BPO_20周年記念誌
114/280

106入社したのは1992年4月。その頃のテレビ業界はバブル期の華やぎが残っていた。営業局で外勤を経験し入社9年目で念願だった報道局へと異動。「社会で苦しむ弱者の声を届けたい」という熱い志を抱き、取材に駆けずり回った。警察や司法、行政の記者クラブなどを担当した後、ドキュメンタリー制作に携わり、主に司法の問題にスポットを当てた作品を作った。1作目は名張毒ぶどう酒事件をテーマにした『重い扉』(2006年)。次に名古屋地裁の裁判官に密着した『裁判長のお弁当』(2007年)。そして、2008年に制作した3作目で大きな壁にぶつかる。18歳の少年が23歳の主婦と生後11カ月の赤ちゃんを殺害した光市母子殺害事件。その差し戻し控訴審が広島高裁で行われた。被害者の夫は悲しみに耐えながらカメラの前に立ち、被告に死刑を求めた。一方、弁護団は被告に殺意がなく、死刑にすべきではないと主張。メディアが「被害者遺族」vs.「被告・弁護団」の対立構造を作ると、「鬼畜」「悪魔」など弁護団に対するバッシングの嵐が巻き起こる。この事件の弁護団には名張毒ぶどう酒事件の3人の弁護士も加わっており、再審開始決定では賞賛された彼らが、光市母子殺害事件では誹謗中傷される事態に遭遇した。私は弁護団に密着した企画書を書き、プロデューサーからOKをもらい、取材に入った。しかし撮影が終盤に差し掛かった頃、会社からストップがかかる。世論を敵に回す番組の放送を経営陣がためらったのだ。この難しい状況下でBPOが登場した。放送倫理検証委員会は、この事件をめぐるテレビ各局の報道について、「感情的に制作され、公正性・正確性・公平性の原則を逸脱している」などとする意見を発表。そのなかに「地方局の取材クルーが弁護団側から差し戻し控訴審の過程を取材していることを仄そく聞ぶんした。

元のページ  ../index.html#114

このブックを見る