広島の放送局と意見交換会
放送倫理検証委員会と広島の放送局6局との意見交換会が、2015年11月19日に広島市内のホテルで行われた。放送局側から40人が参加し、委員会側からは川端和治委員長、是枝裕和委員長代行、中野剛委員、藤田真文委員の4人が出席した。放送倫理検証委員会では、毎年各地で意見交換会を開催しているが、広島県内の放送局を対象としたのは初めてである。
今年は戦後70年、被爆70年でもある。そこでそれにふさわしい企画として、被爆70年の8月6日に広島の各局が放送した特別番組についての意見交換を第2部で行うこととした。第1部では、例年通り最近の委員会決定第22号(佐村河内守氏事案。広島は佐村河内氏の出身地でもある)と、第23号(クローズアップ現代事案)をベースに意見交換を行った。また第2部では、各局の特別番組を出席委員が事前に視聴したうえで、制作者を応援する視点から、議論を深めた。
冒頭、BPOの濱田純一理事長が、「広島の皆さんの番組を拝見した。共通していたのは、被爆の事実を伝え、それを伝え続けることの重要性であり、番組スタッフの方々はそのことの大変さを実感されていると思う。また、手法的にもご苦労されていると思う。事実を伝え続けるという大切な役割を担う"自由"を、私たちはしっかりと支えていこうと思う」と挨拶した。
2つの委員会決定をテーマにした第1部では、まず、11月6日に通知公表を行ったばかりの「NHK総合テレビ『クローズアップ現代』"出家詐欺"報道に関する意見」について、担当した藤田委員と中野委員が報告した。
藤田委員は「今回の事案で印象に残ったのは、ふたりの関係者、"ブローカー"のAさんと"多重債務者"のBさんに対するヒアリングだった」と口火を切り、中野委員が「Aさん、Bさん、記者の3人の関係を、丁寧に説明することを心掛けた」と続けた。中野委員はさらに「問題の相談場面の状況を詳しく記すことが大事だと考えた。3人が揃って撮影現場に着いた時、他のスタッフがおかしいと感じながらそのまま撮影を進めたことに、委員として大きな違和感を覚えた」と指摘した。また、藤田委員は「意見書の20頁に書いた『問題の背後にある要因』をぜひすべての放送局で共有して欲しい、というのが委員会の願いだ」と述べた。
参加者からは、総務省の行政指導や自民党の事情聴取を厳しく批判した意見書の「おわりに」について、「放送の自由と自律に対してこれだけはっきりと書いてもらい、ぐっと来るものがあった。放送事業者側も身を律して行動しなければならない」「制作者の世代交代が進む中で、BPOの存在価値そのものが、今回の意見書で若い制作者に再認識させられたのではないか」などの意見や感想が述べられた。
これに対して、藤田委員は「『おわりに』がこんなに注目されるとは考えていなかったが、委員会は、具体的な番組事例に即して必要な意見を述べるところだということをあらためて確認したい」と述べた。また、川端委員長は「委員会が議論している番組に対する動きだったので、言うべきことはきちんと言わなければならないと判断した。そうでないと、委員会もそれらを是認していると誤解されかねない」と説明した。
続いて、広島出身で、自らも被爆2世だと語っている佐村河内氏の番組を審理した委員会決定第22号「"全聾の天才作曲家"5局7番組に関する見解」について、意見交換が行われた。
川端委員長は、「この事案はおよそ1年間検討を続け、私自身も佐村河内氏と新垣隆氏にヒアリングしたので印象深い。この見解(委員会決定)では、放送倫理違反とまでは言えないというのが結論だった。しかし、委員会が最も言いたかったことは、番組で間違うことはこれからもあるだろうが、間違いが明らかになった時に、なぜ間違ったのか、何が足りなかったのか、どうすれば防げたのか、をもっと真剣に再検証して欲しい。それを徹底的に詰めて欲しい、ということだ」と指摘した。
参加者からは、「どうしたら防げるかを考えたのだが、私なら、障害者手帳を見せて欲しいとは言えなかったのではないか。たとえば広島での取材で、被爆者の方に被爆者手帳を見せて欲しいとは聞けない。他人事のようには思えない事案だった」「最近のテレビ取材は情報を取ってくることよりも、それを加工することに重きが置かれているのではないか。情報の正確性を裏付けるためにどうすればいいのか、深く考えさせられた」などの意見が出された。
第2部は、今年の8月6日に各局が放送した原爆関連の特別番組を各委員が事前に視聴したうえで、「戦後70年 BPOは放送局を応援したい」をテーマに意見交換を行った。まず、5本の番組(NHK『きのこ雲の下で何が起きていたのか』、中国放送『あの日を遺す~高校生が作るヒロシマCG』、広島テレビ『池上彰リポート 原爆投下70年目の真実』、広島ホームテレビ『宿命―トルーマンの孫として―』、テレビ新広島『母に抱かれて~胎内被爆者の70年~』)のオープニング部分を会場で視聴し、是枝委員長代行が、テレビ制作者の経験を踏まえて、番組ごとに感想を述べた。
参加者からは、「戦後70年の節目の年。被爆者の生の声を伝えられる最後の機会になるのではないかということを重く考えた」「先輩の制作者たちは、被爆者の方から『原爆の実態を伝えきれていない』と言われ続けてきた。どのように表現したら当時の皮膚感覚を含めて視聴者に伝えられるのかを、試行錯誤しながら制作にあたった」などの意見が出された。
質疑の中で、参加者から「証言者がいなくなった時にどのようにドキュメンタリーを撮ればいいのか?是枝監督が否定的な"再現"も、ひとつの有力な手法ではないのか」と問いかけがあった。
これに対して是枝委員長代行は「"再現"を完全に否定するつもりはないが、私がテレビでドキュメンタリーを作っていた時には、『ドキュメンタリーはタイムマシーンを持たない』ということと『ドキュメンタリーはこころの内視鏡を持たない』ということを自分の中の倫理規範として考えていた。つまり、『撮り損なうことを肯定的に捉える』ようにして、現在進行形のものとして表現するのか、あるいは、撮れないものは"再現"するのかで、大きく道は分かれると思う。かけ出しの頃、他局は撮影した決定的なシーンを撮れずに呆然となったが、他局が引き上げたあとのさまざまな人間的営みを撮影して別の作品に結実させることができた。『撮り損なったら後で考える』ことがドキュメンタリーとしてのアイデンティティーの核ではないかと考えている」と答えた。
ぜひ来年も広島で開催してほしいという要望の声を最後に、3時間半にわたる意見交換会の幕を閉じた。
参加者から終了後寄せられた感想の一部を、要約して以下に紹介する。
- 政治が報道に介入する事態への違和感や危機感をBPOと放送局との間で共有できたことが最も大きな収穫だった。被爆70年の今年、広島では、原爆だけでなく、戦争責任や加害の歴史などについて取材の範囲が広がることも多くある。それらを放送で取り上げるのはバランスが難しいが、安易にそこに触れないというのではなく、工夫して放送することで、今起きていることを伝えるという報道の役割はもちろん、権力を監視する役割を担うことにもつながるとあらためて感じた。
- BPOの活動が放送をよりよいものにするために行われていることを知り、BPOが制作者にとって心強い支えになると思うようになった。第2部では、自分が制作した番組を含め、広島の各局の番組を見て、被爆地広島の放送局が、原爆について強い思いを持って制作していることを目の当たりにし、刺激を受けた。これからも各局と切磋琢磨しながら、広島からの発信を続けて行きたい。
- BPOのスタンスを改めて確認できたことは、若い人間には収穫だったと思う。原爆報道への取り組みについて、是枝さんに様々な角度から評価いただいたことは、各局の現場になにより励みになったと思う。(第三者から評価される機会がなかなかないので。)
- 「BPOは放送局の応援団」という言葉がある。問題が起きたとき、何を考えながら聴き取り調査をして意見書にまとめるかという話を聞いて、委員の皆さんの「放送局が自律し信頼されるために」という思いを感じることができた。今回の意見交換会は人の温かさを感じた。
- 佐村河内さんの事案に関連して、「被爆者の方に、あなたは被爆者ですか?と聞かない」という意見が出たが、まさにその通りで、取材対象との信頼関係の中でどう事実を担保していくか、大変難しい問題だと改めて感じた。是枝さんの再現に対する疑念を聞いて、もやもやしていたものが晴れた気がした。被爆者がご存命のいま、在広の放送局として被爆者のお話を聞き続けなければならないと痛感した。
- BPOの皆さんが放送局を守ろうとしている印象を受けた。それはとても心強かったが、同じようなミスを食い止めるという意味では、非公開の会合でもあるし、委員の方が感じられた放送局側の問題点を、意見書以上に具体的に聞きたかった。
以上