青少年委員会

青少年委員会 意見交換会

2023年11月

青少年委員会 金沢地区放送局との意見交換会 概要

青少年委員会は毎年、全国各地でさまざまな形で意見交換会を開催しています。今回は金沢地区の放送局とBPOとの親交を深め、番組向上に役立てることを目的に2023年11月22日午後2時から5時まで、金沢市で意見交換をしました。
BPOからは青少年委員会の榊原洋一委員長、緑川由香副委員長、飯田豊委員、沢井佳子委員、髙橋聡美委員、吉永みち子委員の6人が参加しました。放送局からはNHK(金沢放送局)、MRO北陸放送、石川テレビ放送、テレビ金沢、北陸朝日放送、エフエム石川の各BPO連絡責任者、編成、制作、報道番組担当者など計15人が参加しました。

《「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解の解説》

BPO青少年委員会が2022年4月に公表した「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解について榊原委員長が解説しました。

〇榊原委員長
痛みを伴うことを笑いの対象とすること、キーワードとしては「痛み」と「笑い」です。
嘲笑は笑いではありません。嘲笑というのは例えば人が痛い目に遭っているときにワッと笑うことですが、笑いの質として違いがあります。本当に楽しく笑うと頭の中に幸せホルモンが出て、ストレスを解消する働きがあるといいます。しかし、他人が苦しんでいるのを見て、あるいは痛がっているのを見て笑うのは、本当の笑いなのだろうかという観点から考えています。
人は、例えば「苦しんでいる人を何とかしたいな」という気持ちや共感的な力、共感性というのを持っています。医学的に言いますと、その共感性というのは脳の中で他人が苦しんでいるときに何とかしてあげたいという気持ちが自然に湧いてくる能力です。その能力が生まれたばかりの赤ちゃんにはどうもないらしい。(赤ちゃんが)経験を通じて他人に対して共感するのだろうということが脳科学で分かってきています。そのときのキーワードに「ミラーニューロン」があります。ミラーニューロン、鏡の神経ということですが、他人が苦しんでいるのを見ていると、自分も、自分が苦しんだときや、自分がそういう目に遭ったときに感じるのと同じ神経がそれで活性化するということが分かっています。
赤ちゃんの模倣、赤ちゃんがまねをするというのは今から30年ぐらい前に見つかった現象ですが、赤ちゃんが他人の顔を見ていると自分がそれと同じ顔をしたと思われるところが、たとえ経験がなくても、活性化する脳の部分があるということが分かったのです。これがミラーニューロンです。
人間の場合、赤ちゃんでも大人でもそうですが、他人が泣いているところを見ると自分が泣いたときに活動する脳の部分が活動します。それを何度も繰り返して、今度は他人が困っている人を助ける、痛がっている人を助けるのを見ていると、自分も誰かが泣きやむとほっとします。このような他人の行動を鏡に映してやるようなことを繰り返す。その経験を繰り返すことで共感性が出てくると言われています。
これにはきちんとした科学的論文があります。他人の感情をミラーリングする。つまり他人の感情や行動を見ることによって、自分自身がそれと同じ体験をすることができる。このことが、人間が社会性や共感性を持つための一番根本にあるのだということが分かってきました。そのときに脳のどの部分が活性化するか、どこがミラーニューロンか、ということが明らかになってきて、研究が進んでいます。
テレビの場面では、かなりリアリティーを感じる演出になっていますから、本当に痛い場合があって、痛そうにしているのをスタジオで司会者らがそれを笑っているというのを見ることになります。辛い目に遭っている人がいるのに、何か笑っているではないか、ということを1回や2回ではなく何度も繰り返し見ることは、子どもが共感性を発達させることによくないのではないかという事実があったのです。それを基にこの見解を出しました。
他人の苦痛の表情を見ると、自分のミラーニューロン系が、自分が苦痛を感じたときと同じような活動をします。そして苦痛を感じている人を誰かが助けるのを見ると、自分の苦痛のミラーニューロン系が収まり、助ける行動で自分がいい気持ちになります。すると、教えなくても、助けた方がよいのだということがわかり、子どもがそういう場面を見ることで、共感性が育ってくると言われています。
この回路が反対に、他人が苦痛を感じているときに、それを嘲笑する、笑うというのを見ていると、働かないわけです。自分は苦痛を感じているけれど、スタジオの司会者らが結構笑っている、楽しそうにしているというのを見ると、その回路がうまく働かないことが起こるのではないかということです。
私たちはテレビを制作する方に、特に小さい子どもには、このような形で共感性を獲得していく過程があるということを知ってもらって、その知識を番組づくりに活用していただきたいと願って、この見解を出しました。
最後に、笑いにはいろいろな種類があります。「smile」や「laugh」などとてもポジティブな笑いや、嘲笑という英語だと「ridicule」とか「scorn」という言い方をしますが、これは似たような笑いと言いながら意味は違います。(番組制作者は)「みんなに笑いを届けているから」といいますが、ちょっと待ってくださいと。大人はある程度違いが分かりますが、笑いの種類によっては、特に小さい子どもや青少年の立場をじっくりと考えてほしいという気持ちでこの見解を出した次第です。

〇参加者
分かりやすいご説明をありがとうございます。僕らも「smile」と嘲笑の違いというのがなかなか分からないというところがあります。いま聞きながら笑いが定型化している、どこかそこに今の嘲笑と笑いの違いがあるのかなということに気づきました。
委員長が解説されたように(笑いが)パターン化されて、ばらまかれ、それを子どもが何回も見るというところに、テレビの持つ責任というものが出てくるのだろうと思いながら聞かせてもらいました。

《【テーマ1】子ども(小中学生)の『いじめ・自殺』報道について》

まず、地元局の代表社による、ニュース映像を用いた問題提起がありました。それを受けて髙橋委員から「いじめ、自殺報道について」説明があったのち、意見交換しました。

〇代表社の問題提起
石川県内の事例で、2年前にいじめの自殺がありました。金沢の近隣都市で、当時中学1年生の女子生徒がいじめによって自殺したケースです。各局とも、ニュースとして放送しています。弊社の初報のニュース、夕方のオンエアをご覧ください。<映像上映①>

〇髙橋委員
「子どものいじめと自殺の報道について」ということでお話させていただきます。私は全国で子どもたちのSOSの出し方教室や自殺で親を亡くした子どもたちを中心としたグリーフケアをしています。
いじめの認知率の推移について、2022年度のデータが先月(2023年10月)出されました。1,000人当たりの子どもに対してどれぐらいの認知率があるかという推移ですが、上昇しています。初めはいじめという認識がなかったものが、いじめと認識されるようになったことで増えているということもありますが、いずれにしても減ってはいないという状況です。
いじめの認知件数は低年齢ほど多いのですが、自殺の数は年齢が上がるほど多くて、これは逆相関の状況にあります。いじめが多いから自殺が多いというわけではないという状況です。子どもの自殺というのは全然減っておらず横ばい状態です。
問題は自殺の動機についてです。実は子どもの自殺は半数以上が原因不詳となっています。これは遺書が残っていないので分からないということです。遺書が残っているもので警察庁が分析した資料によると、小学校の男女とも原因の1位は家族のしつけ・叱責です。中学生は、男子が学業不振、家族のしつけ・叱責で、女子は親子関係の不和が1位になっており、本当は家庭の中の問題というのが中学生・小学生の自殺の原因の上位を占めています。いじめ問題は社会的な問題ですが、家庭内の問題というのは社会的な問題とは捉えられず、報道されにくいということがあります。子どもの自殺、イコールいじめ案件だけというイメージは、間違ったイメージであることは確かです。
ここで用語の使い分けをしておきます。自殺という言葉と自死という言葉をよく使われると思いますが、自殺対策基本法の中で、自殺対策は自殺対策ですが、遺族支援に関しては自死遺族という言葉を使っています。自殺遺族という言葉ではなくて自死遺族という言葉を使います。
自殺の報道の影響というのがあって、大きく報道されればされるほど自殺率が上がる。そして、その記事が手に入りやすい地域ほど自殺率が上がるということが分かっています。その影響は若年者層ほど大きく出ます。そして後追い自殺、その人のことを思って後を追って亡くなる自殺だけではなくて、いわゆる群発自殺と言われるような誘発、もともといろいろとメンタルに問題を抱えていたり悩み事があったりした子どもたちが、それに触発されて自殺することが起きます。これを「ウェルテル効果」と呼んでいます。

WHO(世界保健機関)は自殺報道でしてはならないことを提言という形で提示しています。提言のため拘束力がないので、あとは「報道の自由」と「報道する側の倫理観」みたいなものとの折り合いになると思います。
具体的には… ▼遺体や遺書の写真を掲載したり、自殺の方法を詳しく紹介したり、原因を単純化したりする報道はやめること。例えば、いじめで自殺した、先生に叱られて自殺したということです。▼自殺を美化したりセンセーショナルに報道したり、宗教的・文化的な固定概念を当てはめたりすることはやめる。例えば日本人は自殺が多いとか、キリスト教徒はどうだとか、そういう報道はやめるということ。▼自殺そのものを非難してはならない。これは自殺に対する偏見を助長するからであって、すごく難しいことですが、自死で亡くなった方に対する尊厳は保ちつつ、そしてその自死に対して批判はしない。でも自殺を美化しないということです。
これらがなかなか守られていない国が日本と韓国です。韓国も若いアイドルの自殺が多いのですが、やはりその後に若者が影響を受けることがあって、ここのところはしっかりと報道機関がその都度、考えていかなければならないところだと思います。

逆にやるべきことは何かというと、どこに支援を求めるか正しい情報を提供することをWHOがまず言っています。最近はニュースの最後に相談窓口の電話番号を紹介し、「困った人はこちらに連絡しましょう」と報道されるようになっていますが、私が懸念しているのは「最後にあれをつけたら中身はいいだろう」という感じがすることです。免罪符的に最後に相談窓口を紹介する傾向が見られるかなと、すごく懸念しています。
本当は身近な人に相談してほしいのです。いのちの電話やチャイルドラインは知らない人が応対するので、できれば身近な人に相談を、と考えています。
あとは自殺したことの報道だけではなく、自殺と自殺対策に対しての啓発報道をより多くしてほしいのと、日常生活のストレス対処法や、自殺の希死念慮【事務局注:「消えてなくなりたい」「楽になりたい」などの思考や観念を指す】の対処法などを報道してもらえるとよいと思います。自殺から救われるような報道をしてもらえると、幾らか生きづらい人たちが死なずに済むような道を選べるのかなと、思います。地域に根差したマスコミがいかに地域の資源を紹介するかということが非常に大事だと思っていますので、テレビ・ラジオ含めてそういう報道をしてもらえるとありがたいです。
著名人の自殺を報道する際は特に注意してほしいことがあります。改善されてきていますが、自殺の手段を報道することがあったり、「自宅で亡くなりました」や「クローゼットで見つかりました」という報道をしたりしているので、そこは気をつけてもらいたいところです。また自殺によって遺された家族や友人にインタビューするときには、非常に慎重にしなければなりません。意外と抜け落ちがちですが、メディアの関係者自身がその報道をすることや取材をすることによって、すごく心理的な影響を受けて傷つく体験をしているという観点も忘れてはならないと思います。報道する側にもケアが必要です。

子どもの自殺の原因をいじめだと、一つに絞りがちですが、実際は八方塞がりになってしまった子どもが自殺しています。部活動でうまくいかない子どもが、自宅でも家族関係がうまくいかない、勉強もうまくいかない、友達にもいじめられる、こういう八方塞がりになってしまったときに自殺のリスクが上がります。だから、いじめがあったとしても親に話せるとか、それでも何か夢があるなど、少し逃げ道があるといいのですが、それがなくて幾つか自殺の要因が重なると、リスクが上がってしまいます。
いじめの場合だと、自殺の原因を作った側の子どもに、今度は自殺のリスクが上がってしまうという観点も持っておかなければいけません。いじめ自殺の場合、ずっと裁判が続くことがありますので、加害者とされた子どもや、その加害に少し加担したと思われる子どもたち、それを傍観していた子どもたちも含めて、長い間、傷つく体験を何度も何度もしているという感じがしています。
子どもがいて、学校や地域があって、そこで私は子どもに対して自殺予防教育やSOSの出し方教室というのをやっています。教えているのは「本当に身近な大人に相談してちょうだい」ということです。「あなたたちのことを守りたいと思っている大人がいるから」と伝えています。受け止めてくれる人がいて、社会や地域にどんな資源があるかということを子どもたちがきちんと知っていることが大事だなと思います。
そういう意味では、これをきちんと地元のマスメディアが報じることがすごく大事です。この地域ではどういうことがあって、こういう子どもたちが救われているとか、こういうふうに生きづらさからリカバリーした子どもがいるなど、そういう報道がたくさんあるといいなと思っています。

<意見交換>

〇参加者
自殺の原因について、テレビだといじめということがクローズアップされてしまうのですが、家族(関係による原因)のほうが多いとの話がありましたので、「なるほどな」と思いながら聞いていました。
いじめがあった場合に私たちもいのちの電話という表示をします。いろいろ事情があって、例えば身近な人に相談してくださいといっても自殺の場合はなかなか遺族に取材するというわけにもいかなくて、教育委員会や警察など情報が限られる中で、なかなか詳しい情報は分からないところがあります。放送を通じてできることとできないことがどうしてもあるので、放送でできることはどういうことなのかなと思いながら聞いておりました。

〇髙橋委員
ありがとうございます。

〇代表社の参加者
さきほど見ていただいた映像は、いじめによって教育委員会が動いたということが主なニュースで、自殺といじめ、どちらの社会性が大きいと考えたかというと、いじめの社会性が大きいだろうということで取り上げたものです。たぶん各社のローカルニュースでも、去年1年間で1回も自殺単体でニュースにはしていないのではないかと思います。社会問題化して教育委員会が動いたとか、いじめが原因ということで捜査があったとか、そういう形ではあり得ますが、自殺単体をニュースに取り上げるということはローカルではまずないと思います。

〇吉永委員
子どもの自殺というのは私にしてみると本来驚愕の事件です。小学生・中学生が命を絶つということ自体が、何か社会に対する大きな警鐘を鳴らす一つの行動であって、これを誘発をするからという理由で報じないというのはどうなんだろうと疑問に思います。では、そのときにどう報じたらいいのかというと、特にいじめの場合はやはり学校側や教育委員会の側が隠蔽するという傾向が強いわけで、そこを時間が経ってからではなく、うまく取材をしていくことが大事で、取材しなければならない事案だと思います。ただそれをどのタイミングで出していくのかということには、すごく頭を使わなければいけないところかなと思います。
髙橋委員に質問があって、今の子どもの自殺の数がどんどん増えていることにびっくりしたのですが、これは既遂ですね。その背後に未遂の子どもがどれだけいるだろうかと思うと、社会問題としてもすごく迫ってくる重大な案件かなと思ったのですが。

〇髙橋委員
未遂に関しては推定値ですけれども、既遂の10倍はいると言われています。「死にたい、死にたい」と言っている子どもが増えているのが現実で、チャイルドラインやいのちの電話でも増えています。国はLINE相談窓口などを拡充させていますが、スクールカウンセラーの配置の増員というのをなかなか実行してくれません。目の前にいる人に相談できるような人の配置というのを早くしなければならないと思います。私が「スクールカウンセラーの配置を」と言っているのは、精神科(のカウンセリング)につなげてほしいと思うお子さんほど親御さん(保護者)にその理解がなかったり、お金や時間がなくて精神科に連れていけなかったり、自分が虐待しているからカウンセリングにはつなげたくないという親御さんがいたりするからです。

〇代表社の参加者
さきほど上映したVTRの中でも、「自宅で」という表現を使いました。今思えばそれが自宅であろうがどこであろうが、伝えるべき情報なのかということは、お話を聞いていて反省しました。
私たち報道の立場として、格好いい言葉で言えば真実を突き止めたいという、そういう思いが一方にあって、子どものいじめに関する自殺に関しては、割とぼかすところはぼかして報道しなければいけない。知っている情報もこれは精査して出さなければいけないという、そんなことを今、改めて思ったところです。
さきほども、地元に根差した身近な相談窓口など、そういったものを積極的に報道してほしいというお話がありましたし、それは大変勉強になりました。大きな公の全国レベルのところを紹介して、取りあえずアリバイづくりではありませんが、それをつけ加えればいいだろうと、そんな思いもあったように思いました。そこは地域のローカル放送局だからこそできる、そういう紹介や報道の仕方というのは改めて考えなければいけないと思いました。
この問題に関しては、例えば警察が絡む事件報道などとはまた違うスタンスで報道に臨まなければいけないということを感じました。
全国各地の自殺報道を見ていて、最初から学校名が出るケースもありますが、今回の場合は市の教育委員会は学校名を公表しませんでした。人口は5万人を超える自治体ですが、中学校は2つしかありません。市の教育委員会が学校名を伏せている中で、出すべきなのか、出さないほうがいいのか、迷いがありました。(メディア各社でも校名を)出している社と出していない社が分かれていて、弊社は途中から出すことになりました。自治体によって、教育委員会側の最初の公表の仕方がばらばらなので、いざこういう問題に自分たちが直面すると、どう対応すべきなのかという判断は、なかなかつかないのが現状です。

〇参加者
今の件で弊社は逆の対応、あくまで中学校名は出さないという対応を取りました。いまだにその報道の方針です。理由としては、遺族側には出してほしいという話がありますが、それは遺族側の思いであって、報道のデスクの間で話し合ったのは、同じ中学校の同級生たちが、もしここで名前が急に出てきて報道されたらどう思うかということです。そして、弊社は出さないという結論になりましたが、難しいですね。どこかの局は出していない、どこかの局は出している。新聞もおそらく、出している、出していないという対応が分かれた事例です。均一に線を引いてやれるものではないので難しいな、という感じをずっと持っています。

〇参加者
このニュースに関して私は当時、現場の記者をしていて、映像上映した局がやられた放送の内容と全く同じような形で放送しました。あのときは教育委員会から情報がどんどん出てきて、それを積み重ねてニュースにすると、まさに全く同じ形になりました。私たちも「自宅で」という形で方法について報道しましたが、今改めてそれを見ると、これはやったら駄目だったのではないかということを痛感しました。
当時の私には自殺を誘発するという意識が多少ありましたが、積み重なる情報を出していいかどうか、現場の記者としては事実が取れたというので(原稿に)書きました。それを一歩引いた目線で出すべきかどうかというのを本当に慎重に判断すべきだったと改めて思います。

〇榊原委員長
ありがとうございます。これを金太郎あめのように同じようにやるというのもまた変な話で、報道の自由と、(視聴者の)知る権利、それとそのことが及ぼす影響のバランスの中で、局によって(判断に)差があることは、決して悪いことではないと思います。みんなが悩んでいらっしゃることは、日本の放送をやっている方の良識がいろいろな判断の中に反映しているということだと思います。ほかにはどうでしょうか。

〇参加者
何でこのいじめ問題について報道するかというと、いじめそのものは問題ですが、その中で学校がどう対応したかという大人の問題があったと思っています。このいじめ問題について今年(2023年)、第三者委員会が入っていろいろと調べましたが、第三者委員会と学校側との認識不足というのが結構ありました。大人はどう対応したのか、学校はきちんと認識してしっかり対応したのかというところを検証するのが報道なのかなと思いました。

〇飯田委員
さきほど学校名を出す、出さないという議論になりましたが、今やテレビが報じなかったら子どもたちが知り得ないということでは必ずしもないと思います。自殺の状況次第ではSNSを介して子どもたちの目に触れたり、学校名も公になったりすることもあるでしょう。場合によっては、ネットでどれだけ情報が流通しているのかということも加味しながら、必要に応じて青少年に呼びかけていくということも、公共的ないし公益的なテレビ・ラジオの役割なのではないかと思っています。メディアの環境全体でWHO提言のうち、何を報じて何を報じないでおくべきか、というバランスを取っていくという視点が、これからますます重要になってくると考えます。

〇榊原委員長
髙橋委員の意見を聞きたいのですが、今テレビでやらなくても、SNSなどで、地元の人が「この子がいじめっ子だ」みたいに出たりするようです。そういう世の中になっていますが、何かございますか。

〇髙橋委員
問題は幾つかあります。まず子どもの自殺が起きたときに原因追求にフォーカスが当てられがちですが、原因となった人たちのケアというのも実は必要なのです。それは、いじめがあれば、(いじめた側の)子どもたちがそうですし、それに気づけなかった、あるいは対処できなかった教師たちもそうです。本当に教師人生が覆るほど傷ついているし、深い悲しみの中にいます。まず、そういう人たちをケアすることも大事なのですが、そこのケアはポンと飛ばされて、原因追求になるわけですね。
原因探しや犯人捜しを突き詰めると、再発防止になるかというと、再発防止に直結しないことも結構あります。再発防止というのは、やはりいじめがなくなるようなことを、長期的に考えていかねばなりませんが、「誰々さんがいじめをした」ことを追求するのが再発防止になるわけではありません。その仕組み自体を考えていかなければならないのであって、それ以上もう誰も傷つかないというのが本来の遺族支援というか、自殺が起きた後に私たちがやるべきことなのです。しかし、報道によって傷つく人がたくさんいる、それでまた自殺が相次ぐということになれば、これは自殺予防や、自殺が起きた後の報道としてあるべき姿ではないと私は思っています。
もう一つ。SNSでデマが回るということがあり、さまざまなうわさ話というのがSNSで回りやすい。その中で、テレビやラジオの報道がファクトであるということが大事だと思います。テレビとラジオはきちんとファクトを検証して、報道しているということです。
そこに軸足を持っていないと、例えば周辺の人にインタビューして、「そうらしいですよ」のような声を放送してしまうと、ただのうわさを流すことにしかなりません。何を共有すべきなのか、何のためにこの情報が必要なのかを考えて、ファクトを流していくことを軸足にしてほしい。
私自身、今皆さんとこうやって意見交換して、ここにジレンマを感じるとか、悩むとか、そこを一緒に考えながら、よりよい報道をしていただくことだと思います。みんなが悩む、そして今までの当たり前だったことに対して、疑問を持つということが大事なのかなと改めて思いました。

〇参加者
髙橋委員が話したネット(SNS)ということには、危機感を持っています。例えば、我々はWHOのガイドラインを見ていますし、それに沿って各社やっていると思いますし、沿っていなくても念頭にはあるわけです。
ただ、報道の配慮はできるけれども、なかなかそのケアを考えるところは、我々の仕事ではなくなってしまうのかなと思います。我々は伝えるのが仕事かなと思います。
我々はWHOのガイドラインに沿って名前も出しませんし、中学校の名前も配慮して出さないこともあります。でも一方でネットでは子どもの顔の写真が出ます、名前も出ます、どんないじめ、どんな死に方ということが出るときもあります。実際、加害者側も出てくるという中で、ネットでは「テレビ、ラジオ、新聞というのは、事実を隠しているのではないか」と言われていることもよくあるのです。
こちらがガイドラインに沿っていることで、「テレビは何か隠している」というように思われて、要するに、テレビは選択した事実しか流していないと言われてしまう。別に隠しているわけではないのですが、その辺の怖さというのを今、現場として感じています。
我々はまだ実名報道というのを守っていて、それは事実を担保するために、実名というのは必要だろうということをやっていますが、ネット時代では本当にテレビ報道は真実を伝えているのかと言われてしまう。伝えられているのですが、ネットを経験した人たちから見ると、信頼されないのではないかという、そういう思いがあります。

〇榊原委員長
この辺は、ネット情報に対するリテラシーを国民がどう持つかというところで、かなり変わってくるわけです。例えばSNSで炎上する場合、それのインフルエンサーになっている人というのは、1~2%しかいなくて、ほかの人がそれに雷同しているだけだという事実があるわけですね。それに対して、皆さんが悩みながら報道しているというのは、少なくとも複数の目が入って、どうしようか悩んだ上で出しているのです。だから、ファクトの度合いといいますか、その辺について、国民がだんだん気づくということが今後進めば、SNSの情報と、こういう複数の目が入った放送の間の差みたいなものを、みんなが分かってくると思います。
局によって対応が多少違うというあたりで悩みながらいくというのが、私が聞いていると、むしろ健全といいますか、もう絶対これだというよりは、いろいろ考えて悩んで、多少その差が出るということが重要なのかなと思いました。

《【テーマ2】子どもを対象とするカメラ取材の状況と問題について》

別の代表社によって、カメラ取材映像の紹介を交えながらの問題提起があり、その後、意見交換に移りました。

〇代表社の問題提起
5~6年ぐらい前からでしょうか、学校内で、子どもをテレビのニュースで撮影しようとする際、以前より撮影がしづらくなっています。学校側の要望で、主に子どもの顔の撮影ができませんと言われます。もともとは保護者にそういう要望があって、撮影しづらくなっています。もう一つは、制服や体操服の胸元の名札に名字があって、それが映像に映り込むのを避けるよう学校側から要望されるケースが出てきています。
実際に映像を見ていただきます。<映像上映②>

まずは、2学期の小学校のスタートのニュースです。金沢市の近隣の小学校で取材をしましたが、学校側から顔撮影がNGとありました。しかし、虐待を受けていて、親から逃げているような子どもではなく、親(保護者)の意向でNGですと。広いカットで登校風景を撮影して放送するのはいいですよと学校側から言われました。登校のときは後ろ打ち(子どもたちの背後から撮影)にしたり、広い映像にしたりしました。要は子どもの表情がない(撮影できない)のです。20数年前には、普通に登校して来る風景の中で、子ども同士が楽しく一緒に「久しぶりに会ったね」というような表情をアップで撮って、ごく普通に放送していました。社会的な条件がいろいろと重なって、撮影や放送しづらくなったなと、感じます。
もう一つ紹介します。こちらは対策編に近いところがあります。学校の中でのカメラ取材のとき、胸元にある名札の映り込みについて、感覚としては5~6年前から結構言われるようになりました。子どもの顔と胸元の名札が同じサイズの中に、例えばワンショットの中にあって、顔と名前が一致する映像を見た学校側や保護者から、「何々小学校の○○さんが付きまといに遭うのではないか」という指摘です。住宅地図でも使えば、校区内の○○という名字は、探そうと思えば探せるわけです。こういうことを懸念する学校があります。これは石川県に限らず、隣の福井県でも同じようなことを言われました。
教育委員会から指示があるわけではなく、校長や教頭クラスの管理職の判断でそういう懸念が出されているようです。いつもはうまく名札が見えないような角度にするなどして、かわしていますが、場合によっては学校側と話し合って「(名札部分に)白いテープを貼りましょうか」という提案も、それは少し行き過ぎかなと思いますが、提案することもあります。

ローカル番組に、6年前から始まった子どものクラブ活動を紹介するコーナーがあって、そこである対策をしました。よく見ると子どもたちの胸元に、番組のマスコットをマークにした缶バッジがあります。クラブ活動でかなり動きが激しいところで、もし胸元に名札があると、映像として隠したり、角度を変えて見えなくしたりは相当難しいのですが、胸元に缶バッチをつけることで、名札が隠れて見えません。このコーナーを始めたころから、名札が見えないような対策をしてきましたが、ちょうど2年前から、この缶バッチを作って、つけてもらうことを対策にしています。番組に親しみを持ってもらえるというのも併せて、いわば一石二鳥でやっています。
いずれの場合も、学校側の奥には保護者がいます。保護者と学校側の要望について映像面でどう配慮するのか、先方との話し合いはもちろん、局内でのさまざまな対策、やり方を考えないと、子どもたちの元気のよい姿が放送しづらくなっているという報告でした。

<意見交換>

〇榊原委員長
名札が映されると、何が困るのでしょうか。個人が同定されると困るということだと思いますが、どうして学校の校長らは、そういう判断をするのかという疑問です。

〇参加者
私は小学校で保護者会(の役員)をやっていたので、よく聞いた話ですが、保護者の中に子どもがテレビに映ることをよくないと思っている人は結構います。毎年、春になると多くの学校では、「テレビに映っていいですか」や「校内で作る広報誌にお子さんの顔が写ってもいいですか」という回答用紙がきて、保護者がそれにオーケーかどうかを書きこみます。広報誌にも写りたくないという保護者がいます。広報誌(の印刷)を、白黒だったのをカラー化しようとしたら、「カラーだとよりリアルになるので白黒のままであってほしい。その広報誌がどこかに回ったときに、自分の子どもが誘拐されるかもしれない。不審者につけられるかもしれない」と本気で思っている保護者が多くいます。そういう保護者の声を受けて、すごく慎重になっている学校があります。まったくおおらかな学校ももちろんありますが、厳しい保護者がいるところは、学校側も厳しくなっているなという印象があります。
もう一つ。学校取材のとき、うちの子は映してほしくないという保護者が言う子どもを、その場から外して、大丈夫な子どもだけで撮影できるようにしたことがありました。外された子どもはそんな事情を理解していないので、なぜ自分だけがその場にいられないのかと半泣きになってしまいました。みんなと一緒にインタビューに答えたいのに、先生から「あなたは駄目よ」と言われ半泣きになっている。こんな現状はよろしくないなと実感した記憶があります。
子どもを狙った事件などが増えれば増えるほど、保護者は昔と比べてものすごくデリケートになっているなというのを実感します。だから、その懸念も無視できず、なるべく大丈夫な範囲内で撮影することと、あとは本当に子どもの顔が分からないと駄目なのか、必要性も考えるようにしています。子どもが映らなくてもいいものもあれば、入学式や卒業式に子どもたちの顔は映さないでくれと言われたら、何のために取材に行っているのか分からなくなることもあって、大丈夫な学校に相談を持ちかけたことはあります。

〇榊原委員長
このような状況を薄々は想像していたのですが、校長としては、なるべく問題を起こしたくないし、別に取材に来てくれなくてもいいと考えれば、そうなると思います。どうでしょう、法律的には何かあるのですか。肖像権というのはどうなるのですか、ここに弁護士の先生(緑川副委員長)もいらっしゃいますが。

〇緑川副委員長
(取材対象が)子どもだから、(親権を持つ)保護者の意見があるという話で、そこで難しくなっていることはありますが、基本的には子どもだけの問題ではなく、例えば大人だったとしても、インタビューをしたときに顔を映していいですか、名前を出していいですか、嫌ですと言われたときに出せるかどうかということと、同じようなことなのかなと思って聞いていました。
例えばプライバシーの問題になったときには、そこはプライバシーの利益と、報道する利益の利益衡量ということで、最終的には判断されていくわけです。そうすると、そこで子どもの顔や名前を出すと、それは嫌だと言われても、出して報道するだけの利益があるのかどうかは、その都度考えながら進めることが必要になっていると思います。
特に子どもの誘拐というと、あまり一般的ではないのではないかと思いますが、絶対ないかというと、そうではないことではあります。より問題とされるのは、DVや虐待で支援措置を受けている、それで通っている学校を伏せたい、そのことすら言えないけれども、伏せたいということしか言えない事情がある子どもも今は、結構いると思います。学校側が、確認できない状況のまま映してしまうという可能性があることを気にするというのも、現実問題としてあるでしょう。報道する側は、そういう可能性があるかもしれないということを考えながら、どこまで報道するか検討していくということだと思います。
私が子どもの頃はテレビに出るということは特別なことで、そこで出たくないとか、名前を隠すというのはあまり考えられない時代でしたが、今は個人情報保護法も浸透してきて、どちらかというと「匿名社会を私たちは選んできている」、そういう方向に社会全体が向かっていて、私自身もそういう状況を受け入れていると思えるようになってきています。やはり昔とは違う社会状況というのを前提にしながら、個別、具体的に判断していかなければいけないと思います。
はじめに申し上げた利益衡量というのは、そのときの社会状況を前提にしたところでの利益衡量になりますから、「昔はこうだったのに」と言っても、そこは利益衡量の衡量材料にはなりません。今すこし行き過ぎているのではないか、そこまででなくてもよいのではないかというところで、さらにもう一歩進めて、どうしていくのがよいのかを提案しながら報道を考えていくといいのかなと思いました。
個人的には、入学式の放送では、後ろから映したとしても、別にもうよいのではないかな、前から映さなくても、後ろから入学式の状況を映しても、そのときの様子は報道できるかもしれないと思います。名札の問題をうまく調整していた放送局のやり方は、今の社会状況や、そのときの学校の状況を考えたときには、一つの方法かなと思いました。

〇参加者
僕の取材経験も全く同じで、学校側に「後ろから絶対撮ってくれ」や、インタビューもひどいのは「顔を切ってくれ(顔を映さないでくれ)」みたいな話になって、それは校長や教頭の判断ですから、おおらかな学校もいくつかあるので、そちらにお願いしていくようになります。
小学校の入学式の様子を後ろから撮ってもニュースは成立するのではないかと、お話がありましたが、成立はするでしょうけれども、そこに何のニュース価値があるのかなと思っています。ニュースにしたときは、やはり子どもの喜んでいる顔こそが、僕らはニュースの価値であって、入学式があったということ自体がニュースではないと思っています。もしどこの学校も(子どもの顔を)撮れないのであれば、たぶん取材に行かないのではないか。だからどうしても子どもの笑顔が撮りたい、そこにニュース価値があると、僕は思います。

〇参加者
さきほどDV被害から保護された子どもたちという話がありましたが、僕が聞いたところでは、たとえ顔が映らなくても、その子の持っている持ち物が映るだけでも、その子が特定されるということで、危ない事例があったようです。弊社では、顔を映さないだけではなく、その子の持ち物なども映らないように気をつけることがカメラマンの申し合わせにあるようです。だから、単純に「プライバシーで」というだけではなく、DVや虐待から逃げている母親の息子や娘という状況が、最近すごく多いということを感じています。

《関連の問題提起「子どもが映った放送番組素材のネット配信について」》

〇榊原委員長
次は、関連する事例として、子どもが映った放送番組や素材のネット配信についての問題提起があります。どうぞお願いいたします。

〇参加者から問題提起
古い話ですが2012年に、石川県内の都市にある公園で、屋外のスポーツテストをしていた高校生が、集団で熱中症の症状が出て病院に搬送されました。その一報を受けて記者とカメラマンが取材に行き、当時の状況を女子生徒にインタビューをして放送しました。
その取材内容が東京キー局にも送られ、全国向け放送ではなく、関東ローカルで放送されました。当時はまだネット配信という概念はあまりなかったのですが、放送した内容が、第三者に切り取られて、インターネットにアップされてしまいました。それをきっかけにして、その女子生徒の容姿に対する誹謗中傷が発生して、その生徒がすごく精神的な負担を受けてしまいました。
取材時の状況としては、未成年者のインタビューの際は、できるだけ保護者の同意を得るということでしたので、そこに迎えに来ていた保護者の了解を得た上でのインタビューでした。しかし、保護者としては石川県内だけの放送という認識だったので、そういう事態を受けてお怒りになってしまい、弊社としてはあちこちに削除を依頼する事態になりました。それで大部分は消えたということも含めて、納得してもらいましたが、その当時から弊社では、ネット上のいわゆるニュース映像として子どもの映像が配信されることについて、かなりシビアな対応になりました。つい最近までですが、18歳未満の子どもについては、インタビューも含めて、基本的に配信していませんでした。
だから、さきほどの入学式のニュースなども基本的には配信しないという流れで、2~3年前まではやっていましたが、最近の状況を踏まえて、「明るいニュースで承諾が取れればアップしましょう」となりました。明るいニュース以外の、事件・事故関係の子どもの映像が載ったものについては「ネット配信はなるべく控えましょう」という内規で動いているという状況です。
ただ、それも弊社だけの話であって、同じ系列の他局は全く意識していないというところですし、東京キー局ももちろんそういう意識をしていないということです。子どもが映った映像の場合、地上波だけでなく、ネットにも出されたときの対応について、特に削除が厳しいネットの状況については、頭を悩ませているところがあります。

<意見交換>

〇榊原委員長
確かに放送局のほうからネットに使えるような形で出すと、そこに責任が生じると思いますが、今はそうではなく、ただ普通に放送したものをまた録画してネットに、何の許可もなしで拡散されるという状況になっていると思います。ほかの放送局、あるいは委員から、今の問題についていかがでしょうか。

〇参加者
配信を前提とした報道というよりも、ややPRも兼ねた取材というときに、保護者全員の許諾、何なら誓約書みたいなものを取ったケースがありました。
とくに今、気をつけているのはプールの取材です。プールは女子児童であれば水着、男子児童であれば上半身は裸の場合が多いと思います。キー局から「男子であっても、胸元が見えるようなものは映さないでほしい。今はデジタルタトゥーなどという事例もあって、気をつけてほしい」と言われましたが、プールに入ると子どもは、はしゃいでジャンプしたりするのです。結果的にどうしても胸元が映ってしまう。男子なので気にしない人のほうが多いのですが、大人になったときにこれを見たらどうかとか、これを見て今いろいろな方がいますので、(性加害などの)標的になるというケースも考えられなくないということで、20~30人はいましたが、全員の保護者に、許可を取ってくれということになりました。配信前提のものでしたので、要は全世界に見えるような状態になります。プール教室にお願いして、保護者全員に一筆書いていただきました。これは数年前ですが、今年(2023年)も似たようなことがありました。そこまで苦労して撮るべきなのかな、というぐらいになっているのが実感です。そこまでやっています。

〇代表社の参加者
今、配信の話でありましたが、弊社もローカル番組の配信を始めました。取材先には放送もデジタル配信もありますよと、言うようにはしていますが、どこまで言えるかという問題があります。承諾書の話になってくると、さきほどのお話のように、20人の承諾書を取ることを前例にすると、取材よりも承諾にかかる手間のほうが多くなって、取材するほうが音を上げてしまいます。非常にバランスが難しいし、どこまでそれをやっていくのか、それをルールにすると現場取材が難しくなってしまうと思います。
さきほど参加者が、やはり子どもの表情が一番のニュースだとおっしゃり、確かにそのとおりで、我々も後ろから映すことがいいとは全然思っていません。けれども、学校の外での行動であれば映像取材は構いませんが、学校の児童・生徒が映るとなると学校の意向を聞かざるを得ない。そこが今のネックなのかなと思います。
あと、水着の話が出ていましたが、若い女性記者と話していたら、海開きかな、海で若いお子さんが楽しそうにはしゃいでいる映像を撮ろうと思ったのだそうです。しかし、こういう昨今の問題があって、それは問題かなという自主規制のような形で取材する側が遠慮してしまったということで、それはあまりよくないなと思いながら今お話を聞いておりました。

《【テーマ3】フリートーク》

参加者に、日常の取材活動などを通じて関心を持っているテーマについて、自由に問題提起してもらいました。

(1)「性的少数者である青少年の取材の留意点などについて」

〇参加者の問題提起
実はまだ取材できていないのですが、取材を試みているのは、LGBTQ(性的少数者)の高校生の男子で、学校で男女共用の服装を作ろうという運動をしています。本人は取材にオーケーで、両親もオーケーという状態ですが、ディレクターは取材をして放送するときに、本人と両親は了解しているけれども、実名を出していいのか、仮名みたいな感じで出せばいいのかと結構悩んでいます。LGBTQに関することが、この2~3年で急に話題になってきたので、僕らも過去にあまり事例がありません。ディレクターに対してどう指導していいのか、なかなか思い悩むところがあります。未成年のLGBTQの方に対して取材するときの留意点とか、どうしたらいいのかという事例があれば教えてほしいというところです。

〇髙橋委員
匿名にすることで偏見を助長する可能性もあるのではないでしょうか。偏見とのバランスはすごく難しいなと思っていて、LGBTQだから仮名にしなければならないのか、名前を伏せなければならないのかという議論にもなるので、基本的には本人の同意(に従うべき)なのかなと思います。

〇榊原委員長
私たちは、こうすべきだとか、これが正しいということを言う委員会ではなく、このようにしたらいいのかなと一緒に考えていこうという委員会です。さて、どうしたらいいのかなということですが。

〇吉永委員
ディレクターの方が悩んでいるポイントはどこですか。

〇参加者
悩んでいるというより、もし実名を出したときに、本人はいいと言うけれども、予期せずに(SNSなどが)炎上したらどうしようということです。過剰(な懸念)といえば過剰なのですが、そういう懸念をしているようです。

〇吉永委員
確かにLGBTQの状況は今すごく変わってきていて、日本では過渡期にあるのではないかと思います。この高校生は、匿名の社会の中で実名を出していいと言っているわけで、彼は孤独な戦いをしているわけではなくて、彼の周辺には理解者がいるでしょうし、そこで一緒にやろうという友人が何人かいるのですよね。その姿勢を尊重していかないと世の中が変わっていかないような気がします。
それでも、「何かがあったら」と考えていくと、もう結局やらないほうがいいという話にどうしてもなってしまう。学校がどのくらいの理解を示しているのか、学内的にもどのぐらいの理解がされているのか、どのくらい一緒にやろうという人がいるのか、という校内の雰囲気などをしっかりと総合的に判断した上で、本人の希望に沿うのか、本人を説得して匿名にさせるのか仮名にさせるのかという話になると思います。本人が(実名でと)言っているときに、逆に仮名にしろというのはなかなか難しいことではないか、という気がします。

〇参加者
LGBTQの方の取材の難しさということでは、弊社のディレクターも少し迷っているところがあります。取材しているのはLGBTQの小学生の子どもですが、その子は、小学校低学年で自分の性別に違和感を覚えているようです。本人は何となくそれを自覚しているという状況で、取材を申し込んで話を聞くことができました。本人は何となく取材に前向き、ただ保護者が「成長過程で心が変わるかもしれないので」ということで、取材に少し戸惑っていらっしゃいます。ディレクターとしては保護者が戸惑っている状況なので、さらに踏み込んだ取材をしていいのか、というところで足踏みしている状況です。
性的マイノリティーの人は成人したあと、小さい頃からすごく違和感を覚えていたと語る人が多いと思います。メディアとして、現時点でそういうふうに感じている子どもがいることを報道するのは重要なことだろうと思う反面、保護者の思いとそこを報道するかどうかで葛藤するという部分があります。子どもは成長とともにいろいろと学んで心は変わっていくと思いますが、そういう中で、この性的マイノリティーと自覚している子どもにどこまで接近して取材をしていいのか、また、取材のときにどんなことを配慮するべきなのかというところをすごく迷っている状況が、弊社にもあります。

〇榊原委員長
今のは、一番最先端の問題です。いろいろ摩擦があるようなことについては、ある程度勇気を持って出していく、きちんとした見識を自分たちでまとめて出していく、ということが世の中を変えていくのでしょう。SNSがある、あるいはネットがあると言いながら、こういう放送がとても大きな社会的な影響力を持っているというのも事実だと思います。換言すると、世論を意図的に操作するわけではありませんが、出していくということはある程度勇気を伴います。勇気が要りますが、(社会的に)必要なことだと思っています。

〇沢井委員
ネガティブなことは駄目なのかというと決してそうではなくて、むしろネガティブと思われる事柄に今後社会、環境を変えていくために大事な、今つらいけれどもこれをどうにかしたいという子どもなり保護者なりの意見があると思います。
私が子ども番組を監修するときにいつも考えるのは、国連の「子どもの権利条約」と、その条約の内容を日本の法律として初めて取り入れて、今年(2023年)4月に施行された「こども基本法」です。有名なのが子どもの意見表明権です。子どもにも意見を表明する権利があることと、子どもも社会的な活動に参加することができる、意見を言うだけではなくて、大人と一緒でもいいから、何か社会的活動に参加することができるということです。だからLGBTQの子どもの場合でも、社会をもっと住みやすく、生きづらくないように変えたいという願いを保護者と共に持っているでしょうし、その仲間にもあるでしょう。そういう潮流をメディアは誇張することもなく、「でも、そういう人たちがいますよ」ということは出すべきだと思います。
保護者が戸惑っていらっしゃるのは確かでして、例えば4歳とか5歳、6歳の子どもでは、そこで発達の過程で変化して、あれに顔出ししなければよかったと後で悔やむことがあってはいけないという心配だと思います。ただ、メディアというのは現在の出来事だけではなく、今がどのように積み重なって変わり、歴史となっていったかということを、映像として残すというミッションもあると思います。そうすると縦断的にずっと追っていく場合は、最初は顔出しではなく5歳の何とかちゃんはLGBTQの傾向があって、こういうことを悩んでいますということをずっと追っていく。私の感覚だと10歳を超えたぐらいのときにはもう本気で、そこである程度その子の人生を決めることがもう起きているように思います。10歳か11歳ぐらいのとき、小学校高学年ぐらいのときに、自分はもう意見をきちんと言いたい、顔を出して言いたい、私ではなく僕でいたいというようなことも言いますので、もちろん保護者とも話し合って、私は(放送に)出してもよいのではないかと思います。縦断的に追っていって、ある程度伏せていたことをだんだん開示して、最終的にそれは長編ドキュメンタリーになるかもしれない。それはそれで意味のあることだし、歴史的な映像になると思います。
所詮子どもなのだから、と保護し過ぎてもいけないし、隠すということも一つの偏見を生むことになるので、本当に小さいときは少し保護的であるけれども、それを撮った上で、その子どもの人生ということでドキュメンタリーにする。本当によい番組になるのではないかと思いますし、そういうことがあっていいのではないかと感じます。私は子どもの意見表明というのは顔を出すもので、表情が大事、映像のテレビですから、それはぜひできるだけ顔は撮ってほしいと思います。

(2)「ルッキズムへの配慮について」

〇参加者の問題提起
ルッキズムという言葉ですが、最近その言葉が社会問題として注目されているので取り上げさせてもらいました。見た目で人を判断したり、容姿を理由に差別したりするという意味ですが、実際に放送の中でも少しずつ関わってきます。人を見栄えで評価するのはすごくよくないことで、例えば言葉にすると不細工など、そういった言葉を使ったら駄目なのはもう当たり前の話ですが、逆にイケメンや美女など、人がよい意味で表現してきたものが青少年にとってどんな影響を及ぼすのかとか、成長に対して問題になったりするのかというのが、気になっています。放送の中で今後さらに厳しくなっていくのかなと思います。今後どうやって向き合っていくべきなのかということを、聞いてみたいです。

〇榊原委員長
本当に難しい問題、なかなか言葉というのは、非常にいろいろな意味合いがあるので、ネガティブなことだけじゃなくポジティブなことでもやっぱり言えないと。 
とても難しくなってきている時期なのでしょうが、その辺について何かご意見ございますか。

〇吉永委員
今は「美人アナ」と言っても駄目なんですよね。だからそういうのはちょっと過激な反応。20年近く前、2005年に「人は見た目が9割」(竹内一郎 著 新潮社刊)という本が出ました。そのことで何も問題もなく、みんな結構読んでいたような気がします。見た目が9割と言われたら、それこそ究極のルッキズムだよね。でも当時は、それを笑って違うんじゃないのという人と、そうだよなという人がいて成り立っていた世の中でした。今はものすごく変わったんだなという気がします。
かつてのおおらかさというか、それが全くなくなってしまって、ただネットで容姿をバッシングするというのは、本当に卑劣なやり方だよね。私たちがそれを避けるために、全部やめていってしまうと、逆にそれを認めたことになりはしないかという、非常に複雑な屈服感というか、そういうのがありますね。

〇髙橋委員
ルッキズムの問題は、例えば肥満の人がいたときにそれをいじるなど、そっちだと思います。日本はそういうことに関して、いじる文化は結構あって、それはおおらかといったらおおらかなのかもしれないけれども、アメリカだと、そういうことをやったら結構批判されますね。体型のことをいじるという、そこなのかなと。いいのよりも悪いほうです。

〇吉永委員
それは人によってだから。私は別にデブと言われても、全然傷つかないですけれども、やっぱり傷つく人だっているし、そういう人には言ってはいけないというように、人を見てそう判断をしていくとか、関係性の中で発する言葉を選んでいくというようなことが全くなくなってきているのかなと思います。

〇榊原委員長
関係性の中でというか、文脈の中でどういう意味で言ったかというのはもちろん重要で、「アホとちゃう」と言われたって、大阪の人は何もそれは普通の言葉で言っているわけです。それは「おまえはアホだ」「ばかですね」というのと違うので、その辺の文脈のこともきっちり捉えて、言葉狩りで萎縮することではないだろうと思っています。言葉狩りというのはやる気になれば幾らでもやれますので、文脈としてそういう意味ではないことを、矜持を持って伝えるということが必要になるのかなと思います。

(2)「ラジオ局(FM放送)の立場から」

〇榊原委員長
青少年委員会が委嘱している中高生モニター制度の中高生に、ラジオ番組について尋ねたところ、いろいろな意見があって、とても好評でした。好評というのは2つあって、そういうお題を出すと、「ラジオをほとんど聴いたことがない。初めて聴いた」という人が多い。これは今のラジオの状況かもしれませんが、逆に結構多くの中高生モニターが、「ラジオだとしゃべっている言葉がすごくそばにいて、言葉の持つ雰囲気や、その人の気持ちが身近に感じられる」ということをとてもよかったと言っていました。それから、ラジオを聴くようになったという人もいます。ラジオの持つ意味はいろいろあると思いますが、さきほどから議論にしている、例えば顔を出さないとか、視覚的な情報に対するNGに対して、逆にラジオは乗り越えられる可能性があるということも、今思いました。

〇ラジオ局からの参加者
委員長がお話しいただいた中で、若者がラジオを初めて聴いたというお話がありましたが、私は数年前にあるキャンペーンのため、局の前で鉛筆を配ったのです。そのときに小学校2年生の女の子が学校帰りに赤いランドセルを背負って、「私にもちょうだい」と言うので、「もちろんどうぞ」とあげるとき、聴かないだろうなと思いながら、「ラジオって聴く?」って聞いたのです。そうしたら、「ラジオって何?」と逆に返されました。これは思った以上のショックでした。それくらい家にラジオがないということになるのだと思います。あるのは車の中や、あるいは防災のラジオは持っていても、逃げるときのかばんの中に入れておくのが日常の風景ということなのでしょう。
それから、(中高生モニターが)ラジオを身近に感じるというお話もありましたが、私は前から言っているのは、例えばテレビだと今はあまり言いませんけれども、「お茶の間の皆さん」という言い方がよくありますが、ラジオの場合は「ラジオの前のあなた」なのです。つまり1対1として放送するということが多いのです。そういうこともあって、身近に感じてもらえるのかなと思っています。そういう意味では心に届くこともあるのかなというように思います。
一番初めに委員長から嘲笑は笑いではないというお話がありました。では、いじるということと、いじめ、嘲笑みたいなものの違いの境はどこなのだろうと思っていましたが、それは、地域によっても違うだろうし、人によっても違うだろうし、文脈によっても違うだろうというお話があったので、「なるほどな」と思いました。境というものはここだと区切れないものだと思いました。私も「はげ」と言われても何とも思いません。むしろおいしいと思います。もう自分で言っているのですが。ただ、テレビで、若い女の人に結婚相手についてインタビューをしたときに、はげとデブは嫌だと、全然知らない女性が言ったのです。それに関してはちょっとショック、そういうところですね。
それからテレビの方々は、映像に対しての大変なご苦労とご配慮をされているんだなと思いました。児童の胸にキャラクターの缶バッジをつけることは、ラジオにはとてもないジレンマです。
ネットの話も多くありましたが、放送で倫理を保つことはもちろん必要です。ただこれがネットのニュースの波にのまれるということも最近はあるなと思っています。委員長からファクトの度合いが国民的に広まることが望ましいというお話がありましたし、ペンは剣より強しという言葉があるというお話もされました。このペンをもう全国民が既に持っているんじゃないかと思ったりもしました。
そんなところから最近は、メディアたたきとか、むしろメディアのほうが遅いし薄いしなどの批判で、メディアが弱くなっていく倫理を保っていることが、結局メディアは駄目だという風潮がネットの中ではあるように感じています。ありがとうございました。

〇榊原委員長
時間がちょうど来ましたので、ここで意見交換会を終わりたいと思います。

事後アンケート 概要

意見交換会終了後、参加者全員にアンケートの協力を依頼し、9割以上に当たる14人から回答を得ました。その概要を紹介します。

  • ▼「『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー』に関する見解の解説」について
    • 「見解」が発表された時に一度読んではいたが、改めて「苦しんでいる人を助けずに嘲笑する」ことが「子どもの中に芽生えた共感性の発達を阻害する可能性があることは否めない」ことをテレビ局側は肝に銘じる必要があると感じた。
    • ローカル局では該当するようなコンテンツを制作する機会は少ないものの、番組編成という点では当事者であるため、見解の意図や番組制作のこれからについて関心があった。直接解説をお聞きし、専門的な見解について理解することができた。一方で、地上波放送のふり幅が小さくなる懸念も感じられ、低年齢層の接触率が高まっているネット上やゲーム等の激しいコンテンツに加速度的に意識が向き、なんらかの影響があるのではないかとも思った。
    • 「他人の心身の痛みを嘲笑する」演出は、それを視聴する青少年の共感性の発達、人間観に影響を与えるという科学的な指摘はとても腑に落ちる部分がありました。弊社の番組でも、出演者どうしの信頼関係の中で「いじる」という展開も過去にありましたが、テレビで放送する際は「関係性」などまったくない状態ですので、常に「他人の心身の痛みを嘲笑する」という表現がないか、しっかり意識しておくことが重要だと感じました。
  • ▼ (テーマ1)「子ども(小中学生)の『いじめ・自殺』報道」の意見交換について
    • 学校や教育委員会の一方的な説明に基づく報道は避けなければならないと思いますが、なかなか家族の声にまでたどりつけず、学校側の言い分を批評するにとどまっているように思います。自殺に関する報道について、詳細を伝えることが周囲に影響を与えることにつながるということを再認識しました。何を伝えるのかを常に考えながら報道していくことが大事なのだと実感しました。
    • とかく自殺の件数に目を奪われがちだが、その陰では未遂者が10倍にも上るという数字の多さに驚いた。いじめに関する自殺については、1つの原因だけではなく家庭内の事情などいくつかの要素が重なることで、最終的に死を選んでしまうという複雑な状況も学びになった。また、相談を受け付ける支援団体のニュース内での告知に関しても、全国規模の団体を紹介するよりも、より地域に身近なところで活動する団体を紹介することが、ローカル局として意義があることも学んだ。今後はこうした地域の支援団体を、映像を通して企画などで広く周知する取材も必要だと感じた。
    • 「被害者やその家族の保護」という観点はもちろんですが、「加害の子どもの保護も必要」という委員の意見に同意します。更に加えるなら無関係でありながら「同じ学校」や「同学年」というだけで疑いの目が向けられる被害もあり得ると感じます。SNSが発達した現代では報道の一部が切り取られて拡散することもありますが、表現の自由や報道の自由を外部から不当に制限されることのないよう自主・自律で配慮する必要があると思いました。
  • ▼ (テーマ2) 「子どもを対象とするカメラ取材の状況と問題」の意見交換について
    • 時代や環境の変化に伴って、子どもの取材は大変、難しくなっているのは事実です。ただ、子どもたちの主張も大事にしてあげたい、とも思います。何を取材して、どう報道したいのか、学校や保護者に伝わるような工夫をし続けるしかないのかな、と思います。
    • テレビが与える影響は大きいので、それにより青少年が傷ついてしまうことはあってはならないことだと思います。ただ、後方からの取材、顔を映さない取材が必要な部分ももちろんありますが、そういった撮影方法が増えていくことで、あれもこれも「子どもの取材は顔を映さない」が当たり前になっても、せっかくの表情やその場の空気が伝わらないように思います。私たち報道する側は、すべてにおいて引いてしまうのではなく、その都度、学校等に何を報道したいか説明し、お互い理解した上で臨んでいきたいと感じました。
    • 実名報道を原則に長年報道でカメラマンとして働いてきたので、個人情報保護法で「匿名社会を選択した」という委員の発言は重く受け止めた。ただ、そんな状況でも実名による将来への記録、実名報道による災害時の安否情報発信もあるという委員の発言もあり現場を指揮する身としては励みになった。各社とも実名匿名の判断をかなり悩みながら取材している状況も聞くことが出来て有益な意見交換になった。
  • ▼ (テーマ3) 「フリートーク」での意見交換について
    • LGBTQやルッキズムなど新たな社会のうねりにどの社も直面していることがよく理解できた。
    • LGBTQの青少年の取材については、本人・両親が了解しているのなら実名で報道しても問題ないという委員からの意見が参考になった。「本人・両親は、LGBTQのことをよく思わない人もいると分かった上で、取材や実名報道を了承している。もし周りからの摩擦があったとしても彼らは覚悟の上で意見を表明しようとしている」と委員が意見を述べていた。私もその意見はその通りと感じ、今後の報道にも参考にさせていただきます。
    • 青少年のLGBTQについての意見交換の中で、子どもの意見表明権についてご意見をいただきました。今後の成長に影響を与えるのではないかと悩むことも大事かもしれませんが、その年齢にしか感じられないことがあり、本人の意思があれば、そこに耳を傾けることも大事なのかもしれないと感じました。
  • ▼ そのほかの意見・感想、BPOや青少年委員会への要望など
    • 対面式での意見交換会が有意義であることはもちろんだが、web形式での意見交換会との併用にすれば、もっと大勢が参加できて良いのではないかと思った。
    • 学校での子どもの匿名取材について、委員には意外だったという印象を受けました。匿名性が進み過ぎたと感じることもあり、今後同じような機会があれば匿名の是非を考えることも意見交換のテーマとして取り上げていただければと思います。
    • 各局同じような悩みを抱えていることを実感し、勉強もさせてもらった大変有意義な意見交換会でした。報道する側には当たり前のことであっても、視聴者の考えや思いと離れていることもあるかと思います。こうした機会に、改めて「何のための報道なのか」を考えることができ、大変良かったです。

以上