BPO_20周年記念誌
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058党派対立の少ない「リベラル・コンセンサス」の時代でもあった。それゆえ、いくつかの法的挑戦があったものの、例えば、連邦最高裁は一九六九年の「レッド・ライオン放送対FCC」の裁判でFDを支持した。FD廃止の論拠しかし、一九七〇年代半ば以降、保守派が台頭するにつれ、FDへの反発も強まっていった。まず、第一に、FDが言論や報道の自由を保障した合衆国憲法修正第一条に違反しているとの批判があった。FDは政府の検閲に等しく、放送局の編集裁量を侵害するというわけだ。新聞や雑誌など印刷メディアには適用されていないルールが放送メディアに課せられたことへの不公平感もあった。第二に、反対意見に相応の時間を割かないことで規制当局の制裁を受けることを恐れるあまり、放送局の側で自己検閲が行われ、かえって論争の的になるような問題を取り上げることに消極的になるデメリットも指摘された。第三に、より現実的な課題として、すべての論争的な問題について、さまざまな視点にバランスよく時間を提供することは物理的に困難で、財政上も負担が大きいという点が挙げられた。日々刻々と変化するニュースサイクルへの対応や独創的な番組企画を阻害するリスクも指摘された。第四に、FDが不当ないし危険な主張をかえって目立たせる契機になり得る、あるいは、放送局に圧力を加える方便になりかねないとの懸念も少なくなかった。第五に、FDが制定された当時は放送周波数が有限で限られた公共資源だったとはいえ、その後、技術

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