BPO_20周年記念誌
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214外国の人たちと交わるとき、自分のことを伝えるために自分を見つめなおすことがある。ある朝、出勤してパソコンを開くと「インターネットでBPOを見つけた、私たちの参考にしたいので教えてほしい」というメールが届いていた。差出人はミャンマー情報省メディア開発局の女性だった。健全なメディア育成を目的に新たに組織された局だという。民主化に踏み出したミャンマーだったが、2021年に国軍によるクーデターが発生、軍が民衆に銃を向け、アウンサンスーチー氏を拘束、報道規制を行うなど人権弾圧が続いている。メールをくれた女性は、個人としてBPOに関心を持ってくれたようなのだが、さてどうしたものか。思案の末、BPOが目指す放送の自主・自律を説明し「表現の自由と人権を尊重する社会だからこそ機能している」と返信した。国際活動が目指すもの2021年に国際交流の窓口を作ることを決断したのは当時の竹内淳専務理事だ。その時の説明では、ある方に委員就任をお願いしたところ、その方から世界に向けた発信の強化を訴えられた。国際性といった華々しいイメージを求めたのではない。決断の裏には明確な目的があった。それはBPOが日本社会において一つの民主主義の機能として定着したいま、BPOの国際的認知度を高めて日本の放送のステータスを上げ、放送をめぐる規制や圧力に対して守りを固める抑止力にしようというものだった。ただBPO事務局で新たに担当者を捻出することは難しく、外部に頼むにも放送の自主・自律や、ときに複雑で微妙な放送の問題、3つの委員会の仕組み、放送現場に対する理解が必要だ。会員社から募集する時間もないなか調査役の任期5年を終える私に声がかかった。手前味噌な自己紹介になるが、調査役就任前は放送局で主に「世界の眼差し」~国際活動を始めて~BPO事務局国際担当 小川 潤

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