BPO_20周年記念誌
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057BPOの20年 そして放送のこれから放送そしてBPO 14のメッセージ米国でFDが導入されたのは日本の放送法制定の前年の一九四九年。一九三〇年代以降、米国ではラジオ産業が急成長していたが、周波数帯域が限られていたことから、放送は希少な公共資源であり、公共の利益のために使われるべきだという考えが支配的だった。そこで、米国連邦通信委員会(FCC)は放送局に対して、①社会的に重要で論議を呼んでいる問題を取り上げること②その際、多様でバランスの取れた視点を提供することを求めた。ちなみにFCCは一九三四年通信法によって設立された連邦政府の独立機関で、米国内の放送通信事業の規制監督を担っている。任期が五年の委員(コミッショナー)五人で構成され、各委員は大統領による指名を経て、上院によって承認される。原則、大統領の党から三人、野党から二人が選出されることになっており、現在のジェシカ・ローゼンウォール委員長(民主党)は二〇二一年一月にジョー・バイデン大統領によって指名された。FCCは行政機関だが、大統領をトップとする行政府には属さず、あくまで立法府(=連邦議会)に対して責任を負う。FDが制定された一九四九年は米国ではリベラル優位の時代、いわゆる「ニューディール時代」である。ここでの「リベラル」とは政治的には民主党流の「大きな政府」を指すが、より本質的には社会工学的手法を重視する姿勢を指す。すなわち、人間の知性や理性によって社会を人為的に設計・運営・改善させてゆけるという発想だ。FD制定の背後にもそうした理想があったことは想像に難くない。そして、当時は

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