放送倫理・番組向上機構[BPO]


  ■放送
   番組委員会■

放送番組委員会は
2007年5月11日をもって
解散し、新たに
放送倫理検証委員会
設立しました。

 

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■ 番組委員会議事のあらまし

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● 2006年3月(2005年度第11回)

 3月3日に開催した05年度第11回番組委員会(有識者委員が出席)では、視聴者意見の検討に引き続き、任期満了で退任される3人の委員から「私が考える“文化としてのテレビ論”」と題して、4年間の委員経験から感じられたことをお話しいただいた。また、田中副委員長が“ホリエモンとテレビ”と題して語ったNHK『視点・論点』をビデオ視聴した。

 議事の概要は「放送番組委員会記録」3月号に掲載。

■番組委員会の審議

◆“視聴者意見の検討”

 2月の視聴者意見では、オリンピック関連番組とワイドショーなどのコメンテーターに対する意見が多く見られた。オリンピック関連では、「生中継ではないのに“中継”のスーパーはおかしい」「メダルの期待を異常に盛り上げておきながら、取れないと酷評する」「他国の選手の失敗を喜ぶアナウンス」「アイドル、タレントはスポーツ番組には不要だ。競技をちゃんと見せろ」等というもの。これについて委員からは、「純粋にスポーツを楽しむというセンスが視聴者に育ってきているが、文化としてのスポーツをちゃんと考えないで、その場限りの番組の作り方をしている。これでは、ファンも選手も育たない」「伝える側がナショナリズムか、バラエティー仕立てでやってしまう」「ハイビジョン時代はカメラワーク、演出を変えるチャンスだ」などの意見が出された。

 また、コメンテーターについて、委員から「検察官をやめた弁護士を重宝がってコメンテーターに起用する風潮があるが、検察側の立場でのコメントはおかしい」「皇室報道については、コメンテーターの見識のなさだけでなく、批判的な見方が出来ないテレビの弱さを感じる」。更に、メディア全体について「多様性が必要なのに、なぜか同じ方向、画一化に向かっていく。これは文化的病気ではないか」「テレビが視聴者を作り、その視聴者に又テレビが応じていくという悪循環が、今大衆社会を背景に始まっているのではないか」などの意見が出た。

◆「私が考える“文化としてのテレビ論”」

 3月の委員会を最後に退任される委員に自由にお話しいただいた。

 国広陽子委員は、子供時代のテレビとの出会いから、学生、NHK時代、主婦、研究者、大学教授と自分史を語る中で、「テレビとの出会いはすごくよいものだった。また、当時番組を作っている人たちや出演者も一生懸命に考えて番組を作り、素晴らしい人たちだった。しかし、最近出会うテレビ人は、何を伝えたいかよりも、どう見せるか、どう効果的に映像を作るかが中心になっている印象を受ける。テレビの勢い、テレビ文化が弱くなってしまったと実感した。では、どうすればよいのか。テレビはある種の社会の鏡なので、テレビだけを変えるというのではなく、もう少し幅広く変えなければいけないのだろうと感じる」と語った。

 吉見俊哉委員は「今の放送に非常に批判的な私が、委員を引き受けたのは、放送事業者と有識者との熱い議論から、きっと何かがうまれてくるのではないかと期待したからだが」と前置きして、3つの問題提起を行った。

@放送局と市民社会を繋ぐ位置にあるBPOは、市民の中に状況に応じて迅速に入って語りかけていく体制をどうすれば取れるのか、もっと考える必要がある。

A放送は単なる情報産業ではない。文化産業としてのテレビをどう位置づけるのか。テレビ局に放送のビジョンが示せないなら、BPOのような第三者的立場の中からビジョンを示し、社会に語りかけていくことがあっても良いのではないか。

BNHKも民放も“批判”に対して、市民に開かれた場で正当性を主張して欲しい。議論になったり論争になったりぶつかり合うところから、放送が持っている本来の公共性が生まれる可能性が出てくると思う。事なかれ主義で、同じ方向に全体が向かって行く加速装置にテレビがなり、それにブレーキをかけたり、社会は多様だと違う方向を見せる装置になりにくくなっているテレビの現状に危機感を持つ。社会に開かれた場を作っていくためにBPOは、テレビ局は何が出来るのか、今後も考えていきたい」

 木村尚三郎委員長は「10年たつと今のテレビ局は大半が存在しないのではないか。人々は動きながら暮らす傾向が全世界的にますます強まっていく。そうなると家でテレビをじっと見ている時間が刻一刻減っていく。その一方で、携帯でテレビが見られる時代には長い番組は見ずにニュースや天気予報、携帯を通しての音楽など、歩きながら楽しめるようなものが中心になる。新しい意味でラジオとの競合が出てくる。今こそ、放送の中身について考えなければいけない時なのに、意欲的な変革がテレビ業界の中で起きているとはどうも思えない。どこも同じような番組をやっている局は潰れていくより仕方がないのではないか。

 また、これから社会の規制、法律が、どんどん細かくなっていき、個人の自由がなくなってくる時代になる。テレビは、未来社会の生き方、現代における自由という問題を提示してもらいたい。

 テレビ業界を見ていると、支配政党やアメリカには絶対逆らわない、なんでも穏便に済まそうとしている。もう少し一歩踏み込んだ自局なりの表現というのは十分可能だと思うが、委員長在任中非常に歯がゆく感じた。今のテレビに必要なのは、“精神の自由・自立性”である。今のような状態を続けていると、将来自滅の道を歩む事になりはしないか」と警鐘を鳴らした。

以上