BPO_20周年記念誌
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117BPOの20年 そして放送のこれから放送そしてBPO 14のメッセージこのところ思う。放送現場はネット交流サービス(SNS)を怖がり過ぎている。波風が立たないよう、そればかり考えている。BPOの存在もかすんでしまいそうなSNSの影響力に苦笑を禁じえない。その傾向は日常の些細なところに現れる。先日、テレビの朝ワイドを何とはなしに眺めていたら、料理コーナーで、アナウンサーと料理人が視聴者に向かって「今日ご紹介させていゝたゝだゝくゝお料理は」「……ここでかき混ぜていゝたゝだゝいゝてゝ」「こう盛り付けていゝたゝだゝくゝとさらに美味しく召し上がっていゝたゝだゝけゝまゝすゝ」など、語尾「いただく」の安易な連呼に卒倒しそうになった。「いただくなんて、こっちは何も頼んでいないんだけど……」。数多の「いただく」連呼の裏にある意識とはいったい何なのだろう。「こちらはあなたの了解を得ていますよ。いつもご覧いただいているあなたのためにやっているんです。責任はとりませんよ。大丈夫ですよね」そんな空気が見え隠れしてしまう。おどおどと、「逃げ」の姿勢さえ感じられる。演出陣は誰も指摘しないのだろうか。忖度と言い換えてもいい。そこに自発的意思はない。安全第一。距離を保ってやり過ごす。責任回避のこずるさにやりきれなくなる。受け手の心にどこか爪つめ痕あとを残すのが放送番組であるべきなのに。ディレクター時代、私は詩人の番組に配属された。詩人の感性で朝のベルト番組が放送されていたのだ。パーソナリティの故・清水哲男さんは『水甕座の水』でH氏賞を受賞され、以来、萩原朔太郎賞、晩翠賞、三好達治賞、山本健吉賞などを次々に受賞、現代詩の旗手として新たな地平を切り開いていた。

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