BPO_20周年記念誌
176/280

168とおり、ときに人の命を奪うことがあります。そして、マスメディアがその悲劇の引き金になってしまうこともあるのです。具体例を挙げましょう。新型コロナウイルスに感染した疑いがあるにもかかわらず、公共交通機関に乗り友人と会った人が見つかったと自治体から発表があり、ネット上ではその人に対する誹謗中傷があふれました。「誰だ?」と個人を特定する動きが出て、その人の個人情報が拡散し、さらには、まったく関係がない人の個人情報までもが誤って拡散しました。新聞は「さらし上げ、見せしめに」というタイトルでこの現象を報じ、「ネットでの誹謗中傷はやめましょう」という記事を書きました。でも、ちょっと待ってください。背景に何があったかを見てみましょう。自治体の発表後テレビの情報番組で、この人の行動を詳細に報じて、コメンテーターなどが非難していました。感染拡大抑制のために報じる意義があるのもわかりますが、一般の一個人を、テレビ番組で個人攻撃する必要があったのかどうかと考えたとき、私には疑問が残ります。番組後、SNS上には再び誹謗中傷が噴出しました。雑誌を含めて、いわゆるマスメディアのどこかで、「こういうことが起きている」「こういう事実がある」と報じられます。すると、その報道を受けてネット上でバッシングが起き、ネガティブな言葉がいっぱい出てくる。今度はネット上の反応を見てメディア側が「実はこんな話もあって」と、批判的な報道を繰り返すわけです。そのうちにメディアが報じる〝事実〟のなかに本当かどうか分からない情報も出てきますが、SNSは、その〝事実かどうか分からない〟情報を引用して、「こんなの許せないよね」と燃え上がります。

元のページ  ../index.html#176

このブックを見る