青少年委員会

青少年委員会 意見交換会

2016年9月12日

意見交換会(広島)

◆概要◆

青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的の為、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、広島県の放送局の皆様との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、9月12日の14時から17時まで、RCC文化センター会議室にて「意見交換会」を開催しました。
BPOからは、汐見稔幸・青少年委員会委員長、最相葉月・同副委員長、稲増龍夫・同委員、大平健・同委員、菅原ますみ・同委員、中橋雄・同委員、緑川由香・同委員の全委員と濱田純一・理事長、三好晴海・専務理事が参加しました。放送局の参加者は、NHK、中国放送、広島テレビ、広島ホームテレビ、テレビ新広島、広島エフエムの各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など24人です。
会合ではまず、委員から、事前に視聴・聴取した地元制作番組についての感想が述べられ、続いて、濱田理事長から、表現の自由と放送法の解釈について解説がありました。また、汐見委員長からは、青少年委員会が8月に公表した文書についての説明がありました。
その後、(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について、(2)原爆の歴史の伝え方について、(3)地域におけるラジオの重要性、などについて、活発な意見交換がなされました。

【地元制作番組を視聴・聴取した委員の感想】

  • 『フェイス もう一度勉強してみんか?~地域の学習支援は子どもを救うか~』(NHK広島)非常に丹念な取材が重ねられていた。扱うテーマも良いのでローカルにとどまらず全国のネットワークを活用していただければよいと思う。
  • 『ひろしま8・6ドラマ ふろたき大将 故郷に帰る』(NHK広島)貧困問題や若者の自分探しなども取り込み、被ばくだけにとどまらない盛りだくさんなドラマ。内容もキャスティングも意欲的でとても見ごたえがあった。
  • 『ニュース6スペシャル ヒロシマとアメリカ』(中国放送)アメリカの核開発の歴史やアメリカの若者の被ばく観の変化の分析、また広島の被ばく者についても多方面にわたり取材するなど、多様な視点に基づき構成された見ごたえある番組だった。
  • 『ひろしまフラワーフェスティバル 花と笑顔の40年史』(中国放送)40年続く地元のイベントの初回開催までの苦労や、これまでの歴史の中でのエピソードなどを紹介する地元制作ならではの佳作。「広島はいい街だなぁ」と思わせてくれる番組だった。
  • 『学校青春バラエティー ぐるぐるスクール』(広島テレビ)中高生のリアルなはじけた姿に感動し涙した。出演する中高生のナチュラルな姿、進行役のタレントのアニキ感、見守る大人たちの視線、すべてが心地よかった。このような素敵な番組が全国で、特に大阪や東京のような大都市で作られるにはどのような工夫が必要なのだろう、と考えた。
  • 『"あの日"は何を変えたのか?~被ばく71年 アメリカの今~』(広島ホームテレビ)オバマ大統領の広島訪問でいったい何が変わったのか?に焦点があてられていたが、大統領の被ばく地訪問に対するアメリカ政府の意図など、表面には見えないところにこれほどまでに隠されたものがあったのかということを知った。
  • 『テレメンタリー2013 3500通の"グルチャ"の果てに…広島16歳少女集団暴行死事件』(広島ホームテレビ)グループチャット、"グルチャ"といわれるSNS上の文字のやりとりだけで、子どもがいかに危ない方向に変化していくかが非常によくわかり、不気味に感じた。直接知らないしゃべったこともない子どもたちが、文字だけのやりとりで、はやし立てたり制したりしながら最後は暴行死に至る。当事者以外の四十数名は共犯者なのだろうか、と考えさせられた。少女Aの自首までの経緯を第2弾として見てみたいと思った。
  • 『そ~だったのカンパニー』(テレビ新広島)69人の鋳物工場の奮闘記。コツコツ続けることの良さが分かる地元に貢献する気持ちのいい番組。
  • 『ヒロシマを遺した男~原爆資料館 誕生秘話~』(テレビ新広島)原爆資料館初代館長の話。今は忘れ去られてしまった人を、番組が丹念に掘り出していく。声高ではなく、等身大の好奇心で追いかけ、結果として真実が見えてくる品のいい番組だった。
  • 『大窪シゲキの9ジラジ』(広島エフエム)ターゲットを高校生に絞り込み、寄り添う番組。メールやファクスだけでなくLINEなど新しいメディアを活用するなど、ラジオ放送だけでない楽しみ方も工夫もされている。リスナーと出演者、作り手の信頼関係を強く感じ、長く愛されている番組なんだろうと思った。

【表現の自由と放送法の解釈】(濱田理事長)

衆議院予算委員会における総務大臣の「最悪の場合は電波停止もありうる」という発言などを中心として放送法を巡りいろいろ話題になったことは、放送の現場にとっては気になるテーマだと思う。
総務大臣発言の法的根拠である電波法76条とは、放送法に違反した場合の、無線局の運用停止や免許取り消しの可能性を規定したものである。では放送法はどのようになっているかというと、第1~3条では、放送の最大限の普及、そして放送の不偏不党や表現の自由の確保、健全な民主主義の発達に資するといったことや番組編集の自由などが掲げられている。そして第4条に政治的公平の規定がある。つまり総務省の解釈では、例えば放送法4条、政治的公平に違反すれば放送法違反ということで、電波法76条に基づく運用停止がありうるだろうとなる。
しかし放送法4条は、政府が放送内容について干渉する根拠となる法規範ではなく、自律的に番組を編集するための倫理規範であるというのが、メディア研究者や憲法研究者の間でも通説的な考えであるようだ。最高裁の判例でも『番組の編集は、表現の自由の保障を前提として、放送事業者の自律的判断にゆだねられていると国民一般は認識している』とある。仮に法規範と考える場合も、表現の自由が前提である以上は、政府の口出しは基本的に許されないことが大原則であるべきだし、倫理規範と考える場合も、放送のあり方が国民の信頼を得ていることが大枠となるので、制約がないわけではない。
この「政治的公平」という概念については、事前のアンケートでも各社の苦労がうかがえたが、ひとつ言えることは、政治的公平とはひとつの番組だけで完結すべきことではなく、その放送局全体で判断されるということ。ある番組の中で偏りが見られたとしても、それをもって議論にはならない。
実質的なことを言えば、政治的公平を考えるとき、表現の自由が大前提であることや、ジャーナリズムに権力の監視機能が求められているということを忘れてはならない。政治的公平という言葉をもって、「政府への反対意見ばかり報道するのはいかがなものか」という議論もあるが、一般に伝えられている情報というのは、現実的に公権力側からの情報が結果として多いということは往々にしてあり得るわけで、それに対しジャーナリズムのスタンスから一定の反対意見がある程度のボリュームで主張されてもバランスを欠くことにはならないとも思う。また視聴者のニーズ、国民の知る権利を見極め考えながら報道するというスタンスも、政治的公平を考える際には求められる。例えば、最近も話題になったが、選挙の候補者をすべて同時間で紹介しなければ政治的公平に反するのか、ということ。これは視聴者ニーズの観点からすれば、候補者を絞った報道も許されると考えられている。全候補者を等分に紹介することで本当に必要な情報が視聴者に伝わらなくなる可能性もある。政治的公平は、形式的に扱われるべきものではない。これからは、実質的な議論をメディアの側からも積極的に行っていくとよいのではないだろうか。

【質疑応答】
●=理事長、○=放送局出席者

  • ○ 政治的公平は放送局全体としてバランスをとればいいということだったが、これはメディア全体にまで広げて考えてもいいのだろうか。例えば、ある局が多少偏っていてもほかの放送局と比べていくつかの全体として見たときにバランスがとれていればそれでいいというようなことは考えられるか。
  • ● 今の法解釈では、ひとつの放送局においてバランスをとらねばならないとなっている。アメリカなどは全体バランスの方向に進んでいるし、今後は日本もその方向に進んでいくのではないかと思うが、現行制度ではひとつの放送局で考えることになっている。
  • ○ アメリカと日本の違いは、具体的にどのようなことがあるか。
  • ● 政治的公平という考え方は、アメリカにはない。それぞれの放送局が一種の特色を持ち、その中で放送間の競争が生まれ、視聴者の知識の幅広さ、情報量につながっていると言われている。
  • ○ 放送の多チャンネル化などメディアの変遷が著しいが、今後、放送法4条などの倫理規範が緩和される動きはあるのか。
  • ● 放送も新聞と同じでいいのではないか、という考え方は以前からある。しかし、放送というのは規制される対象として、他方、新聞は自由販売が原則という歴史的惰性がある。規制はなぜ必要なのか、という議論はこれから高まっていくだろう。

【青少年委員会が公表した文書の解説】(汐見委員長)

青少年委員会では8月に「残虐なシーンのある番組を放送する際の配慮に関する委員長コメント」を出した。当該番組は、ホラーサスペンス系のドラマ。元来、夜10時から放送される番組だったが初回のみ放送時間が拡大され夜9時のスタートとなっていた。
コメントの論点は、2つある。まずは、相当に残虐なシーンがたびたびあることへの配慮がどこまでなされ制作されたかということ。2つ目は、ゴールデンタイムの放送で番組開始まもなくタイトルもなく残虐シーンが映し出されることにより、ホラーが苦手な視聴者も期せずして目にしてしまう可能性が高かった。つまり視聴者に選択の余地がなく、放送が持つ公共性の観点から問題はないだろうか、ということ。我々は、放送基準や放送ガイドラインを判断のよりどころとしているが、例えば民放連の放送基準には「病的、残虐、悲惨、虐待などの情景を表現する時は、視聴者に嫌悪感を与えないようにする」というふうに書かれており、またNHKの放送ガイドラインでは「ドラマなどフィクションの世界であっても、過度の刺激的な描写や暗示、不適切なことばなどは避ける。」とある。さらに、民放連の放送基準審議会は2001年「番組情報の事前表示」に関する考え方について文書を出しているが、そこには「午後5時~9時に放送する番組については、とりわけ児童の視聴に十分配慮する」ということが明記されている。今は録画視聴が増えているのでこの規定をそのまま昔と同じように準用するかどうかについては大いに議論が必要だが、規定があるということは事実である。従って、今回の番組については、子どもたちも見ていることを考慮し、慎重に制作していただきたいということを要請した。

【意見交換の概要】
●=委員、○=放送局出席者

(1)子どもが関わる事件・事故における放送上の配慮について

  • ○ 最近、県内で教員のわいせつ事案が多数発生しているが、県教育委員会からは、児童・生徒への配慮のためとして、学校名と教員名の匿名を要請される。しかし、インターネット上には、実名も顔写真も掲載されていることが多く、各社配慮に意味はあるのか、と考えてしまう。
  • ○ 丁寧に取材を重ねていても、途中でSNSなど思わぬところで情報が拡散してしまい取材対象者に迷惑がかかることがある。従って、その配慮に取材の過程で今まで以上に時間と労力がかかってしまう。真実をできるだけ早く伝えるのが報道の使命でもあるなかで、板挟みになり苦慮しているということは、十数年前にはなかった課題だ。
  • ○ インターネット上では、真偽不明な部分も含めてすでに出回っている情報を、放送では被害者への配慮ということで匿名にしていることが、視聴者からみれば生ぬるく映ってしまい取材が手ぬるいと批判されることがある。
  • ○ インターネットに出ているからといってメディアが実名報道していいという論理にはならない。判断は、状況を総合的に鑑みてケースバイケースで行っている。
  • ● 被害者を守るためにメディアが口をつぐんでいるようにも見えて、違和感を禁じ得ないが、報道が逆の方向に向かってはいないだろうか。
  • ○ 社会性と事件性などから考慮はするが、原則は実名報道である。「出したもの勝ち」ではなく「出さない配慮」への評価が必要なのではないだろうか。
  • ○ 2013年に「呉16歳少女暴行死事件」が起き、おそらくあの事件でSNSに様々な情報が詰まっているとメディアが気づき、インターネットから情報取り放題のような傾向が生じたと記憶している。しかし、SNS上では子どもも大人も別人格のように書き込んでいたり、本意ではない書き込みの可能性も排除できない。インターネットは情報も取りやすいが、その危うさや人権への配慮も忘れてはならない。

(2)原爆の歴史の伝え方について

  • ○ 被ばくから71年、存命被ばく者も減少するなかテーマの枯渇やマンネリ化という状況を正直感じている。また被ばく体験を話したい人もいれば、思い出したくもないという被ばく者もいる。そんななか、原爆の歴史を今後どのように伝えていくかは、在広マスコミの課題だと考える。
  • ○ 私が入社した25年前は、曜日に関係なく「8月6日8時15分」を中心に編成が組まれ、全国ネットを差し替えて放送していたが、今ではそのように手厚い編成はなされなくなった。また近年、「8月6日」に対する全国からの注目の著しい低下を感じる。キー局は、もはや「8月6日」に目を向けていないのではないか、と非常に不安に思う。
  • ○ この10年で相当な変化を実感している。全国の方と広島の方との原爆や核に対する意識のギャップはものすごく大きくなっている。東京などでは「8月6日に何が起きたのか」を知らない子が普通になってしまっている。被ばく地の放送局として、全国に伝える役割を果たしていかねばならない。
  • ○ 若い人たちのニュースへの接触度が非常に低くなっている。いい番組を各局作っていると思うが、若い人たちに全く届いていない。ストレートのボールを投げて自己満足していても若い人は見てくれない。そんな若年視聴者に向けてどう知恵を出していくか、今、現場が一番悩んでいる所ではないだろうか。
  • ● 本当にテーマは枯渇しているのか、証言者はいないのか、ということを問いかけることから始めてみるということもあるのではないだろうか。平和を世界に訴える、放射線の害を訴えるだけではない、「もうひとつの広島」、つまり「これまで報道されてこなかった広島」というものが、まだまだ隠されてはいないだろうか。
  • ● 子どもたちがテレビを見ていないという問題は、広島だけではなくテレビ全体の問題。しかし、青少年委員会の中高生モニターと接していると、作り手が真剣に向き合って作った番組は必ず子どもたちに伝わっていることを実感できる。番組と子どもたちをつなげる方法は、我々も考えなくてはならないが、番組を受け取る子どもたちの力を信じてもいいと思う。
  • ● 原爆の悲惨な映像は、何歳ぐらいから子どもたちに見せてもいいのだろうか、という悩みが事前アンケートで寄せられたが、放送現場では実際どのように対応しているのか教えてほしい。
  • ○ 悲惨な映像は必要があれば使うし、必要がなければ使わない。しかし、子どもが怖がるから見せない、などの配慮は過剰にしなくても、子どもは子どもなりに柔軟な気持ちで受けとめられると思っている。
  • ● 悲惨な映像は、意味が伴わなければ、たとえ中高生が見たとしても、ただのグロい映像でしかなく、詳細な解説が必要になる。しかし丁寧な解説が添えられメッセージが伝わるものならば、どんな映像であっても、きちんと伝わる。

(3)地域におけるラジオの重要性

  • ○ 今、放送開始から17年目になる番組に携わっているが、子どもたちの居場所づくりを番組でやっている。共感を生むメディアでありたい、と思っている。
  • ○ 番組を通じて子どもたちに「相談する力」「吐き出す力」を育みたい。学校にも家庭にも居場所がないというリスナーの子どもたちが、なんとか明日を迎えられるように、メッセージを届けたいと、音楽の力を信じ番組を作っている。
  • ○ 10代でラジオを聞いていた子どもは、大人になってからも戻ってきてくれる。その時に「最近つらかったから久しぶりにラジオをつけた」と教えてくれたりすると、居場所づくりの重要性を再認識する。
  • ○ ラジオは情報の最終ラインだと肝に銘じている。テレビが扱わないような小さなネタ、ラジオが見逃すと消えてしまう情報があるので、緊張感を持って情報を扱うようにしている。一方、テレビでは言いにくいようなことも意識して言う。ラジオだからこそ言える表現や大きなメディアとは少し違う一言など、常に意識している。
  • ● 映像がないからこそ伝わる、想像できる、というラジオならではの特性がある。新たな特性や意味を持つメディアとしての価値も大きいと思うので、大切にしてほしい。

【委員長まとめ】

各地で意見交換会を行うが、毎回きれいな結論が導かれるわけではなく、様々な課題を改めて確認しあいながら、わずかな光でも見つけられればと思い続けている。今、メディアの多様化が一気に進む時代にあって、テレビやインターネットなどが互いに、どのようにすみ分けるかが、模索されるのだろうと思う。例えば、テレビとインターネットの比較についてだが、間もなく公表される我々が行った調査(「高校生のメディア・リテラシーに関する探索的研究-バラエティー番組に対する感想をめぐって-」)によれば、彼らが信頼するメディアは新聞に次いでテレビであり、最も信頼性が低いものはインターネットだという答えが出ている。テレビはとても丁寧に配慮もされて作られていることを、高校生は分かっている。インターネットは手っ取り早いから利用されているのであって、そことテレビが競争しても意味がないとも思う。しかし、放送現場にはインターネットに対していろいろな葛藤があることを、改めて感じさせられた。
また今回、広島の放送局のみなさんの原爆や平和へのこだわりに非常に感銘を受けた。原爆が投下されたこの地のメディアのみなさんには、200年経っても300年経っても、時代がどのように変わっていっても、人類の絶対的な平和の願いを伝え続けていくというマスコミの使命を担っていていただきたいと思った。

以上