BPO_20周年記念誌
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076続けることだ。その方法でしか、放送ジャーナリズムの未来は切り開けない。特に必要なのは、自らの価値観や組織内論理、凝り固まった取材システムなどに対する鋭い問い、すなわち「内なるものへの問い」である。頭の体操みたいな話になるが、例えば、事件報道と警察取材について考えてみよう。なぜ、放送記者は警察を取材し、事件を報じているのか。多くの人は次のように答えるに違いない。「被害者や遺族の無念を伝えるため」「犯罪ほど理不尽なものはないから」「警察と協力して治安を守るため」と。もっともだと思えるが、本当にそうだろうか。実は、警察取材を続ける理由は、警察記者クラブがあり、そこに取材記者を配置し、基本的には警察が事案を発表しているからだ。それが隠れた、しかし本当の理由ではないかと私は考えている。警察担当というポジションが疑いもなく取材組織の中に存在し続けているからこそ、当然のこととして警察取材は続いてきた。労働基準監督機関の事案と比較するといいかもしれない。例えば、賃金不払い。悪意があったかどうかを別にすれば、タダ働きさせた者は労働者を〝奴隷〟扱いしたに等しいけれども、賃金不払いの一件一件はほとんどニュースにならない。劣悪な待遇が問題視されている技能実習生も然りである。遠い国から来た彼ら彼女らに関して、2021年には全国約6500事業所で労働関係法違反が摘発されたという。割増賃金の未払いや休日労働を強いたケースなどが目立つ。しかし、これらの一件一件はほとんどニュースにならない。厚生労働省の統計数字として半年や1年単位で報道されることが大半だ。それは、なぜか。

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