青少年委員会

青少年委員会 意見交換会

2018年2月24日

学校の先生方との意見交換会の概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、2月24日、18時から21時、東京で学校の先生方と青少年委員会委員との意見交換会を開催しました。このような形での意見交換会は、初めてのことでした。
BPOからは、汐見稔幸 青少年委員会委員長、最相葉月 副委員長、稲増龍夫 委員、中橋雄 委員、緑川由香 委員が参加しました。先生方は、東京、神奈川、岐阜、京都、沖縄の小学校、中学校、高校、特別支援学校の先生12人が参加しました。

【青少年委員会の目的】(汐見委員長)

冒頭、汐見委員長が、開会の挨拶として、青少年委員会の目的について次のように述べました。
「私も本当にテレビ少年であり、テレビ番組が様々な夢を育んでくれた。青少年にとってテレビから与えられるものは、とても大きい。一つの国のマスコミの言論の自由は、徹底して守らなければ、民主社会はないと私は考えている。BPOは、政治権力から様々なクレームをつけられるような番組を作ることに対して、自主的にしっかりと襟を正していくことが必要だということで作られている組織である。その中で、青少年委員会はこれからの日本あるいは世界を担う若者たちが、どんなテレビを見ているのか、彼らが本当に求めているテレビ番組は何なのか、などを視聴者とのパイプ役となって放送局に伝えることが主な役割である。
今回の意見交換会は、子どもたちのテレビ視聴や、マスコミのリテラシー、また、テレビ番組をどう教育に生かしていくかをいつも考えて教育していらっしゃる先生方が、今、青少年の現状とマスコミとの関係について、どのように考えているのか、意見交換をする初めての試みで、これから私たちの活動の糧にしたいと思いますので、よろしくお願いいたします」

【テレビ番組を教育現場でどのように活用しているか】

まず、テレビ番組を教育現場でどのよう活用しているか、先生方から次のような報告がありました。
「特別支援学級を担任しているが、読み書きが苦手な子どもも多いので、視覚的なところからの情報は教育面ではとても有効だと思う。『こういったことをやるよ』ということを、番組を一緒に見ながら理解したうえで、それに実際に取り組んでみるとか、番組を見た後で、そのストーリーの中で何が大事なのか意見を交わしていくという教育がとても効果を上げている」
「小学校1年生を担任しているので、文字がまだ読めない子どもたちに対して、読書活動の一環として放送番組の『おはなしのくに』を見せている。お話の楽しさを味わって、その後、心に残った場面を絵に表したり、ペープサートで表現して友達と交流することも行っている」
「以前、病院の院内学級にいたが、子どもたちは、基本的に外で元気よく活動できないので、映像による間接体験が多くなる。しかし、道徳の授業で、こんなこともあった。道徳ドキュメントで脳死をどう思うかみたいな番組があった。その生徒の中には、臓器移植の子どもはいなかったが、骨髄移植をした子どもはたくさんいた。彼らにとっては、移植はありか、なしかという問題ではなく、移植しなければ生きていけない。ただ、生きていることに感謝するというようなことは指導できるが、脳死がありか、なしかという番組は見せることができなかった。道徳の授業では、明日の希望につながるような内容のものしか実際は見せられなかった」

【テレビに何を期待しているか】

次に、「テレビに何を期待しているか」という問いに対して、先生方からは次のような発言がありました。
「テレビは、子どもたちが、情報を知るきっかけや手段としてあったらいいと思う。今、テレビを見ていると、大筋のターゲットに対してのアプローチが大きい気がする。大人向けに作られた番組も、もしかしたらこの世代の子どもたちも見ているかもしれないという伏線は大事だと思う」
「最近、テレビ番組で素晴らしいと思うのは、『仕事』を扱った番組である。高校生は直に職業や仕事に関係してくる。『本当に仕事は楽しい。でも、苦しい。それでも、みんなで協力してやっている』ということを描いた番組が好きである。例えば、誇りを持って、『この野菜は俺が作ったんだ。うまいだろう』という生産者の目の輝きに子どもたちはすごく感動すると思う」
これに対し、委員からは次のような発言がありました。
(稲増委員)「近年、テレビの視聴傾向は、非常に多様化している。先ほど、ターゲットの話も出たが、誰に向けて作るのかという点では、作る側もみんなに向けて作っても無駄だと思っている。これは若者、これは高齢者など、ある程度ターゲットを絞って、傾向も絞って作らざるを得ない。それは、商業主義だが、テレビの宿命として仕方がないことだと思う。このテレビの構造的な問題の背景には、国民の価値観やライフスタイルの多様化があると思う」

【バラエティーやドラマなど娯楽番組について】

第1部のテーマは、「子どもが真似したら危険だ」「性的表現が子どもの教育上よくない」「いじめにつながる」「暴力・殺人・残虐シーンが子どもに悪影響を与える」「低俗だ」などの視聴者意見が寄せられる「バラエティー、ドラマなど娯楽番組について」でした。

まず、様々な意見が寄せられた裸芸の芸人について、先生方からは次のような発言がありました。
「5年生の自然教室でお風呂に入っていた男子生徒が風呂桶で裸芸を真似していた。教室でズボンを脱がせて裸にさせるというのであれば問題になると思うが、裸芸は一時的な流行であり、楽しめるときにちょっと楽しんでおいていいのかなと思う。あまり生徒を難しく縛りすぎると何もできなくなってしまうのではないか」
「テレビの中は、エンターテインメントで、お約束事の世界だ。あれをリアルの世界でやると話は違うぞ、という前提が昔はあった。あれをやったらまずいよな、ということがどこかで働いていた。しかし、今、それをリアルでやってしまう時の判断基準が少しずれてきている。個人的には、テレビでやることは、別にかまわないと思うが、見る側の姿勢が重要である。家庭、学校、地域で、『これはエンターテインメント、要するにうその世界だよ』という形の話をする機会が必要ではないか」
これに対して、委員からは次のような発言がありました。
(緑川委員)「子どもの教育を考える時に大切なことは、大人になっていろいろな社会の難しいところに一人で立ち向かっていけるよう、子どもが自立できるように教育することだと思う。子ども時代の、周りに先生がいたり、保護者がいたり、大人がいたりして、適切なサポートを受けられる時に、テレビで下品といわれるようなことや社会の大変なことを見るのも一つの経験として良いといえる場合があるのではないかと思っている。それは教育のチャンスというか、『それをしちゃいけない』と子どもにきちんと教えてあげるきっかけにテレビがなることがある、という温かい目でテレビを見てほしい」

次に、「いじめにつながる」などの視聴者意見について意見交換しました。
先生方からは、次のような発言がありました。
「いじめについては、バラエティーの中でいじった、いじられた、突っ込みとぼけなどがいじめにつながるという意見に対しては、あれはルールの中でやっているということを大人が諭してあげる、つまり、我々の教育力が求められている。テレビ側の立場で大衆に受けるものをつくるという前提はあってもよい、と思う。しかし、実際のいじめ自殺の報道は、個人的には心が痛む。それを子どもが見て、いじめは絶対にいけないと思うのか、いじめが助長されるのかはわからないが、デリケートに扱ってほしい」
「今はいじめた意識があるかないかではなく、いじめられたと思った人がいたかいないかというほうが大きいと生徒に話した。そこで心を痛めている人がいるということは、やはりよくない、という点は、高校生でもなかなかわからないようであった」

ここで、最相副委員長から、次のような疑問が提起されました。
(最相副委員長)「今の子どもたちは、録画をして見るケースが非常に多く、これまでは17時から21時までは、ファミリーが見る時間なので、あまり過激な番組は作らないように、それ以降だったら多少はめをはずしてもよいという形で捉えられていたが、最近はそういうことを言っていられない。制作現場の方も非常に悩んでいる。そのような夜中の番組を見過ぎて悪影響をこうむっているような子ども、あるいは、テレビ番組も動画サイトにそのまま載ったりするが、リアルタイムでなくても、ぎりぎりのラインをいっているような番組を見過ぎることによって、日中の生活態度に影響が出ているケースはあるのか、知りたい」
これに対して、先生方からは、次のような報告がありました。
「中学校で不登校の生徒がいるが、家庭訪問をすると、昼夜完全に逆転になり、夜8時ぐらいに訪ねたが、まだ寝ていた。夜9時ころ起き始めて動画サイトでアニメを見たり、録画したアニメを見たりという生活であった。深夜のアニメは男の子より女の子が好む傾向があり、男の子はゲームに向かうほうが多いと思う」
「私の小学校では、動画サイトが大きな問題になっている。不登校で夜中ずっと動画サイトを見ている子どももいる。そこの歯止めがかからないことが問題であり、夜中に見ていると脳が刺激されて眠れなくなってしまうという健康面の影響もある。また、課題が大きいと思うのは、言葉使いがすごく悪くなってきているということである。暴力的な言葉や性的な言葉だ。小学生がそんな言葉知っているんだというのが、会話の随所に出てきて、いちいち指導はするが、自分たちの知っているところは氷山の一角かなと思うところがある」
「貧困問題にも関連するが、母親が夜も仕事をしている家庭では、子どもにスマートフォンを持たせていることが多い。しかも、フィルタリングもしていないことがある。家には誰もいないし、さみしさを紛らわすために外出する。何か悪いことをしているわけではないが、深夜までおしゃべりしたりして、眠れないという生活をしている子どももいる」
これらの報告に対して、委員会らは次のような発言がありました。
(中橋委員)「動画サイト、特にスマートフォンの普及による変化は大きく、親や他人が入っていけない、パーソナルな空間の中での出来事が子どもたちにどう影響しているかということは考え直していく必要がある。教育現場でも指導が必要な場面も増えてくると思う。
一方、テレビ文化は、これまで先人たちが積み上げてきた素晴らしい文化である。新しいことを知ったり、生き方を考えることができたり、娯楽としても楽しめる、人間の生活を豊かにする非常に重要な文化である。そのテレビをもっとよくしていくためにはどうしたらいいだろうかということを建設的に考えていく場として、教育現場では、テレビの影の面だけでなく、良い面をいかに伸ばしていけるか、子ども達にしっかり教えていくことが大事だと思う」

次に、テレビでの「性的表現」について意見交換しました。
先生方からは、次のような発言がありました。
「思春期を迎えている中学生を担任しているが、表立ってテレビの性的表現によるいじめや指導が必要なことがあったかといわれると、ほぼなかったと思う。その番組が今の中学生に何か影響があったのかというと、ほぼない。やはり、ネットのほうが情報源はたくさんあると思う。ただ、最近、LGBTの問題は気になる。学校には、その傾向が見受けられる生徒もいる。『オネエ』という言葉がテレビでよく使われるが、『なんか、あいつオネエみたい』というような言葉が実際に学校で使われた時には、どういう意味で使ったのか指導したことはある」
「性的表現は、テレビの深夜番組にはよくあると思う。深夜番組は、ほとんど録画して見ている子どももいる。その子どもたちがそれを見る時間はいつだと考えると、多くの時間を奪われているのだろうと思う。情報をしっかり読み取る力が身についていればいいが、そうとは限らない。たぶん、いろいろなものを失っている部分があるだろうと思うので、その点を学校や家庭で教育していかなければならない」
「中学2年生くらいになると、性的なことは人前で話してはいけないということはなんとなくわかってくる。しかし、言葉の端々から、テレビやネットで得た知識で、にやにやしながら話しているのが聞こえてくることもあるので、そこはきちんと教えなければいけないと感じている。全く性的なものに触れないまま大人になるのも心配ではあるが、変に偏った情報が子どもに入らなければいいなと思う」

【報道・情報系番組について】

第2部のテーマは、「報道・情報系番組について」でした。
「子どもたちが関連する事件・事故の取材」、「子どもへのインタビュー」、「被害少年の実名報道」などに様々な意見が寄せられる報道・情報系番組について、また、学校や先生自体が事件・事故の当事者となったり、影響を受けてしまったりするケースについて意見交換しました。

まず、先生方からは、次のような発言がありました。
「4年前、河川敷で中学生が複数の高校生らに殺害される、という事件が発生したが、この事件をきっかけに、不登校傾向にある児童が休んだ場合、電話連絡、家庭訪問、児童支援チームの立ち上げなどのマニュアルが各学校に配布されている」
「小学校であったが、この河川敷での事件の報道を受け、子どもたちに『命はひとつしかない、大切だよね』という話はした。それにいじめの話とつなげて『本人は軽い気持ちで言っても、死ぬほど嫌な気持ちになって、複数で逆らえない、ものの言えない子がいじめにつながるんだよ。いじめというのは命を即なくすことにつながるんだよ』と話した。同じようなことが起こるたびに、毎週の学年会では、このことを話している」
「原発事故で避難した子どもがいじめを受けたという報道を受けて、各学校で『いじめ対策防止委員会』を開くようにということで、今、取り組んでいる。また、以前、ある生徒の父親が、薬物関連で逮捕され、家にマスコミが来たということがあった。子どもは、そのとき、母親の実家に引っ越していて、インタビューや取材を受けるようなことはなかった。報道側の立場もわかるが、何の罪もない子どもが心理的につらい思いをして大好きだった学校を離れていくのは、担任としては非常に心苦しかった。」
「この『原発いじめ問題』では、個人情報に関わることが非常に多かったので、公式にメディアに対して発信できない部分がたくさんあったと思う。そのことで、あの子どもが犯人だとして実名が出てしまったり、別の先生の名前が出てしまったりと、かなり情報が錯そうし、それによって被害をこうむった人たちも多かったという印象を受けた。この事件をきっかけに、学校では、いじめアンケートを取り、その中で、自分は嫌な思いをしているという回答があった子どもには、個別に対応したり、聞き取りをしたりしている。また、『いじめ』の場面を見かけたことがある、と答えた子どもについては、個別に『どういった場面だったの?』と丁寧に洗い出しながら、子どもに寄り添って対応することを、ここ何年か続けている」
「私の学校でも、いじめアンケートがあり、悩みを書いた子どもを呼んで話を聞くという取り組みを続けている。しかし、中学生になると、悩みを書くと先生に呼ばれて話を聞かれるというところに敏感になってくる。逆にもう書かなくなる。教師としては、悩みが書いてないから何もないとは思わないようにしている。
以前、若い男が小学生を殺害する事件が発生し、学校の近くの団地に逃亡したことがあった。その際は、校門にカメラや記者が待ち構えていた。その後、生徒が取材に応じないよう、学校では、半年以上にわたって、必ず誰かが校門に立ち、マスコミ対応をしたことがある。さらに、ある担任の先生が逮捕されるという事件があり、報道もされた。その時の子どもたちの動揺は本当に計り知れないものがあった。報道で知ることは、子どもたちにはすごく影響があると思う」

次に、最相副委員長から、先生方に対して、次のような質問が投げかけられました。
(最相副委員長)「私たちは放送局の現場の方々と意見交換をしているが、近年、学校の取材が全然できないという声が出てくる。季節の話題として、卒業式や入学式が行われました、というときも、カメラが学校に入れない、と聞く。これは、皆様方の学校では、どうなっているのか」
この質問に対して、先生方からは、次のような発言がありました。
「子どもの顔がテレビに出るのは、たぶん管理職が了解しないと思う。個人情報は、かなり慎重に取り扱われている」
「私の学校の自治体では、年度の頭に、保護者に対して、どこまで情報を出していいですか、という確認を全校一斉にとる。顔までとか、名前も大丈夫とかいう確認を年度ごとにとり、それ以外のメディア対応は、その都度、改めて保護者に確認をとらなければいけないルールになっている。入学式では、まだその確認をとっていない状況であり、卒業式では、『だめです』と書いている保護者全員に一つ一つ確認を取ったうえで、取材を受け入れるという手続きをとることになるので、前日とかに取材を申し込まれても確認を取る時間がないので、結局、断ることになる」
「生徒の顔については、ホームページはもちろん、学校通信、学年通信でも保護者の許可をとっている。誰がNGなのかは、学校側はしっかり把握しているので、その子は除いて載せる。たとえ承諾がもらえていても、顔がわかるものでなく、後姿や遠目のものを載せるよう配慮している」
また、委員からは、次のような質問も出されました。
(稲増委員)「教育問題、いじめ問題などをメディアで扱う際、取材する側から出てくるのは、学校や教育委員会には隠蔽体質があるのではないか、ということである。学校側が『いじめはなかった』と言っても、取材する側は、『いや、いじめは絶対あったはずだ』というステレオタイプで見る傾向がある。その見方は、本当なのか、それとも過剰なステレオタイプなのか、何か実感していることがあったら聞きたい」
これに対して、先生方からは次のような発言がありました。
「私が勤めていた学校で、卒業生と在校生が、オレオレ詐欺の関係で逮捕されるということがあった。その際、とにかく報道機関からの問い合わせがすごく、学校側は、とにかく答えるな、教育委員会を通すようにということであったが、何か隠しているのだろうという感じで電話をしてきた。個人的には、どこどこの学校に通っていたことから派生して、通学途中の子どもをつかまえてインタビューされたりという事態を考えると、隠蔽しようということではなく、ほかの子どもへの影響を考え、報道機関への対応は慎重になると思う」

また、スマートフォンが子どもたちにも普及したことの影響について、最相副委員長から次のような問題提起がありました。
「数年前にキス動画というのが話題になり、それを引用したテレビ番組もあった。一時的な熱でキスして、その画像をネットにアップしてしまうということで、危険があるし、未来のことを考えていない。これは、かなり大きな問題だと思った。個人情報保護には慎重すぎるほどなのにプライバシーを自ら公開することは割と平気でやってしまう。頻繁に起こっていることだと思うが、どうだろうか」
これに対して、先生方からは次のような発言がありました。
「先生と生徒の距離があまりに近すぎるのかわからないが、例えば、妻と自分が歩いているのを勝手に写真に撮ってSNSに載せられるということがあった。その時、生徒には、『君たちと先生は仲がいいかもしれないが、私たちにも肖像権がある』と注意した。『他人の写真を実際にアップして、全世界に広まり、もし訴えられたら大変なことになる』というようなことを教えなければいけないと思う」
さらに委員からは次のような発言がありました。
(中橋委員)「報道する側が取材される側への理解をより深めていくという場は必要であるが、これからは子どもたち自身もそういうことを考えていかなければならないと思う。自分たちが取材して、それを発信する側に立つことがあるのと同時に、友達から撮られて、それがアップされるような報道される側に立つ場合もある。さらに、それは、ソーシャルメディアだけでなく、マスメディアでも大きく取り上げられることもある。
学校現場においては、ドラマは作り物の世界だが、報道は事実を伝えていて、正確に中立公正に伝えるのがニュースだという価値観がある。しかし、ニュースの中にも『演出』があったり、意見が多分に含まれているものもある。それを読み間違えると、勝手に受け手の側が深読みをして、間違った方向に読まれてしまうことが起こりうる、ということを教師の側が認識したうえで、子どもたちに伝えていく必要があると思う」
(緑川委員)「今、個人情報に対して、特に保護者の意識は非常に高く、誰もが自分の情報を自分でコントロールしていくという意識が高くなっているのではないかと思う。他方、SNSなどで自分のプライバシーを簡単に出してしまっている。全く矛盾した行動を私たちはとっている。ネットでプライバシーを侵害された、名誉棄損されたという相談を受けることがあるが、一度ネットに出てしまった情報は完全に消すことはできない。小学生からスマートフォンを持っている時代であり、先生方には、小学生のうちから自分の情報をきちんと自分でコントロールするという意識、ネットにそれを出すことがどのくらい危険かということを是非教えてあげてほしい」

今回の議論を受けて、先生方の代表者から次のような意見が出ました。
「我々教員として、テレビの影の部分と楽しい部分、良い部分をちゃんと伝えていかなければならない。また、テレビだけでなく、SNSやスマートフォンについても、発信者として、受け手として、子どもたちにしっかり理解したうえで使えるように指導していくことが教育現場では必要であるし、家庭に伝えてしておくことも必要だ、と改めて感じた」
最後に、最相副委員長と汐見委員長が次のように総括しました。
(最相副委員長)「今日、報道の問題がたくさん出てきたが、これまで、報道・制作現場の人たちの話を伺ってきた印象として、ほとんどが誠実な人たちだった。どのような形で報道のトラブル、学校現場とのトラブルが起こるのかは、いろいろな理由があると思うが、現場の先生方もぜひ報道に携わっている『人』を見ていただきたい。個人個人ですばらしい仕事をしている記者の方々はたくさんいる。テレビだからだめというのではなく、彼らがどういう目的でそのテーマを追いかけ、何をやろうとしているかを正面から受け止めていただければ、それが世の中を変える力になるかもしれない」
(汐見委員長)「情報がどんな形でも流れてしまって、残ってしまうという社会になってきたということで、その社会におけるモラルや自分を守る技術についての模索が懸命に行われているという感じを受けた。実際は、メディアの発達のほうが早くて、その後を私たちが必死になって追いかけている感じがする。放っておいたら、あらゆるところにコンピューター、AIが組み込まれていくことが進む。プライバシーなども全くないような社会になっていく可能性がある。そのような社会を望んでいるかとは別に、それが大事だというふうになっているのが『文明』である。私たちが予測していないような事態が『文明』によって起こってしまうことがある。そういう中で、人々の尊厳を守る、人権を守るということが、どうしたら可能なのかという大変な難題に私たちは挑まなければならない。私たちは、たぶん、その入り口にいるのだと思う。それをやらないと、楽で快適でというだけで人間は幸せにはなれない。私たちは知恵を一つずつ出して、『文明』がもたらす問題を解決していくしかないわけであり、先生方のメディアリテラシーは、これから本当に大事になっていくと思う。その努力が、少しずつ世間の知恵になっていくことを願っているし、私たちも私たちなりの立場でそれに参画していきたいと改めて思った」
以上のような活発な議論が行われ、3時間以上に及んだ意見交換会は終了しました。

今回の意見交換会終了後、参加者からは、以下のような感想が寄せられました。

  • テレビが生徒に与える影響について、こんなに意見交流したことは初めてでした。
    今回の経験をもとに、日々の学校生活においても、生徒たちがどのようにテレビと接しているのか、テレビが与える影響がどのようなものかを意識しながら考えたいと思いました。今は、テレビの影響より、ネットやスマホ・SNSといった新しいメディアが生徒たちに大きな影響を与えていると思います。ただ、テレビについては、ネットやスマホとは違い、家族で観るメディアであることも考えると、保護者や生徒にどのような影響があるのかを考えていきたいと思います。

  • なぜ学校は、情報を公開しようとしないのか。学校側と情報を発信していこうとするメディア側の温度差がある点について、学校側は、良いことは発信していきたいが、発信できない現実的な問題もある。もっと楽になればと思いますが、なかなか難しいです。

  • 弁護士の緑川先生の、テレビを見て間違ったことをしてしまう子どもの話になった際、「今のうち(家族がいて教員がいて、失敗したことをサポートしてもらえるうち)に経験して、大きくなったときに間違わない材料にしてほしい」という内容の発言が印象に残りました。テレビの内容を白か黒かで判断するのではなく、成長過程にいる児童にとって教育できる機会にもなるという幅をもって、活用していきたいと思いました。

以上