放送倫理・番組向上機構[BPO]


  ■放送
   番組委員会■

放送番組委員会は
2007年5月11日をもって
解散し、新たに
放送倫理検証委員会
設立しました。

 

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■ 番組委員会議事のあらまし

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●2004年7月 (第4回)

スポーツ放送を考える
「テレビとジェンダー」のいま

 7月2日に開催した今年度第4回放送番組委員会(有識者委員のみ出席)は、7月から就任した新委員も加わり、“スポーツ放送を考える”(清水哲男・委員)と、“「テレビとジェンダー」のいま”(国広陽子・委員)をテーマに、それぞれ問題提起が行われ、議論しました。
 また、総務省のテレビ朝日等に対する行政指導について、“BPOの存在意義”の観点などから意見交換しました。事務局からは、6月中にBPOへ寄せられた視聴者意見の概要を担当調査役から報告しました。

◆“スポーツ放送”を考える

 清水委員から、プロスポーツとメディアの関係を歴史的に見ながら、次のような問題提起がありました。

アメリカのプロ野球はラジオ中継とともに発達し、興行としても定着した。日本も戦前は、相撲の普及にラジオが大きく貢献し、六大学野球でも、球場に行けない人の関心が非常に高かった。戦後は、アメリカ軍の教育政策の一環として野球が取り込まれ、男子はみんな野球をするようになり、裾野は一気に広がった。
当時のNHKラジオの野球中継は、スター選手のプレーを見ていると錯覚するくらいに、野球小僧の心の中に染み入ってきて、球場に行くようになってからも、頭の中で描いていたものと変わらない感じを受けた。
その後、誕生した民放ラジオも野球中継を始めたが、ここで、「解説者」の登場という野球実況放送にとって画期的な出来事が起きる。実況放送の方法が違ってきたのだ。それまでのアナウンサーは、自分の視点でゲームを作ってゆくというか、焦点がぴしっと合っていた。試合に艶を出す、名人芸のような味わいを持っていたが、解説者の登場で視点が分散してしまい、散漫な放送が多くなった。
その後、テレビが登場するが、第一印象は「テレビって見えないな」というものだった。もちろん球筋も顔も、アップでよく見える。でも、全体がどうなっているか、さっぱりわからない。球場に行けば、自分の好きな所に目線を移して見られるが、ピッチャーとキャッチャーとバッターと審判を映すだけでは観戦の面白さがない。
テレビの野球中継が犯した最大の罪は、本来は球場に行けない人のための実況放送なのに、リプレーや大写し、数字の羅列などを多用して、“行かない人のための野球放送”にしてしまったということだと思う。また、テレビはピッチャーの後ろからバッター、キャッチャー、審判を捉え、観客の目の位置ではあり得ない映像を映している。テレビで野球を見慣れてしまい、球場に行ってもどうやって野球を見たらいいかわからないという人も出てきた。その意味で、かつてはラジオ・テレビが野球を国民的に定着させたが、今は、野球を殺しにかかっている構図が見えるような気がする。
オリンピックが近いが、嫌になるぐらいのナショナリズム、「ニッポン・チャチャチャ」をアナウンサーが連呼する時代。「ニッポン、ニッポン」と煽って、肝心のゲーム相手がどういうチームかもわからない。“スポーツ放送といえるかどうか”というところまで来ているような気がする。

▽スポーツ中継のカメラワークは研究不足

 意見交換では各委員から、「テレビは真実を映さない、ということだと思う。部分部分が出てくるだけで、全体が見えない。イラク報道も同じではないか」「テレビでは映ってないことは言えないが、ラジオだと自由自在にポイントを伝えられる」「今のスポーツ中継は無理にドラマ的加工をしようとしている感じがする」「日本のアイスホッケー中継は、カメラを引いてフォーメーションしか見せられないが、カナダのクルーが作るとすごくよくわかるし、スポーツ本来のドラマも見えてくる」「野球中継がつまらない一因は、カメラワークと画面の切り替えが研究されていないからではないか。ただカメラ台数を増やせばよいのではなく、見せ方を勉強してほしい」などの意見が出されました。

◆「テレビとジェンダー」のいま

 続いて国広委員が、テレビとジェンダーという視点で、番組の視聴を交えながら、次のように問題提起しました。

男女差別とメディアの関係を見る時、背景には1985年に日本が批准した女性差別撤廃条約があり、その後、国連の政府間会議やNGOも加わった会議などがある。当初、マスメディアは啓発のために期待されていたが、次第に「むしろ問題がある」と思われるようになり、メディア自体を変えていくことで性差別の解消を図ろうとの方向に転換した。
95年の北京・世界女性会議では、メディアに求められる事項を含む約束事を政府間で取り決めた。そうした流れの中で、99年に男女共同参画社会基本法ができたが、メディアは“表現の自由”との齟齬を理由に、あまり積極的ではないと思う。さらに、2003年には「国連女子差別撤廃委員会」が日本政府に対し勧告を出している。しかし、放送局の場合、特に意志決定の場に女性がほとんどいないというのが現状だ。
番組面ではどうか。報道やドラマなどでは随分、既存のステレオタイプではない番組が出てきているようだが、バラエティーやワイドショーなど情報番組との格差は非常に大きい。制作会社のスタッフや出演者にまで、意識の研修をしているとは思えない。

▽文科省のパンフレットを基に議論した番組を視聴

このワイドショーを学生に見せると、「(性差別解消を主張する)女性の出演者は人の話に割り込んで感じが悪い」と言うが、性差別問題を学んだ後、再度ビデオを見せると、「あの女性の言っていることは間違っていない」となる。つまり、番組は性差別解消を取り扱っているが、支持する人が少数者の立場に置かれ、よけいに必死に発言し、その結果、“感じが悪い”と受け取られるような作りになっている。こうした傾向が討論番組ではしばしば見られる。たしかにテレビ番組も性差別解消に向けて随分、変化しているが、一方で、そういう取り組みはおかしいという印象をテレビが作り出しているのも事実。こうしたねじれにどう取り組んでいくのかが課題だ。
BPOも、個人の人権侵害だけでなく、「女性」や「外国人」などに対する権利侵害にどう対応できるかを考えなければいけないのではないか。また、各放送局の番組審議会も性差別解消という視点で問題を取り上げることができないものか。放送局は、もっと市民グループなどと対話する積極的な姿勢を持ってほしい。

▽文化論、階層意識への批判もわきまえて

 意見交換では委員から、「若年層は性差別解消の視点を持つ人が増えている。放送業界も、そうした問題意識を持たないと生き残っていけないだろう」「ジェンダーの視点を取り入れていくことが制作者にとってメリットでもあるし、新たな展開があるのだという意識になればいいと思う」との意見や、「性差別解消は大事だが、全体の文化論、年齢・学歴・肩書など階層意識への批判をわきまえておかないと、特定分野の被害者感情の突出となり、反発を招いてしまう」などの考えが出されました。

◆総務省の行政指導などについて意見交換

 事務局から、最近の放送局に対する総務省の動向等について、以下のように説明しました。
 「総務省は情報通信政策局長名で6月22日、①テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』(昨年9月放送)での藤井孝男・衆議院議員に関する報道、②同局『ニュースステーション』(同年11月放送)での民主党菅政権閣僚名簿発表に関する報道に対して、厳重注意と再発防止の要請をした。また、山形テレビが今年3月に放送した持ち込み番組『自民党山形県連特別番組』に対して、厳重注意と放送法遵守への取り組みの徹底を要請するとともに、民放連に対しても“放送番組の編集上求められる政治的公平の確保”について対応に取り組むよう要請。民放連は『政治的公平について議論・研究を深めていきたい』とコメントを出している。
 このうち『TVタックル』の事案については、BRCがテレビ朝日に対して人権侵害、名誉権侵害ありとの勧告を行っている。また、『ニュースステーション』については、番組委員会とBRCで検討した結果、BPOとして受理しないことを自民党に文書回答している。
 一方、自民党は6月26日に『一部テレビにおいて政治的公平・公正を強く疑われる番組があった』と、報道各社に文書を送っている」
 以上の説明を受けて意見交換し、委員から概要、次のような意見が述べられました。

『TVタックル』問題は、BRCが勧告を出し、それに基づいてテレビ朝日も勧告内容を放送したり、説明・謝罪して対応している。BRCは自主的に独立した第三者の立場から解決を図る機関であり、その判断が出て、当該局側もそれに対応しているにもかかわらず行政指導が出るということは、BPOの機能が無視されていることになる。また、『ニュースステーション』も、あの報道内容をもって行政指導することについて驚き、怒りを感じる。
自民党の動きも含め、政治的公平を武器にした報道規制の新たな手法が出てきたことに注意喚起したい。
放送界が何を言われてもあまり発言しないのは問題。自分の意見を言ってもいい。自己規制が強すぎる。
政治的公正・公平の問題は難しいが、番組委員会でもいずれテーマにしたい議題だ。
以上