青少年委員会

青少年委員会 意見交換会

2020年2月

学校の先生方との意見交換会の概要

◆概要◆

青少年委員会は、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすための活動の一環として、各地で様々な形の意見交換会を開催しています。今回は、2月15日、14時から17時、東京で学校の先生方と青少年委員会委員との意見交換会を開催しました。このような形の意見交換会は一昨年、昨年に引き続いて3回目の開催となりました。
BPOからは、 榊原洋一 青少年委員会委員長、緑川由香 副委員長、菅原ますみ 委員、吉永みち子 委員が参加しました。先生方は、東京、神奈川、北海道、茨城、岐阜、京都、沖縄の小学校、中学校、特別支援学校の先生10人が参加しました。

<榊原委員長冒頭の挨拶>

冒頭、榊原委員長より、次のような挨拶がありました。

〇榊原委員長
BPOの青少年員会は、青少年のモニターという制度を持っており、中学校・高校の生徒30名くらいの方に、1年間にわたって、例えば最近見たテレビドラマで何が良かったかというようなテーマで報告をもらい、そこから今の青少年の方が、どのようにテレビを見ているかということを常に情報を入れて、私たちもリフレッシュしている。私たちの見方と青少年の見方が違うのではないかということで、とても貴重な制度である。
今回は、それを補強する意味で、私たちよりいつも青少年に接している皆様のご意見を伺うことによって、現代の児童・生徒たちがどのようにテレビを見ているにか、インターネットに接しているのか、皆様とご見解、ご経験を共有させていただきたい。忌憚のないご意見、コメント、あるいはBPOへのご意見、ご注文も併せてお聞かせいただきたい。

<第1部「インターネットが子どもたちに与える影響について」>

これまでの意見交換会では、主にテレビが子どもたちに及ぼす影響について議論してきましたが、今回は、子どものメディア利用という意味では、今やテレビ以上に大きな存在となっているインターネット、特にスマホの拡大がどのように子どもたちに影響を与えているか議論しました。まず、今、子どもたちがどのくらい、どのようにネット、スマホを使っているのか、実態を報告してもらいました。

〇先生
本校は、81人しかいない学校だが、そのうち49%くらいの子どもが、自分のスマートフォン、タブレット、あるいはゲーム機を利用して、常にインターネットにつながるものを持っている状態である。保護者の端末まで入れると、9割以上の子どもが普段からインターネットを利用している。
利用状況としては、学校ではユーチューブを使って情報を発信している。例えば授業参観の時はQRコードをつけて、そこにアクセスするとユーチューブで、例えば子どもたちが作品を作っている途中の映像が見られたり、あと体育館もQRコードだらけになっていて、跳び箱とか縄跳びなどの飛び方を動画で見せている。こうやって使うと学習道具になるということをアピールしているところである。普段の自習の中でも、ユーチューブのまとめ動画で調べましたとか、ネットに載っている情報から教科書にないものを探してまとめている子どももいる。しかし、それは一部で、大体の子どもはオンラインゲームや最近はLINEを多く利用している。そこでは、トラブルも起きている。悪口を言っているような状況もある。意味がよくわからないが、オンラインゲームでボイスチャットを使って、ゲームをするのではなく、会話をしながら宿題をしている子どももいる。テレビ電話の代わりに使っている。
家庭でのルールを聞いてみると、1日何時間です、と答える保護者に対して、子どもたちはその倍以上使っている。見えない時間帯に使っているのもあるのかなと感じている。
特に今、気になっているのが、オンラインゲーム上でボイスチャットでけんかをあおるような言葉使いをしていたり、親が寝てから子どもが起きだして、親の寝ているところからスマートフォンを持ってきてゲームをやっている子もいるようだ。そういった子が夜中から朝方までゲームをやって、一応登校してくるが、眠い状態で授業を受けていて寝ている子もいる。
新聞報道もされたが、1日6時間以上ゲームをやっている子どももいるみたいで、寝不足の子がいらいらしているような状況もあって、クラス内でけんかが起きている。利用時間の多い学年の子はけんかが多いという結果や、テストでも平均点より下の子が多くなっている状況もあるので、現在は家庭に利用状況についてちゃんと把握してほしいこと、ルールをしっかり持ってほしいことを呼び掛けているところである。

〇先生
今回の意見交換会に参加するにあたって、子どもたちにアンケートを取ってみたが、休みの日には、大体高学年は9割くらい、4時間以上インターネットを使っているという実態があった。そのほとんどが、ユーチューブとオンラインゲームであった。
本校にも不登校の子どもがいたが、その子は学校には来ないけれども、オンラインゲーム上で「いたよ」というのを、先生が子どもたちから聞くみたいな感じであった。その子はのめりこみすぎて、1週間ほど入院してゲームから離れる時間を取って、その後、戻ってきた後は午後から登校する形で、いわゆるインターネット依存であった。
低学年の子どもたちも、テレビを見るよりも、インターネットでアマゾンプライムを見たり、オンラインゲームをダウンロードしてやっている時間のほうが長い。また、自分でTikTokなどに投稿している子どもも3割くらいいたり、教員が把握していないところで子どもたちはいろいろな知識をつけていることが、今、学校でも話題になっている。ただ、周りに大きな都市がないので、ユーチューブなどで子どもたちがいろいろな視野を広げたり、刺激を受けたりという点で、いい点もあるのかなと思っている。しかし、その動画を見て、危険性がわからないまま、「良い子はまねしないでね」というのが、何かネタのように子どもたちは感じていて、それをやったら学校の電気がショートしてしまったみたいなこともあったので、本当に教員もちゃんとそういうところは見ていかなければいけないと思う。

〇先生
今の中学校では、もう小学校6年生からスマホを持たせている家庭が半分くらいある。保護者に聞いてみると、やはり持たせたくないが、子どもたちが保護者のほうに、みんな持っているからという、「みんな」という合言葉を使い始めていて、実際は半分くらいだったものを、大きく盛って、LINEのグループに入らないと仲間外れになるから買ってもらわないと困ると随分せがんだようだ。しょうがなく買ったという保護者の方は、厳しくルールを決めているという印象であった。この1年、スマホ依存で大きなトラブルもなかったし、LINEのグループでのトラブルを指導したこともない。しかし、逆に、厳しくない保護者もいて、もっと前、小学校3、4年生から持たせている子どもについて、実は何をしているかもわかりませんという人もいる。使い方について本当にルールが決められないでいる。なかなか仕事が忙しくて子どもに目を向ける時間がなく、しょうがなく使わせているところから、どんどんほころびてしまうと、1日3時間、4時間使ってしまうという傾向になっている。やはり家庭で小学生の時からルールが守られていなかった子どもは、学力的にも随分厳しい状況があったりする。

〇先生
特別支援学校でも高等部になると、スマホやiPadは、普通に使っている。特に動画を見ている時間が多くなると、知的障害がある子どもたちも、すごく安定するようだ。学校の中でもiPadを授業の中でコミュニケーションを図るためのツールとして見せている。iPadを見るとイコールユーチューブ、ネットという感覚が頭の中にあるようだ。休み時間とか、着替える時間、片付ける時間が早く終わったときに、ユーチューブを見てもいいよというと、すごく喜んで見ている。自分がこれで落ち着くということで良い面として、ユーチューブは使われていると思う。そして、「1回の動画再生が終わったら次の子に替わろうね」とか「自分一人だけが見続けるのはなしにしましょう」などのルールは作っている。知的に障害があっても、そこのルールは、ちゃんと守ってくれている。

これらの実態報告を受けて、委員からは次のような意見が出されました。

〇吉永委員 
私たちの時代では全く考えられない授業の形で、素晴らしく良い面もたくさんあるだろうと思いますが、デメリットの部分をどうしたらいいんだろうかということは、これから結構大きな課題になってくると思う。
長時間使うことによる身体的な影響では、目が悪くなるとか、音楽を聴き続けることによって難聴になるとか、また心的な影響では、集中力がなくなってくるとか、睡眠がちゃんととれなくなる。学校に行って眠くなってしまうとか、あるいは集中力がなくなってしまうことによる学力の低下、それによってついていけなくなるから、ますますそちらの世界に行ってしまうという、連鎖もあるのかなと思う。
実際に、自分も子どもを育ててみて、小学生くらいまでは何とかコントロールが効くが、中学の反抗期くらいになると、ルールを決めれば決めるほど反発するという悪い状況も生まれてきてしまう。逆に、今度は恐ろしくてルールが決められなくなってしまったり、ずっと監視しているわけにはいかないので、見ていないところで、それにすごい時間が費やされてしまう。やめよう、やめようと思っても、依存症というか、ゲームをやり続けると止まらなくなる。私も、以前、ゲームボーイにはまったことがあった。朝から晩まで。仕事があるのにやってしまう。大人になっていたから、自分で何とかしなければと思い、これは恐ろしいことだなと、自分で実感して、逆に実感したからセーブできたのだか…。ルールを決める前に、このことを何時間やっていると、目がこんなふうになるよとか、体がどうなってくるよとか、本人がこれをやっているとまずいぞと思えば、少し自分の中でブレーキができてくる。そういうものをどうしたらつくっていけるのかと思った。
また、何かの調査で驚いたのだが、8歳から11歳くらいでアカウントを持っている子どもが結構いる。23%とか24%くらいだった気がするが、本当にそういう実態なんだろうか。特に大阪の女の子が、行方不明になり、子どもだからそこら辺にいると思ったら、とんでもないところに行っちゃっている。何か中年のおじさんのところに行っている。それもスマホでつながっていた。ああいうことが実際に起こるんだなと驚いてしまった。そういうことも含めて、ネガティブな側面は、調査・研究して、それに対する対策を本当に考えていかなければならないフェーズに入っているのかなと感じた。

〇菅原委員
家庭の養育力というか、ユーチューブの使い方の親のルールつくりの問題だが、大きな子どもの24時間の中で、上手にメリハリのある、子どももうれしく使えるし、ほかの必要な勉強にも差しさわりのない使い方にはまっていくと、支障は出てこないと思うが、普通の家庭だと、上手にやれる親はそれをやれているが、うまくない親は、子どもの生活自体にまずコミットしていないし、上手に、メリハリをつけるように子どもたちを納得させるというスキルもない。つまり、親のメディアリテラシーが重要になってくると思う。
私たちは、NHKで、ゼロ歳から11歳までの子どもを対象に、1年に1回、子どもの視聴実態と、家庭の親の意識ということで、追跡調査をしてきたが、親がどのくらい意識して子どもをメディアに触れさせるか、時間のコントロールとか、いい番組を選ぶとか、という意識では、個人差がすごく大きいことが分かった。衝撃的だったのは、そのコントロールが上手な親は、ゼロ歳の時からそれができていて、11歳まで結構継続する。一方、最初から意識がなくて緩い親はそのまま行ってしまう。あるメディアを子どもに触れさせる、その時同時にスタートラインでの使わせる側のリテラシーというのがすごく大きい。子どもは、やはり単純なので、その枠に入ってしまえばそういうものだと、だんだん理解していくものだと思う。中学とか高校になると、子どももそのルールの中でもう10年近くやっているので、それをどうやって修正していくのかが大きな課題だと思う。
ゲームとか、スマホは後から出てきたが、先生方の目の前に現れる子どもたちは、すでに家庭で、使わせられ方、ルールの入れ方でキャリアがあって学校にやってくる。それを学校でどうやって調節していくかというところが、腕の振るいどころだろう。

次に、こうしたネット、スマホの拡大が、子どもたちにどんな影響を与えているのか、良い影響、悪い影響について聞きました。先生方からは次のような意見が出されました。

〇先生
良い影響と言っていいのかわからないが、今の子どもたちはICT(情報通信技術)機器に対しての抵抗感はほぼない。これから先の現場に入ってくるであろう、いろいろなコンピューターやAIだとか、プログラミングも次年度から学校教育で始まっていく中で、そういう子どもたちの実情を考えると、導入はしやすいだろう。インターネットにしてもスマホにしても、子どもたちは生まれた時からあるものなので、それが当たり前の社会の中で、良い影響も当然あると思うが、問題点としては、追いついていかないところである。日々、いろいろなことが変わっている中で、指導する側も子どもたちも追いついていけない現状があることは、すごく感じる。
インターネットは時間の縛りが全くないので、自分が好きな時に好きなようにアクセスできるところが最大の利点であり、最大の課題だと感じている。そこから生活のリズムが崩れたりだとか、時間で切れないところがあると思う。非常に気軽にネットワークに接続できる環境があるので、いい意味でも悪い意味でも、これからもっといろいろなことが出てくると、子どもたちを見ていて感じている。

〇先生
OECD学習到達度調査では、日本の子どもたちはデジタルスキルの活用がないという結果がはっきり出ている。スマホイコール動画、ゲーム、SNSみたいなイメージがすごく強く、それを授業の中では活用できていない。持っているスマホやICT機器は実はもっといろいろな使い方ができるということを子どもたちも教員も知らないのが、現状だろう。今の子どもたちは、デジタルの機器やツールは常にある状態で、そこから学びをどうしていくかを考えていかなければならない。学校側にまだまだスキルもなければ、環境もないのが現状なので、多くの教員は、勉強とデジタルは別というとらえ方が強いのが課題だと思う。いい部分をどう活用しながら子どもたちの学びにつなげていくか、それによって日本社会もイノベーションができると思う。

〇先生
OECDの調査では、日本人は特にゲームが好きなようで、インターネットをゲームとして使っているのは、ほぼトップのところにいるが、逆にスマホ、パソコン、インターネットなどが学校で使われているかというと、順位が逆転してしまう。効果があることはわかっているので、いかに学習に結び付けていくかが大きな課題だろう。ゲームも遊びのツールとしてはよく使っているが、それを踏まえたうえで、どう活用していくか考えていかなければならないだろう。

〇先生
保護者の方も、もしかしたら教員自身も、自分自身はスマホがうまく使えているという思い込みがあって、子どもも使えるだろうと思っているのかもしれない。本当はお母さんとか家の人もものすごくネットのオンラインゲームなどをしていて、自分は上手に使えているから、子どももきっと使えるだろうという甘い勘違いみたいなものが多いのではないかと思う。家の人も一応ルールを決めているが、ルールを決めても、家の人自身が守れていないというか、自分自身ものめりこんでいる傾向が強い。自分自身がスマホを触りたい衝動を抑制できないのに、子どもの衝動を抑制するのはたぶん無理だろうと感じている。子どもがスマホを欲しがっている親から学校にどんなルールを決めたらいいですか、聞きに来ることがある。トラブルが起こってから、学校ではどんな指導をしていますかとか、相手の子の使い方が悪かったのではないかという議論のすり替えみたいなことが起こるが、そもそも家庭でルールが守られていないので、保護者自身、教員自身スマホとのかかわり方を見直す必要があるのではないかと感じている。

先生からの意見を受けて、委員からは次のような発言がありました。

〇吉永委員
さきほどデジタルスキルがあまり育っていないという発言があったが、世界の子どもたちに比べて、日本人がネットを使う時間が少ないとは思わない。しかし、それがゲームということに集中しているという側面がある。おそらく学校に入る前、最初のスマホとかネットのつながりができてしまったのだろうが、これをメリットとして学習にうまく結びつけられないのはなぜだろうか。例えばコンテンツの問題なのか、あるいは規制とか縛りがあってうまくいかないという面もあるのだろうか。

この意見に対して、先生からは次のような発言がありました。

〇先生
コンテンツの問題については、学校の現場でネットを使おうとすると、多くの学校は、まず「総合的な学習」の時間で、調べ学習が思いつく。多くの学校でやっている調べ学習は、ネットで調べて、調べたことをまとめて発表するというものである。従来の「総合的な学習」の時間の探求的な内容は、自分の目で見たり、聞いたりして調べたことをまとめて発表するというものだったが、それがいとも簡単にネットで、あたかも自分が調べているみたいなものがうまく発表できてしまうところに傾きつつあるのかなと感じている。私は、数学担当だが、例えば、生徒一人一人が、学力が低い子どもだったら基本的な問題を解く時間、さらに少し発展的な問題を解く時間というふうに、ゆくゆくはAIが自動で判断することに取り組んでいるが、そのコンテンツがなかなかなく、あったとしても費用がかかる。今は、手作業でこちらで問題を作って、それをコンピューターに登録して、自分で解いていくことをしているが、教員側の作業量が大変になる。まだまだ教育にコンテンツを使うのは、調べ学習とか、動画を見て学習するというところで止まってしまうのではないかと思う。

さらに、委員からは、次のような疑問が出されました。

〇榊原委員長
ここにいらっしゃる先生方は、ICT(情報通信技術)とかコンピューターについて、非常に関心の高い方だが、日本全体で、小中高も入れて、そのスキルはどんな状態にあるのだろうか。先生方自身のそれに対する知識、個人ユースするレベルから、もう一つ上の教えるというスキルが今どんな状態にあるのか知りたい。

これについて、先生からは次のような発言がありました。

〇先生
先ほど、デジタルスキルと授業とをうまく結びつけられていないという話が出たが、学校の中で正しくメディアを使うと言ったら、こう使いましょう、こうしたらいけませんという禁止事項をいっぱい作る授業が多いなと感じている。学校では、使い方の失敗例を教えてはいけないという考えがあり、正しい使い方を示さなければならないが、逆に正しい使い方が全面的に出てしまい、大人でも使い方で間違うことがあるのに失敗例が許されないというところがある。道徳的な使い方だけ教えて、自分の生活が豊かになる使い方について子どもと一緒に考えることがないと感じている。デジタルスキルが学校現場に普及しない原因は、失敗が許されないというところにもあると思う。

〇先生
先ほど、良いコンテンツが使われていないという話があったが、その考え方も大事だと思う。LINEも、良いコンテンツなのか、悪いコンテンツなのか両面あると思う。メールでは基本的に1人ずつ送っていたが、共有するのが難しかったものを画期的に変えた部分がある一方、それによるトラブルも当然起こっている。また、考え方ひとつで、ゲームも学習になると私は思っている。具体例をあげれば、私自身はゲームの『桃鉄』が大好きで、日本地理は『桃鉄』で覚えた。ゲーム会社は相当データを取っているので、そこの駅に行ったときにいろいろな特産品が買えるが、そのデータが頭に入る。私の子どもは『マインクラフト』が大好きで、かなりの時間やっていて、ブロックを渡すとそれなりのものが作れる。いい面、悪い面を周りがきちんと価値づけてあげることが、良いコンテンツを作っていくことにつながっていくと思う。
子どもの中に学習と遊びが別物になっている部分があるが、遊びの中でこそ学びはあるだろう。鬼ごっこでも、いろいろな相手の意識も考えなければいけないように、ゲームイコール悪なのかというのは、もちろん依存性の問題など、いろいろな問題をはらんでいるが、捉え方ひとつで変わってくると思う。

〇先生
特別支援学校に異動してきて思ったのは、子どもたちがユーチューブなどを見るときの約束は、ずっと前から守られてきたということだ。自分が終わったら替わらなければならないとか、むやみやたらの暴力やちょっと行き過ぎた映像は、なぜか見ない。自分にも偏見があったが、とにかく何でもかんでも好きなものを見るだろうと思っていたが、そこにはきちんと約束がある。これを見てはいけないのではないかとか、これを見るとみんなが楽しめるだろうというということがわかっている。例えば、最近ではパプリカがはやっていたが、これを見ると男の子も女の子も歌いだすので楽しいな、とか、自分の好きなアニメの歌を流すとみんなで歌えるなということを、障害があっても感じられる。自分にも本当に偏見があったと感じるし、子どもたちも日々こういうことを繰り返していけば発達していくと感じている。
菅原先生の本にもあったが、メディアを長時間見続けるかどうかではなく、そこにコミュニケーションを挟んでいくことが、子どもたちが発達していくための大きな要因であるということは、すごく勉強になった。このiPadを渡せば子どもが泣き止むとか、おとなしくなるから渡しちゃえということではなく、それを一緒に見ながら、ああだね、こうだねと対話していくことが大切だということだ。

さらに、インターネットを教育に生かす際、支障になっている点について、次のような指摘がありました。

〇先生
私たちの町では、iPadを各校に何台かずつ入れているが、使いたいアプリを教育委員会に申請して許可が下りないと使えない状況である。私はもう5回くらい、ユーチューブを入れてくれるように申請したが却下されるという状況である。ツイッターも見られるようにお願いしても、駄目になっている。調べ学習の時など、市町村、県などは、ユーチューブやツイッターで発信しているものが多い。ただ禁止されてしまっているので、うまく使えていなくて、もったいない、と思う。
先生方の使い方のスキルの話だが、4年くらい使ってきても、写真を撮るだけの活用の先生もいる。こちらが、こういう使い方もある、動画も作れる。写真より動画のほうが伝わりやすいのではないかなどと遊びながら研修をしているのだが、その時は使い方が分かったとなるが、実際授業でどう使うかとなると悩んでしまう先生も多いのが実情だ。

これまでの先生方の意見を受けて、委員からは次のような発言がありました。

〇緑川副委員長
大変興味深く、今の学校現場の状況を教えていただいた。弁護士をしていて、普段依頼者との連絡は電話やPCのメールですることが多いが、最近ではLINEを利用する方も増えている。若い経営者などは、スマホ一つでフットワーク軽やかに連絡を取り合いながら、ものすごいスピードで事業を進めている。今、日本の若い人たちが経済を引っ張っていくような活躍をしているというところから遡って考えていくと、今の子どもたちはデジタルネイティブで、小学校、中学校からスマホやPCを使い始め、大学生くらいになると、私たちが考え及ばないように使いこなしているように見える。スマホは、コミュニケーションツールとして使うことも、娯楽のためにゲームをすることも、情報収集のためユーチューブやネット検索もできる。そんな中で、学校で子どもたちにどういう教育ができるのかということは、スマホやPCのどの使い方に着目して、何を教えるのかということを考えながら、場面場面を特定して、教えるべき目標を立てたうえで対応していかないと、子どもたちがどんどん先に進んでいるところの後追いになってしまうのではないかとも思える。むしろ、最近では子どもたちが柔軟な気持ちで進んでいるところを、でもそこをやったら個人情報の問題になるんだよ、プライバシーの問題が出てきてこうなるんだよ、という基本的な部分を抑えるというところで追っていくしかできないくらい、子どもたちは先に進んでいるのではないかというような印象をうける。
一方で、ゲーム依存の問題であるが、WHOがこれを精神疾患と位置付けているということを踏まえるとアルコール依存、ギャンブル依存と同じように治療しなければならないという段階に入っているということであろう。ゲームは子どもの時から始めることが多いので、スタートするときに動機づけをしてあげることが大切ではないかと思う。しかし、これは、もう教育、学校現場だけでは限界があるかもしれない。とても難しい状況だと思う。

<第2部 子どもたちにとってインターネットとテレビが良い関係を築いていくためにテレビに望むこと>

子どもたちにとって、テレビはネットにだいぶ押されている現状の中、このままでは、将来、テレビを見る人がいなくなってしまうのではないかという危機感もテレビ業界にはあります。そんな中、テレビとネットが良い関係を築いていく、共存共栄していくためにテレビに望むことについて議論しました。
まず、ネットにはない、テレビの良さについて先生方に聞いてみました。

〇先生
圧倒的にテレビの画質と音質はネットにはかなわない。大河ドラマが好きでよく見るが、4K映像で見ると本当に美しい。自然の描写も同じ色でこんなに違うんだなと思う。一つの美術品としての美しさがある。なかなか行けないところを、臨場感あふれる映像で子どもたちが体感できることは、圧倒的にテレビのよいところだと思う。

〇先生
やはりテレビは臨場感、ライブ感だろう。記憶に新しいところで、ラグビーのワールドカップでは、ネットで見るというよりは、その場で行われている試合を生で見られるということはテレビのいいところだと思う。もちろんニュース番組も、その時起こっていることを伝えるという意味では、テレビは非常に有効だろう。学校でも、子どもたちは昔と一緒で、インターネットで何々見たという話ではなく、テレビで見た内容をしゃべっている。

〇先生
テレビならではの良さという点では、放送の制約がある中、テレビ番組の中には攻めた内容があるなと感じている。最近、NHKの『バリバラ』で、ブラック・イン・ブラクという番組があった。触れるときに細心の注意を払うような内容だったが、それをあえてテレビ番組にするのは、攻めているなと思って、印象に残っている。このような攻めた番組があるのはテレビの良さだと思う。しかし、逆に、視聴者からの意見にもあったみたいに、攻めたからこそ失敗しているというか、放送的に良くないといわれる番組もあって、子どもたちもそれを見てしまうこともある。今までは、情報の受け手としてその番組をどう受け取るかだけを考えていたが、これからは、なぜこんな攻め方をこの番組制作者はしたんだろうとか、メディアでの情報の作られ方について、教育現場で考えていかなければならないと思う。

さらに、今の子どものテレビの視聴スタイルについてこんな意見も出されました。

〇先生
小学校の高学年を担当することが多いが、子どもたちのテレビの見方はかなり変わってきている。基本的にライブでは見られず、録画視聴である。学校から帰ってすぐに習い事。そこから帰ってくるのが8時、9時だったりすると、あとはご飯を食べて寝るしかない。そうすると、テレビは、空いている時間に見るという、インターネットに近い使い方になっている。基本的には視聴者が選んで、それを見たい時に見るというふうに、シフトしている。そうなったとき、深夜の番組でも子どもも見られる環境がある。時間帯によって演出を変えたりということをしていると思うが、そのフィルター、時間のフィルターは、子どもたちはやすやすと越えていくという現状を理解する必要があると思う。スポーツ中継、ニュースなど即時性のあるものは録画しているという話はあまり聞かないが、バラエティー番組やアニメは、基本的にはライブでは見ていない子どもが多いという印象を持っている。

次に、「テレビよ、がんばれ」という意味で、子どもたちのために、これからのテレビに望むことについて議論しました。先生方からは、次のような発言がありました。

〇先生
個人的な意見だが、制作者のスキルは、たぶんテレビのほうがネットより高いかなと思う。編集のスキルなどはテレビならではのものだと思う。授業でも『NHK for School』などを使わせてもらっているが、普遍的なもの、再活用できる番組がテレビには多いと思う。高校の数学の番組があるが、それを作ったのは結構前のことである。それを5年前、授業で使ったときの使い方と今の使い方は変わっているが、まだ使える。質の良い番組は、5年前でも今でも使えるし、使い方が変わるので、視聴者によってバージョンアップできていると思う。
今後も財産になるようなものを作ってくれるのがテレビで、インターネットやユーチューブの動画は、基本的に即時性というか、今よければいいという、制作の意図が違う部分があると思うので、テレビはテレビの役目、インターネットはインターネットの役目という形で進めていけはよいのではないか。

〇先生
テレビの在り方とインターネット、ユーチューブの在り方は全く違うもので、テレビは家族があって、家族団らんで楽しむもの、個で楽しむものではないと思う。一人で楽しむところもあるとは思うが、やはり、家族で一つのテレビを見て過ごすというのが今の時代の形だろう。一方、インターネットは個人で楽しむものだと思うので、それぞれの扱いに応じて変わっていくことによって、両者がいい関係を築くことになるのだろう。

〇先生
我が家でも、娘はパソコンでユーチューブを見ている。息子は寝転びながらスマホをいじり、私は台所でパソコンで仕事をしている。妻はテレビを1人で陣取って見ている。それぞれのメディアがばらばらだが、皆でテレビを見ようとなったら、ばっと集まってくる。そこが一つのコミュニケーションツールとしての良さかなと思う。
番組を作るときに、テレビ、インターネットかかわらず、企画力が重要なんだと思う。ユーチューブにただ単に鉄道の車窓をずっと流している動画がある。そこに川や鉄橋についてユーチューバーの解説が入る。普段自分が見慣れたところが、あっ、こうだったのかと明らかになっていくのが面白く、その人のユーチューブはいつも見るようになった。このように、人を引き込む企画力と話術が卓越したものは、インターネット、テレビは関係ないなと思う。

〇先生
ちょっと別の視点から、テレビを家電と見たとき、基本的にテレビは家電のテレビを見ているが、メーカー側は、今、テレビをインターネットも視野に入れた商品として売っている。そんな中、いわゆる地上波で何ができるのかというのは、本当に死活問題になっているという印象がある。特に、民放では、スポンサーなどの絡みも強く、さらに自由度がなくなっている中で何を見せたらいいのかというのは、より視聴者を意識していかないと、それはネットでいいよねという判断につながるだろう。家族の団らんでも、テレビでユーチューブを見る、という時代ももう来ているのかなと思う。
子どもたちにアンケートを取ると、テレビでインターネットを活用する率が少しずつ上がってきている。我々が思っているテレビと、子どもが思っているテレビが、変わってきている、ということも考えていく必要があると思う。

さらに、テレビの魅力の一つと考えられてきた、「視聴者に感動与える」ということについて、逆に、ネットを見ても深く感動することはあるのか、聞いてみました。先生方からは、次のような意見が出されました。

〇先生
昨日ヤフーニュースで、アメリカのことだが、自分の息子が脳死状態になり、心臓や角膜を移植手術のために提供し、移植を受けた人から、移植した心臓の音を録音した人形をもらって感動したことをドナーの親がSNSの載せていたという話を見た。自分の子どもの心臓の鼓動を聞いて、あの子は生きているということを感じたという。そういうニュースは、テレビだとなかなか取り上げられないが、ネットのニュースだと取り上げられる。感動的なニュースではあるが、それこそネットの特性で、本当にそれは信ぴょう性のある情報なのかどうかは気になるところだが…。

〇先生
感動という点では、アマゾンプライムに、テレビでは流れていない海外ドラマもあり、感動して見ている。ネットでも感動、共感を呼ぶものはある。逆にテレビでも、ニュース番組でツイッターですぐ反響を聞いて、それを流しながらこたえる番組もあり、ドラマでも、話が終わったと思ったら、続きはネットでというものもある。教育番組の『NHK for School』でも、番組を見ていたら、途中で、続きはネットでというのがあった。線を引いて考えることも必要だが、テレビ局もネットをうまく使っていると思う。

これまでの先生方からの意見を受けて、委員からは、次のような発言がありました。

〇吉永委員
私たちの世代は、間違いなくテレビ放送しかない時代で、はっきり放送からスタートしているが、今の子どもたちは、もう通信と放送がほとんど融合している状態でネットがどうの、テレビがどうのという考え方をしているのかどうか、わからない。自分が見ているものがネットなのかテレビなのか、あれ、これテレビだっけみたいな世界になりつつあるのではないか。
ユーチューブの世界もほとんど個人放送局になっている。作り方もどんどん良くなっていくと思う。今、小学生の将来なりたい職業の1位がユーチューバーになり、プロ野球選手を抜いたということが話題になったが、何十億稼ぐユーチューバーは、もう全部自分の中に、構成作家を雇ったり、企画する人を雇ったりと、本当に小さな放送局がいっぱい出てくるのだろうと思う。
テレビとユーチューブが、視聴者を意識するようになる、つまり、『いいね』と『視聴率』を意識するようになったら、圧倒的にユーチューブのほうが強いのかなと思う。やはり、テレビは「層」で見てもらわなければならない。この時間帯に見るのは、主婦層だとか、高齢者層だとか、という感じになると、すべてがそこをターゲットにするしかなくなるので、だんだん面白くなくなってしまう。
子どもたちは、テレビとネットの壁を楽々乗り越えていて、この前、『あなたの番です』というテレビドラマがあったが、ネットの世界で、子どもたちがものすごく反応して、犯人捜しとか、ドラマを自分たちで並行して作っていたりしていた。放送と通信の融合の形は、我々世代には想像もつかないところに子どもたちは入っている。
また、テレビの危機という点では、今、ネットフリックスは、制作費として年間1.8兆円くらいを計上している。そうすると、すごい番組があちらのほうから出てきてしまう。放送法も何もないので、自由である。もっともっと刺激的だったり、面白かったりするものが、すごいクオリティーで提供されてくるのではないか。お金がどんどんネットに集まってきているので、テレビのコンテンツが、これからネットフリックスなどに比べると、制作費が潤沢にあるのかどうか、また、スポンサーをつけようと思えば、視聴者に迎合しなければならなくなるなど、テレビのこれからの苦しさが始まってくるだろう。本当は、テレビならではの、美しい映像であったり、目先のことではない、もっと大きなテーマでしっかりした番組を作ってほしい、作りたいという願いはみんなにある。しかし、それでは視聴率はとれないよなという話になると、なかなかそれが実現されなくなってしまう。一方、ユーチューバーたちも『いいね』を意識しだすと、テレビと同じような形になっていくのか、放送と通信の融合の明日が見えないような気がする。
ある動画配信サービスの経営者が、テレビは何の時に見ますか、と聞かれたら、「災害の時に見る」と言っていた。災害時だけは、放送局のニュースがすごく大事だという。ネットには災害時いろいろなものが流れるので、信頼性が担保された情報という点で、テレビへの信頼があるのかなと思った。その一点だけはテレビの明日としては大事なのかなと思っている。

<第3部 メディア環境が多様化するなか、子どもたちのメディアリテラシーをいかにして養っていくか?>

メディアの情報を正しく理解するため、子どもたちのメディアリテラシー教育の重要性が指摘されているが、まず、日々、子どもたちと接していく中で、テレビの受け止め方やインターネットの扱いについて、危ういと感じたことについて聞いてみました。

〇先生
関西では、私が小さい時からお笑い番組が本当に定番になっていて、今でも子どもたちは楽しんでいると思うが、昨日、人権学習の授業で。不細工芸人ナンバーワンに選ばれた、あるお笑い芸人が、その時ホームページに載せた言葉を紹介した。“僕はプロのブスです。だからどんなことを言われても全く動じません、大丈夫です。だけど、一般の人たちには、誰だれは私に似ているなどということは絶対に言わないでください。そんなことを言うとその人が傷つくんです。それが言葉のナイフです”と。私が一番子どもたちに言っているのは、人権学習は、まずは、自分自身のことを大切にするために、そして、周りにいるみんなを大切にするために学んでいるのだということだ。昨日も、毎日の学校生活で、友達同士そんなことを言い合っていたらどう思うと話すと、子どもたちは真剣に聞いてくれていた。そして、日常生活とテレビから得られる情報はしっかり区別して考えてほしいという話をした。それも、メディアリテラシーの一つだと思う。

さらに、子どもたちのメディアリテラシーを育む取り組みについて、先生方からは次のような発言がありました。

〇先生
一つには、NHK Eテレにも『メディアタイムズ』などメディアリテラシーを育む番組があるので、活用している。子どもたちのメディアリテラ―を養っていくため一番大きな課題は、教育現場でメディアをどれだけ使うかということだと思う。必要感がないと、なかなかそこに意識が向いていかない。たくさんのメディアに子どもたちが触れられるような授業を組み立てていく中で、例えば、フェイクニュースや表現の難しさなどに気がついて、初めて学びにつながると思う。
ただ、正直に言うと、時間との闘いがすごく大きい。現場としては、学習指導要領にメディアリテラシーを育みましょうという項目がないため、その時間を生み出すのが難しい。要は、優先順位が高くない、ということである。
しかし、メディアリテラシーの育成について、社会の要請、現場の要請は強い。さまざまなトラブルがものすごく顕在化しているからである。例えば、LINEのトラブルでは、小学生でもどんどんそこに上げている。そして、保護者も上げている現状もあるが、保護者にリテラシーがない。それをやることでどれだけ危険性があるか、という認識がないまま、上げてほしいから上げているのが現状である。さらに、子どもは、話を通しやすいほうに通す。子どもにLINEのトラブルがあったことを母親に連絡すると、うちの子は使っていません、そんなトラブルがあるはずがないという。子どもに聞くと、父親に許可を取って使っていたということになり、夫婦間でもめたこともあった。
例えば、リーフレットを作る授業でも、総合評価をすることは実践しているが、なかなか苦しい。しかし、それをやると子どもは確実に伸びているという実感はある。また、写真の使用でも単に撮るだけではなく、どっちの写真を選ぶか、必ず複数取って選ばせる、というような形でリテラシーを伸ばすための取り組みを行っている。

これらの先生方の発言を受けて、委員からは、次のような発言がありました。

〇榊原委員長
今の話を伺っていると、メディアリテラシーは複雑になってきていると感じる。数十年前は、メディアリテラシーというと、子ども部屋にテレビを置くな、テレビを見せない、というものだったが、今は子どもたちが、タブレットなどが使える時代になっている、いろいろな出口があるので、より難しくなってきている。
昔はフィルターをするのが比較的楽だった。今は、テレビを見せなくても、部屋でタブレットを見てしまう、スマホを親が寝た後に見るとか、より問題が複合的になったという印象である。
私たちBPOは、テレビで流される番組ついて、別に規制ではないが、時には意見を言うことがあり、そういう仕組みになっているが、インターネットにはそれがないという状況のなかで、どうしていくか。より複合的なグローバルな課題になっていると、今、お話を伺って感じた。

<終わりに>

最後に、先生方の代表者から次のような挨拶がありました。

〇先生
今回も、議論が白熱して、あっという間に時間が過ぎたと思います。ありがとうございました。
今日、テレビとネットについて議論したが、そもそもその境目、子どもたちにとっては、その境目すらないのではないだろうか。教員としても、子どもにネット、テレビにかかわらず、どうそのメディアに向き合わせていくかは大事だなと思う。これをしてはいけない、こうやってやるんだよというような教育ではなく、子どもたちが、放送も通信も融合した時代に、どう関わっていけるのか考えられるような取り組みが学校現場でも必要だと考えた。
それと同時に、我々もテレビにはすごく期待しているところが多い。テレビにはいろいろな魅力がある。それは子どもたちにも伝えていかなければならないと感じた。

以上のような活発な議論が行われ、3時間以上にわたる意見交換会は終了しました。
今回の意見交換会後、参加した先生方からは、次のような感想が寄せられました。

  • インターネットが普及することによるデメリットだけでなく、メリットを生かしていくことや、なんでも制限・禁止していくことよりも子どもが正しく判断するため一緒にルールを決めたり、家庭で話し合ってもらったりしていくことが必要だと感じました。また、インターネットが娯楽としての活用だけでなく、手間を省く、簡単にできる、わかりやすくするためのツールとして子ども達が利用していくために学校教育でも指導していく必要があると思いました。今までは、自分の考えとして良い点よりも問題点を感じていました、BPO委員会や他校の先生から話を伺って、新しい気付きにもなりましたし、すぐに家庭と交流できる内容もあったので、大変勉強になりました。

  • 参加者の皆さんの報告から、子どもたちにとって「インターネットを含むネットワーク」が当たり前の世界になっており、良くも悪くも影響を受けていることがよくわかりました。だからこそ、良い影響をどう伸ばしていき、悪い影響をどうコントロールしていくかが大切だと感じた。特にインターネットの場合、ネットワークに対して自分からアクセスしていくため、時間による区切りが難しい部分が浮き彫りになっている。インターネットの活用が低年齢化しているため、欲求のコントロールが難しく、長時間視聴してしまうことで生活リズムを崩したり、健康を害してしまったりすることに繋がっている。インターネットをより有効に活用するための「モデル」が必要なのかもしれないと感じた。

  • 大人が思っている以上に子どもにとってテレビとネットの境目がないということを感じています。テレビが得意としていること苦手としていること、ネット配信が得意としていることと苦手としていることを整理して、互いの良さを生かして共存しながら発展していくことが必要であると感じました。

  • 自分も含めて大人のメディアリテラシーに対する意識の低さも深刻であるように思います。日々多様化している環境の中で、「こうあるべきだ」という明確なメディアとの向き合い方があるとも思えません。社会全体の問題として、大人―子どもで分けて考えるのではなく、子ども達と対等な立場で、メディアとの向き合い方を考え続けていきたいです。

  • 一つの情報に流されるのではなく、複数の情報に触れ、自分で取捨選択できる能力を養うことが大切である。日ごろから良質な情報に触れる時間を増やしていくことがメディアリテラシーを養うことに繋がる。学校の中でも積極的に使い、児童・生徒に正しい情報とは何かを考えてもらえるようにしなければいけないと思った。

以上