放送人権委員会

放送人権委員会  決定の通知と公表の記者会見

2014年1月21日

「宗教団体会員からの申立て」事案の通知・公表

放送人権委員会は1月21日、上記事案について通知・公表を行い「本件放送の公共性・公益性を高く評価するものであるが、申立人のプライバシーへの十分な配慮があるとは言えず、放送倫理上問題があると判断する」との「見解」を示した。

[通知]
通知は、午後1時からBPO会議室で行われた。三宅弘委員長と起草を担当した市川正司委員、田中里沙委員が出席、申立人本人と被申立人であるテレビ東京の報道局次長ら3人に対し、三宅委員長が決定文のポイントを読み上げ、説明を加えた。
決定について申立人は、「私の立場等も十分に検討した上で、丁寧かつ慎重に審理していただいたことが分かりました。人権侵害については、少し残念なところはあるのですが、放送倫理上の問題という観点から、プライバシーについて問題があるという判断は、十分考慮していただいた内容かと思います」と述べた。また、テレビ東京は「公共性・公益性が高いことを認めていただいたのは大変ありがたいが、我々もこれまでになく丁寧にやった上でのことなので、もう少し決定を読み込んだ上で、意見などを書くこともあるかと思います。我々にとって非常に勉強になる例なので、携わる者全員に、もう一度、徹底して勉強の材料にして、これを次の良い報道につなげていきたいと思います」と述べた。

[公表]
午後2時から千代田放送会館の2階ホールで記者会見を行い、「委員会決定」を公表した。22社50人が取材した。
会見では三宅委員長が委員会決定に沿って委員会の判断や考え方などを説明し、記者からの質問を受けた。

(質問)
申立人は再放送をしてくれるなと申し立てているが、委員会の決定は「プライバシーに配慮した放送を要望する」と書いてあるだけだ。再放送については「放送局の判断」ということなのか。
(三宅委員長)
そうだ。「再放送をしてくれるな」と言うことは、表現の自由にも関わる。そこまでは立ち入っていないということだ。

(質問)
委員の間で、プライバシー侵害かどうかという判断が分かれたということだが、概ね拮抗していたのか。
(三宅委員長)
拮抗していた。

(質問)
テレビ東京は申立人に対して、全く取材の許可を得ていなかったのか。
(三宅委員長)
放送された映像や、ヒアリング等で確認した限りでは、そうだった。
承諾を取れるような対象だったのかどうか、という点はいろいろあると思う。場合によっては承諾がなくても、本人が特定出来ないようなボカシのかけ方をすれば、放送された内容を公共性・公益性の観点から検討して、プライバシー侵害かどうかを判断することになる。
今回の判断は、申立人を知る者には特定出来るのではないかということを前提として、承諾を得ずにカウンセリングの内容や手紙の内容を放送している点について判断をした。本件では本人の承諾がないが、公共性・公益性はかなり高く認めた。その上で、放送倫理の問題として、いろいろなことを考えた結果、もう少し配慮があるべきではなかったかと判断した。

(質問)
今回の事案に則して考えれば、人物が特定出来ない状況で放送すれば、カウンセリングや手紙の内容を放送しても放送倫理上問題がなかった、という判断になっていたのか。
(三宅委員長)
カウンセリングと手紙の点はリアリティを持たせる手法としては有効だと思うが、それを追求すればするほど、本人のプライバシーの部分に入って行くので、プライバシーとの関連が非常に難しいところがある。公共性・公益性が高いから、1分程度の映像が出ても許されるのではないかという意見から、心の中に入って行くという形式的な観点から言えば、それはやはりプライバシー侵害ではないかという意見まで、委員の中でも、プライバシーについての理解の仕方に幅がある。
映像を作る側の観点だけではなく、映される側、放送される側の観点からも考えて、知られたくないと思う範囲を慎重に判断して行かなければならない。今回は特にそういう点を、読み取ってもらいたい。
最近は、テレビ放送で終わるのではなく、それがネットに流れたりする。そのことで、二次的被害が生じてしまうというメディアの状況の中で、テレビの映像なり放送がどのように使われるのか、ということも配慮しながら、プライバシーの侵害の問題を議論して行かなければならないという点では、非常に難しい。
我々としては、取材段階できっちり特定して取材してほしい。あまり顔なしで取材してほしくないというのは何度も言っているが、放送をする時には、心の機微に触れるものであればあるほど、特定されないような表現方法を採ることで、脇を固めることが大事なのではないか、ということを、このケースでは考えさせられた。
(市川委員)
「特定できなければ問題はない、という理解なのか?」、という点については、仮定の話なのでちょっとお答えしがたい。
ただ、本件で問題にしている「本件放送部分」というのは、カウンセリングを外から隠し撮りしたところと、私信の公表という2つの部分で、もし特定出来なかったとしても、申立人本人にとっては自分が話したことだということが理解出来るので、そのことが放送されること自体を保護すべき利益だと考えるという見方も当然あり得る。そこでの問題性は、議論される可能性はあると思う。
(田中委員)
この放送は、ごく普通の若者がなぜ入信していくのか、というところに焦点を当てており、ごくごく普通の若者を表現するための素材が、いくつか提示されたわけだ。委員会の判断は、この素材を総合していくと特定につながるのではないかということであり、こういう情報の扱いについては今後検討しなければいけない時期に来ているのではないかと審理の過程で感じた。

(質問)
論点のところに「隠し撮り、隠し録音の取材手法とその放送の当否」が放送倫理上の問題としてあがっているが、取材方法については特に今回の判断の中では示していないという理解でよいのか。
(市川委員)
そうだ。隠し録音、隠し撮りが、どういう場合に許容されるか、されないか、についての判断をしているということではなく、むしろ取材対象としてのカウンセリングの部分に踏み込んで撮影した点での問題性を指摘した。
(三宅委員長)
付け加えると、従前の決定では、隠しカメラ、隠しマイクは、原則として使用すべきでなく、例外として使用が許されるのは、報道の事実に公共性・公益性が存在し、かつ、隠しカメラ、隠しマイクによる取材が不可欠の場合に限定されるべきである、という基準がある。今回はそれを前提として、問題の部分の放送の仕方を議論したということだ。

(質問)
当事者の承諾を得ていないと隠し録音ではないかという気もするが、今回のケースは事前に承諾が得られるような状況ではなかったということもあり、通常の場合とは違うということか。
(三宅委員長)
先程言った基準から言えば、例外的な場合ということがあり得るし、公共性・公益性に高い評価をしていることからすると、プライバシー侵害の点からどうかという点で、掘り下げて行けば、かなりいろいろな問題で議論出来るとは思う。しかし、その辺は従前の基準に照らして、あまり問題ないということで、深めてはいないということだ。

(質問)
論点の中に、「具体的な被害はあったか」とあるが、具体的な被害というのは、放送を見た人によって申立人が特定され、それが広まる可能性があったということか。
(三宅委員長)
プライバシー侵害かどうか、その違法性が阻却されるかどうかという点はあるが、他人に知られたくない自分の内面を知られてしまったという点が、具体的な被害と言えば被害であろうと思う。

(質問)
本人が何を考え、なぜ入信しようとしたかは、当人の内面に踏み込まない限り分からないのではないか。カウンセリングの隠し撮り、私信を使ったこと自体が、本来は保護すべき利益という考え方もあるとのことだが、その点をもう少し説明してほしい。
(三宅委員長)
本件放送の一番大事な点は、若者が何を考え、なぜ入信しようとしたのか、というところだから、そこを取材することは、必要なことだと思う。だから、隠し撮りとか隠し録音のような点を批判しているという決定内容ではない。そのことは理解されたとして、どういう形で放送するのかというところに、難しい点がある。今のネット社会におけるテレビの利用のされ方という点から、表現手法にかなり気を配ってやっていく必要が今後は出て来ると特に強く思っているので、その辺を考慮した。

(質問)
プライバシー侵害として白黒つけるためには、本人に対する救済の必要性が高いかどうか、という議論があったということだが、もう少し詳しく必要性についてどう判断したのか説明してほしい。
(三宅委員長)
放送の公共性・公益性が極めて高い放送なので、プライバシー侵害として違法だという判断をするかどうかという点が非常に難しく、委員会では意見が一致しなかった。ただし、放送倫理の問題として、こういうことを局側に望む、という点では意見が一致したので、その限りで本人を救済したという結果になった。本人に対する救済の必要性との関係は、公共性・公益性との兼ね合いでバランスをとるということだ。

以上