放送人権委員会

放送人権委員会

2013年4月

首都圏放送事業者との意見交換会を開催

放送人権委員会は4月16日、首都圏の放送事業者との意見交換会を東京・千代田区の千代田放送会館2階ホールで開催した。この日は第196回放送人権委員会が同会館7階BPO会議室で開かれ、意見交換会はそれに続いての開催となった。三宅委員長ら9人の委員全員と首都圏の民放、NHKの12社および日本民間放送連盟から計25人が参加し、最近の「委員会決定」をテーマに2時間余りにわたって活発な議論を行った。
各事案の「決定」の判断のポイントや事件報道の公共性・公益性、ニュース映像と人権、放送局の編集権、「意見」、「少数意見」の位置付け等について多くの質問や意見が出された。

意見交換をした「決定」

意見交換会での各委員の主な発言は以下のとおり(発言内のページ数は各決定文のもの)。

Q.第47号事案、なぜ「重大な問題あり」か

三宅委員長:本件は、かなり「エステ店医師法違反事件報道」(2007年6月)との類似性を考えました。このエステ店報道のときは決定について特に異論は出ませんでした。エステ店を放送倫理違反で「見解」にしたことと、今回の判断で「放送倫理上重大な問題あり」で「勧告」というのと、私も結構微妙なところだなとは思っていました。そのエステ店の判断が、きょうのような意見交換の場を何度か持ってきたけれど、生かされているのかというような「時の経過」と、それから、当時私どもが判断したときの放送倫理についての判断基準と、その後検証委員会もできて、放送倫理がかなり強く叫ばれるようになって、放送倫理に求められる水準っていうのは、かなり高くなっているんじゃないかなということ。最後に言うと、今回の映像が鮮明に私に焼き付いています。
私としては、今回は、「放送倫理上重大な問題あり」でもやむを得ないなという感じがしたんです。今回は周りにぼかしを入れたものですから、すごいアップで出てきた。周りの人の人権侵害を防ぐという趣旨のぼかしが、かえって本人をアップにさせて、かつ何々区の何々の誰それっていうのが出て、実際それで特定されて、申立人家族の生活にも大きな影響が出た。そういう結果まで出ていますから、その被害のレベルからいっても、やむを得ない結果だったんだろうなと判断して、「勧告」の重大性というところをつけたのです。

奥委員長代行:私はまだ委員ではありませんでしたから、エステ店の事案はくわしい内容は知りませんが、書類送検だったということですね。今回は20日間ほど拘留されて、略式命令の罰金です。この点は、決定を発表したときにも質問がありましたが、では、どの程度の犯罪ならば、どの程度の放送の仕方が許容できるかという線引きの問題ですね。これは大変重要な問題ですが、どこかに「線」があるというものではないと思います。ニュースが流れたその影響といったことまで含めて、柔軟かつプロフェッショナルな感覚で、その都度その都度、判断していくしかないんだと私は思っています。要するに、例えば懲役何年だったらここまでやっていいよといった問題ではないんです。
軽微か軽微じゃないかという問題は、もちろん罰金50万円が軽微な犯罪といえるのかどうかについては、委員会の中でも議論がありました。しかし、風営法違反といっても事案はいっぱいあるわけで、無許可営業というのは、届け出を怠っていたということですね。これは、1分9秒のニュース中で当事者のアップを含めていろんな表情が映っている映像を37秒も流すに値するものではなかったというふうに我々は判断しました。

市川委員:微罪かどうかということに関して言うと、いわゆる殺人強盗と比べれば、これはまあ軽い犯罪であると。だからと言って、公共性・公益性がないとは私は思わないので、それを素材として採用すること自体はなんら問題だとは思っておりませんが、やはりその中で取り扱い方によっては、非常に重大な制裁的な報道になってしまうということになりますので、その点で、本件はやはり問題があるのではないかなと判断しました。
それで、なぜかなり重いのかというニュアンスなんですけれども、10ページに「本件放送はすでにみたように、繰り返し4回申立人の映像を流した」とあります。顔を大写しにしたものや質問に戸惑いつつ答える場面があるのですが、その外側はぼかしていて、顔だけがすごくリアルに出てくる。しかも、捜査員が質問をしているところを、非常に困惑しつつ戸惑いながら答えている場面があるんですね。それを全部音も録り、顔も表情もリアルに撮っている。その姿というのは、やはり見られている側からすれば、おそらくたいへん恥ずかしいし、困惑しているだろうなっていうことは非常に強く感じる場面で、通常のその連行の場面を、いわゆる殺人犯なんかが連行場面で顔を出して映像を撮られているよりも、さらに細かくその本人の状況が撮られているというところが、私の印象としては、非常にやりすぎているのではないかなというところを強く感じました。そこらが先ほどの重いか軽いか、倫理違反の程度のところにも影響しているんではないかなというふうに、私は個人的には思っています。

Q.地域メディアにとって「罰金50万円の犯罪」のニュース性とは

三宅委員長:地域のメディアとして罰金50万円程度の犯罪について放送してはいけないという判断ではありません。問題はそのとらえ方でして、私も1分9秒のこの放送を何度も見て、このスナックの女性経営者はお店を開く時の食品衛生法の営業許可と、それから風俗営業法の営業許可を、どうも混同しているように見えたんですね。それで、警鐘報道として放送するのであれば、一言アナウンサーが食品衛生法の許可と風俗営業法の許可を混同しているんじゃないか、それとあれは違いますよということを、1分9秒の中でもきっちり言うと、見ている視聴者としては、ああこれは違うんだということが分かると思うんですよね。
地域メディアにおける警鐘報道の意義として、現場の記者がこういうのを撮って来たときに、デスクがそれをどういうふうに構成して、1分9秒の中でどの部分でどういうふうに使うかっていうところを、検証しながら番組の質を保っていく。こういう、作業として本来あるべきところが、放送の流れの中で欠けてたんじゃないかなという点を、ここで指摘したというふうに読んでいただけると有り難いと思っております。

奥委員長代行:決定文の7ページですね、真ん中あたりを読んでいただけると、今の問題はほぼ解決できるのではないかと思います。「日々さまざまな出来事が起こる。『ニュース』としてテレビで放送されるのはそのごくごく一部である。何を『ニュース』にするか(何を『ニュース』にしないか)の判断はもっぱら報道機関として当該テレビ局の裁量にまかされる。いわば『選ぶ自由』である。(中略)被申立人が現場での取材と県警からの正式発表を得て本事案を『ニュース』として選択・放送したこと自体は不当とは言えない」。こういうふうに書いています。

Q.「微罪は報道せず定着」は疑問

(注:決定文11ページの「報道による社会的制裁が刑事罰を大きく上回ることが考えられる微罪については報道しないといった考え方も定着している」との表現についての質問)

奥委員長代行:この20年ほどを考えても、放送界を含む報道機関全体では、社会的制裁を伴うような報道について、どのような報道をしたらいいのかについていろいろと議論が続いています。その結果、報道の具体的な仕方もかなり変わってきていると思います。
まず出典について質問がありましたが、これは特にどこかに出典があって、こういうカギ括弧にしたということではなくて、文章の流れの中で、言っていることを分かりやすくということで、カギ括弧にしたものです。
また、微罪という言葉ですが、これははっきりとした定義があるわけではないので、必ずしも適切な使い方ではなかったのかなと思っています。警察の用語では、起訴しない、警察署の中で帰っていいよ、というケースを微罪処分というように使っているようですけど、ここで微罪といったのは、そういう限定的な意味ではありません。
次に、定着しているか、定着していないかっていう問題は、これはある種の価値判断で、委員の中でいろいろ議論する中で、放送界の現場などにも詳しい方がいらっしゃって、犯人視報道しないとか、無罪推定原則といったことと関係して、こういう形に今やなっているという意見がありました。ですから、定着してないよと言われれば、そうですかと、それは残念ですというふうに言わざるを得ないのですけれども、ここでこういう表現を使って、こういうふうに書いたのは、そういう流れです。

坂井委員長代行:定着しているかどうかを議論しても結論は出ません。私はそんなにおかしくないと思っているので、意見が違うということになろうかと思います。ただ私はもう25年以上こういう報道と人権の問題にずっと携わっていますけれども、確実に現場は変わって来ているという実感はあります。ご指摘いただいた決定文の表現が一つの判断基準として定義付けられているのかどうかといったら、決定では別にそういう書き方はしていませんし、内容としては私としては違和感はないけれども、違う意見の方がいてもそれはそれでおかしくはないというふうに思います。

三宅委員長:微罪のところをどうだったかという話ですけども、今回のスナックのケースは、当該局はああいうケースで1分9秒放送したんですけども、他の1局はもっと短く、匿名だったんですね。それで、新聞記事は全くなかったんです。
エステ店の事案でも、当該局は何回か繰り返し放送したけれど、他の局の放送はなくて。新聞記事は1社が1段のベタ記事で、匿名だったんです。ですから、微罪についてどこまで報道するかについて、あまり放送しないという考え方も定着しているという表現は、あながち、そういう事例を踏まえれば間違いではないということを私も判断したので、ここのところについて文章の削除はしなかった。それは、エステ店と今回の放送の具体的事実を比べて検討して、ここまでの表現は許されるだろうっていうことで書いたということはご理解いただければと思います。

Q.林委員の「意見」と編集権について(「BPOは放送局の編集権にも立ち入るのか」という質問について)

林委員:BPOは、放送事業者の「編集権」に介入するのか、という批判をいろいろなところから聞いております。この「編集権」という言葉は、戦後、日本のマスメディアが定義してきたものですので、私自身が使うのは抵抗がありますので、より一般的な「編集の独立」という言い方で代えさせていただきますけれども、私はBPOの制度において編集の独立はしっかりと担保されているというふうに思っております。編集の独立を尊重するからこそ、BPOがある、BPOはそういう制度としてスタートしたという合意は、ここに座っている全員がシェアしている。だからこうして一緒に集っているのではないですか。まずそれが第一点です。
第二点目に、BPOができた経緯を思い出していただきたい。現在、放送局側のニュースの価値判断は、いろんな意味で社会との齟齬を生んでいる、生んできたということ。それらは、社会問題にまで発展し、メディア不信を呼び、そして、さらには政府の検閲さえ招きかねない。そういう認識のもとでBPOが設立されたわけです。そうしたなかで例えばこうした申し立てが出てきた時に、私たちはヒアリングをしながら、多角的に検討を重ね、その結果、こういう判断を私たちはしましたと申し上げているわけです。
それについてどうするか、私は、いろいろと反省していただきたいことがありますけれども、強制することはできないのです。けれども、それをこんどは、皆さん方が放送局に持ち帰って、その独立した編集権の中で議論をしていただいて、新たに現代の中での「公共性」を定義していただいて、そしてニュースの価値判断を見直していただく。私は時代や社会状況に左右されない、永遠に更新されないニュースの価値判断などあり得ないと思うんですね。

坂井委員長代行:編集権の問題についてご意見をいただいたんですけれども、お話に出た法律実務の現状ではどうかについて、弁護士の立場から述べさせていただきます。まず、法律の分野でも編集権という言葉は使います。判決にも出てきますし、準備書面にも書きます。ですからその点については、法律実務でもこの言葉は出て来るという前提をお伝えしておきます。
次に、「編集権に口を出すのか」というお話ですが、そのお気持ちも理解できると感じる反面、過敏な反応だなと感じるときもあります。ただ編集権ももちろん万能ではないということをご理解いただきたいと思います。「どう作るか」についてBPOが口を出すつもりはないと私は理解しています。特に人権委員会はそういう委員会ではないと思っています。ただ編集権があるからといって、人権侵害、名誉毀損やプライバシー侵害、肖像権侵害等をやっていいということは、皆さんももともとお考えではないはずで、そういう意味で編集権といったって外縁はある、限界はある。それを超えたら、それは違いますよということを言うのが、我々の委員会の立場なのです。その限りでは編集権万能じゃないから、やりすぎですよと、これは超えちゃってますねということは言わせていただきます。
さらに、いわば人権侵害のもうちょっと手前の、放送倫理の問題も扱うという規約になってますので、人権侵害にならなくても、放送倫理上これは問題でしょうと、それは編集権があるからOKという限界を超えちゃってますよという限りで、人権委員会は口を出すべきだと私は考えています。

Q.公共性と人権侵害

林委員:公共性がないニュースだから、(放送倫理の問題ではなく)人権侵害になるのではないかというご質問だったと受け止めます。その点については、配布資料にある「判断のグラデーション」のところをご覧いただきたいんです。「勧告」の中に、「人権侵害」というのが一つ、そして「放送倫理上重大な問題あり」というのがあって、これらは一つずつ別々の判断です。法律的な言葉で、法に触れるような人権侵害があるかないかということを判断するもの、それと、「放送倫理上問題があるかないか」ということの判断は、法律論ではカバーしきれないところがあり、双方は分けて判断するというのが、こちらでの分け方だということです。
ですから、公共性に関して申し上げますのは、これは別に、真実性やプライバシーとのコンフリクトではありません。今回の場合、「放送倫理上重大な問題あり」という結論については、私も多数意見と同じですが、あえて議論として「公共性」という言葉についてテーマにして意見を書いたということです。私自身は法律家ではありませんので、「公共性・公益性」という言葉を、刑法をもとに議論する観点とは異なる、社会学の立場から全く違う観点から議論をしてきたわけです。

小山委員:おそらく林委員は、公共性や公益性という言葉を、名誉毀損やプライバシー侵害を正当化する事由になるかどうかという、いわゆる法律論の意味で使っているわけではないと思います。ですから、別に公共性がないといったらからといって、それが即座に不法行為になる、いわゆる人権侵害になるという、そういった論理的な関係にはないのだろうと思います。要するに、法学的な議論をやっているわけではなくて、さきほどのお話にあったように、社会学的な意味における公共性・公益性という、これまた伝統的な議論の枠組みでのご意見だろうと理解しています。だから私も、補足意見の中で、法的な議論としてはこうなんですよ、ということを簡単に書かせていただいたわけです。

坂井委員長代行:(公共性・公益性について)どんな議論だったのかというご質問なので、弁護士としてどんなふうにそこのことを考え、議論したかを、ぜひお話しておきたいと思います。
皆さんに言うまでもないんですけれども、名誉毀損について刑法230条の2で違法性阻却の規定がある。あれは刑事罰についての違法性阻却です。でもそれがそのまま民事上の違法論に横滑りの形で認められてきたっていうのは、今更言うまでもない話だと思います。それで、起訴されてない犯罪について報道するのは公共性ありと書いてあるわけですよね、刑法230条の2で。ですから、この件はまさにそういう事案なので、名誉毀損にあたる違法かどうかというレベルの話になったら、これは公共性ありとして違法性が阻却されると言わざるを得ないというのが、法律家である私の考えです。ただ、あの規定そのものは、刑事的な違法かどうかの規定ですし、それを横滑りさせたのは、民事上の違法かどうかの議論で、その限りで最高裁はずっともう確定して判断をしているのです。その点、私が林委員の意見について、そういう議論もありだなと思っているのは、ここでは放送倫理上の問題として公共性はどうなのかっていう議論をしているのだと考えられますから、それについて最高裁は何も判断していないので、それとは別の議論があってもいいんじゃないかと私は思うのです。要するに、放送倫理の問題としては、そこは刑法230条の2や判例理論で全部割り切れるわけではないので、その意味において公共性の内実はいったい何なのかという議論は、私は有意義だと思っています。

Q.決定の法的結論に戸惑いも

三宅委員長:その戸惑いの点ですけれども、「放送と人権等権利に関する委員会」の運営規則の5条1項の1号というのは、「名誉、信用、プライバシー・肖像等の権利侵害、及び、これらに係る放送倫理違反に関するものを原則とする」ということで、名誉、プライバシーの人権侵害のほうがまず主にあったんです。それで、私が最初委員に入った頃は、ほぼ名誉侵害等を中心に判断していたんですけれども、最近は、明らかな人権侵害のケースというのは社内で処理されて、この委員会に来ないんじゃないかなって感覚があるぐらい、実は難しい放送倫理の問題が来るようになってるのです。
先例もだいぶ重なってきて、「これは問題あり」と局が判断した場合は、すぐ謝りに行かれて、この委員会に来るまでに解決されてるんじゃないかと思いたいぐらい、放送倫理の微妙なものが上がってくるようなりました。私は委員会に参加して7年目ですけど、初年度、2年の頃と今では扱っている案件がちょっと違うんです。そういう意味で、「放送倫理だけやるのが人権委員会じゃないか」と最近の決定例をベースにお考えになると、そういうご理解にもなるのかもしれないのですが、元々は人権侵害と人権侵害に関連する放送倫理というものを扱うというのがこの委員会の持ち場なので、そこは戸惑わないでほしいというところがあります。

Q.ヒアリングでの代理人同席は可能か

三宅委員長:ヒアリングに代理人を出していいのかどうかという質問ですが、局側でお出しになるのであれば、全然構いません。最近は申立書が非常に書きやすくなったので、本人申立てが多くなってきたのですが、3年ぐらい前のころは、弁護士が申立てした法律論の書面ばかり出てきたようなケースがありました。そういうのもこれからもまだあり得ることですから、それに対して将来訴訟になることも見越してですね、この申立ての段階で主張すべきところ、それから、相手方に基本的に書類も渡りますし、訴訟になり得ることもありますから、そこはそれで対応していただく。将来、万が一の訴訟っていうのをお気になさる場合は、そういうふうな対応していただければと思っております。

Q.「補足意見」、「少数意見」の意味と付け方

三宅委員長:本論と「意見」、「補足意見」のところですが、最近のケースでは意見が分かれました。やはり放送倫理っていうのは時と共に流れて、ある程度のコアな部分はコアな部分で残っていますけれど、人によって微妙に違うので、放送倫理のところは、今回の「イレッサ」も、「国家試験」も、委員会の中では結構ハードな議論をしました。意見をまとめるのに3回ぐらい委員会を重ねてようやくまとめたところです。委員会としては、「問題あり」であっても、なるべく放送の自由を守りながら萎縮しないような形でコメントしていく。しかし、倫理上の問題を考えるときに、「ここまでは(いわなくても)と…」というのと、「いや、これはもうちょっと強めにいうべきだ」というようなところで意見が分かれました。今日のご意見は今後なるべく「意見」を少なくしてほしいということかもしれませんが、スタイルとしては今回の「イレッサ」と「国家試験」のように放送倫理のところで真っ二つに意見が分かれるのはあり得るということで、これから委員会の中で、今日あったご意見も考えながら、なるべくわかりやすい形にしたいとは思っています。

三宅委員長:テレビ神奈川のケースをお聞きして、「意見」と「補足意見」の違いがわからないということがあったので、今回の「イレッサ」と「国家試験」では、結論は同じだけど異なる理由という「意見」とか、「結論について意見として補充している部分は」という修飾語を付けてわかるようにしようということ、そういうような形で、工夫はしています。
委員の議論を踏まえて、何らかの工夫ができると良いかなと思っています。

Q.現場にとって決定文は難しい

三宅委員長:テレビ神奈川のケースは、なるべくわかりやすい形で書こうということで、記載の仕方を随分工夫したんです。が、「イレッサ」の申立て代理人には弁護士がついて来られて、こちらとしては、一言も問題を指摘されることのないような文章にすることに努めました。
それから、「国家試験」のほうは申立人本人が弁護士です。ヒアリングの後もどんどん書面が来るようなケースで、放送人権委員会自体が裁判で訴えられることもあり得るという、そこまで私も気を付けていたのです。だから、起案については普段よりも2回ぐらい多くやりまして、その分、読んでわかりにくいと言われるかもしれないなと思いながら、旧来型の難しい書き方にしてしまいました。今後はもう少し工夫をして決定を書けるケースをなるべく多くしたいと思いますけど、今回はなかなかそこのところが非常に難しかった。
ただ、以前の決定文には「決定の概要」はなかったんです。「決定の概要」だけまず読んでもらって、なるべくわかるようにということで工夫して書いてるので、私が思うに、将来的に分厚い参考資料とは別に、「決定の概要」の部分だけをならべるようなもので、現場でそれだけ読んでもらえれば、ある程度決定の内容がわかるというような工夫をしないといけないかなって考えているんです。ご意見を色々伺って今後の参考にしたいと思います。
今回は事案自体が「イレッサ」の場合は判決も絡んでる非常に難しいケースでしたし、もう一つ「国家試験」のほうも、弁護士が大学で授業する時の授業のあり方で、試験問題を解説するようなことをやって良いのかどうかという微妙なケースだったんです。その辺大きく見ていただければ、多数意見のほうは放送倫理上の問題とまでは言えないという形です。そこをザックリ理解していただければと思ってやっていました。
ただ、委員会の中で意見は完全に割れましたから、割れた以上、それを一本化するっていうのはできません。今回はどうも議論の中を見ていると、非常に難しく、放送倫理上問題ありか、そこまでいかないけども、という難しいところの判断を我々は迫られてるんだなという感じでした。

坂井委員長代行:BPOの役割っていうのは、おっしゃるところはもちろんあると思うんです。ただ、BPO規約を見ていただくとわかるんですが、4条の(2)で、放送倫理検証委員会のほうは「放送倫理を高め、放送番組の質を向上させるため、放送番組の取材・制作のあり方や番組内容などに関する問題の審議」をするっていうことですが、同条の(3)で定められている放送と人権等権利に関する委員会のほうは、「個別の放送番組に関する放送法令または番組基準に関わる重大な苦情、特に人権等の権利侵害に関する苦情の審理」をする委員会ということなんです。その結果、おっしゃる趣旨(BPOは番組向上のための機構では?)に資するようにやりたいとは思いますが、私達の委員会の役割としては申立てがあった番組について問題があったかどうかを審理するという形で活動する以外ないということはご理解いただければありがたいと思います。

以上