「謝罪会見報道に対する申立て」事案の通知・公表
[通知]
午後1時から、BPO会議室で申立人側と被申立人側が同席して通知を行った。申立人の佐村河内氏は体調が思わしくないとの理由で欠席し、代理人の2人の弁護士に決定を通知した。被申立人のTBSテレビからは情報制作局の担当者ら3人が出席した。委員会からは坂井委員長と起草担当の曽我部委員、林委員に加え、少数意見を書いた委員の1人の奥委員長代行が出席した。
坂井委員長が「結論は申立人の名誉を毀損したと判断する『勧告』である」と述べ、決定文のポイントを読み上げた。
担当委員による補足の説明と少数意見の委員による説明が行われたあと、申立人側、TBSとそれぞれ個別に意見交換を行った。
申立人の代理人は「感謝している。BPOとしての機能を十分果たしていただいて、あえて裁判ではなくて裁判外でこういった形で申立てをした主旨が報われたものかなと思っている」と述べた。
TBSは「正直言って非常に驚いた感じがしている。佐村河内さんの耳が聞こえているのかどうか、説明が十分でなかったとすれば、そうかもしれないが、番組は新垣さんと佐村河内氏が言っていることのどちらが正しいかを検証したもので、診断書など与えられたものを評価しただけと考えている」等と述べた。
[公表]
午後3時から千代田放送会館2階ホールで記者会見を行い、「委員会決定」を公表した。24社の51人が取材した。通知の際の坂井委員長ら4人の委員に加え、もうひとつの少数意見を書いた中島委員が出席した。
坂井委員長が「本件放送は申立人の名誉を毀損したものと判断した『勧告』となった」と述べ、決定文の判断部分を中心に説明を行った。起草担当の2人の委員は以下のように説明を行った。
(曽我部委員)
放送局の立場からすると、大変厳しい判断だと受け止められるのではないかと推測する。その関係で3つほど手短に補足させていただきたい。
まず、今回の人権侵害の判断は、過去の判断をご覧になればわかるように比較的まれな判断で、異例の厳しい判断と受け止められるのではないかと思う。ただ、勧告の中には、人権侵害と放送倫理上重大な問題ありの2つあるが、これは人権侵害のほうが重いということでは必ずしもない。訴訟になった場合、名誉毀損の程度は結局慰謝料の金額で表せるが、委員会はそういう認定をしないで、人権侵害の結論だけになってしまうので、重く見えるかもしれない。しかし、必ずしも放送倫理上重大な問題というのが人権侵害よりも軽くて、逆に人権侵害のほうが重いということではない。
2つ目は、佐村河内さんのこの間の動きを見ると、やはり疑惑はあるのではないかという点との関係である。実際、本人も一部お認めになり、社会を裏切ったこともあるので、これくらいの放送をしても、多少の行き過ぎがあったかもしれないが、人権侵害という結論は厳し過ぎるのではないのかという受け止めもあるかと思う。これについては2点ほど申し上げたいが、1つはやはりいくら疑惑があっても、その勢いで何を言ってもいいということではない。やはり客観的な証拠とか、裏付けに基づいて言える範囲のことを言っていただくことが必要で、今回も疑惑は疑惑として明確に伝わるように放送すべきではなかったか。それとの関係で2つ目として、聴覚障害はセンシティブな問題であるということである。また非常に専門的な内容であって、一般の視聴者は、仮に放送内容が誤っていた場合に簡単に誘導されてしまうおそれがあるということもあり、やはり疑惑は疑惑としてきちんと伝える、そういった配慮も必要ではなかったかということである。
最後に3点目だが、本件は情報バラエティーということで、報道・ニュースとは違うので、多少アドリブも入っていたり、自由な発言をしてもいいのではないかということとの関係で厳し過ぎるという受け止めもあろうかと思う。ただ、本件はいわゆる情報バラエティーで、特にこの回は事実を事実として伝えるということがテーマだったはずで、バラエティーだからといって、一概に判断基準を緩和するのは申立人の名誉権との関係では適当ではない。これを活字メディアとの対比で言うと、いわゆる全国紙であろうが、週刊誌であろうが、スポーツ新聞であろうが、裁判所は同じ基準で判断をしているわけで、それとの類推からもそういうことは言えるかと思う。
もちろん、委員会の中でも議論があり、3人から少数意見が出されたのは、異例のことで、いろいろな受け止めがあったということだが、最終的にはこういう形でまとまった。
(林委員)
本件はかなり難しい案件だったと私も思う。ただ、そうはいっても、この案件は、やはり放送人権委員会の原点に立ち返るべき案件ではないかと思っている。社会的に佐村河内さんはいろいろ問題がある方だった、そしてすでに社会的評価も下がっている。しかし、そういう人であっても、やはり結論ありきで、間違った、あるいは根も葉もないことを基にいろいろ冗談を言ったり、ましてや体の障害について面白おかしく話をすることは、やはり影響力の強い放送番組としてはやってはいけないだろう。
少数意見があるが、放送倫理上問題があるということでは全員一致している。聴覚障害は、なかなか難しい専門的知識が必要で、私も勉強したが、だからこそ障害について理解を歪めるような社会的影響も懸念される。その点からしても、こうした決定をすべきだと思っている。
続いて、本決定に付記された2つ少数意見の説明が行われた。奥委員長代行は市川委員長代行との連名で少数意見を書いた。
(奥委員長代行)
事実の摘示という入口の部分で多数意見と私どもとは違う。事実の摘示というとすごく難しいが、私の理解では、一般の人がテレビを見て番組でどんな内容が流れたのかというある種の印象とかイメージとか、そういうものだと思う。
多数意見は、こうこうこういう事実が摘示されたが、真実性・相当性の証明がないから名誉毀損にあたるという趣旨だが、我々は決定文が言うような事実の摘示が、明確かつクリアなかたちであったとはいえないだろうと受け取った。
とりわけ日曜日の昼過ぎの情報バラエティー番組であり、もちろん、多数意見で指摘されているように事実を事実として取り上げるわけだから、正確でなければいけないが、視聴の形態とか、見ている側の意識ということからいうと、結局、視聴者が受け取ったのは「全聾だと言っていたのはやっぱり嘘だったのかと。今も聴覚障害があると言っているけど、それは怪しいぞと。手話通訳、本当に必要なのかな」という程度のものではなかったかと思う。手話通訳が必要だということについては、かなり強い疑いがあると番組視聴者の多くは受け取っただろうと思う。ここに我々の考える事実の摘示があったと判断した。しかし、手話通訳の必要性について強い疑いを持つということは、これは今までの流れの中で、ある種の真実性はあったわけで、それは名誉毀損にはならないだろうということで、人権侵害という結論をとらなかった。
しかし、放送倫理上の問題ということでいえば、やはり聴覚障害をめぐる診断書の説明が、いろいろな部分で非常にあいまいで、しっかりした説明をしていなかった。こういう問題を取り上げるときは、ちゃんとしっかりやってくれよということで、放送倫理上問題はあるという結論になった。
(中島委員)
私は本件放送に名誉毀損の成立の前提となる事実の摘示があったとは考えていない。委員会決定のように厳格な医学的説明を要求して、それがなされないまま申立人の聴力について聴こえているのではないかとコメントすると、正常な聴力を有するという事実の摘示があったとされる。それについて真実性の証明を求めるとなると、申立人は聴こえないと主張しているわけだから、実際には証明できないということになり、名誉毀損の成立を認めざるを得ない。
しかし、すでに申立人は謝罪会見時には一定の聴力があることを認めていたので、どこまで聴こえているのか、これも聴こえているのではないかという観点から意見を述べることは許されると思う。この点で、その意見が公正な論評にあたるかどうかが問われたのが本件であると私は考えている。
委員会決定は、公正な論評についても真実性の証明を要求しているが、それは事実の摘示と同様に不可能な証明を要求することになりかねない。これは表現の自由の観点から大いに問題があると思う。論評というのは意見を自由に述べることが大前提だからである。放送人権委員会は裁判所の代行機関ではないから、表現の自由と人権保障のバランスを最高裁と同様な態度でとらなければならないとは私は考えていない。実は私が申し上げたような論評に関する考え方は、東京地裁等日本の一部の裁判所が採用し、あるいはアメリカの裁判所では一般的にとられている立場でもある。
他方、奥・市川両代行の少数意見は、事実の摘示はあったが、真実性と相当性を認めることができると論じている。私は、本件放送は謝罪会見における事実を報道し、例えばペンの受け渡し等々だが、それについて公正な論評を付したものと理解した。つまり、事実の摘示を視聴者がどのようにとらえたかという観点で論じていない。これを行うと、視聴者の視点、その時々の多数者と言い換えてもいいと思うが、そうした受け止め方を基準にして事実の摘示の有無を決定することになり、多数者の視点で表現の自由の保障があるか・ないかを検討することになりかねない。奥・市川両代行の今回の少数意見は名誉毀損を認めていないので、結果的に表現の自由に配慮がなされたことになるが、表現の自由の一般論として「一般人」=多数者を基準とするのは適切ではないと考える。
しかしながら、本件放送には申立人との関係においてではなく、障害がある人々一般に対する配慮が著しく欠けているという点で、放送倫理上重大な問題があると私は考えた。逆に言うと、申立人との関係では放送倫理上の重大な問題は認めていない。以上の点で、私の意見の法律構成上の特徴があると考えている。
このあと質疑応答に移った。主な内容は以下のとおりである。
(質問)
佐村河内さんがどのくらい聴こえるのか、委員会としてどうやって確認したのか。
(坂井委員長)
佐村河内さんの聴力がどのくらいあるのか、我々の力で確認することはできない。委員会は佐村河内さんの聴力がどうなのかを判断する場でもないし、判断する能力もないという前提で、放送内容について判断をしただけである。
(質問)
この時期に他の報道番組でもかなりこの問題を報道していると思うが、それは今回の判断に反映されたのか。
(坂井委員長)
委員会は申立てを受けた番組について判断をするということなので、他の番組は考慮の対象外である。
(質問)
「人権侵害」と「放送倫理上重大な問題あり」が2つとも「勧告」の中に入るというケースはありえないのか。
(坂井委員長)
委員会の結論に両方書くことはないのかというご質問だが、それもありえないと思っているわけではない。ただ、過去にそういう例はないし、人権侵害ありとしたときには、決定文に書いたように、人権侵害をしてはならないという放送倫理上の規定もあるので、当然放送倫理上の問題も生じることになろうかと思う。それを、結論にあえて書くのかどうかというと、少なくとも今回に関しては名誉毀損があったという判断で足りると。ただ、それにつながるような放送倫理上の問題は具体的に指摘しておいた。
(質問)
今回の決定自体は人権侵害を認めているが、少数意見の3人の委員は人権侵害はないと認定している。これだけ真っ向から意見が分かれる場合には、1つの意見に集約しないという考え方が、BPOとしてありうるのか、お尋ねしたい。
(坂井委員長)
原則全員一致で決定を出せるのがベターだということにはなっているが、かといって、例えば今回のように少数意見が3名、その少数意見がまた2種類あるということもある。しかし、意見が分かれるからといって、決定を出さないということは考えられない。
委員会の運営規則の16条は、「委員会の議事は委員全員の一致を持って決することを原則とする。全員の一致が得られない場合は、多数による議決とする」と書いてあり、「賛否同数の場合は委員長の判断による」と。「多数決による議決の場合は、『勧告』または『見解』に少数意見を付記することができる」、こういう規定になっている。
(質問)
人権侵害なしという少数意見は、表現の自由に配慮するという立場からすると、大変傾聴に値する意見だと思う。我々報じる側が、両論きっちりあり、それぞれの意見を踏まえて番組制作者に考えてもらいたいと報道することが問われているのかなと思った。
(坂井委員長)
普通の裁判所の判決と違って、最高裁判決には補足意見、少数意見があるというのと同じ意味で、「あっ、こういうバランスだったのか」ということがわかる。最高裁判決について言えば、ひょっとしたら次は変わるかもしれないということもありうる。それが1ついい面であって、おっしゃるとおり委員会の議論はこういうことだったのかと分かるかもしれない。
ただ、少数意見は個人、その少数の方の意見なので、委員会全体で議論するわけではない。委員会の決定として、最終的にどうだったかといところはぜひ重く受け止めていただきたい。その上で、少数意見もあったということを理解していただくのは意味がある。私も少数意見を書いた経験があるので、ぜひ読んでいただきたいと思うが、その前に委員会としてどういう結論だったのか、少なくともそこはしっかり受け止めていただきたい。
(質問)
率直に拝読してずいぶん厳しい決定だと思った。特に情報バラエティーと銘打って、ゲストを呼んでコメントをさせていく形で進んでいく番組であり、現場が萎縮する可能性をどのくらいお考えになったのか。
(坂井委員長)
表現の自由も重いし、放送される人の人権も重いので、申し立てられた案件について淡々と判断していくしかないのかなというのが私の考え。
今回について言えば、重いと受け止められる可能性がもちろんあるかもしれないが、事案を事案として判断をしていったら、こういう判断が出たということ。委員会がどうしてこういう判断をしたのだろうかということをぜひ考えていただきたい。厳しいことを言わなきゃいけないときもあるし、そうではないときもある。厳しいことを言われると、萎縮ということが頭をよぎるかもしれないが、しかし、そこでなぜ委員会がそういう厳しい判断をしたかということをぜひ考えていただきたい。
(林委員)
これまでも、現場が萎縮するというご指摘を受けたことがあるが、現場が萎縮するから、こういう判断を出さないということはありえない。いろいろ少数意見もあり、放送現場の方がこれらをどういうふうに議論していくか、放送局全体の問題として受け止めていただくということではないか。現場では委縮という受け止めではない方法で考えていただきたいというのが、私たち全員の希望です。
(曽我部委員)
BPOの決定と萎縮という話を、二律背反的に考えてしまうと、なかなか話が進まないところもあるかと思う。今回の決定でも人権侵害という結論を出した以上、放送倫理上の問題は必ずしも述べる必要はなかったが、もう少し具体的にどの点が問題だったのかをきちんと伝えたいというところで、かなり放送倫理上の問題についても書かせていただいた。名誉毀損の部分についてもかなり詳細に書いているのは、そういうところまでお読みいただいた上で、これから考えていくヒントにしていただきたい、そういう思いがあった。
(質問)
決定を受けて、当然制作サイドで考えなくてはいけないことが多いと思う。例えば、会見から2日後に情報バラエティーで取り扱うこと自体がなかなか難しいということなのか、あるいは、こういう工夫をすれば放送できたとか、お考えがあればうかがいたい。
(坂井委員長)
事実の摘示をしっかりやって、その上でいろいろな批判、論評をしていただく分には、それは公正な論評になるだろう。そこを、論評するときの意見に合うように事実摘示をしたところが問題だというのが今回の決定のメッセージのつもりです。事実の摘示の部分は、ちゃんと客観的内容を言った上で、どうも私は信用できないという分には、問題にはならないというのが私のアドバイス、考え方です。放送人権委員会は別に、何か表現を萎縮させてもよいとか、人権だけを考えているというわけではない、委員会は、報道の自由や表現の自由を守るためには自律していなければいけないとしてできた組織、という意識を持ってやっている。ですから、久しぶりであっても、人権侵害という判断をしなければいけないときはするんだと、そういう姿勢でないと、自律的な組織とはいえないという意識は個人的にすごくある。そうすることによって、BPOなり、それを作っているNHKと民放連、民放各局に対する信頼ができてくるという意識でやっているので、その辺までわかっていただければありがたい。
以上