BPO_20周年記念誌
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118局は清水さんの『FMモーニング東京』に放送作家を起用せず、台本書きもディレクターの担務としていた。素人が書く原稿に目を通す清水さんには相当な負担だっただろうが、もともと河出書房(現・河出書房新社)の文芸編集者だった彼は根気よく私たちに付き合ってくれた。ただ、思いつきの言葉や個性のない言葉、忖度した言い回しは生放送の現場でことごとく一蹴された。私がキューを振っていたのは毎週水曜。朝6時からの番組は9時に終わり、反省会もそこそこに清水さんと居酒屋に繰り出した。吉祥寺にある養老乃瀧は昼間から営業していた。徹夜明けで、ふらふらになりながらも自由な風が楽しく、暗くなるまで何時間も詩人とビールを飲み続けた。清水さんの著作『水甕座の水』の「水」、水曜日の「水」から、途中から飲み会に合流した番組のチーフプロデューサーが面白がって「鼻水会」と名付けた。その鼻水会で、ある日、清水さんがニュース原稿用のざら紙に水性の赤いサインペンで何やら文字を書き始めた。それは「詩」だった。ビール瓶を前にすらすらと。ざら紙に赤色が滲み、それが何とも色っぽかった。「延江も書いてみるかい?」居酒屋で文章修行。清水さんの教えに従って、私は詩なるものを書き始めた。

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