BPO_20周年記念誌
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072自由でしょうか。権威や権力、あるいは所属組織といったものに遠慮したり、忖そん度たくしたりせずに、おかしいものはおかしいと、自由に報道できたり、発言できたりできているでしょうか」朝日新聞のアフリカ特派員としてヨハネスブルグ支局長を務めていた三浦氏はその間、コンゴ民主共和国(旧・ザイール)に何度も通う。高度経済成長期、日本の代表的な鉱山企業がその国に進出し、日本の男たちは現地女性との間に多くの子どもたちを残した。その後、半ば放置された女性や子どもたちを追いかけた秀作が『太陽の子』である。ただし、この取材成果は、朝日新聞には掲載されていない。三浦氏は内情を詳しく語らないが、勤務先との間でさまざまな軋あつ轢れきがあったようだ。授賞式でのスピーチはこう続く。「私は、私自身の力不足もあって、このアフリカの難しいテーマを私の所属組織では発表することができませんでした」このスピーチに接したのは、まさに「テレビの取材・報道・番組制作の現場に、いま、自由はあるだろうか」から始まる本稿の執筆に着手した直後だった。あらゆる事象を見据えながら、取材のテーマや方向性を議論するとき。あるいは、実際のロケに向かうとき。取材相手に質問を繰り出すとき。そういった取材・番組制作のプロセスにおいて、放送人はいま、上長や周囲に遠慮も忖度もせずに、自由にものを考え、見詰め、意見できているだろうか。

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