「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解
2022年4月15日
放送と青少年に関する委員会
青少年委員会の視点
インターネットの普及によるメディアの多様化の中で、従来のテレビやラジオなどの公共性が高い放送の相対的な位置が低下してきていると言われているが、依然として放送は、国民の誰もが視聴できるという特性を有するがゆえに、老若男女を問わず国民の生活に大きく関わっている。こうした放送の幅広い公共性がBPOの存立の基礎にあることは、BPOの創立以来不変の事実である。
単に青少年向けに作られた番組だけではなく、大人向けに制作された番組も、録画や「テレビ、ラジオ以外のメディア」によって、青少年の誰もがいつでもどこでも番組を視聴することが可能になった。青少年委員会は、BPOに統合前の当委員会の時代から、青少年向けの番組のみならず全ての番組について、それらが成長と発達の過程にある青少年の人間観、価値観、さらには社会情動性の発達に与える影響について注意を払うとともに、番組制作者に向け、以下の2つの見解をはじめ、折に触れて委員会の考えや委員長コメントを提示してきた。
今回、当委員会が「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」について審議入りしたのも、これまでの基本的な視点の延長線上にある。
バラエティー番組に関するこれまでの当委員会の見解
バラエティー番組は、そのダイナミックな構成と展開によって、多くの国民の間で高い人気を博している。一年を通じて、人気のある芸人が出演するバラエティー番組は、相対的に高い視聴率を得ている。翻ってこのことは、人気のある芸人が出演する番組は、それを視聴する多くの視聴者に大きな影響力を持っていることになる。これまで当委員会の審議事案の多くがバラエティー番組であったこともこうした事情を反映している。
BPOに統合前の当委員会は、2000年11月29日に、暴力を肯定するようなシーンに対して「武力や暴力を表現する時は、青少年に対する影響を考慮しなければならない」という民放連放送基準(19条)などに抵触し、「"いじめ"を肯定的に取り扱わないように留意する」という放送基準審議会からの要望(1999年6月)の趣旨に反するという理由で見解を公表し、番組制作者に注意を喚起している。
さらに、当委員会は2007年10月23日に、バラエティー番組の中でよく行われる「罰ゲーム」に関して、「出演者の心身に加えられる暴力」に関する見解を発出している。同見解は、出演者をいたぶる暴力シーンについて、バラエティー番組を好んで視聴している中学生モニターさえも「人間に対する否定的な扱い」に対して一様に不快感を表明したことを紹介するとともに、暴力シーンと未成年者の「いじめ行動」との直接的な関係に関しては、いまだ確定的な結論が見出されていない現状ではあるものの、多くの青少年がテレビメディアの公共性を信頼している中において、「人間を徒らに弄ぶような画面が不断に彼らの日常に横行して、彼らの深層に忍び込むことで、形成途上の人間観・価値観の根底が侵食され変容する危険性もなしとしない」と述べ、番組がこうした動きを増幅させないよう一考を促している。
当委員会に寄せられる視聴者意見や中高生モニターの意見
当委員会は、上記をはじめとした一連の見解、委員会の考え及び委員長コメント等が番組制作者に共有され、バラエティー番組の企画制作に活用されていることを願うものである。しかし、ここ数年間、「出演者の心身に加えられる暴力」を演出内容とするバラエティー番組に関して、当委員会に寄せられる「いじめを助長する」「不快に感じる」という趣旨の視聴者意見は減少していない。また、近時の中高生モニターからも、「本当に苦しそうな様子をスタジオで笑っていることが不快」「出演者たちが自分たちの身内でパワハラ的なことを楽しんでいるように見える」など、不快感を示す意見が一定数寄せられている。
他方において視聴者からは、これまでにもバラエティー番組に対してBPOが見解等を表明することにより「テレビがつまらなくなる」「家庭の教育の問題」というような趣旨の意見、また当委員会が「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」について審議を開始したことに対して、「BPOの規制により番組の多様性を失う」「表現の自由の範囲内の内容だ」「いじめは家庭のしつけの問題」などの意見も寄せられている。
あらためてBPOは、放送における表現の自由を実質的に確保するとともに、青少年の健やかな成長と発達にも資することを目的として、放送界が自ら設置した第三者機関であることを確認したい。今なおテレビが公共性を有し放送されることは、権威を伴って視聴者に受け容れられているといってよい社会状況のなかで、暴力シーンや痛みを伴うことを笑いの対象とする演出について番組制作者に引き続いて検討を要請するために、この見解を示すことにした。
審議の経過
当委員会は、2021年8月24日開催の委員会において「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」について審議することを決定し、その後、2022年3月22日まで7回にわたり委員会で審議した。審議の過程で、2009年11月17日公表の「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」を発出したBPO放送倫理検証委員会の委員の一人であった水島久光東海大学文化社会学部教授からのヒアリング及び意見交換、バラエティー番組制作に携わるテレビ局関係者との意見交換、2021年度青少年モニターとの意見交換を行った。
暴力シーンの意味
暴力シーンは、それ自体で視聴者に情動反応を引き起こし、幼少児では模倣行動を惹起するという意味で、その放映には十分な注意が必要である。しかし、番組の中で暴力シーンが提示される文脈(ストーリー)や、暴力を振るう個人と暴力を振るわれる個人の関係性によってその意味が大きく違ってくる。
事前に両者の間の一定の了解ないしはルールが明示されている場合と、そうでない場合で、視聴者の受ける情動的インパクトは大きく異なる。ルールのある格闘技(たとえルール破りという演出があっても)や、ドラマの中での暴力シーンは、幼少児を除いては、両者の了解のもとに行われる一種の演技であることが視聴者にも明白である。
ところが近年のバラエティー番組の罰ゲームやドッキリ企画は、時として視聴者へのインパクトを増すために、出演者の間では了解されていたとしても、リアリティー番組として見えるように工夫されている。より強いインパクトを求めて、最近のリアリティーショーは、制作者、出演者の作り込みを精緻化させ、大人でさえもリアルとしか思えないような演出がなされることもある。中高生モニターの高校生の中には、制作者と出演者の間の了解を理解している例も見られるが、視聴者が小学生の場合は、作り込まれたドッキリ企画をリアリティー番組としてとらえる可能性は高い。
近年には、多数の視聴者からの批判が寄せられた以下のような番組がある。
刺激の強い薬品を付着させた下着を、若いお笑い芸人に着替えさせ、股間の刺激で痛がる様子を、他の出演者が笑う番組があった。被害者のお笑い芸人は、事前にある程度知らされていたのかもしれないが、痛みはリアルであり、周りの出演者は他人の痛みを嘲笑していた。
深い落とし穴に芸人を落とし(ここまではドッキリ番組の定番であるが)、その後最長で6時間そのまま放置するというドッキリ番組もあった。その穴から脱出するための試みが何回となく放映され、脱出に失敗して穴の中に落ちる芸人を、スタジオでビデオを視聴する他の出演者のうち何人かが、嘲笑するというものもあった。
この2つの事例は、視聴者と、心身に加えられた暴力に苦悶する出演者の間に、それを見て嘲笑する他の出演者が入るという多重構造になっている。
この「他人の心身の痛み」を周囲の人が笑う場面が、リアリティーショーの体裁として放映されることの中に、2007年の当委員会の見解の中で憂慮した「人間を徒らに弄ぶような画面が不断に彼らの日常に横行して、彼らの深層に忍び込むことで、形成途上の人間観・価値観の根底が侵食され変容する危険性」が現実化しかねない、以下に述べる理由がある。
「他人の心身の痛み」を周囲の人が笑うことを視聴することの意味
近年の発達心理学と脳科学の発達によって、人の社会性や情動性の発達に関わる脳内活動についての理解が深まった。人が健全な社会性を獲得する上で重要な、「他者の気持ちや意図を理解する能力の発達」が、ミラーニューロン系と呼ばれる一連の脳内回路によって担われていることも明らかになっている。他者の表情や行動を見ることによって、自分が同等の表情(感情)や行動をしたときに活性化される脳内部位があり、それがミラーニューロンにあたる。たとえば他者の痛みによる苦悶の表情を見ると、自分が同様の痛みを感じたときに活性化する、自身のミラーニューロンが活性化することがわかっている。「他者の苦痛を慰撫することで、自分のミラーニューロンの活動(投影された痛み)が軽減するという仕組み」が、共感性発達の重要な鍵になるのである。子どもは「他者が慰められたり苦痛から解放されたりするシーンを見ること」で、自分自身も解放され、自然に他者の困難を助けようとする共感性を発達させてゆく。幼少時から、苦痛や困難に苦しむ人が他の人によって慰められたり助けられたりする場面を見ないで育った子どもは、共感性の発達が障害される可能性が高くなる。幼少時に虐待を受けた子どもが、自分が親になったときに、自らの子どもを虐待する率が高いこと(虐待の世代間連鎖)も、こうした共感性発達の障害が原因であると考えることができる。
では、バラエティーのドッキリ番組で、リアルに(見える)心身の痛みに苦しむ芸人を、周囲の他の出演者が嘲笑しているシーンを見たらどうなるだろうか。「苦しんでいる人を助けずに嘲笑する」シーンは、ミラーニューロンの活動を軽減せず、子どもの中に芽生えた共感性の発達を阻害する可能性があることは否めない。さらに他人の心身の痛みを嘲笑している人が、子どもが敬愛し憧れの対象である芸人だとしたらその影響はさらに大きなものになるであろう。
このように、攻撃的な場面が繰り返される番組が、人間の心理、とりわけ子どもの行動傾向および心理発達に与える影響については、多くの科学的エビデンスがもたらされている。米国を始めとする先進国において、過去60年間に蓄積された心理学・医学・社会学等の論文をメタ分析した研究では、暴力的な映像を日常的に視聴する青少年には、攻撃行動の増加および暴力に対する鈍感さ(脱感作)や、向社会的行動(例:援助行動)の減少と共感性の低下等々の心理・行動の変化が起きることが確認されている。暴力的な状況下で被害者が痛みを伴う場面を繰り返し視聴することには、視聴する子どもの攻撃性を増す危険因子があることが実証されているのである。こうした子どもの攻撃性は、視聴直後に現れるとは限らない。6歳から10歳の子どもが、攻撃的な場面の多い映像を視聴し続けたあと、その子どもが15歳から18歳になる頃に、攻撃的・反社会的行動の発現の頻度が高まることを示す縦断研究があることは、映像の視聴の影響が潜在的に長期に及ぶことを示唆するものである。
さらに、当委員会では、前述のように2000年と2007年に見解を出しているが、2013年に「いじめ防止対策推進法」が成立するなど、この15年の間にいじめをめぐる社会的認識は大きく変化している。テレビで演出される「他人に心身の痛みを与える行為」を、青少年が模倣して、いじめに発展する危険性も考えられる。また、スタジオでゲストが笑いながら視聴する様子が、いじめ場面の傍観を許容するモデルになることも懸念される。
結びとして
当委員会は、もとより番組制作者に対してバラエティー番組の基準やルールを提示することを目的として本見解を出すものではない。
気持ちの良い笑いが脳を活性化させてリラクゼーション効果をもたらし、ストレスを解放して、円滑な人間関係にもつながることは多くの人が実感するところである。バラエティー番組がテレビにおける重要なジャンルの一つであることは疑いようがなく、当委員会は、テレビ局関係者との意見交換等をとおして、制作者が限られたリソースのなかで工夫を重ね、視聴者に快い笑いを届けるために努力を重ねていることも認識しているつもりである。
その上で、70年余のテレビの歴史とその公共性に鑑みれば、その時々の時代や社会状況のなかで、視聴者を楽しませるバラエティー番組の制作を実現するためには、番組制作者の時代を見る目、センスや経験、技術を常に見直し、改善し、駆使することが重要であることを改めてお伝えしたい。
そして、「他人の心身の痛みを嘲笑する」演出が、それを視聴する青少年の共感性の発達や人間観に望ましくない影響を与える可能性があることが、最新の脳科学的及び心理学的見地から指摘されていることも事実であり、公共性を有するテレビの制作者は、かかる観点にも配慮しながら番組を作り上げていくことが求められている。
当委員会は、番組制作者がテレビの公共性や青少年に与える影響を真摯かつ謙虚に受けとめながら、今後もさらに表現に工夫を凝らしてバラエティー番組の楽しさを深め、広げていくことを期待して、本見解を出すことにした。
以上