放送人権委員会

放送人権委員会

2018年9月27日

新潟で県単位意見交換会

放送人権委員会の県単位意見交換会が9月27日に新潟市で行われ、放送人権委員会から奥武則委員長、曽我部真裕委員長代行、廣田智子委員が、新潟県内の民放6局とNHK新潟放送局から34名が参加して、2時間にわたって行われた。
意見交換会では、まず奥武則委員長から「放送の現場の方々の意見を直接聞いて、有意義な意見交換を行いたい」と挨拶した上で、「事件報道と人権」と題して講演し、それを基に参加者と意見を交わした。
後半では、5月に新潟で起きた「女児殺害事件」をめぐる人権上の課題や取材上の問題などについて取り上げた。事件の状況が、まだ完全には収束しておらず、取材、報道が続いていることなどに配慮し、委員長の判断で放送局側の具体的な発言は公表しないこととした。参加者からは、率直な意見や報告がなされ、活発な意見交換となった。
概要は、以下のとおり。

◆ 奥委員長

「事件報道と人権」ということを考えてみたいのですが、報道の現場、放送局のレベルで考えれば、この人権というのは、具体的には、名誉毀損、あるいはプライバシー侵害、肖像権の侵害ということになろうかと思います。
私は、事件報道は人を傷つけるといつも言っているのですけれども、衛生無害な事件報道はあり得ない。たとえば、あるストーカー事件を考えてみると、Aさんがストーカー行為して捕まった。これが新聞・テレビで報道されると、もちろん、加害者のAさんは、社会的評価を著しく落とします。被害者も、どこか隙があったのではないかとか、そういう形で言われかねない。家族も、ひどいお父さんだと世間から指弾される。いろんな人を傷つける面を事件報道は持っています。
では、こうした人権を考えたら、メディアはこの事件を報道するべきではないのか、しなければ人権侵害は起きない。でも、そう言うわけにはいかない。人権という重い重い問題がある一方で、公共性とか公益性、真実性、真実相当性ということを踏まえて報道する。そこに報道の自由というものがある。つまり、報道の自由と人権をはかりにかけて、どっちが重いかという話になるわけです。
そうした中で、報道の自由というのは、非常に重要な民主主義社会を守る基本的な自由として認められているわけです。「難問としての事件報道」というのは、そんな簡単に答えはないという話なんですね。我々、いつも、人権委員会でいろんな議論をしますが、何か1+1=2というふうな答えは出て来ない。
さて、「事件報道に対する地方公務員からの申し立て」は、2つ事案があって、決定文の内容は微妙に違うところはありますが、基本的な構造は一緒です。地方公務員が準強制わいせつ容疑で逮捕されたというニュース報道で、申立人は事実と異なる内容で、容疑内容にないことまで容疑を認めているような印象を与え、人権侵害を受けた。さらにフェイスブックの写真を無断で使用され、権利を侵害されたという形で申し立ててきました。
決定は、放送倫理上問題ありという結論になりました。少数意見がついている決定です。どうして放送倫理上問題ありになったのか、決定の一番の骨の部分は、警察の逮捕容疑は、意識を失い、抗拒不能の状態にある女性の裸の写真を撮った。これが容疑事実で、これで逮捕した。抗拒不能というのは、要するに、抗うことが出来ない状態のことです。申立人が認めたのも、この点だけだったと。
ところがニュースは、警察の広報担当者の明確とは言い難い説明に依拠して、直接の逮捕容疑となっていない事実についてまで、真実であるとの印象を与え、申立人の名誉への配慮が充分でなく、正確性に疑いのある放送を行う結果となったということで、放送倫理上問題があるという決定になったわけです。
次に、浜名湖切断遺体事件報道、朝から夕方のニュースまで、くり返し行われて、だんだん詳しくなっていく。これは連続殺人で2つの殺人を犯したとして逮捕され、裁判が行われて、死刑判決が出たという事件です。
放送内容は、静岡県浜松市の浜名湖で切断された遺体が見つかった事件で、捜査本部は関係先の捜索を進めて、複数の車両を押収し、事件との関連を調べていますというものです。これが放送の一番根幹部分だと思います。申立人は、殺人事件に関わったかのように伝えながら、許可なく私の自宅前である私道で撮影した。捜査員が自宅に入る姿や、窓や干してあったプライバシーである布団一式を放送し、名誉や信頼を傷つけられたと申し立ててきたわけです。これに対して委員会の決定は、申立人の人権侵害、名誉毀損、プライバシー侵害はないというもので、放送倫理上の観点からも、問題があるとまでは判断しなかった。
どうしてこういう決定になったかと言うと、まず、プライバシー侵害ですが、本件放送の場合、実際問題として、申立人宅の映像は直ちに申立人宅を特定するものではない。放送では、ロングの映像を使い、表札もぼかしを入れたりしている。ベランダに干した布団とか枕は、映り込んだのであって、プライバシーとも言い難いということで、プライバシー侵害にはあたらないと結論が出ました。
そして、真実性相当性の検討です。公共性があって公益性があるニュース報道だとしても、それに真実性があるか、あるいは真実と考えた相当の理由があるかどうかということが、名誉毀損の場合、常に問題になるわけです。この申立人宅における当日の捜査活動が、浜名湖遺体切断事件の捜査の一環として行われ、申立人が容疑者から譲渡された軽自動車が押収された、こういうニュースの根幹部分は、確かに真実性が認められると判断できると思います。
問題は、「関係者」「関係先を捜索」という表現が、この真実性を失わせるかどうかということでした。このニュースが出たプロセスを考えてみると、テレビ静岡は当日の捜査活動の全体像を知っていたわけではない。リークされた情報があり、捜査本部がある警察署から出て行った捜査車両を追尾していったら、車の押収とか、一見家宅捜索らしいことが行われていたわけです。
そういう時に、「関係者」とか「関係先の捜索」という表現は適切かどうかということです。どういう言葉を使うべきか、これから報道現場で考える必要があるかもしれませんが、ニュースにおける一般的な用法として逸脱とは言えないと判断して、申立人に対する名誉毀損は成立しない、との結論になりました。
この申立人宅の映像は特ダネ映像として撮ったということだったのでしょう、最初のニュースから使っていて、午後4時台と6時台のニュースでは、2階の窓の映像も加えている。全体像が分かっていなかったということと、その場の状況を見て、申立人宅でも捜索が行われていたと考えたことには、相当性が認められると判断したわけです。
しかし、この決定には要望もついています。時間の推移と共に、申立人宅の捜索活動は、車の押収が中心だった。別のところでも捜索していて、そこの容疑者の家でも車を押収している。そういうことが分かってきていた中で、申立人宅の映像の使用は、より抑制的であるべきではなかったかということを要望しています。
最初に言いましたが、事件報道はいろんな人を傷つけてしまう。ちょっと変な言い方ですが、私は事件報道には「原罪」があるというふうに考えています。どうしたらいいのか、事件報道というのは、もちろん市民にも成熟してもらわなければ困るんですけれども、やはり送り手の方が一番問題で、熟練した職業人としての腕と情熱、そして品性を持つジャーナリスト、この存在が一番キーだろうと、私は思っています。
事件報道が、どうしても逸脱してしまうのは、犯罪についての報道なわけで、犯罪捜査をしているのは警察ですから、ニュースソースの大半は警察なわけで、警察が間違うと、報道も間違った方向に行ってしまう。松本サリン事件という第一発見者が犯人扱いにされる、ひどい事件がありました。その時、言われたことは、警察報道だけでなくて、警察情報を相対化して、情報を多角化しなければいけない。弁護士を通じて、逮捕された人の声も聞くことも出来る、そういうことをやらなければいけないと。
一方で、すごく難問なのが特ダネ至上主義です。特ダネというのは、すごく重要だと思っていますが、特ダネ至上主義からの脱却というのを、どこかでしないと。横並び意識の排除、向こうもやるから、こっちもやらなきゃという、そういうところからフライングの誤ったニュースが出ちゃうということがあります。松本サリン事件のケースを詳しく調べてみると、やはりこういうことがすごくあるんですね。
私は、道理の優先というのをいつも言っています。道理というのは、物事の正しい筋道ということだと思います。ちょっとおかしいよと思う感覚。筋が通っているかどうか。そういうことについて報道をする人間一人一人が自分の意識の中に持たなければいけないのではないかと思っています。
さて、メディアスクラムですが、報道被害が改めて大きな問題になったのは、1988年に和歌山で起きた毒物カレー事件です。本当に小さな集落に全国から大取材陣が来て、この地区に住んでいる人たちは、日常的な生活が出来なくなりました。重要なことは、1人1人、個々の新聞社なり、報道記者なりが行う行動であれば、必ずしもそれは報道被害を起こさないのだけれども、それが集団になると、過熱して報道被害を生むということです。
この問題は、また後で議論したいと思いますが、集団的過熱取材、報道被害の問題の根底には、やはり、何をどこまで取材して、何を伝えるかという問題があって、単に横並び意識というだけでなく、取材する側は一生懸命頑張って、いろんなことを伝えようとするわけで、それを、どこで留めるかという、そこが実は難問中の難問だろうと思います。

◆ 曽我部代行

放送人権委員会の決定は、委員会の決定とは別に、少数意見、その委員個人の個別の意見を書くことができる仕組みになっています。あくまで、委員個人の意見で、決定と同列に並べることはできませんが、何か考える素材にしてもらえると思っています。「事件報道に対する地方公務からの申立て」事案の決定には3名の少数意見が付いていました。
実際には、認めているのは、写真を撮ったということで、連れ込んだ、脱がせたというのは、あくまで警察の見立てであって、何か客観的な裏付けがあるのかないのか、はっきりしないという状況であったということです。しかし、放送では、それらが客観的な裏付けがあるかのような放送であった。認めているのも、全部認めている印象を与える放送になっていたということで、行き過ぎがあったという決定だったわけです。要するに、そういう厳密な区別を、ちゃんとすべきじゃないかというのが、多数意見だったわけです。
しかし、放送の事件取材の実情からすれば、それはちょっと過剰な要求であって、奥代行(当時)の少数意見は、当時の新聞も同じような報道をしていて、逮捕事実と警察の見立ては、特段区別されていない。そういうものが一般的な取材の方法なのであるから、放送倫理上、それをもって問題があるということはないのではないかという意見でした。
私も同じように思うわけですが、そうは言っても、全く何の問題もないと終わらせてしまっていいのかというと、そこには引っ掛かるものがある。この事案は、要するに20代の区役所の窓口で住民票を発行しているような人なわけです。公務員だからというので、あのように大々的に報道されましたが、公務員といっても、窓口の人なんですね。しかも職務と全然関係ないプライベートでの犯罪なわけで、それを、公務員だからということで、ああいうふうに取り上げることが、本当にどうなのか。一部の局は、自宅マンション前で中継しているとか、そういったことが本当に必要なことなのだろうか、あるべき事件報道という観点からして、望ましいことなのかとか、そういったことを考えるきっかけにしていただきたいと思って付記したというわけです。
もう一つの少数意見は、限られた時間の中で、逮捕された本人に取材することもできない中では、放送倫理上の問題ありということはできないだろうというような意見です。

◆ 【委員会決定について】

●参加者
地方公務員の事案について、私も、この原稿の書き方には、容疑と、それと付随した推測を、もう少しきちっと分けたほうがいいと思いますが、ただ、この決定について思うのは、取材の理想を記していただくのは非常にありがたいのですが、やはり、理想をもってこの倫理上問題ありという結論を出されると、はっきり言って、事件記者に、かなり萎縮効果というのが出てくると思います。
また、決定の中ではないが、裸の写真を撮られることがどうとか、あの程度の事案で中継等々といった、ニュース価値の判断に踏み込んだ発言を知り、『東京視線だな』と思いました。やはり、地方と東京とでは、ニュース価値は違いますし、会社、個人、テレビと新聞でもニュース価値は違います。そういう様々なニュース価値で大きくなったり、その日の事案によって小さくなったりすることはあるので、その辺もぜひ勘案していただければと思います。

●奥委員長
おっしゃることはよくわかる。熊本市では、公務員の犯罪が続いていたことなど、いくつかの要因で、ああいう扱いになったのだと私も思います。ただ、やはり、顔写真が何度も出てきたり、住んでいたマンションとかが出てきたりして、どこかで踏みとどまる可能性はあったのだろうという考え方もあるわけです。
事件報道で言うと、ずいぶん難しくなってきました。しかし、難しくなってきた中で、やはり取材する側が、いろいろ知恵を働かせてやることしかないのだろうと思っています。

●曽我部代行
事件報道のあり方は、時代によって相当変わってきている。今の現実のあり方がずっと永久不変なわけではなくて、常によりよいものに向けて考えていく、そういうくり返しで変化してきたところがある。そういう、これからの発展に向けて、1つの外野からの意見だと受け止めてもらいたい。

●廣田委員
私は、この審理のときにはおりませんでした。ただ、1つの事案で3つも少数意見が付いていて、少数意見を書いた委員に弁護士がいないことに関して、ああ、弁護士的発想だと多数意見の方になるだろうなと思いました。なぜなら、弁護士が裁判をする時に、法規範というのがあって、今、現にこうだから、それでいいというだけではなくて、そこに望まれるものも、その規範の中にあって、その望まれるレベルというのも問題になるわけです。裁判だと、求められるものというのをいつも思い描いてやって行くので、何かそういう違いがあったのかなあと感じました。自分としては、今の議論も非常に参考になりました。(今後)弁護士としての目だけではなく、いろんな角度から考えたいと思いました。

●参加者
若い頃から事件の取材をしてきて、これで放送倫理上問題ありとされると、本当に現場の記者が委縮してしまうことが心配です。警察の発表した事案に基づいて、疑いありという逮捕容疑を伝えるとともに、現場では、その拠り所となるさまざまな情報を取りに行くわけです。今回の場合は、それが混同したところが問題かと思いますが、これが倫理上問題ありとされたことによって、記者のその取材して行く姿勢というか、そこが萎縮してしまうことが心配だという現場の率直な感想です。

●参加者
報道部でデスクをしています。この感じの事件の内容で、顔写真をフェイスブックから取り報道引用で使うとか、自宅前で中継をするとか、そういうことをするかと言われると、ちょっと疑問点はあります。ただ、この原稿の書き方は、その容疑事実と、それから警察取材に基づく内容を報じているという意味において、そんなに問題がある放送内容なのかなと思います。
映像(自宅)は、現場という意味合いで、そこを撮ったのかなと思うし、映像にモザイクをかけて一定の配慮をしようとしている様子も見られます。それに、写真を使う、使わないは、その社のニュースに対する判断に基づいて決まってくるのではないでしょうか。

●奥委員長
委員会の中でも、ニュースの書き方の問題について議論がありました。この時に、警察広報は、抗拒不能の状態の女性の裸の写真を撮ったという容疑事実だけでした。本人は、それは認めていた。だから容疑事実と、そうではない副署長の説明というのを、はっきりとわかるような書き方をしたらよかったのではないかという意見がありました。私も、そうしたほうがよかったし、そうすると、あるいは放送倫理上問題ありというところまで行かなかったのかもしれません。そういう意見があったということを紹介させていただきます。
放送ニュースの原稿というのは、新聞記事と違ってなかなか書きにくいんです。最初にサマリーをパッと言って、それでという話になるから。ですが、そういう点についてもやはり、これから現場でいろいろ工夫して行くことが必要なのだろうと思います。

●曽我部代行
今回、フェイスブックから被疑者の写真を使っています。著作権法上は、報道引用で正当な利用ということにはなっていますけど。著作権とは別に、固有の問題があるだろうと、今後、ご注意いただきたいということも決定に書いています。
フェイスブックの写真というのは、単独で写真だけ存在するわけではなくて、本人のさまざまな日常的な書き込み、そして友人関係というのも全部紐付いて、アカウントにあるわけです。そこに、「フェイスブックより」と表示することは、著作権法上必要な引用元の出典の表示なわけですが、それを観た視聴者は、フェイスブックを見に行って、いろんな日常的な書き込みとか、友人関係とか、芋づる式に知ってしまうことになり、必要以上にプライバシーが拡散してしまうリスクが同時にあるということです。ルール上使ってはいけないということではないですが、そういう特殊性があることを留意する必要があるということを付言しています。

***

●司会
ここからは、地元に即した事案ということで、5月に新潟で起きた、痛ましい女児殺害事件報道をめぐる人権上の課題や、取材上の問題について意見交換をして行きたいと思います。この問題には、BPOにも全国から大変多くの視聴者意見が届きました。
きょうは、参加者の具体的な発言は非公表とします。まず、委員に伺います。

●曽我部代行
新聞通信調査会が、毎年メディアに関する全国世論調査という、NHK、新聞、民放テレビ、インターネット、雑誌に区分してメディアの信頼度について聞いています。10年ぐらい前は、民放テレビは、65パーセントぐらいが信頼していて、それが、直近だと59.2パーセント、少しずつ下がる傾向にあります。NHKは7割ぐらいです。
今回の視聴者意見でいろいろ書かれていることは、この信頼度ということに非常に関わると思います。この視聴者意見を寄せた方々におけるメディアの信頼度というのは、著しく下がっていると思います。今では、インターネットで、事件現場等での取材者の振る舞いが、あっという間に知れ渡り、それがメディアの信頼度に及ぼす影響は非常に大きいと思います。その意味で、テレビ界全体として重く受け止める必要があると思います。
このメディアスクラムの問題は、非常に難しくて、1社1社が節度を持ってやっていても、皆が一遍に来るとメディアスクラムだと言われてしまう。1社では防ぎようがない問題で、テレビ界だけでなく、新聞、週刊誌も含めた報道界全体として取り組みが必要ではないかと思います。
メディアスクラムの防止については、民放連、新聞協会、いろいろ取り決め等はありますが、こういうものは、常にメンテナンスしないと、ただの取り決めになってしまう。ですので、常にいろいろな形で、たとえばある事案が起きた時に、ちゃんと皆さんで振り返りを行うとか、メディアスクラムを防止する仕組みというものをメンテナンスして行く。
それから、事案が何かあったとして、その反省を踏まえてよりよくして行くためにはどうしたらいいのかということを、折りに触れて考えていくことだと思います。全メディアを通じて行うべき取り組みだと思いますが、地元局の皆さん方としては、その地元単位でそういう取り組みをしていただくというのが、まずはできることではないかと思います。

●廣田委員
私からは、弁護士会の議論を紹介したいと思います。今、弁護士会で報道に関して問題になるのは、圧倒的に被害者報道です。これは、相模原の事件、座間の事件とあって、単刀直入に言えば、匿名か、実名かということで、弁護士間でも非常に意見が分かれます。
報道の方たちは、被害者を実名で報道することについて、いろんな根拠を話してくれます。凄惨な犯罪によって、1人の生身の人間がこの世からいなくなったことをきちんと知らせる。実名で報道することで、制度が変わったり、いろんな犯罪の防止にも繋がるとか、共感を得るためとかお聞きしますが、BPOに寄せられた視聴者意見を見てみると、視聴者にはそのようには伝わっていない。報道の方が言う、実名で報道する意味というのが、今、視聴者、国民に届きにくくなっているのかなと思ったのです。ただ、視聴者意見の中には、見たくないとかありますが、見たいものだけを見ていればいいわけではないし、喜ばれるものだけを放送すればいいというものでは絶対なくて、目を背けたいものでも見てもらわなければいけないし、見てもらおうと思って放送されているのだと思います。
では、どういうふうにすればいいのか。弁護士会で話した時に出てきたことが2つあります。1つは、実名にする時期です。事件の中身がまだよくわからないような状態から、座間事件で言えば、性的被害や、自殺願望があったとか、なかったとか、わからないような状態の時に実名にする意味があるのか。少しの時間を置いて、取材をして、その結果として実名で報道してもいいのではないかという点。もう1つは、なぜ実名なのかを説明できないか。座間事件では、新聞社の中で、実名にした理由、考え、至った経緯、悩みのようなことを紙面で書いた新聞があり、そのように、なぜ実名で報道するのかを説明することはできないかというのが、弁護士会の議論で出ています。
プライバシー侵害となることを防ぐためにも、その映像は何のために撮るのか、何のために実名にするのかを考えていただき、できれば説明していただけたら、視聴者や国民も、「ああ、そうなんだ」というふうになるのかなと思います。報道の現場とは全然違う弁護士会での議論ですが、そのような議論がされています。
弁護士会での話をご紹介しましたが、BPOでの個別の、例えば、実名・匿名が問題になったような事案が来た時には、その放送の中でどうかということであって、弁護士会がどうだからということではありません。それに、私自身の意見が、弁護士会の意見と同じというわけでもないので、誤解がないようにお伝えします。

***

こうした委員からの意見を受けて、各局参加者から発言があった。
メディアスクラムについては、極めて狭い地域の中に多くの取材要素が集まっていたこと、東京キー局から局ごとではなく番組ごとに取材が押しかけたこと、IT時代の今、中継車がなくても中継が簡便にできる状況にあることなど、それらが原因の一端にあったのではないかといった報告や、今後も技術革新によってメディアスクラムのようなことが誘発される危険性があるとの指摘もあった。また、関係各方面への取材のあり方については、地元局として自制的な行動をとろうという判断があった一方で、他局との競争、系列局との関係など、困難な対応に直面したといった現場の苦労も示された。そして、実名・匿名扱いを巡る問題では、早い段階から問題意識を持っていたが、その時点で警察広報に判断の根拠となる情報が示されなかったことなど、判断する上での苦悩が語られた。そして会場からは、「よく言われるような、思考停止状態であったようなことは決してなかった」などと、現場の記者が疲弊する中、葛藤しながら取材し、報道をしていた状況を振り返る発言が続いた。
こうした参加者との意見交換を受けて、最後に奥委員長が次のように締めくくった。
「今日、話を聞いていて、匿名・実名にしても、被害者遺族の取材についても、1人1人の取材記者、デスク、そういう方々が非常に悩まれて、悩んだ末に1つの結論を出している。そういう状況がよくわかって、ある意味で、変な言い方ですが、心強く思いました。
この問題、私は、いつも難問だとか、事件報道の原罪だとかと言うのですが、どこかに正しい答があるわけではない。日々起こる事件というのは、1つ1つケースが違うわけで、今回のケースで言えば、非常に特異な事件ではあったわけです。そういう時に、どういう報道が正しいか、正解はないと思います。悩まれて匿名にしたり、実名にしたりするという、そういう作業を積み重ねていくことによって、どうにか、何となく、上手くなるんだろうと思います。これからも、現場にいる方、デスクの方、悩んでいくことになると思いますが、そこは、ある意味で、こういう仕事を選んだ誇りを持って悩んでいただきたいというふうに思います。
今日は、皆さんに現場からの率直な意見を聞かせていただいて、我々3人も大変勉強になりました。お忙しいところ遅くまで、どうも本当にありがとうございました。」

以上