放送人権委員会

放送人権委員会  決定の通知と公表の記者会見

2017年3月10日

「事件報道に対する地方公務員からの申立て」事案の通知・公表

[通知]
本事案の2つの委員会決定の通知は、3月10日にBPO会議室において行われ、委員会から坂井眞委員長、市川正司委員長代行、白波瀬佐和子委員に加え、少数意見を書いた中島徹委員が出席した。少数意見を書いた、奥武則委員長代行と曽我部真裕委員は海外出張のため欠席した。
通知は、まず午後1時からテレビ熊本に対する委員会決定第63号について、申立人と被申立人であるテレビ熊本の取締役報道編成制作局長ら3名が出席して行われた。引き続き午後2時からは、熊本県民テレビに対する委員会決定第64号について、申立人と被申立人である熊本県民テレビの取締役報道局長ら2名が出席して行われた。
それぞれの通知では、坂井委員長が委員会決定の判断のポイント部分を中心に説明し、名誉を毀損したとは判断しないが、放送倫理上問題があるとの結論を告げた。その上で、テレビ熊本、熊本県民テレビそれぞれに対して「本決定を真摯に受け止めた上で、本決定の趣旨を放送するとともに、公務員の不祥事への批判と言う社会の関心に応えようとする余り、容疑者の人権への配慮がおろそかになっていなかったかなどを局内で検討し、今後の取り組みに活かすことを期待する」との委員会決定を伝えた。
また、少数意見について、欠席した2名の委員の少数意見を坂井委員長から伝えた後、中島委員が自身の少数意見について述べた。
委員会決定の通知を受け、申立人は、「自分の主張の一部が認められたことはよかったが、人権侵害を認めてもらえず残念だ」との感想を述べた。これに対して、被申立人のテレビ熊本は、「真摯に受け止め、人権に配慮した報道に取り組んでいきたい」と述べ、熊本県民テレビは、「真摯に受け止め、指摘を受けた内容を今後の放送に活かしていきたい」と述べた。

[公表]
委員会決定の通知後、午後3時15分から千代田放送会館2階ホールにおいて記者会見を行い、決定内容を公表した。22社48名が出席し、テレビカメラはNHKが在京放送局各社の代表カメラとして会見室に入った。
参加した委員は、坂井眞委員長、市川正司委員長代行、白波瀬佐和子委員、中島徹委員の4名。少数意見を書いた奥武則委員長代行、曽我部真裕委員は、海外出張のため欠席した。
会見ではまず、坂井委員長が委員会決定第63号と第64号を続けて、それぞれの判断のポイントを中心に説明した。その要旨は、放送が示した事実のうち、逮捕の直接の容疑となった事実以外の、テレビ熊本においては4つの、熊本県民テレビにおいては3つの事実について、「真実であることの証明はできていないが、副署長の説明に基づいてこれらの点を真実と信じて放送をしたことについて、相当性が認められ、名誉毀損が成立するとはいえない。」と判断したが、しかし、真実性の証明できない事実を、本件に特殊な事情があるにもかかわらず、真実であるとして放送したことは、「申立人の名誉への配慮が十分ではなく、正確性に疑いのある放送を行う結果となったものであることから、放送倫理上問題がある。」としたというものであった。
委員長からの説明を受けて、起草を担当した市川代行、白波瀬委員から補足の説明を行った。市川代行は、「名誉毀損には当たらないとしたが、別途に、『放送と人権等権利に関する委員会(BRC)決定』や民放連の『裁判員制度下における事件報道について』の指針等に鑑みて、放送倫理上求められることを検討することは必要なことと考えた」と述べ、放送倫理上の問題として検討した背景を伝えた。また、白波瀬委員は、「何を真実とするか、現場は大変なことがあると思うが、報道される当事者がいることへの配慮と注意を払ってほしい」と付け加えた。
一方、委員会決定と意見を異にする少数意見については、欠席した奥代行、曽我部委員の少数意見の内容を坂井委員長が伝えた後、中島委員から、自らの少数意見について、「委員会決定は、警察への取材に疑問を抱き質問するべきであったと指摘しているが、それを現場に求めるのは酷な状況だった。今後確立するべき倫理を一気に確立させようというのは行き過ぎのように思う」と説明した。

この後、質疑応答に移った。主な内容は以下の通り。

<申立人、被申立人の反応について>
(質問)
決定に対する申立人と被申立人の反応はどうか。

(坂井委員長)
申立人は「自分の主張で認められた部分があることはよかったが、人権侵害がなかったというのは残念だ」と述べた。テレビ熊本は、「真摯に受け止める」、熊本県民テレビは「真摯に受け止め、今後の報道に生かしていく」と述べた。また、申立人はさらに、「(放送局が)真摯に受け止めると言うだけで終わってしまうのでは、私の失ったものの大きさと比べて納得感がない」、「放送で情報を流すのは簡単だが、流された方はそれだけで終わりではない、その後も人生が長く続く、それを意識して報道して欲しい」と述べた。

<放送原稿の表現について>
(質問)
「逮捕されたのは誰々です」その後に「逮捕容疑については認めている」という表現なら印象が変わるのか。あるいは、最後に「逮捕容疑を認めている」と書くことであれば、純粋な逮捕容疑を認めているという、全体ではないですよ、ということにはならないか。
また、原稿の「容疑を認めているということです」、記者レポートの「連れ込んだということです」と、「いうことです」というのは、警察からの伝聞だということで入れている表現で、テレビではよく使う言い回しだ。「連れ込んだと警察が説明しています」とか「と見られます」ならいいのか。
あるいは、例えば「調べに対して容疑者は『間違いありません』と逮捕容疑を認めているということです」という原稿であれば、判断は変わるのか。容疑と経緯を分けて書かないといけないというのは違和感がある。

(坂井委員長)
「逮捕容疑を認めています」とあれば必ず容疑事実に限られるとか、「ということです」を「と見られます」に言葉を1つ替えればよいのか、ということではない。番組全体を一般視聴者が見た時に、どういう印象を受けるかということが重要だ。それはダイオキシン報道についての最高裁判決が参考になる。その点は、当然、全体的な報道の仕方で変わってくる場合もある。ご質問の点について、あくまでひとつの例として挙げれば、「逮捕の容疑事実はこうで、それは被疑者は認めているけれど、警察はこういうことも疑っている」とか、犯行に至る経緯については「警察はこう言っている」というように放送していたら、だいぶ一般視聴者の受ける印象は変わるのではないか。
また、本件独自の特殊性もある。そのひとつであるが、裸の女性を無断で写真に撮ったことを被疑事実として準強制わいせつで逮捕というケースはあまりない。意識を失わせて自宅に連れ込んで、その後無断で服を脱がせたというのなら、通常はそれだけで強制わいせつになる。しかし、本件では、そのような事実は容疑事実とされておらず、無断で裸の写真を撮ったという事実だけが容疑事実とされている。警察がより悪質性の高い部分まで疑いを持つのはあり得ることだとしても、逮捕容疑はその点をのぞいたところだけに絞られていた。であれば、それはなぜかという疑問も生じ得る状況だったわけだ。しかし、本件放送全体として見た場合に、広報担当が容疑事実について「それを認めている」と説明したことについて、容疑事実に含まれておらず犯行の経緯とされていたより重い事実についてまで、それらの事実を「認めている」と理解できる放送内容になっていたところが問題なのだ。
逮捕容疑事実として事案の概要に書いてあることしか報道してはいけないと委員会が言っているわけではない。公式発表とか確定した事実以外で独自に取材をして、「これは事実だ」と思って書くことは当然あっていい。報道はそういうものだと思うが、その場合、書く側に真実性ないし相当性の立証ができなければならないから、その確信がなければいけないということだ。そうでなければ、客観的な事実として放送するのではなく、警察はこういう疑いも持っているという表現にとどめるべきだということになる。

(質問)
警察の広報は、逮捕直後に取った調書を基に各社に話すと思う。それで「認めている」と言えば、それを信じて書いてしまう。「どこまで認めているのか」と副署長に聞けば良かったということか。

(坂井委員長)
そうすればはっきり分けて書けたかもしれない。本件の取材の経過を聞くと、その点をはっきりさせないで、そのまま容疑事実以外の部分まで認めたとして放送したということだと思う。しかし本件の問題は、「どこまで認めているのか」と副署長に聞けば良かったかどうかということではない。記者の質問の内容と、それに対する広報担当の対応に行き違いがあり、それが本件のような放送内容につながったという点だ。記者に、広報連絡記載の事案の概要について「容疑事実を認めているのか」と質問され、広報担当は逮捕容疑事実を「認めています」と答えた。ところがその後のやり取りの中で、事案の概要に記載のない警察の見立てについて広報担当が述べてしまい、そのために容疑事実をはみ出た部分まで被疑者が認めていると記者は信じてしまった。そのような経緯からすると相当性は否定することまではできない、と決定は判断した。
基本的に逮捕容疑事実以外のことについて「認めていますか」とは聞かないはずだから、「認めている」というのは容疑の話になるはずだ。けれど、そのはみ出た部分の話まで広報担当が述べてしまい、それを含めて認めたと記者が信じたことからこういう問題になったのだと思う。

(質問)
視聴者がどう受け取るかということですが、警察からどう聞いたかというのを聞いた時に、果たして、分けて書く、分けて書いたら、視聴者にほんとに通じるのか、逮捕容疑と容疑を、「逮捕容疑を認めているという」と、「容疑を認めている」というのを、その2つで何か違いがそこまであるのか。

(坂井委員長)
「逮捕容疑を認めている」と「容疑を認めている」とを比べて視聴者がどう受け取るかに関し違いはないのではないかと質問されているが、決定はそういうことは述べていない。視聴者に違いが分かるように放送するべきだと述べている。そしてその違いが分かるように放送する意味はあるということだ。逮捕された容疑は何かと、警察がどういう疑いを持っているかということは、意味が違うし、警察が間違うこともある。場合によったら警察発表に疑いを持つのもメディアの役割だ。「警察が言ったから事実と信じた」というだけでは通らないと思う。この決定は、そこをちゃんと区別しましょうという決定だ。

(質問)
「薬物」に関する表現で、テレビ熊本の「疑いもあると見て、容疑者を追及する方針です」は、「疑い」と「追求する方針」という言葉が強いということだが、熊本県民テレビは「警察は容疑者が・・・薬物を使って意識を朦朧とさせた可能性も含めて」と、むしろ「容疑者が」と名前を出していて、「やった」という印象が強いのではないか。

(坂井委員長)
テレビ熊本は「容疑者が」と明示して入ってはいないが、文脈としては「容疑者が」と読める。また、明確に「追及する方針です」と書くことと「可能性も含めて調べる」とではニュアンスは大分違う。

<フェイスブックの写真使用について>
(質問)
フェイスブック等からの画像の引用について、出典の明示をした場合の、懸念される事象についての言及がなされているが、委員会では出典を明示すべきかどうかについて、まとまった意見はあるのか。

(坂井委員長)
メディアでは、「フェイスブックより」と書かれることが多いのは理解しているが、本件ではその点については触れていない。この事案では「フェイスブックより」と書いたことで、全く関係のない親族や友人が実際に迷惑をこうむったようなので、そのような問題もあるからその点は少し考えたほうがいいということを指摘した。

(質問)
最近フェイスブックの写真を使うケースが多い。このぐらいの重さの事案であれば、(使用は)おおむね大丈夫と理解していいか。

(坂井委員長)
大丈夫という言い方は出来ないが、今メディアの中でフェイスブックの写真を使っていて、フェイスブックの写真は一般的にはある程度の範囲で見られてもやむを得ないという前提で載せられている。従って「だめだ」ということにはならないが、使い方によっては、問題が起きることもある。つまり、どんなケースでもOKだということにはならない。いろいろな議論があり、この点はまだコンセンサスが出来ていないと思う。ただ、フェイスブックから写真をもってくること一般がだめという議論をしているわけではない。それはケースバイケースだろう。一般論を言えば肖像権が万能ではない。表現の自由、報道の自由という問題もある、そのバランスのとり方ということだ。

<その他・審理の経緯等について>
(質問)
示談が成立して女性が被害届を取り下げて不起訴になった背景は、どの程度考慮されたのか。事実が非常にグレーな中で、放送倫理上問題があると判断したことについて説明してほしい。

(坂井委員長)
社会的評価が下がる事実を適示して報道する以上は、報道する側が真実性、相当性の立証責任を負う。この放送で示された事実についての真実性の立証は出来ていなかったが、相当性があったということで、名誉棄損ではないと判断した。
しかし、この事案で重要な部分、裸の写真を無断で撮るという事実だけでなく、それだけでなく女の人を酒に酔わせて家に連れ込んで、意識のない女性を裸にして、写真を無断で撮ったというのでは、社会的な非難は違う。そのような重要な事実について放送する以上、その真実性や相当性を放送する側は立証しなければいけない。
そして、相当性はあるが、真実性はないという結論であるならば、そのような重要な事実について真実性の立証できない事実を放送したことについて、名誉棄損にはならないとしても、放送倫理の問題として考えるべきだということだ。

(質問)
あまり抑制的に話されても困るが、BPOとして、警察の発表の仕方に何らかの考えを伝えることはあるか。

(坂井委員長)
警察に対して何か伝えるようなことはない。

(白波瀬委員)
専門も違うし、初めての経験で、不適切かもしれないが、質疑応答をずっと聞いていて、違和感を覚える。この事案は、申立てがあって議論を積み重ねたものだ。皆さんの質問を聞くと、ほんとに身につまされる感じを受ける。ただ、この報道は、一般視聴者に対して発せられた時点で具体的な姿として出てくる。その時に、どういうかたちで報道を積み上げたかという議論をしているが、その報道の対象となった人がいる。皆さんは、どういうかたちでマニュアル化して、今後、同様の申立てが来ないようにしようかとしているのはわかるが、委員会での議論の中で、非常に感じたのは、公務員に対するバッシングという社会的背景と、連れ込んだ裸の写真というものが、非常に既成の枠組みの中で解釈されているということだ。
それは、今まで、ある意味では常識的だったことであるかもしれないが、その常識だと、こういうストーリーはあるだろうといった危険性には、どこかでブレーキをかけるべきではないかと感じた。
私は、裸の写真を撮るというのは、もしかしたら今の若い子たちにとったら、そんなに特別なことではないかもしれないし、そのこと自体がどれだけの問題があるのかっていうことも含めて、ちょっと見直し、疑問を持っても、十分良いというか、立ち止まるべき時期で、この結論は、論を尽くした結果ということだ。

(質問)
白波瀬委員にお尋ねします。今の若い女性にとっては、裸の写真を撮られるのは何でもないことではないのか、とおっしゃいましたが、被害者の話を聞かずに議論をされている中で、それはどのような見識に基づいているのでしょうか。

(白波瀬委員)
大したことではない、と言ったのは、すごく語弊があるのだが、何が起こったのかといった時に、裸の写真を撮ったということは、申立人は認めているが、連れ込んだ云々については認められないということであり、そういうことはないかもしれないというふうに私は言ったつもりだったのだが。
つまり、状況というのが出て来た時に、もちろん何の合意もなく、そういう行為をした、つまり裸の写真を強制的に撮ったとか、そういうことは、もちろん問題だとは思うのだが、状況自体で、そのストーリーを、良し悪しを最初から前提としてつけるというのは問題ではないかといった意味での例を出したつもりだ。
すいません、言葉足らずで申し訳なかったです。
つまり、そういう状況自体を想定するときに、我々もずっと年齢的には高く理解しにくいが、その場面が、今実際の場面と同じようなことが起こっていると想定することが、正しいかどうかということ自体も、疑問符がつくという意味だったのですが。

(市川代行)
白波瀬委員の発言は、審議の中で、本件のことと言うのではなく一般に、知人の女性と、一定の関係のある女性と、部屋の中で裸の写真を撮るという行為が、意外と若い方の中では、同意の上でそういう例もあるかもしれないということも指摘があったということであって、いろんな背景を想定したということだ。

(質問)
「見解」が出ると、放送倫理、あるいは番組の質の向上のために、見解の内容をどういうふうに落とし込むべきか現場では考える。その点、委員会にも理解していただきたい。判断に至った法律的な論拠みたいなものはいっぱい書いてあるが、その先、どういうふうに現場に落とし込むかという部分への道筋みたいなものが見えない。もちろんそれを考えるのは私達だということかもしれないが。

(坂井委員長)
委員会が考えていないわけではない。しかし、現場でどう落とし込むかと言う問題は、本質的には、決定の内容を受けて現場の皆さんが考えることではないか。NHKと民放連、民放各局が作ったBPOで、評議委員会によって選ばれた委員会のメンバーが、運営規則に則って判断をしている。そこでの判断は、現場がどう受け止めるのかという視点ではなくて、申立人が、申し立ての対象とした放送内容について、申立て内容との関係で、その放送はどう評価されるべきかという観点において、言わばフラットな立場で判断している。その判断の際に、現場のことを考えて判断するという姿勢で結論を出し、その結果、お手盛りなどと言われるようなことがあってはならないと思っている。
現場のことを考えていないと言われたらそれは悲しいことだが、実際問題として、ここを考えればこういう内容にできるのに、という私なりの考えはある。各地での意見交換会の機会にも、その際の題材に応じて、こういう問題なので、ここはこう考えれば問題を生じませんよということを話している。そういうことは我々の方からこうしなさいということではなくて、まずは自律的にやるべきことであろうと思う。逆に現場の方が、ここは違うのでないかという意見があれば、是非聞きたいし、委員会の側も意見を言う。そういう中で自律的に動いていくものなのだと思う。

(質問)
他の地元局、NHKも、同じような報道をしたと思うが、他局はこの正確性に欠いた細かいニュアンスの部分を上手く分けて報道したのか。他局も同様な表現があるのに、そこを審議しないのはフェアではないのでは。

(坂井委員長)
制度の問題であり、放送人権委員会は、申立てのあった放送を取り上げることしかできない。我々の側から、関連する他の放送を取り上げて、その番組に口を出すことはしてはいけないし、できない。
本件でも、かなりの時間をかけて議論をする中で、こういう問題があるということで決定の結論に収束をしていった。3つの少数意見も、問題があるとまでは言わないが、決して現状でいいと言っているわけではない。逆に、放送倫理上問題があるとは言えないが、こういうことは問題だと、さらに補足をしている。9人の委員が議論を続けて、この結論になったとしか申し上げられない。
この事案に関して言えば、放送によって申立人がどういう状況に陥ったかを考える視点は必要だろう。放送はその時だけのことだが、放送された影響を受けて、申立人の人生はずっと続いていくという重さがある。そのような放送の持つ重みという意識も必要で、決定の結論の背景として指摘しておきたい。

(市川代行)
テレビ熊本も熊本県民テレビも、警察の発表に依拠して報道しており、真実と信じたことについて相当性があると考えて、報道は認められるべきだとの立場であろうが、本件は、警察の情報に依拠する中で、どういう点に気を付けるべきなのかというのが中心的な論点ではないか。
また、決定の「はじめに」で、この2局だけが直面した問題ではないだろうと書いた。通常の取材過程の中で発生し得る問題だという問題意識は、我々も触れていている。申立てを受けていないものについて委員会が判断するわけにはいかないが、決定がいろいろな現場に与える影響、現場の受け止め方も考えている。おそらく各委員も、同じ思いで、どういうグラデーションでいくのかと議論し、その結果が今回の結果だと思う。

(質問)
「抗拒不能」は法律用語で、一般のニュース、日常会話では使わない。それはどういうものかと、容疑事実を確認している。でも、視聴者はこれ全部容疑事実と思うのではないかとか、これだけのことをバツと言われている。そこをもっとしっかりやりなさいというのは分かるが、ここまで言うと萎縮してしまうのではないか。

(坂井委員長)
その点に関しては、決定は相当性を認め、名誉毀損は成立していないという結論としていることをよく理解してもらいたい。それを踏まえれば、放送倫理上の問題を指摘されたから委縮するなどということにはならないのではないか。そうではなく、今後対応することが可能な問題だと思っている。犯罪報道の在り方は、古くて新しい問題だ。容疑事実を認めるとした場合、どこまでどのように書けるかという話が繰り返し出て来る。そのような状況でも、本件に関して出来ることはあっただろうというのが、今回の委員会の決定だ。

以上