BPO_20周年記念誌
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012大日向 濱田さんは、社会構造やメディア環境が変化している今だからこそ放送が果たす役割が明確にあるとお考えですが、それはまさに教養・文化のあり方を問うことにつながるかと思います。例えばかつての大学では教養教育が学びの基本とされていました。学生たちは書物等を通して幅広く知を紡つむぎ、それが後の専門分野での知識や技能を下支えするという具合にですね。でも今は教養教育よりも実践的な学びが重視され、学生たちもすぐ成果につながることや体験を重視するようになっているように思います。そういう時代のなかで、放送が自主・自律と自由のバランスを問いながら、社会や文化に貢献するという根気のいる役割が若い人たちにどこまで届くのか、危惧も覚えます。濱田 確かに今の時代にそういう傾向があると感じます。これもやはり放送の役割とBPOの役割の二つのレベルがあると思います。学生たちは教養というものを本当に要らないと思っているのか、あるいは体験だけで良いと思っているのでしょうか。それは学生によって違うと思うのです。原理的なことを言いますと、教養を学ぶということの本質は、いろいろなことを知る、身につけるというだけでなく、それによって自分を問い直す力を身につけることだと思います。自分のこれまでの知識、これまでのものの見方、これまでの生き方、これまでの価値観、そういったものを見直すための力が教養だと考えています。体験はすごく面白く、感動も大きいかもしれないけれど、そこで感じる力は教養教育の中でもっとつけられたかもしれない。教養の学びとは、自分の興味のあることだけではなくていろいろなことを幅広く知ることです。それは、自分が狭い世

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