放送人権委員会

放送人権委員会  決定の通知と公表の記者会見

2016年5月16日

「自転車事故企画に対する申立て」事案の通知・公表

[通知]
5月16日(月)午後1時からBPO会議室で坂井眞委員長と二関辰郎委員が出席して本件事案の決定の通知を行った。申立人と、被申立人のフジテレビから編成制作局担当者ら4人が出席した。
坂井委員長が決定文のポイントを読み上げ、「フジテレビは、申立人に対して番組の趣旨や取材意図を十分に説明したとは言えず、本件放送には放送倫理上の問題がある」との「見解」を伝えた。
申立人は「放送倫理上問題があることは当然だと思う。今後、フジテレビは被害者遺族を取材する場合は最大限配慮をして欲しい。問題がうやむやにされかねないので、委員会は細かくチェックをして欲しい」と述べた。フジテレビは「決定を真摯に受け止めて、より良い番組作りを目指していきたい。出来る再発防止策はすでに進めているつもりだが、決定を読んでさらに対策をいろいろ講じて委員会に報告したい」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館2階ホールで記者会見をして、決定を公表した。
20社32人が取材した。テレビの映像取材はNHKがキー局を代表して行った。
坂井委員長が決定の判断部分を中心に説明し、委員長名で書いた補足意見については「決定の結論部分に『社内及び番組の制作会社にその情報を周知し』と書いたが、いわば委員会を代表してその解説をしたと理解していただきたいと思う。これまで、委員会のヒアリング等の場に制作会社の方が出てくることはなく、今回もそういう機会はなかったが、今回、問題となった部分を担当したのは制作会社のプロデューサーだったので、特に付言をした」と述べた。
二関委員は「番組の趣旨とか取材意図をどこまで説明するかは結構難しい問題だと思う。ただ、本件の場合は、そもそも申立人が交通事故で母親を亡くした遺族であり、かつ、交通事故被害者のために支援活動をしている人で、局側はそういう人だと分かった上で接近して取材をしたという経緯もある。それにもかかわらず、内容的に事故被害者に全然配慮しないドラマが既にできていた段階で、そのことを説明しなかったという本件における個別の事情という部分がある。これからどういう番組を作ろうかという、まさに手探り状態でやっている段階では、取材対象者にこういうものができますと、きちんと説明できない場面も当然あろうかと思う。そこはケースバイケースでの判断で、本件においては説明すべきだったと委員会として判断した」と述べた。

主な質疑応答は、以下のとおりである。

(質問)
そもそも当たり屋を扱うことを制作サイドは決めていたにもかかわらず、インタビューする相手に伝えていなかったというのは、自転車事故の遺族のインタビューは、やっぱり今回の番組にふさわしくないのではないかという後ろめたさみたいなのもあったのではないか?
(委員長)
特にヒアリングで後ろめたさ云々という話はなかった。ただ、決定にも書いたように、局の方も申立人の抱く番組イメージと齟齬が生じるのではないかと考えたとおっしゃっている。それを、後ろめたさと言うかどうかだと思うが、そうであれば、伝えておけば良かったということは、決定に書いたとおりである。
特に放送内容もほぼ固まっていて、最後に申立人にインタビューをされているわけだから、で、あれば、「実はこういう内容なんだけれども」と伝えておけば、こういう問題は起きなかっただろうと。なぜそうしなかったのかは、よくわからない。局の方は台本を渡そうと思ったけれど断られたとおっしゃるし、申立人は、いや、そういう提案受けたことはないとおっしゃっておられるので。
(質問)
今の話を聞くと、口頭で「実は当たり屋が出るんです。当たり屋がテーマなんです」と言わなかったのは、それを言って、相手から「じゃあ、インタビューは受けません」と言われると、もう放送日も決まっているし、内容は変更できないとなると、ちょっとまずいという制作サイドの思いがあったのではないかと思うが?
(委員長)
そういう経緯があるのかどうかは、ヒアリングでも確定しようがない。ただ、事実としてどうだったかは確定のしようがないが、もっと突っ込んで言えば、台本を見せる見せないの話が今回の1番の問題というのではなく、そもそも台本を見せなくてもドラマの内容を口頭で話すことはできたでしょうということだ。口頭で取材の意図や番組の趣旨の説明が出来たのに、そこが落ちている。その問題性は、台本を見せる見せないに関わる事実の確定の必要性とは関係がない。言えば済んだことを言わなかった、それはやっぱり放送倫理上の問題がある、ということで足りるということです。
ヒアリングでいろいろ聞いたが、局の方は、申立人のインタビューはどうしても使わないといけないというわけではないと主張されていた。それが嘘か本当かを追求する場ではないが、そう言われてしまうと釈然としない部分は残りますね。

(質問)
繰り返しになるが、当たり屋という設定を申立人に説明しなかったことについて、フジテレビから説明はあったのか?
(委員長)
そこは、台本を見せようと提案したけれど断られたので、もうそれ以上は進みませんでした、というところで終わっていたと思う。ですから、説明方法の1つとして台本まで見せるんだと。それは、あまりないことだと私は理解しているが。
(二関委員)
もう1つ言うとすると、決定文の12ページのところ、「説明をしなかった理由として、フジテレビは自転者事故の悲惨さを伝える部分で申立人インタビューを使わせてもらいたかったが、インタビュー場面は本件ドラマ部分とは別の部分であることに加え、本件ドラマは当たり屋をメインテーマにしたものではないことから」との理由を言っている。それに対して委員会は、「確かに情報部分とドラマ部分が切り分けられているのは、それはそのとおりだけれども、しかし・・・」ということと、「当たり屋がメインかどうかは問題ではないでしょう」ということを、別のところで判断している。
(委員長)
だから、切り分けているというのが、フジの1つの主張だと思うが、同時に申立人が抱く番組イメージと実際の放送との間に齟齬が生じることを懸念したともおっしゃっていて、そこは必ずしも同じ方向ではないと思う。切り分けられるから大丈夫だが、そうはいっても齟齬が生じるかもしれないと心配した、だから、台本見せましょうかと言いました、だけど、断られました、というところで終わっているという感じですかね。
(質問)
つまり、懸念はあったから台本を見せようという提案はしたが、見せなくてもいいと言われたので、フジとしては一応その懸念は解消されたというか、それで話は終わったということか?
(委員長)
フジは情報部分とドラマ部分は切り分けてあり、申立人が当たり屋であるかのような、同類であるかのような誤解は生じない構成だと思うので、説明の必要性はないと思ったが、でも、懸念もしたので台本を見せましょうと言ったが、断られたという主張だった。

(質問)
つまり、台本を見せる見せないは、さておいて、番組趣旨を何らかの形で説明する必要があった、そこに今回の問題が集約されると理解していいか?
(委員長)
これは私のあくまで個人的理解ですけれど、時には台本を見せることもあるかもしれないが、取材をする相手、インタビューを受ける方に台本まで見せるということは、そうはないんじゃないかと私は理解している。
フジは、申立人がやってらっしゃることは分かっていて、だから取材に行っている。自転車事故でお母様を亡くされて辛い目に会われ、それで支援活動も一生懸命されておられると。そうすると、コミカルに、ちょっと誇張して、「現実にあり得ない」と決定文にも書いたが、しかも、被害者だけれど本当は被害者ではないという内容のドラマを放送したら、申立人がちょっと抵抗を感じるんじゃないかというのは、そんなに理解するのが難しい話ではない。台本を見せなさいとか、見せなかったのがいけないとかいう話ではなくて、「そこを説明すれば、こういう問題は起きなかったですね」というのが、やっぱり根っこじゃないかと思う。
もっと言ってしまうと、結局、これはバラエティーと言われているが、現実に起きたいろいろな事件や事故の被害者であったり心に痛みを持った人を取材して、単なる番組の素材として扱っちゃったら、こういう問題は起きますねということではないか。そういう立場の人の気持ちや心に配慮して、ちゃんと趣旨を説明しないといけないんじゃないか。台本を見せる見せないというより、被取材者の心情に配慮して「こういう番組なんです」と、ちょっと説明すればよかったはずで、それは台本を見せるより、私の理解ではハードルがずっと低いはずです。

(質問)
制作会社の担当者から直接ヒアリングをするという機会は、これまで1回もなかったのか?
(委員長)
放送倫理検証委員会はシステムが違っていて、もっとたくさんの方から、もっと時間をかけて、担当の委員の方が出向いて聞くというシステムをとっているので、制作会社の方から事情を聞くということはある。ただ、我々の委員会では、これまではない。ただ、それはやってはいけないということでもないし、制作会社側にヒアリングを受ける義務があるわけでもないと思う。
ただ、今回あえてこういうことを書いたのは、やはり事実関係を聞きたいときに、特に今回は問題になった説明の部分を担当されたのが制作会社のプロデューサーで、局の方がヒアリングに来ても事実関係を体験として語れないので、そういう機会が必要な場合は、そのようなヒアリングがあった方がいいのかもしれないと考えた。
(質問)
やっぱり制作会社の人からもヒアリングで話を聞きたいと、この補足意見が加わったということか?
(委員長)
補足意見の下敷きにあるのが、決定文の最後の「社内及び番組の制作会社にその情報を周知し」という部分で、これは委員会全体の意見なので、補足意見というのはちょっと適切な表現ではないかもしれないが、このように書いた趣旨を委員長が補足意見で説明したと理解していただければと思う。
決定の一番のポイント、放送倫理上問題ありとしたのは制作会社のプロデューサーがどういう説明をしたかに尽きているわけなので、その部分については特に言っておきたいと補足意見を書いたということです。

(質問)
制作会社のプロデューサーにはヒアリングに出席を求めなかった、あるいは、出席できなかったということか?
(委員長)
今回、委員会から「この方をヒアリングに連れてきてくれ」とは言っていない。我々の委員会の審理の仕方は、申立書と答弁書、それから反論書と再答弁書、関係資料を出していただいて、ヒアリングをして審理をして決定文を書いている。これを裁判の手続きみたいにとにかく精密にやろうとすると、毎回話すことだが、時間ばかりかかるという話になるのでそれはしない。そのような限界の中でやっていることなので、ある意味手続き的にはやむを得ない部分もあるかなと思う。
ただ、実際、バラエティー番組や情報番組は制作会社が関わるケースが非常に多く、だとしたら、事実関係が問題となる場合は制作会社にヒアリングをするという機会があってもいいのかなと。特にこれまで頼んだが断られたとか、そういう話ではないが、事案によってはあってもいいのかなと思う。

(質問)
局に入っている制作会社は非常に多いが、補足意見の最後に出てくる制作会社というのは、本件放送に関わった制作会社を指しているということでいいのか?
(委員長)
基本的にはそういう文脈である。本件は特にそこの問題があったのでと理解いただければと思う。

以上