠に基づく説明であって、本件放送に係る事実関係において、捏造や虚偽があったとは認められない」と反論した。
TOKYO MXによると、本件番組は自社制作番組とは異なり、番組分類上スポンサー側で制作を行い、電波料も別途支払われる持込番組に該当するため、クレジットが、「製作著作 DHCシアター」となっているが、「当社は、放送枠を販売する形式ではあるが、放送責任が当社にあることは承知している」と述べている。
尚、本番組については、BPO放送倫理検証委員会が2月10日の委員会で審議入りを決定している。

委員会は、委員会運営規則第5条(苦情の取り扱い基準)に照らし、本件申立ては審理要件を満たしていると判断し、審理入りすることを決めた。
次回委員会より実質審理に入る。

放送人権委員会の審理入りとは?

「放送によって人権を侵害された」などと申し立てられた苦情が、審理要件(*)を満たしていると判断したとき「審理入り」します。
ただし、「審理入り」したことがただちに、申立ての対象となった番組内容に問題があると委員会が判断したことを意味するものではありません。

* 委員会審理に必要な要件については、同委員会「運営規則 第5条」をご覧ください。

第246回放送と人権等権利に関する委員会

第246回 – 2017年4月

浜名湖切断遺体事件報道事案のヒアリングと審理、都知事関連報道事案の審理など

浜名湖切断遺体事件報道事案のヒアリングを行い、申立人と被申立人から詳しく事情を聞いた。また都知事関連報道事案を審理した。

議事の詳細

日時
2017年4月18日(火)午後3時~8時55分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員

1.「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」事案のヒアリングと審理

対象となった番組は、テレビ静岡が2016年7月14日に放送したニュースで、静岡県浜松市の浜名湖周辺で切断された遺体が発見された事件について、「捜査本部が関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関連を調べている」等と放送した。この放送に対し、同県在住の男性が「殺人事件に関わったかのように伝えられ名誉や信頼を傷つけられた」と申し立てた。
今月の委員会では、申立人と被申立人のテレビ静岡にヒアリングを実施し、詳しい話を聴いた。
申立人は、「テレビ静岡は、私の名前も公表していない、被疑者として断定して放送していないと主張しているが、私の自宅、つまり私と特定できる映像と断定した『関係者』『関係先』とのテロップを用いて視聴者に残忍な事件の関係者との印象を与えた。実際、この放送による被害が目に見える形で発生しており、名誉毀損は十分に成立すると思う。私有地に侵入しての取材については、マスコミという屋外での撮影を主たる業務とする職種であるので、当然に撮影前のみならず、撮影後の編集の段階においても、私道等撮影をしても問題なき場所かの確認を取るべきで、少しの注意で結果が予見でき、回避ができるのに、注意を怠った重過失がテレビ静岡にはある。プライバシーである寝具を撮影したことも、奥の窓を撮影するためという主張は苦しいもので、編集段階でいくらでもどうにかなる。要は犯人視していたからこそ、躊躇なく知られたくない生活の一部も撮影、放送したものだと思う」等と述べた。
テレビ静岡は報道の責任者ら4人が出席し、「申立人の氏名等を一切報じていないのはもちろん、申立人を犯人視する表現をしたり、視聴者に申立人を犯人視させたりする演出やねつ造は一切行っていない。さらに、本件捜査が行われた申立人の自宅を一般視聴者が特定できないように種々の配慮をしつつ、報道の真実性を損なわないよう映像を編集した。その中で、申立人宅の道路に面して干してあった枕等が映像に映っていた点については、道路からごく自然に目に入るものであることや下着等のものでないことから、プライバシーの侵害には当たらないと考えている。申立人宅の私有地への立ち入りという点については、一般の立ち入りが禁止されることを示す表示や門柱・仕切りなどは一切なく、取材陣はこれを一般の生活道路として立ち入りや通行が認められているものと認識していた。本件放送は社会に大きな不安を与えてきた重大事件について、客観的な事実に基づいて、捜査の進展をいち早く知らせる目的をもって行ったものであり、申立人の人権の侵害や名誉・信頼の毀損にはあたらないものと考えている」等と述べた。
ヒアリング後、本件の論点を踏まえ審理を続行、その結果、担当委員が「委員会決定」文の起草に入ることになった。

2.「都知事関連報道に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、フジテレビが2016年5月22日(日)に放送した情報番組『Mr.サンデー』。番組では、舛添要一東京都知事(当時)の政治資金流用疑惑に関連して、舛添氏の政治団体から夫人の雅美氏が代表取締役を務める会社(舛添政治経済研究所)に事務所家賃が支払われていた問題を取り上げ、早朝に取材クルーを舛添氏の自宅を兼ねた事務所前に派遣し、雅美氏が「いくらなんでも失礼です」と発言した模様等を放送した。
申立書によると、未成年の長男と長女は、1メートル位の至近距離からの執拗な撮影行為によって衝撃を受け、これがトラウマになって家を出て登校するたびに恐怖を感じ、また雅美氏はこうした撮影行為に抗議して「いくらなんでも失礼です」と発言したのに、家賃に対する質問に答えたかのように都合よく編集して放送され視聴者を欺くものだったとしている。雅美氏と2人の子供は人権侵害を訴え、番組内での謝罪などをフジテレビに求めている。
これに対してフジテレビは委員会に提出した答弁書において、長男と長女を取材・撮影する意図は全くなく執拗な撮影行為など一切行っておらず、放送した雅美氏の発言は、ディレクターが家賃について質問した以降のやり取りを恣意性を排除するためにノーカットで使用したとしている。さらに雅美氏は政治資金の使い道について説明責任がある当事者で、雅美氏を取材することは公共性・公益性が極めて高いとしている。
今月の委員会では先月のヒアリングを受けて、人権侵害と取材方法や編集などの放送倫理の問題について審理を進めた。その結果、担当委員が「委員会決定」文の起草に入ることになった。

3.その他

  • 放送人権委員会の2016年度中の「苦情対応状況」について、事務局が資料をもとに報告した。同年度中、当事者からの苦情申立てが18件あり、そのうち審理入りしたのが4件、委員会決定の通知・公表が5件あった。また仲介・斡旋による解決が6件あった。
  • 次回委員会は5月16日に開かれる。

以上

第245回放送と人権等権利に関する委員会

第245回 – 2017年3月

都知事関連報道事案のヒアリングと審理、事件報道に対する地方公務員からの申立て事案の通知・公表の報告、浜名湖切断遺体事件報道事案の審理…など

都知事関連報道事案のヒアリングを行い、申立人と被申立人から詳しく事情を聞いた。また事件報道に対する地方公務員からの申立て事案の通知・公表の概要を事務局から報告、浜名湖切断遺体事件報道事案を審理した。

議事の詳細

日時
2017年3月21日(火)午後3時~8時25分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、中島委員、二関委員 (曽我部委員は欠席)

1.「都知事関連報道に対する申立て」事案のヒアリングと審理

対象となった番組は、フジテレビが2016年5月22日(日)に放送した情報番組『Mr.サンデー』。番組では、舛添要一東京都知事(当時)の政治資金流用疑惑に関連して、舛添氏の政治団体から夫人の雅美氏が代表取締役を務める会社(舛添政治経済研究所)に事務所家賃が支払われていた問題を取り上げ、早朝に取材クルーを舛添氏の自宅を兼ねた事務所前に派遣し、雅美氏が「いくらなんでも失礼です」と発言した模様等を放送した。この放送について、雅美氏と2人の子供が人権侵害を訴え申立てを行った。
今月の委員会では申立人と被申立人のフジテレビにヒアリングを実施し、詳しい話を聴いた。
申立人側は雅美氏が代理人の弁護士とともに出席し、「私が『撮らないでください』と伝えているにもかかわらず、フジテレビが子供2人を自宅前で登校時、カメラを避けようがない状況で撮影したことは揺るぎない事実だ。子供は大変な精神的苦痛を受けた。子供の姿が放送されなかったから良いということではなく、撮影自体が既に肖像権を侵害している。子供の撮影は必要なことではなく、私は怒り心頭で『いくらなんでも失礼です』と抗議した。子供を護るため母親としての当然の行為であったと考える。ところが、フジテレビは、あたかも私が取材を感情的に拒否しているかのように映像を編集し、意図的に事実とは違う印象を明らかに視聴者に与える放送を行った。この撮影は、もともと公共性・公益性を目的にしたものではなく、放送内容に真実性はなく、悪意を持って意図的に子供を撮影し、ことさらに私を貶めるように編集されたもので、それを放送したことは名誉毀損にあたる」等と述べた。
フジテレビからは番組の制作責任者ら5人が出席し、「疑惑解明に不可欠なのは、株式会社舛添政治経済研究所の代表者である舛添氏の妻、雅美氏本人の取材である。当然、子供への取材は何の意味も持たず、取材する意図は全くなかった。執拗な取材・撮影はあり得ず、その事実も一切あり得ない。雅美氏のインタビュー部分は、取材時のディレクターの質問から雅美氏の返答を一連の流れとしてノーカットで放送したもので、作為的編集という事実は一切ない。『いくらなんでも失礼です』という発言は、早朝に訪れて取材申込みをしたことが失礼であると同時に『間違ったことをしていないにもかかわらず、直接取材に来たことは失礼である』との意味で発せられたものと理解している。極めて公共性、公益性の高い取材だったと考える。政治家の疑惑を追及するための取材が問題とされるケースが常態化すれば、現場が委縮し、権力の監視と言う我々の役割が支障をきたすのではないかと強く懸念している」等と述べた。
ヒアリング後、本件の論点を踏まえ審理を続行した。

2.「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本)事案の通知・公表の報告

3.「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(熊本県民テレビ) 事案の通知・公表の報告

本事案に関する「委員会決定」の通知・公表が3月10日に行われた。委員会では、その概要を事務局が報告し、決定内容を伝える当該局による放送録画を視聴した。委員長からは、公表時に様々な質疑があったことを紹介したうえで、放送には警察をチェックする役割もあるので、この決定内容からそうした社会的要請が改めて受け止められることを期待したい旨の発言があった。

4.「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、テレビ静岡が2016年7月14日に放送したニュース。静岡県浜松市の浜名湖周辺で切断された遺体が発見された事件で「捜査本部が関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関連を調べている」等と放送した。
この放送に対し、同県在住の男性は9月18日付で申立書を委員会に提出。同事件の捜査において、「実際には全く関係ないにもかかわらず、『浜名湖切断遺体 関係先を捜索 複数の車押収』と断定したテロップをつけ、記者が『捜査本部は遺体の状況から殺人事件と断定して捜査を進めています』と殺人事件に関わったかのように伝えながら、許可なく私の自宅前である私道で撮影した、捜査員が自宅に入る姿や、窓や干してあったプライバシーである布団一式を放送し、名誉や信頼を傷つけられた」として、放送法9条に基づく訂正放送、謝罪およびネット上に出ている画像の削除を求めた。
また申立人は、この日県警捜査員が同氏自宅を訪れたのは、申立人とは関係のない窃盗事件の証拠物である車を押収するためであり、「私の自宅である建物内は一切捜索されていない」と主張。「このニュースの映像だけを見れば、家宅捜索された印象を受け、いかにもこの家の主が犯人ではないかという印象を視聴者に与えてしまう。私は今回の件で仕事を辞めざるをえなくなった」と訴えている。
この申立てに対し、テレビ静岡は11月2日に「経緯と見解」書面を委員会に提出し、「本件放送が『真実でない』ことを放送したものであるという申立人の主張には理由がなく、訂正放送の請求には応じかねる」と述べた。この中で、「当社取材陣は、信頼できる取材源より、浜名湖死体損壊・遺棄事件に関連して捜査の動きがある旨の情報を得て取材活動を行ったものであり、当日の取材の際にも取材陣は捜査員の応対から当日の捜索が浜名湖事件との関連でなされたものであることの確証を得たほか、さらに複数の取材源にも確認しており、この捜索が浜名湖事件に関連したものとしてなされたことは事実」であり、「本件放送は、その事件との関連で捜査がなされた場所という意味で本件住宅を『関係先』と指称しているもの。また本件放送では、申立人の氏名に言及するなど一切しておらず、『申立人が浜名湖の件の被疑者、若しくは事件にかかわった者』との放送は一切していない」と反論した。
さらに、「捜査機関の行為は手続き上も押収だけでなく『捜索』も行われたことは明らか。すなわち、捜査員が本件住宅内で確認を行い、本件住宅の駐車場で軽自動車を現認して差し押さえたことから、本件住宅で捜索活動が行われたことは間違いなく、したがって、『関係先とみられる住宅などを捜索』との報道は事実であり、虚偽ではあり得ない」と主張した。
今月の委員会では、次回4月の委員会で申立人と被申立人のテレビ静岡にヒアリングを実施し詳しい話を聴くことを決めた。

5.その他

  • 三好専務理事から、3月10日に開かれたBPO理事会で、放送人権委員会の委員を1名増員することが了承されたと報告された。また、2017年度の事務局の新体制についても報告された。

以上

2016年度 解決事案

2016年度中に委員長の指示を仰ぎながら、委員会事務局が審理入りする前に申立人と被申立人双方に話し合いを要請し、話し合いの結果解決に至った「仲介・斡旋」のケースが6件あった。

「刺青師からの申立て」

A局が2015年10月に放送したバラエティー番組で、男性がタトゥーを入れる模様を再現したVTRを放送した。この放送に対し、刺青業を営む男性が、番組の取材協力の一環として刺青用機械一式を貸し出した際、インクや手術用手袋、マスクの着用等衛生面に配慮することを条件にしたにもかかわらず、一切無視され、「精神的人格権を侵害された」と委員会に申し立てた。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、申立人と同局および制作会社側との間で約4か月におよぶ話し合いの結果、双方が合意に達し、本件申立ては取り下げられ、解決した。

(放送2015年10月、解決2016年4月)

「温暖化対策報道に対する申立て」

B局は2015年12月に放送した報道番組で、地球温暖化対策として注目されていたCO2の分離・回収・貯留技術についての特集を放送した。この放送に対し、番組でインタビュー取材を受けた大学教授が「私の主義・主張と異なる見解として発言の一部が使用され、著しく信用を損なった」と委員会に申し立てた。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、約3か月におよぶ話し合いの結果、申立人の主張を盛り込んだ「続報」を同じ番組で放送することで合意し、申立書は取り下げられ、解決した。

(放送2015年12月、解決2016年5月)

「生活保護ビジネス企画に対する申立て」

C局は2015年11月に放送したニュース番組で、生活保護を食い物にするいわゆる「生活保護ビジネス」を取り上げた企画を放送した。この放送に対し、自らが生活保護受給者で、番組のためにインタビュー取材を受け、また薬物依存症で治療中のクリニックや宿泊所の隠し撮りをした男性から、本人も他の患者もモザイクが薄くて特定可能な映像で、プライバシーを侵害されたと委員会に申し立てた。申立人と局側は委員会事務局の要請を受けて4回にわたって話し合いを行ったが、合意に至らなかったため、いったんは4月の委員会で審理要請案件として審理入りするかどうかの検討に入った。ただ、その後事務局が双方に改めて話し合いを促したところ、話し合いが再開されて合意に至り、取下書が提出されて解決した。

(放送2015年11月、解決2016年6月)

「区議会議員からの申立て」

D局は2016年8月に放送した情報番組で、区議会議員が酒に酔ってタクシー運転手を殴り、ケガを負わせた容疑で逮捕され、「運転手が(右折の)指示に従わなかったため殴ってしまったと容疑を認めている」と報じた。この放送に対し、区議は、「運転手に幾度も小突かれたので殴ったのであり、全くの事実無根の放送により社会的評価が著しく低下した」と委員会に申し立てた。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、約1か月におよぶ話し合いの結果、同局がユーチューブにアップされた動画を削除したことなどを申立人が評価して「権利侵害の問題が解決された」とする取下書が提出され、解決した。また、同区議は同様の内容の放送をしたE局に対しても申し立てたが、同じ理由で取り下げ、解決した。

(放送2016年8月、解決2016年12月)

「元反社会的勢力企画への申立て」

F局は2016年3月放送のニュース番組で、反社会的勢力の内幕を描いた企画を放送した。この放送に対し、番組でインタビューを受けた元関係者が、匿名で顔出しはしない約束でインタビュー取材に応じたが、放送ではモザイク処理も声の変更もなく放送され、肖像権を侵害されたうえ、「身体に危険が及ぶ事態になりかねない」等と委員会に申し立てた。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、約2か月におよぶ話し合いの結果、双方が合意に至り、申立ては取り下げられ、解決した。

(放送2016年3月、解決2016年12月)

「元後援会長からの申立て」

G局は2016年10月に放送したバラエティー番組で、元力士で現在相撲部屋の親方が年下の歌手と結婚したことをきっかけに弟子が激減し、部屋が崩壊状態に陥ったことから、地元後援会長が辞任したなどと再現VTRを交えて放送した。この放送に対し、元後援会長は、再現VTRで後援会の「関係者」が親方の妻を激しく叱責した場面があったが、地元ではこの「関係者」は自分のことと受け止められ、一方的な取材による「真っ赤な嘘」の放送により名誉を毀損されたと委員会に申し立てた。委員会事務局が話し合いによる解決を促したところ、3か月近くにおよぶ話し合いの結果、双方が和解し、申立ては取り下げられ、解決した。

(放送2016年10月、解決2017年3月)

2016年度 第64号

「事件報道に対する地方公務員からの申立て」
(熊本県民テレビ)に関する委員会決定

2017年3月10日 放送局:熊本県民テレビ(KKT)

見解:放送倫理上問題あり(少数意見付記)
熊本県民テレビは2015年11月19日、『ストレイトニュース』や情報番組『テレビタミン』内のニュース等で、地方公務員が準強制わいせつ容疑で逮捕されたニュースを放送した。
この放送について申立人は事実と異なる内容で、容疑内容にないことまで容疑を認めているような印象を与え、人権侵害を受けたと訴えるとともに、フェイスブックの写真を無断で使用されるなど権利の侵害を受けたと主張し、委員会に申立書を提出した。
これに対し熊本県民テレビは、「社会的に重大な事案」と位置付けたうえで「正当な方法によって得た取材結果に基づき放送した」として人権侵害はなかったと反論した。
委員会は2017年3月10日に「委員会決定」を通知・公表し、「見解」として放送倫理上問題ありと判断した。
なお、本決定には結論を異にする3つの少数意見が付記された。

【決定の概要】

本件は、熊本県民テレビが、2015年11月19日午前11時40分以降、ニュース番組の中で、地方公務員である申立人が、酒に酔って抗拒不能の状態にあった女性の裸の写真を撮影したという容疑で逮捕されたことを報じた3つのニュースと、翌日以降、逮捕後の勤務先の対応や、不起訴処分となったことなどを報じたニュースに関する事案である。本決定では、最も詳しく報道された、逮捕当日の午後6時15分からのニュースを中心に検討した。
申立人は、この放送について、意識がもうろうとしている知人の女性を自宅に連れ込んだとか、同意なく女性の服を脱がせたなど、申立人が認めたこともない容疑まで申立人が事実を認めているなどとしたり、「卑劣な犯行」などとコメントして、申立人が悪質な犯行を行ったと印象づける放送を行って申立人の名誉を毀損し、また、申立人の職場の映像を放送したり、申立人がフェイスブックに掲載した写真も無断で放送して申立人のプライバシー等も侵害したとして、委員会に申し立てた。
委員会は、申立てを受けて審理し、本件放送には放送倫理上の問題があると判断した。決定の概要は以下のとおりである。
本件放送は、申立人について、(1)わいせつ目的をもって意識がもうろうとしていた女性を同意のないまま自宅に連れ込み、(2)意識を失い横になっていた女性の服を同意なく脱がせ、(3)意識を失い抗拒不能の状態にある女性の裸の写真を撮った、(4)((1)ないし(3)の)事実を認めている。さらに、(5)警察は、薬物などによって女性が意識を失った可能性も含めて今後調べる方針である、ということを伝えるものである。熊本県民テレビは、本件放送は警察当局の説明に沿ったものであり、申立人に対する名誉毀損は成立しない、また、地方公務員であった申立人についてフェイスブックの写真や職場の映像を放送することは社会の関心に応えるものであって問題はないと主張する。
放送が示した事実のうち、逮捕の直接の容疑となった(3)の事実と、(5)の事実以外に、(1)、(2)、(4)については真実であることの証明はできていないが、警察当局の説明に基づいてこれらの点を真実と信じて放送したことについて、相当性が認められ、名誉毀損が成立するとはいえない。
しかし、容疑に対する申立人の認否などに関する警察当局の説明は概括的で明確とは言いがたい部分があり、逮捕直後で、関係者への追加取材もできていない段階であったにもかかわらず、本件放送は、警察の明確とは言いがたい説明に依拠して、直接の逮捕容疑となっていない事実についてまで真実であるとの印象を与えるものであった。この点で、本件放送は申立人の名誉への配慮が十分ではなく、正確性に疑いのある放送を行う結果となったものであることから、放送倫理上問題がある。
放送のコメントについては論評として不適切なものとはいえず、フェイスブックの写真の使用や職場の映像の放送については、本件放送の公共性・公益性に鑑みて問題はないと考える。
委員会は、熊本県民テレビに対し、本決定の趣旨を放送するとともに、再発防止のために人権と放送倫理にいっそう配慮するよう要望する。

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2017年3月10日 第64号委員会決定

放送と人権等権利に関する委員会決定 第64号

申立人
熊本市在住 地方公務員
被申立人
株式会社熊本県民テレビ(KKT)
苦情の対象となった番組
『ストレイトニュース』『テレビタミン』
放送日時
  • 2015年11月19日(木)
    • 午前11時40分~11時49分『ストレイトニュース』
    • 午後4時45分~ 7時00分『テレビタミン』
    • 午後4時50分~「先出しニュース」
    • 午後6時15分~「テレビタニュース」
  • 2015年11月20日(金)午後4時45分~『テレビタミン』
  • 2015年12月 9日(水)午後4時45分~『テレビタミン』

【本決定の構成】

I.事案の内容と経緯

  • 1.放送の概要と申立ての経緯
  • 2.論点

II.委員会の判断

  • 第1. はじめに
  • 第2. 名誉毀損の主張について
  • 第3. 肖像権、プライバシー侵害の有無について
  • 第4. 放送倫理上の問題

III.結論

IV.放送概要

V.申立人の主張と被申立人の答弁

VI.申立ての経緯および審理経過

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2017年3月10日 決定の通知と公表の記者会見

通知は、2017年3月10日午後2時からBPO第1会議室で行われ、このあと午後3時15分から千代田放送会館2階ホールで公表の記者会見が行われた。
詳細はこちら。

2017年6月20日 委員会決定に対する熊本県民テレビの対応と取り組み

委員会決定第64号に対して、熊本県民テレビから対応と取り組みをまとめた報告書が6月9日付で提出され、委員会はこれを了承した。

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  • 「補足意見」、「意見」、「少数意見」について
  • 放送人権委員会の「委員会決定」における「補足意見」、「意見」、「少数意見」は、いずれも委員個人の名前で書かれるものであって、委員会としての判断を示すものではない。その違いは下のとおりとなっている。

    補足意見:
    多数意見と結論が同じで、多数意見の理由付けを補足する観点から書かれたもの
    意見 :
    多数意見と結論を同じくするものの、理由付けが異なるもの
    少数意見:
    多数意見とは結論が異なるもの

2016年度 第63号

「事件報道に対する地方公務員からの申立て」
(テレビ熊本)に関する委員会決定

2017年3月10日 放送局:テレビ熊本(TKU)

見解:放送倫理上問題あり(少数意見付記)
テレビ熊本は2015年11月19日、『みんなのニュース』等で、地方公務員が準強制わいせつ容疑で逮捕されたニュースを放送した。
この放送について申立人は事実と異なる内容で、容疑内容にないことまで容疑を認めているような印象を与え人権侵害を受けたと訴えるとともに、フェイスブックの写真を無断で使用されるなど権利の侵害があったと主張して、委員会に申立書を提出した。
これに対しテレビ熊本は、「社会的に重大な事案」と位置付けたうえで、「取材を重ね事実のみを報道した」として人権侵害はなかったと反論した。
委員会は2017年3月10日に「委員会決定」を通知・公表し、「見解」として放送倫理上問題ありと判断した。
なお、本決定には結論を異にする3つの少数意見が付記された。

【決定の概要】

本件は、テレビ熊本が、2015年11月19日午後4時50分以降、ニュース番組の中で、地方公務員である申立人が、酒に酔って抗拒不能の状態にあった女性の裸の写真を撮影したという容疑で同日午前に逮捕されたことを報じた4つのニュースと、翌日以降、逮捕後の勤務先の対応や不起訴処分となったことなどを報じたニュースに関する事案である。本決定では、最も詳しく報道された逮捕当日午後6時15分からのニュースを中心に検討した。
申立人は、この放送について、意識がもうろうとしている知人の女性を自宅に連れ込んだとか、同意なく女性の服を脱がせたなど、申立人が認めたこともない容疑まで申立人が事実を認めているなどとして、申立人が悪質な犯行を行ったと印象づける放送を行って申立人の名誉を毀損し、また、申立人の自宅建物の映像をむやみに放送し、フェイスブックに掲載した写真も無断で放送して申立人のプライバシー等も侵害したとして、委員会に申し立てた。
委員会は、申立てを受けて審理し、本件放送には放送倫理上の問題があると判断した。決定の概要は以下のとおりである。
本件放送は、申立人について、(1)わいせつ目的をもって意識がもうろうとしていた女性を同意のないまま自宅に連れ込み、(2)意識を失い横になっていた女性の服を同意なく脱がせ、(3)意識を失い抗拒不能の状態にある女性の裸の写真を撮った、(4)((1)ないし(3)の)事実を認めている。さらに、(5)薬物などによって女性が意識を失った疑いがあり、警察はこの点も申立人を追及する方針である、ということを伝えるものである。テレビ熊本は、本件放送は警察の広報担当の副署長の説明に沿ったものであり、申立人に対する名誉毀損は成立しない、また、地方公務員であった申立人についてフェイスブックの写真や自宅建物を放送することは社会の関心に応えるものであって問題はないと主張する。
放送が示した事実のうち、逮捕の直接の容疑となった(3)の事実以外の(1)、(2)、(4)、(5)について真実であることの証明はできていないが、副署長の説明に基づいてこれらの点を真実と信じて放送したことについて、相当性が認められ、名誉毀損が成立するとはいえない。
しかし、容疑に対する申立人の認否などに関する副署長の説明は概括的で明確とは言いがたい部分があり、逮捕直後で、関係者への追加取材もできていない段階であったにもかかわらず、本件放送は、警察の明確とは言いがたい説明に依拠して、直接の逮捕容疑となっていない事実についてまで真実であるとの印象を与えるものであった。また、副署長の説明を超えて、単なる一般的可能性にとどまらず、申立人が薬物等を混入させた疑いがあるという印象を与えた。これらの点で、本件放送は申立人の名誉への配慮が十分ではなく、正確性に疑いのある放送を行う結果となったものであることから、放送倫理上問題がある。
フェイスブックの写真の使用やボカシの入った自宅建物の放送については、本件放送の公共性・公益性に鑑みて問題はないと考える。
委員会は、テレビ熊本に対し、本決定の趣旨を放送するとともに、再発防止のために人権と放送倫理にいっそう配慮するよう要望する。

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2017年3月10日 第63号委員会決定

放送と人権等権利に関する委員会決定 第63号

申立人
熊本市在住 地方公務員
被申立人
株式会社テレビ熊本(TKU)
苦情の対象となった番組
『みんなのニュース』『TKUニュース』
放送日時
  • 2015年11月19日(木)
    • 午後4時50分~5時00分 『みんなのニュース』
    • 午後5時54分~6時15分 『みんなのニュース』(全国)
    • 午後6時15分~6時58分 『みんなのニュース』
    • 午後8時54分~8時57分 『TKUニュース』
  • 11月20日(金) 午後6時15分~『みんなのニュース』
  • 11月27日(金)午後6時15分~『みんなのニュース』
  • 12月 9日(水)午後4時50分~『みんなのニュース』
  • 12月16日(水)午後6時15分~『みんなのニュース』
    (年末企画「くまもとこの一年」)

【本決定の構成】

I.事案の内容と経緯

  • 1.放送の概要と申立ての経緯
  • 2.論点

II.委員会の判断

  • 第1.はじめに
  • 第2.名誉毀損の主張について
  • 第3.肖像権、プライバシー侵害の有無について
  • 第4.放送倫理上の問題

III.結論

IV.放送概要

V.申立人の主張と被申立人の答弁

VI.申立ての経緯および審理経過

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2017年3月10日 決定の通知と公表の記者会見

通知は、2017年3月10日午後1時からBPO第1会議室で行われ、このあと午後3時15分から千代田放送会館2階ホールで公表の記者会見が行われた。
詳細はこちら。

2017年6月20日 委員会決定に対するテレビ熊本の対応と取り組み

委員会決定第63号に対して、テレビ熊本から対応と取り組みをまとめた報告書が6月9日付で提出され、委員会はこれを了承した。

全文PDFはこちらpdf

  • 「補足意見」、「意見」、「少数意見」について
  • 放送人権委員会の「委員会決定」における「補足意見」、「意見」、「少数意見」は、いずれも委員個人の名前で書かれるものであって、委員会としての判断を示すものではない。その違いは下のとおりとなっている。

    補足意見:
    多数意見と結論が同じで、多数意見の理由付けを補足する観点から書かれたもの
    意見 :
    多数意見と結論を同じくするものの、理由付けが異なるもの
    少数意見:
    多数意見とは結論が異なるもの

2017年2月10日

「STAP細胞報道に対する申立て」事案の通知・公表

[通知]
通知は、被申立人に対しては2月10日午後1時からBPO会議室で行われ、委員会からは坂井眞委員長と起草を担当した曽我部真裕委員、城戸真亜子委員、中島徹委員に加え、少数意見を書いた奥武則委員長代行、市川正司委員長代行の6人が出席した。被申立人のNHKからは報道局長ら4人が出席した。申立人へはBPO専務理事ら2人が東京都内の申立人指定の場所に出向いて、申立人本人と代理人弁護士に対して、被申立人への通知と同時刻に通知した。
被申立人への通知では、まず坂井委員長が委員会決定のポイントを説明、名誉毀損の人権侵害が認められることと取材方法に放送倫理上の問題ありとの結論を告げた。その上で、「委員会としてはNHKに対し本決定を真摯に受け止めた上で、本決定の主旨を放送するとともに、過熱した報道がなされている事例における取材・報道のあり方について局内で検討し、再発防止に努めるよう勧告する」との委員会決定の内容を伝えた。
この決定に対してNHKは通知後、「BPOの決定を真摯に受け止めますが、番組は、関係者への取材を尽くし、客観的な事実を積み上げ、表現にも配慮しながら制作したもので、人権を侵害したものではないと考えます。今後、決定内容を精査したうえで、BPOにもNHKの見解を伝え、意見交換をしていきます」等とのコメントを公表した。
一方、申立人は通知後、代理人弁護士が報道対応し、申立人本人のコメントとして、「NHKスペシャルから私が受けた名誉毀損の人権侵害や放送倫理上の問題点などを正当に認定していただいたことをBPOに感謝しております。NHKから人権侵害にあたる番組を放送され、このような申し立てが必要となったことは非常に残念なことでした。本NHKスペシャルの放送が私の人生に及ぼした影響は一生消えるものではありません」との内容を公表した。

[公表]
同日午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見を行い、委員会決定を公表した。28社51人が取材、テレビカメラはNHKと在京民放5局の代表カメラの2台が入った。
出席委員は坂井眞委員長、曽我部真裕委員、城戸真亜子委員、中島徹委員、奥武則委員長代行、市川正司委員長代行の6人。
会見ではまず、坂井委員長が委員会決定の判断部分を中心にポイントを説明し「本件放送は、STAP細胞の正体はES細胞である可能性が高いこと、また、そのES細胞は、若山研究室の元留学生が作製し申立人の研究室で使われる冷凍庫に保管されていたものであって、これを申立人が何らかの不正行為により入手し混入してSTAP細胞を作製した疑惑があるとする事実等を摘示するものとなっている。しかし、元留学生が作製したES細胞を申立人が不正行為により入手し混入してSTAP細胞を作製した疑惑があるとの点については真実性・相当性が認められず、名誉毀損の人権侵害が認められる」と、当該番組の問題について説明した。その後、起草を担当した曽我部、城戸、中島の3人の委員が補足の説明を行った。
曽我部委員は「補足として3点あげる。1つ目は、双方の主張は科学的なことにかなり集中していたが、本決定はあくまでこの番組が示した内容が申立人の人権侵害に当たるかどうかなどの観点から判断したことを確認してほしい。2つ目は、調査報道を否定するものではない。本決定は、個別の正確性ももちろん重要だが、それを編集した時に視聴者に与える印象というのも重要だということを示したものだ。3つ目は、この番組は非常に緻密なところと非常に粗いところが奇妙な同居状態にあるという印象を受けた。場面、場面を報道する趣旨が不明確だったのではないか」などと述べた。
城戸委員は「この番組は調査報道、つまり発表に頼らずに自身で検証していくという番組だった。そういう現場が萎縮してしまうようになってはいけないというのが委員共通の認識だった。また、内容自体が大変複雑で専門的な分野に関することだったこともあり、問題の理解や論点の絞り込みなどに丁寧な議論が重ねられたということを報告したい」と審理に臨んだ委員の認識などを説明した。
中島委員は、「調査報道等を萎縮させるべきではないというのはそのとおりだが、調査報道であれば、ゆえなく人を貶めていいかというと、もちろんそういうことにはならない。個人的な意見だが、調査報道というのは第一義的には権力に向かうべきものだと考えている。この番組で言えば、権力は理研なのであって、STAP細胞が理研にとっていかなる意味を持っていたのかを組織と個人という視点から追及するのが本来のあり方ではなかったのかと思う」と述べた。
さらに少数意見を書いた奥委員長代行、市川委員長代行がそれぞれの少数意見が委員会決定とどのように違うのかなどについて説明した。

この後、質疑応答に移った。主な内容は以下のとおりである。

(質問)
編集上の問題があったとされているが、編集が正しくされていれば問題はなかったということか。

(坂井委員長)
番組では、元留学生が作製したES細胞にアクロシンGFPが組み込まれているとは言っていない。しかし、ES細胞という点で若山氏のところに元々あったアクロシンGFPの入ったES細胞と元留学生のES細胞との間につながりが示され、それがなぜ小保方さんの研究室にあったのかという疑問が呈される。若山氏のES細胞と元留学生のES細胞とは時期が違うが、NHKは2年後の保管状況を問題にしていると主張した。しかし、そんなことは番組にはどこにも出てこなくて、STAP細胞の正体はなにかという一つの流れとして出てくる。
そういう事実関係がある時に、例えば「取材で、これは2年後のもので、前の話題の若山研究室のES細胞と同じかどうか分かりませんけれども、でも小保方さんの研究室にこういうES細胞がありました」と言うのであれば、それは事実を事実として言っている訳で、真実性も相当性も出てくるが、番組の中ではそういう区別をしていない。それをちゃんとすれば、というところが、「編集上の…」という話だ。

(質問)
摘示事実c)d)について連続性があるので相当性が認められないということだが、これは編集の問題とは関係ないということか。

(曽我部委員)
摘示事実と言うのはNHKが言いたかったことそのままではなく、視聴者が番組を見てこの番組がどういうことを言っているかを受け止める内容だ。編集の問題がどこに関わるかというと、摘示事実の受け止めに関わる。紛らわしい編集をした結果、この番組はこういうことを言っていると視聴者が受け止めるだろうというのが摘示事実のc)d)だ。
それに対してNHKはc)d)に真実性・相当性があると立証できるかというと、それはそうではない。

(坂井委員長)
端的に言うとES細胞混入の可能性があることは、他の科学論文でも言われている。また、元留学生のES細胞が小保方研究室の冷凍庫から発見されたことは事実だから、それを報道しただけではこういう問題にはならない。しかし、ES細胞混入の話と冷凍庫から見つかった元留学生のES細胞の話を、明示はしていないけれどこの番組のような流れで作ってしまうことで「不正に入手して混入したのではないか」と視聴者が受け止める作りになったのが問題なのだ。

(質問)
(5)と(6)は本来は関係ないことで、それは取材者であるNHKにもわかっていることなのに連続しているような編集をしているということか。

(坂井委員長)
連続しているように見えるし、2年間の時期の違いは知らないはずはない。専門的な知識の話ではなく、事実の話だ。
元留学生のES細胞にアクロシンGFPが入っているかどうかを、NHKが分かっていたかどうかは委員会には分からない。委員会決定は、分かっていたかどうかはともかく、そういう作り方をしてしまったら視聴者にはこう見えるということを指摘している。アクロシンGFPが入っているかどうか分からなければ、分からないと言い、元留学生のES細胞の発見は2年後のものだときちんと言えばこんな問題にはならない。
なお、時期については、この問題に詳しく、2年の時期の差が分かる人が見たとしても、この作りでは意味が分からなくなるので、やっぱり(5)(6)を繋がったものとして見るだろう、と委員会決定には両面から書いてある。

(質問)
確かにあの作りだとアクロシンGFP・ES細胞と冷凍庫にあった元留学生の由来の分からないES細胞がつながることが問題だというところは分かった。では、元留学生のES細胞とアクロシンとの関係を明示して、「ES細胞の混入があったのではないか」「元留学生のES細胞が小保方さんの研究室にあった」と分けて表現するような編集の仕方であれば人権侵害にはならないという理解なのか。

(坂井委員長)
摘示した事実について真実性・相当性が立証できれば名誉毀損は成立しない。
そもそもNHKは別の話だと言っていて、元留学生のES細胞が、なぜ小保方研究室にあったかを、理研の保管状況がいい加減だという趣旨で問うていると主張している。
しかし、番組ではそういう作りになっていない。元留学生のES細胞の樹立当時にSTAP細胞研究をやっており、それが混入したのではないかという文脈ではない。逆にそういう事実があるのであれば、STAP細胞研究当時に元留学生が作ったES細胞があった、それが混入したのではないかという話をする分には、そのような事実を立証できればいいわけだ。
疑惑を提示するなら「疑惑を提示する」と言って、その疑惑を持つにはこういう裏づけ事実があると言えば人権侵害にならない。けれど、この作りで提示された事実については裏づけ事実はない、という構成だ。

(質問)
確認だが、アクロシンGFPが入っているES細胞が若山氏に心当たりがあるというところで話を止めて、一方で若山研にあった元留学生が作ったES細胞が小保方氏の冷凍庫にあったという事実を提示して、なぜここにあったか答えてほしいというナレーションが入るというような作りであれば問題なかったのか。

(坂井委員長)
私どもが言っているのは、ちゃんと区別をする作り方ができたのではないかということだ。区別ができるならば、今、あなたが言ったような作り方もあると思う。
専門知識を持った人は分析的にみられるが、普通の人はSTAP細胞、ES細胞、アクロシンGFPなどは知らないし、そういう人は番組を分析的に見ないから、ここは違うな、とはわからない。だから、そこをちゃんと区別していくということは大事ではないかということだ。

(質問)
つまり元留学生が作ったES細胞があたかもアクロシンGFPが入ったES細胞であったかのように、見た人が誤解してしまうところがいけないのか。

(坂井委員長)
正確に見たら元留学生のES細胞にアクロシンGFPが入っていたのかどうかということを考えなければわからないという理屈はある。しかし、あの番組を普通の人が見る場合、アクロシンGFPの説明の部分で印象に残るのはES細胞混入疑惑なので、その後に元留学生の作製したES細胞というのが出てくると、こっちにはアクロシンGFPが入っていないから関係ないとは思わないのではないか。

(市川委員長代行)
それは、少数意見の私も同じで、STAP細胞がES細胞に由来しているのではないかという疑惑があるという所まで映像が進んで、次に若干の映像は入るが、元留学生のES細胞があったという映像がでると、それはやはりSTAP細胞が元留学生のES細胞に由来すると、当然繋がって理解されるだろう。
もしそういう意図が無いのであれば、そこはきちっと切り分けて、そういう印象を与えるような映像にはすべきではなかった。こうすればよかったという仮定の議論は色々あると思うが、そこの点では基本的には私も同じ意見だ。

(質問)
アクロシンGFP入りのES細胞が、どうもSTAP細胞の正体らしい、それが若山氏のラボにあったというファクトが提示される。一方で、それとは関係のない細胞だったけれども、若山氏のラボにあったはずの元留学生の細胞が、小保方氏の冷凍庫にあったという、この2つのファクトを提示されたら、見る人は小保方氏は不正な方法で細胞を入手する人だと思ってしまうのではないかと思う。そうだとしても、そこはファクトを放送しているのだから、人権侵害にはならないという判断でよろしいのか。

(奥委員長代行)
私の考えは、今あなたがおっしゃったような考えだ。疑惑を追及するには相当性があった。だから名誉毀損とは言えないという話だ。委員会決定は、要するに繋がっているから、このES細胞は元留学生のES細胞だと言っている訳だ。そこまでは、事実摘示されてないというのが、私の考えだ。

(曽我部委員)
今の質問は、今回の番組とは違って別々に提示したとしても、やはり視聴者はそう見るのではないかという趣旨かと思う。
その場合、これはもちろん具体的な作りによるが、別々に提示した上であれば、それぞれ根拠は言える。しかし、今回の番組はそこは言えないという点に違いがある。要するに、元留学生の細胞が小保方研にあったということ自体は事実だ。そこに一定の根拠があるので、疑惑が持たれたとしても、それは正当な指摘だということで、名誉毀損にはならないかもしれない。
今回の番組は、そこについて根拠が提示できなかったので、許されない名誉毀損であると判断された。社会的評価が低下したとしても、根拠があれば許される。今回は根拠が無かったので、許されない名誉毀損であるとされた。

(坂井委員長)
もう一言言わせていただくと、別々に提示してもそうなってしまうのではないかとおっしゃるが、問題は提示の仕方なのだ。今の質問は、「違う話ですよ」とわかった上で、別々と言っているからいいが、テレビの作り方においては、いろいろなテレビ的技法があり、別々に提示した形をとっても一般視聴者には別々に見えないような内容にすることだってできる。これは明らかに別の問題だということをわかるように提示すれば、それはありかもしれない。
それがまさに編集上の問題と言っていることとも繋がると思う。別々に提示すると抽象的に言っても、いろんなやり方がある。そこのところを、理解して頂けたらなと思う。

(質問)
電子メールのやり取りのくだりだが、「科学報道番組としての品位を欠く表現方法」という所が出てくるが、申立人の主張の概要を見ると、「科学番組という目的からすると重要ではない」とある。あえて「科学報道番組としての品位」という表現を入れたのは、一般の報道番組と違うという趣旨か。

(坂井委員長)
メールの内容はほとんど具体的なことは言っていない。それをわざわざ男性と女性のナレーターを使って、何か意味ありげに表現するのは、その番組の目的からしてどうだろうか、ということだ。
世間的に大変話題になった問題を調査していく科学報道番組と、いわゆるバラエティとか情報バラエティの中で作っていくのとでは、自ずからその表現は違うと思う。この番組は、硬派というか、高い公共性を持ってやっていく中で、それほど重要でないメールの内容を、あのやり方で表現するというのはどうかなという、そういう趣旨だと私は考えている。

(質問)
メールの所だが、中身は一応論文作成上の一般的な助言だということで放送倫理上の問題が無いということだが、声優による吹き替えで男女の関係を匂わせるといって、メールの文章を書いた本人がこういう形で訴えている。放送倫理上問題があるとまでは言えないとした根拠は何か。

(坂井委員長)
そこについては、見解の違いとしか言いようがない。これは委員会決定としてはここに書いてある通りだが、私としては、いかがなものかと思っている。この番組のテーマからは、ここが必要だとは、私は個人的には全然思っていない。
ただ、こういう決定となったのは、放送されたメールの内容が一般的な時候の挨拶というレベルの話で、男女関係とは全然関係ないということがある。その前に週刊誌の記事があったということがあって、そう見えてしまう人もいるという話だ。
問題があるとすれば、男性と女性のナレーションの仕方で、個人的にはこの番組でこういうことをやる意味があるのかと思ってはいるが、言葉の内容としては、大した話ではない。そうすると、そのようなやり方でナレーションに女性と男性の声を使ったということだけの問題になってしまう。それについて放送倫理上の問題という話なのかというと、そこまでは言えないということだ。

(質問)
委員長代行という重い職責と見識を持った立場の2人が、結論に異を唱えている。奥代行の指摘されていることと委員長たちの意見とは、根本的に報道の在り方について考え方の違いがある。それは小異ではなくて、今後にも非常に大きな影響があることだと感じた。
代行があくまで意見を全体に賛成されなかったのは、「そこの所については、やはりどうしても違う」ということだと推測する。それでもなお、人権侵害勧告という最も厳しい判断を、それだけ重要な少数意見、異論が出ているのを踏み越えて下された、という委員会の運営の在り方について、委員長はどうお考えか。

(坂井委員長)
全く問題はないと思っている。委員長代行も一委員に過ぎない。委員長も一委員だ。だから、9人の委員で審理を進めていって、全員一致になればいいし、ならなければ多数決で決めると運営規則に書いてある。どの事案もそれに沿って淡々とやっていくだけだ。だから、代行の意見だから重大だということでもないし、また、2人の少数意見が出たということは、べつに珍しいことではない。

(質問)
確認だが、元留学生の作ったES細胞にアクロシンGFPは組み込まれていないとあるが、これは確認されている事実なのか。

(奥委員長代行)
それはわからない。今となってみれば、組み込まれていないということはわかっているが、放送の時点でNHKが取材でどこまで把握していたかということはわからない。NHKにヒアリングした際には、残念ながら、これは聞いていない。聞けばよかったと思っている。

(質問)
ここの部分が無くても、委員会決定を作る上で問題が無かったということなのか。

(坂井委員長)
アクロシンGFPが組み込まれているかいないかをNHKが知っていたかどうかということは、委員会決定としてはそんなに重要ではない。前半部分でアクロシンと言っているけれど、後半部分ではアクロシンということは言っていない。後半部分では若山研にあったES細胞という点で元留学生のES細胞が繋がってくる。番組の中でそうやって繋げてしまっているので、もうそれで、我々が摘示事実と認定した事実は認定できてしまう。逆に言うと、アクロシンGFPがもし入っていないと知っていてこのような放送をしたのならば、なお、この作り方は悪いという話になる訳だ。
NHKのここの部分の主張は、(5)と(6)とは違う話だということで、繋がっていないという主張だ。だから、アクロシンGFPが入っているかどうかということに焦点が行かないで終わった。番組の作りとしては、アクロシンGFPと言っていなくても、そう見えてしまう、摘示事実の認定としてはそれで足りる訳だ。

(質問)
取材手法に放送倫理上問題があったということだが、取材依頼に対して拒否された場合、我々も接触したいと思ってあらゆる出口で待ちかまえたりすることもある。この「執拗に追跡し」というのはケースバイケースだと思うが、どのような場合に、「執拗に追跡し」と認定されるものなのか、もう少し説明していただきたい。

(坂井委員長)
なかなか一般的基準を作るのは難しい。取材対象者の立場とか、時間帯、取材者の人数などの要素がある。我々が書いたのは、少なくとも、NHKが言った通りだとしても、3名の男性記者やカメラマンが二手に分かれて、エスカレーターの乗り口と降り口とから挟み、通路を塞ぐようにして取材を試みた。それを避けるために別な方向に向かった申立人に、記者が話し掛ける、というようなことだ。抗議を受けて、NHKも謝罪している。そこまでについては争いがなくて、そこに限ってみても、それは行き過ぎだろう。
繰り返しになるが、アポイント無しで直接取材を試みることは、許されない訳ではない。許されるケースはたくさんあると思う。けれど、拒否された時にどこまでできるのかということは、ケースバイケースで違ってくると思う。
その人の立場にもよる。公的存在と言っても、首相から始まって、そうではない存在まである。公務員であっても一括りにできない場合もある。

(質問)
NHK側は、「客観的な事実を積み上げたものなので、人権を侵害したものではないと考える」というようなコメントを出したようだ。通知の時にそういう意見表明があったかもしれないが、それについてどのように考えるか。

(坂井委員長)
私はまだそのコメントを聞いていない。正確に聞いた上でなければ考えを出しようがないし、基本的にはNHKの言うことに対しては、「そうですか」と言うしかない。

(質問)
元留学生のES細胞の件だが、これを不正に入手したかどうかの裏付けはもちろん取れていないと思うが、編集上きちんと視聴者にわかるように区分けすれば、その元留学生のES細胞が小保方研の冷凍庫から見つかったというファクトだけを、うまく視聴者にわかるように切り離せば、ファクトとして出すこと自体は問題ないという認識と理解してよいか。
それとも、やはり入手が不正であるという、それなりの裏付けを、なぜそこにあったのかという所まで、踏み込んで取材をしなければならないという認識なのかを確認をしたい。

(坂井委員長)
私の意見だが、1つは元留学生のES細胞があったという話と、不正に入手したという話は別だ。だから、それは分けなければいけない。
そして、おっしゃっている趣旨が、元留学生のES細胞が、小保方研が使っている冷凍庫から見つかったということだけを、ファクトとして、それだけを切り離して言ったらどうかというと、それは事実だ。
ただ、おそらくそういう報道する場合は、反対取材をしなければいけないという理屈も当然あるから、小保方さんに、「どうしてあったんでしょうか?」と、普通は取材をするし、そういう情報が付いて出てくる可能性はある。
仮定の問題として、ファクトだけとおっしゃるのであれば、そういうことは当然あり得ると思うけれども、その場合も、放送の中で他の要素がそれと繋がって出て来た時に、そのファクトだけで止まるのかどうかが問題なのだ。
要するに番組として、そのファクトだけを報道したと言えるのかどうか、言い換えると、ある一定の報道の中で、そのファクトが出た時に、それがどういう意味を持つのかということは、やはり十分考えなくてはいけないだろうと思う。

(曽我部委員)
視聴者に別問題とわかるように提示したとしても、順番としては続いているので、単に元留学生の細胞が小保方研から見つかりました、ということだけを示したとしても、疑惑を強めるような受け止めになるのではないかと思う。
その時に、結局、小保方さんもそれなりの経緯を主張されている訳で、そちらに触れずにやると、やはり根拠のない疑惑の提示ということになる可能性もあるのではないかと思う。その場面を出す趣旨と、出し方に依存するのではないか。

(質問)
最終的に後になってファクトとしてわかったものとしては、小保方研の冷凍庫に実際にいっぱいあった由来のわからないES細胞の1つが、まさにSTAPの正体だったということが、第二次調査委員会で言われた訳だ。そうだとすると、あのタイミングではわからなかったかもしれないが、後からやっぱり事実だったと言えることになる。そういう場合は、どのような見解になるのか。

(坂井委員長)
今の話で抜けているのは、「不正に入手した」というような点を抜きにして、「正体は何だったのか」という議論をしているところだ。番組の話とはちょっと違う所があると思う。
番組が名誉毀損と言われた要素の重要な部分はd)の所だ。今の話は、正体が何だったかという所で、ちょっと話が違う話になっているような気はする。
名誉毀損にならない事実摘示であれば、当然、いい訳だが、名誉毀損となる場合でも、公共性・公益目的が認められて、真実性が立証できるのであればいい。真実性が立証されるとまではいかなくても、これを信じたのは理由があるとして相当性ありということになれば名誉毀損は認められない。
今回の場合、問題なのは摘示した事実の裏付けとなるものが、示されていないというのが大きい。

(市川代行)
おっしゃる通り、小保方研の冷凍庫に他にもES細胞があって、その中の1つが、第二次調査報告書ではSTAPの由来とされていたES細胞と一致したという事実は、確かにあった。ただ、そのES細胞と元留学生のES細胞は違う訳であって、いかに、その冷凍庫の中にそれがあったからといっても、その元留学生の細胞だけ取り出して来て、「これがSTAPなのではないか」という所までいった所が、やっぱり、私は踏み込み過ぎではないかと思うし、おそらく多数意見も同じなのではないか。少なくとも、この元留学生のES細胞について、STAPとの関連性というのは証明できていない。やはり、そこは相当性なし、と言わざるを得ないのかと思う。

以上

2017年1月31日

中国・四国地区意見交換会

放送人権委員会は1月31日、中国・四国地区の加盟社との意見交換会を広島で開催した。中国・四国地区加盟社との意見交換会は2011年以来3回目で、21社から60人が出席した。委員会側からは坂井眞委員長ら委員8人(1人欠席)とBPOの濱田純一理事長が出席し、「実名報道原則の再構築に向けて」と題した曽我部委員の基調報告と最近の4件の委員会決定の説明をもとに3時間50分にわたって意見を交わした。
概要は以下のとおりである。

◆ あいさつ BPO濱田純一理事長

このBPOという組織は、放送の自由を守る、そしてまた放送の自由というものが社会にしっかりと受け止められていく、そういう流れを作っていこうということで、日々、努力している組織でございます。どうしても人権問題とか、そのほか番組上のいろいろな課題が出てきますと、そこに政治、行政、あるいは司法というものが関与してくるリスクというものがありますけれども、私たちが考えていますのは、そういった問題、つまり市民社会の中で起きる問題というのは、基本的に自分たちの手で解決をしていこうと、そのようにすることによって、社会そのものも成熟していくはずだし、ただ放送事業者だけが自由を主張するのではなくて、社会にとって放送の自由が必要なものだと、ほんとうの意味で受け入れられていくようになると、そういうことを理想として目指しております。
BPOでは各委員会が決定など、さまざまな判断を出します。私たちが期待しておりますのは、その決定、判断、そういうものが出たという、それだけで終わるのではなくて、そこで出た内容というものをしっかりと消化していただく。場合によっては、委員会の判断に疑問あるいは別の考え方が皆さま方の中にあるかもしれませんが、そういうときには、こういう意見交換会のような場であるとか、あるいはBPOから講師を派遣して皆さまに説明をするという、そういうことも柔軟にやっておりますので、そうした機会を利用して一緒になって放送の自由というものを作り上げていこうと、そういうふうに考えております。
そうした意味で、きょうの会合というのは、ただBPOの委員会が判断したことを皆さまにお伝えするだけではなくて、一緒になって放送の自由というものを作っていく、そういうまたとない機会だと思っております。ぜひ皆さま方も積極的にご発言いただき、そして中身が充実しますよう、ご協力いただければと思っております。

◆ 基調報告 「実名報道原則の再構築に向けて」 曽我部真裕委員

直近で相模原殺傷事件というのがございまして、あのとき被害者の氏名が発表されず、改めて匿名、実名という問題がクローズアップされたところであります。少し前ですけれど、2013年にはアルジェリアで日本企業の社員が人質になって殺害されたという事件がありましたが、あのときも日本政府は被害者の氏名を発表しなかったというところで問題になりました。
それから、昨年、実名報道の可否が中心的に争点になった訴訟があり、最高裁まで行ったものがございます。報道界がかねて主張してきた実名報道の意義が裁判所によって認められ、実名報道は名誉毀損であるという原告の訴えは退けられました。ただし、同時に「犯罪報道については被疑者の名誉の保護の観点を重視すれば、被疑者を特定しない形で報道されることが望ましい」と述べていて、報道界の主張の正当性を積極的に認めたとも言いきれない、実名報道原則については引き続き議論を深めることが求められると、レジュメに書かせていただいています。
報道機関の考え方
皆さま方はよくご存じだと思いますが、議論の出発点として確認させていただきたいと思います。
ポイントは3つあると思うのですが、まず大前提として、発表段階で匿名にするか実名にするかという話と、報道段階で匿名にするか実名にするかという話は区別するということです。その続きで、発表段階、主に警察が多いと思いますけれども、警察は実名で発表すべきであると報道界は言っていて、新聞協会も放送局も発表段階では実名発表すべきだという主張をされています。その上で、報道段階で実名にするかどうか匿名にするかは報道機関が独自に判断をする、発表する側は余計なことを考えずに実名で常に発表すべきであると、そういう考え方を取っておられる。
実名報道が原則という理由として主に3つ挙げられています。実名は5W1Hの中でも事実の核心であるということ、それから、実名発表がないと、直接その人に取材に行く手がかりがない、それから、実名があれば間違いの発見が容易になり真実性の担保となる。これは、2005年の「犯罪被害者等基本計画」に関するBRC声明でも触れられているところです。例外的に匿名報道をすべき場合もあるが、その判断は発表する側ではなくて報道機関がする、その責任も報道機関が負うと報道機関は主張されているわけですが、実際どうかと申しますと、こういう考え方は必ずしも発表側、とりわけ警察に受け入れられているわけではない、警察の匿名発表が問題だというご意見をあちこちで聞くわけです。
報道機関は、匿名発表が横行する理由として大きく2つの理由を挙げておられます。個人情報保護意識の高まりという社会的な状況ということが1点、これはインターネット時代になって、いつ名前をさらされ、いろいろな攻撃を受けたりするかわからないということで、なるべく名前を出さないというような意識が定着しているということです。それから、法令等による制度的な要因もあるんじゃないかと、よく言われるのは個人情報保護法ですね。個人情報保護法が10数年前に施行されてすぐに、例の尼崎のJR西日本の脱線事故が起き、なかなか被害者の名前が提供されなかったわけです。過剰反応問題とかいろいろあって、個人情報保護法があることによって取材を受ける側が個人情報を出してくれなくなったということです。それから、これはもう少し文脈が限定されたことですけれども、犯罪被害者基本法というのがあり、被害者の保護がここ10何年か重視されるようになって、被害者の名前がなかなか発表されないようになってきている、こういったものが法令に基づくような実態であるということです。
報道機関の側は、個人情報保護法を改正して報道に対する配慮をより明示的に盛り込むように主張されていますが、なかなか認められないわけです。個人情報保護法は2015年に比較的大きく改正され、ことしの5月に全面施行されることになっていますけれども、結局、報道機関の意見はこの改正でも認められなかったということになります。
警察にしてみれば、実名で発表するか、匿名で発表するかは裁量であるというのが制度の理解として正しいだろうと思うんです。そういう中で、匿名発表を選ぶというのは、それだけ何らかの理由があるだろうと、冒頭申し上げた報道機関による実名発表原則の主張が、必ずしも受け入れられていないのだろうと個人的に思うところです。
実名報道原則をめぐって
匿名、実名の判断の責任は報道機関が負う、だから、発表側は余計なことを考えずに実名で常に発表すべきであると申し上げましたが、この命題が、実はなかなか難しいんじゃないかということをまず申し上げたいと思います。実名にするにしても匿名にするにしても、その責任は各社が負うというのがこの命題の前提にあるだろうと思います。つまり、個々の社の責任範囲が特定できる、確定できるということが前提になっていると思いますが、実名で報道される側は、これは個々の社がどうだというのではなくて、メディア全体としての責任を考えるというふうに思うのが通常だろうと思うわけです。そうすると、責任主体についてギャップがある、メディア総体について考えた場合に、個々の社の責任範囲が確定できるかということになるのでありまして、そういう意味で、この命題というのはなかなか理解されにくいように思われます。
実名報道は事実の重みを伝える訴求力があると、実名報道原則を主張されているわけですけれども、この点は確かにそのとおりだろうと思います。しかし、実名か匿名かが問題になるときは、例えば大きな報道被害があったり、そういうシビアな局面を考えているので、そういうときに実名報道が原則だからという一般論で押し切れるかというと、なかなか難しいだろうと思うわけです。
それから、実名報道によって権力者を追及するという命題、報道機関の側からよく言われるわけですが、これは確かにそのとおりで、例えば政治家の不祥事とか公務員の職務犯罪については実名報道がなされなければならないと思います。ただし、権力者を追及するという理由で実名報道ができるのはその範囲でありまして、例えば被害者とか公務員でない人については、実名報道がこの理由では正当化できないと考えざるをえないわけです。
レジュメでは「一貫性に疑問も」と書いていますが、例えば、暴力的な取り調べを行った結果、冤罪につながったとして国家賠償訴訟が起こされたり、捜査段階で無理な取り調べが行われ、一旦有罪になったけれども最終的には無罪になって取り調べが違法だったと訴訟が起こされたりするケースが時折あります。その時にどんな取り調べをしたのかということで、当該警察官を証人尋問で法廷に呼んでくるわけですけれども、その警察官の名前を出さなかったりする例があるんじゃないかという批判があったりもします。実名にして何の差支えもないと思うんですけれども、実名報道によって権力者を追及するということとの一貫性はどうなのかとかいう批判もあるところです。
被害者報道について実名を主張する場合に、「被害者だって伝えたいことがあるはずである」という指摘が報道側からなされることがあります。これは、結局人によるということですね。匿名を望む被害者がいることも事実ですし、時の経過も被害者の心情に影響するということだと思います。最近、被害者学という学問が発達してきていると言われております。私は全く素人ですけれども、ちょっと論文を引用してご紹介しますと「被害者遺族は死別直後の〈孤立〉感の中で、〈取材攻勢〉を受け、〈記者集団への恐怖〉など様々な傷つきを負った。さらに、〈世間の冷たさ〉が追い討ちをかけた。一度は〈取材拒否〉になるが、〈他の遺族を支えに〉裁判を経験したりする中で自身の体験を世に〈伝えたい〉、理解して欲しいと考えるようになった。これが認知の転換である」と、被害者の認知の転換というのが起こり得ると、言われたりすることもあるんです。そうはいっても、被害者の思いというのは多様で複雑で、被害者は自らの意思で事件や事故に関わりを持ったわけではないということを踏まえれば、実名報道を認めるか否か、どういう形で取材に応じるかについては、その意向が尊重されてしかるべきだということが求められるのではないかと思うところです。
一層の説明努力と社会へ広く発信を
以上のようなお話を踏まえ考えますと、以下のようなことが今後求められるのではないかということです。
まず1つ目は、実名報道の論拠に即したルールの確立というところで、あらゆる場合に実名報道が原則だということを言うためには、そのための論拠が必要だと思うわけです。もう少し、実名報道の論拠というものを考え直してみることも求められるのではないかということです。
2番目として、関連しますけれども、もちろん実名報道すべき場合も多いと思うわけですけれども、その一方で、やはり、いわゆる報道被害というものは確実に生じているわけです。その被害の実情を直視したルールの確立ということも求められるのではないかということです。
3番目、開かれたルール作りとありますけれども、これは率直に言って、実名報道に関するルールというのは報道機関が自分たちで作って、それを世間一般に「理解しろ」と言っているところがあると思うわけです。被害者側、報道被害者側とすると、必ずしも自分たちの思いとか、状況を汲み取ったものではないかもしれない。関係するアクターに開かれたルール作りが求められるのではないかと思うわけです。
それから4番目、実効性確保の必要性ということで、メディアスクラムについてはかなりルールが整備されてくるようになったと聞いていますが、例えばテレビ局の報道部門はちゃんと守っていても、バラエティーとか情報番組を作っているところは守らないというようなところもあって徹底していない。報道でない部署とか週刊誌まで含めると、必ずしもメディアスクラムの防止の努力が取材対象者側に伝わっていないところもあるように思いますので、その辺りも含めてより一層の努力が求められるのではないかということです。
それから最後に、こういう取り組みをしていますということを、社会に向けて広く発信し、説明し、理解を得ることによって、最初に戻りますけれども、警察の裁量で匿名発表にしているところが、もう少し実名発表の方向に振れて行くような流れになるのではないかと考えている次第です。

◆ 基調報告の補足説明 坂井眞委員長

私が弁護士になったのが、31年ほど前ですけれども、その頃に共同通信の記者だった浅野健一さん、後に同志社の教授になった方が『犯罪報道の犯罪』という本を出されました。当時の犯罪報道は全部実名で、逮捕、起訴されただけでほとんど有罪みたいな報道がなされていて、「それは人権侵害じゃないか」という書かれ方でした。我々はそれを報道被害だと言って、当時のメディアの方から「報道による被害とは何事だ」と言って怒られたりしていたのが、今や報道被害という言葉は市民権を得てしまいました。
最近、若い弁護士と話をしますと、「実名で報道する意味なんかあるの?」と言う人がいるわけです。人権感覚もありメディアの報道の価値も認める方がそういうことを言う。かつて「匿名にしろ」と言っていた私は「え、何言っているんだ」と。逆の立場になって、報道は実名でやることに価値があるんだ、事実を伝えることはまず実名ではないかと話しているという、ちょっと怖い状況があるということです。
そういうことを含めて、曽我部委員は論文の最後のところで「匿名発表の傾向を押しとどめるためには、遠回りのようにも見えるが、実名報道主義の再構築による信頼確保が鍵となるのではないか」とまとめておられるわけです。
出家詐欺報道。結局、これも匿名化はしました。しかし、顔も映さず、服も替え匿名化したから逆に取材が甘くなって、捏造とは言っていませんが、明確な虚偽を含む報道をしてしまった。それが、安易な匿名化がもたらす問題性ということだろうと思います。
再現ドラマについて。情報番組やバラエティー番組で、現実にある複雑な社会問題を視聴者に分かりやすく効果的に伝える手法として再現ドラマをやる、これはいいでしょうと。けれども、再現ドラマと言いつつ、現実と虚構をないまぜにしてしまう、そこで、どこまで真実を担保するのか、そういう視点が不十分じゃないか。実在する人を使って再現ドラマと言いながら、「ちょっと面白いから」とバラエティー感覚で事実と違うことを入れちゃう、そうすると、実在する人について事実と違うことをやったと受け取られたりするわけです、匿名化が不十分だったりすると。「再現ドラマだから、こんなもんでいいだろう」という甘さがあるということですね。番組として事実を取り上げて、意見や方向性を示すことは当たり前ですから、当然認められます。だけど、その前提として、取り上げる事実に対しては謙虚な姿勢が必要なんじゃないでしょうか。ストレートニュースの場合はあまり考えないと思いますが、再現ドラマだと面白くしようみたいな誘惑があるんじゃないか。取り上げられた事実の中には生身の人間がいるわけですから、きっちり匿名化して傷つけないようにしなくちゃいけないと思うのです。
私も関わった事件ですけれども、柳美里さんという方が『石に泳ぐ魚』という小説を書いて事件になって、名誉毀損、プライバシー侵害が最高裁でも認められました。これはモデル小説なんですね。名前も変えていて普通の人はどこの誰だか分からない、それでも名誉毀損やプライバシー侵害が起きますよという判決が確定しています。古くは、もうちょっと誰だかわかる小説で、三島由紀夫さんの『宴のあと』、これもやっぱりモデル小説でも名誉毀損が起きると言っているわけです。
再現ドラマはもっと現実に近い扱い方をすることが多いので、小説の世界でこれだけ確定していることについて、放送メディアは十分に理解していないんじゃないかということを法律家としては考えます。

◆ メイドカフェ火災で死亡した3人の実名報道をめぐる意見交換

基調報告を受けて、広島市内のメイドカフェの火災(2015年10月)で死亡した3人について実名で報道するかどうか報道各社の対応が分かれた事例を取り上げ、各局の報告をもとに意見を交わした。
【A局】 3人とも実名報道
まず警察から報道機関への発表の段階で、実名発表にするかどうかでやり取りがあり、1人目の男性客を警察は実名で発表しました。その後、残りの2人については、遺族から「発表しないでほしい」という強い意向が警察に伝えられたということもあって、警察からは匿名で発表しようという方針が示されました。これに対して記者クラブは、1人目を実名で発表していることとの整合性がとれないことや、匿名で報道するかどうかは報道機関に責任を負わせてほしいという意向を伝え、結局、警察が実名発表に切り替えたということがありました。
その上で、報道機関として実名で報道するかどうかというところですが、ここは各社対応が分かれました。まず、このメイドカフェというのが風俗店なのかどうかが、1つのポイントになりました。わが社としては、警察や元従業員、お客さんなどに取材して風俗店ではないと判断しました。死亡した1人目の男性客を実名で報道していたので、2人目、3人目を匿名にすると整合性がとれないところがあったので、この2点を踏まえて3人とも実名で報道しました。メイドカフェは2階部分に個室があって、マッサージをしていたというような話もあったりして、風俗店かどうか非常にグレーな部分があったので、対応が分かれたのではないかと考えています。
【B局】 実名原則に則って報道
基本的にA局と一緒です。記者クラブと警察当局とのやり取りがあったと聞いておりまして、実名原則ということに則ってやる。ただし、名前を繰り返し連呼しないとか、「これが配慮か」と言われたらどうかわかりませんけれども、そういったことに気をつけて出稿したと聞いております。
メイドカフェと1回書かないと、なかなか店舗の実態が分からない、雑居ビルの中にある、そういう店だということをメインに原稿を書きました。記者からは、どこの報道と言うわけではないんですが、いかがわしい店では全くないのにメイドカフェの客と従業員という理由で匿名で報道されたら、ちょっと納得いかないという現場の声もあったという、そういったいろいろなことを加味しながら判断したという状況です。
【C局】 2人目の死者からは匿名報道
最初の1人は実名報道をしました。まだどういった店だかわからない、全体の被害の程度がわからない部分があって、警察が発表したということもあり、とりあえず実名が原則だろうと報道しました。
その後、どんな店かということが次第に明らかになってきて、個室があって非常に逃げにくい状況があったと。どこまでがいかがわしいのかわかりませんが、風俗店に近いようなサービスが行われていたのではないかという話があった段階で、デスクと記者といろいろ話をして、ひょっとすると被害者の方はこういうところで亡くなったということを報道されたくないのではないかと推測しました。それで、総合的に判断して、最初の方は実名で報道しましたが、途中からは匿名に切り替え、2人目の男性客と従業員の方は匿名にして年齢と性別だけ報道しました。
【D局】 2人目の死者からは実名をスーパー処理
実名報道の原則というのが1番ですが、逆に名前を出さないことによって、いかがわしい店であるような誤解を与える恐れがあるというようなことも考え、実名報道をしております。
ただし、やはり風俗店のように誤った印象を与える可能性もあるということもあり、2人目の死者の客の方はコメントでは触れずに、スーパー処理で名前と年齢を出していると、3人目の従業員も身元判明ということで1度だけ触れるという形で出しております。顔写真も手に入れておりましたが、出しておりません。1人目の方は、翌日に警察の発表があったということで、その日のニュースでは実名報道し、2人目、3人目については身元判明という観点から1度だけそういう形で出しました。
(曽我部真裕委員)
局によって対応が分かれたということで、大変難しい事案だったのだろうと思います。後付けで、どちらが適当であったということは全く申し上げられないのですが、結局、被害者の方の名前、新聞では住所まで出ていますけれども、それがニュースになるのか、どの程度のニュースなのかということですね。例えば、匿名にすることによって、その周辺のディテールは当然ぼやかして報道せざるを得ないわけですけれども、本件で匿名にすることによってそういう影響があったのかどうか、そういった点も考慮要素になるのかなというふうにも思います。
それから、先程申し上げたお話との関連では、記者クラブが警察に実名発表を求めて、それが実現したというのは非常に適切な対応だったのではないかなと思います。
(坂井眞委員長)
このメイドカフェ火災というニュースを報道する価値は当然にあると。初動の段階で、被害者がこういう方だと書くことで、何か権利侵害を引き起こす恐れはあまりない、一般的にない。
その後、実はこれはメイドカフェで、いかがわしかったかもしれないということが判明した段階で変えるというのは、私はありだと思う。2階が個別の部屋になっていて火災になった時に逃げづらいとかいう話があるんだったら、「そういう営業形態は問題があるんじゃないか」というニュース価値もあるわけだし、そういう場合に、誰が死んだのか実名を報道することに意味があるのかと考えると、そこでバランスを変えて匿名にしてもいいんじゃないのかという気がしています。
(曽我部真裕委員)
そもそも火災の被害者を実名で報じることの意味を考えてみる必要があるのかなというふうに思う。被害者の無念の思いを掘り下げて、別途取り上げたりするのであれば、誰が亡くなったのかは非常に重要だと思うんですけれど、単に亡くなったというだけのために名前を出すことに、いかなる意味があるのかというあたりから、問題を考えていくのが良いのかなというふうに思うんです。
重要な事件は報じることに公共性があると思うんですけれども、被害者は、そこに自発的にかかわった方々ではないですね。被害者については極端に言うと、実名報道が原則かどうかも更地から考える余地もあるのかなという気はするんです。加害者とか被疑者、被告人は自分で事件を起こしたわけですので、当然実名報道が原則で、非常に微罪であるとか、そういう例外的な場合は匿名だと思うんですけれども、被害者については、それでも実名ということであれば、明確に説明できる論拠を掘り下げる必要があるんじゃないかと、個人的な意見ではありますけれども、思っております。
(坂井眞委員長)
日弁連が、アメリカ、カナダへメディアの調査に行った時に、ニューヨークタイムズへ行ったんですね。9.11の2,3年後で、4千人ぐらい亡くなったんですかね。ニューヨークタイムズはその名前を全部調べて報道したということがあって、その時、日本ではすでに個人情報保護法が肥大化して情報が出てこない、警察が出さないみたいなことがあったので、情報公開を使わないのかと聞いたら、そんなものを使っていたら時間が経ってしょうがないから、自分で調べるんだと言って報道したわけです。火災の被害者の名前を出すことの意味は、具体的にはすぐには説明出来ないけれども、9.11の時に4千人死にましたというニュースと、これだけの実名の人が死にましたというニュースの価値は同じなのかというと、やっぱり出す意味はあるんじゃないのかと。
全部実名にしろとは言っていないので誤解はしてほしくないが、そこをメディアの側から言ってもらわないと、なかなか今の流れが止まらなくて、ほんとに情報が流れなくなったらどういう社会になるのかというと、わたしは非常に気持悪いので、若い弁護士にそれは違うんじゃないのと言っているわけです。
(奥武則委員長代行)
新聞協会の2006年版の『実名と報道』は、わたしも大学の授業の資料に使ったりしたんですけれど、これは基本的に加害者の話ですね。実名報道を批判する浅野健一さんの本(『犯罪報道の犯罪』ほか)も、容疑者の名前を逮捕された段階で実名で出すことによって犯人扱いされてしまう、そういう話だったんです。それが、個人情報保護法とかいろいろあって、被害者の側はどうするのか、新聞協会もこの原則(2006年版『実名と報道』)を作った時には、おそらく、その点をしっかり考えていなかったんですね。確かに曽我部先生が「実名報道原則の再構築」とおっしゃるように、違う原則を考えていかなきゃいけないだろうということがありますね。
わたしのちょっと古びた報道記者的な感覚から言うと、今回の火災は、やっぱり匿名にしたほうが良かったんじゃないかと思います。新宿の歌舞伎町で、メイドカフェではなかったですが、同じような感じのところで何人か死んだ火事があって、あの時も随分問題になりましたが、基本的に新聞は匿名だったんじゃないかと思いますね。
(紙谷雅子委員)
広島では、おそらく新聞にお悔やみ欄というのが存在していて、亡くなった方の名前は公表される。東京ではそういうことは全くない。そういうコンテクストを考えると、広島のテレビで実名でこういうことが出て来ても、あまり不思議ではないのかなという気がします。つまり、火災で人が亡くなったという情報とあそこのおじさんが亡くなったというのが、クロスして出て来るだろうと思うわけです。新宿歌舞伎町の場合はちょっと難しい。全国一律ルールみたいなものは、なかなか成り立たないのではないかとちょっと感じます。
それとはまったく別に、なぜ匿名にしたのか、実名にしたのかについて、報道した側が自分の中できっちり説明が出来る論拠があるということが一番大切ではないか。みんながやっているから、お隣がそうしているからではなくて、自分たちで判断したということが、新しくルールを作っていく土台になると思います。
(発言)
わたしも、最初の第一報で名前を出し、整合性をとるために次の人の名前も出すということに、あまりこだわらなくても良かったんじゃないかという気がしています。店の状況が分かったところで、途中から匿名に変えたという局もありましたけれども、そのように柔軟に、もしかしたら遺族がどう思うかなとか想像して変えていくというようなことがあっても良いのかなというふうにも思いました。
坂井委員長がおっしゃった、例えば9.11とか3.11のように、親戚あるいは学生時代の友達がいるけど大丈夫かしらというような大災害や大きな事件に関しては、名前を出してもらえるとありがたいと逆に感じるものだと思います。
(発言)
ローカル放送をやっている立場でいうと、人の名前がすごい意味を持つと思うんです。いわゆる全国ニュースとローカル、全国紙と地方紙と区別するわけじゃないですが、わたしどもが話せる話といえばローカルニュースだと。そこでは、まず名前を出す、この人が亡くなったんだという情報はやっぱり伝わりやすい。これは両方の意味があって、名前を出すことで、もしかしてあの人じゃないだろうかという反応もあれば、逆になぜ名前を出すんだというような声は、おそらく中央のメディアよりも、はるかにびんびん伝わって来ます。
風俗店がどうかという議論もありますが、ローカルの立場では名前にこだわる、より視聴者に近いということを、ぜひ感じていただければと思います。
(坂井眞委員長)
事実を事実として伝えるなかで、実名は意味があると思っています。だけれど、実名の5W1Hなしで何が事実報道だという話だけでは、社会の納得は得られないところまで来ていると思うんですね。事実報道の価値をいうだけでは、メディアの受け手から「ほんとにそれ必要なの?」と言われてしまっているので、いやいや、だからこういう意味で、こういう時は必要だというところまで言わないと、どんどん匿名化の流れは進んでいってしまう。原則論だけでは、もう匿名化の波は押しとどめられない。メディア側が実名を出すべき時と出すべきではない時をちゃんと自分で判断をして、説明出来るようにしていかないといけないというのが、私の考えです。

◆ 第57号 出家詐欺報道に対する申立て [勧告:放送倫理上重大な問題あり]

(坂井眞委員長)
申立人の主張は、自分はブローカーではない、ブローカー役をやってくれと言われただけだということですね。ところが、自分がブローカーであるかのように知人に伝わってしまったので、人権侵害だと。NHKは、匿名化が万全だから視聴者は分からないと言っています。
人権侵害について
まず、この映像を見て、申立人がどこの誰だかわかりますかという話です。申立人の主張を整理すると、役を演じただけですと。左手をこう動かしたりとか、ちょっと小太りな体形から、自分が誰だか分かってしまう、言い方の関西弁も特徴があって分かると、そういうことでした。分かっちゃったとしたら、ブローカーという裏付けはないわけですから、人権侵害と言う話が出てくるわけです。
しかし、撮影当日は服を着替えています。腕時計も外しています。ご覧になったように、どのシーンでも顔は見えていません。NHKの持ってきたセーターに着替えて映っていますが、体形も多少映るけれども、それ以上でもない。特定出来ませんというのが、委員会の判断です。
これとの関係で、申立人が人権侵害があったと気づいたのは随分後なんです。放送は『かんさい熱視線』が2014年4月25日、『クローズアップ現代』は5月14日。人気番組で評価の高い番組だから、見ていた人は相当いたでしょうと。ところが、それから半年以上経って、東京のほうにいた甥がNHKのホームページで見たと。ところが、この番組はそう簡単には分からないんですね。3千以上の番組があって、探して偶然行き当たるとも考えられない。また、申立人は大阪の有名な繁華街のラウンジやクラブで店長を務めていた方で、4、5回会った人は分かるという。ならば、そういう人は相当いたんじゃないのと。ところが、ヒアリングをしたら、放送から半年以上の間、誰もそんなこと言いませんでしたというようなことから、やっぱり特定出来ないということになりました。
放送倫理上の問題
人権侵害はない、だけれど分からなかったら、その人のことはどう報道しても、虚偽を報道してもいいのかというと、そんなことはない。自分のことを全然違ったように言われたら、取材された人は怒るわけで、それは放送倫理上の問題が当然起きます。放送がある人物に関してなんらかの情報を伝える時に、そこにおける事実の正確性は匿名か実名かにかかわらず、放送倫理上求められる重要な規範の1つなんだと。
申立人は、最初は放送に出るとも思っていなかった、その後は資料映像だと思っていたとも言っていましたが、どうも納得がいかない。出家詐欺ブローカーを演じたのかどうか、そこはよく分からないところでした。NHKは、インタビューの内容からしても出家詐欺ブローカーと信じたと主張されるんだけれども、もともと出家詐欺ブローカーだと信じていたから取材が始まっているわけで、インタビューをして分かりましたというのは論理的にちょっとおかしい、説得性がないということです。
結局、取材のスタート地点で、どうしてAさん、申立人を出家詐欺ブローカーだと信じたんでしょうかということに尽きるわけです。そうすると、事実に対する甘さ、追求の甘さがはっきり出てくる。Bさんという方は前々から記者の取材先、情報をくれる人だったわけです。そのBさんからは聞いていたけれども、Aさんには撮影当日に30分の打ち合わせをするまで一度も会ってない、裏取りをしてない。Bさんがそう言ったからというだけで、Aさんに対する必要な裏付けを欠いたまま出家詐欺ブローカーだと断定している。
それだけでも大いに問題ですけれども、最初に出た映像、実は事務所でもなんでもない。多額の負債を負った人でもなんでもない。ところが、そういう人を追っかけて取材している。実はその人は取材先のBさんなのに。結局、真実性を裏付ける必要があるのにやらないまま取材に行って、さらに事実と違うことまでやってしまいましたと。
ということで、出家詐欺ブローカーと断定的に放送し、さらに事実と違う明確な虚偽を含むナレーションで申立人と異なる虚構を伝えていることに問題があった。放送倫理基本綱領に書いてある「報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない」というところに反していますね。テレビにおける安易な匿名化がもたらす問題をはらんでいるのではないでしょうかと。そこをちゃんと詰めていかないと、こういう問題また起きますよ、注意しましょうと、そういう事案でした。
(質問)
取材をしているものとしては、ここまで仕立て上げるということは普通は考えられない。なぜこういう経緯をたどって、こういう放送に至ったのか、担当記者には聞いたのですか?
(奥武則委員長代行)
担当した記者には、ヒアリングをかなりしつこくしました。今おっしゃったように、こんなことまで仕立ててやっちゃったというのがわたしの感想で、NHKの番組で、こういうことがあったというのは、いささか愕然としたんですけれど。
要するに分かりやすい言葉で言うと、あそこに出てくる多重債務者は記者のネタ元なんですね。今までいろいろネタをもらっていて、ある時、記者が出家詐欺の番組を作ろうと思うんだけれど、あんた良い話知らないのと言ったら、いや、わたしいろいろあって出家詐欺やろうかと思っている、知っている奴がいるから連れてくるよって、その話に全部乗っかってやっているんです。普通の記者の倫理の感覚でいえば、ありえないんだけれど、やっちゃった、そういう話ですね。
(二関辰郎委員)
事前のアンケートで、「よく知る人物であれば特定できる」という申立人の主張に関して「よく知る」とはどの範囲なのか、広く一般の視聴者が特定出来なければいいのか、それとも、家族、友人だと特定出来るような場合も問題があるのかというご質問がありましたので、ちょっとコメントします。
BPOでは、一般視聴者が特定出来なければ良いという立場ではなくて、その人物をもともと知っている人が特定出来る場合は問題になりうるという立場を取っています。この出家詐欺の事案では、人権侵害との絡みでは申立人をよく知っている人にとっても特定出来ないと判断しています。名誉毀損というのは社会的評価の低下があるかどうか、いわばよその人たちにとっての評価の問題だから、他人が見て分からなければ、ごく親しい人も含めて分からなければ、評価の低下はないことになり人権侵害はないこととなる。
本件では、そうはいっても取材された本人は分かるんじゃないかという、ある意味厳しいところで放送倫理上問題があるという結論を出しているんですね。名誉毀損は社会的評価という、まさによその人の見方なのに対して、放送倫理は放送局のいわば行動規範的な部分の側面が強いですから、世間の人がどう思うかということとは切り離しても良い側面があると思うんですね。その意味で、「こういう人がいる」という事実として報じている以上、そこには倫理上の問題が生じうる。放送人権委員会は、申立人という特定の人物との絡みで事案を取り上げるかどうかを決めますので、そこをとっかかりにして取り上げて判断したということです。

◆ 第58号 ストーカー事件再現ドラマへの申立て [勧告:人権侵害]

(市川正司委員長代行)
この番組は『ニュースな晩餐会』という、いわゆるバラエティー番組、情報バラエティーと言われるものです。ストーカー事件の被害の問題について、その一例を伝える目的で職場の同僚の間で行われた付きまとい行為や、これに関連する社内いじめを取り上げたものだと、こういう説明をフジテレビから受けております。
申立人の主張をザックリと申し上げると、社内いじめの首謀者、あるいは中心人物で、付きまとい行為を指示したと放送されたが、これは全く事実無根であると、これによって名誉を毀損されたという主張です。
フジテレビは、再現映像の部分を含んで「被害者の証言をもとに一部再構成しています」というテロップが出ている、それから、仮名やぼかしを使っている、音声も変えている、とすれば、視聴者は現実の事件を放送しているものとは受け取らないと、こういう説明をしています。名誉毀損というのは、実際にある人を特定して、実際にその人が映像に出ているかということで議論されて行くんですが、そもそもフジテレビのほうは、この番組は特定の方をモデルにした訳ではないし、特定の事件、現実の事件をモデルにした放送ではないという主張です。
仮に現実の事件を放送しているとした場合、次に登場人物と本人の同定の可能性、つまり、実在する特定の人物だと分かるかどうかが問題になります。その上で、摘示された事実の真実性、真実相当性が問題になります。放送が現実の事件をテーマにしているかどうかということと、登場人物が同定できるかどうかということは別の問題だというふうに考えていただきたいと思います。
名誉毀損について
委員会は、現実の事件との関係について次のように考えました。イメージという部分は役者による再現映像が出ていますが、連続した放送の流れの中では事件関係者本人が写っている映像が織り込まれている訳です。現実の事件の人物が入って来て、またイメージ映像になる、また現実の事件の本人が入って来ると、順繰りに代りばんこに出てくるという構成になっている。それから、2つめとして、再現映像の登場人物も事件関係者本人が写っている映像でも、同じ仮名を付けられているということです。
そうしてみると、イメージという部分が誇張であるとか、架空の事実を放送しているとしても、どこが真実で、どこが誇張なのかというあたりは視聴者は判断できないということになります。さらに、イメージ映像という再現映像の部分では「被害者の証言をもとに」云々というテロップが流されていて、むしろ視聴者は被害者が実際に存在する現実の事件を再現していると受け取るであろうと。それから、スタジオのタレントたちの表情、こういったものも加味すると、視聴者はイメージと表示された部分も含めて、登場人物の関係、それから行為等の基本的な事実関係において、現実の事件を再現したものだろうと受け止めると、こういうふうに考えております。
次に、登場人物と申立人の同定可能性について議論しています。同定性について考えると、食品メーカーの工場、それからB氏の映像とナレーション、駐車場というナレーションとその際の映像。それから、工場内の駐車場で車にGPSを設置した映像、それから、白井が送検される見通しというナレーション、これはあの職場に既に警察の捜査が入っていて、これは職場の人にとってみればヒントになる訳です。そして、申立人とC氏(取材協力者、放送では山崎)の会話の内容、隠し録音の内容が出て来ます。
それから、C氏らがフジテレビが本件を扱うことを、職場の同僚などに話してしまうことも十分に予測できる状況にあった、これがもう1つの要素として加わって結論的には同定可能性ありというふうに考えました。これは、ストーカーの被害者とされる一方当時者である山崎さんの取材だけに基づいて番組は構成されている。相手方の取材をしていないということは山崎さんも当然認識しておられる。そうだとすれば、自分の言い分に沿った番組ができるだろうと、たぶん理解していただろうと。そうであれば、いくらフジテレビが口止め的なことをしようとしたとしても、彼女が、今日は私たちのことを放送しますよ、うちの職場のことが放送されますよ、と職場でしゃべることが、当然予想できたのではないかということを含めると、同定できるのではないかと考えたということです。
そうなると、申立人の名誉毀損が成立してしまうということになります。いじめの首謀者で、白井という男性にストーカー行為を指示していたということですけれど、申立人は「いや、そんな事実は全く無い」、「私は何の指示もしていない」と言っておりますし、確かに警察も彼女に対して何の取り調べも、捜査もしていなかったということもありました。そう考えると、真実の証明はできないし、真実と信じたことについて相当性も無いということで、同定ができると考えた後は、ある意味では一気呵成に名誉毀損になってしまうということになります。
フジテレビは、当初からこの放送は現実とは違うという頭がありますので、実際に起きていた事実と違うことを少しずつ入れているんですね。例えば、ロッカーの靴にガラス片が入っていた場面がありましたが、あれは実際にはそうではなかった。それはフジテレビも認めていて、ゴキブリみたいな虫が入っていたとかいう事実を少し変えて、少しオーバーにしていたりする。事実と違うということは、ある意味では同定性が認められてしまえば、一気に名誉毀損にまで行ってしまうということになります。
放送倫理上の問題
もう1つは、申立人からの苦情があったにもかかわらず、フジテレビは被害者とされた取材協力者自らの行動もあって、申立人の匿名性が失われた、つまりドラマの登場人物が申立人だと分かるようになった後も、取材協力者の保護を理由に苦情に真摯に向き合わなかった。本件放送の後すぐに申立人から苦情があったし、取材協力者が職場で自らこの放送のことを言って回っていて、取材協力者を保護する必要性が薄れたことがわかった後も、申立人の苦情に取り合わなかったということがありました。この点で放送倫理上の問題があったのではないかと指摘をしています。

◆ 第59号 ストーカー事件映像に対する申立て [見解:放送倫理上問題あり]

(市川正司委員長代行)
第59号の申立人(決定文のB氏)も、同じような主張をされています。基本的に同定性については同じ判断です。ただし名誉毀損は成立しないと考えております。事実関係で申立人とフジテレビで違うところが一部ありますが、いわゆる付きまといと言われるような行為をしたことは事実であるということなので、基本的な事実の部分については真実性があり、名誉毀損には当たらないというふうに考えました。
ただし、今申し上げたように、細かい事実関係では事実と違っている訳です。それは、結局、相手方である申立人から全く取材をしないで、一方だけの取材に基づいて放送しているということで、放送倫理上の問題があるという1つの理由になっています。放送後の対応は第58号と同様で、きちんと対応していないという指摘をしています。
再現ドラマについて -―― 第58号と第59号のまとめ
バラエティー番組とか情報番組で再現ドラマという手法はよくある、最近よく用いられる手法です。ただ、実在の当事者がいて、その取材映像やインタビューが挿入されれば、これはドキュメンタリーの要素が残って全体が現実の事件の再現と捉えられるだろうと。そうするとやっぱり、名誉とかプライバシーの問題は必ず出てくるということですね。先ほどの『石に泳ぐ魚』とか『宴のあと』のようにモデル小説という小説であっても、名誉毀損が成立し得るということです。
ぼかしや匿名化ということは、実際にモデルになる人がいる事件があったんだとイメージする、むしろ現実の事件をモデルにしているというふうに考えやすくなる訳ですね。そして、現実の事件を扱っているとすれば、被取材者が同定されてしまうと、名誉、プライバシーの問題が生じる。仮に同定できないという場合であっても、やはり現実の事件をモデルにしている以上は、真実に迫るという努力が放送倫理上求められる、これは出家詐欺報道の問題と同じです。再現ドラマであっても、再現部分か創作部分かをきちんと切り分ける必要があるというふうに思いました。
また、本件ではストーカー事件と最初に言っていながら、実際は職場の同僚同士の処遇をめぐる亀裂、紛争ではないかというふうに思われる訳です。そうであれば、双方への取材が可能であるし、必要な事案だったのではないか。既に警察の捜査も入っている。相手方を取材しない理由は、あまり見当たらないというふうに思いました。
(紙谷雅子委員)
第58号になぜ補足意見が出てきたのかというお話です。
単純に言うと、かわいい、華奢な感じの20代の女性が、二回りも年上の60代の昔から会社にいる怖いおばさんたちからいじめられている。ストーカーをした人も、おばさんに逆らえないからやっているようだ、みたいなストーリーとしてフジテレビは受け取っていたんじゃないかと思われます。それに対して、ヒアリングの結果、私たちが理解したストーリーというのは、どうも社内の人間関係がもっともっと複雑で、単純な恋愛感情がもつれた結果のストーカーというのとはちょっと違うのではないかと。
問題は、なぜ事実と違う情報に踊らされたのか。ストーカーだから、被害者を二次被害に遭わせてはいけない、加害者に連絡すると、二次被害の危険がある。で、一方当事者の話を信用した。確かに警察は取材したのですが、ほんとに黒幕がいたのかどうかは確認していません。番組の制作現場は男性が多いです。かわいい女の子をおばさんがイジメるというのは、なんかありそうだと、ついみんな思っちゃう。でも、重要なことは、現実の人間、一人一人違っています。みなさんには、ありきたりな紋切り型のステレオタイプの発想ではなくて、鋭い問題意識を持って社会の中で見えにくいことを、どんどん積極的に放送していただきたいと思っています。
委員会ではいろいろ議論をします。1つの声で答えを出せればいいのかもしれませんが、激論の中で必ずしも意見がまとまる訳ではありません。多数の意見と違う人が、なぜ、どういう理由で違っているかを示すことも大切ですし、さらに、結論には賛成するけれど、もうちょっと追加して言いたいと思う人もいます。一方当事者への取材だけになったのは、出来事をステレオタイプのイメージで把握していたからではないか、現場の制作者の先入観は無かったのか。わかりやすい構図のせいで、情報提供者に乗せられてしまう、そういう危険をちょっと指摘したかったので、補足意見を付けましたということです。

◆ 第61号 世田谷一家殺害事件特番への申立て [勧告:放送倫理上重大な問題あり]

(奥武則委員長代行)
これは2001年1月1日元日の紙面(スライドで表示)です。この事件の記事が出ています。私は当時毎日新聞社にいて、前日の大みそかが当番でこの紙面を作りました。本来だったら、この事件が当然トップになるんですけれども、元日の紙面、それも21世紀が始まるという日の紙面だったので、トップではなくて、こちら(1面左肩)に移す判断をしたんです。そういう意味で、私にとっても非常に印象に残っている事件です。1家4人の顔写真を一生懸命集めて載せています。この奥さんの実の姉が申立人、隣の家にお母さんと一緒に住んでいて第一発見者になったという方です。
番組は『世紀の瞬間&未解決事件 日本の事件スペシャル』。2015年12月28日の放送で、午後6時からほぼ3時間ですね。さっきご覧になって、なんだか繰り返しが多くて、随分思わせぶりな作りだと思った方が多いのではないかと思います。FBIの元捜査官、サファリックという人がプロファイリングをして事件の犯人像を浮かび出す。最後に、年齢二十代半ばの日本人、被害者の宮澤家と顔見知りで、メンタル面で問題を抱えていて、強い怨恨、こういう4つの要素で犯人像を調べなきゃいけないと。別に何も新しいことはないと、私は思っているんですけれども。
申立人は第一発見者で、警察の事情聴取をずっと受けるわけです。警察は、当然怨恨という線を追う。申立人は半年間に及んで、あの夫婦に恨み持っている者はいないか、「悪意を探る作業」をさせられたと言っています。しかし、そういうことはなかった、強い怨恨を持つ顔見知りの犯行ということはありえないという否定に至った。で、悲しみを乗り越えてグリーフケアという仕事に飛び込んで、自立して講演をしたり著作活動をしている、申立人はそういう方なんです。ここの入口のところを、まずはっきり見ておく必要があります。
サファリックは恨みをかうことはなかったかとか、いろいろ聞くわけですね。これに対して申立人は「妹たちには恨まれている節はなかったと感じるんですね。あと、経済的なトラブル、金銭トラブルも男女関係みたいなものも一切なかったですから」と言うわけです。そこで「思い当たる節がないという入江さんに、サファリックは犯人像についてある重要な質問をぶつけた」、「それは犯人像の核心を突くものだった」というナレーションがあって、サファリックが、「(ピー音)へ行ったり、そのような接点は考えられますか?」と聞くと、それに対して申立人が「考えられないでもないですね」と答えるわけです。
けれども、ピーという音の部分、画面上は「重要な見解」というテロップですが、質問が消されているので、申立人は「何」が「考えられないでもない」と言っているのか、実は見ている人には分からないんですね。ところが、分からないにもかかわらず、「具体的な発言のため放送を控えるが、入江さんには思い当たる節もあるという」。ナレーションは、最初に申立人は「思い当たる節がない」と言っていたのに、「思い当たる節もある」というふうに変わっちゃっているわけです。申立人は一貫してサファリックさんといろいろ面談したけれど、自分の考えが変わったわけではないと言っている、ここがいちばん重要な部分です。
一般的に視聴者の理解を深め関心を引くために、規制音とかピーとかいう音、ナレーション、テロップといったテレビ的技法ということでしょうけれども、これはやっていいわけで、どんどんやっていいんです。しかし、それがこういうことになると困るわけですね。編集の仕方や規制音、ナレーション、テロップの使い方は番組が視聴者に与える印象に大きく影響する。大きく影響するから一生懸命やるわけですけれども、それが、事実を歪めかねない恣意的ないし過剰な使い方がされているとしたら、当然に問題が生ずる。
さっきのピー音の「重要な見解」部分は「若い精神疾患を抱えている人やその団体と仕事やカウンセリングやその他の場面で関わるようなことはありましたか?」と聞いているんですね。この質問が、申立人の「考えられないでもないですね」という答えを導くわけですが、もう1つの伏せられた部分は、申立人が「病院に行っていたということを私は知っています」と言っているんです。殺された弟さんが発達障害を抱えていて、それを気にして妹たちが病院に行っていたということを私は知っています、ということを言っている。隠さなければいけないようなすごく重要なことでは全然ないんだけれども、伏せられた結果、なんか犯人につながるようなことを申立人が言ったと受け取れられかねない形の放送になっている、それがすごく問題だということですね。
テロップも、サイドマークというようですけれども、画面にずっと出ているわけです。「緊急来日 サファリック顔見知り犯説 VS 被害者の実姉 心当たりがある」と、赤字で。被害者の実姉、つまり申立人は「心当たりがある」と言ったというふうに受け取れますね、これがずっと画面の右上に出ている。
ということで、視聴者がどう受け取ったかというと、「核心に迫る質問」とか「重要な見解」ということで、申立人は犯人像について何か具体的に思い当たる節があるようだと漠然と考えただろうと、ナレーションは「思い当たる節もある」と言っているわけですからね。実際のところどうだったかというと、「具体的な発言のために放送を控える」ようなことは何もない、ましてや犯人像について思い当たる節などない。にもかかわらず「申立人は思い当たる節もある」と変わっちゃったというふうに放送されているということですね。
次に、テレビ欄の番組告知です。朝日新聞にはこういう形で出たんですね。最後の3行では「○○を知らないか、心当たりがある、遺体現場を見た姉証言」となっています。遺体現場を見た姉、つまり申立人がサファリックから「○○を知らないか」と言われて、「心当たりがある」と答えたと、誰でも受け取りますね。だけれど、「〇○を知らないか」という質問はサファリック全然していないし、もちろん申立人は「心当たりがある」なんて言っていないわけです。
結論として、放送倫理上重大な問題に至ったのは、ある意味で合わせ技一本みたいなところがあって、テレビ朝日は、取材を依頼した時点で申立人が強い怨恨を持つ顔見知り犯行説を否定して、グリーフケアなどの活動に取り組んでいることをよく知っていた、衝撃的な事件の遺族だから十分ケアしないといけないと考えていたと、ヒアリングでは言っているんです。けれども、いろいろ聞いてみると、どうも十分なケアをしたとはとても思えない。当初、あの番組はほかの事件も併せてやることになっていたんだけれども、結局世田谷一家殺害事件だけになった。そういう経過についても、どうも十分に説明してないということが分かったということで、出演依頼から番組制作に至る過程を見ると、申立人への十分なケアの必要性をその言葉どおりに実践したとは思えない。こういう2つの点から放送倫理上重大な問題があったという結論に至ったということです。
(紙谷雅子委員)
申立人は、自分が持っていた意見が変わったように、なんか具体的な発言をしたかのように言われてしまった、事実と異なる公平ではない不正確な放送をされた、そこで、自己決定権と名誉が侵害されたという申立てをしました。
申立人の主張する自己決定権というのは、ちょっと難しいと私たちも考えます。判決では、まだはっきりこれがそうだというのはありません。学説でもいろいろな見解があります。申立人は、番組は自分と違うイメージを提供していると主張しています。確かに自分の自己像について、こういうふうに見てほしいと思うことはできます。だけれども、みんな見てねと言ったって、嫌だという人も出てくるかもしれません、強制的にと言うわけにはいきません。言ってもいないことを言われたとか、生き方を否定されたとか、申立人が問題としていることは自己決定権とズレているんじゃないか。いろいろ議論はありますけれども、どちらかというと名誉毀損の分野に入るのではないかというふうに私たちは思いました。サファリック氏に会ったことによって彼女がこれまで言ってきたことを取り消すような立場になったとまでは、番組を見ても思わないということで、社会的な評価が下がったというところまではいってはいないと思います。けれども、誤解を生じさせるような伝え方はやっぱりまずいでしょう、というふうに考えています。
テレビに出るということを、自分の立場を伝える機会であるととらえている人は、どうやらかなり多いようですけれども、それは必ずしもテレビ局のストーリーと一致するわけではありません。テレビ局のほうが、必ずしも出演する人の主張や立場に添った番組になるわけではないという説明をしっかりしなければいけない。
(質問)
BGMとか効果音とか、そういったものがなかったらOKだったのかなと最初は思っていましたが、番組のDVDを見てお話を聞いたらそうじゃないんですね。編集の仕方と重要な個所でのテロップの隠し方というところがポイントだったのかなと思いました。
(奥武則委員長代行)
効果音とかテロップとかナレーションとか、全体として、まさにテレビ的技法を駆使することによって、思い当たる節がないと言っていた人が、サファリックのいろんな質問やら何やらを聞いて、いかにも思い当たる節があるというふうに変わっちゃった、というふうに受け取れるような放送になっているわけですね。だから、どれが悪い、どこが問題だったということだけでは必ずしもない、番組全体としてですね。
(質問)
あの番組は、作られたのはたぶん制作だと思うんですけれど、報道の社会部記者が制作現場にいて報道のチェックは入らなかったのかというのが、素朴な疑問です。
(奥武則委員長代行)
あの番組は報道と制作が一緒になって作った番組ということになっているんですね。社会部の記者は、最初から番組に出て中心的に展開している番組なんです。だから、記者の側から言うと、うまいように使われちゃったという感じは全然ないと思うんです。
(質問)
怨恨を持った人間が犯人だと、プロファイラーは申立人の言っていることと真逆のことを言っている。その事実を申立人に伝え、申立人がどういう反応をするのか、そこまで番組で流していたら、委員会の判断は変わるのでしょうか?
(奥武則委員長代行)
番組はサファリックというプロファイラーが来て、プロファイリングをしてこういう犯人像を浮かび出したという流れですから、そういう作りにはたぶんできなかったと思うんです。仮定の話をして判断できるかというと、ちょっと難しいですね、そういう番組の作りには到底ならないと思いますけどね。
(坂井眞委員長)
ご質問の件については奥代行と同じですが、ただ、個人的に考えていることをお答すれば、そういう作りはOKだと思います。事実を曲げなければというのが前提です。サファリックの視点を伝えたいんだったらそうすればいい、それに対して、申立人は納得していないと伝えたら、誰も文句の言いようがないと思います。サファリックをせっかく連れてきて随分費用がかかったと思うんだけれど、いろんな人を連れてきたら、サファリックに納得しちゃった、なびいちゃったみたいなほうがウケるんじゃないか。これは私の想像ですけれど、そんなことで事実を歪めちゃったら、こういう問題が起きますということだと思うんです。
(奥武則委員長代行)
番組全体の構成を少し簡単に言いますと、3つのピースがあるというんです。1つは事件現場をCGで再現してサファリックに見てもらう、警視庁でずっと事件を担当していた元捜査官に話を聞くのが2つ目、最後のピースとして、申立人が出てきてサファリックの怨恨説にほぼ賛成したということでまとめたふうに作っている。委員長が言われたことはそのとおりだと思いますが、そういう番組の作りはありえなかったし、もしそういうふうにちゃんと作っていれば、事実に向きあって作っていれば、問題ないと言えると思います。

◆ 締め括りあいさつ 坂井眞委員長

もうおととしになります「出家詐欺報道」の決定文で触れていますが、表現の自由に対する非常に危ない時代が来ていると私は個人的に思っていて、いろんな会合で言っています。憲法21条の表現の自由は、名誉毀損とかプライバシー侵害との関係でバランスをとらなきゃいけないけれども、それ以外にお役所、政府が勝手に口を出して手を突っ込んでくるようなことは許されない。憲法は、放送法や電波法の下にあるわけでなくて逆ですから、憲法の表現の自由を放送法や電波法を使って制限していこうというような発言があったら、それはおかしいじゃないかと、ぜひ放送する立場にいる皆さんのほうから強く発言してもらいたいというのが私の気持ちです。
そのことと、放送人権委員会が人権侵害だとか放送倫理上重大な問題があると判断することとは、全く両立するのだということを、ぜひ理解していただきたいと思っているということをお伝えして、最後のご挨拶に代えさせていただきます。

以上

第244回放送と人権等権利に関する委員会

第244回 – 2017年2月

STAP細胞報道事案の通知・公表の報告、事件報道に対する地方公務員からの申立て事案の審理、都知事関連報道事案の審理、浜名湖切断遺体事件報道事案の審理…など

STAP細胞報道事案の通知・公表の概要を事務局から報告。また事件報道に対する地方公務員からの申立て事案の「委員会決定」案を検討して委員長一任となり、都知事関連報道事案、浜名湖切断遺体事件報道事案を審理した。

議事の詳細

日時
2017年2月21日(火)午後4時~10時30分
場所
「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
議題
出席者

坂井委員長、奥委員長代行、市川委員長代行、紙谷委員、城戸委員、
白波瀬委員、曽我部委員、中島委員、二関委員

1.「STAP細胞報道に対する申立て」事案の通知・公表の報告

本事案に関する「委員会決定」の通知・公表が2月10日に行われた。委員会では、その概要を事務局が報告し、当該局のNHKが放送した決定を伝えるニュースの同録DVDを視聴した。

2.「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(テレビ熊本)事案の審理

3.「事件報道に対する地方公務員からの申立て」(熊本県民テレビ) 事案の審理

対象となったのはテレビ熊本と熊本県民テレビが2015年11月19日にそれぞれニュースで扱った地方公務員による準強制わいせつ容疑での逮捕に関する放送。申立人は、放送は事実と異なる内容であり、初期報道における「極悪人のような報道内容」などにより深刻な人権侵害を受けたとして、謝罪文の提出など放送局の対応を求めているもの。
この日の委員会では、「委員会決定」案の読み合わせを行いながら修正が加えられ、委員長一任とすることを了承した。これを受けて、2月中に委員長が最終確認のうえ、3月に申立人、被申立人に対して通知し、公表することを決めた。

4.「都知事関連報道に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、フジテレビが2016年5月22日(日)に放送した情報番組『Mr.サンデー』。番組では、舛添要一東京都知事(当時)の政治資金流用疑惑に関連して、舛添氏の政治団体から夫人の雅美氏が代表取締役を務める会社(舛添政治経済研究所)に事務所家賃が支払われていた問題を取り上げ、早朝に取材クルーを舛添氏の自宅を兼ねた事務所前に派遣し、雅美氏が「いくらなんでも失礼です」と発言した模様等を放送した。
申立書によると、未成年の長男と長女は、1メートル位の至近距離からの執拗な撮影行為によって衝撃を受け、これがトラウマになって家を出て登校するたびに恐怖を感じ、また雅美氏はこうした撮影行為に抗議して「いくらなんでも失礼です」と発言したのに、家賃に対する質問に答えたかのように都合よく編集して放送され視聴者を欺くものだったとしている。雅美氏と2人の子供は人権侵害を訴え、番組内での謝罪などをフジテレビに求めている。
これに対してフジテレビは委員会に提出した答弁書において、長男と長女を取材・撮影する意図は全くなく執拗な撮影行為など一切行っておらず、放送した雅美氏の発言は、ディレクターが家賃について質問した以降のやり取りを恣意性を排除するためにノーカットで使用したとしている。さらに雅美氏は政治資金の使い道について説明責任がある当事者で、雅美氏を取材することは公共性・公益性が極めて高いとしている。
今月の委員会では、次回3月の委員会で申立人と被申立人のフジテレビにヒアリングを実施し詳しい話を聴くことを決めた。

5.「浜名湖切断遺体事件報道に対する申立て」事案の審理

対象となった番組は、テレビ静岡が2016年7月14日に放送したニュース。静岡県浜松市の浜名湖周辺で切断された遺体が発見された事件で「捜査本部が関係先の捜索を進めて、複数の車を押収し、事件との関連を調べている」等と放送した。
この放送に対し、同県在住の男性は9月18日付で申立書を委員会に提出。同事件の捜査において、「実際には全く関係ないにもかかわらず、『浜名湖切断遺体 関係先を捜索 複数の車押収』と断定したテロップをつけ、記者が『捜査本部は遺体の状況から殺人事件と断定して捜査を進めています』と殺人事件に関わったかのように伝えながら、許可なく私の自宅前である私道で撮影した、捜査員が自宅に入る姿や、窓や干してあったプライバシーである布団一式を放送し、名誉や信頼を傷つけられた」として、放送法9条に基づく訂正放送、謝罪およびネット上に出ている画像の削除を求めた。
また申立人は、この日県警捜査員が同氏自宅を訪れたのは、申立人とは関係のない窃盗事件の証拠物である車を押収するためであり、「私の自宅である建物内は一切捜索されていない」と主張。「このニュースの映像だけを見れば、家宅捜索された印象を受け、いかにもこの家の主が犯人ではないかという印象を視聴者に与えてしまう。私は今回の件で仕事を辞めざるをえなくなった」と訴えている。
この申立てに対し、テレビ静岡は11月2日に「経緯と見解」書面を委員会に提出し、「本件放送が『真実でない』ことを放送したものであるという申立人の主張には理由がなく、訂正放送の請求には応じかねる」と述べた。この中で、「当社取材陣は、信頼できる取材源より、浜名湖死体損壊・遺棄事件に関連して捜査の動きがある旨の情報を得て取材活動を行ったものであり、当日の取材の際にも取材陣は捜査員の応対から当日の捜索が浜名湖事件との関連でなされたものであることの確証を得たほか、さらに複数の取材源にも確認しており、この捜索が浜名湖事件に関連したものとしてなされたことは事実」であり、「本件放送は、その事件との関連で捜査がなされた場所という意味で本件住宅を『関係先』と指称しているもの。また本件放送では、申立人の氏名に言及するなど一切しておらず、『申立人が浜名湖の件の被疑者、若しくは事件にかかわった者』との放送は一切していない」と反論した。
さらに、「捜査機関の行為は手続き上も押収だけでなく『捜索』も行われたことは明らか。すなわち、捜査員が本件住宅内で確認を行い、本件住宅の駐車場で軽自動車を現認して差し押さえたことから、本件住宅で捜索活動が行われたことは間違いなく、したがって、『関係先とみられる住宅などを捜索』との報道は事実であり、虚偽ではあり得ない」と主張した。
今月の委員会では、起草担当委員から本件事案の論点とヒアリングの質問項目の案が示され審理した。

6.その他

  • 委員会が1月31日に広島で開催した中国・四国地区意見交換会の概要を事務局が報告、その模様を地元局が伝えるニュース番組の同録DVDを視聴した。
  • 2017年度委員会活動計画案を事務局が説明し、了承された。
  • 3月16日にBPOが開催する2016年度年次報告会および3月22日に開催される放送倫理検証委員会10周年記念シンポジウムについて事務局が説明した。
  • 次回委員会は3月21日に開かれる。

以上