放送人権委員会

放送人権委員会

2024年1月31日

福岡・大分の放送局と意見交換

放送人権委員会の「福岡・大分意見交換会」が2024年1月31日に福岡市で開催された。2県の合同開催となったのは、2020年3月に大分市で開催予定だった意見交換会が直前に大分県内でコロナ患者が確認され急遽中止となり、今回の福岡開催に併せて大分の各局にも参加を呼び掛けたためである。福岡での開催は8年ぶりで、委員会から曽我部真裕委員長をはじめ9人の委員全員に加え、大日向雅美理事長と渡辺昌己専務理事が参加した。出席したラジオ、テレビ局は福岡が9局、大分が5局で計14局、人数は45人にのぼり、3時間を超える意見交換が行われた。

●大日向理事長「ジャニーズ問題、なぜ、理事長見解を出したのか」

会議の冒頭あいさつに立ったBPOの大日向理事長はジャニーズ問題に触れて「黒子役である理事長、事務局がなぜ見解を出したか。それは、この問題が、一芸能事務所や放送界だけの問題ではなく日本の社会・文化をどういう方向に持っていくかの試金石だと思ったからだ」とした上で「放送局とBPOが忌憚のない意見交換を行って、新しい日本社会の文化の向上に寄与していきたい」と語った。

●曽我部委員長「BPOは、放送局の規制機関ではない」

続いてあいさつした曽我部委員長は「ネットの存在感が大きくなっても、公共の電波を預かる放送局は特別の使命を持っている。偽情報のあふれる中で、信頼性のある情報を届ける使命だ」と述べました。さらに「こうした使命を果たすために重要なのは、放送局の意識や努力だ。BPOは放送局の規制機関ではない。放送局の自主自律的な努力をサポートする組織だと認識している」と語った。

意見交換会は三部構成で行われた。
第一部は委員会決定第78号「ペットサロン経営者からの申立て」を取り上げ、論点を「直接取材」に絞って議論を進めた。第二部は「コロナ禍の取材、共有と教訓」、第三部は「災害報道と人権」をテーマに意見交換を行った。

<第一部 第78号「ペットサロン経営者からの申立て」>

「直接取材なしでもOA可能なケース」だったのか?

第78号「ペットサロン経営者からの申立て」に関して

申立ての対象は、日本テレビが2021年1月28日に放送した情報番組『スッキリ』で、同月12日に北九州市内のペットサロンでシェパード犬がシャンプーを受けた後に死亡した件を取り上げ、「愛犬急死“押さえつけシャンプー”ペットサロン従業員ら証言」「愛犬急死 経営者“虐待”シャンプー?」などと、サイドスーパーを出しながら放送した。これに対してペットサロンの経営者である申立人が、「字幕付きの放送をしたことで、申立人が預かっていた犬を虐待死させたかのように印象付け、事実に反する放送をすることで申立人の名誉を侵害した」として申立てを行った。

この決定の最大のポイントは「当事者への直接取材」である。日本テレビ『スッキリ』は関係者の証言を軸にペットサロン経営者を追及したが、経営者本人への直接取材はなされないままであった。決定文では「放送倫理上の問題があるとまではいえない」と結論付けたが「直接取材の重要性をあらためて認識」するよう要望が加えられた。
決定文には、直接取材が免除されうる例外ケースについての記述があり(下記カッコ内参照)、事前のアンケートではこの部分の読み取り方に多くの質問が寄せられていた。
本編VTRの短縮版(日本テレビ作成)の上映に続いて、決定文の起草を担当した野村委員が解説を行った。野村委員は「申立人への直接取材がないまま放送したことの是非に絞って議論したい」とした上で以下のように解説した。

<野村委員>

●例外が許されないとは言えない

前提として、真実性・相当性の議論の中でどのような取材をしていたのかが直接取材の要否に関わってくる。日本テレビが行った取材を踏まえると、決定では「放送で示された各事実があると日本テレビが信じたことについて、少なくとも相当の理由があった」という表現で、結論としては名誉権の侵害を否定した。
そして、放送倫理上の問題「重大な問題点を指摘する放送内容でありながら、申立人への直接取材をせずに放送に至ったことに問題はないのか」という論点が今日の本題となる。
この点について本決定では、総論として「取材・放送に当たっては、対象となる人物に番組意図を明らかにしてその弁明を聞くことが原則であるが、例外が許されないものとは言えない」としている。そのうえで、例外についてこう記している。

<人権委員会決定第78号16P11行目~>
例えば、真摯な申入れをしたが接触できない、応じてもらえない場合、適切な代替措置が講じられた場合(当事者が当該対象事実について公表したプレスリリース等の掲載や、その他の方法による本人主張・反論の十分な紹介)、緊急性がある場合、本人に対する取材が実現せずとも確度の高い取材ができている場合などは、これら内容を含めた諸事情を総合考慮して、本人取材を不要とする余地があると解される

●例外ケースの記述は限定列挙ではない

このように要素をいくつか挙げた上で、限定した列挙ではないことを示す「など」を付けた。これら以外にも考慮すべき事情がある場合もあるだろう。そして「総合考慮」としているので、列挙したうちのどれかを一つを満たせば良いという意味ではないし、逆に全てを満たさなければいけないという意味でもない。

●取材の経緯が重要になる

担当ディレクターは1月26日にSNS投稿を見て事案を把握し、その日のうちに飼い主を取材し、飼い主が聴き取った学生2名の音声テープを入手した。翌27日にペットサロン店長を取材し、さらに申立人本人への取材も専門学校へ申し入れたが、不在で連絡が取れないという回答を受けたので、折返しの連絡を依頼した。しかし、放送までに折返しの連絡はなく、別途、27日の午後に、申立人の携帯電話にも2回電話したが出なかった。そうした中、27日深夜から28日未明にかけて、専門学校のホームページに謝罪コメントが掲載された。日本テレビは以上の状況のもと、申立人が「取材を拒否した」と判断し、また、ホームページの謝罪コメントを放送することで、申立人への直接取材はしなくても放送に問題はないと判断した。26日にSNSを見てから28日の朝に放送と、ごく短期間のうちに放送に至った事案で、決定では申立人が取材に応じる意思がないと客観的に判断できる状況には至っていなかったと整理した。

●5つの判断要素で「総合考慮」

①民事紛争の対立当事者である飼い主の言い分がベース
②直接取材の申し入れ+本人に2度電話をかけた
③ペットサロン店長、従業員、学生2名に取材済+音声データ。詳細で迫真的な告白を含む確度の高い取材
④謝罪コメントの全文紹介には一定の意義あり。ただし、直接取材を全面的に代替とまでは評価できず
⑤「『しつけ』のための事故死」との申立人の主張も紹介
これらの事情を総合考慮すると、本件において申立人に対する直接取材が実現しなかったことをもって放送倫理上の問題があるとまでは言えない、というのが委員会決定となった。そのうえで、本事案が、直接取材を実現すべくもう一歩の努力がなされることが望ましい事案であったことを踏まえて、委員会は日本テレビに対し、対象者に対する直接取材の重要性を改めて認識して今後の番組制作に当たることを要望するとした。

少数意見「本件は例外に該当しない」

続いて少数意見を書いた3人の委員を代表して二関委員長代行が概要を説明した。

<二関委員長代行>

●どんな人物に描いたかも判断要素

少数意見は「本件は放送倫理上の問題がある」と考えた。
本人取材(=直接取材)の原則に対して例外があるという枠組み自体には反対していないが、「本件はその例外に該当しない」というのが少数意見の立場だ。例外に該当するかを考える際には、<本人をどのように描いたか>という点も考慮すべきだ。こんなに悪い人物だという内容で社会的評価を下げる程度が強いほどそれに応じて本人取材の要請は強くなる。ペットがぐったりして本来心配すべきような場面で「やっと諦めたか。観念したか」と申立人が言ったと番組は伝えている。スタジオシーンでは「こういったペットサロンが世に存在してはいけないんだ」、「事故じゃなくて事件でしょ」とする指摘があった。さらに刑法犯たる動物愛護法の適用可能性にも触れている。ペットのしつけに関する申立人の信念についても公正に紹介しているとは言えない。19分間にわたって申立人を一方的に批判する番組になっている。

●従業員は「虚偽供述の動機」を有していた可能性も

対立当事者間の争いを報じる際には、双方から話を聞くというのがBPOの以前からの判断だ。今回のように、本人取材を省略したうえで、もう片方からの取材結果に確度があると言ってしまって良いか?現場にいた従業員は、犬が死んだのは自分たちのせいではないと言いたい動機、「虚偽供述の動機」を有していた可能性もある。
さらに情報源の問題を指摘しておきたい。複数の取材をしているが、飼い主側、あるいはその紹介の従業員ルートでたどった人だけが取材対象であり、一つの情報源から派生した取材先だけとなっている。

●HPに「事実と異なるコメント拡散」 なぜそこを取材しないのか

ホームページの謝罪コメントは取材に対応して出したものではなく、申立人によると、たまたまその日に弁護士と相談したタイミングで載せただけという。さらにコメントの内容に「事実と異なる内容が一部のSNSで拡散されて(いる)」という言い回しもあって、申立人に事実関係で異なる言い分があることが分かる。そのコメントを見たら、いかなる言い分かを具体的に取材するのが基本ではないか。

<質問>例外項目の記述をどう理解すれば?

続いて参加者からの質問を受け付けた。

<参加者>
直接取材がマストと分かっていても、本人に接触できないケースで放送するか悩む場合もある。そうした時の指標になるかもしれないという意味で、<代替措置><緊急性><確度の高い取材>と、いくつか例外ケースを例示してもらって非常に参考になった。直接取材が免じられる例外項目を記述した意図は?

●明確な例外基準を示したのではない。判断の要素を示した

<曽我部委員長>
あくまで事案に即した判断になる。本決定文の書きぶりも、判断要素について「例えば」と付いている。事前の質問でも「ここに挙がっている要素のどれかがあればOKなのか?」という質問もあったが、そうではない。明確な基準を示したというよりは、今回の事案と関わるような判断の要素を示して、それを総合的に判断したのが今回の決定だ。

●1件1件について、向き合って、考えるしかない

<野村委員>
皆さんに「ここをこうすれば大丈夫です」と言えると安心すると思うが、やはりそれはできない。1件1件について一生懸命考えるしかない。直接取材が実現していない段階で放送する場合には、そのハードルに向き合って、これを乗り越えられるケースであると必ず判断してから放送しないと、こうした申立て事案となってしまう。

●「これさえあれば大丈夫」と思ってはいけない

<二関委員長代行>
多数意見は、「どのようなケースが例外か」に一切触れないと手がかりがないので、「例えば」と例外項目をいくつか挙げたのだと思う。ただし、それが独り歩きして「これさえあれば大丈夫」と思ってはいけない。例外にあたるかどうかの考え方として「自分が似たようなことをされたらどうか?」を考えることが大事。テレビ業界に長くいると放送される側の気持ちから乖離してしまうことがあるのではないか。

<質問>HP全文紹介は直接取材に相当しないのか?

例外ケースの「代替措置」で、HP紹介について質問が出た。

<参加者>
他局に先行される前に放送したいとなったときに、公式のホームページの文言を全文出すということで直接取材に代えることはできないのか?

●番組内容に対応しない、一方通行のコメントだった

<野村委員>
もしも、番組内容に対応して、公式ホームページで取材対象者の考えが全面的に表現されていれば、直接取材に代替しうる場合もあるかもしれない。しかし、本件の放送番組は、①申立人が犬を虐待死させたとの内容に加え、②犬のしつけに関する申立人の日頃からの考え・ポリシーに対する批判に当たる内容も含んでいるところ、ホームページに出たコメントは、①の虐待死と言われた部分に対する申立人のコメントが一方通行で載っているだけであって、②の部分には対応していない。そのため、番組全体に対する申立人のコメントとしては十分ではなく、直接取材に代えることはできないという考え方だ。

●取材意図を明らかにしていない

<二関委員長代行>
取材意図を明らかにしたうえで取材するのが原則だ。ウェブに出ているコメントは、そういったプロセスなしに出ているものなので、直接取材に代わるものではない。

<第二部 コロナ禍取材の問題点 共有と教訓>

コロナ禍、各局の苦悩

第二部は「コロナ禍の取材、共有と教訓」と題して、様々な制約を課されたコロナ禍での取材の問題点を共有して将来につなげようという視点で議論された。前半部分は、アンケートで各局が答えた内容を司会が読み上げ、回答局が説明するスタイルで進んだ。

▲「夜討ち朝駆け自粛で新人記者育成に苦慮」

<参加者>
器用な若手記者はオンライン等の新しい取材ツールを利用していた。夜回り取材を最初の段階で教えてあげられなかったことがどう影響していくのか?将来どういう記者に育っているのか見ていく必要がある。

▲「代表取材」「素材共有」が一気に進んだ

<参加者>
会見等の取材現場が密にならないように安全配慮する必要に迫られ、さらに取材相手からも「代表取材でお願いします」というケースが増えた。各局が同じ取材をするところは代表カメラとなり、5類に下がった現在も、競う必要がない取材は同じ映像で構わないと割り切っている。他局と違いを出したいところに力を入れるという流れだ。

この報告を受けて、曽我部委員長と鈴木委員長代行が次のようにコメントした。

●これからのキーワードは「競争と協調」

<曽我部委員長>
代表取材等が増えたのは直接的にはコロナがきっかけだが、社会の変化や生活様式の変化といった大きなトレンドがコロナ禍で一気に動いたという印象を受けている。夜討ち朝駆けなど「これが取材の王道」とずっと続けてきたが、コロナ禍はそれを立ち止まって考え直すきっかけとなったとも捉えられる。
総務省など放送関係の会議で出てくるキーワードに「競争領域と協調領域」というものがある。何でも競争するのではなく、協力できるところは協力して、それによって余裕が出た部分を独自の取材に充てるというメリハリが今後大事になってくる。

●状況が大変でも、一番大事なところは掴める

<鈴木委員長代行>
「ここは(他局と)違いを出さなきゃ」と皆さんが思われるところがあるはずなので、そこに力を入れていけば、人出不足など大変な状況の中でも、一番大事なところをちゃんと掴んでいける。

ラジオ局の苦悩も報告された。

▲「65歳以上と妊婦はスタジオ入り禁止」もラジオ出演者は高齢者多くて・・
▲ミュージシャン関係者のスタジオ入りも規制したが「大物」は例外となって・・

<参加者>
ラジオはテレビと比べてスタジオが小さく密になりやすいのでいろいろな制限を行った。レギュラーの65歳以上の方もリモート出演にしたり、マイクを引っ張って別室出演にしたりした。アイドルグループが来ればスタジオ入りは代表1人だけ、お付きの人もプロモーター1人だけと制限していたが、映画のキャンペーンで主役の方が来た時には、マネージャー、映画会社の方、スタイリスト等々がぞろぞろ入られて制止できなかった。

リモート取材については「効率的だ」と評価する意見が多かったが、以下のような「現場重視」の声もあった。

▲リモート取材は効率的だが、感染対策を安易な盾にせず、現場に足を運び続ける
▲現場に足を運ぶことが真実性の見極めになる

<参加者>
直接足を運んで、その人がいる生活環境に触れることで得られる情報もある。フェイク画像等があふれる中で、真実性を見極めるためには現場に足を運ぶことは大事な要素だ。

後半は、コロナ禍当時に参加者が疑問に思ったことを報告し委員が意見を述べる形で進行した。

「同調圧力」…我々はちゃんと「ノー」と言えるのだろうか?

<参加者>
マスクにしてもワクチンにしても、科学的に何かしら解明ができている訳ではないが、最大公約数的に打った方がいいであろうと我々も報道してきた。「ワクチンを打ちたくない」という方もいたが、打っていないといろんなところに支障が出てくる。政府が言ったことを国民に伝えていくところの怖さ。戦前にあれだけ「報道機関は右に倣え」だったと言われているのに、このあと我々はちゃんと「ノー」と言えるのだろうか? 他が何と言おうと「これはこうだ」と言えるのか一抹の不安を感じた。

<松田委員>
皆さんはどこでそういう同調圧力を感じたのか知りたい。視聴者の側はテレビを見て「ああ、こんなことが求められているんだ」と感じる。皆さんは、一体どこでそういう雰囲気を察知して何を番組に落とし込んだのか?

<参加者>
私が迷ったのは「コロナが落ち着いた後でもマスクを着けてリポートさせるべきなのか?」という点。状況としてはそんなに密集しておらず、他者との距離も保てている。普通ならマスクは不要と判断するところだが、SNSでクレームが付いたらどう転がっていくか分からないので、まだ形にすらなっていない視聴者感情に判断を左右されたことが多々あった。

●少数意見も紹介して同調圧力を助長しない心掛けを

<曽我部委員長>
日本社会に同調圧力があること自体は、放送局にはどうしようもできないと思う。私が思うのは、1つは「放送局が同調圧力を助長していないか?」ということ。SNSで見つけた一部の意見を番組で取り上げることで本当に火がついてしまうようなことがあった。もう1つは「少数意見をきちんと伝えていく必要がある」ということ。ワクチンについても、打たない自由もあると、しっかり伝えていく。マスクについても、安全な場面では必ずしも着用しなくてもいいんじゃないかと。そういう意見を誰かに言わせることを意識的にやらないといけないと思う。放送法4条では「意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」とある。ワクチンも意見が分かれているテーマなので、少数意見もしっかり伝えていく。そういう形で同調圧力を助長しないことを放送局として心掛けていく問題だ。
SNS上の意見は非常に偏っていることがいろんな調査で明らかになっている。まず、そのことを認識することが大事だ。SNSで言われていることは一部の声に過ぎない。
放送局としては、SNSで指摘されたからといって忖度するのでなく、筋を通していくべきで、必要に応じて説明していけばサイレントマジョリティーは納得する。一時的には炎上しても基本的には理解してもらえる。

●少数派の偏った意見、メディアが扱うことで広がっていく

<松田委員>
メディアの皆さんはSNSをよく見ていると思うが、例えば40代、50代では半数以下しか利用していないし、多くは書き込まない。SNSに日常的によく書き込む人はすごく少数派だ。それをメディアが取り上げることで拡散していく。ツイッター改めXなどはいろんな素材や情報が転がっていて使いやすい部分があるとは思うが、偏っている。少数の人が書いたものをどういう形で扱うのか、メディアの皆さんが扱うことで広げてしまうことに関心を持ってほしい。

感染者のプライバシー、あそこまで報じる必要があったのか?

<参加者>
感染し始めた頃は、県や保健所が感染者の行動履歴を詳しく発表して、我々もその発表に基づいて放送していた。今となって考えれば、果たしてそこまで感染者のプライバシーを放送する必要があったのだろうか?

●この経験を風化させてはいけない

<曽我部委員長>
これは難しい問題だ。初期の頃はコロナがどんな病気か分からず恐怖感も強かったので、当時としてベストな報道がいかなるものかを考えるのが非常に難しかった。今からすれば、ちょっとやり過ぎだったんだろうと思うが、当時はやむを得ない部分もあったかもしれない。ただ、この経験は今後に活かしていくことが非常に大事なので、次に感染症が問題になった時には今回の反省も踏まえて考えていくことになる。メディアの方々はそれぞれ経験値を得たと思うので、風化させることなく、きちんと総括して次の機会の糧にしてほしい。

<事務局からの報告>

第三部に先立って、BPOに寄せられる苦情・意見を踏まえて植村統括調査役が参加局に注意喚起した。

●取材時の「映り込み」に注意

<植村統括調査役>
申立ての前段階としてBPOの人権相談に苦情が寄せられることがあるが、この1年半で3件ほど「映り込み」について苦情が来た。
▲「クマの出没で子どもたちが集団登下校」というニュースで自分の子どもの顔が映った
▲「新学期に登校してきた児童」という映像に自分の子供の服装が映った。特定できる
▲取材対象者の移動の様子を撮影したら、背後を自転車で通り過ぎる女性が映り込んだ。
3件とも共通しているのは「夫からのDVで居場所を知られたくない」というものだ。デジタル化が進んで画像の精度が上がったことに加えて、民生用の小型カメラでも撮影できるので、撮影していること自体分からないケースも増えている。今後もこうしたケースは十二分にあり得るので注意してほしい。

<第三部 災害報道と人権>

このテーマは2023年7月の九州北部豪雨で各局が災害特番を放送したことから設定したものだったが、2024年は元日に能登半島地震が発生し、意見交換会開催の1月31日まで連日災害報道が続くことになってしまった。
災害報道という緊急性に紛れて気付かずに人権を侵害しているケースはないか、災害を報じる当事者として疑問に思うことはないかという角度から議論を進めた。

犠牲者氏名、なぜ非公表なのか?

まず、災害犠牲者名の非公表問題が取り上げられ、4人の委員がいずれも「公表すべき」という立場から意見を述べた。

<参加者>
犠牲者もそうだが、(九州北部豪雨の際に)大分県は安否不明者の氏名を「救助活動等に資する場合のみ公表する」とした。「救助活動に資する、とは何を指すのか?」というやりとりをしたが平行線のままだった。広く氏名が分かっていれば一般の方からの通報にもつながると思うのだが。

●見たことのないおばけを怖がっている

<水野委員>
個人的には、災害であれ事件であれ名前を知りたい。京アニ事件での実名・匿名問題をゼミで議論すると、学生の8~9割は「遺族が望むなら」と匿名を支持する。しかし、「なぜそう思うのか?」と問い詰めていくと、あまり根拠がない。実名を公表することで実態以上に甚大なダメージを受けると過剰に恐れている節がある。見たことがないからこそ余計におばけを怖がるようなものだ。報道機関の方には、実名の意味・意義を踏まえて行政と対峙してほしい。

●民主主義の基本情報。踏ん張らなきゃいけないところだ

<廣田委員>
京アニの話が出たので、事件報道についてであるが、弁護士会の中で、犯罪被害者の支援をしている委員会からは「実名にする意味がない」という厳しい意見がある。実名が出た後の二次被害がひどい、特にインターネットでいろいろ書かれると消すことが難しいという。報道機関の方々には、なぜ実名にするのかをきちんと説明してほしい。内部では議論しているだろうが外に伝わってこない。
報道の現場の方々と話し、いろいろ考え、私の考えは変わっていった。私の個人的考えだが、今は、原則実名だ。ネットが発達して真偽不明の情報が出回るときに、訓練を受けた報道機関がきちんと裏を取って5W1Hを固有名詞を入れて報じて記録することは非常に重要になってきている。「面倒だからやめておこう」「実名を言わなければ言わないで済んでしまう」とやっていったら、後で何が何か分からなくなって事件の検証もできなくなる。5W1Hを正確に報じて記録したものは、民主主義の基本情報だ。踏ん張らなきゃいけないところだ。

●防災の手掛かりとなる情報は共有されるべき

<野村委員>
東日本大震災後、3年間、弁護士として石巻市役所に赴任・常勤して復興事業に従事した。その経験から思うのは、犠牲者の情報は家族がコントロールするものだ、では済まないということだ。家族と一緒に亡くなったのか独りで亡くなったのか、津波の時にどういう避難行動を取っていたのか、といったことは将来の防災につながる話だ。個人にモザイクをかけると具体的な考察がぼやけてしまう。手掛かりになる情報は共有されるべきだ。石川県は家族の了解を公表の条件にしているが、全員の承諾は得られないので一部だけの公表になってしまう。そうなると全体像を掴むという意味では中途半端になって、逆に意味がなくなってしまう。個人的意見としては、実名の公表可否を家族の意思に委ねることはよろしくないと考えている。

●公権力が情報をコントロールしてはいけない

<國森委員>
国とか自治体とか警察とか、そういった公権力が情報をコントロールしてはいけないと思っている。メディアが情報を全部引き出した上で、それをどこまで報道するかをメディア自らが、指針・信念・説明責任を持って判断していかないととても危険な社会になる。遺族はメディアスクラムを含めた取材そのものによる被害、その後のネットパッシングなどによる被害の恐れがあるが、そうした被害を食い止める努力をメディアがすることで当局あるいは社会に対して「ここまでやっているので情報を出して」と言えるようになれば良いと思う。

「土砂災害特別警戒区域」、どう伝えれば?

<参加者>
土砂災害が起きた地域が「土砂災害特別警戒区域」だったケースが多い。視聴者から「そういう区域に住んでいるからダメなんだ」という反応が来るし、災害の専門家もマイクを外すと「本当はここに人が住んじゃダメなんだ」と言う。大雨や台風の場合は被害が予測されるので早期避難を呼びかける事前報道に力を入れているが、犠牲となった方に非難の声がいかないように伝え方に非常に神経を使う。

●悩むことが大切。それは視聴者に伝わる

<斉藤委員>
報道する方たちは本当に悩まれると思う。この問題には正解はないと思う。
同じ言葉で伝えても、AIのニュースでは伝わらないが、リポーター本人が「どう伝えるべきなのか」と悩みながら語った場合、その思いは視聴者に伝わるのではないだろうか。伝える人間が、どう伝えるか悩んでいること自体がすごく大事なことだと思う。テレビは「どういう思いで伝えようとしているのか」ということも伝えてくれる。

●リスクあることを、地域の住民も社会も共有しないといけない

<國森委員>
とても難しい問題だ。東日本大震災の津波でも、どこまで津波が来たのかを皆が強く意識しないといけないし、メディアも伝えていかなければならない。それも踏まえて「ここにはリスクがある」ということは、住んでいる人も含めて社会で共有していかなくてはならないと思う。

●背景にも触れると伝わり方も違うのではないか

<廣田委員>
ずっと昔から住んでいて後から警戒区域の概念ができて指定されたのと、危険だと分かって住み始めたのでは違うのではないか。法律上は、分かって行くと非があるとされることもある。昔から住んでいる場合だったら、背景も踏まえて伝えると伝わり方も違うのでは。「古くからある集落で」というような一言があれば住民への非難の声は出ないのではないか。

●自己責任論、バッシングが起こらない伝え方を

<曽我部委員長>
法律的には警戒区域指定の前か後かで変わるが報道はフェーズが違うと思う。全国の土砂災害警戒特別区域に住んでいる人に危険性を伝える意味で、そういう地域で大きな被害が出ていることを伝えることは非常に重要だ。被害を伝えることに躊躇する必要はないが、他方で実際に住んでいる個々人と結び付けて報道すると自己責任論が出てバッシングにもなりうる。結局は伝え方の問題で先ほど紹介してくれたように住民に配慮しながら伝える方法は大変適切だ。

被災者映像 発災直後は使用可能でも時間経過すればどうなのか?

<参加者>
メディア取材に対する被災者の心情は、発災直後と時間が経過してからでは大きく変わる可能性がある。発災直後に取材に応じてもらった映像を時間が経ってから使う場合はかなり留意が必要なのではないか。

●「肖像権ガイドライン」が参考になる

<曽我部委員長>
以前大阪の朝日放送(ABC)から、阪神大震災のアーカイブをネット上で公開したいという相談を受けた。肖像権問題を含めどういう考え方で臨んでいいのか基準が分からない、ということだったので「デジタルアーカイブ学会」の「肖像権ガイドライン」が参考になるだろうと思い紹介した。
肖像の使用権が許されるかどうかは通常は総合判断で決めるが、このガイドラインでは<被撮影者の社会的地位><被撮影者の活動内容><撮影の場所><撮影の対応>といった要素を点数化する。例えば、公人・政治家であれば許容される方向に働くし、一般人であれば許容されない方向に働く。活動内容も、歴史的な公式行事なら許容の方向で、プライベートな行事なら逆になる。点数を全部足し合わせて、何点ならいけるいけないというガイドラインを作成された。ABCはそれで判断して公開に至った。今後、災害に限らず時間が経った映像を利用する際には参考になるだろう。ABCのサイトは「阪神淡路大震災 激震の記録1995」で検索すればすぐ出てくる。「肖像権ガイドライン」は政府の知財本部などでも資料で出てくるくらいに広まった。参考になると思う。

以上