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普段のニュースに外国のニュースが少なすぎる。それが、例えば、中国、韓国で反日運動が起きたときに、過剰な所ばかりが報道され、実際以上に影響を与えてしまうのではないか。普段から外国の実情を報道するためには取材拠点を増やす必要があるのではないか。 |
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大衆の興味・関心率というものを中心にニュースを選んでいる選び方の中にテレビ局担当者の大衆観、日本人観がよく出ているともいえる。 |
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大衆観を本当にキチンと把握しているのか疑問だ。自分たちが思い描いている大衆観で番組を作っているのではないか。世の中の得も言われぬ雰囲気に動かされているとか、有名人や有名政治家が言えばそれをニュースにするという簡単な方に流れ、貪欲に視聴者が何を求めているかを分析してない感じがする。 |
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ドカンとはじければ報道するが、その前の危ない状況については、取材者は知っているにも拘わらず、スポンサーに気兼ねして、やめておくという構造は問題としてある。 |
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今のニュースは情報をただ流しているだけで、立ち止まって考えるという面が特に民放には少なすぎる。しかもバラエティー的になっているのがいやだ。 |
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いわゆる自己規制、報道の自己規制というものが、どの程度、どういう構図で、現場に伝わってくるのか。
ひょっとすると視聴率に響くからマズイなどという、自縄自縛みたいな形で、そうは言いにくいから「上がマズイ」というような自己説得をしながら規制するのかもしれない。 |
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村上ファンドの村上代表が帰国した際に、リポーターや記者がマイクを向けて「一言お願いします」と言っていた。自分で何を聞きたいのかわかっていないのではないか。常識の欠如。社員教育に相当力入れないといけない。 |
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共謀罪について時間を取って報道していたが、与野党の動きに終始し、何故共謀罪が必要なのか、問題なのかについて何一つ伝えていない。基本的な教養の欠如だ。 |
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ワイドショーは何でも下世話にやっているようでいて、非常に選択されている。これから先に行くと危ないという基準が働いている。ワイドショーの一番の問題は、どの局もおなじ事を、同じように見えるようにやることだ。 |
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ジャーナリズムというのは、世の中の事を見張っていて知らせる見張りの機能と、批評の機能だ。その見張りの機能をほとんど怠っていて、凄惨な事件だけは伝えるが、もっと本質的な命に関わるような問題については全然見張りをしてないというところが問題だ。 |
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ニュース番組より、むしろワイドショーのような番組にテレビ的なジャーナリズムの芽があるとすれば、そういう番組がもっと面白くなってもらうためにはどうしたらいいかを考えるために、次回は特定の番組に絞って番組担当者に来ていただき、現場の声を聞いて建設的な話し合いをしたい。 |
番組委員会企画による公開シンポジウム「テレビ制作者達はいま〜放送の公共性を考える〜」を6月9日(金)午後2時から5時まで千代田放送会館2階ホールで開催した。会場には120人が参加し、報道、ドキュメンタリー、情報・ワイドショー、バラエティー、ドラマの制作者と天野委員長の6人のパネリストに、1部ではコーディネーターの吉岡忍委員が1人ずつと対談形式で話しを聞き、2部では一堂に会して放送の公共性について話し合った。
シンポジウムの詳細は、報告書にまとめて関係方面に配付予定。