BPO_20周年記念誌
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074んでいるはずだ。だから、彼も関わった番組は「審議」入りしたのだ。しかし、彼はそうした細かな事実関係の適否ではなく、もっと本質的なこと、とてつもなく重大なことを語るのではないかという予感があった。そして、あの言葉が彼の口から出たのだ。自分はしょせん機械なんです、こういう番組にする、こういう絵が要る、だからそれを撮ってこいと上から言われて、そういう絵を撮る、それだけです。本来なら自らの経験や感性に基づき、少しでも斬新で独創的なアイデアを出して企画を打ち立て、ゴーサインをもらって現場に赴く。社会問題に切り込むにしても色彩豊かな人生讃歌を番組にするにしても、問われるのは放送人自身の知見や経験、個性、多様な目線、そしてやる気であり、鋭敏な感性のはずだ。それなのに、目の前の彼は、切々と「私は機械」と訴えていく。上から与えられた課題をいかに効率よくこなし、いかに〝製品〟を手際よく製造していくか。放送界で齢を重ねるうち、自分はそう割り切るようになった、と。別の「審議」入り案件では、こんな場面に遭遇した。ヒアリングで向き合ったのは若い放送人だ。このスタッフは、常態化していた倫理違反の行為に早くから気付いていたが、誰かに相談したり、放送局の窓口に連絡したりすることは、ついぞしなかった。この放送局では、ハラスメントやコンプライアンスに反する行為などを知ったらすぐに知らせてほしいとして、

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