放送倫理検証委員会

放送倫理検証委員会

2014年11月19日

放送倫理検証委員会 大阪で「意見交換会」を開催

放送倫理検証委員会は、近畿地区の放送局との意見交換会を11月19日に大阪市内で4年ぶりに開催した。今回の意見交換会には、大阪のテレビ各局を中心に、9局から84人が参加した。また委員会側からは小町谷育子委員長代行、渋谷秀樹委員、鈴木嘉一委員が出席した。予定を超える3時間20分にわたって、活発な意見交換が行われた。
概要は以下のとおりである。

意見交換会の前半は、委員会の事例をふまえた2つのテーマで進められた。
1つ目のテーマは衆議院の解散直前という時期にぴたりとはまった「政治や選挙での公平・公正性について」である。まず渋谷委員が、昨年度委員会が公表した決定第17号「2013年参議院議員選挙にかかわる2番組についての意見」に触れながら、問題提起を行った。渋谷委員は、まず「政治的な公平性」について、憲法学者としては、放送法で規定するのは表現の自由の観点から問題だとしながらも、放送の影響力の大きさを考えれば、放送局による自主的な規制が必要だろうと述べた。選挙に関しては、特に公平性が重要であり、特定の政党や政治家に偏って、視聴者の判断に歪みを生じさせるような取り上げ方は問題だと指摘した。そして衆議院の総選挙が間近だが、なるべく多様で豊富な情報を伝えるとともに、公平・公正性も心がけた報道に努めてほしいと要望した。
これに対して、参加者からは、「番組出演者の立候補が噂になり、制作スタッフが確認して否定された場合でも、出演を控えてもらうべきか、判断に悩むケースも多い」「事実上一騎打ちの首長選挙で、その2人の候補者だけで討論番組をやることに、問題はないか」など、具体的な意見や質問が相次いだ。委員側からは「各局が、いろいろな情報を集めたうえで、自律的に判断してほしい」(渋谷委員)、「問題になっても、自信を持って局側の考えを説明できるようにして対応すれば、あまり恐れる必要はないのではないか」(小町谷代行)などの意見が出された。また「仮に橋下大阪市長が立候補して記者会見があった場合に、情報番組で長時間生中継するようなことは、公平性からどう考えるべきか」との質問に対して、渋谷委員は「ニュース性があるにしても、だらだらと一人の会見だけを中継することは、個人的な意見としては問題だと思う。編集である程度コンパクトにまとめ、政治家の過剰な宣伝にならないように目配りをして、放送局の品格を示してほしい」との意見を述べた。
2つ目のテーマは、今年6月に放送人権委員会の委員長談話が公表されて話題を呼んだ「顔なしインタビューの是非について」である。小町谷代行は、まず「検証委員会では、総括的にではなく個別の事案ごとに判断している」と説明したうえで、委員会決定第16号の「インタビュー映像偽装」と第19号の「弁護士の"ニセ被害者"紹介」の2つの意見書で、この問題について委員会がどのような指摘をしたのかを具体的に解説した。
続いて、子どもたちの学校生活を題材にしながらボカシやモザイクを全く使わない75分のドキュメンタリー番組『みんなの学校』で、昨年度の芸術祭大賞などを受賞した関西テレビの真鍋俊永ディレクターから、問題提起を含めた報告があり、番組の一部が会場で視聴された。この番組で、なぜボカシなどをかけずに放送できたかについて、真鍋ディレクターは、個人的にもそういう表現をしたいという思いが強かったことと、ドキュメンタリー番組のため交渉する時間もあったことをあげ、映りたくない子どもは外す工夫をしたことなども説明した。その一方で、放送時間が迫っているニュースなどでは、顔なしの放送がやむを得ないという判断もありうるし、取材・放送にあたる一人ひとりが、きちんと考えながらやっていくしかないのではないかと述べた。
参加者からは、「モザイクなどをかける時には、誰にわからないようにするためなのかを考えて、かけ方にも工夫が必要だが、最近はあまり考えられていないと思う。もう少し時間をかけて、ニュースの場合でもどうすべきかなどを議論すべきではないだろうか」「最近の事件で、同じ取材対象者なのに、局によって顔なしと顔出しの場合があった。取材記者の対象者への接し方に違いがあるのか、あるいは、記者の力量や信頼感などにかかわる問題もあるのかと心配している」「モザイクをかけないで放送した際、配慮不足だというような批判を受けたケースもある。そのような社会的風潮があることも知ってほしい」など、様々な観点から多くの意見や疑問が出された。
これに対して委員側からは、「テレビは映像の力で事実を伝えていると思うが、モザイクをかけるとその力を弱めてしまう。どうしても必要なケースに限定していかないと、放送への信頼感を失っていくのではないか」(渋谷委員)、「ドキュメンタリーとニュース・情報番組では、対象者との信頼関係などで当然違いがあると思う。ドキュメンタリーでは、顔出しの映像にこそインパクトがあり、モザイクをかけると訴える力は弱くなる。放送が目指すべきなのは、やはり顔出しの方向だろう」(鈴木委員)、「ボカシが多いのは、日本のテレビの特徴で、外国のニュースではほとんどないと思う。個人的な意見だが、ボカシを入れるか否かの判断としては、報道内容の重大性と、モザイクをかけないと起きうる取材対象者の被害の可能性を、個別に考えていくしかないのではないか。事件の話を近所の人に聞く場合でも、最近は顔なしインタビューが多いが、そこまでする必要があるのだろうか」(小町谷代行)などの意見が述べられた。

意見交換会の後半は、「BPO放送倫理検証委員会が無(の)うなる日は来(く)んの?」と大阪弁のタイトルのもとで、検証委員会と放送局の関係などについて幅広い意見が交わされた。
最初に、当日急きょ欠席となった川端委員長からのメッセージが小町谷代行によって代読された。この中で川端委員長は、7年半の委員会の活動を振り返りながら、テレビ局が意識すべき課題を2つあげた。一つは「事実に謙虚に向き合う姿勢の大切さ」で、客観的事実を重視し、裏取りをしっかりとすることが、正しい報道には欠かせないとした。もう一つは、「テレビの制作体制には、もっと自分の頭で考える時間的ゆとりと、人員を適切に配置する経済的なゆとりが必要だ」として、制作現場で働く人たちが、仕事にもっと夢と情熱を持てるような処遇をするという方向で改善しなければ、同じ過ちが繰り返されるのではないかと危惧していると指摘した。そして「委員会は、これからも事案に即した意見を第三者として述べることにより、権力の介入を防いで表現の自由を守り抜きたいと思う」との決意を述べた。
続いて、鈴木委員が、長年にわたり取材者として外部から見てきた体験をもとに、BPOと放送局の関係について、「逆説的な問いかけ」として3つの視点から問題提起を行った。
まず、BPOは総務省の代行機関ではなく放送局に自主・自律を促す団体であるはずなのに、まるで江戸時代の「お白洲」のごとく、放送局が過剰に反応しているところはないかとして、「BPOはお白洲なのか?」と問いかけた。2点目は「BPOの決定は、水戸黄門の印籠なのか?」として、BPOの3つの委員会が出す様々な判断や決定を、放送局は「お達し」のように上意下達的に受け止めていないか、個人レベルでも異論や反論があまり見られないのではないかと述べた。そして3点目として、検証委員会では、同様な過ちが何度も繰り返されることへのもどかしさがあることに触れ、「『モグラ叩き』をどうやって断ち切るか?」と投げかけた。
参加者からは「放送局にとっては、やはり『お白洲』であり、『水戸黄門の印籠』というのが実感だ」「審議入りしなくても、BPOで取り上げられるだけでかなりのプレッシャーを感じるのは事実だ。『お白洲』かどうかは別にして、局にとってBPOは良い意味での抑止力になっている一方で、プレッシャーを感じる存在だ」「スタッフの採用や異動がある中で、放送倫理の水準を維持していくためには、社内での定期的、自主的なメンテナンスが必要であり、大変なエネルギーと努力が必要なことを実感している」などの意見や感想が相次いだ。また、「委員会決定が出ると、現実的にはシステム整備をして、規制を掛けていくことになる。本来は制作者のセンスを磨くことが重要だとわかってはいるが、なかなか難しい。なにが近道なのだろうか」との質問に対して、鈴木委員は「結論から言えば、近道はないと思う。先輩や同僚たちが、日常的な仕事の中などで失敗例などを伝えていくことによって、血肉化するのではないだろうか」と答えた。
このほか、「検証委員会ができて総務省の行政処分が極端に減り、権力からの防波堤として機能していることは評価すべきと感じてはいるが、一方で委員会の審議入りや委員会決定が公表されることによって、一種の行政処分に等しい罰を受ける感じもある」「委員会決定で、放送基準の適用の仕方には問題があると思う。法律とは違って、放送基準は目指すべきものであり、曖昧でもある。曖昧な放送基準をそのまま適用することは、委員の方たちが目指すところと反して、表現の自由に萎縮的な効果が働くのではないか」などの意見も出された。
これに対し、渋谷委員は「放送基準が曖昧だとの指摘があったが、放送基準はBPOが作ったものではない。委員会決定は、放送局自らが作った放送基準にも照らして書いているが、委員会での議論では、放送基準に拘束されることなく、放送がどうあるべきかを考えながら展開されている。萎縮効果があるというが、委員会は7年半で20余りの番組しか審議・審理していない。委員会は抑制的で、明らかに放送倫理に抵触する事案だけを取り上げているつもりだ。」と反論した。小町谷代行も「お白洲というと、あまり言い分を聞いてもらえないというイメージがあると思うが、私たちは対象番組については、制作現場の実際の担当者に、どういう思いやねらいで作ったのかなどを長時間、徹底的にヒアリングしている。それは、現場とかけ離れた意見を書けば、自主・自律のために設立された機関としての信頼性を欠いてしまうとの思いが、活動の指針にあるからだ。明らかに放送倫理上問題がある事案しか取り上げていないし、意見を述べていないはずだ。実は、委員会に報告される事案は、もっとたくさんあるが、それらはほとんど公表していない。そういう意味でも萎縮する必要性はないのではないか」と指摘した。その上で「検証委員会が無くなる日は来るのかというテーマについて言えば、2つのシナリオがあると思う。一つは、総務省が独自の機関を作って、委員会が解散せざるを得なくなる場合で、もう一つは検証委員会で扱うべき事案がなくなって、閑古鳥が鳴く状態になる場合だと思う。後者であってほしいし、そういう日が必ず来ると信じている」と述べた。
会場からは、「検証委員会は、世間や役所などと放送局との間で、ジャッジしてくれるところであり、今後も必要だと思う」「放送法上では問題になる番組であっても、それが国民のためになっている時には、検証委員会が一緒に権力に立ち向かってくれると信じている」などの意見も出され、予定時間を超過して活発に意見が交わされた。
最後に出席した各委員から感想が述べられ、小町谷代行は「とても率直な意見交換ができて、少し熱くなってしまったが、率直な意見を言ってもらわないとこちらも率直な思いを返せない面もある。きょうのような意見交換会が、今後も続くことを願っている」と締めくくった。

参加者から終了後寄せられた意見や感想の一部を、以下に紹介する。

  • 制作現場にいると、実態がよくわからないまま(知ろうとしないまま)、BPOというその絶対的な存在に、正直畏怖しか感じていませんでした。委員の皆さんが率直に話されるのを聞いてようやく、リアルな感情をもった、生身の人間の委員が運営されているのだと知ることができました。現場で四苦八苦している私たちと同様、委員の方々が局側の質問に、ときには悩みながら答えてくださっている様子を拝見し、番組制作においてはそもそも100%の答えというものがないのだ、ということをあらためて痛感しました。

  • 日々コンプライアンスの壁を意識して闘っている番組制作者の私にとって、BPOはその壁の先に待ち受ける"お白洲"以外の何物でもなかったため、今回は「お白洲の中を見学させてもらおう」という好奇心で臨みました。感想を一言で申しますと、私が持っていた"BPOはあちら側の人たち"(=言わば敵)という印象は偏見でした。BPOの生い立ちに興味を持ったこともなかったため、そもそも権力の介入を防ぎ、放送業界の自主自律を守るための団体であるという認識が、恥ずかしながら私には欠けていたのです(知識としては何となく知っていましたが)。しかし、委員の方々と顔の見えるディスカッションを経験して、"こちら側"の立場に立ち、我々の味方になって頂ける人たちであるという基本スタンスを確認することができました。委員長代行がおっしゃったように、確かに過去の審理・審議の一覧を見ると「誰が見てもこれは問題がある」というものばかりですし、「BPOができてから総務省の行政指導が激減した」という事実も全く知りませんでしたので、委員の方々がこちらの声を十分理解した上で、我々と共に闘って頂けているのであれば、こんなに心強いことはないと認識を新たにした次第です。

  • 放送局が望んでいる「放送局とBPOとの間の距離」と、委員が望んでいるそれとが、ちょっとかけ離れているのではないかと感じました。渋谷委員から「(何かの案件で、局の人から)僕らは正しいと思っていると言ってくれればいいのに、と感じたこともあった」との発言があったかと思います。委員は「もっと近づきたい」と思い、対して局の人間は「距離を置いておきたい。できれば接触したくない」みたいな…、本来あるべき距離感に相当の乖離があるという印象を持ちました。その意味で「お白洲」ということばの響きは象徴的でした。

  • BPOの方々と話をする機会というのは、正直やや億劫でもあり、ある意味貴重な場でもありました。私にとってBPOは、ふだんからあそこだけの世話にはなりたくない…そういう存在でしたので、委員や調査役はどんな顔をしているのか、どんな見解を持っているのか、そんな好奇心を胸に、できるだけ具体的な話になればいいなと思って参加しました。
    その意味でもっと突っ込んだ話をしたかったのは、仮に橋下市長が衆院選の立候補会見をした場合、「生中継」で伝えることをどう考えるかという議論です。もう少し時間を割くべきではなかったか、と思いました。自分たちは日々、制作現場で薄氷を踏む思いで、葛藤しながら放送しています。その一人としては全体にやや質疑応答=意見交換が踏み込み不足だったのではと感じられました。質問の中には、切実感があまりないようなものがあったことも付け加えておきます。

  • 特に質疑応答で、意見書の行間がみえ、よかったです。委員の皆さんの「意見交換会だから」と腹を割って話された内容には血の通ったものを感じました。やや気色ばまれた場面もありましたが、そうさせた局側の質問がよかったのかもしれません。私自身は、以前、社で講習会をやっていただきましたし、できるだけ意見書は読むようにしていますので、BPOの考え方は理解できてきているような気がします。しかし、局側にはBPOを司法機関、もっといえば敵対相手のように思っている人が意外と多い、と感じました。渋谷委員の「放送基準はあなたたちの作られたものですよ」という発言に、はっとした人も多いはずです。とはいえ、参加者の一人がいっていた「取り上げられた制作者はかなりダメージを受ける」という発言には、当事者ならではの生々しさがありました。取り上げられた局が敵対相手と思ってしまう気持ちは、想像はつきます。残念ですが、簡単に理解しあえる関係性ではないのかも、と思いました。しかし仮にそうであっても、愛のある厳しい指摘は、まだ放送業界には必要に違いありません。一大事には一緒に総務省に立ち向かってくれる存在、であってくれることを願います。

以上