青少年委員会

青少年委員会 意見交換会

2018年10月2日

青少年委員会 「意見交換会」(熊本)の報告

◆概要◆

青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的に沿って、"視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能"を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、熊本県の放送局との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、10月2日の14時から17時半まで、「意見交換会」を開催しました。
BPOからは、榊原洋一 青少年委員会委員長、緑川由香 副委員長、稲増龍夫 委員、大平健 委員、菅原ますみ 委員、中橋雄 委員、吉永みち子 委員の全委員と、濱田純一 理事長、三好晴海 専務理事が参加しました。放送局の参加者は、NHK、熊本放送、テレビ熊本、熊本県民テレビ、熊本朝日放送、エフエム熊本の各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など23人です。
会合ではまず、地元放送局を代表してNHK熊本放送局の宮原孝明局長からご挨拶をいただきました。続いて濱田理事長が「BPOと青少年委員会」について説明をしたのち、
(1)「赤ちゃんポスト」を巡る報道や番組制作について、(2)熊本地震における災害報道について(青少年が関わる事柄について)、(3)青少年に関する取材全般についての課題と疑問など、について活発に意見交換がなされました。

【地元放送局代表 挨拶】(NHK熊本放送局 宮原孝明局長)

地元の放送局代表というのでNHKは全国転勤族じゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私は熊本出身なので、そういうこともあり、挨拶を一言、させていただこうと思う。
BPOというと、怖い印象を持つ放送現場の方がいらっしゃるかもしれない。実は私も、かつてはそういう思いを持って記者として取材をしていた時期もあった。でも、BPOは、本当は放送局の味方、ちょっと不遜な言い方をさせてもらうと、パートナーというつもりで、私はいる。実は私は、BPOの意見交換会に参加するのは今回で4回目になる。今年の6月まで広島放送局に勤務しており、これまでの3年間で放送倫理検証委員会、放送人権委員会、そしてこの青少年委員会と、3回の意見交換会がありそのすべてに参加し、今回は2周目に入ったところだ。それまではBPOは伝え聞くだけの組織だったが、ざっくばらんに意見交換をさせていただくうちに、先ほどのような印象に変わった。
私が初めて参加したのは2015年に行われた放送倫理検証委員会の意見交換会だったが、実はその直前にNHKは『クローズアップ現代』という番組の報道を巡りBPOから委員会決定がなされていた。「何でこんなタイミングにBPOの意見交換会があるんだろう」と思いながらの参加だったが、そこで、委員の皆さんの放送局に対する意見、そして、BPOの視点などに触れることができた。実はそのときに放送倫理検証委員会に出された決定を、私はいつも持っていて、きょうも持っている。BPOのウェブサイトからダウンロードできるので、もし読んでいらっしゃらない方がいらしたら、ぜひ読んでいただければと思う。当然、前半の部分では当時のNHKの番組についての問題点などが指摘されているのだが、何よりも「終わりに」と書かれた4ページにわたり書かれている意見が、非常にBPOをあらわしていると思う。要は、当時の総務省の行政指導や、自民党の部会による意見聴取、事情聴取を、本当に毅然とした書きっぷりで厳しく批判している。それらの経験を通して、やはり、BPOと放送現場は意見を交わしながらやっていかなければいけないと思っている。
きょうは「赤ちゃんポスト」や「熊本地震」など熊本の放送現場が直面している課題について意見交換をするということで、何か言ってはいけないことがあるのではないかなどと構えている方もいるかもしれないが、そんなことは気にせず、自由に意見を交換しあう意味のある場にできればと思う。

【BPOと青少年委員会】(濱田理事長)

私からは、BPOの概略と、青少年委員会がこれまでどのように考えて活動してきたかということを、ざくっとお伝えしたい。BPOには放送倫理検証委員会、放送人権委員会、青少年委員会の3つの委員会があり、それぞれの役割を果たしている。放送倫理検証委員会は、放送倫理上の問題を取り扱うわけだが、特に、事実に対する向き合い方や事実をおろそかにしていないか、ということについて委員は注意を払っているという印象を私自身は持っている。
BPOについては今、宮原さんが実感を持ってどういう組織かということを語っていただいたので、それ以上つけ加えることはないが、よく「自主規制の機関なのか」、それとも「第三者機関なのか」ということを聞かれる。そういうときには「BPOは、第三者の支援を得て、放送局、あるいは、放送関係者が自律を行う仕組みだ」と、答えている。
もちろん、この自律を放送局が行えばそれでいいのだが、それだけでは視聴者や国民の信頼を得られない場合もある。そういう場合に第三者が関与することによって、放送の自由と自律を守っていこうという仕組みだ。
そういう意味で強調したいのは、自律の主体はあくまで放送事業者、放送に関係する方々だということだ。つまり、放送に関係する方々が自分たちの自由のために、あるいは、自分たちの責任のために一生懸命頑張っていこうとしている、それをしっかりと第三者の立場から応援するのがBPOということになる。極端に言えば、放送に携わる方が、自由や責任を放棄してしまうとBPOという組織は成り立たない。BPOとは、あくまで放送で頑張ろうとしている方々を応援する組織だと、私は考えている。
ただ、こういう仕組みがきちんと機能するためには、BPOという組織と放送に携わる方々との相互交流がしっかり保たれなければいけない。そのために、BPOが番組や放送について考え方を示した場合には、それに対応して放送局の方々がどういうふうに改善をしたかの報告をいただく、あるいは、研修をしてもらう、あるいは、きょうのように意見交換会をする、あるいは、さまざまな事例を取り扱う勉強会を一緒に行うなど、いろいろな仕組みが設けられている。BPOの役割というと、ともすれば、決定や見解、考え方が公表されておしまいというふうに世の中の人は見ているかもしれないが、それだけではなくて、それらをどのようにして今後の放送番組に生かしていくかという、そのためのプロセスをきちんと動かす活動が大切なのだと思っている。そういう意味で、3カ月報告、研修、研究会など放送局とBPOという組織がやりとりをするこのような仕組みこそが、BPOというものが自由と自律を保証するための応援をしていくうえで、とても重要だと考えている。
各委員会はこれまでに様々な決定や見解等を出しているが、私が強調しておきたいのは、それらが出されたときの受け取り方、読み方についてだ。これは、勝った、負けたではないということだ。つまり、決定や見解などの中には、番組づくりにあたって何を考えることが大切なのかという、基幹となるメッセージが含まれている。そういうものを手がかりに、これからの番組づくりを自分の頭でしっかり考えてやっていってほしい、それが委員会として、特に希望しているところである。自分の頭で考えるというのは、何か表現をすることの根本だろうと思う。もう少しかたく言えば、ジャーナリズムというのは、自分の目で見、自分の耳で聞き、しっかりと事実を踏まえて自分の頭で考えていくことが根幹であり基本だろう。その基本を番組づくりにおいて忘れないようにする、そのきっかけが、BPOの出す決定や見解であるというふうに受けとめていただけるとありがたい。
特に、青少年委員会について話をすれば、青少年委員会では視聴者から日々寄せられているさまざまな意見に注意を払っている。そういう意見や、良質な番組の視聴講評などを通じて視聴者と放送局を結ぶ回路としての役割を果たしていこうというのが特に青少年委員会の特徴である。また青少年委員会は、青少年とメディアについての調査研究も行い定期的に公表もしている。つまり、放送倫理検証委員会、放送人権委員会というのは、どちらかといえば、問題がある番組についてものを言うという性格が強いが、青少年委員会は視聴者と放送局を結ぶための回路をどうつくっていくか、そういうところにかなり力を入れている委員会ということをご理解いただきたい。
また青少年委員会には、中高生モニターという仕組みがある。BPOに来る視聴者意見というのは、壮年以上の方の意見が多い。青少年の声が届けられることはなかなかないので、モニター制度や調査研究を通じて、青少年の意識をしっかりつかんでいこうという取り組みを行っている。また青少年委員会では基本的にどのようなスタンスをとっているのか、それがわかるメッセージをたびたび出してきたので、そのいくつかを抜粋し紹介をしておきたい。
まずバラエティー番組についてだが、「バラエティー番組は特に放送の限界に挑戦し、新たな笑いの文化を生み、視聴者の心を開放し、活力を与えるという、大きな働きがあります」と、以前出した見解の中で述べている。つまりバラエティー番組というのは、ともすれば、下品だとか不真面目だとかいう評価もされるが、しかしバラエティー番組というのも、人々の生活にとってとても大切なものだということをしっかり押さえた上で議論をしていこうというのが青少年委員会のスタンスである。これは青少年委員会に限らず、広く各委員会のスタンスでもあるが、そのような考え方を踏まえながら、いろいろな議論がされているということだ。それでもやはり、人間の尊厳に背くような行為をあえてして笑いをとろうとするような場合には、視聴者からの批判の意見が寄せられる。そういう意味では、バラエティー番組なども含め番組によって、人々の心に訴えかける、人々に喜んでもらう、あるいは、開放感を味わってもらう、そういう制作上での挑戦を行うことによって人間の尊厳や価値に何が生じるかということに想像力を働かせてほしい。これまで問題になったいろいろな案件では、それらの基本を失念していたとか、あるいは、そういう問題意識が議論の俎上に上らなかったというような報告が、放送局から出されることがある。しかし、そういう基本、根幹はしっかりと押さえながら番組づくりをしてほしい。世の中から下品だ、つまらないなどと批判される内容であっても、どういう意図で放送したのかということをしっかり伝えることができれば、放送として番組として立派なものだと私は思う。
ただ、そういうことすら考えずに、とにかく放送してしまうということを、委員会としても一番、気にしている。あくまでしっかりと考え、創造力を働かせながら番組づくりを行ってほしい。それが委員の思いだろうと、私は思っている。
ただ意見や見解というものは、委員の目から見て申しあげるわけだが、それがひょっとすると番組づくりの現場と見方が違うかもしれない。その可能性は常に、委員も慎重に考えている。また、実際に番組づくりの現場にいる方からすれば、委員は一体何を考えているのか、と思われることもある。そういう差を、少しでも縮めていこうということでこのような意見交換会が設けられている。ちなみに今、申しあげた趣旨が、青少年委員会の考え方の中にうまくまとめられているので最後に読ませていただきたい。『青少年委員会は青少年に番組が与える影響をできるだけポジティブなものにするために、局側が気づかない視点を提示したり、安易に番組を作成したため結果として逆の効果を生んでいるところの問題を指摘したりして、それを克服するための方策を探ってもらうこと、青少年たちがよい番組として認知しているものや理由を伝え参考にしてもらうことなど、結果として青少年によい影響を与えうる番組の制作、番組向上への気運を高めることを大事なミッションとしています』。
きょうの意見交換会で大事なのはこの考え方で、すぐに意見の一致が得られるわけではないということは承知しているが、意見交換を行うことは決して無駄ではなく、双方への理解を深める貴重な機会となるはずだ。今後もよりよい番組づくりのために各放送局と意見交換を行い、ともに考え続けることができればと願っている。これは青少年委員会を含め、各委員会からの明確なメッセージでもある。以上で説明は終わろうと思うが、おしまいに私が日ごろあちこちで言っていることを伝えたい。放送の自由と自律を支えていくというのは、放送人としての誇りと緊張感であろうと思う。誇りと緊張感を思い起こしていただくというのが、BPOの役割ということになる。BPOというのは組織であり、仕組みであり、思想でもあると、私は思う。BPOというのは一つの組織ではあるが、さまざまな意見交換を通じて動いていくことで初めて意味がある、放送番組がよりよいものになってくる、そういうきっかけになってくる、そういうものだと思う。そのように自分たちが抱えている課題を、自分たちで議論して解決していくことは、社会のあり方としては、とてもすばらしいものだろう。そういう意味で、BPOは社会の哲学だということになる。そのような市民社会の在り方としての一つの夢の形の実現を、BPOが媒介をして、放送に携わる方々にやっていただいているということだ。その一つの形が、きょうの意見交換会であるいうことを、改めてご理解いただければうれしい。

【意見交換の概要】

(1)「赤ちゃんポスト」を巡る報道や番組制作について

※「赤ちゃんポスト」とは
実の親が諸事情のために育てることのできない赤ちゃんを匿名で受け入れる施設。国内唯一の施設が、熊本市にある慈恵病院が2007年5月10日、運用を開始した<こうのとりのゆりかご>である。2018年3月末までに137人が預け入れられている。
※「赤ちゃんポスト」についての議論を進めるにあたり、熊本放送・熊本県民テレビの2局の理解と協力を得て、参加者には事前に以下の2番組を視聴いただいた。

【熊本放送】
RKK NEWS JUST ゆりかご10年シリーズ(3) 『預けられた赤ちゃんは今…』
「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」に預けられ、育ての親のもとで10代に成長した子どもに、現在の思いをインタビューするニュース内企画

【熊本県民テレビ】
NNNドキュメント’18『ゆりかごから届く声~赤ちゃんポスト11年~』
出自が分からない子どもを生み出してしまうという問題など様々な課題が横たわる一方、孤立する女性の駆け込み寺のような存在となる慈恵病院の取り組みや、ゆりかごに赤ちゃんを入れた女性の声、特別養子縁組の実例などを通して、家族とは何かを考えるドキュメンタリー

(事務局)本日の意見交換会参加にあたり、事前に番組を視聴してもらい、アンケートに回答していただいたが、そのなかで特に関心が高かったポイントについて、議論をしていきたい。アンケートで多かった回答は、取材する際のプライバシーの配慮と報道の兼ね合いについてや子どもの将来についての配慮、取材の工夫と課題、ポストについての議論が深められないことへのジレンマなどがある。言わずもがなではあるが、きょうは赤ちゃんポストの是非を問う議論ではなく、メディアの人間が、赤ちゃんポストにどのように向き合っていくかということについての議論を行いたいと思う。
まずは事前視聴していただいた番組の取材制作者の狙いや思いについて、RKK熊本放送報道部の佐々木慎介さんからお話しいただく。

(熊本放送報道部 佐々木キャスター)熊本の「こうのとりのゆりかご」赤ちゃんポストに関して、RKKでの取り組みについて紹介させていただく。熊本には水俣病やダム問題、ハンセン病、諫早湾の干拓問題、そしてトンネルじん肺など人権問題に関する深い取材テーマが常にたくさんある。そこに11年前、新たに加わったのが「こうのとりのゆりかご・赤ちゃんポスト」の問題だ。熊本の皆さんには説明は不要だが、委員の皆様に向けて簡単に概要を説明する。熊本市内にある民間の産婦人科病院・慈恵病院が国内で唯一、赤ちゃんを匿名でも受け入れるという赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を運用している。2006年11月に計画が発表され、各局が一斉に取材をスタートしたのが11年前のことだ。それ以来、2007年5月10日に運用が始まり、11年間で137人が赤ちゃんポストに預けられた。この子たちに関しては運用の仕組み上、親がわかればその親の居住地近くの乳児院などに措置されるが、親がわからない場合には、熊本市長が名付け親になり熊本県内の乳児院に措置されることになっている。137人の中の一定数は親がわからないので、我々は今、そういった子どもたちと一緒にこの熊本で暮らしているということになる。
RKK熊本放送としては、計画発表から取材を開始し、これまでに350本を超えるニュースを放送してきた。また節目には、TBSを通じて全国ニュースにも発信をしている。もちろんドキュメンタリーも熊本県域、九州ネット、関東ネットの放送などで、30分から1時間の番組を何本か制作している。
さらにニュースやドキュメンタリーだけではなかなか一般の方や若い方は見にくいだろうということで2006年、全国ネットの2時間ドラマも制作した。預けた母親、預けられた子ども、預けられた子どもを育てている親、それから病院関係者などを訪ねて全国を取材し、脚本家とともに3か月かけて脚本をつくり上げ、放送に至った。
赤ちゃんポストの問題というのは、子どもの立場、それから大人の立場、社会の立場、どの立場から見るかで全く見え方が変わるので、我々も特集を組むにあたり、どのようなテーマで取り組むかと毎回、頭を悩ませている。去年は赤ちゃんポストが10年を迎えたということで運用開始の5月10日を中心に特集を9本制作した。その中の3本目、運用開始丸10年の5月10日に放送した企画「預けられた赤ちゃんは今」を今回ご参加のみなさまにご視聴いただいた。
このインタビューを行うにあたり数年前から、本人とその保護者と接触していた。最初は「いつかあなたがゆりかごに預けられるということについて、何かテレビで言いたいというときには、ぜひ、私に知らせてほしい」ということで話をしていた。インタビュー取材に入る前にも2度、自宅を訪ね、最終的な意思確認を行い、個人の特定につながらないための約束事を書面に明記したうえで保護者と一緒に打ち合わせをした。打ち合わせでは、名前や居住地、年齢、就学状況、預入の背景などの表現をどのようにするかや、映像や音声の加工についてや取材時の服装についての約束事などを取り決め合意した。
また本人が現在暮らす地方の方言で話したときには、その部分の放送はやめるという打ち合わせもした。しかし、私たちがどうしても使いたいと思うようないいコメントが出たところで、本人もその言葉に気合いが入るので、方言が出てしまうということがあり、使いたかったコメントが使えなかったというようなこともあった。
また今回視聴していただいた企画ではないが、預けた女性についても取材をしており、この女性については取材に向かう途中の量販店で洋服を買い、その服を着てインタビューに答えていただき、インタビューが終わり次第、その服は廃棄した。服装に関する特徴などから本人が特定されることのないようにという配慮からだ。
今回、インタビューに答えてもらった男の子と保護者の放送後の反応についてだが、放送後会いに行き確認をしている。結果的には、本人の学校や地域で、テレビに出演したことについてのリアクションはなく、全くばれてはいなかったということだった。本人もテレビに出たことについては、誰かから強制されたわけではなく、伝えたいことがあった、と話してくれた。また里親である保護者の話では、「本人はゆりかごに預けられたという使命を背負っているので、そのことについてスピークアウトしていくという思いを持っているだろうと感じる。18歳未満のうちは私たちの責任だが、18歳を過ぎたら本人の意思で取材を受けることになるだろう」と話をしていた。本人に、「成人したら顔出し、実名で取材を受けますか」と聞いたら苦笑いをしていたが、預けられた子どもたちがスピークアウトするときはすぐそこまで来ているのかもしれない。

(事務局)とても丁寧に、取材対象者と向き合われた様子がわかったが、取材の過程で葛藤したり躊躇したりするような場面はなかったのか。

(熊本放送 佐々木)本人を特定されるのが一番まずい。従って、社内でも、当時の編集長、部長ぐらいしか私の接触相手を知らなかった。実際、全国のどこでどのような取材をしているか、私とカメラマンしか知らない。例えば、預けられた女性のインタビューは、ホテルの部屋を一室借りて、屋外でカメラを回すということは一切しなかった。つまり、その人にテレビカメラが向いているというシチュエーションを、公共の場で一切作らなかった。

(事務局)放送後の一般視聴者の反響はどうだったのか。

(熊本放送 佐々木)こういう形で預けられた子がいるんだということ、自分たちの社会や身の回りにこういう境遇の子がいるんだということがわかったという反応は、幾つかあった。まずはそのことをわかってもらうことが大事だと思う。
どうしても私たちは、両親がいて兄弟がいて祖父母がいて、というような標準的な家族に対してカメラを向けることが多いのだが、そうではないシチュエーションで、私たちの隣で生活している友達がいるということをわかってもらうことは、すごく大事かなと考えている。

(放送局)最初に映像を拝見したときに、佐々木さんがすごくラフな服装だと感じたが、子どもに打ち解けてもらうために敢えてそのようにしたのか?

(熊本放送 佐々木)狙いが当たったか外れたかはわからないが、そのつもりだった。本来であれば多分、スーツにネクタイということだとは思う。

(放送局)佐々木さんが出演した放送は当然、病院側との信頼関係があって成り立っているとは思う。しかし例えば、この放送を、これから慈恵病院に相談しようとか、預けることになるかもしれないと考えている女性が見たときに、赤ちゃんポストに子どもを預けると、マスコミに追いかけられることになるのではないか?という不安も抱かせることにならないだろうか、という葛藤はなかったのか?

(熊本放送 佐々木)それは多分、各局の皆さんも抱えている葛藤だろうと思う。我々メディアが、ゆりかご報道を通して何かを伝えるとき、「どれだけ母親が孤立しているか」や「父親の無責任さ」そして、「社会がそれに対していかに冷たいか」ということを視聴者に知ってもらうために、言葉は悪いが、彼らにスピークアウトしてもらうしかない。そういう中で、メディアが騒がなければ追跡される心配もないわけだが、しかし、だからこそ、取材に入るまでの間に決して強制はせず、直接会う前にも手紙でのやりとりを踏んで、ようやく面会するというようなプロセスが大事なのだと思う。

(榊原委員長)実際に今回、当事者にインタビューをしてみて、彼らの思いや発言について佐々木さんが事前に思ったとおりの発言だったのか、あるいは、思っていなかったような発言を得られたのか、聞かせてほしい。

(熊本放送 佐々木)インタビューを終えてほっとしたことを覚えている。このVTRの中でも言っているが、彼らが幸せとは言わないまでも、一般的な子どもたちと同じように、普通に成長していくかどうかというところが、自分たちの追跡取材の意味だと思っている。彼は、現在暮らしている居住地で、あるスポーツで2番になったぐらい運動を頑張っている。勉強も頑張っている。普通の子どもとして育っている。普通に育っているということに、私はすごく、ほっとした。支持者や専門家、コメンテーターなどが様々にこうのとりのゆりかごの是非を論じているが、最終的にその答えは、預けられた子たちしか持ち合わせていないだろうと、私は思っている。だからこそ、いつか、預けられた子に話を聞きたいと考えてきた。その子たちがしっかり自分の言葉で話せるまで待とうという中で、今、10年待って、ようやくこの取材が実現したということだ。

(放送局)番組を拝見し、スタンスも非常に明確ですばらしい取材をされていると思った。今のお話を伺っても、信頼関係を得るために、長年取材をされ、配慮もされていることに、地元の放送局としてすごくいい仕事をしていらっしゃるなと感じた。その上で、2点伺いたい。まず1点目は、子どもが着ていた服の柄が迷彩服のような特徴のある服装だったこと気になったのだが、そのあたりの配慮を伺いたい。2点目は、137人の預けられた子どもがいるなかで、今回の子どもは非常に幸せだという前向きなリポートだったとは思うが、そうでない子どもも多分いるであろうなかで、今回の出演者を137人いる子どもの代表としていいのかどうかとか、あるいは、そうではない状況の子どもいるんだということをどのように伝えるかということについて議論はなかったのか?

(熊本放送 佐々木)子どもの服装に関しては、最初こちらで量販店の服を提供すると提案したのだが、もうすぐサイズアウトし着なくなる服があるのでそれを着用すると先方から言われ、あの服装になった。取材の後、彼はこの服を着ていないようだ。
また2つ目の質問に関してだが、幼すぎる子どもだと、なかなか自分の言葉で、自分の考えを述べるということは難しいと思うが、彼は、取材の過程でも、保護者がいない場でもしっかり、自分の考えを伝えてくれていたので、彼の話は放送の価値があると判断した。ご指摘のように、厳しい境遇の中で育っている子も当然いるので、今後、そういう明暗の暗の部分の取材にも関わらなくてはならないと自覚している。

(放送局)服装について、感想だけだが、私も記者をやっていたが、自分ならどうするかと思った場合に、特定されたくない出演者が特徴のある服を着ていたら、本人がかまわないと言っても、着がえてもらうかな、と思った。かなり細かいことだが、喉に小さいほくろがあったことも気になったぐらいだったので、ちょっと神経を使い過ぎなのかもしれないし、いろいろな判断があると思うが、自分が取材者だったら服装は変えてもらうだろうと思った。

(菅原委員)難しい出自である彼が今、幸せであるという、その10年間の歩みやプロセスを、見ているほうはインタビューを聞きながら想像するのだが、放送の中で子どもの口から『なぜの部分』が語られなかったとしても、佐々木さんたちが取材の過程で感じられたことがあったら、お聞きしたい。

(熊本放送 佐々木)VTRの中では、友達と遊ぶとか勉強するということに幸せを感じるよと、紹介している。しかし、家族の関わりや地域との関わりについては、彼以外の人物が画面に登場することで個人の特定につながってしまうので放送できない。他にも運動は何をやっているとか、いわゆる彼の日常生活に関して情報を補足すると、そのことがどんどん本人の特定につながってしまうので、本当に出したい情報があるのに出せない。彼がニコニコ笑う表情も、モザイクで隠さなきゃいけないなど、放送したいことが放送できないということが、やはりすごく難しかった。

(中橋委員)赤ちゃんポストの問題というのは社会全体で、これからも考えていかなくてはならない問題だと思うので、これからもマスメディアが取り扱っていくということは使命だと感じるが、実際にオンエアを終えて反響も受けた上で、もっとこうしておけばよかった、次があったらこういうふうにしたいなどと思うようなことがあれば、教えていただきたい。

(熊本放送 佐々木)今回の子どものご家族ともいつも話をしているのだが、彼らはゆりかごに預けられたということを、負の遺産として背負っていきたくないと考えている。私たちの社会はどうしても、「ゆりかごに預けられた子たちはかわいそうだ、不幸だ」「産みの親がだらしなかった」などというイメージで捉え、それを預けられた子どもたちにまで背負わせてしまっているのかもしれないが、彼らは、「ゆりかごで命を助けられたんだ」とすごく前向きに育っている。実際、ゆりかごに預けられた他の子とも連絡を取り合っているが、みんな、ゆりかごに預けられたことを、恥ずかしいと思っていない。ゆりかごに預けられる前の父母のことよりも、ゆりかごから自分たちの人生が出発していると考えたり、今の保護者から伝えられたりしている子が多いので、いつかは、ゆりかごに預けられた子どもが顔出し、実名で、社会に何かを訴えたいという日が来るのではないか、と期待している。

(中橋委員)彼らが大人になって、社会的に発言をすることの意味や、赤ちゃんポストの仕組みや歴史などを詳しく知った後での発言と、まだ子どもである現在の発言というのは多分、変わってくることもあるだろう。そのときが来たら改めて考えなくてはならない問題なのだろうと思う。

(吉永委員)東京に暮らしているとなかなか継続的に見ることができず、節目節目に断続的に、考えるくらいだった。放送されたシリーズ全体を視聴すれば受ける印象もまた違うのだと思うが、事前に視聴させていただいた1本だけを見て一つ、二つ伺いたい。里親の方は、事実を前向きに捉えて肯定的に使命を持って、子どもを引き取っている。放送局もこの取り組みをきちんと伝えたいという使命を持っている。それに対して、子ども自身はどのくらい同じ思いを持っているのかなと感じた。そもそも子どもは親に対してものすごく配慮するところがあって、親がこういうふうに思っているんだったら自分もこうしなきゃいけないと、けなげに考えたりすることがある。自分はゆりかごの子どもであるということを理解している境遇であればなおのこと、そういうふうに思ってしまうのではないだろうか。例えば、インタビューに答える子どもの表情がわかるならば、私はそれを読み取れると思うが、この場合モザイクがかかっていることはすごく大事なことだけれども、大事であるがゆえに、逆に、この子のことがいまひとつわかり切れないというジレンマもあった。この子は今回の取材を自分で引き受けたがゆえに、これを背負っていかなきゃいけないのだろうなという点も、気になった。
それともう一つは、幸せであるということはすごくいいことだし、ほっとするのだが、幸せでなくても生きていてほしいというような思いがあるので、ある時期は不幸せかもしれないが、その先に、例えば二十歳になったときに、幸せだと感じてくれるかもしれない。そうすると、やはり、あるメッセージとして、幸せであることがこの制度の一つの目的のような感じになっていいのかなという思いと、やはりそうであってほしいという思いと、見ていてすごく葛藤があったのだが、佐々木さんがインタビューしながら、この2点について、どんなふうな思いがあったかを伺いたい。

(熊本放送 佐々木)今回インタビューに答えてくれた彼は、ゆりかごの報道を記事で見つけると、スクラップをしているそうだ。そのぐらい、自分の出自はゆりかごだということを、今はそのまま背負っている。私たちRKKは、当初から、このゆりかご問題の答えが出るのは20年先になるか30年先になるかわからないし、そのときに答えが出るかもわからないということで、常々、キャスターコメントをしてきた。同じように、ゆりかごを開設された慈恵病院の理事長の蓮田さんという方はずっと、「預けられた子がその後も幸せに育ってほしい」と言っている。ということで、今回のインタビューでは、「理事長が幸せになってほしいというふうに思っているが、あなたは幸せですか」という聞き方をした。私たちがスタジオで受けるキャスターコメントとしては、「彼らが普通に暮らせるような社会環境になっているのだろうか」ということを、常に述べるようにしている。だから我々のほうから「彼らが幸せな世の中にしなくてはならない」とか「彼らは幸せに育たなくてはいけない」などというふうにコメントをしないようにしているということは、今のご心配と少し一致するかもしれない。

(緑川副委員長)「こうのとりのゆりかご」ができてから10年という中で、長い時間をかけて慎重に、丁寧に取材をして、取材対象者、関係者との間で信頼関係を得た上で、番組をつくっていることが感じ取れる番組で、これこそがテレビで報道すべき、つくるべき番組なのだろうと思った。事前に視聴した、もう1本の番組『ゆりかごから届く声~赤ちゃんポスト11年』も、制度全体の問題点や、ドイツで行われている内密出産の問題にまでテーマを広げて制作されており勉強になった。番組制作者の吉村さん(熊本県民テレビ)は、制作過程での思いとして、子どもたちが大きくなったときにこの番組を見て傷つかないか、その点について、いつも立ち返りながら制作したと聞いているが、具体的に、どのようなところで、どういう配慮をされたのか伺いたい。

(熊本県民テレビ報道部 吉村記者)現在は、違法とはいえ、ユーチューブで番組がいつでも見つけられる時代で、いつか子どもが大きくなったときにこの番組を目にして、もしかしたらこれは自分のことではないだろうか、と感じることがあるかもしれないと考えた。特に、ゆりかごに託された子どもについて心配だった。産みの親からの愛情を受けていたけれども、そのとき学生だったからやむを得ず託されたということをわかってもらえればいいと思った。要らなかったから捨てられたというふうに思ってほしくなかった。そのような気持ちを、ナレーションでうまく入れればいいと考え、今回の番組では、編集チームのみんなで話し合いながら制作した。

(緑川副委員長)当事者を特定されないよう匿名性を確保するための服装や撮影場所などへの配慮はどうだったのか?

(熊本県民テレビ 吉村)我々も子どもを託した母親のインタビュー時の服装を、制作サイドで用意した。また場所が特定されないよう、編集チームで細かく気をつけてチェックした。さらに靴下の柄などから特定につながってはいけないと、足元にもモザイクをかけたシーンもかなりある。ただ、その人の人となりというものをインタビューシーンに乗せたいという葛藤もあり、手元やちょっと少しの動きなどで彼女なりの葛藤を感じてほしいという点については、編集チームで考えたつもりだ。

(事務局)それに関しては、番組制作者のお二人から「個人を特定されないように配慮をすればするほど、映像のリアリティーが失われていってしまうので、そのはざまで悩んだ」や「ディテールを入れれば入れるほどプライバシーに寄っていってしまうので、ぎりぎりのラインで悩んだ」というような話を聞いている。

(熊本県民テレビ 大木編成局長)最初に理事長がおっしゃったが、こういう番組は勝ち負けではない。もちろん、他局でもすばらしい番組が作られていて、それよりもっといいものを作りたいという気持ちが、ディレクターには生まれるのだが、番組は勝ち負けではない。プロデューサーとしては、プライバシーと放送だけではなく、いかにディレクターが功名心を押さえるかというところも気にかけていた。もちろんプロデューサーとして、いいものをつくりたいし、それからリアリティーもどこかで出さないと、うそっぽくなってしまうと、放送とプライバシーの問題も考える。現場では苦労して取材をしているので、リアリティーは出してあげたいのだが、そこの部分は、本当に一つ一つ、リアリティーとプライバシーの保護を考えた。そしてもう一つ、番組は勝ち負けではないのだということ、私たちが目指さなくてはならないのは、この番組で何を伝えたいかということであると、伝え続けた。この小さな赤ちゃんポストの中には、今、子どもたちが置かれている過酷な現実や今の時代の課題や矛盾などが全部詰まっている、そういうものを見せることこそが一番のテーマなので、一つ一つのシーンにリアリティーを持たせるというよりも、番組全体でメッセージを伝えることのほうが大事だと、ディレクターには最初から言い続けた。そういう意味では、随分、悔しい思いをさせたとは思う。

(事務局)取材の中で苦労して知り得た情報を、制作の過程で捨てざるを得ないようなこともたくさんあったのではないかと思うが、その辺はどうか?

(熊本県民テレビ 吉村)出したい情報と出せない情報とを、編集チームで考えて臨んだ。開設当初にポストに0歳で入れられた子供が今、11歳。その子たちがどうやってこの思春期を過ごしているのかというところに、見た人が思いをはせてほしいと感じながら番組を作っていた。プライバシーの配慮については、居住地は基本的に言わないと決めた。また家族構成も知りたい情報ではあるが、生い立ちは明かさないようにしようと、決めて臨んだ。結果、イメージ映像ばかりになってしまい葛藤があったが、子どもを託した彼女の、葛藤した思いを感じてほしいという思いでつくった。

(熊本放送 佐々木)取材の過程で情報を知ってしまったがゆえに、非常に苦しむことも多々ある。例えば、生みの親の情報を私たちは取材の中で知りえたが、10年後、20年後の子どもの将来を考えたとき、育ての親には伝えないほうがいいだろうと判断し、育ての親には提供できなかったというような情報も、私たちは多々、握りながら取材をしているというのが現状だ。

(榊原委員長)なぜ、赤ちゃんポストの議論や運用が日本では広がらないのか。取材を通じて、何が問題だと感じたか?

(熊本県民テレビ 吉村)難しい質問だ。それがわかれば、赤ちゃんポストがどんどん広まると思う。取材中、ドイツの市民20人くらいにインタビューをしたが、みんな赤ちゃんポストについて知っていて関心があり、何が今、問題なのかといことをすらすら話してくれた。「自分は反対」「賛成」ということも言ってくれた。一方、熊本で街頭インタビューしたときには「賛成」「反対」さえも言えない現状だった。今回、放送後に寄せられた意見で、「赤ちゃんポストを知らなかった」というコメントがかなり寄せられたことにも衝撃を覚えた。こういう現実があるということに関心がないということが、一番大きな問題なのではないかと思う。またドイツは、民間が赤ちゃんポストを設置した後に、政府が運用や問題点について議会で話し合っている。その結果、問題点を踏まえて内密出産という新たなシステムが始められた。しかし日本では、熊本市政も赤ちゃんポストには関わっていない。もちろん国政では議論すらなされない。その点が、開設以来10年が経っても何も進んでいない日本とドイツとの相違点だと思う。まずは、番組を通じて、たくさんの方に赤ちゃんポストの実態を知ってもらい関心を持ってもらうことが必要だと考える。

(大平委員)みなさんの番組制作に向かう姿勢を伺っていると、プライバシーの保護を過剰に求めすぎる日本社会の問題が見えてくる。当事者のプライバシーが外へ漏れてはいけないとモザイクをかけていくと究極はモザイクだらけの画面でやるしかない。本当は、先ほどの話にもあったようにディテールにこそリアリティーが宿る。にっこり笑ったり悲しんだりするその表情を見れば、どんな育ちの人か、何を思っているのか、思っていないのか、言葉がなくてもわかるということがリアリティーだ。テレビが映像を武器にしているというのは、そういうことなわけで、それが発揮できないという今の世の中はやはりおかしいのかもしれない。

(2)熊本地震における災害報道について(青少年が関わる事柄について)

(事務局)第2部では、熊本地震における災害報道、特に、青少年が関わる事柄についてと、青少年に関する取材全般についての課題と疑問などについて話を進めたい。まず、熊本地震における災害報道についてだが、地震によるトラウマやPTSDへの配慮など日々どのようなことを思いながら取材していたかについて実際の経験を伺いたい。

(放送局)当時、ニュースデスクだったので、現場に出るより指示を出すほうが多かったが、時々、現場に行ったり、現場の記者の話を聞く中で感じていたことがある。それは、全国から大量におしよせたマスコミと地元の放送局との温度差だ。自分たちは被災地の局としてずっと寄り添っていく使命があるのでいろいろ配慮しながら取材を進めるが、応援でやってくる局のクルーは、節目に来て、取材をし、帰って放送を出せば終わりという感じを受けることもある。被災者の方から後から話を聞くと、どこから来たのかわからないようなカメラに勝手に撮られて、それが全国放送になっていたというようなこともあったようだ。
もう一つ、子どもたちへの配慮については、身一つで避難している人たちにカメラを向けるということは心苦しく葛藤もあったのだが、今、この現状を伝えることで何が足りないか全国に伝わるのではないか、今、このインタビューを流すことで、行政が問題に気づいてくれるのではないかと思い、その都度、保護者に了解を取って取材をしていた。
今、感じるのは、被災地の学校で「子どもたちが、カメラがあると不安になるので」という言葉が、当初よりも多く聞かれるようになった気がする。「子どもたちをあまり撮らないでほしい」という先生が多い。2年半たって、指導者側も非常にナーバスになってきているのかなということも感じつつ今、取材をしている。

(事務局)榊原委員長に小児科医の見地から教えていただきたいのだが、地震当時は大丈夫だったが、2年半経った今、カメラに対して子どもが不安を感じるというような症状があらわれることは、実際あるのか。

(榊原委員長)PTSD、心的外傷後ストレス障害という症状がある。例えば、有名な例では、アメリカの9.11のときに、現場にいてもいなくても、子どもたちがその後、悪夢を見たりするPTSDになった。ということで、現場にいれば、一定の割合で、大きなストレスを感じると心的外傷によって、そういうことが起こる。一人一人、感受性は違うが、繰り返し何度も何度も当時のことを聞かれるというようなことを繰り返すと、後になってから当時の記憶が誘発されるということは確かにある。ところが、もう一つ、子どもというのは、概してではないが大人よりも柔軟性がある。したがって、外傷後のストレス症候群がありながら、逆に、それを乗り越えていくような反応も出てくることがわかっている。東日本大震災後のある調査で、被災地の子どもと都市部の子どもの心理を追跡した。すると他人に対する寛容、親切心は、被災地の子どものほうが伸びる。つまり、自分が被災の経験をしたことによって、他人に優しくしようというような共感的心理がよくなるとわかっている。つまり言えることは二つあって、子どもというのは非常にナイーブなところがある半面、そこから回復する力も大きい。
今、伺った経験談では、現場で葛藤を感じながら取材されていた。これがやはり、こういう場面を報道する人間の基本であって、葛藤を感じているということでやり過ぎることはない。それでいいのではないかと思う。いずれにせよ、子どもたちは大変なストレスを負っているわけだから、その事実は変えようがない。その傷をむやみに深くするようなことがなければ大きな問題ではないし、そういう子どもたちがいることを全国に発信することの意味は大きい。

(事務局)取材のときに苦慮したことや行った配慮について具体的な話を伺いたい。

(放送局)先ほどの話に似ているが、全国からの支援に感謝の意思を示そうと、被災地の子どもたちがメッセージを書いて発信するということが、最近あった。その取材時の学校の対応に、メディアのインタビューを受ける子どもたちを先生が事前に指名していたという今までにない変化を感じた。こちらとしては、「地震」や「2年半前」などというキーワードを使わないので、子どもたちの生の言葉を自由に取材させてほしいと思うのだが、学校からの規制が強くなっていると感じている。とはいえ、これからこの子たちがどう成長していくのか、町がどうよみがえっていくのか、発災当時、生まれたばかりの赤ちゃんや小学校でボランティアをしていた子どもたちをこれまで同様、丁寧に追跡取材していきたい。熊本地震がどういうもので、何だったのかということを、リアルに後世に伝えていくことは、我々と彼らにしかできない役目だと思うので、その成長を見つめていこうと思う。

(放送局)先ほどから話に出ているが、節目だけではなくて、伝え続けていくことが大事だと思うので、週に1回、夕方のニュース番組の最後に、1週間の熊本地震関連ニュースをまとめて放送するということを今も続けている。子どもたちを追うというのは、0歳だった子が2歳半になって、だんだん大きくなって、地震からの経過時間がはっきりわかりやすいと思うので、子どもを取材し続けていく意味というのは、報道では大事なのではなかと感じている。

(吉永委員)この間の北海道の地震のときに、たまたま中学生と一緒にテレビを見ていたのだが、そのときにその子が「こいつら、本当、むかつくんだよな」と言っており「何にむかついているんだろう」と思ったら、報道陣にむかついているらしい。本当に大事なことが起きているときに、それを伝える側に対して、「こいつら、うざい」とか「むかつく」って言われてしまうということは、若い人たちとテレビが、これから先の信頼関係をどのように築いていくのだろうと憂慮し、大変心が痛んだ。ご存じのように、これまで災害報道のたびに報道批判が起きて、それが最近もどんどんエスカレートしているような気がする。熊本地震のときも、やはり、取材に関する問題が噴出した。BPOに来ている意見にも、報道批判が多かった。いつもは報道する側だが、在熊の放送局の方は、ある意味、被災者でもあった。取材される側の立場も同時に経験しながら、感じながら取材をされていたと思うが、貴重な二重の経験の中、これから先の災害報道について何か感じたことがあればお聞かせ願いたい。

(放送局)今おっしゃった報道に携わる者であると同時に、被災者であるという話だが、私の両親も、いまだ仮設で暮らしている身である。今回、被災し取材をする中で、地元のメディアとして、今は取材を受けるタイミングではないことを察してほしいなど、いろんなクレームも受けた。また、余震が1週間で1,000回を優に超え、しかも、震度7が2回来るなかで、3回目が来たら多分、電波も止まるだろうな、という半ば諦めやストレスを感じながら取材していた。個人的に思うのは、生まれ育った町がだんだん壊れていくのを見ながら、取材するときに、やはり忘れてはいけないのは、自分自身もものすごくストレスを受けているという事実。今思い返せば、当時は上司にもいらいらしたし、現場を見ていない人とたくさん衝突もするなど、ストレスがどんどんたまっていた。その精神状態やテンションで、被災者を訪ねても、「こんな聞き方をすべきではなかった」と後で反省するような雑な取材しかできなかった。だから、「自分も今、きついんだな」「ストレスを感じているんだな」ということを素直に受け入れ、認めて、その上で、現場に向かうという気持ちがすごく大事だなと感じた。被災地に生きる人間であり、マスコミの人間として、「強くならなきゃいけない」ではなくて、自分もかなりストレスを受けているなとか、結構、涙もろいし弱い人間なんだなということをきちんと認めることが出発点かもしれないということは、今回の反省点だ。

(事務局)ラジオ局の方は、テレビ局とはまた違った視点で震災時の放送に向き合ったのではないかと思うが、取り組みを教えてほしい。

(放送局)ラジオ局なので、テレビ局とは全く違った報道の仕方になる。どちらかというと、ひたすらライフライン情報を伝えていたというのが当時の状況だ。ただ当時、避難所に行っていて、ヘリコプターの音が気になった。避難所の人たちも相当気にしていた。ラジオ局が言うことでもないが、今後の取材に当たっては、ある程度状況が分かった後は、あれだけ何台もヘリを飛ばさなくていいのではないか、という話をテレビ局の知り合いとした記憶はある。発災直後は、避難所内での話し声も聞こえないぐらいの爆音がしていた。

(放送局)確かにご指摘のとおりで、現実的に発災直後は用意ドンになってしまうところはある。地上から被害の全容が撮影できない場所があると結局、空撮が早い。キー局からもいち早く映像をとリクエストもされる。そうなると、そのエリアに近い放送局がヘリを飛ばし、いち早く伝える。ある程度時間が経過すれば、共同取材にすることも可能かもしれないが、発災直後にできるかというと、今現在の形では、現実的に無理なのではないかと思う。

(菅原委員)2点、話をしたい。私の専門は心理学だが、先ほど被災者の方のPTSDが話題になっていたが、報道する人間のメンタルケアもとても大事だと思う。災害や事件が起きたとき最前線に立って報道する人を支えるメンタルケアのシステムも考えられたらいいと思う。もう1点は、ラジオについて。避難所では、子どもたちもラジオを聞いているので、年齢に合った、小さい子向けの楽しい歌や中高生向けの放送など、子ども目線のメッセージが放送されればすごくいいと思う。

(放送局)発災の2日後ぐらいに、エフエム仙台とエフエム東京から連絡があり、今後、子どもたちの心のケアがものすごく大事な話になっていくという、彼らが震災当時できなかった反省を踏まえたアドバイスをいただいた。放送局として、ラジオ局として、もっとこうすればよかったというアドバイスを当時、現場におろしながら放送を続けた。例えば、楽曲がまさにそうなのだが、東日本大震災の当時、「アンパンマンマーチ」などを放送して子どもたちがとても喜んだという話があったので、例えば、スタジオジブリ関連のCDなんかを全部集めろと指示をし、3日間ぐらいはほとんど、それらの曲を中心に流していた。東日本大震災の教訓を生かせたとは思う。また大阪北部地震の際には、こちらから地元のラジオ局に連絡をしてアドバイスをすることもできた。細々とでも少しずつつなげていくことで進化できればいいと思いながら制作にあたっている。

(3)青少年に関する取材全般についての課題や疑問など

(事務局)最後に、取材対象者の青少年の将来への配慮に関して、事前にたくさんのご意見をいただいているので、そこについての意見交換を行いたい。実際に青少年を取材して困ったこと、考えたことなどあれば発言をお願いしたい。

(放送局)以前、フリースクールを立ち上げた教育者のドキュメンタリーを制作した経験がある。フリースクールに通う子には、何らかの事情を抱える子どもも多いが、映像だからこそ伝わることがあると考えていたので、顔を出してもいいと本人も保護者も言ってくれる子を取材しようと思っていた。実際、そこに通う中学生は10人ぐらいしかいなかったのだが、幸い出演の承諾と許可を得ることができ取材に入った。その結果、フリースクールに通い始めて数カ月で、子どもたちが笑顔を見せたという過程を放送できたのはよかったのだが、その後、彼らが高校生や社会人になったときに、フリースクールに通っていたことを知られたくないと思ったとしても取り返しがつかない。実際は、先生も保護者も本人も放送後に「いい放送してくれた」と言ってくれたので、今のところはその懸念はない。しかし、放送された事実は恐らく一生残るので、今後については、わずかな心配もある。

(放送局)自分はマスコミ業界に入って2年目の、本当に新人なので、青少年の報道に関しての経験はまだない。しかし最近、テレビの報道を見ていて、事件そのものよりも、当事者のプライベートなところに踏み込んでいくことが多いように感じている。当事者の家族や卒論の内容など、あまり事件の報道にとって重要ではないように思えることが増えている。今はネット社会なので、それらの報道がネットに流れてしまえばもう消すことはできないと言っていい。それを考えたときに、当事者だった青少年がまた世の中に出ていって、自分の足で立って生きていこうとしたときに、それが障害になってしまう可能性も大いにあると思うので、報道する側の人間は気をつけていかなくてはならないと考えている。

(事務局)取材対象者の青少年や子どもの将来への配慮については、実は去年、ある番組をきっかけに青少年委員会でも話をしたことがある。緑川委員から手短に、当時の概要と見解をご説明いただきたい。

(緑川副委員長)去年の8月に、あるチャリティー番組で5歳の男の子を育ててきた母親が、「自分は実の母親ではないということを子どもに告白したい」と番組に申し出て、その告白シーンが放送された。そのようなプライベートで非常にセンシティブな内容が、モザイクなしの顔出しで放送されたので、BPOにも批判的な視聴者意見が多数寄せられた。青少年委員会でも、「本当にその事実の意味をわかっているかどうかもわからない5歳という年齢の子どもの非常にセンシティブな状況を放送するということについて、放送局としてはどのようなことに配慮して放送に至ったのか」「親子や周囲へのフォローがきちんとされているのか」という点について意見が出た。その後、放送局から番組企画について自発的に説明書が提出され、その内容の問題点については十分に認識し、放送することのマイナス面も含め当事者に丁寧に説明をしたうえで放送に至ったということがわかった。その報告を受けて、青少年委員会で再度検討した。「5歳の男の子の出自にかかわるプライベートでセンシティブな内容を放送したということについて、その子本人が、その後どういうふうに考えるのかを継続的に調べられるわけではない。そのことについての懸念がある」という意見も出た。ただ、放送局としてはできる限りの配慮をしたうえで番組に取り組んだことが理解できるということで、議論を終えた。この議論に関して、委員会では5歳の男の子のきわめてセンシティブなプライバシーについて放送するということについて問題意識を持って議論はしたが、そのような取り組み自体を否定するという結論にはならなかったことは申しあげておきたい。この経緯については、BPOのウェブサイトに青少年委員会2017年10月の議事概要が掲載されているので、ご覧いただきたい。

(事務局)先ほどの取材経験談にあったような、例えば、不登校の中学生をロケするような場面で、その子どもの将来の不利益を考えて躊躇してしまったような経験、あるいは、その放送後の反響に不安になったということなどはないだろうか?

(放送局)メディアを取り巻く環境は近年、様変わりしており、青少年に関する事件や事故を報道する際、テレビで一生懸命配慮をしていても、ネットでは様々な情報が出回っている。最近、熊本では、高校生の自殺があったのだが、亡くなった生徒の顔写真などテレビでは報じないことがネットには出ている。報道への配慮について、ここでは議論しているが、一方では、もう情報化の中で全然違う次元で社会に情報は出回ってしまっている。このような現状に関し、本当に矛盾を感じているというところが実際にある。テレビは配慮していても、社会の現状はかけ離れている。これだけ情報化社会になってくると、テレビの自己規制ってどうなんだろう、と疑問を感じながらやっているのが実感だ。

(濱田理事長)私もずっとメディアの研究しており、実態もよくわかっているつもりだ。そういうジレンマについては本当によくわかる。きっとこれ以上ひどい状態が、これからも出てくると思う。そのときに、少なくとも私自身は、良識ある人間として守らなければいけないものは、しっかり示しておくというスタンスをとりたいと思っている。つまり、世の中がぐじゃぐじゃになっているから、それに合わせるのだということでは、恐らく社会が成り立たない。私たちが守らなくてはいけないラインはどこにあるのか。モラルも含めてどこにあるのかということをしっかり示すことは、やはりマスメディアの役割であろう。まして、放送というのは、社会的責任が非常に大きく期待されている。確かに、SNSなどで情報はいろいろ流れてくるかもしれないが、それでも、私たちが共通に持っておくべき良識ある情報というものはある。だからこそ、放送というものの意味があるのだ。そういう一種の、社会的責任を守る盾としての役割もマスメディアは担っているのではないかと、私は思う。恐らくインターネットに流れるものに全て社会の水準を合わせていくということにはならないと思う。例えば、暴力表現や性的な表現など、匿名実名に関係なく、ネット上にはいろんなものがあふれているが、放送もそれに合わせていいのかというと、多分、そうはならない。放送の持っている矜持、放送の持っている意味というものを社会に理解してもらう。きれいごとかもしれないが、きれいごとを維持していくということも社会としては大事なのかもしれない。

(放送局)先ほどの地震報道で話が出たヘリコプター取材について、BPOとしてキー局と話し合いをしたり意見を出したりはしていないのか?

(放送局)BPOではなく放送局全局で取り決めがあるのではないか。災害報道のたびに視聴者から意見があるようだが、多分、視聴者はそれがマスコミのヘリなのか、人命救助のための消防のヘリなのか、警察のヘリなのか、混同しているのではないか。もちろん、マスコミのヘリが最初に飛んでいるというのは否めない事実だが、全てがマスコミではない。

(放送局)熊本地震の際、ヘリに乗って上空取材をしたが、少なくとも、上空を3層に分けると一番下の層は、被害状況を確認する警察や国交省や消防のヘリ、その上を搬送の必要があった場合などに二番手でおりてくるヘリ、そしてマスコミのヘリは、その一番上を飛んでいる。言いわけかもしれないが、地上から機体番号が肉眼で見えるような位置をマスコミのヘリは、まず飛べないし許可も下りない。例えば、救出現場の上空を自由に旋回できるかといったら、絶対にできない。マスコミのヘリの騒音が全くないとは言わないが、理解を求め周知していくことは大事かもしれない。

(放送局)報道する我々の側にも、「取材より目の前の被災者を一人でも助けに行きたい」というような声をあげた現場の記者がいた。またマスコミのヘリに関しては、この間の北海道地震しかり、熊本地震しかりだが、被害の全容が空撮でわかる場合がある。北海道地震での地滑り被害や、阿蘇大橋の陥落など、空撮映像がなければ現実の被害の大きさは伝えられなかった。それぐらい、空撮映像は大事な情報だ。またもう一方で、西日本豪雨等での教訓もあり、災害報道の最近の流れというのは、大雨や台風など被害が起きてからではなく、被害が起きる前から注意喚起の報道をすることで、一人でも多くの命が救えるのではないかというように、マスコミの災害報道への向き合い方が変わってきていると感じている。

(吉永委員)大きく今までと違うのは、今、取材する側が取材されているということだと思う。取材の様子を見かけた誰かが、ちょっとしたことをSNSなどに上げると、それが全てのマスコミのしわざであるように思われる。だから、自分たちは取材しているつもりだが、実はものすごくたくさんのスマホで監視されている中で取材を行っているという、かつてとはまた違うとても難しい状況、緊張感のなかに置かれているということを、取材する一人一人が胸に置いていないと、今後の報道はなかなか難しいのではないか。テレビの取材陣が、今度は、市民のスマホにさらされつつ仕事をするということを十分に理解していないと、誤解を生み信頼感を失う事態になりかねない。被災地などでは、被害を受けた人たちの気持ちや感情、状況も理解した上で、常に大勢の耳目にさらされながら取材していることを自覚しなければならない時期なのだと感じている。

【榊原委員長まとめ】

今回、初めて意見交換会に出させていただき、非常に感銘を受けた。当たり前のことを言って怒られそうだが、一言で言うと、番組をつくっている方が、真剣に放送と向き合っているという印象を強く受けた。きょうは、熊本で起こり全国的に非常に大きな課題となった二つのテーマ、一つは赤ちゃんポストのこと、それからもう一つは、未曾有の大震災について、実際に取材制作する方の苦労などを伺うことができて、非常に意を強くした。
赤ちゃんポストについて言えば、開設前からずっと寄り添って取材がなされてきたという真摯な対応に、感銘を受けている。外側からではなく、当事者、子どもを預けた母親、あるいは、実際に預けられて大きくなった子どもという当事者の声を、できるだけそのまま放送したいという、その努力についてよくわかった。後半の震災の話も、報道する立場の良心を感じた。放送関係者が葛藤を感じながら自律していく、自分たちを律していくという気持ちがあらわれた話だと思って聞いていた。私は、委員長としての日も浅くBPOの精神を語れるほどの立場ではないのだが、やはり自律の主体はみなさんであり、BPOというのは、放送人の誇りと緊張、放送の自由を下支えする、サポートする、そういう立場の機関だということをわかっていただけたらと思う。

以上