放送人権委員会

放送人権委員会  決定の通知と公表の記者会見

2016年9月12日

「世田谷一家殺害事件特番に対する申立て」事案の通知・公表

[通知]
9月12日(月)午後1時からBPO会議室で坂井眞委員長と、起草担当の奥武則委員長代行と紙谷雅子委員が出席して本件事案の決定の通知を行った。申立人は代理人弁護士4人とともに、被申立人のテレビ朝日は常務取締役ら3人が出席した。
坂井委員長が決定文のポイントを読み上げ、「本件放送は人権侵害があったとまでは言えないが、番組内容の告知としてきわめて不適切である新聞テレビ欄の表記とともに、テレビ朝日は、取材対象者である申立人に対する公正さと適切な配慮を著しく欠いていたと言わざるを得ず、放送倫理上重大な問題があった」との「勧告」を伝えた。
申立人の代理人は「このような結論が出たことを、局側としては、『ああ、そうですか』というだけではなくて、なぜそうなったのかについて、経営担当者から第一線に至るまで深く掘り下げていただきたい。人権侵害にはならなかったが、申立人が非常に苦痛を味わったことは事実認定の中にあると考えているので、そのようなことが犯罪被害者に関連して、これから起きないよう深い総括をお願いしたい」と述べた。
テレビ朝日は「委員会の決定を真摯に受け止めて、今後の番組、ならびに、放送に必ず生かしていきたい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして、決定を公表した。23社49人が取材した。テレビの映像取材はテレビ朝日がキー局を代表して行った。
坂井委員長が決定の判断部分を中心に説明し、結論の最後の段落、「報道機関としてのテレビ局が、未解決事件を取り上げ、風化を防ぐ番組を取材・制作することは一般論としては評価できる試みと言えよう。だが、その際、被害者やその関係者の人権や放送倫理上の問題にはとりわけ慎重になることが求められる。テレビ朝日は、本決定を真摯に受け止め、その趣旨を放送するとともに、今後番組の制作において、放送倫理の順守をさらに徹底することを勧告する」という部分を読み上げた上で、未解決事件を取り上げることには社会的意義があるが、その場合には十分な配慮をしなければいけないという指摘をさせていただいたと述べた。
奥委員長代行は、「本件面談場面を詳細に検討した。申立人が主張しているような形に明確にはなっていないが、ナレーションなどのテレビ的技法を駆使して、最初は思い当たる節がないと言っていた人が、最後は思い当たる節があると転換したというふうな作りになっている。それは間違いないので、テレビの作り方としては非常に問題があるということで、放送倫理上重大な問題があるという判断をした」と述べた。
紙谷委員は、「申立人から『自己決定権』という、委員会としてはこれまであまりそういう主張を受けたことがなかったので、いろいろ検討した。自分が言っていないことを言わされている。自分の主張が正確に伝わっていない。周囲の人から誤解され、それを解くのに非常に苦労をした。申立人はそれを『自己決定権』を侵害されたという形で表現している。委員会としてどう受け取ったらいいのか、だいぶ議論したが、社会的評価が下がったということであるならば、名誉毀損の枠組みの中で議論しても問題ないのではないかということで、判断、処理をした。委員会としてはかなり考えた上で、残念ながら決定文には数行でしか反映できなかったということを補足したい」と述べた。

このあと質疑応答に移った。主な内容は以下のとおりである。

(質問)
本人が言ってないことを言ったかのように放送されたのに、人権侵害ではないというのは法律家が定める人権侵害に該当しないということか。

(坂井委員長)
人権侵害といった場合、憲法上保障されているどういう人権の侵害なのかという議論が必要だ。言っていないことを報道されてしまった、ないしは、言ったことが歪められて放送されてしまったということは、民事法レベルなら、例えば、慰謝料請求とか、そういう話はありうる。その場合故意・過失、違法性のある行為、損害、因果関係があればいいということになるので、そういう法的な要件に当てはまる場合はあると思う。しかし、この場合はそういう民事法レベルの不法行為の話をしていない。憲法上の人権の侵害といった場合に、どういう権利の侵害なのかというのは非常に難しいところだ。自己決定権の侵害というが、その自己決定権とは何なのかということは学問的にもまだ固まっていない。なので、この委員会でそれについて何か概念を定立して、自己決定権侵害だというべき状況ではないだろうという、そういう意見が強かったと思う。民事法レベルでは当然問題が起きうるけれども、ここで問題にしている人権侵害という話にはならないだろうというのが私の理解だ。

(紙谷委員)
人のコアにある部分を何か疎かにされたのではないかというレベルでは、すごく問題はあるという主張に説得力がないわけではない。ただ、今回の場合にはそれを承認するのは無理かもしれないけれども、社会的評価の低下をもたらす名誉毀損と同じ枠の中で処理した。委員会としては自己決定権とはこういうものだと考えるという議論で書いてもよかったのかもしれないが、そこまでやっていいのかみたいな議論もいろいろあった。それで、申立人はそう言っているけれども、そこの判断はしていないという文章になった。

(坂井委員長)
補足すると、申立書の中にもある名誉毀損だとか、プライバシー侵害だとかであれば分かりが易い。しかし、申立人側には代理人に弁護士が4名付いていて、その方たちも自己決定権という言葉は使っているけれども、それについて具体的に、どういう主張をされているのか明確でなかった。ヒアリングで私も直接質問をした。名誉毀損、プライバシー侵害、人格権としての自己決定権侵害と書いてあるが、具体的にどういう憲法上の権利の侵害だと主張されるのかと。それが明確だったら、判断しやすいのだが、そこのところを抽象的に人格権としての自己決定権侵害だと書かれてしまうと本件では具体的な意味がよく分からないので、もう少し分かりやすく説明していただけたらありがたいという趣旨だ。しかしその点は、申立人代理人の弁護士も今の法律解釈の状況を前提にして主張するわけだから、なかなかクリアに主張できないし、実際質問に対する回答も明確とはいえなかった。そうすると我々としても、「それは分かりましたが、どう受け止めるかは委員会で考える」ということになって、先ほどから説明しているような結論になった。
例えば、本人が考えたこともない嘘のことを放送してしまって、それが、そういうことを言ったという事実の摘示となって、その人の社会的評価が下がるということであれば、自己決定権について判断するまでもなくそれ自体で名誉毀損だということになる。紙谷委員から説明があったことだ。そういうこともありうるわけで、その場合、名誉毀損として人権侵害を認定すれば足りることで、そこで自己決定権侵害と言わなければいけないのだろうか、というような問題もあって、委員会として、独自に言ってもいいのかもしれないが、そんなに簡単な問題ではないというのが今回の委員会の総意だと思う。

(質問)
本件に関して言えば、テレビ的技法が行き過ぎたのか、間違ったのか。委員会はどう判断したのか。

(坂井委員長)
これは3人全員からお話したほうがいいと思う。まず私から話をすると、テレビ朝日はそういうつもりはなかったと言うが、ある方向性の番組を作りたいとは思っていて、その中にとても苦しい思いをしている事件の被害者遺族の方を出演させて、作りたい方向に当てはめようとして、歪めてしまったということだと思う。最近の別の事案でも申し上げたことだが、こういう事実報道と調査報道とバラエティが混じったような番組では、それはストレートニュースではないわけで、一定の方向を出したいというケースがある。例えば、この番組であれば、サファリック氏が一定の見解を出して、とてもつらい目にあった被害者遺族もそれに賛成したみたいなことにしたかったのかなと思う。ところが本人は、そうじゃないと最初に言っているし、最後までそうですねと言ってないのに、番組の方向性に合わせて使ってしまった。そういう意味では歪めた。歪めたということは具体的にどういうことだったかというと、事実がどうだったかというところを、ストレートにその方向で言ってしまうとまちがいなく問題が起きる。そこで、テレビ的技法を使ったのだろうが、結局、視聴者にはそのように受け取れるような番組を作ってしまったということだ。つまりそのようにして事実を歪めた。それはテレビ的技法の使い方として間違っていると私は思っている。一定の意見を言う、見解を言うのはテレビ局の番組制作上当然自由だけれども、そこに出演してもらった被害者遺族の考えを歪めて使ったり、事実を曲げたりしてはいけない。被害者遺族はこう言っているけれども、それについての意見はこうだと言えばいいのに、そうではなく、事実の部分を曲げたところが間違っている。事実にもっと謙虚に向き合い、事実をもっと謙虚に扱わなければいけない。そういう姿勢でないと、またこういう問題が起きるだろうと私は考えている。

(奥委員長代行)
この番組におけるテレビ的技法の使い方は正しかったか、どうかという話であれば正しくないということになる。正しくないということの内容は委員長が縷々説明したとおりだ。

(紙谷委員)
かなりミスリードさせるような形で使っている。つまり、どちらかというと、そのまま流しちゃうと、テレビ局のシナリオにはあまり乗らなくなってしまったところに、ピーという音を入れ、思い当たる節が、とかなんとかというふうなものを、肯定したのだというふうに解釈できるように、テロップで出したとか。まさに、わざわざ誤解させている。あるいは、誤解しても不思議ではないような道筋を作っていくような使い方というのはまずい。そういう意味では、委員長と同じように事実を歪めている。そっちに持っていったら困るなあという時に、別なほうに持っていっているという使い方ではまずいのではないかと。強調するとかということであれば、決して悪い使い方ではないのかもしれないが。だから、テレビ的技法を否定しているわけではない。ただ、正直に使ってくださいということだ。

(坂井委員長)
それが端的に表れているが新聞テレビ欄表記だ。「〇〇を知らないか?心当たりがある!遺体現場を見た姉証言」。実際そんなことは言っていないのに、こういうふうに書いてしまっている。それについてテレビ朝日は字数制限があるし、適切な要約だと言うけれど、そうだろうか。起草委員の表現に委員会の総意として賛同しているが、「制限の中で番組内容を的確に伝えるのがプロの放送人たる者の腕だろう」ということだ。事実を曲げないでちゃんと要約していただきたい。しかしやはり、ここでは、事実を曲げてしまっているとわたしは思っている。そのようなことを言ってないわけだから、サファリックも申立人も。

(質問)
自己決定権を名誉毀損の中で議論したということだが、テレビ欄の問題も含めて名誉毀損にならないと判断したのか。
「理解しがたい事態である」という厳しい言葉がある。遺族の気持ちを考慮していないこともあって「重大」が付いたとの説明があった。「倫理上重大な問題あり」だが、人権侵害にはならないという、その差はどこにあるのか。

(坂井委員長)
人権侵害になるかどうか、この場合は名誉毀損かプライバシー侵害かという話で、名誉毀損の問題なので、この放送によって申立人の社会的評価が低下したのかどうかいうことになる。この事案の場合は、そういう内容にはなっていない。それは人権侵害に関する判断で、分かりづらいかもしれないが、決定文の17ページから18ページに書いてあるとおりだ。大きく分けると、まず、一般の視聴者、申立人の活動を知らない人にとってどうかと。申立人にとっては不本意かもしれないが、犯罪被害者の遺族が犯行の動機を怨恨に求めること自体は特異なことではない。だから、そういうことを言っているとされた人の社会的評価が下がるかというとそうではなくて、そういうこともあるだろうという話だと思う。次に、「ごく近い人々」、申立人がグリーフケアを一生懸命やっていることを知っている人にとってどうかということ。これも考えなくてはいけないということで、これも議論した。けれども、わたしどもが最初のところで事実認定をしたように、この放送自体はそういう誤解が生じる可能性が強いかもしれないが、そこまで断定的には言っていない。放送を見て、申立人の活動を知っている人が「考えを変えちゃったんですか」と思ったとしても、それは、決定文で「誤解」と書いたがその人の理解。しかし、問題は見た人がどう考えたかではなくて、放送内容が社会的評価を低下させるような内容の事実摘示をしたのかということだ。そして放送ではそこまでは言っていない。放送を見た申立人を知る方からそういう批判があったことは否定しないし、申立人は大変だったと思う。大変だったけれども、それで放送によって社会的評価が低下したという話ではないだろうということで、法律論としては名誉毀損にならないという、そういう形の議論だ。
ただ、それと、先ほどからご質問があるように、事実を歪めたりするテレビ的技法の使い方は大変問題だし、こういう大事件の被害者遺族については十分な配慮をして扱わなければいけない。これもイロハだと思うけれども、そこについては不十分だったのではないかと。この点についての放送倫理上重大な問題ありだという判断は、別に人権侵害なしとすることと食い違うものではないと思う。
整理すると、人権侵害ではないというところは法律的な要件の問題として、それは満たしていないという判断。だからといって、放送倫理の問題としては全部OKだということでは決してなく、重大な問題があるという判断だ。決定文で「勧告」とした場合、「判断のグラデーション」を見ていただければ分かるが、「勧告」には「人権侵害」と「放送倫理上重大な問題あり」とが並べて書かかれている。あえて、どちらが重いという書き方はしていない。表記としては上に「人権侵害」と書いているが、「勧告」としては同じだという理解をしている。

(質問)
この件に限らず、BPOで取り上げられる事案の場合、過剰な演出と恣意的な編集というのは1つのキーワードとして出てくる。今回のケースでは「過剰な演出」はあったと判断したのか。

(坂井委員長)
結論としてはイエスだ。用語としてそう言ってないだけで、例えば19ページ、放送倫理に関する判断の(1)「最後のピース」の意味のところ。「そこでは規制音・ナレーション・テロップなどのテレビ的技法がふんだんに使われていた。伏せられた発言は伏せるべき正当な理由があったとは思えない。むしろ前後のナレーションによってその重要性が強調され、視聴者の想像を一定の方向に向けてかきたてる組立てになっていた。その結果、申立人がサファリックの見立てに賛同したかのように視聴者に受け取られる可能性が強い内容となったのである。その際、とりわけ『結論』的に流される『思い当たる節もあるという』というナレーションが視聴者に与えた影響は強かったと言えよう」。これを読んでいただければ、用語としてそう言ってないだけで、中身としてはそういうことが書いてある。そういう部分が何か所かある。より具体的に書いてあるということだ。そのあたりは、今のところもそうだが、事実認定のところでも書いてある。

(奥委員長代行)
決定文の中で本件番組におけるテレビ的技法は恣意的であり、過剰であったという表現はしていない。しかし、具体的内容に即して、その点を指摘している。

(質問)
過剰な演出があった、あるいは、恣意的な編集があったと、直接的に文言として明言されなかった、盛り込まれなかったのは、何か委員会として理由があるのか。

(坂井委員長)
わたしの理解だが、抽象的にそういうことを言うよりも、何がどういけなかったのかと書くほうが意味があると思う。この決定は、当然、局の方にも理解していただかなければならないが、恣意的な編集とか過剰な演出とだけいっても、それってなんですかという話になる。それよりは、ここがこういうふうにおかしいと具体的に書くことこそ我々の仕事だと思うので、そう書いている。あえて書かなかったということではなくて、結論として、そう言っているとより理解してもらえる内容だと思っている。

(奥委員長代行)
今、指摘を受けて、割とびっくりしたが、そんなことはない。あえて避けたなんていうことは全くない。

(質問)
決定を通知された時の申立人の反応は。

(坂井委員長)
基本的には人権侵害を認められなかったから不満だというような直接的なことはおっしゃっておられない。こういう判断が出たことについては、受け入れていただいていると思う。申立人代理人の方が最初におっしゃっていたのは、これは申し上げてもいいと思うが、「放送倫理上重大な問題あり」という結論が出たわけだが、今、皆さんからご質問受けたようなことは、放送を見ればある程度分かることでもあるわけで、それであれば、もっと手前の段階で、申立人と局との間で解決ができるべきではないかという趣旨のことをおっしゃっておられたと思う。あとは、委員会の決定について、テレビ朝日にしっかり理解をしていただいて、今後こういうことがないようにしてもらいたいという趣旨のことだったと思う。

(奥委員長代行)
申立人には、基本的にかなり納得していただいたという感じを持った。テレビ朝日は、非常に決まりきった言葉だろうが、真摯に受け止めて対応するということを言っていた。

(質問)
放送を見ていないが、決定文の「放送概要」を見る限り、申立人は特になにかこれといった証言はしていないように思えるが。

(坂井委員長)
わたしの記憶ではない。

(奥委員長代行)
それ以上のことはヒアリングでも何もなかった。

(紙谷委員)
まさに今の質問のような、「思わせぶり」がこの放送の特徴だった。何かあるに違いないと。

以上