放送倫理・番組向上機構[BPO]


  ■放送
   番組委員会■

放送番組委員会は
2007年5月11日をもって
解散し、新たに
放送倫理検証委員会
設立しました。

 

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   ■議事のあらまし
   ■視聴者からの意見
   ■「声明」「見解」など

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■ 番組委員会議事のあらまし

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● 2006年6月(2006年度第3回)

  6月2日に開催した今年度第3回番組委員会(有識者委員が出席)では、報道・情報ワイドを含めた「テレビ報道を考える」の2回目として、5月委員会をふまえて、問題点を更に議論した。また視聴者意見についても検討した。
  なお、4月から有識者委員に就任された米原万里さんが、5月25日に亡くなられた。心からご冥福をお祈りする。

  議事の概要は「放送番組委員会記録」6月号に掲載。

■番組委員会の審議

◆「テレビ報道を考える」その2

 5月の委員会での放送事業者委員を含めての意見の中でどの辺が問題点だと感じたか、また、放送事業者委員が参加する次回には、的を絞って、もう少し突っ込んだ報道・テレビジャーナリズム論になっていくようにするためにどうしたらいいか話し合いたいと委員長が提案し、意見を求めた。委員からは次のような意見が出された。
普段のニュースに外国のニュースが少なすぎる。それが、例えば、中国、韓国で反日運動が起きたときに、過剰な所ばかりが報道され、実際以上に影響を与えてしまうのではないか。普段から外国の実情を報道するためには取材拠点を増やす必要があるのではないか。
大衆の興味・関心率というものを中心にニュースを選んでいる選び方の中にテレビ局担当者の大衆観、日本人観がよく出ているともいえる。
大衆観を本当にキチンと把握しているのか疑問だ。自分たちが思い描いている大衆観で番組を作っているのではないか。世の中の得も言われぬ雰囲気に動かされているとか、有名人や有名政治家が言えばそれをニュースにするという簡単な方に流れ、貪欲に視聴者が何を求めているかを分析してない感じがする。
ドカンとはじければ報道するが、その前の危ない状況については、取材者は知っているにも拘わらず、スポンサーに気兼ねして、やめておくという構造は問題としてある。
今のニュースは情報をただ流しているだけで、立ち止まって考えるという面が特に民放には少なすぎる。しかもバラエティー的になっているのがいやだ。
いわゆる自己規制、報道の自己規制というものが、どの程度、どういう構図で、現場に伝わってくるのか。
  ひょっとすると視聴率に響くからマズイなどという、自縄自縛みたいな形で、そうは言いにくいから「上がマズイ」というような自己説得をしながら規制するのかもしれない。
村上ファンドの村上代表が帰国した際に、リポーターや記者がマイクを向けて「一言お願いします」と言っていた。自分で何を聞きたいのかわかっていないのではないか。常識の欠如。社員教育に相当力入れないといけない。
共謀罪について時間を取って報道していたが、与野党の動きに終始し、何故共謀罪が必要なのか、問題なのかについて何一つ伝えていない。基本的な教養の欠如だ。
ワイドショーは何でも下世話にやっているようでいて、非常に選択されている。これから先に行くと危ないという基準が働いている。ワイドショーの一番の問題は、どの局もおなじ事を、同じように見えるようにやることだ。
ジャーナリズムというのは、世の中の事を見張っていて知らせる見張りの機能と、批評の機能だ。その見張りの機能をほとんど怠っていて、凄惨な事件だけは伝えるが、もっと本質的な命に関わるような問題については全然見張りをしてないというところが問題だ。
ニュース番組より、むしろワイドショーのような番組にテレビ的なジャーナリズムの芽があるとすれば、そういう番組がもっと面白くなってもらうためにはどうしたらいいかを考えるために、次回は特定の番組に絞って番組担当者に来ていただき、現場の声を聞いて建設的な話し合いをしたい。

 また、委員会の運営について次のような意見があった。

有識者だけの会と放送事業者との会が、交互に繰り返されるこの委員会で、放送事業者とどういう形で議論が可能なのか、もう少し仕掛けとして考える必要がある。
委員会では具体的な事柄について話し合えるように焦点を絞った方がよい。その為にはもっと現場に近い人に出て欲しい。

◆視聴者意見の検討

 5月の視聴者意見では、秋田の小一殺人事件報道に対する意見、アナウンサーの盗撮に対してその局が何故キチンと報道しないのかという批判の意見が目立った。

委員からは、

視聴者から「何か大事な問題が抜けているぞ」と言うような指摘がどんどんあればよいのだが、放送されたものにしか反応できないのだろうか。
視聴者には「依存と憎悪」という関係がテレビとの間に出来ているという現状分析も出来る。
CMの入れ方、CM前後の番組の作り方、引っ張り方に腹が立つことがある。そういう苦情も多いにもかかわらずいくら言ってもダメだ。
国民投票法案で自由となっている意見広告についてどのように公平・公正を保てるかルールを考えておく必要がある。金がある方が優勢になるというのは問題だ。
ヨーロッパの国民投票法をいくつか見てみると、メディア規制は全くないが、CM規制はある。
ニュース番組より、バラエティー番組での政治ネタの扱いは、とてもファッショナブルに、見かけは面白く作っているが、ふと気が付くとすごくナショナリスティックな方向に話が行っていることがあり、その手の番組が増えているので、とても恐い感じがする。
“メディアと政治”の問題を委員会で議論しても良いのではないか。

◆公開シンポジウムを開催

 番組委員会企画による公開シンポジウム「テレビ制作者達はいま〜放送の公共性を考える〜」を6月9日(金)午後2時から5時まで千代田放送会館2階ホールで開催した。会場には120人が参加し、報道、ドキュメンタリー、情報・ワイドショー、バラエティー、ドラマの制作者と天野委員長の6人のパネリストに、1部ではコーディネーターの吉岡忍委員が1人ずつと対談形式で話しを聞き、2部では一堂に会して放送の公共性について話し合った。

  シンポジウムの詳細は、報告書にまとめて関係方面に配付予定。

以上