青少年委員会 「意見交換会」(静岡地区)の概要
◆概要◆
青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、10月24日、14時から17時、静岡地区の放送局とBPOとの相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、意見交換会を開催しました。静岡地区では、初めての開催でした。
BPOからは、汐見稔幸 青少年委員会委員長、最相葉月 副委員長、稲増龍夫 委員、大平健 委員、菅原ますみ 委員、中橋雄 委員、緑川由香 委員と濱田純一 理事長が参加しました。放送局からは、NHK、静岡放送、テレビ静岡、静岡朝日テレビ、静岡第一テレビ、静岡エフエム放送の各連絡責任者、編成、制作、報道・情報番組担当者など21人が参加しました。
【BPOとは何か】
冒頭、濱田理事長が、「BPOとは何か~とりわけ、青少年委員会の役割~」というテーマで講演をしました。その内容は、以下の通りです。
(濱田理事長)
「BPOとは何かと捉えようとすると、これは『放送倫理・番組向上機構』という組織・団体であることは間違いないが、組織というイメージだけで捉えているとその意義がなかなか見えてこない。BPOは、組織であるだけでなく、システム、仕組みであり、あるいは思想、つまり社会を作っている基本的な考え方、そういうものを含んだ概念だ、と考えている。そのことを具体的に話していきたい。
BPOは、自主規制機関なのか、それとも第三者機関なのか、とよく問われる。私は、BPOは、第三者の支援を得て自律を行う仕組みだと理解している。つまり、放送事業者あるいは放送に関係している皆さんが、第三者(各委員会)の支援を得て、自らを律していく、あるいは自由を確かなものにしていく、そういう構造を取っているのがBPOだと考えている。したがって、大切なのは放送界の自律が機能することであり、BPOの各委員会が第三者として判断をすれば、それで終わりということではない。その判断について皆さんと議論することがとても大事である。各委員会の活動と放送局の自律とがお互いに絡み合いながら動いていくことが、このBPOという仕組みにとってはとても大切なことである。
委員会は、決定や見解等を出すが、それは放送局にとって、勝った負けたということではない。むしろ、決定や見解とともに示されている考え方、その中に、何を番組作りの際に心がけることが必要なのか考えていくためのきっかけとなるメッセージが含まれている。それを読み取ってもらうことが重要である。
また、これはやってはいけない、これはやってもよいというガイドラインを作ってもらったほうが実際に番組作りをする現場にとっては楽だ、という意見が出ることもあるが、そのような『べからず集』でマニュアル人間を作ることは、一番望ましくないことだと思う。マニュアル人間になることは、ジャーナリズムのあり方の基本に反することである。表現をするというのは、右から左へ情報を流す行為ではなく、自分の人格をその表現にかける行為なので、そこでマニュアルになってしまってはどうしようもない、と思う。
次に、とりわけ青少年委員会について触れておきたい。青少年委員会は、青少年に対する放送や番組のあり方に関する視聴者からの意見などを基に審議している。また、青少年が視聴する番組の向上に資する調査研究、あるいは良質な番組の視聴・講評などを行っているのも特徴である。このようにして、青少年委員会は、視聴者と放送局を結ぶ『回路』の役割を担っている。
青少年委員会のスタンスを話すと、例えばバラエティー番組については、ああいうものはとにかく俗悪だという視聴者も間違いなくいるが、青少年委員会は、『バラエティー番組は時に放送の限界に挑戦し、新たな笑いの文化を生み、視聴者の心を解放し活力を与えるという大きな働きがある』と述べている。また、『下ネタも時と場合によっては見るものを開放的にし、豊かな笑いをもたらす』、『社会を風刺する毒のある表現が、視聴者の憂さ晴らしになることもある』とも言っており、『こうした番組作りのために民放連の放送基準を杓子定規にあてはめるつもりはない。それは本来、なんでもありのバラエティー番組の委縮につながりかねない』と、バラエティー番組についての基本的なスタンスを述べている。また、青少年委員会が個々の番組について、問題がある、課題が残っていることを指摘する際の言葉にも注意してほしい。つまり、委員会がこれはだめ、あれはだめだけで切り捨てるのではなく、まずは放送現場の皆さんにきちんと考えてほしいというメッセージをつねに出している。想像力を働かせてほしい、あるいは議論の俎上に載せてほしい、どのような意図で放送することにしたのか、はっきり考えておいてほしい。そういう放送に携わる者の自覚を促すメッセージを出していることに注意してもらいたい。
青少年委員会の委員長は、次のようなことを話しておられる。『青少年委員会は、青少年に番組が与える影響をできるだけポジティブなものとするために、局側が気づかない視点を提示したり、安易に番組を作成したため結果として逆の効果を生んでいる等の問題を指摘したりして、それを克服するための方策を探ってもらうこと、青少年たちがよい番組として認知しているものや理由を伝え参考にしてもらうこと等、結果として青少年によい影響を与え得る番組の制作、番組向上への気運を高めることを大事なミッションとしています。そのため、番組内容、制作過程等について局側と率直な意見交換をすることが重要な手法となると考えています。』これがまさに今日の意見交換会の趣旨である。
こうしたBPOの仕組みがきちんと動いていくことは、これからの社会において、放送に限らず、あらゆる場面で、自由と自律がバランスよく機能していくという社会作りにもかかわっている、と私は思っている。」
【青少年が関わる事件・事故の報道について】
意見交換会第1部のテーマは、「青少年が関わる事件・事故の報道について」でした。
最初に、最相副委員長から、子どもが関係する事件・事故の報道について、これまで青少年委員会が出してきた4つの「提言」「要望」「委員長コメント」について次のような説明がありました。
(最相副委員長)
「私たちの活動の、まず一丁目一番地は、視聴者意見である。その質と量に応じて、これは議論しなくてはいけない、何らかの見解を出さなければいけないなどを討論している。今回のメーンテーマである青少年が関わる事件、事故の報道については、これまで青少年委員会は4つの見解などを出している。
まず1つ目は、『衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮についての提言』(2002年3月15日)である。これは、アメリカの同時多発テロでアメリカABCが、早い時期にビルに飛行機が激突するシーンの放送を取りやめたことが一つのきっかけであった。PTSDという言葉がクローズアップされ、悪夢を見る、感情が麻痺してしまうなどさまざまな症状が子どもたちに起きたことが背景にあった。また、日本でも、大阪の附属池田小学校での児童殺傷事件でメディアスクラムに近いことが起き、被害者のプライバシー、人権、遺族感情と報道の自由とのバランスが深刻な問題になったという背景がある。その提言の要点は、
- (1) 子どもへの影響が大きいことに配慮し、刺激的な映像の使用に関してはいたずらに不安をあおらないように慎重に取り扱う。特に子どもが関係する事件については慎重に扱ってほしい。
- (2) 子どもは理解が不十分なため映像からインパクトを受けやすい点に留意。特に繰り返し効果の影響に配慮してほしい。
- (3) 日常的に子どもにもわかるニュース解説をしていただきたい。
- (4) 子どもに配慮した特別番組作りの研究、検討、心のケアについて保護者を支援する番組を組めるよう、日頃から専門家チームと連携してほしい。
の4点であった。
2つ目の要望は、『児童殺傷事件等の報道についての要望』(2005年12月19日)である。これは、栃木で小学生が非常に残忍な殺され方をした事件を受けて、もう一度、事件報道について留意していただきたいということで要望を出したという経緯がある。ここでは、留意してほしい点として、
- (1) 殺傷方法等の詳細な報道がどこまで許されるものなのか。例えば、衣類を身に着けていない、胸に10か所ほどの刺し傷がある、遺体が切断されていたなどの表現はどのように報道すればよいか、個別ケースにおいて検討してもらいたい。
- (2) 被害児童の家族・友人に対する取材については配慮が必要である。
- (3) 被害児童及び未成年の被疑者が書いた文章等をどのように出すか、慎重な扱いが必要である。
の3点を挙げている。
3つ目の要望は、『子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望』(2012年3月2日)である。これは、東日本大震災の翌年に出たものだが、1年経った報道で、地震発生時と同じような津波の映像が出るだろうということを事前に留意して、このようなお願いを出した。そのポイントは、
- (1) 映像がもたらすストレスへの注意喚起。
- (2) 注意喚起は震災ストレスの知識を保護者たちが共有できるように、わかりやすく丁寧にお願いしたい。
- (3) 特にスポットでの映像使用については十分な配慮をお願いしたい。
の3点であった。
4つ目の委員長コメントは、『ネット情報の取り扱いに関する委員長コメント』(2015年4月28日)である。これは、あるバラエティー番組で、自分の身近に起こった事件映像などを自由に投稿できるアメリカのサイトからあまり厳選せずにそのまま放送したことで、視聴者意見が大量に来たことがきっかけであった。ネットユーザーの注目を浴びたいということで過激化していく動画がたくさんネットにあふれているが、それをSNSから安易にとってきて、放送することに対してどう考えるか、という点で、3点を指摘している。
- (1) 最前線の事実を伝えたいという発信者の想い。つまり悲惨でもそれが世界の現実だからという想いで発信者はネットに公開している。
- (2) ネット情報の利用は増えるだろう。
- (3) 公共的な責任を負う放送局の独自性と責任はどこにあると考えるべきか、自問自答を繰り返す必要がある。」
【静岡での具体的な事例について意見交換】
次に、参加者から、実際に青少年が絡む事件・事故での報道の際、困ったこと、悩んだこと、それにどのように対応したか、具体的な事例を報告してもらい、意見交換をしました。
まず、今年9月、静岡市の住宅で男子高校生が一緒に住んでいる父親をナイフで刺して殺害した事件の報道について各局の参加者から次のような報告がありました。
(放送局)
「警察がなかなか情報を出してくれない状況の中、加害少年の人となりを取材するため、近所の少年などいろいろな人にインタビューしたが、具体的な部活動の名前を出すと少年の特定につながってしまう。いかに特定されないようにその人となりを伝えるかに悩んだ。また、父親についても、どういう仕事をしていたかを出すと特定につながる可能性がある。同僚の人へのインタビューの内容にも注意した。」
「事件の背景に何があったのか迫りたいし、確認したいが、伝えてしまうとどんどん特定につながる。わからせないように伝えることは非常に難しいと実感した。事件現場もここだとわかってしまわないように、画面のサイズや映り込みに注意して編集したが、最初の編集後、大きな画面で確認すると電柱に特定できる情報が映っていた。編集を3回4回やり直して、映像を差し替えたり、特定につながる部分を省いて放送した。」
「疑いの少年の特定につながらない取材手法という点では、映像だけではない。学校自体は特定できたが、その学校に接触していいのかは悩んだ。学区周辺で取材している社もあったと聞いているが、取材姿勢についても、もろもろ問われた事件であった。」
「最初は、事情が全く分からなかったが、事件2日目くらいに、少年がゲームをしていたのを止められて殺したという情報が入ってきた。本当の事情は分からないが、その簡単な言葉が躍った。ゲームを止められて殺した、という安易な形で少年事件が起こるのが理解できず、もうちょっと何かないかと取材したかったが、難しかった。」
(稲増委員)
これに対し、稲増委員からは、「少年が特定されない報道がされている一方、ネットではどんどん実名などが出ている状況についてはどう思うか。」という質問が出されました。
(放送局)
これについて、参加者からは、「たとえば、誘拐事件が起こって、自分たちが報道協定を一生懸命守っても、ネット上には情報が出てしまうかもしれない。本当に悩ましい問題で、どうしたらいいのか頭を抱えている状態である」と報道現場の実情が示されました。
(大平委員)
また、大平委員からは、「ゲームで親を殺して終わり、というのが納得いかない、これはとても大事なことである。理解したい、腑に落ちないというところが取材の原動力だと思う。ゲームというのは表の理由だけで、その背景に父親と息子、あるいは周りの家族などのどろどろした事情があったと思う。しかし、知りたいことはとことん知っていいが、ニュースとして出すときは、全部は出してはいけない。それが報道のエレガントさを保つ一番重要なところだと思う」という意見が出されました。
次に、今年10月、伊東市で4歳の男の子が遊びに来て、親がバーベキューの用意をしているうちに行方不明になり、2日間、山中をさまよった末、無事発見されるという事件の報道について各局の参加者から報告がありました。
(放送局)
「警察も現に行方不明になったということで子どもの氏名も公表したので、氏名を出して報道するべきだろうと判断がついたが、顔写真を載せるかどうか、非常に悩んだ。すぐに無事見つかったとしたら、顔写真を出すことによって、後々トラウマになってしまうような悪影響が残らないか悩んだ。逆に、捜している人に子どもの顔を広く知らしめるという点では意味があると思った。結局、写真を使うことは見送った」
「顔写真を使用する、使用しないについて若干迷いがなかったわけではないが、私たちの局は使用した。その理由は、放送を見た人が、あっ、この子だとなれば、発見の助けができるということと、こんなにいたいけな少年が行方不明になっているのだ、ということはニュースとして伝えるべき要素だと思ったことである。むしろ、議論になったのは、匿名・実名の切り替えであったが、割と短い間で無事見つかったということもあり、発見後も実名のままで報道した。また、数日後、消防団の人が地元の警察から感謝状が贈られたのを伝える際、その男の子が病院を出ていくときの映像を使ってよいかどうか、議論した。地上波の放送といえどもインターネットに画像が残るかもしれない、ということに迷いは感じたが、結果的にワンショットで顔が映る映像ではなかったため使用した。以前だったらあまり心配しなくてもいいことも、日々立ち止まりながら考えなければいけないことを実感している。」
(菅原委員)
これに対し、菅原委員からは、「インターネットに残ってしまうこととクロスして本当に難しい状況だと思う。視聴者としては、何が原因でその子がいなくなってしまったのか、知りたいと思う。それが本当に大したことのない原因で迷ってしまったのであれば、本人が発見されても実名でも問題ないと思う。しかし、今回は違うが、背景に障害や虐待など複雑なものがあった場合は、それが残ってしまうことはいけないだろう。難しい判断だと思う。」という意見が出されました。
(中橋委員)
中橋委員からは、「さまざまな難しい判断があったと思うが、特に子どものその後の人生というところが、非常に重要になってくるだろう。実際、事実関係がまだよくわからない段階では、それに関わるかどうかの判断が難しいところだと思う。その段階で、実名、顔写真を出していいかどうかは、ケース・バイ・ケースで考えていく必要がある。顔写真は、出してほしい人もいるのではないかと思って出してしまうと、逆に出してほしくなかった人が出てくる。写真を入手した記者とチェックする人との関係性がとても大事だと思う。」という意見が出されました。
(緑川委員)
緑川委員からは、「警察が捜していて写真も公表しているという点が、顔写真を掲載した社の判断を後押しした部分があったのではないかと思う。警察の捜索と公表がなければ、顔写真の掲載という判断をすることは難しかったのでないか。顔写真を出しても捜したいと思っているのは誰か、親権者の意向はどうか、そのあたりの事情も踏まえて判断することも大切だと思う。また、今は、テレビで放送されたものが、ネット上に残ってしまうことが一般的に認知されている。テレビ局として顔写真を出すときには、意図しなくても、二次的にネット上で利用されていくかもしれないということを予見できる状況になってきたと思われる。このような新たな事情も踏まえて、顔写真の使用、匿名か実名かなどを判断していくことが求められるのではないか。」という意見が出されました。
次に、静岡市の夫婦が死亡した東名高速道路での追突事故で、今年10月、悪質運転をしていた男が逮捕されたニュースの報道について、参加局から次のような報告がありました。
(放送局)
「東京の局から、遺族が静岡に住んでいるようなので当たってくれないか、という依頼が来たが、車に同乗していた姉妹の取材はできなかった。それは、親族にコンタクトが取れてインタビューしたが、そこで、姉妹は精神的にまいっているので、取材を受けられる状態ではない、勘弁してほしいと言われたからである。しかし、その後、たくさんの取材陣がその姉妹のもとを訪れて、事故の前、ラインで助けてくれというやり取りをしていたことなどが明らかになるにつれて、私たちが最初の段階で、娘さんの取材を無理だとあきらめてしまった、という自分たちなりの判断はどうだったのか、考えている。」
「事件が公になる前、姉妹は取材を受けていたが、やはり放送されたことによって、精神的なダメージを非常に受けている、という話を聞いた。こちらとしても、そこは無理強いせず、その姉妹から話を聞いた親族の取材をさせてもらった。もちろん、記者としては、その姉妹の話を直接聞いてみたかったし、いい情報を取ってきたいと思ったが、それを放送するにあたって、姉妹の心の部分は気になった。」
(菅原委員)
これに対し、菅原委員からは、「今回の姉妹のような証言は、両親を亡くされて心理的にも厳しい状況にある中、記憶がゆがんでいることもあるし、いろいろな点で不確かなこともある。『こう言った』ということが残っていくのは、場合によっては後に姉妹を追いつめることになったりする。基本的に姉妹のインタビューを控えたのは、正しい判断だったと思う。」という発言がありました。
【青少年関連の事件・事故報道に対する視聴者意見について意見交換】
意見交換会第2部では、2016年~2017年にBPOに寄せられた青少年に関する事件・事故の報道に対する視聴者意見について意見交換をしました。
まず、「ある少年事件で、亡くなった被害者の顔写真が報じられた。加害者の顔写真や名前は明らかにされないのに、被害者だけのプライバシーがさらされるのはいかがなものか。被害者の情報が保護されないことはおかしい」という視聴者意見について議論しました。これに類する視聴者意見は少年事件の報道のたびに、しばしば寄せられています。
これについて、参加者からは、次のような意見が出されました。
(放送局)
「加害者が少年で、被害者も少年という事件が静岡で起こったとしたら、間違いなく、記者に対して亡くなった被害者の少年の顔写真を探せと指示を出していると思う。加害者は少年法に守られ、被害者は顔写真も出して報道されるというのは、矛盾しているとは思うが、顔が見えて、その事件の悲惨さが伝わってくる。警察の外観だけでは伝わりにくいのではないか。川崎市の河川敷で少年が、遊び仲間らに殺害された事件があったが、少年は、島根県から川崎に出てきたばかりだった。島根の頃の写真には、さわやかで屈託のない笑顔があった。顔写真を出すことによって事件の背景を伝える意味もあったと思う。一方、被害者のプライバシーをどこまで放送するかという点では、これは必要、これは必要ではないということを判断し、その事件に応じて必要最小限にするべきだということは、常に頭に入れている。」
「テレビでは、撮りきりと言って、画面全体に顔写真を出す場合と小さく画面のすみに顔写真を出すという表現の手法がある。やはり全面を使ったほうが、インパクトは強いが、私たちの社は、比較的、小さいサイズで写真を出すことが多いと思う。ケース・バイ・ケースで、誰かは満足しながら、誰かは不満を感じながらやっているという感じである。」
(最相副委員長)
これに対し、最相副委員長からは、「顔写真ではないが、先の川崎市の河川敷の事件では、視聴者としては、被害少年がどういう少年だったのか、川崎でどんな変節をとげたのか、その友達はどんな子どもで、どんな生活をしていたのか、知りたいと思う。しかし、表面的な部分だけではなく、その生い立ちをめぐって知りたいということと、そのプライバシー、個人情報に深くかかわるというところでは、現場では激しいせめぎあいがあったと聞いている。」という意見が出されました。
(緑川委員)
また、弁護士の緑川委員からは、少年法について、次のような説明がありました。
「少年加害者は少年法でプライバシーが守られるが、被害者は守られていない、それがアンバランスという議論の立て方に、個人的には違和感を持っている。成人であっても少年であっても、被疑者をどう報道するか、実名を出すのか顔写真を出すのか、また、被害者について実名を出すのか顔写真を出すのか、生い立ちなどプライベートな情報をどこまで報道をするかは、報道する側として、個別の事件ごとに個別の判断で考えてほしい。
少年法61条は、家庭裁判所の審判に付された少年、または少年の時に犯した罪により公訴を提起されたものについては、氏名、年齢、職業、住所、容貌などにより、その者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事、写真、新聞紙、その他出版物は掲載してはならない、と規定している。
少年法61条に関する判例として、いわゆる「堺市通り魔事件」がある。これは、ある雑誌が加害少年を実名で報道し、顔写真も掲載したことに対して、加害少年側が出版社側を訴えた裁判である。大阪高裁は、少年法61条は、可塑性のある少年の将来のため、プライバシーを保護して改善更生を阻害しないという公益性と、その被疑者が報道されないことが再犯防止に効果的という刑事政策的配慮によるもので、少年に対して実名で報道されない権利を付与しているとは解されないし、少年法61条違反に罰則が規定されていないことに鑑みると、表現の自由との関係において、少年法61条が当然に優先するとも解されないと判断した。そして、少年法61条は、できるだけ社会の自主規制に委ねたものであって、伝える側には、少年法61条の趣旨を尊重して、良心と良識をもった自己抑制が求められているとともに、受け手側にも、本条の趣旨に反する表現に対して厳しい批判が求められるべきという判断を示した。その上で、当該事件については、社会的に重大な犯罪であって、その報道の仕方が相当性をもっているのであれば、実名を報道したことで、直ちに違法性が認められるものではないとして、出版社側の当該表現行為に違法性は認められないとした。この事件は最高裁に上告されたが、その後取り下げられたため、この大阪高裁の判決が確定している。
このような重大事件の時に、何を、どのように報道すべきかは、少年法61条の趣旨を踏まえながら、報道の必要性、相当性について個別具体的にきっちり考えていかなければならない。プライバシー、名誉を侵害せずに、しかし重大事件では社会の正当な関心事ということになるので、謙抑的で適切な報道をどのようにしていくかを考える必要がある。」
次に、「小学生が殺害された事件のニュースで被害者の同級生にインタビューしていた。友人が殺害されるという強いストレス下にある子どもにインタビューすることはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の発症原因になるのではないか」「小学生の登校の列にトラックが突っ込んだ、というニュースで、被害者の児童にインタビューしていた。衝撃的な事件を思い出させて克明に伝えることは、人権侵害ではないか」など、子どもの「心」「将来」への配慮に関する視聴者意見について、議論しました。
これについて、参加者からは次のような意見が出されました。
(放送局)
「これは、難しい事案だと思う。ある程度情報を与えないと、余計な推測やデマの引き金を引くようなところもあるので、伝えられることをなるべく伝えるべきだと思う。地元の記者クラブ、記者会に対して、関係の家族から、友人や近所の取材を避けてもらいたいという要望が来て、それを幹事が受けた時点で、了解あるいは、ある程度了解ということで紳士的に取材対応を考慮するが、それを受け取ったのと時を同じくして、ネットワークのキー局の番組などが取材に入ってくると、お願いしたのになぜ取材したのか、という問題が起きることもある。」
「以前、学校の教員が出勤の時に小学生を車ではねて、死亡させてしまうという事故が起こった。先生の人柄はニュースとして必要と思い、生徒に話を聞きたいというところでデスクと相談した。その結果、取材は学校側に絞って、学校に来た子どもたちにはインタビューしないことに決めた。子どもたちの心のケアを考えると、なかなか取材も難しい。ケース・バイ・ケースでいろいろ悩む必要がでてくると思う。」
また、PTSDとは、実際どのようなものなのか、事件・事故は子どもの心にどのような影響をあたえるのか、精神科医である大平委員から次のような説明がありました。
(大平委員)
「PTSDは、ほとんど正しく理解されないで、独り歩きしている概念だと思う。PTSDとは、本来、神経症、ノイローゼになっている人の症状をずっと調べていると、本人が覚えていると称する小さいときの体験に原因があるかのように心の中ですべて症状が出来上がっていることをいう。したがって、その事実が実際に過去にあったからそれが原因である、ということとは違う。心の中で、あたかも子どものころに、そういう出来事があったかのように作られていて、そこから今の症状ができているということである。
事件の話で言うと、子どもたちは、皆が心配するほど大きな障害をこうむることはない。しかし、子どもは合理化が下手なので、一生懸命自分が不安でなくなろうとしていることが容易に破たんしやすいことはある。そのため、バックグラウンドにノイローゼ、依存症などになりそうな何かほかの背景がある場合に、それが加わって、その人の人生をゆがめてしまうことは大いにありうる。
一方、PTSDとは別に、報道の際、実名が報道されてかわいそうだ、と思われていることは肝に銘じてほしい。(一般の人は)取材が来たおかげで、不可解なことが明るみに出るだろうと期待を持って皆さんを歓迎しているわけではない。『かわいそうな人がプライバシーを暴かれた』としか思われなくなっている。この状況がPTSDという言葉とダブっているのだと思う。」
最後に、汐見委員長が今回の意見交換会について、次のように総括しました。
(汐見委員長)
「事件というのは、すべてそうだと思うが、その背景にどろどろしたものがたくさん蓄積されていて、それがどこかで噴火してしまったものがポコンと出てきたところが事件になる。その下にはマグマみたいな世界がある。たぶん皆さんも本当は、事実を知りたい、なぜこういうことが起こってしまったのか、もっとその事実を知りたいと思っているでしょう。しかし、最後まで、本当の事実はわからない。その中で、何を伝えていけばいいのかが、マスコミの一番悩むところではないか、と改めて感じた。
与えられた条件のもとでここまでは分かった。しかし、私たちはまだ本当のことがわかっているわけではない。どうしても伝えたいことを伝えるので、あとは視聴者の皆さん、判断してください。そういう形で伝えていくのが、マスコミの仕事だと思う。お願いしたいことは、わけがわからなくなっている日本の社会の中で、ぽつんとぽつんと出てくる事件から、そこにある事実をつかもうという飽くなき姿勢を是非捨てないで頑張ってほしい。
もう一つは、少年が関わる報道の難しさだが、これについては、ケース・バイ・ケースで、事件の背景から、責任はすべて負えないだろうし、これからの更生の可能性を考えた時にこういう報道は差し控えておこう、というようなことをその都度考えていくしかないと思う。
青少年委員会は、本当にいい番組をつくるためにはどうしたらいいのかという悩みを現場の皆さんと共有させてもらい、そういうことを議論し合えるような場を提供していきたいと考えている。そういう委員会だということを理解してほしい。」
以上のような活発な議論が行われ、3時間以上に及んだ意見交換会は終了しました。
【参加者の感想】
今回の意見交換会終了後、参加者からは、以下のような感想が寄せられました。
- BPOの組織・役割などについては、ある程度理解していました。しかしトップの立場の方から発せられるメッセージは、やはり重みや説得力のあるもので、仕組みであり社会哲学と言うポイントは、放送現場に立つ者が同様に感じておくべきことと肝に銘じました。
- 各社の判断基準、対応方針などについて共有する貴重な機会となった。普段、ここまで具体的かつ本音ベースで意見交換をする場を持つことはないので、そういった意味でも有意義だった。また、ともすると繁忙な業務に流されがちであるが、改めて、自分たちの報道姿勢などを立ち止まって見つめ直す、いい機会ともなった。
- 青少年問題についてはシンプルな結論・基準を示すのがなかなか難しいです。そうした中、難しさをあらためて認識できたこと、各社とも真摯に考えようとしている姿勢を感じられたことが有意義でした。我々は、誰のため何のために報道しようとしているのか、という根本から考えることが大切だと再認識させられました。
以上