BPO_20周年記念誌
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04020代か30代で苦しんでいたとき、放送局のご機嫌をうかがわなければいけない状況が本当にしゃくに障っていた。何で、何で、この人たちの倍も働いて、給料は3分の1なんだろうみたいなことを考えていました、やっぱり。いつか見返してやろうと思いました。あえて言いますけど。もちろん、その時代に僕のことを信頼して番組を任せてくれた局の人とはいまも付き合いがあります。30年経ってもあります。実はすごくいい出会いをさせてもらっている。恩人です。だけれども昔は、企画を放送局に持っていってダメだったら、もう出すところがなかったんですよ。あとは自主で作るしかなかった。僕の作っていた時代は、NHKはまだ制作会社に門戸を開いてなかった。特にドキュメンタリーってなると、ほとんど、やる枠なかったです。事務局 フジテレビが最初だったんですか。是枝 もう『NONFIX』しかなかったです。今は選択肢が増えたから、クリエイターの能力が高ければ、そんなに放送局にペコペコしなくても作れる。テレビマンユニオンの新人研修のときには、そう言います。君たちに、もしやる気があって、能力が高くて、頑張れば、僕らの時代よりはずっと多く発表の場はあるし、下請けにならなくて済む。やる気がなければずっと下請けだけど、そうではない選択肢が選べる時代になった。だから今はいい時代だと思いなさい、というふうに制作会社の新人には言ってます。*5 1936年生まれの元NHKディレクター。国際的な賞を数多く受ける。

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