青少年委員会

青少年委員会 意見交換会

2019年10月3日

意見交換会(山形)の概要

◆概要◆

青少年委員青少年委員会は、言論と表現の自由を確保しつつ視聴者の基本的人権を擁護し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与するというBPOの目的の為、「視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての機能」を果たすという役割を担っています。今回その活動の一環として、山形県の放送局との相互理解を深め、番組向上に役立てることを目的に、2019年10月3日の14時から17時まで「意見交換会」を開催しました。
BPO青少年委員会からは、榊原洋一委員長、緑川由香副委員長、大平健委員が参加しました。放送局の参加者は、NHK、山形放送、山形テレビ、テレビユー山形、さくらんぼテレビジョン、エフエム山形の各連絡責任者、制作・報道・情報番組関係者など24人です。
会合ではまず、緑川副委員長が「青少年委員会が出してきた青少年が関わる事件・事故報道に関する見解について」を説明したのち、第一部では「青少年が関わる事件・事故報道」について。第二部では「災害報道における子ども、被災者への配慮」についての活発な意見交換がなされたのち、第三部として小児科医である榊原委員長から「放送関係者のための"発達障害"の基礎知識」の説明が行われました。最後に地元放送局を代表して山形テレビ 大塚大介 常務取締役編成制作局長から閉会のご挨拶をいただきました。

<青少年委員会が出してきた青少年が関わる事件・事故報道に関する提言・要望等について>

〇緑川副委員長
BPO青少年委員会が発表した4つの提言・要望などがある。

(1) 「衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮」についての提言(2002年3月15日)
2002年3月15日に発表したジャーナリズムの責務と子どもへの配慮についての提言である。まず、テレビ報道が事実を伝えるのは国民の知る権利に応えることであり、民主主義社会の発展には欠かせないものであり、その内容が時にはショッキングな映像であったとしても、真実を伝えるために必要であると判断した場合には、これを放送するのはジャーナリズムとして当然であり、子どもにとってもニュース・報道番組を視聴することは市民社会の一員として成長していく上で欠かせないとして、ジャーナリズムの責務について述べている。
他方において、子どもたちはニュースの価値についての判断がつきにくく、突然飛び込んできた映像にショックを受けることがあり、そのためテレビで報道するに当たっては、子供の視聴を意識した慎重な配慮、特に子どもが関わった事件の報道に際しては、PTSDも含めた配慮が必要になってくることを指摘し、その上で、放送局に対して検討を要望したい事項を挙げた。その1つ目が、刺激的な映像の使用に関する慎重な配慮として、衝撃的な事件や事故報道の子どもへの影響に配慮し、子どもが関係する事件においては特別な配慮をしてほしいこと、2つ目が、繰り返し効果のもたらす影響への慎重な検討と配慮、3つ目が、メディアの積極的関与として、多様な子ども向けのサービスを展開して、子どもを対象にしたニュース解説のようなものを放送することを検討してほしいこと、4つ目として、子どもに配慮した特別番組と、保護者を支援する番組のための研究と対応として、子どもへの影響を配慮した特別番組や、衝撃的なニュース報道などによって、影響を受けた子どもの心のケアに関して保護者を支援するような番組を組めるように研究や検討を深めていってほしいと要望した。

(2) 「児童殺傷事件等の報道」についての要望(2005年12月9日)
先ほど紹介した2002年の提言に加え、特に検討を求めたい事項を要望したものである。
1つ目として、殺傷方法などの詳細な報道に関する慎重な配慮をしてほしいとして、模倣の誘発、視聴者たる子どもをおびえさせるなどの影響を懸念し、この点について配慮した上での報道の検討を要望している。
2つ目として、被害児童の家族や友人に対する取材への配慮である。大人はもちろん、未成熟な子どもに対する心理的影響に配慮しつつ取材に対応してほしいという趣旨である。
3つ目が、被害児童及び未成年被疑者の文章などの放送についての配慮である。これはプライバシー、家族への慎重な配慮をきめ細やかに配慮した上での取材・報道を求めたいという要望事項だ。

(3) 「子どもへの影響を配慮した震災報道」についての要望(2012年3月2日)
2011年の東日本大震災以後、震災報道を視聴することによるストレスについての視聴者意見がBPOに寄せられたということを踏まえ、震災後1年を迎える時期に放送局に対する要望を発表したものだ。当時、震災報道に関して大人にとってもショッキングな映像が流れていたが、そのような映像がもたらす子どものストレスへの注意喚起をした。また、震災のストレスに関する知識を保護者たちが共有できること。震災ストレスに対する啓発のための番組の制作、保護者に対する情報提供などを踏まえた番組づくりの検討をしてほしいという意見をまとめたものだ。加えて、津波などの非常に強い衝撃のある映像などの使用について、予告なく目に飛び込んでくるスポット映像や、子どもへのストレス増長の危険性について協議した上で、十分な配慮をして番組づくりをしてほしいという意見を出している。

(4) "ネット情報の取り扱い"に関する「委員長コメント」(2015年4月28日)
残虐・悲惨な事件や事故などの映像を、そのまま映像を伴って配信しているインターネット上のサイトを情報番組で紹介した企画について、当時、青少年委員会に視聴者意見が寄せられ、ネット情報の取り扱いに関する委員長コメントを発表した。今、私たちの周りは無限大のネットの情報空間があり、世界のあちこちで貧困と格差の拡大、局地戦争、人権無視の暴力や殺りく、テロ、深刻な環境破壊問題が起こっていて、それらの最前線の具体的事実については、そのほとんどを私たちは知らないでいるという現実があること、そのことを伝えることを大事だと考え、私的に利用できるネットで公開しようとする人たちが出てくるのも必然であり、そのネット上の情報が瞬時に世界を飛び回るという状況にあること、地上波のテレビメディアもその周辺でこうした情報空間が広がってきている現実を無視することができなくなっていく可能性があり、ネットメディアの情報をテレビが紹介したり、それに触発されて新たに番組を制作したりすることも、これから増えていくことが予想されると指摘した。そして、テレビ局の情報収集力は限られているが、ネット情報には、例えそれが吟味されたものではないにしても、無限と言ってよいほどの収集力と提供力があり、その中でテレビ局の独自性と責任性を、どこにあると考えていくべきなのであろうかという問題提起だった。

<意見交換会の概要>

第一部「青少年が関わる事件・事故報道」について

〇事務局
各社これまで青少年の事件・事故報道で取材時、編集時、放送時に困ったこと、悩んだこと等があったら、挙手して教えていただきたい。

〇放送局
かつていじめられていたというお子さんを取材して番組を企画したときに、端的に言うと本人もご家族も了解だった。しかし、こちらが本人やご家族が了解だからと全てを紹介すると、全てが明らかになって、誰がいじめた、どこの学校であるとか、そこから推察されそうな情報がたくさん出てしまうということで、ある意味自主規制で子どもの顔を出さなかったり、いろいろ配慮して情報量としては半分ぐらいに削って出したような記憶がある。その判断はその時点では正しかったと思っているが、ご本人が了解だという場合に何でもかんでも出すべきというのは、そのときの制作者の判断によってしまうのだが、何か指針のようなものを持って考えればいいということがあるのかな、と思った。

〇放送局
いじめた相手の方も少年や未成年ということだろうし、そういった反対側の方の配慮というのは間違いなく必要だろうから、自主規制という話だったが、やはり何らかの線引きというか、配慮は必ず必要になってくるのではないかと考える。

〇放送局
2014年、天童で当時中学1年生の女子生徒がいじめを苦に自殺をしたという事件があり、その報道の出し方を巡って女子生徒が通っていた中学校の実名を出すかどうか、弊社を含め各局でかなり対応が分かれたと記憶している。ちなみに、弊社は当時、部内でいろいろ協議を重ねた結果、実名で行こうということで中学校名を出して報じたという経過がある。繰り返し放送になるということもあり、果たしてそれが本当によかったのか、今振り返ると思う部分もなくもない。

〇事務局
天童のいじめ事件では各局で対応が割れたようだが、それぞれの局の対応はどうだったか教えてほしい。

〇放送局
弊社も実名で中学校は出した。天童に中学校は少ないので、ネット上では既に特定されているような状況もあった。ただ亡くなった彼女なり、遺族の特定にはならないようにという配慮をした上で、原則実名で行きたいという思いもあり、匿名か実名かのせめぎ合いだったように記憶している。

〇放送局
弊社では、当初は一報段階では学校名などは伏せていたが、その後問題が大きくなるにつれ、社内でも議論を重ね学校名は出した。ただ山形は人口が少なくて、天童で事案が起きた周りの人は言わずもがな、どこの誰だと当然知っている。田舎であるために、その名前を出す出さないによってどこまで影響があるのかということも考えた上で、学校名は出すという判断に至った。ただその映像について学校名を出していながら、学校の外観を思い切り映すのかどうなのか、議論になった。建物に対しても、例え学校名を出しているにしても、何らかの配慮が必要なのではないかというような議論をした。

〇榊原委員長
いじめ事件・事故報道と関連した報道に、犯罪報道がある。しかし犯罪といじめというのは少し違う。私は東京のある区のいじめの対策の第三者委員会の委員をやっているが、いじめの場合には犯罪と少し違う点として、いじめられた子ども人といじめた子ども、その両方とも多くの場合未成年であるということがまず違うと思う。
もう一つの違いは、そこに学校がかかわってくるということである。学校というもう一つの主体があるところが問題を難しくしていると思う。さらに学校の後ろには教育委員会があったり、地域社会がかかわってくるという大きな課題がある。そこがいじめ問題の報道の難しさだと思う。
結論はなかなか出ないと思うが、報道というのは真実を伝えるという第一義的な意味があるが、いじめの場合に学校などの名前を出すことにどういう意味があるのか、皆さんが悩んで検討されたと思うが、それが大きなポイントかと思っている。

〇事務局
山形県内で親による子どもの虐待事件が何件か起こっていて、虐待事件ならではの苦労もあったと聞いている。

〇放送局
4月以降、県内で親が自分の実の子どもに対して暴力を振るったり、けがを負わせたりという事案が相次いだ。子どもは未就学、小学校、中学校と様々だったのだが、親の名前を出すかどうかという点で報道部内で議論をした。親の名前を出すと子どもまで紐づいて分かってしまうのではないか。子どもへの影響を考えての議論だったわけだが、こういった事件が相次ぎ、全国的に悲惨な事件も起きているので、社会性があるのではないかという点。それから知る権利に応えねばならない、事件の正確性を保たなければいけないという点。その上で再発防止なども含めて実名で出すという判断をした。一部、もう既に裁判になっている母親のケースでは、否認をして係争中で別の実の子ども、兄弟が証言台に立って、弟は「自分の目の前で暴力を振るわれていた」などと証言をしいる。逮捕、起訴、それから裁判と、続けて報道をしていくことにもなる。そういった場合にどう判断をしていったらいいのか悩ましいというか、考えさせられる。

〇事務局
その際に御社内には実名を出さないほうがいいのではないか、というような意見はあったのか。

〇放送局
基本は実名で行こうとなった。他社でも出さなかったところがあり、子どもへの配慮を考えての判断だろうということで、今後の報道の仕方について考える一つの材料になっていくのかなという議論はした。

〇大平委員
精神科医として感じるのは、名前とか権利とかというものに対して、法整備が遅れているのか、きちんと考えが行き届いてないのか、大人であれ子どもであれ、被疑者の段階で報道されて名前が出ていくということ自体が、まだ推定無罪が原則というのが全く貫徹しようのないような状況があって、そもそも問題じゃないかと思う。
逮捕されたり起訴されたりしたときに、これから裁判を受けるのであるから、まだ有罪ではないのだから名前を出されてはいけない。ただそうすると被害者のほうはどうかということになるが、日本の親子関係の規定というのが、きちっとしていない気がする。親の権利は守られているのか、子どもが一人で生きていく権利というのが親とセットになっていて、堂々と子どもが一人で親と関係なしに生きていくことが考えられていない、前提になっていないということがあると思う。
大事なのは、「うちはこれでやります」と何でやるのかということを1行でも報道するときに言ってもらったら、視聴者の方には伝わるものがあると思う。堂々と言えるような、自分たちの主張として言えるというのがいいことなのではないかと思う。皆さんが現実に一所懸命考えているわけだから、そのこともちゃんと報道しておく、そのことを伝えておくということが大事だと思う。映像にボカシを入れているのは、こんなことは報道としてはしたくないが、横流ししてネット上で流す不埒な人間がいるので、そういう人たちのせいで犠牲者が出るのは嫌なので顔を出さないんだ、と堂々とやれば。それを全部自分のところの部局だけで良い悪いと議論して、何を議論したのかも出さないで、すっとニュースにしてしまうせいで、日本の報道、テレビに限らずラジオも同じだが、どれほど損しているかと思う。
警察の発表というのは名前に限らず、本当にお上が出したいものだけしか出さないの典型だ。日本の役所はおそらく全部そう。新聞でも結構多いことなので非常に問題だが、警察がここまでしか出さないので、ここまでしか報道できないんですと言う。私が望んでいるのは、「警察が発表しないので報道できないのです」ということをきっちりと言ってくれる時代が来ることだ。例えばアメリカでは、事件があったときに、必ず署長なり保安官が出てきてテレビの前で説明する。そのときにみんなが質問して答えなかったらどうなるかというと、翌日の新聞の第1面、テレビでもネットの放送でも、どこどこのシェリフはちゃんと答えなかったというのがヘッドラインになる。それは何をしているのかというと、自分たちの姿勢を訴えるんだということ。自分たちはどこまでも真実を訴えたいんだと。そういうことをやはり主張してほしい。

〇緑川副委員長
法的な権利関係の視点からのポイントのひとつとして、犯罪報道の場合、被疑者の実名報道については、無罪推定の原則との関係で、実名を報道することによって有罪視報道になってしまわないかということがある。
もう一つは、これは犯罪報道に限らず、子ども同士のいじめ、刑事事件になっていないようないじめ、最近の京都アニメーションの事件における被害者の実名報道、災害のときの被災者の実名報道など全てに共通する問題としては、プライバシーと知る権利に支えられる報道の自由との調整の問題がある。
3つめは、放送局の場合には映像を流すため肖像権の問題も出てくると思う。
先ほどの子どもの虐待事件は、既に逮捕されて刑事事件になっている。そういうときに逮捕された親の実名を報道することによって、子どもが特定されてしまうという視点は、子どものプライバシーであるとか、子どもの成長発達権とか、その子どもの視点、人権に立った上での配慮ないし検討事項であり、とても重要なことだ。
一方で、無罪の推定原則があり、逮捕された親を最初から非難する方向での犯人視報道をしたとして、裁判が進んでいって、もし有罪じゃない、あるいは、違う事実が出てきたときにどうするのか、そういう視点からの検討は必要だろうと思う。ただ、必ず匿名報道すべきだというのではなく、推定無罪の原則がある中で、その事案の具体的内容を十分に調査し、それでも被疑者を実名報道すべきなのかどうかという視点から検討すべきなのではないかということだ。
プライバシーの問題になるともっと広がってきて、刑事事件に限らず、全ての実名報道すべきかどうかという問題において検討する事項になってくる。例えば、いじめの問題で、いじめた側もいじめられた側も、どちらも子どもであって、刑事事件にもなっていないし、民事事件にもなっていないというような状況だったとして、被害者側が実名について承諾していたとしても、加害者側が承諾していないというところで加害者が特定されるような報道をすることによって、加害者側のプライバシーというのが侵害される可能性がある。加害者のプライバシーが侵害されるから報道してはいけないというように簡単に結論が出る問題ではなく、判例上、報道される側のプライバシーと、一方で報道することの必要性、憲法21条の表現の自由、報道の自由、知る権利の比較衡量で結論を出していくので、プライバシーが侵害されているとしても、それを上回る報道する必要性、知る権利を充足させるための報道の必要性があるのかどうか、その報道の仕方として相当なのかというところを、詰めて考えておかないといけないと思う。
学校側からクレームがついたとしても、そこの比較衡量において、「自分たちの社ではこう判断したから特定できるかもしれないけれども、こういうふうに報道した」というふうにいえるだけの検討をしているかどうか、ということだろう。プライバシーとそれを押しても報道する必要性、報道の仕方の相当性があるかどうかということを詰める、そこを整理して考えることによって、何か不安だというところからもう一歩進んだ問題点を洗い出していけるのではないか。テレビの場合には肖像権の問題があるので、肖像権という視点からも人物を特定するような報道をするというときには、そこも検討事項としてはクリアしておかなければいけないと思う。

〇榊原委員長
いじめのことで、学校側が知られたくないという場合は結構多い。それは、いじめというのはどこに責任があるのかというのはなかなか難しい問題であるが、多くの場合、学校が監督責任あるいは、教育の責任として責任が問われることがあるために、学校側としては余り報道されたくないという事態があると思う。それで学校のほうから報道しないでくれ、あるいは、学校の名前を出すのは困るという意見が出るのだと思う。
そこで、学校名を出すことの意義を皆さんが詰めて考える必要があると思う。学校側の教育的な配慮が足らなかったことを訴えたいという結論が出たとしたら、それは学校名を出すということもあり得ると思う。当然、学校側は反発すると思うが、いろいろな状況から考えると学校側の責任もあるのではないかということを社会的に出していくために学校名を出す必要があるという覚悟で報道するという意味もあると思う。例えば学校側の責任の問題というのが真実の一つとしてある、というふうに考えれば学校名を出すことになるだろう。
ただその時々のさまざまな条件、いじめは必ずしも犯罪ではないので、推定無罪の原則というのはないのだが、いじめられた子といじめた子どものプライバシーの問題、あるいは知る権利の問題、あるいは、いじめの場合は肖像権は必ずしも出ないと思うが、幾つかの相反する要因を検討して報道するということに尽きるのではないか。

〇事務局
ここまでは我々が知り得た個人名や学校名をこちら側が出すか出さないかという判断についてだが、警察サイドが名前等を出さなくなってきている状況もあるようだが。

〇放送局
いま代表的な問題となっているのは、京都アニメーションの事件だと思う。警察が被害者の名前を遺族に配慮して出さない。もっと遡るとやまゆり学園の事件で、障害のある人たちの被害者の名前を警察は出さなかった。要は警察側が被害者側の意向を汲んで出さなくなっている傾向が多々見られる。山形では大きな凶悪な事件はないが、交通事故に関しても、骨折した子供の名前を「親御さんが名前言わないでくれと言っているから」というものも警察署によってはあったりするが、それはどうなのかと思う。
警察は大きな公権力を持っているので、基本、仕入れた情報は出すのが大原則で、それを受けて我々が出すかどうかを判断するというスタンスが大事なのではないかと考えている。警察が名前を出さないのを我々が無理やり嫌がっている被害者に名前出せといって出させているような対立構図に捕えられがちになっていて、実名報道に関しても1つの事件ごとに、この場合はどうする、この事件についてはどうすると、本当に個別の対応が迫られていて非常に頭を悩ませている。そこまで大きな社会問題、一般の人も巻き込んでの問題になってきているのかなと日々感じている。

〇事務局
京都アニメーションの問題は皆さん関心が高いと思うが、プライバシー保護と報道について、他にご意見は。

〇放送局
京都アニメーションの事件に関しては、当初被害者の実名を出さなかった経緯について、いろいろ問題視していることなどが逆に報じられている。プライバシーに配慮しつつというが、公益性などを勘案したときに、警察がプライバシーの保護を優先して公表しないということに相当問題があるのではないか。事件の正確性や社会性も含めてきちんと報じるべきところを報じなければというのが報道の立場だとは思うが、それができないというところが非常にもどかしい。警察の対応のおかしさを感じてしまう。実際報道する、しないについては報道機関のほうで判断すべきところは判断すべきだと思うが、情報として出してこないことに関しては非常に憤りというか、どうしたことだというような形で受け取っている。

〇緑川副委員長 
京都アニメーションの被害者の実名が40日間警察から出てこなかったということと、出てきた後で報道されたことについて、SNSなどで批判的な意見が出していた。いろいろな意味で社会的に多くの人が関心を持ったことだったと思う。今回の京アニ事件の被害者の実名報道はプライバシーとの利益衡量の問題だと思うが、ここで警察の発表と報道を分けて考えないといけないと思う。警察などの公的機関が実名を含めて情報を出すことは重要かつ必要なので求めていかないといけないと思う。それによって報道機関はその事実の正確性や、さらに事案を深掘りしていって報道すべき重要なことがあるのかないのか、そういうことを取材できる端緒にもなるので、公的機関は報道機関に対して公表すべきと思う。
他方において、それを報道機関が報道するかについては、プライバシーの問題や、推定無罪との関係で有罪視報道にならないか、あるいは放送の場合には肖像権の侵害の問題など、さらなる視点を踏まえて十分に考えた上で、どのような形で報道していくかということになると思う。40日後の発表が遅いか早いかということに関しては、メディア関係者が実名報道の理由として挙げる報道機関の使命である正確な報道とか、社会的に重大な事実を記録するために実名報道が原則という視点から考えれば、40日後であったとしても、1年後だったとしても、記録するという意味では問題ないのではないかと思う。
2005年に所属している日弁連の人権と報道の調査部会でニューヨークタイムズに行ったことがある。2001年に9.11が起こって、調査に行ったのが2005年だったが、そのときニューヨークタイムズの方たちから聞いたのは、被害者、犠牲者全員の名前をプロフィールを含めて新聞に出したが、それは事件が起こってから全部で2年か3年かかったと。2年か3年かかったけれども、1つずつ掘り起こしていって全部出したという話であった。また、その際、アメリカの報道機関では、被害者本人が嫌だというから実名を出さないという視点はないという話も聞いた。アメリカは憲法の最初に表現の自由の保障が規定されていることも踏まえて興味深い話であったが、2年、3年かかっても、その人たちが生きてきた歴史を刻む、それが報道に必要だから報道したという考えであるのならば、40日が遅かったかどうかというのは、40日であっても1年後であっても、京アニで活躍していた方たちの生きてきた証を掘り起こした記事を出すということで、それは遅くはないだろうと思う。
一方で、安否確認という視点から被害者の実名報道を考えると、被害者や遺族の意向を尊重しつつも、早期の公表と報道の必要性を検討すべきかもしれない。
そのあたりを整理して考えて、そしてその整理して考えた結果、なぜ被害者の実名を出すことが必要なのかということを丁寧に社会の人たちに知らせていって、社会のコンセンサスを得る努力をしていかなければいけないのではないかと思う。

〇放送局
遺族が亡くなった家族の名前を出してほしくない、報道せずにそっとしておいてほしいという遺族側の心情は理解できる。しかし、我々としては実名報道という部分は原則としてはあるというところで、価値観が対立しているのかという気もする。一方で遺族が取材を余り受けたがらない背景には、報道する側の取材の態度だったり、いわゆるメディアスクラムというのが大きいのかなと思っている。
聞いた話だが、滋賀県の幼稚園の子どもたちが車にはねられて大々的に報道されたことがあったが、そのとき遺族取材で最初はテレビ局、新聞を含めて皆で遺族の家に押しかけるような取材だったのだが、クラブ内で話し合いを持ち、当番制で1社ずつ時間を区切って遺族への取材に行くような対応をしたということで、我々の報道する姿勢もちょっと今後変わってくるのかなと思った。遺族への配慮というのをこちらも見せないと、遺族側も取材を受けたがらないのではないかと思い、自分たちを改革していく必要もあるのではないかと感じた。

第二部「災害報道における子ども、被災者への配慮」について

〇事務局
最近、災害報道について「撮影している暇があったら復旧を手伝え」「被災者の家に入り込んで何をやっているんだ」などと言った意見がBPOに来ることが多い。災害報道での子どもや被災者への配慮に加えて、視聴者の意見についての見解を教えてほしい。

〇放送局
阪神淡路、最近は東日本大震災を経験し、報道の仕方の勉強会を数々開いてきた。今年6月の新潟・山形地震に関しては朝番組で生中継をやったが、避難場所の中には入らず、外で中継して、中には人が入って取材して、それを外で伝えるという報道姿勢でやった。
ヘリコプター騒音に関しても、基本的には航空法で定められている高さを守っている。しかし夜10時22分発生の地震だったので、朝になり明るくならないと状況が分からないというところで、各社一斉に夜明けを待ってヘリコプターが向かったと思う。
液状化の取材が一か所に集中していたという視聴者意見だが、幸い地震被害がそれほど大きくなく、液状化現象が鶴岡駅前だけに集中していて、その事実を伝えるために何回も放送された。鳥居などが倒れているのも、象徴的なのでその映像が繰り返されたことは事実だと思う。現場へ向かう記者、カメラマン等の安全確保も基本になっており、注意報が出ているところには行かせない。記者の安全も守りながら今回も報道した。
津波が起こると視聴者へ注意喚起の呼びかけをするが、アナウンサーが中心になって、どう呼びかけるかという勉強会をやっている。想定集があるので、それに則ってやるようにしている。しかし津波というのは危険なので「早く逃げてください」、大雨の時も「自分の命を守ってください」というようなことも想定集の中にどんどん入れ込んで、どれがいいのかを取捨選択してアナウンサーはやっているというのが現在の報道姿勢だ。

〇放送局
今回の新潟・山形地震では、震度が6弱ということで山形でこれまで経験したことのない大きな揺れだったということ。それからもう一つ、津波注意報が出た。日ごろから訓練して、報道のあり方について社内でも取り組んではいるが、急な大きな地震ということで、対応にはさまざま反省点も出ているところだ。
1つは津波注意報が出たということで「すぐ逃げろ」とか、「今すぐ逃げてください」というような呼びかけが一部報道の中にあった。しかしそこまでではない「沿岸に近づかないでください」という呼びかけで、伝える側の正確な情報の発信という意味でどうだったのかという反省が出た。発災が夜だったということで「逃げてください」とか「避難所へ向かってください」というようなことについても、「足元に注意して」とか、「夜だから家の中にまずは待機して情報を見極めてから」とか、夜の発災ということを踏まえた呼びかけがどうだったのかという点で事後に議論した経緯がある。
我々は酒田市でタクシーをチャーターして、そのタクシーから撮影した映像を流したが、「津波注意報が出ている。タクシーの運転手を巻き込んでいいのか」というような視聴者からの指摘があった。これについても酒田市役所が避難所になっており、津波注意報のレベルで想定される津波の高さからすると、この場所については大丈夫だろうということでこういう手法をとった。しかし視聴者の方の指摘、いろいろな見方、我々に抜けているような指摘もいただいているという印象だ。ヘリコプター騒音についても、現地の記者からの電話が聞こえないぐらいヘリが来ていた。大きな災害に慣れていなかったこともあるが、配慮しなければいけないと改めて認識した。
幸い被害が少なかった中で、温海の小岩川地区は瓦が落ちたりして被害が大きかったのだが、メディアスクラム的な集中をしてしまい被災者への配慮、取材者の意識の問題等も反省点として出てきた。

〇事務局
大きな災害になると被災者にとってはラジオが情報源になると思う。大きな災害時にラジオはどう対応したか。

〇放送局
東日本大震災の時は、5時間半の生ワイド番組を放送していたが、その最中に揺れた。そこから番組の内容を切りかえて、情報を常に提供し続けるということを夜10時、11時くらいまで続けた記憶がある。当初はテレビと同じようにどこが震源で、どこが揺れていて、どこに被害が発生しているか、被害状況を説明するというようなことを行った。ただ情報収集には限界があって、ややもすると正しい情報をなかなか伝えられないし、画像が我々のところに届いているわけではないので山形県以外の、例えば岩手県や宮城県の被害状況を言葉で伝えることはできても、その状況を見ていないので伝えることには限界があった。そのうちにリスナーから求められているのが、"報道"ではなくて"情報"だということに気がついた。それは例えば食料はどこで買えるのか、水はどこで手に入れることができるのか。特にあのとき山形県内は広い範囲で停電になり、その停電の復旧状況、情報などが非常に求められていると感じた。
ではその情報をどうやって集めるかということを社内で協議した結果、リスナーから民間レベルの情報を集めるのはどうかという意見が出た。リスナーの情報をそのまま鵜呑みにして放送するというのは非常に危険なのでそういう例は過去なかったが、状況が状況だったのでとにかくリスナーからライフライン情報等を集めて、それを提供することにしようと最終的に当時の社長が決定した。今まで被害状況を伝えていたのを今度は山形県内でどこのコンビニやスーパーが営業しているのか、どこのガソリンスタンドが営業しているのかといった状況を中心に、リスナーから情報を集めて報道することを決めた。恐ろしいほどの情報が集まって、ひっきりなしにメールやファクスが動くような状況になった。まず食料品を買える情報、水が得られる情報、お風呂に入れる情報、オムツが買えるところはどこだとか。最終的には停電の復旧状況の話が中心になってきて、山形市内でもいろいろ差があったので、どこどこは停電から復旧した、水も出るようになったという情報が今度は集まってきた。するとリスナーから他の地区も頑張って下さいというようなコメントもついてくるようになって、それを紹介しながら続けていたという記憶がある。
ラジオに求められているのは、"報道"よりも"情報"なのだなと思った。コミュニティ放送だったらより市町村に密着しているので、もっと濃い情報を集められるだろう。ただ、果たしてその情報が100%正しかったかどうか、検証するすべはなかったような状況だった。もし被害状況がもっと長く続けば、今度は安否確認情報なども入ってきただろうと思うが、幸いにしてそれほど長期の停電が続かなかったので、そこまで至らないで終わったような状況であった。もし同じ規模の災害が発生した場合も、やはりラジオとしては、最初は被害状況を伝えるに止まるが、被害が長期に及べば情報提供をするような役割がラジオに求められているということを認識してやっていきたい。

〇榊原委員長
ラジオの情報というのは非常に重要だと思っている。この意見交換会は、この1年半ぐらいの間に熊本、盛岡、高知、そしてこちら山形でやってきた。盛岡、山形は東日本大震災。熊本は熊本震災があった。高知は南海トラフ地震を非常に心配していて、それぞれの地域の放送局がさまざまな取り組みをしているのを見聞してきた。1つは、災害の放送で子どもたち、青少年が見ているというので、放送の仕方について、例えばPTSDを引き起こさないようにとか、非常に悲惨な画像は考えてくれということで意見を申し上げてきた。 
もう一つは、取材を受けた大人もそうだが、子どもに何度も取材がいき、思い返しをすることによってPTSDのようなことが起こりやすくなるということで、放送局の方が苦心されていた。高知では南海トラフの地震の起こる可能性が高い。いつ来るかわからない。現在の子どもが大人になってから来る可能性もあるということで、大災害に対する子どもの教育に放送局が熱心に取り組んでいるのも見てきた。
青少年委員会としては、地震のような大災害と報道と子どもの関係というのはさまざまなところでリンクしている、非常に重要なことがあると思っている。報道の仕方・取材、それを日本全国の子どもが見ているわけだから、子どもへの災害教育的な意味もあると思う。地震のような大災害に対していろいろな困難を皆様は経験されたと思うが、それを日本全国の放送界で共有していくというようなことが重要なのではないか。偶然この1年半の間に大きな災害があった所で意見交換会をしてきので、そのような印象を持った。

〇事務局
被災者の実名を公表するか、非公表かというのは国に統一基準がなく、各自治体の判断に委ねられている。法令で氏名公表の統一的な基準を設けるべきではないかという意見もある。

〇緑川副委員長
災害の被害者名を自治体、行政機関が発表するかについて、国による全国統一の基準がないとしても、自治体は自治体の責任で公表するかしないを決める必要があるだろう。事故のときにも情報を持っている警察などの公的機関が氏名を公表しないことによって、報道機関は取材の端緒を得られない、そのことによって事件を深く取材して報道することができなくなっていく可能性があるし、権力監視という報道機関の使命を果たすことが難しくなるという懸念もある。報道機関は、自治体や警察などの公共機関に対して、情報を公開するよう求めていくべきことであろう。
なぜ最近、警察が公表しないのか。公表しない理由として挙げられるメディアスクラムやプライバシーの問題だけではなく、背後に情報をコントロールするという意図があるのかもしれない。プライバシーの問題やメディアスクラムで遺族が被害を受けるからと言わせてしまわないように、メディア側も理解を得らえる対応を示す必要があると思う。少しずつではあってもメディアの使命を社会に知ってもらう。そのことで権力側が情報隠しをしない、公表しなければいけないというコンセンサスを得られるような状況ができていったらいいと思う。

〇放送局
実名を出して、事象によっては忖度というのが生まれて、それは警察がずっとそういうことをやり出すと、出す、出さないを勝手に決められるということが、むしろプライバシーというところは、京都アニメーションはすごいデリケートなんですけれども、その他にも波及していくと思う。やっぱり基本的には実名を出すという姿勢を警察は事件なのだから、やってもらわないと困る。困った時代になっていくのではないかと思う。

〇放送局
難しいのは、実名報道は原則だけれども、我々ローカルはどうしても地元密着で被害者に向き合い、寄り添わなければいけない。大きな局でさえ1人の生死にかかわるような要望が来ると、それはやはり無視できない。そうすると原則実名だけれども、そういう理由があるから1人は伏せて放送するとか、非常にまだらな判断が生まれる。忖度の次には、どうやって整合性をとっていくのかという難しい選択が来るということで、その先も難しい問題が山積みになっていって、丁寧に向き合っていかねばならないと思っている。
緑川副委員長にお伺いしたいが、最近、遺族側の弁護士を通して取材の自粛要請とかが非常に増えているような気がする。その辺の動きというのはどうなのか。

〇緑川副委員長
意見交換会などで見聞した印象ではあるが、増えているようには思う。それはメディア対応に限らず、犯罪被害者保護に関する法的整備や被害者保護についての社会の理解が進んできて、被害者に弁護士が代理人としてつくような事案が増えてきているように思う。被害者の代理人がメディア対応も行うことから、弁護士が入って被害者のメディア対応の窓口となるということがあると思う。
以前は、犯罪被害者に代理人がつくことは珍しく、自分で全部対応していかねばならなかった。メディアスクラムについてのメディア側の申し合わせなどもなかったころは、現在よりも大変だったと思う。そういう時代に、捜査などで被害者とも接点が多くなる警察が、相談を受けて、メディアに対して被害者の意向を伝えるというようなこともあったように聞いている。弁護士有志で、20年ほど前に、犯罪被害者に限定せずにメディアスクラム被害について調査して、弁護士が被害者の代理人としてメディア対応ができることもあるのではないかということを検討したことがあった。今は、犯罪被害者の保護の対応として、弁護士がメディア対応もやっているという流れであるような印象だ。

第三部 放送関係者のための『発達障害』基礎知識

今回の意見交換会に小児科医であり、発達障害が専門の榊原洋一委員長が出席するならば「発達障害」について知り、今後の取材、原稿制作、編集、放送に役立つ基礎知識を身につけたいというリクエストが出席者から出された。これを受けて、榊原委員長から、発達障害の基礎知識についての説明があった。そのポイントは、以下の通りである。

〇榊原委員長
*発達障害とよく使われるが、発達障害は複数の障害を含んだ総称である。

*発達障害の理解が困難な理由
(1)「発達」も「障害」も誰でも知っている言葉。個々人の解釈が存在する
(2)通常の病気のように、はっきりした症状(発熱、咳、痛み)や検査所見(血圧上昇、血糖値上昇、白血球増多)がない
(3)確定診断のための検査法がなく、専門家の間でも見立てが異なることがある
(4)定型発達児の行動と発達障害の行動は連続していて境目がない

*発達障害を構成する障害
(1)注意欠陥多動性障害(ADHD) (2)自閉症スペクトラム (3)学習障害

*生得的な障害(遺伝的)であり発達過程で発現
*併存(合併)が多い
*知的障害が併存することはあるが必須ではない
*罹病率が高い ADHDは小児期の心理、精神的障害で最多
*男児に多い *小児期に顕在化するが、成人期まで存続する
*家庭、地域、学校といった集団場面での困難が顕著

〇榊原委員長
*以前、さまざまな障害を理解しようというテレビ番組があった。二、三十人が胸に自分の障害名を書いてスタジオにいたが、その中に「発達障害」という診断名をつけて出ている人がいた。かなり愕然とした。発達障害という診断名はない。もし診断名、症状名を出すとすれば注意欠陥多動性障害とか、自閉症スペクトラムとか、学習障害とか。人によっては注意欠陥多動性障害とアスペルガー症候群両方あると、こういうように言わないとメッセージが伝わらない。

*"障害を乗り越えて"というと、乗り越えようと思っても既にあるものなので、乗り越えられるものではないという意見もある。障害は性格みたいなものだという説明は確かにする。しかし、注意欠陥多動性障害は症状ベースで言うと、日本で子どもときには4%だが、大人だと1.6%。アメリカでは子供が7%、大人になると4%と言われているから、そういう意味で治る。自閉症スペクトラムでもアスペルガー症候群の一部は本人自身の経験の中で、ほとんど社会生活に支障を来たさなくなる。ある意味で治る、乗り越えることはできるが、ただ障害は個性、あるいは性格だというような言い方がかなり定着しているので乗り越えるというと、それは無理だというような気持ちになる親御さんがいるのは理解できる。

*アスペルガー症候群あるいはADHDの行動の特徴が犯罪に結びついたと思われるようなシナリオがあった場合には、それは考えるべきだろう。しかし、例えば犯罪で捕まった人が実はアスペルガー症候群でした、といった場合にその間の関係があるかどうかというのはわからない。報道としては、その人がそういう診断名を持っているかということが明らかにその犯罪と結びつく場合には考えなくてはいけないだろう。しかしそれ以外の場合には注意しないとアスペルガー症候群でしたと言うと、聞いた人が「そうか。アスペルガー症候群の行動の特徴で犯罪を犯すんだな」と思ってしまうので、そこは慎重にすべきだろう。

*インタビューなどでどうしても発達障害の特徴が出るような場合には、編集するときにどうなんだろう。言いよどんだりした場合は、そのまま出さないほうがいいんじゃないか、と悩んでいる放送関係者がいる。これはその番組の性格によると思う。発達障害の中のどれかについての番組だとすると、特徴が出たほうがいいと思うが、そうではない番組で言いよどんだということで、発達障害だからといって特別に普通の定型発達の人と差をつける必要はないと思う。言いよどんだというのが分からなくなるよう、ここは編集してカットということでいいのではないかと思う。

<まとめ>

〇大平委員
一般的に理解されていないのが、"インタビュー"というのはお互いに見るという意味。向こうも見ているその間の空間のことを意味しているということが意外と忘れられていて、皆さんがインタビューする立場になったら、見られているという感覚がなくなっていると思う。相手、向こうは見ている。お互いに見るという人間関係だということが忘れられていて、情報を取る人と情報を提供しなければいけない人の関係だと、いつの間にか誤解されている。
ではどうすればいいのか。すごく簡単なことで、向こうも自分の態度を見ている。善心を持って自分は相手を尊重するということだ。立場からいうと自分のほうがお話を聞かせて頂かなくてはいけないわけだから、これは向こうの人に気に入ってもらえる、こいつなら話していいやと思えるように、自分の人間性というのを指し示さなければいけないということだ。
実名報道とも関わってくるのは、実名というのはそもそも報道とは離れて何なのかといったら、相手の個としての、個人の個としての尊重ということ。結局我々が相手を人間として認めるときには名前というのがついて回る。だからこそ報道で真実を追い求めるというときに、どういう人なのかということの出発点になるのは、我々の関心のスタートがそこにあるからなのだ。それをねじ曲げて名前は教えないと言っているのはおかしいわけだ。しかし、それは変なことではなく自分の名前を知られるということは良いことが何もないという時代になっている。人のプライバシーを売り物にしているだけではなく、人の個人としての尊重をするどころか、人間性を失わせようとする連中がいっぱいいるということだ。だからみんな名前を取られる、名前を明らかにするのが本能的なリアクションとして感情的に嫌になっている。
いわゆる報道の現場では、そういう背景に実名報道というのがあるということを理解してほしい。取材に行ったときには、ただの取材をする1人の人間なんだ。自分の人間性を見せるように、見ていただく。自分がマイク持ってお話を伺いにと行ったときに、相手は判断つけていますよということ。だからとても感じのいい人になっていただきたい。そうすれば、よくなってくると思う。皆さんの周りのとても感じのいい人たちが、お話聞かせて下さいと言ったら、悪い気はしないと思う。目が血走ってマイク持って、何が何でもこいつから話聞いて帰らないとデスクから叱られるみたいな切羽詰まった人たちがワッと押し寄せてきて、一言聞かせて下さいと言われたらこれはたまらないと思う。そういう状況にならないように皆さんが気をつけていると、5年後、10年後には取材に行くとウエルカムになると思う。そうなれば、実名報道も当然じゃないでしょうか、というふうに広まっていく一助になるかもしれない。

〇榊原委員長
テーマとしては、特に実名報道ということに焦点が絞られて、さまざまな深いお話ができたと思う。青少年委員会としては、子どもであるという要因が加わった非常に複雑な問題を解かなくてはいけない、そういう状況にあると思っている。ただ、そのときにやはり重要なことは、皆さんがきっちり話を詰めて、皆さんの報道する立場、なぜするのかということを見据えて対処していく。その場合には責任も伴うので、そういう判断をして、その結果、社会的な反論がなされた場合には、それに対してもきっちり応えていく。そのようなことが必要なのではないかと思った。
青少年にかかわる、例えば青少年が取材の対象になったり、あるいは視聴者としての青少年がいる、そういう立場から皆様と意見を交換しながら青少年委員会は、日本の放送の質を高めるための機関だと自負しており、今後も皆さんと意見交流しながら放送をよいものにしていきたいと思っているし、その思いを新たにした。

〇事務局
閉会のご挨拶を山形テレビ常務取締役編成制作局長 大塚大介様からよろしくお願いいたします。

〇大塚常務取締役編成制作局長
皆様、大変お疲れさまでございました。私、このたび幹事を務めさせていただきました山形テレビ、大塚でございます。
BPO青少年委員会様、各局様には日ごろ大変お世話になっております。また、本日は委員の先生方には大変お忙しい中、遠路山形にお越しいただきまして誠にありがとうございます。おかげさまで本日は各局様から放送と子ども、青少年に関する問題について活発にご意見をいただきました。とりわけ実名報道については、プライバシーの問題と真実を報道するという問題の中でどう判断していくのか。その根本は、やはりそれぞれがきっちりと責任ある報道をすることであるというふうに受けとめた次第でございます。活発にご意見、ご発言をいただきまして大変有意義な意見交換会になったと思っております。委員の先生方、各局様のご協力に感謝を申し上げます。

以上