青少年委員会

青少年委員会 意見交換会

2017年1月24日

在京局担当者との「意見交換会・勉強会」概要

◆概要◆

青少年委員会は1月24日、「放送における障害者~当事者の視点から見た現状~」をテーマに、在京テレビ各社(NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ、東京MXテレビ)との「意見交換会・勉強会」を千代田放送会館で開催し、14時から16時まで活発な意見交換を行いました。
各放送局からは、BPO連絡責任者、番組制作者など23人、青少年委員会からは汐見委員長ら7人の委員全員が参加しました。
今回の「意見交換会・勉強会」は、青少年委員会の中高生モニターから、障害者を取り上げた番組に対して賛否様々な意見が寄せられたこと、相模原市の障害者福祉施設で起きた殺傷事件で、被害者の氏名が警察から発表されずに物議を醸したことなどから、「放送における障害者」問題を今一度見つめることを目的に開催したものです。
司会役は中橋委員が務め、まず、東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎准教授にご講演いただきました。ご自身も脳性まひである熊谷准教授からは、障害者に関する意見交換のための重要な基礎的知識について、当事者の視点から解説いただいた上で、「相模原事件から考える暴力と障害」を中心としたお話がありました。その後の意見交換では、障害者を対象にした取材や番組制作時における悩みなどについて、出席者から質問があり、熊谷准教授からは自らの経験に基づいた考えが示されました。

【講演の概要】
熊谷准教授は、暴力と障害について、2016年7月26日に神奈川県相模原市の障害者福祉施設で発生した、元施設職員による入所者殺傷事件に触れ、「一方が加害者で一方が被害者と思いがちだが、どちらも同じような社会的な排除を受けていたり、リスクを持っていたりする」「障害者と介助者の関係は一般の関係とは違い、非対称性がある。障害者は介助者に暴力を振るわれたらかなわないし、介助者は介助の仕事を降りることができる。こうした非対称性は暴力の関係を生みやすい」などの解説があり、障害者が頼れる先(依存先)を複数持つことの重要性が示されました。
メディアに関しては、「事件と何かを関連付けたくなるだろうが、特定の精神疾患と暴力性に統計的な関連性はない。こうした疾患が暴力行為に直接関連しているかのような報道は避けるべきだ。一方、暴力性は"反社会的行動""薬物依存"など8つのリスクと関連しているとされているが、これについても様々な要因やケースがあるので、安易に関連があるかのような報道も慎むべき」「健常者と障害者の境は時代によって変わる。かつては手足を自由に使えることが"健常"だった。しかし、機械が単純労働を代替してくれる現代ではコミュニケーション能力が求められ、かつては"黙々と働く人"と言われていたような人が"コミュニケーション障害"とされるようなことも起きている。流動的で曖昧な"コミュニケーション能力"のひな型を作り上げる要因の一つにメディアがなっているかもしれないとの思いを持っていてほしい」などの話がありました。

【意見交換の概要】
▲=熊谷准教授、●=委員、○=放送局出席者

  • ● 中高生モニターからは、障害者をテーマにしたバラエティー・情報番組である『バリバラ』(NHK教育)や『24時間テレビ』(日本テレビ)について、それぞれの番組の良さを感じながらも、障害者のあり方、あるいはメディアが障害者をどう取り扱うかということに関する考えを深めたという意見が寄せられた。

  • 〇 モニターから「裏番組を批判しているようだ」との意見があったようだが、そのような意図はない。かつての自分を思い、自戒の念を込めて作ったものだ。

  • 〇 今回話題となった『バリバラ』の放送回はインターネット上でかなり話題になったが、視聴率は通常と変わらなかった。インターネットやSNSでの議論や意見などを確認したが、ほとんどの人は番組をしっかりと見ていないように感じた。

  • ○ "障害者がテレビに出てくる時には必ず何がしかの役割を期待される"ことについて考えてもらいたくて、ストレッチャーに乗ったままで何もしない障害者をあえて出演させた。しかし、同番組に関するインターネット上の話題では、そのことについて深く議論されなかったようだ。表層的な理論の域を出なかったのかと残念に思ったが、やった意味はあったと思っている。

  • 〇 相模原市の障害者福祉施設での殺傷事件では、警察が被害者の氏名を発表しなかったが、仮に情報提供があり、それを報道するかどうかをメディア側に委ねられた時に、どう判断すべきかの理論構築は非常に難しい。

  • ▲ 今回の事件後に、ご遺族の方などにインタビューをした。なぜ名前を出したくないと思うのかと聞いたら、「あんなやつらにうちのかわいい、大切な子どもの名前を明かしてたまるか」「これまでさんざん自分たちのことを見捨ててきたのに、こういう時にだけ急に関心を高めて知ろうとする。そんな人たちに大事なうちの子の名前を明かしたり、大事な思い出を紹介して、それを再編集されたりしてたまるか」とおっしゃった方がいた。

  • ▲ どこかで地域への恨み、メディアへの恨み、あるいは一部の障害を持った子どもが政治利用されたりすることもある障害者運動への恨みが家族の中にどこかある。その恨みはとても根が深いものだ。メディアは障害者である取材対象者を本当に仲間だと思い、「だから知りたいんだ」ということを、どれぐらい相手に伝えられるのかが問われているのだと思う。

  • ▲ メディアの倫理で、名前を出すか、出さないかといった矮小なレベルで考えても仕方がない。出せないことの背後に、重層的な恨み、地域への不信感、メディアへの不信感、障害者運動への不信感などが渦巻いている。腹をくくって、誠意をもってつき合い続けるしかないのかなと思っている。

  • ● メディアと障害者が信頼関係をどう築いていくかが重要だと理解した。

  • 〇 相模原市の障害者福祉施設での殺傷事件では、警察が匿名発表した際、障害者団体からは「実名で報じてほしい」という声もあった。本当の温度感が分からない。果たして、どこまで共通認識になっていたのだろうか。通常の事件と同じように扱うべきだと思いながらも、情報の入口と出口で制約があり、判断に迷った。

  • ▲ 一人一人の障害者の思いや、家族の思い、運動体としての思いは全く別だと思うので、障害者が共通認識を持つことはとても難しい。長期的には実名報道すべきだと個人的に思っているが、短期的には、その人の人生を知らない状態で暴くような形でアウティングするようなことは絶対にしてほしくない。事件が起きた時に、どう対応すべきか迅速な判断をすることはすごく難しいことだが、大事に扱わないといけない部分だ。

  • 〇 障害者だからといって実名を伏せるのも逆差別的であり、違和感を覚える部分がある。報じないのも一つの判断だという理解で良いか。

  • ▲ 被害者の名前を伏せるようなことは許されるべきではないという思いと、被害者一人一人のことを考えると、残された家族の思いなどを尊重したいという思いの両方がある。長期的に是正しなければいけないことと、短期的に意思決定を尊重しなければいけないこととのせめぎ合いがいつもある。それをしないでルーチン化して報道してしまうと、取り返しのつかないことが起きる可能性があるので留意が必要だ。

  • 〇 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、多様性の素晴らしさにあらためて注目が集まっているが、ついついきれいな言葉を使いがちだ。先日、障害者と健常者で、差別やバリアフリーを考えるという企画を行ったが、互いに深く話し合うことに慣れていない。本音を出すことで初めて話し合えると考えているのだが、すごく難しい。メディアはどうしていけばいいのだろうか。

  • ▲ 薬物依存症の人が自分たちをセルフサポートしている、ダルクというセルフヘルプグループでは、"正直になること"を大事にしている。正直になることは本音主義と対極ぐらい違い、本音主義は必ずしも正直になることとは違う。ダルクの代表に「正直になるとはどういうことか」と聞いたら、「祈りだ」と一言あった。「祈りとは何か」と聞いたら、「話すことではなく聞くこと」だと言っていた。正直になることというのは、アウトプットよりインプットを重視するスタイルだ。これを"祈り"と彼らは呼んでいる。"聞く"には二つの意味があり、自分とは異なる他者の分かりづらい言葉に耳を傾けるという"聞く"と、自分の中の内なる言葉になりにくいものに耳を傾けるという"聞く"がある。つまり、アウトプットに意識を払い過ぎると本音から外れていったり、正直さから外れていったりするが、自分にも他人にもインプットの回路を全開に開くことが正直さにつながっていき、相手への理解につながっていくと言いたかったのだろう。アウトプットに目が向きがちだが、むしろ"聞く"ことをどうファシリテートしていくかが大事だと思う。

【汐見委員長まとめ】

最後に、汐見委員長から熊谷講師と出席者に謝辞が述べられるとともに、「考えなくてはいけないテーマを整理できた。私は幼児教育に携わっているが、常に、その人が今、何を本当に必要としているのかを感じる能力を問われていると思っている。人間には違いがたくさんある。そのでこぼこは一人一人全く違っていて、でこぼこに応じた"必要"を持っている。その"必要"を感じ合うコミュニティーをどう作っていけばいいのかのヒントが今日の講演にはたくさんあった。一方、文化を創るということにも関心があり、マスメディアはその担い手の一つだと思っている。文化を翻訳して上手に伝えていく仕事をエディットという。文化は編集者と創造者が共同して創るものだ。熊谷講師の考えをエディットして、文化として世の中に生きる形で残していくのがマスメディアの仕事だと思う。すべてに迎合するのではなく、"必要"を感じ取り、それを形にしていくという点で共通していると感じた。各自がそれぞれに受けとめて、また議論していただきたい」との感想があり、意見交換会を終えました。

以上