第132回 – 2012年4月
視聴者意見について
中高生モニターについて …など
第132回青少年委員会は4月24日(火)に開催され、3月12日から4月15日までに青少年委員会に寄せられた視聴者意見を基に審議したほか、4月に寄せられた中高生モニター報告等について審議した。
議事の詳細
- 日時
- 2012年4月24日(火) 午後4時30分~6時00分
- 場所
- 「放送倫理・番組向上機構 [BPO] 」第1会議室(千代田放送会館7階)
- 議題
-
視聴者からの意見について
中高生モニターについて - 出席者
- 汐見委員長、境副委員長、小田桐委員、加藤委員、川端委員(新)、最相委員(新)、萩原委員、渡邊委員
視聴者意見について
担当委員及び事務局より今月の視聴者意見の概要等の報告を受けた。そのなかでフジテレビで4月6日に放送された『ペケ×ポン』に多数の批判的な意見が寄せられたことから、委員全員で視聴することになった。
中高生モニターについて
2012年度の新しい「中高生モニター」34人に、東日本大震災から1周年の番組や、この1年間の震災関連の放送について、「感じたこと」「考えたこと」についてリポートしてもらった。今回は、34人全員から報告が届いた。
2012年3月2日に、青少年委員会では、「子どもへの影響を配慮した震災報道についての要望」を出し、<震災関連番組内で、映像がもたらすストレスへの注意喚起を望みます>など、3点を各放送局にお願いした。それに対する各放送局の対応に関して、モニターから様々な意見が寄せられた。個々の番組に関する意見がある一方、震災報道全般に対する批判、賛同なども数多く寄せられた。
【主な意見】
- 「NHKの『帰れない犬たち震災が奪った日常』を見た。犬と飼い主が離れ離れで生活していかなければならなくなった悲しみ、苛立ちがとっても重たく伝わってきた。いつも通りの日常が突然奪われてしまうって、本人たちでなければその悔しさはわからないのかもしれない。今回のドキュメントはあの大震災から間違いなく1年が過ぎたんだと実感させられる内容だった。私たちもこの大震災の意味を重く受け止め、他人事ではないという気持ちを何時までも持ち続けていかないといけない」。(長野・高校1年女子)
- 「私が『東北地方太平洋沖地震』の報道を見て考えたことは、どこか”うそ臭い”ということです。私が知りたいことは、今、被災地がどういう状況なのかということです。でも、回りくどい報道ばかりで核心が隠されている気がします。もう一つ、”絆”という言葉を使いすぎだということです。”絆”という言葉は、近年使われ始めた比較的新しい言葉、という気がします。そういう言葉を、40代ぐらいのニュースキャスターが使っていたり、地元のおじさんが使っていたりすると、違和感があって、どんなに感動的な話でも、白々しく感じてしまいます。また、使いすぎ、というのも白々しさに拍車をかけています。地元のおじさんが、『ご近所との絆があったから…』、ナレーションが『そこには親子の絆がありました…』、コメンテーターが『やっぱり絆が…』とか言っていると、急にうそ臭くなって、『うざっ』と思ってしまいます」。(北海道・中学3年女子)
- 「日本テレビの『復興テレビみんなのチカラ3.11』を見ました。僕等、高校生にとって震災に関するニュースは重々しく、なかなか見る機会も少ないのですが、この番組では被災地と向き合ってきたアーティスト達の様子がピックアップされていて、そのアーティストの中に僕の好きなYUIが含まれていたので興味があり、視聴しました。そこで普段はバラエティーなどしか見ない僕も、この震災に関する番組を見つけ、見たいと思いました。実際、目当てのアーティストが出るのはほんの少しでしたが、それでもこの番組は5時間近くもやっているので、結果として他のテーマも見ることになり、震災後のことについて知ることになりました」。(東京・高校2年男子)
- 「去年、震災が発生してから、震災のニュースがテレビでたくさん伝えられていました。そのときに、あまりにひどい状況を見ることはストレスにもなるので、子どもはあまり見ないほうがよいと言われていると家の人から聞きました。確かに、津波で家や車や人が流れていくのを見るのは、とても怖いと思いました。でも、この一年間の映像を見て、少しずつ復興してきたことや、ボランティアとして働かれた人の様子を知ることができ、よかったです。ガレキは今後どう処理されていくのか、原発をどうするのかなどこれからも注意深くニュースに目を向けていく必要があると思います。ぼくは電車が好きなので、線路が流されていたり、電車が倒れていたり、東北新幹線の駅がとてもひどい状況になっているのを見たりして、とても心配でした。でも東北新幹線や一部の路線が復旧できて、機会があれば、自分の目でその様子を見てみたいと思いました」。(滋賀・中学1年男子)
- 「ほとんどの番組が視聴率を取るがための企画をしているようにも感じる。確かに将来への記録という意味では大切なのかもしれないが、津波で家を流されたり、家族を失ったりした人にストレートに質問をしているのを見て、興味本位の報道をしているのではないかと感じてしまう。また、在京マスコミはふだんから”東京目線”の報道ばかりしていて、本当に被災者に寄り添った報道ができているのか疑問に感じる。そんな中でも特に震災関連報道が良かったと思うのは公共放送のNHKだ。地震が起きたらまずNHKを見るというのは日本人にとって”常識”と言っても過言ではないと思う。震災後の報道も民放と比較して良かったと感じ、視聴率を考えながら番組を作らねばならない民放との差を感じることができたと思う」。(大分・中学3年男子)
- 「多くの報道番組の扱う『震災』に関する報道の内容が、表面的で危機感が被災地から離れている僕にとって感じられません。被災地に咲く桜、甲子園での選手宣誓、各国からの応援メッセージなどなど、そのような報道は被災者に勇気を届けることができると思うし、とても大切だけれど、問題は情報のバランスだと思います。特に恐いのが放射線やそれに関する報道量の少なさです。そんな中、特に僕がよかったと思う報道はJ-WAVEが3月28日にオンエアしたラジオ番組、『ジャム・ザ・ワールド』です。たった10分近いコーナーでありながら、原子力発電所の状況について、とても詳しい内容が話されていました。東日本大震災から1年に関する報道は、テレビよりラジオの方が全体的には優れていたのかなと思います」。(東京・高校1年男子)
- 「震災の状況を伝えることは本当に大事なことだし、そのことは続けるべきことだと思います。しかし、どの報道もどの番組も同じようなことばかりやっていると思います。僕は2011年の夏休みに岩手県にボランティアに行きました。そのとき分かったことは、この地震のことは風化してはならない、忘れてはならないということです。なのに、インパクトがなく、どこも同じようなことばかりやっていて、風化するのは時間の問題だと思います。テレビはどこか遠慮のようなものをしているように思います。現地の伝えられることを全然伝えていないと思います。また、被災地に行って思ったことは、臭いや現地の人のことです。テレビでは臭い自体は伝えられませんが、臭いを直接伝えられなくても、本当の現状が伝わるような工夫がまだできるのではないだろうかと思いました。テレビは、ありのままをそのまま伝えることが大事だと思います。それを見て何を思うか、どう判断するかは国民のやるべきことだと思います。テレビは決して道徳的なものばかりである必要はないと思います」。(静岡・高校2年男子)
- 「私が一つ印象に残っている番組があります。3月に放送されたフジテレビの番組です。昨年の震災以降、映像を見たり、音声を聞いたりして、心のストレスを負ってしまう子どもが急増したそうです。そこでこの番組は『ストレスを感じる場合は視聴をやめてください』とのテロップを流し、あえてリアリティーのある映像を流していました。私はそのような番組も必要だと思います。見るか見ないか自分でチョイスし、リアリティーのある映像を見て、自分で処理することで、現実を受け止められると思うからです」。(東京・中学1年女子)
- 「ちょうど1年がたった3月11日は、テレビ欄を見るとどの番組も震災の特集が組まれており、テレビを見ていてこの1年を深く考えさせられました。そんな中思ったのは、津波の映像が放送されたことについてです。迫ってくる津波や津波に流されていく車や建物の映像を見て、私は胸が痛みました。しかし、その映像を被災者の方々が見たらどう思うでしょうか。1年を振り返るための特集とはいえ、津波の映像は放送すべきではなかったと思います。その映像によって家族を亡くした悲しみや流された恐怖が呼び起こされてしまったとしたら、そのテレビ番組はよくない放送であると思います」。(群馬・高校1年女子)
- 「3月24日放送の『NHKスペシャル』では、地震、津波、原子力発電所の事故のため放射能汚染により、町民全員が避難することになっている福島県浪江町の1年間の様子が放送されました。実は私自身、現在自宅から離れ避難生活を送っています。今回の放送は、他人事としてではなく、自分自身のこととして、これからの生活を心配・不安になりながら、家族そろって見ました。今回の放送の中で青年部の方が『仲間と、浪江町焼きそばで盛り上げ、日本一の町にしたい』と言った言葉は力強くて、私も勇気付けられたし、応援したいと思いました。どんな辛い生活を送っていても、目標を失わないってことは素晴らしいと思います。原発事故についての放送は見れば不安になることが多いのだけれども、放送してもらうことで、この事故が日本中の方に忘れられないようになるので、これからも取り上げてほしいと思います」。(福島・中学2年女子)
- 「私は、日本テレビの『ザ!鉄腕!DASH!!』を見ました。その番組は、東日本大震災から1年経った今でも砂浜に流れ着くゴミなどを、自主的に拾っている人に密着すると言う内容でした。私はこの番組を見て、人と人との想いの強さをすごく感じました。ゴミを拾う人たちはみんな他人だけど、『もう一度サーフィンをしたい!』『もう一度観光業を復活させたい!』と言う想いは、同じだと思いました。たった1人の行動から始まり、今ではたくさんの人達でゴミを拾うと言うことにとても感激しました。これから日本にどんな困難が降り注いでも、この心があればみんなで乗り切れると思いました」。(長野・中学2年女子)
- 「3月24日の『NHKスペシャル~故郷か、移住か~原発避難者たちの決断』を見ました。この番組は、大震災において地震・津波の被害に遭い、原発事故による放射線漏れで深刻な影響を受けた福島県浪江町を取材する中で、この先故郷浪江町にもう一度戻って生活するか、安全な場所へ移住して生活するかで選択を迫られる住民や町長らの苦悩を描いている。この番組を通して、帰還か移住かという選択の間で揺れ動く住民たちの心がはっきり映し出されていた。原発避難区域の住民たちの故郷に対する複雑で深刻な思いが強く伝わってきた。この震災による影響がいま被災地にどのような問題をもたらしているのか、その問題が以前とどう変わってきているのか、今回の番組のようにひとつの問題に焦点を絞って定期的に放送してもらうことが、震災という出来事を風化させないために重要だと感じる。これからも、継続的にこのような震災報道を見ていきたいと思う」。(東京・高校2年男子)
【委員の所感】
- 皆さんの意見を、非常に面白く読ませてもらいました。震災ですべてを無くしてしまう怖さをうまくリポートしていました。「絆」を連呼したり、感動ストーリーを作ってしまうテレビに、「うそくさい」と断じる意見に感心しました。
- 中高生の知りたいことを、テレビは伝えていない事が分かりました。若者が報道番組を見るきっかけが、有名人なんだなと、新鮮に思えました。
- 中学生でこんな文章が書けるのかと、感心しました。全体的に、テレビ局のうそっぽさをクールに見ている、と言う感想を持ちました。
- 皆さん個性があって良かったです。初めから視聴率を取るための企画であったり、興味本位の報道ではないかなど、常にシビアな目線で報告してくれるタイプと、素直に自分の感受性を一般化するタイプの、大きく2つに分けられる気がしました。
- テレビで報道されているものと、ネットの情報が同じ価値になっているなあと感じました。基本的に裏づけの有るテレビの情報と、責任のはっきりしないネット上の情報の違いを、どうやって分かってもらえるか少し心配になりました。
- 映像のジレンマとして、あるストーリーに落とし込まなければならない制作者の状況を、「あんたたち分かっていないなあ」と、外から柔らかく突きつけられたような報告があり、元テレビ制作者として心に響きました。
- この前まで小学生だった人が、ここまで書けるのかとびっくりしました。自分で被災地に行って自分で見聞きしたものと、テレビの伝えるものとの落差を感じたと言う報告に感心しました。
「今月のキラ★報告」 東京・高校2年女子
私は日本テレビの『復興テレビみんなのチカラ3.11』を見ました。この番組は3月11日に生放送されたものだったので、追悼式の様子や、被災された方のその時の心境をリアルタイムで知ることができました。
被災者の方がおっしゃっていた事でとても私の記憶に残ったものがあります。その方は福島第一原発近くに住んでいましたが、今は立ち入り警戒区域となっていて、故郷に帰ることができていません。ニュースキャスターが、「何が一番恋しいですか。」と聞いたところ、その方は「カムラヤのUFOパンです」と答えてから、そのパン屋さんのエピソードをたくさん話していました。本当はこんなことを思ってはいけないのですが、私は思わず「私たちはそのパン屋さんについてそんなに詳しく知りたいわけでもないのに…」と感じてしまいました。その後、カメラが警戒区域に入っていき、その、人のいない町の現状を撮っていきました。すると、そのパン屋さんの変わり果てた淋しい姿が写しだされ、被災者の方は涙ぐんでいました。その時私は、「私にとっては、もしかしたらどうでもいいようなことでも、その人にとっては何十年の思い出が詰まっているんだ」ということに気づきました。そして、これがもし自分の町で、私はもう後30年はそこに戻ることができないと言われていて、そんなときに「何が一番恋しいですか」と問われたら私もきっとその被災者の方と同じように、他の人から見たらどうでもいいようだけど自分にとっては日常だったことについて話すでしょう。
日常生活、親や友達の存在、学校など、当たり前すぎてそのありがたさが分からないものこそ、失ったときのショックが大きくなるのだと思いました。こういう事は、この番組を見ていなかったら知ることができなかったと思います。ここで、私は放送が私たちに教えてくれることの奥深さを知ることができました。
しかし、一方で去年、震災直後のニュースを見たところ、ニュースレポーターが被災者の方に「とても悲しいですね」と話しかけていましたが、被災者の方はうつろな目つきで下方を見、返事はしませんでした。私は、被災者の方なら誰だって同じ反応をするだろうと思いました。被災者の方の悲しみや苦しみは「とても悲しいですね」という言葉では到底適切に表現できません。技術が発展して、最初は文字だけの新聞、次に声のラジオ、そして声と姿によるテレビと、次々に情報伝達の手段が増えました。しかし、どんなに声で訴えても、どんなに表情や身振りで表しても、体験したことすべてを伝えるのは不可能です。
ここで、私は放送の限界というものを感じました。だからこそ、報道では体験をした方の立場になって、様々な工夫を凝らして物事を伝えていくべきだと思いました。そうすることによってだんだんと実体験と報道によって人々が得た情報の差を埋めていくことができ、また、そうすることが報道の使命であると私は思います。
【委員会の推薦理由】
震災報道を通して、報道では伝えきれない真実や感情があることに気がつき、その上でどのように報道していくべきかということに考えを及ぼしている点が高く評価されました。また、日常のことすぎてありがたさに気がついていないものを失った時のショックの大きさに気がつき、当たり前だと思っていることのありがたみを感じる感性も評価されました。