放送人権委員会

放送人権委員会

2022年12月2日

北海道の放送局と意見交換

放送人権委員会の「意見交換会」が2022年12月2日に北海道札幌市で開催された。北海道での開催は2014年以来8年ぶりで、委員会から曽我部真裕委員長をはじめ10人の委員全員(二関辰郎委員長代行はリモート)が参加、北海道のラジオ、テレビ局9社からは編成、報道、コンプライアンスの担当者など39人が出席し、3時間余りにわたって活発に意見交換が行われた。

会議ではまず、曽我部委員長が、「BPOは国が作った組織ではなく、放送業界が自主的に設立した第三者機関で、今日ではBPOに象徴される放送局の自主・自律が、ネットコンテンツとは異なる放送の価値の源であるという認識が高まっていると感じている。最近の放送局の経営をめぐる環境の大きな変化の中で、放送にはそれだけの価値があるということをこれまで以上に強く示していくことが求められている。放送の価値の一つは、間違いなく放送局が放送倫理に裏付けされた安心安全な番組コンテンツを提供していくということであり、そういう意味で放送倫理の重要性はますます高まっている」と、あいさつした。
続けて植村統括調査役が、放送人権委員会が他の2つの委員会と異なる点は、申立制であるとした上で、申立てから委員会決定までの審理の流れをBPOホームページの記載に沿って丁寧に説明した。

意見交換会は二部構成で行われた。第一部は、まず「少年法改正と実名報道」と題して、廣田委員が2022年4月に少年法が改正された経緯と、特定少年の実名報道について解説した。次に曽我部委員長が第76号「リアリティ番組出演者遺族からの申立て」に関する委員会決定を説明した後、委員会決定とは結論が異なる少数意見について、二関委員長代行と國森委員がそれぞれ理由を述べた。第二部では、第77号「宮崎放火殺人事件報道に対する申立て」に関する委員会決定について、起草を担当した水野委員、鈴木委員長代行が解説した後、少数意見を書いた二関委員長代行と斉藤委員がその理由を説明した。最後は2022年4月に北海道知床半島沖で起きた観光船沈没事故について、北海道放送の磯田報道部長がVTRを交えて苦労した遺族取材やメディアスクラムの問題などを報告し、丹羽、野村、松田の各委員がそれぞれ見解を述べた。

◆第一部
◎「少年法改正と実名報道」解説と質疑応答

●廣田智子委員
少年法とは、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする法律で、「少年」とは、少年法では「20歳に満たない者」とされています。2022年4月には民法も改正されて18歳で成年となりましたが、これまで同様、犯罪を犯す者たちもいて、未だ未成熟で成長途上にあって更生が期待できるということから、少年法にいう少年は20歳に満たない者のままで改正されませんでした。
しかし、他の法律では、18歳、19歳は責任ある立場となっていますから、少年法は18歳、19歳を特定少年として、17歳以下の少年とは異なる扱いをすることになりました。
どこが異なるかというと、特定少年は原則、逆送事件が増え、逆送後は20歳以上の者と原則同様に扱われます。これが厳罰化と言われるものです。原則逆送事件にどのような事件が増えたかというと、改正前は故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件に限られていましたが、改正後はこれに死刑、無期または短期1年以上の懲役、禁錮にあたる罪の事件が加わりました。たとえば、強盗、強盗致傷、強制性交、放火、組織的詐欺罪など、被害者が死亡していなくても原則逆送になり、検察官に送致されることになります。そして、検察官は原則として起訴しなければならず、特定少年は公開の刑事法廷で刑事裁判を受け、無罪とならない限り、刑罰を科せられることになりました。
次の改正点は、この起訴の段階で、特定少年の推知報道禁止が解除されたことです。改正前は、少年法61条で、少年の氏名、顔写真などの報道は禁止されていましたが、特定少年のときに犯した罪により起訴された場合、この推知報道禁止が解除されました。起訴段階の検察の事件広報で氏名が発表されることになり、改正からすでに8カ月が経ちましたが、氏名は発表されたり、されなかったりしています。
検察において、そのような運用がされているのは、この法改正には衆参両院の付帯決議があるからです。決議には、逆送されたとしても事案の内容や報道の公共性の程度にはさまざまなものがあり、インターネットの掲載で半永久的に情報を閲覧できるので、特定少年の健全な育成や更生の妨げにならないよう十分配慮しなければならないと記載されています。この付帯決議を受けて、最高検が各地検に事務連絡で、この決議内容を踏まえた事件広報をせよとして、氏名の公表をする場合の基準を示しています。「犯罪が重大で、地域社会に与える影響も深刻な事案では、社会の正当な関心に応えるという観点から氏名の公表を検討せよ。典型は裁判員裁判事件である」としたため、事案によって公表される場合と、されない場合があるわけです。
では、検察が氏名を公表した場合、報道はどうだったのか。2021年10月、山梨県甲府市で、当時19歳の男が後輩の女子生徒の両親を殺害、妹にも重傷を負わせ、住宅に火をつけた放火殺人事件で、甲府地検は法改正後の2022年4月8日、初めて起訴時に氏名を公表しました。報道について、テレビはNHKと在京キー5局がいずれも氏名を報じ、民放の多くは顔写真も放送しました。紙面で匿名にしたのは私が調べた限り、東京新聞、河北新報、琉球新報の3社でした。インターネットでは、氏名は有料・無料配信で異なる扱いがされたり、顔写真についても一部の新聞社で、紙面とは異なる扱いがされました。地元局、地元紙について見てみると、山梨放送とテレビ山梨は、どちらも当日のニュース番組で氏名と顔写真を報道し、その理由も放送しています。また、山梨日日新聞は実名で報じたうえで「本紙見解」という形で、社内での意見交換の内容などを伝える記事を併せて掲載し、論説記事も実名報道に関してでした。
このように、報道の特徴としては、実名・匿名の判断の説明のほか、判断に至る悩みや社内外での議論について賛成・反対両方の意見を報じています。この他、紙面・放送とウェブサイト、さらにウェブサイトでも有料・無料で異なる扱いをしているという点が特徴として挙げられます。
私がその後の逆送起訴事件を報道などから調べた結果、2件目の氏名公表となったのは、2022年3月に大阪府寝屋川市で起きた強盗致死事件でした。こちらは報道が分かれ、調べる限りNHK、読売、産経、日経の4社が、放送・紙面・ウェブとも実名。朝日、毎日は紙面・ウェブとも匿名でした。また、在阪民放では、読売テレビ、MBSが放送は実名、ウェブは匿名という扱いでした。あくまで私が報道などから調べたものですが、2022年12月段階で、19件の特定少年の逆送起訴があり、検察が氏名公表したのが10件、非公表が9件でした。その理由は、諸般の事情を踏まえてといった抽象的なものが多く、結局よくわからないというものになっています。この点は、報道の実名・匿名の説明でも同様と言えます。
公表か非公表かを見てきましたが、山梨放火殺人事件の新聞報道では、「初の実名解禁」という見出しもありました。法務省も「実名報道解禁」と表現しているのですが、実名報道解禁なのでしょうか。なぜ、少年事件はこれまで実名報道をしてこなかったのか。そもそも少年法61条はどのような規定なのか。少年法61条違反が問われた裁判例から見ていきたいと思います。
実は、ほとんど裁判例がないのですが、1998年、大阪府堺市で、シンナー中毒の19歳少年が5歳児を殺害のうえ、その母親と女子高校生にも重傷を負わせた事件で、雑誌『新潮45』が、事件直後に実名、写真掲載の詳細なルポを掲載したことをめぐり、被疑者の少年が、プライバシー権、肖像権、名誉権、実名で報道されない権利を侵害されたとして訴えを起こしました。一審の大阪地裁は、少年法61条は、少年の利益や更生について優越的地位を与えたものであって、それを上回る特段の公益上の必要性があって、手段方法がやむを得ない場合でなければ賠償責任を負うとして、出版社側に250万円の賠償を命じましたが、二審の大阪高裁は一転、一審とは逆の判断を示しました。その判決内容は、61条は罰則がなく、推知報道しないことを社会の自主規制に委ねたものであり、表現行為が社会の正当な関心事であり、その表現内容、方法が不当でない場合は違法性を欠くとして、この記事にそれらを認めて、一審判決を取り消しました。少年が上告を取り下げたために確定し、最高裁の判断はされていません。
ほぼ同じ時期に、集団によるリンチ殺人、長良川事件について、被告人の1人が『週刊文春』の実名をもじった仮名の記事について提訴した件では、名古屋地裁は、大阪地裁と同様の考えで30万円の損害賠償を認めました。名古屋高裁はこれに加え、少年法61条は、少年の成長発達過程において、健全に成長するための権利を保障したものと判断し、出版社側の控訴を棄却しました。
この件では、仮名記事が推知報道にあたるかどうかも争点でしたが、最高裁は、少年法が禁じる推知報道にあたるかどうかは、この記事によって不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知できるかどうかで判断すべきであって、本件仮名の記事は推知報道にあたらないと判断し、61条については、それがどういう条項であるのか、直接判断はしませんでした。結局、名誉毀損、プライバシー侵害について、通常の判断方法で判断せよとされ、最終的に少年の敗訴となりました。
これらはインターネットが普及する前の裁判例であって、少年を知らない一般市民が実名を知っても永遠に記憶しているとも思えないであるとか、情報の伝達範囲が限られているとされており、このインターネットが発達した現代において、同じ結論になるかはわからないところもあります。最高裁が少年法61条について直接判断したものはなく、高裁の判断も分かれていますが、実名を報じたとしても直ちに違法な名誉権やプライバシー権の侵害になるわけではなく、表現の自由、報道の自由との調整が必要と考えられます。
それなのに、なぜ、これまで新聞、通信社、放送は実名で報じてこなかったのか。新聞協会の方針は1958年からずっと同じで、61条は罰則がなく自主的規制に待とうという趣旨だという考えのもと自主規制し、例外的に少年保護より社会的利益の擁護が強く優先する特殊な場合は、氏名や写真の掲載をすることがあるとしてきました。放送も同様だと思います。自律的判断で報じてこなかったのであって、単に少年法61条が禁じているから報じなかったわけではないと思います。
では、改正で18歳、19歳が61条の対象から外れ、検察が氏名を発表したらどうするか、報道機関はより一層重い自律的判断を迫られていると思います。特定少年の実名報道について、社会の意見は、少年の更生という目的は同じでも考え方が真っ向から対立しており、賛成意見の中には、処罰感情や社会的制裁の観点から賛成とする人もいます。
報道機関の実名・匿名の選択は、このどちらかの意見によるものなのでしょうか、そうではないと思います。どちらの意見も大切ですが、報道は当事者の利益に従うものではないし、当事者の利益に沿う報道が良い報道というわけではないはずです。報道には、こうした賛成・反対の意見に留まらない意義があって、それがさまざまな立場の市民からの信頼につながるのだと思います。つまり、特定少年の実名・匿名の問題は、なぜ実名で報じるのか、なぜ事件を報じるのか、報道が守ろうとする社会的利益は何かという報道の根本的な存在意義につながる問いであり、それが今、市民によくわからない状況になっていると思います。ですから、それを説明すること、判断のプロセス、議論や悩みを説明することは、とても意味のあることなのです。
いろいろな考えがあると思いますが、山梨日日新聞は「実名を報道することは、社会的制裁を加えたり、処罰感情を満たしたりするためではない。事実を正確に伝え、社会として検証を可能にするために必要な要素だと考えるからである。報道機関が事件を伝えるのは、どんなことがどういう背景で起きたか社会で共有するため、事件に向き合って、問題を探り、教訓として、再発防止に知恵を出し合って、安心安全な社会づくりに役立てる。取材報道を通じて、読者の知る権利に応えるとともに、罪を犯した人を排除せず、傷付いた被害者、遺族を温かく見守る社会を目指し、記者一人ひとりが不断の努力を重ねなければならない」と報じています。
この実名報道の目的が、逆に言えば、実名報道をする基準にもなるかもしれません。こういうことは、報道機関の皆さんからしたら当たり前のことかもしれませんが、私も含め、言ってもらわないとわからないのです。判断のプロセス、議論や悩みについては、放送の場合、時間の制約などもあるので、ウェブサイトを使うという手法は良いと思います。
MBSが、寝屋川事件について「特定少年を実名で語る」というタイトルで、警察担当、司法担当、報道編集長の目線という3つのコラム(※参考)を、それぞれの方たちが実名、顔写真を出して、ウェブサイトに掲載していますが、それぞれの立場での事件への接し方、実名・匿名の考え方、悩みなどが率直に書かれています。司法担当記者の「実名報道によって、若くして道を踏み外してしまった人の、その後の人生まで左右してしまってよいのか。もし正解があるとすれば、これまで以上に取材を丁寧に重ねることしかないのだと思う」といった率直な言葉は心に届き、好感、信頼感を持ちました。報道編集長は今後の課題を挙げ、実名・匿名の判断にあたって、家裁からの情報には、少年の性格、人格面での情報が乏しく、捜査情報をもとにした犯罪内容や罪の大きさという尺度が比重として大きくなる可能性をはらんでいるという指摘をしており、それには、なるほどと思い、改善の必要があるのではないかと、問題の共有ができました。
弁護士会の中でも、実名・匿名について議論することがあり、報道機関は捜査機関の発表を右から左に報道しているだけだという批判を聞くことがあります。しかし、こうした批判に対して、報道機関から発信された記事を示すと、非常に説得力があり、役に立っています。また、もっとも説得力があるのは、取材を尽くした結果の判断であるということだと思います。
事実の正確さは、多くのネット上の言論との一番の違いであり、報道機関の存在意義だと思いますので、取材内容や苦労もできるだけ詳しく伝えていただいたほうがよいと思います。このように、実名か匿名かの説明においては、型どおりのものではなく、報道の現場を視聴者に、社会に伝えるものにしてほしいのです。あと、起訴時に実名報道をした場合には、特にその後の刑事裁判を取材し、報道してほしいと思います。
先ほどの寝屋川事件の判決が10月31日に出ましたが、懲役9年以上15年以下の不定期刑でした。改正で、特定少年には不定期刑は適用しないとなりましたが、経過措置規定により不定期刑にしています。つまり、この少年は、特定少年として扱うか、少年として扱うべきか、境界上の事案だったと言えます。報道によれば、裁判員の1人は、事件を知ったときは極悪な少年なのかと構える部分があったが、裁判の受け答えがとても素直で幼い印象を持ったとの感想を述べたということです。
こうした事実の報道が、少年法の改正が適切だったのか、検証する重要な材料になります。そして、少年の成育歴や反省など、裁判で明らかになった事実から実名報道が正しかったのか、逆送起訴がふさわしかったのかを検証し、論じてほしいと思います。何が少年を犯罪に向かわせたのか、社会に潜む問題を明らかにして、問題提起をしてほしいのです。実名報道について、見せしめ効果で少年犯罪を抑止するとの考えもありますが、真の抑止は問題の解決です。
さらに重要なのが、被害者、遺族支援です。厳しい現状を伝え、精神面、経済面の支援策について問題提起をしていただきたい。実名報道の意義に、被害者感情や制裁を挙げることがありますが、被害は被疑者の実名や顔写真がさらされることで真に回復はしません。こうした報道を特定少年について続けていくのが、実名報道を行った責任ではないかと思います。
改正少年法は、5年後に見直しがあります。改正少年法やその運用に実際に深く接するのは付添人、弁護人となった弁護士はもとより、取材により少年や事件に深く切り込んだ報道機関の皆さんです。検察が公表・非公表を振り分けていいのか。非公表の中に本来、公表すべき事案はなかったのか。検察の公表・非公表の判断基準は適切なのか。公判廷での少年の扱いは適切か。公判廷で明らかになった事実からして、実名・匿名は適切だったのか。原則逆送事件の範囲は適切か。皆さんが取材した事実から、判断材料の提供、問題提供をしていただきたいと思います。
報道機関の皆様には、これまで以上に重い責任、重い判断が課されていると思います。大変だと思いますが、よりよい報道のために頑張っていただきたいと思います。
【※参考】
 https://www.mbs.jp/news/column/scene/article/2022/05/088890.shtml
 https://www.mbs.jp/news/column/scene/article/2022/05/088891.shtml
 https://www.mbs.jp/news/column/scene/article/2022/05/088892.shtml

<質疑応答>

●参加者
特定少年の実名・匿名をめぐる問題は、メディアによって対応が違うことを説明いただきましたが、それによる影響など、何か具体的に把握されていることがありますか。

●廣田委員
対応は各社で違ってよくて、むしろ対応が違ったことで、社会に議論が起きなければいけないと思います。どうしてあの社は実名なのか、なぜ、あの社は氏名を公表しないのか、そこに何があるのかということで議論が起きるべきであり、議論を起こすべきであるのに何の議論も起きていないことが問題なのではないかと、私は思います。

●参加者
テレビ報道とネット記事に関連して、実名・匿名の判断を統一するべきではないかという考え方と、ネット記事は放送よりも閲覧性が高く、検索性も高いので分けて考えるべきという考え方がありますが、この点についてご意見あればお伺いしたいです。

●廣田委員
その2つの考え、どちらでもあり得ることで、事案によって違うかもしれないですし、私はその社で議論を尽くして決めればいいと思います。ただ、全体的な流れから言いますと、ネット上にはデジタル・タトゥーの問題もあり、紙面や放送は実名だけれども、ウェブ上では匿名にするというのが主流ではないかと思います。

●参加者
有料だったら名前が見れるというのは、名前を知るためにお金を払う。つまりは、メディアとしての収入の糧にしているというふうにも見える気がするのですが、いかがお考えでしょうか。

●廣田委員
検索しても引っ掛からないと、かなり閲覧数も変わってきて、その閲覧数を抑えるため、検索に引っ掛からないようにするために有料と無料とを分けていると、聞いたことがあります。ただ、説明の仕方によっては、名前を有料で売るみたいな、取られ方もされると思うので、(新聞社には)きちんと説明してもらうべきだなと、今すごく思いました。

●司会
曽我部委員長、このコーナー全体を通して、何かご意見あればお願いします。

●曽我部真裕委員長
一義的な回答というのはないということです。ただ、法律的に申しますと、実名・匿名の問題は、プライバシーと報道の自由とのバランスの問題でありまして、今までのところ裁判所は、実名を出しても良いという判断をしています。
直近でも、新聞報道で、被疑者の住所の地番まで出したことについて、これはプライバシー侵害ではないか、名誉毀損ではないかという訴えがあったのですが、地番まで表示することは許されるという高裁の判断が確定しています。
事件報道に関しては、法律、純法律的にいうとかなり広く、実名、住所の表記が現状、許されているというのが実際のところだと思います。ただ、プライバシー意識が非常に高まっていますので、5年後、10年後、今のようなバランス感覚で裁判所も判断するとは、私は思っていません。
別な例を挙げますと、少年事件の非常に詳細な記録を引用しながら論文を書いた元家裁の調査官に対して、プライバシーの侵害だと訴訟が提起されたのですが、最高裁はセンシティブな情報が含まれているけれども許されるとの判断を示しました。理由は学術論文だからです。学術論文ですから当然見る人も少ないわけですが、単に見る人が多い、少ないという話ではなく、学術的に必要だ、なので許されるという理屈だったわけです。
ということで、単に有料版で数が少なく閲覧者も少ないから実名、無料で広く見られるから匿名という理由は、理屈として成り立たず、結局のところ、この事件を報じるにあたって、なぜ実名なのかということをしっかり整理していく必要があるということです。

●廣田委員
今、曽我部委員長がおっしゃったように、プライバシー意識の高まりやインターネットによる拡散、デジタル・タトゥーの問題などもあり、多くの弁護士から、なぜ実名でなければいけないの?ってよく聞かれるのですが、やはり名前というのは、非常に重要な要素であると、皆さん同様に私も思います。
日本は、情報開示請求をしても全部黒く塗られてくることが多く、報道機関の報道が記録する役目をずっと担ってきたと思います。私も仕事上でいろいろな調べものをするとき、いつ、どこで、誰が何をしたかまで、すべて報道から情報を得ています。誰もがすぐにアクセスできて、見ることができるという機能を、日本においては報道が担ってきたという側面があるので、常になぜ実名なのかということを意識して発信を続けていただきたいと、しみじみ思いますので、よろしくお願いします。

◎委員会決定の解説 ①

第76号「リアリティ番組出演者遺族からの申立て」に関して

対象となったのは、2020年5月19日に放送されたフジテレビの『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020』。募集によって選ばれた初対面の男女6人が「テラスハウス」と称するシェアハウスで共同生活する様子を映し、スタジオのタレントらがそれにコメントするスタイルのいわゆるリアリティ番組で、NetflixとFOD(フジテレビが運営する動画配信サービス)で配信され、数週間後に地上波で放送されていた。
この番組に出演していたプロレスラーの木村花さんが放送後に亡くなったことについて、同氏の母親が、娘の死は番組の“過剰な演出”がきっかけでSNS上に批判が殺到したためだとして、人権侵害があったと委員会に申し立てた。

委員会決定文の起草を担当した曽我部委員長(当時、委員長代行)が、SNS上で誹謗中傷が殺到し、木村花さんが自死するきっかけとなった「コスチューム事件」など、この事案を判断する上でポイントなる内容を時系列で説明した後、3つの論点を提示し解説した。

●曽我部委員長
まず本件の一番大きな論点は、本件放送自体による、視聴者の行為を介した人権侵害という申立人の主張です。木村さんが自傷行為や病院を受診するなどのきっかけとなったのは、直接的にはネット上の誹謗中傷であり放送局に責任はないように思えますが、申立人は、放送局は誹謗中傷が殺到することを十分に予想でき、放送局にも責任があるという主張です。
これについて、まず大前提として、表現の自由との関係で問題があり、ネット上の誹謗中傷の責任を放送局に帰責するということは、一般論として、なかなか受け入れられないという側面があります。ただし、本件には、特殊性がありまして、何かと申しますと、まずネットフリックスで配信が行われて、そこですでに誹謗中傷が起きていて、かつ、それによって自傷行為という重大な結果を招いてしまっているという事実です。少なくとも、先行する放送ないし配信によって重大な被害が生じている場合、それを認識しながら漫然と実質的に同一の内容を放送するということは、被害が予見可能であるのにあえて放送したという意味において、放送局にも責任があるんじゃないかという考え方です。
これを、本件に当てはめてみると、フジテレビ側は、自宅の訪問、LINEによる体調ケア、医師の紹介など一定のケア対応をしていました。さらに本件放送を行う前にも一定の慎重さを持って判断がなされていたこともわかり、決して漫然と放送したものとは言えず、よって、人権侵害があったとまでは断定できないとの判断になりました。
2つ目の論点は、自己決定権及び人格権、プライバシーの侵害があったかどうかという点です。木村さんとフジテレビ側の間では、「同意書兼誓約書」いわば出演契約書のようなものが結ばれていました。申立人は、これが出演者にとって非常に不利な内容で、制作側の指示で不本意なこともやらざるを得ず、自己決定権、人格権の侵害があったと主張しました。
この主張に対し、委員会は、若者であるとはいえ成人である出演者が自由意思で応募して出演している番組制作の過程で、制作スタッフから出された指示が違法性を帯びることは、自由な意思決定の余地が事実上奪われているような例外的な場合であると、認定しました。そのうえで、本件では、制作スタッフからの強い影響力が及んでいたことは想像に難くないが、例外的な場合にあったとはいえず、よって、自己決定権などの侵害は認められないとの判断をしました。
最後の論点は、放送倫理上の問題です。今回のテラスハウスは、いわゆるリアリティ番組だったわけですが、リアリティ番組の特殊性として、出演者に対する毀誉褒貶を出演者自身が直接引き受けなければならないという構造があります。どういうことかと言いますと、例えばドラマや映画ですと、登場人物がいかに嫌われるようなことをしても、これは演技であるということが視聴者にもわかるわけですが、リアリティ番組の場合は、素の状態でそういうことをしているというふうに見られますので、何か嫌われるようなことをしたときには直接、攻撃が本人にいってしまうということです。
したがって、出演者自身が精神的負担を負うリスクは、フィクション、つまりドラマなどに比べてはるかに高く、放送局はリアリティ番組を制作する以上、出演者の身体的・精神的な健康状態に格段の配慮をすべきであり、そのことは放送倫理の当然の内容であるとしました。しかし、本件では、こうした配慮が欠けていたと判断できることから、放送倫理上問題があったと結論付けました。出演者の健康状態に配慮するということが放送倫理の内容になるという今回の判断は結構、反響が大きいものでした。
その他、リアリティ番組の制作、放送を行うに当たっての放送局側の体制の問題を課題として指摘せざるを得ないと、委員会では判断していまして、フジテレビには自ら定める対策を着実に実施し、再発防止に努めることを要望しました。
さらに、普通は当該局に対してだけ判断を伝えるわけですが、今回は異例ではありますが、放送界全体に対しても、木村さんに起こったような悲劇が二度と起こらないよう、自主的な取り組みを進めていってもらいたいというメッセージを付け加えました。

この後、本件の委員会決定とは結論が異なる「少数意見」をそれぞれ書いた二関委員長代行と國森委員が、その理由を解説した。放送人権委員会の委員会決定における「補足意見」、「意見」、「少数意見」は、いずれも委員個人の名前で書かれるものであって、委員会としての判断を示すものではなく、その違いは以下に示すとおりである。

補足意見:
委員会決定と結論が同じで、決定の理由付けを補足する観点から書かれたもの
意見 :
委員会決定と結論を同じくするものの、理由付けが異なるもの
少数意見:
委員会決定とは結論が異なるもの

<少数意見>
●二関辰郎委員長代行
人権侵害の有無について、多数意見(委員会決定)は無しとしましたが、私は人権侵害については、有りとも無しとも判断せず、本件については放送倫理上の問題があったかどうかのみを判断するのが妥当という立場を採りました。
その理由として、まず、当委員会の運営規則「苦情の取扱い基準」で、放送されていない事項は、原則として取り扱わないとされていることが挙げられます。本件はこの点、放送からは知り得ない事項、たとえば、木村さんがどういった心理状態でいて、それがどのように変化したのかが判断の上で非常に重要な要素になってきますが、ご本人が亡くなっていて事情がよくわからない。また、人の精神的状況のケアにかかわる専門的知見が当委員会にはない。このような場合に結論を出すことは、結局のところ立証責任の問題になり、申立人に不利に働き、事案に即した内容に至れないおそれもあると考えました。
加えて、この問題では、内容的に違法ではない番組を放送することによって法的責任が生じるかという、表現の自由との緊張関係があります。その意味で、事実認定などが困難な状況において、本件は法的問題としては取り上げない方がよいと判断しました。
次に、放送倫理上の問題についてお話します。多数意見は放送倫理上「問題あり」としていますが、私は当委員会の判断区分でより重い「重大な問題あり」としました。何が結論の違う理由なのか、理由づけで多数意見と異なるポイントだけご説明します。
まず、同意書兼誓約書の問題です。同意書兼誓約書を締結したときに十分な説明をしたかという問題も重要ですが、締結した結果生じる、出演者と放送局との関係に着目しました。つまり、放送局は、この契約関係を通じて出演者を管理支配しうる状況を確保しており、そのような強い立場性の反映として、出演者の精神状態に配慮すべき要請が強く働くと考えました。
次のポイントは、未公開動画についてです。多数意見は、この未公開動画の配信について、フジテレビが「視聴者からの木村さんの評価を回復できるのではないかと考えた」との主張は、あながち不当とは言い難いと、積極的要素としてとらえていますが、果たしてそうだろうかというのが私の見解です。
コスチューム事件は、木村さんが命の次に大事だと言っていたコスチュームを洗濯機に置き忘れたことに端を発しており、その意味では木村さん自身にも非があったのに、自分の落ち度を棚に上げて男性出演者に感情をぶつけたことがSNS上で非難される原因だったわけです。
実際、この未公開動画の配信後、木村さんへの批判が増えました。その数日後に本件放送を行ったフジテレビの行為は、木村さんの精神状況に配慮すべき放送局のあるべき姿とはかけ離れたものと言えます。
これらのことから、本件は放送倫理上重大な問題があったと言わざるを得ないのではないかというのが、私の見解です。

●國森康弘委員
私は、本件放送について人権侵害があったと判断し、少数意見を書きました。もちろん多数意見(委員会決定)にも多く賛同する点があり、ここでは意見が異なる主な二点について説明します。
まず、番組制作過程における人権侵害の有無についての私の見解を述べます。木村さんをはじめ出演者は皆、放送局との間で「同意書兼誓約書」を結んでおり、その内容は演出を含む撮影方針に従わざるを得ないような、かつ損害賠償にも触れており、かなりある意味で圧力を感じるようなものとなっていました。それに加えて、今回のような若い出演者は制作側スタッフとの年齢差、業界歴の長さのほか、出演する側と出演させる側といった違いなどから、かなり弱い立場にあったことが見受けられます。
そのような関係性において、スタッフからの提案、指示、要請は半ば強制力を持っており、実際、木村さんは、親しい人や他の出演者に、いろいろスタッフへの不信や不満を打ち明けていました。たとえば、「これも撮る前に○○さんにめちゃ、煽られたからね」「編集では、やっぱり面白いようにいじられますね」「スタッフにも悪意を感じる」「スタッフは信用できない」「これでまた炎上するんだろうな」「炎上して話題になって製作陣は満足かな」などと心情を吐露しています。
以上のことから、木村さんには、自由な意思決定の余地が一定程度、奪われている様子が見受けられること、しかも「真意に基づく言動とは異なる姿」で自分自身が描かれ、その人物像に不満を抱き、かつ、その像によって自身がバッシングの標的になっていることから、自己決定権や人格権の侵害がなかったとは言えないのではないかというふうに考えました。
そして、二つ目は、木村さんの自傷行為後の本件放送についてです。多数意見(委員会決定)では、木村さんへのケアとか再発防止について、「一定の対応がなされたことによって再度の深刻な被害の予見可能性は低下しており、また、一応の慎重さをもって判断がなされたことがうかがえるため、漫然と放送を決定したものとは言えない」との判断を示しています。
ただ私は、漫然とまでは言わなくても、精神的ケアやバッシングの防止についての対応が不十分であったら、それは問題であると思いますし、また放送決定に至った判断材料の吟味が不十分であれば、それも問題であると考えています。確かにネットフリックスの先行配信では、直ちに人権侵害があったとまでは言えないと思いますが、現実にはこの先行配信で沸き起こったバッシングを苦にして、木村さんはリストカットをされており、同居していた友人らは、うつが見られたと話しています。
自傷行為というのは、心の痛みを体の痛みでふたをするものであって、そのふたをする効果を継続的に得るためには、さらに自傷の頻度とか強度を高めていかざるを得なくて、最終的には死をたぐり寄せてしまう傾向にあります。また、うつ病や躁うつ病というのは、心というよりは脳の働きに異常をきたして適切な判断ができなくなる病気であって、死にたいから死ぬのではなくて、死の恐怖よりも苦しみのほうが強くなることで死を求める、そのような病気です。
自傷行為を始め、それを重ね、そして自死に至るまでの間、木村さんは友人だけでなく、制作側スタッフにもLINEでいろいろ苦しい胸の内を明かしていました。「死にたくなってきた」「生きててすみませんてなって」「腹を切って詫びたい」などと連絡しています。これらのSOSを現場だけでなく、より責任ある立場の人たちとも共有しながら速やかに全社的な対応をとるべきではなかったでしょうか。ところが現実には、視聴者やネットユーザーにバッシングの自制を呼びかけることもなく、地上波放送でさらなる誹謗中傷を呼び込むことになったことから、木村さんの孤独感と苦痛を増大させたことは否めず、深刻な再被害の予見可能性はむしろ上がっていたと、私は考えます。
漫然と放送を決定したとは言えないものの、バッシングにさらされ、重大な被害を受けている出演者を守りケアする、若者の心身を預かるという視座において対応が十分でなかったために、木村さんに相当な精神的苦痛を与える形になり、それは一人の生身の人間の許容限度を相当に超えていたと考えられ、木村さんの人権を侵害したと判断するに至りました。
イギリスのように日本の制作現場においても、精神科医をはじめSNS対策専門家、弁護士らが常駐あるいは継続的に立ち会い、助言する体制が望ましいと考えます。それが出演者はもちろん、視聴者そして制作者自身を守ることにつながるからです。

◆第二部
◎委員会決定の解説 ②

第77号「宮崎放火殺人事件報道に対する申立て」に関して

申立ての対象となったのは、NHK宮崎放送局が2020年11月20日に放送したローカルニュース番組『イブニング宮崎』で、同日のトップ項目として、同年3月に宮崎市内で男性2人が死亡した住宅火災の続報を報道した。その内容は、火災は放火殺人事件の疑いが強くなり、容疑者がガソリンをまいて火をつけ住民の男性を殺害し自分も死亡した可能性があるというもので、その原因として2人の間に「何らかの金銭的なトラブル」があったかのように伝えた。これに対し、亡くなった被害者の弟である申立人が「兄にも原因の一端があるような報道は正確ではなく、放送は亡くなった兄の名誉を損なうものだ」として、委員会に申立てを行った。

本件の起草担当者は、水野委員と鈴木委員長代行で、はじめに水野委員が委員会決定文の内容を解説した。

●水野剛也委員
先に結論を述べますと、「三なし」です。人権侵害なし、放送倫理上の問題なし、そして要望もなし、です。しかし、今後の取材活動に関わり、注意しておくべき点として、「トラブル」という言葉は、立場や文脈や視聴の仕方により多様に受け取られる可能性があるため、事件報道の常套句、決まり文句のようなものとして安易に用いることのないよう留意する必要があります。
それでは、まず、人権侵害があったかどうかについて解説します。申立人は事件の被害者の弟で、本件放送により兄の名誉を毀損され、ひいては申立人の人格的利益(遺族としての敬愛追慕の情)をも侵害された、と主張しています。
委員会ではこれまで、故人が誹謗中傷された場合、故人に対する近親者の「敬愛追慕の情の侵害」としてとらえることが可能との判断を示しています。どのように判断するのかというと、本件放送が社会的に妥当な許容限度(受忍限度)を超えているか否かを、客観的、かつ総合的に判断します。総合的判断の要素には、亡くなった兄の社会的評価への影響、放送内容、公共性、公益性、そして取材方法、などがあります。
まず、本件放送が兄の社会的評価を低下させたか否かについてですが、一般的な視聴者の普通の見方をすれば、兄に非があってトラブルになったという放送内容とは受け取れないので、明らかに低下させているわけではない、と考えられます。また「何らかの金銭的なトラブル」という表現についても、申立人の兄、容疑者とも亡くなっていて、複数の捜査関係者から一定の裏付けを取った上で警察の認識として伝えており、不適切とは言えません。そして、2人が死亡した火災が事故ではなく、放火事件である可能性が強まったことを報じる本件放送には、高い公共性があり、その目的にも十分な公益性があることから、許容限度を超えて申立人の敬愛追慕の情を侵害していない、と判断しました。
次に、放送倫理上の問題があったかどうかについて解説します。申立人が問題視しているのは2点です。1点目は「何らかの金銭的なトラブル」という表現について、兄にも非があることを示唆している、と主張しています。しかし、本件放送全体を見れば、兄に何らかの非があったとはっきり伝えているわけでも、強く示唆しているわけでもないので、問題はない、と判断しました。
もう1点、申立人が問題視しているのは「何らかの金銭的トラブル」について、まったく聞いたことがないのに、警察への取材だけで自分に確認せずに放送した、という点です。しかし、すでに述べている通り、兄と容疑者はすでに死亡していること、また複数の捜査関係者への取材で確認し、警察の認識として伝えていることなどから、放送倫理上も問題はない、と判断しました。
以上が決定文の内容の解説ですが、せっかく皆さんと対面でお会いしているので、私見も含め少しお話しさせていただきます。今回、私は実の兄を亡くされた申立人の心情もある程度は汲んで決定文を書きました。結論だけ見ると、申立人の主張をまったく受け入れていないのですが、意外なことに申立人の方は納得というか、満足されているようで、通知公表のときに我々に非常に感謝してくださいました。
結果は申立人の思うようなものでなくても、人権委員会の委員全員がヒアリングで真剣に話を聞き、中には、申立人の話に涙ぐむ委員もいました。彼が十分に自分の主張を伝えることができたという点で、納得していただいたのかなと思います。人権委員会の委員として、もっともやりがいを感じる瞬間です。
次に、報道に携わる方には、被害者の人権、心情にも意識を向けていただきたいです。ヒアリングの場で放送局側は、ガソリンをまいて死亡した容疑者を犯人視しないよう気をつけた、容疑者にも人権がある、という点を繰り返しておっしゃっていましたが、被害を受けて亡くなった方、その遺族の人権については、あまり言及されていませんでした。容疑者の人権ももちろん大事ですが、被害者の人権、遺族の人権・心情も意識すると、よりバランスが取れるのかなと感じた次第です。
また、トラブルという言葉は頻出語ですから、注意喚起はしましたが、この言葉を使うこと自体を躊躇する必要はまったくないと思います。ただ、便利な言葉だけに盲点があって、それぞれの人がレンズ越しに自分の感覚で認識してしまう。人による解釈の多様性に気づきにくい、という盲点があるんだろうと考えます。
最後に、BPOのBPとは何か?とかく放送現場の方々は、BPOは怖い、厳しい、監視機関というようなイメージが強いようです。奥武則前委員長は、BPOのBPは「ブラック・ポリス」または文句ばかり言っているから「ブーイング・ピープル」だと、冗談で言っておられましたが、委員は皆、普通の人です。私たちは、皆さんの話をもっと聞きたいし、皆さんにも私たちの話をもっと聞いてほしい。これからはBPOのBPは「ベスト・パートナー」だと認識してほしいと思います。

●鈴木秀美委員長代行
水野委員とともに起草委員を担当させていただきましたが、この宮崎の案件は、私が2021年4月に、放送人権委員会の委員になって初めて扱うものでした。水野委員からもお話があったとおり、先ほどのあのニュースを見て「これのどこが問題?」と感じた方、結構多いのではないかと思います。かくいう私もそうでした。
ところが、先ほどのお話にありましたとおり「2人の間に何らかの金銭的トラブル」という表現について、私は自分に非がなくてもトラブルに巻き込まれることはあるし、お兄さんの評判を悪くするような報道との認識はなかったのですが、いや、そうではないと受け取る委員もたくさんいて、本当に見方はいろいろで、ニュースで言葉を選ぶのは本当に難しいんだなと、考えさせられました。
この案件を皆さんにもっとよく知っていただくため、私が記者会見のときにお話しした内容をここで紹介させていただきます。申立人である弟さんはもともと、この火事は本当に事故なのか疑いを持っておられました。しかし、警察が事故という前提でこの件を処理しようとしている中で、たった一人で調査を始めたんです。実は弟さん、お兄さんとは長く別々に暮らしていて、あまりお付き合いもなかったそうです。
ところが、お兄さんが亡くなって初めて、自分の兄がどういう人生を送っていたのか知りたいと思って調べ始め、その結果、これは単なる火事ではなく事件ではないかとの疑念を抱き、そしてようやく警察、検察も事件として扱うことになったので、どういう報道がされるのか、すごく期待していたようです。
ところが、期待していたところのニュースとは違っていたことで落胆し、本来は自分に確認してほしいと思っていたことも確認されず、さらに、この「金銭的なトラブル」という言葉で、お兄さんにも非があったのでは?というようなことを一部の人から言われたりもしたそうです。そうした弟さんのいろいろな思いが、申立てをするきっかけになったということを、ぜひご紹介しておきたいと思った次第です。

続いて、委員会決定とは結論が異なる少数意見を書いた二関委員長代行と斉藤委員が、それぞれ、その理由を述べた。

<少数意見>
●二関委員長代行
多数意見(委員会決定)のとおり、「トラブル」という言葉は中立的な表現ですし、本件の全体的な文脈から、申立人の兄に何らかの非があったとはっきり報道しているわけでもない。それはそのとおりなんですが、私には何か引っ掛かったんですね。その引っ掛かりが何なのかと考えたところ、本件放送では、「2人の間に何らかの金銭的なトラブルがあり」という言い回しをしています。単に「トラブル」あるいは「金銭的なトラブル」と言うのではなく、「2人の間に何らかのトラブルがあり」と。こういう言い回しを使うときは、トラブルの存在を両者が認識している場合を指すのではないかと思いました。
この点は後で補足することとしし、まずは判断の枠組み的な話を少しします。
報道番組の内容が人の社会的評価を低下させるか否かについて、BPOは、最高裁判例の考えを踏まえ、一般視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準にしています。本件放送でも、法的判断ではこの基準に従い、人格的利益(遺族の敬愛追慕の情)の侵害にはならないと判断しました。しかし、法的判断とは別に放送倫理上の問題を検討するにあたっては、その基準を用いない方が良い場合があり、本件はそのような場合にあたるのではないかと、考えました。一般視聴者は次々に映し出されては消えていく画面を受動的に視聴し、次々と提供される情報を瞬時に理解することを余儀なくされる立場にあります。他方、放送局は情報をあらかじめ準備して編集のうえ提供する側です。放送倫理の問題を検討するにあたっては、この違いを踏まえるのが妥当な場合があるのではないかと思うのです。放送倫理は、放送局に対する高度な規範ですので、少なくとも法的責任よりは厳しい面があってもいいと理解しています。そのため、一般視聴者の基準とまでは言えなくても、特定少数を超えた相当数の視聴者の視点を基準に、「このように受け止める視聴者もいるだろう」と言える場合には配慮する、より慎重な配慮が求められて然るべきであろうと考えました。
さて、冒頭で触れた内容に戻りますが、本件放送では「2人の間に何らかの金銭的なトラブル」があり、容疑者がガソリンをまいて火をつけ、兄を殺害した疑いが強まったと警察はみているという内容を報じています。人は通常、よほどの理由がなければ、人にガソリンをまいて火をつけるような残酷な行為は行わないのではないでしょうか。行為者がそういう残酷な行為を平気で行なう人物として描かれていれば別かもしれませんが、本件ではそういう紹介はなく、「2人の間に何らかの金銭的なトラブルがあり」と、それが動機であったように報道しています。
そうすると、視聴者の中には、申立人の兄が、金銭をめぐって容疑者からよほど恨みをかうようなことを行ったのではないかと受け止める人もいたのではないか。
これは、冒頭で申し上げたとおり、「2人の間にトラブルがあり」と言う場合は、トラブルの存在を両者が認識している場合が前提で、その一人が一方的に何かひどい目にあう場合は指さないのではないか、そういう問題意識が根底にあります。
このほか、容疑者には住居侵入窃盗後に証拠隠滅のために住居に放火をした同種前科がありました。NHKもこの事実を本件放送前に把握していたことを認めています。前科に触れなかった理由について、NHKは、容疑者が死亡していて弁解の余地がないこと、無罪推定の原則が働くことから犯人視報道をしない観点からであると説明していました。
仮にこの前科の情報がニュースに含まれていたら、申立人の兄に被害者としての落ち度があったか否かに関する視聴者の受けとめ方が変わっていた可能性があったかもしれません。もっとも、どう放送するかは放送局の判断ですし、前科に触れない理由にもっともな部分もありますから、伝えなかったこと自体が悪いというつもりはありません。とはいえ、容疑者の人権に配慮して前科に触れないのであれば、同様に、亡くなっていて説明する機会を持たない申立人の兄の人権にも配慮してもよかったのではないでしょうか。
そのため、少数意見は、根拠も具体的内容も明確ではない「2人の間に何らかの金銭的なトラブルがあり」という表現の使用は控えるのが妥当であり、そのような表現を使った点に放送倫理上の問題があったと考えました。正直、この少数意見の結論は、私自身も少々厳しいかなと思う一方、BPOは国による組織でなく、放送局自身が作った組織です。水野委員からBPOのBPはベストパートナーの略という話がありましたが、厳しいことも言う、耳に痛いことも言う友人こそがベストパートナーではないでしょうか。より良い番組を作ってほしいという観点もあって、こうした意見にしました。

●斉藤とも子委員
私は2021年4月に委員となり、これが初めての審理案件で、ヒアリングも初めてでした。私は一視聴者として、それからもう1つ、取り上げられる、放送されることによって、私生活にどのような影響が及ぶかという点はある程度、実体験もあり、お話できるかなと思っています。
このニュースを見ただけでは最初、私も何の問題も感じませんでした。何も問題なく、そのまま聞いてしまいそうなニュースではあったんですけれども、委員会に申立てがされた後は、お兄さんを亡くされた弟さんの気持ちというものを考えずにはいられませんでした。
「2人の間に何らかの金銭的トラブル」と聞いたときに、確かにそう言われてみると、どちらか片方だけに非があるのではなくて、両方に何か問題があったのかな?ガソリンをつけて焼かれるというのは、余程の何かがあったのかなと思う人もいるだろうなと。そして、もし私の身内がそういう殺され方をして、「2人の間に何らかの金銭的トラブル」という言い方をされたら、すごく傷つくだろうなというふうに思いました。
ヒアリングのときに、弟さんは、事件の真相を知るために自分の仕事を辞めて8カ月、何があったのかということを、いろいろな人に聞き取りに回られていたことがわかりました。NHKによると、「何らかの金銭的トラブル」については、複数の捜査関係者から裏付けが取れているということですけれども、実際どれだけの捜査員がこのことを把握していたのか、それが具体的にどういったことを指すのか、ということははっきりしませんでした。にもかかわらず、この「金銭的トラブル」という言い回しを使う必要性が、私にはよくわからなかったのです。
よく言われる公共性、公益性という言葉が、私はすごく引っ掛かります。この「金銭的トラブル」という言葉を使うことが、公共性と公益性に関係があるのだろうか。私は、「金銭的トラブル」という表現がなくても十分、報道として通用すると思いますし、現に私が知る限り他の報道機関では使われていません。
遺族を傷つける可能性がある言葉は、十分に慎重であってほしいと思います。なぜなら、弟さんは実際に、知人たちからお兄さんにも何か非があったのではないかというふうに言われて、非常に傷ついていますし、この一言によって、その人の人生が変わってしまう可能性もあると思うんですね。
弟さんがNHKの取材を受けたときに、誠意がないように感じた、きちんと聞いてくれていないように感じたということをおっしゃっていたんですね。BPOのNHK側へのヒアリングのときも、自分たちには何も落ち度がないという形で、準備してきた答えをゆるぎなく述べられていると、私は感じてしまいました。自分たちはそんなつもりではなく使った言葉が、ここまで傷つけていたということであれば、これからは考えます、というような相手を思う言葉があればちょっと違ったのかもしれないんですけど。
確かに、「放送倫理上問題あり」との意見は厳しい気もしますが、これを「問題なし」としたら、私は何のためにここにきているのかとも思いました。なので、私的な意見ではありますが、特にこの弟さんのように市井の方の場合、公に弁解もできませんし、放送される言葉の遣い方ひとつで、致命的に傷つくケースがあるということを、どうか心に留めておいていただきたいと思います。

●参加者
決定文本文の中にない事柄も含めていろいろご説明いただき、なるほどそういう背景があったのかと、非常にストンと落ちました。宮崎は他に民放が2局ありますが、2局がこの事件をどう報道したのか。何らかのトラブルという言葉がもし引っ掛かったのだとすれば、それはNHKさんだけが使用した単語だったのか、その辺りのことお分かりならば教えていただきたいと思います。

●水野委員
宮崎の他局の報道については把握をしていません。しかし、申立人は当初、この案件が終わった後に、他局についても申し立てるつもりだと言っていました。したがって、他局の報道についても不満があったと思いますが、自分の気持ちを委員会に受けとめてもらい納得したというか、腑に落ちたようなので、さらなる申し立てをとりやめた経緯があります。

●参加者
委員会に提出した意見書、審理の過程でお話した内容とは変わってくると思いますが、私の印象をお伝えすると、少しわかりにくいニュースが、ご遺族を傷つける結果につながったんじゃないかなと思っています。通常ですと、捜査中の事案の場合、「警察で詳しい経緯を捜査しています」というような形で原稿を締めるところを、被疑者死亡のまま書類送検という一区切りついたことになったので、何らかの結論を持っていかなきゃいけないと考えたのではないかと推測します。
2人の間に何らかの金銭的なトラブルというと、私もこれまで原稿を見る立場でもありましたけど、双方に何らかの落ち度があるというふうに思う方がいるという前提で、その言葉を選んできたので、そういう意味で万全ではなかったと思います。なので、取材者に対し、今回の件を教訓として共有していきたいなというふうに思いますし、特に少数意見で率直なことをお聞かせいただき、すごく役立ちました。ありがとうございました。

●参加者
この案件の書類作成、ヒアリングなど、いろいろ対応にあたりましたが、窓口対応者としては、BPOは、やはり裁判みたいに感じるところがありました。我々としては、「これは放送上問題ない」という前提で話をしていこうと組織で決定し、その決定に基づいて対応にあたってきました。現場のデスクとも何度もやり取りをして、いろいろ話もしましたけれども、ヒアリングの場で委員が感じられたのは、やはりそういう冷たい感じだったので、ちょっといろいろ考えさせられました。でも私が知る限り、現場の人間は事後対応を含め、これで良かったんだろうかと悩みながらやっているのは事実でして、決定をいただいた後も、伝え方は本当にいろいろと考えていかなければいけないと話しているところでありますので、その点少しでもご理解いただけるとありがたく思います。

◎「知床観光船沈没事故における人権と放送」解説と質疑応答

最後は、2022年4月、北海道知床半島沖で起きた観光船沈没事故における人権と放送をテーマとして取り上げた。この事故取材をめぐっては、遺族取材やメディアスクラムなどの問題で、各社が非常に厳しい判断を迫られた。
事故の概要などをまとめたVTR(約4分)の後、北海道放送の磯田雄大報道部長が、取材・放送で直面した課題などについて報告した。

●磯田雄大氏
4月に事故が発生したときは、ニュースデスクをしておりました。今回の知床観光船沈没事故ですが、乗客・乗員26人のうち生存者なしという、最近では異例の大惨事となり、依然6人が行方不明のままです。6月1日に船体を網走港に陸揚げするまで1カ月以上、各社とも知床に取材班を置きましたが、長期取材を通じて、これまでと違う点がいろいろと見えてきました。
過去の被害者が多数発生した事故では、乗客名簿が公開されるケースがありましたが、今回の知床の事故では乗客名簿は公表されませんでした。1985年の日航機の墜落事故では520人の方が亡くなりましたが、このときは、航空会社がすぐに乗客名簿を公開し、報道機関はそれを実名で報じました。また、2000年に北海道の浦河港沖で14人が死亡する漁船転覆事故がありましたが、そのときも海上保安庁と地元の漁協が全員の身元を公表しています。
そうした中で、今回は名簿が公表されなかったわけですが、当初、第一管区海上保安本部は、運航会社の知床遊覧船に名簿を出すよう要請したということです。一方、国土交通省は、連絡がつかない家族がいたため名簿の公表を検討しましたが、2日後にすべての家族と連絡が取れたということで公開しないという考えを示しました。このときの説明は、公益性は高いが、プライバシー保護の観点から公表しないという説明でした。知床遊覧船の桂田社長は、4月27日の記者会見で、家族から名簿が流出しているとの抗議を受けたことを語り、家族が名簿の公開に否定的であることを明らかにしました。しかし、どうも非公式に出回っている名簿があったようで、それを入手して取材をしている報道機関もあったというふうに聞いています。このように、身元が確認された被害者家族の意向を受けて海上保安庁では匿名で発表することを選択しました。
もう1つは、メディアスクラムの問題です。事故発生直後から、家族取材を自粛するよう要請を受けました。その理由は、家族はかなり憔悴しているので取材は自粛してほしいというものでした。こうした中、北海道内の24社は、集団的過熱取材(メディアスクラム)を避けるため節度ある取材を進めること、例えば、代表取材をしたりするなど、誠意をもって協力するというような内容の申し合わせを行いました。
しかし、こうした申し合わせが結ばれたにもかかわらず、家族からの報道批判はありました。事故で息子さんとお孫さんを亡くされた遺族が記者会見を行い「なぜ私達をそっとしておいていただけないのでしょうか。それが報道の使命ですか。絶対に許したくない」と、怒りをあらわにしました。
他の地域で過去に起きた事件では、メディアスクラムを防ぐために記者クラブで協力している例があると聞いています。2019年7月に起きた京都アニメーション放火殺人事件では、新聞社などの記者クラブと民放の記者クラブが話し合って代表取材を決めたということです。ずっと個別取材しない、接触を永遠に控えるというわけではなく、一定の区切りがつくまで、例えば四十九日とか、そういう区切りがつくまでといった内容で、代表取材解除のタイミングもあらためて話し合って決めるというものでした。
このほか、事故で行方不明となっている22歳の男性が、同乗した恋人の女性に船の上でプロポーズする予定だったことがわかり、通夜と告別式の会場で、女性に宛てた手紙が掲示されました。各社がその手紙を撮影して報道したところ、当社やSNS上の書き込みに「プロポーズの手紙を公開するのはどういう神経でやっているのか、はなはだ疑問だ。遺族の許可があったとはいえ、不特定多数に公表するようなものなのか」などの批判や違和感を覚えるなどの意見が寄せられました。被害者のエピソードを取材するというのは、報道機関としては至極あたり前のように思うのですが、視聴者からこのような批判や意見が届くと、報道にあたっては、いろいろなことを考えなければいけない時代になったのかなというふうに思います。
今回の事故取材をめぐっては、さまざまな課題が浮き彫りとなり、これまでやってきた取材手法だけでは立ち行かないと思うと同時に、見直すべき点も多々あったと思う次第です。以上で報告を終えますが、メディアスクラムの問題で、実際に私も批判を受けるようなことがあったのですが、どのように対応することが望ましかったのか、ご意見頂戴できればと思います。

●丹羽美之委員 
今回の事故に関しては、本当に報道現場の皆さん、悩まれることが多かったということがとてもよくわかりました。メディアスクラムの問題については、一律で何か解決策があるわけではないと思います。ただ、ぜひやっていただきたいのが、今回申し合わせを行ったにもかかわらず、うまく機能しなかった原因はどこにあったのかという点と、実効性のある申し合わせをするためには何が必要なのかということを、ぜひ、事後検証していただきたいということです。特にメディアスクラムは初動時、事件・事故が起こった早い段階で起こることが多いと思いますが、申し合わせがそこにどの程度対応できていたのかということも含めてです。磯田さんの報告によると、申し合わせを破ったのはキー局だったのですか?

●磯田氏
キー局というか、私どもの取材班に応援に来てもらっていたキー局の若い記者が、私たちの指示のもと、関係者と思われる方に名刺を差し出したところ、それがたまたま、先程の記者会見を開いてメディアの対応を強く批判されたご遺族の方だったということです。

●丹羽委員 
これもよくあるパターンだと思うのですが、大きな事故・事件であれば、全国から取材応援のため記者が入ってきます。そのときに末端の取材陣にまで、その申し合わせが行き渡らないケースもあるのではないかと思います。そういう意味で言うと、申し合わせをきちんと実効力のあるものにするためには、どういう体制作りが必要なのか、北海道モデルみたいなものが、今回の件を教訓にうまく作り出せるといいのかなと思います。
もうひとつは、そういう制度整備だけではうまくいかないところがあると思っていまして、それは報道の文化とか、記者の職業規範の問題です。現場の記者は、ライバル社に負けるな、特オチするなというプレッシャーを掛けられる一方で、メディアスクラムには加担するなという真逆のメッセージを出されているわけで、苦悩している記者は結構多いのではないかと思います。
私はドキュメンタリー番組をよく見ますが、ドキュメンタリーは、ニュースの取材が一段落した後から取材が始まるところがあって、ニュースが落としていったものを拾い上げることでドキュメンタリーを作っていくというようなところもあるわけです。そう考えると、特オチを恐れず、しっかり時間をかけて機が熟するのを待って取材をするとか、被害者の方々もあのタイミングではダメだったけれど、もう少し時間が経てば取材に応じてくださるとか、そういうこともあると思います。
すべての人が取材拒否しているわけではなく、この思いを多くの人に聞いてもらいたい、忘れないでほしいと思っている被害者の方、遺族の方もいると思いますから、そういう人たちが心を開きたくなる瞬間まで待つという、取材倫理みたいなものをどう作り上げていくかということも大事なのではないかと思いました。

●野村裕委員 
磯田さんの報告を聞いて申し上げたいのは、まずメディアスクラムがなぜ起きるのかということです。メディアがスクラムを組んでいるだけではなく、そこには視聴者スクラムというか、視聴者側も見たがっている、だからそれに応える、応えたいという大きな力が働いているように思います。
しかし、ただ視聴者の欲求に応えていれば良いという問題ではなく、メディアスクラム対策としては、今後は取材の中身もさることながら、放送の分量みたいなところも意識する必要があるのではないかと思います。放送量すなわち尺が長ければ、当然、厚めの取材をしてたくさんの映像を撮る必要が出てくるでしょうし、またどんどん続報を打っていくという方針ならば、追加取材のための新規映像を撮らなければいけなくなるからです。
一方で、いまメディアに求められているのは、個々のニュースについて、それだけの放送量、扱いを視聴者が本当に求めているのかという冷静な判断ではないでしょうか。視聴率に惑わされないケースバイケースの試行錯誤、積み重ねが、新たなテレビの文化につながっていくのではないかと思います。
「されど視聴率」であることも重々わかりますが、その上で、「今、このニュースばかりを扱っているけれども、あの件もきちんと報道しておくべきじゃないか」みたいな、そういう大局的判断を日頃から意識することが、メディアスクラム対策につながるのではないかと思いました。

●松田美佐委員 
今回の事故の被害者家族への取材ですが、私、個人的には、すぐに本当に伝える必要があったのかなというふうに見ていました。もちろん、視聴者にこの悲惨な事故の詳細や、巻き込まれた方の人となりを伝え、再発防止に向けて世論に働きかけていくということがとても重要であることはわかるんですけれども。
でも、そのために、被害者のご遺族に負担を強いることがあっていいのかということですよね。これまでは、それがある意味、マスメディアの社会的役割としてあったんですけれども、どうもそれが受け入れられなくなってきているということです。
インターネットの普及により、情報の自己コントロール権、自分で自分の情報をコントロールする権利というようなことがよく言われていますが、それ以上に私たちは今、外から強いられるのではなく、以前に比べ自分で何でも選択できる幅が広がり、それが当たり前となっている社会にいるということです。
そういう時代なのに、何か事件・事故が起きたら、否応なしにいきなり巻き込まれ、時間をくれないし、選択の余地も与えてもらえない、そういうところに、マスメディアに対する抵抗があるのだと思います。普段、自分の意思で状況を選択して動いている人なら、訳が分からないまま入り込んでこられることに一層、反発するのではないでしょうか。
社会全体が変容しつつある今の時代において、知る権利にきちんと応えていくということは当然あるにしても、その知る権利への応え方もかなり変わってきていることを再認識した上で、視聴者および事件・事故の被害者家族にも納得してもらえる報道の在り方を、一緒に考えていければなというふうに思っています。

●司会
ありがとうございました。予定の時間を過ぎておりまして、ここでそろそろ終わりという形にさせていただきたいと思います。本日は、長時間にわたる意見交換会にご参加いただき、誠にありがとうございました。本日の議論を、ぜひ、今後の番組作りに生かしていただければと思います。

以上