「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する『見解』をテーマにした「意見交換会」内容報告 & 事後アンケート調査結果報告
◆概要◆
青少年委員会とBPO加盟各社との意見交換会を2022年6月28日、千代田放送会館2階ホールで開催しました。在京・在阪の放送局およびNHKには来場してもらい、全国の加盟社にはオンラインで同時配信しました。
放送局の参加社は、会場の在京・在阪局が12社39人、全国の加盟社のオンライン参加が105社で、アカウント数は230でした。
委員会からは榊原洋一委員長、緑川由香副委員長、飯田豊委員、佐々木輝美委員、沢井佳子委員、髙橋聡美委員、山縣文治委員、吉永みち子委員の8人全員が出席しました。
最初に榊原委員長から、「皆さん、お集まりいただき、ありがとうございます。この『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーについての見解』を作成するにあたり、まとめ役をしてきました。この意見交換会では『見解』をまとめるに至るまでには様々な考え方があったことをお話ししたいと思います」と挨拶がありました。
続いて同じく榊原委員長から今回の『見解』の趣旨や、『見解』を出すに至った経緯などについて説明が、そして起草担当委員から補足説明がありました。
○榊原委員長
まずどのような経過でこの『見解』を公表したのかについて簡単にお話しします。
会場の皆さんの中には昨年11月に在京局の関係者を招いて開催した勉強会・意見交換会に参加された方もいらっしゃるでしょう。この時の意見交換会はまさに『見解』の議論の過程のひとつでした。実際にこのような『見解』になるかどうかまだ分からなかったのですが、こういうテーマを議論しようとなってもう1年近く経っていると思います。
どうしてそれが、私たちの委員会で検討する俎上に上がったかについて、簡単に経緯をお話しします。
まず、これは青少年委員会、あるいはBPO全体もそうなのですが、その性質に関わっている点があります。私たちは「視聴者からの意見」というモニターを行っています。視聴者から届く様々な意見がきっかけとなって、私たちははじめて活動を起こします。私たちは「視聴者からの意見」と離れたところで課題を見つけることは基本的にしません。「視聴者からの意見」の数や内容という一定の基準を作って、委員会の俎上に上げるプロセスをとっていて、全てが「視聴者からの意見」でスタートするのです。
BPOは民放連とNHKが、いわば、皆さんが作った第三者機関で、放送を見た誰もが意見を寄せることができます。BPOはその窓口です。
今回の『見解』に対してニュースやインターネット等で様々な意見や批判があるのは承知しています。しかし、その中の多くの方が誤解しています。BPOが検閲や規制をする機関であるかのような言い方をされ、それが一般の視聴者だけでなく、ニュース記事を書く記者の中にも全くの誤解を基に書いている方がいることはとても残念に思います。
BPOは政府の干渉から放送の自由を守るための仕組みとして、皆さんが作ったものであることを、ぜひ思い返してください。
それから、BPOは政府などの機関と違います。(その決定は)法律とも違います。今回公表した『見解』にも、法的あるいは道義的な規制力はありません。視聴者から寄せられた意見についてどう考えたらよいのかを、エビデンスに基づいて解釈して皆さんにお返しする役割であることを理解してください。
もうひとつの経緯として、BPOは今回とほぼ同じ内容の見解や意見をこれまでに3回出しています。青少年委員会からは2000年に「バラエティー系番組に対する見解」、2007年に「『出演者の心身に加えられる暴力』に関する見解」を、また放送倫理検証委員会から2009年に「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」を出していて、決して今回が初めてではありません。
『見解』について事前に皆さんから寄せられた質問の中には「痛みの定義とは何か、ガイドラインを示せないか」という趣旨のもがありましたが、BPO青少年委員会の性質とは相容れないものです。私たちは基準やガイドラインを示したり、こうすべきだと言ったりするような委員会ではありません。この『見解』は、「視聴者からこんな意見が来ているが、これにはこういう意味があるのではないか、今後番組を制作するときにぜひ念頭に置いて制作していただきたい」という思いから作ったものです。
「規制をかけるのは何事か」という意見もありますが、私たちには規制をするような権限はありませんし、BPOはそういうために作られたのではないということは確認しておきたいと思います。
この後は『見解』の起草を担当した各委員から補足説明をしてもらった後、質疑応答に移りたいと思います。
○髙橋委員
私はおもに子どもの自殺問題に関して活動していて、いじめに関することと自殺に関することはリンクする部分があると考えています。2013年に「いじめ防止対策推進法」ができて以来、この10年でいじめに関する社会的な情勢がかなり変化してきました。そんな中、番組がいじめを助長することにならないかという視点は欠かせないと思っています。
加えて、今は子どもたちが動画を撮ってそれをSNSに投稿できる時代です。ちょっとしたドッキリの仕掛けであればまねできてしまい、それをSNSで拡散できる時代であると感じます。下手をするとYouTubeなどの投稿動画のほうが悪質な場合が多いです。(映像が) 子どもに与える影響が時代とともに変わってきていると思います。
○沢井委員
私たちは今回の『見解』を科学的なエビデンスに基づいたものにしようと考えました。テレビ放送は70年の歴史があり、番組が視聴者に与える影響についての研究は蓄積され、そのメタ分析から共通項が見出せます。映像で攻撃的な行為を見たり、それを周りが平然と見ている様子を視聴したりすることで、その模倣が生じることを報告する論文が多くあります。
今回の『見解』の新しい点は、痛み苦しんでいる人を傍観的に見ている、あるいはワイプの中で人の苦痛を笑いながら見ている番組が近年増えているという指摘です。「痛みがあってはいけないのか?」という議論もありますが、心理的・肉体的な苦痛を味わっている様子が演じられていたものだとしても、その様子を周辺が見て笑っているという、「潜在的な攻撃性が模倣される可能性」が、今回の問題点です。
「人を殴る場面がテレビ番組、例えばドラマなどにもあるのに、なぜそれについて言わないのか」との意見がありますが、フィクションという枠組みが明確なものは、5歳の子どもでも「ああ、こういう物語か」と分かります。今回は、痛みを受けた人を遠巻きに見て笑うという多重構造のバラエティーが問題ではないかと言っているのです。
『見解』の中で具体的な例を2つ挙げました。下着の例と、3メートルの深い落とし穴に6時間落としたままにしておく企画です。この2例にふだんの10倍の数の視聴者意見が来ました。私たちは視聴者が感じる不快をただ代弁するのではなくて、なぜそれを不快と思う人がいるのか、なぜここで共感性の問題を問わなくてはいけないのかということを、科学的なデータを基に説明する必要があると思いました。視聴者意見の代弁というより、それに対して解釈を加えながら説明する。そして、問題点を指摘し、もう少し違う視点で面白いものを開発できないかという提案の気持ちも込めて、この『見解』を書きました。
○緑川副委員長
私の仕事は弁護士ですが、弁護士の仕事は紛争が生じたときに生じた事実に法律や規範を適用して結論を導いていきます。ですから、何か問題が起こったときにはどうしても、法律はどうなっているのだろう、ルールはどうなっているのだろう、規範はどうなっているのだろうと考え始めて、そこに対して生じている事実がどのように当てはまるのかという思考で仕事をしています。
しかし青少年委員会で、テレビ放送が青少年にどういう影響を与えるのかを考えるときには、BPOの例えば放送人権委員会のように特定の表現が人権を侵害しているのか、放送倫理に違反しているのかというような思考方法とは違ってきます。そこには、これ以上やったら青少年に悪影響を与えると、私たちが当てはめられるようなきっちりとしたルールがあるわけではありません。やっていいルール、やってはいけないルールがあるわけではないのです。
私自身も子どものころは、「8時だヨ!全員集合」を毎週のお楽しみとして見ていた世代で、テレビで子どもによい影響を与えないと言われている番組を見ることが実際子どもにどのくらい影響を与えているのか、説得力のあることなのかと思っていたところがありました。
青少年委員会に入って、毎月届く視聴者意見を見ていると、誰かに痛みを与え、それを笑っているバラエティー番組に対する視聴者意見が毎月一定数、継続して来ていることが分かりました。番組制作者、また私たち第三者機関の委員は、青少年に対する影響というものが説得力のある科学的な根拠を持ったものなのかどうかを、きちんと考えなければ、調べなければ、確認しなければいけないと思うようになりました。
委員長からも「毎回こういう意見が来ている。一度考えてみたほうがよいのではないか」という示唆があり、青少年に対する影響、子どもに対する影響というのが科学的にどういうふうに研究されているのか、科学的な根拠を確認したいという意見も申し上げて、今回の検討が始まりました。発達心理学や小児科医という子どもについての専門家が多くいる中で、時間をかけて世界的な知見について説明を受けて今回の『見解』になりました。
私たちは、こういう研究があることをテレビ番組の制作者の方々とも共有をして、その中で今のこの時代、公共性を持っているテレビとしてこれからどう表現を工夫していくべきかを一緒に考えていきたいと捉えています。
BPOが『見解』などによって、結果的に番組制作者に不自由さをもたらしてしまうのではという意見もあります。青少年に影響があると思えば、この表現はやめておいたほうがよいのではという発想が出てきますが、表現の内容も方法も無限にある中で、今のこの時代や社会において工夫を凝らしていい番組を作っていくということを、私たちも一緒に考えていきたいと思っている次第です。
主な質疑応答の内容は以下のとおりです。
Q:痛みを伴うバラエティーに関して、痛みの判断基準はどこまでがOKでどこまでがNGなのでしょうか。制作者側の物差しになるようなガイドラインは作れないのでしょうか。
A:(榊原委員長)私たちは「ガイドラインを作成してここまではいいですよ」と判断するような立場ではありません。基本的には視聴者である青少年が「本人が苦痛を感じている」「すごく痛そうだ」と思うかどうかです。その痛みは演技である可能性もあると思います。しかし、それを見て「これはちょっとすごく痛そうだ」あるいは「苦痛だ」という「苦悩」、そういう表現が、私たちがここでいう「痛み」になります。
格闘技やドラマの中にも暴力シーンが出てきますが、流れの中、ルールの中でやっているのだということが予見できるものは、表面的に「痛い」と見えても今回対象としたものではありません。
それからもう一点。ただストレートに見るだけではなくて、スタジオにいる人たちがその場面を見て嘲笑している、楽しがっている。この2つのことが同時に見られるということが、私が(『見解』の中で)ミラーニューロンという脳科学の話を出しましたが、子どもたちの中で「これは何なんだろう」と、つまり人が苦しがっているとしか見えないのに、周りにいる人がこんなに笑っている。それをリアリティーショーとして見た場合、何度も何度も見る過程の中で、子どもたちの中には、例えば実生活で他人が苦しみを味わっていても、それを傍観するような姿勢につながる可能性があるということです。
ですから、判断基準というのは書かれたものはありません。表現、演出は皆さんの専門ですので、そこはきちんと見ていただいて、例えば「小学生ぐらいの子どもがこれを見たらどう思うだろうか」というように想像力を働かせて、皆さんの中で判断してもらいたいと思います。
Q:芸人が覚悟を持って臨む“お約束的な”痛みを伴う笑いは明るくおおらかな気持ちで見ることができますが、一方でいわゆるドッキリのように本人が予期せず痛みを受ける姿を笑うような番組には不快感を覚えます。これらをひとくくりにせず分類するような動きはありますか。
A:(榊原委員長)覚悟を持って、明るくおおらかな笑いの気持ちで見ることができるような演出・演技というのはたくさんあると思います。私たちが審議に入ったところで、社会的には大みそか恒例の人気番組に対して向けられたのではないかと言われました。私たちには青天の霹靂でした。今回の審議入りの際に、あの番組については視聴者から批判的な意見は来ていませんし、私たちもあの番組のことは全然対象に考えていませんでした。あの番組はある程度のルールの下で行われている、ゲームと言うと怒られますが、それは子どもにも分かります。小学生の間でもとても人気のある番組で、私たちは審議する段階でこの番組のことは対象として考えていなかったというのが事実です。
(沢井委員)分類してはどうかという点に関しましては、これは作り手の方が分類をなさってもよいのかなと思います。それなりの基準というものを、制作の方がそれぞれに企画の助けとしてお作りになればよいと思います。
拷問のような、「自分ではどうにもできない状態で苦しむもの」が、今までの視聴者の意見においては、非常に不快を持って受け取られる傾向にあります。
痛みがあっても、出演者が挑戦して、乗り越えていくとか、何かを獲得していくとか、メダルを取るとか…という場合では、視聴者は共感を持って見ますし、応援したくなります。例えば『SASUKE』の海外版『THE NINJA WARRIORS』は非常に人気があります。チャレンジする姿は痛そうで辛そうですが、罰ゲームはひとつもない番組です。ゴールまでたどり着けるか否かを競うだけで、ルールも明確です。苦しみがあってもそれが共感になるという構成で、国際的にも評価されている番組です。
日本のバラエティー番組は罰ゲームが多過ぎると思います。なぜこれほどまでに罰を与えなればいけないのか疑問です。輝かしい競争というものがあれば、そこで競い合う姿を見て、誰かを応援するということだけで、視聴者はハラハラドキドキしながらも面白いわけです。
Q:行為の見た目とは違い、被行為者が受ける痛みがほとんどないような場合も見た目が痛そうだからよろしくないという判断になるのでしょうか。お笑い芸人の突っ込みもその部類に入ると思いますが。
A:(榊原委員長)被行為者の受ける痛みがほとんどないような場合でも視聴者にはその場面からしか情報は入りません。特に年齢が小さい子どもには、そこに見えることが全てです。実際には痛みがなくても、明らかに痛みが起こっているように見える演出があった場合、さらにそれを周りの人たちが笑うような場面があった場合、子どもたちによい影響を与えないと思います。
お笑い芸人の突っ込みは、それが芸として成り立っている場合、文脈の中でやっているということが見る側にも明らかです。ひとつの芸として痛い思いをされて、それがまた受けるというような芸が確立している場合には、みんな「来るぞ」という感じで見るわけですから、それは見る側にとって先ほど言った大きな心の痛みにはならない。ただ、同じように2人でやっている場合でも全く予想のつかないところで本当にパンチを喰らわせてしまったときなどで、本当にそれが痛かった場合はリアルに見えると思いますし、この間の線引きだと思います。
お笑い芸人のよく確立された突っ込み芸について、私たちはこれが痛みを伴うことを笑うという対象になるとは最初から考えておりませんでした。
Q:関西には伝統芸能と言ってもよい吉本新喜劇があります。暴力シーンがたびたび出てきます。何かというと棒のようなものや灰皿やお盆で叩いたり、女性の芸人さんを壁に投げ飛ばしてぶつけて目が回るようなしぐさをする場面が頻繁にあります。関西では子どものころからなじみのある芸なので一定の理解をしてお約束事と受け止めますが、いかがでしょうか?
A:(榊原委員長)痛みを伴うことを笑いとするということに該当する番組はどういうものがどのくらいの数があるのかを、数年にわたって見ていますが、吉本新喜劇が視聴者意見で批判的なものとして寄せられたことはほとんどありません。見る方は分かっているのではないかと思います。上からたらいが落ちてきたりするのは芸の流れの中であることは、みんなから理解されていると思います。もちろん私たちも吉本新喜劇が該当するという考えは最初からありませんでした。
Q:先日、亡くなられた人気芸人の熱湯風呂やアツアツおでんのような芸は、痛みを伴うバラエティーの対象にならないと考えてよろしいのでしょうか。
A:(緑川副委員長)
ご本人の芸は有名ですし、今までの説明や質疑応答でもお話ししたとおり、今回の委員会の『見解』が対象にしているものでないことはご理解いただけたのではないかと思います。
今回の『見解』の4ページに、他人の心身の痛みを周囲の人が笑うことを視聴することの意味ということで、今回の『見解』の趣旨を特徴づけていることをご理解いただけるのではないかと思います。文脈があり、見ている人たちが気持ちよく笑える演芸とか芸とか技術とか、そういう域に達している笑いの中に痛みがあるということを問題にしているのではなく、そこを人が嫌がって避けようと思っていて、避けたいのに羽交い絞めにして痛みを与え、そのことをさらに周りで嘲笑していることが、科学的には子どもによい影響を与えないということがあるのではないかということを、一定程度考えて番組制作をしていくためのひとつの情報というか、そういうことがあるのだということを共有していきたいという趣旨で作った『見解』です。そういう観点から番組制作に役立てていただければと思います。
Q:痛みを伴うバラエティーというくくり自体が広過ぎるので、もう少しテーマを絞られたほうがよかったのではないかと思ったのですが…。
A ; (榊原委員長)どういう名前(『見解』のタイトル)にしようかということは確かに話し合いました。今回はひとつの番組ではなくて、とてもたくさんの種類がある中で共通点がある批判というかコメントが多かったので、番組名を挙げるのではなくて全体的に扱おうということで、この名前に決めました。
昨年11月に在京局の皆さんと意見交換したときにも、「少し広過ぎるのではないか」という同様の意見が出ました。ただ、実際に議論をする中で、私たちの一番の骨子は本当に苦しんで苦痛に見えるところを周りで笑っているというところ、その中で例えば共感性の発達などによくないだろうということが、だんだんと焦点化されてきた経過がございます。誤解を呼ぶような可能性があったかなという点ではおっしゃるとおりだと思っています。
Q:今は、ものすごい多様性の世の中で、YouTubeもあれば漫画もある、映画もある、いろんなものがあり、子どもたちも同様にこの多様性の中で生きています。小学生と高校生だと考え方も違うと思いますし、実際に番組を子どもが見て、いじめといったところに本当にどれだけリンクしているのかというのが我々には分からないところがありますので、そういうことも教えてほしいと思いますが。
A:(髙橋委員)いじめに関することで報道等に関連するデータはないのですが、少なくとも惨事報道や自殺に関する報道に関しては、心理的な影響があるということが、今までの東日本大震災や9.11のテロのときの研究で分かっています。私自身もこのお笑いのことだけではなくて自死に関する報道に関しても、これは子どもたちにどういう影響があるのかを見ているところですが、バラエティーに限らず報道全般の問題だと思います。
今回この議題が上がったのは、BPOの側からではなく、視聴者からいろいろな意見が届いたからです。それを取り上げて、視聴者と番組制作者との間で私たちは調整をしながら、これをどういうふうに持っていったらよいかを一緒に考えていく立場だと思っています。この番組は駄目とかそういうことではなくて、みんなで一緒に考えていくというスタンスです。
(沢井委員)子どものいじめについてその影響がすぐに出るかどうかですが、放送番組を見てから3か月後かもしれないし、5年後かもしれません。攻撃的な番組ばかりを見ていた、罰ゲームばかり見ていたこと…等々が影響する可能性や因果関係をすぐに見ることは難しいです。
子どものSOSの電話の話し相手をしているボランティアによると、「テレビ番組の罰ゲームをまねした強烈ないじめを受け、死にたいと言ってきた小中学生が複数いる」とのことでした。なかなか表に出ない話ですが、ある程度の数があるだろうと予想されます。
Q:本日、お話しいただいたような痛みを伴うバラエティーの痛みの真意について、BPOから直接、記者や芸人さんに向けて発信していただけたらありがたいのですが…。
A:(榊原委員長)意見交換会という形で私たちの考えを正直に申し上げたのは、それを皆さんの中できちんと分かっていただければよいのではないかと思ったからです。私たちは、「いや、この番組は違う、これは違う」ということを申し上げるべき立場ではないと思っています。つまり、BPOがこう考えているということによって、私たちは皆さんに考えていただきたいということで、一般的な問題の投げかけをしたと思っています。
皆さんにはこの『見解』を作るときには大みそかの番組のことが頭になかったことも申し上げましたし、亡くなられた人気芸人の芸についての視聴者からの意見も来ていないことも申し上げましたので、皆さんにはもうそれが伝わっていると思います。その辺で皆さんの中で確信として持っていっていただくことで、言い方としては、「いや、この間そういう意見交換会があって、どうもBPOはそうじゃないみたいだ」など、これは皆さんの解釈で言っていただくことは自由だと思うのですが、私たちがこの番組は私たちにとってよろしい、よろしくないということを言う、そういう立場ではないということです。
この『見解』は一般の視聴者にも公表されていますが、主に民放とNHKという実際に番組を制作する側に読んでいただきたくて作ったのが本音です。皆さん、確信を持った上でこれならできるという形で自信を持って番組を作っていただきたいと思います。
(緑川副委員長)今の関連でこの『見解』を出した後で批判的な意見がBPOに届いたり、ネットで書かれていたという報告を受けています。私も拝見して気になった点として、青少年に悪影響を与えるという根拠を示していないという意見がありましたが、『見解』の全文をお読みいただければ、根拠を示していることがお分かりになると思ったことがあります。
また、例えば罰ゲームでも私たちは今回の『見解』で問題にしたような、人が困っているところを嘲笑してさらに困らせるみたいな、そういうところは本文を読んでいただければ理解してもらえると思って『見解』を作りました。しかし、題名の『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーに関する見解』というのは、幅広に解釈できるタイトルだったことをそのとき改めて思いました。タイトルが衝撃的に印象に残って、全文を確認されないまま今までやってきた、受け入れられてきたはずの芸もできなくなってしまうのではないかという批判につながったのではないかとも思いました。
もちろん今日おいでくださった皆さんは十分に理解していただいていると思いますが、テレビ局、制作をされている皆さんにはぜひ、現場の方々にも全文を、BPOのウェブサイトにも出ていますから、読んでいただきたいと思います。これをかいつまんで報道された部分だけを読むことでは、私たち委員会が伝えたかった真意や根拠としたエビデンスがあるというところまで、なかなか理解してもらえないことも誤解につながっているのかなと思います。批判的意見の中には、「根拠を示せ」というものが多くあったのですが、やはり批判をするときには原典に当たってから確認をした上でということも必要なのだろうなと改めて思いましたので、制作現場の方々には読んでいただきたいと思います。
これを読むことによって、罰ゲームは全部駄目なのかとか、芸の範疇だったら全部いいのかとか、そういう単純なことではなく、子どもに対して共感性の発達に影響を与えることがあるのを知っているのと知らないのとでは、どういう番組を作ろうかというとき、みんなで作り上げていくとき、ひとつの参考情報になるのではないかと思います。
Q:ドラマは流れや予見などストーリーがあるから影響はないが、バラエティーはそうではないから影響があると断じられているのがずっと腑に落ちません。バラエティーにも流れや予見はありますし、きちんと台本も書いています。構成も作っていますし、そもそもドッキリ番組はタイトルにドッキリと付いています。なので、視聴者もドッキリを見るつもりでドッキリを見ているので、なぜバラエティーだけそこを断じて悪い影響と言ってしまうのかが極めて腑に落ちません。また芸人がいろいろドッキリを仕掛けられたときに、それをワイプなどで嘲笑されていると書いてあります。お笑い芸人がドッキリを仕掛けられて全力でリアクションをして、それをワイプなどで笑われるという行為は、ばかにされているのではなくて、最大の賛辞であると思うのですが、いかがしょうか。お笑い芸人はそういうところで笑いを生み出して、それをスタジオのMCやゲストが笑うということが一番の喜びで、それを職業にされている方であって、ドラマの中で俳優さんが名演技をして、それを見てスタジオのみんなが泣くのと同様だと思います。そこだけなぜばかにして笑われると断じてしまうのかと思っていて、バラエティーのほうはこの『見解』を読む限りでは強めに批判されているような気がしてなりませんがいかがでしょうか。
A:(榊原委員長)とても線引きが難しいことを言っていらっしゃると思います。ドラマの中で暴力場面がある場合には、もちろん多少は物理的な痛みを感じると思うのですが、やはりドラマというのは作られた話であると思われているわけです。ところが、バラエティーの中でリアリティーショーとして、あるいはドッキリという名前がついていても、ドッキリということ自体は、全部作られたものであったとしても、暴力などを受ける人が知らないところでやるからドッキリは面白いわけです。ですから、先ほど言いましたように芸の一部になっていて、次にここでたらいが落ちてくるよ、ここでお湯の中に落ちるよというのは、もうストーリーがそこで見えるわけです。ドッキリといっても、ドッキリという言葉の中にこれはドッキリをかけられている人は知らないぞというようなリアリティーを作り出していっています。そこがドラマと違うところです。ドッキリとついているから、もちろん大人で見ている人は分かりますよ、ドッキリだから。けれども、実際それは(子どもにとっては)、ドッキリとついているということは、仕掛けられたほうの人は知らないのではないかなというようなリアリティーを作り出しているわけです。それが非常に今技術的にうまくなっていますので、私たちが見ても「おお、これは」というようなのがまさにリアリティーになっているわけです。そこがドラマの間との薄い点ですが、線引きです。
それからもうひとつ、私たちはもちろん芸人さんが命をかけている、あるいは芸としてやっているということは理解していますし、尊敬しています。しかし、私たちはそれを見た視聴者がどう思うかということが全てのスタートです。芸人の間で、芸人同士あるいは作り手との間で、きちんと分かっていること自体が分かっていても、できたものを見る人間、特に年齢の小さい人にとって、例えばすごく苦しそうに見えるような、それもドッキリを知らないところでされたのだと、こういう形になります。ですから、ドッキリはかけられる人が来ることが分かったら全然面白くない。あれはストーリー上知らないことになっていると。それをどんどん作り込みの中で本当にそれらしくしていくわけです。
小学生ぐらいの子どもはそのようなことについては見分けられない可能性があります。その辺のところの小さい線引きは難しいところですが、皆さんにも理解してもらいたいと思っています。
Q:見ているほうが苦痛に感じるか感じないかが重要だと言っていましたが、ドラマも一緒だと思います。なぜドラマだけはストーリーを知っているからこのシーンは影響がないと断言できるのか。ドラマも見たシーンが暴力的だったら、その全部のストーリーを知っているか知らないかにかかわらず影響は大きいと思います。なぜドラマは大丈夫でバラエティーはダメなのですか。
A:(榊原委員長)これは理解力によると思うのですが、ドラマというのは作られたお話だということはかなり小さい子どもでも分かります。しかし、ドッキリでリアリティーショーに作られているところになると、そこは子どもでは分からないと思います。そこで私たちはドラマとは少し分けています。
ただ、もう少し突っ込んで言いますと、この『見解』の中にも書いてありますが、暴力場面自体が小さい子どもにとっては別にリアリティーであろうとドラマであろうと格闘技であろうと、あまりよろしくないというデータは出ております。
Q:痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーに関してですが、これは痛みを伴うシーンを笑っているという構図を対象にしているということでよろしいですか。痛みを伴うシーンに対して笑うということに対する何か実験だとかデータはあるのかどうかを教えていただきたいのですが。
A:(榊原委員長) 『見解』4ページにございます。これは小さい子どもが共感性ということを発達させる過程にミラーニューロンというものが関係していて、ある他人が苦しい目に遭ったときに自分もそれと同じように感じる部分が脳にあります。その他人を、例えば慰めるとか止めるというところを見て共感性が発達するということが今、脳科学や発達心理学の中で言われています。生まれたばかりの人間の赤ん坊に共感性というのはないと言われています。それがやがて、どういう具合にして自分ではなくて他人が転んで痛くて泣いているところに助けに行ったりするのかということは、実はそういう周りの体験をたくさん見る中で共感性が発達するからだとされています。
Q:他人の心身の痛みを笑うというのと嘲笑するというのでは大分違うと思うのですが、その笑いが嘲笑であるかどうかというのを我々が判断していかねばならないのは非常に悩ましいです。判断基準を我々が考えていくということですと、今回の番組についてもこれは嘲笑ではないからOKだという判断が出る可能性もあるなと、制作者側としては思うのですが。
A:(榊原委員長) 番組の中では分からないのですが、嘲笑と笑いの差というのはやはり状況の中で作られます。他人が明らかに苦しんでいる、泣いているのを笑うのはどんな笑いであっても嘲笑になります。やはり文脈の中で言うしかないですね。痛いことを笑うというのが人間の本質にとって本当に楽しい、心が解放される笑いなのかということの、ある意味ではかなり哲学的な問いになると思いますが、嘲笑と笑いというのはそういうことで厳密に分けることはできないと思っています。
Q:今回対象にしているのは嘲笑であるということですよね。そのときの判断について、我々は日々視聴者からの意見に少数であっても考えねばならないというケースが出てくるのですが、我々の一番の悩みどころはそれを数で判断していいものなのかというところです。その辺はどうお考えでしょうか。
A:(榊原委員長)自由に意見が寄せられたものを数で判断するのは難しいですね。もちろんある期間にどのぐらい来ているかということで総体的な数、これはサンプリングと同じことになると思いますが、そういう意味ではある程度数が多いときと少ないとき、またある番組にたくさん来ているときというのはあります。私たちには常に一定のたくさんの意見が届くわけですから、それが増えていることはある程度、つまり数が反映されていると判断して、こういう議論をしているわけです。ひとつだけあったからそれをやるということはまず基本的にいたしません。ある番組について、ある一定の数が来たというのをまずスタート地点として議論することを私たちのルールにしています。
最後に副委員長と委員長から閉会の挨拶をいただきました。
○緑川副委員長
今日は、長時間にわたってご参加いただき、ありがとうございました。オンラインで視聴していただいた方々も本当にありがとうございました。
今日は私たちが公表したこの『見解』についての説明と、質問に対しての回答をいたしました。『見解』を公表したときに記者会見をすぐにできなかったことを指摘されましたが、今後の参考にさせていただきます。今日は委員のほうからもだいぶ踏み込んだお話をさせてもらい、様々な質問にご説明する機会を持てて本当によかったと思っています。
ずっとコロナがあって、なかなかこういう機会を持つことができなかったわけですが、「視聴者とテレビ局をつなげる回路」ということが青少年委員会の目的とされていますので、今後はできるだけこのような機会を設けてお話をさせていただきたいと改めて思いました。
○榊原委員長
皆さん、最後までいろいろなご意見、ご質問をいただきまして、ありがとうございました。
私たちの表現の仕方などによって誤解が生じたというところについては、今後考えていかねばならないと思っています。ただ、BPOの立ち位置というのを皆さんにしっかり、当事者として知っていただきたいと思います。視聴者から寄せられる意見の中には、私たちは規制する立場ではないのにもかかわらず、「もっと規制を」と要望される方がいます。それから、世の中には放送というものに対してBPOのような第三者機関ではないものを作るべきだという意見もあることは知っていただきたいと思います。
私たちは、より多くの視聴者が楽しんでもらえるテレビ番組を作るにはどうしたらよいかという点では、皆さんと同じ方向を向いているつもりです。今回の『見解』の私たちの発表の仕方というのが誤解を生じてしまったかもしれないということは真摯に受けとめ反省いたしますが、そういう気持ちで活動していることだけはご理解いただけたらと思います。皆さんそれぞれの局に帰られたら、今回の『見解』はBPOのウェブサイトにも掲載されていますので、特に制作に関わる方には「こういうのが載っているのでよく読んでほしい」ということと、今日いろいろお話ししたことを皆さんの中で解釈してもらって、こういう意味なのだということを局の皆さんに伝えていただいて、番組をよくすることに今後いっそう精進してもらえたらと思っています。
本日は最後までありがとうございました。
質疑応答を中心におよそ1時間半にわたって行われた意見交換会は、青少年委員会が公表した『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティーに関する見解』について、あらためて理解を深めてもらうよい機会となりました。
【参考資料】
◇BPO青少年委員会「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー番組」に関する見解
(2022年4月15日)〈見解全文 PDF〉
https://www.BPO.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/youth/request/20220415_youth_kenkai.pdf
〇BPO青少年委員会「バラエティー系番組に対する見解」
(2000年11月29日)
https://www.BPO.gr.jp/?p=5111
〇BPO青少年委員会「出演者の心身に加えられる暴力」に関する見解について
(2007年10月23日)
https://www.BPO.gr.jp/?p=5152
〇BPO放送倫理検証委員会「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」
(2009年11月17日)
https://www.BPO.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/kensyo/determination/2009/07/dec/0.pdf
事後アンケート(概要)
- (1)開催日時、開催形式について
- ウェブ配信はありがたい。金曜日以外で、もう少し早い時間帯が参加しやすい。
- 委員(壇上から)と参加者が対面形式だったため、対立しているように見えた。
- バラエティーを制作する機会は少ないが、できれば対面で参加したかった。
- (2)委員会の説明、意見交換について
- 委員の説明は分かりやすく、「見解」の内容・背景を多角的に理解できた。
- 委員に真摯に対応してもらい、考えを直接聞けたことは有意義だった。
- BPOに対して「職員室の先生」のようなイメージを抱いていたが、闊達な意見交換が展開されていて、健全でいいことだと思った。
- 子どもに悪影響を与えかねないという根拠のデータを詳しく聞きたかった。
- 見解だけ読めば誤解を与えかねないものだった。公表前に(または公表時に)説明会や記者会見を開くべきだった。
- 広がった誤解を解くためにも、今回の記録を残して各社で共有するべきだ。
- 委員会が児童の脳の発達の視点で話していたのに対し、放送局側はプロとしての芸人の仕事への干渉という点で話をしていたため、双方の溝があまり埋まらなかったと感じた。痛みを伴う行為が一律にダメなわけではないとの回答を得られたことは、実りがあった。
- もっと意見交換と質疑に時間を割いてほしかった。他社の意見を聞きたかった。
- (3)気づいた点、要望、今後取り上げてほしいテーマ等
- 定期的に委員の方々と意見交換できる場があればうれしい。
- 委員会での議論のプロセスが分かるような意見交換会にしてもらえると有意義だと思う。
- 今後見解を出すときは、誤解を生まないためにも会見を開いたほうがいい。
- BPOは検閲機関ではなく放送局が自ら律するための機関であるという基本的な理解を含め、今回のような機会を継続して意見交換を重ねていく必要性を感じた。
以上